学術研究推進部会 人文学及び社会科学の振興に関する委員会(第15回) 議事録

1.日時

平成21年1月16日(金曜日)15時~17時

2.場所

金融庁共用第1特別会議室

3.出席者

委員

伊井主査、立本主査代理、井上孝美委員、中西友子委員、西山徹委員、家委員、伊丹委員、猪口委員、今田委員、小林委員、谷岡委員、藤崎委員

(科学官)
縣科学官、佐藤科学官、深尾科学官

文部科学省

磯田研究振興局長、倉持研究振興局担当審議官、門岡学術企画室長、高橋人文社会専門官 その他関係官

4.議事録

【伊井主査】 

 それでは、定刻になりましたので、ただいまから科学技術・学術審議会学術分科会学術研究推進部会人文学及び社会科学の振興に関する委員会第15回の会合を開催いたします。本日が最終回ということになる次第でございます。
 それでは、まず配付資料の確認からお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】 

 配付資料につきましては、お手元の配布資料一覧のとおり配付させていただいております。資料が3つになります。欠落などがございましたら、お知らせいただければと思います。
 以上でございます。

【伊井主査】 

 それでは、よろしくご協力のほどお願いいたします。この委員会では、もう毎回申し上げているわけでございますけれども、3つの課題が与えられておりまして、1つは人文学及び社会科学の学問的特性について、2つ目が人文学及び社会科学の社会との関係について、3つ目が学問的特性と社会との関係を踏まえた人文学及び社会科学の振興方策、この3つにつきまして審議することが求められている委員会でございます。
 この委員会では、これらの審議事項につきまして、平成19年5月から本日まで、先ほど申しましたように23回にわたりまして審議を進めてまいったわけです。定足数の関係もありまして懇談会に切りかえたというときもございますけれども、本日はこの委員会の最終的な報告書を決定したいと思っているところです。これまでの議論で尽くせなかった事項などにつきましては、今後の検討課題ということで、後ほどまたご審議をいただければと思っております。
 まず最初に、人文学及び社会科学の振興についてですが、これから議題に入ってまいります。昨年12月12日と19日と人文学及び社会科学の振興に関する報告書の素案を皆様にお諮りしまして、修正意見をいただいたところでありました。また、これらの意見を踏まえた本文の修正を行いまして、年末でありましたが、再度事務局から案文の確認の依頼をさせていただきまして、本文の表現に関する修正を中心にしてご意見をいただいたところでありました。
 内容につきましては大きな修正意見はございませんで、大体、皆さん、字句の訂正とか表現ということになったところでして、年末年始にかけましていろいろお読みいただき、ほんとうにありがとうございます。
 前回までの審議及び年末年始の確認を通じまして、報告書の全体像及び内容につきまして、皆様からのご理解をいただいたものと考えているところであります。本日はその報告書の最終版のご確認をいただいて、この委員会の報告書として決定していきたいと思っているところです。来週ありますこの上の学術分科会にこれを報告しようと思っているところでございますので、よろしくご協力くださいませ。
 それでは報告書、まだ(案)がついておりますけれども、これにつきまして事務局から修正点を中心にしてご説明いただきますが、2種類、見え消し版ととけ込み版と入っておりますが、見え消し版をごらんになりますと、随分修正したように見えますけれども、そっくり削除して改めて踏まえたところとか、前後いろいろ順番を変えたりしておりますので色が変わっておりますけれども、それほど違いはないのでございますが、よろしくお願い申し上げます。

【高橋人文社会専門官】 

 それでは、説明させていただきたいと思います。
 まず、年末年始の大変お忙しいところ、ご意見いろいろ賜りましてありがとうございました。先生方からのご意見を踏まえまして修正をさせていただいたとけ込み版というのが資料1、資料2は前回12月19日の委員会からの修正がわかるような形で見え消し修正をしております。見え消し修正のほうは、非常に細かい修正のところもありますので見にくいとは思います。したがいまして、大体このぐらい直されたという感じを把握していただけるようなイメージで出したところでございます。
 見え消し版のほうは赤字と青字とございます。赤字は前回12月19日の報告案にそのときのご意見などを踏まえて赤字で修正を加えたものを皆様方に年末年始にご紹介させていただいた。青字はその後、年始にご意見を賜って、その修正などをしたのが青字ということになっております。
 基本的には資料1のとけ込み版のほうでご説明させていただきたいと思っております。先ほど伊井主査からもございましたが、まず大きな方向性として、内容についてかなり根底的なところから直すようなご意見はなかったと理解しております。基本的には表現をわかりやすくするようなタイプのご意見が多かったと認識しております。そういったご意見にあわせて修正をしたところでございます。
 また同じ箇所について数名の方からご意見があって、表現的な問題についてはあわせたような形で修正をしたところもございます。そのまま反映しているとは必ずしも限らないということになります。
 それで、まず大きいところは3つと考えておりまして、まず1つは修正というよりも追加になりますが、「はじめに」ということで、伊井主査に「はじめに」というものをご執筆いただきまして、全体の概略とかこの報告書のねらいとかあるいは残された課題といったものについて1ページから4ページにかけてご執筆をいただいております。これがまず1点でございます。
 簡単に「はじめに」の概要を申し上げますと、1ページでございますけれども、まずこの委員会の経緯ということで、いつ立ち上がって、審議経過、概要(その1)を出して、(その2)を出してという話が1ページの上の3分の2ぐらい。それから、1ページの下、1行あいたところから報告が大きく二部構成になっています。ここからが本文の要約ということで、2ページの下のほうまで続いております。一章、二章、三章、四章でございます。ここは要約でございます。
 それから、2ページの一番下のパラグラフ、「『報告』の概略は以上のとおりである」というところから3ページの1番目のパラグラフまで、ここはこの報告書で言いたいことがまとめて書いてあるということでございます。
 特にここでは3ページの上から3行目が重要だと思いますが、「人文学及び社会科学の成果は、何かの役に立つという道具的な性格を持つというよりも、『理解』の共有という対話的な性格を有している。したがって、このような性格から、人文学及び社会科学は、多様性を前提としつつ人々の間に共通の理解を促すという意味で、文明の形成に大きな貢献を果たしているのである」。こういったことを総合的に検討することによって、人文学、社会科学の社会的な意義をこの報告書でできたと考えている。このあたりが1つ、この報告書の意義というところになろうかと思います。
 3ページの2つ目のパラグラフ、「ただし」以下でございますが、ここがこの報告書で議論が残されたところということで、まず、次に、さらに、最後にということで4つ示されております。これは後ほど資料3についてまたご意見をいただく際に議論をいただくことになると思いますが、美学、芸術学といった部分についての審議、教育と人文、社会科学との関係について、もう少し議論を入るのかなというのが「次に」というところですが、「さらに」というところが、「日本で創造された知」についてもう少し議論を深めるということが今後必要かもしれないというのが「さらに」と。「最後に」というのは評価の問題で、この報告書は総論ですので、今後評価についての議論がまた必要ということが今後の課題として示されております。
 その上で3ページの一番下から4ページにかけて、報告を参考にして学問の将来についてさまざまな議論が行われることを期待する。4ページにいって、今後もまた審議の機会が設けられていければということで4ページでございます。一応、「はじめに」というのがつけ加わっているということでございます。
 それから、本文にまいりますと、大きくあと2つあると思っておりまして、表現の部分は特にもうご説明はいたしません。1つは「知の巨人」というところがこれまで何度か議論になったかと思いますが、36ページの(3)、「知の巨人」という表現をタイトルのところに書くかどうかということが議論になっておりまして、年末年始の意見照会の際には、いろいろご意見をいただきました。結論から言いますと、タイトルには「知の巨人」という表現は書かないけれども、本文にはしっかりと書き込むという形で最後にまとめさせていただきました。中身としてはこれまでと特に変わっているわけではございません。それが1つでございます。
 それから、もう1つは技術的なことなんですが、実はこの報告書案の中に、固有名詞、人名が何カ所か出てきておりました。例えば、森嶋通夫先生とか我妻栄先生とか、サミュエルソン、クルーグマン、トックヴィルということで5人の方の名前がございましたが、基本的には、お亡くなりになった方もいらっしゃいますけれども、現在ご活躍されている方々につきましては固有名詞は書かないで、例えば国際的に著名な経済学者であるとか、そういった形で名前を置きかえるような形をとっております。この結果、森嶋通夫先生、我妻栄先生、クルーグマン、サミュエルソンといったところは名前が落ちております。それから、トックヴィルにつきましては、もうこれは古典だと思いますので、トックヴィルという名前は残しております。ないと多分わかりにくいと思いましたので残しております。技術的な話ですが、そのあたりということになります。
 それから、基本的には中身にかかわるのはそのぐらいで、あとは書き方ということで、第四章で基本的な考え方という立て方をしたりしている場合がございまして、特に第四章第一節(1)〈1〉とか、これは目次をごらんいただくとわかりやすいんですが、第四章第一節(1)〈1〉、今は「文化の対話」の必要性となっていますが、以前は基本的な考え方というふうになってございました。基本的な考え方ですと中身がよくわかりにくいので、ここで言いたいことをぱっと書いてしまうという形でご意見いただきましたので、修正をしたりしております。
 大ざっぱに申し上げますと、そういったところが修正点ということになります。あとは表現的なものと考えてございます。
 雑駁ですが、以上でございます。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。
 それでこの報告書をずっとこれまで検討していただきまして、先ほどから申し上げていますように年末年始にかけまして、ご意見を賜ったところでした。大綱はこれで皆さんご了承いただいておりますが、いろいろ考えまして、この報告書のタイトルが「人文学及び社会科学の振興について(報告)」とあって、非常にそっけないところもあるものですから、事務当局とも相談し、何か副題をつけたいと申しまして、急遽、先ほど打っていただいたんでございますが、お手元に副題の案というのを作っていただきました。
 キーワードとしては、これまでずっと検討してまいりました人文学、社会科学を通じまして対話という言葉がキーワードとしてありますけれども、その言葉を何とか使って副題というものを考えました。簡単なメモみたいなものですけれども、案1としましては、下にバーをつけて、副題としまして「『対話』を通じた文明の基盤の形成に向けて」というのはどうであろうかと。そして、案2としては「『対話』と『実証』を通じた普遍性への道」という、ちょっと違った感じになりますけれども、全体的な内容とともに、何かご意見がありましたら、よろしくお願いいたします。

