○ |
1頁目の下から4行目の「人文・社会科学の批判的継承と新たな知の組み換え」について,人文・社会科学の批判的継承とはどういうことか。社会科学の継承というように読めるが,それでよいのか。
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○ |
「バランスを図ることが必要である」等の文言調整をすることも考えられる。
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○ |
本文1行目の「人文・社会科学の研究」は,研究は規範を与えると誤読されかねないので,「研究」を削除すべき。
また,1頁目の本文5行目の「国際化,経済不安などによる民族対立,テロリズム」について,ここにいきなり「国際化」が出てくるのが気になる。国際化によって民族対立やテロリズムが増えたということはあるが,むしろ民族対立,テロリズムの国際化というのが問題ではないか。「経済不安などによる,民族対立,テロリズムの国際化など」とするか,もしくは「国際化」を取るように修文すべき。国際化が民族対立,テロリズムを起こしているのではない。
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○ |
ここは「国際化」ではなく「グローバリゼーション」という表現を使う方がよい。日本では「国際化」と「グローバリゼーション」は違う意味である。
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○ |
「グローバリゼーションによる民族対立,テロリズムなどの国際化」としてよろしいか。
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○ |
「国際化」というのはどこまでつながっているのか。
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○ |
「国際化,民族対立,テロリズム」というのが列挙されているのではないか。
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○ |
「国際化」が諸問題になるのか。
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○ |
「民族対立,テロリズム」に対して,「国際化」がかかっていると理解している。
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○ |
「国際化」はない方がよいのではないか。
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○ |
もし書くのならば,「民族対立,テロリズム」と並立して,「グローバリゼーションに伴う諸問題」などの表現にすべき。
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○ |
1頁目の本文3行目の「希望や行動の指針あるいは規範を与えるものである。」について,「指針や規範の構築にとって不可欠な情報なり素材を提供するものである」というならよいが,人文・社会科学が規範を与えるというのは違和感がある。
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○ |
京大総長がある所で「21世紀には科学技術は文明から文化へ発展する」と話しており,それに大変感銘を受けた。21世紀において文明から文化へ発展していくという段階で,人文・社会科学の役割は非常に重要だということが「はじめに」のところに入ればよい。
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○ |
1頁目の本文3行目の「規範」について,道徳を教えているわけではないので,「まとまりを持った明日への充実感」とか「生きることの意味への指針」を与えるものであるという形で整理をした方がよい。
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○ |
「指針」も言い過ぎである。
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○ |
「精神的なよりどころ」の方がよいと考える。
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○ |
これについては,ある種の参考を意味しているのであろう。「規範」と「行動」と両方出しておけばよいのではないか。
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○ |
第4段落の「新たに文化のアイデンティティや文明を構築するために,社会の在り方について問い直す必要がある」と同じことを言っている。むしろ「新たに科学技術社会を構築するためには文明,文化をもう一度見直さなければならない」等,繰り返しを整理していただきたい。
「はじめに」の第一段落から第四段落までが本論の第1章に相当し,第2章,第3章に相当する箇所については簡単に「審議している」とだけ述べているので,第1章に相当するところはもう少し短くてもよい。
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○ |
(2)について,「文化」と「心性」という表現があるが,「心性」というのは難しい言葉である。心の性質というのはあらゆる人間の根っこみたいなもの全部を含めた言葉なので,「人々の心性の奥にある民族の」という表現は適切ではなく,「奥」も含めて「心性」なのである。
