学術研究推進部会(第13回) 議事録

1.日時

平成17年8月5日(金曜日) 13時~15時

2.場所

東京會舘 「ロイヤルルーム」

3.出席者

委員

 笹月部会長、岩崎部会長代理、井上孝美委員、郷委員、白井委員、中西委員、伊井委員、伊賀委員、井上明久委員、入倉委員、小平委員、鳥井委員

文部科学省

 清水研究振興局長、藤田研究振興局担当審議官、河村科学技術・学術総括官、吉川政策課長、村田振興企画課長、芦立学術機関課長、杉野学術研究助成課長、里見学術企画室長 他関係官

オブザーバー

 石井分科会長
(科学官)
 高埜科学官

4.議事録

(1)資料2-1、2-2に基づいて事務局から説明が行われた。
(2)学術研究における多様な分野の総合的な推進方策」について報告書の骨子(案)(資料3-2)についての審議が行われ、報告書についての最終的なとりまとめ及び意見募集を行うことについて、部会長一任とされた。審議の主な内容は以下のとおり。
(委員、科学官の発言…○、事務局の発言…△)

○ 資料3-2の2ページの下の方にあるように、GDP比で公財政支出のフローの差が、長年積み重なって、ストック面で歴然とした差が出てきたということがストックで指摘されているのは非常に重要な視点だ。特にこれからの厳しいグローバルな競争的環境下での長期持続戦になると、ストックがどれだけあるかが響いてくるわけであり、重要な指摘だと思うが、4ページ以降、本論に入ると、盛んに知的ストックと、重厚な知的ストックという表現になって出てきている。つまり、成果物のストックと読める。これは当然、非常に重要で、必要なことではあるが、この長い間のフローの差が積み重なってできたストックの差というのは、もちろん成果物の差でもあるかもしれないが、実は、人的、物的、あるいは制度的なインフラの蓄積であるということを我々研究者は日ごろからひしひしと感じている。
 成果の方の知的ストックは、特にベーシックナレッジについては、いろいろな面でまだ学術的知識については流動性が高い。だから、これをどこかで抑えておくことはあまり意味がなく、むしろこの長い間の投資の差は、家の広さであるとか、家の中に絵が飾ってあるかとか、ピアノがあるかとか、いろいろ庭を手入れしてくれるような多様な人材がいるかとかの差である。それからまた、制度的な面で、例えばファンディングエージェンシーはきちっとしているか、評価のシステムが整ってきているか、産学連携システムは整っているか、そういう制度的なインフラ蓄積、こういったものの差というものが出ている。この辺も乗り越えていかないと、これからの長期戦を勝ち抜けないと認識している。
 だから、冒頭で、ストック面で歴然とした差が出てきているということが、この後の施設整備、あるいは制度整備、多様な人材が必要という個々の議論につながるような一文を入れると大変活きるのではないかと思う。

○ 2ページの一番下、これまで「GDP比に対して」という言葉を使い続けてきているが、それによると、蓄積されているストックの量の差は非常に大きくなるはずだ。実際海外を見ても、中国、韓国は、明らかに量的に勝ってきている。例えば5年間程でみても、どれほどの脅威を与えているのかという数値がある程度言えるくらい差がついているという気がする。ここに書いてある「追い上げられる立場」どころでなく、「追い抜かれる立場」にあり、もうこのくらい差をつけられている、あるいは、この分野ではこのくらい抜かれているということを数量的に激しく言った方が明確になると思う。
 また、4ページのはじめの立ち上がりは非常に広い視野で書かれてすばらしいと思う。我が国が「文化芸術立国」を目指すという部分があるが、このトーンはここのページで消える。もちろん科学技術分野での研究はお金もかかるし、国策として重要だということは誰しも認めると思うけれども、もしこういうことを書くのであれば、とりわけ大学を中心とする今後の研究分野という中で、文化芸術も非常に重要であるということを訴えることはすごく重要だと思うが、お金だけでなく、その分野がどのようにして今後可能になるのかということがこの後、少しは記述されてもいいと思う。
 例えば、今、問題になることは、団塊の世代が引退して始めており、そういう人たちは、もしかしたらこういう分野で大いに活躍できるかもしれない。そういう場所を設定していくこともこれから非常に重要なことだと思う。だから、大学の中で、そういうセクションの人がリードして、人材を集めていろんなことをやらせれば、お金をかけなくても、場所さえ設定すれば随分盛んになる可能性を持っていると思う。
 そして、8ページの中程、「しかしながら、特に国立大学等においては…」という記述は非常によいと思うが、その後ろに私学の施設等がまだ遅れているという記述を追加したら非常によいのではないかと思う。

