学術研究推進部会 人文学及び社会科学の振興に関する委員会(第2回) 議事録

1.日時

平成19年6月6日(水曜日) 16時~18時

2.場所

尚友会館ビル8階 1、2号室

3.出席者

委員

 伊井主査、立本主査代理、上野委員、白井委員、中西委員、西山委員、家委員、伊丹委員、猪口委員、岩崎委員、小林委員、谷岡委員

文部科学省

 藤木審議官、川上振興企画課長、森学術機関課長、戸渡政策課長、江崎企画官、後藤主任学術調査官、門岡学術企画室長、高橋人文社会専門官 他関係官

オブザーバー

(科学官)
 高埜科学官、深尾科学官

4.議事録

【伊井主査】
 それでは、ただいまから、「人文学及び社会科学の振興に関する委員会」第2回会合を開催いたします。本日はどうも、お忙しいところ、ありがとうございます。
 まず、本日の会議の傍聴登録状況につきまして、事務局からご報告をお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】
 本日の傍聴登録状況でございますけれども、傍聴希望の方、2名いらっしゃいます。
 以上でございます。

【伊井主査】
 ありがとうございます。
 それでは、事務局から配付資料の確認をお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】
 資料につきましては、お手元の配付資料一覧のとおりでございます。議事次第の2枚目についております。欠落などございましたら、お知らせいただければと思います。
 それから、第1回にもございましたけれども、人文学及び社会科学に関する基礎的な資料をドッジファイルにて机上に用意させていただいておりますので、こちらの資料のほうも適宜ごらんいただければと思います。

【伊井主査】
 ありがとうございます。
 それでは、これから議事に入ることにいたします。
 この委員会では、前回お配りしました資料にもございますように、「自然科学との違いについて留意しながら、研究内容や研究手法などの面から見た人文学及び社会科学の学問的特性について」というのが1つ目でございます。2つ目としましては、「人文学及び社会科学の社会的意義や研究成果の社会還元の在り方について」ということでございます。3つ目は、「学問の特性や社会との関係を踏まえた人文学及び社会科学の振興方策について」と、こういった事項につきまして審議をしていただくことが我々に課せられました委員会でございます。
 当面は、人文学及び社会科学の学問的特性とか、その社会的な意義につきまして、各委員から、さまざまな観点からプレゼンテーションをしていただきます。それによって意見の交換をしながら、お互いに委員がそれぞれの立場をご理解を深めていただくというふうなことを趣旨として進めているわけでございます。
 前回は、私のほうから人文学全般的なこと、そして猪口委員からは社会科学全般につきまして、その社会的な意義だとか特性及び支援方策というものに関しまして非常に結論的な意見も発表していただいたわけでございます。
 第2回目の本日は、研究内容や研究手法などの面から見た人文学及び社会科学の学問的特性を中心にしまして、その社会的な意義だとか、あるいは支援方策を含めまして、立本委員から、ご専門の分野を踏まえながら30分ばかりプレゼンテーションしていただくということを思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 それでは、よろしくお願いいたします。

