学術研究推進部会 人文学及び社会科学の振興に関する委員会(懇談会) 議事録

1.日時

平成19年12月3日(月曜日) 10時~12時

2.場所

尚友会館 1・2号室

3.出席者

委員

伊井主査、井上孝美委員、中西委員、家委員、伊丹委員、猪口委員、小林委員
 
(科学官)
深尾科学官

文部科学省

徳永研究振興局長、岩瀬科学技術・学術総括官、藤木大臣官房審議官(研究振興局担当)、伊藤振興企画課長、磯谷学術研究助成課長、江崎科学技術・学術政策局企画官、門岡学術企画室長、高橋人文社会専門官 他関係官

4.議事録

【伊井主査】 

 おはようございます。それでは、ただいまから科学技術・学術審議会学術分科会学術研究推進部会人文学及び社会科学の振興に関する委員会を開催していきたいと思います。
 議事に入ります前に、前回委員会の開催時、これは少し間が開きましたが、前回は8月22日でございましたけれども、より委員及び事務局に異動がございましたので、事務局のほうから説明をお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】 

 事務局に異動がございましたので、ご紹介申し上げます。
 11月1日付で、科学技術・学術政策局科学技術・学術総括官として独立行政法人科学技術振興機構社会技術研究開発センター研究開発主幹から岩瀬公一が着任いたしております。

【岩瀬科学技術・学術総括官】 

 よろしくお願いします。

【伊井主査】 

 よろしくお願いいたします。
 それでは、次に、配布資料の確認をお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】 

 資料につきましては、お手元の配布資料一覧のとおり、配付をいたしておりますが、欠落などございましたら、お知らせください。
 また、関連資料としてドッジファイルのほうもいつもとおりでございますが、机上に配付させていただいておりますので、適宜ごらんいただければと思います。

【伊井主査】 

 それでは、これから議事に入ることにいたしますが、しばらく間があきましたものですから、いろいろ振り返りながらもまた今後のことをご相談していきたいと思っている次第でございます。
 本日ご審議していだたきたいのは2つありまして、1つは、今後の審議事項について委員の皆様のご意見をいただくということでございますけれども、2つ目は、今後の審議事項のうちに、これまでの経過からしまして、次に審議を行うことが適当と考えるテーマにつきまして、「伝統的な研究方法による人文学及び社会科学の振興施策について」というふうな総論的な意見をいただきたい、こう思っている次第でございます。
 それでは、まず1つ目の審議事項につきましてご審議をいただきたいと思っておりますが、まず関係資料につきまして、事務局のほうからご説明をお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】 

 それでは、ご説明をさせていただきたいと思います。資料は、資料の1と資料の2を使いましてご説明させていただきたいと思います。それから、資料4-1に、審議経過の概要ということで、前回の会議でいろいろご意見をいただいて、最終的にそれを踏まえて直したものが4-1ですので、これも後ほど簡単にご報告させていただきたいと思います。
 それでは、資料1に従いましてご説明させていただきたいと思います。資料1の「人文学及び社会科学の振興に関する委員会」の今後の審議事項(案)でございます。これは前回の審議経過の概要を大ざっぱに、目次といいますか、項目ベースで並べたものでございます。前回の審議経過の概要の段階では、ご審議いただいた事項とまだご審議いただいていない事項がございました。ご審議いただいていない事項につきましては、今後の検討課題とするということで一言書いて、それで終わっておりましたが、今後の検討課題とするとされていた部分につきまして、大ざっぱに、赤字の部分でございますけれども、伊井主査とご相談の上、こういった赤字の形で審議事項の案として一応書いてみたところでございます。
 最初からいきますと、1.でございますが、人文学及び社会科学を振興する意義ということで、4つ意義あるということをご審議いただいたと思います。
 それから、2.で、施策の検討に当たり踏まえるべき特性ということで、研究方法などに主に着目しながら、人文、社会科学の特性をご検討いただいたと思っております。
 それから、特に方法に着目しておりますので、3.で、伝統的な研究方法による振興策、ここにつきまして今後の検討課題とされておりました。
 それから、3ページにまいりまして、4.でございますが、実証的な研究方法に基づく人文学、社会科学の振興施策ということで、ここにつきまして、これまでかなりご議論いただいたのではないかと思っております。
 それから、5.以下でございますけれども、基本的に基盤的なものということで、研究の基盤に当たるものということで、おおむね共同研究のお話はご議論いただいたと思いますが、それ以外については今後の検討事項となっていたかと思います。
 全体像を踏まえますと、とりあえず今後ご議論いただく中身としては、1ページに戻っていただきまして、3.の伝統的な研究方法による人文学及び社会科学の振興施策という固まりと、それから3ページ、最後のほうでございますが、いわゆる研究の基盤に関する事項、この大きく2つの固まりが審議事項として残されているかなというふうに思われます。
 このうち、前回まで主に実証的な方法のご議論をいただきましたので、今後は伝統的な研究方法のところをひとまずはご議論いただくのかなというところかなということで、今回こんな形で3.のところをかなり書き込ませていただいております。これはあくまでも案でございます。こういった形で審議項目を立ててご議論いただくということでよろしいでしょうかというあたりをご議論いただければということでございます。
 伝統的な研究方法による人文学及び社会科学の振興施策の部分につきましては、資料2ということで別途切り出してまとめさせていただいておりますが、ここの部分につきましては、また後ほどご説明させていただきたいと思っております。
 とりあえずは資料1の部分につきまして、全般的なご説明だけさせていただきました。
 以上でございます。

【伊井主査】 

 ありがとうございました。
 これまで審議をしていただきまして、プレゼンテーション等によりまして皆様のいろいろな方法論といいますか、意見をまとめていただいておりますが、別冊としまして、人文学及び社会科学の振興について、審議経過の概要ということで、回を追うごとにまとめていくという方式で今進めているわけでございます。そういったことから、本日は、ただいま説明がありました資料1及び2の観点といいましょうか、こういうものをまず全般的に何かご意見をいただければと思っておりますけれども、中心となりますのは、3.の伝統的な研究方法による人文学及び社会科学の振興施策ということと、3枚目の研究基盤の整備ということが問題になるであろうというふうなことの提案でございますけれども、まず全般的に、これにつきまして何かご意見をいただければと思いますが、いかがでございましょうか。

【井上(孝)委員】 

 検討の視点の最初の教育の観点で、教養教育と人文学研究のところについてまず申し上げたいと思うのですが、実は教養教育については、従来からずっと大学関係者が広範に研究を重ねてきておりまして、私もかつて大学教育全体で教養教育のあり方を検討した場合には、やはり本来人間的な成長、発達を図るというか、人生観とか世界観とか、そういうものを全体的視野に入れて検討する場合に、人文学、社会学、自然科学、3領域にわたって総合的な教育を行うということによって、いわゆるアメリカからもともと教養教育が導入された経緯があって、そのリベラルアーツというものを念頭に置いた検討というのが従来ずっときて、私、その後、放送大学で教養学部でしたので、教養教育がいかにあるかというのをずっと検討してきているわけでございますが、その中で一番最近思っておりますのは、社会全体を見て、コンプライアンスと申しますか、そういう倫理観というものがすべての分野における根底になければ、どんな立派な自然科学、あるいは社会科学の実績を上げても、その人に対する評価というのが、そういう観点から無に帰するというようなところがありますので、そういう意味で、教養教育というものが、そういう人文、自然、社会全体の教養を高めていく上の視点というのがあって、その中に哲、史、文と申しますか、その中に倫理とか、そういう基本的な人間の生き方とか、世界観とか、そういうものが根底になければ、教養教育が十分達成できないというような、そういう思いを最近しているわけでございます。
 したがって、そういう意味では、一定の体系性、指向性を持った教養教育というのは、なかなかこれは難しいと思うわけで、ほかの専門分野というわけじゃなくて、総合教育的な、そういう位置づけが教養教育だと思いますので、それをどう理論的に構築するかというのは、今後十分検討する必要があるのではないかと思っています。
 それからもう一つ、2点目の学修基盤としての人文学で、この中で論理的思考力、言語表現力、言語理解力等とありますが、今、実は中教審で学習指導要領の見直しをやっておりまして、国際的に通用性のある学習指導要領とか、あるいはキー・コンピテンシーをきちんと確保する、主要能力が確保されるような学習指導要領にしていこうという場合に、その中で非常に基本的な問題としては、言語力の育成、充実というのが、これが非常に大きな課題になっておりまして、その場合に、単に言語力というのは国語だけじゃなくて、やはり社会科学とか自然科学全体について、そこで言語力というのは育成すべきだという考え方に今中教審ではとっているわけでございます。したがって、言語力は、単に国語を読み書きというようなものを中心にそういう論理的な文書を書くとか、そういうものが例えば、自然科学で理科などで実験した場合に、その成果を論理的に文章化するとか、あるいは数学などについても、論理的にそういうものを考える場合に文章化するとか、そういう科目横断的に、言語力育成について、初等中等教育段階では今そういう取り組みを今後しようということで、この1月ごろには答申になると思いますが、そういう観点で言語力を考えておりますので、単に人文学という観点、人文学は確かに基礎にはなるのですが、それだけじゃなくて、今広範に、人文、社会科学、自然科学、全体の中で言語力というものは育成すべきだ。それはある意味で記述力とか応用力につながってくるということで、OECDのキー・コンピテンシーとそういう点では整合性を持つという観点で、それを検討しているわけでございますので、初中段階のそういう検討の方向というのも、やはり高等教育段階で研究する場合には、十分視野に入れながら今後検討していく必要があるのではないかというふうに思いまして、ご意見申し上げました。
 以上です。

【伊井主査】 

 ありがとうございました。
 リベラルアーツということにいつも回帰しなくてはいけないわけで、我々はそこを基盤にしながら今後の教養教育というのはどうあるべきかということを考えるべきだろうと思っていますけれども、今おっしゃっていただきました言語能力といいますのも、世界的な日本における教育のあり方ということも、やはり理解力といいましょうか、応用力ということに欠けるというようなところがよく言われるところでございますけれども、何かほかに。どうぞ、猪口委員。