【西山委員】 

 1月6日までに意見を言わなければいけなかったんですけれども、今、事ここに至っては言いにくいんですけれども、どうしてもと思っているものですから、若干申しあげます。最初に配られた資料の27ページ、新しい資料では31ページになっているんでしょうか、方策の部分ですけれども、全体の文脈から考えたときに、対話ということが正面に出てきて、対話型共同研究の推進では国際共同研究を推進するということになっております。明治維新以来、輸入の学問の長所と、また弊害も若干あったということ、そして日本が日本独自の研究をしていくことが大切だという文脈の中で、日本研究をやっておくという文脈になってはいますが、大事な点は、対話の前提として日本人が日本人独自に日本学とか日本人学というものを確立していることを前提としての対話でないといけないと思うのです。その辺について明治維新以来、ずっとなし崩し的にキャッチアップがあったことによって輸入の学問に引きずられていったことの反省が冒頭少し触れられております。
 日本の明治維新以来の変化よりも、江戸時代だとかそれより前の部分が、日本人の文化特性として色濃く残っていると思うんです。その辺をもっと振興しないといけない。日本人が独自に日本の研究から日本を浮かび上がらせることをやっておかなくてはなりません。日本人が独自的に日本、日本人の特性と言うか、特徴と言うか、そういうものを研究し、長所や短所を熟知することが必要です。外から見たときの日本を浮かび上がらせることについては、自分たちの独断ではいけないということになったときに、前段としてのところを振興しておかなくてはならないと思います。大前提としてそこがあるのはもちろん皆さんがおわかりになっていて、それが前提でここが書かれたと思うのですが、それは表現上も、スタンスとしてもっと明確にしておいたほうが、望ましいのではないかと思いました。

【伊井主査】 

 ありがとうございました。
 西山委員のおっしゃってくださったような精神はずっと入っているはずでして、今後の日本の研究とか、人文学、社会科学をどのように振興をしていくかというのは、次の将来の課題ということで取り上げ、進展していきたいと思っております。よろしゅうございましょうか。 あと内容とか大きな問題点だとか、あるいはサブタイトルについて何かご意見いただければ。

【今田委員】 

 サブタイトルの件なんですが、案1と案2があって、私は案2であるほうがいいのではないかと思っているんですが、その理由は、1にしてしまうと、何だ、人文、社会科学は対話だけやるのかと、今までの科学としての実証精神はどうするんだといわれかねません。中味を読めばわかるんですが、ぱっと見たときにそういう意識がよぎりそうな予感がしますので、対話と実証というこの2本立てでいくのということが、今回の報告書の特徴だと思うので、そこは守る、残したほうがより意図が伝わるのではないかと感じました。

【伊井主査】 

 どうぞ、立本委員。

【立本主査代理】 

 今の意見をサポートしたいと思います。それから、上の副題も非常に魅力的ですので、ちょっと長くなりますけれども、例えば「普遍性」というのを「文明基盤形成」に変えまして、「『対話』と『実証』を通じた文明基盤形成への道」というふうにすれば、両立しますね。

【今田委員】 

 いや、議論が進展すれば、僕もそれのほうがいいんじゃないかと言おうかなと思っていまして、文明基盤形成というのはとてもいいイメージですので、それはこっちのほうをとって、上と下をまぜて半分ずつとるというのはとてもいいかなという感じがいたします。賛成です。

【伊井主査】 

 では、今のお二人のご提案は「『対話』と『実証』を通じた文明基盤形成への道」ですか。ほかに何かご意見はありますでしょうか。どうぞ、伊丹先生。

【伊丹委員】 

 今の修正意見に賛成です。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。そういうふうな文脈で副題をつけて報告をするということでよろしゅうございましょうか。

(「異議なし」の声あり)

【伊井主査】 

 ありがとうございます。

【高橋人文社会専門官】 

 先生、今の修正を読み上げさせていただいて。副題につきましては、「『対話』と『実証』を通じた文明基盤形成への道」ということでよろしいでしょうか。「文明の」とか「文明基盤の」ということではなくて、「文明基盤形成への道」ということで。

【伊井主査】 

 よろしゅうございましょうか。ありがとうございます。
 それでは、この報告書をこの委員会として決定ということにさせていただきます。ほんとうにありがとうございます。来週1月20日の学術分科会におきまして、私もたまたま委員なものですから、そこで報告するということにしようと思っております。ほんとうにありがとうございました。
 それでは、2つ目の議題のほうを皆さんにご討議いただきたく思います。この委員会では、本日で最終回となるわけですけれども、人文学及び社会科学の振興につきましては、今後、次期の学術分科会の中で検討していただく論点につきまして、ここで意見を賜りたいと思っているわけでございます。
 これは非常に大事なことでありまして、1回ぽっきりではなくて持続していくということが非常に大事だろうと思っているわけで、絶えず論議していく必要があると思います。そこで事務局から今後の検討課題につきまして、これまでの審議で出ました議論をもとに整理していただきました資料を作成しておりますので、説明していただければと思います。よろしくお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】 

