人文学及び社会科学の振興に関する委員会(第6期)(第3回) 議事録

1.日時

平成23年11月2日(水曜日)15時~18時

2.場所

文部科学省3F2会議室

3.出席者

委員

樺山主査、田代委員、瀧澤委員、伊井委員、大竹委員、加藤委員、鶴間委員
(科学官)
縣科学官、池田科学官

文部科学省

倉持研究振興局長、戸渡研究振興局担当審議官、永山振興企画課長、伊藤学術企画室長、高見沢学術企画室室長補佐 その他関係官

オブザーバー

(有識者)
東京大学 城山教授

4.議事録

【樺山主査】

それでは、予定の3時になりましたので、まだご出席の予定の方、お見えになっていない方もおいでになりますけれども、始めさせていただきます。

ただいまから、科学技術・学術審議会学術分科会人文学及び社会科学の振興に関する委員会第6期第3回、一息では言い切れないんですが、を開催させていただきます。

まず、事務局から配付資料の確認につきお願い申し上げます。よろしく。

【伊藤学術企画室長】

失礼します。

まず、人事異動のごあいさつをさせていただきます。8月1日付で研究振興局学術企画室長を拝命しました伊藤と申します。よろしくお願いします。事務局を務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いします。着席で失礼します。

本日の配付資料でございますが、お手元の議事次第をごらんいただければと思います。お手元に配付資料としまして、資料1点目のこの委員会の審議事項例をはじめとしまして、きょうのご発表いただく資料を含めて計6点、配付資料ということでお配りしております。また、参考資料といたしまして、平成24年度の概算要求に係る資料を4点ほど関係資料としてお配りさせていただいております。

資料の過不足等ございましたら、事務局のほうにお申しつけいただければと思います。どうぞよろしくお願いします。

【樺山主査】

はい、ありがとうございました。過不足等ございましたらば、遠慮なく事務局へお申し出くださいませ。

それでは、これから議事に入らせていただきます。

前回でありますが、前回6月27日という夏前でございましたけれども、の当委員会におきまして、審議事項3つに整理いたしました。3点ございましたけれども、そこでは、第1、人文学・社会科学の学問的発展について、第2、政策的課題や社会への貢献を視野に入れた人文学・社会科学の機能の強化、3、人文学・社会科学の国際化の推進という、以上3点を審議事項例として掲げさせていただきました。今回から数回にわたりまして3つの各項目に関する関連する意見発表をいただきたいと考えております。

本日は、1の人文学・社会科学の学問的発展(文理融合)及び2、政策的課題や社会への貢献を視野に入れた人文学・社会科学の機能の強化、いわゆる社会貢献に関する発表と意見交換を行いたいと存じます。

前回が6月でございましたので、間が随分あきまして、お忘れの向きもあろうかと思いますけれども、秋になりましたので、精力的にこれからこれらにつきまして討議と意見交換を進めていきたいと考えております。よろしくご配慮のほどお願い申し上げます。

まず、その意見発表に入ります前にでありますが、前回の委員会の後、学術分科会における審議や概算要求などにおいて本委員会に関連する動きが多少ございましたので、事務局からこれにつき簡潔にご報告いただけますでしょうか。よろしくお願いします。

【伊藤学術企画室長】

はい、失礼いたします。

配付資料2-1及び2-2に基づきましてご報告申し上げたいと思います。

まず、資料2-1をごらんいただけますでしょうか。こちらに関しましては、前回のこの委員会でもご説明申し上げたかに思いますけれども、東日本大震災を踏まえました今後の科学技術・学術政策の検討の視点ということで、学術分科会におきまして主にこれまで意見を整理してきたものでございます。

お配りしている資料2-1の3ページ目をまずごらんいただけますでしょうか。こちらに5月31日付の審議会総会決定ということで「検討の視点」とまとめたものでございますが、こちらに上段の第2パラグラフのところにございますとおり、今後、科学技術・学術審議会におきましては、東日本大震災の現状を踏まえた観点から検証をしっかり行っていくということ。そして、第3パラグラフのところにございますけれども、その際といたしまして、総会以下、委員会等におきまして、これまで以上に「社会のための、社会の中の科学技術」という観点を踏まえて検討していくと。特に国際連携という観点、また、自然科学者と人文・社会科学者との連携の促進という点には十分配慮することということで、検討の留意点が整理されております。

また、特に検討すべき視点ということで5つの視点ということで、1点目の「検証」、また、4ページ目、次、ごらんいただけますでしょうか。2点目の「学際研究や分野間連携」、3点目の「成果の適切かつ効果的な活用」、4点目、「発信と対話」、そして5点目といたしまして「復興、再生、安全性の向上への貢献」という観点が特に審議すべき観点ということで示されているところでございます。

戻りまして、この資料2-1の1ページ目をごらんいただけますでしょうか。こういった総会からの要請を踏まえまして、学術分科会におきまして2回ほどご審議のほうをいただきました。主にこの5つの視点のうち3点ほどに集約されるかと思いますが、これまで分科会におきまして整理された意見をご説明申し上げます。

まず1点目としまして、「検証」という観点の問題でございます。

基本的な考え方というところで、復興に関する議論というものが、そもそもそれ自体が科学技術・学術の発展につながっていくという考え方・理念に立って議論をしていくことが必要であるというような基本的な考え方に関するご意見もございました。

また、検証の視点ということで、想定外であった部分とか、また、備えがあって機能した部分という点、これをきちんと科学的な検証ということをしていくべきであるというようなご意見。また、3つ目の丸にございますが、歴史的な記録の発掘も含めた震災の記録保存、こういったものが大切であると。特に、この同じ丸の4行目になりますが、人文・社会科学者の間で可能な限り議論の掘り起こし、こういったものをしていくことが必要であるというようなご意見がありました。また、4点目といたしまして、現在の社会システムが弱さを露呈したということで、社会のあり方というのをしっかり検討していくことが必要であるというご意見や、また、倫理的行動ということがよく取りざたされておりますけれども、それがどのように培われてきたのかというような観点も重要なテーマであるということで、記録ということのみならず、この震災を通じて起こった事象というのをきちんと学問的に掘り下げていくことが必要であるというようなご意見もちょうだいしております。

2点目の柱であります「学際研究や分野間連携」という観点でございますが、1点目の丸にございますとおり、異なる分野間の研究者の不断の接触と、こういったものが取り組みを深めていくのに当たっては必要であると。そのための方策として、1カ所に集まるということとか、また、2つ目の丸にございますような、政策的な誘導ということがメカニズムとしても必要であるのではないかというようなご意見もちょうだいしております。

次のページに移らせていただきまして、また、課題の把握という点におきましては、現場で話をしながら被災者の生活再建に学術がコミットしていくと、こういった課題の把握の仕方、これ自体、新しい学術の推進の方策として有効ではないかというようなご意見もちょうだいしております。

また、人材育成という観点でございます。上から5つ目の丸でございますが、長期的なビジョンを持つということは重要であるということで、分野として社会科学もこの委員会にも関連する事項でございますが、分野として社会科学も重要というようなご意見もいただいてございます。

最後に、「社会への発信と対話」という観点でございますが、こちらに関しましては、科学者・技術者への信頼が低下しているということに関しまして、きちんと説明して信頼を取り戻していくということが肝要であると。その観点から、特にこれから育っていく世代である中学生、高校生へ研究の有用性ということをきちんと伝えていくということが必要であるということとか、また、2つ目の丸にございますけれども、情報発信をしていくときに、科学者がしっかり伝えていくということのみならず、メディエーターといいますか、媒介者、こういった方々もしっかり活用して伝えていくということが必要なのではないかというようなご意見もちょうだいしています。

また、3番目の丸といたしまして、情報の質の管理ということも必要であると。つまり、最終的に一般の人が理解しやすいように情報を選別して解釈を整理して伝えていくこと、こういったことが必要であるということで、これは学協会等が担っていく問題であるという認識が必要であるというようなご意見を主な意見として承っております。

こういったご意見との兼ね合い、関係もございますけれども、もう1点、ご報告といたしまして、資料2-2で関連した概算要求の状況についてご報告申し上げたいと思います。

今申し上げた学術分科会の主なご意見の中にもございました、この東日本大震災の記録をしっかり残して科学的に分析し、伝承していくと。そしてまた国内外に発信していくということが必要であるということから、平成24年概算要求、新規事項といたしまして、独立行政法人日本学術振興会の事業ということで、3カ年の東日本大震災に係る学術調査ということで、現在、概算要求中でございます。

調査事項ということにつきましては、このイメージ図の中の点線枠囲みにございますが、震災のときの行動の検証であるとか、また、復旧過程、そして危機管理の検証ということ。この委員会の(仮称)とございますけれども、1番目の丸にございます、分野としましては政治、経済、そして地域コミュニティ、教育・文化と、こういった観点・切り口としまして、こういう調査事項、行動、復旧過程、危機管理の検証、こういったものをしていくということで、今、検討をしているところでございます。

また、こちらに関しましても、予算の進捗状況等踏まえましてまた改めてご報告申し上げたいと思います。

報告に関しましては以上でございます。よろしくお願いします。

【樺山主査】

はい、ありがとうございました。

これらの件につきましてご質問もあろうかと思いますけれども、またいろいろとご発言いただく機会もございますので、一応ご説明として承らせていただきました。

それでは、意見発表に移りたいと存じますが、本日きょうでございますが、第3回の委員会ということもございますので、お二人からご発表いただきたいと考えております。東京大学教授の加藤淳子先生、それから同じ東京大学教授、城山英明先生、お二人にお願い申し上げました。

本来でありますと、できるだけ全体の論点を絞りながら、なるべくお二人の間に近い趣旨の議論が可能であればということでいろいろと調整いたしましたのですが、大変皆様方お忙しく、なかなか日程調整が上手にいきませんでしたものですから、本日は多少お二人の報告の間には違いもございますけれども、いずれにいたしましても、このお話を承り、その後、フリーディスカッションの中でもって議論を深めることができればと、こう考えておりますので、お二人の報告の間には質の差であるとか方向の違いがあるかということについてはあまりこだわらずに、フリーに考えさせていただくということで進めたいと思っております。今回及び次回、場合によってはもう1回可能かと思っておりますが、そのような形でもって今後進めたいと思っておりますので、よろしくご了承いただければと思います。

それでは、まずでありますけれども、先ほどの議論の課題の中にもありました人文学・社会科学の学問的発展についてという、その項目につきまして当委員会の専門委員でもいらっしゃいます東京大学教授の加藤淳子さんよりご発表いただくことにいたしたいと思います。ご準備いただきました。

本日でございますけど、ただいま3時十数分ですが、6時までと申し上げておりますが、少し長くなりますので、できれば2時間半から3時間ぐらいの間、お疲れにならない範囲内ということでもって進めていきたいと存じます。まず初めに加藤先生から約45分程度でもってご発表いただきまして、その後、引き続き城山先生から同じく45分程度、あわせまして1時間半程度ということになりますが、そこまで引き続きお話しいただきまして、休憩をとり、その後はフリーディスカッションということでもって進めていきたいと、こう考えております。ということでよろしくお願い申し上げます。

では、まず、加藤先生からお願い申し上げます。よろしく。

【加藤委員】

ご紹介ありがとうございました。東京大学の加藤淳子です。

今日の報告が少しかみ合わないというお話でしたが、実はもう一人の報告者の城山先生は私の同僚でありまして、東京大学の学生のときから同じゼミに出たりしたこともあります。そのような同じようなバッグラウンドを持つ研究者がこれだけ違う発表をするというような形で聞いていただきたいと思います。報告の中には皆さんが多分ご存じない意外な分流、流れのようなことも含まれるのではないかと思います。

このようにご紹介しますと、当たり前ですが、私が今からお話しするような異分野融合研究、政治学と脳神経科学の融合というようなことを東京大学法学政治学研究科にいる研究者がやっているというほうがちょっと不思議な感じがいたします。その点をよくご理解いただけるようにお話をしていきたいと思います。

まず、実際にどのような研究をやっているのかということと、概要と展開について簡単にご説明したいと思います。

まず、この研究は、システム脳科学―脳神経科学というふうに言われることもありますが、認知神経科学と言われるときもあります。自然科学の分野と政治学―これは社会科学です、の分野融合を図り、社会的行動の科学的理解を目指すということで始められました。具体的には、fMRI、機能的磁気共鳴画像法という、医療で主に用いられ研究でも用いられている医療機械なんですが、それを用いて脳神経科学実験を行い、それによって政治社会行動の理解を深めようということを目的としています。そして、政治行動の分析・認知心理過程の分析を双方向から人間の認知行動モデルを考える、すなわち、政治の中にいる人間も、実際に現実を見て、それを認知して判断しているわけですから、そこから見ていきましょうという、そういう考え方に立っています。そしてその上で、せっかく分野融合ということなので、脳神経科学、政治学、それぞれの方向へ双方向の知的波及を図るという目的も持っています。今のところ、始めた当時の予想を超えて研究が展開しています。意外にこの分野でやることはあるという形に進んでいます。

最初に、こう言いましても、あまりにもわかりにくいので、一番わかりやすいイメージをご説明しますと、この写真のようなfMRIというような医療機械を使いまして、この中に――ここ、ベッドです、ベッドに被験者、参加者に横たわった形で中に入ってもらって、脳の活動を観察しながら、何らかのことを――課題とかタスクと呼びます、をやってもらいます。政治社会行動にかかわることをやってもらって、そのときの脳の活動を見るということで、今までは外から見ていただけの行動のときにどのような脳の活動が起こっているのかということを見ていく、そういうような研究ということになります。もちろん、機械を使わないで認知科学的な手法を使う研究もしています。ただ、分野融合のイメージが具体的にわき、一番ハードルが高い部分というのはこういった自然科学の実験と同じようなことをやる部分ですので、ここで特に詳しくご説明します。

このfMRIという機械、いわゆる機能的磁気共鳴画像法というのは、ここ10年ぐらいの間、爆発的に社会的行動の脳神経学的研究で用いられるようになりました。これは、上に非侵襲的脳機能計測と書いてありますように、被験者、参加者の方の体に悪い影響を与えない範囲内でその脳の活動を計測できるという点に特徴と強みがあるからです。実際に脳の部位が活動しますと、そこに血流が流れ込みますが、それをfMRI信号としてとらえるという形になっています。ここが自然科学の実験の方法を取り入れているということになります。

現在、どういうような展開になっているかというと、私は政治学者である一方、2010年にはシンガポールの脳神経学の国際学会に招待されたり、2011年には日本の生理学研究所の社会神経科学研究会で神経科学者の人に招聘していただいて講演とかをしています。ですから、こういう意味では、神経科学の分野でも政治学者でも迎え入れられているような形になっています。国際的にもアメリカ合衆国のイェール大学の脳神経科学者との連絡を取り合ったりしています。皆さんのお手元に1つ配りました『PLoS ONE』の論文、これが今年出た論文でして、こういった形で自然科学の雑誌に投稿も行っています。そして、こちらは生物学の専門誌である『遺伝』という雑誌ですが、そこの社会脳特集に神経科学者とともに寄稿するというような、そんな形で分や融合的に活動をしています。

ここまでが公式見解でして、今、振り返ってみて形を整えてまとめるとこういう研究ですということになるのですが、実は始める前にこんなことができるとは思っていませんでした。できるようになっていった発端と経過の話を今からしたいと思います。ですから、分野融合というときに何かイメージとしてどうやって進んでいくのだろうというような、ほんとうにイメージをじかに知っていただきたいということで今からお話しします。

実はこのスライドを用意している時に、私の研究室のメンバーは、こんな話をして―少しおかしいぐらい困ったり苦労する話なのですけれど、「誰にも笑ってもらえなかったらかえって間が悪いから、やめたほうがいいのでは」というようなことを言いました。ので、おかしい場面では笑っていただいたほうが気が楽なので、私もあまりかた苦しくお話ししませんので、皆さんもそのように聞いてくださったらと思います。

研究開始の発端というものがあります。最初から今行なっているようなことをイメージして始めたわけでは全くありません。きっかけというのは、2006年9月にアメリカ合衆国政治学会でアメリカ合衆国の政治学者がfMRI実験について報告していたことです。後で説明しますけど、ここでやっていたアメリカ合衆国の政治学者は、その後、全員やめてしまいました。

