学術研究推進部会(第8回) 議事録

1.日時

平成17年5月19日(木曜日) 13時~15時

2.場所

経済産業省別館 1028号会議室

3.出席者

委員

 笹月部会長、白井委員、郷委員、中西委員、伊井委員、飯野委員、井上明久委員、小平委員、谷口委員、戸塚委員、鳥井委員

文部科学省

 小田研究振興局担当審議官、森振興企画課長、柿沼主任学術調査官、芦立学術機関課長、甲野学術研究助成課長、里見学術企画室長、仙波基盤政策課課長補佐、絹笠大学振興課課長補佐 他関係官

オブザーバー

 石井分科会長
(説明者)
 黒木岐阜大学長、内海九州大学薬学研究院教授・日本学術振興会学術システム研究センター主任研究員
(科学官)
 清水科学官、高埜科学官、本藏科学官、山本科学官

4.議事録

(1)「学術研究推進のための大学改革の在り方」について黒木岐阜大学長より、「研究者養成」について内海九州大学薬学研究院教授・日本学術振興会学術システム研究センター主任研究員より、資料4-6について事務局より説明の後、質疑応答が行われた。その内容は以下のとおり。
(○・・・委員、科学官の発言、△・・・事務局の発言、▲・・・説明者の発言)

○ 国立大学法人は普通の私学等と違い、学長が経営関係の責任者でもあり、教学の責任者でもある。同一人がなることから生じる幾つかの、メリット、デメリットもあるかと思う。従来だと、国立大学では副学長というものを置き、全体の教学的マネジメントをとってきたわけだが、先生のお考え、あるいは、先生のところの現状では、副学長という機能と、法人として置いた理事との関係というのはどのように整理されているかお伺いしたい。

▲ あいまいなところがあるまま進んでいるのが現状だと思う。理事の中で教職の関係の方を副学長としているわけであり、副学長、あるいは理事にしても、全学を見るという立場を最後までとっていただくことをお願いしている。
 学部長がそのまま理事になるということはないようにしている。

○ いわゆる助教授、助教、助手についてあまり強調されなかったが、いわゆる学術研究を推進するためにという観点から、システム、あるいはポジションについて何か特段のお考えはあるか。

▲ 私はずっと医学系にいたが、やはり研究グループはある程度の規模がないと国際的には太刀打ちできない。特に理系、分子生物科学系では、ほとんどがそうだろうと思う。ところが、医学系以外では割と教官が1人1人独立していて、非常に規模が小さくなっている。このようなシステムで、国際的に太刀打ちできるだけの研究の集中力ができるのかが少々心配な点である。講座制が今まであったわけだが、そういう研究グループをつくるという組織はどこかに残しておかないと太刀打ちできないというのが私の正直な感想である。

○ これまでは、教授1、助教授1、講師が1~2、助手が2~3ということで、1つのグループがあったわけだが、研究の側面からいうと、ほぼ1つのテーマで全員一丸となってやるというのが日本的なやり方で、それがある意味では功を奏したというところもあったのだと思う。
 ところが最近では、アメリカ的というか、助教授も、助手もインディペンデントで、それぞれがPIとして研究費もとってくるし、独自のテーマで行うということになると、幾つかの問題が指摘されてきていると思うが、教育の側面は一端置いておき、学術研究を本当に推進するという立場からして、どういう組織というものが必要かということが1つ大きなテーマだろうと思う。

○ その観点は中教審の大学院部会でも議論があった。今の大学院、大学の現場では、研究と教育というものが混然一体として行われており、講座制が、今言われたような力の源泉になっているようなところがあるわけだが、これを教育課程の実質化ということで、今提案されているような形に移行する場合には、教育のほうに軸足を移していった大学院として世界に伍する教育、あるいは研究というものをどうやるかという部分は、新たに手当てが必要になるのではないかという議論があった。

○ 複数の違った考え方でも構わないが、何か具体的な提言はあるか。

○ やはり支援体制。欧米と日本での研究者1人に対する支援人員の違いが今よりもさらに厳しくなる可能性がある。そうすると、国立も私立も含めた日本の高等教育に対する公財政支出が欧米に比べて6割ぐらいになっている現状を抜本的に見直していかないと、おそらく世界に伍していくよう、教育面と研究面両方の車を回すという工夫は相当厳しいものになると思う。

