平成27年9月14日
研究環境基盤部会 学術研究の大型プロジェクトに関する作業部会
文部科学省においては、学術研究の大規模プロジェクトへの安定的・継続的な支援を図るべく、平成24年度、新たに「大規模学術フロンティア促進事業」を創設した。
この事業は、世界が注目する大規模プロジェクトについて、「学術研究の大型プロジェクトの推進に関する基本構想 ロードマップの策定 -ロードマップ2014-」 等に基づき、社会や国民の幅広い理解・支持を得つつ、国際的な競争・協力に迅速かつ適切に対応できるよう支援し、戦略的・計画的な推進を図ることを目的とし、現在整備中又は推進中の大規模プロジェクトの着実な実施とともに、新規の大規模プロジェクトを推進することとしている。
本作業部会で平成24年11月に策定し、平成26年1月に改訂を行った「大規模フロンティア促進事業の年次計画について(以下、「年次計画」という。)」において、「Bファクトリー加速器の高度化による新しい物理法則の探求」についての計画推進に当たっての留意事項として、「KEKB加速器の本格運転が開始される前に、実験計画等の進捗評価を実施する。」こと、「「大強度陽子加速器(J-PARC)」による物質・生命科学及び原子核素粒子物理学の推進」についての計画推進に当たっての留意事項として、「MRビーム強度の増強等の今後の高度化計画については、平成25年度中に予定されているリニアックの性能回復(181MeV→400MeV)や主電磁石電源のR&Dの状況を踏まえ、進捗評価を実施する。」ことが挙げられていることから、このたび、本作業部会において進捗評価を実施した。
年次計画においては、平成26年度中に進捗評価を実施することとなっていたが、本計画の実施機関である高エネルギー加速器研究機構における不適切な会計処理事案が発生したため、本事案については事実関係が確定し、再発防止策が実行に移されるまで、その実施を見送ったところである。今回、本作業部会において、機構が策定・実行してきた再発防止策への対応状況が確認できたため、進捗評価の実施を再開することとなった。
評価に当たっては、関係分野の専門家にアドバイザーとして加わっていただき、ヒアリング及び審議を実施し、評価結果を取りまとめた。
高エネルギー加速器研究機構の電子・陽電子衝突型加速器※1(KEKB)は世界最高の衝突性能を実現し、電子と陽電子を衝突させることにより作り出されるB中間子※2におけるCP対称性の破れ※3の発見による小林・益川理論の実験的検証をはじめ、素粒子物理学研究及び加速器科学の発展に大きく貢献し、世界的な中核拠点として、当該分野をリードしてきた。
本計画では、従来のKEKBの衝突性能を40倍に高めるため、KEKBの高度化 (SuperKEKB)を図る。周長3,016mのKEKB電子リング及び陽電子リング(衝突リング)、電子・陽電子線形加速器(入射器)並びにBelle測定器※4を、既存の設備を最大限活用しながら、高度化のために必要な電磁石並びに電磁石用電源、ビームパイプ、電子・陽電子源、検出器等の設備を製作して更新するなどして、改造する。また、周長135mの陽電子低エミッタンス入射システム(ダンピングリング)※5を新設する。
SuperKEKBの衝突方式は世界でもまだ例のないナノビーム大角度交差方式である。Belle測定器を高度化したBelle II測定器を構成する各検出器がビームから発生する放射線によって損傷するリスクを可能な限り排除し、長期間安全に運用するため、加速器の性能向上及び物理実験を以下のように三段階で進める計画となっている。
・Phase 1:
電子及び陽電子リングに低エミッタンス※6のビーム(広がりの小さなビーム)を安定して蓄積するための加速器の調整を行うとともに、ビームパイプ中の残留ガスをビームから発生する放射光により除去して高真空にするなど、Belle II測定器を衝突点に導入可能な状態となるよう、リングを整える。また、Phase 1用の測定器を設置し、物理解析に必要なバックグラウンドの実験データ取得等を行う。
・Phase 2:
衝突点に最終収束用超伝導電磁石及びBelle II測定器を組み込み、衝突点でビームをナノサイズに絞り込むための調整や、絞られたビームを安定して衝突させる調整等を行う。衝突点に非常に近い崩壊点位置検出器(VXD)はこの段階では故障するリスクが高いためまだ設置しないものの、物理実験データの取得も行う。
・Phase 3:
VXDを安全に組み込める状況に装置及びビームの調整を終えた後、VXDをBelle II測定器に組み込み、完成されたBelle II測定器により本格的な物理実験データ取得を開始する。
高度化されたSuperKEKBを運用し、KEKBの50倍の物理実験データを蓄積することにより、宇宙初期にしか起こらなかった極めて稀な現象を多数測定し、これまでの実験で見つかっている標準理論※7だけでは説明が困難な現象を手掛かりとして、新しい物理法則の発見・解明を目指すとともに、現在の標準理論では説明できなかった、宇宙の発展過程で物質が消え残った謎※8の解明に迫る。この新たな物理法則の解明は、大統一理論※9の構築へとつながるものであり、さらに、現代宇宙論最大の謎の1つである暗黒物質※10の正体・起源などが明らかにされることも期待される。
・建設:平成22年度~平成26年度
・運転:平成27年度以降
KEKBの高度化及び改造と改造後の維持・運転は、高エネルギー加速器研究機構加速器研究施設が担当し、Belle測定器の改造及び維持・運転と運転開始後のデータ収集は素粒子原子核研究所が担当する。この両者と参加大学など外部の関連機関との連携を図るために「Bファクトリー計画推進委員会」を設置し、計画全体に関する意思決定を行う。さらに、「Bファクトリー加速器国際評価委員会」、「Bファクトリー実験国際評価委員会」を設置し、海外の学識経験者から加速器、測定器の高度化に関する技術的なアドバイスや、研究推進の方針について広く意見を求めることとする。
・建設費:総額 314億円(設備費290億円、高度化経費24億円)
・運転経費:年間 約70億円
当初計画に従って、以下のとおり、平成22~26年度に予定した装置の高度化を実施、完了し、本格運転開始に向けた調整作業が進められている。
【1】電子・陽電子衝突リングの建設及び立上げ調整
電子リング及び陽電子リング高度化改造の鍵となる各種装置の製作及び設置等の整備を計画どおり実施している。
・電子及び陽電子ビームを低エミッタンスにするため、必要な電磁石、電磁石電源の製作及び据付けを完了した。
・陽電子リングにおける電子雲※11によるビーム不安定化を防ぐため、また電子リングの放射光による発熱を緩和するための、新型ビームパイプへの更新を完了した。
・ビーム電流を増強するために高周波源の増設、加速空洞の改造及び配置最適化を完了した。
・ビームの位置やサイズ、振動を精密に計測し、安定して制御するための新しい検出器や、更新したビームパイプに適合する測定用電極などの製作及び設置を完了した。
・衝突点の最終収束用超伝導電磁石をPhase 2(平成29年度)から稼働させる計画に沿って、現在製作を進めており、完成に近づいている。組み上がった電磁石システムを冷却試験した上で、Phase 1終了時(平成28年度夏)からビームラインへの設置作業を行う予定。
