学術研究推進部会(第5回) 議事録

1.日時

平成16年12月24日(金曜日) 13時30分~15時30分

2.場所

霞が関東京會舘 「ゴールドスタールーム」

3.出席者

委員

 笹月部会長、石井部会長代理、飯吉委員、井上孝美委員、伊賀委員、甲斐委員、伊井委員、稲永委員、井上明久委員、海部委員、川合知二委員、坂内委員、玉尾委員、外村委員、中村委員、仁田委員、平山委員

文部科学省

 清水研究振興局長、丸山大臣官房担当審議官、小田審議官研究振興局担当、村田科学技術・学術総括官、河村政策課長、森振興企画課長、芦立学術機関課長、甲野学術研究助成課長、小川量子放射線研究課長 他関係官

オブザーバー

 末松会長、小林会長代理、小平分科会長、池端分科会長代理、川合眞紀委員、郷委員、垣生委員、有川委員、小幡委員
位田科学官、加藤科学官、藤井科学官、山内科学官、吉田科学官
(科学官)
 清水科学官、高埜科学官、本藏科学官、山本科学官

4.議事録

(1)学術研究における多様な分野の総合的な推進方策について

資料2-1~2-6に基づき事務局より説明の後、意見交換が行われた。その内容は以下のとおり。
(○・・・・委員、科学官の発言 △・・・・事務局の発言)

総論:審議事項(案)について

○ 資料2-1の「1.審議事項」の上から5つ目に「大学改革への対応」とあるが、対応する主語は何を想定しているのか。主語が学術研究なのであれば、学術研究のために大学改革あるいは法人化というものがどうあるべきかと問題を立てなければならないのではないか。大学法人化をやっているので学術研究をどうやろうかと考えられるのは、話が逆であるという気がする。

○ 現在の時点の話はこれからの進め方ということだが、この主要な論点ということについて、やはりこれがもしも全体のストーリーをつくるとすれば、若干申し上げたいことがあるという気がする。
 「学術研究の在り方」の部分であるが、ここで言われていること自体は大変大事なことである。特に、学術とトップダウン型の国策的な科学技術の違いを明確にしていくことは非常に大事なことであるが、「違いと利点」という部分が引っかかる。学術研究における利点をトップダウン型の研究の利点と比較するのは、視点としてよくない。その重要性は、本質的に違う面がある。
 もう一つ、今後のビジョンという点であるが、これも重要なことである。しかし、50年後、100年後のビジョンを考えるのは無理である。天文学は、随分先を見なければいけないが、そこから見ても、20年以上先を我々は見通すことができるだろうか。地に足のついてない議論ばかりしていても仕方がないので、むしろ10年後、20年後を考えることが大事なのではないか。

○ 各審議事項の議論を始める前に、意見があれば、どうぞ。なければ、ただ今いただいたコメントを踏まえて、議論をスタートしたいと思う。

(「異議なし」の声)

各論:「学術研究の在り方」について

○ 学術研究、ここには「研究者の自由な発想に基づく」というキーワードが出ているが、我々の持っている遺伝子で決まった知的好奇心というのが、まず第1であろう。もう一つは、人類の将来が安寧であることを目指した目的指向型の研究であり、大きくその2つに分けていつも考えている。
 では、知的好奇心といった場合にその対象は何かというと、人類共通して、人間自身に対する興味と好奇心というものが一番強いのではないか。人間を理解するためには、生物を理解しなければいけないし、無機的な地球上に誕生した原始生命から人類までの進化についても理解しなければいけない。一方では、地球にどのようにして生命が誕生するのか。地球とは一体何か、太陽とは、そして宇宙とは一体何だろうという宇宙に対する好奇心が、非常に大きいのではないだろうか。人間の理解、宇宙の理解、そして人間活動の総和としての歴史の理解、この3つが非常に知的好奇心をそそるテーマであろう。
 教育という観点から見れば、大学を卒業した人は、人間の理解、宇宙の理解、歴史の理解をまず基盤として身につけなければいけないのではないかと思う。だから、大学の学長が代わるたびに大学へ伺い、必ず人間の理解、宇宙の理解、歴史の理解を学生が身につけるようにお願いしたいと申している。どの学長も、それは大変結構なことであり、ぜひそうしたいとおっしゃるが、その実行はなかなか難しいというのが現状である。
 しかし、人間ということをターゲットにすれば、すべての生物学的な研究はそこに集約することができるし、宇宙の理解のための研究には、数学や物理、あるいは工学という科学をすべて集約することができる。また、人間活動の総和としての歴史とすれば、その研究には、すべての人文系の学問は集約することができるのではないかと思うので、いつもこの3つを中心に据えながら考えを進めている。だから、しばしば自然科学に重点が置かるが、人文系もぜひここで考慮すべきことだろうと思っている。

