資料3-1 研究の多様性を支える学術政策-大学等における学術研究推進戦略の構築と国による支援の在り方について-(報告)(案)に対する意見

1.意見募集の概要

(1)募集期間 平成17年9月7日(水曜日)~平成17年9月27日(火曜日)
(2)告知方法 文部科学省ホームページ
(3)受付方法 郵便、ファクス、電子メール

2.意見総数 17通(個人:16名、団体:1団体)

<内訳>

【個人】

(性別)男性:14名 女性:2名

(職業)大学関係者:15名 不明:1名

(年齢)20代:0名、30代:2名、40代:2名、50代:4名、60代:0名、70代:1名、不明:7名

【団体】

研究者団体:1団体

3.意見

 報告(案)全体の内容については、基本的には的確であり、評価・賛同するとの意見が大多数であった。
 個別意見の概要は次のとおり。

(若手研究者の育成)

○ 日本の学術政策では、「ヒト」への資金投入が圧倒的に不足。若手研究者(アジア地域からの留学生も含む)への生活支援がまず必要であり、給料に相当するような支援を考えるべき。
○ 博士後期課程に在籍する者は学生ではなく、基礎研究に従事する職業人ととらえるべきであり、授業料は廃止し、給与を支給すべき。
○ 日本は科学的に進んでいる工業国であるにもかかわらず、アカデミック教育システムはかなり立ち遅れており、発展途上国である。海外で評価される前に日本で評価されるような世界的な大学教授を育てる時期に来ている。
○ 任期制を導入するとパーマネントなポストの確保のため業績(論文数)が出やすい研究に従事しがちとなり、知的好奇心に基づく研究がやりにくくなる。論文数だけで評価する制度を改めるとともに、任期制を導入するのは民間等にもポストを見つけやすい分野に限定すべき。
○ 若手研究者の知的財産権等の権利や時間の自由を得るための組織的対応が必要。
○ 学術研究推進のための将来にわたる人材供給に問題がある。すべての学部・大学で一律には論じられないが、今後医学部出身の基礎研究者は絶滅するのではないか。

(中堅研究者等の活躍)

○ 人員の流動化においては、研究環境の確保が不可欠。例えば、教員が特定の共同プロジェクト等に参画する場合、教育面や大学運営での負担を軽減させるなどの措置を講ずるべき。
○ 年齢的に中堅研究者より上の研究を事実上停止した教授の活用について建設的な提言が必要。

(研究支援体制の整備)

○ 学術研究支援にシニア人材を活用すべき。例えば、定年退職者や子育てが一段落した女性が、単なる研究支援者ではなく、自ら提案した課題や大学教員の持つ課題について、主体的に研究開発をすることに対して国の本格的な補助制度を創出すべき。
○ 若い研究者が人足として使われないためには、少なくとも若い研究者の所属する研究室にはテクニシャン的な人員が配置されるようなシステムが必要。

(適切な教員評価)

○ 大学は教育の場であり、教授の評価はどれだけ社会に貢献できる研究と人材育成を行ったかが重要。教授と研究者の位置づけは異なる。教授には論文数だけではなく、研究結果を出せる人たちの輩出量(インパクト数が高い論文を如何に多く書かせたか、高い評価を受ける論文が書ける研究者を何人育てたか)を評価の対象とすべき。

(国による多様な支援方策)

○ 独創的な新たな研究は競争的資金を確保しにくいので、基盤的研究費の確保は(特に基礎的研究分野において)重要。
○ 特定の基準に沿った研究だけ評価される体制ではなく、新しいユニークな研究、新しい手法による分析などが評価されるような体制作りを期待。新しい研究には、過去の成果がないため、企業の支援が望みにくく、そのような研究にこそ国が配分すべき。
○ 純粋基礎科学で培われた広範な技術がなければ、応用も次第に枯渇する。応用に投資するだけでなく純粋基礎科学にもバランスよく投資することが有効。
○ 研究者のみが他領域と交わるのではなく、各省庁が横断的な公的助成に取り組むことで、多様性に貢献するのではないか。
○ 一番手を狙い世界の嫌われ者となるよりも、志のある研究者のすべてがチャレンジできる希望のある研究環境の構築を求める。

(大規模研究の推進)

○ 基盤的経費や競争的資金の拡充と並行して、先端的かつ国際的な大型研究プロジェクトにも適切に資金を配分することが肝要。大型研究プロジェクトを我が国が先導し、アジアの研究拠点の位置づけて世界に開かれた最先端の研究施設を整備することは、世界とりわけアジア諸国の信頼を得る上でも重要な戦略的施策。世界最先端の大型研究プロジェクトは科学の夢をアピールする広告塔の役割も担っており、人類の知に貢献する純粋基礎科学における大型研究プロジェクトを国が積極的に推進することを希望。
○ 大型基礎科学プロジェクトを小規模ながらも特徴のある研究のバランスをとることが重要。わが国が特に進んでいる分野や将来有望となる分野のプロジェクトには国(特に文部科学省)の積極的な参加が必須。大型国際研究プロジェクトに関しては、国として参加の可否を判断する以前から国益を鑑み、研究者とともにわが国の戦略を立て、文部科学省として国際舞台で情報を収集し主導的に議論を展開していくことが必要。
○ 旧文部省系と旧科学技術庁系がボトムアップとトップダウンの機能をお互いに補間しあっていくことが重要。国際分業の基礎科学の研究プロジェクトや一国の投資サイズを越えるような大型の基礎科学プロジェクトに関しては、旧文部省と旧科学技術庁が分担してやっていくべき。
○ 一国の投資サイズを越えるような国際分業的な大型研究プロジェクトをわが国に誘致し、外国から多くの一流の研究者を流入させ、そこでのグローバルな研究活動や大きな成果が国民の目に見える仕組みを作るべき。

(産学官連携の推進)

○ 大学の研究開発に産学官連携は不可欠であり、これをサポートするシステムを国が構築することが急務。産学官連携の象徴となるプロジェクトとして、企業が大学と連携した場合その資金を企業に助成する補助金制度の創設を明記すべき。
○ 企業には、社会人修士・博士への研究休暇を創設させることが必要。

(その他具体的な施策の提案)

○ 長期的視野に立った国家的なプロジェクトとして、辞書、事典の編纂を推進すべき。例えば、科学研究費補助金の枠内又は枠外で辞書、事典類の編纂プロジェクトを公募する方式が考えられる。
○ 国際的な競争力を高めるためには、大学を超えて、各大学が提案したプロジェクトを調整して複数の大学、学部によるより大きなプロジェクトを立案、調整する体制の構築が必要。
○ 食の安全保障を担保するため、獣医学と食育教育との速やかな連携構築が望まれる。
○ 国際会議等の開催に向けて、都市部での会議場や宿泊施設を大学がより安価で使用できるような支援体制の確立が必要。
○ 現地連絡事務所ではなく、世界の主要都市に内外を問わず研究者が共同利用可能な研究施設を設置し、プロジェクト公募などを通じて共同利用体制を構築すべき。
○ 海外拠点との国際連携に当たっては、知的財産の保護、知の流出に注意が必要。
○ 国、大学等において、社会が博士課程修了者の受け入れにより積極的な姿勢に転ずるよう、政策的な手当てやキャンペーン等を実施すべき。
○ 科学技術博物館や、子供の科学技術教育、学会の運営等に対するシニア・ピープル等のボランティア活動を活性化する制度を創設すべき。

(報告(案)の全体構成)