 それでは、資料3につきましてご説明させていただきたいと思います。
 この資料3で掲げている4つの項目、今後の検討事項ということでございますが、これは先ほど報告案をご紹介させていただいたときに、「はじめに」の中で伊井主査からご指摘いただいている4点をそのまま書いたものでございます。
 したがいまして、とけ込み版の3ページをごらんいただくと、それぞれ主査の問題意識が出てくると考えております。資料3で一番上に掲げてあります「評価」につきましては、3ページの下のほうですが、「最後に」というパラグラフのところで、評価のあり方についてかなりご議論をいただきましたけれども、もう少し深めていくことが必要。特に定性的な評価について、評価の仕組み、システムといったもの、あるいは評価指標を何にしていくのかといったことが、人文、社会科学の発展にとって不可欠であると。将来、この報告書は総論ですので、もう少し詳細の審議をしていくということが今後の課題と3ページにうたわれているところでございます。
 それから、資料3の2つ目の丸でございますが、教育との関係ということでございますが、これは3ページの真ん中の少し上の「次に」というパラグラフでございます。ここで言う教育というのは、大学制度とか学校教育という制度化されたという意味での話では必ずしもなくて、対話的な性格を有するというところから教育、あるいは教育的な何か問題というのは出てくるはずであるという問題意識だと理解しております。
 つまり、知識や技術の一方向での伝達というよりも、そういうものももちろんあるのでしょうが、異なる価値や文化との双方向の交流として行われるといった意味での教育というイメージでございます。こういった双方向での交流を通じて理解の共有が図られて、一定の普遍性を獲得するに至れば、「文化の共通規範」と本文に書かれているような、あるいは「教養」の形成といったものが視野に入ってくると。
 こういった特性を人文、社会科学の学問的な特性を踏まえてくると、人文、社会科学においては教育と研究というものを一連の知的な営為として、特に教養といった観点から議論を深めていくことが必要なのではないかといった問題意識であります。この中にはもちろん大学の問題もあれば、一般的な生涯学習みたいな問題もあるでしょうけれども、あくまでも学問の性質から出てくるものと考えております。
 それから、資料3の3つ目でございますが、「日本で生み出された知」の役割・機能ということでございます。先ほど西山先生からもご指摘があった部分でもありますけれども、これは3ページの「さらに」というパラグラフでございます。この報告の中で欧米の学問の受容に伴って、「日本で創造された知」への関心の低下という課題が示されたわけですけれども、ここについてもう少しこれは審議を深めるというイメージですが、そういったものが必要なのかもしれないと。
 おそらく日本で創造された知への関心というのは、今はいわゆる「国文・国史」と言われる世界のみに生き残っているような状態であることを何となくこの報告書の中で示されたかと思っておりますが、そういった状態であって、「学者」もまた歴史や文化に拘束された存在であるというこの報告書の見方からすれば、日本の「学者」が「日本で創造された知」にどういう形で関与していくのか。これは人文学ということだけではなく社会科学、自然科学もそうなのかもしれませんが、そういったところを考えていくことが必要ではないかという論点がもう少し深める必要があるだろうということでございます。
 それから、資料3の最後4つ目ですが、美学、芸術学などの「美」や「表現」に関する分野の課題、特性、役割・機能及びその振興方策ということでございます。これは3ページの「まず」というところで順序がいろいろ入れかわっておりますが、美に関する分野については、東京外大の亀山学長におこしいただいたときなどに文学研究のお話で近いものは議論されたわけではありますが、多分、もう少し深めないといけないのかなと考えられるということでございます。
 この部分についてはあまり議論されておりませんので、特性、役割・機能といったところから含めて、もう少し議論が必要なのかなと思っております。
 それから、感性というお話もこの委員会の中でかなりございましたが、この感性という部分を扱うに当たっても、多分、この部分がかなり不可欠であろうと考えられますので、こういった部分は必要と考えております。
 全体としては以上でございますが、資料3の各項目を再度ごらんいただきますと、1番目の「評価」というのは人文、社会科学総合的な話。2つ目の丸は大学ということで言えば、教養課程と教養部といったあたりの話。3つ目は国文・国史といった部分のお話が中心。最後はこの2年間では必ずしも議論になっておりませんが、例えば芸大とか音大といったところにおける研究をどういうふうに考えていくのかということに結果的につながってくるのかなと。組織とかということにはめていけば、そういった話になるのかなと。
 つまり、もう一度繰り返しますと、くどいですが、教養という部分と国文・国史を中心とした日本的なものについての研究と、芸大、音大といったあたりのところをもう少しやらなければいけないかなと。全体としては、評価というのが人文、社会科学全体としての大きな課題として当然あるだろうというふうに考えられると思っております。
 もちろんこれ以外にも論点、検討課題はあろうと思っておりますので、そういったところも含めてご意見を賜れれば幸いだと思っております。
 以上でございます。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。
 ここに今4つまとめておりますけれども、これは今までも評価の問題だとか美学、芸術学等、教育の問題を含めまして、議論はなされたところでありまして、一部この報告書にも入ってはいるんですけれども、十分に議論は尽くされていないところです。あとしばらく時間がございますので、どの問題からでもかまいませんし、これ以外にこういうことを検討すべきであるということをぜひおっしゃっていただければありがたいと思います。
 本日最後でありますから、これをまとめることはありませんので、私も少し気が楽に、言いっぱなしでもいいなと思いながら、どうぞどの問題からでも結構ですので、おっしゃってくださればと思います。縣科学官。

【縣科学官】 

 申しわけありません、おくれて参りまして、それでかつ報告書がもうまとまったということで恐縮ですが、1つだけ伺います。この検討事項を紹介していただくときに3ページを使っていただいたわけですが、そこに社会科学の立場からすると気になることがございます。「日本で創造された知」というのが「国文・国史」と言われる学問分野のみにおいてのみ生き残っているということの意味はどのように理解したら宜しいのでしょうか。つまり、社会科学から日本発信で形成した知はないということを意味するわけでしょうか。

【伊井主査】 

 少しこれは踏み込み過ぎた表現だったと、申しわけございません。これは少し訂正をいたします。おっしゃるとおりで国史・国文だけではございませんので。

【縣科学官】 

 おっしゃっていることは日本にかかわる……。

【伊井主査】 

 直接にということだと思います。

【縣科学官】 

 ということはわかりますが、「日本で創造された知」というのは……。

【伊井主査】 

 まだ別にいろいろ……。

【縣科学官】 

 必ずしも日本についてのみではないこともありましょうし、人文学においても外国研究をして、日本で発見された知というのも他国についてあり得るという理解をした場合、そうしたものをこの表現は排除していないととるべきなのか、あるいはこのまま読むとそういうものを排除したと私には受け取れるので、少しお考えいただきたい。

【伊井主査】 

 これは和算なんかもあるわけでありまして、もう少し広く文明史的な発想ということで、少し表現を変えさせていただきますが、申しわけございません。
 どうぞ、井上先生。

【井上(孝)委員】 

 先ほどの報告案については、皆さんで報告として承認したわけでございますので、そういう点から言うとこの前書きの3ページでは、今、事務局からご説明があった上のところでは、「ただし、二年近くに及ぶ本委員会の審議においても、まだ十分に議論を尽くせなかった事項がある。これを、今後の課題としてここに示しておきたい」という表現になっているのです。そういう意味から言うと、この4事項についても一応、今、合意が形成されたと思うので、それと今後の検討事項と次の期の審議会にこれを検討しろというのもいかがかと思うので、今後の検討事項として考慮すべき課題として提示しておくこととしてはいかがでしょう。
 もちろん、次の委員会で人がかわればいろんな見方が違うし、意見もまた出てきて、もっとこういう点は検討すべきだという意見が出てくるのは当然ですから、そういう新しい委員のもとで検討していただくという形で、ただ、その場合にこういう課題が残っているのでよろしくお願いしますというようにしておいたほうがよろしいのではないかと思います。

【伊井主査】 

 まさにおっしゃるとおりだと思います。この検討すべき課題だというと、これで委員会の構成等も拘束してしまいますので、今後、この委員会でまだこういう話題だとか検討課題が残っているのを、もし可能であればまた検討していただくし、増やしていただければということで、できるだけ材料提供といいましょうか、そういうことでここでお話をくださればと思いますが、そういう合意でよろしゅうございましょうか。

【立本主査代理】 

 先ほど事務局からいただいた検討事項の案の順序と3ページの書き方の順序ですが、最後にあるほうが重要なのか、最初にあるのが重要なのかよくわかりませんので、順序はちょっと考えていただければと思いますが。

【伊井主査】 

 順序は羅列しているだけなので、あまり重要さがあるわけではないんですが、こういう課題がある、確かに評価が最後のほうにありますが。

【立本主査代理】 

 このように4つも並べると、全部取り上げずに一番最初のものだけになるという形にならないとも限りませんので、どれを重点に置くかはっきりしておいた方が良いようにも思えます。事務局の検討事項の案は重要な事項の順で、もうひとつは、とりあえず思いついた事項を並べているという形に見えますので。

【伊井主査】 

 少し整理をいたします。伊丹先生、何か……。

【伊丹委員】 

 先ほど意見のございました検討事項の第3点で、「日本で生み出された知」の役割・機能というのを先ほどの事務局のご説明では、国史・国文の世界での何か研究活動に限定はしないものの、焦点が当てられているようなご発言がございましたけれども、それは少し望ましくないのではないでしょうか。日本という国に起きている現象、それが国文学の現象であろうと歴史であろうと社会科学の現象であろうと、そういうものを日本人の研究者が主体的になってつくり上げるその知というものに対して、もっと日本の社会が大きな目を開いて見るようなことをすべての分野でもっと大規模にやらなければいけないということを強調するような検討課題のつくり方にしないと、著しく問題を矮小化するのではないでしょうか。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。おっしゃるとおりでございます。少し踏み込み過ぎた表現だったと思います。ほかにどうぞ、この際何でもおっしゃってくだされば。
 先ほど申しましたが、次の委員会を縛るものではありませんので、こういう課題がこの委員会で積み残されたことがあるということの材料提供ということでも結構ですので、どうぞ何でもおっしゃってくださればと思います。家先生、どうぞ。

