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質問だが、高速増殖原型炉「もんじゅ」は、運転をしていなくても年間100億円以上の経費がかかっているが、なぜビッグサイエンスから排除されているのか。ほかにも幾つかあると思う。 |
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今回、資料3−1を整理するに当たっては、基礎的な研究開発の中でビッグとそれ以外のものの数字を拾った。基礎的な研究開発をどのように捕らえるかはいろいろ意見があると思うが、御指摘の原子力分野の「もんじゅ」や宇宙分野の実用目的の衛星などは、ビッグという点では該当するが、基礎的な研究開発とは少し性格が違うのではないかということで、今回の集計には入れていない。 |
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総合科学技術会議の資源配分方針においても、ビッグサイエンスについては基礎研究に関する記述の中で書かれているのでこのように整理しているが、この点について議論があれば御願いしたい。 |
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通常ビッグというと、例えば、国際宇宙ステーションや国際熱核融合実験炉「ITER」、高速実験炉「常陽」、「もんじゅ」、南極観測事業、深海掘削計画などが入るが、ビッグサイエンスと呼んだとき、それらが該当するかどうかということである。 |
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例えば深海掘削計画などは、明らかにサイエンスが基本である。 |
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ビッグサイエンスを定義するとき、大きいか小さいかということだけではなく、サイエンスなのかサイエンスでないのかという視点もあるという御指摘である。 |
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資料3−1の別表の事業の予算額には、事業費だけで人件費は入っていないのか。つまり、学問の分野によってはその分野の専門家が少ないが非常にお金がかかる分野と、一方で、ゲノム解析のように非常に幅広くやっていて、事業費としては出てくるものは少ないが、多くの人件費がかかる分野がある。このような議論をするとき、人件費の分まで考えるのか、考えないのか。 |
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人件費も含めて考えるべきという議論はあろうかと思う。ちなみに今回の集計は、一部を除いて個別のプロジェクト経費のみであり、そのプロジェクト経費で研究支援者などを雇用する形で人件費に使うことはあると思うが、その研究活動を行う人そのものの人件費は入っていない。それはビッグの装置系も同様であり、大学共同利用機関で研究を行っている研究者の人件費は入っていない。 |
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例えば、アメリカではプロジェクト経費で給料も支給しており、我が国でも今後このような議論をする際には、人件費、特にプロジェクトを実施するために雇用される人たちの人件費も含めて考える必要があるかもしれない。 |
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仮に私立大学などからこのようなビッグプロジェクトに参加しようとした場合、大学ではその人が抜けたあとをどうにかしなければいけない。そのようなチャンスを研究者に与えたいと思うので、ぜひ人件費のところまで検討して欲しい。 |
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競争的経費から給料が支給できるようにしてはどうかといった議論も一方であり、今後、総合的に議論されると思う。 |
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昨年の段階で、総合科学技術会議において、ビッグサイエンスについて問題意識を持つきっかけはITERであった。ITERを評価するために様々な議論をしたが、結局は、他にどのようなところにお金が必要で、今使うことになっているお金は削れるのか、国際宇宙ステーションや「もんじゅ」、「常陽」などはこれからどうなのかといった問題との兼ね合いになるわけで、全体の財源が限られている以上、ITERという高額の事業が入ってきたとき、他の事業にひずみが行かないかということが非常に大きな問題意識となった。したがって、資料3−1のビッグサイエンスの例として取り上げられているもののほとんどは、それとは次元が違うところのものであり、議論の対象をきちんと整理しなくてはいけない。 |
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例えば、宇宙ステーションがピークになると年間600億円かかる見込みになっている。それを前提にしてITERを誘致することが可能なのか。他の国にサイトがあり日本がそれに協力するのと、日本が誘致するのと、どちらが適当なのかという点について活発な議論が行われていた。資料2−2の資源配分方針の3ページに「ビッグサイエンスについてはグローバルな観点からの評価に加え」の「グローバルな観点からの評価」という、率然と読むとわかりにくい文が出てくるのはそのためであり、ITERや国際宇宙ステーションは、大きな国際約束の中で動いている前提があり、そのことをどう考えるのか、それと今後どうするのか、という問題意識がこの文章のこの部分に反映されているのだと思う。ただ、なぜかこの文章は基礎研究の一項目の中で記述されている。本来、もう少し違う次元で話が展開していた。 |