○ 今の3つの切り口については、賛成である。それに、つけ加えたいという観点である。科学技術と学術とは違うという意見もあるが、学術に対して、国民が尊敬の念を抱くということが国として大事であり、そういう意味で非常にわかりやすい言葉で言うと、とにかく尊敬されるような科学をする。それと同時に、役に立つような学術の発展も、国民から見て、学術が全く独立するものではないという意味で大事ではないか。さらに、それらをつなぐような新しい学術の在り方も必要である。3つの切り口と、ある意味では縦糸と横糸であるが、必要だと思ったので少しつけ加えさせていただいた。

○ 知的好奇心の対象として、人間、宇宙、歴史の理解という話があったが、それに自然の理解を加えていただきたい。今、環境問題が非常に重要なテーマになっているが、子供達から現在の社会生活まで考えてみても、自然に対する理解の足りなさが環境問題やその他の課題になっているのではないか。放送大学でも、人間の理解や自然の理解というのを教養学部で柱を立てている。自然に対する理解を加えた4つの理解というものが、知的好奇心として科学技術全体を考える場合の基礎的なことになるのではないか。
 それから、理科教育の重要性は従来から言われているが、今後とも理科教育を初等中等教育段階から十分に実施することは、いかに科学技術が人類の発展に貢献しているかということについての理解を深めさせる上でも、非常に重要ではないか。

○ 先ほどの話は、学者や科学者から見ると当然そうであるが、別の側面もないといけない。
 基本問題特別委員会で議論したことでもあるが、やはり好奇心、理解の科学というのが第1にある。これは、国民の皆さんがなぜだろうということに答える義務が、科学者にはあるということである。第2は、私は工学の研究をしてきたが、工学には新しいものを生み出すという部分がある。これは理解を越えていて、全くないものをつくり出す。文学も同じであると思う。永久に待っても自動車やテレビというのは出てこない。それらは、人知でつくり出したものであり、創造する部分である。第3は、法律も医学も、安寧で世界中の人たちが幸福に生きるための学術である。この3つがないといけない。好奇心から発してずっとつながっていく一つながりではなく、この3つの並列の学術があってしかるべきである。
 最後に、この3つに共通することであるが、学者のための学術そのもののためではなく、人々のため、フォー・ザ・ピープルというのがないといけない時代であると思う。

○ 最初に申し上げた知的好奇心とは、学術研究の中の1つの柱である研究者の自由な発想に基づく部分を強調して申し上げた。その学術成果から出てきたものを利用した新たなものの創造は目的指向型の学術研究であるが、少し誤解があったかもしれない。

○ もう一つ強調したほうがいいと思うのは、21世紀は20世紀までと全く様相を異にしているということである。1日に百種類ぐらいの生物種が絶滅しているという状況であり、来年の2月16日には京都議定書が発効する。まさに我々人類は、地球の限界に直面している。
 最近『ネイチャー』に載った論文には、グリーンランドの氷床が、年間の平均気温が3℃を越えると全面融解に至ってしまうとある。その結果、世界の平均海面水位が7メートル上がることになる。最近のコンピュータシミュレーションによると、おそらく21世紀中、特に2050年前に全面融解の可能性もあるという結果が出てきている。
 そういうことを考えると、環境ガバナンスというか、あらゆる意味でガバナンスとマネジメントが重要になってくる。そのために、我々の人知の限りを尽くして、あらゆる学問を動員していかなければならないというのが、今世紀の重要な課題になっているのではないか。

