学術研究推進部会(第9回) 議事録

1.日時

平成17年5月31日(火曜日) 13時~15時

2.場所

東海大学校友会館 「阿蘇の間」

3.出席者

委員

 笹月部会長、岩崎部会長代理、郷委員、白井委員、中西委員、中村委員、伊井委員、井上明久委員、入倉委員、戸塚委員

文部科学省

 清水研究振興局長、小田研究振興局担当審議官、河村科学技術・学術総括官、森振興企画課長、柿沼主任学術調査官、芦立学術機関課長、甲野学術研究助成課長、里見学術企画室長 他関係官

オブザーバー

 石井分科会長
(科学官) 
 五條堀科学官、清水科学官、高埜科学官、本藏科学官、山本科学官 

4.議事録

(1)資料1-2、資料3-1~3-4に基づき、事務局より説明が行われた。

(2)資料2に基づき、岩崎部会長代理より、これからの大学・研究所の在り方についてプレゼンテーションが行われ、その後質疑応答が行われた。
主な内容は以下のとおり。
(○・・・委員、科学官の発言、△・・・事務局の発言)

○ 議論したい点がいくつかある。岩崎先生の資料の12ページ、研究の多様性の確保の重要性で、研究の発展段階を3つに分けているが、これは非常に重要である。いわゆる若手を育成しなければいけないというのが大合唱で、萌芽的研究、若手の支援ということが言われる一方、例えば科研費の特別推進のような形で、本当に成熟した世界のトップの研究に対しては、激しい競争はあるが、手厚いサポートがなされる。
 ところが、発展期という中間に属する者のサポートというのがこれまであまり議論されてこなかったのではないかと思う。
 中堅層というか、日の出の勢いで新しい分野を切り拓いているグループが成熟期のグループに競争的に負けてしまい、なかなか大きな支援を受けることができない。ところが、私はそこへのサポートこそが、本当に日本の国際的な競争という意味でも、新しい分野を切り拓くためにも、非常に重要な点ではないかと思っている。初めのころは、発展期のものが特別推進などで存分に支援されたが、このように時間が経ってくると、むしろそれが成熟期に達して、新しく出てきた発展期のものがそれに少し押され気味で、支援が薄くなっているのではないかと思う。
 もちろん若手も科研費などでサポートを受けていると思うが、この成熟期のものにやや押されているという感じがする。そこに新たな仕組み、カテゴリーを考え、もっと大きなサポートをすれば、本当に世界のトップとなれるものがあり、国の力としても非常にいいものができるのではないかと思う。

○ 分野によって、多分いろいろ事情が違うと思うが、国内の委員のみの審査体制である点が1つ問題点ではないか。日本の風土では、ある程度の知名度があったり、非常に業績を上げられた方は何十年にもわたって知名度が高く、また、採択の権限を持っているというシステムに問題があると考える。
 例えば物理などの場合には、ある程度大きいプロジェクトになれば、国際的な評価が目に見える形で入ってくる。そういうものを入れていくというのが、1つではないかと思う。

○ 私もそれが大事ではないかと思う。そうしないと、今後どうするのかという新しい提案というより、むしろ賞を差し上げるための選考委員会のような形になっている側面があるのではないかとも思う。まさに、そこを外国人の同じ分野、近い分野の人たちの審査が取り入れられれば、解決策として非常に力あるものになろうかと思う。