また,前回ではそういうものが引き裂かれていることが問題であると指摘された。それを一体化させる方向においては,むしろ多元的な状況の中でそれを認めながら生きていくこととなる。しかし,自分たちの中に共通するものがあるということと少し違ったニュアンスになってしまうので,人々の間の共通性は共通性として認識した上で,それぞれの自己の再生を活かしていくという形でまとめていただきたい。
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○ |
前回,私はマンタリティのアイデンティティという表現をしたが,「アイデンティティ」を「一体性」と訳したため,全体主義と間違えられそうなニュアンスになってしまっている。
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○ |
文化の一体性というのは問題があり,このような言葉が入っていると誤解を受けるのではないかということであれば,2頁目の最終行の「人間の在り方や人々の日常における個としての身の振る舞い方の問題」から3頁5行目「別な言い方をすれば」というところまでの文章を削除してはどうか。
また,3頁9行目から13行目までの文章は,非常に一般的なことであり,本報告において,これに対する提案は特段していないので,なくてもいいのではないか。
2頁21行目の「人間科学としての自然科学」という文言について,「人間科学」というのは特殊な意味を持つので,「人間科学として」の部分は必要ない。本来の意味で自然科学は人間科学であるべきだという主張はすべきだが,このような文言は誤解を受けかねない。
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○ |
何回か使われている「学問的営為」という言葉は何を指しているのか。また,「学術研究」という言葉は「私たちは皆さんとは全然違うことをやっている。」といった傲慢な印象を受ける。しかし,シンクタンクなど同じようなことをやっているところはたくさんあるので,「学問的営為」「学術研究」という表現をあえて使う必要はあるのか。
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○ |
(1)において,科学技術との関連が書いてあるが,少し強調されすぎている。2頁13行目の「特に」は,「さらに」程度にしてはどうか。また,2頁17行目の「点検・観測,政策の妥当性といった役割」というのも,人文・社会科学が単独で担う話ではないので,「吟味に貢献する」という表現のほうがよい。
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○ |
報告案で「文化」という場合に,普遍的なものに対する言及をせずに,「一体性」や「アイデンティティ」が議論されるのはよくない。戦争直後に,国際社会の中で皆と同じような人間として生きていくんだという普遍的なものに対する信頼があった。ところが,それだけではだめだということで,文化を大事にしようという動きがうまれた。それは分かるが,その場合「一体性」や「アイデンティティ」だけが出てくると,普遍性を前提にした特殊という議論ではなく,ほかとは違うというだけの単なる個別性の議論になってしまう。普遍的なものと特殊なものと両方分かるような人間が必要である。普遍性に関する議論や,信頼の育成などを加えてはどうか。
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○ |
(4)の第2,第3段落については,内容が重複しているので,第2段落を削除すべき。
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○ |
それについては,第3段落を削除すべきである。「学問的営為」「固有性に固執することなく」というのも,固有性は主張してもよいが,そこから先をどうするか。そのような引っかかりやすい表現があるので,第3段落を削除した方がよいのではないか。
また,5頁7行目の「こうした取組によって……ネットワークを自らの内に持つことになる。」は論理の展開が分かりにくいので,「こういった取組はネットワークを自らの内に持つ契機となる。」という程度にしてはどうか。何か緊急なテーマを設定して,早急にパイロット・プロジェクトをやると,すぐネットワークが自らの内にできるというのは短絡的。
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○ |
「創造」という言葉を「知の組み換え」に置き換えた。この置き換えについては如何か。
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○ |
4頁目の の「相互接触,協働,放射」という言葉は,インパクトを考えながら表現されており,その結論が5頁の「パイロット・プロジェクトの開始」につながっている。5頁1行目の「他分野」という言葉については,自分とは違う分野ということか,学際的になるということか,あるいは人文・社会を超えたぐらいのレベルなのか範囲が分からない。
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○ |
確かに2つが混在している。この3つの言葉,「相互接触」「協働」「相互放射」ということが行われるべき対象を,文科系の中の諸学の間の問題としても考え,文科系的な諸学と理科系的な諸学との間でも考えられる。
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○ |