【猪口委員】 

 今の点、井上委員の点と全く賛成でありまして、英語の試験のときに、TOEFLとかでいっぱい出ているのが必ずしも、英語というか、普通の人文的な内容があるのではなくて、環境だとか力学とか生命とか、そういうものが文章として出て、それを聞いて何かを選べというのが結構多くて、日本の場合は、何だかわからないけど、関係なのに分けてやっているもので、文系出身卒業のビジネスマンなんかてんで何にもわからないんですね。もともと英語がよくわからない上、聞いているとよくわからないうちに、見てもわからない単語が、生命とか環境とかいっぱい出てくるんですよ。それを聞くわけですから全くわからなくて、信じられないぐらい低いTOEFLの点を持つ、いい大学を出た、いいビジネスマンがそういう記録を残しているので、これは非常にへんてこな感じなのですが、それは一端は、今井上委員から指摘のあった、へんてこな教養教育にあると思うので、それは小学校、中学校だけではなくて、大学における教養教育の全くどうしようもないところが1つの原因になっていると思うのです。ごらんになったらわかるのですけれども、アメリカの中学、高校の理科の教科書はものすごく厚くて、とにかく見る気があればわかりやすく書いてあって、絵もいっぱいあって、何か単語もそのうちに入るんですが、日本の場合は、もうてんで大学受験のための単語しかわかりませんし、英語なんか出てきませんし、何のことやらというのだけど、めちゃくちゃに暗唱しているだけの理科教育なので、ここら辺がものすごく響いていると思います。OECDがいうのは、キー・コンピテンシーなんていうことについては、全く過小評価になるわけで、実際はそうなのかもしれないのですが、実際よりはもっと激しく悪くなって非常におかしいと思います。いろいろな形で、世の中、現実、ものすごく展開早いし、文理と分けるのはそもそも間違いだというのをみんなしっかりとこの文章にも書くべきではないかなと私は思います。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。
 以前から文理ということではなくて、文理融合ということをご主張していただいているわけでございますけれども、応用力といいましょうか、理解力ということがやっぱり大事だろうと。国語だけではないと思うのですが、いろいろな分野における理解力、応用力ということでありましょう。何かどうぞ、ご提案があったら。

【伊丹委員】 

 これは検討の意図で、今の教育問題がいきなり出てきたのが、単純な流れからすると、やや唐突なので、研究振興ばっかりを考えてきたはずの委員会で。おそらく理由があるのだろうと思いますので、どんなタイプの意見を言えばいいのかを考えるためにも、少し意図をご説明していただいたほうがいいように思いますが。

【徳永研究振興局長】 

 論議の仕方として、2つの議題とかいうのがそもそも間違いで、議題を2つにばらばらに説明するのは無理がありますから、初めから内容に入ってやればいいので、基本的には、全体の審議会の振興について、やや事務局の担当者が考えたのは机上の空論だったようで、初めから内容に入って議論してもいいと思います。先生は初めから議題2のほうに入っていただいて、そういう形式的なイントロダクションはやめていただいて、すぐ資料の説明に入って、その上で。
 ただ、言いますけれども、基本的には、ここは教養教育そのものを論じているわけではなくて、基本的に教養教育の基盤となっている人文学を振興するという立場から論議しているわけですから、ちょっと今、若干、議論の仕方が少し誤解を招いたかもしれません。あくまでも、基本的には、そういう論理学、倫理学、きちんとした倫理というものを学ぶ、そういったことを本来やっているはずなのが人文学でありますので、そういったことが教養教育の基盤となっているのが人文学の1つの教育的意義だということで申し上げました。また、教育ということを申しましたのは、特に先日の科学技術・学術審議会の総会の席上でも、学術分科会からのさまざまな報告に対しまして、ぜひ野依会長のほうからも、教育的な観点、教育的な意義等についてもきちんと明らかにしてもらいたいというご要請もございましたし、また同時に、特に人文学の場合は、正直申しまして、あとでご説明しますように、教員の数がかなり減ってきていると。そのことは、よく言われるのが平成3年の大学設置基準の改正に伴って、要するに一般教育行動、文部科学省、当時の文部省が廃止したこと、それがゆえに教養教育が崩壊をして、実は今教養教育がどんどん減ってきている。そのこと自体が、逆に言うと、人文学の研究というのは、文部科学省は当時は研究費もつけませんで、むしろ人文学の教員のポストさえあれば、そのことが研究の振興になっていたという側面の中で、今はそういう教養教育そのものがかなり狭く細くなってきたということの中で、そもそもポスト自体が失われているということが研究にどんな影響を与えているのかということを考察し、その上で研究がどうやって進展をしていくのかという問題意識があるがゆえに、少しそれより先にきちんと資料を説明したほうがいいですね。

【伊井主査】 

 どうも申しわけございません。一応全体的な枠組みというテーマというものをご確認していただい上で具体的に中身に入っていこうと思っていたのですけれども、むしろ本末転倒かもしれませんので。
 それでは、2つ目といいましょうか、先ほど申し上げました、どうぞ。

【家委員】 

 具体的な議論に入る前に。今赤字で書かれている、例えば学術研究の観点というところでちょっと気になった表現があったのですが、ウのところの下に、自然科学の「普遍性」に対する「特殊性」、「多様性」というのが人文学研究の固有の意義であると。これを人文学の先生、賛成されますか。自然科学にしても普遍性はもちろん追求しますけれども、それと同時に多様性も対応する。多分、違いがあるとすれば、自然科学というのは、自然を正しく記述しているかどうかという、ある意味では究極的な価値観のよりどころがあるんですね。それに対して人文学というのは、私の想像でいえば、なかなかそういう機軸というのが見いだしにくいのかなという気はしています。ただ、学問であるからには、研究している方は普遍性を求めておられるのだと思うし、ほんとうに開き直って、どうせ知は相対的だと言ってしまえば研究が成り立たないような気もするのですが、その辺、人文学の先生はいかがでしょうか。

【伊井主査】 

 もちろん人文学だって普遍性はあるわけでありまして、自然科学でも特殊性もあり、また多様性もあるだろうと思っていますけれども、これは当然変えてまいりますけれども、よろしいでしょうか。どうぞ。

【中西委員】 

 この案のところでよろしいですか。3.のところです。昨日これを送っていただき見させていただいていたのですが、まだ検討しなければいけないところはたくさんあると思いました。今、家先生がおっしゃった人文学のところですが、ここがわかりにくいのは、日本独特のものと人間共通の価値観のあるものを分けていないためかと思います。区別したほうが混乱がないのではないかと思います。そうでないと、下の政策目的型研究のところでは対立しているような、つまり日本文化と異文化の対比のように受け取られてしまう恐れがあります。
 社会科学は、次の2枚目にいくのですが、人文学と比べて世界共通のものが多いはずなので、どんどん発信するのは当然だと思われます。ここではいろいろ個別のことを取り上げて書いてあるのですが、紹介とか克服などですが、やはり根本的な視点に人間そのものの理解がありその上で行う必要があると思います。つまり1つ1つ取り上げるのはなく、全体のフィロソフィー、こういうことにするのだからという視点の上に立って、個々を取り上げたほうがわかりやすいと思いました。
 それからあと、施策のところですが、日本の独自性を書いてありますが、社会科学というものは人々の共通性が大きいので、それを人類の共通性というように志をもう少し高く持っていっていくべきではないかと思いました。
 それから、2番目ですが、ここもよくわからなかったのですが、自由な発想に基づくとありますが、私は人文学というのは自由な発想の上に立ってるのではないかと思います。問題があったから支援のあり方を考えるので、どこに問題があるのかということをもう少し考えてもいいと思います。特にウの科学研究費の科学というサイエンスはすべての科学が入ると思いますので、設定の是非という点では、現時点における必要性を議論する意味を考えるべきだと思います。
 それからあと、3番の政策に基づき将来の応用を目指す基礎研究とありますが、これも人文学を基礎研究と応用研究に分けるということは、少しわかりにくいと思いました。ここも目的を明確にして、海外に人を派遣すると書いてあるのですが、どういう目的で何をどこまでやるために派遣するかを明確にすべきだと思います。あと次のページの、ほかの省庁とグラントの機構をつくるという点も、もう少し目的をはっきりさせたほうがいいと思います。単にリサーチグラントの創設の働きかけと書いてしまうと、ほかに投げているような印象にも受け止められかねないので、文科省が主導権をとってきちんとするような意味合いにした方がいいのではないかと思いました。ただまだここは赤ですから書き方は検討中かとも思いますが。
 それから、もちろんデータの公開ですがIT関係の専門家が必要で、人文学研究者にはあまり期待できることではないと思います。あと下の、人材養成のところですが、大学院ということでは、人文学の専門職大学院というもののイメージが少しわかりづらいなと思いました。

【伊井主査】 

 局長、何か。

【徳永研究振興局長】 

 こういうテーマでこれから3カ月ぐらい議論したらどうかという……。逆に言うと、こんなような範囲でこれから3回ぐらいご議論賜りたいというので、まだこれで何とかというのではありません。先ほどの事務局の説明が悪いのですけれども、こういうことぐらいがテーマであると思いますが、どうでしょうかという、テーマについてのご提案でございまして、ぜひ今のようなことでじっくりご議論賜りたいと思っております。

【伊井主査】 

 素案でありまして、こういうふうなことをいろいろ項目を入れていきまして、またプレゼンテーションなどをしていただいて詰めていくというようなことで考えておりますけれども、それでは、先ほどの手順としまして、中身のほうに具体的に入っていただければと思いますが、伝統的な研究方法による人文学及び社会科学の振興方策につきまして総論的な意見交換ということで、先ほど少し入りかけておりましたけれども、していただければと思います。その議論の始まる前に、基礎的なデータを用意してございますものですから、これにつきまして事務局からまずご説明していだたいて、中身に入っていただければと思います。よろしくお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】 