○ 部会長がご指摘になった問題について、日本学術振興会の学術システム研究センターで少し仕事を始めているので、ご紹介し、かつ、それに対するご示唆、ご批判を頂戴したいと思う。
 科研費についてワーキンググループを立ち上げ、まだ1カ月に経っていない状況であるが、科研費の基本的な設計については文部科学省の問題であり、研究費部会でご検討いただく仕事であるので、審査手続等々、学術振興会に委託された科研費の種目の実務上のことで改善ができることがあれば、何とか少し案を考えてみようという非常に限られたミッションのワーキンググループを立ち上げている。問題点は幾つかあるが、今のご指摘の問題に関連すると、2つ論点がある。
 第1は、まず萌芽研究の審査、あるいは応募手続、応募書類というものをどうしたらいいのか、つまり、実績のない人の萌芽的なアイデアに対してどうやってお金が出るようにできるかという問題である。
 第2は、科研費における若手は、37歳以下ということになっているが、これを過ぎたときが非常に難しい時期だと、普通学界では見られているようである。先ほどの図式で申すと、萌芽から発展期へという1つのステップアップの可能性がある若手研究者としての年齢を過ぎた直後、5年ぐらいが非常に大変な分野が多いらしいということで、これをどうするかということである。
 もう一つ上の基盤研究(S)からその後、特別推進まで飛ぶところで、発展期からさらに成熟期に移る境目も問題の1つである。いわば成熟期に行って、それらのお金がとれればいいのだが、発展期のところのお金で居座っているという人もいるわけである。要するに上がつかえれば下が困るという構図があり、下の方を一生懸命いじってもなかなかうまくいかないので、上の方に穴をあけて、上へ向かって流れていくようにしなければならない。
 そういう上の問題もあるが、差し当たっては、今申した萌芽研究の問題と、若手研究の年齢を通過した直後の人たちについてどうするかということである。まだこれは議論が始まったばかりである。萌芽研究については、応募者の名前を伏せて審査するというところまで一気に行けるかどうかは難しいところである。いくらいいアイデアが書いてあっても、そのフィージビリティーが問題で、そのフィージビリティーを確かめるためには、その人が今までやってきた仕事の中身というものがある程度審査員にわからなければいけない。
 それがわかるためには、その人の業績というのがある程度示されていなければならないということは、その人の顔はいくら伏せてあっても、見る人が見れば透けて見えてしまうということである。いろいろ板挟みの問題があって難しいのだが、差し当たっては応募書類の中でその辺の工夫がある程度できないかということで、今議論している。
 それから、先ほど言った37歳の後、どうするかということであるが、上の方の穴をどうあけていくかという非常に大きな話との関係で、まだ議論の緒についたばかりだということであり、一応そういうことを細々ながら仕事を始めているということだけ、申し上げさせていただいた。

○ あまり詳細にわたると、研究費部会で検討されることに入るかとも思うが、もう一つだけつけ加えさせていただきたいのは、アメリカのNIHの研究費を審査している人たちと一度議論したことがある。やはり日本での審査は、どうしてもパブリケーションリストに頼りがちで、それが非常に重視される。だから、審査員の評価が非常によく一致し、『セル』や『ネイチャー』があるとつい、いい点数をつけてしまう。
 ところが、アメリカの人たちが言うには、自分たちは全くそういうものには重きを置いていないという。彼らが何を一番大事にするかというと、研究の基盤になる準備状況である。パブリッシュされていないけれども、ここまでが準備されている。だから、こうやるんだと、そこを一番重視する。
 もし、科研費の申請書に工夫を加えるとすれば、準備状況ということを具体的に存分に書く欄を大きく設けるということが非常に大事ではないか。

○ 全く同じ方向での議論である。

○ 先ほど申したように部会が別にあるし、学振のほうでも議論されているということで、あまりこの件だけを詳細に議論すべきではない。
 もう一つ、施設に関しても岩崎先生からご提言があり、これも実は基盤部会というのがあるので、そこでまた存分に議論されることではあるが、施設に関するロードマップがないという、大変重要なご指摘があった。

○ 先ほどいろいろ資料をいただいて、私も非常に参考になった。この資料を見ると、私立大学関係の研究状況はどうなっているかというのは全く見えない。全然資料に登場しないというのはいくら何でも寂しいから、何とかしてほしい。

○ 1度、私学関係の方にお話を伺うというのも、非常に重要なことだと思う。

△ 今までは確かに、こういう審議会の場でも、学術の振興という話のときは、国立大学、大学共同利用機関を中心に議論がされていたが、研究環境基盤部会で今、設備の問題について私立大学も同じように視野に入れながら議論をスタートしたところである。
 そうした中で、やはり基本的なデータの収集の問題から考えていく必要があるという話になっているので、私学の附置研究所についても今後きっちりとデータをとりたいと思っているところである。