○ 基本問題特別委員会の「これからの学術研究の推進に向けて」の議論の際に非常に興味深かったのは、学術研究に対する定義がほとんど全員違っているということである。問題を解決するためには、そのものに対する定義や実態をはっきり認識することが重要である。
 また、1つの研究テーマという点から考えると、何かスタティックなものがあるというよりは、例えば最初はボトムアップ的に知的好奇心から始まり、それがだんだんと発展していき、ある段階になると、非常に競争が激しく施策的にはトップダウンでやらなければいけなくなり、またそこから別の萌芽的なものが出てくるという時間発展をたどる。ここでの議論は、ボトムアップ的なものを非常に重視し、そこをいかにサポートするかということであるが、それだけではなく、1つの研究テーマがいろいろダイナミックに変わっていくプロセスを念頭に置いて議論しなければいけない。

○ なぜ我々が知的好奇心にとらわれていて、社会の人たちも知的好奇心を共通に持っているのか。そのことは、人間の幸福の追求ということと実は分離していない。人間は好奇心によって世界及び自分を理解することでここまできた動物であり、それからは絶対に離れられないだけでなく、常に理解したいという衝動を持ち、そのことによって、さらによりよく生きることができるので、この2つは非常に密接につながっている。科学というのは知るということである。その科学と言われるものが、日本では幸か不幸か学術という言葉に入れかわっているので、話が混乱しているように思う。やはり科学というのは知ることであり、技術はつくることである。この2つが一緒になって、今の社会を大きく変えている。天文学も、すばる望遠鏡という巨大な技術がなければ進まないし、技術で新しいものをつくろうとしても、物質に対する科学的な理解がなければ進まない。この事実を踏まえながら、我々は世界を知る必要がある。環境の問題も同じである。我々は、自分達がいる世界を知る必要がある。それは、環境を理解するというのと全く同じことであり、自分達の生存を脅かすような状況をいかに理解するかということが非常に重要になる。例えば、フロンは何の害にもならないと思われてきたが、追求していくとオゾン層破壊という問題につながっていることがわかった。これは、科学者でなければ絶対にできなかった仕事である。このように、不思議に思い、理解したいという遺伝子による知的好奇心は、人類の幸福の追求ということと表裏一体を成しているものであるので、宇宙か自然か人間かということではなく、宇宙の理解でも世界の理解でも構わないと思う。
 そして、長期的なことを考えるならば、21世紀という時代は何なのかという視点がやはり必要である。20年先のことを考えるのは難しいが、21世紀は人間による活動が自然の復元力のタイムスケールよりも短くなるような時代になるとすると、科学あるいは技術というものが人間に対してどういう責任を負うのかということを突きつけられる。科学や学術を議論するときに、避けて通るわけにはいかない点であろう。
 最後に、指摘のあったとおり、学術の定義がばらばらなままでは議論ができない。それをベースにして、学術とは何であるのか、学術に対立する概念とは何かということを明確にしないと、基礎研究は応用のための研究という捉え方が広がってきている状況の中では、混乱するばかりではないか。

○ 学術や科学がどうなのかというのは、だんだん集約していけばいいことで、あまり最初から定義を決める必要はないのではないか。
 それよりも、今までに欠けていることは、科学や技術が一般の人々にとって、ブラックボックス化してきておりわからないということである。例えば、環境や農学の分野では、農民達と一緒に新しい品種をつくっていくという住民参加型、農民参加型の研究が出てきている。学術研究についても、学術研究の進め方という中に、一般の人々も入っていくような仕組みを考えていく必要があるのではないかと思う。

○ 社会科学者としてこういう議論を進めるときに、どういうことを考えたらいいかということを一言申し上げたい。
 学術研究の理念論のような話があり、その次になると、予算というすごく現実的な話になるのだが、それが一体どうやってつながるのかという話に結局なっていく。つまり、方法的にきちんとした形で議論をするためには、ある意味でこういう科学技術システム論という専門的な知識が発展していないといけない。そういう分野で活躍している研究者がどれぐらいいるかわからないが、そういう専門的な知識をある程度参考にしながら議論を進めることが必要なのではないか。科学や技術の社会的インパクトが非常に大きくなってきたのだから、素人論ではなく専門的な議論を学術的に進めるということをやりながら、議論をしたほうがいいのではないか。

