学術研究推進部会 人文学及び社会科学の振興に関する委員会(懇談会) 議事録

1.日時

平成20年12月19日(金曜日)15時~17時

2.場所

金融庁共用第2特別会議室

3.出席者

委員

伊井主査、立本主査代理、上野委員、家委員、伊丹委員、今田委員、岩崎委員

(科学官)
縣科学官

文部科学省

門岡学術企画室長、高橋人文社会専門官

4.議事録

【伊井主査】

 ただいまから、科学技術・学術審議会学術分科会学術研究推進部会の人文学及び社会科学の振興に関する委員会を開催いたします。
 それでは、まず配布資料の確認をお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】

 配布資料につきましては、お手元の配布一覧のとおりでございます。欠落などございましたら、お知らせいただければと思います。また、いつものようにドッチファイルを置かせていただいておりますので、よろしくお願いいたします。

【伊井主査】

 ありがとうございます。
 それでは、本日、ほぼめどをつけたいと思っておりますが、毎回、同じことを最初に申し上げているわけでありますけれども、確認のためでございます。
 この委員会では、3つの大きなテーマといいますか、審議事項が与えられております。1つ目は人文学及び社会科学の学問的特性について、2つ目が人文学及び社会科学の社会との関係について、3つ目が学問的特性と社会との関係を踏まえた人文学及び社会科学の振興方策について審議することが求められているということでございます。第4期の科学技術・学術審議会の任期は来年1月末となっておりますので、これらの審議事項につきまして、これまでの審議を踏まえて、この委員会での報告書を取りまとめたいと思っているところです。
 これまでの審議の経過につきまして、何度か繰り返しておりますけれども、申し上げておきます。
 まず人文学につきましては、今年の8月に「審議経過の概要(その2)」で、整理をいたしました。そこでは、人文学の学問的特性や成果の特性、振興方策の方向性につきまして、まとめることができたと思っているわけであります。
 社会科学につきましては、10月以降、昨年の8月にまとめました「審議経過の概要(その1)」を踏まえまして、改めて審議を進めてまいっているところでございます。まず10月29日の委員会では、経済理論、経済学史の根岸隆先生から、専門知に基づく学術専門誌のレェフリー制度が、ノーマル・サイエンスのもとにある研究成果には対応できてもパラダイムシフトをもたらすような成果には必ずしも対応できないんだというご指摘もございました。また、その際に、有名な方でございますが、森嶋通夫先生が自説の体系や俯瞰的な知を示すために書籍による成果発信を重要視されていた事例などもお示しなさいました。学術誌と書籍のそれぞれの利点を述べていただいたものと思っているわけです。これは、また評価という問題ともかかわってくることだろうと思っております。
 その後、11月14日の委員会では、民法学の星野英一先生にお越しいただきまして、実定法学は、法哲学や法史学、法社会学などの基礎法学の成果を取り入れていくことで、より深く多様な視点から法を見ることができ、より強い説得力を持った法解釈が可能になるということ、そして、そのことがよりよい実務につながっていくんだというご説明でありました。そして、法学は個別の事例についての説明だけではなく、規範というものを定立する学問でありまして、他人の研究成果を用いながら体系を構築していく学問であることをお示しいただいたわけであります。また、法学は、規範を定立するという「価値」を扱う学問的特性ゆえに、狭義の「科学(サイエンス)」ではなく、もっと広い意味での「学」といいましょうか、シアンスであるということを述べられたと思います。
 このほかにも、星野先生からは、教育の問題になってまいりますけれども、法学には、バランスのとれた実務家の養成という役割がある、特に体系を示した教科書の執筆が重要であると、教育のための研究の重要性をお示しいただいたところでありました。
 そして、直近の12月8日の委員会では、佐々木分科会長にお越しいただきまして、政治学を例としまして、かなり体系的なお話をいただいたところでありました。社会科学の研究成果は、事実の「説明」とその意味づけとしましての「理解」を幅広く内包するものであるとのご指摘をいただいたわけでありました。そして、その研究成果がたとえ事実の「説明」にとどまるものであったとしましても、人々の考え方や社会の見解の形成について一定の影響を与えるものであり、これらは主にジャーナリズムを媒介として取捨選択されるということでありました。
 また、政治学には、ポリシー・リテラシーの涵養という観点から、「市民の育成」という役割・機能があることや、法曹やジャーナリストなどの「高度専門人」の育成という役割・機能があるということもお示しなさいました。特に人文・社会科学が対象とする領域は、問題設定や目的が一義的に与えられるものではなく、問題設定や目的自体をめぐって試行錯誤が繰り返されているような世界でもあります。そのために、ポリシー・リテラシーの涵養とは、客観的な知識を獲得し、それをテクニカルに適用すればいいものではないということをご説明いただきました。ある規範があって、それを適用すればいいものではないんだということでありました。このことは、「事実」のレベルよりもさらに高次の「価値」のレベルにおける意思決定のための判断力の養成であるということであったと思っております。
 これらのヒアリングを通じまして、社会科学の学問的特性や成果の特性、振興方策につきまして、議論がさまざま出てまいったところでございました。
 そこで、本日の審議の観点といたしましては、これまでの議論を踏まえまして、この委員会での報告書の取りまとめを収束させていきたいと思っているところであります。前回の12月12日の審議におきましては、これまでの審議の経過を振り返りながら、報告書の取りまとめに向けた議論を進めてまいりました。そして、大体6つの観点をお示ししまして、皆様からいろいろな議論が出たところでありました。
 その中で集約できることと申しますと、3つございます。1つ目は、社会科学の対象や方法に関する記述の修正、2つ目が人文・社会科学の課題、役割・機能について教育に関する記述の追加をすべきであろうということ、3つ目としましては、人文学、社会科学の評価の確立に当たりましては、各分野ごとのより精緻な議論を踏まえて行うべきであるということなどの議論が出たところでございました。社会科学の対象、方法、そして人文・社会科学の課題、役割・機能、教育に関すること、そして、3つ目が評価の問題でございました。
 そういった前回出ました議論を、修正を施しまして、本日、報告書(案)を作成しているところでございます。この後ご説明いただきますけれども、これをめぐりまして、今日は、ご議論を集約していく方向でいきたいと思っております。
 本日の審議におきましては、報告書(案)の大方の内容につきましてご了解いただき、修正を施した上で、後でまたご案内があると思いますけれども、次回の1月16日に最終的にお示ししようと思っているわけでございます。そして、1月20日に学術分科会がございますので、そこで報告するという運びでございます。
 そういう経過ですが、それでは、報告書(案)につきまして、事務局から修正点を中心に概略をご説明いただければと思います。よろしくお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】