○ 岩崎先生のお話はいろいろなところで大変参考になったのだが、先ほどの研究機関、設置時期についてと聞きたい。最近各大学ごとに作られている機関は非常に小規模でたくさんあるわけだが、そういうものは国立大学の中ではどういう印象を持っておられるのか。わりと似たような研究機関が各大学にあるというケースもある。そういうのを、それぞれの大学ではどういうふうにお考えになっているのか。

○ センターには、教育や研究支援のセンターと、研究を遂行していくセンターと、大きく分けて2種類あるが、もともと国立大学には小規模の支援センターというのが随分あった。30年前といろいろな意味で状況が変わってきて、例えば分析センター、工作センター等があるが、それは30年前には非常に重要であった。
 しかし、現在では、それぞれのセンターとして保持していくのは非常に難しくなってきているという状況がある。一方では、大型の機器を学内に1カ所だけで管理していくというよりは、例えばある研究科が持っていたら、それを学内共同で使えるようにしていけば、みんなで使えるという考えもある。また、計測装置もそういう状況になってきている。
 例えば筑波大学の場合だと、そのような分析センター、工作センター等を5つぐらいまとめて、全体の基盤支援センターという形で統合してやっていこうということになっている。ほかの大学にも似たものがあるのは、研究教育支援という意味で必要だからということだと思っている。

○ 各大学ではむしろ先端研究のものもあるが、実際、教育・研究のベースなところでは、工作センターのようなものもかなり重要性が高い。実際は相当レベルの高いものを持っていなければ、対応もできない。うちなどでも、工作室を維持するのは大変である。こういうものこそ、今は物流が非常にうまくいって簡単なのだから、それこそ日本中に幾つかあればそれで済む。大田区みたいなところには、そういうことをやってくれる人が山ほどいる。そういう考え方はできないか。

○ 今先生がおっしゃったように、学内だけで閉じるべきかという議論も我々はしており、外部委託というのは当然これから出てくる。外部委託するか、または学内で持っているものは、共同で使う。だんだんそういう方向に持っていくことだと思っている。

○ 今の問題、いわゆる学内の支援センターというのは大学の中で非常に苦しくなっているということは、私も附置研出身なので、よく理解しているつもりである。問題は大きな研究所だと、研究所の中にある種ワークショップ(電気、機械等の技術支援部門)のようなものを抱えているところは、それが非常に苦しい。技術系、サポート職員もどんどんカットされていって、大型機械等も研究者が全部自分で動かさないと動かないような状況がある。
 大学で大型設備を持つ研究所は、研究環境基盤部会等で調査すると、やはり非常に苦しいというのがいろいろなところで出てきている。だから、外注だけでやるというのは非常に問題があり、やはりそれはある種研究の性格というか、設備の性格によって柔軟な予算がつけられるようにしていかないと、国際的に競争力のつく研究所は育たないような気がする。
 ついでに、研究所と、研究センターの違いが、あるときからばたっとなくなってしまった。研究所としての性格を持つべきものが、研究センターとしてしか設置されなくなった。岩崎先生の話を聞いて非常によくわかったのは、とにかく研究所は固定化したくないので、どんどんテーマを変えていき、少なくとも筑波大学の話を聞くと、5年ごとにテーマを変えるようなもの、いわば研究所というより、特別プロジェクトという感じになる。
 そうすると、我々研究所で育った者にとっては、そんなものだけで研究が育つかという感じが実はするのである。先ほどの話にあるように、この3つの段階、発展期、成熟期、そういうことは当然あるが、かなり長期の戦略で研究所が必要なものもあるし、必要ないものもある。その辺の選別は必要だと思うが、あるとき研究所という性格を持った組織がばたっとなくなるというのは、私はまずいのではないかと思う。このあたりはこれから見直していくべきではないかと思う。
 昨年、京都大学は1つ新たな研究所ができた。研究所の枠組みについては、こういう審議会の場で適切な答申をしていただくといいのではないかと思っている。