その説明のため,前段に「非線形」「不安定」という問題をあえて提示している。例えば環境問題は人文系だけではなくて自然科学系が入っている。つまり,問題によってだれと組み合わせるかというのは違う。だから,問題の出方が非常に複雑だという書き方をあえてしている。意味としては両方入れるということであり,言葉としてはっきりしなければ,両方併記すべきである。
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○ |
(3)の題名は「解決への提案」となっているが,「解決への貢献」とすべきである。つまり,具体的な政策を提案することより,政策を構成する上で貢献になるような研究を行うことの方がより重要である。
また,(4)の「知の組み換え」というのは,「1.21世紀の人文・社会科学の役割」に入れるべきなのか,むしろ「3.人文・社会科学の振興方策」の方に入るのではないか。
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○ |
(4)だけは別の章の一部になっていたが,それが非常に短くて落ちつきも悪いので,この位置に入れた。
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○ |
もともとは「創造と発展」という名前だった。
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○ |
この「役割」という言葉も本当に「役割」という言葉でよいのかという問題がある。「役割」とすると,(4)の知の組み換えというのは役割とは少し違うのでおかしい。ただ,この「知の組み換え」というのは,21世紀の人文・社会科学の持つ必要性を一般的な形で述べ,人文・社会科学の振興方策としては,もっと具体的な提案を3.のところで述べるという構成になっている。
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○ |
確かに「期待」というようなことを書くと,「知の組み換え」というのは入る可能性はある。
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○ |
(1)の題名について,「人文・社会科学」という言葉が(2)(3)(4)は全部入ってなくて,(1)にのみ題名に入っていることについては如何か。批判という言葉が題名にあるが,批判がその役割なのかということに対して抵抗がある。それよりももっと積極的に,「自然科学に対する使命」等,科学技術を正しい方向へ誘導するという気持ちが入るような題名を考えてはどうか。
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○ |
ここで言う批判とは,自然科学に対する批判ではなく,人文・社会科学の本質が批判の学であるということである。したがって,そこを落としてしまうと人文・社会科学の存在する意味がなくなってくる。
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○ |
批判というのはやっつけるとか悪いとかということではなく,吟味ということである。例えば歴史における史料批判と言えば,この史料は本物の史料であるか,だれかが贋作したものであるか,そういう吟味をする。それをクリティックと言っているわけで,それを抜いてしまうと人文・社会科学でなくなってしまう。
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○ |
「21世紀の人文・社会科学の役割」という題名については,「21世紀の人文・社会科学の使命」と変更し,(4)までを含むという形にしてはどうか。
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○ |
(4) の「各々の問題が種々の領域において現出する仕方は,多様で,不安定であり,非線形」という部分はどのようなことを意味しているのか。例えば,現出する仕方が非線形なのではなく,現象そのものが非線形なのである。報告としてより平明に表現すべき。
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○ |
4頁下から4行目の「複雑性を著しく帯びている。」に続く一文は削除してもよい。
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○ |
(4)で言われていることをやるにあたっては人文・社会科学そのものも新しくならなければいけないということを解説したのだろう。例えば,従来は経済学も非常に単純で,右上がりでいくとすれば大体分かると述べてきたが,そうはいかないということで,複雑系の経済学に一所懸命取り組んでいるが,その際に自分以外の研究者も入れていこうということだろう。
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○ |
「分野」と「領域」という言葉については,「分野」は人文・社会科学内部,「領域」は人文・社会科学と自然科学という異領域と解釈してもよいのか。
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○ |
ここの場合は「分野」と「領域」の二つが入っているということが明確に分かるように書いた方がいい。人文・社会科学の諸科学の間の,あるいは,人文・社会科学系諸学と自然科学系諸学との間のというように,明記した方がよいのではないか。
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○ |
