資料1 グローバル化時代における≪文学≫の再発見と教養教育

文芸は経国の大事 文学には人を正しく導くすばらしい力がある。それ故、
文学は様々な形でより多くの人に享受されなければならない。(菊池寛)

亀山 郁夫(東京外国語大学)

はじめに 共感的知性とは何か?

自己紹介を兼ねて

教育

  • 語学教育
  • 論文指導

研究

  • 論文執筆
  • 著書の執筆
  • 翻訳活動
  • シンポジウム活動

 根本的な疑問→わたしには、文学的才能があるのか?あるとすれば、それは何か?
 総合的英知としての文学の再発見
 →混沌の時代にあって統合的英知の担い手としての人間の文学性

1 現代にとって文学とは何か?

創作者と批評家の立場から――文学を考えるキーモチーフとは何か・
昭和46年(1971年)(『読売新聞』連載)

  • 人間の多極性追求
  • 共同体の「テル」
  • 仮象の美の表現
  • 理論ではなく感受性
  • 体験の生む仮構世界
  • 想像力の深化・拡大
  • 文学は「人生の師」ではない
  • 「神」を失った私小説
  • 実感と認識の激突
  • 信じない社会的有効性
  • 全体像、先に捉えたい
  • 人生の師でなくても
  • 実存の深みをえぐる
  • 批評家には困難な問い
  • 作家は理論家たれ
  • 精神の自由の証
  • 役立たずの世界
  • おとぎ話の「文学大国」
  • 自己を問う立場
  • 意識産業の「職人」的自足を疑う

2 現代にとって文学研究とは何か?

文学研究の領域

  • 文献学、書誌学、作家論、作品論、美術・歴史・思想・心理学・社会学との関係における文芸潮流の研究、比較文学、カルチュラル・スタディーズ、身体論、メディア論、ポスト・コロニアリズム研究、伝記研究(広義の作家論)

テクスト解釈の方法

 構造主義、記号論、ナラティブ論、精神分析、伝記研究との関係
 グローバル化とともに顕在化する新しい問題群
 文学研究の定義
 →果てしない反復作業のなかから、新たなステージが立ち現れる。
 「文学研究とは、優れた評論を行うとは、または考察的な読書をするということは、個人から普遍へ、という帰納であります。これは非常に乱暴なまとめでこぼれ落ちるものはたくさんあることを承知でこのように簡単にまとめて言っているのですが、個人から普遍へ、帰納的な論理的考察を行うことなのだ、と申し上げておきます。この論理的考察とは、数学にも近いと思っています。また数学で新しい定理や発見がなされるときによくあるように、論理的考察を積み重ねていった果ての一瞬の感性のひらめきによって普遍的法則を見いだせることもあります。〈作者〉の感情や芸術的感性、作品を組み立てたときの思考や論理、それらを表現するのに使った技法などを論理的に推理する行為であり、作品を受容したときに感じた〈私〉や〈あなた〉や〈誰か〉の感情を発起点として感情の正体をつき、そこに生じた考察を論理的に推理する行為であり、〈私〉の行為と論理が私の独善ではなく他の人々にも理解可能な普遍性を備えているかを考証する行為でもあります」
 「文学研究とは、作品を通して多彩な人間のありようを感じ取り、人間の存在そのものに触れようとすることであり、人間科学的な側面を持つ学問であるといえる」
 「文学研究とは何かと問われれば、もっとも基本的には文体の問題であり、文体の研究だと私は考えます。そして、この点を間違ったら、心理学やなにかと大差なくなってしまうのです。文学研究の固有性というのは、文学の美としての言葉の表現の問題、それから、それを個人の心という位置からいかに表現するかという問題、その二つを徹底的にやっていくことだと思います」
 「文学研究とは何を研究することですか。私たちは電子の反復運動のように想をめぐらしたがだれも答えられなかった。文学とは人間です。文学研究とは人間を研究することです。そう聞いたとき、宙を浮いていた視線が吸いよせられて、私たちは雷電に打たれたようになった。ものすごいことを教えてもらった、と思った」