 ご説明と審議とは前後してしまいまして、大変失礼いたしました。
 資料1の赤字の伝統的な方法の部分を抜き出したものが資料2でございますので、これにつきまして、事務局側の問題意識なども含めて簡単にご説明させていただいた後で、資料3-1以下でデータをそろえておりますので、それにつきましてご説明を続けてさせていただきたいと思います。
 資料2でございますけれども、もう先生方からかなり鋭いご指摘をいただいておりますので、もしかして言うこともないのかもしれませんけれども、まず検討の視点ということで、人文学、社会科学それぞれについての検討の視点を述べた後で、2.、3.、2ページにまいりまして、自由発想と政策に対応したタイプの研究ということで、それに対する支援のあり方ということで、やや具体的なことを書いてみております。全体そんなところなのですが、1ページに戻りまして、1つずつご説明させていただきたいと思います。
 検討の視点ということで、人文学からでございますが、大きく学術研究と政策に対応した研究ということで、研究振興についてのご議論ですので、その2つのタイプについてそれぞれ考えなきゃいけないかなということではございますけれども、人文学の場合は、もうお話も出ておりますけれども、特に教養教育の観点からの議論をしておかなければならないのかなというところが私どものほうの問題意識でございます。先ほど局長からもお話がありましたけれども、教養教育の基盤としての人文学研究、あるいは人文学研究そのものが教育的な活動ともかなり近い活動に結果的に、古典を読んでいくとか、そういったことについては教育活動とも近いような活動もかなり含まれているということもありまして、教育の観点というのをあえて立てております。
 教育の観点からいきますと、1つ目として、教養教育と人文学研究ということで、一定の体系性、指向性をもった教養教育の構築ということについて、ここで是とする、非とする、いろいろあると思うのですが、ご議論が1つあるのかなと。一般の学生の視点から見ますと、今の大学の一般教育の授業といいますのが、どうしても個別、ばらばらという印象もありますので、そういった意味で、教育の観点から書いていると。人文学そのものが体系性、指向性を持たなければならないということよりは、教育の観点からこういった書き方をさせていただいております。
 それから、2つ目の観点として、学修基盤としての人文学ということで、これもアとほぼ同じこと、重なっている部分もかなりあるわけですけれども、法学であろうが、経済学であろうが、自然科学であろうが、それぞれの専門教育を受ける基盤として共通のものが人文学の中にあるのではないかという問題意識でございます。
 それから、学術研究の観点でございますけれども、ここに人文学研究固有の意義というふうに書かせていただいております。これは事務局案ということもありますので、将来施策に展開するという観点がどうしても前面に出てしまいますのでこういう書き方なのですが、もちろん人文学研究に固有の意義が当然あるのだと思っておりますが、施策を展開する上で、特に先ほどありました普遍性、特殊性のところなのですが、もちろん人文学、普遍性は当然あるわけですけれども、自然科学と同じような意味で使えるのかどうかというのもありますが、普遍性という言葉を使った場合に、施策を企画立案するという観点からすると、自然科学と同じように研究成果が求められたり、あるいはそれに対して評価なども同じような枠組みでできるのではないかというふうによく言われます。そういった意味で、ほんとうに同じような形でできるのかどうかという、そういう問題意識の投げかけでございます。それが固有の意義をあえて確認する、特に自然科学との比較なのでございますが、分ける必要はもちろんないという考え方は当然あると思っておりますが、施策展開の上でどうしてもやや違うのではないかなというところを、事務的には考えているところでございます。
 それから、政策目的型研究の観点でございますが、これは例示でございます。人文学研究、主に学術的な研究として展開されていくというのが自然だと思いますし、今まで主にそうだったと思いますけれども、例えば日本文化を発信するという政策目的のために何かファンドを組むとか、あるいは異文化理解とかという観点から、これは研究そのものの観点というよりは政策的な観点で、その基盤として人文学研究があると、それに対する支援をするとか、学術研究とまた違った観点から支援ができるのではないかという、その例示でございます。それがエ、オ、カの部分でございます。
 次に、社会科学でございますけれども、学術研究の観点ということで、社会科学のほうがより共通の部分といいますか、人間共通の部分というものは人文学よりも扱っているのではないかというふうなご意見もございましたけれども、私どもも大体同じような観点から、人文学がわりと特殊性のようなものを出せるとすると、社会科学のほうがより普遍的だと思われますので、アのような国際水準を満たした研究成果が創出できるのかとか、あるいはイやウのような、少しきつめな書き方ではございますけれども、以前、委員の方々からのプレゼンテーションの中にもあったと思いますので、あえて書いているのですが、欧米の研究者の研究成果の単なる紹介とか、単なる援用ではやはりまずいのではないかというようなこととか、あるいはウのような、他の研究者の研究活動の紹介に終始するようなタイプの研究というのはまずいのではないかなというようなあたりを問題意識として書いているところでございます。
 それから、政策目的型のほうの観点でございますけれども、こちらももちろん例示でございますので、これで何か決めるとか、そういうことではございません。こういったものがあるのではないかというぐらいのことでございます。
 エとしては、日本やアジアの政治、経済、社会を説明するための日本独自の理論の提示ということでございまして、これは先ほどのイのあたりとも問題意識としては連関しているのですが、欧米の理論をそのまま適用するみたいなことよりは、独自の何かがあってもいいのかなという、そのくらいのものです。そういう何か日本初のオリジナリティみたいなものがあって、そういったものに例えば特に支援していくとか、あるいはこういったものを育成していく観点から、学術研究とは別に何か支援することがあるのではないか、そういうような観点です。
 それから、オでございますけれども、これもそうではないとおっしゃられてしまうかなとも思っているのですが、現状説明とか評論ということではなくて、例えば、もっと政策手段を具体的に開発していくタイプの研究というものが社会科学でももう少しあってもいいのではないかなと。あるいはそういったものに対して、そういった試みをしようと思っている人たちに対する政策的な支援、学術研究とは別に政策的な支援があってもいいのかなというのがオの意味でございます。例としてでございますが、現代社会が直面するさまざまな課題がございますので、そういったものに医療経済学とか環境経済学とか、こういったわりと応用的な、開発研究的なものも包含できるような分野につきまして特に何か支援するとか、あるいは2つ目の例にございますけれども、これは家族社会学をイメージしているのですが、こういったところについて、もう少し何かできるのではないかと、そういったイメージです。
 それから、2ページにまいりまして、これは今問題意識ということで検討の視点でしたけれども、これはかなり重なっているのですが、もう少し具体的にいったものが2.、3.です。2.がいわゆる学術研究ということになりますが、まずアにつきましては、これは先ほどからお話出ていますが、教養教育の意義を確認して、これを支援するということが結果的には人文学研究をしっかりとサポートすることになるのかもしれないという問題意識から書いてみたところでございます。例えば、良質なリベラルアーツカレッジを日本でつくっていこうという試みが活発に出てくるのであれば、そういったものを支援していくとか、あるいは人文学研究を結果的に支えている教員の中のかなりの部分が語学教員ということもありますので、そこをどうとらえるかというのもありますが、外国語教育を大学でしっかり充実強化していく取り組みがなされれば、結果的に人文学研究を担う人たちが、しっかりと教育ができるけれども、研究もきちっとできるということを結果的にサポートしていることになるのではないかというような問題意識です。
 それから、イは固有の意義で、これは「特殊性」、「多様性」というところを強調しすぎかもしれませんけれども、いわゆる比較研究的なものであれば、例えば科研費と別にファンド、今地域研究につきまして文科省で特別にファンドを持っていますけれども、そういった比較研究というような観点であれば何かできるではないかとか、あるいはウにつきましては、科研費における人社枠みたいなものを設定するということがあり得るのかどうか。これはつまり人文、社会科学が、人文、社会科学の振興について考える際に、人文、社会科学研究はあまり政策的に支援するというタイプのファンドが非常に組みにくいなというふうに思っております。それは春にご議論いただいたとおりでございますが、価値観がどうしても入りますので、価値の問題を扱うということになりますと、政策的に支援するということが事実上難しいというのがございます。ですから、どうしても科研費が中心に、あるいは学術研究的なファンドが中心になると、人社の場合は。という特性がどうしても出てくるかなというところがございまして、であれば、結局、政策的な支援が例えば自然科学に比して小規模であらざるを得ないのであれば、そういう特質なのだということであれば、科研費の中で特に人文、社会科学については特別の何かをするということも、もしかしたらあってもいいのかなという、そういう問題意識がウでございます。
 それから、3.でございますが、政策に基づき将来の応用を目指す基礎研究、この言い方は科学技術基本計画の言い方ですので、いわゆる政策的に対応するタイプの研究という一般を指しているというふうに思っていただければと思いますが、政策対応のほうは、これも例示でございますけれども、人文学研究の場合、学術研究以外で何か支援ができるかとなかなか難しいのですが、海外における日本研究、あるいは日本文化研究、そういったものへの何らかの支援というものがもしかしたら必要なのではないかなと。昨今、新聞などにも出ておりましたけれども、海外における日本研究というのが中国研究にとって変わられているようなところがありますので、日本研究者は海外で結果的にここ数十年でまた減っていってしまうとかということになると、それは国益にとってもといいますか、日本にとってもあまりいいことではないと思いますので、そういったものへの支援というのは、政策的に可能ではないかという1つの例でございます。
