科学技術・学術審議会学術分科会
2002/05/17 議事録科学技術・学術審議会学術分科会 基本問題特別委員会(第10回)議事録 |
1. | 日時 平成14年 5月17日(金) 10:00〜13:00 | ||||||
2. | 場所 経済産業省別館1028会議室 | ||||||
3. | 出席者
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4. | 議事
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○ | 競争的な研究開発環境を実現するための制度的枠組みの検討で、直接経費、間接経費とあるが、両者の違いを説明してほしい。また、直接経費への人件費の導入とはどういうことか、具体的に教えてほしい。 | ||||||
△ | 一般に、直接経費とは、研究活動を行う上で直接的に必要となる経費であり、研究旅費や研究設備など実際に研究活動を行う研究者が使う経費と理解していただければ結構かと思う。それに対し間接経費とは、施設の維持・管理経費など、研究者がその研究活動を行うに当たって、大学として必要になってくる経費である。 直接経費を人件費に使うことについては2つの論点がある。一つは、研究者が研究を行うに当たってサポーティングスタッフを雇った場合、その賃金、給料をその研究費の中から出すということであり、この点については、例えば我が国の科研費でもそういった仕組みがとれるようになっている。 もう一つは、米国の場合、研究者本人の給料を競争的資金から出す。例えば大学の先生であれば9か月なり10か月分の給料だけが大学から出て、残りは自分で稼いでくる。その一つとして、外部のグラントを獲得して、そこから自分の給料も取るといったことがある。我が国の場合そうはなっていないが、この点を含めて人件費の導入といった点が議論されているようである。 |
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○ | 人が組織を作って活動するという意味では、民間企業と同じ側面がある。大学には原価計算という概念はないが、例えば企業では、この人は何%人件費としてこの研究に原価として盛り込むかということが大変大きな話題になって、間接経費もすべて原価という考え方でやる。今、大学は資金のフローだけ考えていると思う。例えば、開発を行う独立行政法人などを考えると、施設が老朽化することは減価償却しているわけでコストがかかっている。大学もこのような考え方をすれば「これだけお金が必要なんだ」という言い方ができるのではないか。今フローだけ考えているから、大学の施設が老朽化することは原価の中に全く入っていない。このあたりは、専門の人たちと相談して、本当にかかったコストがきちんと賄われているかどうか、競争的基金、経常的経費も含めて考えないと実際には知的財産を目減りさせたり、人々が不当に低く評価されたり、いろいろなことが起こっている感じがする。 科学技術投資は、全部がそういう議論をされて、高いとか安いとか言われているが、本当に必要なコストが賄われているかどうか考えなければいけない。 |
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○ | 従来の科学技術会議時代からの議論の延長としてなされており、米国方式を極めて単純化して日本に当てはめようという発想が非常に強い。早い話が、連邦政府のファンディングだけを考えて「連邦政府の研究開発予算の3割が競争的資金なのに、日本は1割に満たない」と依然として言っているようだが、連邦政府は直接自分の大学を設置しないから、グラントに間接経費を乗せる形でしかファンディングできない。では、インフラ整備の金はどこから出ているか、州立大学では州政府がきちんと基盤的経費を出しているし、私学では膨大な資産とストックを基盤にしてやっている。これらを考慮に入れず、ただ連邦政府のファンディングポリシーをそのまま持ってこようということ自体がおかしいということを、当委員会としてはっきり申し上げた方がいいのではないか。 直接経費への人件費の導入も、日本の大学の先生は、「教育と研究」の両方を任務とすることをやめて、教育だけやっていれば良いというような発想の大転換をするという話であれば、競争的資金云々以前の大問題であるので、そこを混同した議論が行われないようにする必要があるのではないか。 もう一点は、従来の議論として、基盤的経費と競争的資金とのトレードオフ論のようなものが出てくるが、そこで十分積極的にポリシーを提示するには、大学における基盤的経費とは何で、それについてどういう水準が必要かつ妥当かという議論が当然必要だと思う。 