【立本主査代理】
 立本でございます。先回は欠席いたしまして、どうもすみませんでした。資料3にありますように、この振興に関する委員会における主な意見をこういうふうにきちっとまとめていただけるのでしたら、もうちょっとしっかりとプレゼンテーションを考えてきたらよかったのですが、雑な話になりますが、お配りいたしております資料1のレジュメに沿いまして、思っていることを申し上げたいと思います。
 まず、「はじめに」というところがございます。これは一応、私がこの話をせよということで、本委員会でのプレゼンテーションの枠を書いています。最初にあります人文学、社会科学というのは、これは今回の委員会の総括をされたということで、次のフィールド研究、計量的方法、実験的手法は、これらの手法がどういうふうに人文・社会科学の振興に役立つか、それがどういうふうに予算化できるかというふうなことだという理解で、きょうはお話ししていきたいと思います。
 それから、全体といたしまして、人文・社会科学の特性とか人文・社会科学の社会的意義というのを述べよということがございますので、一応、そこにぱっと書いております。
 人文・社会科学の特性について、ここに3つ挙げましたのは、実はこれは前の学術分科会の人文・社会科学の推進に関する答申の中でまとめられていたものでございまして、「ことば、解釈、非実験」が挙げられています。これを申し上げましたのは、おそらく、この「非実験」というのが今回のいろいろな議論に関係してくるだろうということで紹介しています。この非実験というのは、実験という語を非常に狭い意味、制御された状況においてデータをとるというふうな意味に限定すれば、人間社会とかそういうふうなものでは、最初のところで猪口委員がウィーバーの分類を紹介されておりますけれども、組織的複雑性というか、意味といいますか、そういうふうなものを問うものであって、そういう意味で非実験ということであります。私は、やや古いタイプに属するのか知りませんが、「ことば、解釈、非実験」というのは、これはこれなりでいいんではないかと思っております。
 それから、次の人文・社会科学の社会的意義ということに関しましては、これは伊井主査が先回ご紹介されております。資料3のほうに5つのポイントが書かれておりますが、それにおそらく便乗するということで、一番最初の「人間性涵養=よく生きる知」というのは、(これはウェルビーイングというようなことも考慮しておりますが、)伊井委員が紹介されました人間研究の基礎学というのは、そういうふうな意味であろうということです。「伝統伝承」は文化の継承ということで、そのままでございます。「批判」と書きましたのが、クリティックということでございますが、これは伊井主査の3、4、5(英知の創成、社会の貢献、教育の再生)の根底にあるのは、やはり批判というか、そういうふうなものではないかと思いまして、批判を社会的意義の一つとしました。私としては人文・社会科学の特色や社会的意義を言うよりは、「人文学と社会科学とのスペクトラム」のほうが大事であるということを特に言いたいわけであります。
 これは皆さんもおっしゃっていることでありますが、言いたいことは、人文社会全般を救済するような形の最大公約数では振興策につながらないということです。最大公約数といいますのは、今言いました人文・社会科学の特性とか人文・社会科学の社会的意義とか、を一般的に言っても、実際に、それが人文学、社会科学の全体のレベルアップにつながるのか、あるいはそもそも全体のレベルアップをしなければいけないのかというふうなところと非常に密接に関係いたします。本委員会では人文学と社会科学とを分けて考えていますが、おそらくはこれは、分けられない。人文学もいろいろなものがある、社会科学の中にもいろいろなものがあるということで連続している。このスペクトラムというのを私は私なりに、対象の連続性と方法の連続性と、この2つから見ています。要するに、そこに「Blurred genres」ということを書いておりますけれども、現在の知的状況というのは学問領域が割切れないということで、これをやはり一応踏まえておかなければいけないということです。文学とか科学とか、政治とか経済、対象によって切られるというのが従来のディシプリンでありますけれども、現在、文学を文学だけで、それで研究が終わってしまうということが非常に少なくなってきています。
 もう一つ、方法論の多様化といいますか、方法の重なりがあります。ディシプリンに求められている方法だけでは済まないようになってきている。そこに書いておきました、複数研究法の融合、複合活用とか、あるいは方法論的複眼というふうなことが人文・社会科学一般に言われています。対象から言っても。方法から言っても、人文学と社会科学というのを一連のスペクトラムとして捉えるということで、おそらくそこに自然科学も加わるわけで、どうして人文学と社会科学を自然科学と分けてしまうのかということにもつながっていくと思います。おそらくそれは、生物学とか生命科学とか、そういうようなところで、これはずっとつながっていくのだろうと思います。
 そういうようなスペクトラムの中で人文学、社会科学の振興というのをどういうふうに考えたらいいかということの具体策を2ページのほうに言っております。そこへ飛べばいいんですけれども、フィールドサイエンス、フィールド科学といいますか、そういうふうなことについて述べよということでございますので、その話をしておきます。
 そこに、「臨地研究」という、ちょっと見かけない言葉を使っております。フィールドワーク、フィールドリサーチ、フィールドサイエンス、日本語では野外研究、野外調査、現地調査、いろいろな言葉に翻訳されております。これは20年ぐらい前になりますか、亡くなられた東外大の橋本萬太郎さんという中国言語学者がおられまして、「現地調査」という語を批判されました。現地調査というのは、現地があって、それに対応する本拠地がある。何か差別的なにおいがあるということで、「現地」というのはあまりいい言葉ではないんではないかということと、「調査」という言葉が中国語ではそんなにいい意味を持たないということで、「現地調査」と言われていたのを「臨地研究」と言ったらどうかとおっしゃっていたのを、私はそれからずっと使っております。フィールドワーク、フィールドリサーチ、フィールドサイエンシス、これは社会学とか人類学だけではなくて、もちろん生物学なんてフィールドワークそのもののようなところもあるようでして、今、いろいろな分野で使われておりますが、一応、「臨地研究」という言葉を使わせていただいております。
 この「臨地研究」というのは、もともとはフィールドワークという言葉から来ているわけですが、フィールドというのは戦争用語にもつかわれ、基本的に野外ということだと思います。そういうふうなところで仕事をする、測量をするということで、もともとは野外測量調査ということでございまして、これは実験室における、完全に制御されている実験というものに対立するものであります。もともと土木とか地質学とか生物学というようなものは、現場に行って観察、測量、調査をするのは当然ですし、19世紀に「フィールドワーク」が使われたときには、そういうふうな意味であったのです。
 それが社会科学、人文学のほうに入ってきたのは、特に20世紀になりましてから、人類学者が、長期にわたって臨地研究を行うことをフィールドワークと称するようになって、それが一応、人類学者になるイニシエーションの役を果たしました。何のためにフィールドワークをするのか。これはエスノグラフィーを書くためです。民族誌といって、その土地のわからないところのすべてをグラフィー(記述したもの)として提示する。統計資料とかそういうふうなものが全然ない地域で調査したので、その現場に行って、いろいろなデータを自分で集めて調査をしなければいけない。その調査法の彫琢されたものが人類学におけるエスノグラフィカル・フィールドワークということです。社会学者も同じようなことを行う。これは農村調査とかそういうふうなことになってきまして、都市に住む学者の農村調査、要するに、現場を知らない人が現場での実態調査、社会調査をする。いわゆる密着取材とか体験取材とか参与観察です。人類学のデータ収集の特徴といたしまして、総合的にデータを集める実態調査ということができるかと思います。
 こういうふうな流れが、先ほど申しましたように、エスノグラフィーを超えた広い範囲で、社会学にもいろいろな範囲で利用されてきました。臨地研究法を一つの方法として厳密に確立していかなければいけないという議論も、人類学ではございました。
 次のページには、臨地研究の方法的特性をまとめてあります。先ほどの人文学と社会科学とのスペクトラムと同じように、同じ人類学をとりましても、フィールドワークというのは全然変わってきており、いろいろな臨地研究があるわけです。20世紀初め、「フィールドワーク」という言葉が確立された時のフィールドワークと現在のフィールドワークというのでは、対象自体が変わってきているのと、それから、研究者が研究目的とするものが変わってきているのです。フィールドワークというものに様々な形があるということを認めたうえで、臨地研究というふうな大きな枠をもって語るときには、おそらく、変わらないものというか、基盤といいますか、前提となるものがレジュメにかいたようなことだと思います。現実にそういうふうな臨地研究に基づく研究方法を促進するときにこの前提を考えなければいけないということになるわけでございます。
 まず、これは最近の新書などで、「現場主義」のような本がたくさん出ておりますが、知るべきリアリティーは現場にある、現場にしかないという前提が臨地研究にはございます。そういうふうなことを前提にして、生活現場における人間を対象としている。先ほどの土木とか地質とか生物学というのは人間を対象にしてはいませんが、少なくとも人文学、社会科学の場合は人間を対象にしている。現場での観察、取材、これは当然でありますが、そこから、当然、計量的方法によるマクロな視点ではございませんで、ミクロな、しかも1つのケース、個別の例、それを見るだけであります。全体は推論による、あるいは、全体は統計的方法によるなど、別の方法をとらなければいけない。全体を見ようと思うと、飛行機に乗って俯瞰的にばっと見る必要が出てくる。俯瞰しても個々のものは見えませんので臨地研究によって現場を知っていることが前提になるわけです。この事例研究という方法的制約が、次の2つに書いてありますように、どうしても研究が、記述、解釈、価値判断というふうなステップを踏まざるを得ない。そこから、いろいろな意味を抽出してくるというふうなことになるわけであります。量的制約、数が少ないということは非常に小さなものを見て、大きなことを語るということになります。観察範囲に限界があるということで、量的スケール、範囲、こういうふうなものの限界を克服すべきか、克服して逆に利点として使うということでありまして、それが今、臨地研究の一つの大きな流れになってきているわけです。こういうふうな方法的特性を持っているということをご紹介いたしまして、次には海外におけるフィールドワーク支援方策というのに絞らさせていただきます。
 これは前々から、海外調査は時間と金がかかると言っておりましたけれども、それ以外のことで、海外におけるフィールドワーク支援方策というのを、そこにずらずらと書かせていただきました。まず、海外フィールド拠点とか連携拠点とか、あるいはフィールドワークサポートセンター、これはいくつかの大学で苦労してつくっておられますが、そういうふうなものを組織的に一つにするということがございます。
 それから、ネットワークというのがございます。これは現在、地域研究に関しましては、東南アジア、スラブ研究とか、いろいろな地域研究があり、それぞれの地域研究の学会があります。それらが集まって地域研究コンソーシアムというのをつくっておられるわけです。海外フィールド拠点もネットワークの一つではございますが、地域研究コンソーシアムのようなネットワークというのが一つ必要であろうということです。
 それから、「安全保障」と書きましたのは、あたり前のことですが、安全保障というのがなければフィールドワークはできない、安全保障こそ研究基盤整備であることです。新聞記者などは危険地域に行くのが仕事のような面もありますが、学術としての臨地研究はまず安全が保障されなければならない、安全保障がフィールドワーク支援の最も基本なものになるんではないかというので、そういうふうなことを書かせていただきました。
 その次からが、ちょっと技術的ですが、真剣に考えなければいけないということです。これは人文・社会科学ということを議論するときには必ず図書整備とか情報処理の整備というふうなことを言われますが、資料データ・デポジットというのはその一環でございまして、フィールドワークの資料、データの体系的なデポジットです。民博などでは個人で収集したデータのデポジットなどをやっておられますけれども、これはやはり、どこか拠点を整備する必要がある。デポジットするというのは、ディスエミネーション、これがないとデポジットにはならないわけで、リトリーバル可能なディスエミネーション、発信のできることが必須条件です。そこにデポジットするだけだったら、これはデポジットにならない。ディスエミネーションがあって初めてデポジットということになるわけで、ディスエミネーション能力を備えた資料データデポジットというのが、フィールドワーク支援の具体的な策として必要であると思っております。
 あと次は、これはもっと技術的になりまして、学部、大学院教育とかそういうふうなものの整備で、その一環として「モジュール化」と書きました。例えば現在、社会学会のほうで社会調査士資格というようなことをやっておりますが、そういうふうな基盤的な教育カリキュラムの整備です。
 もう一つ、サバティカル制度。これはどこでも必要でしょうと言われますが、特に海外におけるフィールドワークというときには、現在のように、教育の義務、負担、それから研究成果を出さなければいけないというような負担の中では、長期にわたるフィールドワークというのはできない状況にあります。特に私学とかそういうようなところは、ほとんどできません。臨地研究の根本的な振興ということでは、こういうふうな研究環境を整えることが必要です。すべての仕事を一応ちょっと置いておいて、一定期間、半年なり1年なりの期間、調査に出られるというふうな制度が必要であるということでございます。
 こういうふうなことが臨地研究にかかわっておりますが、先ほど申し上げました、人文学と社会科学とのスペクトラムということと関連付けてお話したい。
 ポイントは、一番最初に言いました、人文社会科学全体の最大公約数的支援では振興策につながらないというのと関連いたします。全体の押し上げというのはほんとうに必要なのかということです。全体の押し上げというのであれば、これはインフラの一般的整備、均等に研究費を配分するとか、そういうふうなことになるわけでございますが、そのようなインフラ整備がほんとうに効果があるのかどうか。ある程度は必要だと思いますけれども。私はむしろ、インフラ整備一般というよりは研究支援のほうでいろいろな施策をすべきだと思います。研究支援といったときに、個々の学問分野と、それから人文・社会科学の全体図との兼ね合いが大切です。全体を言いますと、どうしても融合分野、複合領域、新領域、総合性というふうなところに目がいってしまうわけです。事実、その次、特定の領域のインフラ整備推進としてプロジェクト方式とか、それから、後で事務局から紹介されるようですニーズ対応型地域研究というふうなものは、言い換えれば融合分野、特定の領域を強化すれば、人文・社会科学のほかの分野も後をついて出てくるというふうなところをねらっているわけであります。全体の押し上げというのは、本気になってしようとすると、教育行政と、それから政治経済、それから科学と、この3つを総合して、政治経済に流されない人文学、社会科学の振興策を立てなければいけないわけです。現在、人間文化研究機構というのが人文社会科学の大学共同利用機関として唯一ありますが、そういうふうな研究機関を見直して改組といいますか、改革といいますか、もっと流動化というような形でいろいろしなければいけないんではないかということです。その次の国際化ということは、これはいつでも人文学、社会科学のときにすぐ出てくることでございまして、国際化の一番の初歩は留学でございましたが、それ以上の発信面の国際化ということにつきましてちょっと考えていましたことを、次のページのメモに書かせていただいております。
 特に、下側の「人文社会科学をレベルアップして国際化する一つの手段」というようなところで、ここの3番目に書きましたように「学際的・国際的アリーナ」、これが、人間科学に関する高等学術研究所、そういうふうなものの必要性というか、現在の人間文化研究機構をそういうふうな方向に持っていくか、あるいは新しく研究機関をスクラップ&ビルドするというふうないろいろな形があるかと思います。
 科学研究費の配分方法ということに関しましては、申請や審査の枠組みとなる細目表がありますが、ほかの分野の細目表は非常に変わってきているのですが、人文学、社会科学のところはほとんど変わらない。この細目表というのはもともと、文科省なり学振なりが勝手にやっていることではなくて、アカデミックコミュニティー、学術会議とかそういうのに聞いてやっているとおもいますが、人文・社会科学のほうは何か変わらないということは、やはりアカデミックコミュニティーのほうも、ちょっとこれは問題があるのではないかなと思います。そういうふうなものをトップダウンで変えてしまって、果たしてついてくるのかというような不安もありますけれども、それにもかかわらず、横断的、超領域的細目表の設定はますます必要なのではないかということです。学際領域というのがありますが、そこに海外調査とか社会調査など学際的に利用可能な細目の設定も考えられます。これは実は海外調査に関しましては、ずっと前に海外調査の総括班というのがありまして、そこがマネージしていました。科研費の細目表の中に入れるとすれば、また一つの活性化になるんではないかなと思っております。
 そういうふうな全体の押し上げということよりは、やはり予算化しやすい一点突破主義による振興が必要だと思います。「特定の領域のインフラ整備推進」というところに書いてあります。プロジェクト方式といいますのは、はじめに「ことば、解釈、非実験」を申しましたが、この議論をしたときに採用されたのがプロジェクト方式です。要するに共同研究のようなものを人文・社会科学の人はあまりしないからプロジェクトを立ち上げてそれを通して共同研究の仕組みを定着させるということだと思います。これは3年目か、4年目でになると思いますが、こういうふうなインフラの整備の仕方もあるし、あるいは、後で紹介されますニーズ対応型地域研究というような支援の仕方もあるかと思います。これはいろいろと文科省なり学振なりが苦労して、やっておられるわけですけれども、今後はそういう形のものを進めると同時に、研究手法に即した研究基盤整備ということで、この中に、実験、計量、測量を含む複合的手法としてのフィールドサイエンスの支援がありうるということだと思います。、これにつきましてはすでに申し上げましたが、そういうふうな支援と、それから次回の社会調査、社会理工学、計量的方法とか、そういうようなこともあるかとおもいます。こういうふうなものの基盤整備というのと、それから、一番最後の実験というのは、これはほんとうに人文学、社会科学かどうかというのが非常に悩ましいところでございますが、しかし、スペクトラムといった以上は、こういうふうなものも考えねばならない。心理学というのも非常に自然科学に近いものもございますが、脳科学と結びついたり生命科学と一緒にやったり、あるいは環境科学というようなものも、そういうような意味でいろいろな形の基盤整備が考えられると思います。
 以上、具体策というのは、全体の押し上げと特定領域のインフラ整備を区別して、でき得れば特定領域のインフラ整備というほうが現実味があるのではないかというふうな意見でございます。
 以上、時間となりました。

【伊井主査】
 ありがとうございます。非常に興味深い、フィールドワークという一つの切り口から、人文学、社会科学という問題をお話しいただいたわけでございますけれども、これにつきまして、さまざまなご意見があるだろうと思いますので、どうぞ何でもご意見あるいはご質問をいただければと思っておりますが、どなたからでも結構でございます。よろしくお願いいたします。