 それから、イにつきましてですが、これは具体的に申し上げたほうがいいかと思うのですが、結局、海外の美術館とか博物館とか、大学でもいいのですが、そういったところに日本の美術品とか、そういった日本由来の文化資源というのが結構流出といいますか、かつて流出しております。それがそのまま手つかずのままそういったところに残されております。だれも研究はなされていないという状態のものもあると聞きますので、例えばそういったものを日本の人文学の研究者、歴史や美術史だとかの研究者をそういったところへ派遣して、例えば、手つかずのいいものがありますので、そういったものを研究するとか、こういったものは学術というよりは政策的にやってもいいのではないかなと。そういう1つの例でございます。
 それから、ウでございますけれども、こちらももちろん文部科学省としてきちっと人文・社会科学研究を支えていかなければいけないのですが、政策対応の研究であれば、福祉や労働と、厚生労働省、あるいは消費者問題ということで、経産省なのか内閣府になるのかもしれませんけれども、そういったところが政策対応のファンドを創設していくようなことがあってもいいのではないかという問題意識の提示でございます。
 それから、エでございますけれども、これはやや大きな話になりますが、政策科学というものを我が国においてきちんと確立していくようなことを目指した、そういった支援の仕方というのがあるのではないかというのがエでございます。
 それから、オですが、オは、これは政府データということもありますし、また、大学や科研費や何かで、あるいはCOEなどで蓄積されたデータなどを共用化していくような、そういった取り組みがもっとなされたほうが学問全体の発展にも非常にいい効果があるだろうということで、何かできないかなという、そういう例示でございます。
 以上が資料2のところでございまして、あと基盤のところは、資料1の3ページの後半の部分ですが、ここは基本的には、まだ細かいことは書き込んでおりませんので、資料1の3ページの終わりのほうですけれども、ここは大体審議経過の概要で書いた項目そのままでございますので、ここはごらんいただければと思います。
 それから、続きまして、基本データということで少しそろえてみました。資料の3-1と3-2ということになります。特に資料3-2の最初の部分が目次になっておりますが、ここをごらんいただきたいんですけれども、教員数と学生数と研究費ということで、今回はとりあえずこれをお出しして、また次回、さらに細かいものとか、あるいは違った観点からのデータを出したいと思っております。今回、これをまとめるときの問題意識を申し上げたほうがいいと思いますが、人文学が最近衰退しているのではないかというようなことをよく私ども耳にします。そういったことをおっしゃられる研究者の方、多いような感じがするのですが、それがデータ的に何か言えないかなということで、そういう観点で今回調べてみました。そういった観点からごらんいただければと思います。
 まず資料3-1のほうにポイントが結論的に書いてあるんですが、3-2のほうをごらんいただきたいと思うのですが、1枚めくっていただいて1ページ目でございます。大学教員、統計上、本務教員と兼務教員、兼務教員というのは非常勤講師という方々ということになりますけれども、累計が2つに分かれていまして、まず本務教員のほうのデータでございますが、1ページの上の専門分野別というところをごらんいただきたいと思いますけれども、平成元年以降を大体調べてみますと、どの分野でも大体何となく全体としてふえてはいるということをまずご確認いただきたいと思います。
 それから、1ページの〈2〉の下半分ですが、国公私立大学別ということで、大ざっぱにいうと、大学進学率などが上昇していますので、教員の数もそれなりにふえているということがご確認できると思います。
 1ページは全体像ですが、2ページをごらんいただきたいんですけれども、これは分野別、セクター別の本務教員、専任教員の数でございます。人文、芸術、社会、教育、理、工、農、保健というふうに8つの分野に分け、この以外にその他というのがあるのですが、この8つを取り出しまして、結論的に申し上げますと、資料3-1の1.に書いてあるのですが、1.の最初の○です。「人文科学」を専門とする教員数が国立大学セクターで減少傾向にあるのかなということが、この8つのものから見てとられます。
 具体的には、2ページの一番上ですけれども、平成7年に国立大学の人文科学の教員の数が6,246人ということでピークになっておりまして、それから約10年、平成16年に5,648人ということですので、1割ぐらい国立大学の人文科学の本務教員が減っていると。公立、私立を見ていただくとわかるのですが、それほど減っていないと。ここから何が言えるかということなのですが、国立大学のいわゆる文学部を中心とするところの本務教員が減っているところが、1つ、人文科学研究が何となく衰退しているというふうな、最近よく言われることの背景なのか、そのものずばりなのかというところがもしかしたらあるのかなと考えております。
 ほかの分野をごらんいただくとわかるのですが、社会科学などはそれなりにふえていますし、それから3ページ、自然科学のほうですが、ここも実は、一番上の〈2〉-5の理学分野なのですが、理学分野は実は人文科学と同じように国立の本務教員は減っているのですが、これ以外の工、農、保については、もちろん多少の変動はあるのですが、それなりにということになっているかなと思っております。
 ここが一番のポイントなのでちょっと詳しめにいいますが、人文科学の国立本務教員が減っていることだけで見るのか、もう一つは理学も減っていますので、いわゆる文学部、理学部的な基礎学問の部分がもしかしたら全体としてちょっとということもあるのかなと。これは学校教員統計調査ですので全部オープンな統計なのですが、それを並べただけでもこのような感じのことが言えるのかなというふうに思っております。
 それから、4ページをごらんいただきたいのですが、これは兼務教員の数でございます。兼務教員ですので、いわゆる非常勤講師の方々が主だと思いますけれども、これは延べ人数であるということで、そこを少しご留意いただきたいのですが、ですから、延べ人数ですので、必ずしもふえた、減ったというのが、きちんとほんとうにふえたのか、減ったのかということは言えないのですが、結論だけ言いますと、本務教員と同じ傾向がございまして、5ページの人文科学分野をごらんいただきたいと思うのですが、平成10年に国立大学7,587人ということで、人文科学分野の兼務教員数、延べですけれども、ピークになりまして、その後、減っているということでございます。
 〈2〉-3社会学ですが、必ずしも減っておりませんでして、もちろん延べですから確かなことは言えないのですが、ほかは必ずしも減っていないと。
 ちなみに、6ページをごらんいただきたいのですが、理学分野も同じで、文学部と理学部系のところがちょっと国立大学が弱くなっているのかなという感じがいたします。同じ傾向です。
 次に、7ページなのですが、年齢区分別教員数比較表ということでございます。では、減っているといった場合に、どの年齢層が減っているかということでございますが、7ページ、人文科学の本務教員をごらんいただきたいのですが、合計、一番上ですが、若手が減っていると。平成10年の人数と平成16年の人数があって、一番右に増減ということでございますが、若手が減っていると。これは何となく経験的な事実とも一致すると思うのですが、これをさらに国公私で分けてみますと、国立大学の若手の人文本務教員というのがほかのセクターに比べて著しく減っているということが確認できると思います。特に30代あたりとか、かなりの、半減とまでは言いませんけれども、3割、4割、平成10年から減っているということが確認できると思います。
 これに対して8ページをごらんいただきたいのですが、今度は人文の兼務教員でございますけれども、これも同じような傾向が見られます。特に国立の若手の、これは延べ人数ですけれども、減っていると。
 それから、9ページ、これは社会科学でございます。社会科学のほうは人文ほどでないということがわかります。
 10ページも同じでございます。こういったところが教員でございます。
 それから、学生数のほうでございますけれども、11ページをごらんください。大体学部学生は頭打ちですけれども、修士、博士はふえてきているということ。
 それから、12ページで、人文科学だけ取り出すのですが、これはさらに統計上、哲、史、文ということで、伝統的な分野を特に切り出して統計がとれますので、哲、史、文、それからその他ということで分けてみました。
 まず学部学生ですが、ごらんいただくとわかるのですが、その他がふえていると。例えば国際文化学とか、異文化コミュニケーション学とか、そういったタイプのものでございますが、そういったものがふえていると。これが特に国立について非常に急増しているということ、これはただ看板のかけかえだけだという見方もあるのですけれども、とはいえ、ふえているということが言えます。
 社会科学は、13ページですが、伝統的なものもそれ以外のものもそれなりに全体としてふえていると。
 それから、自然科学も大体同じと。
 それから、15ページ以下が修士課程ですが、これも学部と同じで、国立大学について、その他分類というのが非常にふえているということでございます。
 それから、18ページでございますけれども、ここから博士課程ですけれども、これも同じ傾向でございます。国立の人文について、哲、史、文の部分の規模があまり変わらない中で、その他というのが非常に急増しているということでございます。
 ちみなに、その他というのは何に当たるかというところは、23ページから26ページのところに分類表が載っておりますので、ここでそれぞれその他という部分をごらんいただくとわかります。ごらんいただければと思います。
 それから、27ページでございますけれども、ここから研究費でございます。これは科研費の配分状況ということで、27ページが16年の件数、28ページが金額ベースでございます。あと17、18と続いておりますが、結論だけ言いますと、件数については人文、社会科学でおおよそ2割、金額でおおよそ1割ということで、大体この傾向は大きな変化はないということでございます。
 それから、35ページ以下は、COEとか、あるいは大学院教育イニシアティブなどの交付状況ということでございますが、これもごらんいただいたとおりでございますので、大規模な研究者の集積されている大学への配分というのが重点的になされているという状況がわかるということでございます。以上でございます。