それに関連すると、国立大学について法人化後の運営費交付金の積算をどうするかが最大の課題である。法人化全体は高等教育局で検討していると思うが、例えば、附置研及び大学共同利用機関などの研究機能を中心とする施設の運営費交付金の積算方法をどうするか、さらに言えば、調査検討会議の報告では、機関の研究の業績等の水準で運営費交付金の額を増減するというような提示があるので、これはまさに基盤的経費の増減の問題と直結する。基盤的経費の在り方は、やはり競争的資金の在り方とも密接に関連するため、基盤的経費のような基本的な問題は別に議論し、競争的資金は競争的資金で「こうあるべきだ」ということには、仮に基盤的経費の議論が絡むのであれば、そんなことでは適切な方針は出ないのではないか。 以上の二点について検討すべきであり、これはもちろん高等教育局で総括されているわけだが、研究費部分については、学術分科会で議論いただくのが妥当ではないか。 |
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○ | 基盤的経費が必要であるということは、もちろん論を待たないところであるが、この基盤的経費は、経常的な建物の維持とか電気代といったことに使われており、これが一つの悪平等主義のベースになっている。例えばスペースについて、教授は何平米、助教授は何平米、これは権利であるとかなりの大学人が誤解している。私の理解では、これは財政当局に予算を請求するための算定基準であり、何もそれだけの権利を持っているという意味ではないと説明を受けているが、この点を大学としても十分に検討しなければいけない。 第二点として人件費であるが、これも最近、大学院生に対してある程度の給与を支払うことができることになったが、しかし、よく考えてみると、これは原則論でちょっと問題があると思う。つまり、本来、大学院生は研究に従事して、そのことによってペイされるという性格のものではなく、やはり教育を受ける権利を持っているわけで、今日の日本の状況では、やむを得ず大学院生が研究の中のかなりの重要な部分を占めている。本来これはあるべき姿ではなく、むしろ大学院生に対する手当は別途トレーニンググラントを設けて、その研究科なり専攻が何名の大学院生、これだけ優秀な者を育てているから国としてはその補助を出すべきだという形でやるべきだと思う。 本人に対する人件費を競争的資金から出すのが本当にいいのか、これはかなり慎重にしないと、難しい問題ではないかという気がする。先ほど指摘のあったコストの問題であるが、民間のようにいかないのは、プロダクトが製品ではないので、この貨幣換算がどうできるかということになると、いわゆる知的なものを生み出したのが一体幾らだということになるとなかなか難しいので、必要最小限、要るということは計算できると思うが、プロダクトとの換算で本当に効率の良い研究をやっているか、これはなかなか難しいと思う。 |
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○ | 最初の基盤的経費に絡んでは、悪平等主義があるのではないか。これは大学として非常に反省しなければいけない。一方では、必要なところに必要なものを配分することも進めているわけであるが、確かに、一般的には悪平等主義というのは大変反省しなければいけないと思う。 二番目の、大学院生に対する研究と教育という観点からのトレーニンググラントをはっきり分けて、むしろ教育に重点を置くべきではないかということである。 また、教官自身への人件費の充当については慎重な議論が必要であるという指摘であった。 |
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○ | 学内における平等主義の行き過ぎの是正は学内管理としては今後の重要な課題であり、そういう自己批判をここで述べられること自体は、必要であれば触れた方がいいと思うが、施設のメンテナンスについては、最近、自分が参加した文教施設部の検討会の議論でも、スペースマネジメントという観点を入れる必要があるのではないかという提言がされており、それは学内の経費配分全般、資源配分全般について言えることなので、それはおっしゃるとおりだと思う。 ただ、人件費については、システムとしては、先生方が大学から給与をもらってやっている仕事の本務としてやっている研究なのか、よそから頼まれてやっている委託研究なのかによって、コスト計算の仕方が違ってきてしかるべきだと思う。 よそからの頼まれ仕事であれば、当然そのコストには、それに要する人件費全額がこのコストになるべきである。