学術研究推進部会 人文学及び社会科学の振興に関する委員会  議事録

1.日時

平成20年12月12日(金曜日)15時~17時

2.場所

文部科学省3F1特別会議室

3.出席者

委員

伊井主査、井上孝美委員、上野委員、中西委員、飯吉委員、家委員、岩崎委員、谷岡委員、藤崎委員

(科学官)
縣科学官

文部科学省

奈良振興企画課長、門岡学術企画室長、高橋人文社会専門官、その他関係官

4.議事録

 【伊井主査】 

 それでは、科学技術・学術審議会学術分科会学術研究推進部会人文学及び社会科学の振興に関する委員会の会合を開催いたします。
 では、まず、配布資料の確認をお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】 

 配布資料につきましては、お手元の配布資料一覧のとおりでございます。欠落などございましたら、お知らせいただければと思います。
 それから、この委員会での、さまざまヒアリングなどを行ってまいりましたけれども、そういった資料につきましてドッジファイルのほうで、毎回資料をいろいろ組みかえたりしておりますので、これまでのヒアリングなどでの資料をごらんいただく場合には、ドッジファイルのほうをごらんいただければと思っております。
 以上でございます。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。
 それでは、この委員会では昨年の5月以降、もう何度か繰り返して申し上げておりますけれども、確認のためにまた申し上げますが、学問的特性、社会とのかかわり、振興方策の3つの観点から、人文学及び社会科学の振興について審議しているところでございます。
 社会科学につきましては、昨年の8月にまとめました「審議経過の概要(その1)」におきまして、実証的な分析手法に基づく社会科学の研究の振興方策についてあげたところでございますが、社会科学の振興のあり方についての全体像がまだ十分に議論できていなかったこともございまして、先々月の10月以降、改めて社会科学についての議論を今進めているところでございます。
 まず、10月29日の委員会では、経済理論、経済学史がご専門の根岸隆先生をお呼びいたしまして、経済学研究における研究成果の考え方や学会のあり方、日本の経済学の問題点などを中心にお話をいただいたところでございました。
 それを振り返りますと、特に根岸先生からは、経済学における研究成果の発表が、20世紀の中ごろを境といたしまして、書籍による発表から論文による発表へと変化しつつあること、またそれに伴いまして、当然、学術雑誌に載せるわけですから、レフリー制度そのものに起因する問題点の指摘もございました。これは、専門知に基づく学術専門誌のレフリー制度が、ノーマルサイエンスのもとにある研究成果には対応できても、パラダイムシフトをもたらすような成果には必ずしも対応できないというご指摘でもございました。具体的に経済学賞などを受けるもので、学術雑誌に掲載がされなかったものがむしろ評価されたりするような場合があるということもございました。
 また、そのときに、もうお亡くなりになりましたが、森嶋通夫先生が、自説の体系や俯瞰的な知を示すためには、書籍による成果発信を重要視されていたという事例などもお示しいただいたわけでございます。
 学術誌と書籍それぞれの利点を述べていただいたと思っているわけでございますが、学術誌の場合にはレフリーがついて掲載か掲載でないかということになりますが、書籍媒体となりますと、審査なしで本屋から出るという問題点もございましたが、そのほか学会の細分化の問題、大学教員の処遇の問題、経済社会とのかかわりなど、幾つか重要な点が指摘されたと思います。非常に盛りだくさんの問題点が出たところでございました。
 続きまして、11月14日の委員会では、民法学がご専門の星野英一先生にお越しいただきました。そして法学の学問的特性、学問と研究の違い、法学における教育の重要性、日本の法学の研究水準、国際的な研究水準についてのお話をいただいたところでありました。
 星野先生からは、まず、法学というものが科学や哲学という性質を持つ基礎法学と、法解釈、もともとある基礎法学というものと法解釈という実践の学としての実定法学とに分類されるということでございました。基礎法学と実定法学の関係でありますけれども、基礎医学と臨床医学の関係にたとえられるようなこともお話しいただいたところでありました。
 具体的には、実定法学というものが法哲学や法史学、あるいは法社会学などの基礎法学の成果を取り入れていくことで、より深く多様な視点から法を見ることができ、より強い説得力を持った法解釈が可能になるということでありまして、そして、そのことがよりよい実務につながっていくということでご説明いただいたわけでございます。
 次に、実定法学には、法律をつくるという立法への関与という価値判断を伴う知的営為があるということ、そして、価値という問題を扱う特性のために、法学の科学性が明治以来、問題提起がされ続けてきたことをお話しいただいたところでありました。
 そして、法学の科学性ということについてでありますけれども、我妻栄先生や田中耕太郎先生の言説を引用しながら、法学は個別の事例についての説明だけではなく、規範を定立する学問であり、他人の研究成果を用いながら体系を構築していく学問であることをお示しいただいたところでありました。また、法学というものは狭義の科学(サイエンス)ではなく、もっと広い意味での学問(シアンス)であるということでもございました。
 このような法学が、個別の事例の説明だけではなく、規範を定立する学問であり、法の体系を構築する学問であり、サイエンスではなくシアンスであると述べられた点は、これはひとえに法学だけではなく、人文学・社会科学の学問的特性といいましょうか、そういうものをすべて説明する上での大きな特徴とも言えるであろうと思うわけであります。
 そのほか、星野先生からは、法学にはバランスのとれた実務家の養成という役割があり、特に体系を示した教科書の執筆が重要であるということ、教育のための研究の重要性をお示しいただいたわけでございました。
 それとともに、ほかの学問もそうですが、明治以降になってさまざまな学問が輸入されてくると。法律も明治以降そうなのですが、しかし逆にそれが、日本においての法律というのは、世界の法律を学ぶことができたと。一国であれば1つの法律しか知らないけれども、それがあらゆる法律を取り入れることによって、日本は逆に研究水準が世界においてもトップレベルの、外国と比較できるという、遜色がないものになったということで、トップの研究者を支える裾野の形成において遅れをとっているということのお話もあったかと思いますけれども、具体的な法律の振興策として、それが逆に世界に寄与することもあるということでもございました。
 さらに、具体的な振興策として、共同研究へのバックアップ、比較法センターの設立、発展途上国への法整備の支援戦略、国際ルールづくりへの積極的な参画などもご提言なさったことだと思います。
 さらに前回、12月8日の委員会では、佐々木学術分科会長にお越しいただきまして、日本の政治学の形成とか、政治学の研究対象、方法論、社会とのかかわり、振興方策などについてお話しいただいたところでありました。
 佐々木先生は、具体的に我々が今まとめております報告書の分類に沿って、項目に沿いながらペーパーをお出しいただいて詳細にお話をいただいたところでありましたけれども、社会科学の研究成果は事例の説明と、その意味づけとしての理解を幅広く内包するものであるとのご指摘をいただいたわけでありました。そして、その説明や理解が、例え実証的な説明にとどまるものであったとしても、人々の考え方や社会の見解の形成に一定の影響を与えるものであり、これらはジャーナリズムを媒介として取捨選択されるということをお話しいただいたわけでございました。
 また、政治学には政治をどう考えるかやポリシーリテラシーの育成という観点から、市民の育成という役割があること、あるいは高度専門人の生成という役割があることをお示しいただいたわけでありました。特に、人文社会科学が対象とします領域におきましての専門人は、学問上の都合によりまして、現実を切り分けて、ある種の問題設定を前提とした上で、知識を機械的なイメージで現場に適用するテクニカルなエキスパートという形の専門人ではなくて、問題設定そのものや目的が一義的に与えられるものではない、それ自体をめぐって思考が繰り返される領域を扱う存在であるということでありました。
 このほかにも、具体的な施策の方向性としては、サバティカル制度、大学だとか研究機関における、とにかく時間が欲しいということでありまして、サバティカル制度の充実だとか、政策研究の環境整備、エリアスタディー研究の推進などもご提言いただいたところでありました。
 それで、本日は、これまでの議論を振り返りながら、最終的な報告書として取りまとめるための方向に向けまして議論を進めていきたいと思っているところであります。
 それでは、具体的に本日の審議に入りたいと思います。お手元に報告書(素案)というものを、資料2をお配りしているところでございます。これにつきまして、ご説明をいただきました後、議論を皆様からいただければと思っているわけであります。
 それではまず、この素案につきまして事務局のほうからご説明いただければと思います。よろしくお願いします。

