審議会情報へ

科学技術・学術審議会学術分科会

2003/03/31 議事録
科学技術・学術審議会学術分科会  基本問題特別委員会(第13回)議事録

科学技術・学術審議会  学術分科会
基本問題特別委員会(第13回)議事録


1.日   時   平成15年   3月31日(月)   15:00〜17:00

2.場   所   経済産業省別館944会議室(9階)

3.出席者   末松会長
(委   員)   小平主査、伊賀委員、池端委員、石井委員、磯貝委員、川村委員、白井委員、戸塚委員、鳥井委員
  (科学官)   勝木科学官、寺西科学官、西尾科学官
  (事務局)   石川研究振興局長、林科学技術・学術政策局長、井上科学技術・学術政策局次長、坂田大臣官房審議官、丸山研究振興局担当審議官、磯田総括会計官、尾山政策課長、藤木開発企画課長、川原田振興企画課長、他関係官

4.議   事
(1) 主査代理の指名
    小平主査より、石井委員が主査代理に指名された。

(2) 今後の学術研究体制の在り方について
    資料2「科学技術・学術審議会における学術研究に関する主な意見」、資料3「学術研究の現状に関連する資料」、資料4「平成16年度の科学技術分野の重点事項について(案)」、資料5「基本問題特別委員会における当面のスケジュール(案)」、資料6「国立大学法人法案概要」、資料7−1「大学共同利用機関の法人化について」、資料7−2「大学共同利用機関の法人化についての概要」に基づき、事務局より説明の後、意見交換が行われた。

    ( ○・・・委員、科学官   △・・・事務局の発言 )
  
    ○    第3期科学技術基本計画の芽出しのような議論を始めてはどうか。今までは、基本計画が策定された後、少し遅れ気味に議論を行ってきたように感じられる。前もってアピールすることを考える意味で、今年中に科学技術基本計画の在り方についても議論をし、その際、学術分科会で多少大学以外のことにも言及してもいいのではないか。何か先取りをすることを考えるべきではないか。

   この学術分科会の第1期スタート時にも、そのような議論があり、平成13年7月に学術分科会として「学術研究の重要性について」をとりまとめ、それを受けて、科学技術・学術審議会として「科学技術・学術の振興に関する当面の重要事項について」の建議を大臣に上げるという動きがあった。第2期の科学技術・学術審議会の全体方針はまだ固まっていないが、学術分科会として今後どのようなアクションをとるかについては、この基本問題特別委員会や学術分科会でも検討し、末松会長にもお諮りして相談していきたい。以上のようなことも含めて、意見をお出しいただきたい。

   資料2「科学技術・学術審議会における学術研究に関する主な意見」の中に、人文・社会科学について検討が必要だ、あるいは、それを恒常的に検討するためのシステムが必要だということが書かれているが、やはり何らかの形で、社会科学あるいは人文科学について取り上げる必要があるのではないか。我が国の現下の経済状況に関しても、科学技術の問題はあるだろうが、社会科学の在り方がある意味で長い間うまくいかなかったことが、関係しているように思える。
    例えば現在の社会経済、あるいは社会システムや政治システムというのは、国際的視野でみるとグローバルな制度間競争のような状態になっている。ここ数十年の間に制度をつくりあげ、それを世界標準にすることが日本は完全に立ち遅れてきた。国際会計制度や金融制度、あるいは様々な環境に関するルールづくりについても、制度をどのようにして確立するか、それを国際的なシステムの中でどのように働きかければ、日本の国益が実現できるかという視点が欠けていたのではないか。
    社会科学の場合、制度と研究、あるいは実態と研究というのは非常に一体化している面がある。それにもかかわらず、主体的に社会システムや制度システムを、国際的な競争力を持ったものにしていくという視点が、社会科学には欠けていたように思われる。社会科学に関する学術研究システムを根本的に見直すことも、近い将来考えるべきではないか。

   科学技術の流れで、「基礎研究」という言葉が出てきて、学術研究はその基礎研究の一種であるように受け取られることがよくある。おそらく科学技術は、主として人間社会の経済や医療、軍事という物質的あるいは生物的な面での豊かさや力を増進する術だと思われる。一方、学術は、主として人間社会の思想や社会制度、広い意味での文化という精神的、あるいは人間社会的な豊かさや力というものを増進する術だと思われる。それらは密接に重なっているが、学術研究そのものは、科学技術と離れた独自の価値を持っているので、その辺りの反省をきちんとする必要がある。
    次に、高等教育と学術研究という方面からも御意見があれば伺いたい。

