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科学技術・学術審議会学術分科会

2001/12/05 議事録
科学技術・学術審議会   学術分科会   人文・社会科学特別委員会(第6回)議事録

科学技術・学術審議会   学術分科会
人文・社会科学特別委員会(第6回)議事録

1. 日   時    平成13年12月5日(水) 10:00〜13:30
       
2. 場   所    文部科学省別館11階 大会議室
       
3. 出席者
    (委   員) 石井,池端,大ア,小平,鳥井,長尾
    (専門委員) 加藤,立本,似田貝,三田村
    (科学官) 位田
    (意見発表者) 山折哲雄氏(国際日本文化研究センター所長)
黒田日出男氏(東京大学史料編さん所教授)
    (事務局) 坂田研究振興局担当審議官,井上科学技術・学術政策局次長,太田主任学術調査官,泉振興企画課長,吉川学術機関課長,松川学術企画室長 他関係官
       
4. 議   事
(1) 人文・社会科学と自然科学の融合について
     山折哲雄氏(国際日本文化研究センター所長)より資料4(「人文・社会科学と自然科学の融合について」)に基づき意見発表の後,質疑応答,意見交換が行われた。その内容は以下のとおり。
     
  (○・・・委員,専門委員及び科学官 □・・・意見発表者の発言)
     
意見発表概要
   
   人文・社会科学と自然科学の融合について,三人の日本人科学者の生き方と考え方を通して考えてみたい。
   
   まず,宇宙飛行士の土井隆雄氏である。三年前のことだが,いろいろな民族出身の宇宙飛行士たちが宇宙に長期滞在した場合,人間の精神に与える影響がどのようなものであるかについての共同研究を行った。その頃,宇宙遊泳等の実験を行う者として土井隆雄氏が指名されていたので,お目にかかり質問に答えていただいた。その第一の質問事項が,土井宇宙飛行士にとって宇宙はどのようにイメージされているか,というものであった。それに対して答えが二つあった。一つは,宇宙とはある計画に基づいて作られたものであると思っているという,いかにも自然科学者らしい答えであった。二つ目の答えが,宇宙は全体が神秘に輝いているというものだった。これが非常に意外であった。現代最先端の科学技術者にとって,なぜ宇宙全体が神秘に輝いてみえるのであろうか。そう思い,二,三問答を重ねるうちに,ある一つのことに気がついた。それはアインシュタインの言葉との共通性である。アインシュタインは,しばしば講演や著書の中で,宇宙には一つの中心がある,一つの中心があるべきであるという意味の発言を繰り返し言っている。自然科学のことはよく知らないが,一般相対性理論という科学理論の基礎的な考え方は,宇宙には時間や空間が多元的に存在し,観測者や科学者にとってそれぞれの時間や空間があるということであり,相対性原理によって支配されているという考えと宇宙には一つの中心があるべきであるという考えは矛盾するのではないかという非常に単純で素朴な疑問が私にあったのである。
     その疑問を考え続けていたが,あるとき思ったのは,一神教的な伝統に育まれた思考の影響ではないかということである。近代や現代は一神教そのものを否定している時代だが,一神教的思考自体は今日まで色濃く残存し続けている。一神教的文化圏に生きる人々のいわば身体の深層部分に流れ続けている考え方ではないか。かつてのニュートンやガリレオなら宇宙の中心に神がいると言ったはずだが,アインシュタインは20世紀の物理学者であるから,中心という言葉で言い替えたのではないか。
     アインシュタインという科学者の背後に,二千年,三千年の一神教的な文化や信仰の伝統を考えに入れなければいけないと次第に考えるようになり,そのようなことがあって,土井宇宙飛行士にとって宇宙はどのようにイメージされるのかという質問になったわけである。それに対して,全体が神秘に輝いているという答えは,土井隆雄氏の精神的,身体的背後には日本列島の多神教的な風土が横たわっていることを感じた。山川草木すべてのものに神的なるものが存在するという感覚が作用して,同じ現代物理学という分野で活躍している科学者の頭脳に,その身体的感覚に宇宙が神秘に輝いているという感想を持たせたのではないか。この辺に,人文・社会科学と自然科学の融合を考えるための一つの重大な問題点が横たわっているのではないかと考えている。
   
   第二番目は,地震学者の寺田寅彦氏である。
     昭和10年の寺田氏の最晩年の作品「日本人の自然観」は,万葉集,記紀神話,源氏物語,平家物語,能楽,浄瑠璃,俳諧等の文学的な伝統をすべて取り上げ,最終的に日本人の自然観とは何かという問題を論じた長大なエッセーだが,この中で,非常に感銘を受けたのは,日本の自然の特色を,西ヨーロッパの自然の特色と比較しているところである。
     西ヨーロッパの自然は大変安定しており,その原因は地震がないからだという。東ヨーロッパや南ヨーロッパは地震が多発する地域が数多くあるが,西ヨーロッパだけ地震が極めて少ない。その自然の安定性があって初めて,西ヨーロッパで自然科学が高度に発達したというのが,寺田氏の考え方である。自然を定量的に観察し,分析し,コントロールし,活用し尽くすことのできた自然的背景,それが地震のない西ヨーロッパの自然の安定性だということだ。それと対比して,日本の自然は大変不安定で,その最大の原因が地震であるという。台風や洪水もあるが,その自然の不安定さの質は全然違うというわけである。
     その最も不安定な地震という自然的条件に,日本列島人−−日本列島人という言葉は,寺田理論をより普遍的な言葉で言いかえるために,個人的に用いている−−は長い間つき合ってきた。そのような自然に対して,日本列島人は,自然が威力を発揮するようなとき,その自然に反逆することを最初から諦めていた。自然から学び,自然の前に膝を屈し,自然から学ぶという姿勢を保つようしていた。そして,その猛威を奮う厳父としての自然からさまざまな知恵を学び蓄積する,その営々とした努力の中から日本の学問は生まれた。日本の自然科学は,そのような伝統の力の影響を強く受けている。ヨーロッパにおける自然科学と日本における自然科学の発達は,おのずからその点で違っている。自然科学の普遍性を主張する人は多数いるが,自然科学においてすら,民族性や風土性に強く影響されている側面があるということを,昭和10年という段階で寺田寅彦氏は言葉鋭く指摘している。昭和10年までは日本の自然科学は健全だった。寺田寅彦氏の昭和10年の段階,「日本人の自然観」の段階に戻るべしというのが,私の最も主張したい意見である。
     また,そのような恐るべき自然と長い間つき合ってきた,その危機管理思想によって生み出された知恵から,自然の中に人間の力を越えたものが存在することを自然に感ずるようになった。自然の中に神の声を聞き,人の声すら聞くようになった。そこから日本列島人の間に,「天然の無常」という感覚・考え方が生み出されたと寺田氏は言う。   「天然の無常」というのは宗教的な用語だが,それをもっと普遍的な場面で寺田寅彦氏は指摘したのではないか。仏教が日本に入って来て初めて日本人は無常を知ったのではなく,それ以前から,日本の風土そのものが日本人に教えてきたものが,この「天然の無常」であるということである。
     自然科学者の究極の認識が,宗教的なある真理と裏表の関係で結びついているところが非常におもしろい。それは地震学者でなくては到達し得ない認識だったのではないか。
   