○ GDPについて、分母は出ると思うが、分子が国によって何をどこまで含めているかというのがまちまちなので、必ずしも単純にはいかないだろうと思うが、何か資料を整えることができれば、検討してみる価値はあると思う。
  また、いわゆる芸術文化について、一度言及したきりになっているというご指摘だが、例えば23ページの(4)学際的・学融的研究分野の推進という項目の一番最後のあたりや25ページあたりに人文・社会科学分野が出てきているが、いわゆる芸術ということが出てきてないので、少しそういうことを書いていただければと思う。

○ 今の文化芸術立国に関連して、従来から文部科学省は教育立国、あるいは科学技術創造立国というスローガンを掲げているので、そういう意味で、学術研究成果を次世代に継承するため初等中等教育段階から学術研究の芽を育てるような機会を提供していくことは重要と27ページに書いてあるわけで、学問の体系的な学習が学校教育において発達段階に応じて、学習指導要領の中で構築されているわけで、中教審でもそういう見直しをやっているわけだが、科学技術創造立国とともに、教育立国という点で、学術研究成果が学校教育に生かされるような学習指導要領なり教材なりにすることも検討してみてはどうか。
 それから、2ページの3段落目で、「特に科学技術政策については、科学技術創造立国~その結果、我が国の科学技術の潜在力は確実に強化され、~」と記述されている部分で、潜在力とは、あくまでも表に出ない、成果がない潜在力だとすると、ここのところはやはり、我が国の科学技術の研究能力は確実に強化されたとかそういう表現にしないと、いつまでも潜在力では困ると思う。

○ ただいまの点は、長期的なストック面で歴然とした格差が生じてきているということと、潜在的というのをストックというか、インフラというふうにとると矛盾といえば矛盾になる。そこで、成果だけではなく、インフラも確実に整備が進んでいるが、欧米諸国と比べると、ストックはやはり差があるというまとめになると思う。

○ 潜在力というのはいわゆる英語で言えばポテンシャルという意味で、つまりちゃんと支援さえすればできる実力を蓄えているということなので、要するに周りが悪いというように理解していた。つまり潜在力というのはストックではなくて、実力があるけれども、供給が足りないとか、条件が整備されてないためである、あるいは近隣諸国からも追いつき、追い越されそうだということで、本来はかなりよいところまで来ているということを強調したかったのではないかと思うがどうか。

△ 白書で今年、こういう評価をしていたので、そこの文章を抜粋したのだが、白書全体の中では意味があったところが、抜かれたことによってわかりにくくなったのかもしれないので、もう一度検討させていただいて、適切な言葉を探させていただきたいと思う。

○ 研究基盤について意見申し上げたい。13ページが研究施設整備、それの具体的方策が21ページあたりに触れてあるが、是非この最終案で強く訴えたいことは、基本的な問題と具体策が今の場合だと、あまり差がないように見えて、同じようなことを言っているような感じがする。先程来のストックという話が出るのだが、状況はそんな生やさしいものでなく、もう10年前に整備したものがほとんどだめになっている。ネットワークも設備もだめになっている。このままお金をつぎ込んでも、足腰が弱くてだめである。これが基本的に調査した結果として上がってきている。そういうことからみると、ストックがあって大丈夫というのは甘く見ている。具体策としては、やはり第三期基本計画の中で、この研究環境の整備というものを、何パーセントくらいはきとんとやると言わないと、本当に10年たったときに、とんでもないことになると思う。

○ そうすると、現状でどれほど整備すべきものが残っているのかという、少し具体的な定量的な表現もあるとよいかもしれない。

○ 設備という研究のもとになるものの老朽化が起こっているということを、具体的な数字でなくてもよいと思うが、避けられないものであるという視点で考えることを強く求めたい。

○ 老朽化した建物が全国で何平米ありますとか。

○ 私が今申し上げたのは、設備としてみているわけで、建物は文教施設の方で順次60パーセントぐらいまで整備いただいている。今申し上げたのは、むしろ研究設備、あるいはネットワーク、コンピューターという研究の水となり空気となる部分ということで申し上げている。

