科学技術・学術審議会学術分科会
2001/07/12議事録
平成13年7月12日 (木)15:00〜17:00
経済産業省別館 10階 T14号会議室
有川,池端,大ア,小平,鳥井,薬師寺
位田,勝木
板垣雄三氏(日本学術会議第1部長)
坂田研究振興局担当審議官,泉振興企画課長,吉川学術機関課長,河村学術研究助成課長,磯田政策課長,土屋基盤政策課長,宮嶌主任学術調査官,松川学術企画室長,他関係官
その内容は以下のとおり。
【委員、科学官】
学術審議会学術研究体制特別委員会人文・社会科学研究に関するワーキング・グループで「人文・社会科学研究の統合的研究の推進方策」をまとめるにあたって,まず,人文・社会科学における制約条件は何かを明確にした。すると,英語で表現することが難しいという言葉の問題,解釈の学問なので実験ができないこと,国際的なグローバルな広がりがないこと等の制約条件が洗い出された。それを施策の上で,どのように解決していくべきかを議論し,最終的に人文・社会科学と自然科学の融合が必要だという結論に至った。
そこで,日本学術会議では,声明作成にあたって何が問題で何を直すべきかという議論が,どのような形でなされたのか。施策としては,何を行えばいいかという議論はあったのか。
【意見発表者】
例えば科学技術基本法における「人文科学のみに係るものを除く」という規定等についても議論があった。また,第1期科学技術基本計画において,人文・社会科学の意味合いはまったく無視されていたわけではないが,補助的な位置に置かれていて,人文・社会科学の固有の課題に関わるものは除外されていた。このような事態を,どのように直せるかという議論をした。
声明の検討・審議過程と,第2期科学技術基本計画の策定過程が重なっていたので,第2期科学技術基本計画に対する意見開陳等の努力はしたが,十分に我々が希望する方向で実を結んだとは考えられない。確かに,原案に比べると,最終的にでき上がった第2期科学技術基本計画には,人文・社会科学がかなりの程度位置づけられ組み込まれている。そのような変化を見れば,努力の跡が十分に認められるが,科学技術の重要課題を全体としてどのように束ねるかというシステム設計のところでは必ずしも十分ではない。
【委員、科学官】
声明全体は,科学技術総合戦略に対していかに人文・社会科学が貢献・寄与するかという観点から述べられていると思うが,学術分科会において人文・社会科学の振興を考える際に,科学技術総合戦略にどのように貢献していくかということは,重要であるが人文・社会科学の振興の一部に過ぎないという感じがする。
科学技術基本法が人文科学を除いていることを,一部では冷遇しているととらえられているが,必ずしもそうではない。つまり,科学技術の振興のように国が先導して計画や調整を行うという手法を人文・社会科学に適用していいかという基本的な問題が根底にある。日本学術会議では,声明という形でのアピールと同時に,科学技術振興というよりは,むしろ文化振興に近い要素の人文・社会科学振興の要請のアピールをすべきだという意見はないのか。
【意見発表者】
まさしくそれは問題にあがっていて,人文・社会科学基本計画というようなものを作るべきではないかという意見や,人文・社会科学,特に人文科学は,そのような基本計画策定にふさわしい性質のものだろうかという疑問もあった。それで声明では,人文・社会科学の俯瞰的視点から全体に寄与する人文・社会科学の役割に重点を置くこととなった。
【委員、科学官】
本声明は人文・社会科学の当事者が読むと,具体的な行動に結びつくかもしれないが,一般の人が読むと,単にそのとおりだという認識で終わってしまうかもしれない。本声明は誰に向けたものなのか。
【意見発表者】
日本学術会議の中でも,誰に向けてのものかについていろいろな内部批評があったが,今後の具体的な展開作業を前提とすることによりいわば初段の立場表明という意味合いの声明にとどまった。ただ,科学技術概念を組みかえるという提言や,科学技術総合戦略のかなめとして人文・社会科学を位置づける必要があるという大前提を言うことだけでも,まずは意味があるだろうと考えた。それだけで,踏みとどまってしまってよいとは,決して考えていない。
