人文学・社会科学振興の在り方に関するワーキンググループ(第2回) 議事録

1.日時

平成30年11月14日(水曜日)10時00分~12時00分

2.場所

文部科学省東館15階 15F1会議室

(〒100-8959 東京都千代田区霞が関3-2-2)

3.出席者

委員

(委員、臨時委員)
西尾主査、庄田委員、喜連川委員、小林傳司委員、小林良彰委員、城山委員、永原委員
(科学官)
相澤科学官、頼住科学官

文部科学省

磯谷研究振興局長、千原研究振興局審議官、渡辺振興企画課長、梶山学術研究助成課長、春山学術企画室長、岡本企画室長、丸山学術基盤整備室長、藤川学術企画室長補佐

オブザーバー

家 日本学術振興会理事、中山 日本学術振興会研究事業部研究事業課長、盛山 日本学術振興会学術システム研究センター副所長、竹沢 京都大学人文科学研究所教授

4.議事録

【西尾主査】  おはようございます。ただいまより、「第2回科学技術・学術審議会学術分科会人文学・社会科学振興の在り方に関するワーキンググループ」を開催いたします。
 まずは、事務局より、配付資料の確認をお願いいたします。

【春山学術企画室長】  失礼いたします。本日もタブレットで資料は御用意させていただいております。資料の一覧は、一番初めに出ております議事次第で確認を頂ければと思います。それがそれぞれタブの方で御確認いただけるかと思います。操作等で不明な点がございましたら、お近くの職員にお声掛けください。

【西尾主査】  どうもありがとうございました。
 それでは、議事に入ります。
 1番目が、人文学・社会科学の振興についてということで御審議いただくことになっております。前回は主に「未来社会の共創に向けた連携・協働」、「現代の社会的課題への対応」について、第6期科学技術基本計画における検討に資するため、学術知の相合性、特に人文学・社会科学と自然科学との連携に対する期待や現状、その在り方について、ヒアリングを基に御議論いただきました。
 今回は、人文学・社会科学固有の観点から、社会における諸課題に応答する人文学・社会科学、国際的発信を通じた人文学・社会科学研究の質の向上、人文学・社会科学の振興を目的とした事業について御発表いただき、御議論いただきたいと思います。
 審議に先立ちまして、事務局より資料に基づき、関連する動向等について御説明をお願いいたします。

【春山学術企画室長】  それでは、審議の前に、関連の情報の御報告ということで、お願いいたします。
 資料1-1を御覧ください。これは本ワーキンググループの論点について出ている、これまでの意見をまとめたものということで、黒字は前回のワーキンググループでもお示ししたものですけれども、青字のところが、前回、第1回のワーキンググループの御議論をまとめたものになっております。
 1ページのところにございますとおり、特に人文学・社会科学と自然科学の連携ということで、その連携については、テクノロジーアセスメントとしてのシーズプッシュ型のコミットという形と、社会課題から科学技術を再構成していくニーズプル型のコミットがあるのだけれども、そのいずれにしても、検討の初期段階から人文学・社会科学の研究者が参加することが大変重要だという御意見でございます。
 2ページ目に行きますと、そうした文理融合とか連携の必要性の認識は共有されているものの、その実施の段階ではそれ自体が目的化してしまうということですとか、その実施が比較的やりやすい問題に傾いてしまって研究のスケール感を失ってしまったり、また、理系の主導というふうな捉えになってしまうと、人文の方がインセンティブを持ちにくいというようなことが課題として生じるといった御意見もありました。
 一つ飛んで、このページの三つ目の丸ですが、生命倫理に関する研究、ELSIなどに関する研究では、具体的な基準を創出することが求められるということでございますけれども、実際に人文学・社会科学で研究していることとつなげていくためには、まだまだ距離を感じるといったような御意見もありました。
 そして、その二つ下のところでは、こうした連携を困難にしてきた要因を乗り越えていくためには、研究のプログラム運営とか、研究テーマの探索の段階で連携するような場づくりとか、ネットワーキングの活動ということが重要。
 それから、その一つ下のところでは、モチベーションが重要だけれども、そのためには、大きなテーマの中で行う具体的な個々のプロジェクトは研究者の自由な発想によって提案するスタイルをとるというやり方もあるということで、これは実践の中から御発表いただきました。
 そして、また一つその下でございますが、人文学・社会科学と自然科学双方に詳しい人材が圧倒的に不足しているというところで、相互乗り入れするような人材を育成していくことが喫緊の課題だというような御意見もあったところでございます。
 それから、次のページ、青字のところですが、例えば、医療の問題ですけれども、先進的な医療の研究開発と、それが社会に実装されていく場面での経済的なコストという点も、これは併せて考えていく必要があるという御意見もございました。
 また、最後のところですが、具体的には次ページの下の方でございますが、現在はデータセントリックな時代なので、人文学・社会科学と自然科学が連携するときに、データがその間をつなぐものになり得るというような御意見もあったところでございます。
 資料1-2でございますが、今、データの話がありましたけれども、ワーキンググループの前の分科会の中でも、そうした視点での御指摘があったところでございます。資料1-2は事務局でまとめたものですので、不足があったり、足りない部分があるかと思いますが、それは御容赦いただければと思います。
 人文学・社会科学のデータアーカイブの整備とか、公開とか、関連の研究に関する取組の例ということでまとめたものでございます。
 順序が前後して大変恐縮なんですけれども、2ページを御覧いただきますと、3ポツとして、各大学における取組及び取組支援ということがあると思います。各大学でいろいろな個々の研究で、当然、データを使って、それを整備して公開していくという取組はそれぞれ行われているところでございますし、また、資料1-2の一番最後のページにスライドしていただきますと、別紙4というものが御覧いただけるかと思いますが、これは各大学の共同利用・共同研究拠点で人文学・社会科学系のものをリストにしているもので、一番右の欄のデータの例というところにありますけれども、各共同利用・共同研究拠点において、こうしたデータが今整備され、オープンアクセスな形で整備されているという状況でございます。
 これらは各大学における取組ですが、大学共同利用機関における取組ということでは、4ページの別紙2、国文学研究資料館で取り組まれている日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画ということで、これは喜連川先生の国立情報学研究所も非常に大きく関係していただいているということだと思います。こちらにつきましては、10年間の計画で、日本の歴史的典籍を30万点整備するという計画でございますが、この計画は、タイトルにもございますとおり、国際共同研究ネットワーク構築ということで実施されておりまして、ここの資料の中で海外拠点と書いてあります海外の16機関と、データ整備とそれに基づいた共同研究というところでの連携ネットワークも進められておりまして、基礎データと書いてある箱の中にありますけれども、そうした成果として、論文などで国際的な成果も出ているという状況になっているところでございます。
 それから、5ページを御覧いただきますと、これは情報システム研究機構の中で、データサイエンス共同利用基盤施設という組織があり、その中に六つのセンターがございますが、その中の二つといたしまして、社会データ構造化センター、人文学openデータ共同利用センターという組織があり、今、人文学センターの方は国文学研究資料館の取組と連携もいたしまして、取組を進めているという状況でございます。
 それから、資料の3ページに、これはJSPSの取組で、本日、この後具体的に御発表いただくと思いますので、詳細な説明は割愛させていただきますが、こうした各拠点のデータ整備をどのようにつないでいくのかということとか、各拠点のデータ整備をどう支援していくのかという点で、JSPSさんの方で今このような取組をしていただいているということでございます。
 必ずしも十分ではございませんけれども、関連の状況の例ということで、御紹介させていただきました。
 資料1-3、最後でございますが、御紹介させていただきます。これは大学院部会の審議まとめの素案ということで、これは11月5日に、大学院部会の方で配付資料として配られているものでございます。
 2ページ目を御覧いただきますと、目次ということで1、2、3、4ございますが、マル8のところに、人文・社会科学系大学院の在り方についてということで、全体の中でこうした議論もされていますので、本日御紹介をさせていただこうと思った次第です。
 3ページ目のところで、これは抜粋になっておりますが、(はじめに)のところで、4行目あたりからですけれども、基本的な視点として書いてありますのは、人文・社会科学系の大学院に対する社会のニーズが大きくなることが予想されるにもかかわらず、修士・博士のいずれについても、諸外国に比べて人文・社会科学系分野の学位取得者の割合が極端に低い状況であるということは、我が国の国力が相対的に低下しかねない深刻な問題であるということ。こうしたことを踏まえて、本審議まとめにおいて、特に人文・社会科学に焦点を当てて、改めて述べるというようなことでなっております。
 今御覧いただいているページから、その次のページにかけて、人文・社会科学系大学院に対する社会のニーズということですが、これは、このワーキンググループや学術分科会の中でも御議論していただいたような、人文・社会科学に対する期待ですとか、その必要性ということを踏まえて、いずれにしても、こうした高度な人文・社会科学系の知識を身に付けた人材の重要性が増しているということが、4枚目の一番上のところでは述べられています。
 同じページのところで、下の方で、ボリュームの議論を二つのパラグラフでしておりますけれども、人文・社会科学系の修士課程については、学士課程からの進学率が低いということの指摘ですとか、また、修士・博士いずれにおいても、米国・英国に比べると、人文・社会科学の割合が低いという特徴が指摘されているところでございます。
 次の5ページへ行っていただきますと、人文・社会科学系の具体的な課題ということで、四つ挙げられておりますが、体系的・組織的な教育、博士号取得までの期間の問題、教育内容の問題、キャリアパスの問題ということですけれども、6ページへ行っていただきますと、組織本位の教育プログラムではなくて、資質・能力というか、スキルだったり、学生本位の教育プログラムの構築をすることの重要性が、修士や博士、いずれにおいても指摘されているところ。
 あともう一つ申し上げると、49ページ、これで言うと7ページになりますけれども、先ほど申し上げたような形で、修士に進学する学生が少ないために、学士課程の学生に対する情報発信が重要だということで、これは分科会の中でも同様の御発言があったところかと思っております。
 これはまた引き続き議論するということですので、これは途中の状況で御報告ということでございました。
 以上でございます。

【西尾主査】  どうもありがとうございました。
 それでは、早速ですが、ヒアリングを始めさせていただきたいと思います。

【小林(良)委員】  今の資料についてよろしいでしょうか。

【西尾主査】  どうぞ。

【小林(良)委員】  細かなことで恐縮ですが、3点ほどございます。
 まず資料1-2ですが、1ページ目の2ポツの(1)の日本語の歴史的典籍の「てん」が誤変換ではないかと思います。
 それから、一番最後の別紙4、中ほどにあります慶應義塾大学パネルデータ設計・解析センターですが、これは大学の附置研ではないので、慶應義塾大学経済学部附属が付きます。
 それから、最後が、資料1-3、審議まとめの素案ですが、45ページ、46ページ、49ページと、「人文科学」という言葉が出てきます。これは「人文学」のことではないかと思います。他の資料では全部人文学になっていますし、以前、学術会議で「人文学」とするか「人文科学」とするか大きな議論がありましたけれど、人文学系の方は皆さん、それは人文学でないと困るというお話でしたので、これは「人文学」の方がいいのではないかと思います。他の資料と用語が違うのはどうかと思いますので。
 以上です。