○ それを少し検討してみる。

○ 国際的なことに関して、22ページと23ページで(3)と(4)があるわけであるが、世界的研究教育拠点の一層の整備ということと、国際的に開かれた大学等づくりの推進、この仕分けに関してであるが、24ページの上から3段目に、なお以下のことについて、世界的な教育研究拠点というのは、外国からの若手研究者などのキャリアパスになるようなものであると思うので(4)の方にも残しておいていただいても結構なのだが、(3)の世界的研究教育拠点の一層の整備というところにも、日本の世界的に活躍できる若手研究者だけでなく、世界的に若い人のキャリアパスになるような拠点だということを書いていただけたらと思う。
 それともう1つ、直接は関係なく、どこに書くのがいいのかわからないが、やはり大型プロジェクトの推進は非常に重要だということは何カ所かで書いてあると思うが、国際的な評価やその辺を踏まえての公平性、透明性を確保していくという点についても国際的な視点が重要だというのをつけ加えていただけたらと思う。

○ 国際的視点、あるいは外国人の参加等は是非つけ加えていただければと思う。

○ 17ページだが、支援の目的が書いてある。これを指摘しているのは大変よいと思うが、目的に合ったようなファンディングになっていないケースが現状では非常に多い。例えば拠点形成型の費用の場合、合格した直後、何を購入するのかと聞きに来られる。そうすると初年度はほとんど無駄になってしまう。ファンディングのメカニズムと目的が合致していないというので非常に無駄が出てしまうということがある。例えば拠点だったら、徐々に大きくなっていくとしたら、最初から大きくもらわなくても金額が増えていくというようなものがいい場合もあるので、目的に合ったお金の使い道があったらよいと思う。
 28ページのところで、大学等への民間からの投資と書いてあるが、確かに投資には違いないのであろうが、一般的な表現の投資という概念からすると、成果としてのリターンを期待するわけであるが、それとニュアンスが違うので、「大学の活用」というような言葉にした方がよいのではないか。

○ 審査をしている段階では、公募要領が出て、それに対する応募されたものを拝見すると、確かに少し応募要綱と違って、十分に理解せずにというか、誤解して応募されたというのはあると思うけれども、しかしそれは審査の段階で非常にクリティカルに見ているので、一端採択されたものの中では、今ご指摘されたようなことはあまりないのではないかという気がする。

○ 採択されて、1カ月後に何を購入するするのかをきちんと書類で出せというようなことを言われ、これは拠点形成型のファンディングではなかったのかと言いたくなるようなことを私自身経験しているので、採択された後にも非常に大きな問題がある。

○ 今のご意見だけだと、いわゆる拠点形成という場合にはもちろん備品も必要であろうし、そういうものを購入することは当然必要な経費の1つだとは思う。

○ あるパートはであるが。

○ はじめに中国、韓国等に負けるというか、追い抜かれそうであるという、大きな違いはやはりインフラだと私はつくづく思う。中国では各大学にほとんど宿泊施設があり、国際会議場のようなものを各大学で持っている。海外から行ってもそこで国際集会があり、夜遅くまで討議できる。そう思うと、14ページの大学間連携ということは、これから極めて重要になってくることであろうと思うが、宿泊施設にしても、各大学にないものであるから、各大学が連携して新しい施設をつくっていく、あるいは、留学生もそうであるが、大体各大学で囲い込んでいるわけであって、これも院生も含めて、単位互換制は地方の大学それぞれやっているが、もう少し促進していくべきであろうとも思う。研究施設にしても、研究資源にしても、これから拠点がそれぞれ全部が総合大学になれないので、さまざまな分野でグループごとに研究を進めていくということが、是非いろいろなところでうたわれ、そして各大学が協力し合って推進していくということの意味合いをもうちょっと強めればよいと思う。

○ 今の大学間連携、あるいは国際的な問題としては、23ページの(4)、下の方、国際的に開かれた大学等づくりの推進というところで、宿泊施設についてどこか文章が入ったか。

○ このペーパーの全体の構成は、第1章で総論で、第2章は大学に対するメッセージで、第3章は国のやるべきことという書き方になっていて、今のご指摘のことは、最終的には結局第3章の国の問題になるんだと思う。国が大学や研究者に対して多様な支援や方策を構築しなければいけないというところに施設の問題がほとんど出てきていない。大学に対してはこういうことが求められ、そしてきちんとした戦略をつくりなさいといい、ではその戦略は一体どうやって実現できるのかといえば、やはり国の支援がなければできないわけで、それを受けた形の記述が第3章のところにまとめて書くのか、あるいは各項目に分散して書くのか、これはいろいろあると思うのだが、この文章を手直しする形で入れるとすれば、そういう分散型で入れていくのが当面やりやすい方法かなと感じる。そうなると、やはり17ページの(2)の辺に施設面の話も入れて、各大学だけでなくて、各大学の連携によってどうしても必要な施設みたいなものを国としてやっていかなければならないだろうという書き方はできるかもしれない。