【高橋人文社会専門官】 

 それでは、資料2の人文学及び社会科学の振興について(報告)素案というものにつきまして、ご説明をさせていただきたいと思います。
 資料2の前に、資料1ということで、本日の論点(案)というのがついてございますが、この本日の論点(案)といいますのは、報告素案の中で、なるべく文章を起こしてはみたのですが、もう少しご議論をいただければありがたいなと思っているところが、この資料2の中でも論点という形で示されております。その部分が資料2の中にあちらこちらにあるのですが、そのままですと非常に議論の効率が悪いと思いましたので、取り出して並べたものが資料1でございます。ですから、資料1に掲げてある論点というのは、すべて資料2の素案の中に読んでいくと出てくるということになってございます。
 資料の関係はそういうことですけれども、それでは中身のほうを説明させていただきます。素案でございますけれども、まず全体的なことを簡単にご説明させていただきます。
 まず、全体として、この素案はこれまでおまとめいただいた審議経過の概要(その1)、それから(その2)、この間の8月におまとめいただいたもの、そしてこの秋に3回ほど、根岸先生、星野先生、佐々木先生をお招きして行った3回の会議の審議の内容を足し合わせたものだとまずご理解いただければと思います。それで、さらに人文学の部分と社会科学を分けると、二部構成にするということも考えたのですが、これは伊井主査、立本主査代理とご相談させていただく中で、実際分けて書くことは非常に難しいということもよくわかりましたので、分けない形で一本化して書いてございます。
 それからもう一つ、全体的なことといたしましては、全体のこれはトーンということになりますが、ここでまず、人文学と社会科学との接続の部分、そういったところを意識しております。それは一本化しているということ、それから中身においても、ご説明させていたたく中で多分そういった部分が出てくると思いますけれども、接続を結構意識しているということでございます。それから、今度は逆に、自然科学との関係では、その対比を意識して書いているということになります。ですので、結果的にですが、社会科学を例えば記載する場合に、比較的人文的な要素が強く出ているかなと、そういう感じがいたします。ただ、これは実証的な方法を軽視しているという意味ではなくて、実証的な研究というのは当然のこととして社会科学に、人文でも同じですけれども、当然のこととして存在していて、ただ、学全体を俯瞰したときに人文的な要素の部分と実証的な部分というのが組み合わせられて、学問、これは全体としてということですが、個々の研究において組み合わされるべきということではなくて、学問全体としては組み合わさって成り立っているという形で整理がされております。それが大体全体のイメージでございます。
 それからあと、少し技術的なことなのですが、これを素案として書いていく中で、部分部分で濃淡というものが結果的にございます。また、やや勇み足になっている記述も若干あるかもしれませんが、そういった部分は本日のご議論、それからまた次回なども踏まえてバランスを確保していくつもりでございます。特に1年前にいただいたご意見とか、直近でいただいたご意見とか、多少意見のトーンが違ったりしておりますが、その部分がまだそのまま残っている部分等がございますので、そういったところは当然整理をしていきたいと思っております。
 それからもう1点ですが、この素案を案にかえて、最後確定させていくわけですが、本文の前におそらく「序」か「はじめに」というものを設けまして、幾つか留意すべきことを述べることになるのではないかと思っております。つまり、今回書いてないことでございますが、まずはこの報告書の枠組みで人文社会科学のすべて、細部に至るまで何もかも説明できているということではないということは、多分留保しておかなければいけないと思いますので、そういったこと。
 それから、実は今回、この2年間で必ずしも議論できていない部分として、例えば芸術学とか美学とか、そういったところへの視点というのがまだ、必ずしもないわけではないのですが、不十分かもしれませんので、そういったところについての留意というのをおそらく書かなければいけないだろうと。
 それから、これはどう扱うか難しいのですが、学問の外になるのかもしれませんけれども、神学とかああいうものはどう扱うのかということについての立場というのが何もここにはありませんので、それは今回議論していないということになります。全体としてはそういうイメージでございます。
 中身のほうに入ってまいります。資料2でございますけれども、まずタイトルなのですが、「人文学及び社会科学の振興について(報告)」という形に多分なるのではないかと思いまして、とりあえずこういう書き方をしてございます。こちらについても何かよいタイトルの案がございますればご意見をいただきたいと思っております。
 それから、めくっていただきまして、目次でございますが、これは人文学の審議経過の概要(その2)をまとめたときと基本的に同じ構成になっております。章立てが4つ、全部ゴシック太字でわかりにくくて申しわけないのですが、第一章で課題というものを取り上げて、二章で学問の特性を整理し、対象、方法、成果、評価という形で整理し、三章で役割・機能について論じ、四章でそれまでの一章、二章、三章を踏まえて振興の方向性をまとめていくというスタイルになっております。ですので、人文学の部分については比較的そのままの記述の部分が、審議経過の概要(その2)とあまり変わらないような記述になっておりまして、そこに社会科学のご議論、1年ほど前にしていただいたものと、それから直近で3回いただいた部分について、うまく入れられればなということで入れているところでございます。
 それでは1ページをごらんいただきたいのですが、まず、日本の人文学及び社会科学の課題ということでございます。ここでは、3つの課題を掲げてございます。1つ目が、研究水準に関する課題、2つ目が研究の細分化に関する課題、3つ目が社会との関係に関する課題でございます。人文学のときの経過概要では、水準という部分が輸入学問という言い方になっておりましたし、それから社会との関係というのは特に指摘はしておりませんでした。社会科学の議論も踏まえてこういった形で書き直してございます。
 1ページの第一節の前の部分ですが、ここには輸入学問であったという歴史、それから輸入をしたときに既に西洋において専門分化が進んでいたので、日本も受け入れたときには既に個別科学として受け入れたという歴史的な前提を書いた上で、そういった歴史があるので俯瞰するとか総合的にという部分が結果的に少し阻害されるような要因としてそういう歴史的なものが作用したのではないかということを、これは認識として書いた上で、各課題に入るということでございます。
 まず、水準の話でございますが、中身を3つに分けております。ここは人文のところで書いたものとトーンは同じでして、社会科学についても同じような課題があるだろうと、ご議論の中であったと思っておりますので、基本的には人文のところのトーンと同じでございます。独創的な研究成果の創出ということで、やはり輸入という性格がどうしてもありましたので、欧米の学者の成果を学したり紹介するタイプの研究というのが結構日本において有力な研究スタイルになってしまっているのではないかということ。そういったことを克服しないかなければならないだろうというのが(1)。
 それから2ページでございますが、(2)の歴史や社会に根ざした研究活動の展開ということで、下線の部分をごらんいただければと思いますが、日本の歴史とか社会だとかそういったものに直接向かい合った上で学問を展開していくということが求められる段階に至っているのではないかということ。
 それから(3)は、こういったことの裏返しとして、日本で、特に近代以前からということもありますけれども、近代以前から創造されてきた知への関心というのがなかなか低下してしまっているのではないかということでございます。
 それから二節の細分化でございますが、こちらも人文学のときと基本的には同じような書き方をしております。社会科学についても同じように細分化という問題があるということでございます。
 それから三節でございますが、学問と社会との関係に関する課題ですけれども、ここにつきましては、特に法学の星野先生でありますとか、あるいは前回の佐々木先生のお話の中で、社会との関係というのを少し考えさせるようなご発言があったかと思いましたので、ここに掲げております。ただ、文章につきましてはまだ起こすところまで至っておりませんで、論点という形でいろいろなご意見を賜れればと思っているところでございます。囲みの中をごらんいただければと思いますけれども、法学や会計学など、社会科学の中でも専門性の高い実務の「知」との交流が不可欠な分野では、学問が社会との関係を維持していくことが、学術上も重要な意味を持つだろうというお話があったかなと思っております。また、学問が社会の支持を得られるかということが、振興を図る上でのかぎにもなるだろうということがあったかと思います。
 それから4ページでございます。学問的特性という部分でございますが、まず、各各論の対象とか方法に入る前の部分、総論の部分でございますけれども、結論的にいいますと、人文的な方法と実証的な方法ということに一応この中は分けて、それに特に着目して論が展開されておるわけですが、人文的な方法につきましては、他者との対話ということで審議経過の概要(その2)の路線を基本的にそのまま引き継いでおります。それから、実証的な方法という部分でございますが、ここを関係性の解明、解明というのは説明と理解という2つにさらに分解できると思っていますが、関係性の解明という形でとりあえず位置づけをして、あるいはこれは実証的な方法というよりは社会科学はと言ったほうがいいのかもしれませんけれども、というふうに少し位置づけをしております。
 これについて、ここも人文のほうはかなり煮詰まったかと思っているのですが、社会科学の側につきましてはまだなかなか議論が煮詰まってないと思っておりますので、論点ということで、その部分はあえて書かずに細かいところはまたご議論を賜れればと思っております。4ページの真ん中の囲みの中をごらんいただきたいと思いますが、人文学は対話ということで、人文的な方法を中心とした学問ととりあえず位置づけているのですが、社会科学についてはどのように位置づけるかと。これまでの審議を踏まえると、例えばということですが、関係性の束としての社会、その社会の構造とか変動、制度、規範についての説明と理解、理解というのは評価を含むというような形で、とりあえず何か案がないとあれだと思って書いてみたのですが、このあたりはいかがでしょうかということでございます。
 それから、一節、対象でございますが、主に人文の部分につきましてはそのままということで、メタ知識と精神価値、歴史時間、言語表現ということで、基本的には前のものを踏襲しております。
 6ページをごらんいただきたいのですが、社会科学というものの研究対象は何なのかということでございます。人文学は審議経過の概要(その2)のとおりでございますけれども、社会科学についてはどうかということで、これまでの審議を踏まえると、例えばということですが、社会構造であるとか変動、制度、規範といったようなもの、これで完全に整理ができるということではないと思うのですが、こういったものに例えばなるのではないかと。ちょうど精神価値とか歴史時間に対応するような言葉としてこういうふうになるのではないかということでございます。それが1つ。
 それからもう一つ、社会科学の研究対象としての社会というものをどういうふうに定義するか、一般的ではなくてこの報告書としての定義ですけれども、まず自然科学との対比というものを意識すると、おそらく存在するものとしての自然に対して、つくられたものとしての社会という、そういう書き方をしていくのかなと。それから人文学との接続を意識すると、前の前のページとも絡むのですが、他者との対話の場、すなわち他者との対話というのは関係性ですので、その関係性の束としての社会と。他者との対話の場というのはイコール関係性の束で、それがイコール社会というような、人文学との接続を考えるとこのような形で社会というものをこの報告書では一応定義してあげた上で、その構造とか変動とかあるいは制度、これは構造の一部かもしれませんが、規範と。この規範も実は構造の中の一要素かもしれませんけれども、あるいは変動というのは構造の変動なのかもしれませんが、ですから全部構造に換言できるのかもしれませんけれども、そういったものとして俯瞰できるかなという1つの案でございます。当然ほかの見方は、あるいは同じ意味でも違う言葉を使うということはあると思っていますので、ご意見を賜れればと思っております。
 それで、6ページ、方法でございますけれども、ここは審議経過の概要(その1)からの伝統を一応引き継ぎまして、人文学及び社会科学は、自然科学のように客観的な証拠に基づいて真実を明らかにするというよりは、論拠を示すことにより真実らしさを明らかにすると。そういったものを目指しているだろうと。一見科学的に見える方法であっても、どれだけ多くの人が真実らしいと考えられるかという説得性というものに、すべてではないでしょうけれども、ある程度依拠しているということは言えるのではないかと。
 こういった考え方に立って、6ページの2パラですが、人間や社会のあり方を把握するためには、人間の意図や思想といった価値にかかわる問題を避けて通ることはできないことから、人文学及び社会科学の研究を進めるに当たっては、実証的な方法による事実への接近の努力、これは当然しなければいけないのですが、それとともに研究者の見識とか価値判断を通じた意味づけというものが別の次元になるのか、あるいは不可分なのかというのはありますが、そういったことを行うことが不可欠というようなことになるだろうと。こういった考えを踏まえますと、人文学、社会科学の方法というものを考えますと、研究者の見識とか価値判断というのをある程度前提とした人文的な方法と、それから人間の行動や社会現象などの外形的、客観的な測定を行っていくようなタイプの実証的な方法というのが併存するという形でまず大きく整理をして、今度それぞれについて7ページ以下で語っていくということになります。
