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科学技術・学術審議会学術分科会

2002/04/26議事録
科学技術・学術審議会学術分科会(第4回)議事録

科学技術・学術審議会/学術分科会
大学共同利用機関特別委員会(第4回)議事録

1. 日時:平成14年4月26日(金)14:00〜16:00
   
2. 場所:文部科学省別館(11階)大会議室
   
3. 出席者
(委員) 小平主査、末松委員
(臨時委員) 鳥井委員
(専門委員) 増本主査代理、石井(米)委員、石毛委員、井口委員、笠見委員、川合委員、北川委員、黒田委員、笹月委員、佐藤委員、菅原委員、福山委員、堀田委員、山西委員
(科学官) 井上科学官、勝木科学官
(事務局) 遠藤研究振興局長、坂田研究振興局担当審議官、磯田総括会計官、尾山政策課長、泉振興企画課長、明野情報課長、吉川学術機関課長、川上基礎基盤研究課長、田中ライフサイエンス課長、関量子放射線研究課長、藤木開発企画課長、吉田海洋地球課長、芝田宇宙政策課長、その他関係官
   
4. 開会
  事務局より配付資料の確認があり、主査より議事録案についての説明、及び堀田委員から席上にて資料が配付されている旨の紹介があった。
   
5. 議事1
  資料3(研究所の整備について)について事務局より説明があった。
  また、本特別委員会として今後どのような課題を検討していくかに関し、資料4(大学共同利用機関特別委員会における検討課題(案))、資料5(特別委員会の検討課題に関する委員の意見等について)についての事務局の説明の後、質疑応答及び自由討議が行われた。
(以下、質疑応答等において、○は委員、臨時委員、専門委員及び科学官、△は事務局の発言を示す。)

  大学共同利用機関は、これまで社会から見て、どういうものなのか必ずしも十分に分かられていないと思う。このことも一つ視点に入れておいた方がいいと思う。
  もう1点、宇宙科学研究所は、別の議論により、宇宙3機関統合という形で動いている。この宇宙研が果たしていた役割は大学共同利用機関としての役割、よい役割を果たしていたが、宇宙3機関統合により、宇宙研の機能は一応引き継がれるとは言うものの、それがどうなるかわからないところがある。その部分についての目配りはどうするのか、少々気にかかる点である。
   
  今の検討課題案では、最終的にどのような結論、提言の方向に向けて議論してよいのか、はっきりしない。
  研究機関というのは、時代時代で社会の要請によって変化していってしかるべきだと思う。重要なのは、今、日本が置かれているシチュエーションの中で、それぞれの機関が、どのような形で、大きな意味、長い意味での社会への貢献を果たしていくのかという点。人材の育成の面では、社会が望む人材の育成であって欲しいし、研究成果についてもそうだろうと思う。そのような観点から見てそれぞれの研究所の果たすべき役割を考えれば、一緒にした方がよりその役割にマッチしている場合もあるし、今のままでいった方がマッチする場合もあるだろう。最終的には、世界との競争力の中で、人材育成の面でも、研究成果の社会還元の面でもトップレベルであるということを期待したい。まとめれば、常に変わりうる部分であるが、最も根本である存在意義の部分について、整理する視点も必要なのではないかと思う。
   
  分野などによって異なると思うが、研究機関の適正規模を考える視点も必要ではないか。あまりに大きくてもいかがかということもあるだろうし、小さいと今度はやたら狭い領域になるようなこともあるだろう。
  全体を一機関にすることが理想だという意見も出ているようであるが、私にはメリットがよく見えない。岡崎機構の話を聞いた限りでは、何か地域的に近くにあったから連合できたという感じである。全体を一機関にした例としては、産業技術総合研究所があり、目的が異なる機関のものであるが、一機関にしたデメリットという議論が若干聞こえ始めている。無論メリットもあるのだろうが、そういった話があるので、産総研が1年経過して、どうなったのかという点をレビューするのもよいと思う。
   
  研究所というのは、一般的には平均年齢があまり上がると困る部分があり、人の流動性が非常に重要だと思う。人材は、社会のニーズと合わせて入ってきたり、出ていったりするわけで、そのダイナミズムがうまく働くようにするための視点も必要である。
   
  国の機関で、社会のニーズに合わせることはもちろん大事なことだと思うが、今の大学共同利用機関がどうしてできてきたかというと、ある分野の研究を国際的に維持していくためにはどうしたらいいかという研究者のニーズから生まれてきている。研究所の規模はどのくらいがいいか、あるいは大学に附置するほうがいいのか、独立の大学共同利用機関にするのがいいのかについて、そのときの社会情勢その他に影響されて、研究者コミュニティが選択して、その結果として現在の形態ができている。ここにはまだいろいろな欠陥はあるにしろ、少なくとも本当に研究者のニーズに応えるというダイナミズムが働いていたと思う。単に国全体の研究のレベルを上げるとか、そういった漠然としたものじゃなくて、ある分野の研究を進めるためにはどうしてもこれが必要だという、研究者の本当に切実な希望がこの大学共同利用機関という形で現在まで実現されてきている。そのことは是非心にとめて議論をしていただきたい。もちろん全体を一機関とすると何か新しい領域が生まれるとか、様々なことはあるかもしれないが、この面を希薄にして議論すると、随分違ったイメージになってしまうと思う。
   