【猪口委員】
 政治学の猪口です。どうもありがとうございました。私も臨地研究の周辺に存在していると位置づけてはいるんですが、大したことはやっていないんです。ただ1つ、すごく何か違和感を感じたのは、人文・社会科学の特性について、「ことば、解釈、非実験」というのはだれが決めたんですか。これはみんな反対です。
 例えば、1つずつ言えば、「ことば」といっても、ノンバーバルなことで、政治では、この間のアメリカの大統領選挙のその前のゴアが出たとき、ゴアが、あんまりブッシュが頭悪いことを言っているから、すごく、「何にも知らないな」みたいな表現をしたのがテレビに映って、かえって、その態度が悪いというのがかなり決定的になって落ちたんですね。得票はほんとうは多かったのかもしれないけど、ああいう態度、いくら何でも見下すみたいな表情をするというのは、メディアと政治はものすごく重要になっている。
 それから、「解釈」というのも、これは説明がものすごく多くて、例えば今、医師と政治学の中でもものすごく一緒の研究が多くて、解釈というよりは、臨床して、病気かなとか、そういうんじゃなくて、臨床であれ面接であれ、ちゃんとデータを集めて、それで、使う統計的なものはほんとうに全く同じです。スタッターの2レベルのロジット・レグレッション・モデルみたいなのをばーっと使って、医学でも政治学でも全く同じです。解釈だけじゃ、とどまっていないです。
 それから、「非実験」というのは、先ほど注釈がありましたけれども、これは実験なのです。それで、こちらの分野では、D.T.キャンベル、これも心理学者のあれですけれども、クエザイ・エクスペリメンタル・リサーチというのがものすごいです。それで、政治学でも、実験というのはものすごい力を持っている。例えば、戦略的な投票なんていうのがあるんですけれども、それをどういうふうにストラテジック……、3人とか4人が出ていた、台湾の選挙みたいにノン・トランスファーラブル・シングル・ボーティング(NTSV)みたいなのがあるときに、ストラテジックに動いたら、みんながかなりやったらすごく結果が大きくなる。そういう実験的なシミュレーションがものすごい。それで、ものすごくパワーフルにきいているという論文が次から次へと出ている。これは全く反対。こんなふうに限定する限定主義者というのは、もうだめだと思います。スコープもメソッドも限定しているから、こんなのをだれが答申したのか知らないけれども、とんでもないことだと僕は思います。そんなふうに、科学というか、人文学、社会科学でも、スコープとメソッドを限定するというのは、だれがそんな許可を与えたのか。神でも、そんな許可は与えないです。好奇心を、いつも真理とか何かを追求するわけですから、そういうふうに何かへんてこな限定をするというのがまずよくないし、実際問題として、そんな限定されないで追求している場合がものすごい勢いで、私の知っている限りでも、今言った3つの例もありますから、僕はあまりこれ、だれか答申したのかもしれないけれども、継承することはない、継承に反対します。

【伊井主査】
 これは一つの答申として出てきたことで、これに我々は拘束されることはないんだろうと思いますけれども、立本先生、何か。

【立本主査代理】
 全くおっしゃるとおりでございます。だから、そもそも特性を考えても、あまり意味がないんではないかということを言いたいんです。これを挙げましたのは、これは科学技術・学術審議会の学術分科会なんですよね。これを議論しているのは、同じ科学技術・学術審議会なんです。一応、こういうような議論があったというのは頭に入れておいていいんではないかということでございます。私の論点というのは、特性とか社会的意義とか、こういうふうなものは皆、人によって違いましょう。しかし、それにもかかわらず、アカデミックコミュニティーとしてどういうふうにするかが問題なわけです。ところが、アカデミックコミュニティーといったって、人文学から社会科学まで連続していて、私はこう思っているという人と、違うと思っている人とがいるわけで、「私はこうです、あなたは間違っています」ということを正面に押し出すとで議論はおそらく進まないということです。この特性と社会的意義というのは、あまり言いたくはなかったんですけれども、こういうふうなな解釈もあるというご紹介をした次第でございまして、おそらく、この議論というのは、してもあまり意味がないんではないかと思っております。

【伊井主査】
 ありがとうございます。猪口委員、よろしゅうございましょうか。これに我々は縛られることはないと思います。

【猪口委員】
 はい。

【伊井主査】
 何かこれに関連してでも、ほか。どうぞ。

【岩崎委員】
 お隣で反対のことを言うのも何なんですけれども、私はやっぱり、これは文系の特徴だと思います。もちろん、すべて人文・社会科学と一くくりにして、それが特性だというのは、そう言えない部分もかなりあるんですけれども、そこで何が違うかというと、要するに、言うならば新たにデータをとる研究と、それから、これまで、例えば法学でいうと判例とか、それから文学とか哲学の著作とか、そういうことをもとにして結構研究されていると思うんです。そういうことに関する、また著作とか研究成果が得られて出ているわけで、これは言うならば、メーンとしては「ことば」でしょうし、それから、結局、「解釈」ということもかなりやっているわけです。それから、もちろん実験でないしと、そういう部分はやっぱりあることはあるので、これで人文・社会科学の特徴だと大くくりにすることはできないけれども、何パーセントかわかりませんけれども、かなりの部分、こういう世界はちゃんと存在して、それはそれなりの意義があるとしておかないと、ちょっと全体をにらむときにはまずいんじゃないかと思います。大事なことはやっぱり、データをとる研究なのか、そうではなくて、これまであるものの新たな視点を与えるという研究なのか、その辺は確かに両方存在するということだろうと思うんです。
 それで、今、立本先生がお話しになった臨地研究の場合は、広い意味では調査ということだと思うんですけれども、これはこれで非常に重要な分野だと思いますが、やっぱり調査といっても、大きく見て実験ではないと思うんです。ですから、そこはかなり、あらかじめ条件設定をしてということはできないわけですから、やっぱり自然科学とは一応違うと。自然科学といっても、生物学とか農学とかのフィールドはそれぞれありますから、あれですけれども、いわゆる主流となっている今の自然科学とは違うということは事実だと思います。
 以上です。

【伊井主査】
 ありがとうございます。どうぞ。

【谷岡委員】
 今、非実験か実験かということで、もちろん実験系が少ないのはお認めしますけれども、私がおります犯罪学の分野で、アメリカでは、例えばハーフウエイハウスみたいな新しい処遇の希望者を少年院で募ります。その中で、例えば500名の希望者がいたら、その500名の希望者についてコントロールグループをちゃんと設けます。250名は、こういうのに名乗り出て、「やりたい人」というので手を挙げた人の中から、ある特殊な処遇をいたします。そして、5年、 10年という規模、スパンで、再犯率やいろいろな追跡調査をずっといたしますので、そういう意味で、クエザイ・エクスペリメンテーションどころか、ちゃんとしたエクスペリメンテーションを実は社会内で行っております。ただ、日本においては、今、立本先生がおっしゃったように、横断的な研究があまりできていないですから、例えば警察のデータや、そういう実験をやらせてくれと言っても、やらせてくれないのが実情ではあります。また、時間や規模に関しても、今、 5年までありますけれども、かつては2年間しか例えば予算が認められないと、そういったものの諸条件が、やっぱりまだ日本では整備されていない。まず、そこのところを基本的に言っておきたいと思います。

【伊井主査】
 ありがとうございます。データをどういうふうに扱うかとか、データの調査とかというようなことになって、今、「非実験」というような言葉も出ましたけれども、人文学が自然科学とどのように違うのか、差異化というものと、我々がどういうふうに人文学、社会科学をこれから振興することによって予算をとっていくかという問題にもかかわってくるだろうと思いますけれども、どうぞ、ほかに何かございませんでしょうか。どうぞ。

【猪口委員】
 データをとるのとデータを見るというのは、へんてこな区分だと思います。それはどうしてかというと、近代の始祖の一人と言われるウィリアム・オッカムの唯名論的な立場に立つと、ある考えがあって、概念をよくして、それによって物を見るから、ああいうふうに見える、こういうふうに見えるという話が近代の始まりだということだとすれば、データがあるからなんていうことはないんで、すべてあなたの考え次第でデータはいかようにも見えてくる、分析できるという立場です。データがあるとかデータをつくるというのはなくて、こっちがこういうふうに考えるから、こういうふうにデータを見ましょう、つくりましょうと、どちらも同じレベルで考えているわけです。何かデータがあるから、データをとる研究とかデータを見る研究みたいというのは、僕も科学研究費の面接で、そういうふうに「どっちですか」と言われて驚いたことがあって、かといって、そういうときに反論するわけにもいかなくて、審査員が「そんなばかなことをきいてくれるな」なんて言うわけにもいかなくて困ったことがありました。いつも、どうしてそういう考えに至ったのかと非常に不思議です。僕は、それについても、そういう見方は反対です。全く反対です。

【伊井主査】
 データという考え方にも違いがあるだろうと思いますし、データというものをどう解釈するかということにもかかわって、さまざまな分野が生まれてくるんだろうと思いますけれども、いかがでしょうか。経営学だとか企業経営なんかともかかわっていらっしゃると思いますが、小林委員、何かございませんでしょうか。

【小林委員】
 私は専ら今、私学の経営と学長ということで、あまり学問的な話はできませんが、ただ、今、学生は人文系ですと、座学だけではもう満足しないというところがあります。だから、フィールドスタディーだとか、こういう臨地研究というものを非常に望んでいると。それで、いろいろなことで「やってください」と来て、やるんですが、では、それを組織的にどういうふうにまとめていくのかというときに、みんな先生たちは迷っているところがあるんです。学生に発表させて、こうすると。発表させて、じゃ、どう指導を持っていくのかと、そこら辺のところは、これからとても大事ではないかと。海外に行って、いろいろなことをやって、発表会をやって、それで終わりなのかということなんです。だから、臨地研究というのは、ほんとうにこれから大事だと思います。特に大学の学部の学生にとっては、それをやると、ぱっと目の輝きが違います。その後の勉強の仕方が違います。だけど、臨地研究をどういうふうにやって、どうすればいいのかというのは、きちっとできていないんじゃないかというふうなことを私は思います。そこら辺のところが大事なんじゃないでしょうか。

【猪口委員】
 大賛成。研究デザインと概念化がまずいのだと思います。

【伊井主査】
 先生のところの大学では、それのアフターケアといいますか、具体的にどういうふうな形で成果を求めていこうとなされて……。

【小林委員】
 今、私どもはコミュニティーコラボレーションセンターを作りまして、そういうフィールドスタディーだとか、企業へ行ってそういうのをやったり、あるいは海外へいろいろ行ったりとか、いろいろなことをやっているんですが、まだ先生方は迷っていると思います。やれと言われてやっているんだけれども、どうまとめていくかと。学生を集めて、いろいろ発表会はさせます。発表会はさせますけれども、それで、「ああ、よかったね」だけで終わっているんじゃないかと、そこがジレンマです。そこから、さらにどうつなげていくのだということです。だから、臨地研究の方法論といいますか、そこからどういうふうにやっていくんだということが一番問題です。私どもの学校としては、試行錯誤というのが現実です。