 7ページの下の人文的な方法でございますが、ここは基本的に審議経過の概要(その2)と内容的には同じです。(1)(2)(3)あたりのタイトルを、前は少し長かったので、端的にいたしまして、歴史や文化による拘束というのを、研究者が拘束されていますねということの確認が(1)。(2)は、拘束されていますので、経験や、例えば極端なことを言うと人生経験であるとか、あるいは感性といったものが非常に重要な役割を果たすという部分があるということが(2)。それから(3)は、拘束されていますし、自分のある程度主観というものに依拠しなければならないということであれば、当然相対化の視点というのが出てきます。それが(3)。相対化の視点が出てくれば、当然他者と対話をしていくということによって、お互いの考えだとか立場というものを、立場というのは少し変ですが、考えというものをすり合わせていくといいますか、調整という言葉は少し事務的すぎますけれども、練り上げていくようなそういうことが必要になるということでございます。
 9ページの上のほうに、下線を引いた部分は1つ象徴的な部分なので、そこだけ読みますと、「他者」との「対話」という人文学的な方法は、ある「価値」を前提として、その「価値」に基づいて物事の真偽、優劣を判断していくのではなく、その「価値」そのものがほんとうに正しいのかを他の「価値」との比較考量の過程で吟味し、判断していくという、知的判断、道徳的判断、美的判断を総合した判断であると言ってよいというふうに今は整理をしております。
 これは、人文的な方法は多分、人文学だけではなくで、ヒアリングでお招きした、例えば比較考量論というのが星野先生の学説ですけれども、星野先生がおっしゃっているような法解釈における比較考量というのがまさにこういうプロセスそのものだと思いますので、社会科学における人文的な要素という意味で、こういったものが社会科学においてもそのように使われているといいますか、不可分であるということになろうかと思っております。
 それから、次の実証的な方法でございますけれども、ここは1年前の審議経過の概要(その1)におきまして、そのときにかなりご議論いただいた部分だと思っております。ここでは、当時、今田先生からご発表いただいた枠組みを使わせていただいております。いわゆる意味解釈法、数理的演繹法、統計的帰納法ということで、これは社会学においてのものですけれども、社会科学全体におおむね当てはまるだろうということで、この枠組みを使っております。例えば(2)で数理的演繹法について、数理的だけではなくて言語の論理、その論理で演繹するというのもあると思いますので、数理だけではなくて数理的というふうにしておりますし、統計的帰納法のほうも、社会調査とかでデータをそろえてということだけではなくて、実験などをしてデータをそろえる場合もあるでしょうし、もちろん統計データではありますけれども、いろんな方法でデータをそろえてそれを統計的に処理するということで的を入れたりしております。
 それから、意味解釈法なのですが、意味解釈法と人文的な方法との異同といいますか、何が違い、何が同じかということが多分1つテーマになるかなと思うのですが、結論だけいいますと、ここで実証的な方法の中にある意味解釈法は、一言でいうと価値の実証研究とでも言うのでしょうか。そういったものを意味解釈法のほうとして書き、人文的な方法というのは、価値そのものについての研究。私は少しうまい例がなかなか浮かばないんですが、意味解釈法のほうであれば、例えばある思想家がある文献の中で、自由という概念をこういう意味で使っていますというものは意味解釈法、実証研究だと思いますが、自由そのものについてどういう自由がよりいい自由なのかとか、それは科学ではないのかしれませんけれども、思想そのものかもしれませんが、そういった部分を人文的な方法として一応考えて、あえて分けております。
 それから10ページにまいりまして、成果でございますけれども、ここは審議経過の概要(その2)を基本的に受けてやや発展させたというところです。「実践的な契機」を内包した「真理の理解」というのは、基本的に前回、審議経過の概要(その2)で書いたとおりでございまして、これは人文だけではなくて社会科学も当然入るだろうと。人文のときにも既にトックヴィルの例を出しましたけれども、トックヴィルですので、社会科学ですから、そういったところ、社会科学まで含めた形で成果を位置づけられるだろうと思っています。
 11ページの(2)で、「学問の成果」と「研究の成果」と分けました。ここは、ここ3回の議論の中で出た意見をまとめてみたところでございます。研究の成果というのは、限定された課題について確実に言えることを言うと。学問の成果というのは、自分の研究を軸としつつも、他人の研究をも幅広く視野に入れ、これを総合的に位置づけ、ある種の構造を示すことのできるものを言うというふうに分けてみました。これは星野先生のときの議論でありますとか、前回の佐々木先生のときの議論でも、ここまで明確ではなかったと思うのですが、出ていた視点かなと思います。これはどちらが優れているとか優れていないとかということではなくて、あり方が違うということなのかなと。学者か研究者かという視点もありましたので、これは当然そのまま当てはまってくると思っております。例えば評価につながりますと、下にこの分け方が後でどう展開するかということを簡単に書いているのですが、評価については、学問の成果というのは、おそらく著作物により発信して評価されると。研究の成果は、学術誌への論文というところで発信されて評価されていくというところへつながっていくと。人材養成であれば学者と研究者という2つのタイプに分かれるだろうと。もちろん実際は混ざり合っているわけですけれども、類型としてこういうものを一応出してみたというところです。
 それから12ページで、評価でございますけれども、ここは特に根岸先生のときの議論を踏まえて結構書き直しております。書き直しというか、これまでとトーンは同じなのですが、書き加えてみました。1つは、多元的な評価軸の確保というのが多分、人文社会科学の場合大事だろうと。これは12ページの真ん中の線を引いているあたりなのですが、いわゆるアカデミズムからの評価はもちろんやらなければいけないのですが、それとともに理解とか対話とかいったものの相手方である社会や歴史における評価というのが人文社会科学の場合は重要になってきますので、アカデミズムの評価と歴史の評価と社会の評価というのが必ずしも評価の軸は同じではありませんので、そこの部分、多元的にならざるを得ないということを書いております。自然科学の場合であれば、基本的にアカデミズムの評価が社会の評価であるべきであって、また歴史の評価でもあるべきですが、多分、人文社会科学の場合はそれが一致しないことがかなり多いのではないかということでございます。
 (2)評価の三類型で、その3つに分けましたということでございます。歴史における評価というのは、13ページのほうにいきますが、要するに古典として位置づけられるようなものかと。そういったものに100年、200年、あるいは500年、1000年たってなっているかというレベルの評価。それから社会における評価というのは、ヒアリングの中でも出ましたけれども、いわゆる読者から支持されるとか、あるいはジャーナリズムなどの書評とか、そういった世界での評価。それからアカデミズムの評価は、研究プロセスがきちっと適切であるかとか、あるいは独創性があるかといったような専門家相互間での評価ということで、これが多分一致しない場合がかなりあるということが1つ重要な、これは認識ということだと思います。
 そして13ページで、「査読」の限界ということで、これは根岸先生からあったお話ですけれども、査読は評価軸の1つであるけれども、これに過度に依存することには、これは人文社会科学のある部分の場合ということになるのかもしれませんが、学問の発展の観点から問題があると。少し言い方が強ければこういったところは直していきます。経済学のお話をいただいたわけですけれども、要するに著作を出すという形で大きな理論を示したりするというあり方がかつて20世紀の前半ぐらいまでは一般的だったけれども、20世紀の半ば以降、学術誌への論文投稿というスタイルになった関係で、こういったところがほんとうにそれで大丈夫なのでしょうかというお話が根岸先生からあったと思います。1つ例があったのが、サミュエルソンの古典的な論文というのが有力な学術誌で掲載を拒否されていたという事実とか、あるいは今年のノーベル経済学賞のクルーグマンは、実は投稿した論文のうち6割は不採択になっているのだというアンケート結果に回答しているとか、そういったことからして、ほんとうに学術誌の査読というのだけでやって大丈夫なのかというお話があったかと思います。
 こういったお話があって、書籍だとかも、きちっとしたほうがいいのではないかというのが13ページから14ページ。
 それから15ページですが、定性的な評価の重要性というのを多分書かないといけないと思っております。これは最後、施策の方向性のところでも、この話がもう少し具体的に出てくる形で書かないといけないと思っていますが、このあたりはまだ議論が必要かなと思っております。特に評価指標、あるいは観点としてどういうものが考えられるのかということと、あるいは定性的な評価システムを担う人として「知の巨人」という言葉がこれまで何度か出ておりますが、その複数の「知の巨人」による、1人だと危ないので、複数の「知の巨人」による評価システムみたいなものがあってもいいのではないかというお話があったと思うのですが、では、この「知の巨人」というのはどういう人なのかということについての議論がもう少しあったほうがいいかなということで、ここは文章を書かずに論点ということで提示させていただいております。
 それから、時間もあれですのでどんどん進みますが、16ページで役割・機能でございます。ここは学術的な役割・機能というものと、それから社会的な役割・機能というものにまず大きく分けてみて、それぞれの中でさらに小機能といいましょうか、列挙しております。
 まず、学術的な役割・機能でございますが、前の人文のときに、理論統合というものがあったと思います。これは人文学にある程度固有な学術的な役割・機能ということで、基本的に人文学ということで16ページから17ページ、18ページの上ぐらいまで書いております。トーンは、基本的に中身は変わっておりません。
 それから18ページでございますが、社会科学の学術的な役割・機能というのを何にしようかということなのですが、これまでの経済、法、政治というところのヒアリングを通じて多分出てきたのが、「実践」の学という位置づけをするがいいのかなということで、「実践」の学というふうに一応書いてみました。中身は具体的には2つありまして、1つはオピニオンの形成に対する影響ということでございます。少し政治学とかあるいは社会学とかに寄った書き方かもしれませんが、社会科学というのが社会構造とか変動のメカニズム等について説明や理解をするというものであれば、その説明や理解というのは、単に説明しましたとか理解しましたということで終わらず、政治や経済に対する人々の見解の形成、社会におけるオピニオンの形成といったものに影響を与えるのだろうと。それによって世の中が変わったりするということで、研究者の側は意図してなかったとしても、実践的な帰結を伴うことがあると。このあたりは前回の佐々木先生の言い方をそのままとっております。例えばというところは、こういうことが例えば考えられるのではないかということで書いてみたのですが、これは適切かどうかというところはまたご意見を賜れればと思います。
 それから2つ目なのですが、社会における「最先端」の課題への対応ということでございます。これは、最先端に括弧をつけていますのは、星野先生のヒアリングのときに星野先生から、法学において、特に実定法学においてということですが、最先端の問題というのは学問の中にあるというよりは、社会のほうにあるのだと、それが最先端だというお話があったかと思います。その意味での最先端という意味で括弧をつけております。ここは、読ませていただきますと、社会科学の実践的な性格を踏まえると、「最先端」の課題は、学問内の世界のみならず、研究対象としての社会の現実の中で生起するという見方もできる。これは、自然科学においては学問内の論理から「最先端」の課題が設定されやすいのに対して、社会科学においては研究対象としての社会の現実が「最先端」の課題であるということを意味している。そういう意味で使っているということです。また、このことは、実験室で条件をコントロールできる、全部ではないですけれども、コントロール可能な自然科学の役割が、自然現象の客観的な予測の提示やこれを踏まえた自然の制御というところに最終的にあるのに対して、社会科学の役割というのは、社会現象の予測や制御ではなくて、政策の方向性の提示などの社会における選択肢の提示というところに行き着くのだろうということを意味していると。これは、社会現象の予測や制御ができるのか、できないのかという社会科学の「科学性」の問題ではなくて、社会科学の実践的な性格ゆえに生じる問題という形で、星野先生のあたりの議論とかを少し整理してみるとこんなことが言えるのではないかということでまとめております。
