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科学技術・学術審議会学術分科会

2001/10/19

科学技術・学術審議会  学術分科会 基本問題特別委員会(第5回)議事録

科学技術・学術審議会  学術分科会
基本問題特別委員会(第5回)議事録

1.日時

  平成13年10月19日(金)15:00〜17:00

2.場所

文部科学省別館11階  大会議室

3.出席者

阿部会長,小林会長代理

(委員)

大ア,小平,鈴木,野依

(科学官)

井上 一,本庶,吉田

(事務局)

遠藤研究振興局長,磯田政策課長,泉振興企画課長,川上計画官,河村学術研究助成課長,藤嶋基礎基盤研究課長,他関係官

4.議事

「学術研究における評価の在り方」について

  資料2(学術研究における評価の在り方に関する基本問題特別委員会(第4回)の主な意見),資料3(学術研究における評価の在り方について(論点メモ)),資料4(学術研究における評価の現状)及び参考1(「国の研究開発評価に関する大綱的指針(案)」に対する意見募集について(パブリックコメント版))に基づき事務局より説明の後,意見交換が行われた。その内容は以下のとおり。

【委員、科学官】

  学術研究の評価は,いわばアカデミック・コミュニティでなされているので,それを中央省庁レベルで行うのであれば,それなりの視点に限って議論をしないと焦点がぼやける。結局,突き詰めると,いかに有効な資源配分をするかということで,逆に言えば,有効な資源配分を必要な限度内において国は関与すればいいのであって,余分なことはできるだけしないという姿勢を出すべきではないか。アカデミック・コミュニティにおける評価の在り方と,中央省庁が関与する部分が混在していると,一見いいようだが弊害もある。論点メモを見る限りは特段の異論はないが,その基本的スタンスが必要なのではないか。

【委員、科学官】

  行政機関が資源配分に直接関与するというシステムでこれまでやってきたわけであるが,このシステムが本当にいいかどうかも含めて御議論いただけるとより良いのではないか。具体的に言うと,例えば研究者が主体となった行政機関から独立した機関があって,そこに権限譲渡を行うようなことも考えられるのではないか。

【委員、科学官】

  研究費をたくさん必要とする自然科学系の研究に対する資源配分の問題があり,その費用対効果を考えているのだろう。科学技術基本計画を推進する上で評価があると思うが,学術研究全体を考えると,人文科学も縛るのかということになる。結局,人間の精神活動に国家権力が介入するのかということである。目的を円滑かつ効率的に遂行するという意味に限って国家権力の介入もあっていいと思うが,人文科学に関してもこういうことを言われると,多分問題があると思う。論点メモはこれでいいと思うが,この冒頭にもう少し哲学,基本的な考え方,価値観を書かないと,研究者のコミュニティ,あるいは学会のコミュニティに対する精神的な影響が大きいのではないかと思う。

【委員、科学官】

  政府が研究政策を展開するに当たって,評価の指針を示して資源配分に反映するというのは各国の状況から見て異例なこと。経済政策の一環として科学技術を推進する観点から評価を押し進めるのは極めて有効で,それが学術研究の相当部分に及ぶということは理解するが,学術研究ということで取り出すのであれば,各国のように,政府は常にワンクッション置いて資源配分機関から資金を配分するという方式が一般的だろう。そこの評価はきちんとすべきだというのはここで議論すればいいのではないか。

【委員、科学官】

  評価のプロセスあるいはその結果ができるだけ透明でなければいけないことについては総論等で触れるべき。さきほど第一線の研究者集団が組織する資源配分機関ができればいいと言われたが,そういうところが一体どういうプロセスで評価をし,どういうプロセスで評価者が入っていくのか,実際に評価を受ける研究者に見えないといけない。特に学術研究の場合,そういうプロセスの透明性が,研究者と社会の両方に対して必要である。

【委員、科学官】

  学術研究の評価に国が介入するという問題について,別に評価者に国が入っているとは書いていないし,きちんとした評価者が選ばれてそこでの成果について審議会は何も文句を言わないでストレートで受けるということになれば,むしろ国が介入する心配はなくなるとも考えられるがどうか。