○ 優れた研究者養成と研究者の発想の多様性は、教育のあり方と深く関わっている。学術政策の基本的な方向性に「3.多彩な研究者養成を目指した教育」を加えることを検討すべきではないか。同様に、学術研究推進戦略の3つの戦略に「教育のあり方」を追加・検討すべきではないか。
○ 報告書全体に「知の統合」政策や、知は何のためにあるべきかの論がみあたらない。科学・技術と社会、社会と科学・技術の関係を統合したSTSの考え方が研究戦略に取り込まれるべき。
○ 「多様性」の保護を主張するのであれば、海外で確立された概念を翻訳し、自らの研究課題の如く喧伝する「自称研究者」が「多様性」の名の下に保護されてきたという過去の反省に立ち、多様性が引き起こす負の側面を明確に記述し、それを回避するための方策も盛り込むべき。
○ 大学に将来への棲み分け競争を勧めすぎることは、研究のすそ野を狭める方向ともなり、戦略倒れとなる可能性が危惧される。

参考:提出いただいたご意見(受付順)

【1】私立大学研究科長(男性)

「学術研究支援におけるシニア人材の活用」について。
 これは、間近に迫った2007年度問題に代表される、今後の高齢化社会への対応を考えていく上でも極めて重要なことである。当該審議会の中心的課題とは思わないが、側面的には非常に重要かつ有効な提案であると考える。
 (参考に、本意見提出者の大学の取り組みを紹介。)

(参考)シニア・エンジニア、シニア・サイエンティスト制度について

背景

・2007年度問題:いわゆる団塊の世代の集中的定年退職に伴うノウハウの断絶
・年齢を含め、多様な背景を持つ研究者・技術者との交流による学生の人間性教育
・研究支援者の終身雇用に伴う大学の長期的経済負担の解消

制度の概要

(1)対象

・定年前後の優れた技術を持つ者の研究支援者としての雇用
・子育てが一段落した女性の本格的研究支援者としての雇用

(2)業務の内容

 単なる研究支援者ではなく、自らテーマを提示し、大学教員・学生とともに研究開発を推進する者も対象とする。

  • 課題提案型:自らの研究開発を、教員・学生の支援を得て推進する者
  • 課題対応型:教員の研究開発テーマを共同で推進する者
  • 連携支援型:従来の研究支援者

(3)柔軟な勤務体制

  • 勤務時間:週1~6日、時間も個々人の都合に合わせて決める
  • 継続年数:単位は1年、実際には、例えば定年(60歳前後)後、数年間を予定

(4)原資

  • 現在のところ、文部科学省私学助成の大型研究プロジェクト(社会連携、オープン・リサーチ・センター制度等)に付随する研究支援者制度による半額助成、及び大学の独自財源を充てている。

(5)協力機関

  • 大阪周辺の国公立研究機関、松下電器産業、サンヨー、島津製作所、他

(6)実績

  • 平成16年度:2名
  • 平成17年度:8名(うち女性2名)、今後さらに拡充予定

(7)呼称

 シニア・サイエンティスト、シニア・エンジニアは、海外では一般の研究者・技術者より高い地位にある者の呼称である。2名の女性については50歳前後であるので、現在、別の呼称を検討中。

制度導入の経緯

 平成16年度に、大阪市の研究所を退職された触媒化学の研究者(京大博士)を研究支援者として雇用した。自ら研究開発を推進していただいているだけでなく、学生の人間性教育にとっても大きな効果があると判断された。この方を単なる研究支援者ではなく、本格的なシニア・サイエンティストとして継続雇用すると同時に、対応する制度を創設した。
 例えば、平成17年度からは、元高等学校物理教師をシニア・サイエンティストとして雇用する研究室もある。この方は、50歳になってから大阪市大で理学博士を習得された方で、研究成果、学生教育に大きく貢献してくれるものと期待している。
 これに先立ち、国公立研究所の所長・人事担当者、いくつかの企業の人事担当者等に制度の意義について意見を伺った。いずれも非常に良い制度であるので是非協力したいということであった。加えて以下のような意見があった。
 ・日本の(企業)社会では、50歳を過ぎると、研究職を続けたくても、また研究職・技術開発職としては非常に良いものを持っていても、マネジメント・サイドに移るか、いわゆる窓際族的扱いにならざるを得ないことが多い。非常にもったいないことだと感じている。50歳代後半から、大学と協定して、定年後にシニア・サイエンティスト/エンジニアを目指して共同研究を始めるような制度はできないか。
 ・政府としても2007年度問題への対応として、勤務年限延長を打ち出している。この場合、一旦定年退職し、賃金が大幅に下がることよりも、同じ職場で、上下の人間関係が逆転することに対する苦痛の方が懸念される。もし大学のような比較的自由な職場で、これまでの人間関係から離れて、学生や若い教員と一緒に研究開発ができるなら、それを希望する人はかなり多いと思われる。
 このような制度を創設するに当たり、国の助成制度がないか調べた。文部科学省はもとより、経済産業省、厚生労働省等でも直接対応するような制度を見つけることができなかった。今回はやむを得ず、私学助成の研究支援者制度を拡大解釈して原資とした。
 例えば国公立の研究所の定年退職者を延長雇用する場合と、大学でシニア・サイエンティストとして雇用する場合に助成をする場合と比較すると、国にとっての支出額は同じである。
 その他、欧米では科学技術博物館ではシニア・ピープルが活躍していることは良く知られている。さらにサンディエゴの大きな国際会議場で開かれる会議は、町に愛着を抱いているシニア・ピープルのボランティアが大きな支えになっている。日本ではシニア・ピープルのボランティアと言えば、環境、祭がキーワードになっているが積極的に科学技術の支援にも活躍していただきたい。

提案
  1. 定年退職者や子育てが一段落した女性が、単なる研究支援者ではなく、自ら提案した課題や大学教員の持つ課題について、主体的に研究開発をすることに対して国の本格的な補助制度を創出する。
  2. 科学技術博物館や、子供の科学技術教育、学会の運営等に対するシニア・ピープル等のボランティア活動を活性化する制度を創設する。

【2】公立大学事務局課長(女性)

1.学術支援戦略への意見

 まず、本報告は、はじめにとして、「地球の限界をも示唆した持続可能な社会の構築に向けて、貧困、人口、環境、食料、エネルギーなど次々と生じる複雑かつ多様な問題を、あらゆる知を動員し人知の限りを尽くして解決しなければならない状況」と論じている。
 しかしながら、この報告全体に「知の統合」政策や、知は何のためにあるべきかの論が見あたらない。科学・技術と社会、社会と科学・技術の関係を統合したSTSの考え方が研究戦略に取り込まれなければならないと考える。ますます細分化された学問の中で、研究者とその支援者が木を見て森を見ずの状況となった研究開発手法には、例えば、国民を薬害やアスベスト禍の被害者に陥らせたと同様な不安を感じる。
 また、「知の大競争時代」の到来に対し、多様性の促進と謳いつつも、多様性は穏やかに機能分化させて整理するとしている。そこには、戦略的に分野を選択させる施策により、個々のものが持つ多様性は整理して切り捨てしていくように見える。世の中は、皆同じ方向を狙うのが常であり、将来への棲み分け競争を勧めすぎることは、研究の裾野を狭める方向ともなり、戦略倒れとなる可能性が危惧される。
 さらに、「知の大競争時代」においては、その覇者が生まれれば当然に敗者も生じる。価値の多様化と言いつつも競争原理は大きく働く。拠点を世界と競争させるために国に敗者の屍を累々とさせる競争であってはならない。国土に資源の乏しい我が国が、何をもって「世界最高水準の大学」と言われるものになるのかである。例えば、産業界では既に世界最高水準の技術を中国への工場移転とともに移転させてしまい、多くの知の結晶を失ったとも言われている。最高の利益を求め、戦略として資本と知をつぎ込んだ結果なのに、である。「世界の最高水準」には、金と、物資と、人材のエネルギーを次々に注がなければ常勝の維持は不可能となる。そして、他国に追い抜かれ横取りされることともなる。目標高く、一番手を狙い世界の嫌われ者となるよりも、志のある研究者の全てがチャレンジできる希望のある研究環境を求めたい。
 子供たちに夢を持たせられる国として学術研究支援の戦略を行っていただきたい。