 それから次が、第二節で、18ページですが、社会的な役割・機能ということで、社会貢献というものと、それから「教養」の形成、それから「市民」の育成、高度な「専門人」の育成ということで4つ書いております。社会貢献については、人文にもあるということと、それから社会科学においても当然あるということで、このあたりはこれまでの議論をわりと平板にまとめただけですので、ごらんいただければと思います。
 それから、20ページの「教養」の形成ですけれども、ここは主に人文学の役割というふうに位置づけて、基本的には審議経過の概要(その2)というのと同じような形で書いています。
 それから(3)と(4)ですが、ここは前回、佐々木先生のご議論で出たものでございます。「市民」の育成については、少しまだ議論が煮詰まってないかなと思いましたので、論点という形で今回出させていただいております。市民の育成についてどのように考えるか、21ページの下ですが、これまでの審議を踏まえると、ポリシーリテラシーの育成という観点から、「市民」の育成というのはとらえられていると。国や地方の統治機構の仕組みとか、主要国の基本的な社会経済データといった知識・技能の問題として、わりと「市民」の育成というのは話になったかと思うのですが、これは1つ問題提起なのですが、いわゆる公共精神とか「社会的弱者」への配慮とか、国際協調の精神といった価値観にかかわるような問題について、「市民」の育成ということでどきように考えていくべきなのかというあたりが多分1つ議論なのだろうと思います。
 それから22ページですけれども、では、こういった育成に、大学だとか研究者が具体的にどんな役割を果たせるのだろうかと。前回、佐々木先生にお伺いすればよかったのかもしれませんが、こういった問題が多分あるだろうということ。それから、これらの問題をもし深めていくと、おそらく「社会における知」をアカデミズムの側がどのように考えるのかという問題にもつながってくるのかなと思っております。
 参考のこれまでの主な意見は、これは佐々木先生のご発表をまとめたものですけれども、特に2つ目の丸ですけれども、「市民」の政治参加ということを考えた場合、ポリシーリテラシーの涵養が必要と。具体的には、統治機構の仕組みとか、主要国の政治、経済、社会、歴史の基本情報についての基礎的な理解が必要であると。そういったところに政治学や経済学などの成果が活用できるだろうと。ただし、社会科学の場合には、「知」は学問の中のみにあるのではなくて、社会の中にあることも踏まえておくことが必要であるというお話があったかと思います。実はこの報告書にうまくこなしきれなかった部分なのですが、今、最後の部分ですけれども、佐々木先生からは、実証研究は実証研究としてやらなければいけないけれども、政治学だからなのかもしれませんが、目的そのものが変わり得るとか、あるいは価値観がいろいろ錯綜しているという中で学問をしていくということであれば、実証研究だけではなくて少し開いておくことが学問の発展にとって意味があるのではないか、別の「知」のあり方も、ここで言えば人文的な方法とかということだと思うのですが、開いておくことが必要ではないかというお話があったかと思います。
 それから22ページの高度な「専門人」の育成でございますが、ここは、高度な「専門人」を育成するという役割・機能があるけれども、それを研究面への影響というのも含めて幾つかの指摘ということで整理をしております。
 1つ目は、「実学」の意味ということですが、22ページの(1)のタイトルのすぐ下ですが、「実学」は、基礎研究の成果をインテグレートしたものであるべきであると。基礎研究のバックアップなしには、よい「実学」もないし、よい「実務」もないということで、これは星野先生、あるいは伊丹先生もよくおっしゃられていましたが、そういったあたりのご意見をまとめたところでございます。
 となりますと23ページの一番上ですが、専門職大学院なんかの研究機能というものも少ししっかり考えておく必要があるのではないかというお話でございます。
 それから(2)で、高度な「専門人」ではあるけれども、人文的な素養、教養みたいなものが必要だろうという観点があったかと思います。1つは、「まず」というところですが、価値の間のバランス感覚の涵養と。それから「次に」というところで、説得する力、説得性の確保のための、対話する力とかそういうことだと思いますが、こういったところ、人文的な素養ということだと思いますが、これらの言葉は星野先生のときの言葉を使っております。
 それから(3)ですが、総合性と「専門人」ということですけれども、こういった観点で考えると研究においても総合性を担保する必要があって、例えば法学であれば体系をつくる研究としての、例えば教科書の執筆というのが体系をつくる研究だというふうに位置づけて、自分の研究成果だけでなく他人の研究成果をうまく使いながら体系性とか総合性を確保していくと。そういう「知」のあり方もあるだろうというお話があったかと思います。ここは教育の話ではありますが、社会科学の研究の本質に触れるようなお話がかなりあったかと思っております。
 それかは24ページの振興の方向性ですが、もう長くなっていますので早く終わるようにしますが、6つ方向性を立てました。人文のときと同じものが基本ですが、1つ目は、「対話型」共同研究ということでございます。人文的方法を対話と位置づけていますので、対話という観点から共同研究というものを位置づけて、そういう意味から共同研究を進めるという施策になるのではないかということです。1つは国際共同研究でございますが、これは当然、異なる学問的背景や歴史、文化的背景を持った外国の学者との共同研究というのは、他者との対話そのものですので意味があるだろうと。
 (2)はその中で特に、前の人文のときにも書きましたけれども、日本研究というのは多分対話のときに1つ施策として意味を持ってくるだろうということが24ページから25ページでございます。
 25ページの下からは、異質な分野との「対話」ということで、異なる分野と対話するということはまさに他者との対話そのものですので、そういったものとして国際共同研究を振興する施策だとかを打つというのが1つ。何でも共同研究だからやればいいという、そういう施策ではなくて、観点を出してやるということでございます。このあたりは人文のところでも書いてありますので、同じことですので、繰り返しません。
 それから26ページから28ページの上のほうですが、ここは「政策や社会の要請にこたえる研究」の推進ということで、これは審議経過の概要(その1)のときに書いたもの、ほぼそのままです。政策や社会の要請にこたえるタイプの、例えば競争的資金だとかをきちっと組んではどうかとか、そういう話でございます。
 28ページでございますが、次は人材の養成ということです。卓越した「学者」の養成という言葉にしております。ここでは、多分1つポイントだったのが、幅広い視野を持つ、それから独創性は当然必要なのですが、幅広い視野を持つということが1つ重要なのだろうと、そういう観点で学者を養成していったらいいのではないかということだったかと思います。
 29ページの基礎訓練期間の確保の必要性とか、そういった人をきちんと評価できるような仕組みをつくっていくことが大事だろうと。このあたりは猪木先生のヒアリングでありますとか、そのほかの方も大体このトーンの中でお話をいただいたかと思っております。
 それから30ページですが、体制、基盤の整備・充実ということでございます。(1)は、これは審議経過の概要(その1)、それから(その2)でも書いたことでございますが、国公私立大学に人文社会科学の研究者は散って存在していますので、それをつなぐということ自体が体制、基盤の整備になるだろうということで、そういったもの。これは制度としても今年度、文部科学省のほうでその仕組みもつくっております。
 それから31ページですが、これは少し人文のほうに寄っての形になっておりましたけれども、実証的な研究方法を用いるそういった人文社会科学の研究に対してしっかり支援していかなければいけないということを書いてございます。ここは今日ご欠席ですが、猪口先生がご着任当初から常々おっしゃられたことだと思いますが、お金がかからないというのは誤解であって、お金のかからない研究もあるかもしれないけれども、お金のかかるものはあるわけだから、そういったものについてしっかり出していくべきと。それは特に実証的な方法を用いる場合に多分多いはずですので、そういったところについてはきちんと手当をしていくようなことを考えなければいけないということを31ページの上半分に書いてございます。
 それから、成果の発信でございますけれども、ここも対話という観点をわりと出しておりまして、人文的な意味づけをしているのですが、対話という観点から社会における読者の獲得と。読者というのは、例えば大学における教養教育だとかそういったところで培われてくるいわゆる教養層などにもあたりますので、そういった教育的な役割もしっかりやらなければいけないというお話が31ページから32ページ。それからあと、ジャーナリストだとかメディアの関係者、そういった方々の理解と協力を得ていくということが非常に大事だろうというお話があったかと思います。
 それから(3)、(4)のところですが、これは海外に向けて成果をどう出していくかということでございます。当然、海外に向けて、受け入れるだけでなくて出していくということが大事でありますので、そういったところ。それから、人文社会科学の場合は翻訳というのが非常に難しい問題としてありますので、そういったところを何か支える仕組みというのが必要ではないかというご意見がございましたので、そういったあたりが(3)。
 それから(4)は、これはもともと前のほうに研究方法の最後のところに少し書いていたのですが、こちらに移しまして、使用言語が多様であるということの一方、英語などの通用性の高い言語を使用して普遍性を確保するみたいな、そういったところについての、これは心構えみたいな話になるのかもしれませんが、そういったところを(3)とあわせてここに持ってまいりました。もしかしたら(3)と一緒にしたほうがいいのかもしれませんが、固まりとしてはこのあたりと思っております。
 それから最後、研究評価の確立、施策としての評価のほうなのですが、ここは人文のときと同じことを書いてあります。といいますのは、先ほど申し上げた二章四節の学問的特性のところの評価についてもう少しきちんとした段階でではどうするということで書かないと多分書けないと思いましたので、ここはそのままにしております。二章四節のところでやはり論点として示した、33ページの下に示したものと同じものが先ほど二章四節に書いてありますので、このあたりご議論を賜れればと思っております。
 ですから資料1のほうには、今この報告書(素案)の中にあった論点というのが抜き出されておりますので、このあたりをご議論の際の参考にしていただければと思っております。
 それからあと、これは事務局のほうからのお願いかもしれませんが、報告書の抽象度が極めて高いですので、各先生方からご専門の分野からの何か例示などを賜れれば、例えばということでかなり記述は入れたつもりなのですが、なかなかわかりにくいところもありますので、もし例示などありましたら教えていただければと思っております。
 長くなりまして恐縮です。以上でございます。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。
 今お聞きいただいたように、この委員会は昨年からもう2年ばかり続けているということでありまして、その間、人文学及び社会科学の振興についてということで真剣に討議をしてまいりました。そして、先ほども少しありましたように、来年の1月の末に我々の委員会の任期が終わるわけでございまして、それまでにまとめまして学術分科会に報告をするということでございまして、これに基づいてこれから大学及び研究機関においてどのような、これに基づいた具体的な施策といいましょうか、研究方向が出るのか。また、文科省としては、具体にこれから個々のものをどういうふうに施策として支援できるのかということが考えられていくところであろうと思うのであります。そして当初は、人文学と社会科学というものを、既に報告書としてその1、その2を出し、今また社会科学の具体的なヒアリング等をして詰めているところではございますけれども、別冊にするのではなくて、どうしてもやはり重複するところもありますものですから、1冊にまとめようということになりました。
 そうなりますと、人文学で話されたことと社会科学で話されたことが、また少し整合性が必要になってくるというようなことで、今、資料1にまとめましたような形で、この素案の中に論点という形で不足な部分がいろいろ出てまいります。今日は、論点(案)として抜き出しております、これを相対的に一つずつ、簡単でもよろしいのでコメントをいただく。そしてこれについては、具体的にこういうふうなことが考えられるのだということをそれぞれの専門の立場からご発表いただければありがたいと思っているわけでございます。時間も限られておりますので、早速この論点のほうを、今説明していただきました報告書の素案を見比べながら、論点の中でのどういう問題点があるのかということも少しご発言いただければと思っております。よろしくお願いいたします。
 まず資料1の本日の論点というところから1つずつ、少し簡単にでもお話しいただければと思っているのでございますが、まず論点1のところ、1と番号はありませんが、最初のところでありますけれども、日本の人文学及び社会科学が抱える課題がほかにないかということでございます。ここの報告素案の中にも書かれておりますように、いろいろなことを今まで審議の中でも考えられてきたわけでございますけれども、学問と社会との関係に関する課題についてでございますが、そこに留意事項なども掲げておりますけれども、まずこの問題について何かご意見をいただければと思います。いかがでしょうか。
 谷岡先生、どうぞ。

