学術研究推進部会 人文学及び社会科学の振興に関する委員会 議事録

1.日時

平成20年7月11日(金曜日)15時~17時

2.場所

金融庁 共用第2特別会議室

3.出席者

委員

委員)
伊井主査、立本主査代理、井上孝美委員、中西委員、西山委員、猪口委員、今田委員、岩崎委員、藤崎委員

(科学官)
佐藤科学官、縣科学官

(外部有識者)
中野 三敏九州大学名誉教授

文部科学省

(事務局)
門岡学術企画室長、坪田科学技術・学術政策局企画官、高橋人文社会専門官 他関係官

4.議事録

【伊井主査】

 それでは、定刻になりましたので、ただいまから科学技術・学術審議会学術分科会学術研究推進部会の人文学及び社会科学の振興に関する委員会を開催することにいたします。
 本日は、後でご発表いただきます九州大学名誉教授の中野三敏先生にお越しいただいております。中野先生におかれましては、ご多忙のところこの委員会にご出席いただき、ほんとうに心から御礼申し上げます。ありがとうございます。
 まず、本日の配付資料の確認をお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】

 本日の配付資料につきましては、お手元の配付資料一覧のとおり配付させていただいております。欠落などございましたら、お知らせいただければと思います。
 また、いつものことでございますが、ドッジファイルで基礎資料を机上にご用意させていただいておりますので、ご参考にしていただければと思います。
 また、資料2として、主な意見をいつものとおりまとめさせていただいておりますので、お時間があればお目通しいただければと思っております。
 以上でございます。

【伊井主査】

 ありがとうございます。委員の皆様におかれましては、暑いときにお越しいただきましてありがとうございます。これから少しまとめの方向でいろいろと考えていかなくちゃいけないと思っておりますが、これから本日の議事に入ることにいたします。
 現在、この委員会では学問的特性、社会とのかかわり、振興方策の3つの観点から、人文学の振興につきまして審議を進めているところでございます。毎度申し上げているところでありますけれども、人文学に関し我が国を代表するご高名な研究者の方々にこの委員会にお越しいただきまして、人文学研究について御高説を賜っているところでございます。さらに意見交換をしながら、これから人文学をどのように発展させていくのかということですが、委員会として議論のための共通の基盤を形成する努力を今し続けているところであります。
 それで、毎度申し上げてまことに申しわけありませんが、一応これまで専門家の方々においでいただきましてお話を賜りました。これまでの経緯も振り返りながら、本日の位置づけをしていきたいと思っております。まず最初にお越しいただきましたのは、西洋中世史がご専門であります樺山紘一先生でした。そこでは人文学を理解するためのキー概念として、「精神価値」、「歴史時間」、「言語表現」という3つをお示しいただき、人文学の機能としては、「教養教育」、「社会的貢献」、「理論的統合」があることをご指摘いただいたと思っております。
 そして、人文学というのは「世界の知的領有と知識についてのメタ知識」であるということをご発表いただいたところでした。
 お2人目は、ロシア文学がご専門の亀山郁夫先生から、「文学研究」というものは「研究者個人の精緻な読解力」、「イマジネーション」、「人間そのものへの洞察力」を通じた「人間の多様性の解明」であるということでございました。亀山さん自身のロシア文学の翻訳を通じてのお話もあったわけでありますが、人文学は背景とした『教養』とは価値を異にする人々の間のある種のコミュニケーションの道具であるということもおっしゃったところでした。
 3人目は臨床哲学がご専門であります鷲田清一先生から、哲学には諸学を基礎づける「基礎学(Grundwissenschaft)としての役割と、「教養(Bildung)」としての役割があるとのご指摘をいただき、「価値の尺度」そのものがほんとうに正しいのかどうか。我々はいろんな物差しで価値観をするわけでありますが、そのまず物差し、価値の尺度そのものがほんとうに正しいのかどうかということを吟味し、判断をしていくという役割があるんだということをご指摘いただきました。
 そして、さらに科学史・科学哲学がご専門の村上陽一郎先生からは、「科学」とは、科学者が自己の知的好奇心に基づいて真理を探求していく営みであり、歴史的にも、他の目的のために知識を道具として活用する「技術」とは、全く別の知的営みとして発展を遂げてきたということをお話しいただいたわけでございまして、科学技術と一言で言っておりますけれども、科学と技術は違うんだという背景などもおっしゃって下さいました。
 そして、前回については少し要約を長くいたしますが、このように人文学の学問的特性を中心に議論いただいた上で、国際日本文学研究センター所長の猪木武徳先生にお越しいただきました。そして、その中では大きくは2つの点からお話しいただいたわけでありますが、研究者養成の観点から、基礎訓練の重要性があるということ、もう一つは「学術外交」という観点から、日本研究の振興の意義についてご指摘をいただいたと思います。
 学術外交といいますと、きょうの中野先生のお話とも重なってくるところがあるのではなかろうかと思いますが、猪木先生からは、総合の学としての人文学を担う人材の不足という問題が提起されました。人文学におけるすぐれた研究者を養成する観点から、基礎訓練の重要性、特に、専門化する時期をおくらせてでも若い時代に幅広い勉強をしておくことが、将来における研究の発展に大いに意味を持つことになるというご指摘をいただきました。これは分野によっては違ってくるし、同じ分野でもまた異なるだろうと思いますが、時間をかければよいというものでもないことでしょう。またそれぞれその分野における問題の本質を判断する能力を育成するためには、「原典」を重視した教育を行うことが重要であるとのご指摘もいただきました。翻訳だとか輸入文学、あるいは輸入本だけではだめだということです。
 そして、猪木先生からは「学術外交」という概念が提起されまして、国際社会の中での日本が諸外国と友好な関係を構築していく上で、日本と諸外国との研究者レベルのネットワークを形成しておくことが重要であるというご指摘でありまして、「日本」を学問的レベルで理解している外国人を確保することは、日本の将来にとって大きな意味を持つはずであるとの問題意識をお示しになられたと思っております。
 最後に、猪木先生からは、人文学や社会科学の振興に当たりましては、自由な発想が学問の原動力となっているという観点から、自由な研究時間の確保、これは深刻ではありますけれども、とにかく研究をする時間、あるいは研究資金の確保も重要であるということでした。
 これは当然のことであろうと思いますが、特に短期間での研究成果の創出が求められるような研究環境では、いわゆる骨太の研究成果が出せるすぐれた研究者を養成していくことは困難であると。学問の発展の観点から将来へ問題を残す可能性があるというご指摘をいただいたところでありまして、これは我々も常々骨身にしみているところでありましたが、だんだんと骨太の研究者がいなくなって先細りする、成果だけを求めるというところがあるんだろうと思います。しかし、これはじっくりと我々は腰を落ち着けて、これからの人文学、それだけとは限らないわけでありましょうけれども、ほかのいろんな基礎学を含めまして、どういうふうに発展させていくのかということをほんとうに真剣に考えないと、将来の日本の学問体系といいましょうか、とりわけ人文学にとってはますます先細りをして、貧弱になってしまうと深刻にも思っているところでございます。
 そういうことで本日でありますが、日本研究の振興の重要性につきまして、これまでの審議を踏まえ、具体的な研究課題を例としまして、施策につながるようなご議論をしていただこうと思っているわけです。既に各委員の先生方には資料をお配りしておりまして、前もってお読みいただいていると思いますけれども、今回は江戸文学、近世文学の幅広い研究をご専門になさっていらっしゃいます九州大学名誉教授中野三敏先生をお招きいたしまして、とりわけ在外古書の実態調査、海外におけるそういう古書の調査はどういう意義があるのかと。これは先ほど申し上げました樺山紘一先生も、日本のものが外国に流れていっている美術の調査の必要性ということをおっしゃいましたけれども、それともかかわってまいるだろうと思います。その点をきょうはご発表いただけるものと思っております。
 中野先生からは、さまざまな経緯から諸外国の博物館とか美術館に収蔵されることになりました「在外和古書」の実態についてお話をいただくことになっておりまして、海外に存在している日本由来の文化資源に関する研究が、私ども現代の日本人にとってどのような意味を持っているのか、またそのようなご研究を推進していく上での課題だとか、具体的な方策などにつきましてご発表いただき、またご提言いただく。そして、初めにも申しましたように、この委員会もそろそろまとめの方向にいかないといけないものですから、どういうふうにまとめていくのかということのさまざまなご示唆をいただければと思っているところでございます。
 これから40分から50分程度お話をいただきまして、また皆様のいつものように活発なご意見を賜ればと思っております。
 それでは、中野先生、よろしくお願いいたします。

