学術研究推進部会 人文学及び社会科学の振興に関する委員会(第11回) 議事録

1.日時

平成20年6月11日(水曜日) 14時~16時

2.場所

文部科学省16F特別会議室

3.出席者

委員

 伊井主査、立本主査代理、西山委員、家委員、井上明久委員、猪口委員、今田委員、岩崎委員、小林委員、藤崎委員

文部科学省

 伊藤振興企画課長、森学術機関課長、松永研究調整官、坪田科学技術・学術政策局企画官、門岡学術企画室長、高橋人文社会専門官 他関係官

オブザーバー

(科学官)
 佐藤科学官、高山科学官
(外部有識者)
 猪木武徳 国際日本文化研究センター所長

4.議事録

【伊井主査】
 お暑いところお集まりくださいましてありがとうございます。時間になりましたので、ただいまから科学技術・学術審議会 学術分科会学術研究推進部会に置かれております「人文学及び社会科学の振興に関する委員会」を開催いたします。
 本日は、国際日本文化研究センター所長の猪木武徳先生にお越しいただいております。猪木先生にはお忙しいところどうもありがとうございます。後ほどよろしくお願いいたします。
 まず本日の配付資料の確認からお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】
 配付資料につきましては、お手元の配付資料一覧のとおり配付させていただいておりますが、欠落などございましたらお知らせいただければと思います。またいつものことでございますけれども、基礎資料をドッジファイルにて机上にご用意させていただいておりますので、適宜ご参考にしていただければと思います。それから資料2として主な意見という資料を配付させていただいております。これもある一定の段階になりましたら、またご議論いただくことを予定しておりますので、またお時間のあるときにお目通しなどいただければ幸いでございます。
 以上です。

【伊井主査】
 ありがとうございます。
 今ありました資料2は、これまでも何度かお配りしております、それぞれお話をいただいた方々のまとめをこういう形にしておりますので、また本日の猪木先生のものをここにつけ加えることにすると。そしてやがていずれはまとめる段階でまたご議論いただくことにしようと思っておりますので、よろしくお目通しくださいませ。
 これより議事に入ります。
 現在この委員会では、かねてから申し上げておりますように「学問的特性」「社会とのかかわり」「振興方策」の3つの観点から、人文学の振興につきまして審議を進めているところでございます。人文学に関しまして、我が国を代表しますそれぞれの著名な研究者の方々にこの委員会にご出席いただき、人文学研究についてのお話をいただいているところです。と同時に、意見交換もしております。これは委員会として議論のための共通基盤を形成するということで努力をしており、先ほど申し上げました資料2がその1つのまとめという方向で進めているところであります。
 毎回のことでありますが、過去のことについて少し確認をしながら本日の議事に入ってまいります。
 簡単に申し上げますと、第8回目には樺山紘一先生においでいただき、「人文学の目指すもの」と題しましてご発表いただきました。その中で先生は、人文学を理解するためのキー概念として「精神価値」「歴史時間」「言語表現」という3つの概念をお示しいただいたところでございました。同時に、人文学の機能としましては「教養教育」「社会的貢献」「理論的統合」という3つの機能があるというふうに組み合わせた形でご指摘いただき、このようなご見識を前提にして、人文学とは「世界の知的領有と知識についてのメタ知識」であるというご見解をおまとめにいただいたと思います。
 第9回目は、亀山郁夫先生から「グローバル化時代における文学の再発見と教養教育」と、くしくも教養教育という言葉が重なりましたが、ご発表いただいたところでありました。文学研究とは、「研究者個人の精緻な読解力」「イマジネーション」そして「人間そのものへの洞察力」を通じた人間の多様性の解明であるという非常に貴重なお話をいただきました。その際、亀山先生の個人的な体験と想像力の文学作品として、今非常に人気のある『カラマーゾフの兄弟』という翻訳のご体験などもお話しなさいまして、古典を通じて普遍化していくという伝統的な研究方法の重要性をご指摘いただいたと思っているところであります。さらに、人文学を背景とした教養とは、価値を異にする人々のある種のコミュニケーションの道具、すなわち共通規範であるということであったと思います。
 第10回目は鷲田清一先生にお越しいただき、「哲学の現在」と題しましたご発表をいただきました。
 哲学には、諸学を基礎づける基礎学としての役割と教養としての役割があるということでありました。また哲学は、一定の価値の尺度を前提にしてその尺度に基づいて物事の優劣を判断していくのではなく、価値の尺度そのものがほんとうに正しいのかを吟味し判断していくという役割があるんだと。あらかじめ決まった尺度があるのではなくて、どういう吟味をするべきなのかということであります。また我が国の哲学研究の課題として、西洋の偉大な哲学者の著作に対する文献学的な関心のみが肥大化していく、輸入学問のようになっているということ、いわゆる哲学者研究にとどまっており、本来の哲学研究になっていないのではないかというご指摘もいただいたところでありました。
 前回は村上陽一郎先生にお越しいただきまして、「ヨーロッパ学問の系譜」と題しましてご発表いただきました。村上先生には、歴史の裏づけに基づきながら「科学」と「技術」の違いについてお話をいただいたところでありました。
 まず「技術」については、これを支えるクライアントが外部に存在しているということ、そしてクライアントが設定した目的の達成のための手段という道具的な性格を有しているということをご指摘いただいたかと思います。次に、これに対して「科学」とは、そのようなクライアントが存在せず、科学者が自己の知的好奇心に基づいて真理を探究していく営みなんだと。歴史的にも技術とは全く別の知的な営みとして発展してきたのだということだったと思います。そしてそのような科学と技術の本質的な相異を踏まえた上で、20世紀後半には科学の成果を利用した技術開発が活発となった結果、技術開発の前提となる科学研究にも産業などのクライアントが存在するようになったこと、そしてそのような新しいタイプの科学を、科学者の知的好奇心に基づいて研究が行われる伝統的な「好奇心駆動型の科学」に対して、「使命達成型の科学」と言い得ることについてのご指摘があったと思われます。さらに科学をめぐる最近の問題として、使命達成型の科学の基準で好奇心駆動型の科学が評価されてしまうところにあるというご認識を示されたわけであります。村上先生はこの点に学問の非常に強い危機感といいましょうか、「自殺的な行為である」という言葉自体をおっしゃったのですが、非常に強い危機感を持っているということをお述べになったと。これは我々が非常に反省しなくてはいけないことであろうと思います。
 また日本におきまして、ヨーロッパにおいて科学が専門化した直後の19世紀後半に、これを受容してしまったという一種の歴史の宿命があるというご指摘もいただきました。すなわち日本が受容したのは、総合の学問であった時代の科学ではなくて、既に日本ではもう専門化を遂げた後の個別科学であったということが、その後の日本の学問の存在といいましょうかあり方を規定しているという認識をなさっていたと理解しております。このことは「サイエンス」の訳語として専門化していることを前提とした「科の学」という意味の「科学」という日本語が当てられたことにもあらわれているということでありました。私としましては、これらのご指摘が人文学のみならず学術全般の振興を考えるに当たりまして非常に重要な視点ではないか、重要に受けとめなくてはいけない、我々のこの委員会でもそういうご指摘をこれからどのように発展させるかということを考えなくてはいけないだろうと思っております。
 なお、村上先生が西洋の科学史を語られた中で、西洋の中世から現代に至るまでの科学史の背景に、神学的な様相や啓蒙思想を足場とした科学の営みがあったということをご指摘されました。このことは科学の営みの基底に人文学的な思考があることを示しているものだと思っておりす。
 このように過去の8回目から思い出しながらまとめたところでございますけれども、大体そのような流れでこれまで来ているというふうに総括できると思っております。
 これまで、人文学の学問的な特性を中心にしてそれぞれのご専門の立場からここでヒアリングをいたしまして議論を進めてまいりましたが、やや西洋の人文学的伝統に寄ったものとなっておりますので、これからは、これまでのご議論を踏まえながら日本の人文学についてさらに詳しく議論を続けていきたいと思っているところであります。そこで今回は、国際日本文化研究センター所長の猪木武徳先生をお招きいたしまして、「人文学・社会科学の現況と日本研究の将来」と題したご発表をいただくことにしております。
 既にもう皆さまご存じだと思いますが、猪木先生は労働経済学、経済思想、日本経済がご専門であり、現在は国際日本文化研究センターの所長という、いわば日本研究の核になるところにいらっしゃるわけでございます。そういう日本研究をどのように推進していくのか、お考えになっているところであり、ご自分のご専門と日本研究をどうするかと。そこできょうは国内外における日本研究の動向や日本研究に対する支援施策についてお話をいただきますとともに、ご専門でいらっしゃいます経済学の立場から見ました人文学の重要性、最近は近代文学までご関心を持っていらっしゃるようでございますが、そういうことからもいろいろお話があるだろうと思っております。
 なお猪木先生にはあらかじめ40分程度とお話申し上げておりますが、少々延びても構いませんので、残りの時間で皆様からのご質問、ご意見を賜って、さらにまとめていきたいと思っているところでございます。
 これが前提でございまして、猪木先生、どうぞよろしくお願い申し上げます。