ただ、その時点ではそういうこともわからないわけですから、帰国して、私は当時の同僚だった蒲島郁夫教授にその話をします。そうしますと、蒲島郁夫教授は、もともと理系で政治学に転じた人です。私の話に大変興味を持って、11月に国立障害者リハビリテーションセンター研究所の神作憲司室長という神経科学者の方と共同で実験を行う約束をして、これが研究の開始になります。またこれもさまざまな偶然があるのですが、実は神作憲司室長というのは私たちの同僚の神作裕之先生の弟さんで、私たちの同僚で倫理と法がご専門の樋口範雄先生のご紹介でした。ですから、身近なところでこういう共同研究をしてくださる方が見つけられたということも研究が始められた理由でもあります。

実は私は2007年の3月になってからこのプロジェクトへ参加しました。蒲島先生にこのお話をしたものの、正直に言いますと、私はfMRIを使って何か政治行動とか社会行動についてわかると思っていなかったと言うと少し言い過ぎですけど、そこまで確信はなかったのです。ところが、やはり蒲島教授が始めるのであれば、このような非常に興味深い試みに参加しないのはもったいない、言い方は悪いのですが、後からついていって何か面白い経験ができるかもしれない、そういう気軽な気持ちでプロジェクトへ参加しました。先ほど話したお話とは全く印象が違い恐縮ですが、このようなところから実は私のこうした分野への参入が始まったわけです。

2007年の4月には、1992年のアメリカ合衆国大統領選のビデオを用いた実験を開始します。何げなく好奇心で入ったとはいえ、ここの時点から、この大統領選のキャンペーンCMビデオを集めたりとか、このプロジェクトに取り組んでいくわけです。

ところが、ここで実験は始まり、そして実験も順調に終了したのですが、予想外の展開ということになります。このプロジェクトは、主体に行うのは蒲島教授と神作先生ということで、私はサブで入るという形だったのですが、2008年の1月になりまして、蒲島氏は熊本県知事選に出馬するというふうに突然決意されます。で、3月に当選してしまいます。言いかえますと、この段階で主要に始めた方たちの1人が学術研究に取り組めなくなりました。本来ならプロジェクトは終わるはずだったのですが、そう簡単にやめられない理由がありました。まず第1に実験がすべて終了してしまっており、その実験を行ったのは法学政治学研究科の大学院生の学生でした。彼女はこの実験の結果を使って博士論文を書くことになっていました。40人の被験者の3セッションのデータを取る、これは、大変な苦労で、大変な優秀な学生が大変な根気をもって実験した、それを「もう全部捨ててしまいなさい」とは言えませんでした。加えて、今までは蒲島先生が責任者だったのですが、自分が責任者になってよく考えてみた場合に、まず、法学政治学研究科の大学院生にこんなfMRI実験をさせていいのかということ自体、全く新しい分野ですから確信が持てませんでした。同僚にも、文科省にも何か言われるのではないかとまじめに考えました。政治学が専門でこんなことをやっていいのかという問題を考えた末、結局、困った私が考えついたのは、成果を上げれば回りも許してくれ認めてくれるに違いないということです。この実験を論文にして英文専門誌に出版しようと、そうでなければ絶対書かなかったような脳神経科学実験の論文を執筆することを決意します。で、これを2009年の5月に出版しました。

論文を書く過程で、実はこういった脳の活動を政治行動とあわせて見てみると、非常におもしろいことがわかるということを私は気づきまして、この異分野融合の研究、もうちょっと頑張ってみようという気になりました。ですから、この論文を書かなければ、もっと言いますと、私が責任者にならざるを得ないという立場に追い込まなければ、こういった異分野融合は多分始めていなかっただろうというのは、今でも私は確信を持って言えると思います。

ここで、どういう実験をやったか簡単に説明します。このfMRIという装置の中で参加者に入ってもらいます。参加者は、実は私たちの大学の学生さんを主にキャンパス内で集めましたボランティアですが、一応拘束時間がありますので、報酬は払います。こういったことは全て実験を行なった研究所の倫理規定に沿って、それに合致すると審査の結果認められた上で行っています。大統領選で使われる、相手の候補者を攻撃するネガティブコマーシャルの効果を見るということを目的に実験を設計しました。1992年の大統領選ですので、覚えていらっしゃる方もいらっしゃると思うのですが、父親のほうのブッシュと夫のほうのクリントンがそれぞれ共和党、民主党の候補として争った大統領選で、その実際に使われたコマーシャルを、参加者にまず4本見せます。それぞれの候補者がそれぞれアピールするコマーシャルを2本ずつ見せた後、ネガティブなコマーシャルを見てもらう。このネガティブのコマーシャルというのは、ブッシュがクリントンを攻撃し、クリントンがブッシュを攻撃するコマーシャルなのですが、それぞれの候補がそれぞれアピールするコマーシャルを見た後に、「ブッシュとクリントン、どちらを支持しますか」と聞き、「クリントンを支持します」というふうに答えた人にはブッシュがクリントンを攻撃するネガティブコマーシャル、「ブッシュを支持します」というふうに答えた方にはクリントンがブッシュを攻撃するコマーシャル、それを見てもらいました。そして、そのときの脳の活動を見ていくということになります。そして最後にもう一度、それぞれの候補者がそれぞれアピールする、最初のものとは異なるコマーシャルを見てもらいます。

ネガティブコマーシャルを見ると意見が変わってしまう人も、変わらない人もいます。それぞれ支持が変わった人、変わらない人の間に活動の出た脳の部位に違いがあるということを確認した上で、政治学で用いられている候補者の支持の度合いを聞く感情温度計という尺度を使い、参加者にそれぞれの候補者へのセッションの前後の感情温度を聞き、その変化が脳の活動と統計的に有意な相関があることを示しました。これは、行動指標が脳の活動と統計的に有意な相関関係を示すというのは神経科学的には非常に意味がありますので、それで論文として発表することになったわけです。ほかにも様々な含意があるのですけど、ここでは大体どういうことをやったかイメージをつかんでいただくために,簡単に一部をお話ししました。こういうようなことですので、政治学の普通の研究者がやるような研究ではないということだけはおわかりになられたと思います。

皆様の中には、何で自然科学の論文を文系の研究者が急に書けるのだろうということをやはり疑問に思われた方がいると思います。実はこれにも偶然と幸運がかかわっていました。論文に取り組んだときに、実は私はイェール大学にいました。これは2007年の10月、2008年の9月までほぼ1年間ですね。東京大学からイェール大学との交流のプログラムをつくるために派遣されました。ですから、このプロジェクトとは全く無関係に派遣されたので、日本で実験をやってもらって、電子メール等で連絡をとり合ってプロジェクトを続けておりました。イェール大学の認知科学者に、このようなプロジェクトをやっていると話したところ、非常に興味を持ってくれまして、一緒に「社会科学の脳神経科学的アプローチ」を共同企画して、シンポジウムを行うことになりました。それが皆さんのお手元にある資料の、シンポジウムのポスターです。

このように研究を理解してくれる認知科学者が仲間になってくれたことも大きな助けとなりましたが、もう一つ、論文の出版に至るのに非常に重要だったのは、一緒にシンポジウムを企画した心理学部の脳神経科学者の紹介で医学部の脳神経科学者の方の勉強会に参加させてもらったことです。結局、論文を書くときにいろいろなアドバイスを受けたのは、この医学部の准教授の方です。脳神経科学の論文というのは、まず導入がありまして、研究の位置づけがあり、方法を書き、結果を書き、最後に議論ということで結果の解釈をします。私たちの研究プロジェクトでは神経科学者の方と大学院生でこの方法と結果まではやってくれたのですが、結果が出たときに、それをどういうふうに神経科学の全体の中で位置づけるか、そして結果を解釈するかという部分を書かないと、論文として出版できません。ここを私が書かなければならなかったのですが、この書き方、あるいは実際にこうやって書こうと思うというときに、この医学部の神経科学者のアドバイスをかなり受けました。彼は実は神経細胞レベルの研究を主にやっている人なので、MRIのほうは論文を出していません。ただ、社会的行動が専門ですので、MRI研究に非常に興味を持っていたということでアドバイスをしてくださった。それともう一つ、この方は大学で経済学を専攻したことがあり、社会科学の素養がある神経科学者ということで、非常にアドバイスを受けやすかったということもあります。これがなければ多分論文は書けなかったということになります。ですから、非常に幸運なめぐりあわせということになると思います。

fMRI研究というもの自体も非常に特殊で、その実験の解釈は脳の部位と機能を対応させて行います。機能といっても、視聴覚のような知覚ですと機能というのはかなり明示的なんですけど、社会的行動のときの機能といった場合には、実験で課された行動や実験の際に観察された行動から、どういう機能を働かせたのかということを推論するしかないわけですね。この部位が強く活動しているという結果が出た時に、その部位と対応する機能と観察された行動を照らし合わせて実際何が起こったかというふうに推論していくことになります。こういうことは人間のことをよく知っている社会科学者のほうがどちらかというと神経科学者より得意ということになります。こういった機能局在説ですね、特定の部位を特定の機能に対応させるという、その考え方に基づいてfMRI研究がされているので、分野融合ということで論文を書くことが可能になったということになります。こんなことは実際にやるまで全く知りませんでした。

こういった形で論文の出版をしたところで、さらに今度は問題が起こります。当たり前ですが、この研究はどういう分野に属するのでしょうというと、政治学にこれを属していいのか、神経科学に属していいのか、全くわかりません。実際にこの実験を行うということに大変な時間がかかります。例えば政治学の大学院生で私がこのような実験をやっていると興味を持つ学生はたくさんいるのですが、一方で、これだけやっていると自分の本来の政治学の専門ができなくなってしまう。そこで、学生が自分の専門、政治学をやりながらこういった実験をやる、そのことによってある程度まで奨学金のようなものを得られるような形、自然科学でいうと実験室で働くことで生活が成り立っていくような形で何らかの形で研究資金を得られたらというふうに思ったのですが、当たり前ですけど、文系ですとそういう資金を得られるあてはありませんでした。ところが、ここで非常にまた運がいいことに、異分野融合事業、学術振興会の、ニューロポリティクスという課題設定型の事業に選ばれて、ここで研究資金を得ることができました。これが2009年5月の論文の出版直後、現実化していくわけで、これでやっと研究の継続が可能になったということでほっとしました。

そしてその後、実は科学研究費でも研究領域として認められるようになりました。気がついていらっしゃる方は少ないと思うんですけど、総合領域分科の脳神経科学、細目、融合社会脳科学の政治脳科学というところに当てはまるということになりました。ですから、一番最初に、私たちの同僚に、そして文科省にどうやって説明しようかとか、そのような問題で大変頭を悩ませたんですけど、言いかえますと、一応こういった形で分野として論文の出版後に確立していくということになりました。

さらに、2010年の9月には、fMRI実験を含む政治学の博士論文によって東京大学法学政治学研究科で実験を行なった大学院生が、fMRI実験を含む政治学の実験政治学の博士論文で学位を取ります。この点に関しましても私は非常に幸運だったと思うのは、私の同僚が、こういった新しい分野を認めて博士号を出すということに非常に協力的に取り組んでくれたということです。私にとっては大変励みになりました。これは寛容に認めてくれたということではなくて、実は外部審査員にわざわざ、私たちの研究科でできた規定に基づいて当時の順天堂大学の医学部の北澤茂先生という神経科学者の方を外部審査員に入れた上で、きちんと審査をしました。このような形で、私としては非常にいい形で展開していきます。

若手の育成というのは、先ほども説明しましたが、異分野融合の研究をしながら自分のもと専門分野でキャリア形成を両立するのは非常に大変なのですが、異分野融合事業の資金を得られたこともあり、実験研究に関わった若手の人たちはかなり頑張ってくれまして、1人はプリンストン大学博士課程へ留学、もう1人は筑波大学特任研究員、もう1人は専修大学講師、もう1人は東京大学准教授になるということで、順調にキャリア形成をしています。

ところが、一番問題だったのは、実は研究統括者の私の本来の専門との関係です。私のもともとやっていた研究というのは、租税政策とか再分配政策、それを日本のみならず日本と同じように考えられる民主化された国と比較するというものでした。そして論文のほうを見ていただくとわかるんですが、こちらも、政党政治にかかわるものとか政党政府のもとでの政策運営を例えば日本とスウェーデンを比較する、こういうことをやっていたわけです。私の中では、こういった政策研究とか政策決定過程を見ていって、最後に残るのが人間の認知心理過程であって、そこはどうしても解明できないということが問題意識としてあったからこそ、こういったfMRI実験を行うような研究に興味を持ったわけですが、ここでやはり以前と同じように研究を続けるというのは非常に大変になりました。正直に言うと、無理だから中断せざるを得ないのではと真剣に悩みました。結果として続けられたのは、これらの分野は研究者が少ないので、私自身が何らかのプロジェクトを立ち上げなくても共同プロジェクトや共著のお誘いが次から次へ来たために、それを断らないで何とかついていくという形を取れたからです。自分で一から企画する必要があったら継続は無理だったと思います。ですから、異分野融合と一言で言いますけれど、今回のような分野を完全に横断する形であると、今までやっていたことにプラスアルファ何かするわけなので、非常に大変ということになります。

さらに言うと、脳神経科学でどれだけのことをやったらいいかということも問題になります。脳の機能・構造は、初めは神経科学者の人に全部任せておけばいいというふうに思っていたのですが、ある程度まで自分が理解しないと、自分の持っている社会的行動、政治的行動に対する理解に基づいて神経科学者の人に「ここはこうなっているのでは」という議論が展開できないわけですね。ですから、結局ここもある程度まで自分で修得していかなければならないということになります。脳の構造とか部位も日本語と英語両方ありますので、最初のころはそれについていくだけでも非常に大変でした。

予想外に大変だったのはデータの分析の理解です。MRI画像データの分析・解析の詳細に関しては、最初は若い人たちに任せておけば機械的にできるものだというふうに思っていたのですが、これもやってみて非常に大きな間違いであるということがわかりました。つまり、ある程度まで細かいところまでわかってないと、「こういうような分析のやり方でやってください」ということがお願いできないのですね。その必要性も説明できない。結局これも、自分でコンピュータの前に座って分析するというところからやりました。

ということで、異分野融合で自分は大筋を立てて戦略を立てていくというような役割でいいのだろうというふうに思っていたのですが、やり出すとある程度まで細かいところまで取り組まなければいけない。言いかえますと、神経科学で、今、研究者になっていらっしゃる方は、若いころにこういうことを済ませているわけですね。それを後から入ってある程度まで追いつこうというのですから大変です。ということなので、何かあまり偉そうに、異分野融合研究を進めるにはこうしたらいいとか、これは意義があるというのは、私はまだ言えない状態で、実は1カ月ぐらい前に、これからも続けてみようというある程度の自信とか確信がわいてきたぐらいの状態です。ただ、やってみますと、そういった2つの分野を横断的に見ている人間がいるということは、それぞれの分野の人にとってある程度は役に立つのではないかということを考えるようになりました。

そこで、少なくともこういうことをやると役に立つのではないかというぐらいのご提案をしたいと思います。

まず、リスクの高い分野ではパイロット研究に成功した研究者やグループに優先的に資金配分をまずするということです。異分野融合でも成果がある程度期待できリスクが少ないのであれば、新たに始める方が良いのですが、やってみなければわからない要素が多い異分野融合の場合、初めから何もないところでゼロから計画して大きな研究を一度にやろうとする人はまずいないと思います。今回は偶然と幸運で意図せずして研究が始まり、パイロット研究で認められたという経緯はお話しした通りです。

というのは、次にかかわるのですけれど、研究費をつくるのに、やはりある程度まで研究計画を立てたり、予算の運用について計画的に申告して、そして資金を得るのですが、この異分野融合研究をしてわかったことは、全く予想しないような形での、やはりやってみなければわからない部分がたくさんあるわけですね。言いかえますと、こういうような変更が許されないのであれば、当たり前ですが、リスクの高い異分野融合はやめましょうということになりますので、こういったリスクをとる場合には、ある程度の柔軟性を持って対応していただくと、異分野融合をしてみようというような研究者が増えるのではないかと思います。

