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科学技術・学術審議会学術分科会

2001/07/12議事録

科学技術・学術審議会学術分科会人文・社会科学特別委員会(第2回)議事録

科学技術・学術審議会学術分科会
人文・社会科学特別委員会(第2回)議事録

1.日時

平成13年7月12日  (木)15:00〜17:00

2.場所

経済産業省別館  10階  T14号会議室

3.出席者

(委員)

有川,池端,大ア,小平,鳥井,薬師寺

(科学官)

位田,勝木

(意見発表者)

板垣雄三氏(日本学術会議第1部長)

(事務局)

坂田研究振興局担当審議官,泉振興企画課長,吉川学術機関課長,河村学術研究助成課長,磯田政策課長,土屋基盤政策課長,宮嶌主任学術調査官,松川学術企画室長,他関係官

4.議事

(1)  板垣雄三氏(日本学術会議第1部長)より「21世紀における人文・社会科学の役割とその重要性−科学技術の新しいとらえ方,そして日本の新しい社会・文化システムを目指して−」(平成13年4月26日日本学術会議声明)について意見発表の後,質疑応答,意見交換が行われた。

その内容は以下のとおり。

意見発表概要
  •   この声明の内容は4点からなっているが,重要なのは以下の3点である。
      第1点は,従来の社会一般における「科学技術」という言葉にかかわる理解の仕方を抜本的に変える必要性を訴えることである。「科学技術」には,社会の通念だけでなく法体制といった制度的な面においてもある一つの意味が与えられて一般的に浸透している。これを組み替えていきたいという提案である。
      第2点は,文理,人文・社会科学と自然科学,という形の二項対立的な問題の立て方ではなく,学術の体制全体の中で,より統合的・融合的な方向に変えていく必要があるということである。
      第3点は,新しい立場から科学技術の展開・発展を進める上で,人文・社会科学の特性や独特の役割を自覚すべきであり,それはむしろ統合や融合のためにも一層必要になっている。そして同時に,科学技術総合戦略を束ねるかなめとして,人文・社会科学の役割を位置づけ直す必要がある。我々はこれを「かなめ論」と称し,「かなめ」という言葉が何を意味するかという議論をかなり行った。
      また,人文・社会科学の現状に対する厳しい反省・批判が,声明の中に盛られている。人文・社会科学の現状で一番大きな問題は,科学技術がもたらした,負の側面とも言えるさまざまな問題に対して,距離を置いたところで批評や批判をするものの,みずからは責任を持たないという在り方であり,本声明ではこのことに対する根本的な反省を強調している。
  •   本声明を出した背景は,中央省庁再編により,日本学術会議は総務省所轄となり,一方,内閣府に設けられた総合科学技術会議において将来の日本学術会議の在り方が検討されていくという状況になった。そのような状況の中で,日本学術会議において,総合科学技術会議に対する位置づけや役割を考える必要が生じたというものである。
      日本学術会議は,人文・社会科学及び自然科学という学術の全体を網羅しており,近年は俯瞰的視点の重要性をことさら強調している。また,第17期においては「新たなる研究理念」や「学術の社会的役割」という報告を作成し,さらに,教育と環境両問題の統合的解決に関わる声明を発表した。それらの中で,人文・社会科学と自然科学が,統合・融合する形での問題解決に対する学術の寄与を強調してきた。
  •   以上のような背景に基づいて,日本学術会議の将来について,運営審議会等で改めて根本的に議論したところ,人文・社会科学の果たすべき役割を正しくとらえ直すことを第一の課題として取り組むべきであるという結論に至った。
      そこで,1月下旬から第一部,第二部及び第三部の人文・社会科学関係の部で作った拡大役員会を中心として,ほぼ3か月かけて声明作成に向け作業を進めた。その中では,絶えず第四部から第七部までの自然科学系会員も含めた全体の意見を集約していき,最終的な合意形成を経て平成13年4月26日の総会において声明案が承認可決されるに至った。
  •   この声明の作成過程において特徴的だったのは,何かといろいろ批判するのはむしろ人文・社会科学関係の会員で,自然科学関係の会員からは非常に強力な支持や賛同の意向を感じたということである。
      自然科学系の会員は,実際に直面しているさまざまな問題に対し人文・社会科学と一緒に対処しなければならないということを深く考えている。前述の「かなめ」論に関しても,人文・社会科学の会員からは百人百様の意見が出たことに比べると,自然科学系の会員からは,人文・社会科学をかなめと位置づけて,人文・社会科学の研究者達が自覚して取り組んでいくという姿勢を大いに歓迎するということが強く述べられた。
