資料1 「経営学の研究方法の特性と研究成果の社会的意義」(伊丹委員 資料)
伊丹敬之
一橋大学大学院商学研究科
2007年6月29日
科学技術・学術審議会 学術分科会 学術研究推進部会 人文学及び社会科学の振興に関する委員会委員報告
1.「実学の象牙の塔」をめざして
A.この、一見、矛盾しそうなコンセプトに実は真実がある。
- 実学とは、現実に根ざした学問、現実と深く関わろうとする学問
- 象牙の塔とは、深い知識・論理の体系の蓄積を生み出す場の象徴
B.われわれ(組織としては一橋大学商学研究科、あるいは分野としては経営学)の場合、企業と産業、そしてその経営についての、「深い知識の湖」でありたい。
- その湖からあふれ出る知識が、高度専門職業人の教育にも真に意味をもつ。
- 単純な実務知識の切り売り機関に大学がなるべきではない。それは、社会の中の大学の存在意義、大学への社会の付託、に反する。
C.したがって、大学の最大の使命は、そうした深い知識の蓄積をそれぞれの専門分野で行うこと。それを、「象牙の塔」という言葉で表現したい。
- そこに、大学と専門学校の違いがある。専門学校には専門学校の存在意義がある。しかし、大学が専門学校に近づくことには、問題がある。
a)「実学をきちんと行う」ことと「すぐに役に立つ実務知識を教える」ことの間には、大きな差がある。
- それぞれの得意技を考えた上で、さまざまなタイプの教育機関の間の社会全体での分業を考えるべき。
D.大学として「実学をきちんと行う」ためには、現実の現象の深い研究が不可欠。
2.経営学の研究方法の特性
A.社会現象と自然現象の最大の違いは、その現象の構成主体あるいは構成物の「意図的行動」によって現象の流れが変化するか、どうか。
- したがって、社会科学では、構成主体の行動の相互作用についての因果関係のみならず、行動の背後にある「意図」の形成についての因果関係の解明が必要となり、それだけ複雑になる傾向あり。
- 意図の部分のコントロール実験を社会現象の中で行うことはむつかしく、したがって精密に場合分けをしたコントロール実験がかなりむつかしいため、実験によるデータ収集という方法が、かなり閉ざされることになる。
a)大量サンプルのデータがある場合も、その大半は、「意図の部分はブラックボックスに入れた上での」、外形的類似性のあると思われるデータという程度の意味。コントロール実験によるデータ収集とは基本的にちがう。
B.エビデンス(自分の主張を他人に説得するための証拠)についてのエクレティックな考え方が必要。
- 説得論拠提出の三つの方法
a)観察結果法
(1)大量データ → 統計処理
(2)少数事例の厚い記述 → ケース分析
(a)多くの歴史研究は、この例か。
(3)ともに、「これほど多くの現実観察を集めました」
b)演繹論理法
(1)数理モデル
(2)概念モデル
(3)ともに、「これだけ長い論理の連鎖をきちんと考えました」
c)論理重合体合成法(論理重合法)
(1)少数のデータ、多少のケース、それらをつなぐ論理、それらの総体で意味のある全体像を描き出す
(2)「氷山の一角のような、一見バラバラで種類の異なる証拠をつなぎ合わせると、こんな絵が描けます。十分ありうるストーリーです。」
- 経営に関わる社会現象では、意図についての推論をも論理的説明の中に組み込む必要があり、コントロール実験による決定的証拠づくりはほとんど不可能で、さまざまな方法を折衷的に使う必要がある。
a)おそらくは、論理重合法が実際にとりうる方法として、もっとも社会現象の説明として適している。しかし、この方法での証拠への確認が難しく、この方法の説得性は、論者への「人的信頼性」に依存せざるを得ない段階であり、論者の描く全体像をどれだけ多くの人が納得するか、が信憑性の源泉という、「主観性」が入らざるを得ない。
b)しかし、一見「科学的に」見える方法でも(観察結果法の中の統計処理法でも、演繹論理法での数理モデルでも)、結局はその「証拠」の信頼性は、どれだけ多くの人がそれを真実と考えてよいと納得するか、に依存している。