2.その他

  • 研究者がより意欲的に研究に取り組めるよう、研究者を励まし、努力が報われるような研究・教育などについての適切な教員評価制度が必要である。
     →研究成果は必ずしも努力の賜ではないこと。(研究者は常に競争環境におり、努力が報われようとは考えない)
  • なお最近、基盤的経費と競争的資金の適正な比率を定め、基盤的経費を削減し、その削減分を競争的資金に上乗せすることで競争的な研究環境を醸成しようという議論が一部にあるが、欧米主要国に比べてもともと少ない大学等への政府予算額の割合を単にシフトさせるだけの議論は避けるべき。また、基盤的経費の削減は大学等の教育研究活動の基盤を損ない、大学等の基礎体力を喪失させるものであり、基盤が不十分な環境にいくら競争的資金が投入されても大学等のポテンシャルは発揮されないことが十分認識されるべき。競争的資金のみで研究を行わなければならなくするような極端な指向性を現在の我が国の大学等に導入することは、研究者の職を不安定にし、優秀な人材の確保を困難にするとともに、すぐには具体的成果への展望が開けないような息の長い重要な研究やその時点であまり注目されていない研究が敬遠されることにより、長期的には研究の質が下がる危険性もあることに十分留意すべき。
     →充分に留意すべしと言っているが全体には競争をすべしとの論調である。
  • 若手研究者がキャリアアップしていく際に、研究と出産・育児との両立が障害となり将来有望な研究者が研究を断念することは国家的な損失でもある。科学研究費補助金においては、既に研究者の育児休業等による研究の中断・再開を認める措置をとっているところであるが、さらに育児休業等により研究活動を中断していた者が研究現場に復帰する時期に合わせて、通常の公募時期とは異なる時期に応募できる仕組みを新たに設けることが必要。また、国においては、優れた若手研究者が出産・育児による研究中断後に円滑に研究現場に復帰できるよう橋渡し的な研究支援の仕組みを検討することも必要。
     →文化そのものを変えること。(文部科学省はどうなのか、お題目を唱えるだけではなしに本気になったらいかがか)
  • それらの拠点と海外の拠点との間の国際連携を支援することが必要。
     →知的財産の保護、知の流出に注意が必要であること。
  • 特にアジア地域の研究者が利用しやすい国際的な大学等間連携の在り方を国としても支援することが重要。
     →支援の必要性を議論すること。
  • さらに、産業界としても経営・研究開発において、産学官連携を一つの柱として明確に位置づけ、日本の大学等を投資対象として評価・活用することを期待。また、連携において、研究者の交流を進める観点からも、企業から研究者を修士課程等へ積極的に送り出すことを期待するとともに、企業から研究者の修士課程等への受け入れなどに積極的に取り組むことが必要。
     →企業には、社会人修士・博士への研究休暇を創設させること。

【3】私立大学学科長(男性)

 「はじめに」に記載されているとおり、「知の大競争時代」と認識する。「日本の学術政策」について感じていることは、「ヒト」への資金投入の圧倒的不足である。
 「准教授」、「助教」と名を変えても、人事・組織に大きな変化をもたらすことは難しい。個人的な観点から言えば、本学は薬学教育6年制に移行、近い将来、修業年限4年の大学院を申請することになる。かつての医学部基礎講座と同様に、大学院博士課程の進学者の確保、若手研究者の確保、後継者の確保に重大な困難さを感じる。結果的にこれは、学術研究全体の遅滞に繋がる。
 「はじめに」にあるように、研究者たちの少なからぬ努力により、我が国の学術研究はかなりの分野において世界またはアジア地域のトップレベルに位置してきた。天才的なひらめきを持った少数の研究者がこれまでの我が国の学術研究を牽引してきた。「層の厚さ」、「裾野の広がり」等は未だ不十分としているとおりである。
 第2章の「2 国公私立大学等における学術研究推進戦略の構築-3つの戦略-」に記載される(1)人材・組織戦略は大いに参考になり、実行すべき提言が多くある。ただ、その裏付けとなる「ヒト」への資金投入の記載が少ない。つまり、若手研究者への「生活支援」である。第3章の「2 具体的な方策」に、大学院博士課程在籍者には独立行政法人日本学術振興会の特別研究員制度やRAとして支援を行ってきたとあるが、特に地方の私立大学がその恩恵に与ることは極めて稀である。若手研究者への「研究支援」の前に「生活支援」が必要である。このことは、海外、特にアジア地域からの留学生にも当てはまる。日本へ留学して研鑚し、母国で活躍しているリーダーたちの子女が、今は欧米への留学を志向している。
 大学院博士課程進学者の増加、海外からの留学生・大学院進学者の増加、ポスドク制度の採用、テニュア・トラック制の導入等によって研究者の流動性を高めるためには、彼らの安定した「生活支援」がまず必要と考える。大学院学生への奨学金はあくまで学生支援機構と学生の間の個人的契約であり、もっと積極的な「給料」に相当するような支援を考えなければならない。このような「ヒト」への資金投入によって、研究者の「層の厚さ」、「裾野の広がり」を画さなければ「日本の学術政策」を担う者がいなくなる。

【4】国立大学、日本学術振興会特別研究員(30代、男性)

 多様性とは「くせもの」である。
 案の前段では、多様性を確保することの意義や必要性を強調しているが、そもそも現在の大学において研究力が低下し、将来的な不安(経済力を始めとする国力低下の不安)が募りつつあるのは、研究社会でこの多様性を維持してきたことに根本的な原因があることに思いを馳せるべきである。
 オリジナリティーあふれる様々なアイデアを保護する意味での多様性ならば大歓迎である。しかし、海外で既に確立された概念を「翻訳」し、何の疑問もなく自らの研究課題の如く喧伝する「自称研究者」が多いと感じる。世界レベルで言えば、そういった「自称研究者」は淘汰されるはずだが、これまでは「多様性」の名の下に高度に保護されてきた。
 現在、大学が抱える問題はそうした「自称研究者」と「自称研究者」によって学位を授与された若手エセ研究者によって引き起こされている問題だと言っても過言ではない。そうしたことに対する反省なしに闇雲に「多様性」の保護を主張するのであれば、これまで起こってきたことを再現するだけに終わってしまう気がしてならない。
 したがって、多様性の意義を主張するばかりではなく、過去を振りながら、多様性が引き起こす負の側面を明確に記述し、それを回避するための方策も盛り込むべきではないか。
 もっとも「自称研究者」は団塊の世代に多く、間もなく彼らが研究社会を去ることになるので、多様性の保護がまっとうに機能する可能性がないわけではない。この報告案の裏でそのような思惑が働いているのであれば、あえて記述する必要もないかもしれない。
 ただ、全体的に言い古されてきた言葉の羅列という印象を持ったのだが、その印象がどこから来るのかを考えた時に、やはり読者が過去の反省を明確に認識しないうちに美辞麗句を読まされるために、言葉に説得力がなくなっているのではないかという結論に達した。したがって、是非「反省文」を挿入するか、政策の実行段階で、常にこの反省を意識していただきたい。

【5】国立大学助教授(女性)

