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○ | 共同利用研究所長懇談会のご意見だが、1つは、4ページに、集中配分方式と再配分方式ということのご提案があるが、これは現在行われているものにプラスをして新たな措置を講ずべきであるということなのか、現に行われているものを基本として、それを維持発展させるべきであるということなのか。
それから、第2点は、共同利用関係の経費というものを確保することが非常に重要であるということで、(共同利用関係の経費が)共同利用研究施設運営費、あるいは附属施設経費の中に含まれているというご説明だったが、どの種の経費が共同利用ということで、はっきり目的設計を持った予算措置として現在計上されているかということを事務局に教えていただければありがたいと思う。
それと関連して、文部科学省、高等教育局、あるいは関係機関のほうで、運営費交付金の試算を、算定基準の案はまだ未定稿のようであるが、国大協にお示しをしたとも伺っておるのだが、その考え方とご主張とがうまく整合するものになっているのかどうかというのが1つの論点ではないか。
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○ | 配分の仕方については、これは現状というよりは、むしろ現状をベースにしてどうあるべきかという、各機関からのご意見をいただいたものを整理したものである。
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△ | 共同利用の経費の積算等については、必要になったらお出ししたいと思うが、研究所の規模、実際運転されている装置等によって、同じ共同利用のための経費といっても、積み上げに相当差がある。特に最近は、いわゆる部門省令というものがなくなったので、基本的には、教官当たりの数字というものをベースにして、それに必要な装置、それから、運転のための光熱水料等について積算して出している。
さらに、共同利用の研究所については、各大学からいろいろ共同研究のテーマを募集して、それを研究所に設けられた委員会、これは外部の方も入っておられると思うが、そういう委員会で審議をいただいて、採択されたプロジェクトが運営される。したがって、そのプロジェクトのための運営経費という中で、旅費、研究費などに使っていただく経費を配分しておる。
2番目のほうの国大協の今後の財務のあり方の考え方については、国大協のほうと事務的に打ち合わせを始められたということで、現時点ではまだお出しできないような状況であるが、可能な限り、次回以降出せるものについては出したいと思う。
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○ | 具体の共同利用経費の額ということではなくて、経費の性質として普通の大学附置研と違った経費の費目のようなものにどういうものがあるかということである。だから、共同利用の大型機械とかの運転というのは、それ自体共同利用にもなるだろうが、ただ、その場合でも、望ましいことではないのだが、発想としては、利用者から料金を取るというようなこともあり得ないことではないのだろうと思うが、現時点での共同利用に要する経費の分担関係についての基本的な考え方がわかると、イメージがわいてくると思うのだが。
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△ | そういう意味であると、純粋に申し上げると、共同利用の研究所については、それぞれの、現在の教員1人当たりに一定額を掛け算したものが共同研究経費という形で計上されている。これ以外のものについては、個別の積み上げであるので、各研究所によってまちまちであるという状況になっている。
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○ | 今の最後のほうと関係しているのだが、今の教官当たり幾らというようなことは、ユーザーの数とは関係ないのか。
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△ | 現在、ユーザーの数という形では積算していない。ただし、個別の大きな機械については、1個1個、個別に積算しているという状況である。
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○ | 小間先生がご紹介くださった東大の中の考え方の一番最後の5番目の研究科と研究所、研究センター等の人事交流というポイントは、附置研として大事なポイントのように思うのでお伺いしたいのだが、今後、大学の中に附置研究所を残すときに、スクラップ・アンド・ビルドの中で、人事交流、特に出向的なやりとりの比率は、理想的にはどのくらいをめどにやられるのがいいというふうに、このご提言の中では考えられたのかを教えていただきたい。
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○ | 現在でも行っているのは先端研であり、今から15年前に先端研ができた折に、7年をもって各部局から先端研に移り、また7年たったらもとの部局に戻るという人事還流システムというのを、強制的な流動性を増すために導入したものがある。これは、流動性を少しでも増すための1つの試みとして、ある程度成功したと思っているが、一方で、一律にということが必ず弊害もあるので、現在は反省もあるが、既にそういうことを実施したことがある。
それから、多くの時限を持ったセンターが、この10年ほど、たくさんできているが、必然的にそのセンターの使命が終わったときには、教員を研究科のほうに移すということはしている。
それ以外にここに書いたことは、例えば、米国の大学附置の研究所の中には、両方に籍を持っていて、半分ずつ仕事をするとか、非常にフレキシブルな(柔軟な)人事がなされている。これは、法人化後の大学において、必要に応じて入れていくべき仕掛けではないかと考えているのがこの内容である。一律に何%とかそういう数まで規定したものではないが、考え方としてこれをもっと進めるべきだということを書いた。
