第1章 学術研究の特性と学術を巡る状況の変化

1.学術の重要性

 学術は、「研究者の知的探究心や自由な発想に基づき自主的・自律的に展開される知的創造活動(学術研究)とその所産としての知識・方法の体系」であり、人類の知的探求心を満たすとともに、それ自体が知的・文化的価値を有するものである。人文学、社会科学における人間の在り方の探究、自然科学における宇宙の存在や物質、生命の法則の理解など、幅広い分野にわたる多様な知の創造と体系化を目指す学術研究は、人間の精神生活の充実や文化の発展を実現してきた。
 今日に至るまで、人文学、社会科学から自然科学まで幅広い分野にわたる学術研究は、いわゆる基礎研究から実用志向の研究までを包含するものとなり、その成果が国民生活や社会・産業活動に大きな影響を持つようになった。その結果、学術研究は一国の産業の国際競争力の強化や国際的存在感の向上等を恒常的にもたらす原動力として役割を果たすものと理解されるようになった。
 このように人類は、学術研究を通して新たな知を創造するだけでなく、人類自身の行動の本質の探究を通じて行動可能性を広げ、その成果に基づく技術の展開により生活の質を向上させ、今日の社会と文明を構築してきたのである。そして今、学術研究における知の創造は加速化し、従来の知の単なる延長では想像もできないような独創的・先端的な成果が生まれ、知識・技術の非連続的・飛躍的な発展とイノベーションの創出を通じて、社会・経済に大きな変革と成長をもたらしている。
 人類の行動可能性の非連続的・飛躍的拡大は歓迎すべきことであるが、同時に人類の予想を超えた状況を結果として地球上に生み出し、それらへの対応という新しい課題に人類は直面することとなった。また、昨年の東日本大震災は、学術研究が人の命、人の生存に直結していることを改めて示すとともに、それまでの学術研究の在り方の様々な問題を浮き彫りにした。これらの課題を解決していくため、学術研究は新しい段階へと進展することが求められている。今、将来に向けて学術研究の責務はますます大きくなり、学術研究の新しい段階の意義を理解し広く研究者間で共有することが急務となっている。
 学術研究において、過去の成果が世代を通じて継承され続け、また歴史を通じて絶え間なく進展することができたのは、言うまでもなく次世代の人材の育成を通じてである。そしてこのことは現在、特に重要な意味を持つこととなった。それは上述のように、加速度的に学術研究が新しい段階へと向かいつつある状況において、既存の知識の応用では対応できない新しい課題が次々と発生し、新しい基礎的領域の創出をも含む広範な基礎研究が必要となっているからである。このような研究の計画は伝統的な頭脳と組織の中で立てることはできず、若く新しい研究者の参加が不可欠である。このような状況では、従来は教育の対象であった若者が学術研究の主体の重要な一部を占めなければならなくなっていることを認識しなければならない。

2.学術研究の特性

 学術の振興に当たっては、下記のような学術研究の特性を考慮すべきことが検討会において指摘された。

(1)研究者の自由な発想と研究の多様性

 知的活動は人が行うものであり、また創造の源泉は人であることから、学術研究は個人にまで及ぶ多様性を基本としている。学術研究は、課題の提案、実施計画、研究方法等について、研究者個人の知的探究心と種々の制約に束縛されない自由で徹底的な研究コミュニティでの自律的議論を踏まえて展開されることに最大の特性があると言える。
 これにより研究の多様性が確保され、多様な知の創造と幅広い知の体系化が実現されていることは世界共通の認識であり、我が国の憲法においても「学問の自由」が宣言されているところである。しかも、学術研究の成果が人類全体に対して衡平な効用を持ち、どの特定利益集団にも偏向して有用であることがなかったという歴史的事実は、外部からの介入を許さない純粋な知的探究心に基づく研究が歴史を超えて全ての人類に有用な知識を生み出す方法であることの実証である。
 なお、このことは、人類の知という資産が研究者の知的探究心に依拠していることを認知することであり、知的探究心によって研究することを社会によって認められた研究者の責任が大きくなるのは当然である。ここで社会によって認められた研究者という現代に固有の難しい問題に遭遇する。現在これは公的研究費を使用する資格として定められるが、その資格をどのような基準で定めるかを深く考える必要がある。現実に我が国において、研究者を認める側に立つ社会からの学術研究に対する期待は、前述の精神生活、文化などに対応して、成果が多様であり、学問の全分野にわたって均衡がとれており、世界に先行しており、しかも現代的課題解決の基礎であることなどである。これらの期待に応えるためには、研究者自身の倫理的な自己規定と矛盾しない社会的な研究者の定義に基づく研究体制を確立することが、学術の振興にとって必要である。

