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科学技術・学術審議会学術分科会

2001/09/14 議事録

科学技術・学術審議会学術分科会人文・社会科学特別委員会(第3回)議事録

科学技術・学術審議会  学術分科会
人文・社会科学特別委員会(第3回)議事録

1.日時

平成13年9月14日(金)  10:00〜13:00

2.場所

経済産業省別館11階  E11号会議室

3.出席者

(委員)

池端,大ア,鳥井,長尾,薬師寺

(科学官)

吉田

(有識者)

立本成文氏(京都大学教授東南アジア研究センター所長)
似田貝香門氏(東京大学大学院人文社会系研究科教授)

(意見発表者)

鳥井弘之委員(日本経済新聞論説委員)
町田和彦氏(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授)

(事務局)

坂田研究振興局担当審議官,井上科学技術・学術政策局次長,泉振興企画課長,吉川学術機関課長,河村学術研究助成課長,宮嶌主任学術調査官,松川学術企画室長,他関係官

4.議事

(1)今後の人文・社会科学特別委員会の進め方について

  資料2(人文・社会科学特別委員会における検討スケジュール(案))及び資料3(これまでの主な意見)に基づき事務局より説明があった。

(2)人文・社会科学振興のためのデータベース等の整備について

  鳥井弘之委員(日本経済新聞論説委員)より,資料4(「例えば、ユーラシア平和プロジェクト」)について意見発表の後,質疑応答,意見交換が行われた。その内容は以下のとおり。

意見発表概要
  •   歴史の専門家でもコンピューターの専門家でもないので,このようなことが実現すればいいと思うことを発言したい。今日の議題である情報基盤の整備に合うかどうかは分からないが,少なくともデータベースが大変重要な役割を果たすという意味では,情報基盤の一つになるのではないか。
  •   ユーラシア大陸は,多くの人たちが駆けめぐり,文化が入り乱れて今がある。それぞれの地点や時代について,多くの研究があるが,それら全部を一つのデータベースにして,誰もがそれぞれの利用の仕方にあわせて絵やグラフで見られるようにすると,歴史の大きな流れがつかめるようになるのではないか。
      例えば,ある民族がどの時代にどのような経路をたどって移動したか,文化はどのように伝わったか,言語や宗教はどこからどのように伝わりどのように変化したか,ある時代のある場所はどの国の勢力下にあったか,また,今で言えば,DNAがどのように流れたかを俯瞰的に見られるようにする。そうすれば,基本的なところでは,学生が歴史を学ぶ上で非常に便利になる。
      別の利用方法としては,例えば,紛争が起こっている地点を考えると,どのような人たちがどのように入り込み,どのような経緯で紛争が起こったのかが分かると,相互理解の一助になるのではないか。また,中央アジア方面に日本人と同じ種族がいて,サハリンを通して日本へDNAが流れて来たという話があるが,そういう流れを見ると,日本人のルーツが分かってくる。
      最も深いところでは,研究者にとって,文献のありかや何語で書かれているかが分かる。また,遺物のありかが分かり,簡単な要旨が手に入るようになる。
  •   以前から,日本が世界の中で安全に生きていくためには何をすべきかということを考えてきた。一番思いつきやすいのは,武力を背景にすることだが,それは日本の取る道ではない。考えられる方法としては,紛争の芽をできるだけ早期に摘み取ることである。大きく見ると,例えば,エネルギーの問題をはじめ,水,環境,宗教,歴史認識の違い等が紛争の芽になり得る。
      また,紛争を防ぐためには,日本が仲介の労を取ろうとした時に軽視されないように,ある程度尊敬される国にならなくてはならない。その条件としては,地球規模の共通課題に対して先覚的に取り組んでいること,文化が高いこと,国としてある程度豊かであることが考えられる。
      さらに,何らかの対抗手段,つまり影響力を持っている必要がある。一番の影響力は、現代では経済の相互依存であろう。また,技術移転を行うことによって,多少の影響力が生まれるかもしれない。
      そして,世界の動きをよく知る必要がある。日本の場合は,さまざまな分野で相互交流を行っていくべきである。
      それから,無用な疑いを避けることである。例えば,日本が原子力に取り組めば核兵器に結びつくのではないかと疑われやすいが,なぜ日本が原子力に取り組んでいるかをはっきりさせ,実際にそれが見えるようにする。理念を明確にして,その情報を透明にする必要がある。
  •   例えば,インドの歴史を見ても100年おきに征服が起こっているように,アジア地域を考えてみると,大変な征服戦争があちこちで繰り返されて,その結果,民族が入り乱れていて,怨恨や怨念のネットワークが東南アジアではでき上がっている。おそらく,ユーラシア大陸を考えると,他の大陸に比べて圧倒的にこの恨みのネットワークというものが大きいのではないか。それを解きほぐして,ひいては平和なアジアを構築していくための第一歩として,地域や民族間の相互理解が大切になる。このようなプロジェクトを日本が行って努力すれば,紛争の芽を未然に防ぐことにもつながり,日本が尊敬される国にもなる。また,このような交流を通して,世界の動きをいち早く知ることにもつながるのではないか。
      今までは,文章や絵でしか示せなかったが,最近の情報技術の進歩によって,歴史を俯瞰的に見ることが可能になってきている。
  •   このようなプロジェクトを行うには幾つか問題点がある。歴史は,政治と極めて密接に結びついているので,政治の介入を避けながら,どの事実をどのように載せるかについての合意を国際的に取りつけ,慎重にデータベースを構築していくことが必要である。だから,短兵急にはできないので,50年程度を考えて,国際協力で新しい事実が発見されるたびに登録していくという作業を繰り返していく。期限を設けなくてもいいかもしれない。過去の定説となっているものを優先的にデータベースに登録し,その後は,一年ごとに成果を国際会議に持ち寄り,合意をした上で登録していくということを考えればいいのではないか。そして,ある程度の成果が出てきたところで,インターネット等で世界中の人が利用できるようにする。そのための利用の手引きがあるといい。
      50年かけて世界的な合意を取りながら行うとなると,とても一研究室や個人ではできないので,場合によっては,例えば,外務省の研究機関等が必要になるかもしれない。
      今の情報技術は,このようなことを行うことによって,情報技術にもフィードバックがあり,新たな展開が起こるかもしれない。
質疑応答・意見交換