【2】電子・陽電子線形加速器の改造
入射器で生成される電子及び陽電子ビームを低エミッタンス化し、かつビーム電流を高めるため、新たなRF電子銃※12の開発や陽電子源の増強を行うとともに、エミッタンスの増大を防ぐために入射器全体のアライメント精度を向上させた。
【3】陽電子低エミッタンス入射システム(ダンピングリング)
Phase 2(平成29年度)以降は、線形加速器で生成される陽電子ビームを陽電子リングに入射する前に低エミッタンスにするためのダンピングリングが必要となる。計画どおりダンピングリング新トンネル及び建屋が完成し、大部分の加速器機器の製作を終えた。Phase 2(平成29年度)の運転開始に先立ってダンピングリングの調整運転を開始する予定であり、据付け及び立上げ調整を進めている。
【4】Belle II測定器の建設
最も外側の中性K中間子・ミュオン検出器の組み込み及び電磁カロリメータの新しい読み出し回路の装填が完了した。また、中央飛跡測定器本体の建設が完了し、引き続き、宇宙線によるテストが進行中である。
他の検出器の建設もスケジュールどおり順調に進んでいる。
本研究計画は、海外の研究者にも広く門戸を開いた国際共同研究として実施されており、1.(3)に示した組織に加え、23カ国・地域99大学・研究機関からの600名超の研究者組織(「国際共同実験 Belle II」と呼ばれる)を置いている。ここでは参加機関の代表者からなる「参加機関代表者会議」が意思決定を行い、研究活動を行っている。参加機関は実験データへの自由なアクセスや計算機資源などの利用が認められている。なお、素粒子原子核研究所に所属する研究者も測定器の維持・運転と運転開始後のデータ収集を担当するほか、参加研究機関としてこの枠組みで研究活動に参加している。
また、海外の主要な加速器研究機関との協力のもと、加速器本体の建設については、主として高エネルギー加速器研究機構が費用を負担しているが、Belle II測定器の建設においては、高エネルギー加速器研究機構と国内外の研究機関との間で費用を分担している。超伝導補正コイルの製作、ビームサイズモニタやフィードバック機器等の先端的技術開発において、海外の主要な加速器研究機関の協力を得て進めている。
加えて、イタリアで計画されていたBelle II実験のライバルとなる同種の国際協力実験SuperB計画が2013年頃に経済的事情により実現が断念されたため、SuperB計画に参加していたイタリア、カナダ、メキシコなどの研究者がBelle II実験に新規に参加するほか、さらに勧誘活動を継続し、国際協力体制の強化に取り組んでいる。特に、世界の研究者に開かれた国際的な頭脳循環の拠点として、若手研究者を積極的に測定器や物理解析に関する活動グループのコーディネーターやグループリーダーとして抜擢し、責任を持ちつつ活躍できるような環境を整えている。
社会や国民の信頼・支持を得るための取り組みとして、高校生や大学生などを対象とした各種スクール等の諸活動などを以下のように定期的に実施している。
【1】高校生を対象とした教育普及活動
・Belle Plus: 高校生対象のサマーキャンプ。3泊4日でBelle II研究者と同一体験をする。年1回実施しており、第9回(2014年)は21名の参加者があった。
・理系女子キャンプ : 日本の女子高校生対象として女性研究者による講演や体験談を話してもらう。過去4回実施し、各回約30名の参加者があった。
・JSTサイエンスキャンプ:高校生を対象として本格的な実験や実習を行う。過去9回実施し、各回約20名の参加者があった。
・Belle実験のデータの一部をインターネット上で公開し、自ら実際に粒子探索の研究を体験してもらうB-Labプログラムを実施している。2015年6月現在で59校の高校生748名を含む1,268名が参加した。
・実習、職場体験を積極的に行っている。2014年度は、16件550名の高校生等の実習及び7件26名の職場体験を受け入れた。
【2】大学生を対象とした素粒子物理学の教育活動
・東南アジアスクール(PPSSEA):東南アジアの大学生を対象としてBelle IIでの研究を中心に素粒子物理一般の講義、実習を行う。3回目の前回は6ヶ国41名の参加があった。
このほか、常時施設見学を受け入れ、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどメディアによる紹介も行っている。
本計画の運用体制について、加速器運転・維持経費については、国際的合意(IUPAPガイドライン※13及びICFAガイドライン※14)に基づきホスト機関である高エネルギー加速器研究機構が負担することとなっている。一方で、Belle II測定器の運転・維持費は、高エネルギー加速器研究機構と国内外の他の大学・研究機関で負担することとしている。
また、Belle II測定器の運転・維持費における国内外の大学・機関の分担は、学生・技術職員を除く参加研究者の数により按分することとしている。運転・維持費の予算は、Belle IIの財政委員会で案を作成し、外部監査委員会の精査を経て、財政監査委員会で承認されている。
国内の共同研究体制の構築に関しても、Belle II実験には国内13大学・研究機関、約140名が参加し、国内のコミュニティが結束し共同研究が推進されている。
以上のとおり、本計画は、国際協力体制の下、当初の資金計画の範囲内で、計画どおりのスケジュールで建設を進めている。また、生徒・学生や将来の研究者を対象とした様々な取組がなされ、社会や国民の理解を得るための取組も行っている。これらを総合的に勘案し、本格運転に向けて、順調に進捗していると評価する。
また、本計画においては、これまでのBelle実験での経験や実績を活かし、国内外の共同研究、国際協調体制が構築され、明確な科学目標の下、国際的合意に基づき今後の運用体制が整えられている点は評価できる。
本計画においては、今後、平成34年度までに、装置の高度化による現行の40倍の衝突性能の早期達成と、物理実験の継続による現行の50倍のデータ量の蓄積、B中間子などの精密測定による新しい物理法則の発見・解明を実施する。なお、これらについては大規模学術フロンティア促進事業の年次計画において、「中間評価については、研究の進捗状況等に鑑みつつ、平成31年度頃を目途に実施する」とされており、今後の着実な取組が期待される。
なお、高エネルギー加速器研究機構では、計画に関連し、平成24年7月にBelleデータの一部損失、平成26年6月に年度末未納品に関する不適切な会計処理が発覚したほか、平成25年5月には、J-PARCにおいてハドロン実験施設の事故が発生しており、誠に遺憾な事態であるが、この対応として、再発防止、危機管理に関する体制の強化、安全文化の醸成に向けた取組を行っていることは評価できるので、今後も組織一丸となって推進することが必要である。
上記の進捗評価を踏まえ、今後の事業の推進に当たって、以下の6点について留意が必要である。
なお、以下の留意点については、平成31年度に実施する予定である中間評価において、本評価を踏まえた対応状況の確認を行うものとする。