【谷岡委員】 

 専門的な分野で具体的にということでしたので、ちょっと私の分野の例をお話ししたいと思います。私は犯罪学者です。少年非行の矯正や、そういったいろいろなものを社会で実際に実験するということが、日本の社会科学では絶対できません。つまり、1,000人の処遇者、同じような犯罪を犯した者がいたとして、例えば麻薬事犯で1,000人いたとしますね。その500人はAという方法で処遇する、Bは今までのように処遇する、それはもちろん、していいと手を挙げた人の中からランダムに選ぶという方法で例えば行うといたします。そのような実験的手法は、これはあとの評価にかかわってまいりますけれども、知の巨人と言われる、この世界でほんとうに認められた人たちが何人か集まって国に大きな予算を申請して、実際に認められることがあります。でも、日本では認められることはほぼあり得ません。つまり、日本における犯罪社会学の課題というのも、早い話が輸入以外にあり得ない。自分たちは新しい知をつくり出そうというシステムになっていないということです。
 ですから、そこにおいて日本の人文学及び社会科学が抱える課題の一つとして、実験的手法が可能なのか、可能だとすればどういう人に許されるべきなのか、それはどういう基準で評価されて選択されるべきなのかといったことが将来発生するであろうということを申し上げておきたいと思います。

【伊井主査】 

 非常に難しい問題だと思います。何か、それについてめどみたいな、将来的なことは谷岡先生のほうであるのでしょうか。

【谷岡委員】 

 いやいや、もともと10年にわたっての追跡調査、パネル調査、そういったものも全部認められておりましたし、実際にトラビス・ハーシーというものすごく有名な犯罪学者は、こういうことで追跡調査で20年間、ファイブミリオンほどの金を使いたいというのを犯罪社会学全体で出しまして、犯罪学会全体でこういうものをしたいのだということを国を納得させまして、実際に実験的手法をやりました。日本だと、人権がどうのこうの、警察庁が、法務省がどうのこうの、絶対に省庁間の垣根を越えることができません。ですから垣根を越える方法論、ここで決める問題ではないと思いますが、どこかでそういったブレークスルーが欲しいなということです。

【伊井主査】 

 わかりました。これも非常に大事な、人権問題もかかわるのだろうと思いますが、ほかに学問と社会との関係に関するご専門の立場で何か課題はございませんでしょうか。

【縣科学官】 

 いいですか。

【伊井主査】 

 どうぞ。

【縣科学官】 

 この論点設定のされ方と、自分の考えをいろいろ組み合わせるのは難しいですが、例えば、今日ご説明いただいた報告書の最後で、振興の方向性のところには、例えば教育の面がほとんどないですね。つまり、私は社会科学専攻なので社会科学に関して、学問と社会の関係で言えば、社会科学の教育によって人材そのものを育成するということが非常に重要な課題だと思います。そこのところが途中には、例えば高度専門人の育成ということで出てくるわけですが、一つの大きな、よりディレクトリーが高い概念として、学問が教育を通じて人材育成をするということがあまり明確に出ていないような気が致しますが、それをどう扱われるのでしょうか。

【伊井主査】 

 確かに教育という問題は非常に重要な問題だろうと思うのですが、ほかにも、先ほどにも説明がありましたが、芸術だとか美学だとか神学なんかもどうするのかということ、人文学・社会科学となりますと、自然科学以外のものの包括をどうするのかということがあって、非常に十分にはいかないところもあるのだろうと思います。これもまた教育となると、これは別の専門委員会でもつくらない限りは、社会との接点ということで難しくなるのだろうと思いますが、何かご提案みたいなものはございますでしょうか。

【縣科学官】 

 というか、学問というのは例えば評価のところに全部かかわってくると思います。今日の整理で言うと、アカデミズムと社会と歴史の3つの軸で書かれているわけですが、高橋専門官がおっしゃいましたけれども、人文社会科学の場合にはこの3つの評価軸が違っているのだというご指摘はかなり正しいと思います。しかしそれはあるべき姿ではないと思うのです。自然科学がもし非常に近いのであれば、人文学は分かりませんが、社会科学もやはり近くあるべきで、ということは、つまり学問が教育を通じて社会的に貢献したこと、それからまたはね返ってくる学問の向上ということが同じ軸でとらえられていく。それがアカデミズム、社会、歴史と、短期、中期、そして狭い範囲、広い範囲に全部同じような影響を持っていくというイメージを持っておいたほうがいいのではないでしょうか。その意味で、学問と社会の関係については、やはり教育を通じても言及すべきでしょう。人材というのは研究者という意味ではないですね。

【伊井主査】 

 ええ。

【縣科学官】 

 教育を受けて社会にアクティブに活動する人々、そういう人々の人材育成に学問が教育を通じて貢献するということを、やはりどこかである程度明確に書くべきでしょう。

【伊井主査】 

 それは2枚目の、市民の育成ということともかかわってくるわけでございますね。どうなのでしょうか、単なる研究者の養成というだけではなくて、今おっしゃったのは、社会とのかかわりということで市民育成と言いましょうか、この前佐々木先生もおっしゃったところともかかわるのでしょうか。

【縣科学官】 

 それはもちろんそうだと思います。ですから、それは社会的役割に出ていますが、課題のところにはあまり明確に出ておりませんね。だから、それを出しておけば、後ろで述べることが生きてくるような気がいたします。

【伊井主査】 

 わかりました。
 どうぞ。

【上野委員】 

 今、ご指摘になったところは私も少し感じていました。報告書では、今おっしゃった18ページから19ページ、20ページの社会的な役割・機能のところで、市民と教養へ行く前に、教育の役割、機能、反映、還元という項目が一つ要るのだろうと思います。そのことを、課題のところにも重ねて書くことが必要なのではないかということが一点と、それから、抱える課題は他にないかというところなのですが、こういうことをどういう表現をしたらいいのかなと日ごろから感じています。
 社会科学、人文学にとって、現実的な課題にどうこたえるか、責任をとるかという観点が弱いように思います。学問の性格としてすぐに答えが出るものではなくて、長いスパンで考えていくものだという学問の根源的な性格はあるのだけれども、やはり社会的、教育的な課題は常にあるので、研究者が何かについてものを言う場合に、それに対しては部分的にでも、自分たちはどういう課題に対する提言ができるのか、責任がとれるのかという観点をもう少しリアルに持たないと、先ほどおっしゃったようなアメリカのものからはいろいろ具体的に、それに従って実験はするが、日本の現実に対してはあまりコミットしないというふうな社会科学系の現状が強いように思います。
 ですから、言葉をもう一度改めて申し上げれば、すぐに答えが出ないという人文学、社会科学の特性が根底にありつつも、個々の研究課題が現在の日本の、主として日本だと思いますが、現実の課題にどういう提言ができるのか、あるいはコミットができるのかという観点をもう少し強く持つ必要があるのではないかということを常々感じております。
 以上です。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。井上先生、どうぞ。

【井上(孝)委員】 

 今までのお二人の委員のご意見とも関連するのですが、全体を見て、やはり研究者コミュニティーの中におけるアカデミズム的な学問に対する評価とか、そういうようなところはよくできていると思うのですが、本日の論点の留意事項の中にある、要するに、学問が実感を持って社会の支持を得られるかどうかということは、まさにこれは実際に国民の税金で公的にそういう研究支援をしていこうという場合に重要な要素になってくるわけでして、そういう観点から学問の意味とか、あるいは有効性について社会に対して説明をするということが、お二人のご意見との関連ですが、少し欠けているのではないかというような感じがいたします。
 今、例えば科学研究費を中心に研究助成を行っていますが、さらにそういう必要性を説明するためには、今申し上げたようなところ、社会的な役割で政策提言の話とか、18ページからずっと書いてございますが、社会にとって非常にそういう学問が必要であるという説明とか、それから今、教育の話もございましたが、人材育成の上で人文学は幅広い教養を身につけるとか、考え方を形成するとか、あるいは社会科学が現代社会のいろいろな課題解決に大いにそれが役立っているのだとか、そういうような観点を説明するということが少し欠けている点をさらに検討を加えたらどうかというのが1点です。
 それからもう一つは、経済学にしても法学にしても、先生方のお話をお聞きしていて、やはり国民の人材育成という点で、大学教育を通じて非常に貢献しているというような点を国民に理解してもらう。そういう実感を得るような説明をしていくということがこれまた必要で、特に現在、大学への進学率が50%を超しているような状況になってきているだけに、それだけ国民の教養、文化の向上等にも役立ち、また社会的な活動に、職業生活の上で非常に大きな貢献をしているということも、今までの研究成果の上に立った教育というものが非常に役立っている点、そういうようなことも少し強調したほうが、国民とか、最終的には財政当局によく理解させる必要があると思います。
 以上です。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。確かに、学問の社会的な存在意義ということで、財政的なことも関係があるわけですけれども、特に人文学なんかの場合には考え方の形成だとか人間形成とかいうことになって、教育ともかかわりはしますけれども、すぐさま予算とかかわらないところでなかなか説明は難しいところもあるのですが、今、井上先生がおっしゃったような形で少し強調していただければ、財務省なんかも理解がしやすいかもしれません。