【猪木所長】
 ただいまご紹介いただきました猪木です。
 きょうの私の話が、ご依頼くださった趣旨と十分一致したものになるかどうか、少し心もとない感じもするのですが、私流に問題を整理して日ごろ考えていることをお話ししたいと思います。
 私がおります国際日本文化研究センターというのは、ご存じのように大学共同利用機関でありまして、常勤のスタッフが三十四、五名、その中には中国、アメリカ、オランダ、ドイツ等外国の研究者もいますが、9割は日本人です。そしてそれ以外に、大体1年の期間、場合によっては半年という場合もございますけれども、海外で日本を対象にした研究に従事しておられる研究者をお招きして、研究を側面から、資料面においてもあるいは人の紹介等も含めまして支援、援助するという仕事をしています。我々は個人研究とそれから共同研究会も主催していますけれども、今申し上げた仕事が実は、それ以上に重要といいますか、簡単に言いますと、外国の日本研究者へのサービス提供というのが、私は国際日本文化研究センターの一番重要な活動といいますか使命ではないかと考えております。
 時間配分が大体あまりうまく行かないので、最初に申し上げたいことを要約してお話ししておいたほうがいいと思います。どういうことかといいますと、私の場合はご紹介いただきましたように経済学が専門でございますけれども、経済学は現代では社会科学の一分野と考えられています。もともとはご存じのようにモラルサイエンス、モラルフィロソフィーあるいは法学の一部だったわけですよね。その出自なりどういうふうに変わってきたかというのは少し複雑な経緯がありますけれども、この人文学・社会科学の中に堂々とエントリーできる学問だと思うんです。
 ただ人文学・社会科学と言った場合、私は少なくとも3つぐらいにその性格を区別しておいたほうがいいのではないかと思います。その3つは非常に大まかな区別ですけれども、その存在意義なり社会に対しての機能といいますか、役割と言ったほうがいいですかね、3つに分けたほうがいいのではないかと。
 1番目は、先ほど伊井先生がおっしゃった核の部分といいますか、ヒューマニティーそのものを理解するための知的な探求という分野です。これは人文社会科学の中の幹の部分といいますか非常に大事な部分だと思います。
 もう1つは社会とかかわる部分と言ったらいいでしょうか、つまり研究自体が帰納的な性格が強く、同時にその研究結果に、ある種の応用性といいますか政策的意味が期待されているような分野です。この2番目はどういうふうにくくるか難しいのですけれども、特にデモクラシーのもとではわりにこの種の学問が社会的サービスを要求されるといいますか、実践性とかプラクティカルな性格を期待されるように思います。ですから1とはちょっと違うわけです。1は、後で少しお話ししますけれども、そもそも有益性が少なくとも短期的にはあまり期待されていないように感じます。
 3番目が、実は私のおります研究所の役割とも関係してくるのですけれども、人文学が外国といいますか国際社会とかかわる部分ですね。これは少し大きく表現すると、国際社会の中で例えば日本という国が平和のうちに共存するための1つの手段として、外国とかかわる学術交流も含めた人文学という分野です。
 以上申し上げましたこの3つの側面が、果たしてきれいに区別できるかどうかというのはもちろん問題があります。ただ私がこういうふうに3つに区別してきょうお話しさせていただこうと思ったのは、1の幹の部分というかヒューマニティーの探求自体と3の部分は、今、人文学・社会科学の中で一番不幸な状況にあるのではないかと感じているからです。言い換えますと、2の社会とかかわる部分に関してはある程度大学、行政、社会の人々、一般のいろいろな批判とか要求なり、そういうものを乗り越えて何とか外国と競争できるスタートラインぐらいまでは近づけたのではないかと、経済学に関してはそういう認識を持っています。ですが、1のヒューマニティー自体に関する研究はやや不遇といえるのではないでしょうか。もう1つの3番目の外国とかかわる部分が冷遇されていて不幸だというのは、実は日本だけの状況ではなくて、後でお話ししますけれども外国のファクターが非常にきいてきているということもあります。いずれにしましてもこの1と3、幹の部分、ヒューマニティーそのものの探求という問題と、人文学・社会科学が国際社会の中でどういう役割を果たすかということを意識した学術交流みたいなものに関して、これからお話ししたいと思います。
 レジュメの1番で「学問の自由」の問題を書いています。この学問の自由というのはもういささか手あかにまみれた言葉のように映りますけれども、実はこれから申し上げるような功利主義的な理由からも非常に重要な一種の制度であるということを強調したいと思います。つまり人文学のあるいは社会科学の基本というのは、通念や既存の価値あるいは通説、俗説と言ってもいいのですが、そういうものに懐疑を持つ、疑いを持つことから始まるという要素が強いと思うんですね。それでここに「『樽のディオゲネス』の逸話」と書きましたけれども、人文学のもともとの始まりというか根本の時点で、あるいは地点で、人文学者がどういう姿勢を示したかという話なのです。
 ディオゲネスというのはご存じのように犬儒学派の哲学者ですね、樽の中で裸で生活していたという。にせ金をつくって通貨システムを破壊しようとしたり、ちょっと危険思想も持っていたわけですけれども。あるときアレキサンダー大王がそういう哲学者がいるということを聞き知って、ディオゲネスの樽の前に立ちはだかって、「あなたはすぐれた哲学者だと聞いているけれども、私に何かして欲しいことがあるか」と尋ねたんですね。そのときのディオゲネスの言葉が、これはギリシャ語で言ったんですけれど英語では「Stand out of my sunshine」と言ったんですよね。あなたがいると日が差さないから、どいてくれと。それが彼の答えだったわけです。社会的、政治的条件が違いますから、そのままこれを現代に翻訳するのは妙な結論が出るので危ないんですけれど、基本は要するに自由に考える、単に知識を獲得するのではなくて自分の知識欲を満たしてくれる自由を欲しいということだったわけです。
 太陽の光が当たらないからどいてくれ、とアレキサンダーに言った精神は、アカデミックフリーダムといいますか学問の自由の本質を示すと同時に、その裏腹の関係として、「終身在職権」と訳されていますけれどテニュア制度と関係しているわけですね。このテニュア制度がなぜ学問の自由と関係するかというと、もしテニュアというものがなくて、解雇に関する権限を研究者の上司なりあるいはその組織の長なりが自由に使うとすると、実は研究自体がその上司ないしは組織の長の意向に沿ったものしか行われなくなるということです。ですからそれを守るために、ある一定のインディペンデント・リサーチャーとしての能力を示した人に関してはテニュアを与えて、そのポストといいますかエンプロイメントを保障しますという制度が必要になるわけです。テニュア制度というものと学問の自由は裏腹の関係で発展してきたのです。最近の日本での傾向として、若い研究者の雇用期間が非常に短く、これは研究者だけではなくて一般の産業界でもそうですけれども、非常に契約のタームが短くなりました。特に学術研究の場合、短い期間で成果を上げろというようなプレッシャーがかかる場合、若い研究者はどういう研究スタイルなり研究テーマを選ぶかというと、かなり制約がかかってくると思うんですね。かといって無能な、あるいは何もしようとしない人に対してどういうポリシーをとるべきかという別の問題がないとは申しませんけれども、学問の自由とテニュア制度というのが表裏一体であって、そして骨太の学問研究が生まれてきている国々のシステムというのは、このテニュア制度がある条件のもとで非常にきっちり守られているという点を、我々は忘れてはならないと思います。
 そこの3)に書きましたけれども、ですから自由が欲しいというわけですね。時間が欲しい。先ほどの分類でいう1)の幹の部分の研究に従事している方というのは、基本的に装置産業的な実験設備を必要とするとか、フィールドワークで非常にコストがかかるとか、大量のデータを処理しなければならないとかそういう部分ではない分野に入るわけです。学問の自由というコンテクストの中で、その分野の研究が一番欲している時間と自由というものを確保する方策がやはり社会的に求められるのです。一部の人文社会科学が、社会とのかかわりに配慮してイベントを行うとか、どうしても装置産業化せざるを得ないような高い実証性を求められている分野も大事だと思うのですが、この部分はまあまあ、今ではそれほど冷遇されているわけではないと思います。ですから学問の自由、人文社会科学という問題を考えました場合には時間の問題、そしてお金はそれほど必要としないのだけれども、お金で競争させられてしまっているような分野があるということですね。後で申しますけれども、基礎的トレーニングが長くかかるような、西洋古典あるいは中国の漢文を読み込めるような能力を育てるというのは、これはもう1年や2年では無理だと思いますよね。そういうところにエントリーした若者がなかなかそういう基礎的訓練に集中できないというのは、これは人文科学そしておそらく社会科学の将来にとっても、後々困る問題が出てくるだろうと危惧します。
 第2点はちょっと簡単に済ませたいと思います。第1点と第2点のお話をしないと第3点にたどり着かないので必要なのです。
 第2点は、なかなか懸命なやり方をとっているなと思えるのは、アメリカの一部の大学のシステムです。ご存じのようにアメリカは徹底したリベラルアーツのカレッジがあります。と同時にリサーチユニバーシティーの立派なものもある。しかしその中間的あるいはリサーチユニバーシティーよりもむしろマスエデュケーションを目標にしているような大学もたくさんある。私がこれから要約しようとします米国式研究者養成というのは、主にリサーチユニバーシティーの話です。私も一時アメリカで大学院を過ごしましたけれども、そのときの経験と、最近理系の研究者でアメリカの大学でPh.Dの学生を指導されている方といろいろ話す機会がありましたので、以下二、三点お話させていただきます。
 アメリカは問題のあるやり方もするけれども、やはり守るべきものはちゃんと守っているなということなのです。学部はもちろんですけれども大学院に入っても最初の一、二年はかなり基礎的訓練をやるんですね。これは分野によって差がありますから、どれほど一般化できるかというのは難しいですが、例えば経済学の大学院ですと、Ph.D. コースに入ってくる人は電気工学をやっているとか数学とかがいます。文学、ヒストリーというのはあまりいないのですけれど、とにかく文系の一部と理系ないしは自然科学工学系がほとんどです。日本で言う経済学部を卒業した、学部で経済学だけを勉強した人はほとんどいません。入ってきて1年、2年はベーシックな、経済学者のための数学とか数理統計入門とか、あるいはミクロ経済学、マクロ経済学の基礎みたいなことを、頭のいい人は1年ぐらいでクリアしますけれども普通スタンダードでは2年間ぐらいそういうのを勉強して、論文作成資格試験を通ったら論文のテーマを決めて書くわけですね。それを日本の場合と比較しますと、経済学のどの分野に入るかというタイミングが、やはり私の判断ではアメリカのほうが2年遅いと思います。この1年か2年かというのは大した違いではないように見えますけれど、これはマージナルには非常に大きな意味を持っているわけですね。これはバークレーの機械工学の先生が、日本での経験とバークレーでの経験を比較しておっしゃったんですけれども、Ph.Dをアメリカの学生の場合には2年ぐらいいろいろの分野をうろうろして、ある分野のテーマを選んでPh.D論文を書くと。しかし、しばらく研究を続けていてやはり行き詰まるわけですよね、このテーマではもうおもしろいテーマは見つからないといったような。その場合、アメリカの学生はテーマをわりに変えやすいと言うんですね。ボーンと変えてしまうのではなくて、隣接分野ないしはそれをもう少し抽象的に考えるために応用数学のほうに行くとかですね。つまり一般的訓練の期間が長かったので、リサーチャーとしての一生を考えた場合、わりにテーマを動かしやすいわけです。これは無原則にシフトするという意味ではなくて、テーマの選び方自体もわりに土台が広いので、その問題の持つ重要性みたいなもの、意味、そのテーマが解けるどうかという可能性みたいなものに対する判断力が、アメリカの学生の方がかなりいいと。それに比べて日本人の学生は、ドクターを取ったか修士の段階で何かもうジャーナルに載るような論文を書いても、後が続かないケースが多いというんですね。
 実はこれは人文系でも、特に社会科学なんかで私が強く感じるのは、日本はやはり原典重視ではないということです。例えば政治学とか経済学の大学院で、アメリカの大学の生協なんかに行くと、原典が置いてあるわけです。アダム・スミスの『国富論』が置いてあったり、プラトンの『国家論』が置いてあったり、マキアヴェッリが置いてあったり。それを学部の学生が読んだり大学院の学生が授業で使ったりする。日本はそれに対して、書店に行っても生協でもそうですけれど、アダム・スミスについて書いてあるものは置いてある。プラトンを論じた本もあるんですけれど、スミスやプラトンそのものを読むという訓練はあまりしないと思うんです。そういう原典重視をしないという精神が人文科学、社会科学の中であるのではないでしょうか。今、日米のPh.Dの比較をしましたけれど、何がその分野で重要かつ本質的な問題であって、何がそれほど重要でないかということの判断力というのは、やはり学問の歴史をある程度知らないとできない。その歴史を知る一番重要な資料というのは原典ですよね。なぜ、それがどういう社会的背景で書かれたかということを推理しながら読むという。ですからここに書きましたように問題の大小とか軽重の判断に、概して我々日本人は弱いのではないかと。経済学は典型的な輸入学問ですけれども、その輸入学問の中で身についてしまった精神をいまだに残念ながら引きずらざるを得ないというところがあるのではないかと思います。
 基礎訓練が薄い、原典重視をしないとか、かなり遅い段階まで一般的に広く勉強するという特徴を持たない、あるいはそういう傾向が日本の場合には強くない。例えば経済史にしましても日本の歴史にしても、なかなか通史を書いたり、哲学でも哲学史を若い人にレクチャーして、そしてその随所随所で原典を読んでもらったりというような授業が、もう教養課程とは言いませんが、大学からなくなって久しく思います。これはたいへん残念なことなんですけれど、その1つの理由は、それをやる先生がいないんですよね。だから日本の大学における教養の授業の衰退、つまり教養課程に適した通史なり全体を教え、そして常にその原典に戻れるような授業をできるような環境がないというのは、やはりそれをやる人がいなくなったことが原因にあると思います。ですからカリキュラムの上でこういうカリキュラムをオファーすべきかどうかということを議論する、それも大事なんですけれど、そういう人材を我々は育ててこなかったわけですね。ですからこれはやはり解決されるべき1つの重要な問題ではないかと思います。
 実はその問題と、この3番目の日本研究の現状ということが非常に関係してきます。それはどういう意味でかというと、今アメリカはヒューマニティーの教育に関して、主要な銘柄大学といいますか我々が名前を知っているような大学ではわりにハードトレーニングをやっているということを申しましたけれども、平均的、全体的に見ると、ヨーロッパ、アメリカを少し調べますと、人文学はやはり全体的に予算あるいはポスト面でも停滞しているか減少しているのです。特にアメリカの大学で厳しい傾向というのは、パテント収入のようなものが非常に重要になってきて、生命、バイオの分野等々で財源となり得るような学問に対しての予算の配分がかなりはっきり出てきているように感じます。お金の面でもポストの面でも人文学自体は決して、日本だけではなくて世界的な傾向としてつらい状況に追い込まれている。これは認識として大事だと思うんですね。日本だけが特に苦しんでいるということではない。今申し上げた基礎訓練が短いとかそういうことは日本の特殊な病としてあると思うんですけれど、予算面とか大学なり研修所の中でポストがうまく確保できるかという問題に関しては、ヨーロッパもアメリカも非常につらい状況にあります。いわんや日本研究をや、ということなんですね。
 私がおりますのは日本研究センターですから、日本研究という名前が、ジャパニーズ・スタディーズというのは出ているんですけれど、これがどういう実態あるものかと考えるのかは議論が分かれると思うんです。少なくとも日本研究というのは、現代に至るまで20世紀の主に後半だけを見て3つのステージがあったと思うんですね。1つはジャパノロジーとかヤパノロギーと言われたような、要するに1つの分野のメソッドに固執しないで、文献学的に日本とは一体どういう国なのか、どういう特殊性があるかとか、どういう普遍性があるかなんていう視点もありましたよね。ですから文献中心に、日本とは何かということをサムシング・フォーリンと言いますか、ちょっとエキゾティシズムも含めた魅力ある研究対象としてリサーチする世代。これは正確には第2世代と呼ばれているらしいですけれども、この時代の研究者というのは非常に幅広い人が多いんですよね、アメリカでいいますとジョン・W・ホールとかマリウス・ジャンセンとか、ライシャワーとか。私は語学で一番大事というか知性の尺度になるのは読解力だと思うんですけれど、日本人もなかなか読めないような難しい文献を自在に読みこなすような世代の人たち。彼らは大体朝鮮語も中国語もやっているんですね。歴史に関してもそうです、朝鮮半島の歴史、中国大陸の歴史も勉強して、日本を研究の対象としている。で、大体独立した資産を持った裕福な家庭の人が多いんですね。要するに、学問的競争に勝っていいポストを得るために短い論文を量産するというようなタイプの人ではない世代ですね。その世代の人が現代の日本研究の後継者を育てた世代なのです。
 2番目がいわゆるジャパニーズ・スタディーズと言われている分野で、これは分野が大体あって、例えば経済だったら日本経済の研究をする。日本経済の研究をするとき、経済学のメソッドを使ってやる。彼らは前の世代よりも話すのは上手だけれど、難しい文献を読むというタイプの人ではないんですよね。ヒストリーでもそうです。これはもう相対的に少なくなったということですけれどね。中には突出した人ももちろんおられるんですけれど、概してジャパニーズ・スタディーズというのは、大体ある分野のディシプリンのメソッドで日本を研究する。
 3番目がこの20年ぐらい盛んになった、あるテーマ、例えば社会保障制度とか中等教育のシステムとか、ある限られた限定されたテーマに関して例えば日本とアメリカを比較するというようなタイプ、あるいは一緒に連携研究をする。だからこの場合は日本語はさらにできなくても、リサーチャーとしてのディシプリンのトレーニングを十分受けていればいい研究ができる。日本人の共同研究者がいてお互いに、日本社会のある断面に関してわりに突っ込んだ細かい研究をするというようなタイプのものです。
 今、1、2、3と日本研究を分けたんですけれども、最近お金とポストに関してちょっと困ったことが起こっているというのは、実はそもそも2のタイプは、ジェネレーション的にもまだたくさんおられますけれど、2と3に関してアメリカの大学、あるいはヨーロッパもそれほど協力的ではなくなったということなんですね。二、三例を挙げますと、私の知っている例なんですけれど去年の3月にハーバード大学で起こったことです。日本研究というのはアメリカで数カ所重要なところがあって、西海岸ですとバークレーとかスタンフォードですね、東ですと伝統的にも一番強いのはハーバードなんですけれど、そのハーバードで日本中世史、公家とか僧侶とかそういう中世の一種の権力構造、武士を中心にした権力構造みたいなことを研究されたアドルフソンというたいへんすぐれた若い学者がいるんですけれど、彼がテニュアを拒否されたんですね。テニュアというのは先ほど申し上げた終身在職権です。否定されてから1年か2年は次のジョブサーチために在職できるのですが、彼がテニュアを拒否されたというのでハーバードの学生と、ハーバード・クリムゾンとかキャンパスのメディアが激しい反対運動を展開したんですね。そのとき、デレク・ボクかサマーズでしたか、アドルフソンのテニュアを拒否した理由をこういうふうに言ったんです。Heというのはアドルフソンですけれど、彼はAプラス・スカラーだと、しかしBマイナスの分野で、「A+scholar in B-field」と言ったんですよね。つまり日本研究というのはBマイナスフィールドで、彼は立派な学者かもしれないけれども一番高いレベルでの決定としては彼にテニュアを出すことはできないと。大体こういうポストを埋めない、あるいは日本研究であったものを東アジア研究所に改編したり、コリアンスタディーズとチャイニーズを日本と一緒のところに入れて、東アジア学部研究所という形で改編したりということが起きています。私が驚いたのはドイツのマールブルグ大学、ヘッセン州にある大学ですけれど、ここに日本研究所ができたのは戦後ですが、ここも同州のフランクフルト大学へ日本研究所が移管されます。ハンブルグとか昔からあるところに比べて伝統は浅いところですけれども、マールブルグはわりに日本研究者が多い研究所だったんです。私は日文研の海外研究交流室長というのをやっていまして、海外でいろいろコンファレンスとかセミナーをオーガナイズする仕事をしておりました。以前そのマールブルグ大学に2度ほど滞在したことがあったので、そこの研究者にだれかこのテーマでコンファレンス・ペーパーを用意してくれないかと言ったら返事がなかなか来なくて、おかしいなと思ったらやっとファクスが来て、そのマールブルグの日本研究所は2010年をもって閉じることになったと。人を再配分し、早期退職を促し、その後はフランクフルト大学に一部移管する。そして、これまでの日本研究所の物理的な空間とリソースは中東研究所を新しくつくって、そこに移すことになったと。実は組織改編でコンファレンスどころじゃないという返事が来たんですよ。中国は政治的にも経済的にも世界の中で目立つ存在になった、そういう国とか地域に、日本研究ではなくて、日本研究はもう東アジア研究のほうに埋め込んでしまって、むしろ中東問題とか中国、あるいはインドを中心に、地域研究のためにリソースを投入するというような動きがわりに見られます。変わり身が早いというか、非常に現実的判断でもって、研究の対象なりテーマなり、あるいは研究所自体の組織替えをどんどんやってしまうというのを知って、これは日本研究も大変な時期に入ってきたなと感じるわけです。
 ただ、ここに「核の部分と周辺部分の衰退」というふうに書きましたけれども、もともと言われていたんですね。1980年代半ばから90年代半ばぐらいに日本研究に人気が出ました。その一部は漫画とかアニメの影響があったと言われます。しかしもう1つ大きな理由はやはり日本の経済的な存在の大きさがあります。世界経済の中で日本の占めたウエートが大きかった時代によく言われたのは、日経の株価が平均して高い年は、海外の大学の日本語の授業を履修する履修生の数が上がったと言うんですね。悪くなると減ってくる。ですからこのサイクルは一種の経済的なサイクルなのです。私はこの周辺部分の衰退というのは、それは衰退しないほうがいいんですけれども、致し方ないといいますか、それほど大きな問題ではないと思うんですが。
 一番大きな問題は、やはり先ほど申しました例えば思想とか歴史とか文学とか、特に日本の歴史、社会などの一番核になる、そしてライシャワー世代ほどの語学力でなくても、要するに長期にわたる日本研究に投資をするような研究者が育っているかどうかということが大きいと思うんです。それはなぜかといいますと、これは日文研の存在意義とも関係してくるんですけれど、基本的に、学術外交の問題になるからです。どこの国にとっても、そして主要国は大体これをやっているわけですけれども、自国を学問的レベルでかなり正確に理解してくれる人たちが外国にいるかいないかというのは、非常に大きいわけです。これは決してアニメとか漫画で日本が好きになったという人たちをおとしめる意味ではないんですけれど。まあ、あるものが好きになったら、そのあるものが好きになった理由がなくなると人は離れていくわけです。しかしどういう状況であっても、例えばアメリカに、ドイツに、日本の歴史に強い関心を持って、高いスカラシップとバイアスのない判断力で日本の研究をする人たちがある数存在してほしいということです。かなりの数いるかいないかというのは、これは先ほど冒頭で分類しました第3番目の、国際社会の中で日本がいかに平和共存するような装置あるいは環境を整えられるかという問題と関係した点だと思います。
 文化交流というのはありますね。国際交流基金とかいろいろ文化、芸能、芸術等を知ってもらうという交流をするのはもちろんいいことなんですけれど、研究者レベルで国を理解する、そして国をトータルに、しかしある種の専門性を持って理解する人たちを自国の外に持ち得るかどうかというのが、これからの日本が海外とかかわる場合、大変重要な要素になるのではないか。アメリカもドイツもフランスもイギリスも、知る限りの主要国は大体そういうことに関してかなりのお金を使って、長期にわたり、そしてかつ、その効果は即効薬みたいにすぐ出るというものではないんですけれども、そういう努力をこれから少し意識的にする、あるいはさらに強めないといけない。その重要な役割を果たすのはやはり、自分の専門が人文社会科学だから申し上げるんではないですけれど、もちろん自然科学というのはもっと共通語の多い世界ですよね、工学系統にしても、だけれどその共通語が少ない世界でそういう理解者を持つことのほうが、私は社会あるいは外国とかかわる場合、重要な点になるのではないかと考えます。そのためには海外の日本の研究者を、そのほとんどは人文社会科学系なわけですけれど、できる限り大事にして、日本で研究できるような装置が必要であろうと考えます。その1つは日文研なわけですけれど。
 そして同時に、こういう人文社会科学系の研究を国際的な協力なり交流、外交を意識してやる場合、日本に直接関係する、ということにあまりこだわってはいけないということです。例えばこういう例を時々私は言うのです。日本に中国から留学生が来た。ヨーロッパでもいいんですけれど。それで日中関係の研究をしたいといって、そこで修士を取った。日中関係を研究しているとき、実はその2国間だけで見ていてはだめだということにあるときその研究者が気がついて、やっぱり日本にとって日米関係が日中関係とどういう関係にあるかということも知らなきゃならないということで、アメリカに行って日米関係に関する資料を使った研究をしたいといったとする。あるいは米中関係でもいいですね。このように中国人の学生がアメリカで研究をしたいといった場合、日本の国際交流基金にしろ文科省にしろ、あらゆるグラントなりスカラシップがそういうことを許容するようになっているでしょうか。私はそれを許容するぐらいの広さがないと、いい研究者を支援することにはならないと思います。中国人学生がアメリカで日米関係を研究する、あるいはアメリカの外交政策を研究するとき、日本がなぜそれを助けなきゃならないかというようなことが問いになったり、妨げる要因になるようでは、やはり枠組みが狭過ぎると思います。これは留学生だけではなくて学者でも研究者でもそうなんですけれど、そういう研究者の交流の枠組みを広げるということが求められています。これからの学術の助成といいますか交流はそれぐらいの、2国間だけではなくて3国を取り込むような広い視野からやらないと、共感も得られないでしょうし、長期的に見た学術的な成果もそれほど豊かなものが出ないのではないかと感じます。
 もう3時になってしまいましたのでそろそろ終わります。先ほど冒頭に上げました1、2、3の2は、つまり人文学が社会とかかわる部分というのはいろいろ、最近はとみにこうした活動が盛んになったし、昔は人文社会科学でフィールドワークをする場合、山岳部の登山みたいなものでお金をまずどう集めるかというので非常に苦労された話が大体どの研究書にも書いてあるわけです。その意味では帰納的なフィールドワークを含めた研究をやる場合、あるいはその研究の成果を社会に知ってもらうための人文科学の位置づけというか役割というのは、それほど悪いものではないのだろうと私は思います。
 要するに結論は、さっきのディオゲネス風の研究をもう少し大事にしないと、長期的には骨太のものはなかなか、人文学・社会科学で日本の中では生まれないのではないかと。もう1つは、人文学をベースにした日本研究の現状を見ると、やはり日本が意識的に、政府かあるいは研究者でもいいのですが、意識的に学術外交に踏み出さないと、そしてそうした学術交流において陰徳を積まないと、日本に対するリスペクトもそんなに高まらないのではないかと感じる次第です。
 どうもご静聴ありがとうございました。