   日本における公的資金は、第1期、第2期基本計画で相当金額が増えており、それなりの効果が上がってきたといえるだろう。システムも、現在、国立大学の法人化ということで大きく展開しようとしている。この法人化が、管理運営面で非常に大きな飛躍を遂げると考えられる。しかし、お金や人的資源はどのように配分され、コントロールされていくのか。どういう順番で教育して、人を供給していかなければいけないのか。その部分をもっと戦略的に考えていかなければいけない。
    このような大きな動きの中で、私立大学は対応に苦心している。国全体での資源配分、お金の問題、人の問題、年齢的な構成の問題、ポスドクの問題など、もう少しシステマティックに考えられないだろうか。次のフェーズでは、少し踏み込んで議論していただきたい。

   総合科学技術会議の設置や、文部省と科学技術庁の統合、平成16年度の国立大学や大学共同利用機関の法人化などの制度改革で、基本的な枠組みが変化しているときに、学術研究とは何かということが、はっきりしなくなってきている。特に、総合科学技術会議で様々な政策を出されたときに、基礎研究と言われているものの中に、学術研究が含まれている面はあるが、明らかにそれからはみ出る部分がたくさんある。そのはみ出る部分というのは、例えば効率的な競争といった学術研究になじまないものである。学術研究とは、協力して研究をし、ディスカッションを積み重ねているうちに新しい問題が設定されて、それではこういうものをやっていこうというのが本質的な部分である。経済的効率を基準に資源配分をすると、明らかに学術研究の最も重要な部分が置き去りにされていく。学術研究に従事する我々が、学術研究の意味合いをはっきりとした形で発言してこなかったことが、大変マイナスであった。
    現在、総合科学技術会議では、競争的研究資金の議論の中で科研費についていろいろな制度設計を根本的に見直そうとしているが、今まで配分されてきた科研費の本質的な意味をぜひ議論していただきたい。我々も学術研究の本質的な意味を議論した上で、それを踏まえて見直しの議論をするということでなければ、学術研究は、経済効率というものに、鎧袖一触、異論なしというぐらいに消えてしまう。学術研究の本質的意味をここで十分に発信していくべきである。

   大学の現場にいると、高等教育と学術研究が、2つとも大学で行われていながら、政府の審議会では別々の委員会で、それぞれ別々の対応が必要とされてくる。
 例えば教育では、日本の大学教育は、先生方の関心が研究にあり、まともな教育が行われていない。もしくは、学部教育、大学院教育においても、教育についての評価が低いために、教育に熱心な先生がいなくなると言われている。ところが、一方では、科研費をどれだけ多く取ってくるかということによって先生の給与も決めればいいという議論がある。
    同じ一人が教育と研究をやるので、いい教育をしようとしたら、ある時期、科研費で一生懸命研究をしているわけにはいかない現状も出てくる。そのことを総合的に、高等教育機関である大学はどうあるべきかを考える必要がある。やはり教育と研究は、あるバランスのもとに、しかるべき校費が支給されなければならない。

   国立大学の基盤的経費はほとんど伸びていない、伸びているのは競争的資金である。競争的資金の在り方については、今後この委員会や研究費部会その他でも議論があるだろう。では、基盤的経費は、これから国立大学でどのように位置づけられていくのか。やはり大学での基盤的な研究というものは、国立大学で維持し、発展させなければいけない。大学の中期目標は、基盤的経費とは全く関係がないのか。あるいは、政策として取り込むのか。
    横浜市立大学の大学改革のプランを見ると、今後は特に大学として必要と認めた研究以外の研究費は措置しない、研究費は自分で稼いでこいという話になってる一方で、大学として教育だけやるのかというと、研究もやると書いてある。また、昨年まとめられた「大学における研究費の在り方(審議経過の整理)」では、基盤的経費も競争的資金も両方とも大切だと書かれている。では、どうやって両方を確保するのか、法人法案との関連ではどのように理解されるのか。