  1. 研究の多様性の促進を図ること
  2. 個々の研究者の持つ意欲・能力を最大限発揮できるようにすることを基本的な方向性とすることが必要である。そして、「研究の多様性の促進」には、とても賛成である。そのためには、特定の基準に沿った研究だけ評価される体制ではなく、新しいユニークな研究、新しい手法による分析などが評価されるような体制作りをお願いしたい。思いこみかもしれないが、研究費の偏りがあるように感じられる。新しい研究のためには、過去の成果がないために、企業からの支援は望みにくいものである。そのような研究にこそ、国が配分していただきたい。

【6】国立大学教授(50代、男性)

1.大学の教育研究への支援

 本報告では大学における学術研究の在り方に関して、正しく認識されていると考える。特に、法人化に伴った大学における基盤的経費の削減に対する危機意識を共有していただいている点を高く評価する。とかく経済効率を追求することが、教育・研究においても至上目的であるかの如く考える風潮がある。これに対して「先進主要国における高等教育機関への公財政支出の対GDP比は日本の2倍、また政府負担研究費の対GDP比は約1.2倍であり、研究分野によってはさらに大きな開きがある」という指摘は「知の大競争時代」の到来に向けての、財政当局への強烈な警告であると考える。我が国の厳しい財政事情を考慮しても、将来への展望を持つことこそ重要であり、教育・研究活動はこれを先導するものである。次の世代も「世界のフロントランナー」として、「知的存在感のある国を目指して」いくためには、高等教育機関への公財政支出が極めて重要である。大学組織が効率化することや、アカウンタビリティーを持つ努力をすることが前提であることは、もとより承知している。
 さらに、「競争的資金のみで研究を行なわなければならなくなるような極端なシステムを現在の我が国の大学等に導入することは、...、すぐには具体的な研究成果への展望が開けないような息の長い重要な研究や、その時点であまり注目されていない研究が敬遠されることにより、長期的には研究の質が下がる危険性もあることに十分留意されるべきである。」という指摘には深い共感を覚える。既に、分野によっては競争的資金のみで研究を行なうシステムに限りなく近くなっている。

2.大型基礎科学プロジェクトと「小規模ながらも特徴のある研究」のバランス

 文部科学省の「自由な発想に基づく基礎研究」という概念が若干矮小化されているようにも思われる。「研究の多様性」とは必ずしも「小規模ながらも特徴のある研究」を大学等で数多く行なっていくことだけではない。純粋基礎科学には学問のパラダイム転換をもたらすような大型国際プロジェクトや、個々の研究規模は小さくても国際規模で組織的に行なわれることが有効な研究も含まれる。これら大規模な研究と、個人研究者や研究室のレベルで行なう小規模な研究の「バランス」をとることが極めて重要である。
 国際的なビッグサイエンスへの我が国の参加形態はその分野の発展の度合によっても異なるだろうが、我が国が特に進んでいる分野や将来有望となる分野のプロジェクトには国、特に文部科学省が積極的に参加することが必須である。大型国際研究プロジェクトに関しては、プロジェクトの立ち上げの段階から、即ち、国として参加の可否を判断する以前から、国際的な視点から国益を鑑み、研究者とともに我が国の戦略を立て、文部科学省として国際舞台で情報を収集し主導的に議論を展開していくことが必要となる。さもないと、これらの先進的な分野で我が国は取り残され、挙げ句の果てには、外圧によって政治的に財政的援助だけ求められ、しぶしぶ応ずるという屈辱を味わうことになりかねない。

3.純粋基礎科学と応用のバランス

 基礎科学研究と一言で言っても、比較的すぐに応用できるものや、応用のための基礎研究も含まれている。「純粋基礎研究」は一義的には知の獲得であるが、人文社会・数学・理論はともかく、実験の分野は先端的な技術なくしては画期的な成果が期待できないので、先端基礎科学は必然的に革命的な技術を生み出してきた。純粋基礎科学で培われた広範な技術がなければ、応用も次第に枯渇すると考える。純粋基礎科学からの派生技術に関して例を2、3挙げる。素粒子物理学の研究者の間で情報交換の手段としてCERNで開発されたWWW(ワールドワイドウェブ)は、現在のインターネットの基礎となっている。また、バイオテクノロジー(構造生物学)やナノテクノロジー(物質構造)における次世代の研究手段であるX線自由電子レーザーは、本来、素粒子や宇宙の謎を探るために開発してきた電子・陽電子リニアコライダーの技術が基になっている。カーナビに使われているGPSも、もともとはアインシュタインの一般相対性理論を検証するために開発された技術である。これらは比較的短期で役に立った純粋基礎科学の例である。何の役にも立たないと考えられる純粋基礎科学も歴史的に見れば産業の基盤となっている。前世紀の初めにできた量子力学は、現在の半導体産業などの基盤となっている。さらに、純粋基礎科学の現場で基礎的な教育を受けた有能な人材は、全く異なる分野の研究者として大きな成果をあげたり、官界・産業界などの広範な場で活躍している。これらの「実験的な事実」から、応用に投資するだけでなく純粋基礎科学にもバランスよく投資することが有効であることがわかる。純粋基礎科学は国の文化のバロメータという面もあり、高い文化を持つことが、長期的に見れば国の繁栄や安全保証に繋がるということを考えても明らかである。
 報告には「重点4分野が研究者の自由な発想に基づく基礎研究よりも優先するとの誤解も生じることとなった。」とあり、これは非常に重要なポイントであると考える。勿論、重点4分野への投資は必要なことであるが、投資さえすれば、その分野が発展するという考えは必ずしも正しくない。研究者が国際競争の戦略を立てて有効な組織を構築してこそ投資は有効となる。地球規模での環境問題の解決にしても、エネルギーの問題にしても、広範な基礎科学の基盤が必要である。純粋基礎科学を切り捨て応用分野へ投資することこそが国の経済活動の活性に繋がるということが過剰に宣伝されている。長期的な国のビジョンや構造的な問題を考え続けることを放棄して、短期的効果のみ考慮して当面を凌ぐことは歴史的に見ても破綻をきたす。
 文部科学省も純粋基礎科学に対しては、守りの姿勢を貫くに留まっている。「自由な発想に基づく基礎研究」は今後どのように発展していくかわからない多くの萌芽的な研究を含むので、個々には言及せず「学術研究」として一括りにすることをあたかも「見識」であると考え、「重点4分野」のような名前のついた分野としてアピールできなかったことも「重点4分野が研究者の自由な発想に基づく基礎研究よりも優先するとの誤解」を生む一因となったと考える。因みに、総合科学技術会議では、全ての学術研究は一括して「基礎研究」とされ、「エネルギー」、「社会基盤」、「フロンティア」と同格に扱われているように見える。

4.旧文部省と旧科学技術庁の効果的な融合を

 旧文部省と旧科学技術庁の間には、未だに高い壁があるように見える。乱暴なまとめ方をすれば、旧文部省は、大学等からの自由な発想に基づくボトムアップの学術研究を支援し、これに対して旧科学技術庁は、「科学技術」、特に原子力から始まって、宇宙開発、海洋開発などの分野に限定されて、トップダウンのプロジェクトを主に推進してきた。旧科学技術庁も理化学研究所などではバイオテクノロジー等のより広い分野を展開しています。旧文部省は、特定の応用研究に資金が流れる風潮に危惧を抱き「自由な発想に基づく学術研究」を守ることこそ今必要であるという使命感に燃えて、「研究の多様性」を追求し大学等での様々な研究への投資を行なっている。しかしながら、旧科学技術庁から見ればこれは研究資金の「ばらまき」のように見え、国民生活に直結した応用分野へのトップダウンの投資こそが、現在の財政状況では必要であると考えているように見える。しかしながら、旧科学技術庁が実際に行なっている応用「研究」には、企業への丸投げのような非効率なものも含まれる。どちらの批判もある程度は正しいと考えるし、このような競争は必要かもしれないが、長期的な視点に立って、かつ、限られた財政状況において国の科学政策を考えるべき今、旧文部省系と旧科学技術庁系が、権益を守ることのみに汲々とすることなく、ボトムアップとトップダウンの機能をお互いに補間しあっていくことが極めて重要である。