【1】機構におけるより一層のガバナンスの強化
高エネルギー加速器研究機構においては、事故等の事態を踏まえ、事業の着実な推進に当たっては、国際的な研究機関としての透明性ある適切なガバナンス体制を一層強化することが必要である。
【2】運転時間の確保の重要性
本事業の科学的意義や学術研究における我が国の国際的プレゼンスへの貢献は認められるところであるが、一方で、LHCb※15や他の新物理探索実験に対する国際競争力とコミュニティにおける求心力を維持するためには、運転時間の確保が重要である。しかし、電気代の高騰などの外的要因に加え、我が国の厳しい財政状況下において、運転時間の確保に向けた予算の適切な確保を見通すことは困難な状況である。現在、運転・維持経費については、加速器本体は設置した国が負担し、測定器は国際共同で分担するという国際的合意に基づき推進されている。今後、海外の他のプロジェクトにおける国際的な経費分担の枠組みの在り方や、ホスト国としての多額の負担を踏まえて、日本の研究者の海外施設における相互便益の状況、加速器本体の運転・維持経費における海外負担割合の分析・評価を行うことにより、国際協調を基本とした運転経費の負担の在り方について検証を行うことが必要である。加えて、外部資金の獲得や既定経費の見直し、法人内資源の再配分等、高エネルギー加速器研究機構としてもあらゆる努力を行っていくことが必要である。
なお、国は、検証の状況を踏まえつつ、本計画が着実に推進されるよう適切な支援に努めることが重要である。
【3】国際情勢を踏まえた計画の最適化
Belle II実験に対する国際的な期待が高まっている一方で、現在欧州のLHCにおいて行われているLHCb実験が順調にデータを集め、物理解析に成果を挙げている。こうした国際的な研究の情勢を注視しつつ、他実験施設との機能分化、相違点や優位点をより明確にし、独自の成果を生み出していくことが重要である。また、LHCをはじめとする海外の他のプロジェクトの進捗状況について十分な情報収集を図り、国際的な研究の情勢を踏まえ、計画の最適化に向けた検討を継続し、必要に応じて本計画の実施に反映させることが必要である。
【4】社会・国民に向けた広報活動・情報発信の一層の推進
多額の国費を投入し、また成果への直結が見えにくい学術研究であるからこそ、幅広く社会・国民に計画そのものや科学的重要性について理解を深めてもらい、さらに本計画が支援されるような環境・雰囲気を醸成することが、計画の安定的な推進に寄与するものであり、引き続きこうした取組の充実に留意することが必要である。その際、実験を通じて何が解明されるのか社会・国民にとってわかりにくいものが多いことから、わかりやすい説明の工夫が必要である。このような広報・情報発信の重要性は、大型装置を用いて真理を追究する大型プロジェクトに共通することから、他の学術研究の大型プロジェクトと連携して、その意義等について、情報発信を推進することが必要である。また、【6】で指摘されるような開発技術などが国民生活や産業のイノベーションにどのように役立っているのかという情報も発信していくことが重要である。
【5】人材の計画的育成と技術の継承
従来のBファクトリー実験には、多くの大学院生が実験研究に参画し、平成26年度までにはそのうち159名(国内57名)が博士号を取得して国内外の学界、産業界で活躍している。このように多くの大学院生等を受け入れ、素粒子物理学及び加速器科学の最先端の研究現場において教育・研究指導を行うことで、当該分野における人材育成に寄与してきた。本計画による加速器の高度化に伴う長期的な安定運用を目指すため、引き続き、若手研究者・技術者を育成し、現在関わっている研究者や技術者が積み上げてきた基礎技術を継承することが重要であり、そのための方針を明確にすることが必要である。
【6】産業応用の可能性等の追求
本プロジェクトにおいては、低エミッタンスのビームをコントロールする手法について開発された。今後、こうした成果が、加速器産業をはじめ広くスピンオフしていくよう、国立研究開発法人などの関係機関から協力を得ることも検討の視野に入れ、産業応用への橋渡しを積極的に行うことが必要である。
※1 電子・陽電子衝突型加速器
加速器は、電子や陽子などの粒子を光速近くまで加速する装置。電子・陽電子衝突型加速器は、電子と陽電子を逆向きに加速して衝突させ、効率的に素粒子反応を起こす。その衝突性能(ルミノシティ)は現在世界最高。
※2 B中間子
中間子は1つのクォークと1つの反クォークから構成される粒子。B中間子は反ボトムクォークとアップクォーク、ダウンクォーク、ストレンジクォークまたはチャームクォークの各々の組合せから構成される中間子。B中間子は崩壊の過程で大きなCP対称性の破れを示すことが知られている。
※3 CP対称性の破れ
反粒子の振る舞いは、上下左右を反転させた粒子の振る舞いと基本的には同じであるが、それらの振る舞いが異なる場合、CP対称性の破れがあると呼ぶ。宇宙から反物質が消えた理由を解明する手がかりとなる。小林・益川理論はクォークと反クォークの振る舞いの違いを説明する理論。標準理論を超える新しい物理法則の多くが新たなCP対称性の破れを引き起こす。
※4 Belle測定器
KEKBで加速された電子と陽電子が衝突して起こる反応から生じる粒子について、その種別や運動量などを測定するための測定装置。縦横高さ8m、重さ1,400トン。
※5 陽電子低エミッタンス入射システム(ダンピングリング)
リングを周回する電子や陽電子が放射光を放出してエネルギーや運動量を失っていく性質を利用して、ビームの空間的広がりを小さくすることを目的としたリング型加速器。これまでは入射器で生成された陽電子ビームをそのままKEKB陽電子リングに入射していたが、新設したダンピングリングでビームの広がりを極限まで絞って高品質化してから入射することで、スーパーKEKBへの入射効率を飛躍的に改善し、衝突性能を向上させることが可能となる。
※6 低エミッタンス
ビームの広がりを表す指標。光の場合、完全な平行光線はレンズで一点に絞ることができるのと同様、エミッタンスが低い(広がりが小さい)ビームは衝突点で小さく絞ることができる。高ルミノシティを達成するためにはビームを低エミッタンスにすることが必要である。
※7 標準理論
素粒子とその反応を記述する理論であり、様々な実験的検証を経て構築された。基本的な構成要素は、物質を構成する3世代(6種類)のクォークとレプトン、力を媒介する4種類のゲージ粒子、さらに素粒子に質量(重さ)を与えるヒッグス粒子である。
※8 物質が消え残った謎
反物質とは、反粒子により構成される物質であり、多くの粒子には対応する反粒子が存在する。例として、陽子の反粒子は反陽子、電子の反粒子は陽電子である。粒子とその反粒子が出会うと両者は消滅してエネルギーだけが残り(対消滅)、他方、エネルギーからは粒子と反粒子が生成される(対生成)。本計画においては、世界最高性能の電子・陽電子衝突型加速器を用いて、なぜ、宇宙から反物質が消え、物質のみが存在しているのかという謎を実証する。
※9 大統一理論