【中野九州大学名誉教授】

 ただいまご紹介いただきました中野でございます。私のきょうのお話は、これまでのような大変大所高所からの大きなご議論と違いまして、非常に特殊な細部にわたるような話のほうがメインになるんだろうと思います。
 ただ、私はここでのこういう機会をいただきまして、初めてこちらでずっとご議論いただいた内容についても聞かせていただきまして、ほんとうに我々が常日ごろずっと考え続けてきた、あるいは切望し続けてきたようなことがようやく取り上げられて、そしてそれが実施の方向へ向いていきつつあるということは大変ありがたく思った次第でもあります。
 きょうは発表要旨と書きました簡単な1枚のものに沿ってお話をしていきたいと思いますので、そちらを見ていただきたいと思います。
 最初のところで基本姿勢と。これは私自身の基本姿勢でありまして、私自身は自然科学、社会科学、人文科学、その3つの科学という学問にまたがる、さらにその基礎学として、人文学というものがあるんだと常日ごろ思っておりました。ですから、これを人文科学と言ってしまいますと、非常に細分化された方向へどんどん科学が進むのは当然でもあるだろうと思いますけれども、そうではなくて、3科学全部にまたがるような形での人文学というものが本来の人文学の姿であろうと思っておりました。
 そう常日ごろ思っておりましたので、こちらで私よりもその前に何度もお話しいただきました諸先生方のご議論を拝読しまして、まことに我が意を得たりというような気持ちで拝読することができました。ですから、私としても、自分の基本姿勢というものが、大体そういう方向でよかったんだということを改めて確認したような次第でもございます。
 そして、その中で、また特に私どものほうから申し上げたいのは、実は明治以後、日本の学問というもの、学術というものの基本がほとんど西洋学というものになってしまった。なってしまったというのは、それを選び取ったということだと思います。したがいまして、そこでは日本伝来のといいますか、要するに江戸時代以前、明治以前というふうに言ってよろしいわけだと思いますけれども、明治以前の我が国の学問をひっくるめて、西洋学に対して和学というふうにいうとしますと、その和学のほうの継承がほんとうに手薄なものになっていってしまって、そして今やおそらく国文学・国史学というところでだけ生き残っているというふうに言っても、それほど間違いではないんじゃないかと思うぐらいであります。
 そして、しかも和学というものの一番基本的なところを考えますと、要するに和学のインフラとでも言えるようなものがおそらく江戸時代までの和古書、和本というものであるだろうと思います。それはあらゆる領域にわたっての本が存在いたします。そして、そういうものをひっくるめて、和古書というふうに言えばよろしいだろうと思います。そして外国にもやはりそういった和古書が十分に存在するというふうに言ってよろしいだろうと思います。
 ただ、それにしましても、これまで外国にある日本の本、和書というふうにいいますと、大体国文学・国史学、あるいはせいぜい日本美術といったような、そういう領域の本だけがいわば問題になりまして、問題になるというよりもこちらから出かけていって見てくるというと、どうしてもそういう領域の本だけになってしまっている。そして、あたかもそういうものばかりがあるように理解されてしまっておりますが、これはとんでもない誤解でありまして、とにかくあらゆる領域の本がございます。ですから、要するに和学のインフラとしての和古書そのものがきちんと十分に存在しているということ、それをまず認識しなければならないんだろうと思います。
 これは私も実際行ってみますまでは、非常に極端な理解しかしておりませんで、行ってみて改めてそこが痛感させられるということが大変多うございました。ですから、そういうつもりでこれからの話を聞いていただきたいと思います。
 ます、現状ということですが、その現状に資料1-2を提示しておきました。これは私がほかのところで実はしゃべりましたときにつくりました簡単な目録のようなものであります。在外和古書事情などと肩に記してありますけれども、これはそのときの演題でもあったわけです。ここへずうっと並べましたようなものが、私がそれこそごくごく個人的にこれまでうろうろいたしまして、拝見することができた、あるいは拝見するまでもなく、既に先達の方がそういうところの目録などをしっかりつくっていただいているというものをざっとそこへ並べてみました。大体、上に*印みたいなものをつけましたのが、私自身が自分で実見した場所でございます。
 そういう形でずっと見ていったわけですが、最初は韓国、それから台湾へ行き、そして中華人民共和国に行き、それからロシア、ドイツ、イギリス、アメリカ、イタリアというような形で大体拝見することができました。
 最初の韓国の場合、これはソウル大学ですけれども、これは先方から総合目録づくりみたいなものを頼まれまして行きました。それが最初であったわけです。それまで私は全く外国へ行くなどということは考えてもおりませんでしたので、韓国へ行ってみてとにかく驚きましたのは、このソウル大学の旧蔵書ですけれども、書庫に入ってみて初めてとは思えないような、非常に懐かしい思いがしたことを今でも覚えております。
 それはなぜかと申しますと、この書庫の中の姿というものが、まるで私が勤めておりました九州大学文学部の書庫に入ったのと同じ雰囲気といいますか、同じような感じであった。もちろん外の雰囲気はまるで違いますけれども、中へ入りますとそういう感じを受ける。それは当然といえば当然でありまして、ソウル大学とその次の台湾の旧台北帝大(台湾大学)、これはいずれも旧日本の帝国大学の文学部の図書であったわけですから、これは九州大学文学部の書庫と全く同じようなレベルの、同じような本がそのまま存在している。
 特にソウル大学のほうは大変きれいにきちんと保存されていて、しかもこれは九州ですと、中にあります和本なんかは、和本というのは江戸時代の木版本のようなものを中心にいいますけれども、そういうものは虫食いが非常に激しいんですけれども、韓国の場合にはほんとうに虫食いが全くないと言っていいような状態と。これは僕も驚きまして、虫の手当てはどういうふうにしていられますかと聞きましたら、本を食べる虫がいるんですかと言って驚かれたぐらいでありました。要するに気候条件とか、そういうものがありまして、韓国にはほとんど本に虫がつかないんです。ですから、そういう意味では、これからは韓国に全部保存するというのが、一番本にとってはいいのではなかろうかというぐらいの思いを持ったぐらいでもありました。
 それはその次の台湾大学でますますその思いが激しくなりまして、というのは、台湾大学の本は、これはまた物の見事に虫がものすごい状態でありまして、これも実は50年近く全くだれも見ないままで塩漬け状態になっていた。もちろん終戦後ですね。ですから、その間、だれも手をつけないで、しかも高温多湿の大変な状況の中でとっておかれたものですから、結局、ほとんど修復は完全に不可能というような状態のものがかなりございます。それからまた、完全にパルプといいますか、板になってしまっているようなものも大変多くございました。ですから、そういう意味では、韓国の気象条件というのは、まことに和本にふさわしいものだなということをつくづく思ったような次第でもありました。
 それにしましても韓国、台湾というところ、これは間違いなく日本の旧帝国大学の書庫がそのまま存在すると。そういうふうに思えば、一番ぴったりくるわけでございます。
 それからまた、韓国の場合、国立中央図書館という、これは旧日本の総督府の図書館でありますけれども、これはまた点数からいきますと、はるかに多いものが存在しておりまして、これはほとんどまだきちんとした調査が進んでおりませんで、ただし今、国文学研究資料館でこの調査に入って、今の伊井先生の前の松野さんのときから始まったと思いますけれども、それでぽつぽつ進んでいる状態だろうと思います。これはそれなりに手がつき始めているということです。
 それから、次の中華人民共和国、これは大体旧満州のいわゆる日本の大学、そういうところに残されたものがあるだろうということでまいりましたわけですけれども、こちらはなかなかすんなりとはいきませんで、こういうところの場合には政治的な折衝というか、そういうものが大事なんだろうなと。個別に行きますと、これは非常に手間もかかりますし、それからまた、妙な話ですけれども、要するに1点ずつ閲覧料を請求されまして、それがまた何を基準にしているのか全くわからないようなべらぼうな金額を言われたりしたこともあります。ですから、それをあんまりそのまますんなり受け入れますと、それが今度はおそらく後の相場になってしまうのではないだろうか。そして、しかもそれがほんとうに図書館のちゃんとしたところへ入るのかどうかも、これもまた全くわからないというようなこともございました。
 ですから、これは危うきに近寄らずということのほうがよかろうというので、ただ、書庫をさっと通り抜けさせていただくだけということで、そのままになっております。
 でも、これはそこにも書いておきましたように、中華人民共和国とあるところの下に、王宝平さんという方が中国館蔵和刻本漢籍書目という和刻本の漢籍、それだけに関しては大体の目録ができているようでございます。この和刻本漢籍というのは何をいうかといいますと、本来中国の書物、中国で出版された書物、中国人の著述で、中国で出版された、それを我々のほうでは唐本というふうに申します。その唐本をさらに日本に持ってきて、日本で江戸時代にそれを復刻した、その唐本のとおりに複製本をつくった。日本で和刻本と。それをそのように申します。その和刻本が随分、もう既に中国にももうなくなってしまったようなものが江戸時代の日本で復刻されていて、それがかえって中国でも非常に珍重するというものが結構ございまして、そういうものを全部ひっくるめて和刻本漢籍というふうに申します。
 そういうものがどのぐらいあるかということを王宝平さんという方が、これは各図書館にどうも手紙で問い合わせを出されて、そして集めたもののようですけれども、そういう形で一応目録化されておりますが、それ以外のいわゆる純粋な和本、つまり日本人の著作で日本で出版された、江戸時代までに日本でつくられた書物に関しては、まだそれほどの調査は進んでいないということになるだろうと思います。そして、こちらも旧日本の大学に所蔵されていたものが中心ですから、そういうものは旧日本の大学のレベルで考えていいものがおそらくあるに違いないというふうに言えるだろうと思います。