【委員、科学官】

  「学術研究の評価はこうするのがいい」と国が決めるのは,例えると「芸術の評価はこうするんだ」と国が言うというようなもので,過剰な介入ではないかということ。

【委員、科学官】

  国費を使っているわけだから評価の目的がアカウンタビリティーであることは分かるが,評価の際の留意点など余計なことを言うなということか。

【委員、科学官】

  突き詰めれば,有効な資源配分を考える観点から議論している。研究の進行そのものは,アカデミック・コミュニティの手にあるのだという認識を忘れると,全部,国が研究者集団の行動様式まで左右できるんだという錯覚を起こす。それはやはり良くない。

【委員、科学官】

  学術研究の成果についても,国費がどうなっているのかについて透明であることは非常に重要。

【委員、科学官】

  学術研究はもちろん国民によって支えられているから,国民に対してはアカウンタブルでなければいけない。ただ,学術研究が成果を上げるためには,研究者集団に判断を大幅に任せる方がより効果が上がるというのが,国際的な知恵として蓄積されてきた慣行だと思う。ただ,それが行き過ぎているかどうかという点はチェックしなければいけない。
  極端に言えば,高度に専門的,創造的な活動については,箸の上げ下ろしまで国民が眺めているよりは,基本的なところはきちんと押さえさせてもらい,あとはできるだけ自由にやってもらう方がよいという哲学である。今までどおりでいいかどうかという議論はあると思うが,アカウンタブルだということがむしろ角をためて牛を殺すことになるのではないか。

【委員、科学官】

  国としての資源配分が決まった後,それを配分するのは高度にその領域についての専門性を持った方々に任せるほうが効果的だということだが,どれだけの資源を学術研究に配分すべきかは,国として考えるのか。

【委員、科学官】

  それはまさに今の政治家,リーダーの見識にかかわる話で,学術や文化にどれだけの資源を割くかというのは,国の見識の問題。その点で日本は決して先進国として褒められた状態にないというのも,これまた事実だと思う。

【委員、科学官】

研究課題の選定には非常に重要な問題がある。これまでは,文部省,科技庁が概算要求という形でプロジェクトの選定に大きな役割を果たしてきたが,科学者集団の手で,もう少し一貫したきちんとした評価に基づいたプロジェクトの選定が必要である。大型研究プロジェクトと言われるようなものが,ライフサイエンスなどの分野で走り出しているが,そういうプロジェクトがどういうプロセスで選ばれ,どういう場で議論され,どういう相互の位置関係で出てきたのかということが研究者集団に分からないうちに,ある日突然決まっていたというのは,今後重要な問題として改善していく必要がある。

【委員、科学官】

  学術研究にはいろいろな特性があって評価の際の留意点を並べているが,要するに評価できないと言っているのと同じで,画一的な評価はやろうとしてもできないと思う。
  また,機関評価についても,ある機関を一くくりにできるとはとても考えられず,やはり最後は,ある種の分野間競争というか,課題設定にいかざるを得ない。その部分についての評価やフィードバックシステムがなくて,いきなり,機関評価の点数つけが回ってくるのが現状である。今までない課題をどのように選んでいくかというところのフィードバックシステムが必要であり,大事な課題なのではないか。

【委員、科学官】

  どこか分からないところで課題が決まり,あとは大学の研究者が研究をやり,それが評価されて問題を作るのではなく,課題をどうやって作るかというところから研究者が関わる必要がある。多分このあたりが,特殊法人の問題で日本学術振興会の存在意義を問われるのだろう。アメリカでは,NSF(米国科学財団)などでプログラムディレクターが企画して,現場の研究者といろいろ話し合いながら問題を検討する。そのプログラムを現場の研究者が遂行して,それに対して評価を受けるというシステムだと思う。
  全部総合科学技術会議,内閣府でトップダウンで決めて,研究者がそれをフォローしていくというのはおかしい。問題づくり,何が重要であるかという検討段階に,現場の研究者の意見が反映するようなシステムが大事。