【家委員】 

 言いっぱなしでいいということですので気楽に。
 実は全然別の部会で先日、脳科学の今後の体制についてという議論をしたときに、脳科学をやっていらっしゃる方々が、新しく総合・新領域に分科細目を立てたいというご提案があって、その中に出てきたキーワードの中に、私にとっては非常に耳新しい神経社会学だとか政治脳科学とか神経哲学とか、そういうのを私も初めて聞いたものですから、こういうことになっているのというのを見て、こういうのは例えば伝統的な心理学とか社会心理学とかをやっていらっしゃる方々はどういうふうに受け取られるのかなと。
 心理学について何回かの議論があったときがあるようで、残念ながら私はこのとき欠席していたのでお聞きできなかったんですけれども、心理学のように自然科学に比較的近いボーダーにあるところというのは、あまりここでは議論しなかったかのように思いますけれども、その辺は社会とのかかわり、あるいは研究倫理とかそういうことにおいては、今後非常に重要になってくる問題ではないかと思いますので、次期なのか知りませんけれども、どこかで議論していただければと思います。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。私もそのあたりは全然疎いものですので、何かそのあたりでご意見ありますでしょうか。どうぞ、今田先生。

【今田委員】 

 東工大にいるものですから、そういう脳科学とか認知科学と社会科学、特に経済学みたいなものとドッキングした神経経済学に関心を寄せる先生方が少しいらっしゃいます。ただ、かつて行動主義心理学の二の舞にならないよう注意が必要です。サルを研究し尽くせば人間はわかるといい、でも、サルでは環境の影響を受け過ぎるからネズミになって、ネズミでもだめとかって、最後ミジンコまでなったんです。ケミカルな刺激反応図式が分かるように実験の統制をしていった末路です。それで人間のことがわかるのですかという話になったんです。
 脳科学はとても大事で、人間の脳の構造がどうなっているかがわかるのですが、それを調べて、人の消費行動がわかるというところまでいくと、何となく少々行き過ぎなのではないか。
 多分、今、若い人はテーマ探しで必死だから、経済学でもこうした試みが結構アメリカで出てきているらしいのですが、いろいろな経済学の先生とお話しすると実験経済学ぐらいまではわかるのですが、神経経済学というふうになると、人間の神経をコントロールするような経済学になってしまって、それは少し本末転倒の嫌いがあるのではないかとおっしゃる先生が多いのです。あまり強引に脳科学みたいなものと社会現象をくっつけるといろいろ問題が起きるかもしれないという印象です。

【家委員】 

 私も大いに違和感があったものですから……。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。佐藤科学官。

【佐藤科学官】 

 今の問題についてなのですが、私はむしろそういうことを期待したいと思っております。と申しますのは、例えば生命倫理ですとか終末期医療の問題などは、お医者さんだけで任せておくとどうにもならない分野であって、宗教観であるとかそういうものまで含めて、しかも現実の社会に即応した問題の1つとしてやっていただく価値があるのではないかと思いましたので、それで思わず反応して手を挙げてしまいました。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。

【今田委員】 

 そういう方向でやることに関しては、全然問題ないと私も思っていまして、とてもそういうふうに役立つ方向はいいのではないかと思います。

【伊井主査】 

 どうぞ、ほかに何でも結構ですが。この4つ以外でも何かご提案があれば、今のようにご提案していただければいいし、この中をこういうふうな方向性もあるのではなかろうかということでも結構でございますが、いかがでしょうか。何かございますでしょうか。
 これは一つ一つ、次の委員会では、1つではとてもできないだろうと思うんです。評価にしましても、それ以外の教育の問題につきましても、全部1つの委員会ではとてもできないわけでして、分科会のほうで幾つかの委員会を分けるということになるのかもしれませんけれども、この際、人文、社会科学においてこういう課題があるんだと、こういうことも考えておくべきではなかろうかという問題がございましたら、何でもおっしゃってくださればと思いますけれども、どうぞ、縣先生。

【縣科学官】 

 きょうのこの現時点で議論していることが、例えば3ページのテキストを基盤にすると考えてよろしければ、教育について「教養」という言葉が出て居ります。いつもこの会議でも一つ一つの単語の持っている意味の広さ、こちらにいらっしゃる方々の抱くイメージがそれぞれ違うということが問題になります。こういう教養というと、何か現実とはあまり関係がないようなものを主にしているような印象がございますが、そういうことですか。
 それとももっと人文学も社会科学も現実の世界とやりとり、対話というのはこうした点も意味すると思います。現実の世界にいろいろな貢献するような側面を生むために教育をするのだというニュアンスを私は個人的には感じて居ります。そういうものとこの教養という言葉が合致するのか、あるいは相反するものなのかというところが私は少し気になりまして、こうして書いてあると、むしろ現実との関係というのが私にとっては遊離したものになるような印象を与えるのですが、それは間違っていますか。

【伊井主査】 

 おっしゃるとおりで、現実の教育という観点からの問題になるわけで、かつての教養教育をどうするかということともかかわってくるのだろうと思いますが、一般的な教養というのは、概念としてはもう少し広くなってくるのだろうと思います。これについてはまたいろいろな言葉の定義が問題になってくるかもしれませんけれども、何かそれに関連していかがでございましょうか。どうぞ、今田先生。

【今田委員】 

 教養についてですけれども、今、高度教養教育を考える必要があるのではないかと思います。阪大でそのプログラムが確かできましたよね。これだけ知識社会化していけば、昔の教養科目みたいなものでは人材育成の観点からすると問題ではないかというので、もっとコミュニケーション能力とかコンピューターリテラシーとか、もちろん自然科学、社会科学、人文学すべて教養というものになると思うのですが、その辺で、21世紀の人材を見据えた教養とは何かを考える時ではないでしょうか。
 教養というと、何か趣味と教養のカルチャースクールみたいなイメージが想起されてしまって問題ですが、要するにリベラルアーツです、自由学芸。それは専門性及び市民性、人間の品格の苗床なのだろうと思うので、そういうものとしての教養ということです。
 もちろん教養の中には専門性の苗床でもある。それがないと種が育たないという位置づけをいつかきちんとおこなって、カルチャーセンター風の趣味でやるようなものとは一線を画すときちんと宣言する、方向づけることも必要ではないかという気がしています。ある程度のバージョンアップした教養の上でないと、専門性も市民力もうまくつかないのではないかという気はしています。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。どうぞ、井上先生。

【井上(孝)委員】 

 教養については、実際に教養そのものがどういうものかという考え方と教養教育はどういうものかということでは、かなり違ってくるのではないかという感じはするのです。
 ただ、従来、中教審でも教養教育について議論したり、あるいは大学の教養教育について昔、教養学部関係者で議論したり、教養教育の議論に私が立ち会ってきた感じでは、教養というのは人がどう生きるべきかとか、あるいは世界観とか人生観というものを本人が広い視野から考える力をつけさせるものというのが、基本的にあったのではないかと思うのですが、その後、教養教育については人文、社会、自然全体に続いて、それらの専門性を身につける前にそれを広い意味で論理的、倫理的、あるいは哲学的、またはいろいろなものの考え方を形成するのが教養教育の基礎になっていたのではないかと思っております。
 それで、今、例えば専門職大学院ができて、大学教育で総合教育学部とか教養学部、広い意味の教養教育は、今お話があった基礎教育的な面ももちろん入ってきているわけで、そういうところからむしろ専門職大学院のロースクール、ビジネススクールなどに進学して、さらにそういう専門的な教育を身につけていくというように、そういう考え方が専門職大学院にあると思うのです。ですから、教養そのものが何かというのは人それぞれによってとらえ方、考え方が違ってくるし、教養教育のあり方もその時代とか社会的な要請の変化、教育に対する要請の変化によって、教養教育のあり方も変わってきたのではないかと思います。
 私は放送大学に長くかかわっていて、教養学部で教養教育をやっているのですが、これも広い意味で人文、社会、自然というものとともに、人間的な発達とか社会福祉とかいろいろな分野が教養教育の中に入ってきているというのは、社会的なニーズを踏まえて教養教育としてこういうものを身につけていくと、社会において社会人として生活する上で非常に力になるとか、基礎的な力が発揮できるというような教育を今、放送大学でやっているわけでして、そういう意味で、それぞれの位置づけというのは、学問的に教養というものをよく分析すべきだというご意見ももちろんあるわけですけれども、非常に多義的で、そこは意味合いがそれぞれによって違ってくるのではないかと思っております。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。
 なかなか難しい問題でそれぞれの立場によって解釈が異なってくることだろうと思いますけれども、何かほかにございますか。どうぞ、猪口先生。