 そして、それからさらにロシア連邦、ドイツ連邦というようなところで少しずつ回りました。これは我々にとってはなぜかヨーロッパのほうはあるだろうなとか、ヨーロッパにはおもしろいものがあるんじゃなかろうかとかというような根性がありまして、専らヨーロッパのほうを最初は回ってみたわけですけれども、これもみんな個人的な、科研費みたいなものはとりましたけれども、ある意味では個人的な作業として2~3人で出かけたということがほとんどでございます。
 そして、この中では、ドイツというのは、さすがにすばらしい集書をしているということが実感できたりしまして、それからまたイギリスも大変な集書であるということもわかりました。それから、その後、最後にアメリカへ行きましたけれども、とにかく大変な量があるということがはっきりわかりました。そのうちの一つだけは、つい先日、ハーバード大学のサツクラー美術館の目録を私どもでつくりましたので、これは参考資料として皆様のお手元に届いているだろうと思います。これはわずか3日間で、3人でつくりました目録ですので大変雑なものですが、こういう目録で実は十分であるということも一つには言えるだろうと思って、見本としてお渡ししてもおります。
 その中では、しかしドイツのほうはそこにも書いておきました、ドイツ連邦共和国のところに下にをつけまして、エヴァ・クラフト女史作成目録と。これはドイツのほとんどの現存する和古書の大半がここに著録されております。エヴァ・クラフト女史という方はおそらく亡くなられたかもしれませんが、とにかく大変な努力でドイツ全土を個人的に回って、これは全部自分で実見して目録化されたものですけれども、各地域ごとに、例えばベルリン地区であるとか、ミュンヘン地区であるとか、そういうふうに地域ごとに五分冊になっておりまして、それぞれに随分きちんとした目録ができております。
 大体ドイツの場合はこれで大丈夫だろうと思っておりましたらば、行ってみますとまるで事情がそれぞれに違いまして、そして例えば2番目のベルリン国立図書館、ここは実は3回行きまして、1回目は完全に門前払いのような形でだめでした。2回目に行きましたときにはちょうど夏休みで、夏休みで幸いだったのは偉い人がみんないない。直接出し入れをする方が出てこられて、いろいろ話をしているうちに、それならこういうものもありますがというような形で、全く手つかずのコレクションが入って、そのまま放りっぱなしであったというものがそこに、フリッツ・ルムフ・コレクションというのが500点とありますけれども、もっとだったと思いますが、台車に3台分ぐらい積み上げてごろごろ引っ張ってこられて、もしよかったらこれでも見てくれというようなことであります。このフリッツ・ルムフ・コレクションというのは、エヴァ・クラフト女史の作成目録にも全く入っていないものであります。
 それから、ドレスデン美術館にも2度行きましたけれども、1度目は改修中ということで全く見ることはできませんでした。2度目には改修ができていて、新しく版画美術館という形できれいなものができておりました。そこでもやはり全くクラフトさんの目録に入っていない新しいものが800点近く出てまいります。そして、それも自由に見てくれということで、みんな拝見することができて、大ざっぱな目録みたいなものをつくったりもいたしました。
 いまだにヨーロッパの場合はそういう状態であるということですね。
 そして、この資料1-2は大体その程度にしておきますが、その次の現状というところの2から先、これは以上のような調査をやった上での在外和古書に対する私の個人的な受け取り方といいますか、そういうものを申し上げますが、現在ある和古書の9割と言ってよろしい、あるいは9割9分と言ってもよろしいと思いますけれども、江戸の版本であります。それから、江戸以前というものになりますと、これはさすがにそんなに数あるわけではない。ただ、美術的な絵巻物とか、そういったものは注意されて、昔からコレクションされたものもありますけれども、そうではないものではほとんどが江戸の版本であります。ですから、在外の和古書を調査する上ではこれは絶対的に江戸の専門家といいますか、そういう人がまいりませんと、これはまずお手上げになってしまうだろうということです。
 そして、しかも先ほども言いましたように、在外和古書といいますと国文学、そういった江戸時代の西鶴の本であるとか、あるいは松尾芭蕉の本であるとか、そういうものが非常に注目されるわけですけれども、決してそれだけではないということです。あらゆる領域の本があります。ですから、例えば漢籍などは当たり前のことですけれども、そのほかにも江戸時代の天文学の本であるとか、江戸時代の農業関係の書物であるとか、数学の本であるとか、あるいはお茶、生け花などの本であるとか、とにかくありとあらゆる領域の和本が確実にございます。ですから、オールラウンドであるということです。それがまず第1。
 そして、その大半、9割9分は江戸の本であるということです。一番多いのはやはり絵入り本、絵本であるということ。これは絵がありますもののほうが、外国の人にとってはおもしろい、親しみやすいということは当然のことでもありますので、絵本、絵入り本が多いんですが、江戸時代の版本というのは、まずこれはほとんどが絵が入っております。漢詩集とか純粋な和歌の集というものになりますと、絵がないものももちろんあるんですけれども、それでも時々絵が入っているものがあります。ですから、そういう絵本、絵入り本という目的で集められたものも、かなりオールラウンドに何でもあるというふうに考えたほうがよろしいと思います。
 そして、その中でも特に純粋な絵本類に関しては、これはほんとうに愕然とするぐらいに、外国で集められた絵本類のすばらしさは言う言葉がないぐらいのものがございます。それは1つ、2つということではありませんで、おそらく館によりますけれども、例えばイギリスの大英博物館、それからアメリカのボストン美術館、この2つだけを取り上げましても、これは日本国内では全く太刀打ちができません。ですから、その集め方の網羅的なことと、それから学術的に非常にきちんとした集め方がしてあります。ですから、そういう点で、これは日本で我々がこれから30年かかってやっと見ることができるぐらいのものが、おそらくこの大英博物館とボストン美術館に行けば、多分1年で全部見ることができる。そのぐらいの差ができてしまっております。ですから、絵本類の研究は日本にいるよりは、絶対大英かボストンに行ったほうがよろしい。そのほうがよっぽど早道である。
 ただし、それを完全に実のあるものとしてやるためには、もちろん日本国内で多分、5年なり10年なりみっちりした知識をつけて、その上で行けば、今申しましたように1年か2年で、日本で20年、30年やるのよりもはるかに効率のいい研究ができるであろうと。そのぐらいに立派なものが集められております。
 その内容をちょっと、これはあまりご存じないところもあるだろうと思いますので、資料1-3で2枚ほど出しておきましたが、これは例えば絵本というものは初版本と後刷りの本、それによってまるで違ってくるということ。ですから、どちらを見るかによって、その絵本の評価がまるで違ってまいります。特に色刷りの絵本は完璧にそれが違ってくる。ですから、そこを理解しないといけないところですが、例えばそこへ「石燕画譜」というのと「鳥山彦」というのを上下に並べておきました。これは上の段の「石燕画譜」というものが後刷りでありまして、下にあります「鳥山彦」というのが初刷りの本であります。それで色刷りであります。
 これで見ますと、同じ本なんですが、例えば「鳥山彦」の右側に猿が何匹かおりますが、これを見ますと、まず下の初版の「鳥山彦」のほうには真ん中に白い小猿が1匹おりますけれども、上の「石燕画譜」では小猿がいなくなってしまうわけです。そして、猿の顔が反対向きになってしまっております。そして、扇面の扇型の枠の外側に、下のほうは何もありませんけれども、上には横筋がいっぱい入っている。
 さらに、左側のこれは有名な五条の橋の牛若丸と弁慶のところですけれども、下の段は初版本。上の段になりますと、上のほうに夕暮れどきの空がありまして、そこへコウモリが何羽か飛んでいるという絵柄になっていっております。要するに図柄としてもまるで変わったものになってしまうということです。これは非常に珍しい例なんですが、大体初版よりも後刷りというのはだんだん手抜きがされるのが普通なんです。ところが、この「鳥山彦」と「石燕画譜」の場合には逆になっておりまして、後刷りのほうでいろいろと手を加えてしまっているということがおわかりいただけるだろうと思います。
 ですから、単にこれだけを見ますと、どうも「石燕画譜」のほうがもしかするといいものではなかろうかというふうについつい思ってしまったりもする。
 それから、下の白い小猿なんかは、下の絵があるから、ここに小猿がいるということはわかるんですが、上の絵だけ見ますと、別にこれはこれでもそんなに不思議な絵ではなさそうな受け取り方をしてしまう。そういうことでもあります。これは要するに黒い墨の板を省いてしまったわけです。省きましたので、その下の白い小猿のほうは別に輪郭線を持ってかかれているわけではなくて、要するに体の外側に黒いものをいっぱい周りに置いてありますので、この白い小猿が浮き出して、白い小猿のように見えるわけですけれども、その黒いものをとってしまいますと、上の段のようなことになってしまうということでもあります。そういうふうに違ってくる。
 それから、2枚目のものを出していただきますと、これもいずれも色刷りの絵本なんですけれども、それぞれ初刷りと後刷りというもので挙げてみました。上の段の「胸中山」という、これは亀田鵬斎という人の絵本なんですけれども、右側が初刷り、真ん中が後刷り、一番左が3番目の三刷りと言えるようなものであります。これは初刷りのところには明らかに遠くに山がちゃんとありますけれども、後刷りや三刷りになりますとその山が全部消えてしまいます。そして、そのほかにも、いろいろとで囲ったりしたようなところが違ってまいります。ですから、そういうふうにだんだんに手抜きをされて、違ってくるんだということ。
 それから、下の段でいきますと、右側の「芥子園画伝・初集」という、これは絵に漢詩の賛がつけてありますが、その賛の印が違ったり、それから色目がはっきり違ってくるんですけれども、それはコピーでは色目まではできませんでした。
 それから、左側の「古今画薮後八種」という書物になりますと、これは左側のほうが初刷り、右側は後刷りです。初刷りのほうには、よくよく見ていただきますと、ブドウのつるのようなものに逆さまにインコみたいな鳥がとまっております。ところが、後刷りのほうにはそれがすっかり消えてしまいます。要するにこれも色板という、これは色刷りの場合には色数で分解しまして、その色数だけ、その色だけの版木をつくりまして、それを重ね刷りをしていくわけです。したがって、重ね刷りをするときに色板を一枚省いてしまいますと、その色はもちろんあらわれない。そうすると、色板だけで構成されたものの形はみんな色板を省くことによって消えてしまうということが、当然起こってくるわけであります。ですから、いかに初刷り、初版というものを見ることが大事か。