  •   声明の第1点である「科学技術」の概念の問題に関しては,社会技術をめぐる問題等を通じても,技術を自然科学に基づくものだけに限定して考える考え方を組み替え直す必要がある。声明では,人文・社会科学に基づく技術というものの意味を十分に組み込んで,いわば統合科学技術というものを考える必要があることを強調した。例えば「政策」という言葉も「人文・社会科学に基づく技術」と読み替えていくことができるのではないか。そのように考えるとこれまでの技術概念を大きく組み替えることができ,また今日の技術論において新しい視野を持ち得るのではないかという意見が出た。
      本声明の第2点目の問題に関しては,価値観や倫理観が問題となる。価値選択や価値をめぐる合意形成の場面においては,人文・社会科学と自然科学が共に対処しなければならなくなる。
      第3点の,「かなめ」の問題に関しては,日本文化の今日的状況という面もあるかもしれないが,扇というものがすぐ思い浮かばず,かなめ石という重しを連想してしまい,人文・社会科学が何よりも,他をさしおいて非常に重要だと言わんとするかのごとく誤解した方々が,特に人文・社会科学の会員の議論で,初めの段階では散見された。しかし,扇の骨を留めているピンに過ぎないものだと認識できてからは,だんだんとわれわれ自身の「かなめ」学が行われ,いろいろなおもしろい着想も得られるようになった。
      例えば,「かなめ」は,ただ単に,全体の中の小さな目立たない部品であるというだけでなく,むしろその機能そのものに中心的な意味合いやがおかれていること,また,ピンの両端をたたいて留まるようにしなければ「かなめ」にならないという構造化の過程の問題等も包摂されている。
      更には,平安期の日本で発明されたことを考えると,扇はいわば日本の技術開発の一つの例として位置付けられる。このことは,声明が盛んに強調しようとしている文明的な発信とも合致するのではないか。日本からの発信という意味合いで,「かなめ」をただ単にリベット等と訳さず,kanameとローマ字で表記すれば,人文・社会科学が学術の中でどのような役割を果たすべきなのかについて,世界に向けた文明的発信の道具たり得るのではないか。
      そこで,例えば倫理委員会に哲学や倫理学の先生が一人は加わっていた方がいいというような程度の補助的・補完的な役割の次元においてではなく,全体の骨が,小さな一点であるがそこで留まっているという意味あいにおいて,人文・社会科学が自覚的にそのような役割を担い,それを自ら作り出していくという課題を強調していきたいという話になった。
      また,声明の最後において,人文・社会科学の役割に関して,今後より具体的な提言を行うような調査・検討を日本学術会議全体として進めることとしている。
  •   現在の第18期の日本学術会議は,活動計画の中で二つの大きな柱を立てている。
      一つは,日本の計画(ジャパン・パースペクティブ)と言うものである。全ての特別委員会をその活動を括った形で糾合し,世界的・地球的なさまざまな難問に対して,学術全体として,どう取り組むのか,また,どう取り組めるのかを提言する計画である。
      もう一つは,常置委員会を全部糾合し,新しい学術体系の思い切った組み替えを提言していく計画である。
      以上二つの活動計画は,日本学術会議全体の活動を統合していく,いわば楕円の二つの焦点のようなものだが,その中で,人文・社会科学の役割について,あらゆる学問分野の方々が参加する形で,検討が行われている。
  •   それと同時に,各部で個別に人文・社会科学の役割について検討されている。例えば第1部等では,日本学術会議の組織や会員選出方法をどう変えていくべきかという問題に端を発し,人文科学アカデミーというようなものを構想してはどうかという議論がされている。例えば第1部の場合,第1部関係の諸分野・諸領域から任期付きで選ばれた会員よりもう少し広い範囲で,日本国内及び世界的に人文科学を代表して,社会的な責任を果たす意味での見解を述べることができる,いわば人文科学の学術的統合組織が必要ではないかという議論である。このことについては,第2部の法学・政治学及び第3部の経済学・経営学・商学においても関心が示されている。まだ未知数の問題であるが,場合によっては,人文・社会科学全体における,ある種の新しい形のアカデミー組織を考えるということにもつながっていくかもしれない。
  •   また,研究者の再定義を行う必要があるという議論もしている。例えば考古学においては,「民間研究者」と言われる立場の人の在り方が,最近ある面で問題になった。科学研究費補助金の申請資格の問題でもあるが,研究者の待遇改善という次元の問題としてではなく,学術が社会に関わる局面が非常に深くかつ広くなった中で,研究者の社会的な在り方が変わってきていることを深く考え直す必要があるだろう。これは必ずしも人文・社会科学だけの問題ではなく,例えば博物館の学芸員や図書館の司書,社会福祉のソーシャルワーカー等の有資格者や,植物園や水族館等に属する専門家,さらに産業の局面におけるさまざまな技術の場面で働いている方々,あるいは医療従事者等あらゆる場面に広がっていく。これは,学術全体の問題ではあるが,人文・社会科学,特に人文科学の場合には,そのようなところで問題になる立場の人々の存在の意味合いが,ことさらに大きいのではないかという観点から研究者の再定義について議論している。
質疑応答・意見交換