3 現代社会における文学

  • 人間の多様性の解明――他者と自己の理解
    「わたしの考える文学研究とは、重層的かつ派生的な複合体として存在するテクストから、新たな読みの可能性を引き出すことであり、当該のテクストのうちに隠された文脈と世界のモデルを発見し、それを限りなく更新していく営みを示す。その媒介者となる最大の要因は、いうまでもなく研究者個人の精緻な読解力とイマジネーションと人間そのものへの洞察力の三つに他ならない。そしてその言語表現そのものが、論理的な厳密さを礎としつつ、文体上の輝き、工夫、魅力に満ちあふれていることがのぞましい。こうして研究者は、人間と人間間、および人間社会の隠された多様性、多元性の発見をとおして、それぞれが与えられた存在のありかたと運命への認識を深めることになる。「それら――これらの文学的イメージは――感情に希望を与え、人間たろうとするわれわれの決意に特殊な逞しさを与え、われわれの肉体的生命に緊張をもたらす(バシュラール)」(亀山)
  • 全時代をとおして、グローバル化の時代におけるその社会的有効性はどこにあるのか?

4 19世紀ロシアそしてソ連時代における文学研究と文学教育

  • ロシアの歴史における「文学の国民化」
  • 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ロシア文学史教育への要求が高まる
     修辞学(理論)から文学史へ
     資本主義化による欧米化への危機意識の反映か
     愛国心やナショナリズムの鼓舞を目的とする
     「文学を国民だれもが共有し誇るべきナショナルな価値と見なし、もともとばらばらに存在するにすぎなかった個々の文学作品を、民族の歴史的発展と伝統の一貫したパースペクティヴのなかに位置づけて規範化しようとする」(貝沢哉)
  • ソ連時代――西欧のブルジョワ文化から、ロシアの文学教育を防衛する必要
     国語と文学の峻別される→「世界文学」の概念
     小学校4年次より「文学 литература」の教育が始まる。ソ連崩壊後もこのシステムは維持しつつづける。
     ――愛国教育と、ロシア文化の保護
     プーシキン、レールモントフ、トルストイ、(ドストエフスキー)、チェーホフ
     →社会主義リアリズムの理念の導入に伴い、ゴーリキー、マヤコフスキーらが文学教育の中心に入り、徹底した暗誦教育を行う。
     ――グローバリゼーション時代における文化と教養教育の「防衛」と再構築のヒント
     ボーダー間、世代間の断絶を克服する新たな教養知の構築

5 現代における人文学振興のための方策

  • GCOE委員としての印象→疎外感をもつ現場の研究者
     例:共生のための国際哲学教育研究センター(東京大)
  • 人文学と他諸科学の境界域→遊離
     脳神経科学と文化の融合の問題→人文学の先進性
  • GCOE(人文科学部門)では、社会的有用性がどこまで意識されているか?
    D01 心の社会性に関する教育研究拠点/北海道大 文学研究科人間システム科学専攻
     「心のあり方を知れば、よりよい社会の作り方が見えてくる」(山岸俊男)
    D02 死生学の展開と組織化/東京大 人文社会系研究科基礎文化研究専攻
     「医療現場で働く人たちのリカレント教育に取り組む。医学部や医療関係者が力面している問題から多くを学びつつ、人文社会系の学問から提供できるものを考えていく。そのことが人文社会系の学問の新たな活性化をもたらすことも展望している」(島薗進)
    D03 共生のための国際哲学教育研究センター/東京大 総合文化研究科超域文化科学専攻
     「世界の歴史の現在を凝視しつつ、〈危機〉としての〈人間〉そのものに問いかける開かれた対話の場となるように努力する」(小林康夫)
    D04 コーパスに基づく言語学教育研究拠点/東京外大/地域文化研究科地域文化専攻
     「世界諸地域の言語文化の多様性に通じた,複眼的視野を持つ言語研究者・言語教育者を養成することを目的とする」(峰岸真琴)
    D05 格差センシティブな人間発達科学の創成/お茶大/人間文化創成科学研究科
     「社会的公正に敏感な」女性研究者を育成し、国際的にも通用する教育研究拠点を構築する」(耳塚寛明)
    D06 テクスト布置の解釈学的研究と教育/名古屋大/文学研究科人文学専攻
     「テクスト学の学問的成果を基盤に、人文科学の根源である解釈学の新知見を織り交ぜて、文字・言語テクストの解釈的手法をさらに深化し、「解釈」という知的営為を一新する方法論と教授法を確立することを目標とする」(佐藤彰一)
    D07 心が活きる教育のための国際的拠点/京都大/教育学研究科教育科学専攻
     「幸福感の国際比較研究」(子安増生)
    D08 コンフリクトの人文学国際研究教育拠点/大阪大/人間科学研究科人間科学専攻
     「資料1」を参照のこと
    D09 論理と感性の先端的教育研究拠点形成/慶應大/社会学研究科心理学専攻
     「論理と感性の協調と対立の解明に対応できる深い知識、幅広い視野、国際レベルの先端的技術をもつ研究者の育成」(渡辺茂)
    D10 演劇・映像の国際的教育研究拠点/早稲田大/演劇博物館
     「現代の現象としての映画及び演劇という視点から、新たな研究方法を開拓する必要」(竹本幹夫)
    D11 日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点/立命館大/アート・リサーチセンター
     「人文系と情報系の融合を狙い、京都や日本文化にかかわる無形・有形文化財のデジタルアーカイブの構築とデータベース(DB)を蓄積」(川嶋將生)
    D12 東アジア文化交渉学の教育研究拠点形成/関西大/文学研究科総合人文学専攻
     「東アジアという一定のまとまりを持つ文化複合体を想定し、その内部での文化生成、伝播、接触、変容に注目しつつ、トータルな文化交渉のあり方を複眼的で総合的な見地から解明しようとする新しい学問研究」(陶徳民)

