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科学技術・学術審議会学術分科会

2003年6月27日 議事録
科学技術・学術審議会  学術分科会  基本問題特別委員会(第15回)議事録

科学技術・学術審議会   学術分科会
基本問題特別委員会(第15回)議事録


1.日   時   平成15年   6月27日(金)   15:00〜17:00

2.場   所   経済産業省別館1028号会議室

3.出席者   小林会長代理
(委   員)   小平主査、伊賀委員、池端委員、石井委員、磯貝委員、川村委員、郷委員、白井委員、戸塚委員、鳥井委員、中村委員
  (科学官)   秋道科学官、勝木科学官、寺西科学官、西尾科学官、本島科学官
  (事務局)   結城官房長、石川研究振興局長、林科学技術・学術政策局長、井上科学技術・学術政策局次長、坂田大臣官房審議官、丸山研究振興局担当審議官、磯田総括会計官、尾山政策課長、藤木開発企画課長、川原田振興企画課長、他関係官

4.議   事
(1) ビッグサイエンスとスモールサイエンスについて
    資料2−1「平成16年度の科学技術に関する予算、人材等の資源配分の方針(概要)」、資料2−2「平成16年度の科学技術に関する予算、人材等の資源配分の方針」、資料2−3「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2003(抜粋)」、資料3−1「基礎的な研究開発におけるビッグサイエンスとスモールサイエンスの予算額の推移」、資料3−2「基礎的な研究開発におけるビッグサイエンスとスモールサイエンスについて(説明)」、資料3−3「ビッグサイエンスの推進をめぐる論点(案)」に基づき、事務局より説明の後、意見交換が行われた。

    ( ○・・・委員、科学官      △・・・事務局の発言 )