【西尾主査】  小林先生、本当に重要な御指摘、ありがとうございました。
 これは事務局の方で対応を是非お願いいたします。情報が間違って伝わるのはよくないと思いますので、お願いいたします。
 それでは、最初に、社会との応答、国際性向上という二つの観点について、お二人の方から御発表いただき、意見交換の後で、人文学・社会科学の振興を目的とした事業について御発表いただきたいと思います。
 まずは、日本学術振興会学術システム研究センターの盛山副所長より、「社会における諸課題に対する人文学・社会科学の応答について」というテーマで御発表いただきたいと思います。
 なお、円滑な議事進行のため、事務局において、経過時間を確認しまして、発表時間終了が近づきましたら合図をいたしますので、御発表者の皆様にはあらかじめ御承知おき願いたいと思います。どうかよろしく御協力をお願いいたします。
 それでは、盛山副所長、お願いいたします。

【盛山副所長】  分かりました。
 学術システム研究センターの盛山でございます。よろしくお願いします。
 資料2-1でございますが、冒頭に、所属は日本学術振興会のシステム研究センターですが、本日はどちらかというと個人の研究者としての報告でありまして、必ずしも日本学術振興会の立場を反映したものでございませんので、その点は御了解いただければと思います。
 2ページから、これは先生方はもう皆さん御存じのとおりで、3年ほど前にこういう出来事がありまして、特に人社系の間では大変な話題になったところなんですが。それに対して、学術会議とかその他から、やや批判といいますか、反論的な声明とかが出ておりました。
 より具体的には、次のページに、2017年6月に学術会議から、人文・社会科学からの提言というような形で、人文・社会科学の位置付けというものが改めて出てきたところなんですが。さらに、研究者の先生からもいろいろと発信がありまして、吉見さんの新書とか、佐和さんの新書とかがあります。
 次のページに移りまして、こういう学術会議の提言とか、吉見さんや佐和さんの御主張は基本的には正しいと思うんですが、問題は、果たして今日の人文学・社会科学は、そこでうたわれているような価値創造とかモラルサイエンスという課題に本当に取り組んでいると言えるのかどうかというあたりが、ちょっと反省的に捉えないといけないだろうと思っているところなんですね。
 人文学・社会科学への期待とか要請というのは、こちらの学術分科会でも前回以降いろいろと強調されておりますし、もちろん、第5期の科学技術基本計画の中でも強調されているところなんですが。そういう点で、社会への応答性が重要であることは言うまでもないことです。
 最初に一言まず断っておきたいと思いますが、ときどき文系の学問から、いや、そういう役に立つとか、社会への応答性というのを考えることはむしろけしからんという先生方もいらっしゃることは事実なんですけれども、私個人としては、もともとhumanitasというコンセプト自身は、「良き市民になるための学問」という意味で、基本的には、そういうある種の実践性というものをはらんでいると。現代の社会科学にしても、経済学を代表として、私の専門である社会学も、もともとは実践的なものであったわけですね。ただ、ときどき表面的には、いや、学問の中立性とかが疑われることはありますが、私は、社会への応答性を考えるということは、本来、人文学・社会科学としてあっていいことだと。
 ただ、一つだけ言っておきますと、それは必ずしも外部からの期待に応えることだけがいいわけではなくて、それは人文学・社会科学固有の内在的・学術的な立場ないし発展というのがありますから、それを踏まえながら、でも、それは当然、そういう中でそういう応答性があると考えております。
 さて、次のページから少し話は変わりますけれども、最初に問題提起しました。果たして、そういう応答性に対する期待に応えているかどうかという点ですけれども、非常にグローバル、マクロ的な観点から見まして、今日の文系、人文学・社会科学両方含めまして、ある種の内在的な危機があるということを認識することから出発した方がいいのではないかと思っております。
 端的な表れとしては、書籍が売れない、本が読まれない、学生が本を読まないというのが、端的な表れとしてございます。これは、専門家が専門書籍を書いても売れないとか、それだけではないいろんな問題が生じているわけですが。それは、つまり、人文学・社会科学のこれまでの学問の遂行した成果が、新しい世代に必ずしも継承されていっていないという問題と関わっていると思うんですね。
 次のところは、そういう危機の背景は何であるかということは、これは多くの人が言っていることなんですけれども、基本的には、1968年以前と以後で大きな変化があった。これは私は、社会学だけではなくて、人文学・社会科学におけるある種のパラダイム転換というか、コペルニクス的な転換が起こったと言っていいと思うんですが、それまであった近代を前提にした様々な学問の体系が崩れてしまって、ポストモダンというのは、ある意味では脱近代でありますけれども、一方で、そういう近代を基盤にした知の体系の崩壊という側面があることは否めません。そういう中で、例えば、そこに書いたような「歴史の必然」なんていうコンセプトがなくなってしまったということと関係するわけですね。
 次は飛ばします。
 そこでは、ある意味で、かつて近代というテーマを掲げていた大きな物語が消失してしまったわけですけれども、それが何を個々の研究にもたらしているかというと、端的に言って、個々の個別的・専門的な研究が、マクロな、あるいは、大きな知の体系とどう関わっているかという関連付けが非常に難しくなっていると。かつては、「貧困」研究をやれば、マルクス主義との関係とか、そういうことで全部位置付けられていたんですが、そういう関係性が現在では失われてしまったというのが、今日の我々を取り巻く大きな問題状況です。
 かつ、現実の状況が12ページのところに書いておりますが、これはちょっと異論があるかもしれませんが、まず大きく、人文学・社会科学の広範な分野を巻き込んだ学術研究プロジェクトが存在しない。かつてのマルクス主義とか近代化論というのは、個別学問分野を超えた大きな研究テーマであったわけですけれども、そういうものに近い問題関心というのはやっぱり薄れてしまっている。
 他方で、専門化は非常に進んでおりまして、個別的な研究はどんどん増えてはいるんですけれども、挑戦性という観点で考えたときに、基本的にここで大きな知の体系が見えなくなってきたことから、何が挑戦的であるかということを位置付けることが困難になってきているという状況が現在見かけられると思われます。
 これは自然科学とどこが違うかというのが言えるんですが、単純に言うと、「客観的な自然的世界」というのを想定できるか、そうではないかという問題があります。細かいことは飛ばしまして、13ページも14ページも同じことを言っているわけですが、あるいは、工学とか医学の場合は、具体的なある成果が出てきますから、具体的な理論の成果とか工学的な成果というのは、目に見える形で得られる。社会科学の場合も、もちろん、経済学のように、ある種の工学的な処方箋を書いたりするんですが、どれが成功したかしないかというのは、そう簡単に見えていないというような問題がございます。
 これらの困難の一つとして、16ページを御覧いただきますと、私独自の概念化をしているわけですが、人文学・社会科学というのは、基本的に「意味」の探究ということをベースに置いている学問であるという点を認識した方がいいかなと思っております。哲学とか倫理学がそういう学問であることは言うまでもないんですが、文学にしても「解釈・鑑賞」というのはベースになりますが、それは、つまり、そういうテキストをどう読むかということですね。それから、法学がそれに値するのは言うまでもないことです。他方社会学とか経済学は、比較的客観的に存在する市場システムの分析という側面が強調されますが、その市場システムを構成しているのは人々の財に対する価値付けなので、それは人々の意味とか価値というものをベースにしている現象なわけですね。そういうところから、意味の探究ということでは非常に難しい問題を持ってくるわけなんですね。基本的には、客観的なデータだけでは決着がつかないという問題がございます。外部がないという状況ですね。
 しかしながら、次の18ページですけれども、そういう意味の解釈性とか多元性をベースにしながらも、実は人間の社会というのは、そういう法制度の共有だとか、政治的権威・権力の一定の合意、倫理観などの共有ということで、意味から成り立っている世界を人間社会というのは組み立てているんだというのが非常に重要なことでありまして、人文学・社会科学は、一方で、社会というのは、経験的な世界である心理、感情、文書等々とともに、そういう背景にある意味というものの両方から成り立っている。そういう世界を分析し、それに対して、多少のというとおかしいですけれども、介入といいますか、社会的な実践的な活動に携わるというのが人文学・社会科学の基本的な立場でありまして、それは「社会の構築」に関わっているんだということでございます。
 次のは飛ばしまして、20ページになりますが、意味ということを言うと、客観性というのはしばしば問われるわけですが、そこで、前から人文学・社会科学では、神々の闘争というようなことがテーマになっておりますが、やはりそうではなくて、学術的に「共有しうる理論知」というのは可能でありまして、それをベースにして研究が進められ、それによって社会全体が一定の「共有しうる価値・理念」を形成しながら共同社会を作っていくということに寄与するのが人文学・社会科学の仕事の一つであろうと。
 かつては、これには間違った理論知も含みますが、こういう様々な理論知というのが華々しく展開されたと言っていいと思います。あるいは、これまでの人文学・社会科学の進展というのはいっぱいあるわけで、例えば、経済学で社会主義経済に対する市場経済の優位というのは証明されたと思いますし、不況期における財政出動の意義というのは、これは現在経済学の中では多少コントラバーシャルでありますが、私はこれも証明されていると。あるいは、歴史主義とか社会決定論に対する見直し、あるいは、自民族中心主義への批判と反省、知の権力性の発見とか、ポパーの科学哲学とか、様々な進展があったのは事実だと思います。こういう進展を実際にやってきたということを誇りに思っていいと思うんですが、他方で、現代社会を中心とした新たな課題がたくさん生まれているということも否めません。
 そういった中で、社会科学等が何ができるか。例えば、超高齢化・人口減少社会とか多文化共生社会というテーマに対して、どう切り込むことができるか。
 これは現実的に実際取り組んでいる研究はいっぱいあるんですが、そこで私が見て欠けていると思いますのは、ここで言う理論知をどう深化させるかという観点との関連における個々の研究の進展というのは乏しいという点です。ばらばらで、たくさんの研究の進展はあるんですけれども、それらが総合的に期待されるような、現代の超高齢社会の問題、あるいは、人口減少社会の問題に対して、総合的にどう応えていくかということが見えにくいということがあるかなと思います。
 現代社会が直面している課題、24ページになりますけれども、様々なグローバリゼーションとか、ICTがもたらす諸問題に応えていくというのも社会科学・人文学の課題だと思いますが、そういう科学が発展するということは、25ページにありますように、根源的な問いを探究しつつ理論知を発展させるというような研究を展開するということで、人文学・社会科学の発展という学術的な発展が成し遂げられたと思います。そのためには、そういった根源的な問いと具体的な課題の探求との連携という仕組みが重要だと私は思っておりまして、それは、他方では挑戦性の重要性ということとも関わります。
 そろそろ終わりですけれども、ただ一方で、現在の学術システムは、これは理系も含めまして、そういう大きなビッグプロジェクトに取り組むというのはなかなか大変でございまして、特に若手研究者にとっては余りにもリスキーで、これは勧められる研究課題ではありません。国際発信においても、この手の大きな課題に直接取り組んでも、個々の個別専門誌への投稿などができるものではありません。
 しかし、例えば、次のような研究プロジェクト、二つだけ挙げます。ほかにも無数に考えられますけれども、現代における社会的分断の構造の解明とか、あるいは、国際的移動と多文化共生に関する研究とかというものは、大勢の研究者を糾合して、特推レベルの大きな予算を持って、5年以上のビッグプロジェクトとして遂行するに値するような研究テーマだろうと思います。そういう研究テーマを遂行することで、個々の若手研究者も育ってきますし、国際発信しうる理論的な成果も出るだろう。
 ただ課題は、誰がどのようにオーガナイズするか、これは大変難しい問題でございます。一般的なボトムアップ型の科研費の構造で対応できるかというと、ちょっとそれはおぼつかないだろうと思っております。
 最後に、そういう問題はありますけれども、そういう大きな課題に取り組むような学術研究の仕組みをどうやって支援していくかということが、人文学・社会科学の学術を支援しながらも、同時に、先ほど最初に挙がった社会的課題にどう応えていくかということへの関わりを発展させていくことになるだろうと考えております。
 ちょっと駆け足でございますけれども、以上で説明を終わりたいと思います。