素粒子間に働く力で現在知られているものは、重力、強い力、弱い力、電磁力の4種類である。このうち、電磁力と弱い力は高エネルギーでは区別がなく、統一された一つの力(電弱力)で記述されることが分かっている。さらに高いエネルギーでは、電弱力と強い力も統一的に記述され、クォークとレプトンを同等に記述できると考えられ、この理論を大統一理論と呼ぶ。素粒子物理学の大きな目標の一つとなっている。
※10 暗黒物質
宇宙の物質やエネルギーのうち、通常の物質はわずか4%に過ぎず、残りは見えない物質やエネルギーであると考えられている。このうち光や他の物質とほとんど反応しないために観測できない物質を暗黒物質という。宇宙の全エネルギーの23%は暗黒物質が担っているとされる。
※11 電子雲
リングを周回するビームから放出される放射光がビームパイプに当たると、表面から電子(光電子)が飛び出し、それがさらに別の場所に当たると、二次電子が発生する。陽電子ビームや陽子ビームなど、プラスの電荷をもつビームの場合には、これらの電子がビームの周囲に電気的に引き寄せられ、集団を形成する。これが「電子雲」である。電子雲の密度が高いと、ビームの不安定やビームサイズの増大を引き起こす。
※12 RF電子銃
低エミッタンスのビームを電子リングで蓄積するために必要な、低エミッタンスの電子源を生成するための装置。従来の熱電子銃と比較して格段に低いエミッタンスの電子ビームが得られる。
※13 IUPAPガイドライン
IUPAP(International Union of Pure and Applied Physics、国際純粋応用物理学連合)は、1922年に設立された、世界各国の物理学会や学術アカデミーから構成される国際的な連合組織で、物理学の発展および同分野での国際協力を目的とする。
IUPAPガイドラインは、1996年に採択されたガイドラインで、ICFAガイドラインを物理学の全分野に拡大したもの。
※14 ICFAガイドライン
ICFA(International Committee for Future Accelerators、国際将来加速器委員会)は1976年に設立された、IUPAPのワーキンググループであり、高エネルギー加速器の建設・利用における国際協力や国際協力による超大型加速器の建設に関する諸課題についての検討などを行うことを目的とする。
1980年に採択された大型加速器の国際共同利用に関するガイドライン。
※15 LHCb
CERNのLHCで稼働している装置の一つであり、同実験の名称でもある。LHCにより陽子同士を衝突させ、生成されるB中間子の崩壊の過程を精密に測定する。
大強度陽子加速器施設(J-PARC)は、高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構(JAEA)が共同で施設を整備・運用している最先端研究施設である。大強度陽子ビームを液体水銀又は固体の標的に衝突させることによって発生する多彩な二次粒子(中性子やミュオン、中間子、ニュートリノ等)を用いて、物質・生命科学、原子核・素粒子物理学など、基礎研究から新産業創出につながる応用研究に至るまで、幅広い分野での研究を推進することを目的としている。J-PARCは線形加速器(リニアック)、3GeVシンクロトロン(RCS)、主リングシンクロトロン(MR)から構成され、ハドロン実験施設、ニュートリノ実験施設、物質・生命科学実験施設(MLF)の各実験施設において幅広い分野における実験研究が行われている。
本計画においては、以下のことを目指すこととしている。
【1】ビーム強度の増強
・MRのビーム強度の増強に向け、遅い取り出しで※150kWを出力させる。
・主電磁石電源の開発(R&D)については、問題点を検証し、技術的な実証試験を行う。
・電源を開発した主電磁石電源に更新することによるMRの増強により、ニュートリノ振動実験に必要な高繰り返し化※2による速い取り出し※3で750kWと、ハドロン実験に必要なビームロスの低減などによる遅い取り出し100kWを出力させる。
【2】ハドロン・ミュオン素粒子実験
・K中間子※4でストレンジネス核物理※5の新しい局面を拓く(高密度核物質※6、一般化された核力※7の理解の推進。)
・K中間子の稀崩壊※8において小林・益川理論を超えるCP対称性の破れ※9を探索する。
・高運動量ビームライン※10を整備することにより、クォーク閉じ込め※11、質量獲得機構※12の解明を行う。
・ミュオン―電子転換事象探索(COMET)ビームライン※13を整備することにより、ミュオン稀崩壊現象※14のメカニズム(荷電レフ?トンフレーハ?ー破れ※15)の検証など標準理論を越える新しい物理法則の兆候を探索する。
【3】ニュートリノ振動実験(T2K)※16
・電子ニュートリノ出現現象による混合角※17を決定する。
・東京大学宇宙線研究所と共同で、ニュートリノ振動の高精度測定によりCP対称性の破れ、質量の階層性※18の探索を行う。
【4】中性子・ミュオン物質生命科学実験
・偏極中性子解析装置※19を整備し、高感度物性研究※20を展開する。
・Sライン及びHライン※21を整備することにより、μSR物性研究※22やミュオニウム超微細分裂※23の測定を行う。
・建設:平成13年度~平成20年度
・運転:平成20年以降
高エネルギー加速器研究機構が中核拠点として、日本原子力研究開発機構と連携して実施している。そのほか、東京大学宇宙線研究所に加え、国内20の大学・研究機関及び国外47の大学・研究機関が参画している。
また、ユーザーの意見を反映した外部に開かれた運営を行うために、外部有識者からなる国際諮問委員会や利用者協議会等の委員会を設置している。
・建設費:総額 666億円(高エネルギー加速器研究機構分)
・運転経費:年間 約66億円(高エネルギー加速器研究機構分)
【1】ビーム強度の増強
<リニアック>
リニアックでは、東日本大震災により平成23年3月から平成23年12月、ハドロン実験施設の事故により平成25年5月から平成25年12月まで運転停止期間があったものの、平成25年度の停止期間中、当初計画どおりに既設の加速空洞の下流側に新たにACS(Annular-ring Coupled Structure Linac)※24を設置することによって、ビームエネルギーを181MeVから設計値400MeVに増強した。
<MR>
MRのビーム強度については、平成27年6月現在で遅い取り出しが33kW、速い取り出しは360kWの定常運転を実現している。
当初計画においては、平成26年度末までに遅い取り出しで50kWのビームパワーを実現することを目指していたが、遅い取り出しはハドロン実験施設における事故の影響のために1年11ヶ月の間運転が停止し、増強のためのビームスタディも実施できなかった。
速い取り出しにおいては、入射/加速/取り出しのサイクルを現行の2.48秒から1.3秒程度に短縮する(高繰り返し化する)ことによりビーム強度を増強することを目指しているが、そのために必要な主電磁石電源の開発(R&D)は当初の計画どおり平成26年度までに技術的な実証試験まで終了しており、ビーム強度を増強するための主電磁石電源の作製を開始できる準備を整えた。
【2】ハドロン・ミュオン素粒子実験