○ 研究所とセンターをどう考えるのか。例えば法人化して、研究センターは自由に大学の裁量で作ってよいとすると、研究所は一段とハードルを高くしたのか、あるいは、作らないということなのか。それでは、今度は逆に、研究所とセンターとは一体どこがどう違うのだろうかという問題が出てくる。
 研究所は法令に規定されており、学部、学科などと同格で、いわゆる教育ということに対する寄与も非常に大きなものがあると思うが、センターの教育に対する寄与というものはどういうふうに規定されているのか。あるいは、何も規定していないのか。

△ 教育は、現在は大学院の連携の講座を作ることによって、研究所のみならず、研究開発型の独立行政法人でも実施できる。実際に物質・材料研究機構において筑波大学の大学院教育が現に行われている。大学の中で、附置研究所、研究センターを問わず、それぞれの役割に応じて教育研究が行えるものと理解している。
 それから、最初のご質問については、法人化にあたって、大学の附置研究所、研究センターの先生方と、かなり長時間にわたって密度の濃い議論が行われた。法人化前の体制を、法人化をきっかけにしてすっかり改めるという議論にはならないで、若干研究所の見直しを行い、法人化後の第1期中期計画期間中は、法人化前の体制のままで対応しようということになっていると理解している。
 一方、今ご指摘があったように、近年、特に行政改革の問題が出てくるようになってから、附置研究所が設置されず、時限が付された研究センターが設置されるという体制になってきた。研究者の先生方の声も十分お聞きした上で、今後、どのように考えていくかというのは、これからの大きな課題にはなり得る。
 入倉先生のお話でも触れられていたが、法人化して、学内の研究組織は、基本的に大学の自由な判断でできるということになっている。附置研究所は中期目標、中期計画に記載することとはなっているが、研究所、センターという名称の問題があり、これについて、特に現在制約があるわけではない。例えば名古屋大学においては、研究所という名称を使ったセンターを設置したということである。

○ 資料で、1990年代になって非常にセンター等が増えているが、センターは比較的シャープな目的があってつくられているということで、消滅する数もかなり増えてきている状況なのか。法人化されて、1パーセント効率化係数がかかり、運営費交付金なども減額され、その上、センターの場合は、所帯も小さいので、1つのセンターのみでは、今までは持ちこたえていたものが、もはや継続できる状況ではなくなったということではないか。
 センターにおいて、例えば東北大学では、センターが連携して研究基盤施設群と教育基盤施設群にグループ化され、互いに補てんし合って、設置目的が十分に果たされるような協力体制を作りあげることが不可欠になってきている。施設の数が増加するにつれて、東北大学では施設群が財政的にも苦しくなって、うまく再編していこうという動きが自然とわき上がってきている。そういうものも中期目標として、大学の独自性を出していくために提案していこうという動きがある。
 このグラフは右肩上がり一方ということなのか、実態はどういう状況にあるのか、教えていただければと思う。

△ おそらくこのデータを見る場合には一定の見方が要るのだろうと思う。ご案内のように、附置研究所はかつて国立学校時代は研究所の設置は政令で、センターの設置は省令で定められていた。おそらく20年ぐらい前から、実際上、それぞれのセンターが自己目的的にずっと存続することはないようにしようということで、いわゆる行政管理の一環として時限を付すという形で、10年、7年、5年という形で時限のセンターが、ちょうど20年前ぐらいから出てきていた。
 したがって、この1990年代あたりから、センターの時限が毎年5から10ぐらいずつ来て、おそらくそのときは、時限の来たものについてまとめるか、それとも別の形に転換していくかという形で、かなり増えているようだけれども、一方でなくなっている数と差し引いて見ると、私の経験から言えば、そうそう急激に増しているわけではないと思う。
 もちろん、ここの中には、例えば教育関係のセンターとして教育実践研究センターのようなものが、教育実習のためのお世話をするものとして政策的に進めたという要素はあるが、全国的に40ぐらい増えたはずである。それはそれぞれ個別性を持っているという話だったと思う。
 研究施設については基本的に法人化のときに、この学術分科会で考え方の整理をした。附置研究所については、我が国の学術研究の中核的拠点という性格をより明確に持たせる。各センター等については、どちらかといえば、各大学がいわば戦略的、すなわち、これまで省令施設として、それぞれ時限が付されたものについて、各大学がいろいろな形で、いろいろなコンセプトのものにまとめたり、あるいは整理し直したりということは、当然できるということだ。
 むしろ、そういう考え方で各大学の先駆的、先導的な研究をそれぞれ進める1つの枠組みとしたということである。ただ、そこの中でも、全国共同利用的なものについては、中期目標ではなくて中期計画上に記載し、法人化で今後囲い込みの傾向がより激しくなるだろうということを念頭に置きつつ、共同利用という枠組みをどうにか確保していこうと、こういう制度的な枠組みであると考える。
 したがって、附置研究所については、今後とも、もちろん審議会でのご議論を踏まえた上で、附置研究所として真に必要なものは作る、あるいは、もちろんその中で整理されていくものもあるというのが基本的な考えだろうと思っている。