c)つまり、多くの人の納得の総量、というのが真実性の判断の基準に現在はならざるを得なくなっている。その実態は、直視した方がいい。
C.研究の結論から現実の現象への適用の「ジャンプ」について
- 研究の結論は、そこで用いた前提や集めた観察の範囲に当然限定して成り立つ。しかし、それでは現実の社会現象の理解にはまだ不十分であることが多く、現実への適用、現実の解釈へと、多くの研究者が研究の「結論」部分でジャンプする。
- そのジャンプは、致し方ない。しかし、「精密に見える」方法論(統計処理、数理モデル)を使う人ほど、最後のジャンプが大きい傾向にあることは、人間の性か。
- 適切なジャンプの感覚を養うのも、研究者の訓練として必要。
a)ジャンプをまったくしない禁欲的態度も、じつは研究方法の「非精密度」を考えると、もったいない。たとえば、歴史研究の分野に、こうした禁欲的態度が多いようだ。
b)研究方法の非精密度に応じたジャンプは、した方がいいのではないか。ただし、ジャンプ後の立言は、あくまで個人の解釈であることを明言する必要がある。
D.「他人の研究を研究する」という研究方法について
- 他人の研究を研究すると称して、実際には他人の研究を「学習して、まとめる」だけで、それを研究と称する研究者がまだ、かなり存在する。いわゆる、ヨコタテ研究。あるいは、X学習研究。
a)この種の研究者が、30年前は主流であった。そんな後進国状態からやっと抜け出しつつある。
- この種の研究者の一つのバリエーションとして、X派生研究がある。
a)他国の研究者がその国で行った研究の日本における再試(X再試研究と呼べる)を試みたり、他人の研究のどこかにほんの少しの修正を加える研究(Note on X研究と呼べる)。
b)このスタイルは、研究者としての成長段階の初期には、十分あり得てよい。しかし問題は、派生研究のままで終始する人がかなりいること。
- 研究の創造性という点で言えば、学習も派生もどちらも似たようなもの。
a)どちらも、Xがそもそもないと、存在できない
b)しかし、X派生研究者はヨコタテ研究者(X学習研究者)を激しく非難する傾向あり。
(1)X派生研究は、国際的なジャーナルに一応、受け入れられる可能性あり。
E.「国際的に受け入られる研究」のパラダイム的偏りについて
- 本当に創造的な研究はしかし、国際的なジャーナルのレフェリー審査を通りにくいことが多い。レフェリー集団がその時点の主流のパラダイムに収まる研究を評価する(あるいはそれしか評価できない)可能性がかなりあるからである。
a)とくに、アメリカを中心とする学会誌はかなり「制度的な硬直性」を持っており、そこでの主流のパラダイムを外れるととたんにアクセプト率が大きく下がる。
b)本当に創造的な研究とは、目の前の「不思議な現象」に懸命に納得性の高い説明を与えようとするもの。
(1)そこから、国際的に受け入れられる普遍性の高い論理をもった説明枠組みが出てくることを目指すのがよい。
- 国際的なジャーナルでの発表というものを研究業績の評価指標として重視する傾向があるが、あまり過大に取り上げない方がよいのではないか。
a)この傾向は、国別の特殊性の小さい自然科学系では、自然であろう。
b)その傾向を人社系に広げることは、あまり望ましくない。
(1)一つの理由は、国際的普遍性の大小がちがう。
(a)X再試研究が国際的ジャーナルに掲載可能な理由は、国別違いがあるからこそ。
(2)もう一つの理由は、人社系では研究成果の発表形態として論文という短い量では不向きなことが多い。つい、本になる。本の国際的出版の可能性はかなり限られる。
F.経営学のみならず、日本の人社系の研究として、日本にある「不思議な現象」を懸命に解き明かそうとするような研究に光を当てることが必要。しかし、それは簡単ではない。
- 日本にある現象とは、日本特殊的という意味ではない。日本特殊的でもいいが。
- 日本に比較的多いが他国でもじつは存在し、しかし他国ではその存在の相対的小ささ故に注目されることの少ない現象、というのがもっとも国際的にも意義があるだろう。
- Xそのものを日本の研究者が作ることが望ましい。
