2.今後の体制に向けての考え方

(1)研究目標・研究内容と今後の方向性 -ゲノムから生命・生物システムの解明、医療・生活の向上へ-

 「1.背景と現状」にまとめたように、ヒトゲノムの解読完了に象徴される進展を受け、ゲノム研究は新たな段階に入った。ヒトも含めた諸生物について、生命現象の素過程を統合し生物を形作り、働かせる仕組み(生命システム)を解明すること、そして、生物個体間、環境との相互作用により進化・多様化を生み出す仕組み(生物システム)を解明することが、ゲノムを単位として研究することにより初めて可能になったのである。また、ゲノム研究は基礎科学の深化ということだけでなく、人の健康問題や地球の環境問題等の社会的な諸課題の解決へ、その成果の機動的な還元が期待されている。
 このような状況において、我国のゲノム研究の成果をさらに発展させるために、特定領域研究としての体制については、以下の3本の柱を軸に考えることが適当である。

  1. ゲノムの徹底的機能情報解析から生命システムの解明
  2. 比較ゲノム解析による進化・多様化のゲノム基盤の解明
  3. ゲノム研究の成果を機動的に社会へ還元

 第1の柱は「ゲノムの徹底的機能情報解析から生命システムの解明」へのアプローチである。ヒトの遺伝子数が予想よりも少なかったことはゲノム配列決定から得られた大きな発見であった。これはわれわれの遺伝子観を大きく転換させるものであった。ゲノムはわれわれの想像をはるかに超える巧妙な遺伝子と遺伝子ネットワークの使い回しのしくみを獲得して生命現象を司っているのである。このメカニズム、即ち素過程としての遺伝子ネットワークを解析し、それらを統合して生命システムを明らかにすることこそが新たな段階のゲノム研究に求められる。この点においてゲノム配列は正に出発点である。したがって、今後のゲノム研究における第1の柱では、決定されたゲノムの徹底的な機能解析をおこない、その情報にもとづいて、ゲノムのもつ遺伝情報総体がどのように働き、制御され、その結果として細胞・個体を作りあげていくのか、すなわち生命システムの解明に向かうことである。ミレニアムプロジェクトにおいてもこの方向の研究を進めてきた。それぞれの実験系の利点を最大限活かした形で、体系的なゲノム機能解析が進行中である。枯草菌、酵母や線虫ではゲノムワイドの発現・機能解析の情報が得られつつあるし、ショウジョウバエでは異所発現系統やRNAi系統など、ゲノムワイド解析の道具作りが進行中である。実験系によって進展度は様々であるが、その次のアプローチは情報科学である。特に統合されたシステムとして理解するためにはコンピュータモデル化やシミュレーションさらには理論化といった予測に向けたアプローチが必要である。このためには情報科学の先端的研究がおこなわれる必要がある。そして予測と実験的検証の適切なサイクルが必須であり、そのような実験科学・情報科学の融合研究体制を構築することが必要である。先行している系では、現ミレニアムプロジェクトの中でそのような試行がおこなわれるであろうし、その場合、その成果をもとに、次期プロジェクトにおいて、システムのモデル化やシミュレーションなど具体的なシステム的理解ができることを目標とすべきであろう。それ以外の系においても、徹底的機能解析から適切な時期に次のシステム的理解のフェイズへ進むことが求められる。

 第2の柱は「比較ゲノム解析による進化・多様化のゲノム基盤の解明」の研究である。生命・生物の大きな特徴は普遍性と多様性である。第1の柱においてはゲノムの情報からいかにして細胞・生物が作られるかという普遍的な基本メカニズムの解明をめざしている。一方、地球上には実に様々な生物が存在するし、進化の途上ではそれをはるかに上回る生物がいたに違いない。しかし、なぜ多様なのか、また、どのようにして多様性が出現したのかあるいは消滅したのかは明らかではない。「生物システム」ともよべるこの多様性のメカニズムは生命・生物の大問題である。この多様性の源はやはりゲノムである。ゲノムの変化が進化を推進してきたことはまちがいない。むろん遺伝子の変化だけではないだろう。遺伝子の使われ方や相互作用の違いといったそれこそシステムの変化によるものと思われる。このような多様性のメカニズムを解明する第一歩はゲノムの比較である。進化上ユニークな位置にある生物や、第1の柱で扱うようなモデル生物の近縁種などのゲノム配列や遺伝子発現・機能の比較を行うことにより、例えば細胞レベルの進化や微生物の多様化機構、動物・植物の進化・多様化、脊椎動物の起源、脳・神経系の進化、さらには人類への進化などについての大きな手がかりを得ることが当面の課題である。この延長には環境とゲノムの相互作用といった地球規模の視点での研究の展開が必要である。霊長類比較ゲノム研究はすでに開始されているが、ミレニアムプロジェクトにおいて、ゲノム配列決定や遺伝子発現解析の能力が格段に向上したことを最大限活用した方向性である。