【西尾主査】  どうもありがとうございました。
 30ページに全体のまとめを記していただき、ありがとうございました。
 それでは、引き続いて、京都大学人文科学研究所、竹沢教授より、「人文学・社会科学の国際化推進~実践の一事例から」というテーマで御発表いただきたいと思います。
 竹沢教授、どうかよろしくお願いいたします。

【竹沢教授】  本日は貴重な機会を頂き、ありがとうございます。竹沢です。
 まずお断りとして、今までかなり重要かつ概念的な議論がされてきたと思いますので、きょうはミクロのボトムレベルの具体例として、私の一個人としての経験から日頃考えていることをお話させていただきたいと思います。
 簡単に自己紹介させていただきますと、私はアメリカで文化人類学で学位を取って、アメリカ研究、特に人種とか民族、移民を研究しておりまして、根源的な問いというのは、人間はどのように人を分類するのか、どのように名指しをして差別や偏見を生み出すのかということに興味があります。科研費の基盤研究(B)から始まって、今は基盤研究(S)の2度目を頂いています。
 今まで和書が多かったのですが、単著や編著、共編著などを、英語圏でも出してきました。現在動いている一つのプロジェクトの例として申し上げると、フランスの社会科学高等研究院の知り合いから、もう英語圏はたくさんやってきた、今はアジア、特に日本が面白いということで一緒にやろうと声をかけていただき、日仏で共同研究をしております。
 次のページは、この委員会に理系の先生が多くいらっしゃるので、文理融合の国際研究の例です。右上は数年前の共著論文ですが、モンゴロイドという言葉を始めとして、遺伝学におけるサンプルとラベリングについて20人で出しました。出版直後の3か月の間に2,000件のアクセスがあって、「ハイリーアクセス」という永久フラッグをもらったので、最初は喜んでいたんですけれども、実はその裏には、共著のカナダ人の方がすごく有名な方で、彼のフォロワーがたくさんツイッターをしてくれていたことがわかりました。なあんだと思ったわけですが、でも国際共著論文にするとそういうメリットもあることがとわかりました。文理融合の持続の鍵は、一方方向では駄目で、文系・理系ともにお互いに恩恵をこうむるということを実感しないと長続きはしないと思います。
 次のページは簡単に。そのときのカナダ人の研究者と、今、遺伝子検査ビジネス、田中マー君が宣伝に出ていますけれども、それが日本でも急成長しているので、国際比較研究をひとつしています。でもやはり日本では文理融合の架け橋的層が薄いので、どういうテーマだったら国際比較が可能かを検討するときにそのカナダ人を再度招へいしてみんなで議論してテーマを決めました。次に具体的にどういう方法論だったら比較可能かというときに、そのカナダ人の同僚の方法論専門の方を招聘して、そこでプログラミングができる日本の研究者にも入ってもらってという流れで、いま共同研究を進めています。次のページは、事例2の日米合同研究の例です。2年前にハワイ大からこういう本をOkihiroさんという日系三世の方と組んで出版しました。日米で19人で、4回シンポジウム、そのうち1回は日系アメリカ人研究の中心地であるUCLAで開催してもらったのですけれども、そのあと何年か経った時も、「あのときのシンポのことは我々でまだ話題になっているんだよ」という話がありました。単に海外から招へいするだけではなくて、日本からチームとして海外に出かけて発信するとことのインパクトもあるかなと思いました。
 次のページは、国際共同研究にまつわる一番小さな例です。ある一語の翻訳が日米間の文脈ではなく、中国やそれに侵略した欧米も含めての環太平洋の当時の動きとして解釈するべきだという立場から、翻訳にこだわった例を挙げています。一章を書いてくれたあるカナダの研究者が19世紀末、日本からの移民を恥じる文脈で使われた言葉として“lower class”と書いてきた。これは、日本語の原語は「下等社会」という言葉でした。これは、当時のサンフランシスコ総領事が使った言葉でもあり、アメリカでは“lower class”の訳語が定着しているのですが、その時代に本当にこういう現代のアメリカ的な分析概念である「階級」概念があったのだろうかと思って、明治の使用法を調べても、中国研究者に協力してもらい中国の膨大なデータベースを調べても、”lower class”に相当する意味は「下等」には見当たらない。そうではなく、半裸で歩いたり、標準語が話せない、地方出身の次男・三男のことを指しているので、これは階級の問題ではなくて、日本の文明化とか西洋化の問題なのですね。しかも、それは中国を意識して、中国人移民排斥の二の足を踏んではいけないということで、トランスパシフィックの観点から考えるべきだということを述べました。こういう研究もアメリカでは非常に薄かったんですけれども、私自身も、この国際共同研究がなかったら思いついていなかったと思います。
 ただし、これが分かるのは、日本・アメリカ合わせて20人以下だろうと思います。アメリカで5人分かってくれれば、分かっている人はすごく評価してくれる。だから、とんがっていけばとんがっていくほど、本として消費されるマーケットは少ない。けれども、やはり重要なことを指摘したという自負はあります。
 次のページですけれども、日本人研究者というのは、アメリカで学位を取る、例えば、文化人類学の人も、私、聞き回ったところ、ほとんどは日本で研究しろ、日本でフィールドしろと言われて、ほとんどの人がそうしています。しかし、日本から留学している学生は、日本語を使ってもいいし、使わなくてもいいという、そういう選択肢をもっと持つべきだと、本当に若い人に言いたいと思っています。
 次に、9ページになりますけれども、招へい外国人で、今、文部科学省に出入りしていると、国際共著論文ということを頻繁に聞くので、人文系にはなかなかなじみがないんですけれども、一回試しにやってみようと思って、3か月人文科学研究所で招へいしているアメリカ人と始めています。そのきっかけとなったのは、数年前に半年過ごしたハーバードとUCサンタバーバラでの経験でした。あるブラジル人が、自分だけが書いても誰も引用しない、でも、有名なアメリカ人を第二著者にして、次に先行研究が弱いということで中国人の院生を第三著者に入れたら、すごくいい論文になったと。全部自分のデータで、ほとんど自分が書いたんだけれども、すごく引用されたと言うのですね。これがWin-Winの関係なんだとすごく啓発されました。今、彼と一緒に週1~2回会っているんですね。それから、私自身は、ヨーロッパでのネットワークが一部以外弱かったんですが、彼がいろいろな研究者に紹介してくれているところです。この実験がうまくいくかどうかはわかりませんが、文部科学省による招へい外国人制度のより効果的な利用方法があるのかもしれません。
 次に11ページ、人文学と社会学を一口に本当に語れるのかという問題です。それぞれ多様ですけれども、人文学というのは基本的に問いかけの学問であって、簡単に答えが出るものではない。人間とは何かという。移ろいやすい現代だからこそ、それについていって、それを先回りするという学問もあってもいいし、長いタイムスパンから俯瞰(ふかん)して発言できる存在も必要ではないかと思います。それぞれ非常に多様なので、一つに基準化することは非常に危険ではないかと思います。
 次のスライド、12ページ目ですけれども、アメリカでも人文系は一層重視されておりまして、スタンフォード大発表した人文学の重要性に関するステートメントを御覧になっていただければと思いますが、グーグル社が今年採用する6,000人のうち、4,000~5,000人を人文系とリベラルアーツのPh.D.から採用すると言っています。なぜテクノロジーの最先端で大半の人材を人文学から採るのかということを、日本の企業の方にも参考にしていただけたらなと思います。
 次、スライド13になりますけれども、日本における人文学の国際化の必要性について。人文学においては、現代はほとんどが欧米中心で、白人、そして男性中心主義で発達してきた学問だと思います。それに対して、例えば、私の専門の人種・民族研究だと、1960年代にユダヤ人、アフリカ系、また女性が入ることによって、学問の大きな発展がありました。私も、日本の視点が入ることによって、西洋中心的な知の体系が転換する可能性も信じております。新しい概念が生み出される可能性もあるし、より根源的な、あるいは、オルタナティブな生き方の提示ということも両方あり得ると思っています。
 次、スライド14ですけれども、やっぱり文系も納得のいく評価方法が必要です。評価基準で言えば、一般に、雑誌よりも学術書ですし、インパクトファクターよりも書評です。それから、長いタイムスパン。私もコーネルの本は、最終原稿を出してから3年待たされました。その間に日本語に翻訳して、査読を受けて、助成金を申請して本が出ました。今も特集号を申請しても、最速で、2021年3月だと言われています。
 次、スライド15です。でも、国際化をしても、海外では日本の業績はゼロに等しい。日本では外国の業績は、何かやっているらしい程度で、何も見てくれない。両方でやっている人は、本当に体半分しか見られていないと思います。もし日本語だけで書いていたら、多分数倍は書けるのではないでしょうか。
 当然、人文系の研究者にとっては、外国で出版することのインセンティブが乏しくなります。私がなぜやっているかというと、悔しいからなんですね。日本人の研究者が劣っていると思われていることがすごく悔しいからです。
 英語で書けばいいのかというと、国内でのそれぞれの論文、質の高いのもいっぱいありますけれども、やっぱり質が保証されているという意味で、自分の領域で言えば、英米、特にアメリカの大学出版局は非常に難しくて、そこに対して、何もハーバードがトップなわけでも、オックスフォード、ケンブリッジがトップなわけでもなくて、領域によるんですけれども、でも、海外の大学出版局などで出版されるとことがもう少し評価される文化土壌が日本国内であってもいいなと思います。英語以外の国際発信も評価されるべきだと思います。
 例えば、科研費の助成を得ているような学会に、「国際賞」というのを奨励するとか、学会以外でも、国際的な活動をしている人がもう少し認められる、特に若い人たちが認められるようなシステムがあればいいのではないかと思います。
 次のスライド16ですけれども、組織改編というのは、基本的に組織と研究者を弱体化させてきたところがかなりあるのではないかと思います。人文系の他大学の人たちが言います。今、もう研究する時間はないので、共同研究拠点での研究が、自分たちの研究を確保する生命線だと。私自身、京都大学の出身でもありませんし、名前に頼る人は好きではありませんが、それでも現実に考えて、例えば、海外の研究者にこのシンポジウムにいらしてくださいますかと連絡をとるときに、信頼度のある名前は効果的だと実感します。国際的知名度のある大学とか組織を伸ばしていくことが効果的で現実的だと思います。もちろん、そうした大学や機関でもっと公募を増やすとか、オープン性を高めるということもあり得るかと思います。
 そういう伝統とか個性のある組織を伸ばしていくことが重要で、規格化とか集約化ということは、人文学の学問的発展を妨げかねないとも思っています。
 その下の方に、フランス国立社会科学高等研究院とか、ハーバードのイェンチンだとか、アメリカのプリンストン高等研究院を例として書きましたが、こういうところは世界中の人々が集まって、あそこに行ったら、そこの優れた研究者もいるし、外国から来ている人たちとも出会えるという、そういう学術の交流をする中心的な場というのが日本にも必要ではないかと思います。
 スライド17です。アメリカのTAの時代に、全く理系で授業を取ったことがなかった自然人類学について週3回小さなクラスで授業をしなければならないことがありました。それがその後の文理融合の研究にとても役立っています。あと、早稲田の方とお話ししていたときに、早稲田で、助教制度とは別に、大学院の博士後期で月10万ぐらいのお金をもらえる助手制度というのがあるらしいです。そのTA制度を使っていろんな授業をサポートしたと。やはりこのティーチングアシスタント制度というのは、うまく使えば、かなり文理融合の若手育成には重要ではないかと思っています。
 それから、国際基督教大学の必須の英語の授業では、人種、ジェンダー、科学倫理と、全ての人が取らなければいけない授業があり、こういう必須の授業で文理融合をたたき込むというのも効果的な方法ではないかと思います。
 次に、若手の国際化ですけれども、スライド18、ジョン万プログラムというのを京都大学でやったりしている。私自身も、昔の文部省のお陰で大学4年のときに1年間留学させていただき、2005年にも海外教育研究推進プロジェクトで文部科学省から1年間在外経験をさせていただき、そのときに築いたネットワークが今の仕事にとても活きています。に若いときに一回行って、恐らく40代の後半とか50代ぐらいに、もう一回、何か蓄積を持った人が行くと、それが次につながるのではないかなと思います。
 では、スライド19、最後スライドです。
 国際化を進めるときに、人文・社会科学系の自己努力を促すためには、やっぱり今よりももっと理系との円滑なコミュニケーション、そして、相互の信頼が必要ではないかと思います。そのためには、やはり評価方法自体が一部見直されるべきところがあるのではないかと思います。余りに上の決定機関が人文学・社会科学系の事情を御存じないというふうに思わせてしまうと、余計心情的な反発を生み出すだけではないかなと思います。そういう意味で、人文・社会科学系の方も改善が必要ですし、今の評価方法も見直しが必要なところもあるのではないかと思います。
 最近の国際共同拠点の話も、新学術領域とか、いろんな支援プログラムにおいても、時々社会科学は採択されているけど、人文系はゼロという。科研費の基盤研究(S)も、かつては人文系と社会科学系が分かれていましたけど、最近は一緒にされて、人文学は非常に採択されにくくなっているように思います。
 それから、国際化のノウハウを集約できる拠点。そういうセンターがやっぱり国家プロジェクトとして必要ではないかと思います。
 それから、日本だからこそ、世界の知の生産に貢献できることもあるという。日本人の研究者自体が、初めからもう駄目だと、日本語の資料や日本語を用いたデータを翻訳して使わないと海外で勝負できないというふうなことを信じてしまって、海外の人たちもそういうふうに見てしまって。でも、そうじゃないんだという認識をもっと広めるべきだと思います。
 それから、若手の海外派遣、そして、先ほど言いましたような中堅の海外派遣も、やっぱりすごく重要だと思います。
 それから、国際的研究とか学際的研究がもっと高く評価される仕組み。科研助成を得ている学会の国際的に活躍する若手に対する賞とか、それから、先ほど言いましたTA制度などの見直しとかも、ひょっとしたら参考になるかもしれないと思いました。
 早口でどうも失礼いたしました。
【西尾主査】  どうもありがとうございました。
 ただいま、お二人の方から、社会との応答及び国際性向上の重要性等についてそれぞれ本当に示唆に富む内容の御発表いただきました。
 それでは、これらの御発表を踏まえまして、人文学・社会科学固有の視点を踏まえた振興について、特に、社会との応答及び国際性向上をどのように進めるかなどについて、皆様方から御質問、御意見を頂ければと思います。
 なお、科学官のお二人に来ていただいておりますが、適宜いろいろ御発言、御質問いただければと思いますので、よろしくお願いいたします。
 どうでしょうか。どうぞ。