- 国際的にも意味の大きいXとは、社会現象を見る新しい概念枠組みを提供するものになることが多いだろう。
3.経営学の研究成果の社会的意義
A.二つのタイプの研究成果
- 特定の経営現象の論理の解明
- 広く経営現象を見るための概念枠組みの開発
B.四つの社会的意義
- 働く人たちが、自分たちの働き方をよりよくするための知識基盤を、研究が提供する
- 企業が、経営全体をよりよくするための知識基盤を、研究が提供する。
- 政府が、経営と働く人々についてのさまざまな政策をよりよいものにするための知識基盤を、研究が提供する。
- 社会のさまざまなステークホルダーが企業への働きかけをするための知識基盤を、研究が提供する。
C.批判的研究成果と肯定的研究成果
- 現実の行われている経営の実践を批判する研究も、肯定する研究も、いずれもその論理の解明や概念枠組みの提供がきちんとあるのであれば、ともに社会的意義をもつ。
- 肯定的研究を「企業の金儲けべったり」と否定的にとらえる必要もないし、批判的研究を「反企業的で、現実の社会に破壊的」と否定的にとらえる必要もない。
- ただし、批判のための批判を終始行うのは、研究としての成果も出ないだろうし、社会的意義も少ない。
D.結局は、研究成果を人々(働く人々、経営者、政府、さまざまなステークホルダー)が使うことによって社会全体がよりよくなる、というのが社会的意義の根幹。
- それが、実学というものの本質。
- 「よりよく」とは、利益が大きいとだけ解釈しない方が適切。
a)現実の企業は、経済組織体であるばかりでなく、職場共同体でもある。
- 経営がよりよくなることのインパクトは、最終的には社会全体に及ぶ。
a)日本人の大半が、企業から所得を得ている。その所得の大きさは、基本的には企業経営の効率が決めている。
b)日本人の大半は、企業で働いている。その職場が社会共同体として望ましいものになるかどうかは、彼ら・彼女らの人生にとって、きわめて大切。
E.こうした「日本社会」を念頭に置いた社会的意義の他に、国際社会を念頭に置いた社会的意義もある。
- 日本という国のあり方を、企業経営の実践というどこの国にもある現象について明らかにし、それを国際的に発信する意義
a)日本への理解を高め、日本の国際的位置づけをより良好なものにするという意義。
- 日本企業が国際的な経営展開をするときに、間違った態度を自分がとったりあるいは誤解されたりして、国際社会で非難を浴びることのないような、知的基盤の提供、という意義。
a)居丈高な「帝国主義的発言」もまずいし、卑屈な「対米従属主義」もまずい。
b)「違う国から来た企業」としての国際理解を進めることも研究の意義。
4.人社系研究振興のための抜本的政策
A.基本的な政策としては、資源投入の抜本的強化が必要
- これは人社系だけの話ではなく、日本の大学全体への社会全体からの資源投入が少なすぎる。とくに、人社系の予算は、学部教育を中心に考えてきたため、あまりに少ない。
B.より具体的は、三つの政策を提言したい。
- 研究能力の高い教員層強化政策
- 特定組織重点支援政策
- 国際発信政策
C.研究能力の高い教員の量・質両面での強化
- 研究が発展しない最大の原因は、質の高い研究者の量が少ないことではないか。
- その解決のためには、研究者養成機能の抜本的充実が、遠回りのようだが、もっとも肝心。
a)あらためて、研究者養成機能が大学院の最大の任務であることを確認する必要がある。
(1)研究活動そのものの大切さ
(2)研究者養成機能を持たないと、次世代の教員が育てられなくなる。
(a)高度専門職業人の教育でも、その成功の最大の鍵は、教員の育成
1)その必要な質と量の確保ができていないのが、専門職業人教育の水準が下がる最大の要因
b)研究者養成が充実すれば、院生を身近に持つことになる。それは、教員への知的刺激としても大切。
(1)院生とともに考えることから学ぶことは多い。
(2)この刺激は、高度専門職業人養成の院生をもつことによっても生まれる。しかし、研究者養成のための濃密な研究指導の過程で考えさせられることの刺激はより大きい。
- 重要な対策は?