 それからまた、同時にそれが同じものが同じ場所にありますと、例えば初刷り本と後刷り本と三刷り本というものが同じ図書館に3つともあった場合には、それを机の上で比較検討するということができる。そして、比較検討して初めてその違いがわかる。
 ところが、日本の図書館でこういうものを集めるときの姿勢が、実は日本の図書館の大変貧弱なところは、これは皆さんも多分ご経験だと思いますが、例えば1つ本がありますと、その次にもう一つ同じタイトルの本をだれかが持ち込んだとすると、それはもううちにはありますから、それは結構ですと言って、それは買わないというくせが日本の図書館にはなぜかついてしまっているわけです。
 ですから、あらゆるものが1点だけはあるけれども、二つとはないということがしばしばあります。これは近代の活字印刷の本ですと、それは確かにそれでも仕方がないというところもありますが、木版本の場合、和古書の場合には、これは全く同じものというのは一つもないと思っていただいたほうがよろしいと思います。必ずどこかが違います。同じタイトルの例えば松尾芭蕉の『奥の細道』の版本にしましても、初版と後版と三版本とでは、これは必ずどこかが違ってまいります。ですから、別の本だというふうに思ったほうがいい。
 ところが、そういう集め方を日本の図書館では全くと言っていいぐらいしておりません。そしてなおかつ、絵本というものが、特に江戸時代のこういう色刷りの絵本、そういうものに関しては日本の美術学会の一つの見識でもあるわけですけれども、要するに木版本というのはしょせん複製本である。やっぱりオリジナル、要するに手書きのものが大事なんだという発想が非常に強かったので、こういう絵本に関しては非常に冷遇されてしまいました。ですから、日本の図書館で、特に江戸時代の、特に色刷りの絵本のいい状態のものというのは、ほとんどないと言ってよろしいわけです。
 ところが、それに対して外国では、まずそういうものに対して非常に趣味が深くなりまして、そしてそういうものを盛んに集める。そして、そのうちには同じ本を集めるということが意図的に行われたりしております。例えばその一番いい例は、ドイツのボン大学の日本研究所に行きまして僕もびっくりしたんですけれども、これは菱川師宣という人の東海道の名所図絵みたいなものがつくられておりますが、これは我々もそれ全部で4種類あるということを知っております。ところが、その4種類がボン大学にはきちんとそろえられております。
 ところが、日本では4種類全部を1つの図書館でそろえているところは1カ所もありません。個人でお持ちだった方が3種類だけそろえられたものがありました。僕らもそれを拝見したことがあります。そのほかは大体1つの図書館に1種あればいい。それもA、B、C、Dとありましたら、国会図書館にはAがある、天理図書館にはCがあるというような調子のものしか日本の場合には残念ながらありません。そういうものなどがドイツなどでは意図的に4種類きちんとそろえられている。ですから、ちゃんとそれをその場所で全部比較して見ることができる。日本の場合、国会図書館に1つあって、天理大学に1つありますと、これは比較ということができないわけです。つまり国会図書館から借り出して天理図書館へ持っていくか、あるいはその逆をしませんと比較検討するということができない。そして、しかも色刷りのものになりますと、これはコピーでは絶対に無理であります。現物がその場でちゃんと比較されないと、絶対に細かいところはわからない。そういうことが日本の場合には、絵本についてはまずお手上げの状態であるということです。
 ですから、そういう点でいきますと、これは絵本類は外国に頼る以外にはない。それも大英博物館とボストン。大英では江戸時代の絵本について2,000点そろっております。それから、ボストンの場合には、僕はまだ見ることができないでおりますけれども、ボストン美術館の方に聞きましたら大体8,000冊はあるだろうというふうに言われておりました。ですから、8,000冊というのはどんなものが出てくるのかも全くわからない。そして、日本では全く我々は見ることのできないようなものが、当然その中には幾つも残っている。そして、しかもそれはほとんどが大変きれいな状態のものが残っている。これは向こうのコレクターが集めて帰られたわけですから、大半は。ですから、コレクターの目できれいなものというのが絶対条件でもあったと思いますので、そういう美しいきれいな手ずれの全くないようなものが、ほとんど外国の場合には絵本として残っている。そういうことがはっきり言えると思います。
 それから、学術的な集書も散見するというのは、先ほど申しましたようなボン大学のような例でもあります。それから、ドイツでいいますと、例えば「北斎漫画」、これは大変有名なものです。それから、北斎の「富嶽百景」、これも富士山を描きました有名な絵本ですけれども、「富嶽百景」だけで1つの図書館で30点ぐらい持っているところがあります。こういう集め方も日本ではほとんど考えられない。ですから、ほんとうの初版、初刷りのいいものから、明治に入ってから刷り出されたような粗雑なものまで全部そろえてあるというそろえ方がしてあります。そういうことが言えます。
 それから、そういう絵本ではなくて、ごく普通本でもほんとうにすばらしい状態のものが次々と出てまいります。普通本といいますのは、我々で言う雑本、非常に申しわけないんですけれども、雑本というような言い方をしますが、その雑本というのは要するに日本では幾らもあるというものです。例えば図書館よりも、古本屋さんのほうに行って探したほうが早いというぐらいにいろいろある。ところが、そういう雑本というのは、日本の場合にはみんなほんとうに見る影もないような状態になって、よれよれの状態のものが大体雑本であるわけです。ですから、値段も非常に安い。そして、我々はそういうものを見なれております。ところが、ほんとうに今刷り出したばかりというようなものに外国に行くとしばしば出くわすわけです。そうすると、自分の見なれていたあのみすぼらしい雑本とはまるで違いますので、これは別の本じゃないかと思うぐらいにびっくりするような状態のものが次々と出てくるという実例も幾らも出てくるわけであります。
 ですから、絵本だけではない。あらゆる雑本の類でもほんとうにきれいな本が多い。そして、江戸時代の本は元袋といいまして、袋に包んでお店に置かれる。その袋は人目につきやすいように非常にきれいな色刷りのものがあったりします。そういうものはちょうど今の我々の本の感覚でいうカバーですから。日本の場合にはそういうカバーなんていうのは大体破り捨てて、ほとんど残ってない場合が多い。ところが、外国にありますものには、しばしばこのカバーがきちんと最初に売り出されたときのままで残されているものが多い。ですから、そういう意味でも大変意味のある書物が多いということが言えます。
 そして、それからまた、外国でも目録をつくってあるものは結構あります。それはその図書館で目録をちゃんとつくられた。ところが、その目録にアンノウンというんですか、わからないと。要するにタイトルがわからないものが随分多いんです。これは我々ですと、行って現物を見ればすぐわかります。そのぐらい簡単にわかるものがあります。たまには我々でも全くわからないものもありますけれども、大体はわかります。ところが、向こうの人にとってはそれはわからない。それからまた、タイトルがあっても読めない。そういうものは大体タイトルミッシングとか、あるいはアンノウンとかという形で目録の一番最後のところにダアッと並べてある場合、ですからそういうものは我々が行って見ることによって、それをはっきりと目録化することができる。
 それからまた、未整理本も非常に多い。これは先ほど言いましたベルリンの国立図書館などの例を挙げましても、あるいはドレスデンの美術館を挙げましても、そういう未整理本というのがまだまだ出てくる可能性がある。ボストン美術館の8,000冊の絵本なんていうのは、これは全く未整理であります。ですから、そういうものが非常に多いということが言える。それが大体私のこれまでに行きました上での現状ということになります。
 それから、さらに今度は我々が出かけていって、それを実際に整理するとか、そういうことをする上での注意点と申しますか、そういうことをちょっとそこへまとめておきましたが、これはすべて私の個人的な経験として申し上げるわけですから、そのようにおくみ取りいただきたいと思います。
 まず、1カ所につき大体3回行くことがベストだと思います。それはなぜかといいますと、まず最初は何があるかわからない。ですから、一種の予備調査のようなことでさっと行って、あるかどうかということぐらいを確かめるぐらいで、せいぜい精いっぱいということになります。
 そして、2回目にあるということが確実になりまして、2回目に出かけていって、そこで棒目録の作成。棒目録というのは1点につき1行で目録をつくる。署名と著者名と冊数と刊年、出版年、そのぐらいで1冊の目録をつくる。それを棒目録と申しますけれども、そういうことを例えば300点あれば300点、500点あれば500点というような棒目録をつくる。それだけでも、例えば先ほど申しましたハーバードのサツクラーで300点弱ですけれども、それを3人でやって3日かかりました。3日でそのぐらいものは仕上げられる。
 ただし、そのときに何が珍しい本なのか、何が日本にはあまり見かけない本なのかということは、自分で頭の中で判断できるものは簡単ですけれども、これはオールラウンドの書物ですから、判断できません。そういうときにまずは頼りになるのは「国書総目録」という岩波書店が出しましたあの「国書総目録」ですが、このタイトルの本は日本国内のどことどことどこにあるということを記録したものですけれども、その「国書総目録」が大体外国の図書館の場合、ほとんど備えているところがありません。ですから、これは一たん日本に帰ってきて、棒目録を見ながらどれが重要な本か、どれはどこにでもある本かという見当をつける必要がどうしても出てまいります。
 そして、それをやった上で、今度は3回目の本調査ということになりまして、そのときにぜひ細かくきちんとした書誌をとらなければいけないものをチェックしておいて、それだけをきちんとやる。これをやりますのには、大体1日にどんなベテランでも10点は無理だと思います。5点から7~8点ぐらいで精いっぱいだろうと思います。だから、300点あればそれなりの時間がかかるということになります。
 そういう3回の調査をやりますと、1つの図書館についてかなりきちんとした調査ができる。そうでない限りはなかなか難しいというのは、具体的に体験したところでもあります。