【伊井主査】
 ありがとうございます。どうぞ、上野委員。

【上野委員】
 前回から大変事柄が根源的なので、なかなか整理がつかないんですが、今のところであれば、ちょっとかかわれるかと思います。人文・社会科学の特性ということなんですが、私は教育学で、大学教育、また初等、中等の教育にかかわる立場で見ることになります。
 それで、今のお話と絡んで言いますと、人文・社会科学の研究の問題であるけれども、若手研究者が育たない問題とか先回出ておりましたが、私は、教育の中で、この点が非常に弱体化しているということをまず思うんです。それは、大学の学生もそうですし、あまねく初等中等教育において、きちんと、まさに言葉で解釈をして考えるという思考力が、理数科教育ということではかなり進んでおりますが、それは実験の方法等で、実験をし、方法を習得しというふうな部分はかなりやられておりますが、どういうふうに思考して自分の考えとしてまとめていくかという部分は極めて弱体化しているという問題意識を持っております。つまり、一つには人文・社会科学の教育が必要であるという自覚を持っております。そこが弱いので、例えば私のところですと、理数科教育がざっと突出してきますので、当然、人文の研究者を求めるという体制は弱くなります。というので、人文・社会科学が弱まっていくということが循環しているように思います。
 それで、研究のほうに戻りまして、先ほど先生方のご意見が異なったところですが、私は「ことば」と「解釈」のところは、やはり人文と社会科学の特性として押さえておいたほうがいいだろうという考えを持っております。これは当然、人文・社会科学だけのものではないので、自然科学のところでもきちんと位置づくべきことですが、それをあまり「共通です」というふうにしてしまうと、人文・社会科学のところで、とりたててそういう特質を持っているという部分がぼやけます。ここの部分は、言葉でもって、ただ現実を知るだけではなくて、それで現実をつくっていくという側面がありますから、そのあたりの枠組みをつくるということも先に必要ですので、結論的には、人文・社会科学の特性の「ことば、解釈」というところは、きちんと特徴として置いておいたほうがいいのではないかということです。実験の部分は、いろいろあると思いますので、置きます。
 以上です。

【伊井主査】
 ありがとうございます。谷岡先生、どうぞ。

【谷岡委員】
 ちょっとだけ、言いたいことが実は。立本先生の話を聞いて、全然別のことを思っていましたので、その部分を言いたいと思うんですが、特に今、医学界その他、幾つかの自然科学の分野で、エビデンスベーストという考え方が当たり前の世界になっております。結局、いろいろな論を言って、いろいろな理論、モデルを発表したり、そういう相矛盾したものが山ほど出てまいります。そんな中で、ほんとうに役に立っているもの、ほんとうにちゃんと証明されているものは一体何なんだ、証明のレベルはどのくらいなんだということを確立していく、特に医学界ではそれがもう当たり前になっていますし、犯罪学の社会でも、どんな処遇が例えば再犯率を減らすのか、どうすれば例えば交通違反は減るのか、そういったさまざまなことに関しては、すべてエビデンスベーストの考え方を中心にしようというふうに実は進んでおります。そこにおいて、エビデンスというからには、事実とは何なんだということがやっぱり--私は人文のほうは知りませんので、社会科学の話をしておりますけれども、少なくとも、一般化され、反証可能性があります。そういったさまざまな手法の中で、事実というものがだんだん確立していく。そんな中でやっぱりというプロセスの考え方が、日本ではあまりないと思うんです。ですから、科学研究費を出す場合には、例えば必ずデータをオープンにすること。しかも、特にフィールドリサーチが客観性を保持するのはかなり難しくなりますから、こういう状況で、こんなインタビューをして、こんなふうにしたということを細々と書いて、ちゃんとそれを記録していくアーカイブが絶対必要になります。そうしないと、どんな状態でインタビューして、どんなふうに話しかけたのかまでちゃんとわからないと、フィールドリサーチというのは客観性が保持できませんので、そういう意味で、立本先生がおっしゃった拠点、資料データ・デポジットがやっぱり社会科学においては、まずスタート地点になると思います。

【伊井主査】
 ありがとうございます。今、海外におけるフィールドワークの支援方策の中だとか、具体策のこと、科研の問題も含めてお話しくださいましたけれども、具体策のここに掲げられておりますことに関して、何か家委員、どうぞ。

【家委員】
 私は物理屋なもんですから、人文・社会科学の学問的特性という高尚な議論にはとてもついていけないんですけれども、立本先生のお話の中で、具体策のところで、例えば科研費に関するご提言が書かれておりました。海外調査の重要性というのは、こちらも理解できているつもりですけれども、科研費制度で、昔と違いまして、昔でいうと、海外旅費には非常に制約があったりしましたけれども、最近では、研究種目にかかわらず、その辺の使途は非常に自由になっていると思うんです。ここで言っているのは、それでもなおかつ、新しい枠組みをつくることが非常に重要であるということでしょうか。既存のルールで結構フレキシビリティーはあると私は理解しているんですけれども、それでは対応し切れないところがあるという。

【立本主査代理】
 確かに、海外調査に関しましては、総括班の努力などで非常に使いやすくなりましたので、経費とかそういうふうなものではなくて、むしろ、「海外におけるフィールドワーク支援方策」に書きました海外フィールド拠点とかネットワークとか、そういうことに関連して、海外調査というふうな一つの枠をもう一回つくってみたらどうかというふうなことです。これは、具体的にそこまでちゃんとは詰めて考えておりません。次回以降の社会調査とか実験心理学とか、そういうようなところでお話しになるのは、調査とか実験とかと区別しようとすると、フィールドワークの場合は、おそらくは海外調査という枠をもう一度、枠組みとしてやってみたらどうかということでございまして、そこら辺はまだ十分詰めておりません。
 ただ、例えば、今さっき実験と非実験というようなことがございましたけれども、私は、この非実験というのは、再現可能性がないということだと思っていまして、検証可能性はある。検証可能性の意味の実験ではなくて、再現可能性としての実験は難しいということです。同じことをして、同じ実験をしたら、人間ですから、違う答えが返ってくるでしょう。そういうふうな意味で非実験ということで使っているんですけれども、昔、非実験講座と実験講座がございましたよね。

【伊井主査】
 ありましたね。

【立本主査代理】
 それで、非実験のほうが配分金額が少なくて、実験講座のほうが多かったわけです。基盤研究費の保証として、逆に非実験講座には沢山基盤研究費をつける必要があるのではないかと思います。実験講座とか、そういうようなお金の取れるところは競争資金をどんどんととりなさい。人文・社会科学の場合は、それとは違い基盤研究費のほうをもっと考え直さなければいけないんではないかということです。ちょっと競争的資金獲得の風潮と逆行するようなことですけれども、人文学、社会科学の振興というときには、そんなことも考えていいのではないかと思います。海外調査というのをちょっと、時代遅れですけれども、挙げさせていただきました。

【伊井主査】
 よろしゅうございましょうか。
 ここで、海外におけるフィールドワークの支援方策の費用だけではなくて、それ以外の費用といいましょうか、安全保障を含めて、サバティカル制度をどうするかということもご提言なさっているわけでございますが、ほかに、具体策につきまして、ご提言のところで何かご意見いただけますでしょうか。

【伊丹委員】
 最後のところに、ある意味で、特定領域を幾つか選んで、そこでインフラ整備をするというタイプの振興策が書いてあるんですが、これは十分意味のある振興策だと思いますけれども、それよりも、特定組織をピックアップして、それにいろいろな援助をする。言ってみれば、COEみたいなタイプのアイデアをもうちょっと幅広くできないものか。そういったことで、トップレベルの人文・社会科学の大きな研究組織のようなものを、日本のあちこちに、それほど多くない数をきちっとした規模でつくるという政策をやらないと、実際に活動が恒常的なレベルで起こらないような気がいたします。
 現在の大学院組織の中で、それぞれ教員がいるから、みんな研究活動をそれぞれにやっているはずだという前提ではやっぱりだめで、その大学院の中に、さらに研究組織のようなものをきちっとつくって、そこに大きな援助を少数の者にしていくというので、日本の中に核ができていくというんでしょうか、そういったイメージの政策も必要ではないかと思います。

