資料3-1 これまでの意見まとめ

 

1)国際的な学術ネットワークへの積極的な参画

○Inter Academy Councilの「Responsible Conduct in the Global Research Enterprise」では、現在、途上国がどんどん研究費や研究者を増やし、サイエンス自体がコマーシャル化される中、世界標準的な科学のやり方(レビューシステム、学会の在り方、ジャーナルの在り方、大学の在り方)等の枠組みをまとめている。こうしたものを大学等々で教育の素材にすべき。これからは、国連やユネスコ、OECD、アカデミーの動きに加えて、インターナショナルなフォーラムも様々に動いていく。こういったものが動くにあたって、ネットワーク化が大事なものになっていくのではないか。

○世界の動きは非常に緊迫感があり、科学者が自らスピード感を持って新しい時代をいかに作っていくかが密に語られる中、日本の声がほとんど聞かれず、かなり危機感と違和感を持っている。日本はかなり緊迫感を持って世界へ参画し、コミュニケーションをとっていかなければならない。

○国際コミュニティーに、日本人はもう少しコミットしていくべき。例えばシンポジウムでも、呼ばれたから行くのではなく、自分たちがオーガナイズして招致することが若手にとっても大事。

2)人文学・社会科学の振興

○「World Social Science Report」では環境問題を扱っており、これは世代間の資源配分問題で、哲学的な問題も入っているが、昔から哲学者は将来にかけてのデザインには踏み込んでこなかった。しかし今まさにソーシャルサイエンスでは、サイエンスポリシーに対する社会学的研究により将来評価のフレームを作るなどしている。日本はこうしたフロンティアに出ていっておらず反省点が多いが、これも将来の道のりを考える上では非常に重要であり、こうしたフレームワークに関して、人文社会科学についての目配りを入れて頂きたい。

○人文学・社会科学の研究は金がかからないとよく言われるが、実際には科研費の申請数は人文学・社会科学において増加しており、例えば考古学などは費用が大変かかる。さらに、例えば本屋さんの書棚を見れば人文学・社会科学系のものがずらりと並んでいるところに見られるように、一般国民に対して人文学・社会科学がかなり影響を与えており、それがさらに国際取引や会議に自然に情報を提供しているなどの効果はある。また、日本に関する言語学や歴史学など、日本語による研究が世界一のものもあり、外国人が日本語を勉強するという期待を持っても良いのではないか、という意見もある。さらに、人文学・社会科学は国際的なプレゼンスが弱いとよく言われるが、英語で発表すればよいというものではなく、英語で論文や本を書くよりも日本語で書いた方がよいよいものを多く書けるという意見もある。

○人文学・社会科学のハイレベルな研究が行われる国は力がある国であり、日本はアジアの中でそういう役割を担うべき。その際に人文学・社会科学の研究者はお金がかからないとよく言うが、それは遠慮であって、本来は人文学・社会科学にこそ持続的・安定的な研究環境を整える必要がある。

○人文学・社会科学の研究については、金が「かからない」のではなく金が「ない」のが現状。実際には基盤的経費が減少し、研究者等の給与を払うのでやっとであり、研究費自体は理系の間接経費から引っ張ってくる形でまかなうしかない。またスローサイエンスを支えて行くに当たって、デュアルサポート・システムが非常に重要だが、現実にはデュアルサポートがちゃんと研究者に届くようなシステムを作れるかどうかが大きな課題になっている。

○人文学・社会科学はお金がかからないと言われ、相対的に見るとその通りであるが、「ヴァナキュラーな価値」を踏まえて言うと、人文学・社会科学は、静寂な環境と国際的なヒューマンネットワークの中で研究を深めていくものであり、それを保障することは国際交流のための人の移動コスト以上に価値があり、その意味において人文学・社会科学を安い分野とは思ってほしくない。また、特に社会学者は、動きつつある社会のデータ化のために継続的な研究助成を必要としているが、それが非常に短く切られており、国際的に後れをとっている。