【伊井主査】
 どうもありがとうございました。
 お聞きしながら身につまされるような、一々納得できることでございますが、私など非常に乏しい体験でも、1970年代の例えばオーストラリアの日本研究というのは非常に盛んでしたが、今は見るも無惨な形でオーストラリアにおける日本研究者というのはほとんどいなくなってしまい、研究者は国外へ出てしまったという状況であります。逆に中国の場合は、国策として中国の教師をどんどん世界に派遣しており、そういう売り込みというのも盛んにしていると聞いています。ヨーロッパは随分蓄積がありますから、日本研究もなされているとはいえ、継続するのは困難な状況です。
 私などは、考えてみますと今も85歳になったドナルド・キーンさんとか、昨年亡くなりましたサイデンステッカーさんを思い出しますが、ライシャワーさんの後の世代でありましょうが、戦争というものを契機としてドナルド・キーンさんは日本語、日本文化をなさってきました。ドナルド・キーンさんがもしいなければ、歴史はそんなことを言ってもしようがないのですが、世界における日本研究は随分違っただろうと思います。サイデンステッカーにしても。そういう日本の情報とかさまざまなものを西洋に、ヨーロッパに発信したという功績は非常に大きなものだろうと思いますが、こういう世代を今後どうやって我々はつくっていくのか。先ほど猪木さんは海外における賛同者というような言い方をなさいましたが、そういう下地がないとこれはどうしようもないだろうということを思った次第です。特にキーンさんは、1945年の日本を現在書いていらっしゃいまして、戦争直後の日本人は何を体験したかということを、今いろいろな人の当時の日記を集めて読んでいらっしゃいます。その前は明治天皇の本を大分お書きになって売れたようでございますが、でも「明治天皇紀」も詳細にお読みになりました。ああいう文献を読める外国人も非常に少なくなっているだろうと思っております。私の個人的なことを申してもしようがないんですが。
 非常に貴重なお話をありがとうございます。これからできるだけ皆様にご意見、ご感想等をお話しいただければと思っていますが、できれば4時ぐらいに終わりたいと思っております。よろしくご協力くださいませ。
 どうぞ、どなたからでも結構です。