○ 情報分野は社会や産業界に比較的近いところで議論をしている。そうすると、かえって学術研究にしかできないことは何か、そういう意味での本質というのが見えてくる。
 1つは、我々が自由な発想に基づくといっている研究は、社会や産業界から見ると、何が出てくるかわからない魅力があり、そういう新奇性に大きく期待されている。もう1つは、国際競争の中での技術ということを考えると、短・中期的な視点での競争ではやっていけないので、それぞれの限界をどう突破するかということに大きな重要性を感じ、そういう面でも学術研究に対して期待をしている。これは、必ずしも応用のための基礎研究を求めているのではない。学術研究の本質は、やはり他の分野ではできない限界を突破すること、あるいは他の分野ではできない変わったものを提示するということが大きなポイントである。
 21世紀においては、グローバルな競争と協調の関係の中で、学術研究の本質というものを、ある種の重みを考えて議論したほうがいい。

○ 知的な面を強調されると違うかもしれないが、知的資産の形成は、施策や学術政策の立案であり、目的志向型の基礎研究であるとしても、途中からは研究者の自由な発想に基づく学術研究に取り込まれていくと思われる。定義として、自由な発想に基づく学術研究と、目的志向型の基礎研究的な研究を完全に違うものであると決めてしまっていいのか疑問である。このあたりの取り扱いをどのように整合させていくかも重要である。

○ そのように決めつけたりすることはないと思う。先ほども意見が出たように、非常にダイナミックなものであり、知的好奇心に基づいているものが、ある時、大きな応用あるいは創造を生むこともあるし、創造や技術を目指した研究から思いもしない根源的なものの理解ができることもあるので、そこはあまりこだわる必要ないと思う。
 いろいろ意見を賜り、今後の理解あるいは議論の進め方が少し見えてきたような気がする。その中で、1つは自然界や物事の解明と理解、もう1つは創造や技術開発、そしてコントロールやガバナンスという3つの視点も、今後議論を進めていく上でのありようだと思う。

○ 研究者コミュニティの参画について、非常に興味あるところであるが、現在はその制度がないという理解なのか。あるいは、制度はあるがうまく機能していないという理解なのか。どちらの立場に立脚した文章なのか。

○ どういう制度があるのか把握している研究者は、非常に少ないと思う。どれだけの制度があるか理解していないが、実際に研究成果の評価の場に出席してみると、そもそも大きなプロジェクトがどのようなプロセスで決められたのか、その推進について責任を持っているのは誰かということが、よく分からない。

○ とても重要なテーマである。プロジェクトや学術研究の方向性の立案において、研究者コミュニティ参画は必要である。ただ、仕組みはあるがうまく機能していないという理解であれば、何が阻害になっているのかということを一度洗い出してみなければならないし、それは非常に外からであると見えにくい。運営の仕方が悪いのであれば、その運営の仕方を改めるやり方があるだろうし、そういう制度がないのであれば、仕組みをつくっていかなければならない。その辺をもう少しはっきりさせて、いろいろな意見をいただき議論してもいいと思う。

○ 大型の予算が配分されるような場合には、それがどのようなところから発して、どのようなプロセスで決定され、どのように推進していくのか。どのような体制があるのかということは、事務局で整理して提示していただくことはできるか。

△ 文部科学省としては、科学技術・学術審議会という場がまさに研究者コミュニティの意向を伺う場である。学術研究推進部会もその中にあり、学術の部分について具体的な議論をいただいているという認識を持っている。
 それ以外であれば、本日もご参加いただいているが、非常勤ではあるが科学官という形で、学術関係者の方々にお願いをして文部科学省に来ていただいている。
 さらに、文部科学省ではないが、日本学術会議でも議論をされていることもあるし、あるいは学協会のような場所で各分野の方々の意見があるということも承知をしている。それらの意見が十分施策として反映できているのか、あるいは足りない点があるのか、そういったような問題意識であろうかと思っている。

○ ここでの学術政策の立案というのは、文部科学省に限るということなのか。国としてということなのか。

△ もし提言いただいても、私どもで実行可能なのは文部科学省の範囲ではないかと思っている。

○ 確かに組織としてはそうだろうと思うが、研究者コミュニティが存在しているのかどうかというのは非常に疑問である。人文科学の分野では、研究の進展とともに非常に細分化しており、多様なニーズがある。今の審議会や科学官のところにどれだけ反映され、学術研究が日本全体でなされているのかということが非常に問題であろう。やはり、一般の研究者とはかなり乖離しているところがあるのではないか。我々も研究者コミュニティとは何なのかということを真剣に考える時期に来ているし、先ほどの学術とは何かということも考えていかなくてはいけない問題であろう。