○ 助教の制度に関してだが、今、教授、准教授、助教という制度の中で、一律に進められている印象を受けるが、例えば、研究科と附置研究所等では設置目的や教育のあり方もかなり違っていると思う。この違いに伴う自由度、選択の許容性を持てることが重要だと思う。東北大学金属材料研究所の場合、現在でも教授1、助教授1、助手3の体制を維持している。世界に伍していくためには、研究単位のある程度の人数が必要だと考えている。この新制度に関して、緊急に対策委員会を所内に設置して、トップレベルを維持していくためにどうあるべきかについて検討を始めているが、研究科と研究所は一律でなければならないという考えで今後も進んでいくのか、あるいは附置研究所は少し目的に沿って自由度を与えていただけるのか。

△ 例えば、助教が完全に独立した研究者でなければならないのかとよく聞かれるが、今回の制度改正は、助教というのは教育・研究をしている職務であるということだけを明らかにして、具体的な組織の組み方をどうするのか、例えば、グループを組んで、従前のような形で行うのか、それとも、全く違った形にするのかというのは、各大学のご判断にゆだねようとしている。
 今までの制度だと、「助ける」という文言があったがために、教授と助教授が必ず結びついていかなければならないことが法律で決まっており、助手も、教授、助教授と結びついていることは法律で規定されている。今回は教育・研究を行う職であるということのみ法律上規定して、それ以上の具体的な組織の組み方とかあり方というのは各大学のご判断にゆだねるという形で、今まで以上に大学の自由度が高まるような形での制度設計を考えている。今回の制度改正を行ったがために、何か急に変えなければならないということにはならないと思うが、今回の制度趣旨を踏まえて、できるだけ若手教員の方々の環境を整えるようなことに取り組んでいただきたいとは思っている。

○ 「学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する」というこの項目は、全部同じである。そうなると、助教の人もドクターの学生を指導できるということで、教授と学生を指導するという意味では対等の立場に立てるということをも意味しているのか。

△ もともと、これ、学部しか持ってない大学も同じ書きぶりだったので、こう書いてあるから、大学院の指導をしなければならないというわけではなく、それはもう個々の教員の能力次第だと思っている。
 もしかしたら、助教の方の中にも非常にすぐれた方がいて、いわゆる大学院生を指導する資格が認められる方がいれば、大学院の研究指導教員になり得ることは可能かと思うが、一般には、そうした方々であれば、既に准教授なり教授になられているので、普通は想定されないと思っている。いずれにせよ個々の教員次第であり、また、仮にその能力があったとしても、その方に研究・指導させるかどうかは、各大学のご判断だと思っている。

○ 講座と附置研究所の研究部門、両者も同じ扱いにするということが決まっているのか。

△ 今回のは学校教育法の改正なので、基本的には大学のみを対象としているところだが、ただ、大学の中の組織であり、大学の教授、准教授にならっているところから、多分それは同じになるのではないかと思っている。

△ 大学である以上、すべてこの考え方は適用されるということだろうと私ども認識しているが、ただ、これは国立大学のみならず、国公私立すべての大学に対して適用される、極めて従来からフレキシブルな考え方で、それぞれの大学の自主性、判断を尊重してきて適用されてきたものを新たな考え方で整理するということになると思う。私どもとしては、今回のこの改正のみをもって、直ちに附置研究所というものの研究組織の在り方が拘束されるということではないと思っている。
 ただ、この議論の中で提示されている若手の研究者を育てていくような環境をつくっていくということを、それぞれの大学を含めてどうお考えいただくかというのは、これからの課題だと思っているが、直ちにこのことが何かを強制的に迫るようなことにはならないと理解している。