 それから、2番目に悉皆調査と。これはあるもの全部を目録化するということです。つまり、これまで我々が経験しましたのは、個人によるつまみ食いということがあまりにも多くて、それがあまりにも不経済である。つまり私は、例えば江戸時代の洒落本なら洒落本について興味があり、またその専門家でもある。そうすると、洒落本のおもしろいものがあるというと、それだけつまみ食いで見てしまう。浄瑠璃本の研究者は浄瑠璃本だけ見る。絵本の研究者は絵本だけ見るということを、何度も何度も同じところにいろんな人がいろんな形で出かけていって、そこでつまみ食いの調査をやってしまう。これは非常に不経済なことではなかろうか。
 ですから、そのためには組織的な取り組み、それがここで今お考えいただいているようなことにもなるだろうと思いますけれども、組織的な取り組みというものがぜひ必要ではなかろうかと。そのためには、もちろん国文学研究資料館のようなところがリーダーになっていただいてやるというのは、大変意味のあることでもあるだろうと。また、実際、資料館は今、ずっとそういうことを続けていただいておりますので、それは大変結構なことなんですけれども、ただ、資料館で今やっておりますのは、あまりにも細かいきちんとした調査をやろうという意気込みが強過ぎて、1カ所に、それこそ先ほど言いましたように、1人で5点もやれば、1日でそれで精いっぱいというような調査をおやりになっておりますので、これはなかなかはかどらないのではなかろうか。だから、最初は棒目録でわっととにかく全部やって、その後でゆっくりまた2回目、3回目でやるということが必要であるだろうということは重々考えとして出てまいります。
 それからまた、3番目にオールラウンダーを必須とする。これは絶対必要です。つまり自分の専門のところだけがわかるという方ではなくて、できれば書物のあらゆる領域に何がしかの知識がある方が1人だけでもキャップとしているということが、非常に大事なことであるだろうと思います。それはなぜかということは、これまでにも申し上げましたとおりで、あらゆる領域の本があるわけです。ですから、理学書もあれば、物理学書もあるし、それから美術書もあるし、漢詩文もあるし、和文もあるし、俳諧もあるし、戯作もあるしというようなことになりますので、どうしてもあらゆる領域に何がしかの知識をちゃんと蓄えた方が1人いるかいないかということは、これは随分違ってくる。
 ところが、残念なことに、今、日本の国文学の世界というのはどんどん細分化しておりますので、そういうオールラウンダーというのが育たなくなってしまっているということが一つには大変残念なことでもあるだろうと思います。ですから、そういう方をということは、結局これは経験の問題ですので、やっぱりある程度の甲羅を経たといいますか、そういう方がどうしても必要になってくる。
 そして、しかも大体そういう方は、今、国文・国史の領域しかおそらくいないと思います。江戸の本のそういう全体を見渡すことができる。そうなってくると、これは国文・国史で、しかもほとんど前期高齢者か後期高齢者ぐらいのところでないと、そういう知識を備えた方はほとんどいらっしゃらないということに実はなりかけておりますので、そういう人の養成が今後非常に大事なことになってくるだろうと。それは先ほども言いましたように、和古書というものが人文学のインフラであるにもかかわらず、国文・国史の領域の人しかそれを見ない。これはあえて言えば、これは前もってお配りした私の書いたものにも実はちょっと書いておきましたけれども、例えば和本は全部変体仮名と草書体の漢字ででき上がっているわけです。
 その変体仮名と草書体の漢字を、江戸時代の人と同じぐらいに読める人が一体どれぐらいいるのかということになりますと、これは日本の知識人全体の中のおそらく0.05パーセントぐらいしかいないんじゃないか。そんな状態に今はもうなってしまった。これは要するにそういうものの必要性が、国文・国史の人間しか必要としなくなってしまっているからでもあります。ほかの領域の方は何もそういうものを見る必要がない、見たって意味がないというような状態に、要するに西洋学を基礎にした学問というものになってしまっておりますので、西洋の言葉は十分にできる。しかし、日本の変体仮名や草書体の漢字は読まなくてもいいというような状況になってしまっておりますので、そういう意味からもオールラウンダーが非常に育ちにくい状態になってしまっている。そして、国文・国史の人に任せておけば、それでいいだろうというような状況に実はなってしまっているというのが実情であります。
 それから、4番目に外国語能力はあるに越したことはないと書きましたが、これは自分のことを顧みてそう言っているだけの話でありまして、もちろんべらべらの人がいればそれにこしたことはないんですけれども、ただ、経験で申しますと、僕は全くできませんけれども、何となく調査はできて帰ってきているというのは、そういう和本を置いているような図書館ですと、向こうに大体日本語のできる方が必ずいらっしゃると。それも大変立派な日本語を使われる方が大抵いらっしゃる。ですから、そういう方とお話をすれば、それなりにちゃんとその話は通じるという経験をかなり僕も何度もいたしました。しかし、その土地の言葉ができる人が1人はいてくれれば、それはそれにこしたことはないという程度のことだろうなというふうに思いました。
 それから、そういうことを基本にして今後どういうふうなことが必要かということですが、それは私の考えましたことは、1番目に書いておきましたように、国内で和本リテラシーのあるオールラウンダーの養成と。これは絶対に今後必要である。こういう領域、こういう人はどんどん少なくなりこそすれ、今の状態では増える可能性はほとんどないと言ってもよろしいだろうと思います。そういう和本リテラシー、つまり変体仮名と草書体の漢字が普通に読める人が育つ。そして、しかもかなり広い領域の和本のあり方というものについてよく知っている人たち、これはバーチャルでは絶対育たないんです。
 今の人がよくやります、コンピューターで目の前に和本の写真が出てきて、それを見るという、それでは和本のリテラシーというものは全く育ちません。確かに読むことはそれで読めるようになるかもしれませんが、和本というのは物ですから、物としての手ざわりといいますか、それから物としての感触、それがわからないと絶対に和本というものはわからないわけです。それからまた、モニターで見ますと、本の大きさというものがまるで見当がつかない。小さい本でも大きく拡大して見れば大きな本に見えますし、大きな本でも実際にはモニターにおさまるぐらいのところでということになりますとそれなりの、そして全部が同じような大きさにしか見えないということがあります。それでは図書館での現物の図書の調査には全く役に立ちません。ですから、そういう意味での和本になれた人が幾ら出てきても、実際の調査にはほとんど役に立たないということははっきり申し上げられるだろうと思います。
 それから、ちょっと時間が押しますので、最後のところへいきますが、国外での調査者の養成機関の構築、これが大事なんじゃないか。つまり向こうにそういうことにたけた人が育ってくれさえすれば、非常に便利なわけです。それもできればヨーロッパとアメリカと中国ぐらいに1カ所ずつの拠点づくりのようなことをやるのが大事なんじゃないか。そして、そういうところで向こうの図書と図書館の事情によく通じた人で、しかも和古書について非常によくわかる、そういう方が向こうで育っていれば、あるいは向こうで育たないにしても、こちらからそういう方を派遣してもよろしいと思います。
 ただし、こちらから行った人では向こうの事情に通じるのに随分時間もかかるだろうと思いますので、向こうで図書館の事情によく通じたライブラリアンのような人がいて、これは結構いるんです。そして、しかも和古書を扱っている図書館ですと、大体日本人で、結婚されて向こうへ行って、向こうでライブラリアンになっている人が随分いらっしゃって、そういう人の中に非常に有能な方が結構いらっしゃいます。ですから、そういう方に1カ所ずつぐらいの拠点づくりができれば、それだけでも十分だろうと。だから、最近のあれですと、ワンストップサービスというんだそうですね。ワンストップサービスを目指すということ、それが非常に重要と。今、日本でそれをやっているのは京都大学がそれをやっているんだそうですが、これは例えばアジアに1人とか、ヨーロッパに1人とか、そういうふうに京都大学から派遣されて向こうへ行って、そういうことのお世話をする。日本から調査に来た人は調査に来た人のお世話をする。そういうこともやるし、また自分の研究もやるという形で、そういうことが試みられているそうです。
 ただし、これはあくまでも京都大学の方が1年か2年行かれるわけですから、それですぐ帰ってきてしまう。そうすると、もうそれ以上には現地での知識の積み上げということができないままで終わってしまう。ですから、そういうのではなくて、ずうっと向こうに在駐しているような人で、そういう方がいれば何よりもいいだろうと。あるいはそれができなければ、そういう人を育てるための指導員というような人をこちらから派遣する。そして、向こうでそれなりの研修をきちんとやってあげて、そしてそういう人を向こうで育てるということも大事なのではないか。
 それをたまたま去年からですか、天理大学でそれを今やっております。僕もそれの研修に最初に呼ばれて行って、何かお話をしたことがありますが、これは天理大学の図書館が中心になって、大体ヨーロッパ、アメリカのそういう和古書の専門のライブラリアンという人を養成するということで、大体15~16カ国ぐらいのところから見えて、去年も1週間、今年も1週間既に終わっております。そういうことを一私立大学でやるのではなくて、国の取り組みとしてそういうことをやるということも大変大事なことではなかろうか。そして、そうやって向こうに拠点ができれば、ほんとうにいろんなことがやりやすい。調査は随分進むと思います。我々が個人的にうろうろいたしましても、大体半分は観光に行ったようなもので帰ってくるというのが関の山でありますので。ですから、そういう不経済なことをやるよりも、もうちょっと組織的に国家的な事業としてやる意味は十分にある。
 それは先ほどから申しますように、向こうにある書物がとにかく日本とは比べものにならないぐらい質の高いものが、量的にはもちろん日本に比べればはるかに少ないわけですけれども、それでも十分な量のもの、質の高いものが十分に堆積している。ある領域では日本では絶対に及びもつかないようなものの堆積が既にでき上がっている。そういう実情がございますので、そういう取り組みも十分意味のあることではなかろうか。
 ちょっと長くなってしまいましたが、大体そういうことを申し上げておきます。