【伊井主査】
 ありがとうございます。猪口委員、お手が挙がっていましたが。

【猪口委員】
 今の伊丹委員のご意見に、これは賛成なんです。私も、人文・社会とくっつけて、ああだ、こうだと言うから反対しているのであって、社会科学ということに関しては、そんなことは何でもあるから、人文も社会も自然も、みんな同じような方法とスコープを持っていると言いたいのです。ただ、それぞれ見方が違う。したがって、概念が違う。その概念をうまく煮詰めるところが下手。教育をあまりよくしないから、何か臨地研究になると、私は行った、見た、書いたみたいな臨地研究が多くなり過ぎているんじゃないかという感じがするんです。概念化が深くない。
 だから、一番の問題だと、いつも政治学についてはしゃべっているんですが、それから言うと、今の伊丹委員のご意見は全く賛成で、そういったときには、どうしたら概念化できるかというのを、しっかりしたことを教えるというのが1つ。
 それから、そういう分野にかかわるところについては、インフラ整備が、この日本国では禁止しているんですね。だから、それが僕は非常にどうしていいかわからなくて、International Encyclopedia of Social and Behavioral Sciencesに、インフラストラクチャーというものについて、私は書いているんですけれども、とにかくないんですね。どういうことかということを、海外調査であろうと、世論調査であろうと、犯罪歴であろうと、データの蓄積というものがない。アクセスがあまりよくない。ほかの人との交流がないから、外国のことについては一切気にもしていないといろいろあって、この3年、5年、あるいは間違っても10年ぐらいのコンティニュー・エーションだけではどうしようもないくらいのデータは続かなきゃだめなんです。チャールズ・ダーウィンが動物がどうだとかいう話も、ずっと続かなきゃだめなんです。
 それから、社会科学でも何でもいいんですけれども、人はどう考えて生きて、どんなことを心配しているか、どんなことを夢見ているかというのを、ときどきちゃんとやっていなきゃだめなのに、この日本国はてんでやっていないんです。何とか支持率調査なんていうのばっかり、ものすごいお金を使って毎月やっていますけれども、肝心な、人がどんなことを心配しているか、どんなことを望んでいるか、ちゃんとしたものは、意外とどころか、全くないに等しいんです。だから、それをやろうと言っても、3年まではいいですと。その後どうするか。
 それから、インフラの面倒くさいところは、今、伊丹さんもおっしゃったんですけれども、組織をつくらなきゃできないんです。今の科研の方式は、あんたやりたいというならやってという感じで、その後が組織づくりというのは、根本的に弱いところは、結局、給料は一切関係ないというから、流動的で、若くて野心的で、ものすごいという人を雇えないんです。だから、近くにいる人だけになっちゃって、それは別に給料をもらっているから、あんまり高いインセンティブがない場合が結構多いんです。それで、しようがないから、幕の内弁当式に、そこらじゅうにいるのをワーッと並べてやっているというのが結構多くて、私は参加しているというだけで、お互いは何をやっているかわからない。行きもしない、見もしない、書きもしないみたいな人がいっぱいいるというのがすごく問題になっていると思うんだけど、あんまり悪く言っても始まらないので、何か考えなきゃだめで、これはものすごく難しいところだと思うんです。
 とりわけ、工学部とか医学部みたいに、何となく人がいっぱいという感じのところと違って、ここだけは人文と共同戦線を張るんですが、人文・社会科学は、何となく人がいないんです。ほとんどの場合、「せきをしても、ただ一人」みたいな研究室ですから。だから、インフラなんていう、そういうとてつもないことを考える人は、よほどの異端だという感じになっているわけで、概念化もうまくいかない。もちろん、それでデータを蓄積していくのも、ましてや分析する人が全然人数が足らなくて、人文・社会科学が、何か多くの途上国に比べても見劣りするんじゃないかというのは当たり前です、何もやる気がないんだから。やる制度をつくっていない。インセンティブ・ストラクチャーをつくっていない。
 ところが、またもっと嫌なのは、人文・社会科学ではそんなもの要らないという人が、中から敵が出てくるので嫌なんですね。だから、人文学とは、まず戦線を切るのがいいんじゃないかというのがまず第1。そこで切らないと、何だかんだ。もちろん言葉はものすごく重要、解釈も重要。だけど、言葉じゃないのも、ものすごく重要。解釈じゃない、説明をしっかり、普通の因果説明もできるようなのがものすごく重要だと言って、実験だって、できるものがものすごくたくさんある。そういうとんでもないところで一緒にされちゃったら心中するみたいなもので、まず一線を画することが必要だし、それは概念化とインフラ整備、この 2点でしっかりやることが、私の立場に立って、社会科学振興に直接的につながると思います。これは執拗にやらなきゃだめだし、ある程度、劇的にやらなければ進みにくい。
 どうしてかというと、考え方を変えなきゃだめなんです。それが適当に、幕の内弁当的に集めてただほおっているだけじゃ済むものがないんです。だから、そこら辺は、ほんとうにどうだという感じで締めないと。谷岡先生もおっしゃったように、21世紀はエビデンス・ベースド・センチュリーだと。これがないのはどうでもいい、あんたの考えでしょうと。よくノートをとっておきますと言うけど、だれもシアリアスにとっていないんです。だから、それは社会科学でもみんなそうなんです。と思っている人が少ないのが日本なんです。
 ところが、実際問題として、それがなかったら、外国はだれも相手にしないんです。だから、日本語で書いているからって、そんなことないです。日本語で書いても、ものすごいことを言っている人は、エビデンス・ベーストでしっかりしたことを言ったら、注目はちょっと遅れめですが、それは5秒か5日ぐらいの違いで出てくるので、そんなのんきな、日本語だからなんていう、そういう負け犬的なことはやめるべきだと思う。それは人文学でも、社会科学でもそうなんです。
 だから、そこら辺は、もう1つつながるんですが、概念化の訓練、教育、それから、インフラ整備というのがものすごく必要で、これをやらなきゃ何にも進まない。だって、何をやったって1人なんだから。コピーするのも1人、何をやっているかわからないという状況のことが、ほとんど98パーセント。
 それから、もう1つは評価ですね。これは科研の評価ともかかわるんですが、研究業績の評価でも、もうちょっとシリアスにやらなきゃ無理です。なあなあ主義でいって、みんな専門を狭く小さくして、自分の仲間だけで評価されやすいようにしてやるというのが、やっぱりものすごい害毒になっている。日本の社会科学のレベルを、こんなに頭がいい人が、結構、人数も多いのに、てんでだめな感じを与えているのはここです。ほんとうに評価のやり方がうまくいっていない。それがどういうものかというのは、いろいろこれから頑張って議論しなきゃだめだと思うんですけれども、あまりにも冗談みたいなやり方が多すぎるから、結構、むだにつながっているんですね。むだということもないですが、あるんだから使っちゃえって、行った、見た、書いたみたいな感じだけの研究でもいいんですけれども、そういうわけにもいかない。
 シーザーの『ガリア戦記』の言葉では、「来た」ですね。「Veni、vidi、vici」、「勝った」につなげなければ。研究業績が上がった、世界でも先端のものができたというふうにしなきゃだめなんです。それが臨地研究に多いというわけでもないんですが、何かちょっと漠としているのが多いかなと思って。
 ただ、臨地研究の人は、すごくアクションに携わっているので、組織づくりがすごく上手で、ネットワークも上手なんですけれども、何か業績というのが、サイテーションとか、あれの頻度が若干、私たち社会科学と比べても低いです。それはグーグル・スカラーを見ても、個人的に1人ずつ調べればもっとはっきりわかりますけれども、意外と少ないです。
 それから、それが外国語で、ペルシャ語をやっていて、ハンデがあって英語で書けないから、ペルシャの人とだけやっているというせいなのか、日本に向けてやっているのか知らないけれども、何か激しくタコつぼ的に、ネットワークが中では強いんだけれども、ほかの地域研究でも、外国の地域研究、あるいは現地の人とのネットワークも、すごく弱いんじゃないかという感じがします。それは、現地の人にサイトされている日本の地域研究、臨地研究、意外と少ない場合が、僕の政治学の場合でもいやに目につく。
 それから、欧米の学者が英語で学術書を書いたのに、サイトされているのがいやに少ない。それは日本語を読まないからだというのにしては、中国について書いて、中国人からも、アメリカ人からも何も出てこないというのは、何か悪いんです。あまり大したことを書いていないんです。行った、見た、書いたみたいなのが多いから、それは、アイ・ノウ・イットという感じになってくるから、特に何もサイトするに値しないということになっているんだと思うので、僕は、繰り返しますが、概念化、インフラ整備、それから、評価方法のものすごい向上、これが3つ、三位一体でやらなきゃ、なかなか振興にならないと思います。

【伊井主査】
 わかりました。ありがとうございました。概念化とインフラと評価の方法ということでお話しくださいましたけれども、最後、今までの踏まえて、何かご意見があれば。

【立本主査代理】
 ご指摘されました、サイテーションが少ないというのは、日本の人文学、社会科学の問題なのです。

【猪口委員】
 僕は一緒にしていませんよ。

【立本主査代理】
 いや、猪口さんみたいにやられている人は非常に少ない。

【猪口委員】
 いやいや、経済のほうはもっと多い。激しく多い。

【立本主査代理】
 いえ。それは分野によって違いますから、私はこうしているということではなくて、今議論しているのは、日本の人文学、日本の社会科学をどうするか、その振興の問題をやっているんです。
 それの対策として、概念化、インフラ整備、評価というのを挙げられました。もっともです。どうやってやるのか、だれがやるのか。これがやっぱり問題でして、概念化、それはわかりきっているけれども、その概念化の概念が、日本の社会科学では発信するようなものが、猪口さんを除いてバッと出てきていないというのが問題です。それをどうやって出すか。口で言っても出ないんですね。
 インフラ整備、これはやればいいけれども、インフラ整備をして、それで、ほんとうに世界に発信するようなものが出る保証があるのか。評価をきっちりすれば保証があるのかというと、そこら辺はやっぱり議論するというか、そこの方策をここで考える必要があるので。

【猪口委員】
 もっと議論し、良い方策を出す必要については全く同感です。

【立本主査代理】
 ぜひ、そういう方向で、具体的にどういうふうにしたらいいかということを議論しましょう。

【伊井主査】
 ありがとうございました。
 そういうことを、我々は、人文学、社会科学含めて、基本的に考えていきたいということでございまして、いろいろ思いがけないたくさんのご意見を賜りまして、ありがとうございます。
 きょうはもう1つのテーマがございまして、人文学、及び社会科学の社会的意義や研究成果の社会還元のあり方という観点から、人文学、及び社会科学で行われている政策とか、社会のニーズに直接的にこたえる大部の研究といいましょうか、そういったことを今考えているわけでございますけれども、これにつきまして、事務局のほうからご説明くださいますでしょうか。お願いいたします。