これはちょっと関係ないのではないかと思われる方がいると思うのですけど、学部横断的な履修や専攻を奨励し、学際的学部及びプログラムを増やすというのが非常に重要だと思いました。といいますのは、私自身が実はそういったところで大学のレベルの教育を受けています。ですから、言いかえますと、ほかの分野の人と共同研究をすることに関して、最初からあまり障害がないというか、それに対して抵抗がないわけですね。これは非常に大きくききました。実は私と一緒に『PLoS ONE』の論文を書いた若い研究者ですが、彼も同じような学際的な学部を出ています。統計学の専門家なわけですから、彼の基準からいうと統計学においてはとても専門とは思えない私と一緒に研究するのはある意味で非常にリスクがあります。ただ、こういった学際的な学部にいますと、例えばその研究から得られる含意などに着目し研究は意義があるというような、そういうような判断をすることができるような気がします。ですから、学部横断的な履修を奨励したり、そしてダブルメジャーのような専攻を奨励して、ホームベースの専門分野の習得にプラスして学際的な視野も身につけられるような、質のよい学際的な学部やプログラムを増やすというのはやはり重要ではないかと思います。このような環境ですと、相互分業可能で情報の交換で成果が期待できるような、リスクの低い異分野融合は、分野融合と構えて特に意識しないで始める研究者も養成できると思います。

そして次に、これも関係ないと思われるかもしれないんですけど、大学・大学院レベルともに留学を奨励することをもっと進めていただきたいと思います。日本に留学生を呼ぶ、これも重要です。ところが、今、ほんとうに文系でも理系でも外に出ていく若い人が少なくなりました。自分が今いるところと違った視点があるのだということを実感する、そして、そこから何かを眺めてみようということができる、そういうことです。自分の今いる世界だけではない価値基準があるのだというようなことを理解するために、留学を、つまり日本から学生が外に出ていくということを、留学生を呼ぶ以上にもっともっと奨励していただきたいと思います。

最後に、日本の研究教育システムの強みを生かすような形というのを考えることがいいかと思います。といいますのは、この研究をやって私はもう一つ大きな発見があったのですが、こういった異分野融合、実は日本のほうが進めやすいということです。私はアメリカ合衆国の大学で博士号を取っていますから、向こうの研究のやり方とか学会のあり方というのはある程度までわかっています。アメリカ合衆国にいて、こういう分野融合研究を例えば私のような租税政策とか再分配政策研究をしていた人間が始めたら、多分アメリカ合衆国だと、なかなか学会で受け入れられるのも難しく、そして本人もかなり居心地が悪いのではないかと思います。日本ですと、いろんなことをやるということに対して意外に寛容性がある。実は一番最初に、アメリカ合衆国の政治学者がfMRI実験を始めたけど、全員やめてしまったと言いましたけど、彼らがやめた理由は、すぐ成果が上がらないことです。これも重要です。アメリカ合衆国の研究教育システムというのは非常に公平性を重んじて、標準化した形で競争するということを奨励しています。そこで教育を受けた人間として、そして向こうで少し研究活動を行った人間としては、非常にすぐれたシステムである一方、この標準化したというところが弱みにもなり、ある程度の期間で皆と同じような基準で成果を上げないと、そこで淘汰されてしまう、あるいは自分がきちんとした研究をしていないとみなされてしまう。そういうような非常に強い価値観というか、そういうものに従って研究をしているのですね。そうしますと、このfMRI実験のようなリスクを伴うような研究というのは非常にしにくいわけです。たしか物理学の小柴先生が、アメリカ合衆国の研究者が得意な分野で同じように競争してはだめだとおっしゃったと聞いたことがあります。日本の研究システムに合った、そこで強みを発揮させるようなテーマを探すのが大切だというようなことをおっしゃったように記憶しているのですが、同じことを私も考えました。日本の研究教育システム、いろいろ改善点はあると思いますが、今あるところの強みを生かすということもやはり可能なのではないかというのが、こういった研究を進めた上での私の感想というか、今のところの結論です。

というわけで、あすにも研究がうまくいかなくなるかもしれないというような状況ではありますけれど、一応ここまで来たということで、かなり意外な情報ということで、あえてお話をさせていただきました。

ご清聴ありがとうございました。

【樺山主査】

大変興味深い話をいただきまして、ありがとうございました。

いろいろと立ち入って伺いたいこともたくさんあろうかと思います。ちょうどお二人目に予定しておりました城山先生が今お見えになりましたものですから、でも、今すぐというわけにいきませんよね。ちょっと一息つくまでに加藤先生に幾つか、とりあえずは単純な質問等々で結構ですけど、少し城山先生が息を整える間、数分間かもしれませんけど、もしご質問ありましたら、まず単純な質問からありましたらば、そこからいただきたいと思います。いかがでしょうか。

はい、どうぞ。恐れ入りますけど、記録をとる都合上、まず自分のお名前を先におっしゃってくださいませ。

【鶴間委員】

鶴間です。純粋にちょっと学問的なことからお聞きしたいんですけれども、先ほどの実験の中でもう一つ、ペプシとコーラのあれが出てきましたね。

【加藤委員】

はい、すみません、時間がないと思い割愛していました。

【鶴間委員】

要するに、例えば消費者に何か映像を見せて行動する商品行動といいますか、購買行動と、ここで見たブッシュかクリントンかという政治的な判断との違いというのはどこにあるんでしょうかね。

それからもう一つは、おそらく脳科学というのはいろんな分野と結びついていると思うんですね。それは例えば言語学と結びついて、人間が話す言語について脳がどういう機能を働かせるのかとか、あるいは音楽を聞かせるとどういう脳が働くのかという、そういう研究もあるんですが、そういうものと比べてこの政治学と脳科学が結びついたって大変おもしろいと思うんですが、我々歴史学をやっていると、政治行動って、例えば反体制的な動きをする人はどういう行動時にどういう脳が働くのかとか、いわゆる社会行動ですよね、もっと大きな。ですから、そういうレベルまでこの研究を持っていけるのか。あるいは、これはある意味じゃ、要するに社会の世論を誘導するような、そんな危険性もあるような方面もあるんですが、そういうところを含めてちょっと教えていただくとありがたいんですが。

【樺山主査】

最初から本質的な問題になっておりまして、どうしましょう。これはお答えいただいて議論するとまだまだ時間が必要なんですが、とりあえずはお答えいただきまして、この後、城山先生のお話の後、さらにそれを引き継ぐということにさせていただきたいと思いますので、とりあえずは簡単なところからお答えくださいませ。

【加藤委員】

社会的な誘導をするとか、あるいはほかの神経科学の分野との関係というと非常に長くなってしまうのですが、ペプシとコークで対照実験に関する、一番最初の論点は非常におもしろいので、簡単にご説明します。急いでいたので説明せずにすみません。また目をつけていただいてありがとうございます。ここは異分野融合で一番実はおもしろかったところなのですが、先生は、商品と政治的候補者に対する好き嫌いは違うと思いますよね。

【鶴間委員】

違うと思います。

【加藤委員】

ところが、神経学では同じように扱うアプローチが有力です。報酬系と呼ばれる中に含まれる部位が人に対する好き嫌いと物に対する好き嫌いをつかさどるとされています。私たちの実験結果は、コーラのネガティブコマーシャルを見ているときと、候補者に対するネガティブキャンペーンを見ているときと、違う部位が活動したというだけで実は神経科学者はかなりびっくりしました。ですから、こういうところに分野ごとの通説や常識の違いに気づくという所も、異分野融合の意味があります。コーラとの対照実験はそういう意味で入れまして、通説とは違う結果が出たということになります。ありがとうございます。

このぐらいでよろしいですか。

【樺山主査】

はい。この議論はまだまだいろんなこと、皆さん発言が必要かなとお考えになると思いますけど、とりあえず一たんお休みいただきまして、後ほどまた改めて仕切り直しということにいたしましょう。

それでは、城山先生がおいでになりましたので、恐縮ですけれども、早速ということでお願い申し上げることができますでしょうか。先ほど申し上げましたとおり、政策的課題や社会への貢献を視野に入れた人文学・社会科学の機能の強化というような、そういう側面からお話をお願い申し上げました。城山先生、ご自身のお仕事をもとにしながら、それでは恐縮ですが、45分前後ということでもってお話しいただけますでしょうか。

【城山教授】

ありがとうございます。ご紹介いただきました東京大学の城山と申します。

こちらにおける人文・社会科学のあり方と社会課題への貢献といったところをどうつなげるかということとの議論の絡みで私のほうから話をさせていただくということなのですけど、樺山先生にもおかかわりいただいた人文・社会科学振興のためのプロジェクト研究というのを2003年から2008年までやっていまして、そのときに私は企画委員会の主査という形で、むしろマネジメント的にかかわったということもありますので、そういうことも含めて個別の私自身の研究プロジェクトでの経験を踏まえて、そういうところから一般化した形で少しお話をさせていただければなというふうに思います。

タイトルとして選ばせていただいたのは「プロジェクト型共同研究の意義・課題・今後」ということですが、もちろんいろんなタイプの研究があるわけですが、ここでは少しいろんな分野をある意味では連携させて、社会のいろんなステークホルダーなんかも入れて議論し、その結果を社会課題へのある種の対応のフィードバックとするという、ちょっとそういうようなものをプロジェクト型共同研究というような形で整理をして、それがどういうものであり、どういう運営上の課題があり、あるいは、そういったものを今後、全体として促進していくためにはどういうことがあり得るのかといったようなことを少し整理してみたいということであります。

おそらく共同研究というのはいろんな形でなされているんだろうと思います。ここは大きく2つ、さらに3つに分けてみたんですけれども、例えば一定の方法論というのは既にあって、それを共有していろんな分野に横断的に適用してみましょうというタイプの共同研究というのは、当然あり得るだろうと思います。例えばゲーム論みたいなものを共通の文法に考えて、それを政治行動にも適用するし、経済的な行動にも適用するし、別の社会的行動にも適用する。そういう方法論を核にして、それがベースとしてあって協力するということもある。これは必ずしも私は専門ではないので、正しい表現かわかりませんが、いわゆるソーシャル・コンストラクション・オブ・リアリティといった観点、社会構築論というか、社会構成論的な、そういうような考え方をベースに国内の社会あるいは国内の政治、国際関係とか、いろんなレベルの話を横断的に扱うということもあり得るという、そういうある種の方法論ベースに共同しましょうというのは多分一つあるんだろうと思います。

もう一つ、別のタイプとしてあり得るのは、むしろ方法論を必ずしも共有していない人たちが一緒に仕事をするという、異なった分野間での共同研究というのもあるんだろうなと思います。そのときにも2つあるかなと思っておりまして、1つは、例えば異なった分野、ディシプリン、バックグラウンドであるんだけれども、同一の対象なり事例なりを対象とすることによって、それに多様な観点からアプローチをして、各観点からのアプローチというのをうまく統合的にフィードバックすることで新しい知見を得るというものです。場合によってはそこから実践的な研究というのをしていきますというタイプのものがあるのかなと。

ここでは、先ほど申し上げたプロジェクト型共同研究というのは主としてこういうパターンを念頭に置いています。例えば知識生産の議論で、マイケル・ギボンズの「モード1」と「モード2」といった枠組みでいえば、ディシプリン内で完結する「モード1」研究に対して、社会的なある種の貢献を目的とするような「モード2」という、そういう議論がなされますけれども、ある意味ではこういうのもその一つなんだろうと思います。

おそらくこれとも連関してくるんですけれども、若干違うものとして、例えば異なった方法論を異なった分野間の協働によって議論するんだけれども、その異なった方法論を持った分野間の協働の中から新しい方法論みたいなものをつくっていくというタイプのものもあるかなと思います。

私自身が企画というか、マネジメントでもかかわらせていただいた、後でもちょっとご紹介させていただきますが、2003年から7年にかけてやらせていただいた人文・社会振興のためのプロジェクト研究というのは、かなり第2のタイプを念頭に置いていたんだと思いますが、今、樺山先生のもとでやらせていただいて、私自身も一つプロジェクトをやらせていただいているんですけれども、異分野融合による人文・社会科学の振興の研究というプログラムがありますが、あれはむしろ異分野融合することによって社会課題に寄与するということをダイレクトに目的にするんじゃなくて、それはあっても当然いいんだと思いますけれども、そういう中からある種の方法論的に何か新しいフィードバックをするという、むしろそっちのほうに重点を置いているという第3のタイプなのかなと思います。

ただ、そうはいっても、これが相互排他的かというと必ずしもそうではなくて、実際に運営していく立場からいうと、例えば社会課題に貢献するという形でいろんな分野で連携して、ある意味では答えを迫られるようなことをやっても、その辺はある意味では新しい気づきというのはそれぞれの参加者にとってあれば、それは各ディシプリンに持ち帰って、むしろ各ディシプリンの中で新しいことができるということはしばしばあるわけです。これはやってみた感想でもあり、後でも少し述べさせていただきますけれども、その共同作業自身から共同のいいプロダクトが出てくるということもありますが、共同作業をやったことによって刺激を得て、通常のディシプリンの中だけでやっているのとは違った対象だったり、違った切り口みたいなことに気がついて、持って帰ってそれぞれの分野でディシプリンのちゃんとした仕事をするという、そこによってある意味ではこういうことにかかわるインセンティブを研究者として持つというところもあるので、そういう意味でも、この3つというのは必ずしも相互排他的というよりかは相互に関連してくる部分もあるのかなという感じがしています。

例えば「モード2」研究というか、プロジェクト研究というかは別として、こういう分野横断的に関係者も含めて社会的課題へのある種の解決に寄与しましょうといったタイプの研究というのは、これもいろんなタイプがあるわけです。下から言えば、需要サイドの研究とか書きましたが、ある意味では現場の社会の人たち、現場の行政官だったり実務家だったりが、いろんな関係者なりいろんなディシプリンの人を集めて、この問題はどういう性格を持っているのかということを議論し、ある種の解の方向性の選択肢のようなものを議論するというのは、ある意味では日常的に役所も含めてやってきた作業であって、審議会というのはある意味では自己正当化のための仕組みだみたいな言い方もされますけれども、ちゃんと運営すれば、いろんな観点というのをきちっと整理して、ある社会課題へのフィードバックをやると。必ずしも決め打ちの結論ではなくて、いろんな選択肢を多面的に議論するという、そういうやり方というのは十分できるわけで、ある意味ではそういう政府なり行政の中に埋め込まれてきたものというのは、ある種の需要サイドが主導した「モード2」の研究なんでしょう。おそらくそういったものというのは必ずしもガバメントの関係だけではなくて、民間企業なり、あるいはいろんな運動なりNGOなりの関係でも同じようなことは当然あり得るだろうと。だから、ある意味では、今、いろんなところで議論されているというのは、若干アイロニカルなところもあるんですけれども、供給サイド主導の「モード2」みたいなところがあって、研究者が研究者だけで自己完結しないで、いろんな分野の人を巻き込んだり、社会を巻き込んだりしてフィードバックしていきましょうと。大学であれば産学連携みたいなことを一時議論されていましたが、そうじゃなくて、もうちょっと幅広くいろんな形で社会との連携というのを考えていきましょうという文脈で出てきているわけで、それはそれである種、多少新しい部分もありますが、多分需要サイドとセットで考えればいろんな形の「モード2」研究というのがあって、それはある意味で今までも行われてきた話あり、そういう中でどういう新しい分野なり、どういう新しいやり方を実験するんですかというのが問われているという、そういう話なのではないかなというふうに思います。

以上がある意味ではまくら言葉的な部分でありまして、以下、少しまず具体的な例を幾つかご紹介させていただいて、その上で一般的な論点について少し触れさせていただければと思います。