6 教養知+最先端的研究

文学における先端性とは?
 A 記号論、ポスト構造主義における差異化の方法論にもとずく文学研究
 B きわめて個別的な想像力から明らかになる知の構造をどう評価するか
 ←紋切り型の克服 研究者個人の体験と想像力を、他者のテクストをとおして普遍化
 C 世代間、時代間の共通規範としての古典の重要性、存在感がます
21COEの有効性と現実
スラブ研究センターとの接点
名古屋大、京都大での21COEであれば、協力可能
方向転換→社会およびより広い読者を獲得のための戦略
文学研究から啓蒙へと軸足を移す→教養教育の問題へ移行
研究者としての無用性の自覚からくる
 だれにでもわかる最も先端的な研究の可能性→個人的な想像力と才能
 資質≠生き方
ドストエフスキー研究における発見→新たに作られた仮説の枠組み
 →真の人間学的人文学の構築をめざして

7 実例:新訳『カラマーゾフの兄弟』その他の著作に対するアカデミズムの反応

わたしが提示した新しいドストエフスキー像におけるスターリン学の成果
 「二枚舌」の発見→過去のすべての言説への根本的な疑い
 歴史研究における文学的想像力の不可欠性→歴史との対話的視点の欠落
アカデミズムの反応→恐るべき閉鎖性
読者を持たないアカデミズムの悲惨
 悪意をむきだしにした批判と倫理的視点からの人格攻撃
 結局、文学の精神からの批判を提示できない
文学が、人格形成に役立つという希望をくじかれる
新領域創生の可能性
 →ジャンルおよび研究領域の異種交配

8 提言――教養教育を育てるために

文学科目の設定と音楽教育の普及
 『ファウスト』や『オテロ』さらに新作オペラ『カラマーゾフの兄弟』の例
 共感力の育成が急務
新たな国家モデルの模索
 科学大国と教養大国の二本柱を構築する
人文学とくに文学研究の再生のためのプロジェクトを展開
 翻訳文化の充実化
 →古典新訳文庫も3万部どまりの現実のなかで何が可能か?
 →国際交流基金と光文社のジョイントプロジェクトの可能性
 (専門研究者たちの貧困と編集者たちの驚くべき知性との亀裂)
プロジェクト型の大規模な翻訳出版助成
 →文学の国民への還元に無力
 国家は文学と文学者の育成のために積極的な方策をとるべきである
 例:その貢献度をはかり、出版社に対する助成も考える。

おわりに 批判的知性ではなく、共感的知性の創生のために

『カラマーゾフの兄弟』のベストセリング現象に見る「古典」回帰
 →30代女性たちの創造的知性

《資料1》人文学の社会的有効性にかかわる優れた総合的視点を提示したGCOEプログラムの例「コンフリクトの人文学国際研究教育拠点」(大阪大/人間科学研究科人間科学専攻)