○ 先程の芸術論についてだが、24ページの最後の方に人文・社会科学の振興と統合的研究の推進というので少し書いてある。もちろんそれも大事だと思うが、もう少しメリハリが最後あった方がいいと思う。
 自然科学、あるいは工学、医学という分野でいうと、勝負が勝つか負けるかというか、そこではわりに明快だからよい。しかし、全体に学問を国際競争時代の中で、あるいは現実社会に対してインパクトを与えるという意味でいうと、何かある種の問題意識や情報発信のようなもの、あるいは場合によっては、一種の標準的なものとか、ものによっては研究発表もなかなか難しくなるような分野もあるわけである。だから、そういう種類のことに対して学術研究の立場では、意識して研究あるいはイニシアチブをとっていく、リーダーシップをとっていく、とらなければならないということをどこかに出していかなければならないのではないかという気がする。

○ 20ページのファンディングに関することであるが、3つ目の段落で、日本学術振興会のことが触れてある。これはよろしいかと思うが、3行目に「鋭意進めてきているところであるが」とくるので、後ろがネガティブなものがくるかというニュアンスになっているので、そこは文章をとどめた方がよい。
 下から2行目の審査・事務であるが、普通は審査・評価ということを言っているように思う。
 また、ここで抜けているのは、この審議会が研究種目の移管を進めるというわけであるが、実際は文部科学省の研究費部会があり、その研究費部会と、あるいは審査部会と日本学術振興会、あるいはこれから新しくなる日本学術会議、それぞれが連絡を密にとった協力のもとに、よりよい審査・評価体制にもっていこうというのが研究費部会での意向になってきており、直ちに移管するというようにはならないというか、その連絡のもとにしなさい、というのが文部科学省の立場というように理解しているので、その辺ご検討いただきたい。
 続きまして、その下のJSTのことであるが、このまま続けると日本学術振興会の事業ということでわかりにくいのではないかと思うので、その辺は主語があった方がよかろうと思う。全体的にはここは、例えば2行目に自主的な判断により実施した場合にはという条件が書いてあり、そうでなければ役に立たないというニュアンスになるので、トップダウン型のものの重要性というものは、大学の自主的な判断という条件なしに重要なのだからというように、もう少しわかりやすく書いていただく方がよいのではないか。

○ 今の日本学術振興会が記述されているパラグラフであるが、今回の全体のタイトルが多様性を支える学術政策ということで、多様性というものが非常に大事なところだと思う。ここでは、学術分野の多様性、あるいは知をめぐる多様性ということと解釈してよいのだろうと思うが、多様性というものをここでは何に限って言っているのか、多様性とは非常に広い面があり、あるいは全てそれをここで取り上げているのか。タイトルの多様性というのが、何を言っているのかを明確にしておいた方がよい。
 それに関しては、もし分野の多様性を発展させるような学術政策ということであれば、科研費に関しては、今の日本学術振興会が多様な分野を発展させていくための審査の仕組みをどのように構築していくかということが1つ大事なポイントになるのではないかと思う。例えば、審査の仕組み、審査員をどのように選ぶか、オフィサーあるいは審査をする方の多様性を発展させるという意味でどのようにこれから充実させていくかということも書き込むことが必要ではないか。
 2点目は、3章であるが、国がどう多様性を支えていくかというときに、日本学術振興会の後にJSTのことが書いてあるが、国が支援している研究費としては、重点的な分野に研究費の投入がされており、そこで働いている人材がそのプロジェクトを終えた後にも、多様な分野を進めていくためには貢献してもらう必要があるということである。
 それからもう1つは、装置の問題がある。バイオ系では、今は理研の中に大きな装置があって、共同利用研究所、高エネルギー研のように共同で利用できる形になっていない。本来はそういった大きな国として研究費を投入した装置はやはり多くの大学の人たちが使えるような道を積極的に開くことが、国として政策的にやるべきことではないか。そのことが、多様な人材を育成していく上でも非常に大事なことであるということをどこかに書いていただければと思う。

○ 今のご指摘は、設備部会の方では議論しております。理研等の大学ではない共同利用研究所の設備も大学と共用できるような、お互いに利用できるような部分をつくり上げていくことも必要であろう。それが大学あるいは共同利用研究所や理研のような大きな研究所の設備マスタープランという形で計画を立ててくださいということである。だが、その趣旨が全部ここに記述されているかというと確かでないかもしれない。

○ それと、郷先生がおっしゃった多様性の問題であるけれども、いわゆる公募の審査の細目よりももっと同じ項の中でもさらにその中での多様性ということなので、あまり細目とかにはこだわることはないのではないか。