  研究者のニーズ、社会的な要請と、両方当然大切であるが、一番考えなければならないのは、どのような形であれば最もフレキシブルな運営が今後可能であるかということである。フレキシブルな運営のためには、各分野ごとにあまり細かく切れてしまうことには疑問を持っている。研究の継続性は当然非常に大事であるので、あまり小さいタイムスケールで物事が変わることはよくないが、同時に長期スパンで考えてみると、研究者コミュニティ+αの全体で見たときの再配置、集中統括することを含めた再分配が可能となるような運営の単位が考えられていいと思う。何もなかったところからあるニーズに応じて新たに何かが生まれてくるときには、もちろん個別論で考えるしかないが、今、問われているのは、既にでき上がっているものを今後どう運営していくかということであるので、お互いの間で調整するような仕組みも当然必要であろうし、もっとポジティブにそれを発展させるために一緒に手をとって運営することができる組織形態が一番望まれると思う。このように考えると、恐らくあまり小さい組織単位であるのは、あまり好ましくない。分野で切るのであっても、どのような切り方をするかは非常に難しいので、これもあまり小さくせずに、なるべく大きい形で統合して動けるようにしておく方がいいのではないかと、全体論としては思う。
  一方、それぞれ非常に特色のある分野を支えている研究所であるので、独自性というものがあってしかるべきであり、全体的に統一した運営の部分と、個別論が入ってこれるフレキシビリティーを生かした形で統合していくことがよいと思う。
  あとは個々の形を想定して、メリット・デメリットを積み上げていく必要がある。
   
  大学共同利用機関ということそれ自身で、その他と区別して本当に際立った特徴を持つものであるのかという点が、依然として今一つはっきりしないために、議論そのものも今一つ明確にならない。もし大学共同利用機関というくくりをやめたときに、一体どんな議論になるのか、大もとに戻って全体を俯瞰することも、新しい方向を見るためには必要な見方ではないかと思う。
   
  大学共同利用機関は、大学附置の共同利用研も含めて、歴史を見れば明らかなとおり、いずれも、大学の研究者が研究を推進する上において、全国の様々な大学の同一分野の研究者と共同して進めていく、そういう観点で設置されたものであり、大学にまだ残っているような共同利用研究所、それから、大学から出ていって、又は新たに共同利用のために設置された機関とは、大学の人間から見ると基本的には全く同じものである。つまり、大学という小さな枠の中ではできないものを、共同であることで大きなスケールで成果が導けるような研究を推進するために設置されたものである。したがって、今回の議論をするときには、大学に附置されている研究所と大学共同利用機関は一緒に考えていかなければならないと思う。
  大学から外に出ているは、一つの大学ではカバーできないような大きな予算を使うといったファンディングの問題など、そういった点の違いだけである。そういう観点で見ると、現在の共同利用の附置研究所についても、個々の大学が法人化されて、個々の大学が互いに競争していくという観点になってしまった時点では、全国の大学の共同利用という機能は、なかなか機能しにくいという雰囲気がどうしても出てくるわけであり、ファンディングの面などで、非常に心配が生じてくる。
  したがって、新たな組織を考えたときには、その組織が、大学に附置されている研究所も含めてある意味で統一して考える必要がある。予算措置も含めて、共通に考えるようなものでなければならないと思う。その点で、個々に研究機関がそれぞれ独立に完全にばらばらに法人化されるということでは、そういった大きな視野での観点が出てこなくなるのではないかと思う。全体が一つの法人になるべきかどうかはともかくとして、今後、このような観点で検討する必要があると思っている。
   
  現在の一連の大学改革において、競争原理の導入とか、産業界の要請に応じるようにといったことが大変強調されている。そういった意味で、私は、基礎的な学術研究が危機に瀕している、あるいは黙っていたらそのような方向に向かうのではないかと、危惧している。非常に基礎的な学術研究を行うためには、我が国の研究体制、学術研究の中でどのような体制を組んだらいいのか、どのような組織が望ましいのか、そういった議論の中から大学共同利用機関や、附置研究所の望ましい姿がおのずと見えてくる、そういった議論になればありがたいと思う。
   
  大学からすると、これから附置研究所がどのようになっていくかについては関心をもっている部分であり、一つの動きとしては、大阪大学の例では、附置研究所がもう少し学生の教育にインボルブするための新しい試みをしようという動きがある。大阪大学に関する限りでは、大学院が重点化されたことに伴い、研究は研究科に完全に主体を置いてきている。それに対して附置研究所は、教養講座という形で、大学院の学生に対しては多少比重が緩い。学生の側からしても、附置研究所を少し比重を軽く見ているのではないかということで、附置研究所としては、もっと学生に対しての同等のコンペティションをしたいというのが一つの願いとなっている。このような観点で、附置研究所を改築して新しい研究科を作ろうという動きもある。その一つが今年の4月からできた生命機能研究科であり、細胞工学センターという附置研究所並みのセンターがあったのを、これを完全になくして新しく研究科を作った。これを一つのきっかけとして、他の附置研究所もそういった方向で、新しい枠組みの学生教育をしたいという一つの動きをしていて、将来どうなるかは分からないが、動きつつある。このような附置研究所と研究科との関係の在り方というのが大学では進みつつあるということは事実である。こういった動きが、大学共同研究機関と若干異なる部分ではないかと思っている。これがどういう方向に向かうのかはまだ分からないが、こういった動きも考えながら附置研究所と大学共同利用機関とのあり方を議論していきたいと思っている。
   