【猪口委員】
 同世代ということもあって、非常に感慨深くお話を伺いました。
 私が2つ重要だと思ったのは、海外に賛同者といいますか言葉をしっかり理解できる人は、もう激減というか撃滅したんじゃないかという感じが非常に強く思うんです。猪木さんが言及されたライシャワー教授、この人はほんとうに日本語でも1,000年以上前の日本語もよくわかるし、そのときの韓国語のローマ字表記まで発明した人ですし、もちろん随唐時代の漢文も完璧にアンダースタンドした人ですから、これはなかなか。初代があんまり偉いと後がついてこないというのはよくわかるんですが、もっと原始的なレベルで日本語ができる人は増えたみたいな気もするけれども、今語っている部分では非常に激減しているので、それは何とかしないとならなきゃと思うんですけれど、それがどうできるかというのはよくわからないんですが。外国に頼っていてもしようがないから、これはやっぱりできるように仕組みをつくって、外国に日本ハウスみたいなのをつくってがんがん頑張るのもあるんですけれど。
 それと同時にやはり例のゲーテ・インスティテュートとか孔子学院とか、ブリティッシュ・カウンシルとかいうのが1つと、やはり日本の大学に留学してきてもらって、ついでに日本語も上手になってもらうというのをもう少し、医学とか理学というとばかり多くて、工学とか農学とか理学とかという部分でも、学部時代から来てもらう人をもっと増やす必要があるんじゃないかと思う。そうしたら英語はあっちからもともとうまい人がいっぱい来るし、日本語もよくできるようになるんじゃないかと思って。人文学の人がそう来るかどうかわからないですけれど、いずれにしろ両方向で日本語がわかるような人をたくさん育てないと。人文学は何かエキセントリックなおたくさんみたいな人ばかりしか、日米教育委員会も関係しているんですが、アメリカから来る日本学者はすごくエキセントリックなおたくさんみたいなトピック、主題をやる人ばかりで、日本からアメリカに行くのは別に勉強じゃなくて、アメリカはどんなかなみたいな感じの人ばかりで、アメリカを研究するでもなし、何かへんてこな感じになっているので。僕はいっぱい留学をするということで層を広くすることが、やはり人文学の深みも増す1つのあれなんじゃないか。政府もそういう方向に来ているみたいな気がしますけれど、何だか力強さがない。お金がないと言えばそうだけれど、でもやる気もあんまりないんじゃないかなという気がする。
 第2点は、日本在住の学者、日本人でなくてもいいんですが、やはりこれもビガー、力強さがなくて。その例を思ったのは、猪木さんがおられる国際日本文化研究センターで何かをやるから来いというのが、二、三年前にあったんですよ。21世紀の日本を活写するみたいなプロジェクトをつくったといってオランダの方が。そうかそうかと言って僕もうんと言ったんですが。行こうかなと思って地図とか時間を見たら、考えられない遠くにあることがわかって。(笑)5回ぐらい何か研究会があったんですが1回も行かれなくて、ただかろうじて原稿だけは送ったんですが。今年の1月だかにその編集、もともとは川勝平太教授とオランダのリーン・T・セーゲルスという教授がやっていることになっていたのが、本となってみたら川勝平太氏は別の学長になっていていなくて、リーン・T・セーゲルスがわざわざ来て何かやっていたんですが、もとのメンバーと全然話が違って。やはり日本研究者も層が少なくなっているんですよ、日本においても。何かそこら辺はもうちょっと攻撃型というか積極型の日本人の日本研究者がもっと大量に出てこないと、ちょっと寂しいんじゃないかなと。特に国際日本文化研究センターが主催してやっているにはあれかなと思って、すごく感じましたね。
 その理由を考えると、やはり国産的な教育の仕組みがあまりにも強くしっかりできているのでそうならざるを得ないというのがあるので、もうちょっと、文科省の中でこんなことを言っても変な感じがありますが、文科省がもっとだらんとしてやったら、留学がよくできたり増えたり。今はほんのちょっと1カ月、2カ月行くというのはものすごく増えていますけれど、昔のように決死隊みたいな人はほとんどいなくなって、留学なんか全然インセンティブがないんです。全然ない。ただ数としてはいっぱい行っているんですよ、激しく。だけれどそこら辺、文科省がやり過ぎじゃないかなという面もあるかなと。外国に行ってそんなのんきなことをやっていたら自分のいるところでクーデターが起こって、おれの居場所がなくなるみたいな感じの問題意識の若い学者志望の人が増えたんじゃないかなと。とりわけ大学のポストがどんどん減ってきているので、海外旅行中にクーデターが起こっちゃったら困るという意識からか何だかわからないけど、どこにいても勉強できるとかいろいろあるんでしょうけれど、あっちの賛同者は増やすんでしょうけどこっちが、戦闘部隊であるはずが全然だめみたいな感じがするので。だめというわけじゃないけれど、ものすごくちゃんとやっているのもいっぱいあるんだけれど、ただ今の猪木さんの話の研究協力という観点からはとても。
 ちゃんとやっているから、日本語がちょっとできるとパアーッと読んで、あっちは猪木さんの言われるように問題の大小、軽重の判断にすぐれている、何となくフワフワッと言ってシャラシャラッとよくわかるように書く、いろいろな偉い人がいっぱいしっかりやっているのを見ながらフワフワッと集めて本を書くという人が増えた。それもまた何かね。何か自分の研究はぜんぶやっているのに、フワフワッとそれをシンセサイズしたみたいな、ただでいいことをやっているみたいな感じがすごく人文学関係、日本研究の人に感じるので、結局は外国の日本語をしっかりやる仕組み、政策をもうちょっと元気よくやらなきゃだめだということと、日本の日本研究学者はもうちょっと攻めるほうもやらなきゃだめだと。主題についてはよく攻めているんだけれど、国際研究協力というのもちょっと頑張るような、インセンティブをつくるような仕組みを国際日本文化研究センターでつくって。ディオゲネス型で行くというのもよくわかるんですが、ほんとうはそれが重要なんですけれど、やはり海兵隊みたいな人もつくらなきゃだめなんですよ。敵地に乗り込んでババッと。「そんないい加減なことをやっちゃだめだ」と、「コラッ」と言うような猪木さんみたいな人がもうちょっとあっちこっちに行ってもらわないとだめな感じがしました。