   最後に,数学者の岡潔氏である。35年程前に行われた小林秀雄との対談の中から,岡氏の主張について特に二点述べたい。
     まず,20世紀は物理学の世紀だと言われるが,実は物理学が行ったことは二つある。それは破壊と機械的操作である。創造の仕事は一つも行れていない。物理学をはじめ自然科学は葉緑素一つ創造することができないではないかと言う。考えてみると,確かにそのような側面はある。葉緑素一つ作ることができない自然科学や科学技術で創造立国と言っているわけだから,日本の国家は危ういと思う。
     次に,岡氏の晩年の最大の関心は,数学的な1という観念を人間はどの段階で発見するのかということだった。試行錯誤を繰り返し,最終的に赤ん坊の成長段階のある時期だと確信する。これは直感である。それで今度は,自分の孫たちを観察し始める。およそ18カ月目に赤ん坊というのは全身運動をする。そのときに数学的な1を発見すると岡氏は考えた。おそらく自然科学のさまざまな分野の研究者はそのことを実証できないだろう。
     数学の問題が単に自然科学的な世界だけの話ではなく,人間の全身運動のような心身問題全体を包括するような世界で発生する問題だとしたとき,まさに人文・社会科学的な研究と自然科学系の研究を総合したところ以外では考えていくことができないということが,そのような場面で発生しているということではないか。
   
   これまでの自然科学を一つの学問領域とすれば,そのようなものと,もう一つ,科学の領分を越える闇の領域とでも言ってもいいような問題,その両者を包んだような「メタ科学」の方法的な追究ということが,21世紀には必要になるのではないか。単に人文・社会科学と自然科学の融合というような命題の出し方ではなく,この上に「メタ科学」という領域を設定する必要があるのではないか。
   
     質疑応答・意見交換
   
   土井隆雄氏の話で,「宇宙のイメージは?」という質問に対して,宇宙は計画的に作られたということと,宇宙は神秘に輝いて見えるという回答があったということだが,この二つの考え方は,土井氏の中で単に共存して並んでいるだけなのか,どこかで統一されているのか。その際,どのように判断されたのか。
   
   ある意志に基づいて,というような言葉があったかもしれない。ある意志に基づいて計画的につくられたものと。そのある意志とは何なのかについてはあまり議論を深めなかった。いずれにしても,宇宙が計画的に作られたものだという認識は,西欧世界の科学者とも共通する,ある普遍的な原理に基づいて言われているような感じがする。
     そのことと,宇宙全体が神秘に輝いているということが矛盾しているか,共存しているかということについては,もっと長いタイムスパンで考え直してみなくては分からない問題である。
   
   闇の領域を包んだメタ科学についてだが,闇の領域というのを探究するのが人文学と理解していいのか。
     それから,自然科学との融合というテーマから離れて,人文学に対する支援,あるいはそのあり方について考えがあれば伺いたい。
   
   闇の領域を研究するのは哲学,文学,歴史,宗教学等の人文学である。ただ,時代をリードする学問が自然科学全般に広がってきて,人文諸科学・社会諸科学が,その自然科学的な理論や仮説に引きずられていき,本来の闇の世界を研究すべき意欲も夢も希望も次第に失われてきているというのが現状である。それをどのように復活させたらいいかという問題意識が一つあった。人文・社会諸科学は闇の世界を第一の研究テーマにすべきであるが,時代の全体の状況を見るとそれだけでは足りない。
     第二番目の問題に少し触れると,人文科学という言い方に反対で,人文学でなければならないと私は思っている。
   
      加藤尚武専門委員(鳥取環境大学長)より資料3(「文理融合の理念−−国民的な合意形成が合理的に行われる条件を求めて」)に基づき意見発表の後,質疑応答,意見交換が行われた。その内容は以下のとおり。
   
   
     意見発表概要
   
   フンボルト時代の文理融合の理念と現代的な文理融合の理念とはどのような関係があるのか。フンボルト時代の学問の統合の理念というのは,今の考え方とは大分違うのではないか。その当時の学問論を見ていると絶対的な真理の中に神が宿るということを盛んに書いてある。この一神教の考え方によって学問全体の統合を考えているという感じもするが,聖職者によって職業的な学問の領域や書記等の文筆の仕事が独占されていたのに対して,聖職者を離れた世俗的な場面で職業的な知識人や学識者や官僚を養うという目的で大学が作られたときに,聖職者に対抗するために,大学それ自体が神的な絶対性を担うことができるというカウンターイデオロギーを作る必要がドイツ観念論の中にあったのではないか。
     その当時の学問の統合の理念は二種類あった。カントの考え方では,あらゆる学問はその断面を取ると12個のカテゴリーからでき上がっているという考え方で,学問と学問はカテゴリーを通じての形式的な統合は見られるけれども実質的な統合がない形になってしまうが,18世紀の末頃になると,有機体という観念が確立されつつあって,自然科学全体が物理学,化学,有機体学という3つの形で,自然科学それ自体が1つの統合的な学であるという考え方が出てきた。
     もう一つ出てきたアイデアは,フランスから来たアンシクロペティという考え方である。日本では,西周があらゆる学問が全部つながっているという意味の百学連関という訳語をつくっている。それがフランスから入って来ると,ドイツ人はあらゆる学問の連鎖をそれ自体統合する究極の原理があるはずだと考え,学問統合の原理を追究するという課題が生れた。すると,カントのような考え方ではなく,あらゆる学問を次から次と生み出していくような生命体的な理念の自己展開があるという考え方ができ上がっていって,それがヘーゲルの論理学という形になった。この考え方は,英米系ではスペンサーの考え方と合体した形になっていき,ヘーゲルがハード型であるとするとスペンサーはソフト型で,あらゆる学問は生命的に自己展開していくという考え方が学問論として,非常に大きな影響を持つようになっていった。
     ところが,それに抵抗する人々は,20世紀初頭にさまざまな拠点を築いていった。まず,あらゆる学問を経験以前に統合していく理念や論理があり,それが自己展開するならば,カントの言葉で言えばアプリオリの総合判断が可能であるということにならなければならないが,論理学的に追究するとアプリオリの総合判断は成立しないという見方が,1920年代くらいに有力になってきて,そこから分析哲学者が活躍し始めるということになる。アプリオリの総合判断がないとすると,そもそも学問全体を統合する超学問的な理念というものは存在しないという結果になるのではないか。
     物理学全体が感覚的なデータを数学的に統合したものであって,それによって人文科学や社会科学もすべて感覚的データの数学的な統合であるという,物理学主義,あるいは超物理学主義という考え方が,その中から出てくるわけである。しかし,その超物理学主義という考え方も成り立たず,現代では,学問論全体をある特定の観点から統合するという案を追究しようとする哲学者はいないと言っていいのではないか。人文科学の領域で,解釈学という立場を築くことによってテキスト解釈の方法論を確立するという哲学者もいるし、自然科学の領域で,数学全体の基礎づけは可能かという問題を追究している哲学者もいるが,学問全体を一つにするようなそれ自体学問となるような方法論があるかという問題について,プラスの答えを出している人はいないというのが,今の現実ではないか。
   