6頁目の4行目からの「我が国の大学の教員のうち人文・社会科学を研究・教育する者は約3割」というのは,私学を含めてこの数字なのか。
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▲ |
私学も含んだ全体である。
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○ |
(1),(2),(3)の題名の付け方は,現状に着目するのか,課題に着目するのかということで書き方が変わってくる。どちらかといえば,課題に着目した方が積極的になるのではないか。そうすると,例えば(1)は「閉鎖性の打破」等,改善をするという表現がよく,(2)は現実的課題解決への関わりを強化する表現がよい。また,(3)は積極的な取組等,そのような方向性を積極的に表現する方がよい。
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○ |
5頁の(1)の17行目の「また」という言葉で始まる段落だが,その行の最後の「個々の研究課題の社会における有機的関連性や…」という箇所は,この表現では意味が分かりにくい。
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○ |
「ともすれば」という言葉を入れてはどうか。
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○ |
訳語は,もし使うのであれば首尾一貫して使うべきである。
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○ |
「モニタリング」の訳については,どうすればよいか。
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○ |
「観察」ではないか。
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○ |
自然科学系は「観測」という。例えば原子力発電所では「放射能をモニタリングする」という言い方をする。一方,人文・社会科学系でモニタリングとなると,何がよいのか。
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○ |
「モニタリング」のままの方がいいのではないだろうか。「点検・観測」でも,「点検・観察」でもモニタリングのニュアンスは伝わらない。
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○ |
7頁目の(3)の最後の段落については,アジアの研究もすべきという一つの方向を出しているが,その前段における説明からの論理の展開として飛躍しており,戦前のアジア主義と受け取られかねない。その飛躍を低くするためには,なぜアジアなのかという理由について何らかの記述が要る。
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○ |
科学技術・学術審議会の国際化推進委員会における議論の中の三つの重要な視点の一つに,アジアとの研究パートナーシップの構築ということが入っている。その趣旨は,日欧米の三極関係や日米関係ということに対しては,中・長期的に見て周辺諸国とのパートナーシップの下にアジア自体を学問の拠点として形成するという視点をぜひ持つべきではないかということである。
そのような観点から見ると,本報告案文ではパートナーシップという感覚がやや薄れているのではないか。つまり,日本では優れている分野であるからパートナーシップの構築にイニシアティブを取るということであればよいが,アジア主義というのはよくないので,表現を工夫していただきたい。実感として,中国や韓国における研究の発展は,素人が概観的に見ていてもすごい。特に大学のインフラは,日本の大学でも及ばないようなものが既に次々とできているし,人材も米国から次々と呼び戻したりしている。
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○ |
国際発信のところも,ここの議論において日本は弱いが,その理由を詰めていく必要がある。
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○ |
7頁(3)の最後の段落の1行目で環境問題と教育問題が並んでいるが,唐突であり,あまり限定しくてもよいのではないか。
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○ |
むしろ経済の問題の方が通りがよいのではないか。
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○ |
同じ行における「拠点」という言葉はあまり使わない方がいい。
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○ |
ハブ機能を持つべきであるという意見が多数あったので,その意味で拠点とした。
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○ |
海外発信と国際学術交流の新段階の役割としては,「発信する」ということは少し古い。発信の必要性は,一つはパートナーシップの構築であり,もう一つはみなが協力してともに取り組まなければならないという意味での協働した研究の推進のためである。10年前にさかんに海外発信と言われてきたころと比べて,今のアジアの状況を見てみると,中国の取り組みに比べて,日本が負けているということが大変多い。一方,協働で取り組まなければいろんな意味で解決できない問題が本当に多数出てきている。そういう意味での発信に質が変わったように思うので,パートナーシップや,国際的な課題の協働研究による解決などを強調した方がよい。