【伊井主査】
 ありがとうございます。多分猪木さんもそういうことをお考えになって今からなさると思いますが、まさにおっしゃるように日本の層も厚くしないといけないだろうと思います。

【高山科学官】
 最初は人文社会科学のお話をしていただき、その後、日本研究に関する現状をお話いただきました。日本研究に関しましてはほんとうに全く何も言うことはないというか、今猪木先生もおっしゃったように、我々日本人の価値観を理解してくれる人たちを増やしていくことは、我々が世界の中で生きていくために非常に重要なわけですから、そのための活動を推進するというのは当然のことだと思うんですよね。
 日本研究がしぼんできた背景には、中国のように政治的、経済的プレゼンスが大きくなったところに関心が移動し、集中していくという、これはある意味でどうしようもない状況があると思うんですね。そのような状況の中で、日本に関心を引き止めるためには、意識的に、積極的にこちらから何か働きかけていくしかないということだと思うんですけれど・・・。
 日本の人文社会科学の振興という問題を考えた場合、これは、ある意味では学問領域の中での差といいますか、理系の学問と人文社会系の学問という区割りをすれば、相対的に人文社会系の学問の意味・重要性というのが社会的に認知されなくなりつつあるという現状認識があるということだと思うんですよね。だから、人文社会系の学問の意味・重要性をどうやって一般社会の人たち、理系の方たちに理解していただけるか、それをどうやったら積極的に示すことができるか、それが多分非常に重要だと思うんですね。ここにいらっしゃる先生方はその重要性を自覚されておられるわけですから、この内部で議論すると答えはほとんど「大事ですよね」ということになると思うんですけれど、大事なのはここにいらっしゃらない方たちにどうやって人文社会系の学問の意味・重要性を伝えていくか、わかっていただくかということだと思うんですよね。そういうことをやる上で、どこに注視すれば効果的にプレゼンができるのか、そういうところをちょっとお伺いしたいんですけれど、いかがでしょうか。