   国立大学法人法案には、法人制度の基本的な枠組みは書いているが、予算措置の仕組みについて、具体的な事柄は法律の条文としてはほとんど出てこない。基本的な財源は措置するとあるが、実際にどういう予算が、どのように配分されるかについては、この法律を踏まえた上での予算事項ということになってくる。私どもは、各国立大学の自己収入以外の必要な財源については、運営費交付金を国から措置し、それに加えて施設整備費の補助金を別途措置するということを考えている。
    問題は、この運営費交付金について、どういう基準で、どのように配分されるかである。昨年3月に有識者の方々からいただいた調査検討会議の最終報告を踏まえた形で、具体的な予算措置を考えていく。運営費交付金を2つに分け、1つは標準運営費交付金として、いわば学生数その他客観的な指標に基づいて共通の算式で出てくる必要な経費、もう1つは特定運営費交付金として、客観的な指標で出せない個別の事由に見合った交付金という形で措置をしようと考えている。
    そして、法人化後の評価結果を、この交付金の算定に反映させることを考えている。評価の仕組みについては、中期目標の達成度評価とあわせて水準評価も行い、交付金の算定に反映させることが前提になっている。ここでも、基本的な枠組みしか示されていないので、具体的な仕組みについては、法人化後の最初の年度である16年度の予算要求や予算編成の中で具体的な姿が固まっていくと考えている。これまでに文部科学省が各国立大学に措置していた様々な予算措置は、いわゆる当たり校費と言われているような基盤的な教育研究経費もあったが、その一方で、様々な評価指標を使って競争的に配分してきた予算措置の部分もあった。今後も、ある程度基礎的な教育研究経費を措置しつつ、その一方で業績評価を踏まえた競争的な予算という2つの要素を持った交付金というものを考えていくべきだろう。しかし、その交付金を超えたところで、さらに多様な競争的経費というものがある。競争的経費といっても、様々な段階があると考えられる。今後、運営費交付金の中のさらに基盤的な経費をどの程度の割合で、そのような指標で整理していくのかということを、これから実務的に検討していきたい。

   当積算校費系統のものは、文部科学省で全国共通に決めることになり、それはあたかも私学に対する経常費助成の中で、教官当たり、学生1人当たりの積算単価が決まっているような指標ができてしまうということである。それは、中期目標にも出てこないで、予算の話としていく。しかし、その予算の部分が、大学にとっては非常に重要な部分である。基盤的経費というのは、いかなる大学であれ必要となるのであるから、それをどうやって確保できるのかということを、やはり中期目標などで明示すべきではないか。

   具体的な交付金の積算基準は、既に国立大学関係者にはお示しをしている。様々な算式を入れているが、様々な係数も入っていて、結局、国の財政状況を見合いながらの予算編成で決まっていく仕掛けになっている。いずれにしても、具体的な積算基準については、従来にも増して、透明な形で各大学にお示しをしたいと考えている。中期目標の中ではおそらく無理であろうが、中期計画の中では、6年間の予算措置の見通しについてを示し、各大学での6年間の運営のよりどころにしていただきたいと思っている。

   この点は、研究費部会でも議論の対象になった。例えば科研費が、実際にどういう役割を果たしているかというと、基盤校費からは研究費にまわる分はほとんどないし、教育の経費も実はほとんど賄われていない。大学院の教育は、結局、科研費を取ってかろうじて行われているという実態がほぼ常識的、あるいは一般的な形になっているという指摘もある。だから、研究費部会で議論している研究費の制度設計についても、大学の財政という大枠の予算の中で、一体どういう意味を持ち得るのかということが大変問題であると指摘された。
    しかし、研究費部会でその周辺の問題まで議論していいのか、あるいは、やり切れるのかというと、これはまた問題である。この基本問題特別委員会で議論すべきことなのかもしれない。研究費、あるいは教育に関する経費の問題や人材養成ということを考えると、大学、とくに大学院の財政は非常に重要な課題である。高等教育局でいろいろ考えているのは承知しているが、やはり学術研究、それから学術を担っていく人々の人材養成という観点からは、基本問題の1つとして、今の大学の財政全体の在り方について、関心を十分払っていく必要があるのではないか。