【委員,科学官及び有識者】

  地域研究として深く地域を総合的に把握し,その結果を研究者のみならず,他の分野でも活用できるシステムを整備することは非常に大切で,その意味で共感を覚える。質問は二つあって,第一点は,なぜユーラシアを想定しているのか。ユーラシア大陸のどの部分をイメージしているか分からないが,例えば,東北大学における研究では主として現代のロシア等々のシベリア地区を想定している。また,平和の構築という観点から見れば,現代中国や東北アジア,東南アジアが非常に大事だろう。一般論として,合わせて受けとめて考えればいいのか。
  第二点は,第一次的な学術研究の成果を第一次的にデータベース化をすることとこのデータベースの構築は直結するのか。二次加工を想定しないと実現は難しいのではないか。

【意見発表者】

  なぜユーラシアかというと,ユーラシアの歴史が一番ダイナミックな感じがすること,文明が発祥し発達したのは主にユーラシアであること,日本はユーラシア大陸の端にあること等が理由である。
  これを一つの開かれたシステムと考えて,各国の研究者がそれぞれ興味のある地域について取り組み,データベース化していくことによって全体的な一つの絵ができるというシステムを考えたほうがいいのではないか。
  学術研究をそのままデータベースにするのではなく,二次加工が必要である。そして,二次加工をして,このような俯瞰できるシステムにしていく中で,新たな学術研究を引っ張り出す可能性があるのではないか。

【委員,科学官及び有識者】

  地域や民族間の相互理解を研究している機関は,具体的には,アジア経済研究所,国立民族学博物館,東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所等があげられる。ここで提案されているプロジェクトに基づくデータベースというのは,第一次資料ではなく,それを展開する形のデータベースが必要だと言っているのか,あるいは現状の研究機関の人文・社会科学に対する不満をはっきりと言っているのか。

【意見発表者】

  人文科学や社会科学の実態を熟知していないのだが,「役に立つ」というのは,このようなことだと言いたい。データベースを作成して,研究を行っているかもしれないが,そのことが分かるような形にして見せてほしい。

  町田和彦氏(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授)より,資料について意見発表の後,質疑応答,意見交換が行われた。その内容は以下のとおり。