   人文・社会科学と自然科学の融合は,コンピューターという両方にとって役に立つような道具が出てきたので,その道具を中心として考えると、ある意味での融合は可能であるというレベルで考えられるのかというと,そうではないのではないか。
     実際問題として,例えば,旧科学技術庁でクローン問題についてどのようなアンケートを取れば良いかと訊かれたが,そのアンケートの中に,19世紀末頃に発達した犯罪遺伝学のデータから取ってきて,「犯罪者のクローンを作ったらやはりそれは犯罪者になると思うか」という質問を入れておく。そして,全体の答えと,いわばダミーの質問との相関度を取り,非常に高い相関度が見られた場合,その全体の答えは,実は19世紀の犯罪遺伝学と内容は同じだということになるのではないか。そのようなダミー質問によってチェックしていくという方法論を取った場合に,例えば,原子力発電の是か非かという問題について本当に有効な合意形成になっているかどうかは非常に疑わしい。
     現在,ドイツでは技術と啓蒙というテーマが問題になってきており,現代社会の特徴となっているものが安全の情報依存性という考え方である。例えば,地球の温暖化を手でつかんで確かめることはできない。ダイオキシンを目で見て確かめることはできない。別の例では,放射性廃棄物の実用的な管理期間が千年だが,今まで我々が科学として信じてきたことは,同一条件でもって反復実験が可能であって,しかも現実的にはその反復実験が同一の科学者のいわば生涯の中で行われるという条件が実際には必要である。ところが,千年にもなると,我々は安全という問題についての最終的な合意を直接的な経験によって確かめることができないという状況に置かれている。
   
   現在,学問理念としての人文・社会科学と自然科学の統合の理念については「ない」と考えるほうがいいだろうが,実際的な国民の合意形成の内容を考えると,合意形成に必要なだけの両方の知識を持った人間像というのが必要になってきているのではないか。例えば,クローン問題では,人格の尊厳の究極のものは何かというのは倫理学の問題であり,クローンを作った場合にそれは一卵性双生児とどこが違うかというのは自然科学の問題である。それらの二つの領域の問題を一つの統合する理念で答えを出すのは絶対に不可能だが,両方の領域を知っていなければ二つの問題に同時に答えは出せない。
   
   一方,大学の学生を考えてみると,今は大学進学率がおよそ50%になり,同一学歴の人間集団の中で,大学卒の人々が最大集団を占めるという時代になりつつある。そのような状況の中で,大学は人文・社会科学と自然科学を統合する可能性を持つような国民的な合意形成に寄与できるだけの知識を学生に与えておかなければならないのに,最高学府で専門的な学問を行うという考え方があまりにも有力であるために,現代の大学ではますます国民的な合意形成のために必要な統合的な知識を与えるという状況からは遠ざかってきている。人文・社会科学と自然科学の融合になるような学問と学問の取り合わせの内容については検討の余地がある。鳥取環境大学では,人文学については環境倫理学を,社会科学では経済学や法律学を教えている。自然科学では環境に関する測定ができるようになるための学問とコンピューターのデータ処理操作を教えている。加えて英会話を教えており,このように将来の世代の最小限必要な知識を取り合わせている。その取り合わせはいろいろな形があるが,人文学についての何らかの理解というのは最小限必要である。特に異文化理解の可能性を考えると,人文学の領域はどうしても不可欠である。また,法律や経済等の社会科学も,もちろん必要である。
     自然科学についてだが,ヘーゲルの時代には大学の重要な科目は自然科学概論というものであった。その当時の自然科学概論というのは,物理学と化学と有機体学を三つ全部合わせた学問で,それが大学の教養課程ではかなり重要な科目だったのだが,哲学者たちは,自然科学概論が学問として存在理由があることを主張するために,自然哲学という学問を作って,それをいわば裏からバックアップしていた。高校の段階で自然科学概論というような形の学問を育て,それを大学でもつながっていくような形にする必要があるのではないか。人文・社会科学と自然科学の融合だけではなくて,自然科学そのものの融合も同時に図っていく必要があるのではないか。
   
     質疑応答・意見交換
   
   昭和10年までの自然科学者の天然の無常観に基づいた学問論も環境学でとらえられると思うが,どのように考えているか。
   
   昭和10年といわず,1970年ぐらいまでは,生命領域は技術化されないという考え方が強く,例えば,科学技術によって人間性が分断されたり阻害されるという概念が出てくると,それを社会全体として有機化することによって解決するという見方がかなりあった。しかし現在は,そのような生命領域という,それまで技術にとって聖域であったものが技術化されるという時代になってきている。だから,昭和10年までは健全だったと言っても,昭和10年以前の生命領域が完全に聖域であった時代の考え方に戻すことは不可能であり,我々は生命領域が聖域ではなくなった後の科学と技術の人間の在り方を考えていかなければならないのではないか。
     環境学という領域は,自然の生命観についての直感を踏まえた領域もあるが,そのような直感と現代の技術の持っている可能性との間に妥協点を見つけるという試みではあっても,直感それ自体を生かし切れない面が多いのではないか。
   
   人文・社会科学と自然科学の融合の問題を共通教育の中身の問題というとらえ方をしている点は大変同感であるが,環境学という学問体系が成立して,それが一つの大学における継続的な教育研究の固定的な組織になることについては懐疑的である。
     人文・社会科学と自然科学の融合ということがそもそも言われ出したのは,おそらく科学技術関係者が,自分たちが行っていることだけでは問題が解決できないので,人文・社会系の助けを借りる必要が出てきたためであろう。だから,基本的には問題解決のために諸学が協力して,その問題の解決策を求めようという動きではないか。そのような問題解決型の共同研究,あるいは異なる学問分野間の協力がますます重要になるということは否定しないが,それがすぐに新たな学問体系や教育体系には直結しないのではないか。
   