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○ | 人事交流等も非常に重要なことだが、大きな問題は、研究所だけでは成り立たないことである。人事(を決定する単位は)はおおむね学部であるので、学部の了解がないことには進まないから、研究所と研究室だけではできない。同分野間であればお互いに顔を知っているから何とかやれるが、学部というようなものと研究所とがぶつかると、簡単にはいかない。このようなことを考えると、独法化という一大学というものが前面に出てくる流れの中で、(人事交流が)より一層難しくなるのではないかということを私は心配している。
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○ | 一般に、流動性を増すことは必要だという議論はあるのだが、それ以上にこの議論が出てきたのは、大学院の重点化とともに学部と研究科とに相互の類似点が多くなった中で、この2つが今後共存していく形としてどうあるべきかという観点の中での議論としてである。1人の人間が、ある程度研究重点にやるべき時期と、教育をもう少し重点にやるべき時期と、その両方の機会があることがより望ましいのではないかと思われるので、そういう点で研究科と研究所が互いに、いわば半分強制的にでも流動するような仕掛けを大学全体としてつくってやっていくほうがいいのではないかと考えている。
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○ | 一大学の中で閉じている場合にはある程度やり方があるのだろうが、もっと全国的な規模で考えざるを得ないときに、違うシステムの間の人事方式が完全に独立しているために、非常にやりづらいことが現実的にある。
基本的には、共同利用研というのは全国の研究者のものだから、特定の人がそこに長く居座るということは困る。そこで、出向、少し変な言い方をすると、組合の役員のように出向制度みたいなもので、そこへ来て仕事をして、そして、ある程度たったら帰っていくということを考えて始めたのだが、やはり独立した組織であるがゆえに、出てきては戻れないというようなことが実際に起こって今日まで来ている。独法化を考えたときにも、このような交流の形態を考えるなら、制度として望ましい人事交流の仕組みをつくりつけないといけないのではないか。
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○ | 小間先生のペーパーの中でセンターについての記述があるが、センターは研究所以上に固有のミッションがある、あるいは、時限つきのものが非常に多いので、プロジェクト研究の場であるという考えが示されており、これはおそらく東大の研究センターに関してはわりあいこういうことで理解ができるような気がするのだが、これをセンター一般にこういう考え方を広げるのはちょっと無理があるのではないか。
センターというのは、いろいろな形で発展してきた。大きな要因としては、むしろ予算的に、ある研究拠点をつくる必要が生じたときに、時々の財政的な状況に基づく予算の方針とか、あるいは、政令の施設はつくるのは大変だけれども、省令だけでつくる施設は予算がとりやすいとかというような便宜で推移してきたということがあるし、時限をつけるつけないもそういうことが絡んでいることもあるので、本委員会でご検討になるときは、現時点で附置研であり、現時点でセンターであるということももちろん重要な意味を持つが、まさにこういうような性格のものはこうする、こうしたほうがいいのではないかというような形での実質的な議論をしたほうがいいのかなという感想を持った。
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○ | 中村先生のお話のあった中核的研究所・研究センターへの集中配分方式という考えの中に、例えば、研究所とかセンター群という集まり、集合体に対しての集中配分方式ということがあり得るのかどうか。情報基盤系センターというのは全国に7つあって、おのおののセンターは特徴を持ちかけておるが、その根幹とするサービスの中で、例えば、計算リソースの提供というようなところでは共通部分を持っている。そういうものに関しては集中的にということになると、7つという群をどう見るかということが重要で、全国を7つの地域にきっちり分けて、そこに対しての科学の進展のために計算リソースをきっちり提供していく、あるいは、7つのセンターおのおのに対して集中的にどこかということではなくて、7つあることによってきっちりと機能している場合に、その群に対して集中的にという発想もあると思う。7つがおのおのあって、その7つというものを1つの全体として見て、その中にきっちり7つあることが意味があるというとらえ方もしていただけると考えてよろしいのか。
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○ | ここをまとめたところの背景は、先ほど申し上げたように、現在、共同利用研究所長懇談会に入っているメンバーの考え方を整理したものであり、情報基盤系センターについてまでは考えてないが、そのような考え方もあり得るとは思う。例えば、コンソーシアムという考え方があるが、同類の研究なり、今の場合、サービスもや教育も入っているものに全体として措置して配分していくことも、その中核に配分するといことも含めて、いろいろな考え方が考えられるだろうというような意味合いをここに込めて書いている。
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○ | 小間先生のほうからのお話で、東京大学の考えの中に、大学内における全国共同利用研究所、全国共同利用施設の役割というところで、東京大学としては、全国共同利用的なものに関しては重きを置いて、全国共同利用と趣旨をきっちりと生かすような方向で、処置をなさっていくと考えてよろしいのか。
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○ | 基幹の大学としての東京大学が全大学にサービスするという、そういうことは必要だということは十分認識しているが、法人化後に、法人東京大学の中にある組織としては、東京大学の法人のために寄与するということが本来的に求められているわけだから、他大学へのサービスという分の予算措置は別途の予算措置でなされないと、その活動は十分にできないだろうということで、予算措置などの条件整備が条件になるということを指摘しているのである。
