1.背景と現状

(1)科学研究費補助金(特定領域研究)において脳研究を推進する必要性とその意義

 脳研究、特に高次脳機能の研究は大部分が未開拓の領域であるが、いま国際的に研究のフロンテイアとして注目されており、米国に例をとると、NIHがサポートする2002年の脳研究関連予算は3千億円に達する。
 脳機能を理解するためには、学際的研究が不可欠である。高次機能を知るためには脳の構成要素の微細構築を分子レベルに至るまで知り、複雑な構造の発生・発達を知る必要があるが、しかし分子生物学的研究のみで高次脳機能が解るものではなく、神経回路としての作用と脳全体のシステムにおける働きを解明する必要がある。さらに脳の疾患における病態の解明は正常な脳機能の維持機構を知るためにも必要であり、他方心理学・言語学などの境界領域との融合による研究の推進も必要である。
 したがって次世代の脳研究においては単一領域の個別的な研究にとどまらず、まず第一に分子、細胞、神経回路、脳のシステムという多次元的視点に基づいた機能理解を目指す体制を確立することが肝要であり、第二に次元の異なった研究分野の連携による学際的研究を進めることが必要である。
 そのためには多領域の脳研究者を結集し、各々の高水準の研究を一歩進めた次世代の研究を醸成し、さらに学際的共同研究を企画・遂行する「脳機能の統合的研究」組織が必要である
 他方、精神病や変性性脳疾患の病態解明研究はいま黎明期にある。分子生物学的手法によるアルツハイマー病等の病態解明の研究は漸くその成果を生み出す段階に至った。今後はさらに細胞・神経回路・システムレベルの基礎的研究の成果を応用することによって、脳の病態研究の新展開が見込まれる。その成果は、高齢化社会の到来で深刻さをましている痴呆の問題解決に寄与することは疑いない。
 学際的研究の進展によって脳機能の理解が進めば、それは人間理解に貢献し、新たな発想に基づく社会・教育システムの導入と展開につながることが期待される。PTSDあるいは麻薬依存症に代表される精神の病弊に対しても科学的原因究明による問題解決に貢献するであろう。他方、情報システム領域との融合により、人工知能の開発を支援し、さらにコミュニケーションシステムに革新的な方式をもたらすアイデアの提供も期待される。
 以上の観点から、脳機能の統合的理解を目標とし、多分野の脳研究者集団における密接な研究交流と研究協力による脳研究の系統的推進が是非とも必要である。

(2)ミレニアム・プロジェクトとしての成果・評価

1.「先端脳」設立の経緯とその意義

 「ミレニアム・プロジェクト」の一環として、大学等における生命科学の先端的な研究を格段に進めて諸問題の解決を図ることが提起され、脳、がん、ヒトゲノム、再生、植物の5つの柱がたてられ、はじめの3領域は、科学研究費補助金(特定領域研究C)でカバーされることとなった。このようにして特定領域研究C「脳科学の先端的研究」(平成12年度-16年度;略称「先端脳」)は、「来るべき21世紀に人類が安心して暮らせる豊かな長寿社会を実現することを見据えて、戦略的に目標を立てた研究を推進する」という観点から「脳の老化の問題と大脳高次機能の問題とを集中的に扱う」大型の班研究グループとして設立された。研究グループの形成を行うにあたり、脳の加齢性変化を研究するのであれば、世界的に注目を浴びている研究領域である脳の発生と再生、ならびに脳細胞の変性に関する分子生物学的研究を推進することが必要という認識に至り、当該研究分野を主要研究テーマに加えた。

2.ミレニアム・プロジェクトとしての成果・評価

 「先端脳」研究における主要テーマは第一に「脳の発生・発達・老化機構の解明」であり、第二に「記憶・学習・思考の研究」であった。プロジェクトは3年目を迎え、インパクトの大きい優れた業績が多数得られ、発表されるようになった。脳の発生、脳細胞の再生に関する分子生物学的研究や脳の発達生理機能に関して研究成果が得られ、また脳細胞の変性と老化に関する分子に関して、新たな知見が得られた。他方、運動と行動の学習に関与する大脳と大脳基底核の機能連関が明らかとなり、また思考の基礎となる概念が大脳皮質の細胞活動として表現されていることが見出された。
 特に顕著な成果の例を挙げるならば、neuronal progenitor cell刺激による神経細胞再生の証明(brain repairと称されている)、及びX-linked spinobulbar muscular atrophyのchemical castrationによる治療法の開発及び臨床応用、は際だった成果といえよう。前者は、progenitor cell活性化による神経変性疾患に対する「夢の治療」の幕開けになるものであり、後者は、トランスジェニックマウスを用いた病態の徹底した検討から臨床応用につながりつつある際だった例である。その他にも軸索ガイダンスの分子機構の解明、及びサルをモデルとした高次運動野の機能解明は、「先端脳」を代表する国際的な成果である。

3.各視点における評価

(ア)上記のように、研究自体の評価という観点からは「先端的」脳研究という趣旨にふさわしい先端的な研究が実施され、多くの優れた研究成果を得るに至ったという点でこのプロジェクトが成功裡に推移しているという評価に結びつくと考えられる。その意味で、比較的少数の先端的研究を重点的に進めるという特定領域研究の進め方は有効に機能したといえよう。
(イ)一般に異分野の交流の必要性が唱えられるが、「先端脳」領域においては、異なった研究分野において卓越した研究をおこなっている研究者の集団が形成され、班会議及びワークショップにおいて交流の機会が与えられた。各研究者固有の分野においては全く経験しなかった異分野研究におけるコンセプトと手法を学ぶ機会を与えられたことは、今後の研究の新展開につながるという意味で充分に評価すべきであろう。しかし、研究者の相互理解は進んだものの、研究協力ないしは共同研究へと発展したケースは未だ極めて少ない、今後は学際的研究を生み出し、進展させる方策が必要である。
(ウ)「先端脳」が具体的な研究項目として採り上げたトピックスに関する研究は著しく進展したといえよう。しかし今後はわが国における脳科学の全体を振興するという視点が必要である。例えば神経回路の形成と回路機能の発現と成熟に関する研究の推進を重点項目に付加する必要がある。他方、脳研究に従事する研究者の育成には、他分野に比べて特に多くの時間を必要とする。人材の育成を組織的に進める必要がある。
(エ)今後の脳研究を進めていくうえで、異なる分野を統合して脳の解明を目指す研究の体制作りが望まれる。脳の研究は本来学際的であるべきであるという基本認識を土台に、各分野において顕著な業績をあげている研究者を組み込み、共同研究の枠組みを作り上げてゆく必要がある。

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