○ 施設のことについてお尋ねしたい。設備等があっても、現場サイドではスペース的にかなり困窮を極めてきていると思う。それを国の役割としての学術研究の支援の箇所に入れていただくような方向になりつつあるが、同時に、大学での戦略推進の中に、人材・組織戦略が書かれてあるが、専門性の高い事務職員に関しては全て大学側の責任で育成していくのか。あるいは国全体として考え、国際的な視野を持ったような人材を国の支援のもとで育成していくという視点はないのか。この計画でこのまま行くと、大学サイドでの専門性の高い、あるいは事務局サポートなどはあくまでも法人の内向きの少し視野の狭いような人材育成になってしまうことが危惧される。これもやはり国の支援としてそのような人材を育成する、あるいは研究支援においても、現場サイドで優れた技能を持った技術職員が生きがいを持って、研究者と対等とも思えるような気概が持てるようになること、それが研究支援の重要な点と思われる。この点も法人だけで考えてていいのかどうか教えていただきたい。

△ 学術分科会では十分議論できなかったが、本来的には議論の場として人材委員会というところが置かれている。今、ここでは、ポスドクの問題について集中的な審議をされているが、研究支援者についても、その人材委員会の場で重要であると、先生がまさにご指摘いただいたようなご意見が出ている。今後、議論の課題としても考えていかなければならない点だと思うが、現時点で、この部会の報告の中に取り入れられるほど議論が成熟していないのではないかということで、今のところは書いていない。

○ 全体的に人文・社会科学の方も重視しており、ありがたく思うが、27ページの次世代への還元と知的ストックの項目の一番下のところであるが、第一線の研究者による研究成果を子供に触れさせるということは非常によろしいと思うが、その3行目、特に自然科学系の研究者の育成という、これも大事なことだと思うのだが、初等・中等教育に対する研究のふれあいということがあるのであるが、これは特に自然科学だけが大事なのではなく、人文・社会にとっても重要だと思う。先程の文化芸術立国もあるものであるから、是非触れていただきたい。

○ 先程ご指摘があった20ページの3番目の段落、「なお」というところ、戦略的創造研究云々のトップダウン型のという、これは最初の3行、4行のところに、大学院生を含む研究人材の育成につながるものであり、大変重要であると。その後にもう一度今度は国家プロジェクト云々で独立行政法人のみならず、大学等の研究組織、研究者の参加を促進することが望まれると。少々わかりにくいというお話であったが、これは少し修文した方がいいと思うが、ここのところにもやはり、大型の研究を独立行政法人が担う場合には、そこには学生がいない、大学院生がいないということで、せっかくの大型研究に若手が参加できない、あるいは研究そのものは完成するとしても、それが下に続かないということがある。そこで、何らかの形で大学はそこに寄与することができるような仕掛け、例えばマックスプランク等、欧米ではいろいろな研究所の研究者が大学の教授も兼ねて、若手が常に出入りできるという状況があり、それが若手を育てるためには重要だと思うので、もう一度少し修文して、若手育成におけるトップダウンの大型研究の意味というものを少し明確にしていただきたいと思う。

○ 多様な学術研究を推進するという観点から、国による支援というのが一番重要になると思うので、全体としては非常によく書けている。15ページの(1)のデュアルサポートシステムは研究の多様性の促進ということで、基盤的経費による自由闊達な研究の保証、それから競争的資金のことが書いてあり、特に競争的資金の間接経費を確保するということは、研究費部会のほぼ合意事項になっていて、それとの関連で20ページの2段落目で、一番最後に「科学研究費補助金の一層の充実を図る。その際、全ての研究種目において間接経費が早期に措置できるように努力することが必要である」と書いてあるが、もっと強調して、「早期に措置する必要がある」とか、はっきり書いたらどうか。これは基盤的経費というか、運営交付金が毎年効率化で1パーセントずつ減り、要するに基礎的な経費が削減されていくので、どうしても間接経費の確保というのが各大学で非常に要求が強いので、それを強調していただけたらと思う。
 もう1つ、全体的に実は研究者の研究の態度というか、研究のきっかけとして、興味・関心という言葉が非常に目につくのであるが、小中学校等の学習指導要領は児童・生徒の興味・関心に応じて個性・能力を伸ばすというのはあるが、やはり研究者の場合、知的好奇心や探究心に基づく研究ではないかと思う。これから国民に公表する場合、研究者の発想もその程度かと思われるとちょっと困るので、少し言葉を精選していただけたらと思う。