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この問題をどう受けとめ、これをどうこなしていくかが重要である。同じビッグサイエンスといわれているものでも、開発的な要素を持っているビッグプロジェクトと呼ばれるものと、本当の意味での学術研究をやるための装置で大きな予算が要るものと、我々はしっかり区分けして議論しなければいけない。 |
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ビッグサイエンスとスモールサイエンスを対比するというのは、論点1の「巨大な実験装置が必要なものに限るのか、多くの人的資源を集中投入するものも含むのか。」ということと密接に絡むと思うが、少なくとも加速器その他をもって研究している者にとっては、実験装置で少数の人間が研究しているという感覚は全くなく、大学共同利用機関として国立大学のみならず、公立、私立、放射光源では民間まで多くの研究者が有効に共同利用している。したがって、1人当たりに換算すればビッグ、スモールの対比というのは意味がなくなるのではないか。単に単一の巨大な実験装置があるということでむだ遣いをしているといった印象を持たれるのは大変心外である。最終的にはそこにおける研究成果が問題であるが、効率的な多数の研究者の有効利用ということをぜひ認識していただきたい。 |
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ビッグサイエンスについて、アメリカやオーストラリアなどの諸外国でも同じようなものがあると思うが、ここで挙げられている各研究は、世界のトップを走っているようなものだけなのか。21世紀、日本の科学技術を考えるときに、そのような国際評価のようなレベルが日本でこれを進めるというときに強くアピールできることにつながらないといけない。 |
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例えば、JT-60などは、随分前につくられた装置である。当時は世界のトップ水準にあったが、今ではずっと先へ進んでいる。けれど、まだ実験はできる。SPring-8も、いずれは同じことになるかもしれないが、今はトップである。だから、時代性というのがある気がする。つくった当初というのは、いずれも世界で2番目をねらってつくることはないと思うので、常にトップにあったと考えていいのではないか。 |
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資料3−1は15年度に予算がついている事業を全部挙げているので、事業としてはこれから建設するものもあれば、建設はすでに終わり定常運転に入っているものもある。また、その中にもかなり前にできたものもあれば、まだできたばかりのものもあるなど様々である。ただ、各プロジェクトを開始したときには、国際的な観点も含めて、いろいろな枠組みで評価が行われているので、それなりの水準のものであると思う。 |
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質問だが、ビッグプロジェクトには日本がやりたいからやるという性格が非常に強いものと、国際協調としてある程度その中の部分を分担する、あるいは共同の場所でやるものといった性質の違いがあると思うがいかがか。 |
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事実、列挙したプロジェクトの中には両者が混ざっている。論点の3にもかかわるが、取り上げて推進していく際にどういった観点を重視していくのか。個別の事業を評価する際にどちらを重視するのか、あるいは全体バランスを考える際にどちらをより重視するのかといった観点だろうと思うので、ここでぜひ議論いただきたい。 |
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サイエンスの色彩の強いものは日本の独自性をねらったものが多く、一方、独自性をねらって出発したが、規模から考えて全地球的に国際協調で実施しているものと、国の技術安全保障として宇宙や原子力など国際的な枠組みの中で日本がその一端を担って政策的に取り組んでいるもののおそらく3種類ぐらいのパターンがあると思う。 |
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ここに挙がっているビッグサイエンスの具体的な項目については、国際的な貢献をするという観点での計画のつくり方が十分に考えられていて、かつ世界的な成果を出しているプロジェクトであると言えよう。日本のアイデンティティを示すということ、それから日本のオリジナリティを出すという点で、ナショナル・プロジェクトとして十分やっていける規模のものではないかと思う。核融合分野のITERについては、ある一定の規模を超えたため国際貢献ということに止まらず、国際協力でないとできない。SSCなどもそうだったと思うが、1つのカテゴリーを飛び出した例になるのではないかと思う。 |
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先ほど時代性という話があったが、ビッグサイエンスというのは、多かれ少なかれ、国際的なレベルをねらうものであることは間違いない。その時点で国際一流をねらっている。しかし、ある程度時間がたつとそれはだんだん下がっていく。逆に言えば、大きな予算を投じてこれだけのものをやる決意があれば、さらに立派なものができる。例えば、加速器などは、大きくすればするなりに一定の成果が得られると分かっているので、どんどん大きくなっていく。 |