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○ |
7頁5行目の「孤高の学問として存在することは許されることではない」は文章の表現が強いので,先ほどの趣旨を踏まえ,世界に対する積極的な貢献やパートナーシップという意味で広く発信するという文章に変えた方がいい。
また,6頁目の(2)の4行目は「政策実施効果のモニタリング」でよいのではないか。「結果の時間的経過へのモニタリング」というと,かえって分かりにくい。
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○ |
8頁2行目に「協働により現代社会が直面する課題に取り組むという観点」と「文化の継承と発展へ取り組むという観点」が並列して書いてあるが,この章では「文化の継承と発展へ取り組む」という観点はない。そこで,「文化の継承と発展へ取り組むという観点を踏まえて,分野間・専門間の壁にとらわれず,協働により現代社会が直面する課題に取り組むという対応が必要である。」とし,(1)で述べた文化の継承と発展を踏まえた形にするほうがよい。
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○ |
WGを2回開催したが,第3章については議論しておらず,全体会議でも十分な議論はしていない。第2章までの哲学のところでいつも終わってしまっている。第3章は,事務局において今まで出てきた意見についての振興方策を全部取り上げてあり,そのまま持ち越されているのだが,全体の整合性についてはWGのメンバーから見ても異論がある。
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○ |
のプロジェクト型研究の推進, の地域研究の推進と,具体の方向として二つ挙がっていて,プロジェクト型研究の推進というものの定義の仕方が問われている。そのような観点から見ると,例えば8頁 の段落の1行目の「環境,人口,エネルギー,医療」というのは,すべて重要であるが,それよりも人文・社会科学が中心的な役割を占める課題を最初に持ってくる方がよい。そうすると,民族,宗教,グローバリゼーション,情報化への対応等は,人文・社会科学が大きな役割を果たし得る課題である。
また,8頁 の12行目からの具体例について,「日本はなぜ「ダメ」になったのか」は,観点はよいが,表現をもう少し検討すべき。
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○ |
10頁目の 「流動化の促進」について,例えば理科系で博士号をとった人間がポスドクで人文・社会科学分野へ来て,そこへ定着してもいいし,戻ってもいいというようなことを想定しているのか。もし想定されているとすると,そういうことが起こり得るようなシステムをつくる必要がある。人文・社会科学でのポスドクの経験後,理科系に戻れないということでは困る。このようなシステムは,今後非常に役に立つだろう。理科系の人間が多様な才能を持っていたり,ポスドクで来ている期間は情報のことについて特に詳しくなるといったことはとてもいいことである。
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○ |
(1)統合的研究の推進として, プロジェクト型研究, 地域研究という並列の仕方はこれでよいのか。 は具体的な方法論で, はジャンルとなっている。地域研究というものが方法論的な要素を持っているということならば別だが,この二つは次元が違うのではないか。
また,ここでいう地域研究は,「世界の地域を対象とする」と限定として書かれているが,地域という場合,日本国内の地域を指すこともある。そういう意味では,地域研究を「世界の諸地域を対象とする」と限っているのはいかがか。むしろ,フィールドを一つ設定して,そこで様々な分野から一緒に取り組んだらどうかという方法論の提示として書き換えた方が整合性がとれる。
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○ |
プロジェクト型研究と地域研究の関連については,御指摘のとおり地域研究もプロジェクト型で進めていくという形がよい。むしろ,この統合的研究の推進というのはプロジェクト型研究の必要性があり,その具体的な突破口の一つとして地域研究があるという位置付けに修正すべきである。
また,先ほど指摘のあった流動化の促進については,流動化の促進が若手研究者のところだけにあるのはおかしい。若手研究者を中心に流動化するということについては,助手は任期制があって,それに対して教授・助教授はどうして流動化しないのかということがある。もし入れるとしたら,「任期制・流動制部門の多様化」ということや,「研究期間については時限を設ける」ということを述べた上で,若手研究者の流動化ということを入れたらよい。しかしながら,流動化については別のところで総合的に取り上げられた方がいいのではないか。若手研究者だけに流動化についてを押しつけるのはいかがなものか。
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○ |
地域研究がなぜこの位置にくるのか。 で書いたような意味におけるプロジェクト型研究の代表例として,地域研究の推進ということを言うのであれば,そのような書き方をしたほうがよい。