  今のような附置研究所の動きがあるのであれば、何のために附置研究所があるのか、少々分からない。そうであれば研究科と一緒になってしまえばよいのではないか。そこの附置研究所の意義はどこにあるのか、聞かせてもらいたい。
   
  今までは、附置研究所の意義も非常にあったと思う。一定のスペシファイされた研究について、大学の中に、学部ではない研究所としてスペシファイされた組織があったのだと思う。しかし、歴史とともに、スペシファイされた研究が徐々にダイバースしてきて、様々なところに非常に学際的な領域が多くできるようになり、少し研究所を設けた当初の目的とは変わりつつある、そのことによる動きだと思っている。
   
  大学の中に研究所がある意義、さらに、共同利用をする研究所が大学の中にあることの意義に関しては、研究のフロンティアで教育をするということは、教育を受ける学生にとっても、人材養成という点で国全体にとっても大変大きな意義があると思う。また、研究所としても、様々に活動を展開する際には若い人との議論は必須のものである。研究科というのは、基本的には従来からある学問のディシプリンに基づいて分類がされているところであるが、様々な学問の研究の発展に伴い、一般に言われるインターディシプリンは幾つかの分野が融合しているようなところで新しい発展が生まれてきている。そのような状況に対して、研究所というのは大変大きな自由度を持っていて、様々な知恵が集まるような場になれるという側面がある。そこから先に、場合によっては、そういう場をもとに新しい研究科を作る種になるということはあるかと思う。
  なお、本特別委員会での検討課題としては、大学共同利用機関の新しい制度設計に関しては、決して大学共同利用機関の中でとどまらずに、国全体の学術研究、大学等の機関における学術研究、それ全体を見渡したような、そういう視点での議論を是非していただきたい。個別に大学利用共同機関、大学附置研を分けて扱うことは、本質を見失うところがあると思う。
   
  大学の共同利用型附置研究所においては、複数の研究科から研究者が来ているということで、日頃から非常に学際的というか、新規分野の様々なディスカッションができて、そこから新しい分野で出てくるようなことを狙ってきている。既存の研究科等と大きく違うのは、複数の研究科の人が研究所に所属して新しい分野を切り開いて、また、それが全国的な共同のネットワークでやられている点が非常に重要である。「研究所が連合することの意義」の項目に書かれているが、この新規分野の開拓や学際的研究の推進については、単なる機構としての連携ではなかなかに実質的な効果を発揮することは難しく、日ごろ顔を合わせながらディスカッションなどを一緒に行う中から何か生まれ出る、そういう仕組みが今後必要なのかと思う。共同利用型の研究所が、こういった意義を高めていくためにはどういった仕組みがいいのか、単なる連携だけでは終わらない仕組みを工夫していく必要があると思っている。
   
  大学にいる研究者の立場から、今の時点で大学共同利用機関、共同利用附置研究所の問題について本質的に非常に重要だと思うことは、このたびの国立大学の法人化においては、大学間の競争によって大学の活性を高めるという観点が非常に貫かれており、それはそれで大変立派なことで、大学がそういう意味では機能することが多くなろうかと思うが、一方、同時に、そういった大学間の競争原理ではやはりカバーできない部分がある。大学では当然小規模の研究しか行えないから、日本全体の学術の推進といったことについては、決して大学間の競争ではカバーできないものである。こういった部分について、大学共同利用機関、共同利用研究所がうまくカバーすることができるようなシステムをデザインすることが非常に大事な観点ではないかと思う。
  新しい組織ができるとするならば、その組織の中では、大学間の競争ではなくコミュニティ間の競争というものが働くようなシステムが必要になるのではないかと思う。つまり、これまで、それぞれの学問分野がコミュニティとして、競争しながら研究所の設置の重要性を訴え、学術審議会(現:科学技術・学術審議会)のレベルで日本の学術全体を見てバランスをとって推進してきたが、そういったコントロールがきくような何らかの一つの組織ができるならば、大学間の競争原理も働きつつも、大学間の競争ということではカバーできないような学術の振興が十分可能になると思う。
   
  今の意見に関して、今までは、コミュニティの希望が出てくると、それが学術審議会、あるいは学術会議といったところでさらに議論され、最終的には文部省で、研究機関課でそれを予算化していくといったプロセスを経てきた。そこには明らかに各コミュニティ間の競争原理が働いていたと思う。しかしながら、今度これをもし一つの法人としたとすると、そこに一つの法人としての論理が出てきてしまう。つまり、その法人自体が発展させようと思えば、そこに企画する部門、あるいは日本の学術体制全体をいろいろ調査する部門ができ、そして、こういうふうに手を打っていこうといった動きが出てくる。先の意見のようなことが全体の機構の役割になるとすれば、それが実際にどのような機能を果たすようになるのか、そこにかかってくるような気がする。
  テストケースとしては、既に共同利用機関の中で岡崎国立共同研究機構と高エネルギー加速器研究機構という全く形態の異なる2つのパターンがあり、様々な試みが行われていると思う。例えば非常に強い意思を持っているのが高エネ機構であり、すると、その中の研究所とそれを支えるコミュニティの希望がストレートに通るかというと、むしろ全体の機構としてのニーズを優先せざるを得ないということもある。一方、岡崎機構の方を見ると、非常に緩い機構であるから、直接それぞれの研究所が、その背景とするコミュニティの希望をダイレクトに文部科学省の方に持っていっているように見受けられる。この2つのパターンが既にあるわけであるから、まとまった全体の大きな組織がどうあるべきかということに関する一つのテストケースが、この両方を比較検討することによって出てくるのではないかと思う。
   