これ、ちょっと私自身がどういうものにかかわったかということのご紹介でもあるわけですけれども、最初、少しこういう分野横断的に社会にフィードバックしましょうというのでかかわったのは、これは直接の契機はおそらくJCOの事故なんだと思うんですけれども、臨界の事故があった後、原子力なり科学技術と社会の関係をきちっとやるべきだみたいなことが第2期の科学技術基本計画にあったということを背景にして、その社会技術――当時は社会技術研究システムと言ったと思うんですが、社会技術研究みたいなことをやりましょうというのを、社会学でいうと吉田先生だとか、あと理系サイドでいうと吉川先生だとか、そういう人たちがいろいろ議論されたというのがベースにあって、じゃ、そういうのをプロジェクトとしてやりましょうということでやったわけです。当初は、これは原子力という契機もあったので、原研とJSTが共同で事務局をやって、そこに社会技術研究システムというのをつくって、そういう文系も含めて、少し分野横断的に現場の人も含めて課題を整理し、解決策をフィードバックしていきましょうと、そういうタイプのことをやったというのがあります。これが2001年から2005年ぐらいにやっていたというふうな記憶があります。ある意味では、これは最初だったということもあって、かなり総花的というか、総括的なことをやっているんですけれども、安全にかかわるいろんな検討というのを、例えば原子力とか、化学プロセスだとか、あるいは交通安全だとか、地震防災、それからメディカルとかを縦割りにしてやり、それから、こういうのをいろいろ並べると。こうしてみると、例えば原子力と化学プロセスなんていうのは、ある意味ではプラントに関するもので共通だろうと思うんですが、実は当事者の人も並べてみて一緒に机を並べてみると全然文法が違ったりしてわからなくて、おもしろかったんですけれども、例えば原子力の事故なんかも、配管破断とかそういうのは、結構、蒸気管だとか、要するに化学プロセス的なところで起こるわけですね。そういうところに対して何か原子力の観点からはすぱっと観点から抜けていたり、意外と近いところも遠いとかいうのもありますし、あるいは原子力と地震防災と医療みたいな全然違う話を横並びにすることによっていろんなところが見えてくるという部分もあります。

他方、もう一つ、横割り研究みたいなやつをやっていて、そういう中にフェイリュア・スタディ、失敗学だとか、社会コミュニケーションというコミュニケーション関係だとか、心理学だとか、それから法制度だとか、そういったものを横割りでやると。私自身は法学者ではないわけですけど、法学者を巻き込んで少し法制度設計のようなことをやるということで、一番下のところに横割りでかかわったということをやりました。

これは後でもお話ししますけれども、かなりこのプロセスでは実装というのがキーワードとして強調されて、ある意味でやっぱり目的志向のところがあるので、こういう研究というものの成果が実際にどうやって社会に入っていったんですかということを言われ、あまりそこを強く言われると、なかなか世の中のタイミングと研究のタイミングが合わないので苦労したという部分が一つの反省としてあります。

それからもう一つは、これは今となってはというところもあるんですけれども、例えば今回の原子力の事故なんかも典型なんですが、ヨーロッパなんかでしばしばナテックという議論がされていて、ナチュラル・ディザスターとテクノロジー、つまり技術の問題と自然災害が相互作用を起こす中で思わぬ形で拡大すると。ある意味では原子力の今回の事故はその極限形態ですけれども、それほどじゃなくても、例えば人口密集地に洪水が起こって、化学物質なんかがその周りに土壌とかも含めて広がっちゃったとき、どうするかとか、多分、今回の地震の件でも山のようにそういう事例は実はあるんだと思いますが、そういったものというのが実は大事なんですよと。ナテックという議論があるんですけれども、今回事故などさかのぼるとそういうものはいろいろあるんだということはわかりますが、実は本来こういうところで原子力とナチュラル・ディザスターなんていうのは本当はちゃんとそういう議論をしておくべきだったんだと思いますが、結果として必ずしも十分できていなかったというような反省もあるかなというふうに思います。

それからもう一つは、これはちょっと先ほど申し上げたものですけれども、これはむしろ人文・社会科学の中で人文・社会科学振興のためのプロジェクトをどうやるかというので、この振興のためのプロジェクト研究という形の事業として、これは2001年から2002年にかけて議論を審議会等でしていただいて、2003から2007年まで動かしたという、そういうものであります。これはある意味ではかなり「モード2」的なもので、いろんな分野が協働して社会提言をしていきましょうという、こういう議論であります。ただ、これは人文系も含めてやっていたということで、後でもお話ししますが、幾つか仕掛けというのがあって、1つは研究者のイニシアチブという、この一番左の真ん中のものをかなり強調しています。つまり、社会課題というのは外から降ってきて、単なるそれに対するレスポンスをするというのではなくて、あくまでも研究者自身が自分の研究に絡めて現代的課題を考える中からどういうことが重要かということをアジェンダ設定していくという、研究者のイニシアチブを大事にしましょうというのが1つ。それから最後のところは、これは社会提言という言葉も、実はこれは多少いろいろやりとりをしてつくったところがあって、政策提言というのでダイレクトにやりましょうという人たちもいたわけですけれども、そこは一歩戻って、政策提言というと特定の一つのビジョンというのを押しつけるということにもなるので、必ずしもそうでなくて、社会に対して幅広く提言をしますと。また、社会は必ずしもその政策の担い手である政府だけではなくて、いろんな運動をしている人もいるかもしれませんねとか、そこはなるべく広くとろうというようなことをこのプロジェクトではやろうとしたわけです。

そういう意味で、これは最初の予算を取るときの1枚紙なんですけれども、いろんな課題がある中で、いろんな分野が連携して課題に寄与するような、これも真ん中の黄色いところに書いておりますが、基礎的な研究をしましょうというあたりで、少しその自立性を担保した形でやるというようなことをやって、その中でこの研究領域というのを4つぐらいつくって、そこにいろんなプロジェクトを少し発掘しながらつくっていってやるということを4年半ほどやりまして、最終的にはそれぞれの分野でのアウトプットとなりますが、ある種のシリーズとしていろんな分野でどういう社会提言ができるのかという、そこに焦点を当てたものは各グループで1冊つくって、それを十数巻の研究シリーズとして出すという、そういうようなことをやらせていただいたというのがこの事業であります。

それから、私自身が大学で今少しやっていることとの絡みで言うと、大学の中でもある種こういうことをやろうというのはあって、東京大学の中でいうと機構というのがいろんな分野横断的な仕組みというふうにつくっていて、もともとサステイナビリティだとか海だとか、それからジェロントロジーだとか、高齢化社会だとか、そういうある種、理系なりが中心になってきて、分野横断なんだけれども、ある種の縦割りというか、サステイナビリティだったり、高齢化だったり、海だとか、そういう横割りの機構をつくるというのをいろいろずっとやってきたわけです。そのときに最後、政策という横割りの話として少し部局横断的な議論をしてみるということも大事だということで、政策ビジョン研究センターというのはつくっています。

趣旨としては、総合大学なので、いろんな分野の知を統合して課題解決に役立つことをやりましょうと。で、社会の変化にも対応しましょうと。大学もそういうことも言ってもいいんじゃないですかという、そういうスタンスです。これをつくったときは私は必ずしもかかわってなかったんですけれども、どうもいろいろ議論はあったようで、大学が特定の政策のアドボケートをするのはいかがなものかという、当然そういう議論は出てくるわけで、必ずしもそれだけではなかなかうまくいきませんねということがあって、ある意味では、英語バージョンで書いていますが、Policy Alternatives Research Instituteという表記に見られるように、政策選択肢を提示するということを強調することになったわけです。その政策選択肢みたいなことを横断的に議論すると。議論を喚起するということは、これはアカデミック・コミュニティとして大事でしょうと。選択肢の議論をするのであって、特定の選択肢をプロモートするのではありませんという、何かそういう場をつくるということであれば、比較的皆さんが乗ってこれるというあたりでこういう枠組みをつくったというところがあります。

これも、つくってどう動かすかというのはまさに実験の世界なのでありますけれども、ここ自身にいろんなプロジェクトをつくって、いろんな人たちを大学の中から集めてやるということもやりますが、あまりそれをやっても少ないリソースでうまくいかないというところもあって、むしろ既存のいろんな部局でやっている研究なんかをつなげていったりとか、そこにある要素を少し足すような形で動かすというようなことをやろうとしているわけです。

そういう中で、例えば、こう並べてしまうと少し一般的ですが、高齢化社会への対応だとか、エネルギーをはじめとする科学技術の話だとか、地域安全保障のような話というのが具体的なテーマとしてはやられているわけです。ただ、大きな課題をそれ自体やっても必ずしもニッチもないし、おもしろくもないところがあって、例えばこの中で言うと、少し小さい文字で書いてありますけれども、市民後見の制度ですね。後見人の制度というのはありますが、今、高齢化が進む中でいうと、多分、需要に比べて全然サプライが足りてないと。それが行政書士とか弁護士だとか、いわゆる法定的な職としてやっている人だけでは足りなくなってくると。従来のように家族が常に後見ができるわけでもないと。そうすると、地域の中でのコミュニティでそういうことができる人たちをどうつくっていくとか育てていくかというのは大事ですねという、そういうある種の一つのニッチとしての社会制度みたいなことに焦点を当てて、それがどういうことがあり得るんですかということを議論し、政策的な提言にもつなげていくし、少しそういう人たちのある種の勉強の場をつくっていく、トレーニングの場をつくっていく、そういうことを例えばやったりするというのが1つあります。

それから、科学技術利用との関係でいうと、広い意味での技術の社会影響評価、テクノロジー・アセスメントと呼んでいますが、いろんな多面的なプラスマイナスをどういうふうに全体として判断していくんですかって、そういう手法だとかそういうスキームをどうやって入れていくのかというようなことですね。例えば医療の分野で言うと、どんどん医療技術が進んでいく中で、財政的制約もあって、そういう中で一体どういうものがちゃんと医療保険としてやっていくべきかとか、そういう仕組みづくりが必要になってくるところにどういうことがあり得るかだとか、あるいは医療制度、医療情報もある意味ではITを使ってある程度共有化することによっていろんなプラスが出てこないかと。他方、プライバシーの問題をどうするかみたいな、ある意味では大きな政策問題であると同時に、一見、細かい制度問題なんだけど、実は裏にいろんな哲学的な問題を含めてあるという、そういったようなものをピックアップして、どういう議論があり得るのかということを議論するようなことをやったりしています。こういうのも大学における一つの試みかなと思っています。

少しこういうことにかかわらせていただいたということをベースに、ある種の人文・社会科学が社会の課題解決に寄与していきましょうと。寄与って何かって、それ自体問題だと思いますが、そういったときにどういうことが論点としてあるのか、どういうことが重要なのかみたいなことを、以下、一般的ですけれども、少し整理をさせていただいているということです。

そのときの一つの問題は、距離の問題です。これは、つまり、社会課題の解決を目標にするのか、そうじゃなくて、そもそも何が社会課題なのかという課題設定というところにあくまでもとどまるのかというのが多分一つの大きな問題ですので、課題解決のところまで突っ込むというのもありますし、そこからむしろ距離をとるということが重要だということもあるんだろうと思います。これは先ほど2003年からやっていたときの人文・社会科学振興プロジェクト研究の枠組みづくりをしたときに、社会提言だという話をしたり、それから課題解決型研究プロジェクトと言わずに、あれは課題設定型プロジェクトという言い方をしていて、つまり、その課題設定までがミッションだという言い方をしたわけですね。それはある意味では、必ずしも課題解決というのに寄与するということは否定はしませんけれども、認識枠組みを提供するといったものを、どういう問題があるかということをある意味では考え直すという、いわゆる啓蒙だと思いますが、そういったものも当然社会へのフィードバックの形態の一つだし、それよりはもうちょっと踏み込んで、Policy Alternatives Research Instituteではないですが、オプションを示すということもあり得るし、場合によっては特定の現場における解決というところまで踏み込むというのもあり得るという、多分この距離感というのはいろいろあって、そこの多様性を維持することは全体としては大事でしょうし、逆に言うと、ある特定のことをやるときにはどこに焦点を当てるかということは考えるということは必要なのかなと思います。

先ほど申し上げた例で言うと、例えば理系主導だったということもあって、社会技術研究というのはかなり実装とか社会問題の解決ということが強調されて、特に評価のプロセスなんかになると、企業の方が出られるということもあって、結局、実装されたのかどうかって、結構そういうところがかなり議論の焦点になるわけですね。ただ、そもそも社会へのフィードバックというのは、先ほどお話ししたようにもうちょっと多元的なものがあるでしょうということが言えますし、それから、政策過程の研究者として言えば、そもそもどんなオプションが生まれてくるかということと、政治的にそれが通るかどうかという機会が出てくるかって、これは全然流れは独立した世界であって、オプションをつくるということと、たまたま政治的機会の流れに乗ってそれが実施されるということは、ある意味では別問題であって、研究プロジェクトのマネジメントの中に実装まで入れるというのは、ある種、政治的機会の流れをマネジメントしろというような話でもあるわけで、かなり無謀な面があります。ただし、理系ベースで社会課題の解決ということになると、えてしてこういうところまで入ってきちゃうところもあり、逆に言うと、こういうところをコントロールしようと思うと、やれることは極めてマイナーな問題に限定をされて、本質的な問題というのは扱われなくなってくるという、そういう問題もあろうかと思います。そういう意味で、研究プロジェクトとして落とし込むときに何をターゲットとするのかというのは一つの問題かなというふうに思います。

それから、今のこととも絡むわけですけれども、特に人文・社会科学系の研究、私自身は社会科学系、政治学系でありますけれども、特に人文系の場合には、先ほどの幾つかのカテゴリーで言うと、問題解決を提示するというよりか、そもそも何が問題かとか、そもそも家族のあり方とは何かとか、そういうことをある意味では歴史的な多様性なり文化的な多様性も含めて再認識させるとか、その問題提示自身、認識枠組みの提示自身がかなり目的という部分もあって、特にそこを広くとろうと思った場合には、そこの幅をどうやってとるのかってすごく大事になってくるんだろうと思います。他方、医療みたいな問題になれば、そういうある意味では認識枠組みの問題と現場の問題が直結してくることもあるので、必ずしもそこもきれいにすぱっと分かれる話でもないということだろうと思います。

それから、この2番目の点は、先ほども既に申し上げましたけれども、2003年からの人文・社会振興のためのプロジェクト研究というのは、つくる段階ではむしろ政策提言というところまで踏み込んだほうがいいんじゃないかという議論もかなりあったんですが、そうではなくて、これは押し戻したという書き方をしたと思いますが、押し返して、「課題設定型」研究と、課題解決ではないというところにしました。そういう意味では、その課題解決レベルのところを重点に置いたいろんな社会にフィードバックする研究というところは、それなりにある種伝統的な人文・社会科学系の機能であったというところもあるかと思いますが、それをもうちょっとオーガナイズした形でやるという方法をとったということもできるのではないかなと思います。

次に、じゃあ、こういうプロジェクトを実際にマネージしていくプロセスというのはどういうことなのかということです。少し一般的なところから申し上げますと、ある種、こういうプロジェクト型の研究のメリットというのは、これはいろんな参加していただいた方なんかと話したときに、やっぱりふだんそれぞれの分野でやっていた研究では気づかなかった対象を見つけたり、気づかなかった視角に出会えることであると。そういうことが大きなメリットだったんだというようなことが、いろんな関係、参加していただいた方からいただいたフィードバックでもあります。ある意味でこれは「お見合い機能」であります。いろんな分野で一見全然違う分野の人と話をするというのは、従来であれば、研究室の中で違う分野の人たちと茶飲み話をしたり、あるいはメディアの編集者というのは、ほんとうはそういう人たちを連れてきてある種触媒として機能するというのが本業の話だったわけで、大学がそれほど忙しくなければほっといて茶飲み話の中でできた話だったり、あるいはメディアに活力があればまさに雑誌の編集者なんかがやっていた話なのかもしれないんですけれども、多分、大学も忙しくなり、メディアもそんな余裕がなくなったときに、そういうお見合い機能というのがなかなか果たせなくなってきたところがあって、多分そこをある種プロジェクトとして意図的に果たしているというのがこの種の共同研究なんだということが言えるという面もあろうと思います。ただ、もちろん、従来あったものがなくなったからこういうプロジェクトとして立てるんですよという部分と、それだけではなくて、新しい現代的課題はある種のコンプレックスな性格が強いので、意図的にこういうことをやらないと対応し切れないという、多分そういう面もあるのかなと。

いずれにしろ、ある種のこういう出会いの場というか、お見合いの場が大事になってくるわけで、これをどう設定するのかというのが、実際にこういういろんなプロジェクトを動かしていく際の一つのかぎになるんだろうと思います。