   質問だが、高速増殖原型炉「もんじゅ」は、運転をしていなくても年間100億円以上の経費がかかっているが、なぜビッグサイエンスから排除されているのか。ほかにも幾つかあると思う。
   今回、資料3−1を整理するに当たっては、基礎的な研究開発の中でビッグとそれ以外のものの数字を拾った。基礎的な研究開発をどのように捕らえるかはいろいろ意見があると思うが、御指摘の原子力分野の「もんじゅ」や宇宙分野の実用目的の衛星などは、ビッグという点では該当するが、基礎的な研究開発とは少し性格が違うのではないかということで、今回の集計には入れていない。
       総合科学技術会議の資源配分方針においても、ビッグサイエンスについては基礎研究に関する記述の中で書かれているのでこのように整理しているが、この点について議論があれば御願いしたい。
   通常ビッグというと、例えば、国際宇宙ステーションや国際熱核融合実験炉「ITER」、高速実験炉「常陽」、「もんじゅ」、南極観測事業、深海掘削計画などが入るが、ビッグサイエンスと呼んだとき、それらが該当するかどうかということである。
   例えば深海掘削計画などは、明らかにサイエンスが基本である。
   ビッグサイエンスを定義するとき、大きいか小さいかということだけではなく、サイエンスなのかサイエンスでないのかという視点もあるという御指摘である。
   資料3−1の別表の事業の予算額には、事業費だけで人件費は入っていないのか。つまり、学問の分野によってはその分野の専門家が少ないが非常にお金がかかる分野と、一方で、ゲノム解析のように非常に幅広くやっていて、事業費としては出てくるものは少ないが、多くの人件費がかかる分野がある。このような議論をするとき、人件費の分まで考えるのか、考えないのか。
   人件費も含めて考えるべきという議論はあろうかと思う。ちなみに今回の集計は、一部を除いて個別のプロジェクト経費のみであり、そのプロジェクト経費で研究支援者などを雇用する形で人件費に使うことはあると思うが、その研究活動を行う人そのものの人件費は入っていない。それはビッグの装置系も同様であり、大学共同利用機関で研究を行っている研究者の人件費は入っていない。
   例えば、アメリカではプロジェクト経費で給料も支給しており、我が国でも今後このような議論をする際には、人件費、特にプロジェクトを実施するために雇用される人たちの人件費も含めて考える必要があるかもしれない。
   仮に私立大学などからこのようなビッグプロジェクトに参加しようとした場合、大学ではその人が抜けたあとをどうにかしなければいけない。そのようなチャンスを研究者に与えたいと思うので、ぜひ人件費のところまで検討して欲しい。
   競争的経費から給料が支給できるようにしてはどうかといった議論も一方であり、今後、総合的に議論されると思う。
   昨年の段階で、総合科学技術会議において、ビッグサイエンスについて問題意識を持つきっかけはITERであった。ITERを評価するために様々な議論をしたが、結局は、他にどのようなところにお金が必要で、今使うことになっているお金は削れるのか、国際宇宙ステーションや「もんじゅ」、「常陽」などはこれからどうなのかといった問題との兼ね合いになるわけで、全体の財源が限られている以上、ITERという高額の事業が入ってきたとき、他の事業にひずみが行かないかということが非常に大きな問題意識となった。したがって、資料3−1のビッグサイエンスの例として取り上げられているもののほとんどは、それとは次元が違うところのものであり、議論の対象をきちんと整理しなくてはいけない。
       例えば、宇宙ステーションがピークになると年間600億円かかる見込みになっている。それを前提にしてITERを誘致することが可能なのか。他の国にサイトがあり日本がそれに協力するのと、日本が誘致するのと、どちらが適当なのかという点について活発な議論が行われていた。資料2−2の資源配分方針の3ページに「ビッグサイエンスについてはグローバルな観点からの評価に加え」の「グローバルな観点からの評価」という、率然と読むとわかりにくい文が出てくるのはそのためであり、ITERや国際宇宙ステーションは、大きな国際約束の中で動いている前提があり、そのことをどう考えるのか、それと今後どうするのか、という問題意識がこの文章のこの部分に反映されているのだと思う。ただ、なぜかこの文章は基礎研究の一項目の中で記述されている。本来、もう少し違う次元で話が展開していた。