【猪木所長】
 猪口さんのご質問と、今の高山さんのをちょっとまとめてお答えします。
 日本の外の日本研究が弱体化といいますか少し影が差し出した、相手が少しおかしくなった。ということは、実は日本の中がおかしくなっているということの反映だというのは1つのポイントだと思うんですけれどね。確かに、今の大学院生は極めてドメスチックですよね。昔は、どうなるかわからないけれど猪口さんもアメリカにいらしたわけでしょ。で、何とか生活して戻ってこられたわけです。そういう気持ちが、単にポストがしぼみ出したのでそのセキュリティーが保証されていないので行かなくなったということだけでしょうか。経済的にはそういう理由かもしれませんけれど、もっと我々の対外的といいますか外に対する姿勢みたいなものが萎縮している結果ではないかと。だから日本の国内で日本研究をしている我々に問題があるという、実は反省を迫られているのではないかという意味では、非常に同感です。ただ猪口さんが日文研に遠くで不便で行けなかったというのは、それも実は問題発言で、実は時間がある、暇であるということは人文学の推進にとって非常に大事な点なんですよ。だからもっと猪口さんは暇を持っていただいて。(笑)忙しさは人文学の敵です。だからそれがちょっと気がついたというのが1つです。
 もう1つは、やはり言葉の問題です。私は言語はあんまり才に恵まれていないほうなんだけれど、難しいものを研究者として読み込ませるというのは一番重要な能力だと思うんですね。英語をぺらぺらしゃべる人が増えたなんていうのは、国全体から見たらいいですよ、だけれど学問研究とは必ずしも直接的な関係はないですよね。日常のあいさつができるか、フルーエントにしゃべれるかというのは。昔はよく国際会議をオーガナイズすると、英語をしゃべる人を探してくれと言われたんだけれど、最近は逆ですよね。英語は完全にしゃべれなくてもいいから内容のあることを話す人を探してくれと。ですからそういう意味での語学、ライシャワーがそういう意味では知的な巨人であったあの世代と比べて、全体が専門化して小さくなっていくのと平行して、語学の読解力もしぼんできた。研究している方をこういう形で批判するのはまずいかもしれませんが、我々の自己批判でもあるんですけれどね。
 猪口さんのお話にはたくさんの論点があったみたいですが整理できないので、以上でよろしいでしょうか。
 それと高山さんがおっしゃった点ですけれど、これがなかなか難しいんですね。非常に単純な数字で言いますと、文部科学省の統計なんかを見ていまして、大学院で学位取得者数あるいは大学院在学者数の学問分野別の数がありますね。ご存じのようにボローニャ・プロセスで2010年までにヨーロッパの大学はバチェラーを導入して、バチェラー、マスター、ドクターと3サイクルに統一されます。今はドイツなんかは基本的にバチェラーはないんです。5年間で修士レベルをやって後はドクターですよね。3サイクルをすでに始めているところは他にもありますけれど、全体で2010年でそれに完全に統一するという方向で進んでいます。
 教育の実態は日米は数量的に比較しやすいんですけれど、日本とヨーロッパというのはそういう教育統計の比較はなかなか難しいんです。それでもある前提で比較すると、日本のいわゆる「大学院生」の数の圧倒的多数は工学部なんですね。そして農学、サイエンス。そして最小がソーシャルサイエンスとヒューマニティーなわけです。日本は、大陸ヨーロッパ、アメリカ、イギリスと比べて、人文学・社会科学の大学院生が異様に小さいのです。大学院重点化ということで院生の数は増やしたわけですけれども、重点化をして就職のできない「不平士族」をたくさん増やしたみたいなもので、ポストがないわけですよね。ですから高山さんがおっしゃった、内輪の話じゃなくて外にもうちょっとそれを発言し続けないとだめだと。今はもう大学院教育というのが非常に大事な時代になりましたから。大学院教育の中の分野別で見ると、日本の明治以降のあれでしょうね、工学がものすごく重視されて、それによって我々の生活は豊かになったという面ももちろんあるわけですから、工学を減らすという意味じゃなくて、もっと社会科学と人文学を重視しなければならない。そしてアメリカもイギリスもそうですけれど、法律とか経営とか経済も含めた院生の数というのは非常に多いですよね。やはり4年行くのと6年行く、8年行くというのは大分力が違う。自分で何かを徹底的に調べようと思う作業をやった者と、与えられるままに、いわゆる先ほどの私の区別でいうと「知識をもらった」者とでは大分違うと思うんですね。ですから分野別の大学院生の在学者数、ディグリーを取った人の統計で見ても、日本は世界からかなりずれていると。そういう具体的な数字を示しながら外に対してもっと、猪口さんなんか声が大きいほうですから宣伝していただきたいと思います。
 答えになっていなくて申しわけありませんが。

【今田委員】
 私は、理系から文転して社会学をやるようになりました。文転した後、研究者になるために味わった体験をお話ししてみたいと思います。
 大学院の修士課程から博士課程に進学したころは、外国人学者による日本研究が花盛りでした。社会学でも、イギリスのLSEのロナルド・ドーアさんとかハーバード大学のエズラ・ヴォーゲルさんとかいて、当時多くの社会学者はそうした外国の日本人研究者にくっついて一緒に研究するのが、国際化みたいな雰囲気がありましたよね。やりやすかったんだろうと思うんですよ、日本語も達者な先生方ですから。そういう人たちはえらく羽ぶりがよくて、「何か嫌だな、日本研究というのは」というイメージがあった。個人的にですが。理系的な発想からすると、学問って文化や社会の違いを超えて成り立つテーマを追求するものだという印象がありますよね。こうした発想との間でアンビバレントな状態にいたんですけれど、だんだん社会学もそういうジャパノロジスト、つまり先生がおっしゃる第1期のころの人たちと関係の深い研究者の影響力が日本でも低下していったんですね。それはそれで健全な方向に行っているんじゃないかと勝手に自分で思ったりしたんですが、そうすると問題なのは、日本研究を本格的にきちんとやるのにどうすればいいかということになる。
 私は理論のほうを志向していたから、昔、アメリカの例えばタルコット・パーソンズという社会システム論で著名な社会学者のバイオグラフィーを調べたことがあります。そのときにわかったのですが、占領下の日本がどんな国なのかというのを、ジャパノロジスト以外の人文社会科学の研究家を集めて、報告書をつくっているんですね。日本占領政策のためにどういうふうに考えればいいかと。そういうプロの、別に日本通じゃない人がきちんと日本研究をやって報告書を出している。その後、ジャパノロジストが出てきたということがわかったんです。ということは、何も最初からジャパノロジストみたいなアメリカの研究者、イギリスの研究者がいたわけではなくて、日本をアメリカの中に組み込んでうまくやっていこうという中で出てきた研究者なのです。
 要は何が言いたいかというと、今、日本研究をほんとうに本格的に日本人の手によって行うのならば、まず日本の国際戦略、日本がグローバル化の中でどのような役割を担うのかを明確に決めて、そのために例えばアラブならアラブに日本人研究者が行って日本人の立場からアラブのことを研究してみることです。相手国を一生懸命研究する中で、日本をどういうふうに特徴づけ、PRできるかを確認し、他国に映った日本という視点から自らのアイデンティティを確認する。また、それを経由して日本研究を誘導するというか、それをアドバイスすることです。日本が日本人のために一生懸命研究して、それを外国へ持っていって日本を紹介するようなやり方はあんまりうまく行かないんじゃないかという気がしています。
 要は、日本が海外でどういう役割を担うかの戦略を決めて、そのためにいろいろな国の研究を向こうへ行って日本人がやってみることです。例えば日文研アラブセンターとか、日文研中国センターとかを設立して、そこで中国なりアラブの研究者と共同して、相互の国の文化を解明する中で、おのずから日本研究がいろんな国にしみ込んでいく感じのほうが、ほんとうはうまく行くんじゃないかなと思います。私は日本研究が専門じゃないからよく事情がわからないんですが、いかがでしょうか。

【伊井主査】
 今田先生のお話で何かコメントがございましたら。

【西山委員】
 ちょっと関係がありますので。
 日本研究を振興するには、猪木先生がおっしゃった第一世代のライシャワーさんのような、日本研究の巨人が何故出現したのか、そして、その後なぜ衰退してしまったのか、という原因を考えてみる必要があるのではないでしょうか。原因が特定されれば、それなりに対策が打てるわけですから。

【猪木所長】
 猪口さんじゃない?