 それでは、資料1の「人文学及び社会科学の振興について(報告)素案」につきまして、前回からの修正点を中心に、ご説明させていただきたいと思います。
 まず、1ページおめくりいただきまして目次をごらんいただきたいと思いますが、黒字の部分と赤字の部分がございます。赤字の部分につきましては、今回、新たに書き加えたり、あるいは大きく変更した部分でございます。黒字の部分は、文言の修正とか、いろいろな中の整理はしてございますけれども、特段あまり大きく変えていないというところでございます。
 前回の版では、論点ということでお示しして、中身が書いてなかった部分がございましたが、そこは全部埋めた形で今回の素案になってございます。
 それでは、1ページをお開きいただきたいと思います。前回も申し上げましたけれども、全体構成は四章立てで、課題、特性、役割・機能、振興の方向性という四本柱で、人文学の「審議経過(その2)」と同じ柱立てにして、社会科学をうまく入れながら案を作成したものでございます。
 まず1ページの第一章でございます。まず「課題」といたしましては、人文学のときからございました研究水準に関する課題、いわゆる「輸入学問」と書いてあったところでございますが、研究水準に関する課題です。その中がさらに3つに分かれていまして、独創的な成果の創出、これは「輸入学問」となっていたところです。それから、2ページの(2)で、歴史や社会に根ざした研究活動の展開という部分、それから、日本で創造された知への関心という三本立てになってございます。社会科学の例なども入れながら、ここは人文学のときと基本的には同じような内容になっております。
 次に、2ページの一番下にタイトルだけありますが、第二節、細分化の問題でございます。ここも、人文学のときと社会科学についてのご議論と、基本的に同じ方向で整理しております。おおむね従前どおりということでございます。
 それから、3ページの下から赤字の部分がございますが、学問と社会との関係に関する課題ということで、前回、論点としてお示しさせていただいた部分につきまして、文章を起こしてみたところでございます。ここは、説明させていただきたいと思います。
 1つ目が学問と社会との「対話」ということでございます。ここは、星野先生のヒアリング、佐々木先生からのご発表を踏まえたところでございます。学術的な観点から、学問と社会との「対話」が期待されている。法学とか会計学などを典型として、社会科学を中心として、実務の専門知との交流が不可欠な分野が存在している。このような分野では、学問が社会との関係を維持していくことが、学術的な観点から極めて重要な意味を持っていると考えられる。ここでは、このような分野以外の分野についても、学問と社会との「対話」を積極的に促進することの必要性を提起したい。第二章、特性のところでも述べるが、「輸入」という歴史的経緯の問題もあり、学説のための学説に陥ったり、日本の現実を欧米の学説の単純な適用によって説明してしまう可能性がある。ここは佐々木先生ですが、こういった問題は、学問が社会との関係で開かれたものであれば回避できるのではないかということでございます。
 2つ目、社会からの支持ですけれども、ここは(1)とちょっとトーンが違いまして、学問が社会的存在として発展していくためには、学問が社会からの支持を得ることが必要であり、このような観点から「対話」の促進が必要であると考えられると。これは、学術的というよりは、社会的存在として認知されて社会的な支持を得るということが学問の発展にとっても意味があるだろうと。
 4ページでございますが、上のほうの「自然科学の場合であれば」というところをごらんいただきたいと思います。
 自然科学の場合であれば、産業や医療・福祉といった場を通じて成果が還元されているという実感を人々は得ている。これに対して、人文・社会科学の場合であれば、社会生活を送る上で必要な政治や経済についての理解、文化生活を送る上での歴史や芸術についての理解といった精神面での影響を人々に与えている。これは、人文学や社会科学の成果が主に「ソフト」という形で人々に示されているからであろう。人文学や社会科学の場合は、その成果が「ソフト」として発信され、工業製品とか農産物といった目に見える形をとっているわけではないので、なかなか人々の実感を得るのが難しいということもある。したがって、成果の発信に工夫が必要で、例えば教育とか「読者」を獲得するための努力というものが重要性を持ってくるのではないかということでございます。
 それから、5ページで特性でございます。ここは、最初に赤字の部分がかなり多うございますけれども、何か話の内容を変えたというよりは、特性が結構長うございますので、最初にポイントとなる点と、それから、わかりやすくするために、「人文学はこういうもの、社会科学はこういうものというふうに、ここでは一応考える」ということを最初に書いてみた、まとめたということでございます。
 下線部を中心にごらんいただきたいと思います。まず5ページで、総論的に注意しておきたいことを3つ挙げるということで、「第一は」というところですが、人文学と社会科学との連続性ということであります。「他者」との「対話」という観点で人文学は話を進めておりますが、社会科学については、「他者」との「対話」の場としての社会を「説明」し、「理解」する学問としてとらえることにすれば、基本的に連続してくるだろうと。「対話」の条件みたいなものを社会科学でも探っていると考えていけばいいのではないかという、とらえ方です。
 2つ目が、学問における「総合」と「分析」のバランスの確保であるということでございます。これは、もともと「人文的な方法」と「実証的な方法」ということで分けて書いてきておりましたが、それはそのまま生きるんですけれども、ここではこれに、「総合」と「分析」というふうにタイトルをつけてみたところです。こういうふうにすれば理解しやすいかなということで、書いてみたところでございます。
 ここでは、研究方法を人文的なものと実証的な方法とに類型化している。おおむね、前者、人文的な方法が「総合」であり、後者、実証的な方法が「分析」を担っているのだろうと。人文学にせよ社会科学にせよ、学問全体として見たときには、人文的な方法と実証的な方法とが組み合わされて学問が成立しているのだろうと。もちろん個々の研究では、もっぱら実証的な方法に基づき研究が行われているということはあるのだろうけれども、学問全体として見たときには、人文的な方法により形成された大きな枠組みと、これを実証するための研究とが組み合わされているのだろうと。時代の変化などによって、「総合」とか枠組みづくりといったものが中心となる時期もあれば、実証的な方法が中心となって展開する時期もあるのであろうが、大きく見たときには、両者が車の両輪として学問全体を成り立たせていると考えていいだろうという一種の見識のようなものをぽんと打ち出しているところでございます。
 それから、「第三は」というところですが、人文学にせよ社会科学にせよ、これだけではないですけれども、みずからがよって立っている「価値」とか「規範」といった歴史的、文化的な伝統に自覚的であることの必要性であると。これは「日本人であることに自覚的である」という意味では必ずしもなくて、「歴史や文化の中の存在であり」と、それに拘束されているという一般的な意味でございます。ですから、一見科学的に見える研究であっても、その「価値的前提」は、ある程度、問われなければならないのではないかと。
 こういった3点をまず大きく特性の前に留意点として挙げた上で、5ページ、1行あけた上で「次に」というのがありますが、あらかじめ「人文学というのはこうで、社会科学というのはこういうふうに、この報告書では考える」というのをまずぽんと打ち出しております。
 下線の部分をごらんいただきたいのですが、第一に、人文学については、これを歴史や文化による拘束への自覚を通じて獲得された相対化の視点に基づく、「他者」との「対話」を通じた「認識枠組み」の「共有」という意味での「普遍性」獲得へのプロセスとこの報告書では位置づけていると。こういった「総合」に向けた方法的営為ゆえに、人文学が諸学を基礎づけていると言われるようなことになるのだろうということでございます。
 それから、6ページへ参りまして、「社会科学については」というところですが、この報告書では、これを「他者」との「対話」の場としての「社会」を「関係性」の束というふうにとらえて、「他者」との「対話」の場としての「社会」の「説明」と「理解」への試みであると、ここでは位置づけてはどうかということでございます。
 ここで「説明」というのは、主に実証的な方法に基づいた「事実」としての「関係性」の提示であり、「理解」というのは、主に人文的な方法に基づいた「関係性」の認識のための「枠組み」の創造を意味しているものでございます。人文学とのつながりを保ちながら、一貫して説明をこんな形でできるのではないかということで、まとめてみたところです。
 まず「対象」でございます。ここも最初に、対象の総論というのが2つあります。同じようなことの繰り返しにもなるのですが、まず研究対象がつくられたものであるということを確認するのが1つ目でございます。それから、「第二に」というところは、「価値」にかかわる問題を扱っていますということでございます。
 次に各論で、(1)「メタ知識」と、(2)については、主に人文学のところで議論をしたところですが、ここは基本的にいじっておりません。ただ、(2)の冒頭にございますが、社会科学も、もちろん「精神価値」、「歴史時間」、「言語表現」というものにかかわっていないわけではありませんので、「人文学及び社会科学は」という形にしてあります。
 (3)は、前回、論点としてお示しした、社会科学の研究対象をどういうふうに整理するかということでございます。整理の仕方はいろいろありますので、この報告書で仮にというぐらいのことなのですが、これまでのヒアリングなどを踏まえて、ここでは「構造」と「変動」と「規範」というふうに整理をしてみました。ここは、ちょっと丁寧に読んでみます。
 社会科学を中心として、制度も含めてですが、「社会構造」、「社会変動」及び「社会規範」が研究対象とされている。でも、当然ほかの整理もあり得るというふうに最初のところで書いております。
 まず「社会」をこの報告書でどう考えるかということなのですが、まず自然科学との関係から「社会」をとらえると。自然との関係で「社会」をとらえるということをまず強調しておきたいと。そうしますと、社会科学の研究対象としての「社会」は、まずつくられたものであるということで、自然に存在しているものではないと原則として言えるだろうと。ですから、もちろん自律性を持った「第二の自然」として人間の前に立ちあらわれるということも当然「社会」にあるのですが、作為性というものは、自然科学との関係で言えば強調したほうがいいのではないかということをまず書いてあります。
 その上で、次に人文学との関係から考えますと、「社会」を人文学の定義から引っ張ってきますと、「『関係性』の束」としてとらえることができるのではないかと。人文的な方法というのは後から出てくるわけですが、「他者」との「対話」ととらえておりますけれども、これはすなわち「関係性」であって、ここでは、「社会」というのは、そのような「他者」との「対話」の場としての「『関係性』の束」というふうにとらえたらどうかということでございます。ちょっと書き過ぎているかもしれませんので、またご意見をたくさん賜れればありがたいと思っております。
 それで、「構造」、「変動」、「規範」の話が8ページになります。
 まず「社会構造」とは、社会を構成している諸要素(役割、制度、集団あるいは地域社会みたいなもの、あるいは国家といったもの)の恒常的または非恒常的な結びつきを意味していると訂正しております。ここで結びつきというのは「関係性」であって、「関係性」というのは、より幅広い、あるいは「上位の」と言ってもいいのかもしれませんが「関係性」に包摂されていると。そういったものを社会科学は分析の対象にしていると。
 ここは例でございますので、さっとお目通しいただければと思いますが、恒常的な結びつきとしては、例えば「親子関係」というのは「家族」という社会制度に包摂されていたり、「国家」と「国家」との関係であれば「国際関係」で、それが「国際社会」というより上位の制度に包摂されていると。
 非恒常的な結びつきとしては、「売り手」と「買い手」という役割の結びつき、これは非恒常的で一時的なものですので、こういったものは「市場」という「社会制度」に包摂されていると。それから、「選挙権者」と「公職の候補者」という役割の結びつきは、「選挙制度」とか、あるいは民主的な政治体制になるのかもしれませんが、そういった社会制度に包摂されていると。
 「なお書き」ですが、「社会構造」の一部としての「社会制度」については、法学や政治学等において伝統的に大きな学問領域を占めているということで、「社会構造」の中に入れております。
 次に「変動」なのですが、これは「社会構造」の変動を意味しているというふうに整理してみました。では、人文学の「歴史時間」と何が違うかということなのですが、「観点が違う」というふうに記述しております。「社会変動」というのは、モデルとして措定された「社会構造」の変化としてとらえられるものであって、多くの場合、社会科学者は、現在と未来に対する実践的な問題意識から出発しているので、例えばということですが、「近代産業社会」あるいは「近代市民社会」とか何でもいいと思うのですが、社会構造の変動をとらえる場合には、以前の構造がどのようなものであり、ここが一番重要だと思うのですが、それは今後どのような方向に向かっていくのかという問題意識から、社会科学の場合であればとらえていると。ここでは、はっきり書かなかったのですが、人文のほうの歴史学であれば、やはり歴史事象として歴史をとらえるのではないかなと。そこが問題関心の違いというところでとらえています。ですから、将来、社会はどうあるべきかとかいったことへの志向というところで、多分、社会科学は人文のほうの歴史学とはちょっと違うのではないかなととらえています。
 それから、「第三に」というところですが、「社会規範」を特出ししています。「社会規範」は「社会構造」の一要素というふうにとらえることもできると思うのですが、ここでは次の「方法」のところで、実証的な方法の前提として人文的な方法というものを置いております。それは「意図」とか「価値」とか「思想」とかといったものを実証研究とは切り離した前提として考えていますので、ここも「構造」の中の要素として入れるよりは、「構造」や「変動」のさらに前提として「規範」というものを置いてみたところでございます。これは「構造」の中に入れるという判断もあろうかとは思います。
 「構造」、「変動」、「規範」ですので、それぞれ科学的・実証的アプローチ、歴史的アプローチ、哲学的アプローチと、アプローチ的にもうまく対応するのかなと思いましたので、一応こういうふうな整理にしておりますが、これはもちろん素案ですので、かなりご議論があるところだと思っております。
 次に「方法」、9ページでございます。ここは基本的にあまり変わっていないのですが、9ページにずっと方法の総論がございまして、人文・社会科学というのは、自然科学との関係で言えば「真実らしさ」を明らかにするとか、「説得性」というものが大事だとか、「意味づける」ということが大事だとかいったことが特質として書いてあった上で、10ページで「人文的な方法」と。ここは、従前の人文学の審議経過概要とほぼ同じでございます。ちょっとタイトルを簡明にしたところはありますが、基本的に内容は変わりませんで、相対化の視点を持って、「他者」との「対話」を通じて普遍的なものに近づいていくという営みとしての人文的な方法ということでございます。
 11ページの下から12ページにかけての「実証的な方法」でございます。ここは今田先生の枠組みで基本的に書かせていただいております。
 次に「成果」でございます。ここは、かなり書き込んだ部分というか、整理をした部分でございます。