 本拠点は、「グローバルな次元におけるコンフリクト」という問題について実践的研究を推進し優秀な人材を育成する。このため、人文科学の諸分野ばかりでなく、社会科学の一部分野を連結し協働することが必要である。中心となるのは人類学の諸分野(文化人類学、政治人類学、社会人類学、経済人類学、医療人類学)である。これに、言語学(社会言語学、言語接触論、言語類型論、歴史言語学)、哲学(とくに臨床哲学)、芸術学(とくに越境美術論)が中心的な役割を果たす。
 グローバルな問題についてさらに広い基礎的展望を得るために、歴史学(植民地史)、社会思想史、社会学(グローバル研究)、科学技術社会論、現代文明学、文学(越境文学)が加わる。このほか、グローバルな取り組みにおける実践的分野として、国際協力学、多文化教育学、臨床教育学、人間開発学、地域共生論、人間の安全保障論を加えている。グローバルなコンフリクトという問題は、単に研究されるべき対象ではなく、研究と実践的取組みとの間に常に相互のフィードバックが形成されるべきである。
 以上にあげた分野は多彩である一方、「グローバルな次元におけるコンフリクト」というテーマのもとに緊密に収斂している。
 本プログラムは、大阪大学21世紀COEプログラム「インターフェイスの人文学」の成果に基づいて、大阪大学に「コンフリクトの人文学」の国際的な研究教育拠点を形成することを目的とする。この目的のために、前項で述べた人類学、言語学、哲学などを中心とし、歴史学や社会学ほかの基礎的分野に加えて国際協力学、人間開発学、教育学、人間の安全保障論等の実践的分野が協働して、研究教育を推進する体制を構築する。
 社会的・文化的・民族的な対立と対抗関係の問題を分析し、その問題になんらかのかたちで対処することは、現代のグローバル世界における最も緊要な課題の一つである。東西の冷戦構造が崩壊した1990年代以降、この課題は先鋭化すると同時に質的にも変化した。国家間、ブロック間、あるいは大イデオロギー間の比較的わかりやすい政治対立の図式から、きわめて多数の社会的・文化的・民族的集団が互いに複雑に絡まりあい、そこでは集団自身が急速に変化していくような流動的状況が生まれる中で、文化的、宗教的、社会的、経済的なレベルを含む様々な対立が様々に生起している。このように複雑化し流動化する対立の状況を理解するためには、現地調査に基づく綿密な、あるいは「厚い」(thick)現実理解が必須であり、そのような対立を減じる方策があるとすれば、それはそのような理解を前提としなければならない。これが、クリフォード・ギアツの解釈人類学が教えるところである。
 国家や社会や文化など、グローバル社会を構成する部分要素が相互の関係を緊密化したことにより、そうした関係の実態を研究者が分析することさえ困難であるような状況がもたらされている。そこに生起するコンフリクトの質も変化した。従来よく知られてきた政治的軍事的コンフリクトや経済利害をめぐるコンフリクトばかりでなく、それらに加えて、民族的あるいはエスニックなコンフリクト、言語を基盤とするコンフリクト、芸術の所有や越境やアイデンティティに関するコンフリクト、各種イデオロギーのコンフリクト、宗教的信仰や実践に由来するコンフリクト、歴史あるいは歴史理解をめぐるコンフリクトなどが、現代世界の最前面でますます目立つようになっている。つまり「価値」をめぐるコンフリクトである。(小泉潤二)

《資料2》『カラマーゾフの兄弟』研究の新視点と仮説(亀山)

A.作中の各内容を、「物語層」「自伝層」「歴史層」「象徴層」の四層から捉えていく見方の提示
B.作中でしばしば登場人物に配されている去勢派・鞭身派などの分離派・異端派の解釈、その味付け。
C.作中で登場人物が口づけし抱きしめる「大地」というものの意味付け。
D.ホルバインの描いた絵(「死せるキリスト」)を意味づけと解釈(信仰論)
E.スタヴローギンやラスコーリニコフ等の無神論的主人公について、「無関心(神のまなざしを奪うもの)」「傲慢さ」という観点からの論。
F.ルネ・ジラールの「模倣の欲望」、「コキュ(寝取られ亭主)」、「マゾヒズムとサディズム」の観点からの、ドスト氏及びドスト氏文学の理解。
G.「オイディプス・コンプレックス」「父殺し」「父と子の和解」
H.「二枚舌」の指摘
I.『カラマーゾフの兄弟』の内容についてのいくつかの新説。
(スメルジャコフの実父、リーズのこと、第一部の年代設定、続編の内容)

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