【委員、科学官】

  学術審議会学術研究体制特別委員会人文・社会科学研究に関するワーキング・グループで「人文・社会科学研究の統合的研究の推進方策」をまとめるにあたって,まず,人文・社会科学における制約条件は何かを明確にした。すると,英語で表現することが難しいという言葉の問題,解釈の学問なので実験ができないこと,国際的なグローバルな広がりがないこと等の制約条件が洗い出された。それを施策の上で,どのように解決していくべきかを議論し,最終的に人文・社会科学と自然科学の融合が必要だという結論に至った。
  そこで,日本学術会議では,声明作成にあたって何が問題で何を直すべきかという議論が,どのような形でなされたのか。施策としては,何を行えばいいかという議論はあったのか。

【意見発表者】

  例えば科学技術基本法における「人文科学のみに係るものを除く」という規定等についても議論があった。また,第1期科学技術基本計画において,人文・社会科学の意味合いはまったく無視されていたわけではないが,補助的な位置に置かれていて,人文・社会科学の固有の課題に関わるものは除外されていた。このような事態を,どのように直せるかという議論をした。
  声明の検討・審議過程と,第2期科学技術基本計画の策定過程が重なっていたので,第2期科学技術基本計画に対する意見開陳等の努力はしたが,十分に我々が希望する方向で実を結んだとは考えられない。確かに,原案に比べると,最終的にでき上がった第2期科学技術基本計画には,人文・社会科学がかなりの程度位置づけられ組み込まれている。そのような変化を見れば,努力の跡が十分に認められるが,科学技術の重要課題を全体としてどのように束ねるかというシステム設計のところでは必ずしも十分ではない。

【委員、科学官】

  声明全体は,科学技術総合戦略に対していかに人文・社会科学が貢献・寄与するかという観点から述べられていると思うが,学術分科会において人文・社会科学の振興を考える際に,科学技術総合戦略にどのように貢献していくかということは,重要であるが人文・社会科学の振興の一部に過ぎないという感じがする。
  科学技術基本法が人文科学を除いていることを,一部では冷遇しているととらえられているが,必ずしもそうではない。つまり,科学技術の振興のように国が先導して計画や調整を行うという手法を人文・社会科学に適用していいかという基本的な問題が根底にある。日本学術会議では,声明という形でのアピールと同時に,科学技術振興というよりは,むしろ文化振興に近い要素の人文・社会科学振興の要請のアピールをすべきだという意見はないのか。

【意見発表者】

  まさしくそれは問題にあがっていて,人文・社会科学基本計画というようなものを作るべきではないかという意見や,人文・社会科学,特に人文科学は,そのような基本計画策定にふさわしい性質のものだろうかという疑問もあった。それで声明では,人文・社会科学の俯瞰的視点から全体に寄与する人文・社会科学の役割に重点を置くこととなった。