○ 確かに、きちんとした学問をするには、研究センターなり研究所として継続性が必要な場合もあるし、逆に、ある時点の国の施策として作ったものは、時代が変わったときに内容を変えていくなり、改廃していく必要がある。その辺を柔軟にやっていく必要があるだろうと思う。
 私の出したグラフは法人化前の状況で、少し古いもので、法人化してから、附置研の場合も、センターの場合も、大学の中でだんだん経費が削減されていくときに、大学にとって、または全国の研究者にとって本当にどこが必要で、内容が本当にいいのかというのは、今まで以上に厳しく問われることになっている。筑波大学でも東北大学でもそうだと思うが、いろいろ数を減らしたり、統合したり、また、内容を変えていくという動きが当然あるべきだし、それが法人化のメリットの1つかもしれないと思っている。

○ 17ページの、先ほど本部と部局のバランスが非常に重要であるとの御説明であったが、もう少し具体的にお聞かせ願いたい。

○ これは、かなり奥深い問題で、簡単に言うのはなかなか難しい。2つあって、1つは、教育・研究に関することまで含め全部全学的に審議会という場で審議し、最終的な大学としての方針を決めるというやり方は、全学として一致するには非常にすぐれたシステムである。
 ところが、そのために2つ弊害がある。1つは、非常に時間がかかる。部局で決めて、すぐ動くということはなかなかできない。部局は、本部の審議会で決まるまでは、自分たちは待ちの状態になるということがある。もう一つ、部局の中で、企画立案能力が弱くなってしまう。だから、部局は教育や研究の現場を担っているわけで、そこが決定してやればいいことは、なるべく任せておく。ただし、全学的に統一しておいたほうがいいことだけは本部で審議する。そういうバランスが必要である。
 もう一つ、これは他の大学でもこれから問題になってくると思うが、人事委員会に相当するものが必要かどうかということである。筑波大学では先駆的にやったが、どこに力を入れてやっていたかというと、1つ1つの採用の人事まで1回1回審議をしていたわけである。逆に全体の人事に関する企画立案、重点配分といったところまでなかなか精力と時間がつぎ込めなかった。
 ところが、これは法人化前で、法人化後は、人員削減の流れの中で人事枠の重点配分をやらざるを得ない。だから、本当に人事企画委員会みたいなものを作っておかないと、今度は単に一様に人を減らしていくということになり、研究・教育はじり貧になっていってしまう。
 そういう意味で、やはり全学的な人事の全体を見渡すような組織が必要ではないかと思っている。そのときも、部局とのコミュニケーションがないと、一方的に決めることはできないということである。これは、かなり根源にかかわる問題だと思っている。