 まず「成果」の冒頭部分に、成果の部分についての総論的な留意事項を2つ書いております。「第一は」というところですが、人文学及び社会科学は、「分析」の学問であると同時に「総合」の学問であるということを成果の部分でも確認すると。特に成果は、社会との関係では総合性というところが多分かなり重要な焦点になるだろうということを書いております。2つ目は、これは前々からありましたが「実践的な契機」が内包されているものだということでございます。それぞれについて、(1)、(2)で論じております。
 (1)が「『総合』による『理解』と『分析』による『説明』」ということでございます。
 ここでは、人文・社会科学の成果を研究対象である歴史事象や社会現象の「説明」と、その意味づけとしての「理解」の2つに類型化してみたいということでございます。
 次の段落に行きまして、「分析」による「説明」というのは、おおむね実証的な方法に基づいて特定の専門分野の独自のコード(ディシプリン)の内部で行われる、いわゆる「研究」と呼ばれるようなものであると。これに対して「総合」による「理解」は、実証的な方法に基づき得られた各専門分野の成果を活用しながら、当然、実証的な研究を踏まえながら特定の専門分野のコードを越えて行われる知の営みであり、おそらく「学問」と呼ばれるような行為であるというふうに整理をしております。
 専門分野というシステムは、独自のコード(ディシプリン)による内部のコミュニケーションにより、他のシステムからの独立性を確保している。細分化が顕著に進行した現在の知の状況では、コード間のコミュニケーションが極めて困難であることは間違いない。このため、「分析」による「説明」というのは、専門家による専門家向けの「研究」としての側面、「総合」による「理解」というのは、知識人のようなタイプの方が歴史や社会に問いかけるというような「学問」としての側面をそれぞれ有することが予想されると。成果の話ですので、こういうふうに整理をしております。
 このような形で成果の特性を踏まえると、今後、人文・社会科学の振興の施策を検討するに当たっては、専門家同士であれば「分析」や「説明」といった側面が多分重要で、社会との関係で成果を考えると、「総合」や「理解」という側面で考えていくのが意味を持ってくるということではないかと。これは評価とか「学者」の養成という四章での問題などにもかかわってくると考えられると。
 ちょっと先取りになるのですが、「まず」のところで、評価の観点からは、「総合」としての成果は主に著作物という形で発信されるでしょうし、「分析」としての成果は、学術誌の論文というのが一つの典型だろうと考えられます。
 「学者」の養成という観点からすると、人材と言ったほうがいいのかもしれませんが、人材養成という観点からすると、この類型は、おおむね「学者」と「研究者」の類型に主に対応していくだろうと。後で、この話は述べるということになります。
 それから、14ページ、「実践的な契機」でございます。ここは、今までのトーンと変わっておりませんが、少し膨らませてございます。
 下線部をごらんいただければと思いますが、ここは佐々木先生のご発表などをかなり踏まえて書いております。「説明」であるにせよ「理解」であるにせよ、人文・社会科学の成果は政治や経済に対するオピニオンの形成に一定の影響を与えている。それは人間観、歴史観といったレベルもあれば、政策や社会に対するオピニオンというレベルでの影響もあるだろうと。いずれにしても「実践的な契機」というのが含まれているのだろうと。ただ、ここでは、それは必ずしも意図されたものではなくて、結果的に影響を与えるという意味で、まさに「契機」であるということであります。
 例として「デモクラシー」の話と、「族議員」という例が佐々木先生のときにございましたので、「族議員」の話はわかりやすい例であると考えられますので、書いてございます。
 あと、「このように」というパラグラフですけれども、歴史や社会の選択というのが当然ありますので、そこの選択はなされていくと。それは、一度だけではなくて何度も繰り返されて、受容と拒絶の繰り返しというプロセスの中で、人文・社会科学の成果は受け入れられたりしていくと。とにかく「選択肢の一つ」として社会に提示されていることが重要だということが、14ページの下のほうにあります。この「選択肢の一つ」として社会に提示されているというところの下線部の後に、ちょっと1つ入れてみたんですけれども、「これは」のところです。これは、つまり「選択肢の一つ」として提示されるということは、人文学や社会科学の成果は「相対的な真理」でしかなく、「唯一の真理」を提示できる自然科学に劣るということを意味していない。これは、主に人々の意図や思想を取り扱うという対象や方法をめぐる学問の特性に起因する相違であって、優劣ではないということを確認しておくことが必要であるというふうに書いております。これは、行政に対して、今後、振興策を考えるときには、こういったことを踏まえるべきだという注意書きみたいな形で書いてあります。
 それから、「評価」でございます。ここも前回と大きく変わってはいませんが、まず多元的な評価軸が必要であるということです。15ページの下線部分ですが、特に「総合」という枠組みの構築という場合には、アカデミズムからの評価だけではなくて、「理解」や「対話」の相手方でもある社会や歴史といったところでの評価というものが、おそらく人文・社会科学にとっては本質的な意味を持ってくるだろうということを書いてございます。
 その上で、2.で、歴史における評価、社会における評価、アカデミズムによる評価ということで3つの類型を説明した上で、16ページの赤字のところでございます。ここは前回の縣科学官からのご指摘を踏まえて追加したものですが、それぞれ相互に独立した基準で、歴史、社会、アカデミズムと評価が行われているのですが、究極的には、これらの評価の結果が一致することが理想の姿ではあると。おそらく自然科学の評価であれば、「アカデミズムによる評価」が、「社会における評価」でもあり「歴史における評価」を形成していくことになるのでしょうが、人文・社会科学の場合は、一致することは理想なんですけれども、特性として「選択肢の一つ」として選択がなされていくというところもありますので、そこの部分を少し加味しながら一致していくのが理想だということを、舌足らずのところはあるのですが、書こうとしております。
 それで、歴史、社会、アカデミズムの評価の解説が16ページで続きます。
 それから、17ページでございますけれども、ここは「『査読』の限界」ということで、根岸先生からのヒアリングの内容をまとめたところでございます。
 (3)で「定性的な評価の重要性」でございます。ここは、前回、論点としてお示しした部分でございますが、少し赤字で書き加えてあります。定性的な評価が重要であるということは、これまでの流れから確認されて、その上で定性的評価のシステムと指標を開発することが、多分、次に大事であろうと。自然科学の評価方法がそのまま導入されると、今までの議論からすると、かなり問題が生じることは多分疑いがないということでございます。
 それで、「書籍」をきちっと評価していくとか、評価方法を複合的にしていくことが多分求められるのだろうと。二章ですので特性を書いているところですので、このくらいにおさめてあります。
 それから、「役割・機能」です。まず理論的統合という話、それから、21ページに参りまして、社会科学を念頭に置いて「『実践』の学」という位置づけを「学術的な役割・機能」として2つ位置づけた上で、ここは前回と基本的に変わっていません。
 21ページの下の第二節、「社会的な役割・機能」です。ここで「社会貢献」と、23ページに行きますが、「『教養』の形成」、このあたりは基本的に人文学のときと同じような話で、一部、社会科学についての例などを入れながら膨らませたりしております。
 次に、24ページの「社会的な役割」の(3)「『市民』の育成」でございます。佐々木先生から出された部分ですが、前回は論点ということで論点のみをお示ししましたが、少し中身を書いてみたところでございます。
 ご説明いたしますと、社会科学には「市民」の育成という役割・機能がある。これは「ポリシー・リテラシー」の涵養に向けての取り組みと言いかえることができる。「市民」の政治参加、社会参加といったことを考えた場合、例えば国や地方の統治機構の仕組みや主要国の政治、経済、社会、歴史等についての基礎的な理解を前提とした意思決定のための判断力、すなわち「ポリシー・リテラシー」が必要である。「ポリシー・リテラシー」を半分例示で半分定義したような、ちょっと曖昧なものなのですが、こんな形でまとめてみました。こういった「ポリシー・リテラシー」の涵養のために、主に社会科学、あるいは国際関係論とか地域研究などの活用が必要である。
 留意事項として2つ書いてあります。25ページですが、社会というのは、問題設定や目的が一義的に与えられるものではなくて、試行錯誤が繰り返されているような世界であるということにまず留意が必要であると。これは佐々木先生からのご指摘だったと思いますが、こういう世界だということを前提として考えなければいけないと。2つ目も佐々木先生ですが、社会科学の場合は、知は学問の側のみにあるのではなくて、社会の中にあるということを踏まえていくことが必要であるということがございました。
 次が、「高度な『専門人』の育成」でございます。ここも基本的には前回と同じでございますが、基礎研究の成果をきちっと踏まえた上での「実学」というものが重要だということと、26ページに行って、人文的な素養は専門人にも必要だということでございます。
 26ページは赤字の部分がありますが、これは先ほどの「市民」のところと同じようなことで、なぜ人文的な素養が必要かということです。問題設定や目的自体をめぐって試行錯誤が繰り返されているような世界が社会ですので、ここで涵養される高度な専門性というのは、客観的な知識を獲得して、それをテクニカルに適用すればよいというものではなくて、人文的な素養を背景にしていないとまずいだろうということをつけ加えてあります。このあたりは星野先生ですけれども、具体的に言うと、例えばバランス感覚の涵養であるとか、説得する力の涵養ということで、まとめてあります。
 それから、「方向性」でございます。ここは、基本的には最後の評価の部分が変更した点としては主な部分ございます。
 簡単にそれまでの部分を追いますと、「対話」ということで特性などを説明してきましたので、「対話」を基本的な理念とした共同研究を推進していくことが大事だろうと。その理念に立つと、国際共同研究というのは、異なる文化や異なる学派でもいいと思うのですが、それらとの「対話」と位置づけられますし、そうしますと、27ページの2.あたりで、日本人研究者にとって、「日本研究」というのは、多分、独特の意味を持ってくるだろうということを書いてあります。
 それから、28ページの(2)で、「異質な分野との『対話』」という意味で共同研究を推進していくことが大事だろうということでございます。このあたりは人文の審議経過のまとめと、ほぼ同じ書きぶりでございます。ですから、施策のときには、こういった理念を踏まえて共同研究の事業を考えるべきということになろうかと思います。
 29ページですが、二節、「『政策や社会の要請に応える研究』の推進」ということで、「審議経過の概要(その1)」の書きぶりほぼそのままですので、説明は省略いたします。
 31ページで人材の話ですけれども、「卓越した『学者』の養成」ということでございます。ここは、猪木先生のヒアリングでも、かなり話が出ましたが、幅の広さ、総合性みたいなものを持っていないと危ないのではないかというお話がありましたので、その流れで、32ページ、33ページと書いてございます。
 それから、33ページの第四節、体制、基盤です。(1)は「審議経過の概要(その1)」、「審議経過の概要(その2)」で書きました、国公私を通じた共同研究体制の推進という部分でございます。基本的に変わっておりません。
 それから、34ページでございます。「基盤の整備」の2つ目として、「実証的な方法を用いる研究に対する支援」ということで、実験的な手法であるとかフィールドワーク、コンピュータシミュレーションとかといったものには、当然、お金がかかりますので、これまで、お金がかからないというイメージがありましたが、こういった部分でかかるところもありますので、こういったところは、きちっと支えていくということを書いてございます。
 それから、「成果の発信」です。34ページですが、「読者」の獲得の話と、35ページで海外に向けての発信、翻訳に対する支援を1.でうたっております。
 それから、36ページ、第六節で最後の評価のところですが、ここが一つ、また論点になろうかと思います。基本的な考え方は今までとあまり変わらないのですが、ここでは施策ですので、「歴史による評価」とか「社会における評価」ではなくて、「アカデミズムによる評価」、ある程度、施策の対象になるような部分だけに絞って書いております。「研究評価」というのは、専門家相互間で行われる研究の検証システムというふうに定義した上で、「研究評価」を特に定性的評価を中心としたシステムとして確立させることが必要であるというふうに提起をして、「また」という赤字の一番最初のところですが、ただ、この評価については必ずしも議論が煮詰まっていないと思っていますので、今の学術分科会の期が来年1月末で切れますので、その先にまた議論を続けるというようなイメージで、今後の検討体制の充実を期したいということで、もっと議論の時間が必要だということを書いております。
 それで、2つ具体的なことですけれども、1つは「『総合性』の『評価』」、もう一つは「評価指標」ということでございます。
 (2)のほうがシステムですけれども、ここは、いわゆる「知の巨人」のお話でございました。人文的な素養を踏まえた幅広い視野を持った「知の巨人」と言い得るような「学者」の見識への信頼が必要であると。そして、「総合性」ということで、もちろん「アカデミズムによる評価」ではあるけれども、それは特定の専門分野のコード内部の評価にとどまらず、外部の視点、歴史や社会に対する洞察も踏まえた評価になるのだろうと。そういった意味で、「知の巨人」といったタイプの人が必要になるのだろうというふうにまとめております。
 タイトルに、もともと「『知の巨人』による評価」と書いてあったんですけれども、「知の巨人」と正面から記述いたしますとすると、特定の人物を想定しているのではないかという話になってしまいますので、「総合性」という観点から評価を行う、即ちそれを担う人としての「知の巨人」という形で記述をしております。
 最後に「評価指標」です。ここも、評価指標をつくらなければいけないと。例えば「新規性」とか「独創性」というのは単なる例にすぎませんが、こういったものを設定し、人文学における「新規性」というのは何なのかといったことをきちっと議論し、「書籍」を「総合性」とか「対話」とかという観点からどう位置づけていくのかとか、あるいは、おそらく特に人文学の方は教育的な効果というのが、多分、教育と切れないところがあると思いますので、そういったところをどのように評価していくのかについて、今後、議論を深めていくことが必要だろうということで、今後の論点を出して終えているということでございます。
 最後に、この素案ではまだ議論がなされていないと考えられる部分を申し上げたほうがいいかなと思います。
 前にも申し上げたのですが、1つは、美学とか芸術学といった美的なものにかかわる学問について、多分、少し違うアプローチが必要なのかもしれないとか、その部分は議論がなされていないというところが一つあります。
 それから、評価については、先ほど申し上げたとおり、まだ議論が熟していないところがございます。
 あと、教育的な面について、もう少し、多分議論しなければいけないのかもしれませんが、今は、あくまで人文・社会科学が学問の性格として「対話性」みたいなものがあるので、「対話性」の結果としての教育というものがここでは書かれていたり、議論の結果、書かれたりしておりますが、では、それが具体的にどう展開していくのかというところまでは議論が至っていないというのが多分現状だと思います。そういったことも、この報告書の限界も踏まえた上で、ここでは、まだ入っていないのですが、多分最後に「はじめに」というのを書いて、そういった限界とかも含めて、ざっと全体を見た俯瞰図みたいなものを「はじめに」で、ぱっと書いて、それで1月16日なのかなというふうなイメージを持っております。
 以上でございます。