○ 日本における研究者コミュニティは、分野によって非常に違いがある。例えば、大型の加速器や望遠鏡をつくらなければいけないときは、コミュニティの研究者が一致団結しなければできないので、必ず研究者の中での議論を重視し、何年も積み上げた結果を文部科学省に要望として出す。先ほどの文部科学省の制度については、そこから先の話であろう。だから、国として要望を受けた後、どのように評価し、どう資金を配分していくのかという面と、その前のコミュニティでの議論や集約はどうなっているのかという面の両方が必要である。天文学に関していうと、コミュニティの理論を集約する際に、日本学術会議の研究連絡委員会が決定的な役割を果たしてきている。今度の日本学術会議の改組で研究連絡委員会がなくなるため、研究者は非常に困っている。日本学術会議の改革は、そういうコミュニティの意見をまとめて反映させていくということが念頭にあるのかどうかすらよくわからない。コミュニティを壊しかねないような動きにもなっている。やはり、コミュニティというのは何なのか、どういう意向がどういう場合にどのように反映され、その必要性はどうなのかということは調査して、分野ごとの違い、あるいはその特性も踏まえながら議論をすることは非常に重要なことである。

○ そういうシステムがあり、我々自身がそこに属している場合もあるということであるが、それらの機能の仕方、あるいは、入り口から出口までのどの部分を担当しているのかということも問題になると思うので、そういうシステムについて資料をいただき、検討してみることも必要になるだろう。

○ 総合科学技術会議についても、日本の学術政策の立案にどれだけの影響力があり、どういうことをしているのか。それは、我々の提言がどのように関わっていて、向こうと意見が違った場合にはどうなるのか等を含めて、もう少し整理していただけると話がしやすい。

○ 私は中央環境審議会の委員をしており、以前は産業構造審議会の委員をしていた。委員の構成を見てみると、科学技術・学術審議会学術分科会は非常に特徴的なことがある。それは、学問分野の頂点を極められた方がほとんどであるということである。例えば、中央環境審議会の場合は、様々な社会のステークホルダーが代表としていらっしゃる。その辺が若干違うのではないか。学術研究の進め方についても、多様な社会の主体の意見が反映されたほうがいいのではないか。

○ 最終的には学術研究というのは、何らかの形で社会への有用性がある。それがいつの時点かわからないし、ものすごく長期にわたるかもしれないが、最終的な結果としてはそうなると思う。ただ、社会への見え方として、長期的にではなく比較的すぐに成果が見え、こうなれば世の中がよくなるとすぐ言えるようなものから、今はわからないが、かなり長期的に見て、後からものすごい研究であったと言えるものとがあり得る。そこが、評価の難しさであり、社会の方の意見を聞く場合にも、非常に難しいところではないかと思う。そうかといって、研究者だけの頂点の固まりのようなものをつくっても、そこだけでは、なかなか難しいものがある。しかし、先ほど申し上げた性格上、そこに直ちに市民代表を入れてつくればよいというものでもないので、国民に常に開きながら、理解をしてもらいながら進めるということが大事なのではないか。学術研究というのは、そういうものであると。予算の使い方というのは様々であるが、こういう使い方もあるということをある程度国民に説明すれば、わかっていただけると思う。したがって、研究者のコミュニティは透明な形で置き、国民に見えるように常に開いていく。そういう姿ではないか。

○ もし本当に遺伝子で決まっているとすれば、誰にでも知的好奇心はあるので、自分自身が明らかにしなくても、科学者が明らかにしたことを知るということは、国民にとっても喜びであり、興奮すべきことである。そういう科学者による説明は、タックスペイヤーとしての国民に対する説明という意味もあると思う。アメリカやイギリスにおいては、例えばBBCのプログラムを見ても、サイエンスの見事なプログラムができていて、非常にわかりやすく興味をそそるものがたくさんあるので、そういう努力を日本でもやらなければいけない。雑誌にしても、『サイエンティフィック・アメリカン』などは非常にわかりやすく見事な雑誌であり、日本においてももう少し進化しなければいけない分野であろう。