ハドロン実験施設では、K中間子でストレンジネスを持つ原子核を作り、中性子星※25内部の状態(高密度核物質)を理解する実験や、K中間子の稀な崩壊により標準理論を超えるCP対称性の破れを探索する実験を開始する直前の平成25年5月に放射性物質漏えい事故が発生し、施設利用運転が1年11ヶ月停止し、実験を実施することができなかった。しかしこの間、それ以前に行われた実験からの研究成果としてペンタクォーク粒子※26の探索、ストレンジネスを持つΛ粒子※27を含む特殊な原子核の探索、K中間子と2つの陽子が束縛された新しい状態の観測、K中間子稀崩壊の世界最高感度での探索が得られた。平成27年4月の施設利用運転の再開により、停止していた実験が本格的に開始し、データ収集を進めている。
高運動量ビームラインとCOMETビームラインについては、平成26年度に整備し、実験開始の準備を国際協力により進めている。
【3】ニュートリノ振動実験
ニュートリノ振動実験においては、平成25年度、電子ニュートリノ出現現象の存在を決定的とし、混合角の測定精度を向上させた。これは、ニュートリノにおける粒子と反粒子の性質の違い(CP対称性の破れ)の探索を可能にし、宇宙の物質起源の謎を解明する有力な手掛かりとなる素粒子物理学における重要な成果として国内外から高く評価されている。この電子ニュートリノ出現の一連の論文は、世界の関連研究者から1,500回近く引用されており、J-PARCをはじめとしたT2K実験国際共同研究グループが世界的な成果を挙げていることの代表的事例となっている。さらに、平成26年度より、今後の最重要課題であるニュートリノにおける粒子と反粒子の性質の違い(CP対称性の破れ)の探索を開始しており、平成26年度には、T2Kのニュートリノの測定(電子ニュートリノへの変化の割合の測定)と原子炉実験(仏・ダブルショー実験など)から得られた測定結果を組み合わせることによって、世界で初めてCP対称性の破れの兆候を示唆する結果を得ている。
ハドロン実験施設の事故により停止期間はあったものの、先に実験施設の準備が整ったニュートリノ振動実験は平成26年5月から実験を再開し、国際協力と競争の状況を踏まえ、優れた研究成果の創出に向け、J-PARCとして最大限配慮し、努力している。
【4】中性子・ミュオン物質生命科学実験
中性子においては、世界最高レベルの大強度パルス中性子※28を利用した実験研究を行うために、世界的な磁性材料研究拠点である東北大学との連携により偏極中性子散乱装置を建設し、基盤整備を行い、実験準備を着実に進めている。
一方、ミュオンにおいては、Sライン及びHラインの建設によって共同利用ビームタイムの要求に応えるとともに、基礎物理分野の大型実験にも対応できる施設整備を行う計画である。平成24年度にSラインの一部(S1エリア)の製作・設置を進め、 平成26年12月には施設検査を終了した。
ハドロン・ミュオン素粒子実験施設で行われている実験は、いずれも半数近くのメンバーが国外の大学・研究機関から参加しているなど国際共同実験が展開されている。
また、現在J-PARCのビームを利用するために年間約30,000名のユーザーがJ-PARCに滞在している。そのうち約4割が外国人であり、英国、米国、カナダ、韓国など26カ国・地域182機関から参加しており、既に国際研究拠点を形成している。
その国際研究拠点としての研究活動を支えるため、内外の研究者や学生とJ-PARCのスタッフが研究に関する議論や分野間の交流を促進するためにJ-PARC研究棟を整備し(平成27年度利用開始)、さらにユーザーが東海に快適に滞在するためのドミトリーの拡充(平成26年度に室数を倍増し現在100室)等を進めてきている。
【1】事故の報告および信頼回復のための活動
ハドロン実験施設の事故に関連して、近隣住民への説明会を9回にわたって開催し、事故の状況や再発防止策の取組状況について説明を行った。また、J-PARC事故相談ホットラインを開設するなど、信頼回復のための取組を行っている。
【2】広報・教育普及の活動
J-PARCは、広報や教育普及の活動の多様化・活性化が進められており、地域に開かれた施設として住民に研究の意義や成果をわかりやすく説明する説明会の開催のほか、科学イベントの開催、地域の学校と連携した教育支援など様々な取組が進められている。研究成果のみならず、施設の運転状況や故障についてもホームページを通じて広く情報発信を行っている。このように、地域との関係を強化する方向性の下、地域住民との対話や情報発信・広報を頻繁に実施することで、理解や支持の獲得に向けた対応を進めている。
さらに、地域社会に開かれた施設として、次のような広報・教育普及活動の多様化、活性化を図っている。
・広く国民に対し、施設を公開して研究内容と成果を紹介する「施設公開イベントを、これまで平成20年、平成21年、平成22年、平成24年に開催し、合計で13,000名の来場者があった。
・高エネルギー加速器研究機構として行っている学部学生向けの教育プログラム「サマーチャレンジ」では、J-PARCツアーを実施するとともに、中性子・ミュオンを用いて例年秋頃に実習を行っている。平成26年度においては、99名の学生が参加した。
・高等学校等に講師を派遣する事業や、地域住民を対象とした「サイエンス・カフェ」をこれまで26回開催し、J-PARCの成果や将来の構想をわかりやすく紹介している。
・成果が得られた場合はプレスリリース、記者会見、Web掲載を積極的に行っている。T2K実験が電子ニュートリノ出現現象の存在を決定的にした平成25年7月には、事前にプレス懇談会を2度開催した上で、結果発表当日に記者会見を行うことにより、当日夜のニュース番組で約10分間の特集として取り上げられたほか、新聞各紙の報道も24件以上となるなど、メディアで取り上げられやすいように配慮して報道発表を行っている。
J-PARCにおける実験研究は、実験提案の下に結成された共同実験チームが提案書をJ-PARCに提出し、J-PARCに設置された実験課題審査委員会(国際的なメンバーで構成される)において審査され、承認された時間のビームを利用し実験を行うことができる。MRを用いた実験においては、基本的に測定装置は実験チームが予算を含め責任を持ちつつ建設、運転、維持、性能向上を行う。一方、加速器やビームラインなどの施設の運転、維持に係る費用は、国際的合意(IUPAPガイドライン及びICFAガイドライン)に基づき、ホスト機関である高エネルギー加速器研究機構が負担することとなっている。
ハドロン実験施設の事故のため、長期にわたりビーム運転が停止し、利用実験を行うことができなくなった。(MLFが平成26年2月まで、ニュートリノ実験施設が同年5月まで停止し、ハドロン実験施設は平成27年4月までの1年11ヶ月もの停止に及んだ。)こうした状況の結果、研究計画に遅れが生じていることは否めず、MRにおける遅い取り出しのビーム強度の増強計画においても、平成26年度中に50kW達成するという目標からは遅延が生じている。国際競争力を保持し、当初の目標の研究成果を創出するためには、相当の努力を要する。