意見発表概要
  •   学術審議会学術研究体制特別委員会人文・社会科学研究に関するワーキンググループの審議のまとめで,人文・社会科学は「ことば」の学問であると言っている。「ことば」という意味は,さまざまな解釈があるだろうが,我々のプロジェクトでは,この問題を考えるときに,まず文字を克服しなければ,データベース化あるいは情報基盤の整備や情報の発信等も難しいと考えている。
      また,データベースにも,例えば言語学であれば,音声データや画像データ,あるいは動画データという広い意味でのデータベースが考えられるが,それらの検索や表示には文字が常についてまわる。
  •   世界中では現在いろいろな文字が使われているが,その中でもアジア地域に一番多様な文字が分布し,使われている。
      まず,漢字系文字だが,これは日本,中国,朝鮮全部を含めた広い意味での漢字である。漢字をもし一つのキーワードとして文化圏と呼ぶことが許されるのであれば,漢字系の文字文化圏ということで,約15億人ほどの人間が使っている。
      次に,インド系文字だが,これは現在の地理でいうと,インドを中心とする南アジア及び東南アジアにかけて広く分布する文字である。使用人口は非常に多くて,14億人が使っている。漢字系とほぼ肩を並べるほどだが,今の南アジアにおける人口爆発の状況を見ると,おそらく漢字文化圏を10年後か20年後には追い越すだろう。そうすると,単純に使用人口の話だが,アジアにおけるインド系文字の文化圏というものが,おそらく最大の規模になっていくのではないか。
      同様に,アラビア系の文字がある。これは使用人口が,アジアに限れば3億人と少ないが,非常に多様な広がりをもっており,無視できない。
      文字の多様性が統合的処理を困難にしている。つまり,文字や情報といったデータベースを現在のネットワーク環境の中で共有する場合,共通の約束事がなければいけない。それはできるだけ単純であるべきだが,なおかつ一方で,検索を含めかなり複雑なこともできなければいけないという非常に難しい要求がある。
      それから,文字は基本的には文化なので,国ごとに,日本でいうJISに相当する規格がある。これは,国の方針の骨幹であり,特に識字率を上げる等,教育上の国策ともからみ,その国としては絶対譲れない。
  •   今から2,300年ほど前に,マウリア王朝のアショーカ王という世界史にも出てくる有名な王が,初めて現在のインドを統一した。その時に,一種の施政方針を岩等に刻ませたものが,今日「アショーカ王の碑文」という名前で,今のインドあるいはアフガニスタンも含め広範囲にわたって,しかも非常に均質な形で残っている。ここで使われている文字がブラーフミー文字と呼ばれている文字である。インドは「史書なき歴史」とかつて言われたことがあるが,決して資料の数が少ないわけではない。インド系文字は,この文字から始まる。
      現在,東南アジア及び南アジアの各国家における国語もしくは公用語の表記のために使用されている文字の種類は,おそらく20はくだらない。これらはすべてブラーフミー文字のいわゆる「子孫」である。十字のような形のブラーフミー文字が当時の「カ」である。これがさまざまな地域に伝播していく中で,個別の変容を遂げていった。非常に特異な文字の文化圏である。ここで大事なことは,インド系文字はばらばらという印象を受けるが,文字の構造から見ると,非常にはっきりとした構造を持っている。これはブラーフミー文字ができた時以来,維持されている。そして,それがあるがゆえにインド系文字であると今日でも言えるのである。
      しかし,多くの国に広がり,現代においては,それぞれの国家に主権があるので,文字の統一は非常に困難である。つまり,外から研究者として見ると,歴史的には同じ文字をコンピューター上で扱う時は基本的には同じ文字コードにすればいいのではないかということが思い浮かぶが,例えば,インドが自国の文字コードをタイに強要しても,タイがそれに従うとは決して思えない。逆の場合も考えられず,やはり現行のまま行くしかない。
      そのような状況の中で,研究者として何が貢献できるのか。研究者間のデジタル・デバイド(※)は非常に深刻な問題になっている。つまり,ローマ字すなわちラテン系文字の資料を扱う研究者の場合は,障害がほとんどない。データベースも整備されており,自由に検索ができる。ところが,インド系の文字を資料として扱う研究者の場合には,どこにデータベースがあるのか,どのようにして発信するのかが,非常に不自由な状況になっている。

     (※パソコンやインターネット等の情報技術(IT)を利用する能力及びアクセスする機会を持つ者と持たない者との間に情報格差が生じるとされる問題。)
  •   次に,インド系文字の構造を紹介する。
      インド系文字の祖先はブラーフミー文字である。また,日本に古くから入ってきた梵字もこの子孫の一つである。現在,南アジアから東南アジアで使われているもののうち,代表的なものとしてはデーヴァナーガリー文字やタイ文字等が挙げられる。
      インド系文字の「カキクケコ」を例にあげると,基本はいわゆる「カ」の字であり,「カ」の字の上下左右に一定の記号を付けることによって,「カキクケコ」を表す。日本語の平仮名あるいは片仮名の「かきくけこ(カキクケコ)」と本質的に違うのは,日本語は,五十音というように,5×10のマス目の中に入っているものを全部覚えなければいけない。しかし,インド系文字の場合は,5+10でいい。つまり,それぞれの要素を覚えれば,何でも実現できる。これがインド系文字の最大の特徴である。
  •   最後に我々のプロジェクトについて説明する。
      文字は,人文・社会科学にとって最も基本的な前提となっているものでありながら,それについて客観的に,あるいは学問的にどのようなものなのか考えられていない。そのような知識なしに,情報基盤の中に組み込むことはできないので,そこから始めなければいけないと考えた。
      例えば,文字は言語に関係があるから言語学が扱っているのではないだろうかという考えを持つかもしれないが,市販されている言語学入門と呼ばれる本には,文字については述べられていない。これは幾つかの理由が考えられる。第一に,近代の言語学が基本的にはヨーロッパ及びアメリカの言語学者によって始められており,言語の本質は音であるとしたため,本質でない文字を言語学では正面から扱わない。そのために,学問としての言語学の中には文字の位置がない。さらに,現在のコンピューターもアメリカを中心にして発達したため,文字についてはローマ字以外の文字について考えられなかった。
      我々のプロジェクトでは,言語学,歴史学,人類学,宗教学,文学,古典学等の人文科学,あるいは社会科学とともに,文字を客体化して客観的な根拠を与えるべく学際的研究を行っている。
      そして,最終的には情報学と融合させ,文字情報学という学問分野を作り,産学連携により,実装できるシステムを作成することが我々のプロジェクトの大きな目的である。
      これによって,研究者の立場から,各国の既存文字コードも尊重した電子的(デジタル)な世界での合理的な文字のあり方を提唱していく。研究者のデジタル・デバイド,ひいては開発途上国におけるデジタル・デバイドの解消にも役に立ち,また,データベースの最も大事な部分である情報の共有を,ここで実現できるのではないだろうか。
質疑応答・意見交換