○ 法人化して、どこの大学もおそらく中央集権というか、学長の権限を強化して、コントロールしようという方向が1つある中で、先生のおっしゃった部局とのバランスというのは非常にプロボカティブで、私も感銘を受けて拝聴した。
 いつも申すのだが、特に研究というのは著しく個人の問題であり、これは中央にいくら強力なヘッドクオーターがあっても、それでその個々人の研究を推進するということにはならない。ほんとうにこの多様な研究を推進する、それをサポートするという側面から見ると、先生のおっしゃる視点は非常に重要ではないかと思う。
 そのときに、先ほどの清水局長のお話を伺って感じたのだが、各大学が多様性や特徴を発揮して、何かを推進しようとするなら、まず、センターを作れば簡単にいくだろうと考える。筑波大学の場合には、センターという言葉は使われなかったが、あれは位置づけとしてはセンターなのか。

○ センターではない。しかし、センターと名前をつけてもいいものだと思っている。特別プロジェクト研究組織ということで、今まで言っていたのだが、今、見直しているので、1年後ぐらいには違う名前に変えられるかもしれない。

○ そうすると、大学側の戦略としては、あるすぐれた研究グループをくくって、1つのセンターを作り、それを特徴として推進したいということなのか。国から見た場合には、先ほどの局長の話だと、研究所、研究施設みたいなものは全国の拠点として位置づけてサポートする。
 ところが、センターは各大学の戦略的な方策として作られたものだということになると、何かセンターの場合には、国からの特段のサポートが受けにくいという印象を受けた。今度は、国の戦略として、そういうセンターも手厚くサポートするという仕掛けが何かあるのか。それとも、研究所、あるいは研究施設の方がそういうサポートを受けやすいのか。

△ 法人化では1つの大学に最初のリソースとして、それまであった附置研究所、研究センターの人件費、オペレーティングコスト研究費というものを、一切大学にそれぞれの判断に委ねるという政策をとったわけである。したがって、研究センターのかなりの部分を持ってスタートした大学と、そうではないところにはハンディが現実にはある。
 実際上、センターという形でやるのか、やらないのかということは別として、特別教育研究経費という1つのプロジェクトで拠点の形成を、あるいは他大学との連携協力の体制でというさまざまな形でのアプローチを、毎年度の特別教育研究経費で、経費的には担保していこうということである。
 さまざまな学内における選択と集中、あるいは戦略の上で、それをセンターという形にするか、しないか、そこもすべて大学の判断である。それにあわせて、資金的な新しいソースとしては、そういうプロジェクトを始める、もしくは継続するための特別教育研究経費で支持するということで考えている。

○ 2つ筑波大学について質問したい。1つは、先程、「系」と二重構造になっているとおっしゃったのだが、部局とおっしゃったときに、具体的には何を指していらっしゃるのか。
 もう1つ、学内でデュアルサポートをやっている、基盤的なサポートをきちんとやっているとおっしゃったが、これは教授、助教授が単位になるのか、教授と助教授に差があるのかどうか、その辺も含めて、大体教員1人当たり幾らぐらい、これは文理で違うのかもしれないが、もしお差し支えがなければ、その辺の数字を伺わせていただければと思う。

○ 今の筑波大学の場合には、研究科を部局と言っている。
 それから、学内デュアルサポートの話であるが、校費は筑波大学はかなり複雑な配分をしている。まず教授、助教授、講師、助手と差をつけている。それから、あとは重実験、軽実験、非実験と3通り、そういうマトリックスでやっている。
 先ほど言ったように、これからデュアルサポートの仕組み全体を、システムとして教育研究評議会のもとでこれから議論しようと思っているが、その割合も基盤校費の方をもう少し削って、競争的なものを増やした方がいいのではないかという意見もある。これが非常にまた難しいところである。
 特に文科系の場合、ある程度の校費があると、それで研究ができるということで、外部資金を取りに行く高いモチベーションが生まれないという問題があったりして、その辺のバランスもある。どのようなシステムが大学の研究を活性化する方法なのかというのを、具体的に考えていきたいと思っている。