J-PARCにおいては、平成25年5月のハドロン実験施設の事故により、長期間運転が停止したほか、高エネルギー加速器研究機構においては、平成26年6月、年度末未納品に関する不適切な会計処理があったことも判明した。こうした状況は、計画の推進に対する信頼を損ねる遺憾な事態である。この事態を受けた対応として、高エネルギー加速器研究機構において、再発防止、危機管理に関する体制の強化、安全文化の醸成に向けた取組を行っていることは評価できるので、今後も組織一丸となって推進することが必要である。
その他、本計画においては、国内外の共同研究、国際協調体制が構築され、明確な科学目標の下、国際的合意に基づき今後の運用体制が整えられている点は評価できる。また、T2K実験が電子ニュートリノ出現現象の存在を決定的にした平成25年7月の成果は、国際的な学術コミュニティはもちろん、メディア・国民の注目を集めた。
この研究分野では国内唯一の大型かつ複合的な研究施設を運営し、若手研究者や大学院生に共同利用・共同研究を行う機会を提供しており、J-PARCに滞在して研究するための宿泊施設や研究棟を整備し、分野間の交流を促進し、研究に専念するための環境を整えていること、国際的なシンポジウムやスクールを開催し、若手研究者が研究発表や交流を行う機会を提供していることも評価できる。
ハドロン実験施設事故の際、J-PARC事故相談ホットラインを開設するなどの取組を行っており、施設の一般公開、サマーチャレンジ、一般向け講演会などの実施と合わせ、情報発信・広報の取組については一定の評価ができる。
一方で、上記の通り、ハドロン実験施設事故に伴い、当初計画から遅延が生じ、実験停止期間中もデータの解析や測定器の増強が進められたが、最終的に計画の推進にどの程度の影響があったのかについて、今般の進捗評価の場において明確に示されなかった。今後、その影響を分析評価するとともに、全体計画の見直しの必要性や目標の設定をさらに明確にしていく必要があることから、まず、本報告において確認された現在の計画の状況を踏まえて、できる限り速やかに、年次計画の適切な見直しを図る必要がある。その際、計画の遅滞状況をより明確に説明する必要がある。
こうした作業を行い、これまでの計画の遅れを取り戻す取組を鋭意進めることが求められる。計画の遅れの要因を排除し、見直された新規・適正な全体計画のもと、遅滞なく進められているかどうか平成29年度を目途とした期末評価において確認し、平成30年度以降の計画については、その評価結果を踏まえて検討することとする。
上記の進捗評価を踏まえ、今後の事業の推進に当たって、以下の6点について留意が必要である。
なお、以下の留意点については、平成29年度を目途とした期末評価において、本評価を踏まえた対応状況の確認を行うものとする。
【1】事故を再発させない研究体制の確立とガバナンスの強化
ハドロン実験施設の事故を踏まえ、再発防止のための対策の継続と教職員の意識の維持に努めることが必要である。不適切な会計処理の再発防止と合わせ、今後より一層機構のガバナンスを強化し、危機管理に関する体制の強化、安全文化の醸成に向けた取組を推進することが必要である。また、ガバナンス体制の強化に当たっては、特にJ-PARCが、高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構の共同設置の施設であることに鑑み、双方の連携の要であるJ-PARCセンターを核として、迅速な意思決定が可能となるよう、協力をより一層強化することが必要である。
【2】安定的な運転に向けた運転時間の確保
本事業の科学的意義や産業界における活用可能性等を高めていくためには、ビームラインの運転時間の確保が必要である。しかし、電気代の高騰などの外的要因に加え、我が国の厳しい財政状況下において、運転時間の確保に向けた予算の適切な確保を見通すことは困難な状況である。現在、運転・維持経費については、加速器本体は設置した国が負担し、実験・測定装置は国際共同で分担するという国際的合意に基づき推進されている。今後、海外の他のプロジェクトにおける国際的な経費分担の枠組みの在り方や、ホスト国としての多額の負担を踏まえて、日本の研究者の海外施設における相互便益の状況、加速器本体の運転・維持経費における海外負担割合の分析・評価を行うことにより、国際協調を基本とした運転経費の負担の在り方について検証を行うことが必要である。加えて、外部資金の獲得や既定経費の見直し、法人内資源の再配分等、高エネルギー加速器研究機構としてもあらゆる努力を行っていくことが必要である。
なお、国は、検証の状況を踏まえつつ、本計画が着実に推進されるよう適切な支援に努めることが重要である。
【3】研究推進の在り方
大規模学術フロンティア促進事業の年次計画において、「各研究テーマについては、年次計画において、国内・海外の関連するプロジェクトとの役割分担などについて、計画全体の更なる精査、優先順位付け、絞り込みが必要」と指摘されており、これらについて、さらに明確化を図ることが必要である。
また、同じく年次計画において「MRのビーム強度の増強に関しては、リニアックの性能回復を前提として、既定経費の見直し・削減を含めた具体的なMRの整備計画について評価を行うことが必要」であり、「高運動量ビームライン、μ-e変換実験ビームラインの整備については、実験・研究の優先順位を明確化した上で、外部資金の獲得による研究開発、諸外国の費用負担等による経費の削減等により既定経費の見直しを行い効率的な運用に努めることが必要」とされている。
これらについては、【2】で指摘した運転時間の確保と同様に、各プロジェクトの精査や既定経費の見直しが前提となってこそ、本計画が持続的に進捗することが可能となるものであり、引き続き、その点を留意して本計画に取り組むことが必要である。
加えて、MRのビーム強度の増強については、ハドロン・ミュオン素粒子実験やニュートリノ振動実験、中性子・ミュオン物質生命科学実験において、国際競争力を保持し、当初の目標の研究成果を創出するために必要であることから、技術的な実証実験が終了している主電磁石電源への更新の必要性が認められる。
【4】人材育成や研究者ネットワークの形成への寄与
J-PARCは、今般のハドロン実験施設における事故により、大学院生や若手研究者が、海外の類似施設において研究を行わざるを得なかった事例もあり、人材育成にも大きな影響を与えた事態を深刻に受け止め、今後、仮に施設が停止した場合においても人材育成における影響を最小限にとどめるよう、国内外の他の実験施設等と連携したバックアップ体制を強化することが必要である。
また、より一層の分野の活性化に当たって、さらに幅広い大学の研究者が研究に参加できるよう、各種研究会等、研究者同士の交流の機会を増やすとともに、こういったネットワーク形成の場に新規の利用者や海外研究者が参加しやすいよう、絶えず工夫を行っていくことが必要である。
【5】社会・国民の信頼と支持を得るための活動の強化
J-PARCは、高エネルギー加速器研究機構とJAEAが共同設置する放射線を取り扱う実験施設として、安全に係る情報の透明性の確保と、研究推進の社会的意義等に係る社会・国民からの支持に向け、一体感のある的確な情報発信が強く求められるところである。