【伊井主査】

 ありがとうございます。時間も押してまいりましたので、後はご質問、意見の交換としたいと思いますが、一応まとめておきますと、中野先生の場合は非常に個人的なご体験を踏まえまして、しかしこれまでの樺山先生以降のご発表の内容とも共通するような基礎学というものを中心にして、重視しなくてはいけないということでございまして、私は座長をしておりますものですから、私の勤め先については一切言ってないのでございますけれども、国文学研究資料館というところに私は勤めておりますものですから、まさにこれはそれとほとんど重なるようなご意見を賜って、ある意味では心強く思ったわけです。
 国文学資料館そのものは日本の文学といいますか、日本人が著作したものを今のところは国内を中心としまして、日本として、国として調査をし、マイクロフィルムにおさめて、永久に保存していこうという機関でございまして、日本は震災が多くて、火事だとか、さまざまな災害がありますもので、しかも和本というのは確実になくなっていくものでして、あと100年、200年たちますと消滅していく資料も出てきますから、それでとにかく永久にマイクロフィルとしておさめていこうという計画です。
 ただ、今のところ典籍資料は100万点あると言われておりますけれども、それを例えば1年に1万点ずつ調査しましても、100年かかるという計画になります。ただ、これは今、中野先生からご発表いただきましたように、実は海外にも膨大な資料が存在することは数量に入っていません。そして、先ほどボストン美術館の例をお出しになりましたけれども、モースを含めて、モースというのはすぐに大森貝塚のことを思い出しますけれども、実は日本の資料を大量に持って帰っております。ボストン美術館には、それ以外の資料も大量にありまして、有名な屏風だとか浮世絵など、時々日本に持って帰って展示をいたしますが、それ以外の膨大な日本関係のが書庫におさめられているのです。この前も向こうの方から聞きましたけれども、明治期の日本の写真が大量にあるということでありまして、まさにそれを発掘し、整理していくことは、日本人の責務でもあるであろうということを思っているわけです。
 それとともに、教育・文化行政といいましょうか、ライブラリアンの養成ということ。こういうふうな大量の日本関係の古書があるところは、日本人がいるというお話もありましたが、それは恵まれたところで、ほんとうはほとんどいないところが大半であるのが実態です。最近、私もオランダのライデンに行ってまいりましたけれども、ライデンの民俗学博物館にはつい最近購入したのではなかろうかと思われるような江戸時代のすばらしい本がございました。ほとんど江戸の末期にシーボルトとか、それ以降の人々がオランダに持って帰って、そのままになっているわけです。あけてないので、真新しい本が出てきます。日本の所蔵されている本の大体はいわゆる貸本屋を流通して、残っているようなものが多いので、手あかがついて汚れたり、破れたりしています。それが海外にいきますと、ほんとうに美しい本、初刷りの本などがございまして、これを今後は日本として文化交流や文化教育行政としても進めなくてはいけないのではないかというお話だったと思います。
 残り30~40分でそれぞれのご意見を賜りたく思います。先ほど申しましたように、ヒアリングもこれでほぼ終息し、これからの我々のこの委員会のまとめの方向へ持っていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。どうぞ、どなたからでも結構でございます。

【立本主査代理】

 ご発表は全体として大変おもしろかったんですけれども、なかでも、日本由来の文化資源に関する研究というところで、非常に具体的な提言をされたということが、参考になると思うんですが、もう一つ基本姿勢のほうでちょっとお聞きしておきたいことがあります。今まで西洋科学が日本に入ってきたことの批判などはやられているんですが、正面から3科学の基礎学としての人文学ということの議論、諸学の基礎としての理論的統合はどうなっているのでしょうか。
 国文とか国史でなくて、基礎学としての和学の重要性、それは1つは理論的統合性があるのかということと、もう一つは西洋科学を超えるもの、あるいは補うものがあるのかということ、3つ目にはこれも日本研究というのがかなり出てきておりますけれども、現在の日本研究批判というものにつなげられるのかということ。説得するための材料についての先生のご意見を伺いたいと存じます。

【中野九州大学名誉教授】

 これは先ほどから私が申しましたように、あまりにも日本学、和学というもの、日本学ではなくて、いわゆる私の言う和学ですけれども、その領域がごく狭いところへ押し進められてしまったということを常日ごろ考えておりました。だから、具体的には、まさに国文・国史というようなところだけでそれが考えられてしまっている。しかし、おそらく私は社会学であれ、経済学であれ、政治学であれ、哲学であれ、理学であれ、法学であれ、あるいは自然科学であれ、全部の領域に和学の基本という、和学の伝統といいますか、それは必ずあるわけでありまして、そしてそういうものは要するに何であらわされているかというと、やっぱり和本という形、書物という形で残されているわけです。ですから、そういうものをきちんと理解するということは、僕はあらゆる領域の学問に当然それは意味を持ってくるに違いないと思っております。
 ただ、どういうふうな意味があるかということは、それぞれの学問の世界での問題でもあるだろうと思います。しかし、何よりも基本的に読めなければどうしようもないわけです。先ほども言いましたように、和本の読める人が何人いるのかということになりますと、ほんとうに現状はお寒いことになってしまっている。だから、利用するにも、あるいは価値を判断するにも、とにかく中身が読めないことにはどうしようもないと。それを僕は和本リテラシーというふうに言ったわけですが、和本リテラシーを回復するとついこの間までみんな読めたわけです。我々の親のクラスですと、手紙を書くのにも大体変体仮名を使って書くのは当たり前のような状態でしたし、現在でもおすし屋さん看板とかおそば屋さんの看板なんていうのはみんな変体仮名で書いてあって、それを普通に読んでいるわけです。
 それは読めないはずはないので、要するにほとんどは嫌いで読んでも、読めるようなものであるはずだと思います。ですから、読もうという意識がありさえすれば、簡単にそれは習得できるのに、それがこんな状態になってしまっているということは、やっぱり学問の上での必要性というものをそこにどうも与えられなかったから、結局こういう状況になってしまったんだろうと思います。我々はどうしてもそれは必要なものですから、嫌でも読むということになりますけれども、そうでない領域の方にとってはどうも不必要な学問になってしまっていたんじゃないかと。それは考え方としてちょっといかがなものだろうかというふうに思わざるを得ないんですけど。

【伊井主査】

 ありがとうございます。立本さん、よろしいですか。

【立本主査代理】

 あまり言うと心苦しいから控えさせていただきます。

【伊井主査】

 どうぞ、ほかに。西山先生、どうぞ。

【西山委員】

 全く門外漢で恐縮です。この調査の基本スタンスについてお伺いします。外国に存在している日本に関する資料は、その当該国が日本を知りたいからこそ集めているというふうに考えるのがわかりやすいと思うのですが、これをやるということ自体の基本スタンスはどこに存在しているんでしょうか。

【中野九州大学名誉教授】

 私自身はとにかく本が好きだというだけのことで、あちらこちら個人的に行っているだけのことですけれども、それはあくまでも私だけの好みでありまして、そうではなくて、それを国家的なプロジェクトとしてやるだけの意味があるかどうかということについては、私が今申し上げましたように、十分それはあるだろうと。ただ、あるだろうということだけのことでありまして、それが具体的にどんどん進めば、大変結構なことじゃなかろうかというふうに思うだけのことであります。

【西山委員】

 そこに本があるからということでしょうか。

【中野九州大学名誉教授】

 まあ、そういうことです。

【西山委員】

 極論すれば、もしなければそれまでで、たまたまあったからということでしょうか。

【伊井主査】

 私の立場から申し上げますと、あるなしにかかわらず日本の文化といいますか、日本理解というものを深めていく基礎づくりだろうと思います。そして、私が憂慮しておりますのは、かなりの海外の方も、ドナルド・キーンさんだって今85歳ですよね。サイデンステッカーさんは昨年お亡くなりになりましたけれども、この方々がいかに日本理解を深めていったのか。この方々が日本というものを、文学とか歴史とか、美術資料をお調べになって勉強なさったために、随分日本理解が進んだと思うんです。我々は次の世代、次の日本理解のため、文化交流のために尽くすべきであるだろうと切に望んでいます。そういう一環の中にこのような本の調査というものがあるんだというふうに位置づけることができれば、これはまさに文化教育行政にもつながっていくであろうと、我田引水みたいに思っているところです。

【西山委員】

 基礎資料があるということ自体が、調査の基盤をなすという理解でよろしいでしょうか。

【中野九州大学名誉教授】

 そうですね。

【西山委員】

 とすると、もちろん日本の中にも膨大にあるでしょうし、それに加えて外国にもあるのだから。全体としてそれを収集しておくという理解でいいんでしょうか。

【伊井主査】

 ただ、結果的には、先ほどもお話も出てきましたように、日本にないものがいっぱいあるわけですね。あるいは日本では見られないような美しい初刷りの本だとか、日本からは流出した屏風だとか、絵巻だとか、浮世絵だとか、いっぱいそれはございますので、これは共有することによってお互いに知り合うこと、理解を深めていくことにはなるんだろうと思います。

【西山委員】

 そういたしますと、主としてアメリカ、先生が調査されました国々の他にも重要な国、例えばフランス、オランダなども加えて系統的に調査されることが望ましいことじゃないんでしょうか。

【伊井主査】

 そうですね。ありがとうございます。それは私の機関としてもそうせざるを得ないところもあるんですが、ただ、予算上の問題もございますものですから。どうぞほかに。どうぞ、中西先生。

【中西委員】

 私はお送りいただいた資料を読ませていただいて、目からうろこが落ちたというか、非常に感激しました。すべての和学というのは、すべての学問の基礎だと思います。物差しではかれないものがあるのに、無理やり合理的なところで私たちはわかったつもりでやってきたと思います。それは科学技術にも当てはまると思われます。合理的また単純なものではかろうとして抜け落ちたところに文化や風土があると思います。科学技術は社会の中で生きてくものなので和学に根ざさないといけないと思います。
 それで、他にもいろいろ考えてみましたら、例えば音楽でも五線譜でかけないところに文化や風土があるので、絶対それを無視しては理解できないわけです。からくり人形も工夫の仕方、知恵、発想などロボットとは全く違います。それから、農業も理屈はわからないけれども、築かれてきた工夫がある。このように解析はできないけれど、築かれてきたものはたくさんあると思います。その中に自分たちの独自性や感性があるわけです。先生が、真の国際人とは、自国の文化がわかって初めて国際人だということを書かれていたのでまさにその通りだと非常に感激しました。ただ、このタイトルを見て、最初私はどういう内容か判りませんでした。自然科学している者があまりにもこういうものに触れる機会が少ないのです。わかってくると本当にその通りだと思いますので、こういう機会がシスティマティックにつくれるような仕組みがあると良いのではないかと思います。そうすれば自然科学をしている人がもっともっと人文学的なことに入り込めるのではないかと思います。感想でございます。