【猪口委員】 

 教養ということなんですが、僕は教育というか、学力について考えるときに、教養というのを使ったのが間違ったのかなと思っていて、基礎的な学力、体力的なものが大きい。要するに日本語をきちんと読んで、書けて、しゃべって、伝えることができるか、そして、その次に英語についてできるか、それから、数式ができたときにどうやってきちんとわかって、あるいは自分でそういうのを使うかという読み書きそろばんという21世紀版の学力、体力的なものが非常に危ういところが多いのかなと思っています。ですから、僕は教養なんてそんなやわなことを言う前にがんがん体力をつけてくれたら一番いいなと思っています。
 とりわけ大学4年間でそれをつけたら、大抵のものは読むのはわかるんだから、読んで考えて刺激を受けて、それでやってみて失敗してどうしようかなという感じで、読み書きそろばんができれば、とにかく日本語、英語、数学がある程度できれば、大したこと、敵はあるけれども、必ず征服はできなくても対処できる敵であるという感じで、太い感じでやったほうが、近代ヨーロッパの啓蒙の精神をどういうふうに何とか教えるかとか、何科目、どの本読め、こうしろなんて言っているより、逆にまたアジアでもそんないいのがあるなんていって、延々と特有の気持ちとか考え方とかというのばかりやるのもいいんですけれども、僕は基本的にはいろいろなものを読めばどこでも書いてあるような、どこかに書いてあるものがいっぱいあるので、低レベルのものもあれば高レベルもあるんだから、しっかり読んで、しっかり表現できるということを日本語、英語、数字、数式でできるように頑張っていくというのが大学の根本的で、それは前々からやれというけど、あまり頼ってばかりいてもだめになってきたので、アメリカ型に、大学に入ってから学力、体力をつけるという姿勢を強くしないと、ただただ下から延々と崩れていくような感じがひ弱になり、わーっと膨れて、入学試験の成績だけはあれだけれども、その後は大して展開、発展しないという感じがするので、僕は決定的に教養なんて言葉はやめて体力をつけるということ。読み書きそろばん、21世紀的なもの、読めばわかる、しゃべれば伝えることができる、伝えたらできるだけ説得できるというのを日本語、英語、数式で全部できるようになるべきだと思う。
 それをなくしてそんなボルテールか何だとか源氏物語と言っては悪いんですが、そういうのは感性とかものすごく必要だと思うんです。広い視野とか豊かな感性というのはいいのですが、読んだりインタラプトしながら、そういうのをだんだん身につけていくというのが基本。歩いてしゃべれなくて食べることができない赤ちゃんは育たないです。がんがん泣く、泣きわめく、がんがん部屋から出ようとする、怒られても泣きわめいて返すとかそういう感じのがないから、僕は体力と、教養なんていう言葉は一切廃止して、少なくともこの委員会は読み書きそろばんの21世紀の根本的な体力をもうちょっとフィジカルに、体力が何メートル投げられた、投げると何だとか、腹筋が200回できる人は日本には3人しかいない話みたいなもので、僕は大学教育というのは読み書きそろばん、21世紀版の根本的な体力がない人はだめだと。それに豊かな感性、広い視野、ほかの人ともにこにこしながらも、しっかりと自分のポイントができるという感じに説明すると、カリキュラムもつくりやすい、先生方も教えやすいかなと僕は思います。勝手なことで、そういうことで。

【伊井主査】 

 どうぞ、井上先生。

【井上(孝)委員】 

 今、猪口委員がおっしゃったのは、最近の大学教育を見ていると、確かに大学に入ってくる学生の学力が低下してきて、従来の一般教育を共通教育とか各大学は工夫しながら、外国語にしても数学にしても情報関係にしてもリテラシー教育を中心にやっているという現実があると思うのです。
 だから、果たして大学教育というのは、戦後の教育はリベラルアーツで教養教育の重視というのが1つの理想として掲げられていたけれども、そういう理想がかなり崩れてきているという現実は確かにあると思うのです。
 ただ、その場合でも人格の形成を目指すとか自己実現を目指すという場合に、果たしてそれだけでいいのかと。そういう場合にこの報告の中でも書いてあるような社会や文化の教養の形成涵養というのは、一人一人にとって必要なことではないかと思うわけで、教養として、みずから涵養していく教育も必要ではないかと私は思っています。

【伊井主査】 

 どうぞ、猪口先生。

【猪口委員】 

 僕はそういう意味ではなくて、あまり教養、教養とやわなことばかりやっていると肝心な体力がない前に、赤ちゃんに向かってルソーをわかれとかフランス語があまりしっかりしていないのに、あんな面倒くさいのを1ページ読むのに10時間かかったなんてのんきな話をやっているから、僕はしっかり体力をつけてから順々にいけばいいというだけで、暴論ではなくて基礎体力がなければだめだという議論でございます。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。
 確かにどういうふうに教育をしていくのかというのは、これも非常に今の状況を見ると憂慮するところもあるんだろうと思いますが、ぜひ猪口先生には学長として……。

【猪口委員】 

 大学生の学力が落ちているという議論は強いですが、僕の印象では、半世紀前の僕自身とか友達自身の学力に比べて格段の向上があるというのは僕の意見で、それはそのときにいたコーホート、学力の大きさとかそれを考えてコントロールしたら、今の学生のほうがトップの10%や20%よりはるかに高い。自分たちがトップの10%だとは言わぬまでも、大学生になる数の人口変化から見たら半世紀前に一流学校に入っておったのがトップ10%だとすれば、今の大学生のトップのほうがはるかにできます。これは読書量もすごい、日本語もしっかりこなしている、英語もしっかりこなしている。全然あの半世紀前の非常に貧弱な読書歴、教科書の貧弱さなんていったら自分たちの先生はだめというわけですが、今の教科書なんてほんとうによく考えて、リッチになって、しかもかなり最先端まで取り組んでいるので、僕は学生のレベルが下がったというのは、もう少し綿密な分析なくして言えない。半世紀前の学生というのはどういう人が入っていたか、今の学生がどういう人が入っているか、そういうのをある程度コントロールしてやらないと、今の学生のトップ10%、20%ははるかに昔の大学生よりできる、勉強している、意欲もある。
 だけれども、大学が悪いので、あるいは教授が悪いので、あるいは自分が悪いので、何かもっと上げられないでいるというのが僕は一番の問題。特にトップではなくてボトム、30%ぐらいについてはほんとうに手を差し伸べるだけの余力もないし、工夫もないので、自己反省としてですが、それはほんとうに深刻だと思う。
 ただ、平均して落ちたというのは、特に何か漢字が読めないとかああいうので何となく気になるといえば気になるのですが、東条総理大臣も演説で漢字間違って読んでいたのは結構あったのです。1941年だか42年ごろ、それでみんなに笑われたのだけれども、でも知らんぷりしてやったというのがあったのですから、あれは昔からあるので、江戸時代の漢文教育がほぼ終わってきたので、そういう漢字の弱みが出てきて、最近では目立つというだけであって、全般的な学力は上がっています。文科省はもう少し褒められるべきだと思うんです。ただ、入る人がものすごく増えていますし、それまでがどこまで面倒見てもらっているかというのがよくわからないものだから、すごく難しくなったというのが正しい観察ではないかなと僕はいつも思っている。
 学力はできる人はものすごく上がっている。中間的な人も水準は上がっている。ただ半分、ボトムの10%、30%はほんとうにかわいそうなぐらいほったらかしになっている。そういうのが僕は正しい観察だと、僕はいろいろなところで教えてみてそんな感じを受けます。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。これは非常に教育のあり方という問題が重要なことだと思いますが、いかがでしょうか。どうぞ、中西先生。