今後は、J-PARCを共同運営するJAEAとの広報活動の連携・一体化を促進し、大学・産業界のユーザーを巻き込み、その意義や研究成果を発信することで、地域のみならず、国内外に向けて、研究推進に係る理解や支持が一層得られるよう、より組織的に行うよう努めることが重要である。その際、研究成果の発信においては、生命科学実験など、本計画で推進する分野ごとに成果の状況を精緻に分析・評価した上で、積極的な情報発信を行うことが必要である。
また、多額の国費を投じて科学の真理を追究する点については、他の学術研究の大型プロジェクトと共通することから、互いに連携して、その意義等について、広く情報発信を推進することが必要である。
さらに信頼関係を構築するには、国民、特に地元住民との双方向のコミュニケーションが不可欠であり、説明するばかりでなく住民の意見に耳を傾け、十分に交流を行うことが重要である。
【6】高エネルギー加速器研究機構とJAEAの連携加速
J-PARCにおいては、ユーザーがどのような設置の形態であるかによらず、施設の装置を用いて研究が円滑に行われるよう、引き続き、よりユーザーサイドに立った制度の運用に向けて、更に一層の運用改善を図っていくことが必要である。
このほか、産業利用に向けた可能性についての一層の周知とともに、関心を持つ産業界の利用者へのトライアルユースなどを一層推進するとともに、JAEAと協力し、J-PARCとして更なる産業利用を促進するための取組を検討することが必要である。
※1 遅い取り出し
加速器からビームを取り出す際にビームがリングを周回する時間に対して十分に長い時間をかけて少しずつ取り出す手法。MRではハドロン実験施設へのビーム供給にこの手法が用いられている。
※2 高繰り返し化
加速器から取り出されるビームの強度は平均電流値に比例する。ビーム入射/加速/取り出しのサイクルにかかる時間を短縮することにより、単位時間あたりの電荷量(粒子数)を増やして平均電流値を上げることができる。MRでは電磁石電源系や高周波加速系等の増強により1サイクルの時間を現行の2.5秒から1秒程度に短縮することを計画している。これを高繰り返し化と呼ぶ。
※3 速い取り出し
遅い取出しに対して、加速器からビームを取り出す際にビームがリングを周回する時間と同程度の時間で取り出す手法。MRではニュートリノビームラインへのビーム供給にこの手法が用いられている。
※4 K中間子
ストレンジクォークを含む中間子。K中間子ビームを用いることによって、原子核内にストレンジネバリオンを持ち込むことができる。また、K中間子の崩壊から粒子反粒子の対称性の破れの新しい起源を探る研究が行われている。
※5 ストレンジネス核物理
K中間子ビームを用いて原子核内に「ストレンジネス」という量子数を持ち込み、普通の原子核を構成する核子(陽子、中性子)とストレンジ核子(ラムダ粒子、グザイ粒子)とで構成される新種の原子核(ハイパー核)を生成する。ハイパー核のエネルギーレベルの測定などから、核子とストレンジバリオンの間に働く力、さらに中性子星内部の物質の解明を行う。
※6 高密度核物質
通常の原子核は、原子核の種類によらずほぼ一定の密度を持つ。一方、中性子星の内部などの極限状態では、核子がストレンジ核子に変化し、エネルギー的に安定になり、通常の原子核よりはるかに高い密度の多体系(核物質)として存在することが予想されている。また、K中間子を媒介として核子同士がより強く束縛されて高密度になるという理論的な予想もある。K中間子ビームと原子核の反応により、これまでに無かった高密度の核物質やその性質を探索することができる。
※7 一般化された核力
普通の原子核を構成する核子(陽子、中性子)の間に働く強い相互作用(核力)は、湯川秀樹によるパイ中間子の提唱以来長い研究の歴史がある。一方、核子とストレンジ核子の間の力は、ストレンジクォークにまで拡張された「より一般的な核力」と考えることができるが、これまで実験的に困難であったため、データが少なく、未解明なことが多かった。J-PARCの大強度ビームでその力を解明し、核力に対する理解を進める。
※8 K中間子の稀崩壊
K中間子は数百億回に一度という極めて稀な割合で特殊なパターンに崩壊する。ハドロン・ミュオン素粒子実験では、その過程を探索し、その崩壊を通してしか検出できない未知の自然法則の発見を目指す。中性のK中間子の稀な崩壊では、CP対称性の破れの新しい起源を探ることができる。
※9 CP対称性の破れ
反粒子の振る舞いは、上下左右を反転させた粒子の振る舞いと基本的には同じであるが、それらの振る舞いが異なる場合、CP対称性の破れがあると呼ぶ。宇宙から反物質が消えた理由を解明する手がかりとなる。小林・益川理論はクォークと反クォークの振る舞いの違いを説明する理論。標準理論を超える新しい物理法則の多くが新たなCP対称性の破れを引き起こす。
※10 高運動量ビームライン
ハドロン実験施設では、これまで加速器から取り出した一次陽子ビームと標的との反応で生成した1~2GeVの運動量を持つ二次粒子(K中間子やパイ中間子)を用いた実験を行ってきた。加えて、今後は一次陽子ビームや10GeV近い運動量を持つ二次粒子を用いた実験を展開する。そのため、従来より高い運動量の粒子を実験室に導く高運動量ビームラインを用いる。
※11 クォーク閉じ込め
バリオンはクォーク3つが、中間子はクォークと反クォークが束縛されてできている粒子と考えられているが、クォークそのものが単体で観測された例はない。そのことを、クォークは粒子の中に「閉じ込められている」と表現する。高温・高密度状態では、核子や中間子に閉じ込められている時とは違ったクォークそのものの性質が現れると期待されている。
※12 質量獲得機構
クォークや電子の質量は、ヒッグス粒子によって生じると考えられている。核子はクォーク3個で構成され、その質量はクォーク3つ分と期待されるが、ヒッグス粒子で生じるクォークの質量は軽く、それだけでは核子の質量を説明できない。核子の質量は、ヒッグス粒子とは別のメカニズム(機構)により獲得されると考えられている。
※13 ミュオン-電子転換事象探索(COMET)ビームライン
ニュートリノでは、ミュオンタイプが電子タイプに変換する事象が観測されているが、荷電粒子である電子、ミュオン、タウ粒子の間での変換事象は観測されていない。標準理論を超える物理法則では、これらの粒子の間での変換事象が予言されており、変換事象の探索実験の一つとしてCOMET実験がある。COMETビームラインはハドロン実験施設に整備され陽子ビームを遅い取り出しラインから切り分けて輸送するビームライン。
※14 ミュオン稀崩壊現象
標準理論を超える物理法則において予言されている、電子やミュオン等の荷電粒子間での変換事象の一つの現れ方に、ミュオンが電子と光子に崩壊するなどの稀崩壊現象がある。COMET実験により、この崩壊現象を含む稀過程探索実験を行う。
※15 荷電レプトンフレーバー破れ
標準理論を超える物理法則において予言されている、電子やミュオン等の荷電粒子間での変換事象を荷電レプトンフレーバーの破れと呼ぶ。
※16 ニュートリノ振動実験(T2K)