総合科学技術会議関係者に説明をおこなったところ,できるだけ具体的な形で提案してほしいという要望があった。声明では,融合的な領域において人文・社会科学が比較的先導的な役割を担っているのは地域学ぐらいで,環境学や生命科学,情報学,安全学等では補完的な場合が多いと言っているが,例えば「社会基盤」の分野で具体的なプロジェクトを考える場合には,地域学や地域研究が中心になるだろうという見通しを私としては持っている。今後は具体的な提言・提案をしていかなければいけないと考えている。
【委員、科学官】
声明の対象として,人文・社会科学者は奮起せよといって作成したのか,あるいは人文・社会科学は,かなめたり得るという自負があるといって作成したのか。先ほど人文・社会科学者の側に抵抗があったというのはどのようなことか。
【意見発表者】
抵抗というよりは,人文・社会科学者の特性として一言無かるべからずというもので,社会に役立つ学術という次元で人文・社会科学が役割を果たしていくべきだという点について根本的批判があったのではないと理解している。
本声明は,人文・社会科学の人々に奮起を促すというよりは,むしろ,自己反省を求めるということを強調している。自己反省を徹底的に進め,現状批判つまり自らの在り方の欠陥を克服していくことが非常に重要である。
資料2(科学技術・学術審議会学術分科会人文・社会科学特別委員会(第1回)における主な意見),資料3(大学共同利用機関及び国立大学附置研究所における主な自己点検・評価/外部評価の状況について−人文・社会科学関係−),資料4(目録情報の入力の現状と課題)及び参考資料(社会技術の研究開発の進め方について)に基づき事務局より説明の後,自由討議が行われた。その内容は以下のとおり。
【委員、科学官】
この人文・社会科学特別委員会では,日本学術会議声明や,社会技術の研究開発の進め方に関する研究会報告の後追い的な審議をするべきではない。
役に立つということを考えると,物質的に役に立つのか,精神的に役に立つのかということがあるが,当然その両面が必要である。例えば,考古学で卑弥呼の墓がどこにあるかという話が何の役に立つかというと,日本人としてのアイデンティティー(自己確認)の確立という観点で役に立つ。したがって,いわゆる虚学・実学と言ううちの,虚学を守ることに当特別委員会は最大の責任を持っていると考える。
自然科学と人文・社会科学との融合が,これだけ大きな問題になってきているのは,自然科学者あるいは工学者が,自分たちのできるところはここまでだから,あとは人文・社会科学者と一緒に研究しようということが基本だと思うが,人文・社会科学者の意識との間にはかなり大きな隔たりがあるし,それが大学における,少なくとも学術研究になじむテーマかどうかということについては,いかがかと思われるものもあるであろう。社会技術の研究開発の進め方に関する研究会報告における社会技術の観点で行おうとしているテーマが適切かどうかは分からないが,そのようなプロジェクトや共同研究を一つ一つ積み重ねていくということしか現実的な歩み寄りはないだろう。特効薬というものがあるとは思えない。
そちらも大事だが,本体の問題に取り組むことが非常に大事である。例えば,法学は立法を視野に入れれば最大の社会技術と言える。法律が対象とする社会がどんどん変わってきて,司法以外に,例えば企業の法務部や公務員,立法活動をする政治家にも広がっているが,そのような社会技術としての面から見て,法学の研究体制や教育体制が今のままで対応しきれるのかという問題意識が基盤にないと,有効なシステム設計はできない。また,経済について言えば,現在は市場原理主義が中心であるが,市場をコントロールする技術を経済学として,どのように振興するか。さらには,振興すると言うより国の施策としてあり得るのか。
社会科学における技術化の意味と限界とがある。日本の大学の学部構成,そこにおける人材養成,研究体制を,今の社会の変化に応じて組み直さなくてよいのか。組み直すとしたら,国として何を支援したらいいのかということが一番基本なのではないか。それを,法学や歴史学ではどうかという各論の話をまとめて考えるというレベルでとめておくのか,もう少し突っ込んで議論をするのかというあたりが,一つの判断の分かれ道ではないだろうか。