【伊井主査】 

 ありがとございます。
 貴重な資料を分析していただいたところでございますけれども、ここでは、初めにもありましたように、人文学だとか社会科学の研究とは何かというふうなことと関連いたしますけれども、そういったことを基本に置きながら、具体的に国としてどういう支援施策ができるのかというようなことの目的のもとにしている委員会ではございますので、そのあたりをご理解いただければと思っておりますが、それをもとに、仮にこういうふうなことができるのではなかろうかというようなことを今上げていただいているわけでございます。
 それと、今ご説明いただきました資料3-2のところの資料、これはある意味では貴重な資料だと思っておりますけれども、感覚的に、我々は人文学などが衰退しているというようなことを申したりするわけでありますけれども、こういうふうに見ますと、実質的な資料として、数値としてほんとうに衰退をしているということがわかってくるのだろうと思うわけであります。
 そういうことで、そういう背景のもとに、どういうふうに具体的にこれから政策のもとに支援できるのかというようなことの項目を上げていって、それを詰めていくなり、あるいはプレゼンテーションしながら具体的な提案をしていただくというようなことで進めたいと思っているわけでございますけれども、ただいまのところで、資料を含めまして何かご質問、あるいはご意見等いただければと思いますが、どうぞ、猪口委員。

【猪口委員】 

 私は、この資料2の2番目の研究者の自由な発想に基づく研究のところのイというのとウというところについて、意見を述べたいと思います。イということですが、「特殊性」とか「多様性」はあまり使わないほうがいいので、比較研究という形で、欧米でたくさん出ているいろいろな理論とか考えについて、若干違和感を感ずるようなときは比較研究するといって、間違った過程とか、あまりにも欧米に偏った一般化をしているというようなときは、そうではないというような感じで比較研究で線を引いたりするとかハイライトするというような感じでいったら、「特殊性」、「多様性」というと、何かマレーシアの、あるいは中国のアジア的価値みたいになってしまうので、そういう言葉をもう少しきちんと使ったほうがいいのではないかなと、この2のイということについては感じます。とりわけ施策の展開ということを考えれば、いろいろな比較研究を支援するということは非常に結構なことでいいと思いますが、言葉をきちんと使えば、スペルアウトすれば問題ないと私は思います。
 ウについてですけれども、価値観が違うというのですが、自然科学といいますか、医学なんか一番価値観が激しいところで、ブッシュ大統領の、ああいうステムセルの研究について、もう大統領命令みたいなもので、人文科学はどうってことないのですよ。こんな人畜無害みたいなことが多いから、価値観がぐっと出て研究が阻害されるとか、あるいは促進されるという形のものは少ないので、もう少し価値観を出して、この枠の設定ということについて議論するというのはどういう意味かよくわからないのですが、1つ私が心配なのは、人文学及び社会科学に関する枠の設定ということは、要するに評価するというか、審査するのが人文学、社会科学の方だけというふうにするというのは、いいところと悪いところとがあって、そこについては真剣に考えなければだめだと思ういます。現在は、自然科学とか、何でもいいのですが、全部入っているから何かとんちんかんだと、人文学、社会科学の人で感ずる人が多いと思うのですが、ケースバイケースありまして、多分、そこはただ、要するに、あんまり脳天気といいますか、ひとりよがりの考え方で何かやっている場合は、少しまずいという気が、とりわけハイレベルというか、工学のときはあるので、独自というと、仲間内でいい、いいといって、カルテルつくって全部とってしまうみたいなことになりがちなので、とりわけ人文学というのはくっついて動くのが好き、でも、理学も工学も医学もみんなそうなような気もしますが、そういうメリット、デメリットをよく考えなければだめ。ただ価値観なんて関係ないです。もう絶対、こんなばかな主張はないかなと僕は思いますね。だから、それは出さないほうが絶対いいと思います。そのつくるということがいい研究を生み出すのに資するかどうかという観点から、もう少し広く価値観としないで考えるのがいいかなと私は思います。
 それから、もっと下のほうで、3のエ、政策科学の確立に向けた支援で、公共政策大学院とか、そういうのをやっているので、それはそれで多大な困難に直面していると思いますけれども、やればやれるのではないかと思うのですが、やっているほうも、教えているほうも落ち着かない感じで、いいのかなとか、自分は何も知らないのにこんなことを教えていいのかなとか、あまり分野がいっぱいでどうしていいかわからない、きりなく特任教授みたいなのはするけれども、きちんとしたものを教えるだけの仕組みになっていないような気がするので、そこら辺はこれから頑張ればいいのではないかと。
 オについてですが、これは取り組みの支援なんていうのではなくて、きちんとやらなければできないです。国家自身がしっかりやらなければ、あんなものものすごい金がかかるし、ただ、記録をしっかりと残す、科学的な研究の発展のためにしっかりとするインフラストラクチャーの予算というのは、道路とか通信みたいなものですから、それがないところはてんでだめなのです。それは日本とか韓国とか意外とだめなのです。ヨーロッパとか、アメリカは私的なものが多いですけれども、日本は私的なものもない、財団とか何もない、ボランティアも何もない、それから政府もあまり興味ない。そういうことで、最悪なのでアジアなので、これは国が出るしかないので、それを正当化するときに財務省はどこまでできるか、国会にどこまで説得できるかというのはまた話は別なのですが、ただ、そういう路線はしっかり出すべきで、支援なんてのんきなことでは絶対できないです。インフラストラクチャーは政府の基本として、学者が研究のための道路であり通信であるという、そういうことを思わないとまず無理だと思いますよ。そんなのんきなことで、別に財団なんてあってなきがごとし、あめ玉をあげるみたいな金額の人文、社会に対しては考えているし、それから、国としてそれがないから、いつも鴨長明みたいな、ただただ流れて消えて、3年ごとにすべて変わって、世界に共通な、しっかり研究成果を共有して、こっちがある程度すごい成果を上げたときには、それを発達する基礎をつくったのだ、精度な研究をやったんだというような感じで伸びていくというのがないのですね。鴨長明なのです。流れていって、あっという感じ。だから、そこはちょっと考えていただいたほうが非常にいいと思います。
 あと、検討の視点の1番、政策目的型研究の観点、1ページの一番下ですけれども、オという政策手段、これは簡単にできると思いますね。簡単にできるというのは、結局、そういうふうに問題意識をある程度共有して、学術的なジャスティフィケーションと政策手段についての考えを少しでも引き出せるような、研究計画をつくってもらうような資金をどこからかつくればいいので、それは財団であっても、政府であっても、どの省であってもいいのですが、なかなかそういうことについてのメリットを認めてくれない。それから、財政的な基盤があまりないと言い張るからできないので、それはやる気になれば、例えば政策手段の開発研究の展開というのだったら、3のウにありますように、経済的課題や社会的課題については所管する省庁に対するリサーチグラント創設の何とかと、それはあるのだけれども、てんでのんきな話で、冗談みたいな額しかないわけです。それはしっかりとできると思います。それはしっかりと意を尽くして書けばいいので、ぽろっと1行、2行というのではなくて、やればこんなのできるので、世論をどんどん巻き起こして、こういう会合の支援を得てできるはずです。
 以上です。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。
 今、国としてやらなければいけないインフラとしての基盤的な研究というふうなことで、わざわざ支援というようなことではないということでありますが、確かにそういうところもあるので、今までできていないものですから、何とか支援を、方策を考えたいというようなことを考えているところだと思いますけれども、ただいま資料2の1ページ目の検討の視点ということで1を今上げていただいているわけですが、ほかにこの1について、こういう視点を入れたほうがいいというご意見がほかにもございましたら、何かありますしょうか。よろしいでしょうか。今いろいろ猪口先生がおっしゃられて、はい、どうぞ。

【伊丹委員】 

 私、全体の問題意識をお伺いして、なるほどと思いました。基本的に事務局の考えておられる政策の方向性の多くに共感をいたします。ただ、表現の仕方がもう少し工夫がいるなと。例えば今検討の視点の1のところで意見を言えというお話でしたので、いきなり教育の観点というふうに出てきたのではわからないから、結局、人文学の研究の衰退が教養教育の衰退につながる危険のようなことをきちっと議論するという、そういうタイプの問題設定であれば多くの方が問題意識を共有なされるのではないでしょうか。
 あるいは政策目的型研究の観点のところも、人文学固有意義のところの問題設定を、ここに書いてあるように、自然科学の「普遍性」と「特殊性」、「多様性」というぐあいにあっさり書いてしまうと誤解されるかもしれませんけれども、しかし、多くの方が自然科学における普遍性の程度と人文、社会科学における普遍性の程度にはかなり違いがあるというのは常識的にだれでもわかることですので、そういうことがわかるような表現にした上で、日本という国の研究者がやる学術研究として、この2つの分野ではどんな方向のものが望ましいか、単純に国際的なもの、普遍的なものというふう、普遍ばかりを追求するのが望ましいかというようなことに関する問題提起をするということになれば、私も大変納得のできる問題提起だと思います。

【伊井主査】 

 わかりました。
 これもいかにこれによって支援できるかというようなことの項目のもとに書いているものですから、学問論としてではないところもございますので、ご了承いただきたいと思います。
 それでは、2番、3番の「研究者の自由な発想に基づく研究」に対する支援の在り方だとか、「政策に基づき将来の応用を目指す基礎研究」に対する支援の在り方という、2ページ目の2番、3番について何かご意見をほかに。どうぞ、家委員。

【家委員】 

 2のウのことで、こういうことを書いていただいているのは、多分、結果的に人文、社会科学に流れている科研費が現状として少ないので、それをふやしてやろうという、いわば親心で書いていただいているのだと思うのですが、多分、科研費は全体採択率はそんなにわからないはずなので、結果、これは結局応募が少ないということだと思います、その原因は。資料の3-2に大学の教員の数の貴重な資料がありますから、潜在的な研究者、潜在的な応募者の数というのが出るわけで、その中で応募者が自然科学等に比べて率が少ないのだろうというふうに思います。そういうハードデータはわりに整理していただくことは貴重なのではないかと思います。そうだとしたら、それはなぜか。人文系の先生はそんなわざわざ書類まで書いて少額の金をとるのが、なくても研究ができるからということなのか、その辺のところを分析して、枠の設定というのは、枠を設定して、そこは応募者が少なくても採択率を上げてやろうというような政策にするのか。でも、やはりそれは応募者を多くしないと広がらないと思います。その辺のところが少し気になったところです。

【伊井主査】 

 先ほどの表で見ますと、全体的に分母としての教員研究者が少なくなったというところもあるのだろう思いますけれども、何%応募しているかということはよくわからないのですが、現在はかなり人文系でも90%だとか100%近い応募者が多いわけです。

【徳永研究振興局長】 

 私思うのですが、かなり少ないと思いますね。応募が少ないです。

【家委員】 

 私立大でもなかなか……。

【伊井主査】 

 何かほかに、2ページ目だけでなくても構いませんけれども。はい、どうぞ。

【伊丹委員】 

 今の点で。実は私も科研費の応募というのは、ただの一度もやったことがないので。要するに、面倒くさくて使い方に制約が多すぎて、僕自身がやっている研究は、データを集めたりいろいろなことをする必要がありませんので、他人の力をかりる必要があまりないものですから、それで済んでいるのですが、しかし、若い人たちのことを見ていると、そうとも言っていられない。これは枠が小さいのは応募が少ないからか、それとも枠が小さいから応募が少ないのかという、因果関係はどっちにも働くきます。だから、時間をかけて、政策的な動きとしては、3年とか5年、枠を少しふやしてみる、しかも公表してみるというようなことは、振興のために私はあってもいい政策だと思います。

【深尾科学官】 

 陪席している身で恐縮なのですが、私なんか科研とかいつも書いていて、消耗しているほうなので、少し違う視点で指摘したいのですけれども、猪口先生がおっしゃったように、インフラを整備する視点が非常に社会科学の場合には大事だと思います。既に実証的な側面のところで一部議論されたことだと思うのですが、3年とか5年単位のCOEとかだけではなくて、例えば実験形態になったらここが日本で代表するとか、生産性だったらここが日本を代表するとか、経済史だったらここが日本で代表する、それぞれもうできつつありますので、もうちょっと腰を落ち着けて研究できるような状況をつくって、資料とかすごく実際に蓄積されているわけですね。それが散逸するのも惜しいですし、もう少し腰を落ち着けて。ちょうど天体観測所みたいな感じですね、自然科学の。例えば家族の問題をずっと定点で観測している観測所があるとか、また国民経済の問題を観測している観測所がある、そういう状況をつくっていく必要があるのではないでしょうか。そういうところにいろいろな若手の研究者が入って、新しい分野を開拓していく。そういう実証経済のインフラとしての観測所の設立と、それにフロンティアをある若手の研究者が参加する枠組みのようなことをつくっていただきたいというふうに思います。