【高橋人文社会専門官】
 はい。資料の2-1から2-4までを使いまして、ご説明させていただきたいと思います。
 具体的には、文科省事業である、「世界を対象としたニーズ対応型地域研究推進事業」について、説明させていただきたいと思います。
 この事業についての説明を本日させていただきますのは、本日、立本先生のほうから、フィールド研究のお話をしていただいたということで、それに近い事業であるということと、それから、いわゆる政策目的を指向するようなタイプの研究を、人文・社会科学においてどう考えていくのかという観点も含めて、今回、この事業についてご説明させていただきたいと思っております。
 まず、資料2-1をごらんいただきたいと思います。実はこの事業は、科学技術・学術審議会学術分科会の平成14年の人文・社会科学の報告の報告の中で、地域に関する研究というのを今後進めていくことが重要であるという提言、そして、その実施にあたっては、いわゆる純粋な学術的な研究というよりは、社会のニーズに応えていくような、あるいは政策的な要請に応えていくようなタイプの研究を行う仕組みとすることが重要であると指摘されたことから、これらを契機にして制度化されたものでございます。
 まず、事業の目的でございますけれども、我が国との関係で重要な地域につきまして、社会的・政策的ニーズに対応したプロジェクト研究を実施する。その成果を社会に還元していくということでございます。
 もう少し具体的に言いますと、その結果、日本と研究対象地域との「協働」「相互理解」「共生」に資する。それから、こういった社会的、政策的ニーズにこたえていくというタイプの研究を推進することによって、人文・社会科学に対して、新たな展開を促すことを、目指したものでございます。昨年度、平成18年度からスタートした事業でございます。
 事業の概要でございますけれども、「研究領域」または「研究コンセプト」と書いてありますが、両方とも研究領域だと思っていただければと思いますけれども、研究領域を設定して、日本との関係で重要な地域につきまして、社会的・政策的ニーズに対応した研究を大学等への公募・委託により実施するというものでございます。
  18年度につきましては、「日本と諸地域との関係性の解明」、それから、「地域のアイデンティティーの解明」という2つの研究領域のもとで、中東と東南アジアを研究対象地域として公募しまして、6件のプロジェクト研究を採択したところでございます。今2年目に入ったところでございます。
 それから、19年度、今年度でございますけれども、「グローバル・イシューに対応した新たな地域研究の可能性の探索」という研究コンセプト、そのもとで、「開発等に伴う環境問題」、それから「人の移動に伴う社会問題」というグローバル・イシューを絞りまして、そういったグローバル・イシューに対応した地域研究を「中央アジア」と「南アジア」を研究対象地域として、今、公募をかけているところでございます。
 それを絵の形にしたものが2枚目でございます。左側に日本がありまして、右側に地域がありまして、東南アジアとか中東とかが透かしであるんですけれども、それから、右上に世界地図がございます。
 「研究領域1」というのは、日本と地域との関係ということで、左下の囲みの中のようなコンセプトと、「研究課題の例」というのがありますが、こういったものを研究していただきたいということで公募をかけたところです。
 それから、「研究領域2」につきましては、地域のアイデンティティーの解明ということで、地域の固有性ということで、右下の囲みのような考え方で公募をかけております。19年度は、「グローバル・イシューに直面する地域」ということで、グローバルな問題に対応した地域研究ということで、18年度とは少し視点を変えまして募集をかけているところでございます。
 それから、資料2-2でございますけれども、これは18年度に採択された実際の課題でございます。左側、黄色とピンクの囲みが中東、それから、右側の4 つ、緑と青ですが、これが東南アジアの課題でございます。詳細を説明すると時間がなくなってしまいますので、ごらんいただくとおりなんですけれども、例えば、右側の上の緑の2つなんですけれども、いわゆる、これが科研費などとは異なって、政策対応、あるいは社会的ニーズに対応したというところを典型的に示せるものとして、右上の2つを簡単に御紹介します。まず、「人道支援に対する地域研究からの国際協力と評価-被災社会との共生を実現する復興・開発を目指して-」という、大阪大学の中村先生の課題でございますけれども、これはスマトラ沖の地震がありましたアチェなどNGOの災害復興支援支援活動などを評価していくということを目指した研究でございまして、通常の学術研究というよりは、政策的にこういったものをやっていただくと、大変助かるといった観点から採択されているものでございます。
 それから、右上、緑のところですが、「東南アジア諸国に対する法整備支援戦略研究」ということで、名古屋大学の鮎京先生の課題でございますけれども、東南アジア諸国の法整備の支援のための研究を行っていくということで、その日本政府のニーズであるとか、あるいは実際にビジネス活動を行っていく上で、日本企業だけではありませんけれども、企業のニーズなどを踏まえて、法整備支援のための研究を行っているというものでございます。こういったものが典型だと思いますが、学術的な価値観とはまた違った形で、課題を選ぶということを行っているものでございます。
 人文・社会科学は、これまで、やはり学術研究振興という観点からのみ振興が行われてきたところが強いですので、こういったタイプのものが、今後、必要なのかどうか。あるいは必要だとすれば、どういった形で必要なのかということをご議論いただければという問題意識で、今回、資料を出させていただいております。
 次に、資料2-3なんですが、この事業につきまして、今後、こういったところをやっていったら、我が国にとって大事だということについて、ご意見をいただけるとありがたいと思いまして、こういう地図を出しております。
 それから、資料2-4は研究課題ということでございます。領域が3つありましたけれども、それぞれについて、実は研究領域1と研究領域2につきましては、この委員会の前身になるんですけれども、平成18年度の末に、人文・社会科学作業部会という組織がありまして、この事業の制度設計をしていただきまして、その報告の中で、研究領域1については、こういったものをテーマにしてはどうかという例示を当時つくっていただきまして、それをそのままここに載せたものでございます。
 領域1で、「日本と地域との関係」ということですので、政策的、社会的ニーズの観点から必要と考えられるテーマとして、1つ目が「日本・日本人観をテーマとするもの」というものが大事なのではないかということが、当時、挙げられました。2つ目としては、「日本の社会システムと研究対象地域の社会システムとの比較」、そういったものをテーマとするものということで、当時、挙げられました。細かくは1、2というところで書いてありますので、ごらんいただければと思います。
 それから、研究領域2として「地域のアイデンティティーの解明」ということで、ここにつきましては、(1)から(4)まで4つのテーマということで、地域の人々の価値観をテーマとするものが1つ。2つ目として、グローバリゼーション等に伴う社会の変容をテーマとするもの。それから、3つ目が、経済発展のポテンシャル、負の側面も含めて、そういったものをテーマとしていただく。
 それから、3ページにいきまして、4つ目として、ここはやや具体的なんですが、「東南アジアにおけるイスラム」ということで、当時、研究対象地域を議論する中で、中東、東南アジアの両地域を架橋するようなテーマということで、こういったものが考えられたところでございます。
 それから、4ページが、今公募中ですが、「グローバル・イシューに対応した新たな地域研究の可能性の探索」ということで、ここでも、グローバル・イシューを、そもそも環境と人の移動に絞っているわけですが、それぞれについての考え方、公募要領に書いてあるそのままを、ここに記載しております。例えば今後、我が国として、こういったテーマで、こういった地域で研究を行っていくことが大事ということを、ご指摘をいただければ、大変ありがたいと思っております。
 以上でございます。

【伊井主査】
 ありがとうございます。
 今ごらんいただきましたように、資料2-1のところにございますように、18年度から、もう既に事業の目的としまして、そこに挙がっている形で進めているわけでございまして、ちょうど今、審議を我々がこの委員会でやっておりますように、2のところにございますように、人文・社会科学の新たな展開と発展に資するということで、18年度から始まった世界を対象としたニーズ対応型地域研究推進事業というものでございます。1は、はじめにも説明がございましたように、日本と対象地域との協働、相互理解、あるいは共生ということをキーワードにしているということでございます。18年度は、資料2-2にございますように、既に事業が出発しているということで、19年度は、今公募をかけているということでございます。
 そういう意味で、この委員会と非常に相即する関係で、今、事業が推進されているということでございますけれども、これにつきまして、今もありましたように、これから、どういう地域を対象とするのかということを含めまして、さまざまなご意見を賜ればと思っておりますが、いかがでございましょうか。

【家委員】
 これは「プロジェクト研究を大学等への公募・委託により実施」ということで、18年度に6件採択ということですけれども、公募に対する応募はどのぐらいあったんでしょうか。

【高橋人文社会専門官】
 昨年度の応募は99件でございます。

【伊井主査】
 そのうちから6件ということでございますので、かなり厳しい状況でございますけれども。西山委員、何か企業の側からの、どういう地域を対象とすればいいかということのご意見はございませんでしょうか。

【西山委員】
 いや、特にありません。この地域が最初に出てきているのは、わかりやすいと思いますけれども。

【谷岡委員】
 同じく質問しておきたい。こういう政策目的的ないろいろな動き、もちろん日本は主権国ですから、特定の国と仲良くしたい、仲良くしたくない、いろいろあって、それは全然構わないと思うんですが、ただ、文部科学省としては、もちろん外務省や首相官邸、官房、いろいろなところと、日本の国策として、こういう方針があるんだというお考えは、もともとあるんでしょうか。ちょっと聞きにくいところを聞きます。

【高橋人文社会専門官】
 多分、そういったご質問が出るかと思っていたんですけれども、文部科学省の政策ニーズというのは、本来的には、教育政策であるとか、あるいは科学技術政策の中でも、例えば若い研究者を養成するとか、そういった政策になりますので、いわゆる外交政策、あるいは通商産業政策とか、文部科学省にそういったニーズがあるわけではないというのは、まず事実だと思います。
 それで、先ほど説明の際にきちっと申し上げればよかったんですけれども、実は、どういった社会的なニーズがあるのか、あるいは政策的なニーズがあるのか。こういったことについても、例示はしながら、申請をされる研究者の側に、申請書にきちっと書いていただいて、それ自体も審査するという仕組みをつくっております。文部科学省の政策ニーズを超えたところで事業を行っているのは事実ですので、そういった形をとっています。審査員の方々に、例えばODAに関係している方とか、あるいは医療の援助をされている方とか、そういった方も入れながら、研究者の方も含めて、そういった観点で、審査の過程でうまく聞き出していきながらというふうに考えております。

【谷岡委員】
 ありがとうございます。もちろん、こんなテーブルで出すようなことではないんですが、白井先生もおられるようなので、ちょっと申し上げておきますと、例えば留学生の政策に関しては、ODAからかなりお金が来ているとか、こういうお金に関しては、文部科学省がお金を出すんだとか、また、マレーシアから、大学をつくってくれといったら、つくる。また、ジャッキーみたいな受け口をつくって、海外から、どこかの大学長がやって来たから、日本でも集めてくれといえば集める。いつも、かなり受け身的に、文部科学省の政策というのは、特に海外との交渉においてでき上がっているというのがほんとうのところだと思います。
 やっぱり日本の国策として、こういうところと、こういうふうに進めるんだという、国の方針というのも、こういうものに反映されるんだったら、されるということで、そういった意味で、外務省とどれだけお金を分担し合うんだ云々というのはあってもいいと思うんですが、そういう意味でご質問したということで、別に他意はございません。すいません。