○中間報告は自然科学の基礎研究分野のみ意識しているように思える。国際的な競争力が問われている中、経済や文学などの人文学・社会科学における日本の競争力向上も重要ではないか。

○学術も森と同じように「ヴァナキュラーな価値(一般市場で売買できない恵み)」を持っており、研究者の自由な発想、創意、情熱等が一番の活性力のベースである。こうしたいわば学術の森についても、自然活性力を誘引するためには学術政策は当然必要。国家や指導者の立場に立った学術政策の審議も必要だし、個々の研究者のコミュニティ保護の問題も重要。こうした特性を持つ学術の森全体の中で、人文学は「教養」という地面、土台であり、地味で日が当たらないものであるが、重要である。感性や思考力、言語性や歴史観、倫理性等を養い、自然科学者等、全ての研究者の内的活動を支えている。

○学術施策は学術の森にとって重要な役割だが、イヴァン・イリイチの言う「逆生産性」に留意する必要がある。学術研究においても、イノベーションに対する社会的期待が大きくなる中で、競争が加速化し、課題達成や業務遂行の要素が大きくなり、自由で内発的な研究動機が希薄化してしまう恐れがある。

○共同研究・学術の連携など、あるいは理工系分野のプロジェクトに人文学・社会科学が参画することには留保条件をつけたい。人文学・社会科学の中には固有の研究分野で非常にソリッドな研究をしながら光の当たらなかった部分が非常に多数あり、それを補強するのが人文学・社会科学への振興助成の主眼であるべき。それが成功して初めて自然科学との連携やミーニングフルな共同研究が期待できる。

○人文学・社会科学の多くは、雑誌論文よりも著作の形で研究成果を評価しているため、単年度での業績評価は必ずしも実態を反映せず、研究業績が正当な評価を受けるまでに数年以上の期間を要することも多い。このため、引用頻度やインパクトファクター等の数値尺度は的確な評価の手がかりになりにくい、人文学・社会科学の有用性を測る時間的スケールは、自然科学系の学術と異なって遥かに長く、スローサイエンスとしての独自のアイデンティティを確立して、固有の評価制度を確立するべきである等の意見が出されるが、代替的な評価制度が提案されたことはない。代替的な制度を持たない限り、研究助成のメカニズムは動かない。

○人文学全体に関して言えば、やはり研究の多様性を確保しつつ継続性を如何に確保するかという問題が非常に重要な点。

○人文学・社会科学の研究においても、評価は究極的には人事であると思うし、ある期間をおくとその世界を変えるような研究成果が出てくることも時々ある。一方、毎年、よいものを選出して賞を与えるという取組も少しずつ進んできており、それが日本学術振興会の振興会賞である。「リスク社会」報告から出てきた課題設定型の事業は、自由度を持って良い研究を探せる枠を頂いている。科研費とは異なり、議論の上で委員の提案があり、その中で具体化していくので、新しい領域を改革する可能性があって非常によい。

○今求められているものはシステム的なものが多いように思う。その中で、いわゆるコア技術のようなものが我々に返ってくるには人文系の部分も必要。出口に繋げるためには、技術を中核にしつつも全体的に考える必要がある。橋渡しで繋がるものもあれば、人文系を挟むことでつながるものもある。

○イノベーションを起こす人材を育てること、カルティベイト、耕すことが重要であり、耕す人を育てることが重要。大雑把に言うなら、文化を育てるのが人文学・社会科学であり、その上に自然科学が成り立っている。また一言で人文学・社会科学と言っても、人文学は個々の頭で考えるもので、社会科学は集団の中で考えるもののようなイメージがあり、これらをベースとして自然をどう明らかにできるかを考えるのが学問のあるべき姿のような気がする。特にヨーロッパはこのような発想が強く、人文学・社会科学と自然科学を切り離さないで考えている。