【小林(良)委員】  貴重な御意見をありがとうございます。
 まず盛山先生の方から、人文・社会科学に対して大変叱咤激励いただいたと思いますが、ちょっと叱咤の方が強くて、痛い思いをしておりますが。でも、全ておっしゃることは、まさに御指摘のとおりと思います。
 その原因となっているのは、盛山先生のスライドで言いますと、21ページに、今まで間違ったものも含めて理論知があったという学者が並んでいますけれども、これはよく見ると共通性があって、ヨーロッパで教育を受けているのです。アメリカではないということです。マルクス、ウェーバーは当然プロイセンですし、ポパーはオーストリアですし、レヴィ=ストロースはフランスで、ハーバマスはイギリス。ロールズはアメリカですが、彼がプリンストンの後にオックスフォードに留学して、バーリンの自由論の影響を受けて彼の思想が確立したのではないかと思います。
 何が違うのかというと、先生の御指摘のとおり、どんどんアメリカの社会科学がショートレンジになっています。とにかくインパクトファクター、サイテーションインデックス、それがなければ、最初の就職が取れない。それから、何よりもテニュアが取れない。どんどんそれが取れる研究にだけ範囲が幅狭くなっています。本当にもうタコツボのような研究者になります。だから、バラダイムチェンジするようなものがアメリカからは出てこないのです。大体みんなヨーロッパから出てくることになる。それはやはり研究の評価の仕方の違いだろうと思います。
 私も1年だけケンブリッジにいたことがありますけれども、毎日夜7時から9時までハイテーブルでフルコースを食べた後、戻って論文を書きたいのですが、夜11時まで議論しなければいけなくて、夕食後の議論は欠席したいと言ったら、「ここはアメリカの大学ではないのだから、アウトプットは考えるな。インプットしなきゃ駄目だ」と言われたことがありました。だから、やはり評価方法が、本当に人文・社会科学が理系と同じ評価でいいのか、私はもう一度考える必要があると思います。
 それから、竹沢先生がおっしゃることは全く全てそのとおりだとうなずきながら伺っていました。人文学ではということをおっしゃいますけれども、社会科学もほとんど同じだろうと思います。
 人文学と社会科学をまず分けるというのは、絶対に必要だろうと思います。やはりお互いに、そこは違うところがあると思います。
 国際化の必要は、人文学の例として13ページに書かれていましたけれども、これは社会科学も全く同じです。やはりいつの間にかヨーロッパの社会科学者もみんなアメリカで学ぶようになって。それは当然スカラシップの問題の違いもありますから。アメリカバイアスが入った経済学、アメリカバイアスの入った政治学というふうになってきています。日本の研究者が何を貢献できるかと言えば、英語で表現するにしても、日本に根付いた研究をすることで、彼らの研究がいかにバイアスがあるかを示すことです。我々もバイアスがあります。お互いのバイアスを超えたメタな学問というのを互いに構築する。そうして、我々が貢献できると思います。
 それから、14ページにお書きになっている雑誌より学術書というのは、全くそのとおりで、これが、きょうJSPSの方もいらっしゃっていますけれども、どうしても、例えば、科研費の評価でも論文とかになります。社会科学も、経済学は別にして、それ以外の学問ですと、やはり国際雑誌に載るのに3年ぐらいかかります。私、国際雑誌のエディターを三つぐらいやってきましたが、申し訳ないけど、書き直してもらって、場合によってはもう一回書き直してもらって、やっとアクセプトして、それからウェイティングリストがありますから、3年ぐらいお待ちいただいていますので。そうすると、5年の科研費を取って、論文を2年目の終わりに書いて、論文が出るときにはもう科研費の研究期間は終わっているのです。つまり、研究が評価されないという形になっています。
 結果的には、みんなどうするかと言うと、決していい方法ではないのですけれども、自分の研究所で英文雑誌を国際ジャーナルとして刊行することです。でも、実は、インパクトファクターはとても低いです。でも、それでもとにかく何か出さなければいけないからというのは、何か間違った方向に来ているのではないかなと思います。
 確かに日本語で何を書いても外国人は読みませんし、私も単著・共著含めて10冊ぐらいアメリカとかイギリスで出しましたけど、向こうでは評価しますが、逆に、日本人は読まないというところがあります。
 それから、15ページにお書きになっている英語以外の評価もすべきというのはそのとおりで、私は法学部ですが、刑法は英語ではなくドイツ語で書かないと駄目なのです。民法は英語ではなくフランス語で書かないと駄目なのです。英語で書いて評価されるのは、憲法です。だから、もう少し多言語で見ていくべきではないかと思います。
 それから、国際的に集まる場として、フランスの高等院とハーバードのイェンチンを出されていますけど、最近は韓国のソウル大や台湾のアカデミアシニカも、かなり世界から人材を集めてやっています。欧米と比べてばかりではなくて、アジアと比べても、このままで本当に大丈夫なのかなという気持ちは持っています。
 最後の御提言のところで、人文学と社会科学は分けて評価ですが、なお細かく言えば、社会科学でも、経済学とそれ以外は分ける必要があると思う。というのは、何が違うかというと、学部で考えていくと分かりやすいです。経済学部と法学部は別ですし、文学部も別です。経済学は理系と同じように論文ですが、法学部や文学部は著書になります。評価のやり方を検討していただくのが、私は盛山先生の御指摘にも応える方法ではないかなと思います。