【伊井主査】

 ありがとうございます。
 ただいま、ご説明いただきましたように、学術分科会の推進部会のもとから諮問を受けたといいましょうか、3つの我々の任務があったわけでございますけれども、かなり長い間、討議をしてまいりました。「その1」、「その2」ということで、ほぼまとめつつあるところでありまして、それを一本化していくということは早く決まって、こういう形になっているわけでありますが、あくまでも、これは人文学、社会科学の学問的な成果をまとめるというものではなくて、国としての振興方策、施策において、どういうことが考え得るのかという方針で、今、立てているところでございますから、いわば、これからさまざまな研究機関において予算要求、あるいは、こういう研究成果を出すためにどういうふうな施策があるのかという1つの理論武装のようなものであろうと思っているわけです。これをもとにして、これから、さまざまな研究分野にさらに方向性が広がっていくものであろうと思っています。
 ただ、今も述べられましたように、これだけで済むわけではないわけでして、一応、我々の任期は来年の1月末でございますけれども、次の委員会がもしできるとすれば、付託する事項として、今、3つ、おっしゃったわけであります。美学だとか芸術学だとかの美的なもの、これは哲学ともかかわってくるのだろうと思います。これまでも何度か出ましたけれども、評価の問題は残っていくだろうと思うんです。今もありましたように、前回は「『知の巨人』による評価」という項目が立っていたわけでありましたが、前回も「『知の巨人』とは何だ、一体だれを考えているんだ」というようなことがいろいろ議論に出まして、具体的な名前を出すのはなかなか難しいところだと思います。総合評価という形で今はおさめておりますけれども、人文学、社会科学の評価とは何かということは真剣に考えなくてはいけないでしょう。
 そして、3つ目は、教育の問題ということも、前回、出てまいりました。人文学、社会科学は、どうしても教育とかかわらざるを得ないわけでありまして、その1つとしては、「市民教育」ということも出てまいりますけれども、もうちょっと大きな、学校教育とはまた違った視点から教育を考えていくことがなされなくてはいけないのではないかということでした。
 そういうたくさんの積み残しもまだありますけれども、前回の12月12日の報告案がありまして、そこにも大体主な項目は掲げられており、それぞれの種は、まかれてはいたんですけれども、さらに前回の議論を踏まえまして、これを膨らませたり、これまで言われていたことをさらに整理したのが本日の案でございます。これを残りの時間、初めのほうからご議論いただいて、先ほど申し上げましたように、大体、1月16日までには、ほぼまとめていきたいと思っているところで、よろしくご協力いただければと思っております。
 それでは、「どこからでも」と言ったらなかなか難しいものですから、四章ございますので、第一章から赤字のところを中心にして、議論も大体出てはいるんですけれども、ご意見を賜れればと思います。
 まず1ページから4ページまでのところで、とりわけ第三節は赤字になっているところがございますけれども、ここも含めまして、ご議論いただければと思っております。どなたからでも結構ですので、よろしくお願いいたします。

【立本主査代理】

 全体のトーンとしてはこれでいいのですけれども、例えば「課題」、あるいは「学問と社会との『対話』」のところで、「人文学、社会科学から見たらこうである」と言っているわけですが、実はこの問題は、すべての近代科学に共通な問題なのです。自然科学にしても、同じように西洋から輸入しているわけです。たまたま「人文科学は、ちょっとおくれている」ということがありますが、その辺りを明確にするためにちょっと二、三語つけ足せば、人文・社会科学の特殊性というのがよりはっきりするのではないですか。例えば「学問と社会との『対話』」にしましても、人文・社会科学のミッションが対話そのものであり、社会の問題、人間の問題を扱うことに基づく限り、これは避けられないというような文章を入れると、自然科学でも学問と社会との対話は非常に重要であるということとは違って、人文学、社会科学の特殊性というものがおそらく出てくるのではないかと思います。
 最初の輸入学問にしても、おそらくは、普遍性を求めているだけではなく、個別性、特殊性を研究する人文学であるからこそ、西洋に特殊な状況をそのまま移植するが大きな間違いであるということがあります。ちょっと、そこら辺をつけ足していただければ、ありがたいかなと思います。