  コミュニティ間の競争という意味がよく分からない。分野の違うコミュニティの間では運営のやり方というのは競争できるかもしれないが、私に言わせれば、競争の相手は世界であると思っていて、日本の中の大学で競争してもしかたがない。それぞれの大学共同利用研究機関で、外国にはなくて日本だけが進んでいるというのでもいいし、外国に似たようなところがあれば、そこに負けないようなオリジナリティーを出していく、そういったことが重要だと私自身は理解していた。であるから、日本の中でのコミュニティ間の競争という意味が少々分からなかい。質問させていただきたい。
  また、岡崎機構と高エネ機構について、どちらがどうなのかという点も、その分野の特徴によって違うと思うが、もっと議論を深めるべきではないかと思う。
   
  コミュニティ間の競争についてであるが、例えば、ある原子核の共同利用の研究所を作るということは、その業界にとっては大変メリットで、それによって世界の研究所との競争が可能となる施設ができるということを意味している。確かにそれと、例えば天文の望遠鏡とでは競争にはならないと思えるかもしれない。しかし、天文は天文の業界で、10メーターの望遠鏡だとか、天文衛星を打ち上げることで世界にまさるような日本の研究者全体としてのメリットが出てくるため、どうしてもそれが必要ということになる。ここで、有限な資源の中で日本の全体としての学術を推進する観点から見れば、そのバランスを必ず考えていかなければできないわけで、限られた資源の中で、今の時点で、Aという研究分野を推進するのが日本の学術推進からぜひ必要であるとか、逆にBの分野を今推進するのが大事であるかと、そういった面での競争は、限られた資源の中でやる限りにおいては、必ず生じてくることである。これは決して研究者の自由な発想とか、希望だけで決まるものではなく、日本の学術をどう推進していくかという広いスケールでの、大学や、研究者の意思を反映したような形での政策決定が必要であると思う。この中で、強力な切磋琢磨して努力する競争として能率のいいシステムができるのではないかということである。
   
  そうなのだろうが、より重要なのは、やはり世界と勝負することであると思っている。
   
  世界と競争するためにこそ、まず内部で資源の競争が必要になるということである。
   
  資源の問題については、資源をどこが分配するのかというのは非常に問題があると思う。資源をいかに、もっと公平に、もっと世界の競争力をよく見ながら分配していくかという機能について、今のままでよいかについては非常に問題で、これも一つのポイントであると思う。
   
  高エネ機構の性格に関しては、前々回に説明したところであるが、簡単に砕いて申すと、高エネ機構は、加速器という手段を軸にして様々な分野の研究を進めており、物質構造研究所と素粒子原子核研究所の2つがあって、それぞれが全く別のコミュニティのものである。特に重要となるのが、どのようにその研究を進めていくか、将来どういう方向に進んでいくか、加速器にしても次にどういうものを建設していくかといった点であるが、当然これは国際的な競争にさらされながらやっているわけであるが、大体次のような形になる。
  まずは、各研究所の所長が責任を持って方向性を出していく。当然相当どちらの研究所も世界と勝負していくためのファシリティとして第一級のものを持ち出してくるわけであるが、当然、それを機構全体として、これもあれもと次から次へと文部科学省に持っていくわけいもいかない。したがって、そういう分野の全体を加速器科学と呼べば、その加速器科学全体の進め方の効率性、合理性や、国際競争におけるシビアネスといったさらされている状況、あるいはSpring8などの他の日本の放射光施設の状況などをにらみあわせながら全体として調整を図ることが、機構長の役割となる。その上で、さらに国全体の進め方というものを考えながら、文部科学省といろいろとご相談して進めていくという形になる。
   
  岡崎機構については、そもそも昭和56年に岡崎機構ができるまでに、昭和50年に分子科学研究所が岡崎の地に設立されており、さらにその2年後に、生物科学総合研究機構として、その中に人事も予算も全て独立に運営するという形の2つの研究機関−基礎生物学研究所と生理学研究所がそれぞれ独立に設置され、それぞれが独立した運営を行う形で当初出発していたところである。その上で、同じ場所にあれば運営の事務機構を非常に合理化できるということがあり、実際上、生物科学総合研究機構の事務部門は分子研に依存していたので、それを昭和56年に統一して岡崎国立共同研究機構ということになったものである。したがって、この機構のそれぞれの研究所のコミュニティは、例えば分子科学研究所は、化学、物理化学の先生が主としてコミュニティを形成しているし、基礎生物学研究所は、動物学、植物学という部門の方々が中心であり、生理学研究所では、基礎医学の方々のコミュニティから成っているなど、全て異なっている。であるから、ここに機構長を置くことのよい点、実際には3所長の所長会議で、そこの共通施設やコンファレンスセンターといったものを一緒に利用していくことのよい点は、非常に経済的にも運営的にも合理的にできる施設を持っているという点になる。
  ただ、現在はこういう機構として、独立の研究所が機構の形で運営しているというものであり、これが法人として機構をつくって、その後に3つの研究所を配置するという状態とは、少し異なるのではないかと思う。今の岡崎機構の中で3研究所に共通している点は、いわゆるボトムアップ型の学術研究、自由発想型の研究をしているという点であり、昨年度から開いた3研究所の共通部門である統合バイオサイエンスセンターの人事等についても、非常に共通の議論ができる。ただ、物理化学、医学、基礎医学の分野だけでは学術全体を語れることは当然ないわけで、これがもし全機関一法人というようなことになれば、それが理想として実現するとすれば、学術コミュニティの全体の中で、そういった議論が展開されるということがあり得るのではないかと考えている。
   