【西尾主査】  どうもありがとうございました。どうぞ。

【小林(傳)委員】  大変刺激的な発表、ありがとうございました。お二人の話は、基本的に、今小林先生がおっしゃったように、私も賛成です。
 確かに、経済学が特に違うというのは、これは、でも、アダム・スミスのときは違ったじゃないかということは言えるわけで、これはある時期に物理学者が経済学に流入いたしまして、それで、物理学の手法、数学的手法を導入することによって現在の経済学ができたというつ歴史がありました。それはさておき、現在はやっぱりモラルエコノミーという議論で、モラルフィロソフィーをやっていたわけですから、そういうものの回復が必要なんだろうなとは思いますが、竹沢先生の頑張り方には本当にもう敬意を表したいです。ただ、日本にとって深刻な問題は、とんがれば、つまり、すごく闘われましたよね。そうすると、読者は20名になると。これが何を意味するかということなんです。
 これ、実際欧米の研究者と議論していても、やっぱり日本人のペーパーというのは、彼らから見ると、データプロバイダーとして見ているんです。だから、自分たちの理論の枠組にとって使えるデータを日本の例として出してくれるとありがたいという感覚があって、それに適応するとアクセプトされやすいんですよ。それでいいのかという問題が一番根本にある。でも、そういうことで、なかなか理系の方には分かっていただけない構造なんですね。
 ですから、翻訳すればいいという話ではなくて、単純に翻訳しても全然通じないので、文脈、歴史が全部違うところを書き加えて理解させるなんていうことをしようとすると、膨大な量になるんですね。コストがかかって、オポチュニティコストがもうたまらないと。倍書けたとおっしゃっているのも、日本語で書けばというのは、おっしゃるとおりだと思います。
 ですから、そういう意味で、人文学あるいは社会科学が、地域の歴史とか、特性とか、そういうものを引きずった学問で、それを簡単に英語にすれば国際化するというのはちょっとイージーな見方だということを、まず共有しなくてはいけないだろうと思います。
 その上で、ヨーロッパでも人文・社会科学にはやはり逆風があって、それで、人文社会科学系の人たちが集まって、人文・社会科学の役割は何かという議論をして、声明を出している。そのときに、悔しいかな、彼らは、社会科学のビッグネームは自分たちが作ってきたんだというふうな書き方をしている。そこで日本が勝てない。それが一つ。
 それから、彼らは、その中で、本当に必要なイノベーションをやるには、人文・社会科学的なものがなければできないはずだと、こういうことを言って。じゃ、積極的に人文・社会科学の意味は何かというと、これはリフレクティブな感覚を持ち続ける、それを与えることなんだと。これは言い方を変えると、よりよい社会をつくるために、今所与となっているものを疑うという能力なわけです。ですから、例えば、今、Society5.0に向かって協力しましょうと。これ、私、大事だと思うんですが、だからといって、今、自然科学がどんどん進んでいるこの道筋、方向性をそのまま受け入れて、それに対してあんまをするような、そういう役割に閉じていいのかという問題を考えるのが社会科学であり、人文学であると。そこのところを、ややもすると、実装のためのお手伝いという理解で人文社会科学への期待が語られるのですが、本当はそれだけではない、反省的に考えるということ、それが大事ということが一つです。
 それから、もう一つ大事だなと思ったのは、日本だからこその研究というものの価値というのをもっと積極的に打って出す。これはオックスフォードにおられる苅谷さんもそういう言い方をされていましたが、非西洋圏で西洋の生んだ科学技術をそれなりに消化して、全て日本語で教育できるようにしたという経験、母国語でできる、そんなことをやった国は、世界広しといえど日本だけ。中国で使われている科学技術用語も社会科学用語も、ほとんど日本人が明治期に翻訳した言語。という意味で、日本はある意味でヨーロッパ以外のほとんどの国にとってのモデルになり得るわけであって、そういう意味では、欧米は特殊という視点はあり得るわけですね。
 そういう議論をするのが人文・社会科学ではないかと私は思うので、英語の論文、インパクトファクターとか、そういうレベルのところだけの国際化は、百害とは言いませんが、それだけでは駄目なのではないかと思いました。そういう意味では、非常にきょうは刺激的な御議論いただいて感謝いたします。

【西尾主査】  ほかにございますか。どうぞ。

【城山委員】  どうもありがとうございました。
 最初の西尾先生の御整理で言うと、前回は科学技術と社会との関係という点に焦点を当てたときの話、今回は人文・社会科学固有の話ということなんですが。伺っていて、ある種共通のところがあるというのがすごく大事ではないかなと思います。
 盛山先生の25ページあたりのところの話で言うと、根源的課題と社会的課題というのをどうやってつなぐかというのが大事な話で、短期的な社会課題を追うだけではある意味では学問にならないというところがあって、そことどうつなぐかという、そこがポイントだということだったかと思います。今の小林先生のコメントで言えば、あんまではなくて、もうちょっと根源的なことを考えるということにつながってくると思いますし、例えば、前回の議論の中でも、技術の社会実装という話ではなくて、そもそも社会像をどう考えるかなんていう話は、むしろ人文的な話でもありますので、そういう意味で言うと、その根源的と社会課題をどうやってつなげるかというところが一つの鍵ですよというところは、共通のメッセージなんだろうと思います。
 同じく、恐らく竹沢先生の話のある部分にもつながると思いますが、国際的に連携しながら問題設定していくという、英語で発信するかどうかだけではなくて、問題意識というのは、多分多様な人が関わることによって、むしろそこは先鋭化していくんだという、そのプロセスはすごく大事だという点も、多分技術の話を考えていくときにも、それは一つの見方の話ではなくて、どっちから見るかといういろんな見方があり得るので、そういう意味では、この観点というのも、多分技術と社会ということを考える上でも共通なので、そういう意味でも、ある種共通のフレームワーク的なことを考える素材を提供していただいたのかなと思います。
 その上で、恐らくこれは今後どう設計していくかにもよると思うんですが、具体的に、例えば、盛山先生のお話の中で言うと、どういう根源的問いについて考えていくことが、この段階では人文学・社会科学にとって重要なのかという、多少戦略的なことを考えなければいけなくて、そこで盛山先生が挙げられているのが、先進国の社会分断の話と、移民とか文化共生の話で、このあたりをどういう形で課題設定していくかということがすごく重要なのかなという気がいたします。
 一つは、多分、その課題設定するプロセス自身を丁寧にやる必要があるというのが、お二人の御意見の中にもありましたし、何かそういう仕組みを作ることが必要かなというのが一つと、それから、例えば、例に挙げられた話も、これもある種技術の話と接点がないかというと、必ずしもそうでもないところもあって、AIの話について指摘される、近い人としか話さなくなるというエコチェンバー効果みたいなものは、技術の先進化が社会的なコミュニケーション空間をむしろ分断化するみたいな側面があるという話なので、先進国の社会分断の話とつなげることもできるわけなので、そのあたり、どういう課題を具体的に解いていくのかというところを丁寧に作っていくプロセス、場合によっては、そこに国際的な問題設定も入れながら作っていくプロセスを、仕組みを作ってみるというのが、今後の具体的なステップとしてはすごく重要なのではないかなという感想を持ちました。
 以上です。

【西尾主査】  どうもありがとうございました。
 ほかに御意見等ございますか。永原先生、それから、相澤先生という順番でお願いいたします。

【永原委員】  ありがとうございます。
 お二人のお話を伺って、知の体系という内在的な問題、盛山先生がお話ししてくださったのと、特に竹沢さんが御指摘くださった、特に評価の在り方が大変よく理解できました。学術会議においても、人文系による評価の在り方という報告が出ましたけれど、それの本質的な点が理解できました。
 前回、私は欠席してしまったのですが、本来であれば前回の議論にあるべきだったかもしれないのことにつき発言させていただきます。人文学,社会科学のミッションは何なのだろうというところから自分なりに考えてみたときに、確かに内在的な問題ではあるかもしれませんが、それとは異なる状況が生まれているのではないかと思うのです.現在日本では科学技術がすごく進み、社会を先導しています。1900年代でしたら、それは経済発展をもたらして社会を裕福にする、そのことが個々人をも裕福にするという暗黙の了解の下で社会や個人が成り立っていました.しかし2000年代になってはっきりしてきたことは、ITが進歩し、その結果情報が集中,それが貧困化とか、一部への富の集中という形で社会構造に影響を与えています。それから、ITの進歩の結果、子供時代にゲームばかりやっていて成長してからまっとうな人間関係を築けないとう形で、個人の存在そのものに極端に影響を与えるようになってきています。あるいは、医療技術の発展が超高齢化や生殖医療の問題を生んで、これもやはり社会構造そのものに大きな影響を与えるようになりました。これらのことを考えると、技術の発展が、これほど本質的に人間の存在、社会の豊かな発展ということと矛盾することが、2000年以降非常に明確になってきたということだと思います。
 こういう問題に対し,人文学・社会科学が、自分たちは何を研究すべきかとか、体系をどうやって作るべきかということを、もっとエクスプリシットに語るべきではないでしょうか.今の技術の進歩と社会構造、それから、人間という問題を、もっと大上段に、矛盾する存在としてとらえ,今後これは良くなることは恐らくないと、1970年代から80年代ぐらいには、技術の進歩は社会を豊かにする、人間を豊かにするものと思ったのが、そうではないという大前提で、学問、人間の在り方とか、社会の在り方とかという問題を捉えて、新たな体系を作るとかということが必要な時期なのではなかろうかと思うのです。恐らく社会が求めているのも、そのような問題の考えかたそのものではないでしょうか。それは文系と理系の連携とか、共同研究とかという次元ではなく、問題設定そのものから、是非考えていただきたいと思います。

【小林(傳)委員】  それはショートコメントさせてください。

【永原委員】  私は理系の人間ですので、全く勘違いしているのかもしれませんが,人文・社会学はどうあるべきかということは具体的には、盛山先生のおっしゃることや竹沢先生のおっしゃったような問題に多分なるのでしょうけれど、今後、我々がこのワーキンググループでどういうことを考えていくかというときが、是非、この問題を議論できたらよいのではないかなと思います。
 ただし、人文学・社会科学の先生たちが、いや全然違うんだとお考えかもしれないので、是非御意見を伺いたいと思います。

【西尾主査】  永原先生が自然科学系の研究者として、勇気を持って今言っていただきまして、ありがとうございました。どうぞ。

【小林(傳)委員】  いや、勇気というか、そういうことを是非言っていただきたかったんです。本当に。
 と言いますのも、おっしゃるとおりの歴史認識で、1970年前後に、実はもう欧米ではSTSという分野が立ち上がってくるんです。Science, Technology and Societyという研究グループが。そういうものが日本ではほとんど立ち上がらなくて、2000年ぐらいに、私とか、そこにいらっしゃる城山さんとかで、そういう研究分野が必要だというので、学会を作っているんです。テクノロジーアセスメントなんていう思想も、70年代にアメリカで出てくる思想です。そういった社会の中で科学技術をどういうふうにステアリングするか。つまり、アクセルしかなくて、ブレーキとかハンドルのない科学技術は危ないじゃないかという議論は、その頃から始まっていたわけです。
 ところが、どうもそれは科学技術を規制する邪魔ものであるという印象が日本社会では強くて、そういうものはあんまり重視されなかった。さすがに、最近になって、いろんな問題群が起こってきているので、そういう分野が必要だという議論はあるのですが、どういうタイプの人間がそれができるかというときに、ある程度科学技術のことが分からないといけないと。同時に、人文・社会的な議論のスタイルというか、理論体系をある程度分からなくてはいけない。そういう人材をつくるのが日本は下手なんです。だから、大学院のところで、そういうことのできそうな人間をつくっているのは、東京大学の駒場にあるぐらいで、あとは、やっぱりもうちょっと狭くなってしまっているんです。ですから、そういう人材がうまく供給されていないし、その人材の就職先もそれほどないと。
 日本は何をやってきたかというと、問題が生まれるたびにそういう議論が必要だというので、時限で特別にお金を付けて、ざっと研究して、お金が切れたらそのグループが消えるということを繰り返している。ですから、永原先生おっしゃっているようなことを日本で本当にどうするかは、是非考えるべきだと私は思います。ありがとうございます。

【城山委員】  すみません、関連することで一つ。

【西尾主査】  できるだけ簡潔にお願いします。

【城山委員】  ちょっと今の観点で違うことを言うと、おっしゃられたトレードオフがある中で、どう生きるべきかというのが重要な課題だということですが。すごくラフに言いますけど、ある意味で、人文・社会科学はそういう問題を考えてきた世界だと思うんですね。私は法学部にいますけど、例えば、政治思想の歴史といった分野においては、デモクラシーは必ずしもいい制度ではないわけですね。何世紀以上にわたり議論してきて、レッサーイーブルなんですね。相対的にベターだという話で、いろんなジレンマがある中で、これでもしょうがないかなというもので出てきた話であるわけです。ジレンマに直面せずに、特定の価値観だけでこれがいいと思い切れる人というのは、多分、人文・社会学をちゃんと研究した人にはいない。世の中はジレンマもあるし、板挟みもあるし、いろいろ厄介だよねということが人文社会科学における本来の世界なので、実は、科学技術の人たちがそういうことを認識していただいたというのは、人文社会科学と共有フィールドに入れる話なんです。そこはまさにそういう場をどうやって作っていくかという話であって、ある意味では、もともとそういったところを持っていた学問である人文社会科学をどうやって使うのかという、そういう観点で考えていただくといいのかなと思います。