であるから、そこは頼まれ仕事と自分の仕事、特に法人化で採算をとるということになると、そこはきちんと分けないといけないし、延長して言えば、科研費は本来の仕事に対するファンディングであるから、本来の仕事に対するファンディングについて人件費を無制約に認めるのは極めて問題であって、やはり補助者とか助っ人を雇っていいという範囲に止めるべきであるし、一方、大学として頼まれるなら投資しようといった形では、フルコストをもらって、必要な先生を雇うという姿勢があっても不思議ではないと思う。 要するに、どういう研究の性格かによって人件費も変わってくる。現に英国の会計システムは、国立学校財務センターの専門家が調べると、外部からの研究委託についてフルコストをとらない場合には、内部補助として処理する。つまり、それはまけてやった、その分だけ大学が補助したんだという形で処理している例もあるので、荒唐無稽な話ではない。 |
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○ | 施設については、スペースマネジメントという考えが出て、今、有効利用が図られようとしており、必要なところにはそれに見合った配置が行われてきたという印象を持っているので、ぜひ今後も充実していただきたい。 人件費については、一体大学の教員の本務は何かと言われると、これは非常に重要な提言であり、確かに科研費などは、自分が欲しくてもらっているものであるから本務のうちであろうが、外部からの委託研究ということになると、これは多少はみ出ることもあり得る。それも本務と考える方もあるだろうし、そういう場合には、大学に対する間接経費というようなものを措置することが必要ではないか。こういう観点で、確かに、何が本務かと言われると非常に考えなければいけないと思うので、この点は十分検討が必要である。 |
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○ | 代表的な例は、医学部で行われている臨床治験である。製薬会社が薬の有効判定を依頼する。これは必ずその費用にプラス謝金があてられている。 | ||||||
○ | 大学共同利用機関では、大学等の研究者から共同利用研究計画を出してもらい、それを審査して受け入れているわけだが、そのような利用研究のための経費は性格上基盤的なものか競争的なものかが必ずしも明確にできないところがある。しかし将来は競争的な経費に位置付けられる可能性があり、そういう場合、間接経費が、当該研究だけにかかるコストとして使途も限定的になるとすると、共同利用は大変やりにくくなる。 特に大学共同利用機関の場合は、そこで研究している人たちは、他機関の研究者が圧倒的に多いわけで、当該機関所属の研究者数のみによって基盤的経費を決めることは適切でない。しかし、そのような形での基盤経費しかあり得ないとすると、たとえば共同利用のためのいろいろな装置開発をする経費などは一部間接経費によらざるを得なくなり、間接経費の在り方が大変重要となる。 |
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○ | これはしっかりした研究をするための改革であろうが、大学の本来の使命である教育を損なうことがあってはいけないと思う。研究大学では、やはり研究と教育が交錯していて分けられないところがあるが、まず、これからの大学で必要な機能を遂行していくために、やはり十分なインフラとしての資金は確保しなければいけない。 研究というものの定義が分野によって随分違う。1人で思考に耽る方と何百人も抱えて行うビッグプロジェクトでは相当違う。具体的に、物事を進めていくためには、分野によって何が必要で、何が競争的であるかというところを分けて考えてみるのが大事ではないかと思う。人文・社会科学系と理工系、生物系のビッグサイエンスとは、同じ研究と言ってもおのずと違うわけだから、教育の仕方も違うと思うので、そこを分けて考えることが具体的に事を進めるために有効ではないか。 |
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○ | 大学の教育の本来の使命に関するインフラ整備、そのための資金を確保していくという本質的なところを忘れてはいけないということ、分野によって教育も研究も随分違うわけで、その辺を具体的に整備していくことが非常に大切ではないか。 直接経費という議論がいつもされるが、その人件費の導入などを考えると、これは余り望ましくないことで、間接経費ということが言われるが、我々の情報の分野の中には、機械より人間が必要であって、ポスドクを大勢集めてきて研究するという側面もあり、今の分野を考えたとき、研究を進めるものが何かで随分違う。 |