【委員、科学官】

  本声明は人文・社会科学の当事者が読むと,具体的な行動に結びつくかもしれないが,一般の人が読むと,単にそのとおりだという認識で終わってしまうかもしれない。本声明は誰に向けたものなのか。

【意見発表者】

  日本学術会議の中でも,誰に向けてのものかについていろいろな内部批評があったが,今後の具体的な展開作業を前提とすることによりいわば初段の立場表明という意味合いの声明にとどまった。ただ,科学技術概念を組みかえるという提言や,科学技術総合戦略のかなめとして人文・社会科学を位置づける必要があるという大前提を言うことだけでも,まずは意味があるだろうと考えた。それだけで,踏みとどまってしまってよいとは,決して考えていない。
  総合科学技術会議関係者に説明をおこなったところ,できるだけ具体的な形で提案してほしいという要望があった。声明では,融合的な領域において人文・社会科学が比較的先導的な役割を担っているのは地域学ぐらいで,環境学や生命科学,情報学,安全学等では補完的な場合が多いと言っているが,例えば「社会基盤」の分野で具体的なプロジェクトを考える場合には,地域学や地域研究が中心になるだろうという見通しを私としては持っている。今後は具体的な提言・提案をしていかなければいけないと考えている。

【委員、科学官】

  声明の対象として,人文・社会科学者は奮起せよといって作成したのか,あるいは人文・社会科学は,かなめたり得るという自負があるといって作成したのか。先ほど人文・社会科学者の側に抵抗があったというのはどのようなことか。

【意見発表者】

  抵抗というよりは,人文・社会科学者の特性として一言無かるべからずというもので,社会に役立つ学術という次元で人文・社会科学が役割を果たしていくべきだという点について根本的批判があったのではないと理解している。
  本声明は,人文・社会科学の人々に奮起を促すというよりは,むしろ,自己反省を求めるということを強調している。自己反省を徹底的に進め,現状批判つまり自らの在り方の欠陥を克服していくことが非常に重要である。

(2)今後の人文・社会科学の振興方策について

  資料2(科学技術・学術審議会学術分科会人文・社会科学特別委員会(第1回)における主な意見),資料3(大学共同利用機関及び国立大学附置研究所における主な自己点検・評価/外部評価の状況について−人文・社会科学関係−),資料4(目録情報の入力の現状と課題)及び参考資料(社会技術の研究開発の進め方について)に基づき事務局より説明の後,自由討議が行われた。その内容は以下のとおり。

【委員、科学官】

  この人文・社会科学特別委員会では,日本学術会議声明や,社会技術の研究開発の進め方に関する研究会報告の後追い的な審議をするべきではない。
  役に立つということを考えると,物質的に役に立つのか,精神的に役に立つのかということがあるが,当然その両面が必要である。例えば,考古学で卑弥呼の墓がどこにあるかという話が何の役に立つかというと,日本人としてのアイデンティティー(自己確認)の確立という観点で役に立つ。したがって,いわゆる虚学・実学と言ううちの,虚学を守ることに当特別委員会は最大の責任を持っていると考える。
  自然科学と人文・社会科学との融合が,これだけ大きな問題になってきているのは,自然科学者あるいは工学者が,自分たちのできるところはここまでだから,あとは人文・社会科学者と一緒に研究しようということが基本だと思うが,人文・社会科学者の意識との間にはかなり大きな隔たりがあるし,それが大学における,少なくとも学術研究になじむテーマかどうかということについては,いかがかと思われるものもあるであろう。社会技術の研究開発の進め方に関する研究会報告における社会技術の観点で行おうとしているテーマが適切かどうかは分からないが,そのようなプロジェクトや共同研究を一つ一つ積み重ねていくということしか現実的な歩み寄りはないだろう。特効薬というものがあるとは思えない。
  そちらも大事だが,本体の問題に取り組むことが非常に大事である。例えば,法学は立法を視野に入れれば最大の社会技術と言える。法律が対象とする社会がどんどん変わってきて,司法以外に,例えば企業の法務部や公務員,立法活動をする政治家にも広がっているが,そのような社会技術としての面から見て,法学の研究体制や教育体制が今のままで対応しきれるのかという問題意識が基盤にないと,有効なシステム設計はできない。また,経済について言えば,現在は市場原理主義が中心であるが,市場をコントロールする技術を経済学として,どのように振興するか。さらには,振興すると言うより国の施策としてあり得るのか。
  社会科学における技術化の意味と限界とがある。日本の大学の学部構成,そこにおける人材養成,研究体制を,今の社会の変化に応じて組み直さなくてよいのか。組み直すとしたら,国として何を支援したらいいのかということが一番基本なのではないか。それを,法学や歴史学ではどうかという各論の話をまとめて考えるというレベルでとめておくのか,もう少し突っ込んで議論をするのかというあたりが,一つの判断の分かれ道ではないだろうか。