【西尾主査】  先ほど盛山先生の方から、何らかの大きな課題設定をして、今後議論していくということが非常に大事だと言っていただきました。また、その課題設定については、十分検討し、慎重に行うことが大切だという意見も出ました。今後、意見が出ているような課題をきっちりと設定して、関連分野の研究者が皆で議論していくことを、待ったなしで始めることを検討するということでよろしいですか。

【盛山副所長】  一言、それについていいですか。
 今、永原先生がおっしゃったテーマは、実は現在、特設審査領域の中で設定したテーマではあるんですね。ただ、ちょっと悲観的なことを言うと悪いんだけれども、どうしても予算規模とか、その他の問題から、やっぱり個々の研究は、そういうテーマには取り組んでいらっしゃるんだけど、実際に見ると、そのある種の周辺といいますか、個別的なところにどうしても落ち込んでいるという傾向があるので、それを真正面からアタックするような研究に育て上げるには、ちょっと別の工夫を考えなければいけないと。

【西尾主査】  相澤先生、先ほどから待たせておりますが、どうぞ。

【相澤科学官】  このワーキンググループが、人文・社会科学の振興だという、もう一回その観点に戻って、私が感じたことを申し上げます。課題の設定とかに関して、今までの議論は全く異を挟むものではないのですけれども、人文系とか社会科学系、いずれにしても、ものすごく情報技術が進んでいる中で、学問の方法論がどれだけ進化しているのかということに関して、ちょっと足元を見直してみてもいいのかなと思います。
 今、機械学習とか深層学習とかのツールというのはものすごく簡単に使えるようになってきています。その状況の中で、人文系あるいは社会科学系ってデータの宝庫であるので、自分の方法論の中に取り込んでいくということができるのではないかと思います。
 私がごく最近参加した会議で、ある人の話を聞きました。その人は、ソーシャルメディアの解析をしながら、アメリカの選挙の話を議論していました。その人は、コンピュータサイエンス出身の人でした。そこでテクノロジーとして新しいことを言っているわけではなくて、政治の話をしていいました。しかも、UCLAの社会学系の先生になっていました。そういうある種分野横断的な形で人が動き、方法論を変えながら議論を進めていくような方向もあると思ったという次第です。

【西尾主査】  多分その話は、後で家先生の方からいろいろな事業のことに関するお話で出てくるかと思います。
 喜連川先生、先ほど手を挙げておられましたので。

【喜連川委員】  永原先生が勇気を持っておっしゃったのは、本当にそうだと思っていて。でも、僕には言えないなと思って。科学系、理系で難しいと思うのは、みんな人文の先生考えてくださいというのは、どういうふうにものを考えるかというと、例えば、袴田事件が解決したというのは、やっぱり科学技術なんですよね。DNAであれは解決した。ですけど、今回のブレキシットもアラブの春も、これはITが生み出している。両方もポジティブサイドとネガティブサイドが非常に難しいコントロールの中にあります。
 この辺が、小林先生がおっしゃっておられますように、本当にいいのかというところを、実は我々も問いたいわけですね。本当にいいのかというのを学ぶことで、どうやればいいんだろうかというと、原則過去をふり返るしかないと思います。過去って何なのかと言いますと、例えば、大きな地震を研究している人だって、過去に大きな地震ってそんなになく、台風も大きいのは1年に数個しかない。そうすると、非常に少ないサンプルでプレディクトするというのは、みんなやっている話なんで。コンピュータで何かおかしいことが起こるかといっても、ITの歴史って、まだ50年プラスアルファぐらいしかないんです。
 ということは、もう一度違う前のテクノロジー、例えば、T型フォードが出たときに、何でミシュランがあんなふうにいっぱい道路交通標識を自分たちで作ろうとしたか。ああいう社会的な行動、つまり、人とか社会というものに対してどういうインパクト係数を、過去のテクノロジーの進歩が介入していったかという、そういう歴史観の下にextrapolateする。そのときのよすがが、我々は多分、永原先生よりもうちょっと具体的なリクエストという感じなんですけれども、それを人文・社会の先生方に求めているのかもしれません。
 そのextractionは、実はデジタルで相当できます。さっきおっしゃられた20人のとがった分野とおっしゃられましたが、理系では当たり前の話で、20人以下しか分からない数学の先生は、多くおりますし、15年ぐらいしないとリファレンスが増えないこともめずらしいことではありません。むしろデジタルで社会や人に対してどういう変容を与えた、インパクトがあるとかというのを、もっとデジタルにシステマティックにするというのが、Society5.0の世界の中で考えるポイントではないかなという気がします。

【西尾主査】  貴重な御意見、どうもありがとうございました。ちょっと視野が開けたような気がします。どうぞ。

【竹沢教授】  御指摘の件ですが、雑誌のインパクトファクターを書けと言われたりするとそういうところに全く反映されないというコンテクストで人文学の多くの人が出版しているのですね。例えば、日本研究の人は、翻訳してもどうしてもレベルが落ちてしまうとおっしゃいます。そうすると、レベルを高くすると読む人が少ないというマーケットの問題があります。本の出版社を探すのが難しいという問題です。そういうコンテクストで述べたと御理解いただければと思います。
 それから、データベースの構築。この委員会でも話されてきていて、そういうのもすごく大事だと私自身も思うんですけれども、そういうテクノロジーに引っ張られている議論でないこと祈りたいというか、やっぱり人文学というのは、理系ももちろんそうですけど、非常に多様で、その多様性というのが何かで一つというふうにすると、他のものが弱体化していくということに対して、少し危機を持ちます。
 それで、文理融合は、なかなか考え方の違いがあり、難しい場合も多々ありますが、うまくいくコツは、やっぱり重鎮に一人加わっていただくことだと思います。そういう重鎮の人と、若手を含めて、そういうコラボの在り方がもう少し増えていくと、ハードルが下がる現実的な方法かなと思います。

【西尾主査】  次のテーマに関する家先生の御発表に移りたいのですけれど、喜連川先生は、多分、多様性ということとデジタル化ということは相反しないということをおっしゃりたいと思うのですが、どうぞ。

【喜連川委員】  そうですか。僕、手を挙げてないんですけれども。
 じゃ、一言だけ、重鎮について言いますと、西尾先生も私もコンピュータの研究をした。35年前に。そのときにコンピュータをやっている人なんて誰もいないですよ。重鎮なんていないんです。重鎮がいないところで研究をみんなやっていくのが、もう科学をやっているというか、自然、理系の当たり前の話なんですよね。重鎮がいなかったらできないとおっしゃったら、それは若い人をエンカレッジしていることにならないんじゃないかなと思いますけれども。
 というようなことをもう少しマイルドに。さっき小林先生に御反対の雰囲気でしたので、是非コメントをお伺いしたいです。

【小林(傳)委員】  テクノロジーと社会の関係の歴史というのは、まさしく人文学がやってきた例で、実はテクノロジーというのは必ずしも中立ではないということがあんまり理解されていないんですね。
 例えば、アメリカでレジャーランドができて、そこへ到達する道に山があって、トンネルを作るんですが、そのトンネルの高さは、かなり高さが低いんですわ。なぜそういうトンネルが設計されたかというと、自家用車しか通れない高さなのですね。その当時のアメリカの社会で、貧乏な黒人たちは、ボンネットバスみたいなやつに乗っていくしかないんですが、そのバスは通れないんですね。そういうふうな設計がされることによって、結果的にその社会の構造が反映されていくような、そういう形で技術が使われるなんていうことはよくあるわけですね。
 そういう歴史を割と細かく探っていくというようなことをやるのは人文学でありまして、最近だと、これはもう多分喜連川先生よく御存じだと思うけれども、顔認証の識別の度合いですね。これは元の学習するデータベースが何かに依存するんですが、白人男性の顔の識別力は高くて、カラードの識別力は低いとか、そういうものがテクノロジーの成果としては普通に出てくる。それを、そういう観点から分析して比較したのは誰かというと、黒人の女性ですよね。
 というふうなことがやはり起こるので、技術というものは、その作成者が持っているその当時の社会の感覚というものと切り離して、ニュートラルというふうに簡単に言えないような性格を持つ部分もある。全部そうだというふうな議論をしてはいけないのでありますが、そういうところも含めて、批判的に見るというのが人文学的なセンスだとおもいます。また、データがたくさんあったときには、それに対しては、データのコストは下がっているわけですから、勝負するポイントは、さえた問いをデータに対して向ける能力のはずで、そのさえた問いを作る能力をどこで磨くかというときに、人文学・社会科学は私は非常に役に立つだろうと。そういうことがこれから大事になってくるのではないかということを言いたいと思います。

【竹沢教授】  一言だけよろしいですか。

【西尾主査】  どうぞ。

【竹沢教授】  私も若いときから20年近く、最初から重鎮がいないところでやってきました。けれども、現実的に、よりうまくいくという意味では誰もが尊敬する人が入るとすごくスムーズにいくという、そういう例として述べさせていただきました。
 問題提起については、人文学から自然に出てくるというよりも、人文学に国際的視点が入り、女性が入り、理系が入りという、いろいろ話しているうちに問題設定が出てくるので、一方向ではなく、キャッチボールによって生み出されるのであり、そのための仕組みを考える必要があると思います。

【西尾主査】  先ほど喜連川先生がデジタルということをおっしゃったときに、竹沢先生の方から、人文学・社会科学系の学術の方法論が理系的な形態に行ってしまうということの恐れをおっしゃったのではないかと思うのです。私はそうは思わなくて…。

【竹沢教授】 それだけでということですね。多様であればいいという。

【西尾主査】  むしろより幅が広がるというふうに是非考えていただければと思います。
 それでは、引き続いて、日本学術振興会の家理事より、人文学・社会科学の振興を目的として、現在、日本学術振興会において実施されている「課題設定による先導的人文学・社会科学研究推進事業」について御発表いただきたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。