       この問題をどう受けとめ、これをどうこなしていくかが重要である。同じビッグサイエンスといわれているものでも、開発的な要素を持っているビッグプロジェクトと呼ばれるものと、本当の意味での学術研究をやるための装置で大きな予算が要るものと、我々はしっかり区分けして議論しなければいけない。
   ビッグサイエンスとスモールサイエンスを対比するというのは、論点1の「巨大な実験装置が必要なものに限るのか、多くの人的資源を集中投入するものも含むのか。」ということと密接に絡むと思うが、少なくとも加速器その他をもって研究している者にとっては、実験装置で少数の人間が研究しているという感覚は全くなく、大学共同利用機関として国立大学のみならず、公立、私立、放射光源では民間まで多くの研究者が有効に共同利用している。したがって、1人当たりに換算すればビッグ、スモールの対比というのは意味がなくなるのではないか。単に単一の巨大な実験装置があるということでむだ遣いをしているといった印象を持たれるのは大変心外である。最終的にはそこにおける研究成果が問題であるが、効率的な多数の研究者の有効利用ということをぜひ認識していただきたい。
   ビッグサイエンスについて、アメリカやオーストラリアなどの諸外国でも同じようなものがあると思うが、ここで挙げられている各研究は、世界のトップを走っているようなものだけなのか。21世紀、日本の科学技術を考えるときに、そのような国際評価のようなレベルが日本でこれを進めるというときに強くアピールできることにつながらないといけない。
   例えば、JT-60などは、随分前につくられた装置である。当時は世界のトップ水準にあったが、今ではずっと先へ進んでいる。けれど、まだ実験はできる。SPring-8も、いずれは同じことになるかもしれないが、今はトップである。だから、時代性というのがある気がする。つくった当初というのは、いずれも世界で2番目をねらってつくることはないと思うので、常にトップにあったと考えていいのではないか。
   資料3−1は15年度に予算がついている事業を全部挙げているので、事業としてはこれから建設するものもあれば、建設はすでに終わり定常運転に入っているものもある。また、その中にもかなり前にできたものもあれば、まだできたばかりのものもあるなど様々である。ただ、各プロジェクトを開始したときには、国際的な観点も含めて、いろいろな枠組みで評価が行われているので、それなりの水準のものであると思う。
   質問だが、ビッグプロジェクトには日本がやりたいからやるという性格が非常に強いものと、国際協調としてある程度その中の部分を分担する、あるいは共同の場所でやるものといった性質の違いがあると思うがいかがか。
   事実、列挙したプロジェクトの中には両者が混ざっている。論点の3にもかかわるが、取り上げて推進していく際にどういった観点を重視していくのか。個別の事業を評価する際にどちらを重視するのか、あるいは全体バランスを考える際にどちらをより重視するのかといった観点だろうと思うので、ここでぜひ議論いただきたい。
   サイエンスの色彩の強いものは日本の独自性をねらったものが多く、一方、独自性をねらって出発したが、規模から考えて全地球的に国際協調で実施しているものと、国の技術安全保障として宇宙や原子力など国際的な枠組みの中で日本がその一端を担って政策的に取り組んでいるもののおそらく3種類ぐらいのパターンがあると思う。
   ここに挙がっているビッグサイエンスの具体的な項目については、国際的な貢献をするという観点での計画のつくり方が十分に考えられていて、かつ世界的な成果を出しているプロジェクトであると言えよう。日本のアイデンティティを示すということ、それから日本のオリジナリティを出すという点で、ナショナル・プロジェクトとして十分やっていける規模のものではないかと思う。核融合分野のITERについては、ある一定の規模を超えたため国際貢献ということに止まらず、国際協力でないとできない。SSCなどもそうだったと思うが、1つのカテゴリーを飛び出した例になるのではないかと思う。
   先ほど時代性という話があったが、ビッグサイエンスというのは、多かれ少なかれ、国際的なレベルをねらうものであることは間違いない。その時点で国際一流をねらっている。しかし、ある程度時間がたつとそれはだんだん下がっていく。逆に言えば、大きな予算を投じてこれだけのものをやる決意があれば、さらに立派なものができる。例えば、加速器などは、大きくすればするなりに一定の成果が得られると分かっているので、どんどん大きくなっていく。