○ 今の問題にも若干関係するが、これまでの議論で、デュアルサポートの問題や経常的な費用と研究に対してどう支援するのか。研究の中でも、チームのつくり方等、実際は分野によってものすごく違う。今のお話にあったように、講座制でやる方がいいのか、あるいは、文系に非常に多い個人的な方がいい分野も勿論ある。そういうものを一律に全部やると、大体どこもあまりうまくいかないというか、欲求不満というか、非常にやりにくいことになってしまうと思う。
 だから、あちこち気を使わなくてはならないため、制度設計を急に変えることはできないにしても、やはり文部科学省としては、思い切って変えていくということをやらないと研究推進はなかなか進まないんじゃないだろうか。
 例えば、今の理工系のある分野では、研究支援という人が相当数いて、チームでやっていくという研究体制をとりたいところもある。だが、小さくても、今までの講座制でやっていくのが今の自分たちの研究にとっては非常にやりやすいし、十分それで成果が上がるというようなテーマももちろんあるだろう。そのようなものに対して、それぞれが対応できるのかについて、必ずしもやりやすくはなっていない。研究と教育に関して、設置者がどのような原理でその負担をするかについての考え方も明確にしなければいけない。また、研究体制に対して研究費がどのように使われるべきだというルールと、最も有効に使われるシステムが必要だと思う。

○ 資料5の21ページの教授、准教授、助教のところの職務、「学生を教授し、その研究を指導し又は研究に従事する」という点だが、この「又は」という言葉遣いは、これは法文を想定して使っているのか。法文として「又は」という言葉を使うときには、これは日本の法律の文言の使い方の約束事で、アンド・オアを意味するということになっている。だから、そうだとすれば、法律上は、ちゃんと正確に規定したんだということになると思うが、普通の日本人の語感から言うと、「又は」という言葉はオアのほうにかなり強く引きつけられて理解されるおそれがある。
 実質的には、両方やる人もいれば、教育だけやる人もいる。場合によっては少なくとも2年なり3年なりは研究に専念するというようなことを想定して法文化する場合には、「この2つのいずれかまたは双方を」ということをきっちり法律の素人が理解できるような条文化というものをお考えいただいた方が、要らざる混乱、誤解を招かないと思う。どっちかにするんだというふうに誤解されると、困るなという感想を持ったので、よろしくお願いする。

○ 現行制度と新しい制度、何が実態として改革されるのか。名前は変わったが、大きなフレームワークはおそらく変わらないと思うし、実態として本当に教育あるいは研究を推進する上で、どこが改善、改革されたのかというのがちょっとわかりにくい。

△ 法律を変えたから、直ちに大学が即変わるということではなく、今回の趣旨は、あくまで、今の助教授、助手という職名や職務内容が、今の大学の実態から見たときに、非常に窮屈というか、今の世の中に合わなくなっているのではないかというご指摘があり、科学技術基本計画の中でも、見直しが記されている。
 例えば、外国に出たときに、助教授、助手というのは、直訳すればなかなか通用しないとか、いろいろ、今の職名、職務内容が実態と合わないんじゃないかということが指摘され、また、もともと昭和24年に学校教育法ができたときからほとんど変わってないような状況である。これを今の大学の実態に合わせて、また、大学も非常に多様なものがあるので、いろんな大学をのみ込み、かつ大学が自由に組織設計をするときに、それに適した形での職のあり方というのをもう一回考えて制度改正を行おうとしているものであり、また、そのとき、特に要素として考えたいのが若手教員の自立性である。助教や助教授は教育・研究を行う職であり、補助というのがメーンではなく、あくまで教育研究者なのであるということを明らかにする職ということで設計したものである。
 ただ、具体的な組織のあり方については、非常にかっちりとした組織体制をやるところもあれば、また、かなり独立した、1人1人が独立した部分もあるなど、非常に多様な分野がある。また、各大学でのご判断もある。そうしたものを踏まえた中で、どうしたものがいいかというときに、教育研究者であるということのみは明らかにして、それ以外は各大学のご判断にゆだねることにする。では、具体的なメリットは、どのように生じるのかというと、それも各大学で、これを踏まえて積極的に取り組んでいただくしかない。こうしたものを踏まえ、何か文部科学省としても支援措置というのを、これから同時並行で検討しながら進めていこうということで、今回、こうした制度改正を進めていきたいと思っているところである。