○ 産学リエゾンという言葉を使われたが、いわゆる産学連携ということが本当に大学にとって、あるいは研究者にとってプラスなのかどうか。
 例えば、アメリカで言うと、シリコンバレーの1つの代表であるスタンフォード大学なども、教授はほとんどいろいろな会社を起こしたり、会社の顧問になったりしている。私の20年、30年来の友人の教授たちと議論すると、20年前、30年前にスタートして、いろいろな会社を作ってはつぶれ、どこかに所属してはその会社がつぶれみたいなことをやってきた連中だけれども、何がその20年間の本当のプロダクトなのかと聞くと、実は何もない。
 だけれども、上場して株をもらって、収入はその間たくさんあったという。そうすると、その研究室の連中はそういうことに対して、若い人たちは非常に批判的である。
 だから、本当の大学の持っているアカデミズム、何かそういうものとの感覚で、若い世代で反発するグループがある。あるいは、逆に、自分も早くそうなって金もうけをしたいという者もいる。本当の研究へ行くよりも、そういうことを目指す若者が教育されている。そういうネガティブな面も最近非常に気になるのだが、いかがだろうか。

○ 大学の使命として、もちろん社会との接点、社会に貢献するというのは非常に重要なことだと私は思っている。まず、一番社会に貢献すべき点は人材養成だと思っている。これから日本の未来を担っていく、国際的な舞台で活躍できるような人材を育てていくことが一番大きい社会貢献だと思っている。
 2番目として重要なのは、研究成果で社会に役立っていくということである。これは、いろいろな意味で基礎研究をやることが、民間企業に将来的に役立っていったり、基本特許を取るなりして、それなりに役立っているということもあると思う。
 国立大学だったら国立大学でしかできない研究をやっていくことは非常に重要であると思う。
 ただ、今まで、特に国立大学は、社会に対してあまり接点を持とうとしなさ過ぎた点がある。例えば工学部とか医学部などで、確かに研究成果が直ちに民間の人と一緒に話し合えばさらに発展するような場合もあるし、社会のニーズがどういう点にあるのかを知るためには、やはり民間の人と接触することが必要である。そういう意味での産学連携というのは、重要である。
 四、五年前になるか、大学において産学連携をもっとやるべきだという大合唱があったときに、スタンフォード大学の例が随分出された。ちょうどその頃、プリンストン大学で工学部長をやっておられた人とたまたま会うことがあった。プリンストン大学ではどうかと聞いたら、皆さん、そういうことに対しては非常に慎重であるがそういうことをそろそろ本格的に考えていかなければ、議論しなければいけないと思っていると言っておられた。
 言うまでもないことであるが、アメリカの一番の強みであり特徴というのは、非常に多様性があるということだと思う。大学によっていろいろな個性を持っていて、東海岸と西海岸でも違うし、西海岸の中でも違う。スタンフォード大学はシリコンバレーの近くにあって、そこの人材と行ったり来たりしているというのも特徴だと思っている。それが、プラスの面とマイナスの面があることは確かだと思う。
 日本の中で産学連携に非常に力を入れていく大学があってもいいだろうし、それに対して、国民の税金を使っている立場として一定の協力は進めるが、それほど積極的ではないという大学もあっていいと思う。スペクトラムを持って存在するというのが健全な姿であると思う。

○ 私も産学連携を否定しているのではなくて、本当のあるべき姿ということをどこかできちんと議論しなければいけないのではないかと思う。
 私は常に、我々の医学、生物学の分野では、すぐれた基盤研究は出るけれども、それが患者に届かない。本当に患者の診断、治療、予防につながるようなプロダクトにならない、それは日本の欠点であると考えている。だからといって、基盤研究のすぐれた研究者がいきなり会社を作れば、これがそのプロダクトになるものではなくて、ここには本当に学際的な、ありとあらゆる分野の専門家を導入しなければいけないわけである。
 だから、そういうシステム作りが必要なのであって、単にすぐれたシーズを生んだ基礎的な研究者が企業と連携すれば、すぐ何かできるというものではない。そのシステムづくりをどうするのか、本当のプロダクトができるための産学連携のあり方というのはどういうものなのかという、そういう議論がなされるべきではないかと思う。単に産学連携という総論だけでは、何か負の面がなかなかぬぐい切れないというような感じがするもので、少し申し上げた。
 いわゆる多様な学術研究をどのように推進するのか、萌芽的なものをどのように生み出し、それをどのように育てるのか、そして国がそれをどうサポートするのかというのが、非常に難しいが、重要なここでのテーマである。そのために、大学がどう変革していくのかということである。

