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科学技術・学術審議会学術分科会

2002/02/07 議事録
科学技術・学術審議会   学術分科会   人文・社会科学特別委員会(第7回)議事録

科学技術・学術審議会学術分科会
人文・社会科学特別委員会(第7回)議事録

1. 日   時 平成14年2月7日(木)15:00〜17:00

2. 場   所 文部科学省別館10階第5,6会議室

3. 出席者
 
  (委   員) 有川,石井,池端,大ア,小平,鳥井,薬師寺
  (専門委員) 加藤,立本,似田貝,三田村,毛里
  (事務局) 坂田研究振興局担当審議官,太田主任学術調査官,泉振興企画課長,磯田政策課長,明野情報課長,吉川学術機関課長,河村学術研究助成課長,松川学術企画室長他関係官

4. 議事  

  (1) 人文・社会科学の振興に関する報告書案の検討について
    資料2(「これまでの主な意見」),資料3(「これまでの議論の整理(素案)」),資料4(「人文・社会科学に関するデータ」),及び資料5(「学術情報基盤整備の現状について」)に基づき事務局より説明の後,質疑応答,意見交換が行われた。その内容は以下のとおり。

  (○・・・委員及び専門委員の発言)

   各論として議論していく柱に,分野間の協働による現代的課題への対応,研究体制の整備,国際化への対応,情報基盤の整備という四点をあげているが,これを見ると,既に研究の体制に入った側だけの問題を考えているのではないか。人文・社会科学の振興全体を考えていくためには,もっと若い世代からの教育がどうあるべきかという視点からの発言を組み入れていかなければいけないのではないか。例えば現在,高校生の不読率(一か月に本を一冊も読まない人の割合)は70%になり,この人たちは生涯本を読まないだろうと言われている。そのような状況を改善していかなければいけないという点も含めて,柱の二番目の研究体制の整備と同時に,教育との連携があってもいいのではないか。

   教育の問題は各論だけではなくて,総論に研究と教育という二つの柱を立ててまとめることが大事なのではないか。

   社会に対してどのようにして研究成果を発信していくのかという問題については一項目立ててもいいのではないか。作曲者は音楽家ではあるけれども,作曲だけでなく演奏までしないと音楽にはならないという話を聞いたことがある。人文・社会科学の研究者は一部を除くと作曲家で満足しているのではないか。

   現代的な課題や,日本なり人類が直面している課題にどのように対処するかということから,人文・社会科学振興の必要性や振興策が本来は出てくる。そこでは何を課題としてとらえるかが前提になるので,それに対応する現在の教育や研究成果の社会への発信における問題点をある程度共有しないと,各論の方策も既存の枠組みの再構築にならざるを得ないのではないか。
     そのような観点から枠組みを見ると,一点目には,現代的課題の対応において,分野間の協働が常に中心になるかどうかは疑問があり,常に「異分野間」や「学際」という点が強調されるのは若干違和感がある。それぞれの分野において現代的課題にもっと積極的に取り組んでいくことが基本にはあるのではないか。
     二点目には,研究体制の整備において,地域研究の振興を,意味や位置付けを十分議論せずに一つの項目にするのは問題があるのではないか。
     三点目には,情報基盤の整備が非常に重要だということは分かるが,現時点で言えば分量的に非常に丁寧に書いてあるので,全体のバランスから見れば重過ぎるのではないか。

   総論と各論の部分のつながりが見えない。そこがかぎとなる部分である。総論と各論に関わることだが,日本の人文・社会科学の振興に官,つまり国がどの程度,どの範囲をカバーするか,あるいはしなければいけないと認識するのかという部分が非常に大事なポイントである。
     各論部分における各項の配置や記述レベルをどうするか議論が必要である。情報基盤の整備に関する記述は非常に具体的だが,人文・社会科学振興にあたっての基盤的なインフラの整備でも,ハード部分の整備と教育も含めたソフト部分とではかなり違う。ましてや研究体制やその運営の問題とはレベルが違う問題である。地域研究については,各論で突然出てきており,総論の枠組みの中に出てきてないところに違和感を覚える。
     研究には研究者,プロジェクトを運営する組織者,研究基盤となる文献情報等の提供者,事務体制の四者が必要であり,この四つの体制がないと研究が続かない。このような学術研究体制の問題は,もう少しダイナミックに考え,その中で当面第一義的に重要なものはなにかという議論をすればいいのではないか。
     また,人文・社会科学の振興の議論においては,主力を国立大学と考えているのか,あるいは,民を含んだもっと広い形で糾合するための組織づくりや方向を考えているのか。それは非常に基本的問題である。