○ 21ページのカラーの図だが、この図を拝見すると、非常に困った誤解が生じると考える。というのは、助教というのが助手のレベルで、同じところに書いてある。その上に、准教授、助教授とある。多くの人の頭の中は、今の制度で凝り固まっているので、それを捨てて、新しいイメージというのはなかなかインプットできないので、助教というのは助手だと考えてしまう。そうすると、助手から准教授にいくときは非常に厳しい審査を行うが、准教授から教授は何も書いていないので、これはすっと内部昇格でやりなさいと文科省が言っているんだという解釈が出てきて、大変困っている。
 講習会などで事務局の人から聞いたことなども考え合わせて、よく検討してみると、これはもう今までの制度とは全く違うことを提案しているものと考えている。まず、それを私たちはインプットしないといけないだろう。
 それで、こういう解釈がよろしいかどうかということを聞きたいが、おそらく、若手が希望を持って、将来、こういう大学のポジションでやっていけると思うためには、助教というところは、ポスドクが終わった人や、博士を修了した人が将来の教授1人に対して2人ぐらい比較的、そんな厳しい審査なしに採用され、何年後かに非常にいい仕事をひとり立ちしてやったら、その次は、任期制でもいいが、厳しい審査を経て准教授になるということなのか。准教授と教授というのは、今の助教授と教授とかいうことではなく、テニュアというのか、少し差があるにしてもそこは非常に優れた人がなる。要するに、助教から准教授に昇進することが非常に大変であるという解釈をしないといけない。つまり、ピラミッド型で、助教は2名以上いるが、その上は1名とか、少ないんだというやり方を意味しているのではないかと解釈するが、そのことをまずはお聞きしたい。
 次に、平成19年度に移行するときに、現行からどうやって移行するか。その移行過程をどのようにイメージしておけばいいのか。今から私どもは新しい人を採用するときに、こういうことも頭に入れて採用しないといけないだろうと思うので、お尋ねしたいと思う。

△ 後のほうから申すと、19年4月1日に、これは発令、人事異動行為のような形になるので、今の助教授の方、ないしは助手の方々に、それぞれ准教授とか助教ないしは助手、それぞれの形で発令されるという形になろうかと思っている。
 もう一つの最初の助教の方が准教授になるときについては、報告書の中にそうしたことも含めて、教員の採用とか昇進全体について厳格な審査が必要である云々かんぬんということを書いているので、全体をお読みいただければ、多分ご理解いただけるのかと思っているが、なかなか全体を読んでいただける方も少ない状況であり、非常に困っている。
 もう一つ、助教につくときの厳しさということに関して、この資料の26ページに、実は設置者、専門分野別のそれぞれの教授、助教授、講師、助手の数が書いてあり、一番右端のところの合計を見ると、例えば、教授が5万9,000人、助教授が3万5,000人、講師が1万8,000人、助手が3万7,000人ということで、大体このような数かなと思うが、実はこれは分野によって非常に違っており、例えば、真ん中あたりの保健のところについてだが、実は助手の方は、保健の分野が5割強。多分、附属病院も入れれば6割ぐらいが保健分野の方ではないかと思っている。逆に、理学や工学、人文・社会の分野、特に人文・社会のところの助手の欄の一番下のところを見ていただきたいと思う。今、人文・社会の分野では、助手のポストというのは、全体を100パーセントとすれば3パーセントほどしかいない。社会の分野では4.5パーセントか4.6パーセントぐらいしかいない。かわりに、教授が6割ないしは5割強いるということで、ポスドクから助教になるところというのを、今の助手が仮にもしも、すべて助教にかわったとしても、助教のポスト自体が非常に減っているというのが現状であり、そうしたものも、今回あわせて何とかしていかなければならないのではないかということで、ここの答申全体の中で、一定の割合の比率の若手教員のポストが確保されることが重要であることを書いている。そうしたことも含め、例えば、研究拠点の採択のときに、そうしたちゃんとした助教のポスト、若手教員のためのポストが確保されているかどうかというのも1つのチェックポイントにしてはどうかみというようなことも含めて、何か支援策も講じていく必要があるのではないかということが、この報告書の中に書かれている。そこの職についた方への支援とともに、そうしたポストの確保ということについても同時に進めていきたいと思っている。
 助教のポストは、ある程度、各大学で意識的に確保するような形で進めていただくようにしていかないと、多分、ポスドクから助手になるというのが、人文・社会の分野では、もし助教のポストをキャリアポストの1つにこのまま組み込んでしまうと、非常に激烈な競争になろうかと思うので、そこら辺の各分野ごとにおける研究者数、キャリアパスというのも多様かと思うが、どういったキャリアパスを、それぞれの分野ないしは大学で考えていき、そのためにどれぐらいのポストを考えていくかというのも大学でご判断いただかなければならないところであるが、私どもとしても、できるだけそうしたものが確保できるような支援策、促進策というのを講じてまいりたいと思っている。