【伊井主査】

 わかりました。
 ほかに、何かございませんでしょうか。

【縣科学官】

 今、仰せられた学問と社会の関係のことで言いますと、学問が社会から影響を受けると同時に、学問が社会に影響を及ぼして、将来の状況を考えたり、あるいは方向づけたりということもあると思います。その意味で、一章を越えて話しますが、8ページの「社会変動」のところにそういうニュアンスが出ていることと、14ページの「実践的契機」にそういうニュアンスが出ていることは、私は個人的にはいいと思います。しかしながら、その方向性が、ある程度、認められるとするならば、例えば3ページの「社会からの支持」というのは、どういうニュアンスでしょうか。つまり、今、仰せのとおり「対話」なので、相互関係ではないでしょうか。「支持」というのは、一方的に何かを受けるということですか。あるいは、むしろ学問が社会から影響を受けるということを強調したいのか。そこのニュアンスがちょっとよく分かりません。「対話」という言葉と「支持」という言葉の関係をどうとらえたらいいのかということです。
 それから、将来の方向性を、ある程度、考えることを意図するとすれば、前回も申しましたが、「理解」と「説明」の定義が6ページにありますけれども、少し静態的過ぎるのではないでしょうか。特に「理解」の動態的なニュアンスというのは後ろから出るのですが、6ページの定義だと静態的です。だから、後ろで「理解」が、特に13ページぐらいからは少し動態的に使われたニュアンスを感じますが、6ページで最初に出てきたときにすごく静態的に感じるので、動態的な部分を認めているのだとすれば、6ページの定義をもう少しそういう方向にしては如何かと思いました。

【伊井主査】

 ありがとうございます。
 人文学と社会科学を一緒にしたものですから、パラレルに書いていっているところがございまして、「対話」というのも、絶えず社会との対話によって支持を受けたり、そして、いろいろ批判されると、また対応を通じて新しいものを創造していくというところが基本にあるわけでございますけれども、今のご指摘のところは、また少し考え直して、とりわけ前回問題になった「社会の構造」というようなメカニズムはどういうふうに考えていくのかというのは、なかなか書くのが難しいところでした。一応こういう形でまとめさせていただいてはいるのですが、ぜひとも、そこら辺も一緒に考えていきたいと思います。
 岩崎先生、どうぞ。

【岩崎委員】

 ちょっと私の読みが足りないのかもしれないのですが、第一章の「課題」というのが、そもそも人文学及び社会科学という学問の追求するテーマという意味での課題と、現状の問題点という意味での課題と、その辺がところどころ入りまじっているような感じがしないではないところを感じるんです。それはどこかというのは、うまく今すぐには言えないんですけれども、要するに、同じ「課題」という言葉なんですけれども、学問の目的としての課題と現状の問題点としての課題とが入っている。
 それから、第一章の最後の4ページなんですけれども、これは私の印象で申し上げては何ですが、いわゆる医療や福祉、ここにも出てくるんですけれども、社会と対応している学問というのは社会を無視してはあり得ませんので、絶えず社会との接点が求められております。求められているというか、もともとそれが必要ですし、そこから評価を受けているわけなんです。人文学や社会科学というのは、ともするとそういう接点がないというか、薄いという部分がありますが、それこそ振興方策の1つとしてでもいいんですけれども、もうちょっと学協会なり、あまり固有名詞を挙げるといけないのかもしれないんですけれども、日本学術会議のこの分野が、もう少し社会に対して「人文学や社会科学というのはこういうことをやっていて、こういう活動は人間にとって非常に大切なものである」ということを組織的に発信するようなことが必要なんじゃないかなと、かつてから思っているんです。それが非常に薄いと。
 それは無理もないと思いますのは、多くの場合、個人個人が研究していて、なかなか研究者のチームワークというのが、例えば医学と比較すれば簡単にわかるんですけれども、チームワークはあまり必要ないといいますか、なされていないので、なかなか学協会とかそういうところで、全体的な発信ができないのだと思うのですが、やっぱり意識して、それは必要なんじゃないかと、意識してやらないといけないんじゃないかと。私は、社会の支持を得るためには、どこかでそういうことをやっていかないといけないのではないかと思っていますので、もし可能であれば、それを入れていただいたほうがいいかなと思っています。
 それは、後のほうで言ったほうがいいのかもしれないんですけれども、教育がここには書かれていないのですが、特に大学院教育というのは、組織的になされていない可能性が高いんです。これは何も学問分野じゃなくて、例えばアメリカなんかに行けば、大学院教育といえどもスクーリングをかなり要求していて、まず基礎的な教養をつけてから個別の研究にとりかかっていくということをやっているわけなんです。日本の場合には、最初から指導教員に非常にべったりというふうな一対一の教育を、昔に比べて多少是正されているかもしれませんが、いまだにそれが主流になっているというのは、教育システムの問題として課題なんじゃないかと思っております。
 後半は、どこに入れるかは今すぐには言えないのですが、以上です。

【伊井主査】

 どうもありがとうございます。
 非常に大事なことで、今までこういう委員会は、5年前でしたか、過去に1度あっただけで、文科省としては、これで2度目のこういう委員会なものですから、発信する組織がなかったということもあるのだろうと思います。人文学、社会科学がまとまって、今後どういうふうに発信していくのかと。そのためにも、こういう施策を提言して、国に対していろいろ要求していくという組織立ったものとしてこれから継続できれば、非常にうれしいことだと思っております。とりわけ大学院教育というのは、確かにおっしゃるような形で、なかなか難しい問題です。これは、第四章の今後の課題といいますか、施策の方向ともかかわってまいるだろうと思います。自然科学と、かなり違うところが確かにあるんですよね。それもぜひ考えていかなければいけないことであると思っております。ありがとうございました。
 それでは、第二章、第三章を含めまして、何でもよろしいですが。伊丹先生、どうぞ。

【伊丹委員】

 今、大学院教育の話がたまたま出ましたので、それに関連して。
 私は、この文章は、ものすごくよくできていると感心しております。これはぜひ大学院生に読ませたらいい。一体、自分たちのやっている学問はどういう性格のものであるかということをこれだけコンパクトにまとめて、ご異論のある部分も個々の先生によってはおありになるだろうと思うけれども、体系的に書かれたものというのは、私は知りません。すごくいいと思います。よくここまでまとまったものだと思って、感心しております。「説明」と「理解」の違いとか、「分析」と「総合」の違いとか、今まで多くの先生がそこはかとなくは思っておられたけれども、言い出すと、すぐジャーナル・レフェリーとかというので、くしゅんとなっていたようなことがはっきり書いてあるので、とてもいい文書がこういう委員会から出たというふうに、今日は、私は極めてポジティブに、感心しながら拝見させていただきました。
 ただ、3点だけ、個別のことであるのですが、細かい話です。
 1つは、先ほどの評価の問題で、一番やっかいな問題で、「知の巨人」のところで、それが「総合性」に変わっていると。私は、あえて「『知の巨人』による評価」ということをタイトルとして残すほうが論争を巻き起こしやすくて、橋下知事ではございませんが、かえっていいんじゃないかと。そういう人が特定の個人としておられるかどうかは別にしまして、「総合性」というやや当たりさわりのない言葉よりも、ある特定の少数の人間のグループが方向を決めるということがしばらく必要じゃないかとか、その人がかわれば、かわることによって多様性が生まれてくればいいと。自然科学の分野でも、「ERATO(エラート)」なんていうのは、人が人を選ぶという大原則でもって若手への巨額の育成資金を与えるという仕組みで、あれは割と世界的に珍しいそうですけれども成功しているわけで、私は、その「知の巨人」というのは、ぜひ残していただきたいなと。
 それから、もっと小さいことですが、今、第二章に入ったというので思い出したのですが、6ページに、対象として何を扱っているかということについて、「第一」、「第二」とあって、「第三」のところが「さらに」という言葉でつながっている最後の部分ですが、これは「第三」と特筆すべきことのように思います。これが自然科学と本質的に違う3つのうちの1つなんですよ。研究しているうちに対象が変わっちゃうんです。これは非常に大切なことだと思いますので、「第三」というふうに新たに立てられたほうが、より人文学、社会科学の性質が明確になるのではないでしょうか。
 それから、私、ちょっとこの後、別な政府の会議がございまして退席しなければいけませんので、後の章で、これも細かい話ですけれども、34ページに「実証的な研究方法を用いる研究に対する支援」について一番最後に例が載っているのですが、統計データを扱って実証研究をなさる方は、これだと入らないので、これは簡単な除外ということでございます。除外ですから、入れたらどうでしょうかと。
 ただ、一番の問題は、この文書はものすごくいい基本的スタンスを書いた文書だと思いますが、その基本的スタンスをとると具体的にどんな振興策が出てくるかというところが、これは次の委員会に申し送るんでしょうね。(笑)多分申し送るんでしょうけれども、一番大切なところなんだろうけどなと。
 基本的スタンスとしては、私は、びっくりするようないいものができたのではないかと思います。