【家理事】  ありがとうございます。人文学・社会科学が何に取り組み、どのように取り組むべきかという非常にファンダメンタルな議論がヒートアップしている中で、現実的な話に戻っていいのかなという気も多少しますけれども、一応用意してきましたので、お話しさせていただきます。
 お手元の資料の右下にページナンバーが振ってありますので、適宜スクロールしながら御覧いただきたいと思います。
 最初の2ページのところですけれども、この事業の経緯が書いてあります。左側のピンクで掛かったところに、2012年に報告が出ております。この報告の趣旨に基づいて事業が制度設計されておりまして、右側の一番上にあります「課題設定による先導的人文学・社会科学研究推進事業」というのが2013年に始まり、今まで続いておりますし、それから、一番下の2018年に、データインフラストラクチャー構築プログラムというのが開始されているところです。この二つについてお話をさせていただきたいと思います。
 次のページに移りまして、課題設定による事業ですけれども、報告の中にありました三つの視点というのがございます。釈迦に説法になりますけれども、一つは、学問の密接な連携と総合性ということ。それから、学問の要請と社会的貢献ということで、特に実社会にも目を向けたような取組。それから、グローバル化、国際化という、こういう三つの視点です。
 この三つの視点に応じまして、その次の4ページにありますが、三つのプログラムというのが設定されております。一番左のカラムにありますけれども、領域開拓プログラム、これが一番上の諸学の密接な連携に関わるもの。それから、実社会対応プログラム、これが社会的貢献に関わるもの。それから、グローバル展開プログラム、これがグローバル展開ですね。それぞれのプログラムの概要が右に書かれております。
 実際にそれぞれのプログラムをどのように進めているかということですけれども、この事業を中心になってステアリングしている事業委員会というのがございます。その事業委員会でもって、各プログラムの趣旨及び政策的・社会的課題を踏まえて、課題を設定いたします。プログラムごとに3ないし5課題を設定すると。その課題というのと研究テーマというのがちょっと紛らわしいんですけれども、課題というのは、プログラムの趣旨を踏まえた、こういうことに取り組みましょうという問題意識設定ですね。その下にありますように、設定した課題に対応した複数の研究テーマを設定して、研究を実施するということです。
 このやり方には2種類ありまして、一つは、課題に対応する研究テーマを事業委員会の方で設定するというやり方。それから、二つ目の方は、課題を設定して、それを広く提示して、研究テーマを公募で受け付けるという、この二つです。
 その次の6ページですけれども、実際には、研究期間としては、各採択されたものは3年間ということで、これは委託事業ですので、業務委託契約を締結して、やっていただいております。
 評価方法ですけれども、研究テーマ設定型につきましては、事業委員会の方である意味推薦するわけですので、その実施者の方針についてヒアリングを実施してやっていると。それから、公募型については、広く公募するわけですので、各プログラムごとの部会において書面及び合議により評価を決めるということでやっております。
 設定型と公募型は、予算の額についても少し違っておりますが、大ざっぱに言いますと、設定型が年間1,000万を上限、それから、公募型が500万で3年間ということです。なお、グローバル展開プログラムについては、予算規模はその倍ということになっています。
 また、研究を3年間やっていただいて、非常に成果が上がった、一層の進展が期待できるという研究テーマについては、評価結果に基づいて研究期間延長もあり得るということで進めているところです。
 次のページに行きまして、年表が書いてありますけれども、三つのプログラム、スタート時点から基本的に1年ずつずれながら、それぞれのプログラムが3年間続くという形で進んでおります。スタート時にちょっとイレギュラリティがありますけれども、こういう形で進んでおりまして、それぞれ、その下の表にありますように、設定された課題数は3ないし、多いところでは6ということで、それに対する応募数もこのぐらいで、それなりのコンペティションがあるということです。設定型のものと公募型のものがあります。最近では、テーマ設定型を、設定しないで、全て公募でやるというやり方もとっているところです。
 このようにして採択された具体的な研究テーマは、一番後ろの参考資料のところに全て一覧として出ておりますので、後で御覧いただければと思います。次のページ以降では、三つのプログラムの中で、具体的な成果が上がったものを、幾つか例として出しております。
 「領域開拓のプログラム」では、神戸大学の石井先生のプログラムで、これは社会心理学・文化心理学ですけれども、遺伝子解析とか内分泌学といった自然科学の手法も援用して、新しいアプローチで取り組んだもので、これは評価も高くて、実は研究期間の延長が認められて現在も研究が継続しております。具体的な研究の内容についての説明は、割愛させていただきます。
 それから、「実社会対応プログラム」につきましては、これは特に実務者も入れて取り組むというようなことが言われていまして、代表例として、中央大学の阿部先生のプログラム、これは労働経済学の分野ですけれども、少子化社会というのは非常に大事なテーマですので、それに取り組んでいるということで、実務者と研究者が協働することで、社会に有益な効果をもたらすような具体的な提言を行うということに取り組んでおられます。
 それから、グローバル展開プログラムの方ですけれども、これも多様な研究テーマが進行しましたけれども、一つだけ例を挙げますと、これは東京大学の水島先生の研究ですが、アジア歴史空間情報システムの構築・公開ということで、南インド地域における、非常に深く切り込んだ研究がなされているということでございます。
 以上、この課題設定による研究推進事業というのは、2013年からスタートして、それなりに何サイクルか回ってきて、定着しているかなと思います。予算規模がそれほどでないのが申し訳ないところではありますけれども。
 次に、14ページのデータインフラストラクチャー構築プログラムは今年始まったところであります。これも先ほどの報告に基づいて、人文学・社会科学のデータインフラストラクチャーをきちんと構築していかなければ、また、それを国際的に発信していかなければいけないということで制度設計がされているものでありまして、具体的には、真ん中に船の舵取りの舵輪のようなものが描いてありますけれども、真ん中に中核機関というのがあります。この中核機関は、日本学術振興会自身が中核機関になり、それから、協力いただく拠点という機関を幾つか設定して、データの共通基盤を整備していくというものです。
 次のページにありますように、今年、拠点機関としてこのプログラムに参加していただけるところの公募を行いまして、結果的にこの四つの研究所あるいは研究センターが採択されました。
 これはまだ始まったところですので、このデータインフラストラクチャー構築がうまくいくように、日本学術振興会の中でも支援のセンターを立ち上げまして、プログラムディレクター、プログラムオフィサーを置いて、この拠点の中心となる方々と密接に連絡を取りながら進めるということにしているところでございます。
 このデータインフラストラクチャー構築プログラムにつきましては、こういうプログラムが走るということで、シンポジウムを今年の10月20日に開催いたしました。そこには、ロバート・パットナム先生、ハーバード大学のデータ分析による社会科学の分析で大変著名な方に御講演を頂きました。
 非常に関心も高くて、参加者も多かったですけれども、こういうデータインフラストラクチャーの問題意識というのは、今まで日本では、とかく研究者が個人で一所懸命データを集めて、それを分析してということがありましたけれども、それをより広く使ってもらえるようなインフラストラクチャーを作ろうと。とかくそういう自分で集めたデータは、ずっと持ち続けて、その先生が定年に近くなると、何とかしてくれという話になるということもあったようですので、この拠点を中心にして、より広く集めてまいりたいと思います。
 それと、日本のこういう人文学・社会科学のデータというものが、国際的に必ずしも認知されていない、利用されていないということもあるようですので、そういう国際発信も取り組んでいこうと思います。
 それから、最初に言うのを忘れましたけど、もちろん、学振では、科研費を通じまして、人文学・社会科学も含めた、あらゆる分野の支援をしておりますので、そういうことがより有効に生きるような形でもって、このインフラストラクチャーというのが生かされればと思っております。
 少し時間が押しているようですので、これで私のお話を終わります。

【西尾主査】  家先生、本当にどうもありがとうございました。
 前回、自然科学、人文学・社会科学の連携ということについて、いろいろ議論を行いました。
 今日は、振興するための固有の課題というようなことから、もう一段掘り下げた議論を行ってきました。その中で、社会的課題の抽出や課題解決を図る共創型のプログラムの実施ということで、家先生からJSPSで行われている事業のことの御紹介がありました。それから、データプラットフォームの重要性などに関する御意見もありました。
 それらを踏まえまして、次回、12月14日に親委員会の学術分科会との合同の委員会を開くことになっております。それに向けて、皆様から、更に今まで議論してきたことで重要なことながら抜けていることがないのかとか、今までの議論に追加すべきことというようなことも含めて御意見を頂ければと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。どうぞ。

【小林(良)委員】  ありがとうございます。
 今の家先生の御発表にありますとおり、【の方では、人文・社会科学にもいろいろな配慮を頂いているということは、よく分かりました。
 ただ問題なのは、家先生御自身もおっしゃるとおり、額の方の話になるんですが、7ページにありますとおり、三つのプログラムが3年に1回ずつ順番に公募しているということで、模範例として出てきている8ページの石井先生のでも、6年間で2,200万というか、1年間で350万というのは、文理融合のこの書かれている研究をするには、相当御自身の個人研究費を入れないと多分できないだろうなという気はします。ですから、この辺をもう少し御配慮いただけると、なおありがたいと思うんですが。
 7ページを見ますと、平成29年度以降は設定型がないというのは、私は、メリット・デメリットあると思います。メリットとしては、今までの設定型はどうしてもスペシフィックなものが多くて、それが応募の数も限られていたのかなと思います。デメリットで言いますと、先ほど冒頭、盛山先生の、もうちょっと知を創発するような大きな課題というのであれば、むしろあってもいいのかなという気はするんですね。もう少しそれが社会の問題を解決するようなものを創発していくと。
 だから、一つ、経済学で言えば、先ほど相澤科学官の方からアプローチの話が出ましたが、社会科学は今7割がデータ分析をやっていますので、そうじゃないというのは今ほとんど少なくなっていますので、その行き着くところが、アマルティア・センまでのノーベル経済学者というのは、全部デリバティブの方から続いたんですね。デリバティブの論文を書くと、いわゆる純粋な学術以外のものでもみんな引用するんですよね。お金もうけに強くなるから。結局、それがノーベル経済学賞を取った人が破産したんで、ノーベル賞委員会も見直して、アマルティア・センになってきたんですけれども。やっぱりそういうような、もう少し社会科学あるいは人文・社会科学にパラダイムチェンジを起こすような大きな課題というのであれば、私は設定していただいた方がむしろいいかなという気がします。
 すみません、もう1点だけ申し上げたいこと、それがデータインフラストラクチャーなんですが、こういう事業をやっていただいたということは大変ありがたいと思っています。私も何十年もこれが必要だということを申し上げてきたんですが。多分、私の声はあんまり関係ないと思いますが、やっていただいて大変いいと思うんですが。
 一番重要なのは、どこにストックするかなんですね。これがJSPSさんで全部受け皿で受け止めていただけるならば非常にありがたいと思うんですけれども。そうなのか、あるいは、そうでないならば、NIIで受け皿。
 これはどうしてかというと、一つだけ言いますと、いろんな国際ジャーナルのエディターをしていると、今、研究施設は非常に多いんですね。残念ながら、中国、インドに続いて、日本が論文取り下げは多いです。そうなってくると、今はほとんどが、論文で使ったデータが公開されているURAを付けるか、そうでない場合は、データを添えて投稿しないといけなくなっています。それが日本がないので、国際共著というのは、なかなか日本人を入れにくくなってきています。だから、それが、例えば、JSPSの方でストックがあって、URAを出していただけるのか、NIIで、受け皿は御専門ですから、容易に作られると思うので、コンテクストをみんながそこへ入れ込むような形で、URAで出せるのか。そうでないと、本当に日本の国際的な研究の位置付けというのがどんどん低下していってしまうので、この事業は大事だと思うんですが、加えて、最終的な出口として、どの辺をお考えなのかというのを伺えればと思います。

【西尾主査】  小林先生、どうもありがとうございました。
 小林先生からおっしゃっていただきました、先ほど来出ている人文学・社会科学の振興に資する大型の課題設定、及び関連の大型プロジェクトを考えることが必要と考えておりますので、そのことに関して是非御検討いただければと思います。
 もう一つ、最後におっしゃったことも重要でして、これは研究振興局の喜連川先生が主査をお務めの学術情報委員会でも、関連することをいろいろと議論なさっていると思いますが、そこに委ねてよろしいのでしょうか。