【委員,科学官及び有識者】

  インド系文字のアルファベット変換では幾つもあるのか。各国に個別の方式があるようだが,統一する手立てはないのか。

【意見発表者】

  我々は,文字のデジタル化を文化の21世紀における一種の継承ととらえている。文化は,どうしても民族や国家あるいは宗教と非常に結びつきやすいものである。例えば,インド政府はイスキーコードという全部の文字を処理するためのコードを作り,現在,インドではそれに則したソフトウェアが大半を占めているが,タミルナードという地方では,それを一切使わないと宣言し,新しいコードを作った。インドという一つの国をとっても,このような状況なので,無理に統一するよりは,むしろ共存を目指し,既に築き上げてきたデータベース等をすべて生かした合理的なシステムを提唱し,実装できるものを作成したい。

【委員,科学官及び有識者】

  インド系文字の例として,「カキクケコ」があげられているが,それは母音がベースになって,「k」という子音が入っていると理解していいのか。

【意見発表者】

  インド系文字の最大の特徴でもあるが,「ka」という字には,「a」が最初から入っている。だから,その「ka」の字1つを取れば,日本語のまさに「カ」と同じだが,「イウエオ」の部分は,一定の記号が「カ」の字の上下左右に付くことによって表される。その時の「ka」の「a」は消えて,その文字は純粋に子音の文字として機能する。明治初期に,今でいう小学校のために採用した五十音図の配列は,このインド系の文字の配列をまねしている。だから,インド系文字の言語を勉強する時に,最初に文字と発音から入ると類似性に驚くが,こちらのほうが本家である。
  また,ハングルという文字があるが,これは「ka」の部分が,はっきり「k」と「a」に分けた。そこまで非常に合理的に作った。そういう意味では,インド系文字の進んだ形と我々は考えている。

【委員,科学官及び有識者】

  携帯電話の電子メールの文章に,若い人達はアルファベットを使用しているが,インドでは,英語を使っているのか。

【意見発表者】

  インドでも携帯電話は大変流行していて,絵文字はものすごく発達している。また,もちろんローマ字表記の範囲内ではあるが,約4億人の人が使っているヒンディー語を知っていると思わず苦笑せざるを得ない英語とヒンディー語を混ぜたおもしろい短くした表現がよく使われているようである。

  池端主査より,図書館の書誌データベースについて,説明があった。その内容は以下のとおり。

  •   図書館の書誌データというデータベースを作成することを考える場合,本委員会の趣旨にそって考えると,人文・社会科学の振興の中で,図書館の書誌データを作成することはどのような位置にあるのか,促進することにどのような意味があるのか,と問い直さなければならない。
  •   昨年度の国立大学図書館協議会で報告されたのだが,我が国の国公私立大学図書館を合わせて,約2億3,800万冊が所蔵されている。そのうち,まだ20%に満たない数しか,書誌データが電子化されていない状況であった。2億3,800万冊の中には,自然科学系等の文献も含んでいるので,人文・社会科学の研究者のみがこれの電子化を提言しなければならない責任があるわけではないが,人文・社会科学の多くの分野にとって,文献とは,自然科学における実験装置や薬品に当たるような,研究の基本的なデータに当たるものである。したがって,このような文献データが広く共有されていることは,非常に小規模な図書館しかないところで研究をしている人々にとっても,研究を促進していく上で欠かせないことであり,その意味で全国的な図書館のデータを一日も早く電子化して,すべての人々が共有できるようになれば,図書館間の蔵書・資料の貸借(インターライブラリーローン)がどんどん進んでいるから,それでもって利用が可能になる。その点で,人文・社会科学に従事している者は図書館資料の電子化を切実に要望している。
  •   その蔵書の中で,とりわけ小規模な機関でなかなか見られないものが,実はアジア系の資料である。研究者が豊富にいるところであれば,豊かな資料を持っているが,アジア系の資料をつくる研究者が,その大学の中に占めている比率というのは極めて低く,共有したい資料は,全国に散在した形で所有されている。ところが,アジア系の文字で書かれているために,これを情報化する書誌をどうやって作成するかが,実は大変な問題になっている。
  •   人文・社会科学の分野から図書館のデータを電子化してほしいと言っている場合には二つ要請がある。一つは,書誌データの電子化の比率を上げてほしいということであり,もう一つは,その中でもとりわけローマン・アルファベットや日本語以外の言語で書かれた文献を率先して電子化してほしいということである。