a)研究者養成機能の充実の最大の課題は、「ポテンシャルある学生」の進学者を増やすこと。
(1)選挙と同じ。選挙では、「出たい人より、出したい人」。大学院では、「入りたい人より、入れたい人」
(2)二つの対策
(a)入りたくなる大学院の数を増やすこと
(b)大学院進学者の負担を小さくすること
(3)入りたくなる大学院を増やすために
(a)研究レベルの高い少数の大学院をきちんとつくる。その数を順次、増やしていく。
(b)現在は研究レベルの高い、したがって優秀な学生が集りたくなるような研究者の総数は日本全国にそれほど多くない分野が、かなりありそうだ。
(c)そうした少ない人材の分散投入は、大きな成果にはつながらない。
(d)少ない人材を有効に利用するためには、少ない人材を集め、かつ集中的に支援することで、研究者養成機能を格段に充実させることがかえって、早道。
(e)そのためには、二つの方策がある。
1)少ない人材がすでに小さな塊を作っている大学院を特定して、そこを集中的支援の対象とする。
2)これから人材の塊を作ろうとする意欲的かつ実現可能な計画をもっている大学院を、集中的な支援対象とする。
(4)進学者の負担を小さくするために
(a)たとえば、この範疇の院生の奨学金総額を現在のレベルの数倍に、しかも少数の期待できる大学を中心にした、傾斜配分をする。
b)第二の課題は院生も含めた研究環境の充実
(1)研究環境の充実のためには、少ない予算をばらまくのではなく、少数の組織や領域に集中投資する。
(2)フィールドスタディ、国際協力研究などのための予算を大きくする。
(3)個別の院生の分散的支援もあってもいいが、それと同時に、あるいはそれよりも大きな規模で、「群れて育つ」プロセスを機動させるように、全国にいくつかの「育成センター」を設ける試みがあってもいい。
(a)たとえば、COE制度をもっと活用して、COE経由の院生への財政援助を抜本的に増やす。
c)第三に、研究機能直結の事務組織の充実。
(1)現状では、若手教員のエネルギーのかなりの部分が、かなり事務的な仕事に割かれざるを得ない現状。
(a)量の少ない優秀な研究人材を、事務的作業に使うことは大きなマイナス。
(b)それを解放して、本来の仕事をさせてやりたい。
(2)これは決して、人文学と社会科学だけの問題ではない。自然科学の方が予算額が大きいだけに、もっと大変かも知れない。
D.特定組織への「自由度を与えた」重点支援
- 特定領域への支援もあってもいいが、少ない「よき研究者資源」から長期的波及効果を期待するためには、こうした政策の方が有効。
- そのために、次のCOEにこうした成果を期待する部分をきわめて大きくする。
a)こうした支援を、研究基盤整備、研究教育拠点形成のために、今後もかなりの規模で続けるべき。
(1)それは、「組織への支援」であって、特定研究テーマの支援とは異なる。
(2)そうした拠点としての組織が、研究活動も、その中からの次世代研究者の育成(つまり大学院教育)も、両方を活発化できる。
(a)大学院教育改革を研究基盤の形成と分離して支援する政策は、限定的である方がよさそうだ。
(3)そのためには、建物や事務局など、物的・人的なインフラ整備に資金枠を設けるべき。インフラはついつい後回し、等閑視される傾向あり。それでは、拠点は作れない。
b)COE拠点の意義は、一橋大学商学研究科にとってじつに大きかった。
(1)その予算額は、通常の研究科の研究活動予算総額(通常の校費予算と科研費の合計)をかなり上回る
(a)それでも、ありあまるほどの潤沢さにはほど遠い。
(b)今まで、資金不足のために、いかに出来ていないことが多かったか。
(c)ただし、通常の研究費予算の少なさを異常と思うべきであろう。
(2)商学研究科は日本企業研究センターの立ち上げなど、積極的な試みをしている。
(a)このセンターの研究活動には、商学研究科の教員の中で意義深い研究テーマを提案した人間が参加できるようにした。ばらまき参加ではない。
(b)このセンターは専任の教員組織はもたないが、事務局組織は、専用のスペースも含めて、きちんと持つようにした。
(c)とくに研究内容を深く理解し、かつ大学内の事務機能との接点をきちんと行える、事務局長(プログラムオフィサー)はきわめて大切。
- 予算使用の自由度を強調することは、活動の幅を広げるためだが、事務処理コストを小さくするためでもある。
a)法人化後起きている現象は、多くの大学で、管理強化そして事務作業の増大、という「意図せざる結果」
(1)そのためにかえって研究活動の自由度が減ってしまう傾向が生まれている大学が多いのではないか。
b)ふつうの人が大学の管理をしていると、この状況では自然にそうなってしまう傾向が出る