また, では二つのことが書いてり,そのもう一つとは,国際対応を考えた場合の基礎的な研究分野としての重要性であるが,この二つのうちのどちらに重点を置くのか。国際対応において,地域研究とはかなり曖昧な概念である。現代的課題に組み込んでいるものもあるが,歴史研究に傾斜しているところもあり,それは両方意義がある。地域研究はおのおので推進してくださいというのではなく,地域研究において取り組む視点を述べておくべきである。また,「地域政策研究」というものを書くのであれば,具体的な説明が必要である。
それから,流動化の促進については,特に人文・社会科学系に関しては,最近過度に言われすぎている。例えば,日本学術振興会の特別研究員の申請資格にまで流動化を出すのは行き過ぎであり,それはその学問の性質や,若手研究者の置かれた状況によって違ったものである。さらに言えば,国内で研究機関を変わるよりは,海外経験を積ませることの方が重要な意味がある。最近は,流動化しさえすればすべてうまくいくような議論が多すぎる。
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地域研究について,ここ10年ほど日本の地域研究者あるいは機関を中心に,様々なことが工夫され議論され,そのために多くの人々が時間を使ってきた。そのような地域研究について,本特別委員会から何らかの具体的な提言を出してほしい。
また,流動性の問題については,若手研究者の流動の問題というよりも,地域研究を例にとれば,非常に柔らかいネットワークの形成,あるいは国際的なものも含めたアリーナの形成において,日本が一つの堅い機関をつくることはできないだろうか。そのことについて,必ずしも望ましくないということがあるとすれば,研究者の相互乗り入れという形でやる以外にない。それができるかどうかは非常に難しいだろうが,国公立あるいは民間も含めて研究者間の時限を切った流動というのを制度化しなければならず,流動によって損をしないような仕組みをつくらなければならない。ネットワークあるいはコンソーシアムといっても,ほとんど実感は伴っていないので,動きにくい壁を取り払うことを本委員会で明確に提言した方がよい。
地域研究については,プロジェクト型研究の一環として地域研究が出てくるのではなく,もっと広い意味で,国際化あるいはグローバル化における日本の在り方や,あるいは8頁 のプロジェクト型研究の具体例の「日本はなぜ「ダメ」になったか」を裏返すと地域研究になる。そのように政策に近いところでの地域研究に取り組むべきである。
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流動化して別のポストに移る場合の身分保証に関する問題については,どのような具体的提案が考えられるのか。
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例えば,大阪,京都,九州等に地域研究の一つの大学があるとして,そこへ私大の教授が在外研究という形で見にいくとすれば,所属の私大のキューレーター(学芸員)ではなく,先方大学のセンターの流動研究員の費用で負担するという形で,多数の研究員を集めることを経費的に年間何人という形で保証することが考えられる。この問題については,実現は非常に難しいだろうが,省庁を超えた提言をしないと物事は動かない。
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8頁 地域研究の推進には,二つの違う次元のことが書かれている。地域研究に固有のことも書かれているが,人文・社会科学におけるほかの分野の大部分と共通していることも書かれている。先ほど議論されたネットワークの問題については「地域研究」という仕切りの中で書くことでよいのか。例えば,京都大学の村松岐夫教授が最近出版した『平成バブルの研究』は,彼が併任している国際日本文化研究センター教授として組織した共同研究の成果としての出版であり,これは日文研という大学共同利用機関を利用した一種のネットワークで行った研究であるが,地域研究ではなくて,政治学,経済学,社会学等の融合的な研究といえる。
本報告としては,地域研究を含む人文・社会科学分野において,普遍的な部分とそうでない部分を分けて,普遍的な部分についてはプロジェクト研究で取り組むということと地域研究に固有のことを並列するような提言としていくべき。
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9頁目の若手研究者の育成の話の具体的なところに,幅広い分野の教育が必要であると書いてある。大学で教養を身につけるような教育の在り方とあるが,理系の方では大学に来てからでは遅いという議論がある。若手研究者を育てるという点からいった場合には,もう少し全体の教育について見直す必要があるぐらいのことは言うべきである。
また,(4)の研究基盤等の整備のところで,図書館とか博物館,美術館という話は多々出てくるが,文書館が欠落している。私の専門領域からいうと,でき上がった書物や雑誌をどう使うかということと同時に,もっとオリジナルな文書の流通及び蓄積の様態や,その場合の文書館の機能は大きく関係している。文書館についても触れてほしい。
また,文書館運営の基礎になっている文書館法にも問題がある。文書館を幾らつくっても,アーキビストには公文書を選ぶ権限はなく,極端に言えば,要らないから持っていっていいと言われたものだけ集めているという形になっている。
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その辺のところに問題があり,公文書館の人にとってもどうしようもないという実態はある。しかし,問題提起はする必要がある。民主主義の基本的な原則として,政治的,行政的な文書をきちんとそろえて開示することは重要である。ところが,保存文書の削り方の原則については何の学問的根拠もなしに軽量化だけが議論される組織である。このことは,独法化してもっと深刻になりつつある。