【中西委員】 

 今回、最後ということで、感想じみたことも交えて言わせていただきますと、この委員会は非常に心に残ったすばらしい委員会の1つだと思っています。
 それはなぜかといいますと、まず学問の本質論の議論から始まったことです。本来、学問はどうあるべきか。人文学及び社会科学の特性を議論して、次に機能や役割について論じ、それを踏まえて振興策を議論したのですが、これは他の分野の議論ではあまり見られないと思います。委員会では、今までこうだったけれども、こうすればどういう違いが出てくるのだろうかなど、とかく個別論的になりがちな議論を、ここではまず本質から議論したということで、すばらしい委員会だったと思っています。これは翻って考えますと、ほかの分野においても、まずその学問の特性、本来どういうものかということをきちんと議論してみると、新しい、いろいろな方向性が出てくるのではないかと思われます。
 今、今後の検討案ということで、美学や教育などが出てきておりますが、本質を常に意識しながら議論するというのは非常にいいスタイルではないかと思います。自然科学の分野でもこのような議論が必要なのではないかと思いました。そういう意味でも出席させていただき、いろいろな方の話を伺い、私は良い勉強させていただいたとも思っております。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。
 議論は尽きないところでございますが、本日最後ということでもありますので、これまでの委員会のご感想なり、これからどういうことを残して次の委員会に託すかということを含めまして、お一人ずつ、今、中西委員にご感想を言っていただいたんですけれども、改めて深尾科学官からお一人ずつ何かおっしゃってくださればありがたいんですけれども。まことに突然で申しわけございませんが。

【深尾科学官】 

 私は実証的な経済学を主に担当しているのですが、そのあたりの議論がよく印象に残っています。この報告書でも例えば第4章でどういう課題があるかということから入っていこうということが書かれていて、非常に興味を持ってよくできたと思いますけれども、実際に先ほど脳神経経済学の話も出ましたけれども、どういうフロンティアについてやっていったら社会の問題に答えることができるかということについては、まだもう少し我々は議論してもいいのかなと。
 例えば、課題解決型というので、新しい学術振興を今回文科省は始められましたけれども――34ページあたりに書いてあることですが――どういうことに重視したらいいかというと、格差社会とか経済成長とか、わりと普通に言われていることが例えばテーマとして取り上げられたと思うので、もう少しそこのところは何がフロンティアとしてあって、どこに重点を置いたらさらに実証的な社会科学を発展できるかということについては、どういう場でどういうふうに考えていくかということの検討がもう少しあってもいいのかなという感想を持ちました。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。佐藤科学官、いかがでしょうか。

【佐藤科学官】 

 私は個人的には非常にいい勉強をさせていただいたと思って、得がたい解が与えられたと思って個人的には大変喜んでおります。
 何か一言ということなので一言だけと思いますが、この報告書の案の中にもありますように、人文学の役割の中に「メタ知識」というものを書き込んでいらっしゃって、人文学の中にいろいろな学問を統合するファンクションみたいなものを求めていらっしゃる。私はこれはおもしろいと思います。私は自然科学をベースにして仕事をしてまいりましたので、よくわかるんですが、例えば、自然科学者に何かよそのものを統合しろと言っても、これは絶対にやらないと思います。こういうのは人文学の固有の特性だと思いますので、そういうことも含めて、先ほど少し言いましたけれども、だれもほうっておけばやらない領域についても何か言っていただくのは非常にいいことではないかと思います。そういう面も期待したいと思っております。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。縣科学官、いかがでしょうか。

【縣科学官】 

 私も同席させていただきまして光栄でございましたし、非常に有意義だったと思います。
 それで個人的には、最近、自分が見聞きしている学問領域が現実からかなり遊離している場合が多いので、その学問が現実にどれだけ貢献するのか、どういうふうにしたらそれができるのかというスタンスが各回で議論されて、かつ報告書にかなりの程度反映されていると私は思いましたので、その点は非常に有意義であったと考えております。ありがとうございました。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。藤崎先生、どうぞ。

【藤崎委員】 

 ほんとうにいろいろなお話を聞くことができましたし、基本的な学問論というところから始まりまして、勉強させていただけた会だと思っています。
 報告書に関して少し全体として心残りだと思うのは、人文学と社会科学の全体を見渡してということがねらいだとは思いますけれども、その全部を包括して1つに取りまとめていくということがそもそも不可能なのかもしれません。その結果、幾つかの特定の学問を前提とした議論にやや偏っている面があるような印象は持っています。具体的には「哲史文」と言われるような領域を前提にした議論がわりと多くの比重を占めていたという印象を持っています。
 もう1つ、基本的にはこの報告書は、人文学及び社会科学の学問的特質を押さえた上で、その振興策として何が求められているのかいうことにつなげていくところが一番重要なのだと思いますけれども、振興策に関してはやや抽象度が高い、我々が日々大学等で研究教育を行っていて、その中でいろいろ日々感じる問題点、日常的な感覚からすると、少し距離が遠いような印象を持っております。
 具体的には、これは文部科学省の政策方針全体にかかわることかと思うのですが、非常に大きなプロジェクトを立ち上げて、そこに大きな予算をつけてというとても目立つ幾つかの取り組みをしてみせて、そして国際水準の研究をするということが求められるわけです。確かにそれはそれで重要だとは思うのですが、今の大学環境のもとで仕事をしていて、まず何が一番欲しいかというと、「時間」です。そういった日常的な、きちんとした教育をし、それぞれが基本的な研究の発展を図れるという環境をきちんと保障するということがここでの報告書のまとめとどのようにつながっていくのかというあたりで、少し距離があるような印象が残りました。

【伊井主査】 

 ありがとうございました。
 確かに私どもは時間に追われてしまって、時間がないという、評価はされるし、いろいろな書類も書かなくてはいけないということで、それだけでも一日終わってしまうというところもあるんだと思います。いかに人文学というもの、あるいは社会科学を振興するためにも、我々はどういうふうに時間をとっていくのかということも大事な問題だろうと思っております。谷岡先生、どうぞ。

【谷岡委員】 

 大変、私自身勉強になりました。
 まず、少し人文学と社会科学を一緒にするのはそもそも無理があったような気がいたします。私は社会科学者なので、いろいろな面で事実を事実として考える共通の言語の構築からとにかくスタートするべきだという意見と、もう1つは何回か言っておりますけれども、まず対費用効果のむだの見直しから、そういったお金をもっと若手研究者、底上げ、いろいろな教育システム、将来の「知の巨人」をつくるために戦略的に使う方法があるのではないか。そういう意味でできる振興からして、その上でお金を新たにお願いするのが筋ではないかとずっと思っておりました。
 今の若者を見ておりますとオカルトだとか疑似科学だとか、わけのわからないものにどんどん走ります、大人も含めてです。そこはもうさっき猪口先生がおっしゃった知の体力がもう全然ダメです。表面上いっぱいものを詰め込んでおっても、根本的な何かが足りないんだと思っております。
 また、今、経済学の話が出ましたけれども、例えばデリバティブに手を出すような大学が経済を教えるというのは、私はもうおかしいと思っています。すいません、関係者がおられましたら謝罪いたしますが、そこにはもう経済学の知識も倫理観も教養もすべてないわけで、どこかおかしいです。ですから、そういったものからお金を剥奪して、それを若手の育成にぜひ回していただきたい。つまり、私が言いたいのは、将来においては対費用効果をもう一度考え直す機会をぜひ持っていただきたいなということです。すいません、ありがとうございました。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。ぜひそういうふうなことを今からの育成ということは非常に大事だろうと思っておりますが、ただ、人文学はほんとうにある意味では、経済的な効果はあまりない分野なもので申しわけないことだと思っておりますが、小林先生、どうぞ。

【小林委員】 

 何回か出させていただきまして、ほんとうにいろいろ勉強させていただきましてありがとうございました。きょうもこのまとめのところで人文学、社会科学の成果は理解の共有と、さすがにいいこと言われるなと思いました。それの理解の共有がさらに一般化すれば、文化の共通規範という教養なんだと、だから、そういう教養は大事なんだということなんだと思いますが、これもきょう勉強させていただきました。ほんとうにありがとうございました。

【伊井主査】 

 ありがとうございました。今田先生。

【今田委員】 

 とてもいい報告書になったと個人的には思っていまして、多分、人文学及び社会科学の研究者にとって、元気づけられる報告書だという気がします。というのは自然科学の方法とか研究法に関して、結構、コンプレックスを感じさせられていた人文、社会科学者がいます。経済学はほとんど数学だから理系に近いのですが、そういう人たちに自分たちはだめなのかな、国際ジャーナルで査読がないとだめなんだ、そういうものすごいプレッシャーがあったと思うのですが、自然科学と違う固有の人文学、社会科学の特性もあるので、それを踏まえて頑張ればよいのであると元気づけられて、方向づけをある程度見せてくれたという意味では、多分、これで元気になる人文、社会科学者は結構多いと思います。
 それから、それとの関連で、今までは実証的な方法というのでなければ、経験科学でなければ科学でないとだけ言われ続けて、これもコンプレックスの原因だったのですが、対話的な方法というのがつけ加わりました。これは大きいのではないかと思って、別にお話しするだけの対話ではなくて、対話の中から共同研究もやるし、いろいろな歴史、文化その他も明らかにするという意味では、また実証と並ぶ対話的な方法という方法論を自分たちは使ってよいのだという意味では、元気づけられるのではないかと思っています。こういう方向づけを科学技術・学術審議会が出すということはとても大きな影響力を持つと予想しますので、1つのインパクトのある報告になるのではないかという感じがして、私も参加させていただいてよかったと思っています。ありがとうございました。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。それでは、猪口先生。