【谷岡委員】 

 今のに少しつけ加えてもよろしゅうございますか。

【伊井主査】 

 どうぞ。

【谷岡委員】 

 井上先生の、大変すばらしい意見をありがとうございました。ただ、そこにつけ加えたいのは、実はそこにおいて、社会に説明するとき、こういう役割があったよというときに、幾らかかってどれだけという費用対効果は実はだれも人文社会科学ではあまり比較考慮していない。この間も数千人の警官を動員して振り込め詐欺に対する啓蒙活動を行いましたが、結局救うことができたのは60万円分でございます。でも、その数千人の警官を動員することで一体幾らのお金がかかったのか、それが見合うだけの効果があるのか、そういったものを、つまり社会に説明するときに、やはりそういう費用的な面は避けて通れない面だと、私は少し言っておきたいと思います。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。なかなかそこらは難しいので、人文学のことになりますと、長い歴史の中で膨大な費用がかかっているのでしょうが、それによって効果があったのかと言われるとなかなか難しいところであります。
 中西先生はお出になるので、何か前もって。

【中西委員】 

 今までいろいろな方のお話を伺ってきまして、変体仮名のことを話された中野先生でしょうか、変体仮名をなぜ学校で教えないのか、たかだか100年前、200年前の人の書いたものが理解できなくなっている。日本のことがきちんとわからずして国際人と言えるだろうかということが非常に印象に残っております。
 その観点から、第四章の人文学及び社会科学の振興の方向性というところを見ていくと、対話型共同研究の精神も大事だと思いますが、その次はすぐ、国際共同研究となっています。対話としての日本研究もいろいろ書いてございますが、まず歴史的に見て日本はどういうふうにものを考えてきたのかということを知ることが大切だと思います。過去にあったこととの共通点を見出し、そこから将来を見通せるかもしれないとも思います。そこで日本のこと自身を知るような研究というのはどこに入るのかなと考えたのですがあまり見あたらないのではないかと思われます。日本の過去を知る、つまり日本自身のことを知る、社会学的にも人文学的にも、これらを知るというところがあってもいいのではないかなということが気がついた点でございます。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。確かにおっしゃったように、日本のたかだか100年少し前までは一般に使っていたような文字が今はほんとうに読めなくなっているというようなことでありますが、それを含めて、日本の文献というものをどういうふうに理解し、それを社会に生かしていくのか。それがまた国際的な共同研究なり、日本から日本の研究そのものも発信するし、また海外のものを取り込んでいくというような視点を入れなくてはいけないのだと思いますが、一つは、2つ目の論点でもあるのでありますが、人文学はそういう、広い対話というふうなもの、これが歴史的、時間的な、あるいはさまざまな精神的なもの、美的な言語表現も含めまして、対話ということをテーマにしたわけでありますが、社会科学においてはこれをどういう位置づけにすればいいのかということでございます。このあたり、何かございますでしょうか。

【中西委員】 

 すみません、言いたかったことは、振興の方向性ということです。これからどこの分野をどういうふうに振興させていこうということは大体筋道ができていると思うのですが、そこでなぜ、まず国際共同研究となるのか、その前にもう少し日本自身を知るようなことを書かなくてもいいのかなと思いました。

【伊井主査】 

 これは中野先生が、海外にも随分日本の文献があるということをおっしゃったわけでありますが、日本を知るということを、背景についておっしゃったことだと思いますけれども、これもぜひどこかに加えていくということだと思います。ありがとうございます。
 何か、これ以外のところでもよろしいので、家先生。

【家委員】 

 今の振興の方向性ということにも関係するのですが、振興の方向性を考える場合に、一つは研究費を予算的につけるという方向と、もちろんそれも大事ですけれども、一つは、その分野を志した人たちがきちんととそれで食っていける、それで人生設計がきちんとできるという方向があると思うんですね。
 例えば、先ほどの学問と社会との関係のところで、この報告書の18ページから19ページあたりに、例えば人文社会学を修めた人が専門家と市民との間のコミュニケーションの役割、コーディネーターとかメディエーターとか、そういう役割を果たせるのはそれなりに重要な視点ではないかと思っているのですが、例えば今、いろいろなところで自治体が公聴会とかをやりますが、あまり冷静な議論にならないような印象を持っています。それは例えば、主催者側が勝手に説明会をやりましたよというだけで終わっていたり、あるいは逆に市民のほうがかなり感情的になったり、そういうところを双方から、中立的な立場で一目置かれるような見識のある人たちの人材交流みたいなのができて、そういう場合にうまく冷静な議論がリードできるような制度がないかなというのを漠然と考えたりもするのです。そういうところに、人文社会学を修めた方々の、それが職業になるかどうかはわかりませんが、活躍の場があってもいいかなという気が、思いつきでございますけれども。

【伊井主査】 

 それは研究者と一般の方との仲介的な存在ということでしょうか。

【家委員】 

 そうですね。例えば今はいろいろな科学技術の、原発どうこうとか環境問題とか、遺伝子組みかえ食品がどうこうとか、何となくマスコミのかなりセンセーショナルな議論に踊らされているようなところがあって、そういうところを一歩引いて、俯瞰的に学問的に議論をリードすることができるような人たちがいてほしいなというのが私の意見です。

【伊井主査】 

 専門性を高めた方が間に入って、冷静にいろいろな物事の推移を見きわめてというやり方の。

【家委員】 

 やり方のマナーとか、そういうものをきちんと冷静にやれる人が……。

【伊井主査】 

 それは、ひいては市民といいましょうか、シビックエデュケーションというのはこの前も出ましたけれども、そういうことにもつながっていくということだろうと思います。
 どうぞ、論点は今、あちこちに……、縣先生どうぞ。

【縣科学官】 

 今、主査は2番目の特性のことをおっしゃっていますか。

【伊井主査】 

 ええ、そうです。

【縣科学官】 

 このところを見ますと、私の言葉の理解ですと、説明と理解ということになると、過去と現在について議論する感じが致しますが、そういう意味でしょうか。わりと将来的にどういうことがあるべきかとか、今日ご説明いただいた中に、選択肢を提示するという言葉がどこかにあったかと思いますが、そうした形で、将来志向でいろいろなことを述べていく、提言していくという機能も非常に重要だと思います。それがこの説明と理解に入っているかどうかというところで、どういう言葉を使っていいかわかりませんが、将来志向性というものを特性に入れていただく必要があるのではないかなという気がいたします。

【伊井主査】 

 それは一つは確かにおっしゃるとおりで、評価という問題ともかかわってくるのではないかと思うのですが、そこらはどうでしょうか。評価という問題で、その先へ行くという……。

【縣科学官】 

 過去と現在についての評価ということですから、それはそういう意味でフィードバックをして次のフェーズに行くということだと思いますけれども。

【伊井主査】 

 振り返りながら評価をして、その次へ進めていけば将来の展望にもなっていくんではなかろうかと思いますけれども。

【縣科学官】 

 そのニュアンスが入っていたほうが。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。ぜひそれは入れていきたいと思います。
 どうぞ。

【谷岡委員】 

 今の縣科学官と全く同じ意見なのですが、それは18ページに書かれておりますけれども、少し読んでみますと、「社会科学の社会的役割は、社会現象の予測や制御ではなく、政策の方向性の提示などの社会における選択肢の提示にあるということを意味している。これは、社会現象の予測や制御ができるのか、できないのかといった社会科学の『科学性』の問題ではなく」云々というふうに言われています。
 ただ、私はどうもこの文章が頭の中でつながらないのですね。早い話が、私は社会現象の予測や制御も行うのが社会科学だと実は思っております。例えば、通貨供給をどうすれば失業率がどうだこうだというような経済学の観点は、それは社会を制御しようとしていますし、予測に基づいて動いているわけですし、そういう意味において、この文章に関してはもう少し精査なさったほうがいいかなと考えております。

【伊井主査】 

 一つは、なかなかこれは言いづらいところもあるのでありますけれども、政治体制が絶対性というふうなものになってしまうと、それで経済も市民教育もなされてしまいますと、それが絶対的な価値を持ってしまう。それは、我々としてはやはり、前提としては自由で、どんなに発言をしても処罰されない社会というものを前提にしておりますものですから。

【谷岡委員】 

 それはわかるのですが、評価の問題ともかかわるのですが、我々は常にプラスの評価だけを考えておりますね。でもその評価というものは、学者としてはやっぱりマイナスの評価もあってしかるべきだと思います。
 そこにおいて、例えば私も実は参議院でつばきを飛ばして議論をしたことがあるんですが、ある弁護士さんは、サッカーくじをスタートしたらすべての小学校、中学校で賭博行為、のみ行為が始まるだろうと。私は、そんなことは絶対にない、学者の矜持、プライドにかけて断言できると。相手と私で水かけ論になったわけですが、結局どの小学校でも中学校でも、1回も何も起こっておりません。でも少なくとも国の公聴会や重要なところで、自分の学問の信じるところできちんと述べた意見に関しては、やっぱり後のマイナスの評価も含めてなされるべきであろうというのが正直なところですが、単なる余談です。すみません。

【伊井主査】 

 そういうふうに、論点がなかなか、政治でも経済でも難しい、判断ができにくいところがあるので、一方的に制御もできないところもあるのだろうと思ってこういう書き方をしているのでございますが、それはもう少しわかりやすくしていきたいと思います。ありがとうございます。
 ほかに何か、社会科学の特性というふうなことでキーワード的なものを入れることができればと思ったりもしたのですが、よろしいでしょうか。どうぞ。

【谷岡委員】 

 9ページのところで実証的な方法として、意味解釈法、数理的演繹法、統計的帰納法の3つが述べられています。ただ、この意味解釈法というのは、私の頭の中では実証的な方法ではないと考えています。
 というのは、実証的な方法というのは、それに対して反証が可能でなければならない。先ほど縣科学官が言われましたように、自然科学との類似性というものを大切にするのであれば、実証的な学問というときには、やはり反証が可能で否定し得るというのが大前提になると私は思います。これは単なる私の意見ですから、ここから意味解釈法を省けと主張しているのではないですが、こういう言葉の意味一つにしてもいろいろな皆さんの考え方がありますので、気をつけられたほうがいいなと考えております。