   従来は,学問を統合する場合,統合の理念等があった上で統合するという考え方があったが,今は,いろいろな特殊な学問をまず考えてみて,その特殊な学問ごとにさまざまな領域を統合してくるという形である。例えば,臓器移植学を考えれば,外科学と内科学と精神医学等を統合する。そのようにして,特殊な学問の中にいろいろな学問の寄せ集めを考えて,「小さなコンビニエンス・ストア」を作るという感覚ではないか。
     そうすると,環境学というものの中には,非常に長期的な意思決定の要素が入ってくる。例えば,温暖化の問題や資源枯渇の問題を考えると,長期的な因果関係を背景にした合意形成という問題が入ってくるので,それが入らないと国民的な合意形成の母体となるような学問としては不的確である。その要素が入っているという学問という意味で,今は環境学が必要だと考えている。
   
   東京大学大学院新領域創成研究科で環境学を作ってきた立場から言うと,環境学をつくるにあたっては,問題そのものがあるということで,多くの先生に学問統合論という理念があったわけではない。
     しかし,環境学を構成している学問の成熟度合いが全く違う。非常に長期的な時間の中で学問を行い,その後の観察を踏まえて研究を行っている研究者と,工学部のように解決ということをすぐ問題にされて,むしろ講座そのものが何年で結果が出せるかということを評価されるような学問を日常的に行っている研究者との間では,同じような土俵の上で研究することは難しい。
   
         黒田日出男氏(東京大学史料編さん所教授)より資料5(「人文・社会科学と自然科学の融合について―横断的歴史学・日本史学から」)に基づき意見発表の後,質疑応答,意見交換が行われた。その内容は以下のとおり。
   
   意見発表概要
   
   史料編さん所は,古くは塙保己一までたどることができ,実際に史料集を出し始めたのが1901年からで,今年まで100年間史料集を出し続けてきた。それを記念するために三つのことを考えた。一つは,史料編さん所の歴史そのものを史料集として出すことである。二つ目は,国際シンポジウムを開いて,史料集を編さんすることの今日的な意味を問うことである。三つ目は,特別展で,国民的な関心を引くような史料集編さんはあり得るかを模索することである。
     現在,東京国立博物館で,特別展「時を越えて語るもの」を準備している。東京大学史料編さん所の実行委員長として三年間準備してきた。この特別展のポイントは,大学と国立博物館が共同で行うことで,これは初めてのことである。また,大学と独立行政法人が組み合ったという点でも初めてだろう。歴史と美術という全く違った概念を持っている人たちが一緒に準備してきたが,大変厄介だった。博物館の方は上意下達であり,大学の方は基本的に議論を積み上げていくという形で研究者の了解のもとに全体が動いていくように,意思決定の仕方がまったく違う。
     東京国立博物館に依頼した理由の一つは,平成館という体育館のような巨大な建物があり,そこで21世紀に向けて歴史学の方向性についての端緒みたいなものを示したいと思ったからである。歴史学のデジタルミュージアムという構想で,東京大学大学院情報学環の研究室の協力を得ながら,そこで史料編さん所が用意したさまざまなコンテンツやデータベースを展示する。
     人文・社会科学と自然科学の融合という意味で考え得ることは,歴史学ではこの程度のことしかできない。国絵図という20メートル×4.5メートルという巨大な絵図を写真で原寸大に焼いたものを壁面に展開させたり,複製をメインにしてしまうということも試みている。人文・社会科学と自然科学の融合と考えるときに,具体的な組織が行ってみると,どのようなことになるかという実例として参考にしていただきたい。
   
   今日の状況として強く感じていることは,日本史学の分野では研究者が小粒化してきている。かつては「タコつぼ」だったが,極端に言って「錐穴」の中に住んでいるという感じである。彼らを取り巻く専門家集団の組織は古代史,中世史,近世史,近現代史のように決まりきっており,しかもその枠組みの中にみずからを閉じ込めている。そこで大きな問題が出されても枠組みの中に吸収されていき,結局あまり変わりばえのしない学問のあり方の中に戻ってしまうというのが当たり前の状態になっている。だから,人文・社会科学と自然科学との融合を考えると,コンピューターをどのように使い回すかという程度のところに落ち込んでいくことは目に見えている。
     しかし,希望もある。現在,史料編さん所の画像資料解析センターに在籍しているが,若い世代の研究者といろいろな形で議論したり,彼らの作業の様子を見ていると,インターネット環境を十分に使いこなし,情報の新鮮な探し方ができている。同じテーマで情報を集めるにしても,ユニークな方法で集めることが多い。我々は責任を持って若い研究者をどのように育てていくかという意味で,この融合の問題をとらえていくべきである。
     そのようなマイナス面とプラス面がある状況の中で,人文・社会科学と自然科学の融合について,四点の意見を述べる。
     第一に,環境や生命倫理等の人類史の緊要の課題と結びついた歴史学の研究課題に取り組むために自然科学の研究者と対話し,あるいは共同研究を行うことをどのように具体的に実現していき,持続的に実践していけるかである。1960年代の末から70年代の初めにかけて,高度経済成長の問題点も含めて,環境問題について歴史学はきちんと議論すべきだという趣旨のことを論文にしていた。しかし,歴史学界は,その論文の受けとめられる論点については取り上げてくれたが,肝心の環境問題に関わる一番大切な論点についてはほとんど取り上げてくれなかった。
     歴史学は,具体的にどのようにすれば人類史的な課題に即した学問のスタイルを築き上げ,対処できるのかを考えた場合,一つは,当面のこととして技術史,科学史,環境史,医学史,農業史等の既存の学問をどのようにすれば活性化できるかぜひ考えていただきたい。あわせて,自然科学の中にできるだけ人文学や社会科学の学問的な考え方をきちんと位置づける。迂遠かもしれないが,それが人文学を活性化させていく最短の道なのではないか。
     第二に,人文学や社会科学には,考古学,美術史,食物史等の物に即した学問の流れがある。これを,どのようにして活発で意義のある研究をつくり出すものに組み直していけるかである。例えば古写真史である。膨大なガラス乾板が,あらゆる大学や研究機関にあるが,それをデジタル化も含めて保存しなくてはならない。そのようなところで出てくる問題点をきちんとくみ取っていただきたい。
     また,自然科学的な手法の導入というのは以前からあったが,保存科学的であったり,年代測定ということに限られていた節がある。物に即した研究が必ずしも十分ではない。例えば,藍染の藍の色素が人間の体をどのように元気にさせるか,活性化させるかという研究を企業で行っている。人文・社会科学の中では,そのような物の素材に即した研究を,保存や年代測定という形で限定する枠組みの中でとらえることなく,もっと広い自然科学的な関心の持ち方,あるいは現代の課題に即した物の研究につなげていく。そういう方法で物に即した研究の展開を考えることができるのではないか。
     第三に,歴史学は情報蓄積型の学問であり,極端に言えば,古い資料ほどいいものである。何度も何度もそれを利用し直すので,テキストをどのような形で蓄積していくかが問題である。日本は史料大国のナンバーワンと言ってもいいぐらいだが,依然として十分な情報蓄積とオープンリソース化が実現しているとは必ずしも言えない状況にある。
     第四に,人文・社会科学と自然科学の融合を考えたとき,国立大学の附置研究所や大学共同利用機関がそのかなめになるところであり,どのような役割を演じられるかということに大きな課題と可能性を見出したい。一般論としては,もちろん歴史学においても,研究者の個人的な研究が基本であることは間違いない。しかし,社会科学の振興や活性化について根本的に考えようとすると,国立大学の附置研究所や大学共同利用機関の組織力によって研究基盤を構築していくことが大きな柱になっていかざるを得ないのではないか。例えば,データベースを構築しても,情報蓄積型ならば常に更新して維持していく必要がある。そのためにどのような組織が必要かを大学の附置研究所や大学共同利用機関は考えざるを得ない。東京大学史料編さん所では,常により大きくかつ新しい史料をつけ加えた形で,より進化した形でデータベースを構築しようしている。それが組織的に可能なのである。その組織的な可能性が柱になって,我々の研究活動というのは,人文・社会科学と自然科学の融合のための拠点として,目的意識を持って行っていく責任がある。
   