(2)長期的視点と継続性

 学術研究の成果は、短期間で得られるものばかりではなく研究者の長期にわたる試行錯誤や多様な探究活動の積み重ねを通じて得られるものも多い。このため学術の振興に当たっては継続的・安定的に研究活動を支援するとともに、長期的な視点でその成果を評価することが重要である。

(3)国際的な協働と競争

 宇宙の成り立ち、生命の法則、物質の構造と反応性、人類と自然環境との関係など、学術研究の対象に国境はない。一見異なる言語についても、また人文学、社会科学の研究でさえ、国を越えてお互いに理解し、また異文化としてとらえ相互に研究対象となることは、真の意味で学術に国境が存在しないことを示している。さらに、人口爆発による食糧問題、エネルギー問題、環境問題などは、個別の国の問題であるだけでなく国際的な協力と問題意識なくして解決できない大きな問題である。これらを単なる国際問題ではなくグローバルな問題として設定し解決に導くことができるのは、世界的な学術ネットワークによる研究者の協働と競争に他ならない。このような意味で学術研究は本質的に国際性を不可欠の要素とするものである。

(4)人材育成との一体性

 前述のように、人類は次世代の人材育成を通じて、学術研究により獲得した公共的な知の蓄積を世代を超えて伝達し、さらに進化・発展させるとともに、教育を受けた人材の社会への浸透によりその成果を社会に還元してきたが、その主役は「学問の自由」に基づく研究者の自主性の尊重等を基本理念とし、「大学の自治」が制度的に保障されてきた大学である。さらに、研究と教育は切り離せるものでないことが大学の長い経験から明らかとなっており、実際に研究活動を通じて大学教育や若手研究者の養成が行われている。質・量ともに加速度的に研究が進行する現在、若手研究者の従来とは異なる位置付けを十分に考慮しつつ、大学における研究機能と人材育成機能の統合的な発展が必要である。

3.振興会の果たしてきた役割

 2.で述べたような特性を持つ学術研究は、一義的には大学の組織的努力や所属する研究者の個々の教育研究の努力により、多様性を持ちながら増大し充実していくものである。それに対し振興会は、大学及び研究者の努力を支援しつつ、研究機能や人材育成機能の抜本的強化に向けた改革の推進に貢献してきた。それに加えて、個々の大学、研究者の見地を超える独自の立場に立って、我が国の学術全体を視野に入れ、また我が国の学術における国の役割を洞察しつつ、個別の大学による取組や連携事業等を超えた国家的な学術振興施策を展開してきたのであり、その成果が大きいものであることは国内的にも国際的にも認められている。すなわち、我が国のみならず世界的視野で学術振興施策を展開しうる我が国唯一の独立行政法人である振興会は、研究助成、学術の国際交流の推進、研究者養成、大学教育の改革の支援などを通じて、大学を中心とする知の創造と体系化に大きく貢献してきた。
 研究助成としては、主に科学研究費助成事業を実施し、我が国の学術研究全体を見通しながら、人文学、社会科学から自然科学までのあらゆる分野における研究者の自由な発想に基づく研究を、少規模の研究から大規模プロジェクト研究まで幅広く支援している。その際、基本的に各分野の申請件数と申請金額に応じて支援することにより、言い換えれば研究者の期待をその声量により計量することによって、研究者の期待に応えた偏りのない学術の多様性を確保するという方針をとってきた。
 学術の国際交流の推進としては、振興会と諸外国の学術振興機関が協力関係を構築し、海外の研究者の招致や国際共同研究の支援などの施策を実施してきた。
 研究者養成としては、主に特別研究員事業を実施し、我が国のトップレベルの優れた若手研究者に対して、自由な発想のもと主体的に研究課題を選んで研究に専念する機会を与えてきた。
 また、振興会の学術研究に関する審査機能等を活用して、大学院教育の改革をはじめ大学における人材育成に関する事業を受託し、国の大学改革と歩調を合わせながら大学における創意ある人材育成の実現に貢献している。
 これらの事業の実施に当たっては、創造性を公平・公正に評価することを基本とし、研究分野の近い複数の研究者が科学的価値(サイエンスメリット)により評価するピアレビューシステムが採用されている。このピアレビューシステムを適切に運営することを目的として、研究課題について専門的な知識を持つ審査委員の選任、審査、採択、評価などの全ての過程を見通した制度の改善を行うために学術ステム研究センターを設置している。そこではPD(プログラムディレクター)のもと、各分野の第一線に立つ研究者がPO(プログラムオフィサー)として事業運営に参画している。なお、POとなっている研究者は審査に直接には参加しないが、これは研究者から信頼を得るための必要条件であると考えられているからである。