【西山委員】
 いや、今田先生がおっしゃったと思いますけれど、今。その原因は、占領する以上は日本のことをよく知って対処しなきゃいけないから、そういうことが1つの原因だと。それはかなり必然的な原因ですよね。だけれど、そういうものもあるかもしれませんけれども、そのような第1世代が、日本を研究して日本人以上に日本がよくわかるような世代の巨人が出たのは、なぜでしょうか。もしそれが何らか理由がわかるのなら、今の時点で再構成する努力をすればまた出てくるんじゃないでしょうかと。あるいはそれが占領のためにそうだったということであれば、根本的に違う考え方をとらなきゃいけないとも考えられます。この点で、先生はどのようにお考えをなさっているかという質問であります。

【猪木所長】
 実は西山委員が提示された問題の答えは、ある意味で非常に簡単なのです。私、先ほどの話の中でも触れましたけれども、要するに、1つの学問的到達点に立つまでの期間が長いということが許された時代なんですね。逆に言いますと、最近は優秀な人は早く優秀だということを認めてほしいという時代になったということです。それはおそらく猪口さんがおっしゃったジョブが少なくなったという経済的な状況も影響していると思います。すぐれた学生であればあるほど早く自分の力が認められるような、例えばレフェリー制度のあるジャーナルに何本論文を書いたか、そういうスタンダードが非常にはっきりしてきた。学問の基礎的、基本的訓練への投資期間が短くなっちゃったんですね。ライシャワーさんの例ばかりですけれど、朝鮮語を勉強し、中国の歴史、彼は円仁の研究が博士論文です。唐に入った日本の坊さんの研究をされたわけですけれども、古い中国語も日本語も朝鮮語もすべて勉強して、そういう学術的成果を生み出すまでの長い時間が許された時代の、極めてすぐれた研究であった。ところが、今はそういうことをやっていたらもうジョブはなくなる、将来どうなるかもわからない。重点化で大学院には入れてもらったけれど職がない、といったらこれはもう不平士族の革命ですよ。残念ながら、研究者の視野がどんどん短期化して、早く結果を出さないといけないという強迫観念にとらわれざるを得ない。すぐれた研究者の卵であればあるほど、やはり早く認められたいという気持ちが働くんでしょうね。そうすると、そのすぐれた人が流入する分野というのはわりに限られたものになってくる。それが私はおそらく一番大きな原因じゃないかなと思う。だからといって、これはなかなかこちら側でコントロールできる問題じゃないんですよね、「まあ、もっとゆっくりやりなさい」って言っても、将来がどうなるかわからないですからね。
 それから、今田さんがご指摘の点ですが、これは私なんかも責任の一端があるのですが、我々日文研の活動のPRが足りないんですね。ここは日文研の広報活動をする場ではないのですが、まさにおっしゃったように限られたリソースをどういうふうに使うか、どの国をプロモートしたりサポートするかという判断というのは、リソースに制約がある限りやはり選ばないとだめです。万遍なく何となく広げるんじゃなくて。ですから冒頭で申し上げた、どういうリサーチャーに来てもらって1年間研究に没頭してもらうかという人選に関しても、我々が外国に行っていろいろな情報を集めなければならない。今は拠点形成と言わないんですけれど、ネットワーク形成と称して、一つの国の1つの大学ではなくて、一種の全方位外交をしなければならない。1つだけと協定を結ぶと、他をエクスクルードしちゃうことになりますので。ヨーロッパ、東アジア、最近は東南アジアとかアフリカからの日本研究のリサーチャーも来られます。ですからある種の均等性を守りつつ、どこにウエートを置いて学術協力の活動を展開していくかということを考えているわけです。どうもPRが不足していて、そういう質問をしばしば受けるんですけれど、我々の一種のビジビリティーみたいなものがもっと必要だということでしょうね。

【伊井主査】
 ありがとうございます。
 どうぞ、ほかに何か。

【今田委員】
 趣旨としては、例えば日文研がアフリカのどこかの国に出かけていって、その国のことを徹底して解明する、研究するというようなことは。

【猪木所長】
 していません。

【今田委員】
 やっていないでしょ。でもアメリカのやり方は、例えば占領政策という名目だったんだけれど、日本を徹底的に研究すると。

【猪木所長】
 それは別の機関が、附置研でもありますよね、アジア、アフリカ等、東南アジア研究センターとか。私立大学でもアメリカ研究所とかいろいろありますから、それはやはり分業でしかできない。

【今田委員】
 でも日本研究というのは、ほかって、どういうところがどういうふうにやっているのかわかりませんが、日文研というのが中心になってほかの国を調べると、日文研の持っているストックや知恵や日本に関するあれがずっと深まるわけでしょ。

【猪木所長】
 いや、それは今田さんがそういうことを応援していただかないと。我々30数名の所帯ですよ。分野も非常に散らばっているんですよ。みんな御山の大将みたいに散らばっていて、みんなその分野でかなり偉いと思っている人が集まっているわけですよね。そうすると分野も散らばり数も少なくて、それで世界戦略みたいなことはできないんですよ。やはりどこかにウエートを置かないと。

【今田委員】
 でもまあ、だからそのレベルだったら、もうそれで。(笑)その役割しかできませんものね。しようがないと。

【伊井主査】
 将来的に広げていかなくてはいけないことだろうと思いますが、国家戦略みたいなこともあるのだと思いますが。

【家委員】
 今のネットワーク形成ということについてお伺いしたいと思ったんですけれども。今ご紹介があったように30数名の組織で、確かに限られていると思うんですけれども、諸外国とのコンタクトというのは基本的には今、個人的なつながりから発生しているんですか。もう少しシステマチックに例えば各国の日本大使館とか領事館とか、そういうものとも連携するというようなことはされていない。

【伊井主査】
 いやいや、個人レベルですよね。

【家委員】
 いいかどうかわかりませんけれど。

【猪木所長】
 それはむしろ避けたいという。(笑)どうしてかと言いますと。

【家委員】
 どっちかなと思って聞いたんです。(笑)

【猪木所長】
 意図的に避けているわけじゃないですけれども、大事なのは、個人的に知っている人同士が集まって、というのは極力避けるんですよ。常に新しい人を見つけて、特に若い世代のいい人を見つけるという一種の人材発掘の活動ですかね。若いすぐれた人で、日本を本格的にやりたいという人が何らかのネットワークで見つからないかというので、いろいろ網をかける。その網をかける場所を1箇所だけでやっていると、やはり親しくなり過ぎますからね。ですからいろいろな意味でバイアスも出てくる。したがって少しずつ場所も変えながら。
 なかなか海外の日本研究者の間の関係も複雑です。去年の9月にわたしの研究所の20周年のシンポジウムがあって、各国の事情をいろいろその国の研究者に報告してもらったんですけれど、もうはっきり論文の中に日本研究を促進するためには、まず自国の日本研究者同士の間にある壁を取り払って、そして自由な学術交流をまず自国内でやらないとだめだということが書かれている。それぐらい学派的対立みたいなのがあるみたいなのです。ですから、網を張るときもそういう偏ったところだけで交流することを避けたいという気持ちが強くあります。

【家委員】
 なかなか難しいですね。

【伊井主査】
 これは国によっても随分違うんですね。ある国では大学の壁というのが非常にありまして交流ができないとか、1つの大学とやるとまた後に障害が出てくるというようなこともございます。

【家委員】
 外国の方をお招きになるとき、国際日本文化研究センターの予算と学振なんかの招聘というのはどんな割合で。

【猪木所長】
 基本的に、先ほど申し上げた15のポストを1年間で回転していくというのはセンターのお金です。交流基金とか学振なんかでいらしている方が、35人いる日本人の研究者あるいは日本で常勤の人と、この分野に関してコラボレートしたいというような場合には、そういう方も受け入れています。宿舎を提供したり、オフィスを与えたりして。だから自然科学系統ではあんまり起こらない問題が、やはり人文社会科学ではどうしても起こるんですよね。

【藤崎委員】
 先ほど人文社会系の研究者養成には非常に時間がかかるというお話がありました。早いうちから狭いところにテーマを絞り込まないで、基礎的なトレーニングを徹底的にやって、原典講読などを十分にやらせることが非常に重要なんだというお話があったかと思います。一方で、ここ10年ぐらい、学生もそうですし教員も含めて、年々歳々追い立てられるように、とにかく成果を出さなければならないというプレッシャーがほんとうに強くなっているなということを感じます。人文社会系も、かつては在学中に学位を取るというようなことはあまり言われなかったわけですけれど、それを取るのが当然だと言われるようになりました。さらに、大学組織も教員も学生も、「評価の時代」のなかで競争的な環境におかれ、「じっくり基礎的なトレーニングを」などといっていられない時代だと感じます。
 アメリカにおいて、今日でもこのあたりの基礎的なトレーニングに力を入れられる環境があるということですけれど、そのあたりの背景というか、どういう要因がそれを可能にしているのかということをお伺いできればと思います。

【猪木所長】
 難しいご質問です。私が感じますのは、既に申し上げたことですけれど、さっきのディオゲネスから始まる話じゃないですが、リベラルアーツというものに対しての姿勢をやはり守りきろうとする精神が生きているということでしょうね。他面、アメリカの強味というかおもしろいところは、それだけじゃないんですよね。他方、非常に実利的なものしかお金を出さないというような、先ほどのパテントの管理の問題にしても、大学でパテントをどうするか長い論争が、19世紀からアメリカでありますけれども、一種の産業としてのリサーチというか、そういうものに対しての配慮もあるんですよね。ですからアメリカは多様性というような言葉がよく言われますけれども、やはり一元的な原理で物を支配しようとしない、まさにこれはリベラリズムの伝統ですよね。自分と違うものに対しても共存できるようなシステムをつくろうという精神が、やはり日本よりも強いんじゃないですか。イギリスもそうだと思いますけれど。つまり敵と共存することができる社会をいかにつくるか。学問の場合、敵という言葉は不適切ですけれども、考え方が違うやり方も完全に絶滅させないということですね。何らかの形で生き延びる余地を与える。
 それに対して、日本も大学の特徴といいますか形態は多様ですけれども、わりに振り子がウワッと振れやすい。その辺の何か社会的な強靱さというか、ビガーが、まだ我々の社会には不足しているように思います。批判されると弱いとか、お上が言うからそのとおりにしておかないと危ないなとか。アメリカの大学の場合は私立が非常に強いという伝統がありますけれど、なぜ人文学の伝統の灯がそれでもずっとともり続けているかというのは、やはり社会全体の風土というかモーリーズ(mores)言うんですかね、そういう雰囲気と関係していると思いますね。