【委員、科学官】

  例えば,日本の学術研究を動かしていく上で,審議会制度がある。これは,事務局が官の中にあって,研究者,科学者集団の意見をまとめていく。このシステムと,今議論になっているものはどういう関係にあるのか。あるいは,審議会制度の改善点などについてはどうか。科学研究費補助金については,審議会があって,事務局を通して委員が決まるが,科学研究費補助金における評価の個々のプロセスは比較的オープンで,研究者サイドも納得していると思うがどうか。

【委員、科学官】

  全体的な政策にかかわるものは本省がやるのだろうが,高い専門性を確保するということに関しては,審議会は機能してないのではないか。

【委員、科学官】

  システムとして,例えばゲノムプロジェクトが出たときに,どういう視点で,誰をリーダーにして進めるかということは,研究者の間で十分練られて初めてその後のレビューが可能になる。それが,いつの間にか決まっていて,もう始まっていたということになると,一体何を評価したいらいいのか分からない。プロジェクトの立ち上げの時から非常に突っ込んだ議論があって,自分たちの議論が間違っていれば,変えるという形になると思う。審議会よりもう少し長期的な検討体制が必要で,例えば,かなり傑出した研究者のリーダーシップで,専門性を補完しながらやるような母体が必要ではないか。

【委員、科学官】

  つまり,科研費レベルの規模であれば,審査体制をいかに整備していくかという,いわば改良型の改善でいけると思う。一方,大型プロジェクトは,国策としてやる特定の行政目的に直結したプロジェクトと,研究上の必要性が盛り上がって出てきたプロジェクトと二つあり,後者の大型プロジェクトの生成過程は,かつては日本学術会議が勧告し,それを学術審議会が練って優先度を議論するというようにシステム化されていた。しかし,それが機能しなくなったのと,予算的に非常に窮屈な状況になってきたからボトムアップ型の新しいプロジェクトが非常に動きにくくなり,今,そのシステムが失われている。
  ゲノムの話などはどうして一貫した考えで進められないのかと不思議だった。各省庁それぞれ,研究者コミュニティと部分部分の関係でやっていて,はたで見ていてよく分からない進め方になっている。それを日本学術会議が調整すればよいという考えもあるが,コミュニティの議論が熟するのを待って国がピックアップするという方法も必要で,後者は,文部省のお家芸だった。そのお家芸がやや最近は機能不全になっているし,文部科学省になって,その機能がなくなったとか,変更もあるということであろう。今の御意見のように,事前評価する対象自体,そもそも評価の場に持ってくるまでのプロセスが大事ではないか。

【委員、科学官】

  今の議論は,課題の設定をどうするかということで,これは評価とはちょっと違う。課題設定の仕方は,これで別にきちんと考える必要がある。特にトップダウン型の研究費の場合はそうである。トップダウン,しかも,これは大型になってくるわけだが,全然違うプロジェクトを作り上げようとして研究者集団の中でかなり先鋭的な人たちが集まると,今までやっていたものと全然違うものが出てくる。そういうものをつくり上げていこうとすると,学会の重要なメンバーだけでやっていてもだめで,もっと若い人が加わった形でやらないと,新しい展開は出てこない。そういう点で,研究課題をどうやって設定していくのかということが大切で,これは改めて,そのシステムを考える必要がある。
  それから,評価の目的は何かということがやはり大切である。効果的な資金配分,その「効果的」とは何なのか。優れた成果という,その「優れた」とは何にどのように優れているのかということが問題になってくる。科学技術創造立国という前提だから,それに対応した優れた成果の創出というならわかる。しかし,総論の1,2のAにあるように「人間の知的活動として,それ自体優れた文化的価値を有し,その成果は人類共通の知的資産となる」ようなものを「優れた成果」と設定すれば,それは大分違ったものになってくる。「効果的な」というのは,人類共通の知的資産にとって効果的なものなのか,科学技術創造立国にとって効果的なのかというところを明確にしなくてはならない。多くの人文・社会科学は,後者の範疇にはほとんど入らないが,人類共通の知的資産にはなる。
  それから,やはり前文が必要。学者集団にとっては,むしろ人類共通の知識資産が一義的である。それから,科学技術創造立国についてが二義的になってくると思う。前文は,前者の方が重要だということを言った上で,現在の国家の方針としてはこういうものがあり,それにとっての優れた効果を評価し,そして効果的な資金配分をするのだという順番になるのではないだろうか。