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10頁の 国際共同研究の場の設定について,例として地域研究があげてあるが,(1) の地域研究の推進にまとめて書いた方がよい。また,国際共同研究の場の提供としては,1),2),3)のすべてが大事で,特に大学共同利用機関や大学附置研究所等はそのような機能を果たすべきであり,そのための条件整備をすべきであることを明記してもよい。
また,13頁(4) の大学附置研究所等の研究体制の在り方検討については,当面手をつけないということを書く必要はないのではないか。
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パイロット・プロジェクトあるいはプロジェクトに取り組むには,個人の研究者だけでは不十分であり,その対応方策として三つほどある。学術振興のための中核研究である日本学術振興会の機能等を活用した展開,ネットワーク,それから,現在ある研究機関を拠点とした学際的・国際的アリーナの検討。方策としてはそこをはっきりとすべきではないか。
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社会提言,知の結集,知の組み換え等の引き文句はあとで考えればよい。まず何が今一番大事で,何に取り組んでもらえば成果が上がるかというテーマ例の方を検討したらいいのではないか。このテーマ例では,国民的共感は得られないのではないか。例えば「倫理の喪失」というものに対してどう立ち向かうかということになると,かなり根源的な話で宗教問題もあるだろう。ここに書いてある例が,人文・社会科学の21世紀におけるプロジェクトの代表例であるというのはちょっとさびしい。
多元的共生システムの構築というのは,非常にもっともらしいが,これをもっとかみくだいて,万人にも分かるように具体的に書いてあれば,非常にいい内容を持っているかもしれない。
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もしこういうプロジェクト型研究をやるとすると,今までのやり方だと,例えばこの領域は経済学者に任せるというふうに,特定の領域にその研究領域を委託するという形になる。かなりきめ細かく人間を組み合わせて再結集してやってもらわないと,実際に既成の領域の限界を打破することはほとんど不可能なのではないか。むしろそういう研究領域をどう組み合わせていくかということについて,どういうイニシアティブをどういうところが握っていくかという提案を含んだ形で書いた方がよい。
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プロジェクト型研究という場合,例えば法律,経済,生命科学等の研究者が集まってそれぞれが研究するというのではほとんど意味がない。私の生命倫理についての経験から思っているのは,常にいろんな人たちと議論をする場が必要だということである。他の分野の人の意見に耳を貸さないというのは言語道断であり,それはどれだけ本人が柔軟な考え方を持っているかという能力の問題である。一方,今までのプロジェクト研究は,それぞれの人が個々に研究し,個々に論文を書いたものを,単に成果として一冊の本にまとめたものを共同研究だと言っているのである。
基本的には,ここで掲げられているプロジェクト研究や新しい知の組み換えというのは,人文・社会科学の方法論への新しい提言である。人文・社会科学が理科系の方法論を取り入れ,理科系の人が人文・社会科学的な方法論を取り入れるということも必要である。
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持ち帰り型研究というのでは意味がない。集中型研究として,プロジェクト研究をやれる施設が研究基盤として必要になってくる。科学の研究でも分野の違う人が集まると場の問題が起こるので,専門の共同利用機関のようなものが必要かもしれない。
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資料5の左については,自然科学を含めてこういうものを立てなければならないということをWGでつくったことは非常に評価している。それをかみくだいた右側のテーマ例が抽象的すぎる。ごく具体的に,例えば倫理だったら普遍的な問題から取り組むグループ,宗教観の倫理の問題から取り組むグループというように現状を打破するようなことをやらないと共同研究にならない。
したがって,本報告においては,いろいろな芽を吸い上げるような体制を推進すると言った方がよい。
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資料5の左と右の間に,プロジェクト研究によって,今までの分野の丸投げ型研究とは違う,新しい組み合わせを創造することができるということについての提案を入れていただきたい。
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人文・社会科学の政策的,社会的な要請の研究は,主なものは経済学や法律学である。このような社会現象と直結した学問分野のことはさておいて,比較的社会現象から距離をおいた学問をプロジェクト研究の代表例に出すことに違和感がある。社会現象と直結した学問分野についてもしっかりやるべきである。
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