5.国際的な研究拠点の構築と国際協同研究プロジェクトの誘致

 旧文部省と旧科学技術庁の縦割行政の狭間で、苦しんでいる分野もある。純粋基礎科学の大きなプロジェクトは本来「学術」の範疇であるが、旧文部省は「小規模ながらも特徴のある研究」を重視している。また、研究者からの自由な発想から生まれボトムアップのプロジェクトは、トップダウンで応用的・実学的なプロジェクトを行なってきた旧科学技術庁の発想にも齟齬をきたす可能性がある。理想的には、国際分業の基礎科学の研究プロジェクトや一国の投資サイズを越えるような大型の基礎科学プロジェクトに関しては、旧文部省と旧科学技術庁がうまく分担してやっていくという方向で行くべきかもしれない。
 さらに、我が国が「知の大競争時代」において「世界のフロントランナー」として、「知的存在感のある国を目指して」いくためには、国際的な研究拠点を我が国に構築し、一国の投資サイズを越えるような国際分業的な大型研究プロジェクトを我が国に誘致し、外国から多くの一流の研究者を流入させ、そこでのグローバルな研究活動や大きな成果が国民の目に見える仕組みをつくるべきである。これは、次の世代に夢と希望を与え、次世代の科学者や技術者となる動機を与え、我が国の将来の科学技術を支えていく礎となる。またこれは、理科離れや科学離れが問題となっている今、国民の科学リテラシーの増強にも繋がっていく。国際的な研究拠点の構築や、国際研究プロジェクトの我が国への誘致は、「世界のフロントランナー」としての国益にかなった国際貢献でもあり、特にアジアに国際研究拠点を構築することは、アジアの研究者にとっても願うところである。このような国際貢献は国の品位を高め尊敬をもたらすだろう。

【7】研究者団体(代表者は国立大学教授(50代、男性))

 報告(案)では、「研究の多様性」をキーワードとして学術研究推進の理念と支援の在り方について様々な観点が網羅されており、一般論としては異議を挟む余地はないと考える。学術研究に携わる者として、国がこの基本方針に沿ってさらに学術研究の推進に邁進することを期待してやまない。また、高エネルギー委員会としては、特に、第3章1(3)において、大型施設・設備を要する大規模研究推進の意義・重要性が述べられていることを評価する。

 「研究の多様性」を論ずる時、単に小規模な研究の多様性にだけに目を向けるのは適当ではない。科学研究費補助金に萌芽研究から特別推進研究や特定領域研究まで多様な種目が用意されているように、国が取り組むべき学術研究においても、基盤的経費や競争的資金の拡充と並行して、先端的かつ国際的な大型研究プロジェクトにも適切に資金を配分することが肝要である。

 研究の進化を、萌芽期・成長期・発展期と捉えるのであれば、大型研究プロジェクトはまさに発展期に位置づけられる研究であり、同時に、萌芽期・成長期の研究を支える基盤ともなる。純粋基礎科学における大型研究プロジェクトは、いずれも研究者コミュニティによるボトムアップ型の要請に基づいて、長期にわたる準備研究と、時には国際的ピアレビューによって精査された後に、大学共同利用機関等から提案されており、多様な研究者の独創的な研究を支える研究基盤でもある。「モノからヒトへ」は大切な視点ではあるが、ヒトはモノによって育つことも忘れてはならない。

 大型研究プロジェクトに対しては、個人の独創的な研究の対極にあるという誤った認識が散見される。大型研究プロジェクトは、その成功例を見れば明らかなように、個々の研究者の斬新な発想の集大成である。個々の研究者または小規模な研究グループによる研究が有機的に連携し、組織化されたものが大型研究プロジェクトである。

 高度な装置を必要とする研究分野においては、世界の頭脳は最先端の研究施設に集まる。また、世界の頭脳が切磋琢磨し合う研究環境は、次世代を担う若手研究者の育成になくてはならないものである。今後急速に増大するであろうアジアの研究者や学生に最先端の研究の場を提供することは、我が国の研究を活性化するとともに、アジアの基礎科学振興の一助となる。このように、大型研究プロジェクトを我が国が主導し、アジアの研究拠点と位置づけて世界に開かれた最先端の研究施設を整備することは、世界とりわけアジア諸国の信頼を得る上でも重要な戦略的施策である。

 子供たちがイチローや中田に憧れてスポーツ振興の底辺が広がるように、世界最先端の大型研究プロジェクトは、科学の夢をアピールする広告塔の役割も担っている。研究の高い頂点が研究者はもとより広く国民の前に示されなければ、研究の裾野を広げて確固たる科学技術創造立国を築きあげることは難しい。また、最先端の大型研究プロジェクトは、我が国の産業界の技術力の結晶でもあり、プロジェクトを支える多くの技術者の自信と誇りにも繋がる。

 科学に対する国民の漠とした不信感を払拭し、若者が科学に対する夢と希望を持つようならなければ、我が国の科学技術はいずれ衰退するであろう。短期的な視野に立った実用性や経済波及効果を追求する政策誘導型の研究だけではなく、人類の知に貢献するという高邁な理念に裏付けられた研究を国が率先して推進することにこそ、国民は誇りを持てるのではないだろうか。

 以上のような観点から、純粋基礎科学における大型研究プロジェクトを、国が積極的に推進することを望む次第である。

【8】私立大学学長(70代、男性)

 「食育と食の安全保障の担保に向けた獣医学教育と学術研究の推進」
 食育教育及び研究については、従来食品化科学、栄養学等の分野で実践されてきた。しかし、BSE・鳥インフルエンザ・E型肝炎等、人と動物に共通な疾病は増加傾向にあり、その感染経路の多くは、食資源を介する人為的感染である。
 この問題解決に当たっては、直接人の食品(料)と係わる食品科学・栄養学の教育・研究関係者のみならず、その食資源となる動物について、疾病動物を排除し、安全性を担保するには獣医師の関与は必至と言えよう。その現実は、BSEと食肉の関係で既に実証されている。しかし、この領域における獣医学と食育教育との連携は皆無に等しく、速やかに、その関連構築が望まれる。
 現代の獣医学教育、特に臨床・公衆衛生に係わる行政上の対応は極めて乏しく、例えば、食用資源産業動物の医療分野における臨床研修は希薄であり、研修施設数は少なく、研修プログラムも開示されていない。医療における臨床研修のような義務化や国による助成もなく、公衆衛生学領域についても獣医師国家試験科目に指定されている公衆衛生学教育の講座を持たない獣医学科も散見できる。速やかに、1億2千万余日本民族に対し食の安全保障を担保する新戦略の構築が望まれよう。

【9】私立大学教授(50代、男性)

 基本的には学術研究推進の概要としてよくまとまっている。一点、あまり検討されていない人的な問題、即ち、学術研究推進のための将来にわたる人的供給について述べたい。
 この点についても全ての学部で一律には論じられないが、我々のいる医学部でも、旧帝大のような大学院大学と単科医科大学では人的な問題で大きく異なる。特に臨床研修システムが変わりさらに専門医認定資格の取得などの問題もあり、今後医学部出身の基礎研究者は絶滅すると思われる。大学院に進学して、研究の世界に入ってくる将来の若手研究者の卵の絶対数の減少が始まっている。
 各基礎医学の研究グループは教授以下2~3名の教官で構成されており、大学院生も少なく、ポスドクもない状況で、研究者として独立させる準教授・助教制の導入は、ばかげている。外国の研究グループとの競争には参加できない状況になることが予想される。