○ 10ページから11ページまで続く若手研究者への配慮という項目について、その最後のところに、「また研究者の育成に不可欠なさまざまな知的刺激を受ける機会を保証するため~」という文章が、「また柔軟な配慮を行うことが求められる」で結ばれているが、やはり日本の研究者で、国際的にもっと活躍してほしいと思うと、研究機関をかわる、大学をかわるといったようにいろいろな研究者集団と接触して、さまざまな知的刺激を受けた人材というのが必要なので、この最後のところ、柔軟な配慮を行うというやわらかい表現よりも、こういうものを促進する制度的工夫が求められるというような結びの方が今の状況に合っていると思う。これについては、例えば日本学術振興会の特別研究員制度のPDについては、例えば研究機関をかえた人を優先する条件にするというようなことがあるわけであるが、現在、国立大学が法人化されたり、競争的環境が強まった結果、非常に研究者あるいは学生の流動性というのが乏しくなってきていることは感じられる。先日、アメリカの研究者と話したら、全然価値観が違っていて、そんなに学生を囲い込んだらよくならないのではないかと言われた。囲い込まれた学生というのは評価が低くなるだろうと言われるのであるが、そもそもの常識が違う。ここは研究者のことが書いてあるのだが、研究者の育成に不可欠なさまざまな知的刺激を受ける機会を保証するため、大学院進学の際の大学間学生流動、異分野間交流、云々というようにそこに一言入れていただけると、少し国際的なニュアンスが出る気がする。

○ 私は今のお話のように、若手がどう育っていくのかが非常に心配である。若手によい刺激を与え、かつ環境をよくすればうまく育っていくというのではなく、研究者として育つようなトレーニングが必要だと思う。ドクターを取ったから、1人で論文を書いていけるようなPh.D取得者はどれくらいいるかというと、非常に少ないのではないかと思われる。と同時に、マスター論文やドクター論文も日本語でよいのかという議論もあると思われるが、とにかく独立した研究者になるためにはトレーニングという観点の教育が必要だということについてもう少し配慮が要るのではないかと思う。

○ 大学院教育のことは、いわゆる教育というか研究者として自立できる若手を育てるための工夫、そういうことを少し具体的にどこかに記載できればと思う。

○ 今の議論に関係するのであるが、若手研究者が積極的に海外へ出て、知的刺激を受ける機会を経験するというのは非常に大事だが、海外へ行き、順調に研究が進むと、そのまま何年かアシスタント・プロフェッサーとか、そういう職を得て、日本になかなか帰りにくくなってしまうという状況が実際にはあると思う。そういう人を日本が受け入れるということは、学問の分野を多様化するという意味でも大変重要でもあり、いろいろな意味で、日本とは違う研究者の社会の中で鍛錬されてきた方は、新しい研究のスタイルや運営の仕方等を持ち込んでくれるという効果がある。このあたりは積極的に例えば人事についてもそういった海外でポストを持っていた人を優先的に採用するというところまで踏み込まないと、それなりの給料をもらえるところがある今の日本からは、あえて海外に飛び出していくという気力が今ちょっと薄れているのではないか。そのためには、どういうことを積極的にやれば、将来のポジションなども優遇するということを多少はっきり言ってもいいのではないかと思うが、このあたりは踏み込み過ぎであろうか。

○ 例えば外国にいて、外国でポジションを得たために日本でのポジションが得にくいということはないと思う。逆に外国でのポジションが何であれ、優れた研究を積極的に推進している人はやはり日本でも引く手あまたで、そういう人の需要は非常に大きいのではないかと思う。

○ 日本でポジションを得られた場合にも、研究費がもらえない、スペースがなかなかないなど、要するに日本に移るメリットが少ないと思ったら、移ってこないわけであるから、いくら日本での引く手が多くても、来てみたら非常に幻滅するということが実際にあり、そこは少し積極的な政策も必要ではないかということである。

○ 12ページにそれに対応するところが書かれていて、これは新たな研究者の立ち上げにあたっては、スタートアップ資金を大学等としてきちんと措置することが必要であると書いてある。実は筑波大学で、今年度からスタートアップ形式を立ち上げて、それは数百万から1,000万まで、まず大学本部が出す。そのかわり、そこの研究科は間接経費などを含めて、5年計画で返済するということをやっている。確かに我々も外国から赴任する場合に、全くゼロの設備から研究を始めるというのは非常に大変だということを把握している。