【委員、科学官】

  3ページに,基盤的研究資金による研究評価について書いてあるが,現行の大綱的指針の14ページに,「基盤的資金による研究開発とは,人当研究費等により実施される経常的な研究開発を指す。これらの研究開発についても,適切な評価が行われるべきであることは当然であるが,一般に小規模,かつ基礎的,基盤的な研究であり,将来の研究開発の芽になるような可能性を秘めている。したがって,こうした研究開発課題の評価の在り方としては,研究者による論文発表等を通じた学会等における評価や,研究者自身による自己評価,あるいは研究開発機関自身がその具体的な設置目的に照らして,これら課題について行う評価などを基本とするとともに,必要に応じて機関評価の対象に含めることにより,その実を上げることが適当である」と書いてある。これがほぼ妥当な線だと思う。
  それが,今度一歩踏み込んで,学会等の評価を活用しつつ資金配分をやれと書いてある。ここでは,機関評価の一環として実施すべきと書いてある。一つの疑問は,これは研究課題の評価なのか,研究者のアクティビティーの評価なのか。後で研究者評価は出てくるが,この種のものは,むしろ研究者のアクティビティーの評価として考えたほうが素直ではないか。
  要するに研究者の日常的な活動について,これを評価して学内配分をやれということである。これ自体は異論はないのだが,その前提として,要するに機関評価の結果で基盤的研究資金に軽重をつけるのかどうか。軽重をつけるとしたら,どういう哲学やシステムでつけるのかということとリンクして考えないと,これだけひとり歩きしてもしょうがないと思う。
  これは前回指摘があったが,機関評価の結果を,機関に対する資源配分に直接リンクさせるというのは,世界中でイギリスの大学の研究評価しかないわけで,イギリスの大学の研究評価は,69のサブジェクトで各大学が選んだ研究者の研究アクティビティーを評価して,格付けをして傾斜配分をする。研究のアクティビティーの高い研究者が大勢いるところに,多くの資金が配分されるようにしようということで,手段としてやっているので,これはある意味で非常に合理的であるが,その種のクリアな考え方で割り切るとすれば,そもそも大学全部を研究機関として見るのかどうか。教員全体を研究者と見るのかどうか。イギリスの場合には,研究が活発なスタッフについてだけ研究評価をやるわけである。
  日本の場合には,語弊があるが,教員養成大学や教養学部の先生も全部含めて研究アクティビティーの評価をすることになる。研究評価は,研究アクティビティーを高めるためにいかに効果的な資源配分をするかという観点からすれば,すべての大学,すべての教員を対象にすることがいいのかどうかというのは問題になってくる。
  イギリスの研究評価はペーパーが主体で,4年間に出したベストペーパーで審査するので,極めてはっきりしているのだが,それ以外に,機関の運営面に対するファンディングは別にある。運営経費は評価という行為を別に媒介しなくても,例えばどれだけ研究外部資金を獲得してきたかというところで評価できる。外部資金を獲得したところは,客観的にわかるパフォーマンス・インディケータを使って,その機関へのファンディングに軽重をつけようという試みはあるが,それが大規模に行われているところは全部実験段階にある。

【委員、科学官】

  少し戻るが,大型プロジェクトの評価に関して,学術研究という前提があるから,基本的にはボトムアップであるが,大型研究という規模になってくると,資源配分,有効性から言うと,ある程度トップダウン的な要素も必要になってくるが,そこのメカニズムというものがよくわからない。

【委員、科学官】

  国立大学が法人化するときに日本学術会議が重要な役割を果たすのか,あるいは個々の大学が,しかるべきパートナーを探してやるのか。
  企業というのは,それぞれ競争的だと思うが,国家的にこれは大事な方向であろうというときに,どういうふうにして意見を上げて,関係省庁のサポートを得るのか。