○ 学術政策の立案と研究者コミュニティの意向ということで今議論が展開されているが、学術政策の立案はどこで行うのかということが疑問である。
 例えば、21世紀における学術は何かということを考える際に、限界というのが1つのキーワードとして出てくるという話があった。この限界を解決していくということになると、非常に多くの政策立案が絡んでくるが、それをどうやっていくか。科学技術・学術の国際的な活動をどう展開していくのかという問題においても、政策イノベーションがない限り無理であるという部分が出てきている。先ほどの事務局の説明では、学術政策の立案は文部科学省でやるということであるが、何か風通しのいいものにしない限り、本当の意味で日本の学術研究が新しい方向へ向かっていく、ましてや、安寧につながるような、社会が求めるものにつながるようなことは、求められないのではないか。研究者自身の側に問題があると同時に、政策立案の側にも考えなければならないポイントがあるのではないか。

○ 実際に研究者がフランクに議論しているときは、省庁の壁のようなものは一切関係なく、心から学術はこうあってほしいということを議論している。先ほど、総合科学技術会議との関係も整理されるのかという質問があったが、そこは非常に大事な部分である。最終的に国としての方針を決めているのは、この部会だけではない。ここで議論したものが、一体わが国の政策の中でどういう位置に置かれるのかということが、最近見えなくなっている。学術研究の在り方といったときに、今のここでの議論は文部科学省に限定されたものだけでなく、もっと広い意味での学術研究の在り方を議論している。文部科学省から上げていくものが、文部科学省だけに当てはめられるということならば、ここでの議論についても、大学や文部科学省に当てはめられるものと、もっと広く考えなければいけない総体的なものと、その範疇を意識して整理されたほうがいい。

○ 文部科学省の研究をいろいろなところが担っているが、もう少し具体的な研究の在り方から議論したほうがいいのではないか。例えば、現行の全国共同利用施設で全国共同利用機能が果たしていけるのかというのは深刻な問題であり、必要でないなら悩む必要もないが、一方で予算を減らされてきている。今、学術研究の在り方というのを議論されているが、それを深めるためにも、例えば次の「研究費・研究環境・研究基盤の改善」のところとも合わせて議論していただくと、より具体的な議論ができるのではないか。

○ 「これからの学術研究の推進に向けて」を取りまとめたときに、非常に似た議論をかなりの時間をかけておこなったが、依然としてこれですっきりしたという状態にはない。具体的な問題と概念規定のような問題と両方あり、概念規定の議論ばかりだと具体性に欠けるということがある。先ほど、市民の多様な層の参加という意見があったが、学術分科会では幸いなことに新聞記者の経験がある方もおられ、そういう意見も入ってはいる。
 今の学術政策の議論で少し懸念することは、中央教育審議会の議論が最近あったが、大学院について研究と教育を分離して考えると、教育という側面が非常に強く出てきていることである。ところが、実際の基礎的な研究の現場である主たる担い手の大学というところは、特に研究をかなり進めている大学では、研究と教育は表裏一体のところがあり、高等教育政策と学術政策がばらばらに議論されると、非常に困ったことになる。この点は、今後ぜひ留意願いたい。

○ 本日の「学術研究の在り方」の議論は、これぐらいにさせていただく。学術研究体制をどのように整備するかなど、この「学術研究の在り方」の中だけでは議論できない問題もあるので、学術研究のそもそも論を踏まえて、次回からそれぞれのテーマについて具体的に検討を進めていきたい。次回の検討の進め方については、事務局とも相談しながら、最も効率のよい方法を工夫したいと思うので、次回以降について事務局からも説明願いたい。

△ 次回の議題は、具体的なテーマとして「研究費、研究環境・研究基盤」について議論をいただきたい。次回は、第二期の最後の部会になるので、これまでの審議状況についてまとめさせていただき、学術分科会に報告し、第三期でも引き続き議論していただきたいと思っている。