       そのような研究に予算を投じることには、どういう意義があるのか。より大きなものをつくれば、その時点における国際一流の成果が得られることが分かっている。しかも、そういうものは関連する分野が非常に広いので、その周辺の領域の研究も非常に大きく進歩する。よって、ビッグサイエンスの意義は何だと言われたら、まさに一点集中による効率的なレベルアップであると言える。
       ただ問題は、桁が大きくなり過ぎて、他のサイエンスが全部枯れてしまうようでは困る。今のITERや、かつてのSSCなどに、国として一点集中型に予算を思い切って投じるかどうかの判断を一体だれがするかが問題である。
   ビッグサイエンスだけに限らないほうがいいと思うが、かつてあった議論は、日本にはコストを無視してかなりチャレンジングなことができる軍事研究がない。日本はそれにかわって大きなプロジェクトでピークを立て、周辺を牽引していくというコンセプトがあった。ところが、日本のビッグプロジェクトは、周辺をほんとうに引っ張っているかというと、いま一つというところがある。その辺を一度検証する必要があるのではないか。社会の中では今でも先導役という認識がかなり強い気がする。
   経済的波及効果であるが、巨額の予算を国でつけるかどうかを判断するとき、その技術のもとが全部外国にあり、最終的に海外にお金が流れていく場合は、国としてなかなかその事業には取り組みにくい。ビッグサイエンスなりプロジェクトを支える技術、産業が自国にあるかどうかというのは、ビッグサイエンスの場合、大きな要素であると思う。
   波及効果には、産業への影響、貢献、基礎づくりといった経済的な波及効果や人を育成するという面での波及効果、世の中に科学的な広がりを与えるなどいろいろな観点があると思う。
   例えば何か1つ性能が足りないという事態になったとき、なぜそういう現象が起こるのかを科学的にフィードバックされていると、全体として学問的にも進むのだが、往々にして板を厚くするといった解決の仕方をする。すると、そのプロジェクトは何とかなるが、広い学問にフィードバックされて全体の知的レベルが上がっていくということにはならないケースが多い。学術と大きなビッグプロジェクトの知の調和がうまく回っていないという感じがする。
   例えば、すばらしい装置をつくってもほとんどの機器を外国から買い集めてつくったのでは確かに波及効果もなければ、蓄積もできないということは大いに起こり得る。兵器でも同じことが言える。他国で開発され性能が高い飛行機を購入すれば、軍備はできるかもしれないが、別に航空産業ができるわけではない。このような観点は、ビッグサイエンスをやる中でこれまでもあったと思うが、どれだけ回転するかという観点はあるのか。
   残念ながら、きちんとしたデータを集めていない。しかしながら、板を厚くする、あるいは足りないものを外国から買ってくるというスタンスは、国として必要な国際協調、あるいは技術安全保障上、日本でも抱えていないと困るという分野では、先程の批判の一部は当たっているのではないか。しかし、大学のコミュニティが中心になって推進してきたプロジェクトは、そんなに予算をもらっていない。スーパーカミオカンデを例にとっても分かるように、板を単純に厚くしたり、外国から購入するよりもむしろ、その少ない予算でいかに世界のレベルを超すかというところで企業の技術者と一緒に汗をかいて飛躍をしているというのが現状ではないか。
   スーパーカミオカンデぐらいの事業は、まさに主役をやっていてすばらしいと思う。そのような観点があれば、国内の産業に還元され国の財源にもなる。そういう勘定があれば、ビッグサイエンスの予算を仮に増やしたとしても、中で回るのだから別にどうということはないという論理もあり得ると思う。もちろん、国際協調をやったら外に出ていくではないかなどいろいろ議論はあるかもしれないが、このサイエンスはこういう勘定で国に期するというような主張はできるのではないか。
   波及効果の面で、加速器分野において大きな意義があったと思うのは、加速器技術の進歩により新たな加速器の応用分野が開けたということである。例えば電子加速器による原子核素粒子の研究による、SPring-8、放射光源の開発は、まさに加速器技術が物質構造や生命機能に応用されたものである。もしかすると加速器分野の特徴かもしれないが、他分野への波及効果、または応用効果というのは、まさにビッグサイエンスの強調しなければいけない成功例である。特にこの面では、日本は非常に先導的な役割を果たしたと信じている。