これもすごくラフな類型ですけれども、トップダウン型とボトムアップ型と書きました。いろんなスタイルがあるんだろうと思います。例えば社会技術研究で少しかかわったところの経験でいうと、もちろんこういう分野、理系ベースのところでもいろんな分野で連携して課題設定をしなきゃいけないので、いろんな関係者、いろんな分野の人あるいは社会の実務家等を入れてワークショップをやって課題設定をする等々という、そこは丁寧なプロセスを経ますけれども、最終的には領域総括のような方を任命して、そこがトップダウンで基本的に決めると。あとアドバイザーがグループというのがつきますけれども、これは共同決定というよりかは、基本的に文字どおり領域総括のアドバイザーであるわけで、そのもとの領域総括の責任のもとでいろんな必要なプロジェクトを組んでいきましょうという、かなりそういうトップダウン的な性格がやはりかなり強いというように思います。

人社プロジェクトの場合ですが、これは初めてそういうことを実験したということもあって、2003年から2004年にかけて当初行ったり来たりということをかなりやりました。例えばどういうものがこういうことでやれることなのかというのは、企画サイドで4人あるいは5人ぐらいが企画のコアチームにいたわけですけれども、例えばこういったものがあり得るんですよというのを提示した上で企画案を応募すると。応募して来てもらった中で一定数を選んで、そういう人たちを連れてきて、2日間ぐらい無理やり他人の発表も聞かせるという機会をやって、どういうことをやったらおもしろいかということを議論すると。つまり、普通のプレゼンだと、自分の研究プロジェクトをプレゼンテーションして帰っていくわけですが、そういうプロセスではなくて、人のプレゼンテーションもみんな聞いてもらって、どこだったらどういうふうにつながっていくのかとか、どういう人たちと組んだらおもしろそうかということを無理やり聞かせると。1人10分で何十人か聞かせて、2日やるとかなり疲れてくるわけですけど、ある意味でそういうことを鍛練してもらうということもこのプロセスの中でやりました。

その上で、当然、応募者の企画をベースにそれをやってくださいということもありますが、同時に、じゃあこういうところと少し一緒にやったらどうですかとか、そういう個別調整のことをやると。もちろんここはすごく微妙なプロセスで、無理やり合併とかさせると後で大変なことが起こるというのは世の中の普通の組織と一緒ですけれども、かといって、少し新しい要素、こういう話をうまく入れたらどうなんですかというようないい意味で自立的に再組織化していくところもあるので、そういったことを丁寧に企画サイドと研究者サイドがキャッチボールを繰り返してやると。そういう意味で、ある種のプログラム・マネージャー的な機能を丁寧にやって、半年ぐらいかけてプロジェクト形成を行うということをやったという面もあります。

そのときに、先ほども少し申し上げたんですけれども、距離が大事だという面もあって、つまり、あんまり近い人たちで共同研究をやると、協力というか、競争になるというところもあって、もともとお互いに注意していた人たちでもあるわけなので、競争の側面が出てきちゃうわけですが、むしろお見合いは思わぬところというか、全然違うところのほうがお互いに変な競争にならないでいいと。つまり、協力活動をやったことによって得たものというのをそれぞれの分野に持ち帰れば、通常それぞれの分野でやっている業績とかなり違う話ができるので、そこは平和共存可能なわけですね。これがあんまり近いところで協力させると、社会的実利という意味においてはそっちのほうが大事なのかもしれませんが、その研究マネジメントとして言うと、多分相互離反をするというリスクもかなりあるので、その分野間の距離のあるところをむしろつなげるということのほうがいろんな意味で生産的なのかなという感じを持ったというところがあります。

次に、少し繰り返しになるところもあるんですけれども、こういう形でマネジメントしていって、それをどうフィードバックするかということで、これも繰り返し申し上げているように、多分いろんな形態があって、もちろん解決案を持ち帰ってもいいんだけれども、認識枠組みというのもあり得るし、中間はそのオプションというのもあると。そもそも、これをどう考えるかというのは研究という職業をどう考えるかというところもあって、あえてプロジェクト型研究だからこういうことをやらなきゃいけないという話なのか、そもそも研究という職業自身、一定の社会的責任としてこういうものが必要なんですという部分もあるのかとか、そういったこととも絡んでくるかなと思います。

それから、先ほどもこれも繰り返し申し上げたように、共同研究の成果というのも大事なんですが、そこで経験したものを各分野に持ち帰ってもらうということも結構重要で、それによって、ディシプリンごとでは出てこなかったような新しい可能性というのを探ると。そういうことをやろうと思うと、先ほども申し上げたように、必ずしも隣接分野ではなくて、多少距離のある分野の人たちのほうがうまくいったという、そういう面があるかなというふうに思っています。

それから、もう少しミクロな場に行くと、やっぱりいろんな分野で共同してやると文法を理解するということが結構重要で、手間もかかるわけですね。同じ概念も全然意味違う形で使っていたことがあると。例えばガバナンスなんていうのも、政治学や行政学で使っているのと、法学者がコーポレート・ガバナンスとか言ってやっている場合と、経済学者が使っている場合と、かなり違って、かなりその共通理解、翻訳困難だというところもありますが、この辺の距離感覚がわかってくるということが、ある種、共同でやる上ではすごく重要なのかなと思います。

こういうことをやっていこうと思うと、やっぱり手間と時間というのは確かにかかるわけでありまして、やっぱり継続的に会う場を設けていくというのはすごく重要だろうと思います。例えば人文・社会振興のためのプロジェクト研究の場合で言えば、継続的に会う場をつくるというのがあって、プロジェクトを採択したら終わりというのではなくて、特に最初のころですけれども、プロジェクトリーダーが十数人いて、グループリーダーって三十数人いたんですが、お互いの研究進捗状況報告というのを年2回やって相互に報告してもらってきました。これは、先ほどのつくるときと一緒で、皆さんに全部聞いてもらって、コメントもしてもらうって、ある種の見える形のピアレビューをやるというような形をやりました。これも最初やったときは、皆さん時間どおりできなくて大変だったりとか、何でこんなに全部つき合わなきゃいけないんだという話もあるんですが、うまくやってくるとだんだん、二、三分でもエッセンスを結構しゃべれるようになってきて、つまり、自分のプロジェクトを他人に対してどう説明するかというのをだんだんある意味では学習してくるわけでありまして、そういう中でポイントを持ってしゃべれるようになりますし、そうすると二、三分でも結構意味があったりとか、逆に人のも聞いているとおもしろいという、そういうある種のカルチャーみたいなものはできたのかなという気がしています。

おそらくこういう継続的なコミュニケーションってすごく大事で、先ほど申し上げた社会技術研究開発センターの中でもある意味ではそういうのが持ち込まれているところがあって、たまたま人・社プロジェクトの中でやった一つのグループの人が、社会技術研究開発センターの中で科学技術と人間領域という村上陽一郎先生がやっている領域があって、そこのマネジメントにかかわっていたということもあって、このやり方おもしろいというので、理科系ベースのところにも持ち込んで同じようなことをずっとやっています。彼らは合宿をずっとやっていたんですけど、年に2回ぐらい。そういったようなことである意味では同じようなことをやっているということがあります。

こういう意味で、外に開くやり方をどうやって覚えていくかは大事なんですが、他方、気にしなきゃいけない弊害というのもあって、ある人が言っていてなるほどなと思ったんですが、「プロジェクトタコつぼ」ということを言った人がいて、学際タコつぼみたいな、つまり、学際といって切り取るんだけれども、それ自体がまたひとり殻にこもってしまうという部分もあって、そういったようにならないようにするにはどうしたらいいのかというのがやはり一つの課題かなと思います。

それから、実務家を巻き込むというのも一つの要素なんですが、実務家との関係をどういう距離感でとるのかというのもなかなか難しいところがあります。一方では確かに需要サイドというか、実務家のニーズに対応するということはすごく重要なんですけれども、研究者の研究のサイクルと実務家の需要のサイクルというのは一致する保障は全くないわけです。そういう中で、もちろん、ニーズも把握せずに「社会のための研究」と称して何かやるというのは、これはこれで問題があるということはたしかですが、他方、タイミングも含めて需要者のクライアントの言いなりになるというのも、これもまた問題であります。ただ、時として世の中におけるニーズというのは中身の質よりもタイミングが大事だということがあって、締め切りに間に合わせるというのは我々にとって必ずしも得意な文化ではないわけですけれども、それが何よりも大事な場合というのもあって、そういうところの折り合いをどうつけるのかというのは一つの課題なんだろうと思います。

例えばイギリスなんかでは、ファンディングの中でもこういうことを少し議論しているようで、これは数年前ですけれども、たまたま行ったときに、Economic and Social Research Councilの中で知識のコ・プロダクションというような概念を使っていて、そういうタイプの知識のコ・プロダクションの研究というのを助成するという、そういうポスドクのフェローのプログラムみたいなのがあったりするんですね。これはどういうことかというと、研究者が現場の中にいて、現場をベースにある種の研究をやるということをフェローシップで何年か支援しますということなわけですが、ある意味では言いなりにもならず、かつ、それなりにセンシティビティを持つというあたりを微妙な距離感を共同生産という形で言っているのではないかなというふうに思います。

そもそもどういう距離感をとるかということと、逆に言うと、こういうタイミング設定を含めたマネジメントというのをだれがどこでやるのかというのも、多分必要な問題だろうと思います。おそらく実働の研究者が全部こういうことをやるというのはできない。多分、実質的にも無理だし、性格的にもあんまり合わないと思いますが、かといって、外から来た人がプロジェクト・マネジメントですとかいって企業のスタイルで、アカデミックを知らない人がプロジェクト・マネジメントなるものを持ち込んでやっても、これはなかなか現場は混乱するという、まさに大学なんかでもしばしば起こることかもしれませんが、そういったことも起こりかねないと。そうすると、一定のある種のバランスをとるプロジェクト・マネジメントというのはだれがやって、どうしていったらいいのかというのは、多分担い手の問題なり、それをどこに置くのかという問題はあるんだろうと思います。例えば理系との関係を考えても、研究の世界で言うと物量的には理系のほうがはるかに大きいわけですが、実際の世の中を考えると、理系のいろんな分野の研究なりをつなげていったり社会とつなげるというのは、むしろ文系の仕事だというところもあって、必ずしもアカデミックな仕事ではありませんが、こういった役割をどうやって考えていくかというのも人文・社会科学系にとっては大事かなという気がします。

それからあと少しまた細かい話ですけれども、やっぱりこういうことができる若手研究者が重要だというのか1つ目の点です。つまり経験からいっても、ポスドクで博士論文を書き終わったぐらいの人が、もちろんそれをさらに展開するということも重要なんですが、博士論文を書いたもとの分野と少し違う分野も含めて勉強してみるというのも、一つのキャリアパターンを考える上では多分意味があるのではないのかなということです。つまり、博論を書いた分野で次に進化していくというだけではないキャリアパスというのは若手研究者にもあり得て、それは本人にとっても悪くないだろうし、逆にそういう人がコミットしていろんな分野の文法を理解してもらわないと、プロジェクト研究というのを忙しい研究者が集まってやってもなかなかうまくいかないという、そういう問題です。

とはいっても、じゃあ、そういう人たちをほんとうにちゃんと評価してキャリアパターンとしてできるかという問題はあって、発表媒体がこういう横断的な研究の場合、なかなかないだとか、研究者の評価としてそういうのがどこまで評価されるのかだとか、その後、キャリアパスがどこまで続くのかという、そういった問題というのは、これは昔から議論されてきましたが、ずっと続いている問題だろうなと思います。

それから、どうやってインセンティブを確保するかというので、要するに、全然違う分野の人とやってみて思わぬことに気がついて、これ、おもしろかったという、そういう人たちは比較的乗ってきていただきやすいですね。ところが、ちょっとこれは若干たまたまの部分もあるし、私見も含んでいるんだと思うんですが、結構、2003年から2007年にやったときに大変だったのは、経済学者と法学者を巻き込むというのはかなり困難だったという意識があって、1つは、やっぱり経済学者ってディシプリン―ちょっとこういう断定はよくないのかもしれませんが、ディシプリンごとの論文生産というというのは英語のジャーナルの世界でありますから、やっぱりそこから特に若いときに離れるということはなかなか難しいと。都市経済だとかそういう応用分野の方、医療経済とかそういうちょっと珍しい方がいて、そういう人がいろいろ引っ張ってくれてはいたんですが、一般的にはなかなか、経済学者をこういう世界に、こういうタイプのプロジェクト研究に巻き込むのは難しいなという印象を持ったと。それから、法学者というのはこれは別の理由で、こういう制度設計の話というのはまさにいろんな話をつなぐような話なので、そういう意味でオリエンテーションはないことはないんだと思いますが、とにかくロースクールができたという事情もあり、若手というか、中堅ぐらいの法学者は、同世代ぐらいの法学者はちょっと忙しくてほとんどだめだという感じで、そうすると、こういう人を巻き込もうと思うと、当時20代とか30代前半ぐらいの人を巻き込んでいかないとなかなか動かないと、そういう事情があったというところはあります。この辺は事情が変わってくるところもあると思いますが、どういう分野の人を巻き込んで、どういうタイプのプロジェクト研究をやるのかというのは、必ずしも一様なものではないだろうなと思います。

以上が、ある意味では私自身がたまたまかかわってきたことをベースに、実際に動かすものをつくっていこうと思うと、どういう仕組みなり何なりが大事かということを少し考えたことを整理させていただいたということです。

こういう整理をしていた段階のとき、たまたま、ある意味では京大の人文系の伝統というか、桑原武夫先生だとか梅棹忠夫先生なんかの話というのは、実はこういうことを書かれているものもあるんだよというのをたまたま知る機会がありまして、ああ、そうかというので、見つけて読み返してみたわけです。そうすると、かなりのことは、今こういう議論で言われているのと同じようなことはある意味ではずっとやられてきたということでもあるのかなということを改めて認識したということがあって、そういう意味では幾つか抜き書き的に紹介をさせていただきたいと思います。

例えば桑原先生のもので言うと、同じ学問内での共同研究を考える自然科学とは異なり、人文科学においては異なった専門分野の学者たちの協力を重視すると。異なった分野が重要だというのはかなり共通で、ただ、自然科学が同じ学問分野かというと、多分、今はコンバージング・テクノロジーみたいなインフォとバイオとか言っていると、かなり理系自身変わってきているんじゃないかなと思いますけれども、ここはかなり共通するというところはあるかなと思います。

あるいは2つ目のポツで言うと、共同研究には、専門のセクショナリズムの壁を打破する作用を持つと考えると。そのためには、他の領域の仕事がわかり、少なくともわかろうとする熱意を持つ専門家たちの集まりが必要だと。慎重の態度というのは学問の敵だって、こう断言をされているんですね。

それから、これはちょっとわからないところもあるんですが、共同研究をやるときのモデルは、むしろ生物学的なモデルであって、数学や物理学とは違うと。とはいえ、ディシプリンが意味がないかというと、訓練あるいは稽古としての意味を持っているとか、最後のところは若干私が先ほど申し上げたのと違うんですが、学問と学問との距離があり過ぎるとうまくいかないことがあるという。私の感じでいうと、場合によっては距離があったほうがいいのではないかなというのは先ほど申し上げたことです。

今度、梅棹先生のもので言うと、例えば共同研究の定義というのがあって、専門を異にする複数の研究者が意見を闘わすことによって、一人一人の密室における研究成果を飛躍的に上回るほどの学問的生産を上げることをねらいとしたものだと。

2つ目は、共同研究は個人が相互に自己を拡大するための相互啓発の装置だというわけです。

それから、専門分野はむしろ多岐にわたっているほうがよいと。重要なのは、リーダーの責任。共同研究チームを組むときは同じ専門の人たちが固まりやすいのですが、むしろそうでないほうがよろしいようであります。これはむしろ研究チームは多様なほうがいいと言っている部分があられるのかなと思います。