【伊井主査】

 ありがとうございます。
 これが報告だけで終わるのは、ほんとうに悲しいことですので、今後、これをいかに有効に生かしていくかを考える必要があります。たまたま今週の月曜日、ある旧国立大学の人文学研究科の教授会に招かれまして、「報告書がどういうふうになっているのか教えろ」ということで、私は1時間ばかり話をしてきました。教授会の大学院の先生方は、大分、みんな奮い立ったと後から聞きました。多分、来月に報告書がまとまりますので、各大学にこれを送ります。そして、何らかの形でキャンペーンみたいなことをしていけば、より有効じゃないかと思っております。ありがとうございます。
 今田委員、どうぞ。

【今田委員】

 私も、前回、出席できなかったので経緯は知りませんが、今日、ここで読みまして、報告書の構成がとてもよくできていて、これを読んだ人は、ウェーバーがかつて理解科学の問題提起をした際の格調の高さをほうふつとさせるのではないかと思うぐらいです。ウェーバーは理解科学によって、自然科学の方法と文化科学の方法、歴史科学の方法との絡まり合いみたいなものの重要性を考えたのですが、今回の報告書は「対話」というキーワードをベースにして、人文学及び社会科学のあり方を、「説明」と「理解」も入れながら考えて、方向づけを与えたという意味では、フレッシュな印象をとても持ちました。
 それを補強する意味でも、特に第二章と第三章のところで、幾つかコメントしたいと思います。
 「人文的な方法」と「実証的な方法」というふうに分けて、より理解がしやすいように、人文的なほうが「総合」で、実証的なほうが「分析」ということになっているのですが、ここはどうでしょう。「『人文的な方法』、そんなふうに言われたら困る」という先生が出てきはしないか。歴史学なんかでドキュメントを細かく分析されている研究者もいらっっしゃるので、何かちょっと呼び方を工夫したほうが。「人文的」というと、ニュアンスがぴったりこないという感じがします。英語で訳したら「humanities」ということになるのでしょうか。そういうあたりで、どういうふうな位置づけになるのでしょうか。「実証的」なほうは、「分析」というので、ぴったりしっくりくるのですが、「総合」と「人文的」というのが、ちょっとイメージ連合がすんなりといきにくいんです。話を聞けばわかるんです。内容的には全然問題はないんです。言葉上の問題で、そこがちょっと気になりました。
 それから、7ページの新しくつけ加えた「『社会構造』、『社会変動』及び『社会規範』」というのは、まさに社会学の一番メーンのテーマなので、ちょっと気になります。
 定義上の問題なのですが、8ページに、2.として「『社会構造』、『社会変動』及び『社会規範』」とあるところで、「『社会構造』とは」と定義があるんですけれども、ここの文章がちょっと誤解されると困るなというのがあります。
 例えば、「『社会構造』とは、社会を構成している諸要素のパターン化した結びつき」、「相対的に変化しにくい結びつき」というのが一般的で、「恒常的又は非恒常的」とありますが、非恒常的なら構造化していないというふうに皆さん連想しますので、「恒常的又は非恒常的」というふうには言わずに、「パターン化された相対的に変化しにくい諸要素の結びつき」として、その後に「(役割、社会制度、社会集団、地域社会、国家等)」というふうにされたほうが、よりわかりやすいのではないかということです。
 それから、「第二に」のところで、「『社会変動』とは、『社会構造』の変動を意味している」のですが、その1行下に、「『社会変動』とは、モデルとして措定された『社会構造』の変化」となっているのですが、ここも議論の分かれ目のところでありまして、「モデルとしての構造」とするか「実在としての構造」をとるか、真っ二つに分かれているんです。「モデルとして措定された構造」と言ってしまうと、その時点で、ある特定の学派のほうになってしまいますので、特には「モデルとして措定された」と言わなくても、「『社会構造』の変化」というぐらいでいいのではないかと。
 それから、「第三に」のところの「社会規範」ですが、規範は「norm」ですから、ルールみたいなものなのですが、「『社会構造』や『社会変動』の前提にある意図や思想といった社会集団の『価値』に関わる」、「価値規範」というぐらいですから「価値」にはかかわるのですが、「価値」ほど緩やかではなくて、もう少し人間関係を構造という鋳型にはめる作用を持っています。ですので、人間関係の鋳型をつくるみたいな、つくられたのが構造になるわけでありますので、そういうコメントを入れておくか、そういうふうに注釈をつけたほうがいいのでなはいかという気がします。
 ちょっと長くなりますが、第二節の「方法」についてのコメントがあります。頭の書き出しなのですが、「自然科学のように客観的な『証拠』に基づき『真実』を明らかにするというよりは」は、きついですね。「もさることながら」としたほうが無難でしょう。これをやっている社会科学者は結構いますので、「実験だとか数理的な方法もさることながら、それ以上に『論拠』を示すことにより」というふうにされたほうが、「に加えて」でもいいと思いますが、現状をより適切に反映していると思います。
 あと、「人文的な方法」と「実証的な方法」は、単なるネーミングの問題で、ちょっと気になるというのは先ほど申し上げました。
 11ページの「実証的な方法」に関してですが、先ほどもちょっとコメントいただいたんですけれども、私の発表したことが中心になっているところなので。
 「リアリティー」という言葉があるのですが、片仮名がこの節中に頻繁に出てくるようになって、今までの流れから、かなり変わった感じになるので、「リアリティー」を日本語にしたほうがよろしいのかなという気がします。
 頭から言いますと、11ページの「実証的な方法」で、「リアリティー」は「現実」なので、「研究の対象となる経験的現実の性質に応じて、意味解釈法」、「統計的」の「的」は要らなくて、「統計帰納法、数理演繹法」ということで、「的」はどちらもとっていただいて、3行目で「全体としての現実を明らかにすることができる」と。大体、「リアリティー」は「現実」ないし「現実味」ないし「経験的現実」というふうに、文脈で置きかえられたほうがいいと思います。ただし、方法論上の問題なので、最初の「研究の対象となるリアリティーの性質に応じて」というところは、現実として「リアリティー」と片仮名で上にルビを振っていただくとありがたいです。そうすれば誤解がないと思います。
 それから、12ページの1.、「意味解釈法」のところです。下の段で「具体的には、文化人類学云々」とありますが、「フィールドワーク」は片仮名でいいかなと思うのですが、あえて訳せば「現地調査」という訳でいいし、「エスノグラフィー」、「モノグラフィー」は、訳はあるのですが、日本語にすると余計わからなくなるんです。「エスノグラフィー」と入れるなら、「エスノグラフィー(民族誌)」みたいなふうに入れて、「モノグラフィー」はとったほうがいいです。「現地調査を通じて作成された民族誌などの研究成果に見られる『意味の構造』の記述」となるでしょうね。つまり「抽出される」というのは、ちょっとかたいですね。「や、歴史学や文化研究に見られる」、「おける文献等の」ではなくて、「に見られる意味体験の解釈を通じて了解される」、「うる」ではなくて、「了解される『存在』の記述がこれに当たる」というぐらいで、あとは何か易しい言葉をつけ加えて補えば、わかりやすくなるのではないかと思います。
 2番の「数理演繹法」は、「リアリティー」に関しては、先ほど言ったとおりです。2番目のパラグラフで、「また、近年、社会科学においても、研究対象となる手段」というのもちょっと変なので、「研究対象となる集団・組織・社会」と中黒で結んで、「の構造や機能に関する操作的な模型を作成し、それをコンピュータ上のプログラムで動かし」、「などの方法」ではなくて、「で動かし、その挙動を観察して解を導き出したり、特徴を知ったりしようとする」、「一種」じゃなくて、まさに思考実験なので、「一種の」はとって、「思考実験としてのシミュレーションの手法も一部で採られている」というぐらいでしょう。
 説明し出すと長くなってしまうのですが、今は、以前のローマクラブが『成長の限界』で行ったシミュレーションとは違い、エージェントをベースにして、つまり意思決定する主体を100人とか200人、コンピュータ空間に放り込みます。それでエージェントに勝手にやらせて、「あ、思いもかけないことが起きている」という創発特性を解明するのに役立てようとしています。解析的には解けないことをシミュレーションから導くわけです。数理的にも解けないし、データでも解けない。実際に演技をその中に模擬でやらせてみて、そういう創発特性が起きることを実演してみる。シェリングという経済学者が碁盤のような升目を使って、「分居モデル」の手動シミュレーションをおこないました。ひとりひとりはとても寛容な白人を想定して、隣に有色人種が7割ぐらい住んでいても構わないという状況なのに、いつの間にか、きれいに住み分けて分居状態になってしまうという結果を導いたのです。今はもうコンピュータで、できますけれども、彼は手動でやったんです。個人的には寛容なのに、どうして結果的に分かれて住むようになってしまうかという、個別と全体の結果の乖離を説明するのが社会科学の最大の課題のひとつですが、そういうことをやるのにシミュレーションが役立つ可能性が高まっています。簡単に言えば、そういう意味でのコンピュータ・シミュレーションです。
 それから、「統計帰納法」は、「体系的データを収集し」というのは、どこかで僕がこういう書き方をしたのかもしれませんが、「データを体系的に収集し」という意味であります。「クロス表分析」は一般にわかりますよね。日本語で「多重分類分析」とかというふうに、「クロス表分析」みたいなものでありまして、そういう感じで分けていただけたら、少し片仮名が減って、すんなり入るかもしれません。
   大体、そんなところです。ちょっと細かいコメントになりました。