▲ 大学病院の問題について言い忘れていたが、国立大学のうちの半分、42の大学が大学病院を持っている。医学部があり、病院を持っているわけである。大体の大学では、予算の3分の1ぐらいを占めている。学長の先生方は皆さん一番頭の痛い問題ではないかと思う。
 それに対して、文部科学省の体制はどうなっているかというと、医学教育課の中に大学病院支援室があるだけである。これは文部科学省に対してお願いだが、大学病院の問題は大学全体に大きな影響を及ぼしかねないので、大学病院をもっと重要視して、政策の中で、そのための体制をぜひつくっていただきたいと思っている。
 特に、文部科学省には医系専門官の方がほとんどいないという現状では、厚労省に押されっ放しになると思う。文部科学省は、大学病院を国立大学経営の最大の問題と考えて、ぜひ対策をお願いしたいと思う。

○ 九州大学の例で、かなりの学部で、任期制が教員の承認を得ているということで、助手は人文系も徐々に任期制をとっているわけだが、これは全学部に及んでいきそうな傾向なのか。

▲ 違う。

○ 人文学等でなかなか同意がないというのは、どのような背景か。

▲ 人文学の方は詳しくないが、実学の世界では、ほとんど抵抗がない。任期制といっても、再任可ということと、その評価システムの中に教育も入れるということを含めた段階から、議論はほとんど問題なく了承いただいた。
 ただし、理学部については議論がかなり複雑になって、他の話が色々入ったので、結果的にまだ理学部では採用していない。だから、おそらく文化の違いがあるのだろうと思っている。

○ 学術研究を推進するという立場からは、助手とか講師、助教授というところの任期制は、ぜひ必要だと思う。若いときから、ある年限ごとにきちんと評価を受け、そして先へまた進むことは流動化、活性化ということで意味がある。私自身も、研究所の教授に現在在籍している人にも同意してもらい、任期制を導入したが、例えば、アメリカでは、一端アソシエイトプロフェッサー、あるいはプロフェッサーになれば終身雇用で、定年もないという状況をつくってきている。常に任期と評価ということで非常にリスキーなところには優秀な若者が集まらないという反省があるというようなことも考える。一言で任期制といっても、いろいろな運用の仕方も、それから制度としての設け方もあろうかと思うので、任期制が本当に学術研究の推進に、あるいは若手の活性化、流動化に役立つためにはどのようにすればよいのか。やはり十分慎重な議論、討論を深めるのが重要であろうと思っている。

○ 人文学の場合には、1つのテーマに10年も20年もかかるものだから、任期制により、研究の停滞というか、研究が阻害されるおそれもあるのではないかという危惧もある。

○ 黒木先生は国立大学がこれからどのように発展するべきかということに対して非常に大きな問題を提起されていると思う。それに対しては、どのような仕組みでそのような意見が反映されるかということは非常に重要だと思うので、ぜひここで、ごもっともという形で終わらないよう検討していただきたいと思う。
 特に、2点ほど挙げると、このまま続くと、地方の大きな大学と小さな大学との格差がますます広がるのではないかということだと思う。かつて、有馬元大臣が、アルプスの山がそびえるような形になるということが日本の大学の本当に望ましい姿だとおっしゃっていたが、私も全くそれに関しては同感である。これは、小規模な大学のアクティビティーが低下するということで、大規模な大学はそれでいいかというと、決してそうではなく、相互に連携しているものであり、小規模の大学が問題があるということは、それは大規模な大学の問題でもあるととらえるべきだと思う。
 そういう観点から、このような形の格差がますます広がるということは、果たして我が国全体の大学の在り方、学術の在り方に望ましいのかどうかといったところが、どう議論され、どうしてそれが政策に反映されるのかというところが非常に重要かと思う。ぜひ、その仕組みというのを考えていただきたい。結構であるの議論だけでいつも終わってしまうというところがあるのではないかと思う。
 もう一つは、萌芽的な研究と、成熟期の、いわゆるビジネスにも直結するような研究との両方の支援体制のしっかりした支援の検討である。先日、アブラム・ヘルシコという、去年、ノーベル化学賞を受章した人が言っていたが、彼の研究は、プロテインの分解であり、当時はほとんど注目されていなかった。全く皆が関心が持たず、おそらく通常の競争的資金でもサポートされることが困難と思われる分野である。
 ところが、それを粛々と研究し、独創的な研究へと発展した。別に特段にインパクトファクターの高い雑誌に論文を掲載したわけでもないが、ちゃんと独創性のある研究が進んでいる。このような独創性の芽を育む体制が重要であり、これは人材育成という視点からも極めて重要である。基盤経費が減り競争的資金に回せという状況になりつつあることを踏まえ、競争的資金の在り方、大学の在り方について確固をしたグランドデザインがあまりよく見えない。だから、各論的な議論も重要ではあるが、このような本質に迫るような議論も重要ではないかと思う。