それから、人文学の研究に従事する者においては、そもそもそのような目的、具体的な課題は存在しないのが常であります。つまりこれは、問題解決型研究というのは重要ではないかという文脈の中で、むしろそんなものはないと。ある意味ではここまで言い切れるというのはなかなかすごいわけですが、自然科学の共同研究と異なり、人文学の共同研究は目的なき学問、無目的の学際研究であるって、これを強調すべきだという、そういう議論ですね。

それから、共同研究であってもやっぱり責任というのは大事なので、研究会に参加したメンバー全員を尊重せよと。そのためには執筆者個人の名前を明記するということが大事だと、こういう議論をされています。

そういう意味でいうと、何しろこの種の議論というのは必ずしも新しいことではなくて、従来から議論されてきたことが新しい文脈でもう一回再度議論されているという、世の中しばしばありますが、そういう繰り返しだという部分もあるんだろうと思います。

最後は、こういったようなプロジェクト研究の実験は、ある意味では伝統もある話ですし、2000年以降もいろんな形でなされてきたと思うんですけれども、こういったものを制度化するなりということはどういうことかとか、そのためにどういうことが考えられるのかということを、最後、少し触れさせていただければと思います。

私自身がかかわった例でも、幾つかのこういうタイプのものって、理系サイドから社会技術研究としてやってみたりとか、人文・社会サイドから人・社振興のためのプロジェクト研究だとか、今やられているような異分野融合のための研究だとか、そういうプロジェクト研究というのはなされているというのが事実です。しかしながら、基本的にプロジェクト単発の側面がかなり強いのかなと思っていますし、それから、時限の枠組みであるし、それから、比較的やっぱり今までは大規模なプロジェクトなんですね。大きなプロジェクトでこういうのをやろうというのをやっていたというのが一つの特徴だろうと思います。

こういったときに、こういうことをもうちょっと広げていこうと思うと、一体何が臨界点といいますか、ティッピング・ポイントになるのかだとか、これはある人と雑談していたとき、こういうオリエンテーションを持つ人が15%ぐらいいるとかなり変わってくるという、15%って根拠があるかどうかわかりませんが、別に全員がこういうことをやる必要は全くないわけですけれども、こういうオリエンテーションを持つ人が一定比率いるみたいなことがやっぱり重要ではないかというようなことを議論したことがあります。

例えば、これはあくまでも一つの例ですけれども、科研費なんかの枠の中でもこういった横断的に社会課題に寄与しましょうみたいなのは、多分いろんなところで分断的に挙げられているんですね。これはたまたまちょっと政策とかかわるような分野のものがどういうところにあるのかというのを並べてみたんですけれども、社会科学系もありますし、同時にむしろ理工系なり薬学系、レギュラトリーサイエンスだとか医学とか、そういうところもいろいろ入ってくると。ある意味では、こういういろんなものをもうちょっとくくるプロジェクト型研究みたないものを正面から、例えば少し新領域系なのかわかりませんが、そういうところに設定する。あるいは、そういうところのマネジメントには通常の研究者のピアレビューだけではなくて実務家も含めたピアレビューみたいなことを試みて、先ほど申し上げた知識の共同生産みたいなことを試みてみる、そういうことも一つあり得るのではないかというのが、これは1つです。

それから、そういったときに、特に科研でやるとやっぱり主要研究分野というのを1つ決めなきゃいけないわけで、それはなかなか難しいところがあって、そういう関連分野を広く指定できるなり、逆にそのレビューシステムをどうつくるかということを研究ファンディングとしても考えなきゃいけないですねというのが1つです。

それからもう一つは、これ、3ポツ目ですけれども、先ほどちょっと申し上げたように、比較的大規模なプロジェクトはこういう話が比較的今まで多かったというのもありますし、既存の枠組みのできるところはあります。例えば新学術領域研究のところであれば、大規模なものを立ち上げて、単独のプロジェクトあるいは領域として少し分野横断的なものを立ち上げるということができます。ただ、それだけでいいかというと、多分幾つか課題があって、例えばそういったものができるとしても、マネジメントサイドは、例えば科研費の審査部会の委員なんかも2年任期なんかで回っていますので、なかなか長期的なものを見られない。そこをある種のプロジェクト・マネジメントをどうやるかというところの工夫が多分同時に必要になってくるところもあるでしょうし、それから、やはり大きなものだけじゃなくて、こういうオリエンテーションのある人を増やそうと思うと、若手研究者だとか実務経験のある研究者にむしろ比較的小規模でいいので、横断的な社会連携型のプロジェクト研究をできるような枠をつくると。

あるいは、そういう人にお金としてはあんまりたくさんは渡すわけではないんですが、そういう人たちが相互交流できるような分野横断的な社会連携型の研究のコミュニティをつくると、そういったことも多分必要になってくるのではないかなということです。

最後に挙げたのは、第4期基本計画に向けた総科技術会議の基本方針のものを列挙しているんですが、科学技術サイド自身が社会と科学技術との関係みたいなことを考えざるを得ない中で、ある種、要素として入れて、人文・社会科学の中から入れていける要素というのは、いろんなところにいろんな形で散りばめられています。実際に入っていくとなかなかカルチャーが違うところがあって、さっきのトップダウンとボトムアップじゃないですけれども、いろいろ緊張関係というのはこれは当然起きてくるんですが、ただし、こういう窓が開いているんだとすると、こういうところにちゃんといろんな形でもうちょっと組織的に関与していくということも人文・社会科学のあり方としてもあり得るのではないかなというふうに思うということであります。

以上、ちょっと行ったり来たりになりましたけど、一応私のほうからの問題提起とさせていただきます。どうもありがとうございました。

【樺山主査】

城山先生、ありがとうございました。とりわけ城山先生、さまざまな形でプロジェクト研究あるいは共同研究等のリーダーとしてかかわっておいでになりましたので、その経験もあわせて、かなり具体的な実践的な経験もあわせてお話しいただきました。

それではですが、ただいま4時45分ぐらいでございますので、少し長くなりますので、ちょっと5分ほど休憩いたしまして、その後ですが、約1時間ですが、2つお話しいただきましたので、2つをとりわけ厳密に分けることなくそれぞれご発言いただきまして、後ほど私どもとしましては、今後、幾度もこういう会議がありますので、そのときに繰り返し、繰り返しこの議論をしなければなりませんので、あまり結論を求めずに、それぞれに皆さん方、感想なり、あるいはご質問なりをアトランダムにいただくということで進めたいと思いますので、ちょっとこの休憩の間にご準備いただければと思います。

それでは、今、46分ということですので、少し甘目に見まして4時55分から始めさせていただきますので、その時間に席へお戻りください。

( 休憩 )

【樺山主査】

それでは、休憩時間を終わりましたので、再開させていただきます。

お二人から今お話しいただきました。少し肌合いは違うお話ですけれども、いずれも現在の人文・社会、人文学及び社会科学が直面している問題にかなり密接に触れるところがあった問題かと思っております。時間の制約がございますので、それぞれ皆さんのご感想なりご質問なりを承ります。ここは結論が出る場所ではありませんし、また、相手を説得し、納得させる場所でもございませんので、どうぞいろんな形でもってご自由にご発言いただきたいと思いますが、結論が出る前に時間が来るのがごく普通でして、6時までとお約束しておりますので、そこまでには本日の会は終了させていただくことにいたしますが、私たちのこの委員会はまだまだ存続をいたしますので、先へつながるような、続くようなお話がいただければ幸いかと思っております。

それでは、ご自由にご発言いただきますけれども、先ほどは鶴間さんのお話が途中で話が切れておりますので、先ほどのご質問のうち、ごく簡単に繰り返して、こういうことだということを繰り返しお話しいただくところから始めましょうか。

【鶴間委員】

先ほどの質問で、1つはもうお答えしていただいて、意外と政治的な人間の行動というのは商品を選ぶ行動とあるところは似ているのかなという、コーラの話で伺いましたけれども、その先のところですよね。人間の政治的な社会的な行動というのはもっと複雑なところがありますね。それを今後どういう形で実験を通して明らかにしていけるのか。また、そこのところは人間の複雑な社会的な行動を脳科学から分析するのは、それは難しい問題なのかというような、この先の広がりといいますか、それをちょっと伺いたいと思います。

【樺山主査】

加藤さん、どうぞ。

【加藤委員】

はい、ありがとうございます。実は先ほどちょっとご紹介した実験のフレームワーク、最初の実際にある選挙キャンペーンビデオを見せるという部分は、非常に革新的な実験フレームワークだったのですけれど、言いかえますと、神経科学ではあまり受け入れられない実験フレームワークで、論文を出版するときなかなか苦労しました。ですから、今後、実験するときには、ある程度まで神経科学で行われているような実験の形態で、しかし、政治行動に結びつくということで工夫しています。今やっている実験のような実験というのは、政府が公共財を供給する、つまり、競争がなく排除されないで消費できるような財、例えば政策であるとか、その政策の結果で得られた都市の治安であるとか、そういうようなものなのですが、そのような公共財の供給ですね、実際にそれを供給するという、そういう場合にもかかわるような、繰り返しゲームで実験をしています。

先ほど質問していただいたことですが、実験でこういう結果が出たからといってすぐ現実的な含意を引き出すというのは危険です。当たり前ですが、そこの実験に参加した人たちの特徴であるかもしれないという可能性もありますので、そういう意味では、実験結果を過大解釈することで悪用されるような可能性のほうが強いので、その点は気をつけていかなければいけないと思います。今のところ、政治学とか政治現象の理解に関して神経科学が一番貢献しそうな大きな問題としては、私たちは人間の行動を外側から見ているときに、これは理性的だとか、これは感情的だとかって分けて考えていますが、その二分法に関わるものでないかと漠然と考えています。論理的に説明でき理性的に判断しているような場合でも、もともとその人が持っている非常に強い人間としての傾向、感情とまでは言わないまでも、その人自身の個性のようなものが特定の目的を与え最終的な判断に影響している可能性があることは十分考えられます。例えば政治行動では、政党を支持するような党派的な支持は感情的なものだというふうに考える人もいれば、政策判断をして理性的に考えていると説明する方もいます。もしかすると、認知心理過程を見るとその両者が間違っていないのではないかというような、そういうふうな可能性を提示できるのではないかと。そういうようなところが、今後、研究をしていくのに期待されるところではないと、現時点でははっきりした形になっていませんが考えています。この感情と理性の対立というのは、ある意味で政治にかかわらず人間行動に非常に大きくかかわる部分ですので、その点はやはり脳の活動とか認知過程を見ていったほうがいいのではないか、そんなふうに考えています。

【樺山主査】

はい、どうぞ、縣科学官。

【縣科学官】

今のことを少し敷衍させていただきますと、先生は政策研究されているということでいらっしゃいますので、政策研究において脳神経科学的な分析手法や、その分析結果がどの程度の位置づけができるのか意義があるのか。特にきょう城山先生がおっしゃった課題解決型の研究ということを意識したときに、そうした発展可能性を見出すことが可能かどうかということはどのようにお考えですか。

【加藤委員】

大きな意味で何らかの答えをすぐに与えるというのはなかなか難しいのではないかと思います。今は脳の中の活動とか行動が完全にわかっているとはとても言えないような状態なので、何らかの意味で課題を設定する、特に現実的な問題で課題を設定するというところまで、あまり性急に成果を求めるのは危険だとは思います。一方で、これは私がやったことではないのですが焦点を絞って成果をあげたと考えられる例もあります。オレオレ詐欺というのがありますよね。警察官が被害にあっていると思われる方に聞くときに「あなたは詐欺にかかっていませんか」って聞いてはいけない、例えば、「最近、携帯電話で自分の息子さんから電話がかかってきましたか」とか聞くように方針で徹底されています。あれは行動実験と脳神経科学実験を、玉川大学で実験を行って、内閣府が出した結論だと聞いています。つまり、人間は何か集中して考えていると、そこから抜け出せなくなる。だから、違うことを聞く。つまり、詐欺の話ではなくて、詐欺にあう被害者が遭遇する事態で一見詐欺に関係なさそうなことを聞いてみると。これは非常に大きな成果であると思って、私は関心を持ったのですけれど、そのような形での貢献でしたら、焦点を絞った形で何か貢献するということは考えられると思います。一方で、アプリオリに大きな課題を設定してというのは、かえって今は危険ではないかと思います。まだまだいろいろな意味での研究蓄積がないと、特に人間の社会的行動についてはわからないことが多いというふうに考えたほうがいいのではないかと。

【縣科学官】

やはり研究対象も方法も非常にミクロなものであって、人間個体それぞれのあり方ということは、個性を昇華して一般化したとしても、あくまで個人的行動の問題に留まり、社会的営為として拡大して考えるという意味で、脳神経科学的な手法なり分析結果というものを活用することはなかなか難しいという理解でよろしいでしょうか。

【加藤委員】

今おっしゃった個体差の問題も非常に大きい問題であるとともに、被験者の脳を非侵襲的に見ているわけなので、被験者の脳のことも全部わかるわけではないのですね。統計的に処理して特に強い活動部位しか出てこないので、ほかのところも働いていたとしてもそれより弱ければデータとしては出てこないで全部消えてしまいます。それを何とか技術的なところ、あるいは実験の手法で改善していこうとはしているのですけれど、まだまだです。こうした限界をわかっていないと、ここが活動していると光っている画像を見ると何となくわかったような気がしますが、あれは脳の活動しているところのほんとうに一部なので、気をつけなければいけないと思います。

【樺山主査】

はい、どうぞ。伊井さん、どうぞ。

【伊井委員】

伊井です。文学研究をしておりますので、全く違う分野で申しわけありませんけれども、これの研究、さまざまな質問をお聞きしながら興味深く思っているところです。これを先へと発展させていく目的は何なのかというのが1つ疑問に思いました。それとある意味では、今、政治学だとかコマーシャルのこともありましたが、そのような人間の反応を次々とこれから何十年もかけて分析していきますと、人間の思考の誘導につながらないかとか、人間の脳の操作というところへ未来的にはなっていきかねないのかどうか。そこのあたりも少し見通しを含めてお聞かせいただければありがたいと思っております。

【樺山主査】

はい、どうぞ。

【加藤委員】

最後のほうのご質問のほうからちょっとお答えしたいのですけど、研究を初めて最初の頃、脳神経科学の方とお話をすると「いや、最終的には人間が何考えているかわかるようになる」というふうにおっしゃるように受け取れることがありました。先ほどのところで言葉が違うとありましたが、どうも神経科学者と社会科学者では、言葉でイメージすることが違うようです。脳神経科学の論文を読んで「マインド・リーディング」など書いてあると、私は社会学者なので「これは何だろう」と大変期待して読んでいくと、見たイメージが再生できるという話だったということもありました。もちろん人が見た対象が脳の活動から再生できることでも大変なことです。ただ、見たイメージが再生できても、その人が何を考えていたかわかるわけでないと、人文・社会科学の人間なら考えますよね。ですから、悪用されるようなところまで技術が行くというのは実はかなり先の話で、かえってこれでできますよというふうに信じ込んでしまう危険のほうが大きいのではないかと私は思います。

異分野融合の目的は何ですかということで、実は神経科学の方にも聞かれたことがあるのですけれど、私は、先ほどのスライドでお見せしたように、政策決定過程とかを比較政治、ほかの違う国で、つまり違うコンテクストで比較して考えていくというアプローチを取る研究者です。例えば日本で総課税負担が低くて、それなのに少し増税しようとすると強い反対が出るのはなぜか、たくさん税金を取られていても比較的不満が出ない国はなぜそうなるのかとか、そういう大きい問題を設定して、例えばこの時点で、この国ではこういう政策を行ったからとか、こういう政党・政府があったからとか、目に見えるところで全部説明していっていたのですね。これも8カ国回って比較して説明した後、最後に、日本の人は同じ政策を見てこう考える、ほかの国の人は同じものを見ても全く違ったように考えているというところに行き着いてしまったのです。そう考えるようになった理由というのは、制度とか政党・政府とか政策のあり方で説明できます。でも、究極的には人間の中で考えた結果であるということがわかってしまいました。政治学をやっていると、認知心理過程が重要であることまではわかるのですけど、それを直接得たデータで何らかの形で実証することは全くできません。異分野融合の研究に魅力を感じたのは、政治学ではわかっているのだけれども、データを出して説明できないことに、データを出せる可能性があるかもしれないというところです。