○ それは必ずしも外国からということに限らない。国内から招聘する場合も同じことだろうと思う。

○ 若手の就職先という問題で、私立大学というのは、可能性があると思う。今は確かに、ポスドクが就職先としていろいろな企業にも行けと言っているわけだが、やはり大学にいたいというときに、これまでは、例えば理研等と連携してやるという、非常にまともな方法が議論されるが、別に研究がほとんどできないような環境の私立大学に就職しても、研究自体は例えば理研でやれるというような制度を設けていくのが非常によいと思う。そうすると、人件費を仮に半々に負担したとしても、私学にとっても大したことはない、かつ若い人が来てくれる、優秀な人が来てくれて、それなりの教育効果もあげてもらえるだろう。研究所にとっても、フルタイムではないかもしれないけども、相当な時間研究してもらえる。だから、あまりまともな連携をうたうばかりでなく、もう少し私学を就職先として考えると双方にメリットがあると思う。そういう政策をどうすればいいかというのは、1つだけ問題があるのは、私学助成の中で経常費補助の中の基準の問題がある。要するに研究を主体とする教員に対する補助という問題である。そこさえ考えれば、若手の人がそこで1つのキャリアパスとして、相当数働いてもらう場所になり得ると思う。

○ 「おわりに」の部分は、学術研究の推進に国民各層の幅広い支持を得るとある。全くそのとおりで、基本的には税金でこういったことを推進しようということであるから、国民に広く訴える、そして信頼をされるということがとても大切である。そういう文章になっているのであるが、同時に国際的な近隣諸国に向けて、当面はアジア地域への信頼も必要になる。例えば27ページの一番上の3行ぐらいで、社会的信頼の問題や倫理的・法的・社会的課題に対して、国民に対して、国内社会に対してという配慮をしているが、このことは当然、アジア地域、近隣諸国についても向けなければいけない。

○ 今のご意見に関連して、24ページの「人文・社会科学の振興と統合的研究の推進」の中で、大学においてはバイオ倫理とか科学技術倫理というのが非常に重要だという認識がそれなりに広まっていて、実際にそういう事業を開設したりしているわけで、そこで次のページにまたがって、人文・社会科学分野を中心とした各分野の研究が協働してという一般的ではなく、現代的なバイオ倫理や科学技術倫理などの問題に対して、人文・社会科学系の研究者と当該研究者が協働しながら、新しい倫理とかそういうものをつくっていく必要があるという文章が入っていると、また最後に活きてくるのではないかと思う。

○ 改めて多様性を支える学術政策という全体のタイトルを見ると、これでいいのかなという疑問が出てくる。多様性を支えるためにやっているわけではなく、研究者のためにやっているわけでもない。日本を支える学術政策と、研究者が日本を支えるわけだから、主語が両方とも違うのではないかという気がしてきた。

○ 科学技術、あるいは学術をどのように振興するかということではあるが、そのためには学問の多様性の確保ということはやはり大きな意味を持ち得る、あるいは国際的競争ということにおいても、多様性を発揮し、その中の優れたものをますます推進するようなこともあろうかと思うので、私はその多様性というのは意味があると思う。

○ では、一般の人に多様性がなぜ大事かということになると、それほどわかりやすくないかもしれないので、なぜ学術の研究に多様性が大事かということを少し書き込む必要があると思う。

○ サイエンティストならサイエンティストに任せておくと、成果が出る、あるいは今はやっていて、お金が出る分野に若者が集中する。近視眼的にはそれはそれで成果は出るのであるが、やはりそのときに既に多様性を十分に構築、創造しておかないと、次の時代に本当にその力を発揮することができないという意味で、学問に関しては多様性の確保というものは避けられないことであろうと思う。ただ、それを少しわかりやすくということは確かにあろうかと思う。

○ 「研究者が活きる」というこの副題の頭はやはり問題があるという感じがする。多様性という言葉は確かに重要なキーワードになると思うので、これをサブタイトルの方に何かうまく持っていき、本来のタイトルの方は、多様性という言葉をとって別の言葉を考えてはいかがか。

○ 全体として、それぞれの項目を見ても、全て学術研究の推進、あるいは学術研究の多様性という感じで書かれているわけであるので、ただ多様性というと、これを国民に公表した場合、何の多様性なのかわかりにくいのではないかというところがある。そういう点で、「学術研究の多様性を支える学術政策」なり、「研究の多様性を支える学術政策」と言った方がまだ国民にはわかりやすいのではないかとも思う。学術政策というのはあくまでも学術研究を推進させる方策、具体的な国の役割、あるいは大学等の役割というのが後ろに書いてあるので、そのような学術政策を展開するが、それはあくまでもそれぞれの研究者の知的好奇心や探究心に基づいて、多様な研究が確保できるような支援策を推進するということを言うためには、「学術研究の多様性を支える学術政策」でもよいのではないか。