  大学共同利用機関は、国の支援もあり、また大学の強い支援があって、この現在の規模と能力を持つようになったと理解している。したがって、その過去、高エネ研ができてからもう三十数年の蓄積された能力があるわけで、一つの法人にするということを前提にした場合に、その蓄積された能力、考え方というのは、日本全体の学術推進の方向の提言、ただし今の機関で全分野をカバーしているとは言い難いので、その方針について自分の責任においてその意見を述べるという形になろうかとは思うが、そういった役割において非常に有効で、当事者責任として、そういった役割は大きいのではないだろうかと思う。
  かつて、岡崎機構にも高エネ機構にも関わったことがあるが、研究所間の弱い結合と強い結合とについて、今度一本化するときに、それが疑問にもなるし、また賛成の動機にもなると思うが、それはそのときに培われた知恵を出し合えば、少々甘いかもしれないが、解ける問題ではないだろうかと自分の経験から思う。
  今までこれだけ積み上げてきた運営の積み上げを生かして、一つの法人にして、その中で場合によって全体が一様な結合力ではなく様々な結合力があるかもしれず、また分野が異なるからそれも当然かとも思うが、知恵を出し合って、そういう形で作り上げて、しかも、自分たちの責任を持って、自分たちの分野だけではなく、学術に対する提言をするような組織になれば、一つの今までの得られたコミュニティの代表ということ以外の機能、役割を果たせるようになるように思う。
   
  大学からいわゆる国研に移って、懐かしく大学を眺めてみる立場に立つと、国研というのは国が必要とする研究、いわゆるミッションオリエンテッドの研究を推進するところであり、それに対して大学は、やはり常に言われるように、ボトムアップの自由な学術研究を行うところである。そうすると、今回の一法人で全体をくくるというような議論のときには、その学問の自由を本当に一法人にして守れるのかどうか、それから、かつ国際競争力を維持するというもう一つの大事な点を守ることができるのかどうか、常にこの2点の視点で考えていくことが、この議論を進める上で重要であると思う。

 

6. 議事2
  主査より、大学における研究、大学共同利用機関の性格・役割についての議論を行う旨の説明があった。事務局から資料6(大学共同利用機関と国立大学内の研究組織との関係の理念的イメージ(案))に基づき、国立大学セクターの研究を分担する機関としての、理念型としての大学共同利用機関のイメージについて説明が行われ、その後自由討議が行われた。

  大学共同利用機関について大臣が所長を任命するということであれば、研究開発の独立行政法人とは、基本的にはボトムアップか、トップダウンかということなのか、そこの違いがよく分からない。
   
  大学共同利用機関の所長については、評議員会というところで所長を推薦をして、通常その方をそのまま任命している。研究開発型の独立行政法人の長の任命の仕方との違いで言えば、資料6では国立大学法人像(3月26日の調査検討会議の最終報告)と独立行政法人通則法を比べており、大学共同利用機関は、同じ最終報告にも書かれていることであるが、国立大学法人のグループの制度でいくべきことが考えられる。つまり、長の任命に関しては、単に主務大臣が任命するという右側の独立行政法人通則法の方法ではなくて、左側の国立大学法人像の方法、すなわち、運営協議会と評議会の代表者から成る選考委員会で選考を行って、大臣が任命するというような方式に合わせるということが考えられると思う。

 

7. 議事2-2
  主査より、堀田委員より配付された資料(法人化に対する国立遺伝学研究所の基本的考え方)を含めて意見を求める提案があり、堀田委員より発表があった。また、その後質疑応答が行われた。(その後の質疑応答において、発表者の応答は◇で示す。)
   
 
(1) 堀田委員よりの意見発表
  本日席上配付させていただいたのは、法人化に対する国立遺伝学研究所の基本的な考え方である。この説明に入る前に、先の全体の検討課題の整理に関してであるが、この特別委員会に対して「今後の大学共同利用機関の在り方等に関する懇談会」からお願いをしたことは、全体又は大部分の大学共同利用機関を一つにまとめて法人にすることによって、そこに我が国の学術研究の中核的な役割を果たすという新しい機能を持たせること、そして、そういうことの実現可能性、また、そのためにはどういった組織にしなければならないかということ、それが本来お願いをした趣旨であると私は思っている。

  ただ、その問題と法人化という問題とが絡んでいるところにこの問題の複雑さがある。大学及び大学共同利用機関の学術研究における在り方についてだけをゆっくりと考えていればよいということであれば非常に望ましいことである。
  これまではそういったことについては時間があっても特に検討されてきておらず、それは検討する十分な組織が存在しなかったためという面がある。そのため、大学共同利用機関が一つにまとまってそういった役割を果たすことも考えようと、そうであれば法人化にも一つの意味が生まれるだろうというのが、本来の「在り方懇」、所長懇での大方の結論であったと思う。
  しかし、一方では法人化の問題があり、昨今、国立大学の法人化について最終報告が出されて、それをもとに法制化が行われる。法制化は、今年の夏にはその骨格ができ上がるのではないかという状況にあり、一方で、大学共同利用機関は国立大学に準じて法人化するという最終報告、また文部大臣の方針があるので、それに従ってやらなければならないとすると、時間的なデッドラインがあるという複雑な問題がある。
  私としては、この法人化後の制度設計の問題と、我が国の学術研究の全体を考えるような組織をどう作るかという問題を分けて考えることが本当はいいと思うのであるが、私の理解としては、そのような検討が今まで行われてこなかったために、大学共同利用機関がその中核になるという案を出しているのが実情であって、そこに若干の無理があり、そのために様々な難しい問題が生じているというところである。
  時間制限があり、法人化のもうかなりぎりぎりのところにきていると思うので、遺伝研としての考え方を示したいということで、ここに資料を用意してきたものである。