【猪口委員】 

 私もこういう同じ箇所に長くいたというのはほとんど過去40年間なくて、少しみんなと変わったことを言うので排除されているのかなと思っていたのですが、今回はそうでもなかったのでありがとうございました。
 それで私が言いたいのは、先ほどから時間がないというのは、ある程度やることを限定するという方法か、あるいはやっている人の人数を増すということしかないので、両方からやるにしても、限定するという努力が大学教授にある程度ないとだめで、私は何でも研究もやります、教育もご丁寧にやります、大学行政も綿密にやります、何とかこんとかといっていたら時間がないに決まっているわけで、そこら辺は大学教授という社会的な意味が少し違っているかなと思うのですが、何か必要だと。
 それからもう1つ、文科省にお願いできたらというのは、こんなにたくさんの人が時間が足らないと言うんですから、それはもう大学教授の人数を抜本的に5倍とか10倍にする必要があるのではないかなと僕はいつも思います。どうしてかというと教えるのが結構多いし、事務的な仕事がものすごく爆発的に増大しているので、それをやらなくてもいいというならいいのですが、大抵の人はやっているんです。僕みたいにあまりやらなかった人もいるんですが、やらなかったというのは、ただあの人は無能だからといって頼まれることが少なかっただけなのですが、何か僕は日本の大学はとてつもなく事務量が増して、しかも好むと好まざるとも大学の運営のためにものすごい時間を使っているというのは何かの方法で、10倍に大学教授を増すか、大学教授の任務としてもうちょっとジョブディスクリプションをはっきりしないと、何をやっているのかわからない人もいっぱいいるなんて言ったらぶん殴られるんですが、僕は何か考えたらいい。そういう審議会みたいなものをつくったらいいのではないかなという気はします。
 倫理コードではないのですが、職務として一体何が絶対なければだめ、できたらがんがんやってほしい、いろいろあると思います。適性があって、教えるのは上手だけれども、あまり気がすぐ散る人はだめだとか、あるいは気はよく散るからかえっていいとか、いろいろな研究分野がありますので、そこら辺をしないと教育もやれ、研究もやれ、行政もやれ、マスコミで社会貢献もやれなんていっていると、みんなが時間がなくて文句ばかり言っているわりにはぱっとしないというふうになりかねないので、ここら辺は暴論だと思うんですが、大量に大学教授の人数を増す、それから、もう1つは倫理コードみたいなものを考える機会をつくって、後者のほうは中からしかできませんし、大学教授を大量に増すというのはお金もないし、そんなのできないと思うんですけれども、カリキュラムをもう少し簡素にして、1週間に10コマも教えるなんてやめてほしいなという気はします。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。おっしゃるとおりで、肉体的な体力もほんとうに必要なものですから、これは大変、どう分けていくのかというのは、大学の教員というのはさまざまなことをすべてやっているわけですから、少し切り分けるということも将来の課題だろうと思っております。ありがとうございました。伊丹先生。

【伊丹委員】 

 私、この報告書及びそれに至る議論のプロセスというのは、2つのインパクトが期待のできるとてもいいものができたのではないかと委員ながら考えていました。
 私は文科省のこの種の議論に参加することは今までほとんどございませんでしたので、そういう外野席にいた人間を委員としてお呼びいただくこと自体が何かの根本的な方針転換がおありになったのだろうなと思うのですが、2つのインパクトの1つは、先ほど既に今田先生のおっしゃった、実際に人文学や社会科学の分野で研究をやっている人たちが元気づく。それを私は2回前の委員会のときに、これは大学院生に読ませたらいいと。どういうふうに研究を考えるべきかということについての指針になるようなことがたくさん書いてあるという表現で申しました。したがって、今田先生の意見に全く賛成でございます。
 もう1つのこの報告書から期待したい大きなインパクトは、文科省と学術行政に関するインパクトでありまして、非常に荒っぽい表現をいたしますと、自然科学偏重の世界にあって、人文学と社会科学の一種の独立宣言をした報告書にこれはなっていると思います。学問の特性が違う、だから同じようにインターナショナルジャーナルのレフェリーの査読つきジャーナル論文1通で評価するようなことはやめてくれとはっきり書いてあるわけです。そういう独立宣言ということがもたらす意味は、私は大きいように思いますので、独立したから敵対関係になるという意味では全然なくて、同じ色に染め上げようと行政をしないでくれという意味での非常に大きなインパクトを期待したいと思います。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。家先生。

【家委員】 

 私も毎回、本来なら受講料を払わなければいけないのではないかと思うぐらいの大変ハイレベルのレクチャーを聞かせていただきまして、まことにありがとうございました。
 この部会に参加させていただきまして、前々から薄々は感じていたんですけれども、1つはっきりわかったことは人文学と社会科学は全然違うということでありまして、少し離れたところから見ていると人文、社会科学でつい一くくりにしたくなるのですけれども、それは全然違うと。ですから、これは本来は振興策を論ずるところでしたけれども、なかなか振興策として何がベストかというところの結論までは至らなかったと思いますけれども、育てるにはどんどん肥料をやって、光を当てて、場合によっては人工照明までつけてというやり方もあるし、盆栽のように気長に毎日水やりだけは欠かさずというやり方もあると。それぞれの学問の特性に即した育て方があるんだろうと思います。
 特に人文学関係のレクチャーを聞いて、私は大昔、教養学部に入ったときの教養という言葉に対するあこがれです。先ほど教養というと軽いという印象が世の中にあると言われて、私にとっては非常にショックだったのですが、私は教養というほうが、最近よく使われるように、例えば人間力という私にとっては軽い言葉よりはずっと重みのある、深みのある言葉だと思いますし、教養というのは社会人としての健全な判断力の基礎になると思いますので、そこはぜひ涵養していただきたいと思いますし、それから、もう1つ、「知の巨人」というほとんど死語のような言葉が出てきたのも、私にとっては非常に印象的でした。というわけでほんとうに昔、教養学部に入ったときの教養科目のメニューを見たときの知的興奮をまた味わさせていただきたいという気がいたします。どうもありがとうございました。

【伊井主査】 

 どうもありがとうございました。それでは、西山先生、どうぞ。

【西山委員】 

 個人的な感想を何点か申し上げたいと思います。
 私は同じ民間企業で、40数年間研究開発とビジネス、特に外国人とのビジネスをやってきました。私は理科系の出身なんですけれども、自然科学の分野では、自分とは異なる専門学的なところに入っていきますと、並外れた疎外感を感じます。
 私はもちろん、この世界にはとてつもなく門外漢なんですけれども、それほど疎外感を感じずに参加させていただいたことは、非常にありがたいことだと思っています。人間の本質的な特性として知への渇望があるわけで、その渇望がどこに向かうのかといえば、私が勝手に思いますには、人間そのものとか、社会の中にその対象が向かっていくということではないか、私が意外に疎外感を味わなかった原因がそこにあるのではないかと思っております。
 私は民間企業で自然科学の分野とは言いながらも実質は人の中で動いていたわけです。その中で特に外国人とのビジネスで強く感じたのは、結局、日本人はともするとミューチュアルプロフィットから入ってしまうんだけれども、うまくいくか、いかないかの決め手は何かと考えますと、プロフィットの前にミューチュアルリスペクトというのがあると意外にうまくいくという実感を持っております。それはとりもなおさず、日本人として自国に対するアイデンティティーを持った中でこそ、相手の国の文化の長所を理解できると私は考えておりまして、それがないと真の意味のコスモポリタンにはなれないと思っております。
 そういう見地からいったときに、この分野は極めて根幹をなす重要な分野であると思いますので、まさしく振興しなくてはならないと思っております。ぜひともそういう中での大前提として、世界と仲よくやっていくには、日本人としての特性と日本人の長所と短所を自覚した上で、相手との関係をさらに磨いていくというスタンスが必要で、我々は日本人として生まれた以上、そのスタンスをなくしてしまうとおかしくなると思っています。3点目については、国文・国史だけではないということは自明の理なんですけれども、さらに発展させていただきたいと願っております。