【委員、科学官】

  直接の答えになるか分からないが,企業の研究開発にはかなり短期的な業績に貢献をしていく研究開発活動に加えて,二つの視点がある。一つは,企業目的に合致するかどうかは二の次で,将来何かおもしろそうだと思うことを自由に研究させている。もう一つは,国からかつての産業政策と同じように研究開発政策費が出て,目標を決めてやれと明示的に出ているものについて,国の文化とか何かに貢献するかもしれない,あるいは世界の共通遺産という目的に立って,企業の業績に寄与することもあるかもしれないのということで研究させている。
  かつては余裕があって,国家レベルの将来の大型プロジェクトになる前に,あえて科学技術創造立国なんて言わなくても,日本の中から新しいものが出てきた。ユニークなものをつくり,そこにつながるようなものを自由に研究させ,ある程度見えてきたところで国の大型プロジェクトとドッキングできるかどうかということだろう。そういう意見を出す場があることは非常に好ましいと思う。一方では,産学の交流,大学や国立の研究機関との交流の中で,その辺のイメージがわきやすくしておくということは重要であろう。
  長期的な研究開発について,国のお金もドッキングして何かやっていくということについては,企業自身もかなり乗り気になって積極的に参画することは十分あり得る。

【委員、科学官】

  課題評価という言葉でイメージされるものは非常に幅が広い。例えばゲノムプロジェクトに国がどの程度力を入れるべきかとか,ナノテクノロジーがどうとか,宇宙開発はどうあるべきかという点での課題評価があるし,一方では,個人の研究者なり,小人数の研究者のグループが,どういう研究テーマで研究するかというのも課題評価になっている。この文章の中では,両方が渾然となっているかもしれない。政策的な面での課題の評価なり設定の仕方を議論する仕組みと,個々の研究者なり,小人数の研究者が取り組む研究の課題,テーマに対する評価は当然違うわけで,現在も違っている。その問題点は,もし洗い出すとすればあると思うが,言葉遣いで分けて,整理して議論したほうがいいように思う。

【委員、科学官】

  研究開発課題の評価は,研究者としての基盤的なところ,競争的資金,それから,かなり大きなコミュニティとしての意思決定・遂行が必要になってくる大型プロジェクトというふうに,人の集団のかかわり具合で分けてあるのだと思う。
  基盤的な部分については,機関評価との関係をどうするかという問題がある。競争的資金については,科研費についてはある程度いいのではないか。競争的資金の中でも,公募提案型のようなものが一部あるが,むしろ,大型研究プロジェクトを設定する段階で,評価が入ってくるし,設定した結果,うまく走るかどうかという評価が重要になってくる。この辺の問題について少し突っ込んだ議論が必要であろう。

【委員、科学官】

  科研費の中に,比較的少額の研究費で,個人レベルでやる研究がかなりある。もちろんしっかりした研究計画,研究目的を持ってやるが,これは,プロジェクト性はそれほど高くない。そういうものは,基盤的研究資金による研究とかなり近い研究で,模索的な研究であるという性格がある。そういうものは,プロジェクト性の高い研究に対する評価とは別に評価のあり方を考えていい。極端な例だが,若手研究者が賞をもらって,その賞でもっていい成果を上げるというような自由にやる研究については,事前審査は,研究者の資質,能力を見るというような審査であってよく,質,能力,意欲,そしてまじめに研究しているかどうかを見る方がいい。それから,やはりはっきりプロジェクト性が高いものに対する評価と,2つに分けたほうがいいように受けとめた。

【委員、科学官】

  今,例えばトップ30という言い方で,大学組織のある単位にお金が配分されようとしている。ある尺度で測れるものについては機械的なやり方で傾斜配分ができると思うが,分野の先を見たような,ある種の塊に対してお金を渡すというところで課題が議論されないとまずい。今,科研費とは別に,そういうものが動き始めているように思うので,きちんとした分野のアクティビティーを見た上での,ある種のボトムアップで考えられる傾斜配分ができないかと思う。