【伊井主査】 

 ほかに何かございますでしょうか。
 社会科学は少し性格が違うのかもしれませんけれども、人文学の場合はどうしても個人というふうなことに還元してしまいますものですから、個人で計画し、個人で完結していくと。そういうふうな研究者が地方に、各地域にいらっしゃるわけで、なかなか連携できないというところもあるのだろうと思いますけれども、研究の性格というふうなものからですね。だから、これからは、できるだけ人文学というふうものも共同研究、あるいは連携研究というふうなものに進んでいかざるを得ないところもあるのではないかと思っておりますが、もちろん個人研究というのも基本ではあるだろうと思っております。
 そこで、今2枚目のところを私も開いているわけでありますけれども、大学における教養教育というふうなものをどういう支援をしていくのか、あるいは人文学固有の意義のもとにどういうふうなそれを踏まえた施策があるのだろうかという、今の科学研究費はもちろんでございますけれども、このあたりにつきまして何かご意見はありますでしょうか。はい、どうぞ。

【伊丹委員】 

 教養教育の衰退の問題と、それをバックアップするための人文学の系統が中心だと思いますけれども、研究振興の間の関係というのは、しかるべきこの委員会の中でも専門家の方がきちっとお考えになって、意見をここで述べていただくぐらい大切な問題ではないでしょうか。単に私は目的設定を教養教育の振興に置くということについては、やや抵抗感を感じます。実際に衰退していっているプロセスを一橋大学の現場で見てみますと、比較的正しい理由で衰退している。衰退すべくして衰退しているという、そんな感じが……。

【猪口委員】 

 どういうことですか。

【伊丹委員】 

 そこから先は、実は人文学の研究の振興を本気でやらないとだめだということにつながるように思うのですが、昔は非常に深いディープなことを言われる語学の先生が一橋大学におられたのです。だから学生がついていったのですが、少し英語をうまく教えられますというのだったら、だったらビジネス英語の先生のほうがいいではないかとか、そういうふうになってしまいます。だから、知の巨人のようなタイプの人文学の研究者の先生が、教養教育の国立大学の教官が5,000人おられて、その中に50名とか100名とか、そういう程度しかおられないと思いますけれども、そういう方たちをどうやってふやせるかということを考えるというのは、波及効果も考えると、ものすごく大切なことのように思いますが、単純に教養教育へのてこ入れ、また定員増を目指すみたいな話をすると、これは私なんかに言わせれば、意味のない教養教育をまたふやすというふうになる危険があるなと思っています。

【伊井主査】 

 お話を聞きますと、それはかなり深刻だと思います。教養教育はどうあるべきか、これはまた別のところでお話いただかなくてはいけない、国の方針としてですね。

【伊丹委員】 

 教養教育のことを真っ正面から取り上げるのは、少し私はあまり賛成ではなくて、むしろ研究の振興をやるとどういうインパクトが及ぶかというタイプのことを議論するにとどめるほうがいいのではないのか。

【伊井主査】 

 むしろそういうことに対してどう我々は支援すべきかということだろうと思いますけどもね。猪口先生。

【猪口委員】 

 2のアの例、外国語教育の強化についてですけれども、やはり外国語教育、みんな英語何とかというと、それだけではなくて、ほかもだめだと思いますよ。どうしてかというと、例えばの話ですべて、中国の上海の復旦大学、日本語をしゃべれる教授人は75名ぐらいいます、日本語をしゃべって普通に使えるという人が。それは日本語の先生だけではなくて、いろいろな社会科学とか人文科学にいっぱいいます。それから、日本でというか、東京大学でというと25人ぐらいしかいない。そんなすらすら中国語をしゃべれるかというと、怪しいものだなと思っているのですが、聞くわけにはいかないですが、非常に少ない。それから、全部あわせて大学。大学の規模は、教員の数は似たようものだと思います。学生は少しあっちのほうが多いぐらいです。そして、あっちは北京大学に次いでか、清華大学に次いで2番ぐらいのランクになって、東大は1番のはずですけど、何か弱いなと。外国語は弱いと思います。
 それから、もう一つの例は、韓国では英語はもちろんですけれども、中学校、つまり12歳から15歳の段階で中国語か日本語を必修にして取るというのがもう1、2年かそのぐらいで実施されるはずです。決定はなされて、ものすごい日本語の先生と中国語の先生が、全国の中学校の義務教育の中に入ってきます。それに比べると日本はのんきなことをいって、まだ国語が重要だ、当たり前です。国語も英語も、それで韓国語も中国語もというのがほんとうなのを、どんどんむしろ下がって、こじきみたいな世界になっているのが、外国語教育の強化というのはほんとうにまじめにやらないと、どうしようもないし、外国語教育の強化については、とにかく教員がたくさんいることです。学生に比してマンツーマンぐらいにやるぐらいの意気込みでやらないと絶対できないので、財務省説得できない限り無理だと思います。

【伊丹委員】 

 それはその委員会の……。

【猪口委員】 

 でも、書いてあるから。

【伊丹委員】 

 だから書くからいけないのだよね。

【猪口委員】 

 こっちは答えているから。

【伊井主査】 

 中教審等によっていろいろそれは審議していただいて、それに対して我々は政策としてどうサポートできるのかということを具体的に考えて、一助になればというようなところですが。

【徳永研究振興局長】 

 私からすると、正面から責任を持って論議する必要はないと思いますが、科学技術・学術審議会の立場で、そういうことを逆に、一方的に学術研究だけの立場を考えれば、こういうことが望ましいのではないのというようなことをおっしゃっても、それは差し支えないと思います。

【伊井主査】 

 ありがとうございました。
 それでは、3番目のところ。どうぞ。

【小林委員】 

 今おっしゃってもいいというふうに言われましたので、少し私、私学の立場から申させていただきますと、人文系の学生というのは、すごい自分探しをしています。何になりたいかとか、あれだとか、そういう教育的観点からいけば、今キャリアデザインなんていうのが言われるようになってきましたけれども、それよりかライフデザインというか、生き方の問題とか、倫理観だとか、歴史の問題だとか、そんなことを学生たちにきちっと教えるということがものすごく、まず最初、私どものような私学ではそこが大事だということを思えば、人文学の位置というのはすごく大切だと思います。そういう観点から、ということだと伝統的なものも生きてくる。先ほどから私、伝統的というのは何なんのかなと。伝統的になったらどうしても評論的にならざるを得ないし、そういうところがあって、振興ということになるとどうしても実証的なものをどんどん出していくということになると思うので、何なのかなと思っていたのですが、教育という立場からいけば、そういう姿勢観の問題だとか、あるいはいろいろな価値観があるぞということも言っていかなくてはいけないと思います。そういう意味での伝統的な部分の人文学の必要というのがあるのではないかなというのが私の考えです。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。
 どうぞ。

【井上(孝)委員】 

 伝統的な研究手法によるというのが頭にかぶっていると、研究にしても、教育にしても、時代や社会の変化に対応するような研究というのはどうしても求められるわけで、伝統にばかりとらわれていたら、それはやはり社会的なニーズに対応しきれないという点がどうしても出てくると思います。ですから、新しい研究方法というのは、絶えず一体となってそういう研究を推進するということが必要ではないかと思っているのですが、そういう点で、3.のこのタイトルは果たしていいのかどうかというのが1つございます。
 それから、3-1に戻って恐縮なのですが、非常に私これを見ていて奇異な感じと申しますか、学術研究の観点で、アのところは、グローバル化に伴って、そういう国際水準を満たした研究成果の創出はよろしいのですが、イとウのところですね、欧米の研究者の単なる紹介とか、研究手法の単なる援用に終始する研究とか、こういうことが果たして研究と言えるのかどうか。大学教育でそういうものを紹介するため、研究の素材として研究するのはよろしいのですが、これが国が支援する研究タイトルとして、こういう学術の観点というのが入ってくると、社会科学とは何か、人のまねばっかりやっているのかといって批判を受けるのではないかと。ここに書いてあること自体か恥ずかしいのではないかという、そういう気がするわけでございます。

【伊丹委員】 

 これは言ったのは僕なんです。だから後で釈明をいたします。

【井上(孝)委員】 

 そういう点がどうしてもちょっと、研究というのはそういう現状を踏まえて、研究者がそれを超えていくというのが研究ではないかと私は認識していたので、その辺が少し、こういうことを書いてあると、日本の社会科学は変だなと、こう思わざるを得ないという点がございます。
 それからあと、科学研究費の対象が、ボトムアップですから、自由な発想に基づく研究者が、自分の視点で発想に基づいて研究するほうでございますけれども、政策目的になってくると、これが果たして科研費とか学術研究の推進になるのかどうか。こういう政策目的であれば、科学技術振興調整費の中に人文、社会科学も、そういうトップダウンの社会的ニーズとか、そういうものに基づく研究分野をむしろ設けるほうが今の実態に合っているのではないかと思うわけです。確かに今、科学技術振興調整費も若手研究者の育成とか、女性研究者とか、地域再生とか、そういう観点でやってきていますから、そういう総合的な研究の視野を入れていくというのであれば、政策目的は、むしろ、科学技術振興調整費でそれぞれに基づくファンドとしての活用をすべきではないかなと。それから、環境問題とか、あるいは経済上の問題とかいろいろあるのは、それは既に各省が審議会等でそういう基礎的なテーマについて議論し、研究者グループを、前にも猪口委員がおっしゃったのですが、各省でそういう研究グループを設けて研究している面で、果たして文部科学省はそういうような政策目的のところまで研究グループを構成してやるというのは、要するに政策の企画立案が各省に分かれている場合に、ほんとうにそれが意味があるのかどうかというのが少し疑問に思っております。 以上です。