   官と民という整理が今後必要になってくるが,この科学技術・学術審議会は政府の施策に対する提言をするという立場なので,人文・社会科学の在り方について,国家がどのような観点からどこまで口を挟む性格のものなのかという側面と,具体の方策が国立大学や国立機関を念頭に書かれると重要な民間に対する対策が抜け落ちるおそれがあるので,そのバランスや包括的な視点を忘れないようにすべきという提言を行っていく側面がある。それは両方とも大変大事な観点なので,報告書はその点を当然視野に置きながらまとめるべきである。

   教育は確かに大切だが,ここで教育という柱を一つ設けるのは非常に荷が重すぎるのではないか。例えば,一番目の柱である「分野間の協働による現代的課題への対応」という枠組みの中で人文・社会科学の教育はどうあるべきかということを継ぎ足してもいいのではないか。
     例えば,研究体制の整備では,研究機関が人文・社会科学になぜ必要なのかという議論も必要であり,また,国立大学附置研究所等の在り方についても大学共同利用機関との関係について議論をしないといけない問題である。理想としては民も含めた日本の学術全体を見渡さなくてはならず,各論の「研究体制の整備」の総論的な部分では書くべきだが,実現可能性を考えるともう少し現実的に考えて焦点を絞ったほうがいいのではないか。

   概算要求ということを考えると,果たしていいことかどうか分からないが,総論の中に,工程管理のような戦略的なことを入れる必要がある。実際に日本の人文・社会科学を振興するには,ある種の手続を段階的に行わなくてはいけない。諸外国,特に米国では非常に戦略的に振興策を講じている。

   これまでの議論の中で出てきた要点は絞られているが,すぐに自然科学との融合や国際化への対応,地域研究というように具体的になっている。総論から各論の前段を経て,幾つか施策に結びつきそうなポイントがすぐに出ており,その間を結ぶところが大切である。
     当委員会の第一回会合に臨むに際し,他分野との融合という以前に日本の人文・社会科学の顔が見えないという思いがあった。つまり,学術としての人文・社会科学の力が社会的な力にあまりなっていない。それは官民を問わず日本の学術体制に問題があるのではないか。それで人文・社会系の研究者の意見を最初に伺うと,人文・社会科学は個人が中心になって研究を進める性質で,自然科学とは違うということであった。
     先ほど音楽の例えがあったが,作曲だけでなく演奏をするにしてもソリストばかりばらばらに演奏するのではなくて,立派なオーケストラを組まないと社会的な力にならない。国際化への対応やデータベースの構築等の具体的な課題があるが,たくさんの良い作曲家が個々に行っている作曲をどのようにしてオーケストラにして社会の中で響かせるかというのが一番の問題ではないか。

   なぜ今人文・社会科学を振興しなくてはいけないかといえば,国際化の問題や科学技術が一方的に進んだために引き起こされた問題,人口や環境の問題等の現代的課題に応えてほしいからである。
     その上で,人文・社会科学を振興するには,人の問題,情報の問題,施設の問題,あるいは社会の意識の問題があるのではないか。
     各論ではこのような諸問題をあげ,それらを解決すると人文・社会科学が振興でき,その結果としてオーケストラになり得るという文脈なのではないか。
     このままでは,従来の方法では経費が回ってなかったから少し回すという話に聞こえかねない。

