この研究の目的は、弥生時代の始まりを水田稲作農耕の始まりと定義して、その開始時 期を明らかにすることである。即ち、水田稲作を伴うもっとも古い時期の弥生土器の年代を明らかにすることである。そして、日本列島各地へ弥生文化がどのように拡散していったかを検討した。
弥生土器の使用年代を探る方法として、炭素14年代測定法を用いることした。その方法は、土器に付着する炭化物を採取し、そこに含まれる炭素14の量を測定し年代を推定
する方法である。遺物包含層から出土した土器は、様々な汚染を受けている。そのためまずそのお背を除去しなければならない。その後、二酸化炭素を精製して炭素14を測定できるようにしなければならない。その試料を加速器(AMS)を用いて測定することにな
る。この研究プロジェクトでは、資料の前処理までを行い、加速器での測定はそれらの装置を設置している大学や民間機関に依頼した。このAMS法による炭素14年代測定では、資料がごく少量でも測定できることと短時間で測定できることが長所である。このことは、考古資料の破損が少量で良いというだけではなく、多量の資料を寄せ集めて測定する必要がないことで、測定結果の信頼性が向上したという点で重要であった。たとえば、木材の年輪など前後関係の明らかな資料の測定が可能であり、測定結果に対する検証も可能とな
ったのである。較正曲線の項で述べるように、日本では樹木年輪年代法の研究が進んでおり、その研究成果を利用できたことは、この研究を進める上で幸運であった。樹木年輪年代法の成果がなければ、AMS年代測定法の信頼性は得られなかったであろう。
その一方、資料が少量でよいために、測定にかける前の資料の汚染を除去する前処理が重要であり、また二酸化炭素の精製方法も重要な技術である。そこで、このプロジェクトでは、考古資料から汚染を除去し、さらに二酸化炭素の精製ラインを設置してAMSによる測定の前までの資料操作をできる限り博物館内で行うこととした。そして、試料状態を一定に保つように操作手法も公開した。
年代測定値の記載については、測定値を記載することは当然として、暦年代に較正して示すこととした。従来、炭素14年代測定値が実年代であるかのように扱われてきたが、炭素14の濃度は時期のよって少しずつ異なっているので、測定値は実年代を示していな い。歴史を考えるときには暦年代が必要であり、暦年代に較正するための較正曲線が整備 されつつあることから、この研究では2004年版の較成曲線を用いることとした。ただし、この世界基準の較正曲線を鵜呑みに利用することは危険であることから、われわれ独 自に弥生時代に相当する紀元前10世紀から紀元後3世紀までの較正曲線の検討を行うこととした。その作業を「日本版較正曲線の作成」と称したが、そこで用いた材料は、マラ国立文化財研究所の光谷拓実氏によって進められてきた樹木の年輪年代研究の成果である。 そして、光谷氏より提供いただいた年輪研究によって時期が判明している木材を用いて、日本版較正曲線の研究を進めたところ、全体としては世界基準の較正曲線を用いても問題はないが、若干ずれるところも見つかった。特に、紀元前後から紀元後3世紀にかけての 時期では世界基準を用いると50年から100年程度ふるい暦年代が計算されることがわ かった。この時期の炭素14年代測定値は従来から考古編年とずれており、問題の時期で あった。日本版較正曲線を用いれば、考古編年と大きく異ならない。したがって、今後は この時期については日本版較正曲線を用いるべきではあるが、この時期の測定はまだ不十 分であり、学会で承認されていない。このような較正曲線のローカルな変異は別の地域デ モ見られるが、日本のこの時期に名瀬このようなローカル効果が見られるのかは分かって いない。ただし、この時期は弥生時代後期から古墳時代に至る時期であり、日本の歴史研 究では大変重要な時期にあたる。今後もこの時期の年代測定による研究が望まれる。
測定資料の収集は、全国の教育委員会や埋蔵文化財センターや大学に協力を依頼し、多 くの考古学研究者から資料を提供していただいた。この5年間で約10000点の資料を 提供いただき、そのうち約8000点の前処理を行い、約5000点を測定した。