     質疑応答・意見交換
   
   後半の第四の意見について伺いたい。国立大学附置研究所や大学共同利用機関の組織力による研究基盤の構築というのは,新たに構築するという意味なのか。
   
   現在,幾つかの研究機関が,現状のデータベースをどのように関係づけるかについて議論を開始している。イメージしているところは,一例だが,歴史絵引きデータベースという,物と名前の関係を徹底して考えていけるようなデータベースを構築したいと考えている。
     二つの入り口がいつも開かれていて,例えば,人の服装が画面上にある。それをチェックすると,その名前,定義,関連する文献が分かる。その絵についてさらに見たいとすると,現行のいろいろな文献の中にどの図版が入っているかが全部わかる。逆に,名前があって物がわからない場合は,名前を調べると定義があり,文献があり,そのイメージを求められるというものである。それを小中学生や高校生も利用でき,かつ大学の研究者も共用できるようにする。できればメディアその他全部が利用できて,常にそこに物と名前の関係についてのあらゆる検討がそこでチェックできるようなデータベースの構築を,試験的に今度の特別展で見せる予定である。
     しかも,子供たちも自分でやる気になれば,風俗史や文化史等のかなり専門的な分野において共有できる語彙とイメージが獲得できる。極端な言い方をすると,町にあった貸本屋に近いものをデータベースとして構築したい。
     それは決して古びず,かつ共有されるので,どこの大学でも先生を抜きにしてでも使える。自然科学的な情報をどのようにリンクさせるかはこれからの課題だが,人文・社会科学で共有できるものについては作ろうと考えている。
   
     今までの意見発表を踏まえて,討議が行われた。その内容は以下のとおり。
   
   自然科学の側からの要請というのは,わりあい技術表面的なことであるが,今や,自然科学的技法をもって立ち向かわなくてはいけないエネルギー,環境,生命等の諸問題というのが,人類が生命であるということ自体に根ざすような非常に広範な問題になってきていて,これは今まで分化してきた自然科学というカテゴリーだけでは対応できない。自然科学だとしても,自然哲学等の根源に戻って立ち向かわないといけない問題が出てきている。人文・社会科学であれ自然科学であれ根は一つで,それは人類の知に根ざすものである。人類の知的活動の根源的なものが求められている状況なのではないか。
     しかし,歴史的には分化してきてしまっている状況から根源に遡らなくてはいけないので,いろいろ分化している学問がどのように相互に作用しあい,あるいはシステムを構築していけばいいのかを考える必要がある。雑誌で,知のグループは相互作用を持っていて,知の領域が異種交配を持ったときに相互的に不毛化をもらたすのか豊穣をもたらすのかという議論があり,科学技術社会論にも言及して,現在の文理融合や総合化という議論が疑わしいと言っていた。つまり,常に正の自己言及性(このようなことを行えばこのようないいことがあるという議論)はあるが,負の言及性(このようなことを行った場合このようなデメリットや落とし穴があるという分析)が不足しているということが書いてあった。
     学問というのは生命体のように自己展開していくとき,カオス(混沌)とオーダー(秩序)の境界をどんどん発展していく。これは,必ずしもいい方向ばかりに行くわけではない。オーダーに陥ってしまうと,タコつぼが錐穴化して,そこで行き詰まりで落ち着いてしまい新しく発生してくる問題に対応できない事態になる。カオスとオーダーの境を学問という人間の知的活動が自己展開していくとすると,必ず負の相互作用も起こる。文理融合における相互異種交配の構造を系統的に考えるべきである。当委員会でも肯定的な方法論は提案がされているが,一方,どういうことが不毛に陥りやすいかをもう少し批判的に探る必要があるのではないか。
   
   自然科学の中に人文・社会科学の柱を作っていくことは,非常に重要で,いい手がかりではないか。そのようなことを通して,自然科学の負の面の解決や社会への還元が達成されるとよい。
   
   人文・社会科学という学問のあり方に非常に疑問を持っている。特に戦後の人文・社会科学,あるいは人文・社会科学者の自己意識の問題にも関わるが,その大勢は,自然科学的な概念や手法・方法,仮説・原理の立て方をひたすら模倣及び学習し,それを低く不正確なレベルでもって自分たちの学問の方法の基礎づけを行ってきた。人文・社会科学といった場合の科学的な厳密性は,自然科学の分野における科学の厳密性と比べれば質的に劣っている。にもかかわらず,そのような観点から,人文・社会を客観的に科学的に研究するという,いわば甘えた自己認識を持つようになった。戦後50年間に日本の人文・社会科学は衰弱し社会に対しても人々の心にも届かなくなったが,そのようなやり方を行ってきた以上,これは宿命ではなかったかと思う。
     なぜ人文・社会科学者は,その人文・社会「科学」という言葉を撤去する勇気を持たなかったのか。あるいは,それを根本的に疑う別の学問的な原理や方法を考え出さなかったのか。その行き着いた果てが錐穴ではないかと感じる。
     人文・社会科学から「科学」を取り除いて,人文学という学問分野を考え直すときに今来ている。むしろ人文学対自然科学,そういう学問上の対決ということを真剣に考えるべきところに来ているのではないか。その妥協策として,人文学,社会科学,自然科学という三元構造でものを考えていこうという考え方がある。人文学は前世紀的な学問だという印象があるかもしれないが,これから人文学という学問分野が非常に重要になるのではないか。それを考えないと,人文・社会科学は,絶滅に限りなく近い道のりを歩むことになるのではないか
   