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そのような研究に予算を投じることには、どういう意義があるのか。より大きなものをつくれば、その時点における国際一流の成果が得られることが分かっている。しかも、そういうものは関連する分野が非常に広いので、その周辺の領域の研究も非常に大きく進歩する。よって、ビッグサイエンスの意義は何だと言われたら、まさに一点集中による効率的なレベルアップであると言える。 |
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ただ問題は、桁が大きくなり過ぎて、他のサイエンスが全部枯れてしまうようでは困る。今のITERや、かつてのSSCなどに、国として一点集中型に予算を思い切って投じるかどうかの判断を一体だれがするかが問題である。 |
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ビッグサイエンスだけに限らないほうがいいと思うが、かつてあった議論は、日本にはコストを無視してかなりチャレンジングなことができる軍事研究がない。日本はそれにかわって大きなプロジェクトでピークを立て、周辺を牽引していくというコンセプトがあった。ところが、日本のビッグプロジェクトは、周辺をほんとうに引っ張っているかというと、いま一つというところがある。その辺を一度検証する必要があるのではないか。社会の中では今でも先導役という認識がかなり強い気がする。 |
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経済的波及効果であるが、巨額の予算を国でつけるかどうかを判断するとき、その技術のもとが全部外国にあり、最終的に海外にお金が流れていく場合は、国としてなかなかその事業には取り組みにくい。ビッグサイエンスなりプロジェクトを支える技術、産業が自国にあるかどうかというのは、ビッグサイエンスの場合、大きな要素であると思う。 |
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波及効果には、産業への影響、貢献、基礎づくりといった経済的な波及効果や人を育成するという面での波及効果、世の中に科学的な広がりを与えるなどいろいろな観点があると思う。 |
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例えば何か1つ性能が足りないという事態になったとき、なぜそういう現象が起こるのかを科学的にフィードバックされていると、全体として学問的にも進むのだが、往々にして板を厚くするといった解決の仕方をする。すると、そのプロジェクトは何とかなるが、広い学問にフィードバックされて全体の知的レベルが上がっていくということにはならないケースが多い。学術と大きなビッグプロジェクトの知の調和がうまく回っていないという感じがする。 |
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例えば、すばらしい装置をつくってもほとんどの機器を外国から買い集めてつくったのでは確かに波及効果もなければ、蓄積もできないということは大いに起こり得る。兵器でも同じことが言える。他国で開発され性能が高い飛行機を購入すれば、軍備はできるかもしれないが、別に航空産業ができるわけではない。このような観点は、ビッグサイエンスをやる中でこれまでもあったと思うが、どれだけ回転するかという観点はあるのか。 |
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残念ながら、きちんとしたデータを集めていない。しかしながら、板を厚くする、あるいは足りないものを外国から買ってくるというスタンスは、国として必要な国際協調、あるいは技術安全保障上、日本でも抱えていないと困るという分野では、先程の批判の一部は当たっているのではないか。しかし、大学のコミュニティが中心になって推進してきたプロジェクトは、そんなに予算をもらっていない。スーパーカミオカンデを例にとっても分かるように、板を単純に厚くしたり、外国から購入するよりもむしろ、その少ない予算でいかに世界のレベルを超すかというところで企業の技術者と一緒に汗をかいて飛躍をしているというのが現状ではないか。 |
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スーパーカミオカンデぐらいの事業は、まさに主役をやっていてすばらしいと思う。そのような観点があれば、国内の産業に還元され国の財源にもなる。そういう勘定があれば、ビッグサイエンスの予算を仮に増やしたとしても、中で回るのだから別にどうということはないという論理もあり得ると思う。もちろん、国際協調をやったら外に出ていくではないかなどいろいろ議論はあるかもしれないが、このサイエンスはこういう勘定で国に期するというような主張はできるのではないか。 |
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波及効果の面で、加速器分野において大きな意義があったと思うのは、加速器技術の進歩により新たな加速器の応用分野が開けたということである。例えば電子加速器による原子核素粒子の研究による、SPring-8、放射光源の開発は、まさに加速器技術が物質構造や生命機能に応用されたものである。もしかすると加速器分野の特徴かもしれないが、他分野への波及効果、または応用効果というのは、まさにビッグサイエンスの強調しなければいけない成功例である。特にこの面では、日本は非常に先導的な役割を果たしたと信じている。 |