(2)第3期科学技術基本計画に盛り込むべき学術研究の推進方策について

 資料3-1~3-4に基づき事務局より説明の後、意見交換が行われた。その内容は以下のとおり。
(○・・・・委員、科学官の発言 △・・・・事務局の発言)

○ 資料3-1の検討課題の4つ目に、「国際競争力のある優れた研究拠点の整備方策」とある。国際的な観点で言えば、いかに外国から信頼される学術研究を行えるか、その信頼というところが欠けている。目指すべき方向として、競争力で外国に負けない優れたものをつくると同時に、とりわけアジアの中でどれだけ信頼感を獲得できるかといった観点を、前半の議論においても、この議論においても忘れてはいけないのではないか。

○ 信頼とは、どういう観点から見た信頼か。

○ 学術研究の内容が危険性を伴うものがあるのではないかという見られ方であるとか、あるいは、人文科学の世界で具体例を申し上げると、韓国には朝鮮総督府の文書がたくさん残っているが、実は関連したものが日本にもある。台湾総督府のものについても同じであり、台湾にも残っているが日本にも残っている。最近、日本と韓国で、その歴史情報資源を共用化する取組みを始めた。韓国では、そういう文書を整理し、既に総督府の資料についてはデジタル化してインターネットへの掲載が進んでいる。それは、日本の研究者も利用することができる段階になっている、一方で、韓国の研究者が日本にある総督府関係文書を利用できるかというと、日本に来ても利用できない。行政や法律の壁があり、それらがうまくクリアできたとしても予算とマンパワーが必要であるが、日本でもデジタル化して、韓国の研究者が韓国にいながら日本にある朝鮮総督府文書の研究ができるような共用化ができればいい。残念ながら、日本は大変立ち遅れている。研究を進めていく方向性に、他の国より勝つということも大切だが、いかにともに進んでいけるか、そのことによって相互の信頼関係がどれだけ生まれるか、その観点について申し上げたかった。

○ 資料3-1にある項目で、非常に気になることがある。今後の日本の学術研究を考えた場合に、重点化を図ることによって、重点4分野などだけに予算が配分されるのでないかという懸念が、第2期にも随分あった。COEとネットワークという言い方をしているが、拠点があると同時に、全体的に底上げするという観点がよく抜けてしまう。「基礎研究の推進」と1項目にはあるが、優れた研究拠点の整備、重点化と同時に、多様な研究を支えるような底上げについては、ぜひとも入れる必要がある。

○ それが、2項目の「研究の多様性の確保」ということであろう。一方で、国際的競争力がなければ意味がない。それが必須であることは論を待たないところだろうと思うので、どのようにして多様性を確保するのかが工夫の必要な大事なところであろう。一言で多様性の確保といっても、現実的には難しいので議論を尽くして工夫をしなければいけない。

○ 多様性だけという問題ではなく、ある極端な重点だけではない底上げという意味である。

○ 資料3-1の検討事項の一番下「学術研究の評価、成果公開の具体的方策」は、第2期の科学技術基本計画でも謳われている。研究者が尊敬されるためには、一般社会の理解が欠かせないが、一般の人たちにどうやって学術研究の内容やその方向を理解してもらうかということは、第2期の5年間でもほとんど進んでいない気がする。だから、市民参加という言葉は非常に難しいが、学術研究者コミュニティ以外の方がどうやって参加するかも含めて、もっと具体的に書き込めるのであれば、書き込んだほうがいい。もう具体論に入る時代ではないかと思う。

○ 「基礎研究の推進」は、第2期科学技術基本計画でも重要政策の1番目に挙げられているが、重点4分野が非常に表に出てきてしまっている。第2期において基礎研究の推進のために具体的にどういう施策がとれらていたのかということを、わかりやすく示していただければ議論がしやすいように思う。第3期にも、ぜひそういうことがうまく活かせるようにお願いしたい。

○ 資料3-4の説明で、人文科学のみに係るものは対象から外されているということであったが、文化や文学というのは、人間ということをこれから考えていく上で極めて大事なことであると思うので、そういうことをいかに救っていくかという視点を入れていただくことを強く主張したい。