  法人化に当たっての検討を行うに際しては、
1 各研究所の分野の研究レベル、これはもちろん国際レベルでの競争も含めて、それがさらに向上できるような法人形態であること、
2 大学との整合性、国立大学法人法の中に書くこと、最終報告の提言でもあるが、それにどういう形で対応するのかということ、
3 先ほどから議論があるように、附置研究所は国立大学法人の中の組織であるがゆえに、附置研のことを全体として考えるところがなくなるという問題があり、大学共同利用機関の法人化とともに、その法人が附置研の全体を考えるような仕組み、あるいは研究の財政的な支援に役立つような仕組みがあって欲しいこと
4 大学共同利用機関は大学と少々異なっており、ユーザーコミュニティに開かれた運営を行っており、現行の評議員会、運営評議員会、名称は国立大学法人の組織と紛らわしいのでこだわらないが、そういった運営の形態は是非保ちたいこと
5 COEとしての高度な研究環境の提供を行う場合に、そこでの研究者のボトムアップの自発的な研究を奨励しなければならないので、そのために研究所の自律性・自主性が是非ともないと困ること、
このようなことを要件として、是非にも検討していただきたいということがある。

  これに関する問題点が幾つかあり、その第1は、他の関連分野(機関)との関係に関することである。これは、大学共同利用機関と大学あるいは大学附置研・センター等の関係、また既に独立行政法人になっている研究機関等とも関係があり、そういう異なった法人の間での人事交流、共同研究・協力等が、異なった法人になるために阻害されることがないような設計でなければならないということである。第2は、先ほど述べた自主性・自律性の維持である。第3は全く議論されていないことで、財政面に関する設計が実は全く不十分であり、調査研究会議の最終報告においても極めて曖昧である。これは財政当局との今後の調整等があるためであると思うが、財政面の設計なしに制度の設計を行う点で現状の難しさがある。

  次に、法人の単位に関することを、その次の問題点としてまとめた。これは全機関一法人、あるいは多数機関一法人としたときに、どういうメリット、デメリットがあるのかを書いたつもりである。
  メリットとして我々が主張したのは、学術全体のことを考えて学術研究の中核的な役割を果たす可能性である。欧米諸国には、必ず科学研究者が学術全体を考えるような組織、かつそれが行政に何かのチャンネルを持っているような組織があり、我が国には残念ながらそういった組織が存在しないように見える。我々大学共同利用機関がそういったものになれないだろうかと、願望的な考え方であるが、全機関一法人というものを考えたときは、そういった考え方がポイントとなった。
  ただ、それには問題点がいろいろとある。
a) は、大学共同利用機関だけまとめて、果たしてそれができるのかということであり、実は特別委員会での検討をお願いしているのも、大学共同利用機関の所長だけが集まって議論したのではだめで、もっと広く議論をお願いしたいということである。
b〜 c) は、各研究所の自律性・自主性などについてであるが、全体を一つにするとなると、文系から理系まで非常に多彩な研究所を一つにまとめて法人にすることになるので、全分野を掌握して経営するような理事会には極めて困難が予想される。一方で、国立大学法人がその大枠を活用している独立行政法人制度においては、少なくともプリンシプルとしてはトップダウン的に理事会が全体を把握するということになるので、それがこの多彩な研究所をまとめて可能であるのか、極めて心配である。そのためには特別な配慮が必要であると思う。
d) 高エネ機構は、このような形態では参加できないという意思が表明されており、それを除いた全体をくくるというような形では、理念がつけにくい。
e) もう一つは、一大学一法人が鉄則となっている国立大学の法人形態と、かなり異なる形となるので、国立大学法人法の中に規定することに関して難しい問題があるというように聞いている。

  その他に、分野別あるいは地域別の複数研究所の機構法人を作るという可能性があるのでその次に記した。例えば生命系の3研究所を機構にすることは、理念的には理屈が通るし、意味もあることであるが、そうすると現在の岡崎機構が解体されることになる。これもまた難しい問題である。また、遺伝研を単に岡崎機構に併合するという可能性もあるが、これについては、分野としての理念、地域としての理念が立っていなければ、単に遺伝研が加わるというような形では、到底きちんとした運営ができないと思うので、遺伝研としては反対である。それから、生命系だけを考えても、理化学研究所や他省庁のライフサイエンス関連の研究所等もあるので、本当はその全体の学術の体制を議論することが必要であり、その結果として分野別といった法人化をすべきなのであるが、その時間は、残念ながらない。現実には、理念的にも、現実的にも意味のある設計をするには時間が足りないことが、大変残念である。

  その次は、個別機関ごとに法人化する可能性についてである。これは、大学が個別に法人化するのと同様な意味で研究所が個別に法人化するということであり、国立大学法人法との整合性はあるが、また幾つかの問題がある。小型の研究所においては法人としての経営がなかなか難しいという点である。したがって、ある種の統合、あるいは緩やかな連合といった様々な工夫が必要になる。また、現状のままただ法人になりますという姿勢で、現状維持的、受け身的であるとの批判に十分に耐えられるのかという問題になる。さらに、法人化に伴って事務量が当然増大するので、それを個別に対応することには若干の問題があるということも述べている。