【樺山主査】

はい、どうぞ、大竹さん。

【大竹委員】

大竹です。加藤先生、城山先生、興味深い話、どうもありがとうございます。私も神経経済学や双子研究など、学際的な研究をしていて、共感することがたくさんありました。

3点ぐらいお話ししたいのですが、1つ目は両先生の議論で共通しているところで、学際研究を始めるときのきっかけとかマネジメントというのはかなり難しいという点です。加藤先生も全くの偶然でそういう共同研究者を見つけられたということですが、私自身もそうで、現在、神経経済学の准教授を雇っているのですが、そこまで行くのに、いろいろありました。まず最初に大学時代の友人で理化学研究所の脳研究者に阪大で誰かいないかと尋ねたのです。阪大ではこういう先生がいいというのを教えてもらって、そこの大学院生と一緒に勉強会を始めて、彼らのセミナーなどに参加するようになり、そこでプレゼンテーションしていた人が今雇っている人なのです。神経経済学の分野で『ネイチャー・ニューロ・サイエンス』に論文が掲載された研究者です。そうやって偶然でプロジェクトが大きくなっていったというのが1つ。もう一つのパターンは、経済学的な意思決定が遺伝するかどうかというのに興味があり、双子研究ができればいいな、ということを私の研究所の事務長に話しましたところ、阪大に双子のデータベースを持っている人がいるというので紹介してもらって始めたのです。ですから偶然なのですが、そういう何かインフォーマルなレベル―研究業績だけでなく、どういう人柄かというところも大事なので、そのレベルの情報を持っている人がいないとなかなか進まないというのがあるかと思います。始めてみたはいいけれど、全然うまくいかないということもあり得ます。ですから、そういうインフォメーションを、例えば大学だと本来は産学連携本部のようなところがある程度持っているはずなので、それを学内の人が利用できるようなシステムにしていくというのが1つ。そこがプロジェクト・マネジメントも含めるような形のノウハウを蓄積すればいいのではないかと、私自身の経験からも思いました。現状はそうなっていないですし、そういう組織がないのが大学の問題点だと思います。

2つ目は、城山先生がおっしゃったことですが、私の場合、脳科学で特任准教授を雇ったら今度は研究費でお金が要るので、脳科学プロジェクトという課題解決型の文部科学省が行っているプロジェクトに入ることになりました、それはありがたかったのですが、そこの問題点は、やはり技術開発とか課題解決が要求されるということです。おっしゃるとおり、人文系の神経経済学にしても、人間の意思決定は何かというところを調べたいわけで、それがすぐ技術開発に必ずしも結びつくわけではないのですが、それが求められてしまうというところはなかなか難しいところがあります。こういう人文・社会系と理系の融合研究を進める上で、確かに理系の予算の中に人文・社会系との共同研究というような枠を入れてもらうと、進める起爆剤になるとは思いますが、そのときの成果についてそれなりの配慮がないとなかなか難しいというのを、今進めていて思っているところです。

あともう一つは、理系の人たちと共同研究する際に、文系の研究の進め方と随分違うので、組織の中に違うタイプの人をどうやって組入れていくかというのは、運営上なかなか難しいところもあります。3つ目がその話ですね。運営の仕方が一番難しいという、そのシステムですね。文系のように個人プレーのところにチームプレーが入ってくるというのは組織上なかなか難しい問題があるというのは、進めていく上での問題点としては思っています。以上です。

【樺山主査】

はい、ありがとうございます。

城山さん含めて、何か今のご意見にご感想ありましたら、どうぞ。

【城山教授】

まさにおっしゃられるとおりだなという感じはしています。それで、最初の1点目について言うと、偶然なり人、結局人を見なきゃいけないというのはまさにそのとおりで、私が申し上げたので言うと、例えばとにかく継続的に会う機会を設けるというのは、やっぱりそういう側面もあるんですね。ずっと聞いていて、この人だったらちゃんと一緒に仕事できるかなと。納得しないとお互いに動き出せないし、やっぱりお互いにある種の時間という最大のリソースをかけることになるので、そこに踏み出せないということがあるので、やっぱりそこの実際に会うというのはすごく大事なことで、そのときに、確かにある種の情報データベース的なものは役に立つんだけど、やっぱりちょっとそこでは限界があるのかなと。産学連携本部についてき、産学連携本部はある人は「産学障害本部」と言われたのを聞いた記憶がありますが、要するに手続が1個増えるだけだみたいなところもあってですね、そこを通さなきゃだめだと。だから、むしろダイレクトにいろんな分野の人に何か触感を持って会えるような環境をあんまりコストかけずに何かできることはないのかなと。だから、例えばたまたま隣にこういう分野の人がいたというのがきっかけになるというのはそうなんだけど、何かそういう機会を多分なるべく広く持っておくほうがいいのかなと。だけど、それをあんまり義務感だと思ってやっても何かあんまり生産的ではないし。ただ、逆に言うと、そういう人を探すセンシティビティのある人は何かぱっとそういう場面に行ったときに見つかるんですよね、多分。逆に言うと、会っていても見つからないところもあるので、だから、確かにきっかけなんですけれども、きっかけをいかせるようなことというのは何かみたいなところは、もうちょっと事前準備もできるところもあるのかなという感じがしています。

それから、2番目のお話で言うと、確かに人の話をどう考えるかというのはポイントで、ちょっと先ほど私が申し上げたので言うと、今までは異分野融合型のというのは比較的大きなプロジェクト形式で人文・社会の場合やってきたという話であって、そうじゃなくて、もうちょっと若手の人に気軽にいろんなことができるようなことができるといいんじゃないかというのを一つのメッセージで申し上げたんですが、どうもやっぱりあの種のプロジェクト研究のいいのは、ポスドクを雇えることなんですよね。今まで文系はやっぱり、基本的にプロジェクトをやるときにポスドクを雇うという考え方がよくも悪くもあんまりなかったんだと思うんですね。やっぱりある程度のお金があると人を雇える。人が何人かいるということで初めてできることというのはあるので、そういう意味では、ある一定の規模のものを人文・社会系でもやるというのも多分意味はあるんですよね。普通の科研で言うと、多分Aでもちゃんと人を雇ったらそれでなくなっちゃうところもあるので、できないことはないですけど、そういう意味でいうと、ある程度大規模なプロジェクトはやっぱり人を保障していただいたという意味では意味があって、それが変な意味のポスドク対策になっては全く意味はないですけど、やっぱり人に投資をするんだって、我々は最大の労働集約型産業なので、そういう意味でいうとそれはちゃんと主張して、人をつけることは大事なんですよということを言うと。それはなるべく無理をしない形で人がつけられるような、だから先ほどの理系の枠の中で人の枠をとるだけじゃなくて、ほんとうは文系の中でそういう価値観の中で人をちゃんと違う分野の人も育てられるみたいな、何かそういうテリトリーをちゃんとつくれるといいのかなと。

それから3点目はおっしゃるとおりなんですが、他方、私もちょっとよくわからないところもあるんですが、理系も何か相互にいろいろどうもカルチャーは違うらしいので、理系も一つじゃないんですよね。要するにちゃんと仮説検証型の論文じゃなきゃだめだというところもあるんですが、他方、例えば情報分野の人なんかと話をしていると、結構プラクティスレポートみたいなのが、ある種のレビュード・ジャーナルみに載ったりとか、何か法律の判例評釈に近い世界なのかなみたいな感じです。だから、いわゆるサイエンティフィックな論文と違うタイプのことをむしろ理系の中でやっている分野もあるので、そこは何かいろんなタイプもあるのかなという気がしていて、ただ、そこは風呂敷広げただけで、どう修正するのかというのはまた考えなきゃいけない話なんですけど、そこを広げた上でどういう形があり得るかなというのをいろいろ考えていく必要があるかなという感じがします。

【樺山主査】

はい、ありがとうございました。

どんな角度からでも結構です。ほかにいかがでしょう。はい、どうぞ、池田科学官。

【池田科学官】

池田でございます。私、大竹さんの同僚として一緒に仕事をしたりしていますので、彼が言ったことに共感するんですけど、それ以外に2つばかりコメントしたいと思います。

1つはかぶるんですけど、そのプロジェクトを進めていくに当たって、制度設計とか政策提言、問題解決というふうに城山先生はおっしゃいましたけれども、そういうことは、プロジェクトの行き先としては非常に大事なことだと思います。大きなお金を使ってプロジェクトを立ち上げるに当たっては、社会への説明責任という意味ではそういった部分が大事だと思うんですけれども、例えば加藤先生が脳科学のプロジェクトを立ち上げられたときには、そういった政策課題みたいなことは念頭にあってお始めになったのかどうかです。研究成果を早急に制度設計につなげることは危険だということは、そのとおりだと思うんですけれども、そのプロジェクトの遠い目標としてそういうことを謳うということは大事じゃないかなというふうに私は思いました。

もう一つは評価のことですけれども、加藤先生のご報告を聞いていまして、ポイント、ポイントでジャーナルペーパーのことがお話に出てきまして、私も専門は経済学ですから、やっぱりジャーナルペーパーというのは非常に大事で、自分のキャリアをつくっていく上では重要になります。、こういう分離融合のプロジェクトをずっと立ち上げていく、あるいはそこにお金をつけていくという上では、やっぱり査読性というのは、それが唯一の手ではないですけれども、やっぱり必要ではないかなと。やっぱり我々の人文・社会系の評価もそういうところにちょっとウエートを置くようにならざるを得ないのかなというふうにちょっと思いました。それが2点目です。

【樺山主査】

ご感想ではありますけど、それぞれこちらのご感想があろうかと思います。加藤さん、いかがです?

【加藤委員】

私は城山先生と同じように政策も専門なので、まず政策の課題というところに関して言います。もちろん城山先生のように政策の内容で設計してという形でなくて、各国でどういう政策が何でやられているのかという比較政治の立場で政策研究をしてきたました。そのときに気がついたのは、どういう政策課題でどういうことをやったほうがいいか、どの選択肢をどのような優先準備でというようなことを考える場合、包括的解決は難しいのですが、決してこれはやってはいけないことと、これは少なくともやっておいたほうがいいことというのは、意外に特定しやすいんですね。ところが、やはり現実を観察していつも不思議に思ったのは、やるべきでないことをやり、やるべきことをやらないことが多い。そうすると、なぜ人間はそういうふうに行動してしまうのかというところから、認知過程に興味を持ったというところはあります。同じような政策でも、例えば、先ほどもお話ししましたけれど、受け取り方が違うことによって政策の効果も違ってしまうと、そういうような問題から政策に興味は持っています。

2番目のジャーナルペーパー、査読性のお話のほうが、私としては有用な情報を提供できるかと思うのですけど、皆さんにお配りした私の論文、この『PLoS ONE』という雑誌は面白い位置づけの雑誌です。人文・社会系の方は自然科学系では徹底した査読制があって競争があるのが好ましいというふうにやはり見ていますが、やはり問題もあります。トップジャーナルになるとエディターが判断して査読に回さないのがほとんどです。私たちが最初に発表した論文は10誌ぐらい続けて査読に回してもらえませんでした。異分野融合ですから当たり前ですけど、政治学が専門の人間とすぐ所属でわかるような主要著者ですから信用がなくて門前払いです。エディターが判断してレフェリーに回したり回さなかったりするということには不満があり、必ずしも査読だから公平だとは、実は自然科学の方も考えていません。実はこの『PLoS ONE』というのはそこに対する批判とジャーナルの採算を取るという発想から始まりました。ジャーナルは、論文を載せて、そこで投稿料を払わせ採算を取るので、窓口で門前払いの場合、投稿料を払わせられないので、採算も合いません。この『PLoS ONE』の系列には『PLoS Medicine』とかほかの雑誌もあって、そちらはランクが大変高い雑誌で、どんどん門前払いをしているのですけど、そうやっていると採算が取れない上、レフェリーに回してもらえない中堅の研究者の不満もでてきます。そこで、この『PLoS ONE』というのは科学的にきちんとした研究がされていれば、分野で極めて高い重要性がないからと門前払いするのでなく、研究の科学的な健全性や達成度を重視して採用する、出版するという、そういう方針を持って始められました。ですから、PLoSシリーズの採算を合わせるということもありましたし、レフェリーに回さないという門前払いがやはり公平ではない。著名な研究者はまず確実にレフェリーに回してもらえるのでそういう不満に対応して作られたわけです。『PLoS ONE』が始まったときに『Nature』とか『Science』のエディターはこのジャーナルはごみ捨て場になるだろうと言ったのですが、『PLoS ONE』は3年たったときに予想外に非常に高いインパクトファクター、引用回数をたたき出しました。別にそれが『PLoS ONE』論文同士で採用、引用し合っているわけでもないということも証明され、こういうジャーナル形態が今、自然科学で―結局、『Nature』と『Science』も追随して同じようなジャーナルを出し、話題を呼んでいます。『PLoS ONE』の成功を考えると、門前払いが必ずしも公平であったとは言えなくなってしまいます。

もう一つの問題は、査読のプロセスが一応匿名で明らかにされないので、言い方は悪いけれど、意地悪をしようと思えばできる。それに対応しようとしたのが、私たちが最初の論文を出した『frontiers in BEHAVIORAL NEUROSCIENCE』で、これはレフェリーの過程を後で公開するんですね。

【池田科学官】

レフェリーの名前もですか。

【加藤委員】

名前もです、ええ。こういうジャーナルに全部救われているので、自然科学で競争が確保されても、異分野融合で新規参入する側だと必ずしも公平でないというところも見えてきます。人文・社会系のやり方にも問題があるように、自然科学系もやはり入ってみるとこういう問題があるのだなということを私もしみじみ感じた次第です。

【池田科学官】

ありがとうございます。

【樺山主査】

いかがでしょうか。今のお話ですけれども、かねてから自然科学系はフェアなレフェリーだという話がこういう場所ではいつも話題になるんですけど、いや、そうではないんだと。当然のことながら自然科学にも人間的な要素も含めて不合理な要素もあるに決まっていると。逆に同じく人文科学系でも領域によってさまざまに違いますけれども、人文科学系独自の、あるいは今後伸ばしていくべき要素をたくさん持っているんだという、こういう議論がありまして、少なくとも今後、この会で、こういう委員会でできるかどうかわかりませんけれども、ジャーナルのあり方あるいはジャーナルの評価のあり方についての議論というのはどこかできたらいいなというふうに考えてきました。

いかがでしょうか。

【加藤委員】

1つだけ。ただ、語弊のないように言いますと、やはり自然科学の特筆すべきところは、問題が起こると必ず解決を出すというところですね。そこは感心しました。だから、匿名性が問題なら、そうでないジャーナルをつくってしまう。門前払いが問題なら、しないジャーナルをつくってしまう。で、また競争するという点では、人文・社会から来た人間から見ると徹底しているなというのが感想です。

【樺山主査】

はい、どうぞ。

【池田科学官】

経済学でもEジャーナルで次のような試みがあります。それはレフェリーと投稿者のやりとりを全部オープンにする試みです。もちろん匿名なんですけれども、一般の人たちもそれに対してコメントをすることができるわけですね。そうすると、レビュアーがレビューされていることになっていて、非常に公平性が担保されています。こういう方法をみていると、レビューをするしないに答えがあるのではなくて、どうやってするかというところにあるんだと思います。

【加藤委員】

はい、おっしゃるとおりです。

【樺山主査】

はい、どうぞ。鶴間さん、どうぞ。

【鶴間委員】

何でもいいでしょうか。

【樺山主査】

はい、どうぞ。

【鶴間委員】

私自身、大学で最初は教養部で15年ほど教員をやりました。それから今、文学部で15年ほどですか。ですから、2つ比べてみると、随分異質な環境なんですね。教養部にいたときは、ほんとうに体育の先生から理系の先生、文系の先生、まさに文理融合の世界で教育・研究をやったものですから、日常的に隣に行くとゾウリムシの研究者がゾウリムシの生態を見せてくれまして、別のところに行くと、人工筋肉を研究している化学の先生のところに行って、そこで自分の学問とそれぞれの理系の先生と語り合っていたんですね。先ほどそういう環境が大事だという話があって、その後、今の大学は文学部です。文学部で、私、今、文学部の中に人文科学研究所ってまとめ役をしているんですが、文学部の中でもなかなか、例えば歴史学と日本文学、歴史学とドイツ文学って、その交流でさえできないほど狭い世界で研究が進んでいるんですね。一度、私の研究所でも、じゃあ社会的な貢献が人文学としてできるプロジェクトを立ち上げようという意見を出したときに、人文学で社会的貢献って何だろうかって皆さん疑問を持って、半分の人たちは「ぜひやるべきだ」と。今回の震災を受けて自分たちもやるべきだと。でも、半分の人たちは人文学の社会的貢献というのはイメージがわいてこないんですね。

