文芸は経国の大事 文学には人を正しく導くすばらしい力がある。それ故、
文学は様々な形でより多くの人に享受されなければならない。(菊池寛)
亀山 郁夫(東京外国語大学)
根本的な疑問→わたしには、文学的才能があるのか?あるとすれば、それは何か?
総合的英知としての文学の再発見
→混沌の時代にあって統合的英知の担い手としての人間の文学性
創作者と批評家の立場から――文学を考えるキーモチーフとは何か・
昭和46年(1971年)(『読売新聞』連載)
構造主義、記号論、ナラティブ論、精神分析、伝記研究との関係
グローバル化とともに顕在化する新しい問題群
文学研究の定義
→果てしない反復作業のなかから、新たなステージが立ち現れる。
「文学研究とは、優れた評論を行うとは、または考察的な読書をするということは、個人から普遍へ、という帰納であります。これは非常に乱暴なまとめでこぼれ落ちるものはたくさんあることを承知でこのように簡単にまとめて言っているのですが、個人から普遍へ、帰納的な論理的考察を行うことなのだ、と申し上げておきます。この論理的考察とは、数学にも近いと思っています。また数学で新しい定理や発見がなされるときによくあるように、論理的考察を積み重ねていった果ての一瞬の感性のひらめきによって普遍的法則を見いだせることもあります。〈作者〉の感情や芸術的感性、作品を組み立てたときの思考や論理、それらを表現するのに使った技法などを論理的に推理する行為であり、作品を受容したときに感じた〈私〉や〈あなた〉や〈誰か〉の感情を発起点として感情の正体をつき、そこに生じた考察を論理的に推理する行為であり、〈私〉の行為と論理が私の独善ではなく他の人々にも理解可能な普遍性を備えているかを考証する行為でもあります」
「文学研究とは、作品を通して多彩な人間のありようを感じ取り、人間の存在そのものに触れようとすることであり、人間科学的な側面を持つ学問であるといえる」
「文学研究とは何かと問われれば、もっとも基本的には文体の問題であり、文体の研究だと私は考えます。そして、この点を間違ったら、心理学やなにかと大差なくなってしまうのです。文学研究の固有性というのは、文学の美としての言葉の表現の問題、それから、それを個人の心という位置からいかに表現するかという問題、その二つを徹底的にやっていくことだと思います」
「文学研究とは何を研究することですか。私たちは電子の反復運動のように想をめぐらしたがだれも答えられなかった。文学とは人間です。文学研究とは人間を研究することです。そう聞いたとき、宙を浮いていた視線が吸いよせられて、私たちは雷電に打たれたようになった。ものすごいことを教えてもらった、と思った」
文学における先端性とは?
A 記号論、ポスト構造主義における差異化の方法論にもとずく文学研究
B きわめて個別的な想像力から明らかになる知の構造をどう評価するか
←紋切り型の克服 研究者個人の体験と想像力を、他者のテクストをとおして普遍化
C 世代間、時代間の共通規範としての古典の重要性、存在感がます
21COEの有効性と現実
スラブ研究センターとの接点
名古屋大、京都大での21COEであれば、協力可能
方向転換→社会およびより広い読者を獲得のための戦略
文学研究から啓蒙へと軸足を移す→教養教育の問題へ移行
研究者としての無用性の自覚からくる
だれにでもわかる最も先端的な研究の可能性→個人的な想像力と才能
資質≠生き方
ドストエフスキー研究における発見→新たに作られた仮説の枠組み
→真の人間学的人文学の構築をめざして
わたしが提示した新しいドストエフスキー像におけるスターリン学の成果
「二枚舌」の発見→過去のすべての言説への根本的な疑い
歴史研究における文学的想像力の不可欠性→歴史との対話的視点の欠落
アカデミズムの反応→恐るべき閉鎖性
読者を持たないアカデミズムの悲惨
悪意をむきだしにした批判と倫理的視点からの人格攻撃
結局、文学の精神からの批判を提示できない
文学が、人格形成に役立つという希望をくじかれる
新領域創生の可能性
→ジャンルおよび研究領域の異種交配
文学科目の設定と音楽教育の普及
『ファウスト』や『オテロ』さらに新作オペラ『カラマーゾフの兄弟』の例
共感力の育成が急務
新たな国家モデルの模索
科学大国と教養大国の二本柱を構築する
人文学とくに文学研究の再生のためのプロジェクトを展開
翻訳文化の充実化
→古典新訳文庫も3万部どまりの現実のなかで何が可能か?