○人文学・社会科学がイノベーションに「貢献」すると言い切るのではなく、人文学・社会科学にはどういう意味があるのかを示すことが必要。人文学・社会科学的な素養が自然科学を動かしていくという考え方が重要。

○スローサイエンスだけでもなく、目先のものだけでもない部分を考える必要がある。人文学・社会科学がないと困るとよく聞くが、なぜ困るのかを考えて書けると良いのではないか。「役に立たないものでもとりあえず必要」という姿勢や、「太陽のようなもの」と言っても通用しない。

○課題解決をしないサイエンスの在り方を、人文学・社会科学が示す必要がある。その時にも評価が重要となってくる。一つの指標で全てを測ろうとすることは正しい判断には繋がらない場合が多く、何事も次善しかないという認識の中で評価の在り方を考えていく必要がある。評価基準は絶対的とは言えず、いくつかの基準で考えた結果を見ていくようにしなければならない。

○医学などの実学的なものはいわば「果実」のようなものであり、そのためには当然それを支える「枝や幹」が存在する。これは理論の部分で、数学、物理学、理学などの原理学的なものが含まれる。さらにおおもとには「根」が存在し、それは形而上学、哲学などが当てはまる。人文学・社会科学はここでいう「根」のような存在ではないか。経済界は「根」は教養だと言い、根がつまり教養がしっかりした人を大学がきちんと輩出してくれれば、経済界できちんと育てていくという考えだと思う。人文学・社会科学は話の「引き出し」のようなものであり、その人が持っているキャパシティ・うつわのようなもの。柔軟性ともいえる。そういう引き出しは多い方が絶対良い。

○NISTEPのような比較の仕方をすると文系は見えなくなってしまう。このことをどう考えていくのか、戦略的に、計量経済学的な分析だけではない別の指標を示し、それを質的・量的に独自に分析することが重要になってくる。このままいくとNISTEPの既存の指標に引きずられてしまう。逆に、NISTEPで、学術について質的・量的分析を行うことが望まれると言ったことを計画に書いていくことも考えられる。

○サイエンスを意図的に「人文学・社会科学」や「自然科学」と分けているが、人文学・社会科学も自然科学も学問の基盤は同じところにある。一言に基礎研究と言ってしまうとどうしても自然科学に偏った見方になってしまうが、実際は人文学・社会科学だけでも自然科学だけでもない。

○スローサイエンスと言っても、人文学・社会科学だけでなく、自然科学にもある話。サイエンスにはスローな部分があって、人文学・社会科学はそこが尖っているが、自然科学は相対的に少し引っ込んでいて、現実の課題にどんどん応えていく部分が相対的に出ているイメージ。そういう意味で、人文学・社会科学はスローな面を強調すれば良いのではないか。

○オリパラや観光立国という動きもある中、サービスの質を支えるという点で、情報、工学の研究者達と話し合えるような社会科学の人材の排出が必要。社会が求めているものに対して現状そういったことがあまり出来ていない。

3)学術研究の地域再生への貢献

○地域再生に向けた地域大学の取組の支援については、大学や民間企業が創造する革新技術の導入や、持続可能な再生エネルギーの地産地消、農林水産資源や遺跡、文化財、観光資源などの地域資源を複合的、有機的に活用して、都市にはない魅力や地域再生の全国モデル、世界に先駆けたモデルを、文理融合型の研究によって実現していく必要がある。それを地域の大学がやれば、大学の強みに育て上げることができるのではないか。

○自立した若手をインキュベートする場所として地方を活用していただきたい。地方は比較的場所とポジションが余っている。地方は仕事と住宅を近くにするのが簡単で、時間の限られている女性研究者などのインキュベーションの場としてもっと活用したらいい。共通機器類を優先的に配備・更新し、研究者ほど人件費の掛からない研究支援者を少し優先するなど、文科省等の支援があれば、広いところで若手を育てられるのではないか。またステップアップの時に都市部に戻りたければ戻ればいいので、そのような循環ができたらいい。