○ 今の話と少し違ってしまうのだが、先ほどのデータを見せていただいた中で、イギリスのファンディングのところで経費、人件費、その他、フル・エコノミック・コスト、そういうシステムにだんだん移行しているのだという話だった。
 国立大学で、教員の教育負担と研究負担というものがどういう状況であるのかというデータは、私は非常に重要だし、それを分析しておくべきだと思う。これは、分野によったり、いろいろな役割によっても非常に違うから、そう簡単なものではないと思うのだが、理工学系などでどういうふうな状況なのか。今のお話も関係するかもしれない。
 私立大学ではもう既に教育負担が非常に多いから、なかなか研究をやれといっても、お金をもらっても困るという状況も見られ、ほとんど限界に達してきているということはある。国立大学も同じことはやはりあるだろうと思う。
 そうすると、ファンディングしたときに、かなり大きいお金をまとめていただいて、大きいチームでしっかりやれと期限が仮に切られていたにしても、それに従事する人が一時的に配置されるとか、そういうことも含めて、その人たちの配置や人件費の問題をかなりきっちりと教育と研究というのを分けて、デュアルサポートシステムもかかわってくるが、そこの考え方を明確にしていかないといけないのではないかと思う。そのときに、国立大学の教員というのが置かれている状況は分析しておかないといけない。

○ 資料によると、イギリスの場合には、いわゆる教育と研究というところはファンディングのもとが違うのか。

△ イギリスにおけるデュアルサポートの考え方は先ほどご説明したが、違うカウンシルからファンドが行くような仕組みになっている。基盤的な経費については、これは教育分と、研究分と、その他分ということで大体3つに分かれているが、教育は7ぐらいで、研究が2ぐらいで、その他が1ぐらいの割合だが、大体それぐらいのものが基盤的な経費という形でいくような仕組みが1つある。教育分は一定のいろいろな数値に基づいて、きっちり積み上げのような形でサポートしている。
 もう一つは、全く別にリサーチカウンシルというところから行く仕組みがあって、こちらの方は完全に競争的な形でいく仕組みである。大学という組織にとってみると、基盤的なところから来るものと、競争的にとってくるものと、2種類、二元的になるという構図がある。
 日本の場合、今統計が手元にないが、教員の教育と研究のエフォートを調べた調査があり、データをはっきり覚えていないが、大体半分ぐらいずつになっているという感じの統計だったと思う。もし、機会があったら、またお示ししたい。

○ 先ほど岩崎学長から大学では人材育成が第一だとの話があったので、関連したことをコメントしたい。もちろん研究成果も大切であるが、教育面から大学改革を考えてみると、大学院の改革は随分進んだと思う。重点化後、いろいろな学際教育や専門教育に特化したセンター等ができてきた。しかし、4年までの学部教育については、例えば科目については理科系では、化学、物理、生物など、昔からの分類が生きており、教育内容もあまり変わってきていないように思える。
 また、学部教育でもゆとり教育の影響をかなり受けている面があり、特に学生実験を簡単にしてしまったなど、一生懸命基礎学問を教えたり学んだりという雰囲気が少し減った感がある。学部教育においてもっと徹底的に基礎学力をつけさせないと、大学院に行って自ら研究を進めることは困難だと思う。特に学際領域の大学院ではいわば根のない領域のところに根がしっかりしていない学生が行くと、本人は混乱してしまうだけだと思う。学部を出た人、マスター、ドクターを出た人がそれなりに自分が学んできた技術を生かせるような教育体制ができていないように思える。
 学生のひとりひとりが学力をきちんと身につけて、その学生なりに育てるということを大学としてもっと研究きちっとサポートすべきだと思う。これは学部教育から考え直す必要があるので、本会議の範囲外かもしれないが、例えば、企業ではCDP(career development program)というのがある。大学もそのくらいを考えないと、特に優れた研究者は育たないのではないかと思う。

お問合せ先

研究振興局振興企画課学術企画室

(研究振興局振興企画課学術企画室)