【伊井主査】
 ありがとうございます。今お名前が出ました白井委員、どうでしょうか。

【白井委員】
 先般から、いろいろなご議論を伺っていて、私は、自然科学というか、技術のほうなので、実は大変新鮮な気持ちで伺ってはいるんです。
 先般から、やっぱり人社系でも役に立つというか、世の中に理解されるというか、そういうことが非常に必要であるというご意見も確かにある。一方で、こういう人文系なんていうのは、役に立たないことをやるのが人文系の誇りであるというご意見も多くあると思うんです。私は、これも事実かなと思うんです。いろいろなところにあるじゃないですか。
 例えば、何でもいいけれども、私の分野で言うと、世界中に消え行く言語なんて、たくさん、山のようにある。それは今記録をとらなかったら、とれないんですね。とりに行きたいけれども、私も時間がないから行かないんだけれども、北方にしろ、南方にしろ、山のようにそういうものはあります。
 そういう研究をやったら、それは人類として、僕は非常に価値があると思うけれども、だけど、だれか、それで得するかと言われると、非常に厳しいですね。それはとってきて、保存をきっちりやっておいたと。だれかが、後世それを分析し、研究して何か役に立つかもしれないけど、あまり生産に役に立つとか、自分の生活が豊かになるとか、そういうような判定をされたら、それはちょっと違うだろう。心豊かになるじゃないかとかいうことに、若干の影響はあるかもしれないけれども、多分、あんまり関係ないということだと思う。
 だけど、人類の大きな遺産、例えばピラミッドを見て、みんなすごいと感激するのと同じような意味は、僕はやっぱりあるんじゃないかと思います。そういう意味で言うと、人文学の中で、そういうものが営々として、一応、どれとどれを、どうとっていくべきかと。こういうデータはちゃんときちっと残していかなきゃいけないということを整理されて、しっかりやっていただく方というのは、僕はやっぱり価値があると思いますね。
 だから、そういうものをしっかり支援する。それからそれを、ある程度、意見をちゃんと集約して、系統的にやるならやる。そういうセンターとか、そういうものが完全にあっていい。これは個人の趣味では、正直言って、そういうものを、大抵のものは全部超えています。だから、日本の人文学のアピール度が低いと言われたら、それは僕は、そういうところに原因があると。みんな自分の好きなことは確かにやっておられて、それなりに意思を全うするから、これで死んでいけたかなという感じになっちゃう。
 だけど、それはほんとうに価値を、ずっと後世の人まで残る、すばらしいことをやる方も、もちろんおられると思うけれども、埋もれてしまうという研究も非常に多いんじゃないかと思う。そういう意味で、もう少し、人文学に携わっている方の、まさに毎日の努力というのか、そういうものが生きるために、どのぐらいの組織をつくったらいいのか。どのぐらい問題を整理したらいいのかという、さっき猪口先生もそういうことを言われたと思うだけれども、そういうことは人文学だって絶対に必要だと思う。自分の趣味で研究をやっているというのは、それは趣味の人はいてもいいけれども、趣味を否定するわけじゃないんです。
 だけど、学問ですから、やっぱりそれは後世に残って何か影響があるとか、人を感激させるとか、普遍的であるという、そういうものが何かなきゃいけないんだと僕は思うんです。それじゃ、どうやったら、そういうものができるんだろうか、納得するものができるんだろうかというのは、まさに今、ここで議論していただいていることだと思う。だから、それは人文学だって僕はあると思うんですね。
 社会科学に関しては、まさに今、ここでニーズ型というのが出てきているけど、ただ、あまり批判しても何だけど、僕は関与していないから勝手なことを言うけれども、例えばここに出てきている問題は、ものすごく大きいですよね。こんな大きいテーマを言われて、3年だとか5年だとか言われて、小さな組織でどうぞアプライしなさい。みんなお金が欲しいから、一応しますよね。だけど、ほんとうにできるだろうか。できないことを要求していると僕は思います。やっぱりどの地域を研究するにしたって、それなりの蓄積とか計画とか、何年もかかって計画してやっとできるわけです。南極の極点に達するために、当時のフロンティアの人は何年かかって、お金から何からやって、装備から研究して、それでようやっと行けたじゃないですか。それと同じぐらいのテーマは、今必要なグローバル・イシューだと。今、これは絶対にやらなきゃいけない。それだったら、そこに達せられるだけのものを、やっぱり準備してさしあげるという必要は僕はあると思うな。そういう人も大事だ。それから、支援をする方も大事だ、研究者も大事だし。そういうようなことがないと、到達しませんね。趣味の論文を書くにすぎなくなっちゃう。
 もちろん、みんな一生懸命やるから、何かの結果は出ます。やるけれども、それはほんとうにインパクトがあるだろうか。問題解決になるんだろうか。例えば今、中国で環境問題というのは、猛烈、深刻だ。そのときに、日本でも環境問題って、猛烈に大きな経験をしたわけです。そのときの社会的な状況の、何かの現象というのがありますね。それは、果たして今、中国で適用されるような、同じような現象があるのかないのか、あるとすれば、どういうところにあるんだろうか。そういうようなことが、ある種の普遍的なことで分析できて言えたら、中国に対してはこれはだめなんだと。これこれだからだめなんだと言えるじゃないですか。そういう種類のことを言わないと、社会科学にならないだろうと僕は思うんです。自分ができるわけじゃないから、勝手なことだけ言えるんですがね。(笑)
 とにかく、世の中は今、どんどん変わっていく。例えば教育の問題なんかもそうです。なぜ難しいかって、どんどん変わっていっちゃうから難しいんですね。これがずっと世の中が安定していて、1世代、2世代と変わらないんだったら、みんな同じようなことを教育して、それで同じように子供は育っていって、大人になって、同じ仕事をやればいいんだから、問題は起こらないんだけど、今は起こっちゃっている。親のやったことと違うことが起こるから。だから、そういうようなことに対して、それじゃ、人文・社会的な見地から言ったら、どういうふうな対応を、人間の特性といいますか、生物学的な特性から言ったら、どういうことを考えなきゃいけないのかというのにこたえるのが人文学だったり、社会学だったりする。脳科学も関係する、心理学も関係するかもしれないけれども、そういうような発想に近づけなきゃいけない。
 だけど、それは、みんなものすごく恒久で難しい問題です。だから、どこかのグループに、あなた、手を挙げて答えなさいなんて言われたって、ほんとうは手を挙げちゃいけないんだよ、できっこないんだから。そうじゃなくて、できるような体制をつくることを議論すべきだと。もちろん、全部ができるとは言いませんけれども。もちろん、手を挙げて趣味でやる人を否定するわけでもないけれども、だけど、ほんとうに重要な幾つかの問題に対しては、しっかりした研究のコアとか、そういうものがあって、そこには、人もお金もある程度供給されて、日本なら日本、あるいは世界に開いてもいいと思うけれども、研究の拠点というのをつくっていく必要があるんじゃないだろうか。人文社会系はやっぱり長く時間がかかります。大体、最低5年とか10年はやらなかったら、何もできないじゃない。それでいいじゃないですか。もし仮に10年間たってできなかった。できなくても、みんな努力しますから。そうすると、何かたまるんですね。
 僕は、そういうような観点が必要で、自然科学と同じように人文社会を論ずることは、エビデンス・ベースドは、もちろんいいと思うんだけど、そういう方法論というのは非常に重要だけど、これだって、人間のやつは時間がかかるんです。その人が何年も、さっきの刑務所の話があったけれども、ワンクールが終わるのに、ものすごい時間がかかるわけでしょう?

【谷岡委員】
 50年。

【伊井主査】
 ありがとうございました。非常に本質的な人文学、あるいは社会科学の問題を出していただきまして、自然科学でもそうなんだろうと思いますけれども、5年たったら成果が出てくるというものではないんだろうと思いますけれども、とりわけ、人文学だとか、社会科学というのは、なかなか成果が目に見えるものが出にくいという、社会科学のほうは、調査だとか、こういう成果とか、動向だとかが出てくるところがあるだろうと思いますけれども、なかなか厳しい。
 しかし、我々としましては、これはみんなお互いに理解し合っているわけでありますけれども、人文学にしても、社会科学にしましても、そういうふうな、すぐに性急な成果が出ないという研究の風土を我々は国家としても考えていかなくちゃいけないということを思っているわけでございますけれども、今の白井委員のお話以外にも、何かまたございましたらどうぞ。

【小林委員】
 先ほど、文部省のほうのグローバル・イシューに対してというのを見て、これはほんとうにいいことだなと私は思っておりまして、普遍性と特殊性というと、同じところと違うところということ。それを、一個一個、突き詰めないと、今、世界にいろいろな問題があったときに、普通、私どもレイマンが知るのは、テレビのコメンテーターの話していることだとか、ワイドショーで言っていることだとか、それは何か違うんじゃないかという気がしながら聞いているというのがほんとうのところだと思うんです。だけど、みんなそれぞれ、何か同じだけれども、違うというところをはっきりさせるという人が、あまりにも少ないんじゃないのかなと思います。
 卑近な例で、うちの学生なんかでも、韓国へ行ってホームステイを半年してくると、それだけで随分見方が変わってくる。やっぱり同じなんだ、だけど、こんなところが違うんだ。だけど、そこら辺のところをきちっと、いろいろなところで、イスラムの宗教の問題でも何でも、同じような人がいつも出てきて、北朝鮮の問題でも、同じような人が言っていますけれども、だけど、ほんとうにそうなのかなと思いますね。多分、先生方、自分の研究のところで、だれかがテレビでしゃべっていると、あほなこと言っとるなと、ほとんどの人が思っていると思いますけれども、だけど、そういうようなところの普遍性と特殊性というところをきわめていくのは、これからの世界平和と言ったら大げさすぎるかもしれないけれども、共生と言ったほうがいいかもわからないし、違いを共に生きていくというところで、一番大事なところを、ここにお金をいっぱい使わないとだめだと、私はそんなふうに思います。

【伊井主査】
 ありがとうございました。とりわけ、こういうふうな世界的なニーズ対応型というのは、先ほどもお二人の、猪口先生と白井先生がおっしゃったように、あとの継続性という問題だろうと思うんです。5年たって、これで終わっちゃうと何もならないわけで、それをいかに継続していくか。また、そこで蓄積されたデータ、あるいは分析したものを、どういうふうに我々は活用していくかというのが大事であると思います。

【中西委員】
 人文学及び社会科学の振興に関することなのですが、「世界を対象としたニーズ対応型」とありますね。社会科学は、社会と人間のかかわり、つまり人間の行動を研究する学問なのでニーズ対応はあるのですが、人文学というものは、ニーズ対応ではないのではないかと思います。人文学、つまり文学、哲学、芸術などでは、こういうものが欲しいという要求はありますが、それに対応して研究しているわけではなく、人間はどういうものか、それをきわめた上で、その人が出していくものなので、非常に神秘性もあり、かつ創造性もある分野だと思います。そういうことから考えますと、ニーズ対応型というものとして、社会科学は拾っていけると思うのですが、人文学は拾いにくいところがあると思います。ですから、人文学についてははもうすこし対応についての検討が必要かと思います。
 そういう観点から考えますと、先ほどご議論がありましたけれども、私も、この図を見させていただいたときに、なぜ東南アジアと中東だけなのだろうかと疑問に思いました。もし人文学を対象にするのでしたら、やはり対象は全世界のように思います。