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○ | 基盤的経費と競争的資金は相対する概念ではないのではないか。少なくとも、大学が本来やるべき、知の創造というところでの学生や公共に対するサービス、それから知の継承と蓄積といったことは基盤的経費で行うべきである。ただし、その基盤的経費というのは一律で、頭割りである必要は全くなく、内容によってかかる費用は異なるわけであるから、国がしっかりとコストに見合うように措置すればよい。 | ||||||
○ | 競争的資金という概念自体、多分に予算獲得上の便宜的な概念であると思う。研究資源という観点で見たときに、競争的資金か基盤的経費か、そんな荒っぽい二元論で議論すると事を誤るので、研究費の構造をしっかりとらえ直すべきではないか。 | ||||||
○ | 若手研究者の話であるが、我々の研究所では、今年から科研費の若手研究(A)をもらった人を中心に、間接経費で、多目的な研究スペースを提供したが、若手研究者にはもっと積極的に研究を行ってもらえるような施策があればと思っている。実際の若手の研究者、あるいは教授になって大型資金をもらった人等はそれを強く望んでいる。特に若手の助教授、助手が研究室の拘束にとらわれないで新しい分野を開くための研究を行える多目的スペースが必要。 また、競争的資金の研究者への過度な研究費の集中の排除と少し関連するが、科研費に基盤研究(S)ができたことにより、(S)が採択されると、継続課題であっても基盤研究(A)または(B)が全部カットされてしまうという状況がある。ルール上やむを得ないと思うが、全く同じテーマ又は同じ趣旨の研究であれば整理されるのはよろしいと思うが、もう少しきめの細かい対応というか、配慮いただけるようなシステムにならないだろうか。 |
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○ | 次の時代の研究を担う人材をどう育てていくかは必ずしも学生、大学院だけの問題ではなく、若手の助手あるいはポスドクがどう育っていくか、やはり優れた研究者に育て上げていくというのは、ある意味で大学の基本的な使命だと思う。 むしろ、当然そういう若手が育っていくようなものを大学としては基盤として備えていく努力をしなければいけない。それをどういう形でするかだが、やはり先ほどからいろいろ議論がある基盤的な教育研究のための投資の中で、基本的な条件を整えられるべきであって、競争的基金を若手に与えるというのは、競争的環境の中でそれから巣立っていくトレーニングとして使われるのはいいと思うが、大学の基本的な機能であるところへ競争的資金をかぶせていくのは、問題があるのではないか。 |
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○ | 最近の様子を見ていると、競争のための競争になっているのではないかと思う。学術というものは、本質的に競争とは余り馴染まないと思っている。資金が限られているから競争するのもやむを得ないということではあるが、本来は、優秀な、あるいは有能な若い人を指名して、その人に心置きなく知的活動をしてもらうというのが学術の、特に大学の本質ではないかと思う。 これは人材養成の問題とも関係するが、最初の指名が悪いからこういうことになるわけで、彼らが研究費の採否におののきながら恐怖心を持って毎日を送っているのでは、教育なんてとてもできない。やはり基盤的な経費をきちんとして、そして有能だと思われる人をとって心置きなくやっていく、そのための基盤的経費が必要ではないか。 今の初等・中等教育にしても、やはり競争、競争とあおりたてる。人生80年生きるための知恵と知識をつけるために本来やるべきことがおろそかになっいる。単に高校に入る、あるいは大学に入る競争のための勉強になっているところに大きな問題がある。同じことを研究者社会に持ち込まれている。研究面では良いかもしれないが、教育者の世界に持ち込むのは少し問題があるのではないか。 |
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○ | 大学院教育のことであるが、若手の独立プログラム、あるいは大学院の研究を考えるときに、大学として十分に手当するシステムを構築することは基本である。問題は、これまでそれがなぜ行われなかったか。 一つは、全国横並びという概念があり、思い切ったことができない。つまり、一つやると同じことが全国に広がらざるを得ない。やはりそこには競争的な側面、それは大学院生自身が競争するのではなく、つまり大学として自分のところの研究科にはこれだけ優秀な人がいて、実績がこれだけある、だからこの大学院にトレーニングのための資金や場所を提供してください、そういう形での競争原理はあって良いのではないか。 また、日本学術振興会による特別研究員採用の選考であるが、大学院修士とかドクター1年のレベルで個人の大学院生の能力をどうやって判定されるのか。たまたま修士に入ってきてすぐ、幸運にも何か論文が1つ出たら、私の経験では必ず採用されている。その反面、実際にもっと長期的なプロジェクトを行い、苦しみながらも重要な仕事をしている人たちはほとんど採用されない。そういった面からも選考には各大学が責任をもって行うべきであると思っている。 |