【伊井主査】 

 反論もあるだろうと思いますけれども、これはプレゼンテーションしていただいたところに提案されたといいますか、問題提起として出たことで、これを表に出して、これをどうするかということではないのでございまして。

【伊丹委員】 

 いや、出したほうがいいと思いますよ、僕は。

【徳永研究振興局長】 

 最後のやつは、ここはあくまでも手段としては、各省に対してリサーチグラント創設を働きかけていくというところになるわけで、そんなに振興調整費も大きくありませんし、大した額はありませんので、ぜひこれは、こういう観点に立って文部科学省も各省に対してリサーチグラントの創設を働きかけていくという意味で、例えば韓国でもアメリカでもイギリスでも、全部、各省ごとにリサーチグラントがあるのですが、結局、日本だけがリサーチグラントがありません、各省ごと。アメリカでも韓国でも、韓国もイギリスもみんなあるのです。ですから、我々とすれば、今、これは文部科学省の委員会ではありますが、各省に対して働きかけをしていくという意味で、文部科学省自身が政策研究をするというのではなくて、政策研究を推進していくと、そういうことでどうぞ財務省さん、財政学の、租税学の研究にもう少し金出してくださいみたいな提案をしていくことでいいのではないかなという気もあります。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。
 いろいろ議論もあるところだと思いますが、先ほど伝統的な研究方法による人文学とありましたが、伝統的な研究方法ではなくて伝統的な研究分野をどういうふうに新しい研究方法によって活性化していき、継承していくかということだろうと思っております。

【徳永研究振興局長】 

 そうじゃなくて、これは資料4-1の中で、実証的な研究手法による人文学、社会科学の振興方策を議論したので、残っているのが伝統的な手法による人文学、社会科学の振興施策。

【伊丹委員】 

 伝統的ってネーミングがいいのでしょうか。こうなった途端にいろいろな意見が出てきてしまうから、これは少し適切な名前を考えていただいたほうが。

【伊井主査】 

 誤解を招くようなことかもしれませんけれども。
 ほかに何か、1枚目、2枚目を含めまして、3番のところも何かございますでしょうか。今のリサーチグラントのご提言がございましたけれども。

【猪口委員】 

 3番のところ。私もお書きになったところで何となく同感するところが多いのですが、施策といいますか、どういうふうな形でやるかというのは非常にいろいろあると思いますね。そもそも省庁自体が文部科学省とか文化庁とか外務省とか何か、国際交流基金とかいろいろあるのだと思うのですが、何かもう少しすっきり――すっきりする必要はないのですが、もう少し力強くなってほしいと思いますね。国際交流基金はもう利子がないから自分がシンクタンクになったみたいになって、ほかの人に出すのがすごく少なくなっているし、文化庁はほんとうに伝統的な粋を集めたものだけしかやらないみたいで、学術研究のほうにあまり関係ないみたいな感じがします。国際交流基金もだめ、文化庁はもともとだめ、頼るは文部科学省の科研費だというのだけれども、使い方によっては幾らでもア、イ、ウのようなことはできるのではないかと思って、1つ最近気がついたのですが、外務省で広報文化交流部でしたっけ、何かが、国際交流基金のお金がこなくなったのでというのは、1つは理事長がアジアを中心にしてアジアのほうばかりやっているので、欧米が何もなくなったというか、ほとんどなくなったというので、広報文化交流部があるのだけれども、大使館にコーディネートしたり、オーガナイズする1つ役職をつくって何かやっているというのを聞きましたけれども、そういう工夫があるというのはどういう意味を持つのかというのと同時に、ほんとうに効果的、実効的なものかとか、そういうものをもう少し大きな規模で、しかも、こういうふうにどういう目的でやるのかというのとお互いにディスカッションしたほうがいいのかなという気がしますけれども、ウについては、ほんとうに文科省頑張って、自己主張して、そういうふうにしてもらいたいと思います。
 この3はものすごくやりがいがあると思います。どうしてかというと、きちんとやっているところが何もないから、少しでも前のほうにいけばすごくクレジットがとれると思います。以上です。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。
 ア、イ、ウというところでありますけれども、これも科学研究費で一部やっているところもあるのですが、体系的になかなかできないのと、各ほかの省庁、あるいは国際交流基金等、必ずしも体系的にはできていないところがあるのだろうと思いますが、そういった中にあって、この委員会でどういうことが具体的に支援できるのか。それが1つでも成果として上がっていけば、それが全体的に広がっていく可能性もあるのだろうと思っております。
 はい、どうぞ。

【伊丹委員】 

 この3については、先ほど深尾先生がおっしゃったことを私も強くサポートしたいというふうに思います。要は、ポイントは、拠点を形成するための支援をやるというところから始めるのが、多分、遠いようで見えて一番早道だという気がしますので、オに社会調査等によって収集、蓄積された各種データの公開とかというふうに書いてあるのですが、このオを、単純なデータの共有というような問題に、それも実は大きいのですが、あまり限定せずに、そういうところが拠点として研究活動の中心も担うような、先ほど深尾先生のおっしゃったようなことをかなり大規模に腰を据えてやる。これがグローバルCOEとの違いは、明らかに向こうは大学の教育の問題に踏み込んでいる。こっちは研究の問題中心にやるという分野分担も考えた上でやったほうがいいのではないでしょうか。それは実は、予算をばらまかないということなのです。先ほど社会科学でこんなことを書いたら恥ずかしいのではないというご意見がありましたけれども、恥ずかしい現状だと思います。日本全国にいる大学の本務教員2万人を越す社会科学の本務教員の中で、真っ当な研究をやっている人のパーセンテージがほんとうに1割もいるかと、いないだろうなと思います。そういう極めて厳しい私は見方をしていますので、あまり多くの人にばらまかないで、拠点をつくって、そこでじっくりやってもらうことによって、そこから浸透していくという長期戦略をつくるほうがかえってうまくいくのではないかというふうに思います。

【伊井主査】 

 そういう拠点づくりというふうなものをすべてに予算を回るわけにはいかないわけですから、拠点というものを形成しながら、そこを確認して海外の交流だとか、あるいは国内外の研究戦略というものを考えていかないといけないだろうと思っておりますが、たまたま今思い出したのですが、先日、エジプト大使館の文化担当の方が私のところにいらっしゃいました。その方は3年間東京にお住みになって、今度、来年の夏には帰国することでありますが、その方はローマ大学の教授です。3年間エジプト大使館に勤務したと、文化担当しましたと。その方は日本研究なのです。日本の大使館も、文科省の方が出向して文化担当をなさっている方もいらっしゃるわけですけれども、エジプトの場合だけですけれども、ローマ大学の教授が来ているというふうなことで。

【伊丹委員】 

 カイロ。

【伊井主査】 

 ごめんなさい、カイロ大学です。エジプト大使館のカイロ大学の教授であるというようなことでありまして、その方は、日本研究だから日本に勤務することが都合がよかったということもあるのだろうと思いますけれども、こういう戦略もあるのかなというようなことを思いました。
 そのほか、先ほども出ましたように、世界的に見ますと、日本研究が明らかに衰退をしている。例えば私が知っておりますオーストラリアは、今日本研究は激減をしているというふうなことでございます。かつて20年前くらいは、日本研究は非常に盛んであったわけでありますけれども、これは中国研究に取ってかわられている。ヨーロッパもそうであるわけでありまして、今アメリカ、カナダはまだやっているところもあるのですが、これも時間の問題であろうというようなことでありまして、これは放っておりますと、何もできないまま日本研究というのは衰退していくだけになっていくであろうと。もう少し戦略的に、どういうふうに、どこに中核拠点としてサポートしていくかと。先ほど出ましたアのところでも、イでもそうでありますけれども、海外の例えば日本の資料というものを外国の人と一緒に研究することによって研究者をふやしていくという。そして、これはたまたまある外務省の方とも話をしておりまして、サイデンステッカーさんというのはこの前亡くなりましたけれども、ドナルド・キーンさんだとか、こういう方を世界に10人つくったらどうでしょうかというようなことを提案申し上げましたのですが、どういうふうな大きな影響を持っているかということは計り知れないものがあるだろうと私は個人的に思っているわけでございます。そういうふうなことを支える、ささやかですけれども、どういうふうに支援をしていけるかということのご提言をこれからもここの場でしていただければと思っておりますけれども、そのほか何かございますでしょうか。

【伊丹委員】 

 ここのところは日本文化研究ですか、それとも日本研究ですか。海外における日本文化研究への支援にするのか、日本研究の支援にするのか。

【伊井主査】 

 かなり重なってまいりますね、日本研究というものも経済も社会も歴史もありましょうし、それをトータルして文化というようなことを……。

【伊丹委員】 

 トータルした言葉としての文化。

【伊井主査】 

 そうですね。もう少し具体的にしたほうがよろしいでしょうかね。

【猪口委員】 

 ここはこれでいいのではないでしょうか。ほかのところにまた、社会科学のほうに出てくるから。

【伊井主査】 

 何か局長、ございますでしょうか。

【徳永研究振興局長】 

 言葉はほんとうにまだ練れていませんので、ただ、こういう事柄で、テーマで議論していただいてはどうかというだけでございますから、それぞれの言葉でそんなに深い意味があるわけではございませんので、ぜひそれは。
 それから、逆に、少しこういう中で、今拠点的な支援ということになると結構きついところがあるのは、例えば日本研究についての拠点的支援ということになれば、国際日本文化研究センターは今まで何をしてきたのだということになってしまうわけで、逆に言うと、それならそれでこれまでの施策の検証もあわせてしなければいけないのかなと。

【伊丹委員】 

 いいのではないでしょうか。

【猪口委員】 

 みんな東大に行ってしまいますよ、どの分野も。

【伊井主査】 

 それぞれ既存の組織というものの活性化というものもあるだろうし、これからも方針のいろいろな展開があるだろうと思っておりますけれども、特にこれからの検討課題につきまして、ご意見はほかにはございませんでしょうか。どうぞ。

【中西委員】 

 人文学は分野が違うのでわかりにくいところもあるのですが、自然科学分野では、自分が助成をいただいた成果を発表するということはかなり浸透してきており、積極的に発表しようという雰囲気があります。しかし、人文科学の方は、私から見ていますと、あまり積極性がないようにも見受けられます。ですから自分の成果を積極的に発表するという、そういう仕掛けをうまく構築できればいいのではないかと思います。ただ、実際はどういう状況かはわからないのですが。