   先進国は、一国の知的資産というものを生み出して、蓄積して、体系化、あるいは再構築して、伝承していくという機能を持つ幾つかのインスティテューションを持っているが、その中で、国公私を含めての大学が担っている部分は、少なくとも、この21世紀初頭の日本では非常に大きい。知識資産を利用し、開発的に知的資産を引き出し管理する、そして産業に生かしていくという側面は重要である。しかし、生き物として潤沢に物質的に恵まれているだけでは、決して国民は幸せではない。文化や社会制度、思想といった面を、科学技術の振興と両輪として育てていけるような国にするためには、前述の問題にしっかり取り組まなければならない。また、学術研究の資源配分などの施策を考える場合に、高等教育と切り離して考えるのは無理がある。高等教育と同じではないが非常に密接だということを踏まえて、両方をあわせた総合的な施策を国としてやっていけるシステムを確立することが重要である。

   このような議論は、大学や学術分科会の外部に出ると、ほとんど聞かれない。つまり、世間から見ると、当事者が自分たちの我田引水をしているとしか聞こえかねない。これは大変問題である。学術研究という言葉が先程から頻繁に出ているが、学術研究と科学技術はどこが違うのかという問いに、答えられる日本人はほとんどいないと思われる。
 やはり学術研究は、ほかの研究とどこが違うのか、それが持っている意味はどうなのか、学術研究をきちんとやっていくためには何が必要なのか、総合的な科学技術の中で学術研究の占める割合はどうあるべきかということについて、社会を巻き込んで、社会に理解してもらわないと、財務省に認めろといっても難しいと思われる。大学の先生方は、自分の研究については、よく発表するが、学術研究の意味についてはほとんど発表していない。世の中の共感を求めようとする努力がされてない。世間に通じる議論をきちんと積み立てていくことが大変大事だと思う。第3期科学技術基本計画に意見を反映するためにも、経団連などの人たちの考えを少し変えてもらうためにも大事である。そういうプロジェクトを文部科学省と一緒にやっていくということを考えないといけない。

   ここにも学術研究関係者はいるが、我々自身、深く反省し、肝に据えて、今後対処しなくてはいけない。大学の経営という観点からも、私学から見ると、国立大学の経営は散漫であると見えるかもしれない。これはきちんと引き締めてかからないといけない。

   社会から見て学術研究が一体どのような位置づけにあるかについては、重要性を増しているからこそ、一度しっかりと整理をする必要がある。その際、何がどのように関係しているかということも、書いたものにしないと、なかなか社会全体にわかってもらえないだろう。学術研究そのものの意義自体が、関係者にはよくわかるが、関係者以外からはわかりにくいという現実は、今まで我々が御理解いただくための努力をしてこなかった結果と考えられる。
    もう一つ、予算面については、日本の競争的資金は、世界の先進国の中では著しく低い。その原因も含めて、使われている経費の国際比較など国際的な視点で、また人文社会という非常に重要な分野の推進との関係も視野に入れて、もう一度見つめ直す必要がある。


(3) 総合科学技術会議における競争的資金制度改革の検討について
    資料8−1「総合科学技術会議における競争的資金制度改革に関する議論の経緯」、資料8−2「競争的研究資金制度改革の検討状況について」、資料9−1「ポストドクター等若手研究者に対する支援制度の在り方について」、資料9−2「ポストドクター等若手研究者の支援の在り方について」、資料9−3「人材委員会の審議状況について」に基づき、事務局より説明後、意見交換が行われた。


   ○
   現在の人材育成に関する支援制度の在り方についての議論は、ポスドクに関するものが多い。しかし、全ての学問分野で、一律にポスドクが重要であると議論してしまうのは問題がある。例えば、就職の状況がいい分野では、優秀な学生が、マスターを出て、博士の後期課程に進学せずに企業に就職してしまう。ある分野においては、アメリカと比べて、博士号を取る人数が人口比を考えても2分の1、3分の1しかいない。博士の後期課程に、もう少し様々な面で支援があり、後期課程への進学率が上がれば、高度な研究者の数に関してキャッチアップできる可能性は高くなる。博士の後期課程への支援をすることで、活性化する学問分野が多々あるのではないか。
    もう一つ、中期目標や中期計画、競争的な資金等に関して評価体制が非常に重要であり、特にピアレビューがしっかり行われることが大切である。例えば、中期目標、中期計画のところで、より基礎的な活動を行っている附置研究所等を他の分野と全く同様な評価をするのかどうかという問題や、文系等における評価の問題、これは他の分野と別の尺度を持ってこないと、日本の学術に対しては、将来を誤ることになると思われる。その辺りの評価制度も今後重要な課題と思われる。