【委員、科学官】

  社会の総知を集めて社会としての研究課題に取り組むことがどこから生まれてきたかというと,欧米では,自然科学については,軍事技術のプロジェクトが大きな役割を果たしてきており,人文・社会科学については,植民地統治の中から,そのようなものが生まれてきているということがある。日本では,あまり軍事技術に取り組んでこなかったので,欧米を真似しながらプロジェクトの仕方を学んできたが,人文・社会科学については経験が乏しいため,どのように取り組めばうまく研究を遂行できるのかがよく分かっていない気がする。それらに匹敵する大きなプロジェクトを動かしてみると,どのような体制ならばいいのか,基本の部分に何が足りないのかが分かり,いい教材になるだろう。その辺から始めないと,だめではないかという感じがする。
  先ほど説明のあった社会技術というのは,そのようなプロジェクトを提案しているのである意味非常にいいと思うが,具体的なプロジェクトとなると,例えば,安全性に関わる知識体系の研究は報告書を書けば終わってしまう。実際にそれを適用するところまで含んだプロジェクトでないと,何が良かったのか,何がいけなかったのか,何が抜けていたのかが後々検証できない。
  そういう意味で,勉強の題材としてプロジェクトを行うことについては賛成だが,もっと具体的に,例えば,放射性廃棄物の処分問題における住民合意についていろいろな人が集まって研究をしてみて,このような方法は適当でないというような結果が出る形でないといけない。そのようなプロジェクトを幾つか考えればいいのではないか。そのような意味で,人文・社会科学が中心となり動かしてもらうプロジェクトとしては,世界の相互理解をどのように進めるかというような大きなプロジェクトとした方がよい。また,個と全体がばらばらになっている感があるので,全体の情報をいかに個に得心させるかも大変重要な課題になっていると思う。
  さらに,例えば生物とは,交感神経と副交感神経がせめぎあって,バランスを保っているが,現在の社会におけるインターネットに代表されるようなネットワークは,副交換神経系の役割を果たしていないと思う。交感神経系しかないような社会というのは,暴走していってどこかで倒れてしまう。そこで,社会の中に,副交感神経系のネットワークをどうすれば構築できるのかということを具体的に提案するのも一案である。

【委員、科学官】

  実際にプロジェクトを行って,社会のシステムを動かしていくに当たり,現実的あるいは精神的に役に立つような人文・社会科学系の科学技術が生まれるべきであると考える。現在活躍して成果を有する方々の知恵を取り込むだけでは,社会技術の構築に関わる仕事はなかなかできない状態ではないか。自然科学との統合と言う前に,まず人文・社会科学の側の協働が必要である。成果を持ち寄って報告書を作るだけではなく,いろいろな分野の学者や大学が一緒に仕事をするというような知恵,また,その新しい考え方の中で若い世代を育てていけるような仕組みや場を人文・社会科学者が生み出していかないといけない。
  個別の研究を総合して,総合的な世界観,あるいは社会を動かしていくための本質的な精神構造に結びつけていかないといけない。個々の研究者の寿命は短いということを考えても集団としての協働が絶対必要である。独創的なものは個々から出るにしても,それをその分野の集合の力,社会における文化的な力として還元していけるような仕組みが今の大学を中心とした人文・社会科学に見られるかというと,自然科学の側から見ても,それが感じられない。
  また,自然科学との協働ということになると,一緒にプロジェクトを行うのもいいが,学術においては,基本的にはインターディシプリン(学問分野的な横断)や,コミュニケーションを促進するためのエレメンタリープロセス(初期段階)について,より深い研究あるいは検討が要請されていると言える。