  今までの資料説明及び意見発表を踏まえて,討議が行われた。その内容は以下のとおり。

【委員,科学官及び有識者】

  データベースには,研究の道具としてのデータベースと研究成果の表現としてのデータベースという二つの性格があるのではないか。この二つは,別に扱う必要がある。
  例えば,自然科学系の研究は,産業の生産物や宇宙ビッグバンの物語という格好で,研究の成果が表現されて社会に発表され,経済的というだけでなく,何かの役に立つ。
  ところが,人文・社会科学系では,研究を行う時に社会に対する表現型が無視されてきたのではないか。

【委員,科学官及び有識者】

  自然科学系の側から,人文・社会科学に求めているのは,日本人の精神面を支える基本的な文化である。表現する場合にも,日本人の精神面を支える文化であるという認識のもとに表現していただきたい。

【委員,科学官及び有識者】

  科学技術・学術審議会学術分科会で出した「学術研究の重要性について」の中には,基礎研究への投資と社会的・国家的課題に対応する研究開発ということがあげられているが,学術審議会の人文・社会科学研究に関するワーキンググループの報告を見ると,社会的問題に対して人文科学がどのように対応しなければならないかという研究開発のほうに非常に力が入っている。その対応しなければならないかというのも,具体的な基礎研究ではなく,研究開発のほうに力点がおかれている印象を非常に受ける。
  それを念頭に考えると,データベースの情報基盤も,基礎データベースとプロジェクトに必要なデータベースに分けて考える必要があるのではないか。例えば,現在20%しかない書誌データを全部揃うまで待っていたら,プロジェクトができない。だから,一方では,基礎研究に対する人文・社会科学としての基盤整備という意味での情報基盤整備と,こうしなければいけない研究体制やユーラシア平和プロジェクトというものをもし考えるとしたら,そのプロジェクトにとって直接必要なデータベースは緊急なもので,基盤整備を待たずに構築する必要がある。

【委員,科学官及び有識者】

  プロジェクト型及び基礎研究型のデータベースが必要だということだが,そのようなデータベースがいくつか試みられている。例えば,漢字についてのプロジェクトが東京大学の文学部であり,現在4万から5万文字を収集したところである。例えば,雨月物語を読もうと思ったら,今は読めない知らない漢字がたくさんある。普段使う漢字も常用漢字のようにだんだん字数が少なくなってきているから,そういう意味では東アジアの文字の中心になった漢字そのものを収集し蓄積する。そしてそれを加工して,仏教の経典も含めた東アジアの古典で読めるようにデータベース化する。これは基礎研究になると思うが,ユーラシア等の一つの文化圏・歴史圏のものについて行おうとすると,そのような基礎研究に力を注いでいく必要がある。
  ただし,これを実際に応用した場合,聞いた話では,例えば,中国の古典や日本にある経典等をデータベースを使って読もうとすると,相当激しい競争状態にある。中国や韓国,台湾は非常に熱心で,どんどんデータベース化して国際的に使おうとしている。そのような意味で明らかに日本は立ち遅れている。また,古典の原本の著作権あるいは使用権に関する問題も相当発生しているということなので,このような研究を進めていく上で,ある種の競争状態と,特に歴史的な資料等についてはその解釈をめぐる衝突を念頭に置いておかなければいけない。これは基礎的な研究として進めていけば,明らかに効果はあり,日本の古典的な研究成果も初等・中等教育にまで広がる可能性があるのではないか。
  また,次はプロジェクト型になるかと思うが,イスラムに関する研究を,これも東京大学の文学部で行っている。歴史学,文学,経済学等の研究と,地理学や建築学という空間情報研究と融合させて,イスラムの歴史と現代を結びつけるということが試みられている。自然科学系の研究者はデータの収集や加工は非常に得意だが,逆に解釈や利用の仕方については,人文・社会科学系の研究者が本気になって取り組まないと扱えないということもはっきりしてきている。
  以上の基礎研究とプロジェクトから理解できるのは,例えば,歴史研究者にとって,文献を読むことは本流ではなくて,歴史研究をするための補助である。つまり,文献学や文字学は補助学であり,その意味では,研究・教育組織の中ではあまり日の当たらないところであった。心配されるのは,このようなデータベースに従事し研究する必要性はありながら,本格的に研究する時に専門領域の中の待遇と研究上の機会を与えていく方策も同時に考えないと,日陰の者になってしまうのではないかという恐れがあることは留意しておくべきである。