   夢やロマンの創出は、間接的かもしれないが大事だと思う。資料2−1の4に「科学技術関係人材の育成・確保及び科学技術に対する理解の増進」と書かれており、その3に「科学技術に対する理解の増進」と書いてある。前回、我々科学に携わる者は、国民に対してどういうことをやっているのかをしっかり理解してもらわなければいけないということが議論された。結局は税金を使ってビッグサイエンスなどをやるのだから、国民の理解を得ることは大事である。
       ビッグサイエンスをやることによって、小学生、中学生、高校生など若年層に対しても夢やロマンを与える。海外の本屋では、週刊誌と同じコーナーに科学に関する本が置いてあり、それが非常にわかりやすく書かれていて、結構売れている。日本でも、国民がみんな科学をするような雰囲気をつくっていけば、それがビッグサイエンスを今後やっていく上での1つのインセンティブになってくる。そういう意味で、夢やロマンの創出はビッグサイエンスをやる上で1つ大事な要素ではないかと思う。
   日本の元気のもとだった産業を支えている技術者、大企業や特に大企業を支えてきた中小企業、下請けの技術者の夢とロマンをかき立てるという点では、ビッグサイエンスというのは非常に力がある。スモールでもそういう側面はあると思う。
   核融合というビッグの世界でやらせてもらい、我が国独自のヘリオトロンという方式により世界一の超伝導装置をつくり、成果を上げてこられた。これはしっかりした政策とサポートがあったからだが、私の経験からしても夢やロマンという点では、規模は別にして世界一の科学かどうかという点が大事であるように思う。世界一と言えるかどうかは自己評価や第三者評価が必要であり、評価のスケールをどうするかということになるが、それはビッグでもスモールでも同じであろう。
       科学技術の世界でピークを出しておくことは、プロジェクトを終えたときに関係した人間がいろいろなところへ移動することから考えても、日本の科学と技術を間違いなくレベルアップすることにつながるものである。特にビッグサイエンスはかかわる人間が非常に多いので、政策的にも投資対効果を高めることができよう。
   ビッグサイエンスの必要性として、1つ目が日本の独自性で、ある意味で比較優位を確保する、2つ目は国際協力、3つ目が技術安全保障であるという話があった。これらは否定すべくもないビッグサイエンスの必要性であるが、もう少し別の見方をすると、国際公共財を日本がどれだけ供給するか、要するに日本が無償で、日本が資金を出して自分だけが独占することができないものを世界にどれだけ供給するかという問題になると思う。
       科学技術で国際公共財をどれだけ供給するかという問題は、多額の予算をかけてやるべきなのか、もっと予算をかけて軍事で協力していけばいいのか、あるいはもう少し予算をかけずに日本文化の普及等の形で協力するのかなど、日本の存在意義のあり方にかかわってくる。
   グローバリズムの中で国際通用性というとき、どこでも通用する共通の物差しが当てられる部分で大きく貢献するのか、あるいは国々によって物差しが違うが、その多様性の中で日本の独自性や文化という側面を含めて資源投入するのかなど、どこに力点を置くのかということは国の考え方として非常に大切なところである。
   夢とロマンとあるが、もう少し現実的な部分で科学知識や関心、常識というものが、今大変退潮している。科学知識や常識をしっかり教育しておかないと、世間的にも安全保障上問題がある。夢、ロマンというより、もう少しシンボルとして、日本はこういうところを重視しているのだという姿勢が見えるようなビッグサイエンスの扱いを持っていないといけない。
   総合科学技術会議において、ITERをどうするかという問題に直面したとき、国際宇宙ステーションはどうするのかなど、いろいろな問題を一緒に考えざるを得なかったが、その議論の過程で共通の認識として出てきたことは、学術研究の中で、例えば、スーパーカミオカンデと国立天文台の「すばる」のどちらが大事かということを総合科学技術会議が判断するのはよくないということである。
       これはアカデミアの世界でしっかり議論してもらうべきことであり、総合科学技術会議の判断の対象ではないということだけは確認し合って議論をしていた。文章上ではそのことが表へ出てこないが、ここでは逆にわきまえて議論していったほうがいいのではないか。
   本日いろいろ重要な意見をお出しいただいたのを事務局で一度整理いただき、次回にまた引き続き議論させていただければと思う。