○ この部会の一番のテーマは、多様な学術研究をどのように推進するのかということで、今、格差が広がると言われた格差を、何をもって格差とするのか考える必要がある。例えば、研究費の取得状況のような量的なものについて、大きなものもあれば小さなものも、それは確かに格差はあるだろうが、小さいながらも、何か特徴ある研究を推進している。だからこそ、今回のテーマのように、多様な学問分野をどのように我が国として推進するのかが課題である。そういうものはやはり各大学の工夫、特徴をどのように生かすのか、各大学、あるいは研究者が自ら工夫すべき点だと思う。それを、今度は国としては、どのように多様性をサポートしていくのか。よしんば、サイズとしては、格差があるのかもしれないが、ほんとうに発信できる新しい研究成果の蓄積ということから言えば、必ずしも量的なものでいう格差というものは当てはまらないだろうと思う。各大学がどのようにその特徴を発揮するのか、すぐれた研究者を育成するのかというところが、全体としての我々の議論の大きなテーマ、集約すべきところだと思う。

○ 大学が自ら改革をする、自ら指導性を発揮するというのはすごく重要なことだと思う。しかし、それは必要条件かもしれないが、十分条件ではなく、それを支える政策というのがきちんとしてないとやりようがないというところもあると思う。

○ 各大学の自主的な努力、そして、今度は国がその多様性をどのように支えるのかという政策をここでいろいろ考えなければいけないということだと思う。

○ このままいくと、例えば、総合科学技術会議等からも大学改革の提案等がありうると考えられるので、しっかりとした方向性を検討しておくことが重要であろう。

○ フレームワークとしては、国で多様性を確保する、あるいは支える、多様性の芽を育てるということは、あり得ると思うが、やはり研究というのは著しく個人的なものなので、どのように個人を育てるのか、大学としてくくったら格差はあるのかもしれないが、個人の研究者として見たときには、どこに属しているかということはあまり問題にならないわけなので、大学の格差をどう解消するかという方向よりも、やはりすぐれた若者をどのように育てるのか、そして、出てきた芽をどのように個人として支えるのか、どのような個人を支えるのかという、そこの仕掛けを国として考えるということだろうと思う。

○ ポスドク等々、人材が大分出てきた。職がないというのは、最近、非常に大きい問題になっているが、この中で、我々私学の方も大分いろいろ検討したが、やはり受け皿、教職につきたいという人は多い。研究者としても、その後もやっていきたいというときに、適切な職場として、量的には私学というのはある。ただ、私学に行って、本当に今までやってきたような研究ができるのかと言われると、なかなか難しい面もあるかもしれない。私学は教育の方に主に展開していくという人ももちろんあり、それでいいわけだが、ベーシックには、やはり私学に所属しても研究がある程度できる環境等は重要と思う。私学が1つの大きい受け皿になっていくであろうという議論を、今、かなりやっていた。
 私学の中ではそういうことをやってきたはずだが、受け皿として認知されるのかという意味で、若干ベースをどのように作ったらいいのかというようなことを、その作り方、協力の仕方等を考えなくてはいけないと考える。

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研究振興局振興企画課学術企画室

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