T2KはTokai to Kamioka の略。J-PARCの大強度ニュートリノビームを約295km離れたスーパーカミオカンデで検出し、ニュートリノ振動の精密実験を行う。T2K実験の目標は、3世代あるニュートリノの質量と混合の全容の解明等であり、宇宙の物質起源の謎解明へ向けた最初の一歩となる可能性が指摘されている。
※17 混合角
ニュートリノの世代間の混合の度合いを表す角度のこと。0度は全く混合してないことを表し、45度で最大限の混合を表す。
※18 質量の階層性
質量の決まった3つのニュートリノ間の質量差は3通り計算できる(1番目と2番目の差、2番目と3番目の差、3番目と1番目の差。ニュートリノの質量が3つしかない場合は2つの差から残りの3つ目の差は計算できる)。この3つの質量差が、大きい質量差と小さい質量差に分離することを階層性と呼ぶ。実際、これまでの測定で1番目と2番目の差は、2番目と3番目の差(≒3番目と1番目の差)の30分の1以下であること、「階層性」が存在することがわかっている。
※19 偏極中性子解析装置
偏極中性子解析装置は、中性子のスピンを揃えた中性子ビーム(偏極中性子)により、物質内部のスピンを観測する装置であり、他の装置では観測不可能な詳細なスピン応答の定量的研究が可能になる。本装置を用いて酸化物超伝導体の超伝導メカニズムの解明が可能と考えており、室温超伝導の実現や新しい磁性デバイス開発へのブレークスルーが期待される。
※20 高感度物性研究
量子ビームと呼ばれている放射光X線、中性子、ミュオン、陽電子ビームは基本的に高いエネルギーを持つ放射線であるため、ビームの信号を極めて高感度で検出することができる。高感度物性研究は、これらの量子ビームを利用した研究である。
※21 Sライン及びHライン
MLFに設置されるビームラインの一つであるSラインでは、エネルギーが約4MeVの正ミュオンを4つの実験エリアに輸送し、高時間分解能/極低温/パルス超高磁場・光励起等の特色ある実験装置を用いてのミュオン高度利用により最先端の物性科学、材料科学が推進される。Hラインでは、エネルギーが約30MeV/c(4MeV表面ミュオン)から120MeV/cの正負ミュオン或いは電子を最終的には4つの実験エリアへ輸送可能にするビームラインが整備される。実験エリアでは、ミュオン異常磁気能率(g-2)実験、ミュオニウム(正ミュオンと電子からなる水素原子のような状態)の超微細構造の精密測定、などの最高精度探索等の比較的長期間にわたる基礎物理実験が行われる。
※22 μSR物性研究
スピン偏極したミュオンを物質中に注入し、ミュオンのもつ原子スケールの方位磁石としての性質を利用することで、内部磁場の大きさや揺らぎを実時間で捕らえることにより物質の様々な性質を明らかにする手法を用いた研究。
※23 ミュオニウム超微細分裂
ミュオンの超微細構造定数を精密に測定することにより、朝永振一郎博士によって創始され、木下東一郎博士等が発展させている量子電磁力学の精密計算と精密実験との究極の比較をすることで理論の前提となる相対性理論はどれほど正確に成り立っているのか、量子電磁気学はどこまで正確なのかについて調べることができる。
※24 ACS(Annular-ring Coupled Structure Linac)
J-PARCのような負水素イオンのリニアックにおいては、光速の50%程度の速度になると加速効率のよい「結合型空洞」が用いられる。結合型空洞にはいくつかの種類があるが、その中でもACSは電場の軸方向の対称性に秀れ大強度ビームの安定な加速に最適である。ACSは70年代にロシアで提唱され技術的困難のためにしばらくは実現しなかったが、90年代初頭に高エネルギー加速器研究機構において精力的に行われた開発研究によって実用化の目処が立ち、その後J-PARCにおいて世界に先駆けて実際の加速器でのビーム加速に成功した。
※25 中性子星
星の進化が進んで超新星爆発に到った後に、ブラックホールにならずに残った天体で、約10kmの半径の中に太陽の1~2倍の質量を持つとされ、宇宙で最も高密度の物質(太陽の300兆倍)である。その内部は謎が多く、中心部分にはストレンジ粒子を含む高密度の核物質ができていると考えられている。
※26 ペンタクォーク粒子
核子等のバリオンはクォーク3つが、メソンはクォークと反クォークが、束縛されてできている粒子と考えられている。クォーク4つと反クォーク1つでできている粒子を「ペンタクォーク粒子」と呼ぶ。理論的にその存在の可能性が予想されているが、実験的にはまだ確立されていない。なお、2015年に欧州CERNのLHCb実験から、新しいタイプのペンタクォークが観測されたという報告があった。
※27 Λ粒子
バリオンのうち、陽子はアップクォーク2つとダウンクォークが、中性子はアップクォーク1つとダウンクォーク2つが、束縛されてできていると考えられている。アップクォーク、ダウンクォーク、ストレンジクォークの3つできている粒子をΛ(ラムダ)粒子と呼ぶ。ストレンジバリオンの一種で、K中間子と核子の反応で生成することができる。
※28 パルス中性子
パルス状の中性子を発生させる中性子源。J-PARCなどのようなパルス状に陽子を加速する加速器を利用した中性子源では、陽子ビームが中性子発生ターゲットに入射するタイミングに合わせて中性子を発生させるため、パルス中性子源となる。
西尾 章治郎 | 大阪大学総長 |
海部 宣男 | 自然科学研究機構国立天文台名誉教授 | |
川合 知二 | 大阪大学産業科学研究所特任教授 | |
伊藤 早苗 | 九州大学応用力学研究所教授 | |
井本 敬二 | 自然科学研究機構生理学研究所長 | |
大島 まり | 東京大学大学院情報学環教授、東京大学生産技術研究所教授 | |
小林 良彰 | 慶應義塾大学法学部教授 | |
瀧澤 美奈子 | 科学ジャーナリスト | |
横山 広美 | 東京大学大学院理学系研究科准教授 |
鈴木 洋一郎 | 東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構特任教授 | |
永宮 正治 | 理化学研究所研究顧問、高エネルギー加速器研究機構名誉教授 | |
新野 宏 | 東京大学大気海洋研究所教授 | |
松岡 彩子 | 宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所准教授 | |
山中 佳子 | 名古屋大学大学院環境学研究科准教授 |
相原 博昭 | 東京大学副学長 | |
中野 貴志 | 大阪大学核物理研究センター長 |
岡 真 | 東京工業大学大学院理工学研究科教授 | |
中家 剛 | 京都大学大学院理学研究科教授 |
(敬称略、五十音順)
※鈴木委員は、「「大強度陽子加速器(J-PARC)」による物質・生命科学及び原子核素粒子物理学の推進」計画の利害関係者であるため、進捗評価には参加していない。
永宮委員は、「Bファクトリー加速器の高度化による新しい物理法則の探求」計画及び「「大強度陽子加速器(J-PARC)」による物質・生命科学及び原子核素粒子物理学の推進」計画の利害関係者であるため、進捗評価には参加していない。
電話番号:03-5253-4111(内線4169)
メールアドレス:gakkikan@mext.go.jp