(2)    今後の学術研究体制の在り方について−課題の整理について−
    資料4−1「基本問題特別委員会(第14回)における主な意見」、資料4−2「当面検討すべきと考えられる論点(案)」、資料4−3「国による研究支援(ファンディング)のイメージ」に基づき、事務局及び石井主査代理より説明の後、意見交換が行われた。

   資料4−2の最初に「背景・問題意識」として大きく2つ取り上げられていて、この2点が当面の直接的な学術研究を考える場合の問題意識になると思うが、これらを取り巻くもう少し大きな背景として、日本が追いつけ追い越せ時代からトップランナーグループに入ったことで、日本の学術研究の役割の見直しや新しいあり方が問われているということがある。法人化も大学改革の一環という位置づけで行われている。そういう側面が1つある。
       もう1つは、IT技術が急激に進歩したことで、知的財産の流動化や転移が非常に容易に速くなってきた状況があり、知の創出や蓄積、伝承、伝承者を育てるという役割を一体的に担っている学術研究にとっては、ある種の大きな状況変化ではないかと思う。ここに挙げられている2つに比べると小さいかもしれないが、少し違う視点からそのような要素があると思う。
   「学術研究」の意義について、もし学術研究が存在しないと何が起こるのかということを逆に少し考えてみると非常にわかりやすくなるのではないか。何か思考実験をやってみてもいいのではないか。
   資料4−2の問題意識で考えれば、学術研究というものは科学技術とどういう関連づけ、有機的な連携を持っているのかという観点が必要ではないかと思う。
   問題はファンディングのバランスである。資料4−3の図には今の状態が書いてあるが、ダイナミックにどう変わっていくかが現しにくい。実はそのダイナミックに変わっていく方向が一番大事である。
       バランスをしっかり検討した施策を打ち出すことが、それこそが骨太の方針である。あとはいろいろ言わないでほしい。中身についていろいろ言うのは日本ぐらいで、他の外国では両方が大事なことはわかっていて、方針だけ決定し、あとはしっかりやりなさいというだけである。また我々が言うのと同時に、施策者は国民にこれだけのものをやるのだからとしっかり納得させる説明をしなければいけない。そのために、我々がデータを出さなければいけないので、タグマッチが必要だろうと思う。
   ビッグサイエンスとスモールサイエンスの話からこの局面に移ると、ビッグサイエンスはほとんど消えるのではないかと思う。大学がかかわったビッグサイエンスはないのではないかという印象を受ける。むしろ、スモールサイエンスがこれからどのように発展していくかを考えていかなければならない。その場合に、資料4−3の図の基礎研究の部分は、基盤校費と科学研究費補助金ぐらいであるが、実は科学研究費補助金はいいにしても、基盤校費が一体どれぐらい保証されるかという不安が起こるわけである。
       国立大学が法人化した場合、各大学において、教育により重点を置くのか、研究に重点を置くのか、自分の大学の性格をどうしたいのか、最終的には評価が行われるので、大学はどう評価されたいかということを考えざるを得ない。これから先、教育を吸い取ってでも研究に重点的に資金を投じていき研究で評価されたいという大学がどれぐらい出てくるかということが、スモールサイエンスを支えていく際の問題になると思う。
       もう一つは、大学を超えたものをどう考えるか。つまり、大学を超えて、例えばコンソーシアムをつくって何かをする場合、それを評価していただかなくてはいけない。いろいろな企画を立て何かをしたときに、いつも後で評価があるということを大学を運営する側としては強迫観念として持ってしまう。新しい領域をつくり出そうとすると、大学を超えたものは必要になってくるが、大学を超えたものにどれだけ運営費交付金を投じていくのかというのは、大学の中でも大変な問題になる。その中である程度の資金を投じるわけであるが、投じた資金によりどのような成果を上げ、どのような評価がされるかということが常に伴ってくる。学術研究を進めていく上で、これからの体制は相当に難しいということは間違いない。全てを現場が解決せよという形は不可能であり、学術研究の政策として何かダイナミックなものを構想していく必要があるのではないか。
   共同利用や共同研究は、新しい分野を開いたり融合分野がそこに必然的に出てくることを想定して研究が続けられている。法人化後も、それぞれ現在ある研究だけを進めればよいということであれば、競争だけで充分という結論が出るだろうが、学術は多様であり既存の分野の内だけに閉じたものではない。学術研究は個人に根差した、資料4−3の図でいうと基礎研究の部分の土壌のようなもので、ここには川があり、木の芽がありと非常に多様であり、双葉が出て木になっているものもあれば、虫が襲ってくるものもある。その様々なものの中でも、この4つの領域がある一定の果実をつけるということで投下される資金が多いというのが現状であるが、その投下の仕方は学術の土壌と果実の収穫のための資金では性質が全く違ってくる。
       ここで見られるのは、その根元に水をやれば済むと思った施策しか行われていないということである。実際、大きな木に水をやるときは、我々動物学者は幹の中心から根が出ているので幹に向かって水をやるが、植物学者は根が一番水を吸い取る周りにちゃんと水をやり、しっかり育てる。つまり、学術の分野では、そういうわからないところが多様に育っていることがまさに重要であり、それこそ実をつけるのに重要な役割を果たしている。だから、未知なる要素を含んだ多様なものに対するファンディングシステムでなくてはいけない。