(1)法人化がもたらすはずの自由は、同時に責任をも意味する。これまでは、自由もないかわりに責任もなかった。しかし責任を問われることになると、責任を問われそうな事態が起きないように事前管理が厳しくなってしまう傾向が出るのが、世の常。
(2)これまで自主的な経営をしたことがなかった大学が自分で経営する必要に迫られると、まず「従来の事務組織的発想」で、官僚制の強化に走ってしまう。
(3)それを、やっている人が官僚的だと攻めるべきではない。
c)だから、自由度拡大をきちんと明言する必要がある。
E.「国際的発信」のための翻訳・出版プロジェクト
- すでに日本国内に存在する良質な研究成果を世界に向けて利用可能な形にするために、日本語で書かれた研究成果の中で質の高いものを、「大量に」翻訳・出版する国家プロジェクトを作るべき。
- こうした形での「世界への出口」を政府が援助すれば、それは研究者養成への刺激にもなり、研究活動への促進剤にもなるだろう。
- 翻訳も出版のための準備も、研究者に片手間でやらせるのはきわめて非効率。大規模な事務局組織がじつは必要。
- 世界中で自由に読まれるためには、商業出版にして商業出版社の流通ルートに乗せる必要がある。そのために、出版補助を大々的に行う必要あり。
a)ここには補助金の出版助成使用の可否をめぐる、制度的に微妙な問題あり。
5.専門職大学院と研究機能の強化について
A.一橋大学大学院商学研究科での試み
- 研究者養成コースと経営学修士コース(高度専門職業人養成)の同一組織内完全分離
a)入試、教育プログラム、授業科目を完全に分離。学生の履修の相互乗り入れは可能としているが、経営学修士コースの卒業要件としてほとんどの単位を経営学修士コース科目からとることを要求。
b)一つの教員組織が両方を担当。
c)授与する修士号も、研究者養成コースが修士(商学)、経営学修士コースが修士(経営)、と分けている。
d)経営学修士コース入学者の中の社会人経験者の比率は6割以上。
- 専門職学位課程としての文部科学省の認定は受けていない。
a)研究者養成と高度専門職業人養成を同時に狙う
大学院のあり方としては、二つのコースを組織として分けない方がいい、とわれわれは考えた。
(1)大学院の最大の任務が研究者養成であれば、すべての教員が研究者養成コースを担当することは不可欠。
(2)一つの教員グループが、二つのタイプの教育を同時に行うことに意味がある。
(a)第一に、一つのグループの資源の共通利用のメリット
(b)第二に、それぞれの教育からの相互フィードバックのメリット
(c)第三に、経営学修士コースでの議論は、教員にとっていわば研究対象の現象の関係者との議論でもあり、研究そのものにも刺激がある。
(3)実学の研究をきちんとしている大学人は、同時に高度専門職業人の教育も立派に出来る。
(a)原理原則の深い理解が、高度な教育にいかに重要かを物語る。
(b)実務家出身者できちんとした研究が苦手の大学人は、案外、教育でも長期的には限界を露呈することが多い。
(c)われわれのCOEの事業推進担当者は、じつは経営学修士コースの中核メンバーでもある。
b)いわば、専門職大学院的なコース(経営学修士コース)を「勝手に」、一つの研究科の中でやっている。
(1)たとえば、一つの教員組織で二つのプログラムを行おうとすると、専門職大学院の制度的要件には不適格となるので、われわれは専門職大学院に該当しない。
c)ただし、同じ一橋大学の別な研究科として設立された国際企業戦略研究科は専門職大学院としての認定を受けている。
(1)ここでのプログラムは、英語による全日制のMBA(経営学修士)プログラムと、金融に特化した夜間プログラムであり、商学研究科の日本語による全日制二年制プログラムとはターゲットが大きく違う。
- われわれも、必要であれば専門職大学院への制度変更はできるだろうが、当面は必要を感じていない。
a)専門職学位課程としての制度的認定がなくとも、経営学修士コースが高度専門職業人養成コースであることを、社会とくに受験者はよく見ている。したがって、十分に需要はある。
B.既存の多くの専門職大学院での研究機能の強化は必要。
- 強化しないと「深い知識の湖」として機能できなくなり、長期的には大学院として立ち枯れる危険あり。
- ただしこれは、専門職大学院に博士後期課程を強化すべきという意見とは異なる。研究者あるいは教員養成は、現行の専門職大学院の大きな機能にはできないであろう。
- まず、専門職大学院でも「実学」の研究機能を強化することが必要。そこから、将来の教員養成へのルートが見えてくるかも知れない。
- 私が2008年度から移籍する東京理科大技術経営(MOT)専門職大学院では、2007年4月から「東京理科大MOT研究センター」を発足させた。