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夢やロマンの創出は、間接的かもしれないが大事だと思う。資料2−1の4に「科学技術関係人材の育成・確保及び科学技術に対する理解の増進」と書かれており、その に「科学技術に対する理解の増進」と書いてある。前回、我々科学に携わる者は、国民に対してどういうことをやっているのかをしっかり理解してもらわなければいけないということが議論された。結局は税金を使ってビッグサイエンスなどをやるのだから、国民の理解を得ることは大事である。 |
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ビッグサイエンスをやることによって、小学生、中学生、高校生など若年層に対しても夢やロマンを与える。海外の本屋では、週刊誌と同じコーナーに科学に関する本が置いてあり、それが非常にわかりやすく書かれていて、結構売れている。日本でも、国民がみんな科学をするような雰囲気をつくっていけば、それがビッグサイエンスを今後やっていく上での1つのインセンティブになってくる。そういう意味で、夢やロマンの創出はビッグサイエンスをやる上で1つ大事な要素ではないかと思う。 |
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日本の元気のもとだった産業を支えている技術者、大企業や特に大企業を支えてきた中小企業、下請けの技術者の夢とロマンをかき立てるという点では、ビッグサイエンスというのは非常に力がある。スモールでもそういう側面はあると思う。 |
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核融合というビッグの世界でやらせてもらい、我が国独自のヘリオトロンという方式により世界一の超伝導装置をつくり、成果を上げてこられた。これはしっかりした政策とサポートがあったからだが、私の経験からしても夢やロマンという点では、規模は別にして世界一の科学かどうかという点が大事であるように思う。世界一と言えるかどうかは自己評価や第三者評価が必要であり、評価のスケールをどうするかということになるが、それはビッグでもスモールでも同じであろう。 |
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科学技術の世界でピークを出しておくことは、プロジェクトを終えたときに関係した人間がいろいろなところへ移動することから考えても、日本の科学と技術を間違いなくレベルアップすることにつながるものである。特にビッグサイエンスはかかわる人間が非常に多いので、政策的にも投資対効果を高めることができよう。 |
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ビッグサイエンスの必要性として、1つ目が日本の独自性で、ある意味で比較優位を確保する、2つ目は国際協力、3つ目が技術安全保障であるという話があった。これらは否定すべくもないビッグサイエンスの必要性であるが、もう少し別の見方をすると、国際公共財を日本がどれだけ供給するか、要するに日本が無償で、日本が資金を出して自分だけが独占することができないものを世界にどれだけ供給するかという問題になると思う。 |
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科学技術で国際公共財をどれだけ供給するかという問題は、多額の予算をかけてやるべきなのか、もっと予算をかけて軍事で協力していけばいいのか、あるいはもう少し予算をかけずに日本文化の普及等の形で協力するのかなど、日本の存在意義のあり方にかかわってくる。 |
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グローバリズムの中で国際通用性というとき、どこでも通用する共通の物差しが当てられる部分で大きく貢献するのか、あるいは国々によって物差しが違うが、その多様性の中で日本の独自性や文化という側面を含めて資源投入するのかなど、どこに力点を置くのかということは国の考え方として非常に大切なところである。 |
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夢とロマンとあるが、もう少し現実的な部分で科学知識や関心、常識というものが、今大変退潮している。科学知識や常識をしっかり教育しておかないと、世間的にも安全保障上問題がある。夢、ロマンというより、もう少しシンボルとして、日本はこういうところを重視しているのだという姿勢が見えるようなビッグサイエンスの扱いを持っていないといけない。 |
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総合科学技術会議において、ITERをどうするかという問題に直面したとき、国際宇宙ステーションはどうするのかなど、いろいろな問題を一緒に考えざるを得なかったが、その議論の過程で共通の認識として出てきたことは、学術研究の中で、例えば、スーパーカミオカンデと国立天文台の「すばる」のどちらが大事かということを総合科学技術会議が判断するのはよくないということである。 |
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これはアカデミアの世界でしっかり議論してもらうべきことであり、総合科学技術会議の判断の対象ではないということだけは確認し合って議論をしていた。文章上ではそのことが表へ出てこないが、ここでは逆にわきまえて議論していったほうがいいのではないか。 |
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本日いろいろ重要な意見をお出しいただいたのを事務局で一度整理いただき、次回にまた引き続き議論させていただければと思う。 |