→国際交流基金と光文社のジョイントプロジェクトの可能性
(専門研究者たちの貧困と編集者たちの驚くべき知性との亀裂)
プロジェクト型の大規模な翻訳出版助成
→文学の国民への還元に無力
国家は文学と文学者の育成のために積極的な方策をとるべきである
例:その貢献度をはかり、出版社に対する助成も考える。
『カラマーゾフの兄弟』のベストセリング現象に見る「古典」回帰
→30代女性たちの創造的知性
本拠点は、「グローバルな次元におけるコンフリクト」という問題について実践的研究を推進し優秀な人材を育成する。このため、人文科学の諸分野ばかりでなく、社会科学の一部分野を連結し協働することが必要である。中心となるのは人類学の諸分野(文化人類学、政治人類学、社会人類学、経済人類学、医療人類学)である。これに、言語学(社会言語学、言語接触論、言語類型論、歴史言語学)、哲学(とくに臨床哲学)、芸術学(とくに越境美術論)が中心的な役割を果たす。
グローバルな問題についてさらに広い基礎的展望を得るために、歴史学(植民地史)、社会思想史、社会学(グローバル研究)、科学技術社会論、現代文明学、文学(越境文学)が加わる。このほか、グローバルな取り組みにおける実践的分野として、国際協力学、多文化教育学、臨床教育学、人間開発学、地域共生論、人間の安全保障論を加えている。グローバルなコンフリクトという問題は、単に研究されるべき対象ではなく、研究と実践的取組みとの間に常に相互のフィードバックが形成されるべきである。
以上にあげた分野は多彩である一方、「グローバルな次元におけるコンフリクト」というテーマのもとに緊密に収斂している。
本プログラムは、大阪大学21世紀COEプログラム「インターフェイスの人文学」の成果に基づいて、大阪大学に「コンフリクトの人文学」の国際的な研究教育拠点を形成することを目的とする。この目的のために、前項で述べた人類学、言語学、哲学などを中心とし、歴史学や社会学ほかの基礎的分野に加えて国際協力学、人間開発学、教育学、人間の安全保障論等の実践的分野が協働して、研究教育を推進する体制を構築する。
社会的・文化的・民族的な対立と対抗関係の問題を分析し、その問題になんらかのかたちで対処することは、現代のグローバル世界における最も緊要な課題の一つである。東西の冷戦構造が崩壊した1990年代以降、この課題は先鋭化すると同時に質的にも変化した。国家間、ブロック間、あるいは大イデオロギー間の比較的わかりやすい政治対立の図式から、きわめて多数の社会的・文化的・民族的集団が互いに複雑に絡まりあい、そこでは集団自身が急速に変化していくような流動的状況が生まれる中で、文化的、宗教的、社会的、経済的なレベルを含む様々な対立が様々に生起している。このように複雑化し流動化する対立の状況を理解するためには、現地調査に基づく綿密な、あるいは「厚い」(thick)現実理解が必須であり、そのような対立を減じる方策があるとすれば、それはそのような理解を前提としなければならない。これが、クリフォード・ギアツの解釈人類学が教えるところである。
国家や社会や文化など、グローバル社会を構成する部分要素が相互の関係を緊密化したことにより、そうした関係の実態を研究者が分析することさえ困難であるような状況がもたらされている。そこに生起するコンフリクトの質も変化した。従来よく知られてきた政治的軍事的コンフリクトや経済利害をめぐるコンフリクトばかりでなく、それらに加えて、民族的あるいはエスニックなコンフリクト、言語を基盤とするコンフリクト、芸術の所有や越境やアイデンティティに関するコンフリクト、各種イデオロギーのコンフリクト、宗教的信仰や実践に由来するコンフリクト、歴史あるいは歴史理解をめぐるコンフリクトなどが、現代世界の最前面でますます目立つようになっている。つまり「価値」をめぐるコンフリクトである。(小泉潤二)
A.作中の各内容を、「物語層」「自伝層」「歴史層」「象徴層」の四層から捉えていく見方の提示
B.作中でしばしば登場人物に配されている去勢派・鞭身派などの分離派・異端派の解釈、その味付け。
C.作中で登場人物が口づけし抱きしめる「大地」というものの意味付け。
D.ホルバインの描いた絵(「死せるキリスト」)を意味づけと解釈(信仰論)
E.スタヴローギンやラスコーリニコフ等の無神論的主人公について、「無関心(神のまなざしを奪うもの)」「傲慢さ」という観点からの論。
F.ルネ・ジラールの「模倣の欲望」、「コキュ(寝取られ亭主)」、「マゾヒズムとサディズム」の観点からの、ドスト氏及びドスト氏文学の理解。
G.「オイディプス・コンプレックス」「父殺し」「父と子の和解」
H.「二枚舌」の指摘
I.『カラマーゾフの兄弟』の内容についてのいくつかの新説。
(スメルジャコフの実父、リーズのこと、第一部の年代設定、続編の内容)
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