【伊井主査】 

 ありがとうございました。中西先生。

【中西委員】 

 先ほど申し上げたとおりでございますが、学問論に根差して行政まで考えるというこのすばらしい委員会に参加させていただきましてどうもありがとうございました。

【伊井主査】 

 井上先生。

【井上(孝)委員】 

 この委員会の20人の委員のうち、私だけ教育行政に長年携わってきた者なので、できるだけ研究者の皆さん方のご意見が、今後の振興方策に反映するようにという観点で議論に参加してきたつもりなのですが、特に10人ほどの有識者のプレゼンテーション、それぞれの専門分野の「知の巨人」というべき方たちの意見は非常に参考になったと思いますし、この委員会の皆さん方もそれぞれの専門のお立場からいろいろなディスカッションができて、この報告書は委員会としてのアカウンタビリティ、説明責任を果たせたのではないかと私は思っています。
 今後の検討課題もございますが、ここまで報告書をまとめられたこの委員会の報告というものを、文部科学省も十分それを生かすように国民に対して説明し、財政当局に説明して、人文、社会科学が現在置かれている研究環境が非常に恵まれていない分野のほうが多いわけですから、そういうものを大いに振興するようにご尽力いただきたいと思っております。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。主査代理であります立本先生のほうからよろしくお願いします。

【立本主査代理】 

 今まで皆さんが言われましたので、ほとんどつけ加えることはないのですが、私の言葉で言えば、大きくは学問の本質論とかそういうところに踏み込みながら、この報告書は地についた報告書だったと思っております。地についたというのはどういうふうなことかというと、いろいろな施策を生み出すパワフルな力を秘めているという意味でございまして、これを十分利用すればいろいろなことができるのではないかと思います。
 この母体であります科学技術・学術審議会は、どうしても自然科学が重視されているように見えますが、いつも人文学、社会科学はどうなっている、振興しなければいけないということはおっしゃっていただいていると理解していますが、言いっぱなしでは困るということで、ぜひこの報告案を活用した形で振興策が出てくるように願っています。ただ、その振興策が出てくるというのは、先ほども学生に読ませたいということがありましたけれども、やはり2つありまして、1つは学生を含めて研究者、大学自身が具体的な策をどういうふうにとるかという議論の糧にこれがなれば非常にいいのではないかなということが一つ。
 一方では、先ほどご指摘のように文科省として、振興策として取り上げていただくという種本としてはかなりいい線をいっているのではないかと委員の1人として思っていますし、今までの先生方のご意見をお聞きしますと、大体皆様方の一致した見方ではないかと思います。

【伊井主査】 

 ありがとうございます。
 それでは、与えられた時間はまだ少しありますけれども、早いほうがいいだろうと思います。本日は先ほどから申しておりますように、最後の人文学及び社会科学の振興に関する委員会でございまして、委員の皆様にほんとうに御礼を申し上げたいと思っております。2年間でございますが、私がふつつかながら主査ということを務めさせていただきました。23回出席をいたしましたが、初め任務を与えられましたときにメンバーを見せられまして、とても私には勤まらないということを思いましたが、皆様のご専門とかそれぞれのお立場を踏まえながらどうしようかと思い悩みながら勤めさせていただいたわけでございます。しかし、本日、皆様のありがたいお言葉をいただきまして、私も非常に励まされるような思いがいたしました。
 私こそ日本の古典文学というのをしておりまして、あまりふさわしくないメンバーではないかと思いながらも、ほんとうに私自身が勉強させていただいたと思っております。心から御礼を申し上げる次第でございますが、報告書も無事にこれでお認めいただきまして、来週報告いたしますけれども、この間、文科省の事務当局におきましては素案からまとめに至るまでいろいろほんとうにご努力をいただきました。私とのキャッチボールもいたしましたけれども、ほんとうに皆様のご意見を賜りながらまとめさせていただいたということで、当局にも心から御礼を申し上げるわけでございます。
 本日の午前中、研究環境基盤部会というのがございまして、そのときに配布された資料によりますと、基礎科学力強化懇談会という会議が開催されたんだそうであります。そこの委員はほとんどノーベル賞を受けた方が並んでいらっしゃいまして、そこでいろいろな意見が出ているようです。ノーベル賞ですから、自然科学の方が大半ですが、その意見の中に、「一国の文化が栄えるためには学術、文化、芸術が栄え、国民が享受することが重要。基礎科学力は自然科学にとどまらず人文、社会、芸術を学ぶことにより専門の自然科学でも力を発揮する。そのためには、大学での教養教育を強化する必要がある」というご意見が出たということも書かれておりまして、まさにこの委員会をサポートしていただいたと心強く思った次第でございます。
 なお、この報告書は先ほど申し上げましたように、学術分科会に報告をいたしました後、きちんと印刷いたしまして、全国の大学及び研究機関等にお送りして、これをもとにしてそれぞれ今後の学術研究の施策という形で提案していただく。そのときに国としてはこういう報告書が出ているんだから、これをもとにして財務省に言う根拠づけ、言いわけになるということで、勝手に文科省がやっているのではないという資料として使えるものだということで、非常に重要な位置づけをこれから数年かけてのこれからの人文学、社会科学の振興の方策となるものと思っております。ほんとうに皆様のご助力を心から感謝いたしまして、私の主査としての御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。(拍手)
 それでは、最後に文部科学省のほうからごあいさつを賜ればと思います。よろしくお願いいたします。

【倉持審議官】 

 審議官の倉持でございます。先ほどまで局長の磯田が座っていたのですが、今年は大変厳しい年明けでございまして、国会も動いておりまして、その関係で中座せざるを得ずに、かわって御礼を申し上げたいと思います。
 ほんとうにこの人文学及び社会科学の振興に関する委員会につきましては、この2年間で24回、大変ご熱心なご議論をいただきまして、心から感謝申し上げます。人文、社会科学、一くくりに議論しがちだったわけでございますけれども、それぞれの学問の特性を明らかにしていただきまして、それを踏まえて振興策、あるいは評価の考え方を議論してみようということで初めての試みだったのではないかと思いますし、非常に画期的なことだったのだと思います。最後のごあいさつで個人的なことを申し上げるのは恐縮ですけれども、私自身はずっと科学技術行政をやっていまして、専ら自然科学の議論をしてまいりました。先ほど大学院生に読ませたらいいということも伺っていて、実はきのうこの原案を拝読していて、もっと自分も知っていれば、またこういう人文、社会科学の深み、見方をもっと知っていたらよかったなと思うことがありました。
 とかくいろいろ政策議論をしていますと、非常に重要であることはわかります。そして、自由に研究することが大事だということもわかりますけれども、そこでとまっていると中身が見えない。したがって、それをどういうふうに外側から見たらいいか。どうしても議論が先行している自然科学の見方にとらわれてしまう部分があったのではないかと思います。先ほど独立宣言というお言葉がありましたけれども、まさにこれからその分野としての考え方をそれに基づいていろいろなことをしていこうとすれば、みずからの姿を外に出していくということは非常に大事なことだと思いますし、私どもとしては、ほんとうにまさに教科書にもなるのではないかと思われる今回のご提言を踏まえまして、いろいろ行政的に考えさせていただきたいと思います。
 具体的な組織はもちろん未定でございますけれども、次期の審議会におきましても引き続き途切れることなく、この人文社会のあり方、振興の仕方につきましてまたご審議をいただきたいし、引き続き検討していきたいと考えているところでございます。私自身は半年しか参加できませんでしたし、正直、途中のご議論で理解が難しいなと思っていましたけれども、こうやって最後の文章になりますと、そういう意味だったのかということがよくわかったりしまして、非常にエンカレッジされるところでございます。
 いずれにしましても、これまでの委員の先生方のご協力、ご尽力に心より感謝申し上げまして、文科省からのごあいさつとさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)

【伊井主査】 

 どうもありがとうございました。
 それでは、事務局のほうから連絡事項があれば、お願いいたします。

【高橋人文社会専門官】 

 本日、最後の回ということでございますので、以降の予定はございません。
 以上でございます。どうもありがとうございました。

【伊井主査】 

 ありがとうございました。それでは、本日の会議というか、この委員会が終了ということになります。ほんとうにありがとうございました。

―― 了 ――

 

 

(研究振興局振興企画課学術企画室)