   例えば,宇宙ステーションの中で中東和平交渉を行ったとしたら,地球に対する認識は随分変わるのではないか。先ほどの闇の世界というのは絶対的ではなく変えることができる,それが科学の成果である。また,いろいろな場を与えるという意味で,科学技術の成果であると考えることもできる。そうすると,例えば首脳会議における意思決定の変化についての研究が可能になるかもしれない。
     そのように考えてみると,自然科学が人文・社会科学に対してある種の研究テーマを見つける機会を与える。逆に,人文・社会科学が自然科学に対してある種の研究の機会を与える。このような相互刺激がとても大事で,現在求められているのではないか。
     ところが,例えば,日本も地球観測衛星をたくさん打ち上げたが,どのようなセンサーを積むかについて,考古学者が名乗り出て発言したかというと,そうではなく,自然科学の研究者が宇宙考古学ということを言い出している。つまり,自然科学が幾つも機会を作り出しているのに,人文・社会科学者はそれを利用していないというのが,一つの問題ではないか。また,自然科学の側から言うと,自然科学は勝手に進んでいって自然科学の学問体系の中から答えが出ないものにぶつかったときに,人文・社会科学に助けを求めている。お互いが新たな研究テーマをお互いの共鳴の中で探していくことが,実は融合ということになるのではないか。
   
   人文・社会科学と自然科学の融合という問題の立て方自体がおかしい。これはおそらく,科学技術基本計画等の議論の過程で,統合や融合の必要性の指摘があったことに触発されたのだろうが,政策的な重圧ということではなく,問題は,人文・社会科学と自然科学という分野間の壁にとらわれないで現代が直面する課題にどのように取り組んでいけばいいかという広い文脈で検討すればいいのではないか。だから,当委員会では,人文・社会科学と自然科学の融合と言われている問題を分析した結論を明確にした上で,それぞれの問題点や方向性を明らかにするほうがいい。
     以前から,人文科学というのはおかしいと思っていた。戦後,一般教育を持ち込んだときに,三系列で,自然科学,社会科学,人文科学と言い出したあたりから始まった。科学というのは経験科学だと理解すれば,明らかにおかしい。だから,当委員会は人文学の振興も合わせて行うので,その点は人文学で割り切ったほうがいいのではないか。諸外国でも,ヒューマニティーズと言っている。
     それから,融合ということであれば,むしろ人文学諸学,社会科学諸学,自然科学諸学相互間の融合というか,総合化というものが先に来るのではないか。
   
   東京大学では,生命,エネルギー,情報,環境について研究を行う新領域創成科学研究科を創設し,二年間研究科長を務めた。実際に,人文・社会科学と自然科学の融合を経験したのだが,これは非常に難しいところがある。例えば,生命については,生命科学が専門の研究者は物質そのものが生命活動をしているというとらえ方をし,人文・社会科学の研究者は生命を一つの人格を持ったある有機的な主体が環境と関りあうことととらえる。この間には会話がほとんどない。だから,合わせたからといって,そこの間に途端に会話が弾むということは全くない。
     そのような状況をたくさん見てくると,制度設計として社会的諸問題を解決するため,それぞれの学問の核をある問題のところで設定し遭遇させるという試みは,大学で実際に行う場面になると,研究者がそれぞれの学問の制度的なことが身に染みており,例えば自然科学系の研究者は自然科学系から抜け出ないというのが明らかに日常化してしまっている。新しい学問を作ろうとしたとき,特に学融合という場合,状況や制度的な遭遇の場所,通常のカリキュラムの設定等を可能な限り変えても,いろいろな意思決定,つまり大学づくりそのものも変えていかないと何も変わらないということを経験してきた。
     まず必要なのは,だれかがリーダーシップを持って,学問がお互いに違うということを知ることである。そのためには,ゆうに二,三年はかかる。医科学研究所の行おうとする研究が医学部とかち合って困るという相談を受けたことがあるが,医学部というのは附属病院を持っており,研究対象として患者を考えるかもしれないが,それは人であり,医科学研究所が対象にしているのはヒトゲノムである。医科学研究所で行っているのは科学としての医学で,最小単位のものを分析しているが,それを教育組織である医学部が行う場合には,あくまでも教育組織として人というものを考えざるを得ない。そういう話をすると,急速に話が進むのである。
     現在は,東京大学人文社会系研究科に戻ってきたが,例えば,環境倫理,生命倫理,情報倫理,技術倫理というような応用倫理というものを作ったらどうかと提案しても頑として動かない。動かない理由は,自分の講座や制度が変わってしまうからである。したがって,所属を変えずに社会学や宗教,社会心理,哲学等の教官を含めて,応用倫理に関する教育プログラムを作った。これは,文学部そのものを変えていく方法である。自らを変えないと,自然科学系にも目が向かない。そうした上で,医学部や工学部,新領域創成研究科,農学部等に行って話をすると,初めてそのような領域で教育プログラムが成立する。ただ,人文・社会系はそれだけでは決して伸びない。工学系ならば技術者,医学ならば臨床現場にいる人を必ずプログラムの中に入れるような具体的なことを行う必要がある。つまり,医学部の場合,バイオを行っていくと,医療というところで初めて人が出てくる。また,制度的改善だけではなくセミナーを独自に行って,日常的に存在して語り合っていくという場面がない限り,違う学問分野の人たちが出会う場はないのではないか。制度設計の必要もあるが,実際に実行すると,そのくらいの工夫をしていかないと難しい。
     例えば,流体力学やプラズマの研究者がカオス力学等を行っているという話を聞いていると,人文・社会系とそっくりだという印象も実はあった。つまり,何も分からない社会問題のところから,それを一時的に非常に不安定だが解決しようという振る舞い方が人から出てくる。それは一貫性はまだ持たないけれども,そこで人が協働性に立ち向かっていき,ある一義的な解決の仕方が出てくる。哲学や倫理や社会学は,そこに何か新しい解決を見ていこうとする。それと自然科学の研究者が,カオスの中からある不安定な状況だが,何かそこに安定的な傾向を見ようすることとはある意味で非常に類似している。このような場面では会話も可能ではないか。
   
   人類が直面しているような大きな問題の解決に向けて,人文・社会科学が開かれなくてはいけない。それなくしては,今後の人文学や社会科学は趣味の領域に堕する。
     その理念としての解決ではなく,具体的な措置をとろうとすると,人文学,社会科学だけではなく自然科学の力も必要であり,したがって,両者の協働が要請されているのではないか。うまく協働を行うには,それぞれの専門家も必要だが,両方にまたがるようなトランス・ディシプリナリー(学問分野を横断する)なリテラシーを持っている人が必要である。それは,ある専門性は持ちつつ,他の分野も理解できるという人である。それぞれの専門家が知識を持ち寄るという状態はどんどん可能になってきているが,お互いの領域の学問の進め方,あるいはその領域が持っている文化を理解することが,協働していく上では不可欠である。
     環境やエネルギー問題等は緊急に解決しなくてはいけないが,人類的な問題として長期的視野でとらえると,教育についても考えなくてはいけない。教官は自分たちの学問文化で育ってきたが,若い人たちを育てる場でトランス・ディシプリナリー・リテラシー,あるいはトランス・カルチュラル(文化横断的)・リテラシーというものを若い人たちが習得できるような場を教育の場にする。例えば,環境学というのもいいであろう。若い人たちは,お互いにある程度トランス・ディシプリナリー・リテラシーを持っているところに,若い人なりの新しい展開をつけ加えて、一人前の学者になり,あるいは社会に出るだろう。教育の場にできるだけ新しい文化横断的なセンスを持った学者が育っていくような場を用意するということは必要かつ有効ではないか。
   