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○ | 若手の教育のシステムは大変大きな問題で、これにどう資金を絡めていくか。それから、もっと大事なのは若手を養成するトップの人たちの考え方と、大変いろいろなところに及んでいる。しかし、やはり大学の基本的な使命は若手を育てることではないか、そのために有能な人を確保すべきである。 | ||||||
○ | 日本学術振興会の特別研究員の在り方については、一つは、研究科にお金を入れてはどうかという議論は前からある。これは現に英国のリサーチカウンシルのリサーチスチューデントシップとか、ほかの国にもその方式をとっているかもしれない。 ただ、日本における難しさは、一つは研究科の評価。これだけ広範な数の研究科を対象に納得できる評価ができるかというと、これは実際問題無理であると思う。 もう一つは、各研究科に入れたときに、本当に研究生の素質と能力を見分けて配分できる先生方ばかりならいいが、過去の経験からすると、そこでまた一種の悪平等現象がある。そうすると、限られた資源を有効に使うのは、欠陥は承知の上で今の方式が次善の策ではないか。 もう一つは違うテーマであるが、公正で透明性の高い評価システムの確立という項目を見ると、プログラムマネージャーの設置等、恒常的・一元的プロジェクト管理体制の構築には、なにか大変力が入っており、実行計画の策定と総合科学技術会議への提出というように他のところにないものが入っているが、これに対しては、要するにプログラムマネージャーとは何なのか。プログラムとプロジェクトとどう違うのかとか、プログラムマネージャーの設置と、恒常的・一元的プロジェクト管理体制の構築というのは一体何なんだということを十分議論し、それで文部科学省として科研費ということを考えた場合、ここで言われているような趣旨がどこまで生かされて、どこが不適当だということをきっちり物を申さないと、決まった後で実行計画を出しなさいという形でいくと、お互いに余分なエネルギーを費やすことになるのでないか。科研費のように膨大な数の基礎的な研究をやる際にどういう方式がいいのかは、むしろこちらとして具体的な考えを提示する方が総合科学技術会議での議論の助けにもなるのでは。 |
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○ | 特定領域研究の領域代表者は一種のプログラムマネージャーではないかという指摘もあり、現にそれが動いているという認識も一方ではある。 | ||||||
○ | ここで言うプログラムとかプロジェクトというのは、例えば科研費をこう配分した、その配分の仕方を評価するという事業を言っているのか。それとも研究そのものを言っているのか。もし研究そのものを言っているとすると、プログラムマネージャーが管理して、その管理した本人が評価するということになるが、そういうことであろうか。何を「プログラム」と呼んでいるのかよく分からない。 | ||||||
△ | この議論は言葉遣いも含めて、必ずしも明確になっていないのであるが、問題意識としては、米国のファンディング機関、例えばNSFやNIHでは、研究経歴を有していて事業運営に職員として関わっている方が配置されているが、それをイメージしている。その呼び名も米国では各機関によって違うようであるし、職務権限も機関によって若干違いがあるようである。そのどれをモデルとするのかといった方向性も決まっているわけではなく、プログラムマネージャーあるいはプロジェクトマネージャーと言ったりもしているが、その言葉が何を指しているのかという明確な議論はない。 一般的には個々の研究開発そのものというより、やはり制度の執行、運用全体を適切に管理するということであろう。ただ、科研費などの場合はそういう理解でいいかもしれないが、技術開発に近い部分で、特に個々の研究課題が一つのプロジェクト性を持っているような場合には、一つ一つの課題をプロジェクトと見てそれを管理するということも出てくるかもしれないが、いずれにしても、明確に定義されて議論されているわけではないと理解している。 |