【小林委員】
 私はいつも不思議に思っていることが。日本の大学は非常に名門大学、いい大学、私は名古屋ですから名古屋大学の医学部なんていうのは学部段階で入るのは天文学的な数字がないと採らないと言うんですけれども、大学院の場合は簡単ですね。うちの大学の卒業生も結構医学何とかとか、あるいはコ・メディカルのところからでも医学部の大学院は簡単に結構入っていっちゃいますよね。それは随分、インターナショナルから見たら非常に不思議なことですね。アメリカでもどこでも、大学院に入るほうが難しいというわけで、TOEFL(トーフル)なんかでもめちゃくちゃ高い点を要求されて非常に難しくなっていくんだけれど、日本の場合は大学院のほうがより簡単だというのは非常に不思議だなと。
 それと博士を取るというとき、欧米では、私は教育が専門じゃないから今はすっかり変わっているかもしれませんけれども、博士論文執筆資格試験って、 comprehensionですね。コンプレヘンションを取るのがものすごく難しいわけですね、それに受かるという。そのために死に物狂いに勉強するし、それも幅広く勉強するし、幅広く勉強しておかなければ論文を書かせてもらえないという部分があるわけですね。そこのところが多分、基礎訓練というか非常に幅広くやっているというところの理由じゃないかなとは思うんですけれども、どうも博士論文も今は簡単に、名古屋大学でもうちの卒業生なんかでも結構博士を取ってきちゃうようなところがありますから、ここら辺のところが。逆に博士が少ないというのは問題だけれども、諸外国に比べて割合簡単にいい大学でも取れるというところも、逆に問題なんじゃないかなというような、ちょっとそんな気がいたしました。

【岩崎委員】
 関連することなんですけれど、これはどの分野でもそうなんですが、やはり私もアメリカの、大学院で基礎訓練を徹底的に行う、そのディシプリンについての基礎知識はとにかくきちんとおさめるということは非常にいいと思っているんですが。日本の場合はすぐ囲い込みといいますか大講座だのいろいろな制度になっていますけれども、研究室の個別の院生にどうしても教員のほうもするというふうな。要するに教育に対して組織的にやっていこうという精神がなくて、特に院生になると指導教員とその院生の結びつきが非常に強くなって、他は口を出さないと。その辺が、さっき猪木先生は例えばアメリカの場合もう少し共存という精神があるというお話ですけれど、それはもちろんそうだと思いますが、要するに大学の教員が、研究は当然のこととしても教育に対して組織的に責任を持つという考え方が、日本って非常に薄いなと。大学分科会ですか、学士力というのを出されましたけれど、やはり私は、それも大事だけれど、これだけ大学院生の枠が増えているので、ぜひどこかで大学院教育についてきちっとやらないと、やる必要があるんじゃないかと思っていまして。この辺が大きな。残念ながらアメリカが私は大学院教育では歴史的にいっても進んでいるので、そこは研究すべきじゃないかと思いました。

【伊井主査】
 ありがとうございました。
 何か簡単にコメントがあれば。

【猪木所長】
 最後にご指摘の教育者であることに対しての評価といいますか、それはやはり日本は低いと思います。それは大きな問題です。企業でもそうだと言われていますけれど、やはり若い人を育てたということに対しての評価よりも、自分が何をやったかというほうがずっとウエートが高い、高すぎるのが日本の現状だと想います。
 もう1つは、私は学校秀才と人文学というのはあんまり強い相関関係が無いかもしれないという気がしますね。だから、いい大学に入ったからいい人文学者が出てくるということもないと思います。むしろどこかでつまずいたり、何か自分で考えざるを得なくなったとか、先ほど申し上げた知識「欲」みたいなものを持っているかどうかが大事であって、知識量それ自体とは完全に相関していない。教育は知識欲を刺激することであって、知識を伝達することじゃないと思います。学校秀才というのは意外に人文学には向いていないんじゃないかと。
 それから博士は、新しい制度ではもう運転免許みたいなものです。これは海外でそうで、日本だけが50、60で学のうんちくを示したものにやっと出すということを長く文系はやってきたわけですけれども、海外の国際機関なんかで働く場合、例えば極めて優秀な日本のエコノミストでも、ドクターがないだけで不遇をかこっている。それに対して独立して研究の遂行能力のあるものにはドクターをちゃんと出すと、運転免許だと。自分で運転してよろしいという、それがもう世界相場になったわけです。ですからそれは日本ももっと頭を切りかえなければならない。ちゃんとある一定の水準のものをどんどん書いてもらって、通すと。 10年以上前にそういうふうに切りかえたはずですけれど、まだうまく行っていないところがあるみたいです。

【佐藤科学官】
 さっき猪木先生から出た言葉の中に「多様性」というのがありますけれど、私もどうもそれは重要なキーワードの1つだと思います。最近では専ら生物学者がこの言葉を使いますけれど。やはりある程度の数がいて同じ分野の人がたくさんいると、近親憎悪のようなこともあるのでかえってあまりよくないということもあるかと思いますけれど、日文研のようにいろいろな分野の人が適当にいられるということは非常に重要だと思います。ただ多様性というのは1つ注意しておかないといけないのは、100人いて2人、3人いいことをするかもしれない、残りの98人ぐらいがむだになるということを社会として許容できるかどうかですね。これをちゃんとみんなで確認をした上で、しかし多様な世界を構築して。

【猪木所長】
 比率が悪すぎるんじゃないですか。(笑)

【佐藤科学官】
 もっと高くしてもいいんですけどね。嫌なやつとも一緒にいるという覚悟をみんながするという、そういうことじゃないかと思います。
 それから、さっきの猪木先生のお話でつくづく思ったのは、先生は人文学・社会科学の傾向というふうにおまとめになったんですけれども、同じことがおそらく自然科学でも全くあてはまっていると思います。何か人文学の問題というよりは学問全体の問題ではないかという感じを強く受けました。

【井上委員】
 お聞きしていて学術外向の考え方に非常に感銘を受けました。大学は現在、少子化においても質の高い学生を入れたいということで、外国で優秀な研究者あるいは学生を勧誘するネットワークとしてかなりの大学は海外に事務所を持っています。また、国は10万人から30万人の留学生の受け入れを進めようとしています。また、現在では国公私を問わず、大学共同利用機関が中核になって各大学のネットワークができるようになっています、スラブ研究の推進もこの方策の下で進められています。そういうことでまず日本に来ていただいて、日本語教育のための教員も大学として重要視してきていると思います。少なくとも東北大学では外国人を受け入れた場合、日本語教育を充実させていかないとだめだということで大学本部経費を出しています。そのような国際化の推進が各大学でも叫ばれてきていると思います。大学ではもちろん自然科学も含めた取り組みですが、人文社会科学においてこのような取組みに関心を持っている人を私も存じ上げています。今後、うまく連携し合うシステムをつくることによって、昔のような第1世代のような人が育つかどうかは別問題としても、十分な学術外交を通して日本を理解していただいき、日本の存在価値、プレゼンスを高めることが可能なのではないかと思います。うまく活用するシステムの構築を考えて頂ければと思います。

【伊井主査】
 これはもう今から、まさにネットワークの研究形成というのは大事なことだと思いますが、立本さん何か簡単に。

【立本主査代理】
 きょうの猪木さんの話で、共通語の少ない分野でこそ学術交流と外交をするというのが非常に印象に残りました。もう1つ、きょうの話はおそらく人文学・社会科学の人材育成というところに非常に大きな問題があると思うんです。ドクターが少ないとか、大学生数とかそういうことが出てまいりましたけれども、1つはやはりキャリアパスというのを人文学・社会科学でどういうふうにして出すか、ディオゲネスを希望する人にすべての終身在職権を与えることはできません。ジョブは限られています。そうするとやはりどういうキャリアパスがあるかということもやはりしなくてはいけないということで、やはり人文社会科学とかそういうドクターを取った人を文科省で、あるいは文科省だけではなくその他の官庁でもいいです、そういう人材を活用するというキャリアパスも、ひとつ大いに考えていただきたいなということでございます。

【伊井主査】
 ありがとうございます。大変大きな問題になりますけれども。
 特にあと何か、猪木さんございませんでしょうか。ありがとうございます。
 ちょうど時間がまいりまして、以上で猪木先生からのご発表と質疑応答を終わろうと思います。どうもありがとうございました。

【猪木所長】
 どうもありがとうございました。(拍手)

【伊井主査】
 では本日の会はこのあたりで終了させていただきたいと思いますが、次回等の予定につきまして、事務局からお願いいたします。

【高橋人文社会専門官】
 次回以降の予定でございますけれども、資料3のとおりでございます。次回は7月11日金曜日15時から17時、その次は8月6日、その次は8月22日でございます。まだ場所など未定でございますけれども、追ってご連絡をさせていただきたいと思います。
 それから本日ご用意させていただきました資料につきましては、封筒に入れて机の上に残しておいていただければ後日郵送させていただきます。またドッジファイルは机の上に残しておいていただければと思います。
 以上でございます。

【伊井主査】
 ありがとうございます。
 それでは予定をご確認いただきまして、次回は7月11日でございます。
 本日はどうも、ご協力のほどありがとうございます。

─了─

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