【伊井主査】

 非常に具体的に、わかりやすくお教えいただきまして、どうもありがとうございました。さらに少し、文言なども変えていくことにしようと思っております。

【伊井主査】

 立本先生、どうぞ。

【立本主査代理】

 先ほどの伊丹先生のお話と今の今田先生のお話に関連してです。伊丹先生が一番最初におっしゃったのは、たしか36ページの「『総合性』の『評価』」を「『知の巨人』の『評価』」に直せということでしたね。しかし、「知の巨人」を決めるというのは、根岸先生のときにも質問しましたけれども、要するに「知の巨人」というのは歴史が決めることであって、後ではじめて「ああ、あの人は『知の巨人』であった」ということになることが多いのではないかと思います。現在の「知の巨人」を決めるというのは非常に危険で、むしろ悪影響を及ぼしたり、悪用されたりするマイナスの面のほうが強いのではないかなということなのです。「知の巨人」をどのように決めるかということは置いておいて、インパクトを与えるという意味でしたら、(2)のところを「『知の巨人』による『評価』」にしても、中味で「それは総合的な評価である」ということをきっちりと書いていただければいいのではないかと思います。「『総合性』の『評価』」というのはちょっとおかしくて、「総合的な評価」だと思います。伊丹先生のインパクトある提案をどういうふうにするかというのは大変難しいと思いますけれども、残しておいた方が良いように思います。
 それから、今田先生の第二節の「方法」のところでご指摘の、10ページの「人文的な方法」と「実証的な方法」ですが、おそらくここの「人文的な方法」というのは、「humanities」(人文学)とかいう学術的に確立されている方法ではなく、「humanism」的な方法のほうで、単に「総合」というのでもなく、書いてある内容面からみると、これは名前のつけようがないんですよね。

【今田委員】

 「人文主義的」という。

【立本主査代理】

 そうですね。

【今田委員】

 むしろ、それだったら、みんな文句は言わないでしょうね。「人文学的」と言われると。

【立本主査代理】

 「人文主義」と言うと、また「ルネッサンスに返るのか」とかなるので、ここは「人文学」というのは、あえて外されたのだと思いますが、「人文的な」と「実証的な」というのは、何かもう少し良い表現があれば変えればいいと思うんです。
 そこの中で、11ページの4.で「『他者』との『対話』」がまた出てくるのです。「『他者』との『対話』」というのは大きな枠組みで既に言われているわけです。それがその各論のような「人文的な方法」の中でまた出てくるということにちょっとひっかかりました。4.の中に書いてあることは、「文化的基盤の根源的考察」というようなことなので、内容に合わせて見出しをリフレーズしたほうがいいかなと思います。
 それから、「『社会構造』、『社会変動』及び『社会規範』」というのも、社会学の言葉をそのまま持ってきている印象があり、今田さんのご指導で、いろいろと事務局のほうで工夫されると良いと思います。
 それに関して1点だけ、概念的な重複について注意しておきたい。「社会変動」と「社会規範」は、人文学の対象の「歴史時間」と「価値」と重なってくるということです。8ページの「第一に」と「第二に」のところで、「人文学における『歴史時間』と重複するが、観点が異なる」というふうに書かれていますが、「どういうふうに異なるんだ」という議論があると思いますので、「重複するが、『社会変動』とは『社会構造』の変化としてとらえるものであり」というふうに簡単に表現することができます。「第三に」の「価値」に関しては、後で出てくる「価値」と違って「精神価値」というふうに人文学の対象では言っていますけれども、一応重なるところもあるので、そういう意味で、人文学と社会科学との間で、あえて違いを出さなくても良いのではないかなという感じがいたします。
 それから、13ページの「成果」のところで、「理解」と「説明」というのは非常にいいと思います。ちょっとはっきりしないのが「総合」なのです。後で「理論的統合」というのが出てきます。あるいは「メタ知識」もあります。これらの言葉の兼ね合いがわかりにくい。「総合と分析」というのは言い古された言葉ですので、「総合」というのは何となくわかった気はするんですけれども、それと「理論的統合」とはどう違うのかとか、「メタ知識」というのをどういうふうに考えるのかというのは、ちょっと概念を整理しなければいけないのではないかと思います。
 同じようなことは、「『実践』の学」というのと、後で出てくる「実学」というのとの違いなど、整理がちょっと必要かなと感じました。

【伊井主査】

 ありがとうございます。
 第四章も含めまして、何かございますか。

【家委員】

 ちょっと質問です。先ほどの「人文的な方法」という言葉なんですけれども、ここでは「実証的な方法」と対置されるものとして書かれているわけですね。「実証的な方法」と対置されるものというと、例えば「思弁的な方法」という言葉が浮かぶんですけれども、それとは大分違うような。ちょっと分野外だと、このニュアンスがよくわからないんですけれども。

【立本主査代理】

 そこら辺は、はっきりしていませんね。要するに、この報告は皆さんの意見を集めて一つにしているということがありまして、体系的に考えれば、おっしゃるように「実証的」と「思弁的」とが対になりますけれども、書かれている内容自体について言えば、必ずしも思弁的なことではないのですよね。

【家委員】

 ええ、見ているとそうですね。何かくくる言葉がないんですよね。

【立本主査代理】

 そこら辺をどういうふうにするかというのは、事務局のほうでも大変ご苦労されていると思います。

【伊井主査】

 1人が学問的な体系で書いているわけではなくて、いろいろなヒアリングなどをかき集めて構造化したというところなので、そこら辺は限界はあるのだろうと思います。

【立本主査代理】

 マックス・ウェーバーが書いたようなという評価もありましたね。(笑)
 事務局のほうで検討してもらいましょうか。

【家委員】

 もう1点、よろしいですか。私が1つ気になっているのは、成果の発表の形として、査読論文誌対著作物という話で、どうも森嶋先生のお話というか何とか、何となく査読に対する潜在的不信感というのかがあるようで。それは、もちろん自然科学でも、自分の労作をけちょんけちょんにやられたら気分が悪いのは当然で、みんなレフェリーに対する文句はいろいろあるわけなんですけれども、人文・社会科学においては査読システムそのものが学問的性格になじまないのか、あるいは、査読に当たる人間の査読方法というか、査読に対する心構えとかがまだ一定していなくて不信感を呼んでいるのか。もちろん著作物もあってしかるべきだと思いますけれども、我々ふだんジャーナルで勝負している者としては、自然科学の場合は、ほうっておくと論文数爆発というのが起こるので、査読システムというのは、ある種のクオリティー保証になっているわけです。最近は、それも崩れてきて、プレプリントの段階でウェブページに載せるということがどんどん進行してしまいました。あるいは、もっと極端にウィキペディアみたいな形で、論文でもなくて、とにかく自分が表出したいものを出すという、そういう方法も一方にはあるのかとは思いますけれども、やはりある種のクオリティー保証された場に成果を出すというシステムはあってもいいような気がするんですけれども、それが機能しないというのがこの分野での一般的な認識なのかどうかというのがちょっと気になっているんです。

【伊井主査】

 別に査読を否定しているわけではないんです。そういう問題点もあるという形のトーンになっていると思いますけれども、人文学の場合、社会学もそうかもしれませんけれども、査読中心ではないんだと。そういうことで、たまたま幾つかの事例をおっしゃったものですから、ここに挙げているということでございます。しかし、査読がないと、基本的にはやっぱり困ることだと思います。それが今の原則だろうと思います。
 上野先生、どうぞ。

【上野委員】

 今の関連から、17ページ、18ページの「査読」のところですが、査読のシステムで新しい論文やら考えが入りにくいということをお書きのところは、問題の指摘として大事な部分だと思います。それから、18ページの最後のところで、「書籍」の意義が書かれています。私などがおりますところは、人文学、社会科学、自然科学といろいろなジャンルが入りまじっておりますので、傾向としては、査読論文が重視されて書籍の評価が大変弱くなっているという現状がありますので、人文学、社会科学のためにきちんと書いていただくのがいいのではないかと。書籍の価値について、「総合」という言葉であろうと何であろうと強調していただくのがいいのではないかと思います。
 それから、内容的に先生方から随分たくさんご指摘をいただいたので、私は、むしろそれに学ぶところが大きいのですが、読みやすさといいますか、1つのアピールで考えてみると、例えば文末とか、大変謙虚に「考えられるのではなかろうか」となっています。研究者としてはそうなんだけれども、人文学、社会科学にとって、この点はきちんとアピールしたいという部分は、少し明快な書きぶりに……。

【伊井主査】

 積極的にと。(笑)

【上野委員】

 はい、したほうがいいのではないかというところが1つです。
 それから、先ほど、どなたかがおっしゃいましたが、とても力作で書いていただいているんだけれども、ちょっと入れ子になっている部分があるんです。例えば、「人文学、社会科学をこのようにとらえたい」というのは、第二章で出てまいりましたでしょうか。その辺は想起させる書きぶりになるので、どなたか先生がおっしゃいましたが、主としてここで述べるということは、一つ、決意をして書いたほうが、あまり行ったり来たりする書きぶりではないほうがいいのではないかと思います。
 以上です。

【伊井主査】

 ありがとうございます。
 どう構造化して訴えていくかというのは非常に難しいところですけれども、最後の第四章の「振興の方向性」ということで、ぜひともこういうことを入れておいてほしいということがあれば、項目だけでもおっしゃっていただければと思います。
 岩崎先生、どうぞ。

【岩崎委員】

 先ほど述べたんですけれども、特に大学院教育について何かあったほうが、あるいは大学教育でもいいんですけれども、今や専門教育は大学院とされていますので、教育のところは、何か方策として項目が1つぐらいあったほうがいいのかなと思います。
 それから、これは、ちょっとまだ私も完全に理解していないので、どっちがどうなのかわからないんですけれども、第五節に「成果の発信」、第六節に「研究評価の確立」とあります。これは、第二章の第三節、第四節に対応しているんだと思うんですけれども、振興方策で「成果の発信」とか「評価」というのは、何かなじまないような。入ってもいいのか。振興方策としての「成果の発信」あるいは「評価の確立」ということなのかもしれないんですけれども、何か振興方策に基本的になじまないような中身なのではないかなということをちょっと思っていますので、ご検討いただければと思います。
 すみません、ついでで、戻って申しわけないんですけれども、13ページの「理解」という言葉なんです。こういう文書で「理解」というのは、「解釈」じゃないのかなと思うんです。いまさら蒸し返すのもあれですけれども、「理解」というのは普通こういうところで使うのでしょうかと思います。あるいは「了解」とか、そういう言い方はよくするんです。要するに、人文学は特に「最終的には了解するんだ」という言い方はするんですけれども、「理解」という言葉はなじむかなと。ちょっと私、自信があまりないので強くは主張できないんですけれども、問題点として。