   競争的資金について主な検討課題に関して、研究者本人の人件費を、直接経費から支出するということがインセンティブになるという議論がなされているということだが、それでは、学術研究の現場において、非常に短期的なことしか出てこなくなる。すでに既存のそのようなポストを公募したときも、非常に短期的なものしか集まってこないという現状があった。学術研究の特徴は、長期的で、継続的で、かつ人材を養成することがすなわち研究成果を上げることだという点である。つまり、人材そのものが研究成果そのものであるという要素があるので、何か課題を与えて、それが成就したら、それで終わりというのでは、科研費の最も重要な役割が侵されてくる。短期的な成果も必要な分野もきっとあると思うので、それはぜひ別のところでつくるべきであるが、科研費のもつ基本的な部分については、ぜひ主張していきたい。
    学術研究の属性として、静かに落ちついて深く考えるというのが出発点である。しかも、そのときに排他的にならないことが非常に重要である。しかし、競争的というと、どうしても短期的で、しかも排他的な要素が入ってくる。ピアレビューを中心とした今までのやり方のよさが消えてしまったら、ほんとうに学術研究そのものが消える、つまり成果も消えてしまうという危惧すら持つものである。これらについては、科研費とは別枠のもので、ぜひ計画していただきたい。また、科研費は本来大学等の研究支援を考慮して作られたものと思うので、それを別の側面から見直すのであれば、すべての資源とのバランスが重要となる。

   ノーベル賞受賞者が業績を上げた年齢分布は、30歳過ぎのところにピークがある。一昨年、野依先生、白川先生が、「自分のノーベル賞を取った基礎的な研究のアイデアというのは、30歳ぐらいの時に目のある先生が研究費を確保してくれて、自分は研究費の申請書などに煩わされず、好きな研究に浸れた。そこでノーベル賞の研究の芽が出たんだ。」ということをおっしゃっていた。
    科学技術の開発研究費は、学術も含めて、アメリカでは10.2兆、日本が3.5兆という比較がよく出る。その中で、競争的研究資金は、アメリカが35.5%の3.5兆円、日本は10%の0.35兆円であり、日本はアメリカに比べて格段に小さい。それで、競争的資金の増額についての議論があるわけだが、現在の日本の競争的資金の半分が科研費である。それに比べて、アメリカは、NIHが50%、DODが10%、エネルギー省が3.7%、NASAが11%、学術に直接的なNSFが10%である。アメリカでは、NSF以外の省庁に当たる部分が政策的経費ではなく、競争的経費として配分している点が、日本とは違っている。
    よって、今後の日本において、競争的経費の割合を増やすのであれば、科研費をどうするということでなく、アメリカ並みの割合にまで20%程度上乗せする競争的経費、諸施策が必要と考えられる。つまり、国としての戦略性を持たせた競争的経費を、日本は増やさなくてはいけない。その中で、総合科学技術会議が考えている諸施策を反映していかなくてはいけない。今ある10%以下の日本の競争的経費の半分を担っている科研費にこれを適用することは、おそらく致命的な間違いを犯す結果になるだろう。

   日本をどのような国にしていくかということが大事で、それによって随分違いが出てくる。現在の様々な施策は、アメリカを中心とするグローバリズム、競争、マーケット経済などに向かっての対応に思える。
    先週、アメリカの通信関係の国際会議に出席した。アメリカの通信産業は今全然だめなのだが、どうしたらいいかという議論の中で、多くが日本企業がやろうとしていることがいいと言っている。日本の科研費など、大学の仕組みでよかったところは、一言で言うと多様性を許容してきたところである。様々な施策がバランスよくいかなければいけないという議論があった。日本がこれから生きていくためには、文化や多様性で世界に貢献し、しかも経済を支えていくことが必要である。あまりに競争化や、アメリカに追随したり、対応したりのやり方は、非常に危険である。


(4) 今後の日程
   次回の基本問題特別委員会(第14回)は、委員の日程を調整の上、事務局より連絡することとされた。

(研究振興局振興企画課学術企画室)


ページの先頭へ