【伊井主査】 

 学問の立場によっていろいろな解釈が可能であると思いますが、藤崎先生、お手が挙がっていて、どうぞ。

【藤崎委員】 

 2番目の論点のところで、社会科学の特性をどのように位置づけるかということなのですが、この赤字で書いてあるところで構造、変動、制度、規範というキーワードが挙げられています。それが第3番目の論点につながっていて、社会科学の各分野ごとにそれぞれ主たる研究対象がこのように対応するのではないかという整理の仕方かなと思うのですが、私としては、3番目の対応は少し無理があるという気がします。構造、変動、制度、規範に関しては、どの社会科学の分野でも研究の対象にしますが、ただ、それぞれのキーワードに対するスタンスとか重点の置き方の違いであって、一つ一つこのように対応させるのは少し整理としては強引なのではないかと思います。
 それから2番目の論点で、赤字で書いてあるところをさらに修正するとしたらどういうことが考えられるのかを考えておりまして、あまりいいアイデアはないのですが、人文学が、他者との対話ということと対話を通した共通の認識枠組みの確立とされていて、比較的平易な説明になっているのに対して、社会科学の説明は、少し表現のトーンが違うような気がします。ですから、人文学の表現の仕方とのレベルをそろえるというか、そういう発想からすると、「人と社会とのかかわり、そのメカニズムの理解と説明」というような、わりと漠然としたといいますか、抽象的な表現のほうが、とりあえずは対応させやすいのではないかと思いました。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。1つ社会との理解といいますか、それのメカニズムを解明していくといいますか、そういう位置づけにしようということで、ありがとうございます。
 ちょうどそれが論点3番目ともかかわってまいるのでありますが、今までいろいろ議論が出た中で、こういうふうな社会構造、社会変動、社会制度、社会規範というようなことで括弧にくくったようなことが論点にもなったかと思うのですが、こういうくくりでいいのかどうかということもございますけども、これはいかがでしょうか。藤崎先生は、このあたり、論点とどういうふうにかかわっていけばよろしいでしょうか。

【藤崎委員】 

 すべての社会科学は、この4つのキーワードのすべてを研究対象としているのではないかというふうに思います。ただ、どこにより中心的な焦点を当てるかとか、構造とか変動といいましても、ものすごく大きな概念ですので、それをどのようなスタンスから見るのかというところの違いであって、1個1個が対応しているということではないように思います。

【伊井主査】 

 これは総合されたものとして考えなくてはいけないだろうと思いますけれども、何かほかに。

【縣科学官】 

 それは、何とか学と社会構造という対応にしないほうがいいというお話ですよね。

【伊井主査】 

 全部すべてメカニズムとしてひっくるめて考えるということですよね。
 岩崎先生、どうぞ。

【岩崎委員】

 次の論点とも絡むのですが、意味はこれだけしか書いてないし、その前に、高橋専門官を中心として非常に労作であることは事実なので、あまり批判的には言いにくいのですが、それでもめくって2ページの論点の「『社会』をどのように定義するか」というところなのですけど、存在するものとしての「自然」、これはいいとして、つくられたものとしての「社会」というのは、果たしていいかなというふうに私は思います。
 というのは、社会というのは要するに人間が2人でも集まれば社会といえば言えるわけで、人間の集まった状態が社会の基本だと思います。その人間と人間との何らかの関係が出てきますので、それをもって社会といえると思いますが、そうすると、それはつくられたものと言えるのか、やはり存在するものと言えるのか、この辺、難しい。
 つまり、人間というものは、言うならば、集団でしか生きられないとも言えるわけなので、むしろそういう存在するものとしての社会をいかに維持していくかというか、その社会の秩序を、すなわちそれは構成する人間の生命を含めた存在をどう維持していくかという中で、例えば法律もあるし、取引としての、結局経済学、経営学、そういう側面があるし、いろいろあると思います。哲学的なこともあると思います。
 だから、そういうように考えると、社会というのは、この辺は私の意見でしかないんですけども、存在するわけで、それをどういうふうに維持するかで、維持するという意味は秩序なのですが、としてどういう仕組みかでいろいろ社会的な学問があり得るんだろうと。
 ですから、そういう意味では、1つ前のページの、先ほどお話あったように、構造、変動、制度、規範というのと各学問を結びつけるのは、少し難しい面があるかなと思います。
 そういう意味では、谷岡先生がおっしゃるように、歴史的に言えば、かなり実験はなされているのです。研究という意味での実験ではないのですが、例えば資本主義なり、社会主義なり、共産主義なりという中で、その社会を維持するための事例がたくさんあるわけだと思います。ただ、どの程度がそれが正確にわかるかということが問題なのですが、そういうことの解釈という意味では、やはりそういう意味での解釈において、自然科学とは制度が違うと思いますけれども、こういう施策をとればこういうふうになるだろうというある程度の予測はかなりできるのではないかと。そういうところがまた論点になっているのだろうと思いますので、これは人文学とはかなり違う側面なのかなと思っています。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。かなり自然科学と対比的に書いたところがあるものでありますから、人文学及び社会科学というのは人間がつくっていくものである。つくっていくというのも語弊があるのかもしれないが、複数の人間がいれば、おのずからでき上がっていく社会というのが存在するのだろうと思いますけれども、そういう意味で、人文学の場合は他者との対話という言葉が今まで出てきて、ずっと話されてきたところだったと思います。何かほかにございますでしょうか。どうぞ、井上先生。

【伊井主査】 

 ぜひお願いいたします。

【井上(孝)委員】 

 気になっているので発言させていただきます。
 評価については、やはり研究計画を立て、それを実際に研究を推進し、そしてそれを評価して、さらにその評価を受けて、研究者が研究をさらに進めるための改善をしていくとか、あるいは研究者がそれによって新しい指摘を受けて、研究者の視点が広くなる、高度化するとか、そういう評価が好ましい評価ではないかと私は思っているわけでございます。
 そういう意味で、ここの33ページの(3)定性的評価で、「新規制」、「独創性」、「国際的通用性」、「検証可能性」等々の具体的な指標を検証していく必要があると書いてございまして、確かに科研費の審査等で、こういう観点で審査をしているということはよくわかりますが、さらにこういう評価の確立に向けては、人文社会科学においては、各分野ごとに、より精緻な調査とか、あるいは議論をさらに深めて、評価の要素とか指標等を考えていく必要があるので、果たしてこれで十分なのかどうかという点については、コンセンサスを人文社会科学の研究者の皆さんが得られればいいのですが、もう少し時間をかけて取り組む必要があるのではないかなと、このように思います。
 評価については、今までいろいろ議論は、この委員会で展開されておりますけど、なかなか評価というのについては、人それぞれによってかなりご意見も違いますし、そういう点のコンセンサスをさらに得るために議論を進めていただくということが必要ではないかと考えております。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。どうぞ、谷岡先生。

【谷岡委員】 

 井上委員の意見に全く賛成でございます。ただ、ここで忘れてはいけないのは、我々は人文学及び社会科学の振興についてという席で議論しているのですが、そこにおいて最先端の研究や人間を育てるという評価と、もう1つ、一般に幅広く、先ほど縣科学官、上野さんがおっしゃったような、一般の人々にどう広めていくかという育成の評価というのもまたあると思います。
 ですから、そこにおいて、エリートをエリートにして、知識人にして、専門官にしてという評価は簡単にできますが、地域的なグッドプラクティスに見られるように、地域のおじいちゃん、おばあちゃんに、よりそういう知識を広めていったり、小学生に広めていったり、そういった評価というのはほとんどできない形をとりますね、そういった「新規制」、「継続性」、「独創性」云々なんていう評価ですと。ですから、いろんな評価軸が、これからもまだ議論を進める必要があると思います。

【伊井主査】 

 それはぜひそうだと。どうぞ、縣先生。

【縣科学官】 

 谷岡学長がおっしゃられている方向で、私も同じ気持ちです。
 今日お書きいただいている原案でいえば、先ほどに戻りますけども、私の感覚では、近年、アカデミズムによる評価というのが自己完結的になっていて、方法論だけを追求していくような傾向があって、現実的にどういう意味を持っているかということに対する評価が、だんだん薄くなっていく。それによって、学問と現実の乖離というのが生じている社会科学特定分野があるように思います。ですから、そこのところが非常に、それがもっと先鋭になると、ますます学問と現実が乖離する可能性がある。
 ですので、先ほど申し上げたように、アカデミズムと、社会と、歴史の評価というものの軸というのが、必ずしも別でなくてもいい。むしろ、同じようにあるべきでないかと。それをどうしたらいいかとおっしゃられると、私はわかりませんが、方向としてはそういうことが必要なのではないかなと。

【伊井主査】 

 確かにおっしゃるとおりで、評価という問題はなかなか難しい。ただ、実際には予算という関係がすると、新聞に載ったとかいろんな評価されたところが、いかにも評価があるように見えてしまう、外面的、あるいは数字が出てくるとかいうことになりますと、確かにほんとうに学問というものがどういうものであるのかということが乖離していくことが確かにあるのだろうと思います。
 もう1つ、この委員会でもたびたび知の巨人というのも盛んに出ました。その知の巨人がどういうふうに評価をするのか、知の巨人とは何なのかということも、実際はいろんな方がご発言していただいたのですが、実際にイメージがなかなかわかないのですが、これはいかがでしょうか。どうぞ、岩崎先生。

【岩崎委員】 

 言葉は非常に、知の巨人というのはすばらしいし、そういう方はそういう方で、どなたか知りませんけど、いるのだと思うのですが、日本の場合、やはり狭いと思います、各やっていることの。
 今、縣科学官がおっしゃったのと全く大賛成なのですけど、その狭いところで、縦の社会がまだまだ非常に強いと思います。そのトップが、どういうチャンスか知の巨人と言われるというか、有名人になれば、それはもちろん学問的成果はあるのだと思いますけれども、その方がほかの大学なりほかのというのは、なかなか実際に公平にできるかというと、さっき狭いと申しましたのは、要するに自分のやっていることの学問全体、あるいは社会に対する意味のようなものというのはあんまり考えていないと思います。
 ですから、私は、それを仕掛けるのは、若い人がそういうタコつぼの中で育ってしまうことをある程度防がなくてはいけないと。非常に古い議論になってしまうのですが。
 そういう意味では、確かPDでしたっけ、PDは他大学に行かなきゃいけないとか、ああいうのは非常に私はいいことだと思っているんです。もっと言うならば、若いPDの人たちが、5年なり何なり、いろんな文化、いろんな人たちが集まる中での研究ができるような、もちろんトップの人たちも、ある年月で行けるような交流がもっと盛んになれるような場が欲しいなということは思うのですが、少なくとも、そういう横への流動性ということを非常に高める施策が必要なのではないでしょうか。同時に、これは訴えるしかないのですが、対社会に対する、自分がやっておられることの意味です。
 ですから、私は知の巨人による評価、それは信頼するしかなくていいのですが、それだけだと少し心配で、若い人の評価というのも何か補完的に入れる、若手の評価というのですか、という観点も必要なのかなと思います。
 それからもう1つ、言い忘れたのですけど、学会です。学会というものをどう考えるかということを、もう少し人文社会系では真剣に考えるべきだろうと。日本における統一的な学会があまりないような分野すらあるのが非常に問題で、そこのところ、それから学会に対して何か役割を担ってもらうとか、そういう観点が、タコつぼなり縦割りをなくす1つの方向ではないかと思っております。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。知の巨人というのも、多分細分化という問題とかかわって出てきた問題だと思うのですが、学会の役割というのも、学会も乱立しているとか、非常に細分化された学会があって、これがまさにタコつぼみたいになっているというようなことも、今まで出てきたわけでございます。あまり時間もないのですが、市民とのかかわり……、藤崎先生、どうぞ。