【伊井主査】

 今田先生、どうぞ。

【今田委員】

 おっしゃるとおりで、方法としては「解釈」なんですよね。「Hermeneutics」というインタープリテーションですから、数学的な演繹法とか統計的な推論とかと並ぶレベルで言うと、解釈学が方法なんです。それによって、「なるほど」とわかるというのが「了解」なんです。それ全体が「理解」というふうに考えられているんです。

【岩崎委員】

 そうです。ただ、先生、「説明」だって同じことですよね。後半になると「理解」になるわけですよね。

【今田委員】

 そうです、広い意味で。だから、ウェーバーという人は「理解の3類型」というのをやっていて、「説明」も「理解」のうちの1つ、「解釈」も「理解」のうちの1つ、統計的なデータ処理も「理解」のうちの1つというふうに位置づけられています。どういうふうにすればいいでしょうか。

【岩崎委員】

 「説明」に対比する言葉がきちっとあればいいのかもしれないです。

【今田委員】

 「説明」に対比するのでしたら「解釈」ですね。

【岩崎委員】

 「解釈」ですね。私も直感的に……。

【今田委員】

 はい。「解釈による理解」というふうに言われていますので……。(笑)「説明的理解」というふうにも言われています。

【縣科学官】

 ただ、そういう言葉をお使いになると、それが学問だけでとまってしまうニュアンスをいつも私は感じます。

【岩崎委員】

 「解釈」だけでは。

【縣科学官】

 ええ。それは、「影響を与える」という、もっと能動的な意味があるわけです。だから、何か学問のために学問をしているニュアンスを感じるので、先生方がおっしゃるとおりだと思いますが、むしろこの言葉は、この書式の場合には定義をしているので、定義として明確にそれを出せばいいのではないかと思います。一般的な、それこそ「理解」として定義を議論されていると思いますが、それが誤解を生む可能性があるというご指摘だと思います。この文書としては形式として定義を能動的にしているので、それによって発揮させるということでよろしいのではないでしょうか。

【岩崎委員】

 そうですね。

【伊井主査】

 立本先生、何か。

【立本主査代理】

 今のところでは、13ページの「理解」の定義ですが、「『総合』による理解は知識人が歴史や社会に問う『学問』としての側面を、それぞれ有することが予想される」となっています。ちょっとこの文章はわかりにくいので、今のことに関連して変えていただければと思います。
 最後の第四章の「振興の方向性」ですが、先ほどの岩崎委員のご発言もありましたけれども、「振興の方向性」というのは、やはりはっきりと分けるべきだと思います。一つには「中長期的な」という表現が良いか悪いかは別として、人文・社会科学の全体的な底上げという面と、もう一つは、それを直ちに戦略的にしていかねばならない先導的な領域のてこ入れの面があります。言い換えれば、「総合的振興」と「戦略的振興」というふうに、はっきりと分けなければいけないと思います。そこで、「総合的振興」には「『対話型』共同研究の推進」とか国際化とか、あるいは、先ほど言いました「成果の発信」をきっちりするとか、「研究評価の確立」とか、これらは、ある特定の「振興の方向性」にかかわらず常にしていかなければならない方向性です。「『対話』としての『日本研究』の推進」とか、あるいは「『政策や社会の要請に応える研究』の推進」とかというのは、これを戦略的にてこ入れすることによって人文学、社会科学が全体的にそれにつれて上がっていくよというような「振興の方策」ですよね。そこをちょっと整理して出したほうが、戦略的にいいのではないかと思います。これは戦略上のことなので事務局のほうにお任せなのですが、今さっきの岩崎委員のご指摘で、「あ、なるほど。そういうことで入りまじっているのだな」という感じがいたしましたので、コメントです。

【伊井主査】

 ありがとうございます。
 縣さん、お願いします。

【縣科学官】

 今の「戦略的」と「総合的」の区別は、私も賛成です。それで、「総合的」のところに「教育」があって、かつ「教育」は、研究者の教育の問題と社会全体に対する影響という意味の教育というところを明確にしていただいたらいいのではないかと思います。その先、カリキュラムをどうするというのは、別の問題ですので、違うところにつなげるというニュアンスを出していただいたらいいのではないでしょうか。
 もう一つ、個別のことですが、前回、谷岡学長が、ポリシー・リテラシーについて狭すぎるとおっしゃったんですが、このポリシーというのは、24ページの下の定義によると個人の意思決定も含まれているのですか。そうであれば、基本的に私も谷岡先生のスタンスに賛成です。ポリシーというのは、普通で言うと組織とか制度の方針しか指さないように感じますが、個人が入っていれば谷岡先生のおっしゃるニュアンスが入る。

【高橋人文社会専門官】

 ここは市民個々人という意味を入れたつもりです。

【縣科学官】

 そうですか。であれば、それが伝われば一番いいのだろうと思います。

【伊井主査】

 家先生、どうぞ。

【家委員】

 先ほどの振興方策の「海外に向けた成果の発信」のところで、確かに、ここに書かれている文章だとちょっと具体的な話がないんです。議論の中では、例えば「もともと和文のものを英文で海外に発信するには、本人がやるしかないのか、あるいは極端に言えば翻訳センターみたいなものをつくって」というような話も出ていたとは思うんですけれども、私は、こういう学問的なものをきちっと正確に伝えるというのは、結局は本人がやるしかないかなと思っているんですけれども、その辺の振興策というか支援策のようなものが、少し何かアイデアがあると戦略的な振興策になるかなと思うんです。

【伊井主査】

 なかなか難しいところなんですけれども、成果発表というので以前から翻訳という問題があって、なかなか人文学というのは単純にいかないところがあるんですけれども、ドラフトぐらいはやってもらうことができれば大分手間が省けるだろうという話も出てまいりました。

【家委員】

 だから、そういうことが、ちょっとこの文章には抜けちゃっているような。まあ、「そのための体制整備」と書いてあるから、よろしいんでしょうかね。わかりました。

【伊井主査】

 もう少し、また詰めることもあると思います。
 ほかに何かございますでしょうか。今田先生、どうぞ。

【今田委員】

 直接、第四章じゃなくて、さっきの「知の巨人」の話で気になっている点があります。僕も、これをあまり前面に出すと物議をかもして、「何を考えているんだ、今ごろ」と言って、「だれかジャイアントに任せるつもりか」という雰囲気になるといけないので、出すとしても「『知の巨人』というのは架空上の存在なんだ」ということを強調しておく必要があると思います。「学問を全体的に俯瞰できて、総合的評価ができるような架空の人格を表現すると『知の巨人』と言える」と。やっぱり俯瞰的、総合的というのが大事なので、それができるのが「巨人」、「ジャイアンツ」という意味であるということを言っておかないと、「打つ手がなくなって、ついにここへ逃げるのか」なんていうふうに思われたら困りますので。

【伊井主査】

 ありがとうございます。
 これは、なかなか用心しないといけない言葉だと思います。前回も大分議論されて、否定的な意見が多かったのでありますけれども、多分、学問の細分化ということと関連して、「知の巨人」にあこがれるというところもあったのではないかと思います。括弧に入れるなり何かして措置をしないと、これを全面的に出すと前回はちょっとまずかっただろうと思っております。
 ほかに何か、特にこれをぜひこういうふうに書きかえたほうがいいとか、この項目だけでも入れておいたほうがいいということはございませんでしょうか。よろしゅうございましょうか。
 まだ少し時間がございますので、こちらのほうで年末までに少しまとめさせていただいて、もう最終という形にしていこうと思っておりますが、そういう方向でよろしゅうございましょうか。「労作だ」というお褒めの言葉もありまして、突ついていけば、ほんとうに切りがないところだと思いますので、どこかで妥協せざるを得ないところもあるものですから、そういうことでやらせていただこうと思っております。ありがとうございました。
 本日のご意見を伺いましたところで少し修正をいたしまして、また皆様にご報告をしようと思っているわけでございます。
 それでは、そろそろ時間がまいったようでございますので、本日の会議は終わらせていただくことにしますが、次回以降の予定につきまして、事務局から説明をいただければと思います。よろしくお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】

 次回の予定でございますけれども、資料2の一枚紙でございます。次回は、1月16日、金曜日、15時から17時、金融庁共用第1特別会議室(13階)ということで、この建物の1つ上の階になります。この回が、おそらくこの委員会としての最後の回になると思いますので、よろしくお願い申し上げます。
 それから、本日の資料につきましては、封筒に入れて机の上に残しておいていただければ郵送させていただきます。また、ドッチファイルは、そのまま机の上に置いておいていただければと思います。
 以上でございます。

【伊井主査】

 ありがとうございます。
 最後に、「素案」とありますが「報告書(案)」とさせていただきますけれども、この報告書(案)につきまして、構成だとか大まかな内容といったものは委員の方々の了解を得たということに処置をさせていただきまして、最終的には、私と事務局のほうで修正をした上で16日にご確認いただこうと思っておりますので、ご了解いただけますでしょうか。
 それでは、先ほど申しましたように、次の学術分科会への引き継ぎ事項として、今、ご論議をいただいたということにいたしまして、あとご意見があれば、1月5日でしたでしょうか、5日までに事務局のほうにメール等で。

【高橋人文社会専門官】

 もしご意見などがございましたら、年明けすぐあたりにメールまたはファクスで事務局までご意見をいただければ、そこもうまく修正意見として入れていこうと思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。

【伊井主査】

 ありがとうございました。
 ほんとうに年末のお忙しいところ、ご協力ありがとうございます。本日の会議は、これで終了いたします。どうもありがとうございました。

 —— 了 —— 

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