【委員,科学官及び有識者】

  疑問に思った点が三点ある。第一点は,データベースという問題提起は,特に人文学については研究の生命である文献資料を電子化して使いやすくすることだと思うが,データベース化の以前の問題として,文献資料の収集という点について現在問題がないのか。図書館に係る予算はかなり少なくなっており,特に人文・社会科学の各分野において,研究のために積極的に収集あるいは発掘・発見しなくてはならないという必要性があるのならば,この委員会として取り上げたほうがいいのではないか。
  第二点は,基礎データベースとプロジェクト・データベースと二種類分けた場合,基礎データベースの中でも,書誌データ等の物的な検索データベースを除くと,ある整理を施したものでなければ意味がない。だから,現にそれを目的としている,例えば,東京大学史料編さん所や国文学研究資料館,あるいは国立民族学博物館の地域研究企画交流センターという研究施設の取り組みの状況を把握する,または把握する努力が,他の分野でも必要ないのだろうか。
  第三点は,プロジェクト・データベースにも,息の長いものと息の短いものがある思う。先生方がそれに打ち込んでいる時には問題が比較的少ないだろうが,データベースの完成と同時にプロジェクトが終了することを考えると,データベースの保守管理という点から見た場合,このようなものもデータベースと考えるのか。例えば,一橋大学経済研究所が,アジアの長期経済統計の研究に5年間取り組み成果をあげたが,最新の統計は銀行や経済企画庁で行っているから任せればいいという話になった。プロジェクトの基盤となる息の長い汎用的なデータベースを構築するところに,より精力を注ぐべきではないか。

【委員,科学官及び有識者】

  旧学術審議会の人文・社会科学研究に関するワーキング・グループでは,人文・社会科学の振興を理念的に考えた。本委員会では,それを受けて人文・社会科学の振興につながる具体的な施策を一つでも二つでも出すべく議論している。方向性が少し変わったかもしれないが,本委員会で基礎的な問題を論じないということではない。

【委員,科学官及び有識者】

  自然科学は,全部がそうではないが数的な統計で処理するため,いろいろな境界領域がどんどん発達している。それに比べて,人文・社会科学はタコつぼ型で,なおかつ言語に依存するところが非常に多い。そのために国際的な展開がなかなかできない。
  そのように考ると,例えば,ソウル大学で行っている非常に古い漢字の印綬の問題や書誌学の問題と東京大学で行っているものは競合する等の問題があるだろうが,そのような問題を国際的に展開するようなプロジェクトが共同研究という形で日本から提案できれば,それはとても役に立つということではないか。
  また,境界領域というか,融合領域が自然科学ではどんどん進んでいるのに,なぜ人文・社会科学はタコつぼ型なのか。それが学問の性格だと言ってしまえば終わりだが,そのような時に,今まで補助学とされてきた学問が施策として主要な部分になってくるのではないか。
  社会に対してのデータベースは,二次加工が必要だろう。しかし,二次加工が補助のまた補助になっており,それを橋渡しするようなデータベースについては,学問的にもあるのかどうかを東京外国語大学のアジア・アフリカ言語文化研究所等で模索している。それから,施策の中で学問が融合したものを考える場合,データベース,つまり書誌的な文献学がこれから重要になるのではないか。また,それを社会に転換する時に,データベースの加工を研究する施策のプログラムがあればいいのではないか。

【委員,科学官及び有識者】

  研究の結果を社会に訴えるための道具としてのデータベースと研究のためのデータベースがあり,社会の人たちが見るためのデータベースは,きちんと整備することが必要である。
  国民全体に人文・社会科学の研究が大切だと認識されるには,研究者のためのデータベースがどれだけ整備されたかが必要なのではなくて,例えば,あの研究のおかげで中国との交渉がうまくいったというような事実関係がたくさん見えてくることが必要である。
  ところが,人文科学・社会科学の研究者が,それぞれ独立して研究していると,だれが何を研究しているのか全然分からない。それを個々にデータベース化しても,社会から見ると何か分からない。それらを統合してデータベースとして社会へ訴えて見せていくというシステムがどうしても必要である。そうして初めて,日本人の精神を作ることに役立つのではないか。今までは,教科書や本として書かれてきたが,文字の訴える力が弱くなってきており,若い人達はますます文字を読まないという状況がある。

【委員,科学官及び有識者】

  二次加工,三次加工するための基盤材料をいかに良質に作成するかが,学術政策としては第一義ではないか。社会にどれだけアピールできるかについて言えば,人文学については,移り変わる社会に対応できることを研究する必要はないだろう。例えば,源氏物語には現代的存在価値があるだろうし,それは受け取る人それぞれの価値観によって違っても構わない。社会科学については,現実の課題に向き合って,批判や政策提言を的確に発信したほうがいいという意見には同感である。しかし,社会にどのように訴えるか,提示するかという表現型の問題と,それ以前の文献資料の収集という点における問題と切り離して考えれば,後者により深刻な問題があるのではないか。

