学術の基本問題に関する特別委員会第1回における主な意見(学術企画室まとめ)

【学術の在り方について】

○好奇心というのは存在すること自体に意義がある、というのがアインシュタインの言葉だが、これがサイエンスの根幹にある。好奇心こそが無から有を生み出す基盤になっている。新しい技術革新や社会の文化力の創造の根幹にはこれがある。これを中心に据えた上で、いかに社会に貢献するか、社会に理解してもらうかというパブリシティーの問題が非常に重要となる。そして、人文社会科学系、理工系それらすべてを統合して学問の在り方を考えていくことが重要であり、このことが、国際標準ということを基準とした日本のこれからの学問の在り方を標榜していくために重要ではないか。

○教育と研究は切り離して考えることができず、研究の衰弱が、急激な教育の危機的な状況を生み出している。また、科学者の社会的責任についても議論が必要。

○古典的な人文科学系の学問は、「自由」という世界を保証してもらうことに尽きる。自由で闊達な議論が学問の進展を保証する。しかし、自由とはいえ、公共的な存在の教育研究機関は、何らかの形で社会的な負託に応えるような仕事をする必要がある。この場合、政策形成に関する提言というような狭い形での社会の要請に応えるということではなく、社会的な課題に対する応答が十分にできることが必要。

○学術は、英語で言えば、おそらく、Liberal Arts&Sciencesにあたる。

○学術の本質論が必要ではないか。日本の場合、概念が、行政用語でわかれていることで、組織や予算の区分が生まれているのではないか。この点を徹底的に議論して、中長期的な構造的変革につながるものをまとめられればいいのではないか。

○日本国内だけで日本の人だけで研究を進めたり、あるいはカッティング・エッジだけを追い詰めていくだけで学術が本当に向上するのか疑問である。

【学術の意義について】

○世の中からは学者の数が多すぎるということや思ったほど成果がでていないということが言われている。この点を認識した上で、それでも学術・基礎研究が大切だという点について議論が必要である。

○日本の国際競争力の強化という立場よりも、国際責務という観点で、人類の英知を生み出す基礎研究で日本がどれだけ貢献できるかという考え方をした方がよい。また、日本に人材を引き寄せるということを強調するのではなく、お互いに人材を供給しあうという観点が必要。

○科学技術立国ということの前に、科学力を高める、またその前提として国の文化力を高めるという作業が基本的に必要。大学は、伝承と文化を生み出す場である。

○自由発想研究が新しい発見や世の中を変革する力になるということや、教育や基礎研究の充実や、学術研究のインフラをつくるということには公共的な役割があり、そこに投資をしていくことが日本の力をつけていくことになるということについて、論理的な補強をして説明していく必要がある。

【学術の推進体制について】

○日本全体の長期的ビジョン、学術や科学技術、あるいは大学の在り方など、全体をどこが見ているのか、そういうことが全くないのは問題である。

○基本問題委員会で議論されたことが、科学技術・学術審議会と総合科学技術会議等が一緒になって概算要求するところにある程度反映されるような仕組みを考えること、また、科学技術基本計画の中にこの分科会で議論されることがいかに反映されていくかということを視点に入れて議論を進めていくことが重要。

【研究基盤の在り方について】

○インフラストラクチャーの充実は重要な課題であり議論が必要である。研究の基盤を支えるものが急激に脆弱化しているのではないか。リソースのないリサーチはあり得ない。

○基盤的経費と競争的資金、各種装置や維持経費のバランスが非常に崩れている。基盤的経費が減っている分を、例えば、科学研究費補助金の基盤研究Cなどで対応しようとして、多くの研究者が応募し、結果的に採択率が下がるという状態になっている。また、科学系分野では共通的装置の維持が重要になるが、メンテナンス経費についても、競争的資金でカバーしょうとする状態になっている。本来競争的資金ではないものを、競争的資金でカバーしょうという状況は問題ではないか。

○学術のサポート体制ということでみると、現状では、金銭的な意味での豊かさは随分拡大しているが、サポートで重要なのは研究のインフラストラクチャーであり、その供給が必要。競争的資金を獲得してインフラの充実に充てるということではなく、インフラは公共のものであり、学術の観点から共通して充実させることが必要である。貧しいといわれるイギリスであっても、インフラのサポートが整っており、逆に日本の研究体制の貧困が目に余る。

○基盤的な研究を支える経費が重要だという共通認識はあるが、どういう範囲でどのような方針で配分するのか、どういう評価をするのかというレベルに踏み込んで制度設計の議論をしないと実現に向けて進んでいかないのではないか。また、どこがイニシアティブをとってやるのかという問題もある。

【学術システムの在り方について】

○日本には、アメリカのような研究者と社会・学生をつなぐ事務機構がない。例えば、留学生のリクルートから生活面での対応まで日本では全て教員がやることになっており、改めるべき。現場を知る留学生担当の戦略機構が学科レベルで必要。研究においても、アメリカではリサーチアドミニストレータ一が学部レベルでいる。そして、各学部長が人を引っ張ってくる。このような研究者や教員と社会を結ぶ組織が、日本には完全に欠落している。