【10】男性

 大学、短期大学での非常勤講師にも科学研究費補助金に応募し、合格者には支給していただきたい。
 日本には、非常勤講師をいくつかの大学・短期大学で掛け持ちして、週に15~16コマもの授業を担当して、生計を立てている方がかなりの数に上ると思われる。そのような方は、いつか、正規の常勤の教員になるという希望を抱きながら教壇に立っていると思われる。正規の教員の教員採用に応募するには学会に所属し論文を出さなければならないが、学会に参加するにも学会費と学会出席のための費用が必要であり、論文を書くにも、実験をして、データ処理するためのソフトの購入費用が必要である。
 実際、非常勤講師の方は、それらの費用を捻出するにも大変な様子である。
 上記の理由で、非常勤講師にも、研究することができるように、科学研究費補助金に応募し、その合格者には支給できるようにしていただきたいと思う。

【11】私立大学事務局課長(30代、男性)

 大学の研究開発に産学官連携は不可欠である。本報告においても産学官の組織的な推進が重要な課題であると述べられている。国際競争力の確保は国の必修課題であり、今後日本が世界の最先端をリードする技術立国として成長するためには、大学と産業界との連携は必要不可欠であり、尚かつ、これをサポートするシステムを国が構築することが急務である。しかしながら、現在、本連携に関しては国策の象徴となるべき政策が現在確立されていない。世界的な研究教育拠点の形成を重点的に支援し、国際競争力のある世界最高水準の大学づくりを推進することを目的とした、「世界的研究教育拠点の形成のための重点的支援-21世紀COEプログラム-」は評価されるべき政策であるとともに、広く社会に認知される助成制度であるが、産学官の連携に関しては、これに相当する制度が存在しない。このため、産業界より大学との連携を積極的に進めるプロジェクトが必要と思われる。具体的には、企業が大学と連携をした場合、その資金を企業に助成する補助金制度である。本制度のメリットを以下に挙げる。
 (1)大学側よりの企業への産学官連携に関するアプローチは弱い傾向にある。それは大学が収益団体ではないことに立脚するが、一方企業は収益を目的とした組織であるため補助金の交付を目的とし、積極的な大学へのアプローチがなされる。
 (2)巨大企業はもとより日本が世界に誇る中小企業による高い技術力が、大学と連携することによりさらに高度化し、社会に還元される。
 (3)企業への補助金は企業が複数の大学との連携を可能とするため、大学間連携の促進に繋がる。
本制度は、採択を50件以内とし、補助金額が最大50億円程度で500億円以上の予算規模であることが望ましい。なぜなら、本助成は産学官連携における21世紀COEプログラムに並ぶ補助金制度で、世界へ「日本の技術立国としての理念の発信」を行う制度として位置づけるものであるからである。
 以上の点から、本一次報告に産学官連携の象徴となるプロジェクトの発動について明記すべきと考える。

【12】私立大学教授(50代、男性)

 この報告書の内容は学術領域が多岐にわたっており、理数系の分野について、また芸術・美術等についても述べられている印象を受けた。その中で産学官連携事業推進について、生産デザイン学科テキスタイルデザイン専攻研究室教員が現状で係わりのある事例につき少し意見を述べる。
 私が係わっているデザインは「実学である」という社会一般的な認識が強い領域である。したがって、産学官連携事業におけるコンソーシアムにおいてはすぐに役立つものが要求される。それだけ時代や社会の発展と遊離しては成立しない領域とも言える。
 本学では「バナナゴールドプロジェクト(外務省支援)」のように中長期的な基礎研究を通してデータベース化されているようなプロジェクト、また江戸川区の伝統技術とのコラボレーション等もありますが、大凡は民間企業独自との取り組みか、公的助成金を介しての産学官連携事業への参加となる。
 その際の問題点について『公的助成金申請事業』に限り述べたい。公的助成金は各省庁に多様に存在するが、私が係わっているケースはデザインという特殊性もあり経済産業省関係が最も多いわけである。しかし、今年度始まった『製造業中核人材育成事業』などは社会人学校の創設でありすぐに成果を得る部分(技術伝承等)と基礎研究(文化、感性という曖昧な領域の教育)の分担を、前者を経済産業省、後者を文部科学省といった連携ができるのではないかと考える。他の事業でも研究者のみが他領域と交わるのではなく省庁を横断的に取り組むことで研究や支援の可能性について多様化に貢献するのではないかと思う。
 一方、本学大学院博士課程前期デザイン専攻では、ネットワーク・ハブ的なシステムを具体的な『場』として設けようとしている。これは、研究の多様性に対する受け入れ側の提案と受けとめる。今後の研究体制は受け入れ側の組織的問題の解決と助成する側の理解の問題が重要になると考えるからである。
 地域振興支援等の産学官連携事業における学生の係わりも微妙なところがある。学生が年度毎に新しく入学、進級、修了という側面も無視できない。学生の社会勉強のためであれば単年度事業で大学側は十分であるが、本来的に地域振興支援事業を地元の立場になって考える時、継続的に適時行われる支援が必要になる(地域ブランド化事業等はデザイナーが製品のデザインに止まらず、市場調査の理解やプロモーションの支援を必要とする)。人材育成事業にしても技術の伝承だけでなく物づくりにおける文化的な側面の理解も必要になる。これらの複合的な問題を個別の問題としてだけでなく、統括して中長期的に運営する必要も生じて来る。他にも問題点として複合的な支援事業を行う際の芸術系と工学系の研究員や大学間の相互認識が不十分という現状等もある。美術系では知的財産権についても学生と支援相手先の関係が担当者によって対応が違う。今後は若手研究者のモチベーションを高めるためにも、若手研究者の権利や時間の自由を得るための組織的対応が必要となるだろう。

【13】国立大学助手(40代、男性)