 第3の柱としては社会的要請という面に着目すべきであると考える。ゲノム科学はサイエンスとして息の長い研究と同時に、ヒトというわれわれ自体をも研究対象にしていることなどから「ゲノム研究の成果を機動的に社会へ還元」する方向も重要である。ヒトゲノム配列が完了した今、このような期待と必要性は一層強まっていると考えられる。例えばゲノム医学として、疾患遺伝子の発見、疾患の病態機序解明、病原微生物の予防・診断・治療法の開発などについてのゲノム情報の利用による推進をはかるべきである。これは単なる応用研究にとどまるものではなく、むしろ、応用結果から基礎サイエンスにもフィードバックが期待されるものである。例えば疾患の研究は臨床応用なくしては意味がないが、臨床応用の結果は疾患の病態機序の情報として、ヒトゲノムの機能研究、システム研究にフィードバックされることが期待できる。有用微生物でも同様である。ゲノム解析の進展は、例えばこれまで培養不可能な微生物でもゲノムからまず解き明かす方法を可能にした。これらの中には新規で有用な遺伝子資源の発見が期待できるが、その事は逆に多様なシステムの比較解明につながるのである。また、ゲノム研究は様々な分野への波及効果が極めて大きいので、特に社会に対する影響について、科学知識の普及と受容という側面、生命と倫理という側面などの研究や適切な対応体制を作ることが必要である。

 最後に、これらを実現するためには大規模DNAシーケンシングやヒト多型タイピングなど比較的大規模に「基盤的情報を取得」し、データベース化する体制を整備し、そのことにより諸ゲノム研究の推進を支援することが必要である。
 大規模DNAシーケンシングは比較ゲノムのために必須である。200Mb程度の小型のゲノム(線虫、ハエ、ホヤなど)については全ゲノムを決定し比較することが世界の趨勢である。一方、哺乳動物ゲノム(3Gb程度)になると全体を決定するのはまだコストがかかりすぎるので、ゲノムの特定領域(数十Mb程度)に焦点をあて解析を進めるべきである。したがって、多様な生物の基盤情報を得、比較ゲノムの目的を達成するには年に200Mb程度のゲノムを4種程度決定できる能力が必要である。その能力があれば、その中にはさらに小さな微生物(1-10Mb)や多種のcDNAの決定も含めることができ、生命システム研究や微生物ゲノム研究の要請にも応えることができる。このためには特定領域研究などの経費で整備してきた施設を有効活用し、必要に応じ他の国内機関と連携してタイムリーに進めることが肝要である。
 ヒト多型タイピングは、応用ゲノムにおける疾患原因遺伝子探索、特に多因子疾患において必須である。対象としては糖尿病などの代謝性疾患、高血圧症などの循環器疾患、自己免疫性疾患、精神神経疾患などが想定されるが、これらを解析・同定するために、少なくとも毎年3程度の疾患についてマイクロサテライトによる疾患遺伝子の絞込みと絞り込まれた領域についてのSNP解析による遺伝子同定が独自にできる体制が必要である(年次計画において後年度は技術改良により能力増強が見込まれる)。このためには当初マイクロサテライト解析で10-30万タイピング、SNP解析で300万タイピングの能力が必要である。これまでに特定領域研究で整備した2箇所のタイピング施設は技術改良により次期領域発足時にはこの能力に達することが期待できるので、それを活用することが適切である。
 トランスクリプトーム解析も支援システムが必要である。遺伝子構造はゲノム配列からは直ちにわからないのであるから、比較ゲノムにおいても生命システム解明においてもcDNA情報は必須である。その際、わが国が得意とする完全長cDNAを中心とするトランスクリプトーム解析が威力を発揮することは明らかであるが、この技術はどこでもできるものではない。今後も多種類の生物について、発生時期や組織・部位毎など多種多様な材料のトランスクリプトーム解析が必須であるので、リソース供給のセンターとして技術をもった研究室に集中することが必要である。
 以上はいずれも個々の大学研究室が個別におこなうことは不可能であるが、これまでに特定領域研究で整備してきたものの活用により達成できるものが大部分である。内容・経費について十分な検討をおこなった上で次期特定領域研究でも実現できることが強く望まれる。並行して、生命・生物のシステム的理解に向けたデータ取得のための斬新な実験技術、例えば、インタクトローム(たんぱく質相互作用の網羅的データ)やメタボローム(細胞内の代謝物質の網羅的同定と動態解析)の解析技術等の絶え間ない開発が必要である。そして、技術開発の進展と研究推進における必要度に応じ、新たな研究支援体制の構築も考慮すべきである。

