佐々木 毅
統治及び統治者のための学というものは、どの社会にも存在、東アジアにおいては儒教の伝統、ヨーロッパにおいても社会についての学問は伝統的に政治学の領域で、18世紀以降に諸学が分立・自立して現在に至る。
明治憲法制定と同時に大学に講座、政治学は政治的自由や政治的参加の存在と表裏一体の関係にある、旧憲法下での政治学は実証的というよりcivic education志向(選挙権の拡大問題など、制度的課題が山積)、新憲法の下、60年代から実証的な研究の定着が始まる。
政治体制の近代化の共通性のため、ある程度不可避、昭和の一時期「日本政治学」の試みがあったが、こうした独自性は別の問題を持つ。しかし、日本の政治が基本的に政治学の対象である限り、「輸入」云々の問題はそう気にする必要はない。日本の政治的現実をきっちり分析できるかどうかが肝心。
政治学でも徐々に細分化が進み始め、学会の数も増えている。しかし、大学の現状では研究者は狭い専門如何を問わず、教育に当たらなければならなくなっている。これは細分化対策になるかも知れない。
政治の世界との関係は両義的
研究者の関心領域の違いによって、特定の領域の実証的研究に専念しているタイプから、知識人タイプまで幅が広い。
政治的統合(political integration)のメカニズムの実態の分析-制度を介した多元的な主体の関わり、権力の成立・維持・変動のメカニズムと意識構造、統合の意味・価値とその批判的分析(イデオロギー問題)、民主制の類型とそのアウトプット、リーダーシップと選択の可能性
「説明」と「理解」(「評価」を含む)を幅広く内包、「説明」や「理解」が政治に対する社会の見解の形成に一定の影響、ジャーナリズムなどを通して取捨選択が行われる、実践的なものを直接意図しないものでも、実践的帰結を伴うことがある。
アカデミズムによる評価はかつてと異なり、信頼度が向上、社会的・歴史的評価は常に論争的でありうる。
(1)「説明」と「理解」(「評価」を含む)を通して政治に対するopinionを刺激し、その覚醒、革新を促す。
(2)明示的・暗黙的な市民教育が重要な役割、併せて、高度な「専門人」(政策担当者、ジャーナリスト、政治家など)の育成に関与(prudentia civilsの充実)
(1)評価-政治現象を捉える感性(「総合知」の観点)を加味すべきである、論文万能主義は制限が必要
(2)研究者の養成-専門化は必要であるが、一人の研究者が政治学の中でいろいろな領域にチャレンジすることが大切(従来、細分化し過ぎ)、そのためには、サバティカル制度のようなものを幅広く定着させるべき。
(3)共同研究など-日本の政治についてのデータの収集のための体制を整備、エリア・スタディのために異分野を含む共同研究の積極的推進、政策研究のための環境整備
研究振興局振興企画課学術企画室