  このように様々な法人の形態について、我々も一生懸命考えているわけであるが、どれをとってもなかなかに様々な問題が解決しないところに、今の苦しい状況があり、これをどうするのかについて、特別委員会でも是非いい知恵を出していただきたいということがお願いである。現時点で我々がどう考えているかについては、一番下に書いてあるが、基本的にはまとめて法人化することの時間的な制約を考えると、まず、くくれるものはくくるにしても、残りは個別に法人化をする形を第1段階とする。ただし、個別に法人化することの欠点は明らかにあるので、その後で、大学、大学附置研、大学共同利用機関、関連研究機関等の改廃新設、連携等も含めて、学術研究全般の在り方を考える会議、ある程度の権威を持った会議を、例えば文部科学省の中に設置して、引き続きそういった問題を検討する形とする。このようにして、法人化の問題と、研究機関の連合の問題とを若干ずらせないだろうかと思う。これを同時に解決することは非常に難しく、このような苦境にあるのが現在の大学、大学共同利用機関の立場であり、それを遺伝研の立場に引き寄せて説明させていただいた。

(2) 質疑応答
 

  学問というものはどこで何が起こるかわからない。個人的には、大学等における学術研究のこれからの発展のためには、そういったものに絶えず対応できるために自由度が保たれた組織であることが重要で、そのためには全体が一つになっていることが最も自由度が高く、必須であろうと考えている。
  この特別委員会は、仮に全体を一つにしたときに本当にいい制度として、どういったものが考えられるかについて議論する場所として、重要な役目を果たせるものではないかと思っている。大学共同利用機関が全体で一つになったときには、大学の方からもアクセスがしやすく、見えやすくなる、さらに、大学、大学共同利用機関の全体を見通すような国全体での学術研究を議論する戦略的なオフィス、従来の学術審議会のようなものかもしれないが、そういったものを作る、それと並行して、組織づくり、制度づくりを議論する。そういった議論は、まさにこの席、この特別委員会で考えるのが本筋ではないのかと思うのであるが、この資料には、今の段階で、例えば高エネ機構は全機関のくくりには加わらないという文言が入っていて、また、全体を一つにする制度設計については時間的な余裕がないとも書いてある。
  こういうご認識、これは当事者で皆さんで共通のことであるのか。現状認識の意味で確認させていただきたい。
   
  この4月から新たに大学共同利用機関所長懇談会の座長となられた北川委員、何かあればお願いしたい。
   
  現時点では、大学共同利用機関所長懇談会として、こういう考えであるということを述べる状態にはない。
  検討の状況について報告すれば、内容的にはこれまで既に述べられているように、基本的な方向としては、多くの機関、あるいは全機関が集まって分野を超えて連合して、我が国の今後の学術発展のために学術研究の中核の一つとなることである。もう一つ、我々が行っている学術研究、例えばボトムアップであるとか、問題発見型といった特徴は大学と共通するものであり、そういう意味で国立大学法人法に準じた形で共同利用機関の法人化を規定することが必要である点。この2点が基本的な方向として了解されていると思う。
  また、これも何回か出てきたことであるが、大学共同利用機関の特徴として法人化に当たっても考えていくべきことについて、1コミュニティの意思を反映した運営であること、2現在の研究所の自主性・自律性を確保すること、3先ほどのような理由で大学の附置研との連携・協力ができるようなものであること、4大学共同利用機関の特徴の一つとして、総合研究大学院大学と連携して人材教育を行っているが、その部分を今後とも行えるような体制を確保すること、この4点が必要であることまではほぼ了解されている。
  現時点では、それを実現するに当たってどのような制度、法人の形態がよいのか、先ほど堀田先生が言われた大きく3つぐらいの方法があり、そこに関しては合意ができていない状態である。
   
  今の堀田委員の説明資料の中に、一法人多数研究所という概念は「一大学一法人」という国立大学の法人形態と著しく異なると書かれているが、一大学のもとには多数の学部、研究科、研究所があるわけで、大学共同利用機関という研究所は、大学と等値と考えればよいのか、それとも学部、研究科、研究所と等値と考えればよいのか。先ほど大学共同利用機関の理念的イメージに関する説明によれば、大学附置研と同値とも理解できるが、その法制上の位置づけはどうなっているのか。
   
  法制上は、一つの法人を単位として考えることになる。大学共同利用機関には機構タイプのものと研究所タイプのものがあるので、少々理解していただきにくい部分があるが、仮に機構タイプを想定して考えると、その機構が一つの法人になるということであれば、その場合の機構の研究所は、大学のもとにある学部、研究科と同じレベルになると考えられる。
  おそらく、ここで言われている「一法人多数研究所」の問題点とは、一機構で、それがたくさんの研究所によって成り立っている場合の機構を考えると、現在の機構に比べて大分違うものが多くその中に入り込んでいる点で、国立大学法人との形態と異なるようにも見えるということかと思う。しかし、それを学部と見ていただければ、総合大学には当然学部はたくさんあり、また附置研もあるので、大学とそれほど異ならないという見方もできると思われる。
   