   現代的な課題への取り組み方は,実際問題としては,研究プロジェクトを通じての協力・協働を促進するというのが,当面,取れる最大の道ではないか。ただし,そのような共同研究的なものをうまく組織するオーガナイザー(組織編成者)を得るのが極めて難しい。それも含めて,教育の問題ということから考えなくてはいけないという話になる。
     その教育の問題を考えるときに,一種のゼネラリストというものを意識的に養成するというのは,おそらく成功しない。複数専攻ということも含めて,研究者の養成過程の中で,どのような専門分野に進むにしても,個々の研究者の学問的な幅をどのようにして広くするかという観点から取り組むことが一番の近道ではないか。
   
   自然科学系の研究者の話を聞いてみると,もちろん人文・社会系の研究者には全然分からない言葉をたくさん使う。ところが,自然科学系の研究者同士でも相互の話が分かっていない。オーガナイザーであると同時に,話を解きほぐすある種の編集手腕の機能が必要である。これは,場の作り方の一つではないか。
     また,学問の融合に必要なのは,ゼネラリストではないのではないか。今までのそれぞれの学問で優秀であるというだけではなく,知的冒険心を持っている人が必要ではないか。
     実際に学融合されて,新しい領域や学問が本当に融合化されるかどうかというのは,これはその問題を見つけた人がその瞬間に行うものであり,その意味では非常に偶然である。しかし,制度面としては,そのような場が常にあり得るようにしておく必要はある。
   
   今,実際にインスタント・ゼネラリストとでも呼ぶべき人がたくさん出てきている。融合という点からいえば,もてはやされる条件もあるが,その人自身が持っている専門の研究領域に何か寄与したかというと,既存の論文をつなぎ合わせて,寄与したように映っているだけという現象がかなりある。今の若い研究者は,自ら進むべき道を錐穴にするかインスタント・ゼネラリストにするかという選択をしつつあるのではないか。
     学問領域が接点を持つという場合,例えば,花粉についての学問が歴史生態学の復元に必要だというように,その学問自身の内在的な要求から接点が自然にできてきて,そこから成果が生まれてくるという場面はたくさんある。しかし,もう一つは,学問とは違う別の必要から,接点がどうしても要求されてくる。例えば,生殖補助医療について言うと,刑法学者と産婦人科医の間,民法学者と産婦人科医の間では話は通じるが,刑法学者と民法学者は断絶している面もある。
     一般教育の問題として言うと,学問領域の接点ができる場面はさまざまであり,そのような接点が発生したときに,それが十分生産的な成果に結びつくための基礎教育が既に危なくなっている。接点を確かなものにするためには,それぞれの専門領域における蓄積や寄与をしっかりしたものにすることである。
 
   法律学は,おそらく一番タコつぼ化,錐穴化している分野であり,自然科学との融合をほとんど考えていない学問である。ただ,人文・社会科学全体としてどのように振興していくかを考えるときに,どのような方法を取るかということよりも,今,人文・社会科学に何が求められているかということを考えておかないといけない。
     逆に言えば,自然科学は人文・社会科学に何を求めているのかということであり,同時に,自然科学が従来の自然科学では解決できないと考えているのであれば,実際に何が欠けているのかをある程度明らかにしておかないといけない。ただ単に人文・社会科学の振興と言うと,予算要求というところにつながるだけである。
     生命科学の分野を見ていると,科学そのものが変わってきているという印象を受ける。おそらく自然科学全体に当てはまるだろうが,従来は,自然の観察や分析を通して何らかの理論を立てるという手法であったのが,最近は,生命を操作する,あるいは環境の問題も含めてもう少し大きく言えば,自然を操作する,改変するという手法になってきている。今までの観察から始まっている自然科学とは違う中身になってきているのではないか。現代科学というのが,まさに人間そのものを根底から扱うようになったため,今までは人間を見ているだけだったが,人間そのものを中から扱うようになったので,今までの自然科学だけでは対処できないから,人間そのものを考える学問としての人文・社会科学と一緒に解決しようということではないか。
     ところが,人文・社会科学は,人間や社会事象を研究対象にしている学問もたくさんあるが,方法論は変わっていない。そうすると,ほとんど何も変わってないところをどのように変えていくかという問題になる。
  その観点から見ると実は二つの矛盾した部分がある。一つは,自然科学が人間そのものを扱うようになり,現代的な問題としては人間全体の問題になっているにも関わらず,実は人文・社会科学の各分野は,まさに錐穴的に非常に細かく専門化している。
     もう一つは,リテラシーというのは,単に知っている,あるいは理解しているというレベルのことで,人文・社会科学と自然科学の融合が,学問間の融合であるならば,リテラシーではなくその人の特別な技能を身に付けるための学問が必要になってくるが,それは,ゼネラリストを養成すればよいということではない。人文・社会科学の活性化や自然科学との融合を考えたとき,どこをターゲットにして議論するべきかをはっきりさせておく必要がある。
     最終的には,人文・社会科学系の研究者と自然科学系の研究者が一緒に議論をするというプロセスを経ないといけない。従来の法学部,経済学部,文学部という完全な縦割り型ではなく,総合科学や人間科学等のような人文・社会科学と自然科学を包括するような制度を作ったほうが,現実的な方法としては話は早い。
   
   自然科学の学問の中に人文・社会科学の柱を立てる必要がある。例えば,自然科学のデータを読める人が人文・社会科学的な知識で対応しないとデータの持つ情報が歪んでしまうという問題がある。
   
   人文学は,人間そのものを根底から考えるのが基本原則であり,ばらばらに飛び散っている要素を相互に関係づけて意味を組み上げていくことを徹底して行う。物語や小説の研究が何の役に立つかというと,私たち自身が生きていることと非常に結びついてくる。自分の人生の意味が何なのかと考えたとき,さまざまに体験したことを科学的なものだけで同列に数量的には認識できない。自分自身にとって納得する人生を送るために,人生という物語のパターンをフィクションの世界の中で仮想的に試みていく。その中で,自分自身の生き方というものをどのように認識できるかという意味づけ構造を行っている。歴史の学問についても,現在と離れて歴史があるわけではなく,それを照らし返すような形で問題が検討されてきている。
     自然科学においても,生命倫理等でどのように生命を扱ったらいいのかということが問題になっているが,そのような問題自体が,実は文学の最も扱うべき,かつ現に扱っている問題である。
   