【伊井主査】

 ありがとうございます。どうぞほかに。井上先生。

【井上委員】

 きょうは大変貴重なご意見をいただいてありがとうございます。日本学と申しますか、特に和学の研究というのは、改めて考えてみると、教育基本法でも伝統文化に関する教育の重視とありまして、自然、社会、人文の3科学の基礎学としての人文学、あるいは和学という観点から、果たして今までどれだけ研究が進められてきたかということを考えると、必ずしも私どもも教育を通じて学術研究の成果を教えられたという記憶がないわけでして、そういう意味で明治以降、ほとんど西洋の学問によって学問分野が構成されてきているわけですから、その中で日本古来の伝統の学問分野が、医学にしろ、自然科学にしろ、社会科学にしろ、文学にしろ、人文学にしろどういうふうに発展してきたか、それを今の学問の中で生かすとすれば、どういうふうな観点でそれらを研究し、調和していくかという研究は必要ではないかと思います。
 外国にはそういう日本の伝統的な学問の成果の和書がかなりたくさんあるというのであれば、それを組織的に研究して、それぞれの分野の方に今最先端の研究との関連などを研究をすると、我が国の伝統的な和学の成果が生きてくるのではないかというふうにも思いますので、そういう意味で単に和古書の実態調査だけではなくて、各分野の組織的な研究ができれば良いという感想を持った次第です。
 特に伊井先生の国文学研究資料館で、組織的にデータバンクをつくって、それをネットワークで研究者に提供すれば、かなり有益じゃないかと思いました。

【伊井主査】

 いろいろ努力はしております。どうぞ、岩崎先生。

【岩崎委員】

 今までお話になった中にもあったかと思うんですけれども、中野先生の基本姿勢で3科学の全部にまたがる基礎学としての人文学という、この考え方なんですが、現実問題はそういうふうに言い切るのは非常に難しいのかなと思っています。
 なぜかというと、自然科学、社会科学、人文学の中でも要するに研究対象が必ずしも、例えば先生が非常に重視されておられる和文、和書というものを考えると、それは人文学の場合は、特に文学の場合はそれが1次資料だと思うんです。ところが、ほかの分野は必ずしもそれは1次資料ではなくて、例えば私は心理学ですけれども、心理学の歴史としてその時代、時代に書かれたものは歴史としては参考になりますけれども、今、テーマとなっているということには必ずしもそう大きな比重を占めているわけではないわけですので、そういうことを考えると、私は大事なことは、要するにその時代、時代に1次資料をきちっと把握しておくというか、そういうことによってまた新たなその時代の再発見につながるベースをつくることが大事なんだろうなというふうに中野先生のお話を伺ったわけです。
 日本理解というお話、あるいは日本学というお話があったんですけれども、日本学として江戸時代、あるいはそれ以前も含めて、時代、時代の理解のための1次資料としてそういうものが役に立つということであれば、それはそれで非常に重要だと思いますが、必ずしも人文学がすべての基礎学というふうに今の時代で言い切るのは難しいのではないかと。たしか中野先生、岩波ブックレットだったと思うんですけれども、以前に日本の大学図書館での貧弱さというか、そういうことをお書きになっておられて、私はあれでかなり日本の人文学の危機感というのを非常に感じたので、そういう流れの中で考えてみると、その辺、1次資料としての図書館の充実ということは、今後、非常に国策等としても考えていかないといけないのではないかなというふうに思っております。

【伊井主査】

 ありがとうございます。どうぞ、猪口先生。

【猪口委員】

 私は2つの点で非常に重要なことを指摘されていると思います。
 1つは博物館みたいなものだと思っているんですが、それがあんまりまじめにやってないんですね、日本人の場合は。どこがやるのか知らないんですが、資料的な価値あるものはしっかりと集めるという感じが重要だというんだけれども、それをちゃんとやる予算もなければ、人もいないというのがまず1つ気になっています。それに対して欧米人のほうは昔からちゃんと記録をとって、ちゃんとわかる人もいる。ですから2番目としてはそういうことができる人、人づくりをやるというか、教育をしっかりやらなきゃだめなんだということです。
 それはどうしてか。それは国文だかなんかいう学問分野の人がちゃんとやってないせいではないのかと思うんです。それで、私が知っているのは、国文だけじゃなくて、日本の社会の例えばたまたま知っている方で、お茶の水の国文科なんかでも室町時代から江戸時代まで何でも読めるよみたいな訓練をして、ハーバード大学の社会学をやって、ほんとうに立派な本を2つも3つも書いている方がいるんですけれども、日本人で。そういうのが理想っていうんなら、そういうのを読めるようにするところをもうちょっとつくればいいじゃないかと思うんですけれども、何やっているのかなという気がします。
 それで、日本文化をしっかりやりたいというなら、どうして文科省はお金を出さないのかなというのが1つ。それから、ほかの人文社会科学でもそういう人が日本の文化とか、日本の社会のいろんなところに特徴というか、しっかり明らかにするような資料があるんだから、読めるようにすべきであると。それは社会学でも、経済学でも多分そうなんでしょう。政治学でもあるんでしょうと。そう思うので、そういうのは関係者が悪いんじゃないかなという気がするのと、一部の理科系みたいにものすごくがぱーんと一気に10兆円ぐらいとるぐらいの頑張る人が出てくれば、何とかなるんじゃないかなとも思います。
 文科省は非常に理解が高いし、必要なら、今、世論的にも日本文化はもうちょっとちゃんと勉強しなきゃだめだと、人づくりをやらなきゃだめだと世論がわき立っているのに、どうしてそれができないのか、どうしてそんなに元気がないのかという感じで、もうちょっと頑張ってほしいなと思います。それは図書館というか、資料をしっかりと記録して、図書についての説明がないというのと、学力がとにかく読めない人ばっかりなわけですよ。だから、それをどうしているのか。それから、国文科何とかいうのは、そんなに減っているわけじゃないんでしょうけれども、どこへ行っているんですか。みんな高校の先生になっているんですか、それとも大学の先生になっているんですか。そんなのは大文部科学省でできないことはないと思うんです、そのぐらい。僕は頑張ってほしいなと思いますね。
 以上です。

【伊井主査】

 ありがとうございます。ほんとうにおっしゃるとおりだと思って、非常にサポートしていただいたと思っておりますが、私はあんまり自分の立場は言いづらいんですが、日本文学だとか日本文化というのは講座は各大学にあるんですけれども、ただ、学生の動向からしますと、そういう古くさいものは嫌だと。例えば古典文学をだんだんしない学生が増えてきている。近代文学は簡単に読めますからね。それが学生の動向だろうと思っておりますけれども、ただ、今、2番目におっしゃいました日本の著作物、日本人が著作したもの、あるいは日本人がかかわったものが海外に大量にあるということは、当然これは大事なことでありまして、海外の人はすべて調査できないわけですね。写本などは読めないこともあります。我々がいかに、最後に中野先生もおっしゃっておりますように、指導員の派遣とかありますように、サポートして海外に派遣して、一緒に調査をすることによって広がりを持たせる。同じような大学院生を増やして、関心を持って、それは結果的には本の調査というだけの意味ではありません。そうすることによって日本理解というものを増やして、支持者を増やしていくということが、これからの文化教育行政に非常に重要なことではないかと私自身は一つの信念として持っているわけでございますけれども、何か中野先生。

【中野九州大学名誉教授】

 今、猪口先生からおっしゃっていただいたこともまことにそのとおりなので、私も前に岩波のブックレットに書きましたときに、実はタイトルを「私は文部大臣になりたい」というタイトルをつけたんです。ところが、させてもらえませんでしたので、残念ながら今のような状況になってしまっているわけです。ですから、決してそれを座視していたわけでも何でもないので、みんながそういうことを考えて、何とかここはしてほしいということを言いますけれども、これがなかなか届かない。それが現状です。
 私は実は在外和古書の調査などということを今ここで申しましたけれども、本音を申しますと、在外和古書なんていうのはほったらかしておいてもいいんです。向こうは十分、先ほど最初に言いました韓国の例でありましても、むしろ日本に置いておくよりも外国に置いておいたほうがよっぽど本にとっても状態はいい。そういう状況のところもある。ヨーロッパなんかは特にそうです。だから、決して本は傷まない。向こうの人は非常に大事に扱ってくれますので、これも傷まないで済むだろうと。
 それよりはほんとうは国内でそういう調査なり何なりのきっちりできるような、ここには書いておきましたけれども、いわばオールラウンドの和本リテラシーのある人をもっと育てるべきじゃないか。それが十分育てば、幾らでも外国へ行って調査することも簡単にできるわけですし、今のような状況ですから、外国へ行こうと思えば簡単に行けるわけですから、それは幾らでも行ける。そして、そういう調査もどんどん進むことはできる。
 だから、外国の本の調査はほっといてもいいですよというようなことが実は本音なんです。その前にとにかく国内でそういった基礎をきっちりつくってほしい。それが今や、さっきも冗談めかして言いましたけれども、実際それができるのは、前期高齢者か後期高齢者ぐらいじゃないと、とてもそういうことすらできなくなりつつありますというのが現状ですということです。ですから、ここでこういう人文学の振興ということを本気で考えていただけるというのは、こんなありがたいことはないので、それをぜひ進めていただいて、そしてそれが国内でしっかりしたものができ上がれば、自然に外国の調査もできるでしょう。そして、外国にはこれだけの立派なものがまだ今の時点でこれだけ山ほどありますよという現状だけをお話しすれば、それでもよかったのかもしれません。