 今後の大学の役割をさらに向上させるには、案に挙げられているようなインフラ的な整備はとても大切なことであり、内容的にも充実して非常に良い方向に改革が向けられていると考えられる。しかし、考慮されていない重要な憂慮すべき点を一つ挙げてみたいと思う。
 大学は教育の場として次世代教育を担っていることが、研究専門の研究機関と大きく異なるところである。次世代教育を考える時大学教授の評価とは、如何に多くの若手研究者を輩出させたか、また、社会に貢献できる研究と人材育成を行ったかが重要な評価なのである。しかし、研究評価は論文数によって、また発表雑誌によって容易に評価されるシステムが存在しているが、若手育成の評価法が現在の段階で存在していないのが問題であると思われる。現在の教授評価法は、如何に多くの、そして良い論文を書いたかのみであるために、良いアイデア、良い仕事は研究代表者の功績となることが多いのが現状である。
 この問題は、大学教授の選考時から始まっている。現行の教授選考においては、論文の数ならびにimpact factorの高い雑誌にいくつの論文が掲載されたかが最も重要な選考基準であり、評価法となっている。しかし、次世代を育てると言う任務が研究と同等レベルで要求される教授職であるとすると、残念ながら現在の評価法で選出された教授では、片手落ちと言わざるを得ない。なぜなら、実力主義で、研究論文を書くために、海外や国内の研究機関において(学内で助手、助教授として雑用、学生指導をしていたのでは、成果において、研究に専念しているものに太刀打ちするのは非常に難しい)研究一筋でのぼりつめてきた人たちが選出されているからである。さらに、それに追い討ちをかけるように、現在の教授の評価法が論文実績(短期成果の業績評価、長年かける研究では評価を受けられない)と言うことであるために、教授就任後も一層自分のための研究に対しての執着心を募ることとなるからである。これでは、大学の若い層は育つどころか、教授評価のための論文作製マンパワーとして働くことになり、疲れと虚無感と失望を教えられているようなものである。
 さらに、現行の教授選考方法では、競争力のある人材確保として、大学内で育つより、外へ出て育った者の方が実力的にも上であると考えられているために(前述した如く、学内のスタッフとしての教員は雑用、教授の評価のための補佐、学生指導等に費やされる時間が多く、研究に専念する時間が少ないために、必然的に外部の教育的ならびに雑務を持たない研究者の方が実績は上になる)現在では、外部からの教授選任が多くなりつつある。学生を指導する素養は、下積みの時期(助手、講師、助教授)にはぐくまれるもので、外部で研究のみをやっていた者に指導力を身につける機会がないのは明白だが、選考基準に照らし合わせると、以前のように内部からの(助教授)教授誕生は少なくなりつつあるのが現状だと思う。また、体得技術を要する部署においても同様なこと言える。論文重視だと、論文に専念しているために、本業となる技術の習得ができていない、また、指導できないような教授も誕生することとなる(例えば、医学の分野で言えば、手術手技の熟達者、病理診断の熟達者、系統解剖学の教育者等、実務に熟達した者ほど論文からは遠ざかり、技術を伝授するべく教授誕生とはなりえないのが実状である)。
 これらの問題点を解決するには、研究指導者(教授)のモラルと指導者としての価値観の考え方を全く変えなければ、今、案として挙げられている構想も、理想的な機能をしていかないのではないかと考えられる。
 他方、名もなき若手が手を挙げるべく、アイデアを示して研究費申請した時、審査をどの人がするかも大きな問題となる。若手で何も後ろ盾のないものが出したアイデア等の審査側での情報守秘義務、また、申請研究の本人による遂行を保証するシステムも必要と考えられる。申請に当たり、研究の信頼性を挙げるためには、基礎的な予備実験が終了していることが望ましいわけだが、それらのアイデアの試し実験ができる環境も必要である。これが、大学院の役割、あるいは存在価値として考えられるのではないだろうか。教授の庇護、指導の下で可能性を追求するような環境がベストと言える。このシステムが保証されていないと、新しく用立てられる予算は、結局ヒエラルヒの頂点にいる人たちの自由に使える新たなる配分となってしまうと考えられる。
 若い研究者が、人足として使われないためには、少なくとも若い研究者の所属する研究室には、テクニシャン的な人員が配置されるようなシステムが必要だと考えられる。現在の多くの大学では、人件費不備、もしくは節約のために、学生、院生、若手研究者がマンパワーの担い手となり、海外で言うテクニシャンとして働いている(大きなプロジェクトと言う戦艦の顔の見えないこぎ手)。これは、昔ながらの丁稚奉公的な教育方法である。確かにこの方法も決して悪くはなく、従来の研究者はしっかりと育ち、今の大学が存続しているわけである。しかし、それは、次世代を育てる哲学を持った指導者が多かった古い時代であったからできたわけで、時代の流れと共に、人々のモラルや価値観が変わり、同じ方法では機能しなくなっているのが現状なのである。なぜなら、特に戦後間もない環境を生き延びてきた人々が(人のために尽くすと言った古来の日本の倫理教育を十分に受けていない、物心ついた時には戦後の生きるためには何をしても許される的な倫理が主流であった環境に育った人々)がトップとなっている現在、以前のように方針や哲学をもって次世代を育てていると思われる指導者は少なくなりつつあるからである。このようなことから、以前のような方法では、次世代が育たなくなっていると言える。
 海外のポストドクターシステムは、日本と比べると非常に進んでいると考えられる。それに比べて、科学的に進んでいる工業国で、大学には機材が整っており、施設的も素晴らしいにもかかわらず日本のアカデミック教育システムはかなり立ち遅れており、まだ、発展途上国と言っても過言ではない。その証拠として、良き研究者として評価される人の多くは、海外のポスドクシステムで成果を挙げた人たちであり、未だに、海外で助走を手伝ってもらい、飛び上がって軌道に乗せてもらった科学者を日本で雇用しているのが現状である。昔のように、発展途上の日本が先進技術を学ぶために行った海外留学で、多くの教授が育った。そして、現在の日本をつくりあげ、先進技術の日本と言われている現在になった。にもかかわらず、どれくらいのmade in Japanの大学教授がいるのだろうか。勿論、海外との交流は必要なので、海外留学あるいは共同研究は否定されるべきものではない。しかし、海外で評価される前に日本で先に評価されるような世界的な大学教授を育てる時期に来ていると考えられる。これには、国内で独自に研究や人材の評価ができる人材も育てなくてはならないと言うことである(海外でリスクをも受け入れて、育ててもらった科学者を日本の大学が戴いていると言うのが今の日本の大学である)。
 さらに、研究者と指導的立場の位置づけ(教授と研究者)は異なるべきであると考えられる。即ち、教授に就任した時点からの仕事ならびに仕事の評価は、本人の論文数だけではなく、指導のもとに研究結果を出せる人たちの輩出量を評価の対象とすべきである。(インパクト数の高い論文を如何に多く書かせることができたか)(指導者がラストネームの論文で、高い評価を受けるような論文が書ける研究者を何人育てたか)、そして、晩年の教授の評価として、叙勲などの評価に優劣をつけるなら、これらが審査の対象となるべきである。研究成果による評価は二の次、三の次というのも過言ではないと言える。もし、研究に情熱をかけたき人材であれば、大学教授ではなく、大学研究機関等の研究を専門に行う機関で研究員として研究に専念すべきであり、教授ではある必要はない(研究者の最高ステータス=教授と言うステータスや権威の価値観も変えるべき)。
 「研究の多様性を支える学術政策」の中に、人材を見分ける能力を持った人間を育てる構想、人材育成者の新しい評価法と大学教授としての価値観の改革を鑑みた内容が一部でも学術政策案の中に反映されることを節に望む。

【14】国立大学学長(男性)

1.大学と国の果たすべき役割

 本報告は、長期的な視野に立った研究の推進の必要性を指摘しているが、科学研究費などの競争資金制度は短期的、中期的なプロジェクトへの支援となっている。そこで、より長期的視野に立った国家的なプロジェクトの推進が図られるべきであると考える。即ち、辞書、事典の編纂のようなプロジェクトは、今日まで我が国では国家レベルで推進されたことはなかった。かかる研究課題は、期限を設定することが極めて困難なプロジェクトではあるが、後世に残すべき基礎研究の一つであり、今後推進されるべきである。具体的な施策としては、科学研究費の枠内また枠外に辞書、事典類の編纂プロジェクト(適当な時期にチェック体制を導入)を公募する方式が考えられる。

2.若手研究者の育成・研究支援体制の整備

 今日、大学や研究機関の統合などの動きの中で人員の流動化が活発化しているが、はたして、この人員の流動化が研究推進の目的で論じられているであろうか。むしろ財政的な背景で人員の流動化に関する議論が先行している印象を受ける。本来の学術研究推進戦略構築を目的とするためには、人員の流動化においては、研究環境の確保が不可欠であると考える。例えば、教員が特定の共同プロジェクト等に参画する場合、教育面や大学運営での負担を軽減させるなどの措置を講ずるべきである。

3.研究への組織的な取り組み

 現在、COEなど大型の研究拠点形成が実施され、一定の成果を挙げているが、各大学から提案されるプロジェクト案には、共通するテーマも少なからず存在する。大学間に競争原理を導入することは研究推進上歓迎すべきだが、国際的な競争力を高めるためには、大学を超えて、各大学が提案したプロジェクトをとりまとめ、これを調整して複数の大学、学部によるより大きなプロジェクトを立案、調整する体制の構築も求められる。