       しかし、それは実をつけることにも関係するので、重点的にやることを阻害するものではない。さらに摘果したり、葉を落としたり、あるいは虫をよけたりという技術的なことは、科学技術としてやるべきことであり、それは学術とは質的に違うことではないかと思う。そのときに学術研究としては、ここで水をやるのか、虫をどうするのかということが全部一連のものとなって融合分野が形成され、あるいは新分野が創造されていくことになる。共同利用、共同研究という現在日本で行われている極めてユニークで、すばらしいシステムをまずよく検討し、新しいシステムの中でそれをどのように発展的にやっていくかということをこの委員会、あるいは作業部会などをつくってでも議論していくべきではないか。
   例えばナノテクは日本でかなりしっかりしたものが動き出した分野である。ところが、残念なことに科学技術基本計画で重点分野の議論をしているときには、最初はナノテクが入っていなかった。アメリカ大統領府がナノテクと言い出したので後から入れたという経緯がある。考えてみると、ライフサイエンスも情報通信も、当時「アメリカはすごい、日本は大変だ。」と言っていた分野が重点分野になっている。これはどういうことかというと、外国を見て遅れている分野をしっかりとやろうという発想で、重点4分野が出てきているのである。
       しかし、重点4分野になった途端、世界の一流でなければならないと言っている。強いところをより強くしていくのか、弱いところを強くしていくのかという戦略がはっきりしていないので、何となく弱いから重点分野にしたが、そこは世界の一流でなければいけないという相矛盾するようなことが起こっている。国全体として考えると、確かに弱いところも強くしなければいけないかもしれないので、そのような施策もあっていいが、学術的な施策を考えたときには、新しく生まれてきた芽や、あるいは強いところをより強くしていくという、総合科学技術会議のいう重点分野の考え方と少し違う重点的なファンディングの考え方というのを打ち出してもいい気がする。
   大学共同利用機関法人及び、法人化後の共同利用について懸念があるという指摘があったので少し説明させていただく。
       まず、大学共同利用機関法人については、4ないし5つの機関を統合していく中で、新領域開拓を目的に機関間のプロジェクトを考えていくべきであるとされている。そのためには、大学共同利用機関法人の中に大学共同利用機関以外の研究ユニットが全くできないというのはおかしい。その位置づけは難しい面もあるが、例えば、共通研究施設を大学共同利用機関を結ぶ共通の研究ユニットであるという位置づけをし、大学共同利用機関法人が新領域開拓に取り組めるような制度的な整理をしていきたいと思っている。確かに、そのユニットは共同利用機関かと言われると、独立した大学共同利用機関ではないが、研究組織であるという制度的な整理をしていきたいと思う。また、大学共同利用機関法人同士の協力ということであれば、共同研究を組んでいくというスタイルになると思う。
       第2に、大学における全国共同利用は今後難しくなるのではないか、共同利用型の附置研究所研究施設が、学内で応援してもらうのは難しくなるのではないかというような声が聞こえてくる。これについては、組織としてか、あるいは活動、機能としてかという問題はあるが、中期計画で明確に位置づけられれば、評価の対象になるので、適切に機能しうると考える。また、共同利用を推進するために必要な経費は確実に積算していきたいと思っている。もちろん、交付金の執行は学長のリーダーシップに委ねられるが、積算はこうであると見えるような形で示すことを考えている。
       第3に、ビッグプロジェクトは、今後、国立大学でやりにくくなるのではないかという懸念も一部から聞こえてくる。昨日も国会でそのような質問があったが、運営費交付金は、言わば何でも使えるようなものであるから、このプロジェクトのためであると限定できないことも懸念の背景にあると思う。私どもとしては、例えば立ち上げの研究装置の整備などは施設費補助金、建設してからの運転するための経費は運営費交付金にならざるを得ないと思われるが、重要なプロジェクトについては、そういった経費も確保していきたい。また、そのプロジェクトは、当然、中期計画などに位置づけられると考えられるので、後で評価されることになる。悲観的な見方が大学の中にあるようだが、ビッグプロジェクトは法人化したから今後全然できなくなるという訳ではない。このことは、昨日の国会答弁の中でも明確にされている。
   行政側も、大学をはじめ、学術研究分野に対して万全の構えで臨んでいるということだが、皆さんの心配は、その財源が入ってくれば問題ないが、総合科学技術会議や経済財政諮問会議の議論を伺っていると、懸念材料があるということなのではないか。懸念は懸念でそれ以上仕方がないという立場と、懸念があるのに手を打たなかったのは担当者の過失であるということで、国会追及されることもあるだろうし、これはもう少し皆さんの意見も伺わないといけないと思う。

(3)    その他
    資料5−1「科学研究費補助金制度の評価について(概要)」、資料5−2「科学研究費補助金の評価について」に基づき、事務局より説明があった。また、資料6−1「人材委員会第二次提言(概要)(案)」、資料6−2「人材委員会第二次提言(提言案)」に基づき、事務局及び小林会長代理より説明があった。

(4)    今後の日程
    次回の基本問題特別委員会(第16回)は、7月17日(木)10:00〜13:00三田共用会議所にて開催する旨、事務局より案内があった。


(研究振興局振興企画課学術企画室)


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