【伊井主査】 

 かなり組織としてなかなか難しいところがあるのだろうと思います、費用の問題だとか科研費の問題もありますし、必ずしもそれでもって海外に調査に行けるとか、すべてができないところもあるだろうと思っておりますけれども、人文学の研究者自体も、これは反省をしなくてはいけないところがあるだろうと思っております。

【猪口委員】 

 その件について。僕は2つ問題があって、隣に拠点形成の論者がいるのでどうかと――どうかというか、私は必ずしもそうではなくて、そんなことをやったら、東大と京大と何とか大学ぐらいになると、5つぐらいで終わってしまうみたいな、いろいろな分野でなっていくからどうかなと思いますね。それは必要なところもあると思います、いろいろな点でもっと激しくやらなければだめな分野があるのですが、基本的には、学術研究というのは個人主体なので、あまり拠点というと、何だかわからないと言うと悪いのですが、自分の職場というのはいろいろな人がいるものですから、そういうのを駆り立てる、動員されるのにものすごく抵抗する人文系のところはものすごく多いですし、そういうことを考えないと、拠点というのはあまり関係なく、あまり意欲のない人がどどっと入って、義理でやっているみたいな拠点研究が多くなるので、僕はどっちかというと、反対です。伊丹先生の場合はそうではない職場で、非常にフォーカストで、モチベイテッドだったのだと思いますけれども、日本の多くの職場ではそうではないのです。やはり個人の意思で。ところが、個人でやると、理科系みたいにインフラがないものですから、すごくつらい場合が多くて、それがますます人文、社会系の科研応募が少なくなっているのだと思いますし、それから、積極性というのですが、積極的だと思いますよ、いっぱい書いている。1つの重要な違いというのは、ほんとうにすぐ終わりますが、理科系というか、実証的な理科系の場合は、コンセプチュアリーにもフォーカスがきちんと決まって、書くものが非常に短いのです。ところが、人文系とか社会系になると、おれはもうこの分野のすばらしいことを言っているのだ、議論したみたいな感じに書かないと、なかなかみんながひれ伏さないので、結局長い。だれが言った、ああ言った、みんな、こいつはばかなことを言っているみたいなのから始まる、ところが、途中で倒れてしまうのです、5年とか10年しないうちに。それででっかいのが定年後出るとかというのが結構あります。だから、そこら辺は、水泳の呼吸の仕方の違いみたいなものがあるというのが1つ。
 それから、論文に対する仕事、どういう使命を与えているかによってすごく違うのです。僕はたまたま健康についていろいろ医学雑誌を見ているのですが、短いんですよ、簡単なストラクチャー。言うことも簡単、方法も簡単、言うことも明快。もうだめ、いい、ああと決まっている。だから、人文、社会系というのは、とにかくわれは天下の何とかと、宮本何とかからというふうに始まってやる人が結構、伝統的な研究方法による人が多いものだから、それが積極的でないということではなくて、私の知っている人は、もう大変ですよ。共立大学の何とか先生なんか激しい本の数の数。そのぐらいにすごく違いがあると思う。

【伊井主査】 

 学問の性格によって違ってくるだろうと思うので、端的に白か黒かわかる学問もあるでしょうし、人文学というのは、基本的には、最終的に人間とは何かというようなところに行きつきますものですから、人生観だとか人間観が出てくるのだろうと思いますが、大体こういうふうなテーマでもって。

【徳永研究振興局長】 

 家委員の、結局、人文学固有の意義で「普遍性」、「特殊性」、「多様性」、ちょっと評判が悪かった、私ども事務局で書いたのですが。私思いますには、私が大学生のころ、政治学の授業を習ったときにびっくりすることを言うのです。例えば分子生物学というのは世界に1個しかありませんから、分子生物学では皆さん同じことを言うのですが、当時私が習った東京大学の升味準之輔先生は、政治学は学者の数だけ別の学問があると言うのです。だから、政治学者の数だけ学問があるから、お互いに全く何を言っても論じられないと。そういう意味で、果たしてそれが学問なのかどうかわかりませんけれども、そういうことがまさに今猪口先生がおっしゃっている、科研費で成果を発表するときに、自分がやっている学問はそもそもこういうものだという学問定義から始まってプレゼンしなければいけないから大著な論文を書かざるを得ないことがあって、逆に、そんなことのプレゼンしている限りはお互い何もわからないというのが、そういうことを多分、事務局の「普遍性」に対する「特殊性」とか「多様性」というのは書きたかったのだろうなと私なりに思いました。

【伊丹委員】 

 そこまで特殊なのですか。

【井上(孝)委員】 

 要するに、人文学、社会科学の研究の、ある意味でそれを支援するための構造改革という意味で、先ほどお話があった3.の社会調査等の収集、蓄積されたデータ、各種データの公開、供用に向けた取り組みとか、あるいは5.のところの2の学術資料、調査データ等のデータベース化、アーカイブ化と、それから6.の学界に対する研究成果の発信の在り方というのがあるのですが、これらをある程度データベース化して、絶えずそれぞれの研究者の研究成果というのが、そのデータベースを見ることによって、研究の水準というのを見れば、自分の研究をさらにどう高めていくかということで、ほかの研究を十分参考にできるような、そういう体制づくりがまずできていないのではないか。そういうものを情報化、研究成果などをデータベース化して、そこにすべての研究成果が集中していれば、そこを見ればある程度自分の研究の位置づけとか、自分の研究がこれからどういう方向に向けて研究したらいいかとか、そういうことがわかってくるのではないかというようにも思っているわけで、今お話のように、一人一人だからみんな情報が、必ずしも十分ほかの研究者に公開されないような形だと、いつまでたっても人文、社会科学の研究が閉鎖的で発展しないのではないかなと、そういう気がいたしますので、その辺を基礎的な資料とか、学術資料、研究成果、そういうものをデータベース化して、日本の学術研究のナショナルセンター的なところでそれを公開するようにしていけばいいのではないかなというように思いました。

【伊井主査】 

 研究の成果の共有化ということもあるだろうと思っております。ただいまいろいろご意見賜りましたことは、この後さらに整理をしましてご報告申し上げようと思っておりますが、時間も大分押してまいりましたので、よろしいでしょうか。
 最後に、前回8月の段階で審議経過の概要ということでまとめていただいておりますけれども、これに関連しまして、平成20年度の概算要求におきまして、人文学や社会科学についての要求がなされておりますので、事務局から簡単にそのことを報告いただければと思っております。

【高橋人文社会専門官】 

 簡単にご報告申し上げます。資料4-2をごらんいただきたいと思います。最後にポンチ絵が1枚入っておりまして、審議経過の報告で、実証的な研究方法による人文学、社会科学の振興施策、それから共同研究体制の推進ということでご議論いただきました。これを踏まえまして、資料4-2のような形で概算要求をさせていただいております。
 1つ目が政策社会の要請に対応した人文・社会科学研究の推進ということで、中身が2つございます。1つは、世界を対象としたニーズ対応型地域研究推進事業ということで、文科省の事業でございますけれども、これらの継続でございます。
 2つ目の○で、近未来の課題解決を目指した実証的社会科学研究推進事業4億8,500万(新規)とありますが、こちらが審議経過概要の実証的な研究方法に基づいて行う社会科学の研究を推進する事業に相当いたします。中身ですが、社会科学を中心とした諸分野の研究者を結集して、近未来における全地球的な課題、特に我が国に直接しているような課題について、実証的な研究方法を義務づけまして、課題解決を志向した研究を実施すると。成果については、社会提言等の形で社会に積極的に発信していくというようなことを義務づけていく、そういったタイプの公募型の事業を要求させていただいております。
 それから、2つ目としまして、共同研究拠点のほうでございますけれども、人文学及び社会科学における共同研究拠点の整備の推進事業ということで約5億ということでございます。COEなどで整備された人文、社会科学に係る学術資料、あるいはデータ等を有する既存組織のポテンシャルを最大限に活用して共同研究を推進していく。大学等への公募・委託により一定期間支援して、国公私立大学を通じた共同利用・共同研究拠点の整備を推進していくというタイプの事業でございます。近未来と共同研究ということで、この2つの事業を、審議経過報告を踏まえて概算要求させていただいているところでございます。
 以上でございます。

【伊井主査】 

 まだこの結果は今月末にならないとわからないわけでありますけれども、これについて何かご質問、ご意見ございますでしょうか。どうぞ。

【家委員】 

 きょうは検討事項を上げるという趣旨だと思いますので。人文学の教育の観点というのが、今までの議論では、主に教養教育云々という観点から述べられているのですが、人文学が衰退しているかどうか私にはわかりませんけれども、もし衰退しているとしたら、むしろ重要なのは研究者養成のほうで、そういうことというのは、ここにインプリシットには全部入っているのだろうとは思いますけれども、検討事項として少し明示的に上げておいてもいいのかなと。今の拠点でやるのか、あるいは個々教育と絡めて研究者養成をやるのかという、その辺、どういう体制がいいのかというのは私には少しよくわかりませんけれども。

【伊井主査】 

 わかりました。
 研究者養成ということと同時に、出口をどうするかということも当然出てくるだろうと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
 どうもありがとうございました。本日の会議はこのあたりで終わらせていただきますが、次回以降の予定につきまして、事務局のほうからご説明いただきたいと思います。

【高橋人文社会専門官】 

 次回の予定につきましては、資料5のとおりでございます。次回は12月21日金曜日、14時から16時、場所は霞が関東京会館「シルバースタールーム」、霞が関ビル35階でございます。
 また、本日の資料につきましては、封筒に入れて机上に残しておいていただければ後ほど郵送させていただきます。また、ドッジファイルはそのまま置いておいていただければと思います。
 以上でございます。

【伊井主査】 

 資料5のところに次回、第9回と第10回の予定が書かれておりますので、どうかよろしくお願い申し上げます。
 それでは、本日はこれにて会議を終了いたします。どうもご協力のほどありがとうございます。

 ―― 了 ―― 

 

(研究振興局振興企画課学術企画室)