   人文・社会科学の振興や自然科学との融合を進めていく上で最も重要なことは,どのような研究がいい研究であると社会が考えるかである。各分野の専門家が,その学問的意義を主張するのは大事なことだが,それと同時に,いろいろな人たちがいろいろな立場で評価をしあい,いろいろな研究に脚光を当てていく事が必要なのではないか。
   
   人文・社会科学と自然科学の融合の代表的例として生命倫理が挙げられるが,例えば,脳死に関しては死をどの時点で認めるべきかという問題がある。クローン人間に関しては胚の操作を認めるかという問題がある。これらのことについて,その時点における人の受けとめ方がどうかということ以上に,倫理学は最終的な価値判断に対してどのような形で学問的な貢献ができるのだろうか。
   
   例えば,脳死の問題を扱ってみると,今まで人間が死という一言でくくっていたことの中にいろいろな可能性や多様な意味があり,今まではその中で処理できていたが,脳死という問題が起こってくるとその多様な意味が違った意味になって現れてきてしまうという形になる。歴史的に形成されてきた概念が新しい技術の発展段階になると,まるで網をかけられたように多様な意味に分解してしまう。人間が長年抱いてきた価値観を分節された網の目ごとにとらえ直して再構成するという作業が倫理学なのではないか。
   
   現在問題になってきているクローンの問題や脳死,臓器移植の問題等の問題性を指摘したり,学問上の困難な問題を批判するのは,倫理委員会くらいしかないのではないか。本来は,そのような先端領域の問題の是非を学問的に研究する新しい学問分野を,今,設定すべき時に来ているのではないか。そこには哲学,宗教学,文学,歴史学や自然諸科学等の専門家が,従来のコミュニティーの利害や壁を乗り越えて参加するような制度的に新しい研究者集団というものを拠点的な大学に作っていく必要がある。
     また,巨額の経費を投入する学問分野や施設にどれだけの学問的な意味があるのか,人類の幸福のためにどの程度研究すればいいのかを,プラスとマイナスの両面を含めて検討する研究者集団が研究機関に作られる必要があるのではないか。
     新しい先端領域の学問というのは,非常に大きなメリットを人類に与えると同時に,大変危険な状況に人類を追い込むかもしれない。それをいろいろな学問の諸領域の専門家が集まって学問的にチェックすることは緊急の課題ではないか。
   
   先ほど自然科学の側だけが方法論を変えて自然を操作するようになったという話があったが,生命体が情報をできるだけうまく集めて,それを使って自ら増殖するための素材をいかにうまく集めていくかというのは基本であり,人間もその枠組みの中にいて,得た知識から自然を操作して技術として使うというのは今に始まったことではない。ただ,それがこの200年で非常に急速に進んできたというのが今の問題だろう。
     一方,文学や哲学の分野では,人の生き方や在り方に関する研究で,これは生命体のうちの個体が主たる関心事である。それは研究者が個なので,個人としての研究者の視点から一番関心のある個体としての分析や記述,生きざまというものを興味として今まで研究してきた。しかし,個別の生きざまを越えて,生き物としての集団,科学技術による国家,地球規模での人の生きざまや在り方を人文・社会科学が対象にしなくてはいけない状況が出てきている。軍事や経済活動等が推進力になって科学技術が発展し,このような状態になっているのに対して,その中にいる生き物としての人間,社会,国家,地球というものを人文学や社会科学はとらえなくてはいけない。そのためには,個としての研究者という視点から,集団として作業し,そこから発信するというシステムを構築していくことが必要である。
   
   物語や小説の研究とは,現実の人生は一回しか生きられないところを,物語という仮想の世界の中で,他者の立場に立つということを反芻しつつ,一つの意味付けの構造を考えてみる学問体系である。
     例えば,死の問題でも,さまざまな死の在り方を小説の世界や歴史のさまざまな事象の中から,その受けとめ方や意味付けを考え直すための比較材料を豊富に比べることによって,意味を汲み上げていくという作業を行う。
   
   科学というのはサイエンスの訳語として出てきており,そのモデルは物理学をはじめとする自然科学である。それになぞらえて,人文科学や社会科学という言い方が出てきた。社会科学というのは,いろいろな現象の中から特定の要素を引っ張り出して,モデル化するという,一種の法則定立的な方向から社会を見ていくものである。
     人文科学の場合は,法則定立的というよりは,むしろ一つ一つの個性が大事で,個性記述的な学問であると言われている。その中で,歴史学は人文科学なのか社会科学なのかという議論がある。どちらかに重点を置いた歴史学がそれぞれある。歴史学研究会では,世界史の基本法則の再検討と世界史像の再構成というテーマを挙げて,法則的なことと歴史像的なイメージの把握の統一を試みている等,歴史学の分野でも新しい動きはいろいろあるのではないか。それが伸びていくには,どのような場を作って,どのような条件が必要かを考えていく必要があるが,学問の危機認識がもっと深まればさまざまな考えが出てくるのではないか。
     先ほどの意見発表では,自然科学的な手法を取り込んで,新しい歴史学を作っていくためには個人だけではなく組織が必要であり,その意味で,国立大学の附置研究所や大学共同利用機関の組織力が新しい学問を作る上でも意味があるということだった。しかし,現在の組織力でできるのだろうか。いろいろな新しい先端的な手法を取り込んで行おうとすると,今の組織の在り方では,限界や問題点があるのではないか。それが分かると,新しい学問を形成したり,自然科学をある意味では利用しながら人文・社会科学が発展するには,どのようにしたらいいかという道も見えてくるのではないか。
   
   東京大学史料編さん所の例で言うと,理系の専門家は一人もいないが,理系的思考がベースになっている人が必ずいて,基本的にはその人たちが史料編さん所の全体のシステムを考えてきている。それを,東京大学の他の研究科や情報科学の研究者の助言を受けながら,基本的に企業に外注している。企業の技術者とこちら側の注文を徹底して突き合わせていく。
     大学の研究の社会的貢献等の議論が出ているが,我々は社会的な力をむしろ取り込んでできるだけ使う。しかも,競争関係を利用して,できるだけ安く,かつ,我々にとってプラスになるものを作るためにお互いに議論する。それだけでいいとは思わないが,情報科学の研究者を数十年間雇うよりは,むしろその方が具体的に常に新しいものに対して対処できるという考えである。
   
(2) 今後の日程について
     次回の人文・社会科学特別委員会(第7回)については,2月7日を予定して委員等の日程を調整の上,開催することとされた。
     

 

(研究振興局振興企画課)

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