第4 人文学の振興方策

(1)研究者養成

要旨

  • 研究が細分化が進行する状況の中で、総合の学としての人文学を担いうる人材の養成が課題である。
  • 研究主題の細分化という研究現場の現状に照らし、総合学としての人文学を担いうる人材の養成には大いに課題がある。
  • かつて人文学の世界には「巨人」がいた。ただ、そのような「巨人」は、何か特定のカリキュラムがあったから養成できたというものではない。
     しかし、歴史家であれば歴史学の歴史を、文学研究者であれば文学研究の歴史を学ぶことにより、人文学がこれまで果たしてきた役割や、あるいは欠陥も含めて学んでいくことができる。このことは、優れた研究者養成の一つの方策かもしれない。
  • 人文・社会科学分野においては博士号の取得が容易ではないという現状は、やはり国際的な視点からみて課題があるのではないか。世界から優れた人材を大学院に受け入れていく観点からも、取り組みが必要である。

(2)学協会の役割

  • 人文学研究や教養教育の振興について、学会が果たす役割というのがもっとあるのではないか。

(3)教養層(「読者」)の育成

要旨

  • 人文学の振興のためには、研究成果としての著作の読者を獲得していくという取組を戦略的に進めていく必要がある。
  • きわめて個人的な営みである「文学」がどれだけ普遍的な意味を持ちうるかについては、どれだけ「読者」を獲得するかということが価値基準として見られているようなところがある。
     その際、「読者」とは、いわば「教養教育」を受けた人間の数ということであり、いかに「読者」を獲得するかということが、言ってみれば、「人文学」のあるいは「文学」の最終的な目的となる。しかも、ただ「読者」を集めればよいというのではなく、できるだけ高い水準における読者を集めるということ、これが最大の問題になる。
  • 文学を全く必要としていない人間がいるのも事実である。ただし、文学を必要としている人間も確実に何パーセントかはおり、この人々に何らかのきっかけを与える道筋をつくること、これが教養大国をつくる一つの細い道ではないかと思う。
  • 「教養」の社会的拡がりを確保するためには、メディア関係者の理解を得ることが重要である。メディア関係者の理解を得られることで、効果は何倍にも拡がっていく可能性を有している。
  • このような社会的な機能を有している『教養教育』の充実のためには、教養知と最先端研究の結合という観点から、『共通規範』である古典研究への集中的な知の投資が、そして、文学の国民への還元という観点から翻訳や出版に対する支援策が求められる。

(4)大学等における教養教育の充実

要旨

  • 大学等における教養教育の振興に果たす人文学の役割はきわめて大きい。
  • 学問の研究の細分化が進めば進むほど、自分の研究が社会の中で、あるいは、時代の中でどういう位置にあるのか、社会に対してどういう影響力を持っているのか等々についての広い視野、正しい判断力を持つ必要がある。
     この意味で、大学、現在の細分化された学問の中では、大学院でこそ、上級学年に進めば進むほど、教養教育が必要であり、このことが大学で哲学を教えることの一番目の意味である。
     また、このように、哲学が広い意味での教養を意味する、本当に何が大事なものは何かについての正しい判断力を持つことであると考えるならば、哲学教育は高校できれば中学から始めるべきである。その際、将来的に哲学の授業を担い得るような将来の教員を養成する教育が大学の哲学教育の中で必要となる。
  • 大学教育の場面においても、やはり本物の授業をしている教員、本物の研究をしている研究者が、やはり学生の支持を得ている。したがって、本当に学生を感動させる教育や研究を創造していくことが重要である。
  • 学生が知的なものに対して興味が薄れているというようなことが言われているが、必ずしもそういうことではない。大学の教育の中で少し刺激してやれば、多くの学生がそれに反応することは間違いないと考える。したがって、教養教育は、教育組織や教育に携わる教員や研究者の集団というものが適切に機能すれば、成り立つと考えている。
  • 「教養」は個人に関する事柄であり、本来は個人のモチベーションと個人のアクティビティよって獲得されるべきものという考え方もあるが、学校教育や生涯学習といった側面で、行政の支援というものがあってもってもよいのではないか。
  • 学問全体の発展のためには、大学の中に異分野の人間同士でディスカッションできる場を確保することが重要である。
  • 哲学者、思想家の著作に対する文献学的な関心しかない人材の養成ではなく、哲学科においてこそ真の教養教育を施し、高校の倫理の授業を担いうるような人材を輩出しなければならない。
  • 哲学科の学生が哲学科で教育を受ける際に必要なことは2点あると思う。第1は、古今東西の哲学、思想の歴史の勉強をすることであり、第2は、具体的なテーマを必ず1つ持つことである。現場での一種のフィールドワークを積むことが哲学をはじめとする人文学では重要と考える。つまり、自分の全身の感受性をオープンにして、現場に身を置くということが、知の通った学問となるためには、人文学には必要と考えられる。
  • 大阪大学における哲学の教育は3種類ある。第1は、全学の学生に対して行われる教養教育としての哲学教育、第2は、哲学科の研究者養成としての哲学教育、第3は、コミュニケーションデザイン教育という名で、哲学教育と銘打っていない哲学教育がある。
     コミュニケーションデザイン教育とは、異なる発想や思考の持ち主との対話(ダイアローグ)のための教育である。ここでダイアローグとは、議論の前後で自分が何も変わらなかったら意味がないという立場に立つものであり、議論の始まる前と後で、立場が変われば負けであるディベートとは異なるものである。すなわち、自分の専門とは異なる専門の人間と対話ができる、アカデミズムの外部の人と対話ができる、そのような人材を養成することを目指して哲学教育を行っている。
  • 哲学教育を中等教育段階から実施するという考え方もあるが、教科内容の量や時間の制約などを考えると、実現にはなかなか困難な面がある。高等教育段階を中心に行うことが現実的ではないか。
  • 日本の哲学教育は、哲学の思想史研究としての専門家を養成することに偏重されており、社会の中の哲学的思考を育くむ関心が日本の哲学教育においては非常に少ない。
     コミュニケーションの対話のメディエーターとしてしっかりと司会役をできる、あるいは、議論が脇にそれないようにファシリテートをきちっとできるコミュニケーションの作法を身につけたファシリテーターとして、哲学家がそういう人たちを育成していくことに力を入れることが日本の哲学教育に必要ではないか。
  • 哲学教育は、中等教育の段階から行われるべきであると考える。哲学はものの考え方のトレーニングであり、ものを精密に考えるとはどういうことか、ものを広い視野で多元的に見るとはどういうことか、そのようなトレーニングを行ってあれば、大学に入って専門分化した分野の学問を学ぶにあたっても、それを相対化できるようなものの考え方、あるいはセンスといったものを身につけることができると考えられる。

(5)日本由来の文化資源に関する研究

  • 人的にも、情報ネットワーク的にもグローバル化が進んでいる中で、人文学研究がこのような状況を研究の起爆力としていくことができるかを検討することが必要である。
     例えば、近年、かつて海外に流出した美術品等が世界各地で発見されているという現状を踏まえ、外国に存在する文化資源を通じて、日本文化を今一度理解し直す方法があるのではないか。このような試みが、グローバル化の進行の中で現実となってきている。

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