【委員、科学官】
社会の総知を集めて社会としての研究課題に取り組むことがどこから生まれてきたかというと,欧米では,自然科学については,軍事技術のプロジェクトが大きな役割を果たしてきており,人文・社会科学については,植民地統治の中から,そのようなものが生まれてきているということがある。日本では,あまり軍事技術に取り組んでこなかったので,欧米を真似しながらプロジェクトの仕方を学んできたが,人文・社会科学については経験が乏しいため,どのように取り組めばうまく研究を遂行できるのかがよく分かっていない気がする。それらに匹敵する大きなプロジェクトを動かしてみると,どのような体制ならばいいのか,基本の部分に何が足りないのかが分かり,いい教材になるだろう。その辺から始めないと,だめではないかという感じがする。
先ほど説明のあった社会技術というのは,そのようなプロジェクトを提案しているのである意味非常にいいと思うが,具体的なプロジェクトとなると,例えば,安全性に関わる知識体系の研究は報告書を書けば終わってしまう。実際にそれを適用するところまで含んだプロジェクトでないと,何が良かったのか,何がいけなかったのか,何が抜けていたのかが後々検証できない。
そういう意味で,勉強の題材としてプロジェクトを行うことについては賛成だが,もっと具体的に,例えば,放射性廃棄物の処分問題における住民合意についていろいろな人が集まって研究をしてみて,このような方法は適当でないというような結果が出る形でないといけない。そのようなプロジェクトを幾つか考えればいいのではないか。そのような意味で,人文・社会科学が中心となり動かしてもらうプロジェクトとしては,世界の相互理解をどのように進めるかというような大きなプロジェクトとした方がよい。また,個と全体がばらばらになっている感があるので,全体の情報をいかに個に得心させるかも大変重要な課題になっていると思う。
さらに,例えば生物とは,交感神経と副交感神経がせめぎあって,バランスを保っているが,現在の社会におけるインターネットに代表されるようなネットワークは,副交換神経系の役割を果たしていないと思う。交感神経系しかないような社会というのは,暴走していってどこかで倒れてしまう。そこで,社会の中に,副交感神経系のネットワークをどうすれば構築できるのかということを具体的に提案するのも一案である。
【委員、科学官】
実際にプロジェクトを行って,社会のシステムを動かしていくに当たり,現実的あるいは精神的に役に立つような人文・社会科学系の科学技術が生まれるべきであると考える。現在活躍して成果を有する方々の知恵を取り込むだけでは,社会技術の構築に関わる仕事はなかなかできない状態ではないか。自然科学との統合と言う前に,まず人文・社会科学の側の協働が必要である。成果を持ち寄って報告書を作るだけではなく,いろいろな分野の学者や大学が一緒に仕事をするというような知恵,また,その新しい考え方の中で若い世代を育てていけるような仕組みや場を人文・社会科学者が生み出していかないといけない。
個別の研究を総合して,総合的な世界観,あるいは社会を動かしていくための本質的な精神構造に結びつけていかないといけない。個々の研究者の寿命は短いということを考えても集団としての協働が絶対必要である。独創的なものは個々から出るにしても,それをその分野の集合の力,社会における文化的な力として還元していけるような仕組みが今の大学を中心とした人文・社会科学に見られるかというと,自然科学の側から見ても,それが感じられない。
また,自然科学との協働ということになると,一緒にプロジェクトを行うのもいいが,学術においては,基本的にはインターディシプリン(学問分野的な横断)や,コミュニケーションを促進するためのエレメンタリープロセス(初期段階)について,より深い研究あるいは検討が要請されていると言える。
【委員、科学官】