【藤崎委員】 

 知の巨人ということについてなのですが、この会で何度かこの言葉を聞いておりまして、何となくずっと違和感を感じておりました。
 この知の巨人ということが言われるようになった経緯を考えてみると、自然科学の場合は、評価を定量的な指標ですることが可能であるのに対して、人文学、社会科学は、ある程度定量化できるところもありますけれど、なかなかすべてを定量化して評価をすることが難しくて、必ず定性的な評価をしなければならないし、またその部分が非常に大きいのではないかというところで知の巨人ということが出てきたと思います。知の巨人と表現すると、これは評価をする側の「人」のことを意味してしまいますが、もともとを考えると、評価の「対象」のことを問題にしていたはずだと思います。  ですから、定性的なところというか、定量的な手法によっては、すべてが評価し切れないということをむしろ強調していただいて、それをどうするのかということを強調していただきたいと思います。ここに知の巨人ということだけ持ってくると、この四角の中にもありますように、今度は知の巨人を選ぶために定量的な手法を使って、そういう人を選ばなきゃいけないっていうことになり、切りがない話だと思います。
 ですから、もともとは「対象」の側の問題である、問題というか評価すべき定性的な部分があるということのほうを重く表現していただければと思います。

【伊井主査】 

 わかりました。少し誤解ができそうなので、あなたは知の巨人ですよというレッテルを張るわけにもいかないわけで、お墨つきではないわけでありまして、幅広く視野のもとで判断できるということの背景の中で出てきた言葉だろうと思います。
 もう1つ、市民の育成といいますか、これも口幅ったいところではあるのですが、どういうふうに教育といいましょうか、かかわってまいりますけども、研究成果を一般に広げていくかというようなことともかかわって前回も出てきたところでありますが、この問題について、家先生は前の問題、はい、どうぞ。

【家委員】 

 すいません。評価に関して、短く2点だけ。
 この委員会で何人かの方々から、自然科学は定量的評価ができるという趣旨の発言があったのですけど、そんなことはないということは断言しておきます。
 それともう1つは、ここにある研究の評価。つまり、研究成果とか研究計画の評価と、研究者の評価ということを峻別して考える必要があると思います。

【伊井主査】 

 非常に意味の深いお話だと思いますが、市民とのこれで、何か。全体を通してでもよろしいのですが、何か、飯吉先生、ございますでしょうか。

【飯吉委員】 

 先ほどから評価のこと、大分自然科学と違うんだと。ほんとうなのかなという気がしているのですが。要するに最近は自然科学もかなり性格が変わってきておりますよね。それから主体的な問題も出てきているし、よく考えてみたら、共通するところがあるのではないかと。
 1つお聞きしたいのは、この知の巨人、例えば1人どなたか、どういう方をイメージして、名前を言っていただくと大変ありがたいのですが。歴史でいいのですけど、どういう人たちを人文社会科学の知の巨人だと思ってらっしゃるのか。

【伊井主査】 

 それは、今までいろいろ議論がなされておりましたが、いかがでしょう。具体的に名前が出てきたのは、評論家的な、政治学なんか丸山眞男さんなんか出てまいりましたけども、社会学の中で、そういう方が……。

【飯吉委員】 

 例えば、何もノーベル賞をとったのがあれだとは思わないですけども、ある今の自然科学でノーベル賞とるというのは非常に狭い分野でのあれですから、その人たちは非常に教養があるところとまた別の話だと思うのですが。今のここの表現の中に、例えば経済でいえばクルーグマンがノーベル賞をとった。彼の論文がほとんどリジェクトされるとか、そういうようなことがもし事実だとすると、ここで対話が大事だとおっしゃっているわけですから、対話を通して何がより評価の基準になるのかというようなこととか普遍性の問題ですね。それから、自然科学に、最近は複雑性の問題とかコンピューターとか、いろいろ取り込んで研究してらっしゃる方が多いですよね。そういうようなところでは、案外自然科学者と一緒にやれるような研究テーマというのがあるのではないかと思います。そういうのを通していかないと、なかなか共通の価値基準というか、評価基準が出てこないのではないかなという気がちょっとしているのですが。

【伊井主査】 

 今回のノーベル賞でも、三十数年前の成果が、基礎的な学問が今評価されたというところもあるわけで、すぐに評価というのは、なかなか出にくいところだろうと思います。とりわけ、自然科学もそうでしょうけども、人文学はなおさらのことでありまして、我々の分野でも本居宣長なんて、今はほんとうに評価の高い人物でありますけども、当時からそうだったかというわけではないでしょうけども、時代によってまた再評価されるとか、これがまさにリジェクトされたりすることもいっぱいあるわけでありまして、人文学は過去のものも取り上げなくてはいけないこともあるわけだろうと思います。
 何かほかに。どうぞ、縣先生。

【縣科学官】 

 市民の育成ですが、ポリシーリテラシーという言葉は、確立して定着するのであれば、これがキーワードではないかと、私は思います。
 つまり、ここに赤字で書いてあるような公共精神等々ということは、社会規範というところで従来はあまり現実と関係ない、ここに挙がっているような、関係ないというのは失礼ですが、関連性が薄くて、むしろ理論性、抽象性が高いという、法哲学とか社会性哲学という学問が扱っていたように思われるわけですけども、実はそうではなくて、ポリシーを介することによって、即座に現実性を帯びるわけです。
 ですから、この意味で、具体的には学部教育や専門職大学院教育を通じて、こうした側面が現実に市民に伝達されていくということが十分可能だと思います。そして、社会における地位を、どう逆にアカデミズムが受け取るかということも、学部教育においてそういう実践性のあるものを出していく、それから専門職大学院において、そうした実務家を教員として、あるいは研究者として受け入れていくということがこれから進んでいけば、かなり2つのメカニズムでここに書かれていることは実現されるのではないかと私は思います。
 私、実は専門職大学院でも教鞭をとっているのですけれども、自分の経験からいうと、そこに非常に可能性があると思います。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。ほかに。どうぞ、井上先生。

【井上(孝)委員】 

 市民の育成ですが、これは要するに、幼稚園から社会人まで、生涯にわたって市民育成というのは絶えず各段階で行われているわけで、特に今回の教育基本法の改正でも教育の目的は人格の完成と国家社会の形成者の育成ということになっていますので、要は人文学なり社会科学の成果というのは、単に研究するだけじゃなくて、それを学者として体系的に教科書をつくること、これが学者であって、教科書ができないのは研究者にすぎないというようなことを星野先生がおっしゃっています。そして、そういう教科書により、義務教育段階で、公民としての育成は一応は社会に出た場合でも公民として十分知識というものが身につくような教育内容にはなっているのです。
 ここで言っているような学部とか専門職大学院で教えるというのは、さらに社会人としての高度なモラルとか、そういうものを高めるとか、そういうことは確かに必要だと思うのですが、職業について不祥事が非常に多いとか、そういうことからモラルを高めるための教育をやるというのは確かにそうだと思うのですけど、市民の育成というのは、小中高等学校ぐらいのところで、一応社会に出ても市民としては十分機能する。したがって、最近は選挙権は20歳からではなくて18歳にしたらどうかという議論は、学校教育の成果というのを評価した上だと思います。
 そういう点は、基礎的な教育は十分研究成果を生かした学校教育において行われているということを前提にしていないと、これだけ見ると違和感を感じるので、一言申し上げました。

【伊井主査】 

 ありがとうございました。どうぞ。

【谷岡委員】 

 すいません。ポリシーリテラシーという言葉、まだ狭いように思います。ですから、人文社会科学でほんとうに人々の啓蒙を目指すのであれば、うそほんとうリテラシー、これは用語は悪いですが、私個人としては、いつも本質リテラシーと。本質を見きわめる目のリテラシーというふうに自分では名づけていますけども、そんな、もうちょっと知的な、ポリシーに限定しない言葉をぜひお考えいただきたいなと思います。

【伊井主査】 

 わかりました。ほかに何か。どうぞ、飯吉先生。

【飯吉委員】 

 先ほどの付け足しなのですが、実は私どもの大学で、今、持続可能な社会づくりとのを、要するにESDと国連で1つのプログラムになっておりますけど。21世紀は持続性可能な社会をどうやってつくっていくか、それをどうやって教育していくかということをテーマにして、全学部を挙げてやっているところがあります。そうなると、環境の問題が入るし、人権の問題が入るし、経済の問題、すべて入ってきます。
 ですから、人文も自然科学も一緒になって研究できるテーマを、ひとつぜひ取り上げて、一緒になって解決、難しい問題、複雑な問題ですけど、共同作業をして自然科学と人文社会科学の間を埋めていかないと、いつまでたっても持続可能な社会は実現しないのではないかと、そんなふうに思っていますので、参考になればと思っています。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。まさにそこに融合することよって、また新しい学問だとか、新しい研究分野が生まれていくし、研究者も発生していくのだろうと思いますけども、このように取り出してみると、またいろいろ問題が錯綜として、絶えず議論が循環をしていくところに、人文学、社会科学の特性があるのだなとつくづく思うのでございますけれども、幾度も話し合いながら、また先へ進んでくか後に戻っていくということでございます。
 どうも申しわけございません。1つ取り上げても、これが2時間あっても足りないのではないかと思うのでございますけども、時間が過ぎてまいりましたので、本日の議論を踏まえながら修正して、また次回、次々回とまとめていく方向で、すべて人文学、社会科学というものが、ここで全部きっちりと完成できるというものではないので、あくまでもこれはある時点での今年における報告書というふうにご理解賜ればと思っているところでございます。何とか1つのまとめという報告書にしていく方向で目指したいと思っております。
 それでは、本日の会議はこのあたりで終わらせていただきたいと思います。次回の予定等につきまして、事務局からご説明をお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】 

 次回の予定でございますけれど、資料4のとおりでございます。12月19日、大変恐縮ですが、1週間後でございます。隣のビルの金融庁の共用第2特別会議室12階ということでございます。
 また、その次は1月16日金曜日、15時から17時ということで、同じく金融庁のビルのほうで開催をさせていただきたいと思います。
 最後は、多分、16回、17回のあたりで報告書がまとまっていくことになると思いますので、ぜひよろしくお願い申し上げます。

【伊井主査】 

 どうもありがとうございました。本日のこの会議は、これで終了といたします。どうもほんとうにありがとうございました。またよろしくお願いいたします。

―― 了 ――
 

 

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