 以上まとめると、「ゲノムから生命・生物システムの解明、医療・生活の向上」をめざすことを、次期ゲノム領域の目標とすることが適切である。

(2)研究の推進体制

1.全体の体制

  • 上述した今後の研究の方向性の3本の柱に対応した領域を設定し、それに加え、基盤情報の体系的な取得のための研究とそれに基づく支援システムの構築についても領域を設定し、4領域として、一体的に運営することが適当である。

2.各方向性の体制について

  • 今後の方向の第1の柱(ゲノムの徹底的機能情報解析から生命システムの解明)においては、トランスクリプトームや蛋白質相互作用データの体系的な取得、さらに、それらの結果を基にした遺伝子機能の徹底した解明等の生物学的研究がまだ必須ではある。しかしながら、その先にある情報科学を見据え、実験科学と情報科学との真の融合を促進するのが望ましい。
  • 一方、第2の柱(比較ゲノム)においては、従来の生物学の豊富な蓄積に比較ゲノムという新しい光を当てることになるので、各研究コミュニティとの連携を大事にすべきである。比較研究の対象の選択については総括班委員会において十分検討したうえで決定し、タイムリーに解析を進めていく体制が必要である。
  • 第3の柱(ゲノム研究の成果を機動的に社会に還元)では、ゲノム研究が進展しその成果が最も応用に結びつきやすい医学、微生物学の分野にまずは焦点を絞って開始するのが望ましい。また、目的達成のため、例えば医学分野においては臨床医学系との連携を推進し機動的な応用を図ると共に、応用成果の基礎へのフィードバックの体制作りを推進することも重要である。一方、ゲノム研究の発展に応じ、今後取り扱うべき範囲は追加されあるいは変化していくことが重要であり、そのための見直しの体制が必要であろう。

3.計画研究と公募研究

  • 計画研究にはミレミアムプロジェクトの成果を最大限いかしたピーク研究を組織し、比較的絞った人数の計画班とし、メリハリのきいたサポートをする。
  • 公募研究は若手を中心に斬新で挑戦的な課題を募集し、萌芽的な研究を積極的に採択する。また、ゲノム研究においては技術が非常に重要であることから、斬新なアイディアの提案を積極的に採択し、特にすぐれたものは総括班の支援で実用化へのサポートをおこなうなどの配慮が必要である。
  • なお、基盤情報取得に関する領域は総括班と計画研究のみで運営し、公募はおこなわない。
  • ゲノム研究は幅が広く波及範囲も大きい。班員の分野も極めて幅広いので、これまでも異分野の接触のフォーラム的な機能があった。今後もそのような役割を果たすために、異分野のすぐれた研究者の参入支援や班友的な位置づけの交流体制を構築すべきである。

(3)ゲノム研究を推進する人材

 ゲノム研究を適切に遂行するには以下に示す4種類の人材の育成・確保が必要である。

  • 第1はゲノム研究を担う研究者の育成である。ゲノム研究は決して「作業」などではなく、非常に幅広い知識と論理的な思考力が要求される。高度なサイエンスの能力とりわけ今後は実験科学と情報科学の両方のセンスが必要である。このような人材の中から、次世代のリーダーを育成することもさらに重要である。広範囲の分野との連携、そして社会への説明責任など幅広い能力が要求されるので、中期的な観点から考慮すべきである。
  • 第2はゲノム研究のテクニカルスタッフである。昨今、派遣社員等で一定の技能をもつ技術員は経費さえあれば雇用することが可能となったが、熟練に要する時間もかかるので継続的な雇用が望まれる。そのための継続的な経費が確保されることが必要である。
  • 第3はコンピュータサイエンス分野の研究要員である。高度アノテーションやデータベース構築・運用・更新など計算機を用いた研究・開発はゲノム研究の心臓部となりつつある。また、臨床情報とゲノム情報のインターフェースの上で知識発見を目指すなど、新たな研究分野の立ち上げとその人材確保も必要である。しかし、ただでさえ人材不足がいわれている情報分野は要員の確保が非常に困難である。各地で開始されたバイオインフォマティックスの新学科や新研究科・専攻の成果を期待したいが、時間との闘いの様相もある。これらを考えると、理工系分野との連携充実の一環として、今後は情報系人材が多い工学部系との連携をより重視する必要がある。
  • 第4は異分野の人材の導入である。ゲノム研究の遂行のためには絶え間ない技術開発が必須である。このためには理工学の分野、特に材料や化学、物理、機械の分野の優秀な人材の参加を得ることが必要である。異分野との融合が新しい分野・技術開発の源であることを考えれば、適切な参入支援の体制整備を考慮すべきである。

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