【委員,科学官及び有識者】

  基礎がきちんとしていなかったら何もできないのは確かだが,基礎だけ整備すればいいのだろうか。基礎をきちんと整備するためには,二次加工や三次加工を施していく中で足りない部分が明らかになるし,社会に訴えていくと初めて基礎も大事だという認識が社会の中に生まれてくる。これは片方だけを整備すればいいというものではなくて,両方整備していかないと,相乗効果が出てこない。
  音楽とは楽譜を書くだけでなく演奏まであって初めて音楽である,演奏をしないで楽譜だけ書いている人は音楽家ではないという話を聞いたことがある。研究する中で,社会の中で学問がどのように役に立っていくかということも一緒に考えておかないといけない。

【意見発表者】

  今の考えに非常に共感する。特に社会還元等を研究者は意識せざるを得ない時代である。
  データベースに関して言うと,例えば,図書館を利用する時に,図書館のドアを開けて人が入っていき,ある一冊の本を最終的には借りて出てくるとする。ところが,その中で,ある人はそのまま何階の書棚の3番目の上から何段目のところに直接行き,あるいは図書カードをめくって,本の所在を探す人もいる。しかし,これは基本的に探したい本が分かっている人である。データベースは,そのような人たちには必要ない。つまり,研究者は非常に明確な目的でデータベースを作成する。ところが,データベースそのものは,その後どのように利用されるか分からない。それだからこそ価値があり,データベースそれ自体が一人歩きをし始めると言える。
  その時には,使いやすい形で出しておくべきである。研究者にそこまで求めるのは難しいが,産学が連携して開発すれば安価で,しかも非常に見ばえが良く,使いやすいものができるのではないか。具体的に目に見えるデータベースの新しい形として思い描いているのは,「きんと雲」というどこでも行ける雲をイメージしたデータベースで,一種のゲーム感覚である。例えば,中央アジアの場合,高度2,000メートルの長安の都を出発して上に上がり,一挙に砂漠や谷間を飛んで行くと,別の都が見えてくる。そこには文献等があり,人が言葉を話している。そして,いろいろなアクセスのためのボタンがあり,研究者が蓄積してきたデータベースが最新情報として常に用意されている。また,時空間でも移動でき,一挙に同じ長安の都の200年後に移る。そこにはまた別の立体的な建物やその時代の人々がいる。そのようなイメージを持っているが,おそらく基礎的なコンテンツ部分は人文・社会科学の研究者以外にはできないだろうし,それを実現するためには,産業や情報学との連携・融合が必要である。

【委員,科学官及び有識者】

  自然科学系の中でもいろいろあり,工学や医学は,基礎研究も含めて,社会に役に立つ(ユーティライゼーション)ということが非常に分かりやすい。しかし,サイエンス,つまり理学では,基礎研究と応用の関係は必ずしもよくない。さらに,表現能力に関しては,人文・社会系よりないのではないか。つまり,社会にどのような需要があり,どのような研究が必要とされているかということを理解してもらうためには,自然言語で表現しなくてはならないが,サイエンスの研究者は専門用語ばかり使って全然分からない。だから,自然科学系の中でも,相当時間をかけないと,役に立つかどうかが分からない分野がある。
  同様に,人文・社会系も,時間をかけてみないと分からない。特に,社会の価値に当たる問題については,急に人々の発想が同じになるわけではない。例えば,公害問題が持ち上がった当初は,社会に役に立つという工学系の先生は,日本の経済成長のためにはこのようなことも必要だと主張していた。しかし,30年ほど経って,ようやく環境が非常に重要な価値の問題であると認識されるに至った。このように,長い時間の中で,人々の共同生活の価値が変わっていき,しかも,多様な価値の中で,ある一つがその状況において選択されていくのである。
  ただ,サイエンスと人文・社会系の違う点は,サイエンスの場合,既に多くのデータベースが国際的に存在していることである。日本の人文・社会系は,日本の言葉で,そして日本の研究を行っていることが多い。国際化の問題でもあるが,日本の研究をアジアや世界に広げるためにデータベースを改めて構築していかなければならない。その部分が国際的に遅れているのではないか。
  それから,むしろデータベースを必要としているのは,学融合化をしなければいけない研究分野ではないか。これは人文・社会系も自然科学系も関係なく,学融合の状態になった分野が初めて他分野の研究状況について知らなければならなくなった時に,その種のデータベースが必要になる。実際に学融合をする時に,お互いに他者を見ることができないという状態では決して学融合ができない。
  政策提言については,新しい研究を始めようとすると,施設や設備に係る経費が相当配分される。しかし,人文・社会系では,設備導入後のプログラム作成やデータ・資料収集等に費用がかかる。現状では,科学研究費補助金でしか対応できないので,そのような財政的支援を人文・社会科学系として考えていかないといけないのではないか。