そんな環境にいながら、じゃあどうするのかということを考えているんですが、1つやっぱり、人文・社会科学という学問と、それから自然系の学問というのは、やっぱりお互いに刺激し合って新しい学問ができる契機が今来ていると思うんですね。それはおそらく自然科学の先生たちから見れば、今、いろんな技術が開発されていく、その契機になっているのはやっぱり社会の要請だとか今の人間が生きている社会、その中で研究している中で新しい技術は生まれてくると。ですから、決して自然科学の先生たちも狭い世界でやっているわけじゃない。逆に、じゃあ、我々人文・社会科学が理系の先生たちに何か貢献して新しい技術を生み出したり、それから新しい学問を生み出すことができるのかどうかと。それは僕はあり得るんじゃないかなというふうに思っているんですね。私はもう古い時代をやっていますから、今の科学は例えば近代のヨーロッパで生まれたとしたら、近代以前の前近代、私はもう2000年、3000年前のことをやっていますけれども、2000年、3000年前の例えば古代中国の科学なんていうのは全然わかってないんですね。今の科学でわからないような現象がたくさんある。例えば2000年前の、私、今、皇帝陵のお墓のことを調査しているんですけど、そこから出てきた青銅でつくった剣があるんですね。これが青銅ですと普通さびてしまうんですが、さびてないほどメッキを施していると。これは科学者の分析によるとクロムメッキをしているというんですね。ところが、2000年前にそんな技術は中国であり得ないと。これは近代のヨーロッパが生み出した技術であって、そんなメッキができるはずはないと。でも、分析してみるとそういうものがある。それから、鉱物の顔料、紫の顔料が使われているんですね。日本でいうと埴輪の表面に塗るわけです。そうすると、これは銅バリウム珪酸という化学分析すると出てくるんですけど、これが何で古代の人たちがそんな化合物がつくれるんだろうかって、それがわからないんですね。ですから、例えばの話ですけれども、私たちが人文・社会系の学問が今の科学に逆に貢献して新しいものを生み出すという、そういう交流もあり得るわけですよね。例えばね。だから、何か人文・社会科学系の私たちが理系の先生たちとの交流を通じて今までの近代の科学に欠けていた新しい学問をつくれる、今、そういう契機があるんじゃないかなという、そんなことを思うんですが、どうでしょうか。

【樺山主査】

そんなようなご意見で、それぞれ皆さんご感想あろうかと思いますけど、きょうはお二人おいでいただいているので、どちらからでも結構です、何か今の事柄についてご感想があったらおっしゃってください。

【城山教授】

多分いろんなレベルでいろんな可能性があるんだろうなという感じはしています。多分、今の点にも絡むのかもしれませんが、理系の話は、結局、物の考え方のレベルでどういう幅で物を考えられるかみたいなところで、逆に言うと自由度もある話だし、ある意味、今までに固まっているところもあるので、何かそういうところの刺激ってすごく欲しがっているんですよね。そういう意味でいうと、基本的なところの物の考え方ってどういう幅でどういうことがあり得るのかみたいな話というのは、ある意味ではかなり共通の課題みたいなところはあって、そういうところの話というのは必ずしも理系、文系だという話抜きにかなりやれる、お互いに共通でできる話というのはあるだろうなという感じがしています。

それから、もうちょっと違うレベルで言うと、やっぱり理系の人にとって文系の人の要素というのは不可欠になってくるというか、いろんな意味でやらざるを得なくなってくるところがあります。例えば技術の話は、文字どおりの狭い技術だけの話じゃなくなってきて、いろんな制度の話、セットの話になってくるわけですね。例えば私がつき合っている範囲で言うと、工学部の中でいうと土木なんていうのは、ある意味では一番最初に斜陽産業化したがために一番いろんなことを考えざるを得なくなっているという分野なんだと思うんですけど、東大なんかだと、だから名前も社会基盤って変えているわけですね。工学とも言えない。そうすると、かなり扱っている話は制度の話だったり何なりの話になってくるので、実はもうかなり文系と同じようなことをやっている世界があるんですよね。そういうところでじゃあどういうことをやりますかというのはすごく近い話だったり、あるいは逆に、何か思わぬ誤解を文系に抱いているところもあって、何か例えばルールだとか規則というものに対するイメージってすごくリジッドなんですね。こういうことはメカニカルじゃないけど、全部きちっと決めておかなきゃいけないみたいな話になって、決めちゃうと今度、自分でそれで縛られて何か大変なことになるというようなところがあって、困っているわけです。ルールというのはある意味ではいろんな使い方ができる世界で、ある意味で決めないということも結構重要なルールとしてあり得て、決めなくてプラクティスが固まっていて、だったらこのぐらいにしましょうとかですね。そうすると、ルールみたいなものをどうやって扱っていくんですかというのは、意外と何か頭がかたい使い方をしているというところがあって、そういうところは多分、文系の人なんかと一緒にやることによって実務的にもすごくスムーズに行くとか、ちょっといろいろなレベルは違うんですが、意外といろんなレベルでいろんなことが可能なんじゃないかなという感じはします。

【樺山主査】

加藤さん、いかがです?

【加藤委員】

今のお話を聞いてやはり思ったのは、城山先生のお話にもありましたけど、何となくお茶を飲んでいるときに交流ができるというのはほんとうに大切です。日常だれでもすき間にあいた時間というのはあるわけですよね。そういうときに話ができるというのはほんとすばらしい環境だと思うのですが、そうすると、学際的な学部をつくるとか、学部横断的なプログラムをつくるとか、そういう交流の場を各大学が設けるとか、そういうことになるのでしょうけれど、なかなかそういう環境自体がありません。そういう環境があれば、先ほどおっしゃったような、こちらにとってはこういう情報なのだけど、向こうにとってはこういう情報として意味があるというようなことが伝わっていくということが可能なのではないでしょうか。

あともう一つ、今回の異分野融合をやって随分大変ですけれど、両方の分野の人の違いをわかって通訳みたいに話せる人間がいると、多少はいいかなということ思うようになりました。自分の専門は持っているのですけど、もう一つ違う分野の人とこういう言葉づかいが齟齬しているとわかって話せるような研究者をつくっていくというのも、これも一つの解決策になるのではないかというふうに、漠然としていて申し訳ないのですが、ほんとうにそのとおりなので、2点、少し、指摘させていただきました。

【田代委員】

田代です。先ほどから大分いろいろ議論が出ておりますけれども、実際に異分野融合研究というのは、文部科学省が考えておられる以上に、実は現実の研究社会では進んでいるのではないかと私は考えています。私は人文科学系ですが、そこだけで固まらないで、社会科学の方、ほかにも自然科学の方と一緒に研究している方達は、周りに幾らでもいらっしゃいます。これは私が現実に試みた研究ですが、朝鮮から来た国書に朱印が押されている。その押された朱肉の化学分析をしなければいけないことがありました。つまりその国書が偽造だということを確認したかったのです。そこで自然科学の方たちにお願いして、蛍光X線調査を古文書の世界に取り入れました。はじめはこちらが自然科学の技術をお借りする立場だったのですが、調査に当たられた方々は驚かれて、自分の科学技術がそのようなところに使えるとは全く思えなかったと、今は逆にそうした研究にのめり込んでおられます。それから別の事例で人口史を研究されている方ですが、将来、日本人の人口は1億人を下ると言われています。そのときに社会や家族はどういうものになるのか。そうした日本の未来を想定するために、逆に過去さかのぼり、日本における古代から今日までの歴史人口学的研究の視野に、医療、農耕技術、食糧問題、家族社会、思想等々を取り込んで総合的研究を進めようとしています。ですからこれはまさに人文・社会科学と自然科学の分野を融合した研究を進めることになります。そういうことですので、こうした研究をさらに呼びかけるということであれば、相当の人たちが手を挙げてくると思います。

それと加藤先生がご発表された、「異分野融合研究を進めるには」という提言のところをさきほどからいろいろと考えています。左の上のほうにあるパイロット研究に成功した研究者・グループに優先的に資金配分しろとありますが、これはちょっと問題があるかもしれません。ある程度の実績があれば、お互いに持ち寄ってそれでアプライしてみるのが良いのではないでしょうか。すでに成功しているかよりも、これから挑戦することもあり得るわけ、あくまでも研究は自発的なものであって欲しい。もう既に成功してしまったら逆に研究費は要らないのではかとも思いますが、ここら辺のところはもう少しお聞きしたいところです。

日本の研究教育システムの強みを生かす。これは大賛成です。アメリカに留学している間にわかったことですが、基礎的なことをあまりやらずに、目新しいものに飛びつくという傾向がみられます。そして、今やっている何が新しいのか。ワッツ・ニューという質問がよく飛び交います。ずっと何十年もやっているということに価値を見いだすよりも、何か新しいところに目をつけた、そこに価値観を見出している風潮があります。これに対して日本の長期的な、基礎的な研究システムの強みを生かすことは、非常に重要なことだと思います。

左側の予算運用ですが、これは研究者は皆が望むことです。ぜひこれは、よろしくお願いします。

右側の2つですが、学際的学部及びプログラムを増やすということと、大学院と大学の留学を奨励すること、これは両方とも教育プログラムとの関わりが深い部分です。いわゆる最先端の研究をやっていて、結果的にそういうふうになっていけばいいとは思いますが、これをあまり振りかざしてしまうと、参加できる研究分野が限られてしまうのではないかと危惧いたします。がっちりと基礎研究からやっている研究者側からみると、学部横断的な学際的学部というのは何をやっているかちょっとよくわからないようなところがあります―これは私の個人的な感想なので大変失礼な言い方かもしれませんが―。何が先進的なのかというのは、いろいろ考え方で決まってくるのではないかと思います。

それから、ポスドクを抱えるということで有効だというご意見ですが、これもいくつかの問題があります。現在、多くのポスドクの方が研究員としてやっていますが、研究が終わりますとそこでいきなり職を失います。ですから、この異分野融合研究というものを、長期的なスパンでお考えになっていただきたい。これは若手研究者にとっては、きわめて大切なことではないかと考えております。

感想も含めまして。

【樺山主査】

はい、ありがとうございます。

いろいろまたご意見あろうかと思いますけど、瀧澤さん、いかが、あります?

【瀧澤委員】

ちょっと考えがまとまっていないんですけれども、私、この委員会は文系の人文・社会系あるいは社会学系の先生が多い中で、バックグラウンドは理系なんですが、先ほど鶴間先生がご指摘なさったように、理系の側でもいろいろ技術が野放図に発展してしまうことへの危惧感もありますし、個々の例えば環境変化ですとか、人口問題ですとか、いろんな社会的な課題に際して社会科学・人文系の先生方のお知恵をぜひとも欲しい分野というのは非常に多くなって、これからもどんどん増えていくと思うんです。ですので、先ほど加藤先生がご紹介になったようなツールとしての融合というのももちろんあり得るんだと思うんですけれども、学問的な発展の意味でもより相互に持ちつ持たれつというか、一緒にあることで相互に飛躍的に発展があるような分野というのがさらにこれから期待されるのではないかなというふうに感じました。

それからあともう一つ、皆様のご意見をいろいろ拝聴していまして、やはり全く今までの理系の中でも分野がどんどんどんどん細分化していくという課題がありまして、私なんかもいろんな分野を見ていますと、今まさに融合に向けた動きというのがありまして、それこそ合宿をしたり、理系の中でもそれぞれに同じことを言っているのに違う言葉を使っていて最初はわからなかったのが、何年間か一緒に辛抱強くシンポジウムみたいなものを継続して持っているうちに、だんだんと人柄も含めてわかり合って新しい研究が生まれていくというのもありますので、ぜひ異分野融合の研究がどういうふうにうまくいったかという事例を、今、皆様方がやっていたようなざっくばらんに話し合いができるような、そういう成功事例そのものを蓄積したり、交流、情報交換していくような場があるとなおさらいいと思います。先ほど城山先生がご指摘なさったティッピング・ポイントという言葉が非常に脳裏に残っているんですが、そういう場を設けることで、ティッピングポイントを超えやすくなると感じております。

【樺山主査】

はい、ありがとうございます。

いろんなご意見ございまして、まだまだ掘り起こさなければならないことはたくさんあると思うんですが、実はこの委員会の上部委員会のまた上部委員会は科学技術・学術審議会及びその分科会、学術分科会なんですが、それのさまざまな場所でもってしばしば理科系の方々あるいは工学系の方々から、人文的もしくは社会科学的な発想なり知見なりをもっと本格的に取り込むような、そういう日本の学術でありたいということをおっしゃられます。私もそのこと自体に全く反論はないんです。そのとおりだと思うんですが、ただ、じゃあ、私たちがどういう形でもってそれに貢献することができるのか、あるいは、それにどのような形でもって対話を求めることができるのかということについては、必ずしも明晰ではありません。しばしば、特に今回の東日本大震災を含めまして現実的な課題に対して、もっと人文科学及び社会科学が積極的に発言をしてほしいという、こういうお話をいただくんですが、私たちは、先ほどの城山さんの表現ですと、本来は供給者、知識もしくは技術の供給者であるんですけど、しばしば実は供給ではなくて需要のほう、つまり求められることが多くて、私たちはそう言われてもすぐに答えができないなということでもっていつも困惑していることが多いんですが、ただ、言うまでもなく、私たちはあるときは供給者であり、あるときは需要者であることは間違いがありませんので、きょうもございましたけれども、自然科学の方々との対話の中で、これは当然のことながらギビング・アンド・テイキングでありますから、こちらからも持ち出すものがあり、あちらからもそのものがあると、そういう形でもって文理融合もしくは文理対話というものが今後とも継続して、かつ豊かになっていかなければいけないんだという、そこのところは理科系の方々と意見がいつも一致いたします。その先についてはまだまだこれからだと思っておりますけれども、この会におきましても、こうした事柄をいま少し耕しながら、日本の学術のために何ができるかということを今後とも考えていく必要があると、そんなふうに思ってまいりました。

きょうはお二人からお話しいただきまして、随分といろいろな具体的な話あるいは大きな構想の話と、私たちも考えさせられることがたくさんあったと思います。お二人、ほんとうにありがとうございました。

それで、今後とも、次回及び次々回、こうした話以外も含めて現在の人文学及び社会科学の諸問題を考えていきたいと思っておりますので、よろしく引き続きお願い申し上げたいと思います。

事務局から今後のスケジュール等々についてお話しいただけますでしょうか。

【伊藤学術企画室長】

はい。失礼いたします。

今後のスケジュールについて申し上げます。資料5のほうにまとめてあります。次回は12月19日(月曜日)の午後を予定しております。本日と同じくこちらの会議室、文部科学省の3F2会議室で開催する予定でございます。また、時間等に関しましては、19日(月曜日)の午後ということでありますけれども、詳細はまた追ってご連絡申し上げますので、どうぞ時間の確保のほう、申しわけございませんが、よろしくお願いします。

また、本日の資料におきましては、お手元にございます封筒にお名前を書いていただければ、また後日、事務局より郵送させていただきますので、そのような取り扱いでよろしくお願いします。

本日はどうもありがとうございました。

【樺山主査】

12月19日及び1月13日と日取りだけ落とし込んでありまして、時刻につきましては多少また調整の余地が残っておりますので、改めてご連絡申し上げますが、それぞれにつきお二方からご報告いただくということもありますので、2時間半もしくは3時間という少し長丁場になりますけれども、その時間帯を予定しておりますので、どうか少し長目に時間をとっていただきたいと、そんなふうなご予定をお願い申し上げたいと思います。

以上でございます、きょうは。

それじゃ、きょうはありがとうございました。では、また次回よろしくお願い申し上げます。

 

お問合せ先

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