【伊井主査】

 今田先生が先ほど。すみません。

【今田委員】

 どうもありがとうございました。いろんな日本の和古書の重要性を指摘いただいて、とても参考になりました。私は社会学が専門ですが、一つこの分野に関して感想を以前から持っています。以前に歴史学の人事の選考委員をやった際に、いろんな人がいろんな業績を出してきて、それを読ませてもらったのですが、これが大変でした。普通重箱の隅をつつくというのはあるんですが、それどころじゃないぐらい議論が細かいんです。重箱の隅のさらに隅をつついていて、何を言っているかわからないという状況でした。要するに、普通の人文社会科学者にわかるようなレベルで、古文書の何とかについてという研究じゃなかった点が気になりました。こんなに微細な資料検証の方向に突っ走らないと、歴史学の専門家になれないのかなという印象を持ちました。それとの関連でいいますと、やっぱりおっしゃったようなオールラウンダーというか、全体を見渡してという人材を育てることが必要だと思うんです。
 それで、もっと言うと、日本の人文社会科学のルーツの全体像を体系的に整除する試みがあっていいのではないかと思うのです。輸入学問として人文社会科学が語られることが多いのですが、日本には日本独自の人文社会科学者が大勢いるわけです。石田梅岩、新井白石、南方熊楠などがいるし、また、日本の学者は人文社会科学だけじゃなくて、自然科学も含めていろんなことをやってきたわけでしょ。それを体系化して出してくれたら、我々にとってものすごく参考になると思うんです。細かいほうへどんどんいくだけじゃなくて、もちろんそれも必要だと思うんですが、それを全体的に日本における人文社会科学のルーツはこうであったみたいな感じの研究を出してくれるとありがたい。もっと言えば、自然科学も含めてという感じでどんどんやれば、今まで興味を持たなかった若者もこれ結構おもしろいよ、日本って結構いいことやっているんじゃないというのがわかって関心もわいてくるし、日本の理解も進むんじゃないか。
 そのために、例えば海外でいろんな拠点をつくって、日本で何がなされたかというのを研究するセンターづくりをする必要があるのではないか。そのときには、もちろん現物の古文書は必要だけれども、写真でも何でもいいから、資料を集めてデータベース化する作業が不可欠だと思うのです。本格的に研究する人は現物をさわってみる機会を持てるようにするのも重要です。その両方立てぐらいでやっていただけると、一般の人にもよくわかるし、若い人にも興味がわくんじゃないかなと。ちょっと今ばらばら過ぎる。

【伊井主査】

 確かにおっしゃるとおりで、国文学に限らないと思いますけれども、あんまり細分化して、ほかの人は何をやっているのか聞いてもわからないというのが実情で、我々はほんとうに反省すべきことだと思いますけれども、猪口先生、どうぞ。

【猪口委員】

 さっきの件で、日本の場合は平仮名、漢字、片仮名みたいな感じになっていますが、隣の朝鮮半島とかベトナムでは別な文字にしちゃっているから、古典的というか、前近代というとまた大げさですけれども、つい200年ぐらいまでになると一気にばたっと理解がなくなってきていて、例えば韓国なんかでも漢文をよめなくなっている人が圧倒的に増えているわけです。だから、そういう意味では、日本はまだ一気に読もうとすれば変体仮名でも読めるという人は、でもやっぱり似たような状況じゃないかなと思うんです、韓国、ベトナムと。だから、強い危機意識を持たないとなかなか。歴史も文化も昔のことよっていうことになるんじゃないかなと思って、それはひとえには国文・国史みたいなところが頑張るしかないんじゃないかなという気がします。
 文科省にはものすごい理解を要請していくしかないので。それは理科系の人はいっぱい取り過ぎると言うけれども、ものすごいめちゃくちゃにアグレッシブなんだ。けたは間違っても2けたぐらいいっぱいいっているんだから、僕はそれは頑張ればいいんじゃないかなと思いますよ。魅力がないなんて、それは魅力あるように教えないのが悪いんじゃないですか。

【伊井主査】

 それは我々の責任だと思いますけれども、縣先生、何かございますでしょうか。

【縣科学官】

 今後の研究助成の方向性を考えるということで申しますと、先生方は非常に重要なことをおっしゃっておられて、特に岩崎先生のお話の中で考えたことは、時代を超えて常に1次資料があるわけですから、現在のものも将来はきょうお話になったようなことになっていくということを考えると、まず実物を保管していくということは非常に重要なことで、それを今から見て確保していくことのみではなくて、現在も将来に向けて同じ尺度で残していくという、そういう大きな枠をまずつくる必要があると思います。
 きょう承ったお話の中で、確かに実物の美術的な価値とか、現物としての価値というのがあると思いますが、今、今田先生もおっしゃられたように、それから井上先生もおっしゃられましたが、現在の映像のテクノロジーというのは急速に進歩しているわけですから、そうした形のデータベースでの研究というのは大きな進展の可能性が今後もある。そうすると、海外にあろうが、日本にあろうが、データベース化をするということでいけば、研究上の進展というのは格段の可能性があると思います。ですから、実物としての保存とデータとしての集約化というのは、両方の方向をぜひ助成の2本柱としてとらえて、それぞれ過去と将来を見据えた体系をつくらなければいけないのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
 ただ、それは例えばきょうお話しいただいた中野先生の専門分野としては、実物をさわらなければだめなんだとおっしゃられてしまうとそのとおりですが。

【中野九州大学名誉教授】

 今の電子情報、これの進み方というのはほんとうにすごいと思いますし、立派だと思いますし、そういうものが堆積されることは大変大事なことだと思います。それらは当然のことなんですけれども、実はそういうものは前もって実物に触れて、実物のリテラシーというものをきっちり持った人間にとってはとってもありがたい情報なんです。
 ところが、それを持たないで、初めからそういう電子情報だけに頼ってしまうような学問になってしまうと、これは大変問題だと思います。ですから、それ自体は非常に役に立って、大変結構だと。だから、あえて口はばったいことを言いますと、我々にとってはこんなありがたいことはないです。ところが、今の学生には電子情報だけというのは、僕はあんまり見せたくない、ほんとうのことを言うと。まず、そこから入ってしまって、そしてそれをやることで、自分の学問のほとんどがそれでできると思い込んでしまう。だから、それはちょっと困る。だから、それは教育の問題だと思います。だから、現場の先生はそれをきっちりわきまえて、そういうのはあくまでも2次的に便利なものとして使いなさいと。ただし、それを使えるようなまず自分のリテラシーをきちっとつくりなさいということを教えてくだされば、それで十分だと思いますけども。
 だから、その辺が下手に機械のほうだけで進んでしまいますと、今でも大半の学生はそういうものだけで全部できてしまうような幻想を持ってしまっているんです。そして、学生だけではない、それを教える先生のほうにもう既にそういう幻想が働きかけてきているというのが、僕らの実際に見ていて偽らざるところでもあるわけです。だから、これは非常に大変な問題なんだけどなと常日ごろ思っているわけです。

【伊井主査】

 どうもありがとうございます。佐藤さん、何かありますでしょうか。

【佐藤科学官】

 私はこれ、もう3度目か4度目に出させていただきまして、勉強はよくさせていただいているんですけれども、毎度同じ感想を持っておりまして、きょうは別に言うまでもないかと思って黙っていたんですけれども、きょうの話も私の理解したところで申しますと、学問の枠組みのあまりの細分性というものが非常にある悪さをしているというんでしょうか、そういう感じを強く受けました。それは人文学というものもそうだというふうに伺ったのと同じように、私はもともと自然科学の人間ですが、全く同じことが言えまして、その結果としてどなたかの先生の言葉をかりますと、アグレッシブなところだけが伸びている、あとのところは絶滅危惧に瀕するという、同じ構造が見え隠れするなという印象を改めて強く受けました。

【伊井主査】

 それは確かに危機的なところはあります。藤崎先生、何かございますでしょうか。

【藤崎委員】

 先ほどのやり取りを伺っていて、少し考えたことですけれども、一次資料の実物としての保存と、データとしての保存は両方とも必要だと思います。しかし、特に「教育」ということを考えた場合には、保存されたデータでは意味がない、本物でなければダメだと決めつける必要があるでしょうか。
 先ほど今田先生からも、体系化していくことの重要性というお話があったかと思うんですけれども、この一次資料というものの美術的な価値の側面と、その史料の歴史的な位置づけの側面はある程度分けて考えてもよいのではないかと思います。知の体系化の方向性ということと、実物の稀少性ということもあわせて考えますと、必ず実物でなければならないとこだわる必要性がどこまであるのかなと思いました。

【伊井主査】

 ありがとうございます。まだいろいろ議論があるだろうと思いますけれども、もう時間がまいりましたので、以上で中野先生からのご意見のご発表を終了したいと思います。どうも中野先生、ありがとうございました。

【中野九州大学名誉教授】

 失礼しました。

【伊井主査】

 どうもありがとうございます。
 次回以降の進め方についてですが、これまで審議を重ねてまいりましたので、きょう初めに申しましたように、議論をそろそろまとめる方向で考えていきたいと思います。
 なお、これまでの皆様の委員会での議論は、主な意見としてまとめて配付してございますので、これを原資としながら、また私のほうとか、事務局のほうでまとめて原案をつくってまいりたいと思いますので、どうぞ皆様のご協力のほどお願いを申し上げます。
 本日の会議はこのあたりで終わらせていただきたいと思いますが、次回以降の予定につきまして事務局のほうからご説明いただければと思います。

【高橋人文社会専門官】

 資料3のほうに次回以降の日程につきましてご案内させていただいております。次回は8月6日、次々回は8月22日でございます。また、正式にご案内させていただきますので、よろしくお願いいたします。
 それから、本日の資料につきましては、封筒に入れてお机の上に残しておいていただければ、また郵送させていただきますので、よろしくお願いいたします。ドッジファイルはそのまま置いていただければと思います。
 以上でございます。

【伊井主査】

 ありがとうございます。今ありましたように、次回は8月6日、次々回は8月22日ということで、暑いときでございますけれども、よろしくお願いいたします。
 それでは、本日の会議はこれで終了いたします。どうも皆様ありがとうございました。

─了─

 

(研究振興局振興企画課学術企画室)