【委員,科学官及び有識者】

  データベースには幾つか種類がある。一つは事業的データベースというものである。つまり,研究者や研究機関が業務として作成しているもので,継続して作成しなくてはならない。そのようなものは基盤として必要だろう。
  もう一つは,研究的データベースというもので,データベース作成そのものに研究的要素が非常に多く含まれているため,事業のように流すべきではないものがある。例えば,国立民族学博物館では,所蔵されているものも含めた世界中の衣服データベースが作成された。最初の衣服の分類作業に相当時間がかかったが,いったん完成すると,全世界の衣服に関して,その分類で全部整理できる。新しい衣服が見つかれば自動的に追加されていき,さらに,未来の衣服の形を考える時データベースを基礎として使うこともできる。
  言語のデータベースも研究的なものとして捉えられる。学術としての参照は,基本的には英語でほとんど間に合うだろうが,資料としての文献となると,参照するのは非常に小さい割合だが,データベースが必要になる。さらに中国や韓国,あるいは日本のことを考えれば,学術的な要素もたくさん入っている。研究情報や図書館等の管理情報としては非常に必要である。
  また,社会との接点としてのデータベースが必要なのではないか。これを社会インターフェース・データベース,あるいは対社会的データベース,または解説的データベースと呼んでもいい。これは社会の要請に対応してなくてはならないので,どのような要請があるのかを考え,さらに,対応するに足る資料が必要である。例えば,国立民族学博物館では,物だけではなく情報も多くの人に提供しなくてはならないので,民族に関する基礎的な情報を一般の人に提供するためにデータベースを作成する話が出ている。それは専門的な文献検索も行えるようにする。しかし,そのデータベースはそれなりに評価されるだろうが,役に立つかどうか分からない。研究者にとってはまったくの付加業務だが,博物館の社会的存在意義のためには大変重要なことなので,手を抜かずに取り組まざるを得ない。
  事業的データベースは,毎年の事業として研究機関等が継続して関わっていかなくてはならない。研究的データベースは,戦略的には大変重要で,どんどん作成していく必要がある。また,解説的なデータベースは,それぞれの分野の研究者等が構築していかざるを得ないのではないか。
  また,文化人類学の立場から言うと,日本人の文化的特質といった「日本人の」というものは言い難い。日本人の精神的基盤というより,むしろ人間の精神的基盤という立場からの提言の方が可能性があるのではないか。

【委員,科学官及び有識者】

  研究者が研究成果を発信する時,同じテーマが新書版であったり漫画であったりする等,いかに分かりやすく一般に知らしめるかという努力がないわけではない。ただ,それは多元的に行われている。人文・社会科学の研究成果というのは常に相対的なので,先ほどのゲーム感覚のデータベースというものは,いろいろな会社が独自のバージョン(版)で出すという結果になるのではないか。これは,ある意味で出版活動であり教育活動であるので,大事なのだが,特に日本の研究者の場合,その活動に対する努力があまり払われていないので,そのような思考・配慮に気を配るべきだという点では賛成だが,それが人文・社会科学振興の重要な柱かという点では,まだ違和感が残る。
  また,役に立つということを考えると,短期的な実用性という観点で判断するべき問題も大事だが,人文学をなぜ振興しなくてはならないかというと,これは一種の文化政策で,人類がこれまで生み出してきた知的資産を継承し,再発見し,次代に伝承していく必要があるからである。日本人がどのような精神生活や歴史をたどって,今にあるかということを認識することが極めて重要だが,それは人類という枠組みでも,もっと細かい枠組みでも,すべて大事である。そこに意味があるので,社会的需要に短絡した議論は,少なくとも人文学の場合には避けるべきではないか。
  役に立つことを行う必要性は,あらゆるところで言われている。文部科学省が唯一,擁護しなくてはならない部分とは,虚学と呼ばれるもので,特に本委員会においては,虚学と世間が思うものの価値を,いかに評価して擁護するかということが重要な一つの柱なのではないか。
  データベースを考える時に,例えば,京都大学東南アジア研究センターが十数巻の研究成果を発表したが,その中身をデータベース化するより,作成の基礎となった第一次資料をデータベース化する方が,研究者にとっては利用価値が非常にあるのではないか。

【委員,科学官及び有識者】

  基礎の第一次資料は非常に重要で,データベース化も行っている。
  また,研究成果を社会に訴えるためのデータベースについては,基礎データの整備という視点をはずさずに,社会に対する発信・表現という観点からも議論する必要があるのではないか。

【委員,科学官及び有識者】

  社会に対する発信はもちろん重要だが,研究者として一番大事なのは,次の世代の研究者を育てていくことである。研究者にとって自らデータベースを作成することが自身の成長につながっている。データベースをすべて海外に依存することになると,世代育成が途切れてしまう。そのような点では,日本においてある分野の覇権的なデータベースを,基礎研究の面も含めて構築していく必要がある。

(3)今後の日程について

  次回の人文・社会科学特別委員会(第4回)については,10月11日を予定して委員等の日程を調整の上,開催することとされた。

(研究振興局振興企画課)

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