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○ | プロジェクトマネージャーについては、もっと個々の課題について、あるいは個々の領域についてであろうと思う。総合科学技術会議における考えは、要するに、内閣府にそういう権限を持った人を置こうということだろうと思う。 | ||||||
○ | ここで言っているのは、競争的資金の配分機関レベルでの話ではないか。その際、プログラムマネージャーの「プログラム」というのは、要するに、企画研究費というレベルのプログラムなのか。やはりプロジェクトというのは、私は、個別の研究課題だと思う。だから個別の研究課題について一元的に管理するというのは、事務局の方で定かではないうちに重要なことが決まっては困るのではないか。 | ||||||
△ | 総合科学技術会議の考えているプログラムマネージャーのイメージを理解いただくために何点か説明すると、プログラムマネージャーは多分、科研費の学術調査官に極めて近い側面があって、例えば評価方式の選定とか評価者、審査員の選任、現地調査への参画、あるいは採択課題候補案の作成、あるいは審査報告書の作成、それ以外で今、学術調査官が行っていないものとしては、申請者からの相談や質問、あるいは不服等について対応する、あるいは申請書の作成等についてアドバイスをする。さらには研究課題の進行状況の把握と評価、実施中の課題の中止、縮小、研究計画の変更等の判断、さらに議論となっているのは、ピア・レビューで採択されなかったものでもプログラムマネージャーの判断で採択する。その辺、いろいろな議論が行われているところである。 | ||||||
○ | 総合科学技術会議でこういう議論がされていることに驚いているが、競争的資金をつくってそれをどう生かすのか。日本全体の、省庁を超えた視点から議論される必要があるのではないか。日本の長期的な科学技術の政策をどう進めていくのか、一体どういうところに大きな目的あるいは具体的な目標を置いていくのかということなしに、競争的資金の、ある意味ではテクニカルなことを非常に細かく議論されているところが、最初に奇異に感じた。 日本として10年あるいはもっと先の長期スケールでの科学技術政策を立てる必要があると思うが、総合科学技術会議では一体どんな考えで計画を立案、あるいはどういう形の委員会を持っておられるのか大変気になったので、その辺教えていただければと思う。 |
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△ | 競争的資金制度改革プロジェクトでは、研究者、大学等の研究機関にとって競争的研究開発環境の形成が大事であるという考えの下から、基本的には、米国等の競争的資金制度を踏まえ、大学改革を視野に入れて我が国の競争資金制度改革の具体化を図るものとして検討を行っている。これには競争的資金制度をてこにして大学改革を何らかの形で行いたいという気持ちが受け取れるわけである。このことにより我が国の科学技術全体の振興を図りたいというニュアンスだろうと考えられる。 総合科学技術会議には、科学技術システム改革専門調査会、重点分野推進戦略専門調査会など複数の専門調査会が設置されており、それらの議論が集約されたものが6月の資源配分方針として決定される。具体的には来年度概算要求の方針になるが、ただそれだけにとどまらず、今後の長期的な展望をそこで打ち出したいと事務局から伺っている。 |
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○ | 日本全体の科学技術のシステムをどうするかということだと思う。論点が、大学改革のところから来たのか、先ほどの基盤的経費の問題でも、問題がはっきりしないのだと思う。大学の日本の科学技術における役割というところから発想しないと問題点がクリアにならないし、また、いい方向に答えが出てこないのではないか。 | ||||||
○ | プロジェクトマネージャーの性格や、設置について、ここでは恐らく、学術研究として考えたらどういうことがあり得るのか、あるいはどういう弊害があり得るのか、そういう議論になるかと思う。 一元的プロジェクト体制についても、学術研究という点から考えたときに一体どういうことが考えられるかということではないか。そのもとには、ある程度それぞれのミッションを持った省庁の中で使われることに対して、ある程度そこはフリーダムというものが必要ではないか、そういう観点も別途あるかと思うので、その辺は議論していくこととする。 |