【伊井主査】
 私が答えるよりも、事務局に答えていただいたほうがいいと思いますが、社会科学と違って人文学というのは、ニーズがどうあるのかということもあるんだろうと思いますが、ただ、まともに人文学の支援をしていただきたいと言っても、なかなか、財務省のほうは、どういうニーズがあるんだということになって、予算の獲得の手段もあるんだろうと思うんです。それと、東南アジアだとか、中近東だけではなくて、世界対象であるというのは、これは今も要望がありましたように、これからどういうふうに地域を拡大していくのかと。どういうところを、これから戦略的に対象としていくのかということがあるんだろうと思いますけれども、これに関して、事務局のほうから何かお答えがあれば、よろしくお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】
 地域の設定につきましては、中東、東南アジアにつきましては、この委員会の前身である人文・社会科学の作業部会の報告の中で、まず、当面重要な地域として、特に中東については、研究者にとってはわかっているのかもしれませんが、一般の日本人にとってはよくわからない地域。それから、東南アジアについても、わかっているような気がしているけれども、わかっていないような地域という、平たく言えば、そういう観点で、まず、こういったところが重要なんじゃないかという話がありまして、それから、中央アジア、南アジアにつきましては、公募要領の作成の過程で、この事業を進める上での事業委員会というのがあるんですが、その委員会でよくもんでいただいて決めたものでございますけれども、インドにつきましては、最近の経済的なプレゼンスの向上、政治的、軍事的にもプレゼンスが高まっていますので、そのわりには、意外と、いま一つ、政策的には手薄なんじゃないかと。それから、中央アジアにつきましても、同じような意味から、こういったところを、まずはということで進んできたと理解しております。
 それから、全般的な話として、政策の中身ではないんですけれども、予算の制約がありましたので、予算がふんだんにあれば、もっと一遍に、全世界一気に展開できたんですけれども、ある程度、選択せざるを得なかったということも、これは現実問題としてございました。もう少し手広くやれたらなとは思っております。

【高埜科学官】
 先ほど、白井先生のお話を伺っていて、人文学、あるいは芸術も含めて、ちょっと広げて考えますと、ご存じかと思いますが、今、伊藤若沖という江戸時代の画家の展覧会が非常に人気を博して、それを見た人たちは、すごい力をもらう、エネルギーをもらう。伊藤若沖というのは、200年ぐらい前の江戸時代の画家なんですが、それ以前の伝統的な画法とは違うものですから、大変身近な動植物みたいなものを対象にして描いております。
 ですから、その当時、伊藤若沖はほとんど評価されなかった。それを1970年ごろ、国立博物館で伊藤若沖展をやりましたが、そのときにも、伊藤若沖というのは、こういう人間がいる程度だったんです。それが今回、それぞれ幾つかの館の学芸員の方々の努力によって開催することによって、大変なブーム、それが今の国民、多くの人たちに力を与える。こういう200年単位のものが人文学にはあるというふうに私は思うんですが、もう1つ、社会的ニーズというのは、人文学に必要なのかという議論もありましたので、私は、それも必要だろうと思います。
 特に、事務局から出されました、世界を対象としたニーズ対応型云々、これにつきまして言えば、私は今現在、これから社会にとって、日本にとって重要課題になっているのは、日本にいる外国人の問題、つまり、異文化が今、日本に労働者として入ってきている。これから、ますます展開していくであろうということは予測されていて、実は日本人というのは歴史的に見て、この外国人問題、異民族問題、民族問題というのは一番へたくそ。つまり、ずっとうまく取り組めなかった課題だろうと思うんです。
 ですから、イスラム地域であるとか、そういうところを対象にして研究するというのは大いに結構なんですが、あわせて、日本社会における異文化を、つまり、日本に今来ておられる外国人の方々が、どういうふうに日本人を眺めているのか。あるいは、課題はどうなのか。例えば、日本語教育の問題は、人文学としてやらなければいけないし、宗教の問題も、今、入ってきていますし、こういうようなことは、私はやはりテーマに、今事務局が出されたそれをちょっと広げれば、その問題になるんだろうと思うんですけれども、そういう意味では、やはり人文・社会学を含めて、社会的ニーズにこたえていくべきだ。つまり、伊藤若沖のような何百年単位の話もある一方で、現実に向き合う学問が必要である、それにこたえるべきだと考えます。

【伊井主査】
 ありがとうございました。

【深尾科学官】
 こういうことを言うと、文科省の方に嫌われるかもしれないんですけれども、社会的なニーズを考えるときに、自然科学系では、総合科学技術会議とかがあって、省庁横断的に議論がされて、日本にとってどういう技術が大切か。高齢者の医療が大切だとか、ロボットが大切だとかという合意ができて、それで動いているわけです。
 ところが、人文・社会科学については、そういう省庁横断的な公の議論の場がないと思うんです。私は社会学についてしかわからないんですが、本来はやっぱり、それは非常に大事なことであって、省庁横断的に社会科学の上で何が大事か。これは1億円ぐらいしか予算がないみたいですけれども、もっと何十億もつぎ込むべき大事なテーマというのはあると思いますので、それは日本全体で考えて、そこにお金をつぎ込むというふうに政策を転換すべきだと思います。

【伊井主査】
 ありがとうございました。

【白井委員】
 今の、僕はこのニーズ対応型って否定するわけじゃないんです。やっぱりこういう考え方は非常に大事だと思うんだけど、ただ、さっきも申し上げたように、今のご意見も全くそうだと思うんだけれども、やっぱり組織がちゃんとあって、こういうことが大事だよと例えば外務省から言ってきた。いや、そんなのはここに書いてあるとか、あるいは、いや、確かにそのとおりだから、じゃ、こういう事業でやろうとか、やっぱりそれにこたえられなきゃニーズ対応にならないと思うんだね。だから、そういう組織はどうしても必要だ。そういう核がなかったら、だれかが手を挙げてこたえてくれよ。それは、確かに、そういう立派な方々が、もちろん分布していることはわかるけれども、どうも頼りないというか、すごく他人任せというか、そういう感じがしますね。

【伊井主査】
 ありがとうございます。猪口委員、どうぞ。

【猪口委員】
 世界を対象としたニーズ対応型の具体的な提案で、先ほどから言われている、あるところに、何とかマネジャブルなサイズとか、スコープとか、それから、どういうポリシー、アクションをとれとかというのが、もうちょっとできやすいようになってくれたらと思います。
 具体的には、東南アジア、中東、南アジア、中央アジアもいいんですが、僕はやっぱり低所得水準にある途上国について、日本は、最近はあまり得意じゃなくなったODAとか、マルチラテラル・エージェンシーとか、そういったものとの絡みで、どのようにしたら、コスト・エフェクティブなグローバルガバナンスが獲得できるかというのを、ある程度、栄養だとか、疫病だとか、環境だとかに絞ってやったらどうかと思っています。
 それから、国についても、例えば国連千年紀開発目標なんかを国連でやっているんですけれども、8つの国だけ、国連と計画・実施を今年からやるようになっています。それはケープベルデ、モリタニア、マダガスカル、タンザニア、それから、アルバニア、ウルグアイ、パキスタン、ベトナムというのが、国連と一体となってやる。しかも、国連も、難民だ、食糧だ、保健だ、開発だとかバラバラにやっていたのを、1つの窓口に統一して、団結して、現地国というか、被援助国の統治機構とやるというのが、さっきの意味でも、ものすごいエクスペリメントなんです。
 だから、そういうところで、援助が日本から減っているという非難を、ある程度、和らげるためにも、そして、独自の貢献をするためにも、得意な政策分野に限って、この8カ国で、どうしたらコスト・エフェクティブなODAが可能になるかみたいなのを、これから、もう何年もないんですけれども、千年紀開発目標というのは、15年くらいですから、もう半分たっちゃっているんですけれども、そういうのに、5年、10年弱でやってみるというチームをつくってやるのが、意外と僕は、ターゲットがはっきりしているし、国連の場合は、ミレニアム・ディベロップメント・ゴールというのは、全部、統計数字でやるような仕組みになっておりますし、政府と国連との緊密な連絡のもとにやるというんですから、日本としては、これだけ頑張っているんだから、もうちょっと考え、政策、それから、政策実施のところで、こういうふうにすべきだということを発見するにも、こんなものがいいかなと思いました。

【伊井主査】
 ありがとうございました。伊丹委員、どうぞ。

【伊丹委員】
 このニーズ対応型の地域研究の、この種のあるまとまったお金を、こういうタイプの研究推進に使うというのは、私も大賛成です。地域についても、これは地図を見れば、要するに石油だなというのはすぐわかるから。

【猪口委員】
 そうか。

【伊丹委員】
 ええ。したがって、日本の国益ということを考えると、こういうところから始めて、それは小さい規模で始めるんだから当然でしょうと。あちこち散らばらないほうがいいと思います。
 ただ、先ほど白井先生が強調しておられた拠点とかいった問題については、体制とか、私も実はCOEの研究代表者をやって、普通の科研とは違う大きなものを動かしていってつくづく感じました。これはぜひ、これだけ長期の話なんですし、もっと長期になるかもしれないと皆さん今おっしゃっておられる話だから、事務組織をきちっとつくる経費は与えてください。建物をあげてください。極めて単純に、そういうものがないと、若い先生が事務作業でこき使われて研究活動ができなくなるんです。非常に単純な話です。

【伊井主査】
 それはもうほんとうに、私もやったものですから、事務費だけで膨大な費用がかかるというのは、確かにそうでございますね。
 ほかに。時間があまりなくなりましたが、先ほどもありましたように、どういう地域をこれからも対象にするかというのは、特にご意見ございませんでしょうか。

【猪口委員】
 絶対にアメリカですよ。最もダイナミックですし、とにかく早いし、複雑怪奇。

【伊井主査】
 今、アメリカという声もありましたし、いろいろ、中国とか韓国ということもあるんだろうと思いますけれども、これからも、そういうことのご意見を賜りながら進めていくことだろうと思います。
 特に、ほかに何かご意見はございますでしょうか。よろしゅうございましょうか。
 では、そろそろ時間がまいりましたので、今後の予定につきまして、事務局から説明をお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】
 はい。今後の予定につきましては、資料4のとおりでございますが、資料4の第4回でございますけれども、前回お配りしたものと時間帯が変わっておりますので、ご注意いただければと思います。前回は16時から18時となっておりましたが、新しいものでは10時から12時ということで、時間帯が変わっておりますので、よろしくお願い申し上げます。
 それから、資料の3でございますけれども、主な意見ということで、前回、論点というペーパーを出させていただいておりますが、その論点と前回のご意見などを踏まえて、こういった形でまとめていこうと思っておりますので、毎回、更新していきたいと思っておりますので、またよろしくお願い申し上げます。
 それから、もう1点だけなんですけれども、先ほど私、資料2-2の説明のときに、地域研究の既存の採択課題の資料なんですが、これは事務局のほうの考えでまとめた資料でございますので、必ずしも、研究代表者の方に断って書いているわけではございませんので、一言お断りさせていただきます。
 以上でございます。

【伊井主査】
 ありがとうございます。それでは、次回、次々回の時間の変更もございますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 しばらくは、まだこういうふうな、お互いの認識を深める勉強会のような形で進めていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。本日はこれにて終了させていただきます。どうもありがとうございました。

─了─

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