人文・社会科学は属人的で,自然科学は属組織的である。人文・社会科学者を世界的に見ても,卓越した人が組織で活躍しているというよりも,個人の非常に強いリーダーシップで動いている。日本には,個人を中心とした助成が歴史的になかったので,助成そのものの形を変えないと難しいだろうが,米国のNSFやSSRCのような属人的な助成ができないだろうか。
人文・社会科学の学術的装置が今まで欠けていたのが問題だった。考古学や書誌学,人文地理学等は非常に高度な議論をしているので,装置性の援助があれば,日本にはもっと伸びる要素があるのではないか。
【委員、科学官】
人文・社会科学の中で言われている科学技術や社会の意味合いが,自然科学の中で言われているものと少し違うのではないか。法律はある意味では社会的な技術だが,同時に科学としての側面もある。そうすると,「クリエイティブ」という言葉が,ある意味では科学のかなり本質を衝いているのではないか。技術とは,クリエイトされたものを何かに応用するということになる。
例えば,法律学というのは既存の知識をきちんとたたき込んだ上で,社会の動きに対してどう対応するかというところが一番基本的な学問の部分である。新しいことを言うことを考えるよりも,新しい社会現象が出てきたときに,既存の法体系や学問の中に,どう組み込むかという解釈の学問である。したがって,人文・社会科学における科学や技術という考え方は,自然科学における科学や技術とは意味合いが違うのではないか。
また,社会の意味については,人文・社会系が役に立つのは文化という意味の社会であり,科学技術基本計画で言われている社会とはかなり性質が違うと考える。もちろん直接つながっている部分も多くあり,例えば経済は,現実の社会と極めて近い関係にあるが,一方歴史は,中世や近世等の知識の積み重ねの上に,自分たちの歴史的アイデンティティー(自己確認)を考える学問であるとすると,現実社会との関わりは不明確である。そういう意味では,クリエイションや科学的な真実の追求という言葉では少し表しにくいような人文・社会科学特有の核になる概念があると考える。
また,人文・社会科学と一言で言っても,極めて多様であり,各学問同士の交流はほとんどない。一番近いと思われる法律と政治でも共同研究の例が少ない。今後,人文・社会科学として考えるべきなのは,データベースの構築だけでなく,各分野の横断した共有領域(インターフェース)をどう構築するかということである。それは,人文・社会系の分野の科学者から出てくるかもしれないし,同時に社会の側からの働きかけにより作らざるを得ない部分も極めて大きいであろう。
人文・社会科学は,これまで社会現象に対してあまり敏感には反応してこなかった。その理由は,研究が属人的であると同時に,個人の持つアンテナが自分の研究分野だけにしか向いてないこともある。アンテナをどう大きくするかという問題と同時に,アンテナにいろいろな情報を受け取ったときに既存の学問体系の中にどう位置づけていくかも課題である。そのような人文・社会科学の特徴を前提として,何ができるのかということをこの委員会で議論しないといけない。
【事務局】
社会技術について,何点か指摘をいただいたが,社会技術の研究開発の進め方に関する研究会報告を受けた平成13年度からの事業実施に当たり,社会技術の定義づけについては難しく,時間を要するので行わないこととした。
まず,社会問題を設定すると,社会を構成しているのは技術であり,その技術の中には工学もあるが行政的技術という意味で,法律,行政学,心理学等も含まれ,その技術という側面には,それぞれ個別の問題があるのではないか。そして,設定された共通問題に向かって解こうとしたときに,自然科学と人文・社会科学の融合を前提にしなくても,それぞれの各分野が俯瞰的にこれに取り組むことによって,新しい展開があり得るのではないか。
池端主査より,今後の会議の進め方について,有識者からの意見聴取を2回程度行うこと,また専門委員を加えて議論の活性化を図ることについて提案があり,了解された。意見聴取及び専門委員の候補者について各委員より事務局へ連絡し,主査において人選を検討することとなった。
次回の人文・社会科学特別委員会(第3回)については,9月を予定して委員の日程を調整の上,開催することとされた。
(研究振興局振興企画課)