○ 外枠になったのは、総合科学技術会議での決定、議論の結果ということか。

△ 科学技術基本法という法律があり、この法律事項として人文科学のみに係るものを除くとある。これを改めることは、かなり大変なことである。

○ これはあくまでも科学技術という枠の話である。学術というものが、この中にすっぽり入るわけではないはずなので、先ほども議論があったが、科学技術と学術の問題というのは、きちんとしないといけない。
 その関係では、資料3-4の10ページに「わが国の科学技術・学術行政体制」の図があるが、ここでは文部科学省と大学・大学共同利用機関等が全部総合科学技術会議のもとに入っているようになっている。こういう流れを書くと、人文科学のみに係るものは除くこととなり、これは学術行政体制の図ではない。その辺も今後クリアにしていただきたい。

○ 資料3-4の8ページの下の枠内に、「科学技術は、その対象により、自然科学に係るものと人文科学に係るものとに大別される。」とあるが、これは修正する必要がある。

○ 国際性の観点から国際競争力について書かれているが、もう1つ大事な視点として、わが国が国際的なイニシアチブをとるということが挙げられる。例えば、国際的なレベルでの支援をする。特に、アジア諸国に対する日本の科学技術分野でのリーダーシップをどう発揮し、どういう支援をしていくか。そういった国際支援や連携の視点も大事であると思う。

○ 進め方についての質問であるが、1つは、本日の前半で議論したものと、今の議論はどういう関係になるのか。もう1つは、前半の議論と今の議論の関係にもよるが、前半の議論は来年7月を目処にまとめようとしているとのことである。この時期的なことについては何か考えがあるのか。それから、科学技術・学術審議会基本計画特別委員会は、この第3期基本計画を策定するのに非常に重要な議論をすると思うが、学術研究推進部会の意見は基本計画特別委員会にどのように反映されていくのか。

△ 第3期科学技術基本計画は、総合科学技術会議の議を経て、平成17年度中に閣議決定することとなる。そのために、総合科学技術会議に専門調査会が設置され、12月20日から議論が始まっており、6月まで議論されると聞いている。
 文部科学省からの意見を反映させたいということであれば、それに先んじて議論が必要であるため、9月に科学技術・学術審議会の下に基本計画特別委員会が設置され、現在までに5回の審議がされており、春ごろまでに意見をまとめる予定とされている。
 その基本計画特別委員会に、学術の分野で特に盛り込んでほしいことがあれば提示していきたいということで、ご審議をお願いしている。今回と1月11日の部会、そして1月17日の学術分科会でご審議いただき、まとまれば、その時点で基本計画特別委員会に提示していきたい。

○ 今の議論に関しては、あと1回議論して終わりということか。

○ しかしながら、議論はその後も進め、最終的にはまだ反映できるであろうと理解してよろしいか。

△ 前半の「学術研究における多様な分野の総合的な推進方策について」の議論は、長期的な課題として取り組んでいただいているが、今議論していただいている「第3期科学技術基本計画に盛り込むべき学術研究の推進方策について」は、部会の議論としては次回で締めさせていただくつもりでいる。しかし、前半の議論をしていただく中で、まだ事務的にも総合科学技術会議に提案できる場があれば、積極的に出させていただくことも考えている。

○ この部会の議論を踏まえて、1月17日の学術分科会で何らかの文書を取りまとめるのか。

△ 今日、議論の時間があまりたくさんとれなかったので大変恐縮であるが、次回までに部会で議論いただいたものをまとめをさせていただき、それをもとに分科会で議論いただくということを予定している。

○ 何かを取りまとめるとするならば、今日と次回だけというのは非常に心もとない。今日の議論を考えると、部会長の他に何人かの委員にお願いして作業部会のような形で、一度事務局と一緒に整理をする作業をおやりになるのはいかがか。部会長の判断によるが。

○ 今日は、わずかの議論しかできていないので、事務局と相談させていただき、次回の議論が効率よく進むように検討事項をもう少し整理したものを、前もって提示できるよう準備をさせていただきたいと思う。

(3)その他

 特別教育研究経費について、資料4に基づき事務局より説明が行われた。

5.今後の日程等について

 資料5に基づき今後の進め方について事務局より説明があった。
 また、次回の学術研究推進部会は1月11日(火曜日)15時~17時に開催予定の旨、事務局より連絡があった。

お問合せ先

研究振興局振興企画課学術企画室

(研究振興局振興企画課学術企画室)