   三点指摘がある。一点目として,もともと学術振興施策は,官民の区別なく学術研究という視点から考えるということが基本である。その手段として,国立機関の設置や国費で情報基盤の施設整備等を行っているが,研究者としては官民を問わず同じ条件で利用できることが基本である。そこはしっかり踏まえておかなくてはいけない。つまり,国立大学や国立大学附置研究所の条件整備も一つの重要な柱にはなるが,全体的には各分野の研究をどのように振興するかが学術振興施策の基本なので,その点は配慮する必要がある。
     二点目は,現代的課題への対応については二種類の問題がある。一つには,どのようにして次世代の研究者を養成していくか,あるいはどのようにして継続的発展を達成するかということがある。もう一つは,政策研究と一般的な社会科学の研究の在り方との間にあるギャップを埋める必要があるのではないか。例えば,社会科学で特定領域を組織して研究する場合に,いかにいい論文をまとめるかという観点から研究に取り組むことが多く,政策研究に打ち込むという事例が少ない。
     三点目は,現代的課題として精神面の不安定さというものが非常に大きい問題としてあり,精神生活の基盤が失われつつあることがいろいろな異常現象になって現れているが,人文・社会科学の研究は精神生活の基盤であるという認識を研究者も社会も共有することが非常に大事なのではないか。そのような意味での人文・社会科学の重要性は大いに強調していいのではないか。

   研究体制の整備では,地域研究の振興や附置研究所の在り方という具体的な記述があるが,実際の人文・社会科学の研究者を見ると,その多くは学部で教育を行いながら研究活動を行っている。
     また,研究成果が表に出てこないのにはさまざまな理由があるが,基本的な個人の研究成果が表に出てくるようなルートを作ることが大事である。人文・社会科学の場合は,論文を書いてもなかなか読んでもらえず,幾つかの研究成果をまとめて本にしない限り一般の人が研究成果に触れる機会がない。
     そのような意味では,科学研究費補助金の在り方が問題ではないか。より多くの研究者に分配されると同時に,人文・社会科学の場合は社会への発表というルートが必要である。現在,専門書は売れないので,研究者が書店に多額のお金を払って出版してもらっているという状況である。いろいろな研究成果ができても,それが一般の人の目に触れるところに出てこないという状況は深刻である。競争的資金としての科学研究費補助金の拡充と同時に,研究成果としてまとめた本の出版の助成を大幅に拡充することを考えるべきなので,研究体制の整備の部分で,人文・社会科学における科学研究費補助金の独自の役割や在り方が必要だという論点も入れて考えたほうがいいのではないか。

   なぜ今,人文・社会科学振興が必要なのかということがまさにポイントである。自然科学との対抗において重要だという言い方は適切ではないし,現実にそうではない。精神文化を明確に復権するということと,政策研究と学術研究をどのようにしてつなげて新しい人文・社会科学を振興するかということを絡み合わせて,今の時代に人文・社会科学振興策は極めて肝要だと説得的にもっていく必要がある。
     人文・社会科学振興の担い手を基本的に大学の研究者を想定しているようだが,大学以外の研究者を想定しているのだろうか。以前から,日本の外国施策については中立的な研究所を設置しないといけないと思っているが,そのようなものを構想するのかということも含めて,担い手に関してターゲットを決める必要があるのではないか。

   現代的課題に対する人文・社会科学の振興というのは非常に良く分かるが,他方でなぜ人文・社会科学が基礎科学として次第に現代的課題に対応できなくなってきたのか,この分析も必要である。
     また,自然科学の学生についても言えるが,ある種の研究のプライバタイゼーションという現象が起こっているのではないか。将来的な人材養成として考える時,学生が自分の研究課題は社会の中でどのような意義があるかという問いをしなくなってしまった結果,職業として簡単に大学の先生になるという現状はかなり深刻である。また,自分の関心のある部分の研究しか行っていないので,社会の中での自分の研究課題の妥当性についての主張がなく,分野間の協働による現代的課題への対応にも到達できていない。
     自分の研究課題の妥当性が指導教官だけでなく先輩後輩という組織の中で鍛えられてくるという従来の仕組みを,どのようにして研究教育体制の中で補完するかを考えなくてはいけない。