○学術の基本方針を議論するということであれば、ただ単に投資が必要だと主張しても仕方がない。学術を振興するためにこういったシステムが必要だと言うべき。例えば、アメリカでは、NlHの研究、大学の研究という組み合わせがうまくできているからリサーチが伸びた。このような観点から、システムの必要性を主張し、それにどれだけの投資が必要なのかということや、そのシステムを位置付ける法律的な基盤を与えるといったことが必要ではないか。また、システムの規模、目的を明確にすることも必要。

○学生を教える教員の問題として、法人化以降、教員の総勤務時間が増えているものの、研究時間が以前よりも相対的に減っているという状況になっている。また、勤務時間のうち、組織運営に関わる時間が増えている。大学の教育システムや研究システムが組織力による競争という形になっており、これを、現場の教育者や研究者に担わせる現在のシステムの状態に無理がある。 ただし、総人件費管理政策による定員管理が有る中で、事務機構を拡充するような方策がとりづらい。こういう条件設定が有る中で、どういう工夫をしてくのかという大学運営の難しさを抱えている。

○教員が非常に多忙になっており、自分の研究がきちんとできない状況にある。 また、大学は研究と教育が基本となっており、両方が混在しているため、これを整理して機能的に運営できない状況にある。教育には、人間教育や教養教育、専門知の次元があり、研究にも、自分のやりたいことをやるのか、人類が共有する知にどう貢献するのかという次元があり、それぞれで対応の仕方が違う。この点を議論して、わかりやすい形でまとめられないか。

○ここ数年、法人化以降、日本の学術力が、他の主要国に比べても質量ともに落ちている。また長期低落傾向にあるのではないか。

○仕組みが変わったからといって、研究者が変わるものではないのではないか。 大学の制度や研究者自身の領域意識というものがあり、これを壊す仕組みをどうやってつくのるかという話をここでする必要があるのではないか。アメリカでは、面白そうなテーマがあると、方法論の違う人たちが集まって議論をし、そこにお金を出す仕組みがある。3〜4年うまく回ることで、今までにない新しい学問分野がでてきて、ものが変わるということが起きる。

○社会的な課題に対していろいろな分野の人たちが集まって考える仕組みがない。このような観点から、異分野交流のための仕組みをつくるための議論が必要ではないか。

【人材養成の在り方について】

○アメリカの基礎研究が素晴らしいのは、企業や社会が基礎研究でトレーニングされた人を高く評価するという風土があるからである。アメリカのシステムをつまみ食いしても仕方がない。また、アメリカは、大学院は博士を育てる場所だというミッションが非常にはっきりしているが、日本では、誰が博士に行くのかもわからない状態であり、大学の教育ミッションが成立しない。

○研究者養成とは異なるが、例えば、企業側が要求するようなドクターを生み出す教育システムをある程度つくる、また、外交官養成に必要な教育システムをつくるというような機関があってもいいのではないか。

○研究者が国際責務を担う存在であり、社会の1つの大きな根本的な力であるということの認識を立法化で示していかないと、人が育たないのではないか。こういつた問題を議論できないか。

○ポスドクの大半がプロジェクト経費で雇われており、成果を出すための要員として期待されているが、それで人が育つのか疑問である。ポスドクという時期を、育てる期間として見なければ、基本的な科学力は高まらない。また、ポスドクの将来の職場やロールモデルというものが社会の中に作られていかなければ人がこなくなる。そうなると、文化力や科学力は高まらない。

○研究者を養成するということは、育てた研究者が後に続く研究者を育てるということでもある。ここが先細りすれば日本の高等教育全体が地盤沈下していく。このため、優秀な研究者を育てていくということだけでなく、その後、基礎的なことからきっちり教えることができるという人材を丁寧に育てていくということも必要。また、国際的に通用する人材の育成ということばかりではなく、育成した人材がきちんと日本にとどまって教育を行ってくれるということまで視野に入れる必要がある。

○いろいろな課題を考える中で、博士学位取得者の社会的役割をどうするのかは重要な問題ではないか。研究教育の成果の方向は、社会が、博士学位取得者をどう受け入れるかで決まってくる。博士学位取得者が社会的にたくさん受け入れるように社会の在り方を変えるのかどうか、変える方向に学術の方向から働きかけをするのかどうかについて、徹底的に考えておく必要があるのではないか。

【分野別推進の考え方】

○この委員会では、学術の全体をカバーする議論を進めていく必要があるが、このことは、各分野に対して一律の制度をつくるということではない。

○人文科学研究においても、組織力と発信力が求められており、このことが、人文科学が社会的な存在としての公共性を担保する上でも重要である。

○評価の方法や資金配分については、各学問分野ごとの特性があるため、一律に論じることはできない。

【研究評価の在り方について】

○我々自身の評価と進化のための後押しをするような、競争や評価についての制度設計の議論がここでされるべきではないか。

【学術と社会の在り方】

○JSPSでは、学術の成功例をいろいろ集めて紹介する試みを行っているが、このような、長いスパンを経て、成功したものを例として集めて、国民の理解を得ていくという方向も重要ではないか。

○「自由な発想」について、研究者個人レベルのことと、研究の集積としてどういう役割を果たすのかという問題は同一のレベルでは議論できない問題。委員会では、研究の集積が社会に対してどういうインパクトを持っているかをまとめていくべきではないか。

○我々学術人は、学問を体系化し、世の中の人が一般に参照するような教科書やりファランスを作り、それを基に初等中等教育で教え、リベラルアーツを創りあげていく。このことを我々は疎かにし過ぎているのではないか。

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