○地方大学の活用はすばらしい発想であり、どのようにうまくシステム化するかが課題。地方の大学でじっくりと10年でも15年でも集中的に学ぶことが非常に大きな将来の成果に結び付くということもある。

4)大学と産業界の対話の必要性

○個々の研究者が、自己の研究がいかに社会に貢献するかを説明できることが必要。また、「産業界」というと敬遠する先生がいるが、「社会に」還元すると考えてもらえば良いのではないか。

○日本の産業界は、「大学の研究を元にした」というのをなぜか表に出そうとしないが、大学の研究成果を使うならそれを明記させるべき。若い研究者の意欲にもつながる。

○日本への企業からの投資が少ない原因は、研究費をもらっても研究成果についてあまり約束しておらず、ぼやっとした結果を出しているところ。契約がきちんとしていれば、例えば1億出しましょうという話になるのでは。日本の大学はもっと襟を正すべき。

○第4期基本計画等で出口の明確化が言われている中、産業界の認識としても、このままで行ってよいのか異論を持っている人もいる。あまりに出口や橋渡しに拘りすぎているのではないかという認識にある。第5期基本計画に「課題解決」というキーワードを入れるかどうかは議論されるべき。

○現状では、「基礎研究は大学でやるもので、企業は企業」といった考えが多く、イノベーションが伸び悩んでいる。また、企業の方から何を研究してほしいのかを言わないと、研究資金が投入されるだけで良い物ができない。大学と企業が対話をしていくことが必要。

○産業界は必ずしも出口(ビジネス)を見ろと言っているわけではない。基礎研究であっても目標があるはずであり、その目標がうまくいかなかったときには、やめることと更に投資して改善する2つの選択肢がある。そうしたプロセスに取り組むことが大切。質を上げてグローバル化に対応することが重要。

○イノベーションという言葉は、一般には「新結合」のような意味に捉えられがち。新結合とは、結合するもの自体がすでにどこかに存在していて、その組み合わせで新しいものを作り出すことであり、実業界からはこちらの方が良いと言われる。しかし、これは本来のイノベーションではなく、実業界がそんなことを言えるのは学術の産みの苦しみを知らないから。

5)施設設備の共有

○資金には限りがあるので、共通機器の整備、研究支援者の配備をするとよい。

○産学連携について、海外に比して、日本は大学の数が多すぎで、1大学の規模が小さく教員が分散してしまっている。研究環境の整備、研究者同士の刺激・競争、施設設備の共有など諸々の観点で、現在は小さく閉じていて活発でなく非効率なので、1つに集約させて規模を大きくする方がよいと思う。間接経費もスケールメリットが出やすい。

○基礎研究であっても施設設備は大型になってきている。超大型の設備は共同利用されているが、小規模なものを含めれば共有されていない。数億規模の設備について、あちこちで研究設備を持つのではなく、共同利用機関等に集中するなど、共有化を一層進めていくことが重要。

6)改革の実現化に向けた具体的方策
○改革の方向性についての記述は分かりやすいが、今後、どういうアクションになっていくのか見えない。これまでこうした報告書は多々とりまとめられてきたが、抽象論で終わっていることが多いので、ここから踏み込んだ具体策も含め、今回こそ実行に繋がるよううまくやっていただきたい。

○中間報告に関して、書いてあることは正しいと思うが、机上の空論になっている。哲学的な作文だけでは意味がない。問題はそれを実行できるかどうか。なぜ実行できないのか。一つは今現実に困っておらず、実行する必要がないと思っている人が多いから。また、過去に実行成功例がなく、変わること自体にリスクを感じているから。

○見直しや再構築が必要という話はよく聞くが、一歩踏み込んだ今後の方向性、具体的方策が必要。

 

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