【喜連川委員】  丸山室長もおられますし、磯谷局長もおられますので。
 今、このいわゆるオープンサイエンスのカテゴリーの中で、先日も盛山先生にパネル討論で御一緒させていただいたりしましたように、理系にとどまらず、文系におきましても、エビデンスとしてのデータをどういうふうに維持していくかというのは、非常に重要なポイントになっております。
 私、その前に話したかったなと思いますのは、このデータのプラットフォームって、私、非常に重要だと、心からエンドースしたいと思っておりまして。それはなぜかと言いますと、これは全ての学術分野で原則データをきっちりと整えるということにかかる時間が、全体の概ね8~9割かかります。つまり、論文を書いているのは、残りの1割か2割です。したがって、誰かがやったデータをどれだけうまく活用するかというのが、これからの競争原理の中核になるのは、もう火を見るより明らかです。
 したがって、そういうプラットフォームを国家としてどう作っていくか。中身のキュレーションといいますか、データを整備するところは、これ、分野でもちろんおやりいただかなくてはいけないわけですけれども、そういう場そのものの整備というのは、もうこれは国家的な課題で、丸山室長おられますけれども、学術情報委員会で随分議論しておりますし、小林先生から大変温かいお言葉で、NIIはやらないつもりなんですかとおっしゃられ、NIIは随分やってきていますので、これはちょっと失礼な言い方かもしれないですけれども、IT的にヘビーな部分もありますので、そういうのが得意な私どもがお手伝いするのは全然やぶさかではないんですけど、NIIも貧乏な組織ですので、どうすればいいかというのをまた具体的に検討していきたいと思いますし、是非、磯谷局長にお考えいただきたいのは、高エネがあり、天文があると。多分、人文・社会で扱うデータなんていうのは、それに比べると極めて少ない量しかないんですね。ですから、全然ボリュームとして気にする必要はないんです。ボリュームとしてのコストを気にする必要はありません。ですけれども、データ当たりのマニピュレーションとかプレパレーションコストは相対的に上がりますので、そのメカニズムを分野でお考えいただきながら、我々はコラボレートできればなと思っています。

【西尾主査】  喜連川先生、ありがとうございました。
 家先生。

【家理事】  ありがとうございます。
 まず小林先生に、二つの事業についてコメントいただきまして、ありがとうございます。
 最初の課題設定の方は、まさにおっしゃるとおりで、我々ももう少し予算規模が上がればなと思っていますし、また、これだけではなくて、例えば、科研費の特別推進とか、新学術とか、あのような大規模なものに人文学・社会科学の方も積極的に応募していただくというのが一つあるかと思います。一方で、それを誰が旗を振ってお世話をするかというのは、なかなか難しいところなのかなとは感じております。ですから、課題設定の事業については、是非、学術分科会の方でも声を上げていただいて、予算が伸びるようにしていただきたい。
 それから、データにつきましては、先ほど説明をはしょってしまいましたけれども、今の制度設計では、データそのものは、各拠点のところで面倒を見ていただくというふうな制度設計にしています。中核機関たるJSPSは、そのデータ、それぞれの拠点機関で保存・共有しているデータを一括検索できるような仕組み、システムを構築するということをやろうと思っています。この方式がベストかどうかというのは、やってみないと分からないので、またその経験を踏まえて改めて議論になると思いますけれども、とりあえずはこれでスタートするという制度設計になっております。
 先ほど申し上げたシンポジウムで、渡辺課長から大変叱咤激励を頂きましたので、これは心を引き締めて取り組んでいきたいと思っております。

【西尾主査】  どうもありがとうございました。どういうシステムが最適なのか、ロングレンジで考えた場合に良いのかということも含めて、是非とも御検討いただければと思います。
 どうぞ、永原先生、それから、小林先生という順で。

【小林(良)委員】  今の議論について。手短に。
 私はやはり1か所に置かないと駄目だと思います。それぞれのコピーでいいのですが、1か所に置く。なぜかというと、社会科学はタコツボ化しています。政治学一つ取っても、議会研究は議会研究、何は何研究。融合的な研究は出てこないのです。融合的な研究を生み出すためには、データが1か所にあって、一つのプラットフォームの中で使えるようにしないと、それぞれの研究機関に置いて、それぞれの研究機関がそれぞれのプラットフォームでやっているだけでは融合的な研究に発展していかない。
 やはり一つのところで、一つのプラットフォームで融合的に使えるものを是非、JSPSかNIIでお考えいただきたいと思います。

【家理事】  議論するつもりはございませんけど、フィジカルにどこに置くかという問題と、バーチャル空間でもって、どこでアクセスできるかというのは、また別だと思いますので、そこは今後やっていきたいと思います。
 今むしろ問題だと思っているのは、そういう生のデータをアクセスして使えるような形にするという、データを整えるところですね。そこは研究者に全部やれと言っても非常に大変なことなので、各拠点のところでやっていただくことを考えています。やはりそれぞれの分野でのデータの使い方というのはあると思うので、それぞれの分野を担う拠点にお願いしようと思っております。

【喜連川委員】  ちょっとだけショートコメントですけれども。多分小林先生がおっしゃっているのは、非常に多様なツールキットというのが、個別ではなくて、かなりシェアラブルなんですね。ですから、こちら側でお作りになったツールと、ちょっと横で使うみたいなという意味で、原則世の中のトレンドはコンソリデーションです。その方がベターじゃないかなという気はします。

【家理事】  多分そこは、ある程度進めば、その次の段階でいくのかなというふうに私は思っているんですが、そうでもないですかね。また議論で。

【喜連川委員】  また御議論させてください。

【西尾主査】  永原先生、どうぞ。

【永原委員】  小林先生が最初に御指摘された方の、それから、きょうの前半の議論とも関わることで、もうちょっと根源的課題という。竹沢先生の発表から感じたことは、それは現在、日本学術振興会がやっている3年間なんていう、こういう事業ではなくて、もう少し大規模に、もうロングレンジでやる。つまり、日本での人間とか社会の根源問題に関わるような部分を、人文・社会の人がもっと積極的に本当に研究を展開しようと、その体系を作るところからやってくださいみたいなことなので、これはとても現在の学振事業の範囲では収まらないと思うので。それとか、特別推進研究とかみたいな。特別推進研究なんていうのは、ある程度実績のあるところでしかできませんから、とても特別推進研究の中ではできないので、やはりこれは文部科学省の方で、むしろ別のきちっとしたプログラム、これは日本の人文学・社会科学の根本に関わるようなものだからというので、やはり別立てに議論すべきではないか。今の家先生の議論の中に溶かし込めるものではないのではないかという気がいたします。
【西尾主査】  それも踏まえて、是非今後考えていただければと思います。
 渡辺課長、よろしくお願いします。

【渡辺振興企画課長】  1点、データプラットフォームの事業についてです。これは今年度から、飽くまでもJSPSの運営費交付金の事業の中で、2億円という経費で始まりました。これまで本当にできなかったことに着手したというところに意味があって、なおかつ、最終的に今の形態がベストとは一切思っていなく、先ほど小林先生がおっしゃったように、事業を始めた我々でも、議論している過程でも、決して分散型ということを想定しているのではなくて、本来ならば、やっぱり1か所にちゃんとしたものが必要であろうという意識は持っています。
 しかしながら、今それを担える機関がまずないので、その議論も含めて、この5年間のうちに一定の方向性や結論を出していかなければいけないと思っています。

【西尾主査】  渡辺課長、どうもありがとうございました。どうぞ。

【庄田委員】  きょうの議論と前回の自然科学と人文学・社会科学の連携の話も踏まえたコメントです。本ワーキンググループの設置目的は人文学・社会科学の振興のための具体的方策の検討ですが、JSPSの家先生の資料の2ページを拝見すると、文部科学省から人文学及び社会科学の振興について、2002年・2012年に報告がなされ、学術分科会の2015年の「学術研究の総合的な推進方策について(最終報告)」の中にも「人文学・社会科学の振興」が盛り込まれています。企業人の私から見て、いかに振興策に具体的な実効性を持たせるかというところが非常に大事ではないかと思います。
 その意味で、JSPSでは、これまでの報告に基づいて、幾つかの振興プログラムを展開されているということでした。このワーキンググループで振興の具体策を考える上で、ステークホルダー別に、誰が責任を持って、何を進めていくのかが重要と思います。文部科学省が中心となり進めていくもの、JSPS等のファンディングエージェンシーが進められていくもの、大学などの研究主体が進めていくものに分けて考えていってはと思います。
 また、本日、盛山先生が提案された人文学・社会科学が中心となった大型プロジェクトは、このワーキンググループ設置の趣旨にある「共創による未来社会のより良い実現」を目指すことにもつながることになると思います。大型プロジェクトを実効的に進めていくために、次回、具体的な深掘りした議論ができればと思います。

【西尾主査】  どうもありがとうございました。非常に重要な観点で、これから御指摘いただいた方向性を持って議論し、それを実践していくということが大事かと思っております。
 時間が来ておりますので、磯谷局長、何か御意見やコメントを頂けたらありがたく思います。

【磯谷研究振興局長】  遅参してすみません。ありがとうございました。
 私がこちらに参加してから大きく二つあったと思うんですが、一つは、先ほどの喜連川先生が提起されていたデータベース、あるいはリポジトリの話でありますが、これは小林先生もおっしゃったように、余り日本としてものんびりしておられない状況ですし、しっかりそれを作っていく必要がありますし、喜連川先生がおっしゃったように、いわゆる形式なりフォーマットなりも含めて、分野ごとの特性もにらんで、恐らくこれは学術情報委員会での議論ももちろんそうですし、しかるべき段階では、学会なり日本学術会議とか、そういったところを巻き込んでやっていく必要があるのかなと。その辺はうまく制度設計してやっていかなければいけないなと思っております。
 それから、もう一つの論点は、先ほど大規模プロジェクトの話が出たんですが、これはまさに私が言いたかったことを庄田先生が言っていただきまして。まさにどういうふうに実現していくかというのは大変悩ましいところで。端的に言って、今、永原先生がおっしゃったんですが、JSPSが主体としてやる方が良いのか、あるいは、また別のツールでやった方がいいのかということも含めて、あるいは、科研費で今までやってきたようなことで、竹沢先生がおっしゃったことが本当にできないのかどうかの点検も含めて、いろいろ検討、議論していかないといけないのかなと思っていますが。事柄としての重要性はよく理解しておりますので、また引き続き議論いただきたいと思っています。

【西尾主査】  きょうは、盛山先生、それから、竹沢先生、本当に示唆に富む御発表、どうもありがとうございました。また家先生から現況の報告も頂きまして、どうもありがとうございました。
 それと、皆様方から様々な貴重な御意見、コメントも頂きまして、活発な議論ができましたことを心より感謝申し上げます。
 本日頂きました御意見を踏まえまして、次回、12月14日のワーキングと学術分科会との合同委員会に向かいたいと思っておりますので、どうかよろしくお願いいたします。
 時間となりましたので、本日の議題は終了させていただきますが、事務局から何か御連絡はございますか。

【春山学術企画室長】  次回は12月14日、学術分科会本体と同じタイミングで開催するということで、詳細については、また追って御連絡させていただきます。

【西尾主査】  それでは、どうもありがとうございました。

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