4.研究施設の整備と施設マネジメントの推進

 現在、多くの大学が郊外に位置する傾向にあって、内外との共同プロジェクトを推進する上で、交通の利便性の高い場所での、会議や宿泊のための施設の確保が困難な状況にある。国際会議等の開催に向けて、都市部での会議場や宿泊施設を、大学がより安価で使用できるような支援体制を確立することも必要である。

5.海外との協力

 我が国における研究が国際的な競争においてさらなる発展を目指すためには、国内外に研究拠点を設置することが肝要である。即ち、現地連絡事務所ではなく、世界の主要都市に内外を問わず研究者が共同利用可能な研究施設を設置するべきである。さらに、現在各大学や学術振興会などの単位で運用されている現地連絡事務所などを、プロジェクト公募などを通じて共同利用体制を構築すべきである。これにより、国際的な共同研究がより活性化するのみならず、我が国での研究の海外への広報も飛躍的に推進できよう。

【15】公立大学学長(男性)

「学術政策の基本的な方向性」への意見

 提起された問題点及び対策は余りに正論すぎる正論である。全てについて異議はない。ただ甚だしく遺憾なことに具体性ある苦言が少ない。
 学術政策の在り方を問う人たちは、概ね名があり成功を遂げた「権威」である。成功した「権威」は保守的であり新奇な理論には注意を向けず、否定的態度をとる。有名な科学評論家の言葉を借りると、「一部の稀な例外はあるが、50歳を越えた研究者は、何としてでも実験室から逐い出すべきである」と言う。つまり頭脳が老化すると新しい体系を受け付けなくなり、若者の新鮮で柔軟な発想に付いて行けない。この冷厳な事実に目を背向け、古い自分の成功談に酔うのは進歩に逆らう執念以外の何ものでもない。
 東京大学は長らく定年が60歳と決められていた。おかげで老害が跋扈することが少なかったのに、長寿化のしっぺ返しのように定年延長が実現した。本来は定年前倒しを進めてこそ、指導的な研究体制を誇り得たはずである。名誉教授の提言をまとめた文書が残っているが、師匠の引退を首を長くして待っていた弟子の気持ちになってはいかがかという痛烈な批判が目を引いた。成果の第三者評価や外部批判の益を賞揚する向きもあるが、多くは「長老」同士の互選でどこでも同じ顔ぶれである。学会の会長などを永年努めた場合は、自動的に「賢者」の評価を受けて名誉号が名誉号を再生産する事態がしばしばある。
 私見であるが、短い人生を全て傾注しても一つの発見者の栄で足れりとすべきである。研究者は新しい発見にも賞味期限があることを再認識し、本アンケートの如き「多数の力で野の遺賢を葬る」行為に加担してはならない。専門外の世俗の名誉職を掻き集め、その数や歴任を誇るのは醜態でしかない。
 顧みて他を言う。かつて世界を制覇した英国は海路に全ての未来を賭けていた。当然、イギリス全土の秀才は国家のライフラインの重責を負って海軍を志し、まさしく世界最強の頭脳集団となった。ところが隠れた賢者が居たと見えて、定年制を発明したのは実にイギリス海軍である。これによって退役大将などの古い頭脳の介入を阻んだのである。日本人の一大欠陥は、前の世界大戦の苦い経験に学ぶことが余りに少ないことである。将来ある若者の生命まで弄んだ日本の軍隊と一線を画したとは言い難い。現代の科学研究は国家間の覇権を賭ける重大な国家事業である。関係する政府委員は旧来の年功序列に囚われることなく、精励されることを希求する。

【16】国立大学教授(50代、男性)

 本報告書案が掲げる理念は、大学人が広く共有し得るものであり、個人の資格で基本的な賛意と敬意を表したい。しかし、若干の項目において補完すべき点があると考えるので、以下にそれを記したい。

1.教育戦略について

 本報告書の骨子は、大学の研究現場(主として助手以上の研究者にとっての)の質の向上と活性化に主眼がおかれている。それには異存がない。しかし、優れた研究者養成と、研究者の発想の多様性は、教育の在り方と深く係わっている。大学学部の初学年で、「あんなことを研究してみたい」「自然や社会は、深いところでどうなっているのだろう?」などと考えさせるような、能動的ないしは内燃的な、しかしある程度具体的な問題意識の醸成が重要である。研究現場に夢と自由な発想をもって飛び出そうとする若い学生をより多く育てること(cultivate,stimulateすること)は、研究指向大学における「研究プロセス」の重要な課題と考える。これは、理念の問題だけではなく、実際に教育現場に政策的に具体的に反映させるべき課題である。
 その意味で、学術政策の基本的な方向性(5ページ)の項目で、1.研究の多様性、2.個々の研究者の能力の最大限の発揮、に加えて第3項目として「多彩な研究者養成を目指した教育」を検討しても良いのではないか。同様に、第2章(学術研究の戦略的推進)に掲げる3つの戦略に加えて、「教育の在り方」を追加・検討することも必要だと考える。

2.人材育成戦略について

 本報告書が指摘するように、若手の育成と早期の独立、中堅研究者(助教授層のことか?)の研究以外の事務量の負担の軽減などは、早くから指摘されており、それ自体異論の余地はないと思われる。しかし、大学は当然のことながら年齢的に中堅研究者より上の層の人材を大量に抱えており、研究を事実上停止した(せざるを得なくなっている)教授が少なからずいる。これらの人々の活用についても忌憚のない建設的な提言が必要であろう。そこに言及しなければ、大学全体としての政策として、完結性を持たない恐れがある。
 また、若い助手層を闇雲に独立させれば良いという様な研究の成り立ちを知らない者の論が、声高に叫ばれることがしばしば見られる中で、本報告書の人材・組織戦略(10ページ)の慎重な表現には好感が持てる。

3.博士(後期)課程の大学院生について

 私見ではあるが、修士課程まではトレーニング期間であって、受益者負担の考え方で良い(奨学金の充実は必要であるが)。しかし、後期課程(博士課程)で学ぶものは、学生ではなく、基礎研究に従事しながらさらに高度なレベルを目指す職業人と捉えるべきであって、評価システムを確立した上で、授業料は廃止し、給与を支給すべきである(高額である必要はない)と考える。学術審議会は、この点を明確に打ち出すべきである。
 また、博士課程修了者の社会的受容が遅々として進まないように実感する。博士課程に人材が多く集まるか否かは、社会の知的ストックと開発力の深さに重要な影響を及ぼす。国、大学等において、社会が博士修了者の受け入れに、より積極的な姿勢に転ずるよう、政策的な手当てやキャンペーン等を実施することを提案する旨の記述を追加されることを要望する。

【17】国立大学助手(40代、男性)

  • 研究の多様性の促進を図ること
  • 個々の研究者の意欲・能力を最大限に発揮できるようにすること

 以上には賛成である。しかし、(若手研究者の育成)のところに記された任期制は上記の障害になる恐れがある。なぜなら、一生任期制で良いと思う研究者はほとんどおらず、パーマネントなポストの確保のため、業績(論文数)が出やすい研究に従事しがちだからである。即ち、論文数をかせぐことだけに意識が集中し、知的好奇心・探究心に基づく研究がやりにくくなる。
 現在の論文数だけで評価する制度をまず改めるべきである。また、任期制を導入するのは民間等にもポストを見つけやすい分野に限定すべきである。そうでなければ、多様性のある研究に若手は取り組めない。
 独創的な新たな研究を行う場合、一般にその価値が認められておらず、競争的資金は獲得しにくい。したがって、基盤的研究費の確保は(特に基礎的研究分野において)重要である。

お問合せ先

研究振興局振興企画課学術企画室

(研究振興局振興企画課学術企画室)

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