   人材育成を行うという視点を意識しながら考えないと,研究に具体性が出てこないのではないか。

   学術振興施策とは単にポストや予算を増やすということではなく,与えられた予算の中でどれだけ効率的な研究ができるかという答えを同時に出すのでなければ無意味なのではないか。
     日本の科学研究費は国際的に見ると非常に多いし,人文科学の予算も総額としては少なくはない。しかし,自然科学では,英文雑誌で引用されている回数で考えると,日本の科学研究費は非常に効率が悪い。大体英国の半分以下の効率しかないというのが実情ではないか。自然科学で予算をむだ遣いしており,おそらく人文・社会科学でも予算をむだ遣いしているという実態があるのではないか。
     また,いろいろな学会において研究者の数が膨れすぎている。もっと少人数の研究者で各研究分野を維持する方がレベルが高くなるのではないか。その中で効率的に予算を利用するという方法論を開発しないと,幾ら予算を増やしても実質的にはレベルは高くならないのではないか。

   人文・社会科学者が社会と非常に隔絶されていることは論理的に矛盾がある。社会的に役立つと思いながら研究論文を書くが,社会とはものすごく離れている。
     なぜ今人文・社会科学を振興すべきなのかは二つの理由がある。これだけ大きくなった国ではどこでも人文・社会科学は非常に強いはずなのに,日本は大国なのに自然科学に重きをおいているのは非常に後発国的な発想であるということと,景気が悪いときにこそ人文・社会科学のような多額の経費を要しない分野を推進する機会ではないかということである。今,人文・社会科学を振興しない限り,21世紀の科学技術に関しては日本は全体的に凋落していくのではないかという危機感がある。また,民も官も一緒に国に支えてもらって政策的に強力に推進していかないといけないので,施策がとても重要である。

   人文・社会科学振興の必要性は総論の冒頭に大きく謳うべきだが,総論に挙げてある発展,創造,発信というキーワードに相当するものが響いてこない。継承に関しては行われているだろうが,研究のプライバタイゼーションという状況は確かにあるので,これを打開しないと効率化されないだろう。
     旧学術審議会学術研究体制特別委員会人文・社会科学研究に関するワーキング・グループの審議のまとめには,特に人文・社会科学の人文学というのは非常に個の学問であるということが書かれているが,プライバタイズされているものを協働化していく仕組みが必要なのではないか。

   人文・社会科学一般の理論と人文・社会科学を振興するための戦略的施策と分けて考えなければいけないのではないか。総論では教育や研究体制についての問題を含めた形で書き,各論では総論で挙げられたような人文・社会科学全般の後進さを打開するための施策を書くというようにはっきり分けたほうがいいのではないか。旧学術審議会学術研究体制特別委員会人文・社会科学研究に関するワーキング・グループで出した審議のまとめで,総論にあたる部分が非常に整理されており,ここからいけば人文・社会科学は振興できるという芽を出されている。当委員会ではその芽の上に立って各論の戦略的施策の部分を議論していると理解しているが,当委員会の報告書においても全体的な総論を書いた上で,各論で戦略的施策を書くというまとめ方をしたほうが良い。

   環境,エネルギー,人口,水等の諸問題にしても人類は限界に近づいている。つまり地球というのは閉鎖系だと我々自身が気が付き始めている。生物は閉鎖系と開放系では全然違う行動をする。今もう一度,人間や社会について見直さなくてはいけない時代に入ってきており,見直さなくては次の文明が築けないという状況に来ている。

   プライバタイズというよりは,その種の研究を評価するという学会の文化が前提になって,そのような研究態度がかなり一般的になっているという面があるのではないか。その意味からすれば,人文・社会科学でもどのような問題意識を持つか,つまりどのような研究課題を設定するかということ自体が研究の質を相当大きく決定するという側面があるのではないか。
     また,現代的課題への取り組みや問題意識の重要性を仮に報告書で強調する場合には,学問の自由(アカデミック・フリーダム)ということをきちんと踏まえておかなければいけない。アカデミック・フリーダムの一般的な定義は,当然のことと思われている知恵を疑って,極めて議論を呼ぶ考えを提起するということだが,人文・社会科学の場合,このような批判的機能がなかったら学術研究の意味はない。それは政府の研究機関で研究するほうがより効率的だという議論にもなっていくのではないか。

  (2) 今後の日程について
       次回の人文・社会科学特別委員会(第8回)については,3月7日を予定して委員等の日程を調整の上,開催することとされた。

 

(研究振興局振興企画課)

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