○ 戦略的というか、政策的に考えると、多様性という言葉が出てきたもう1つは、政策的に、単に競争的資金だけではだめであり、競争的資金だけでいくとすると、やはり今はやりの、あるいはやれば成果が出る、大型の研究費が出るということで、非常に多様性が狭まってしまう。ところが、本当に基盤的な学問を支えるというときに、やはり多様な学問分野を支えるのが基盤的研究資金であるという気持ちも込められているのだとは思う。

○ 「知的多様性を支える学術政策」というような言い方でよいかなという気がする。多様性を内包している構造こそが変化に対して非常に強い構造なのだと思う。特にこれからどういう危機が来るかわからない。危機というのは劇的な変化という言い方ができるかと思うが、危機に対して、今までも大学で多様な研究がされていたから、何が起こっても大体その付近の専門家がいて、一生懸命考えれば対応策がとれたということ、これが私は実は日本社会にとって一番大事なことだと思っている。それが大学に限らずであるが、知的多様性ということだろうと思う。

○ 「はじめに」のところだが、若干ロジックがないように感じる。多様性というのも、科学技術ももちろん重要だが、そういったものを支えていく知的基盤と言っているいろいろな思想的なものなどがなかったらそれもだめだ、競争すると言ってはいるが、競争だけでいいのか、どうしてそれを進めることが人類的に見て重要かという視点は当然あるのだから、そういうところから見て、我々はやらなければならない、「はじめに」のところはそういう論理があってもよいのではないか。

○ 第1章、第2章で、第3章は国がやるべきことということの中で、19ページ、具体的な方策というのが書かれていて、具体的方策の中の1というのが多様なファンディング、要するに多様性を支える学術政策を支えるために、多様なファンディングが必要だということで、幾つかここに書いてあるけれども、ありきたりというか、ここに書いてある具体的方策というのは、新しいものが何もないという感じがあるのが非常に気になる。具体的方策で、これを読んだら、私もこれまでの議論を皆さんに、大学関係者に見せているのであるけれども、何か新しい考え方がここに出てこないと、出てきにくい。身近な問題なので非常に指摘しにくいのであるが、例えば、大学の人が非常に気にしている、21世紀COEが終わって今後どうなるのかということがある。それに対して触れられてないとか、要するに最近のファンディングシステムは線香花火のようなものが多い。数年間やったら終わってしまって、とにかく継続性のないファンディングが非常に多いと感じる。

○ 4つにこのように短くまとめたもので、そういう印象を受けられるとも思うのであるが、例えば21世紀COE、大学の拠点であるが、これをどのように生かすか、より充実させ、本当の拠点、世界的な拠点をつくるという方向に進むべきだということはもう議論して、それがここで言えば3である。そういう1つ1つが実はこの中には含められているのである。それを1つ1つ各論として、では21世紀COEの続きはどうするのかとはやはり書けないので、このような形になってしまい、ここだけを読むと何かありきたりのことで、インパクトがないということに感じられるかもしれないので、工夫できれば工夫したい。

△ 21世紀COEの話は22ページに、冒頭少し書いてあり、21世紀COEプログラムは各方面からの高い評価ということを踏まえて、このような拠点をさらに発展させるためには支援の継続性というのが重要、したがって、ポスト21世紀COEプログラムについても支援の方策の検討が必要である、と書かれている。COEプログラムは終わってないので、すぐ何かということはできないが、支援方策の検討と、継続性の観点ということを入れさせていただいた。

○ それはそれでいいのであるが、やたら多様なファンディングと書いてあるのに、新たなファンディングのアイデアがあまりここでは触れられてないという意味である。だから、21世紀COEに関しては、ご指摘のとおり書かれていることは書かれているのであるが、それにかわるような多様なファンディングがここに出てくるといいなというのがいわば現場の声だということである。

○ ファンディングシステムについてもかなり議論はして、ファンディングシステムそのものを、あるいはその仕方をいろいろなものを持つということが重要であるということでまとめてしまったので、丸の4つだけをご覧になると、何かありきたりのことだという感は持たれるかもしれないが、それを今度は(1)から(4)までにブレークダウンして書いてみるとこんなことになる。

○ そういう意味で言うと、研究費部会、日本学術振興会、日本学術会議でよく議論して、多様性を持ったファンディングのやり方を模索して、改善いく努力はしている。具体的にどうこうというのはまだ言えない段階であるけれども、やはり書いておくとよいのではないかと思う。例えば、女性研究者への支援やスタートアップ、複数回応募できるシステム、分科細目を見直そうといったものがある。多様性を持ったファンディングをこの審議会としては応援するということが少し書いてあればよろしいのではないかと思う。

お問合せ先

研究振興局振興企画課学術企画室

(研究振興局振興企画課学術企画室)