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○ | 中村先生がお話しいただいた中で6ページ、共同利用附置研における人件費を除く総予算に対する各経費の割合というところで、教育研究基盤校費、研究設備維持運営費、附属施設経費というものを、もう一度簡単にご説明いただきたいということと、それから、これは共同利用研だが、大学の附置研の場合の予算措置の現状について事務局のほうから教えていただきたい。
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○ | まず、ここで我々が分析した結果としては、特に附置研だが、教育研究基盤校費が全体として、割合としては50%以下、少ないところでは10%ぐらいのところもある。特に大きな研究設備を持っているところなどはそういう状況になっている。したがって、人件費当たりというか、教官数当たりで配分される共通的なものだけでは、全国共同利用、あるいは研究連携というようなことは維持できないのではないかというのが1点である。
それから、もう1点は、共同利用研究施設運営費、これも研究所によって大分ばらつきはあるが、これは大きな施設運営だけではなくて、プロジェクト研究をやるための旅費等のものが入っている。ただ、これはユーザーにかかわりなく教官数で入っているので、例えば、非常にたくさんの研究者が出入りする場合には、旅費も非常に貧弱なものになるから、研究費がなかなかとれないことになる。
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△ | 研究所固有のものと、大学の研究科、あるいは学部一般に措置されているものと整理をしていないのでわかりにくくなっているのかもわからないが、基本的に、教育研究基盤経費とは、研究科、あるいは学部、研究所、それぞれ先生方1人当たり幾らという形で、校費が措置されている。
このほかに、いろいろ積み上げの経費というものが研究科や研究所それぞれにある。大きな設備を入れると、当然その設備のための維持費というものがかかる。これは研究所だけではない。研究科でもそういうことがあると思う。こういうものの電気料等については、当然積み上げていく必要がある。もちろん、この前提でここには書いてないが、維持費だけでなくて、設備の導入という経費も当然り、これと連動して維持費、経費が出ている。
少し特色があるのが附属施設経費と思うが、これは研究センターを新しくつくるときに、そのセンターはどういう目的でどういうことをやるという1つの目的があり、それに沿って、附属施設を設置したときに1年間にこれぐらいの研究経費が必要であるという形で特別に措置をしているものである。そういう意味では、研究科等にはないと思う。これは数百万円から何千万円と超えるものもある。計算機センターなどにも措置されていると思う。
共同研究経費というのは、附置研究所、あるいは附属施設の中でも共同利用型のもののみに措置されているものであり、教官当たりの校費や旅費が積算されているということである。計算機や特別事業費、こういうものについては、まさに1個1個、当該研究所が、あるいは附属施設が、こういう特別な事業をやりたいというものについて概算要求があって、査定をして、特別事業としてつけるものである。そういう意味では、多くは研究所や研究施設についている。実際にどうついているかは、ここの表にあるようにかなりばらつきがあり、先ほど言った教育研究基盤校費や共同利用経費、いわゆる教官1人当たりにつくもの以外については、積み上げてやっている。反対に、研究科や学部については、学生当たりの校費というものが当然ついているが、研究所の場合は研究ということなのでこのような研究経費が積み上げられている。
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○ | 小間先生の資料の2枚目に、共同利用のところが取り出して書かれているが、東京大学でご議論されたときに、共同利用型の研究所とそうでない研究所について、性格を分けてご議論されたということか。例えば、これを逆に見ると、共同利用型でない研究所については、法人化した大学が交付金の中でやってもいいんだというお考えであるか。
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○ | 共同利用型の研究所とそうでない研究所については、そんなに区別したわけではない。ごく一般的に、共同利用ということを大学が受け持つとしたら、通常の運営費交付金の中に入れてくる形ではなかなか実現できないということを申し上げた。
第2点の共同利用の色彩の少ない研究所は各大学が持つべきかということについては、違った意見を持っている。法人に任せるべきことと、国として考えるべきこととは峻別しなければいけないだろう。附置研究所が個々の大学に附置されているということは、国として基礎科学をサポートしていく体制として、例えば東京大学においてカミオカンデの装置があるが、これが共同利用ではないとして、東京大学が持とうとした場合、東京大学のいろいろな研究科から運営費交付金の一部を削ってカミオカンデをつくろうということは大学にはできないことである。ところが、国としては、やはり素粒子科学の研究を推進していくということが必要だとすれば、その予算の枠はおのずと違うべきものとしてサポートされなければいけないだろう。そうすると、それでは、各大学にある研究所はどういう意味であるかというと、国の全体として考えたときに必要な研究を推進するもの、独立の研究所であり、他面では、アクティビティーの高い大学にいわば委託して附置をする、そういう形でお金を出すというふうに整理をしていただかないと、基礎科学を国としてサポートしていく体制は、個々の法人の大学には任せられないことだろうと考えている。
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全国研究所長会議のレベルでも、この問題をかなり議論したのだが、なぜ大学の中に研究所があるかという問題である。十分大きな研究所であるならば、独立するということが可能でないわけではないのだろうと思う。しかし、学部に比べて小さいところは、そこで後継者の問題まで含めて考えたときに、独立して(研究所としての)一そろいのものを持ち得るかというような問題があると思う。だから、そういう意味では、大学の中のいろいろなそういうファンクション、機能と共存しながら、研究所としての活動をやっていくということが非常に重要なのではないかというような議論があった。独立するということは、所長会議のような席では、むしろ否定的な意見のほうが多かった。 |