【委員、科学官】

  人文・社会科学は属人的で,自然科学は属組織的である。人文・社会科学者を世界的に見ても,卓越した人が組織で活躍しているというよりも,個人の非常に強いリーダーシップで動いている。日本には,個人を中心とした助成が歴史的になかったので,助成そのものの形を変えないと難しいだろうが,米国のNSFやSSRCのような属人的な助成ができないだろうか。
  人文・社会科学の学術的装置が今まで欠けていたのが問題だった。考古学や書誌学,人文地理学等は非常に高度な議論をしているので,装置性の援助があれば,日本にはもっと伸びる要素があるのではないか。

【委員、科学官】

  人文・社会科学の中で言われている科学技術や社会の意味合いが,自然科学の中で言われているものと少し違うのではないか。法律はある意味では社会的な技術だが,同時に科学としての側面もある。そうすると,「クリエイティブ」という言葉が,ある意味では科学のかなり本質を衝いているのではないか。技術とは,クリエイトされたものを何かに応用するということになる。
  例えば,法律学というのは既存の知識をきちんとたたき込んだ上で,社会の動きに対してどう対応するかというところが一番基本的な学問の部分である。新しいことを言うことを考えるよりも,新しい社会現象が出てきたときに,既存の法体系や学問の中に,どう組み込むかという解釈の学問である。したがって,人文・社会科学における科学や技術という考え方は,自然科学における科学や技術とは意味合いが違うのではないか。
  また,社会の意味については,人文・社会系が役に立つのは文化という意味の社会であり,科学技術基本計画で言われている社会とはかなり性質が違うと考える。もちろん直接つながっている部分も多くあり,例えば経済は,現実の社会と極めて近い関係にあるが,一方歴史は,中世や近世等の知識の積み重ねの上に,自分たちの歴史的アイデンティティー(自己確認)を考える学問であるとすると,現実社会との関わりは不明確である。そういう意味では,クリエイションや科学的な真実の追求という言葉では少し表しにくいような人文・社会科学特有の核になる概念があると考える。
  また,人文・社会科学と一言で言っても,極めて多様であり,各学問同士の交流はほとんどない。一番近いと思われる法律と政治でも共同研究の例が少ない。今後,人文・社会科学として考えるべきなのは,データベースの構築だけでなく,各分野の横断した共有領域(インターフェース)をどう構築するかということである。それは,人文・社会系の分野の科学者から出てくるかもしれないし,同時に社会の側からの働きかけにより作らざるを得ない部分も極めて大きいであろう。
  人文・社会科学は,これまで社会現象に対してあまり敏感には反応してこなかった。その理由は,研究が属人的であると同時に,個人の持つアンテナが自分の研究分野だけにしか向いてないこともある。アンテナをどう大きくするかという問題と同時に,アンテナにいろいろな情報を受け取ったときに既存の学問体系の中にどう位置づけていくかも課題である。そのような人文・社会科学の特徴を前提として,何ができるのかということをこの委員会で議論しないといけない。

【事務局】

  社会技術について,何点か指摘をいただいたが,社会技術の研究開発の進め方に関する研究会報告を受けた平成13年度からの事業実施に当たり,社会技術の定義づけについては難しく,時間を要するので行わないこととした。
  まず,社会問題を設定すると,社会を構成しているのは技術であり,その技術の中には工学もあるが行政的技術という意味で,法律,行政学,心理学等も含まれ,その技術という側面には,それぞれ個別の問題があるのではないか。そして,設定された共通問題に向かって解こうとしたときに,自然科学と人文・社会科学の融合を前提にしなくても,それぞれの各分野が俯瞰的にこれに取り組むことによって,新しい展開があり得るのではないか。

(3)今後の日程等について

  池端主査より,今後の会議の進め方について,有識者からの意見聴取を2回程度行うこと,また専門委員を加えて議論の活性化を図ることについて提案があり,了解された。意見聴取及び専門委員の候補者について各委員より事務局へ連絡し,主査において人選を検討することとなった。
  次回の人文・社会科学特別委員会(第3回)については,9月を予定して委員の日程を調整の上,開催することとされた。

(研究振興局振興企画課)

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