4.学術を取り巻く環境の変化と我が国の学術の状況

(1)学術を取り巻く環境の変化

 今日、人類社会は、経済危機、貧富格差、地域紛争、温暖化を含む地球的環境問題、エネルギー・資源枯渇、食料供給の不安定、感染症など地球規模の課題に直面している。また、国内に目を向ければ、少子高齢化社会に対応する制度改変、新興工業国が急伸する環境の中での国際競争力の向上や国際的役割の再定義などが喫緊の課題となっている。それに加え、平成23年3月に発生した東日本大震災による甚大な被害と東京電力福島第一原子力発電所の事故は、経験したことのない厳しい状況を引き起こし、その対応と今後の復興に国力の大きな部分を割かなければならない状況に我が国を置き、学術の世界でも自省的な意見が見られるようになった。これらの課題が深刻であることに加え、未経験であること、そして迅速な解決が望まれていることを考えれば、論理的で効率的で無駄のない解決法が望まれるのであり、学術への期待は非常に大きいと言わなければならない。このように世界的、国内的、さらに国内各地方において、それぞれ固有の問題が解決を待っており、そのための多様な知の創造の重要性がますます高まっている。
 国力の増強のために学術研究が有効であるとの認識の深まりとともに、上述のような新しい状況に対応して世界で知の国際競争が繰り広げられている。優れた研究者の獲得競争が激化するとともに、先進国のみならず新興国においても、学術研究による知の創造への投資が国家的な戦略のもとで積極的に進められ、学術研究の世界的な構図が劇的に変化しつつある。
 また、情報化の急速な進展による学術研究情報の即時かつ大量展開は、研究手段を質的に変化させるとともに、学術研究の国際性に新たな意味を与えている。インターネットの普及により大量の情報が瞬時に世界中を廻り、調査、観測、実験などのデータが個人の研究者の手に入るようになり、膨大な一見無意味に見えるデータの中から意味のある情報を発見する「データベースに基づく知識発見」という全く新しい学術研究の方法が、既存の研究分野や国を超えて広がりつつある。

(2)我が国の学術の状況

 我が国の学術研究の状況に目を向けると、世界の自然科学分野の論文数が1980年代の約2倍に増加するなど、世界全体の研究活動が急速な拡大を続ける中で、我が国の論文数の世界シェアや被引用数トップ10%の論文数の世界シェアは低下してきており、我が国の学術研究の活力を今後も維持していけるか懸念する声がある。また、国際共著論文についても、論文数は増加しているものの伸び率は他国に比べて低く、日本から海外に長期派遣される研究者も約10年間で半減している。また、人文学、社会科学が様々な社会的課題に積極的に対応していくことを期待する声もある。
 学術研究の中心機関である大学についても、国立大学が法人化されるとともに、国立大学法人運営費交付金や私立大学等経常費補助金といった基盤的経費が削減される中、学内における機動的・重点的な資金配分が十分機能していないことなどから、大学全体が弱体化しているのではないかとの指摘も多い。その一方、競争的研究資金については、厳しい財政状況の中でも、科学研究費助成事業の予算額が伸びその重要性が増す一方、競争的研究資金による国の支援がトップレベルの大学の研究者に集中する傾向が見られるようになっている。
 将来の学術を担う人材に目を向けると、ポストドクターが約1万5千人(平成21年度)にのぼり、常勤の研究職に就くことができずポストドクターを繰り返す者がいるなど、研究者のキャリアパスが大きな問題となっている。さらに、博士課程修了後のキャリアパスが見通せないことから、優秀でありながら大学院博士課程に進学しない者が増えていることも指摘されている。また、我が国の研究者に占める女性の割合は13.8%(平成22年)と先進国に比べて低い水準にある。

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-- 登録:平成25年05月 --