  そうすると、国立大学法人法の中に規定することの困難とは、見方によっては困難という見方もあるが、法制上のことであって断定はできないと考えてよいのか。それとも今の時点で困難がある、と考えてよいのか。
   
  見方によっては困難があるというくらいに捉えていただきたい。
   
  資料の中で、高エネ機構が参加しない意思を示していて、それを除いた機構、というような表現があるが、高エネ機構というのは、機構を形成する上である意味で非常に成功している例の一つ、見習うべき部分も多々ある例であると感じている。高エネ機構については、全共同利用機関を合わせたものの3分の1ほどの規模があり、機構形成の議論をする上では、非常に成功した一つの例という捉え方をするべきではないかと思う。
  それから、時間が非常に厳しいことはよくわかるところであるが、大学共同利用機関の皆さんとしては、学術振興に向けて力を合わせられるところは合わせて役立ちたいという方向では了解していることのことであるから、この時間が窮屈になってきている中で、この特別委員会として、最低限そこについて答えが出せればその後目標のほうに進める、という、何かスレッシュホールド、閾値のようなものがあるかもしれない。そういったところを見きわめる必要があると思う。
   
  幾つかお答えしたい。私としても全機関が一法人になって、本当に役割を果たすようにできるならば、それに参加しようという意図でこの場にも参加しているわけである。しかし、そのために様々な問題点があり、それが法人化、国立大学法人法との絡むことにより非常に難しくなっている。国立大学法人の中に是非書いて欲しいという点については、全研究所の一致した希望であって、反対はない。
  なぜこういう希望が出ているかという点を、是非皆さんにご理解いただきたい。3〜4年前だったと思うが、この改革の問題の一番最初に、いわゆる他省庁の開発研究所と一緒に大学共同利用機関も独立行政法人化せよという非常に強い圧力があった。実際、我々すべての所長が、中央省庁等改革推進本部へ行ってヒアリングを受けたという時期があった。その際に我々は、我々のような研究所は、学術の非常に基礎的な研究をしているところであり、大学の共同利用の機関であるのであるから、したがって、国立大学の法人化と同時に行うべきであり、それとの整合性の方が重要であるということを主張してきた。これについては、私の伺う限りでは、その内閣府の改革推進本部の人たちがそれをよく納得して、現在のように国立大学に準じて行うという方針が決定され、それが文部大臣の方針となったと聞いている。であるから、是非国立大学との整合性という形で議論をしたい。
  そのときに、国立大学法人法の中に書き込むことが必要であって、それがどうすれば保障されるかということがポイントである。これはなかなか誰も保障まではできないことは理解できるが、一番国立大学法人法に書きやすいやり方であることを追求すべきで、その中で、理想をどこまで追求できるかということが重要な問題となる。そこを無視して理想論だけで進めていくと、これは全然大学と違う、であれば独立行政法人でいいのではないのという形の議論へもう一回戻ってしまう危険性がある。当時から所長をしている人たちは、そのことを非常に強く感じているわけである。
  もう1つ、機構の中の研究所について、附置研、学部と同じレベルで配置されるというのならば、国立大学法人法との整合性という観点からは、例えば総合研究大学院大学の附置研になればいいのではないかという議論も起こり得るわけであるが、それでは本来の大学共同利用機関の役割というのは果たせない。そういうことには賛成できない。このことに象徴されているように、我々は一つ一つの研究所の自主性・自律性を是非とも保たなければ、今の研究レベル、共同研究は保っていけないと考えている。それを一つの法人の中で設計できるのであればよいが、国立大学法人というものをひな形にして設計しようとするときには様々な困難が生じるという不確定要素、むしろ極めて難しいという問題がある。このことが時間制限と絡んでいるので、私としてはそれは2段階でやるべきだと考えている。
  理想の追求というのを捨てずに、しかし、現在のこの状況を切り抜けるにはどうしたらいいかと考えざるを得ないというのが、私たちの研究所の立場である。
   
  本日の議論を聞いていて少々不思議に思うのは、大学の改革の方では、学部自治、学科自治というのは大変大きな問題ではないかという議論が多くあって、学長にその権限を移そう、トップダウンを多少入れ込もうという方向で議論がなされている。このような考え方からいけば、大学共同利用機関の場合に機構を作る場合にも、機構長に権限を移そうという議論に当然なるはずである。この特別委員会の場ではならなくても、社会から見るとそういうことになるわけである。学部自治は好ましくないという議論と同じく、研究所自治は好ましくないという議論に、外から見ると同じタイミングとしてなるはずである。外から見たときに大学はこうだろう、だから、研究機関はこうだろうと見られるわけであり、本日の議論の最初にも出ていたが、そこは外からどう見えるということもかなり意識をして議論をしないと、大学のコミュニティの議論だけでこれを論じると、思った方向へいかずに、おいしいところだけとられてということになりかねない。このような危惧を、実は本日の議論を聞いて感じたところである。
   
  大学共同利用機関の自治というのは、開かれた自治とでも言おうか、資料6の図にもあるように、学部等の閉じた教授会だけでやっているわけでなく、広くコミュニティが入っているものである。ただし、社会から見て大学共同利用機関というのは必ずしも分かっていただいておらず、社会ではそういう認識がないとも思われる。確かに、今後の検討の中で、外からどう見られるかという観点も非常に必要かと思う。

 

8. 閉会
  事務局より、第5回は5月8日(水)の15:00〜17:00、経済産業省別館(10階)1028会議室で開催する旨の連絡があり、閉会となった。


(研究振興局学術機関課)

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