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○ | やはり研究と教育というのは分けることはできない。こういうものを改定していくことが大学の研究、特に教育にどのぐらいインパクトがあるのかを考える必要がある。競争的と基盤的というもののバランスを考えることになるのではないか。 科研費は全部研究費だと言われるが、11万件も応募があるということは、やはり教育をするために科研費に応募していることがある。というのは、基盤的な経費が全く不足していることによるのではないか。すべて競争にしてしまったら教育はどうなるのか。恐らく競争的資金をとれない5割か6割の方々には何をお願いするのか、排除するのか。だから「研究費」という名前になっているが、この改革が大学全体のアクティビティ特に教育にどれだけインパクトを与えるかを考える必要があるのではないか。 |
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○ | 研究、教育というものは大学の使命であることから、こういうことをやってどういう影響が出てくるのか。特に日本の研究費は、当局の大変な努力にもかかわらず米国に比較するとまだ充実されていない面も若干あるように思われるので、そういう点との関連、それから高等教育に対してどれだけ国が投入しているかということとも関連があるのではないかという御示唆だと思う。 | ||||||
○ | 説得力を持たせるには、やはり数値的な積み上げが必要だと思う。現段階での大学教育、1人当たり幾らであるとか、そういうあらゆるものを全部きちんと積み重ねたデータをもって、最低限これだけは要ると。 | ||||||
○ | 独立行政法人として、独立採算とは言わないが会計というものをやるとすれば、資産という概念なしにこういう議論をするのは危険だと思う。 実は、評価したら負になる資産が結構ある。撤去したら金がかかるから仕方なく今まで使っている。これは明らかに資産としてはマイナス評価となってしまう。独立行政法人化後の大学に見合った資産の概念をきちんと検討する必要がある。 |
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△ | 法人化に伴う資産の評価の仕方については、現在、私どもの方で専門家による国立大学法人会計基準等検討会をつくり、先行している独立行政法人の会計基準を参考にしながら、国立大学の大学の趣旨にのっとった評価の在り方を検討している。これをできるだけ早く取りまとめてパブリックコメントに出し、広く関係者の意見を伺ってそれをまとめる。そのうちに各大学がそれを評価することになるので、法人化には間に合わせるが、かなりの時間を要するのではないか。 実際には、大学の土地の境界が不明確である、あるいは、例えば芸大の持っている美術品をどう評価するかとか、非常に難しい面が多々あり、時間的には資産の評価は、例えば今御議論いただいている内容に対応する作業としては間に合わないのではないかと思われる。 |
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○ | 例えば、施設のメンテナンスであるが、要するに、施設のメンテナンスにかける金は民間ビルに比べると1桁少ない。そのため老朽化が加速することになっていて、つまりインフラをしっかりして、減価償却的な手当てもきちんとして、それでフローの金も考えて一体幾ら要るんだということ。この競争的資金の議論というのは、考えようによっては運営費交付金の考え方に全部かかわってくる、これは大学の基本問題なので、トータルに把握した上で、はっきり申し上げることは申し上げた方がいい。 また、大学の人事マネジメントの整備というのも、競争的資金と関連して人事マネジメントというのは何を考えているのかよくわからないので、これも一つの問題点だろう。 |
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△ | 大学の人事マネジメントの整備であるが、若手研究者に研究スペースなり研究技術者を与えることを考えると、学部長、学長がより積極的に各研究者の研究活動や研究環境を把握できるようにすべきではないか、機械的な学内平等ではだめではないか、それを是正するための人事評価体制というか、そういうものを構築してはどうかという趣旨のようである。 | ||||||
○ | 競争的資金のうち、科研費は半分のシェアを占めているが、だから競争的資金の改革と言うなら、残りの改革も非常に重要な問題であると思うが、何も聞こえてこない。 総合科学技術会議の、総合的なというのが重要な責務なので、科研費以外の競争的資金についてどういうビジョンがあるのかも総合的に示していただきたい。 |
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(研究振興局振興企画課学術企画室)