このプロジェクトでの年代測定は、弥生時代の資料を中心としたことは当然である。し かし、弥生時代のみを測定して弥生時代の年代が従来よりも約500年ふるいとs部長し ても信じていただけない。そこで、弥生時代の前の縄文時代晩期の資料も測定した。年代 測定がどこまで可能かを試みるために旧石器時代の資料もごく少数では有賀測定した。さ らに年代がほぼ判明している江戸時代の資料も測定し、炭素14年代の有効性を検証した。 このプロジェクトが始まる前までは縄文時代の年代測定を行っていたので、この研究の進 展によって、旧石器時代から江戸時代までの年代測定結果が得られたことになり、弥生時 代の始まりが紀元前10世紀の終末頃という我々の研究結果が年代軸の中に位置づけられ ることとなった。日本歴史の年代軸を炭素14年代法のみで作るつもりはないが、文献の 残っていない時期については、この研究法で年代を考えることは有効な方法の一つであろ う。
このプロジェクトでは土器付着炭化物の年代測定を行い土器の使用時期を推定すること とした。この方法は、土器が含まれる遺物包含層の木炭や貝殻を測定するよりも土器その ものの最後の使用時期を測るという点でより確実に土器の年代を測定することになる。し かし、その炭化物が何に由来するものであるかが問題となった。特に、海産物が含まれて いる場合、海洋リザーバー効果によって、測定値が古くなることが知られていた。そこで、 炭化物の内容の検討も行うこととし、炭素13の量や炭素と窒素の量や同位体分析などに より、内容物をある程度推測することができ、海洋リザーバー効果の程度も検討した。
さらに、土器付着炭化物だけではなく、米粒や様々な種子・漆・木炭・動物骨・人骨・ 貝殻などを用いて年代測定をおこない、それぞれの年代測定値がどのくらいずれるのかな ども検討している。そして、その成果を用いて当時の人間の食料組成を明らかにする試み も行っている。
これらの研究活動の結果、弥生農耕の始まりは、北部九州で紀元前10世紀末頃と推定 された。その後、日本列島各地に拡散する。近畿地方に伝わるのは紀元前600年ころで あり、さらに濃尾平野に伝わり、関東地方には弥生前期末から中期はじめにかけて弥生文 化が受け入れられた。このように従来の考え方よりもゆっくりと日本列島に拡散していっ たのであり、各地の縄文晩期の人々に緩やかな変化として受け入れられていったと推定さ れる。この縄文人と弥生文化の受容と問題は、各地によって異なっていたと推定され、様々 なドラマが展開されたであろう。このように弥生時代の存続期間は従来の倍の約1200 年間であった。
金属器の渡来時期についても、この研究の当初から問題となっていた。弥生時代が50 0年古くなると、中国大陸や韓半島の金属器の年代との整合性が問題となるからである。 従来、弥生時代はの当初から石器と金属器を使う金属併用時代とされていた。しかし、年 代測定研究を進めると、弥生時代早期と前期には青銅器も鉄器も渡来しておらず、前期末 から中期になって青銅器と鉄器が伝わったと考えられるようになった。つまり、弥生時代の前半約500年間は石器だけが使用された新石器文化の段階であった。そして、このことは、弥生文化は何度かにわたる渡来人により作られてきた複合的な文化であることも明らかになったといえる。
雑穀については、従来あまり注目されていなかったので、その栽培の実態はよく分からなかった。この研究では、琵琶湖畔でキビの栽培が弥生前期には行われていたことが確実となった。豆類については縄文晩期から小豆の栽培がおこなわれており、さらに大豆の栽培が縄文中期にさかのぼり研究も行われている。縄文時代の栽培植物の研究も今後盛んにすべき分野である。
今後の年代測定研究については、われわれが明らかにした弥生時代後半から古墳時代の較正曲線の世界基準との相違がある。これは、日本の国家形成のプロセスの研究に大きく寄与するであろう。これまでは、古墳時代の年代測定値は考古学の年代観に比べてかなり 古い値とを提供してきた。ところがこの研究により「日本版較正曲線」を用いると、従来よりも50年から100年程度新しくなる可能性が高くなり、考古学的な年代観と大きくずれない可能性が出てきた。その「日本版較正曲線」を用いた年代研究により、古墳時代の研究もがさらに進む可能性がある。古墳時代の各地の古墳の成立と展開の研究に大きく 寄与することが可能となったのである。
研究振興局学術機関課企画指導係
-- 登録:平成21年以前 --