【委員、科学官】

  トップ30のための経費は,いわば大学院の専攻単位の組織を対象として評価をするようで,実は科研費におけるCOE評価も似たような悩みを味わってきた。つまり,組織評価なのか,課題評価なのかということで,COEは本来的には組織評価であるべきだが,実際やってみると課題評価のウエートがかなり強くなっている。それを,トップ30という旗印を掲げてやることになると組織評価になる。そこで大学院の評価ということになると研究評価だけでいくのかどうかという点は非常に難しい。
  機関評価を考えるときに,トータルの大学の評価もあるし,学部研究科段階,専攻段階,いろいろな組織のとらえ方がある。第一期の科学技術基本計画でも,機関評価をすべきと指摘していて,国研,大学を通じてやってはいるが,機関評価の哲学,システムが確立していない。そこへもってきて,現在,大学については第三者評価による資金配分で,これは研究課題に対する資金配分なら,それは非常に厳正にやればいいのだが,機関に対して金を渡すときに,何を評価基準にして,何を目指して,それで重点的資金配分をやるかという,ものすごく難しい課題に取り組もうとしている。大学評価の場合には教育のウエートが非常に高いから,それはどうするかというのは別として,やはりここでは,機関に対する,例えば研究面での運営費交付金の配分なり,それから,今おっしゃったトップ30の経費の配分を,その研究に絞ったときに,どういうことが可能なのか,望ましいのかという議論はしたほうがいいのではないか。

【委員、科学官】

  先ほど,プログラムサーチャー,NSFなどが持っているような課題設定をする専任のプロの科学者集団がいて,どのグループ,どの研究者がプロジェクトをやったのかという設定の責任が明確になるから,評価の際に,その設定の仕方が間違っているかどうかフィードバックがかかり,設定したところが設定基準や評価に見合って資源を配分する。つまり,責任と権限と仕事とのフィードバックループが閉じた形態が,先進諸国が持っているカウンシルや財団のシステムだと思う。その辺が日本の場合にはまだ十分にできていないような感じを持っているがどうか。

【委員、科学官】

  プログラムの設定もそうだし,結果の評価についてもそうだと思うが,これは研究者を多く巻き込んだ,きめの細かいやり方が必要だろう。統一的,画一的なものは反対である。形がきれいであることと,評価が公正に行われるというのは違う。学術研究は多様で,それを保つということが大事である。そのためにプロジェクトディレクターなり,評価システムをつくって,その内容はきめ細かくやることが大事である。権力を持ったところがぱっとトップダウンでやると,一見きれいに見えるが,それはやはり研究ファッショになるわけで,学術研究という意味では大変まずい。プロジェクトディレクターのもとに,きめの細かい動きができる,そういう組織が必要である。

【委員、科学官】

  多くの研究者を巻き込んだきめ細かい評価で,責任の所在が明確にできるシステムというのは,どういうものをイメージすればいいか。

【委員、科学官】

  例えばNSFなどはそうなっているのではないか。

【委員、科学官】

  結局,NSF,あるいはイギリスのカウンシルの評価と,日本の評価の最大の違いは,日本の場合には,大学の先生のある意味サービスに依存している。しかし,NSFの場合には,もちろん常勤のパーマネントの者もいるが,例えば3年間,NSFに出向して,それに専念するスタッフが非常に大きい機能を果たしている。日本では,先生方に審査をお願いして,最大限,犠牲的精神でやっていただいて非常に成果が上がっていると思うし,今の水準は高いと思うが,実際に生きる本格的な評価をやるためにより多くを望むなら,やはりそちらの強化ということに多分なるだろう。

【委員、科学官】

  例えば科研費で評価委員を2年やって,そして委員が交代していくと,事後評価には,全く違う委員が当たることになる。また事務局もかわる。非常にたくさんの人が一所懸命きめ細かくやるのだが,一貫した評価,それから,評価したことの責任の所在が非常に不明確であるということが災いしている面もあるかと思う。

【事務局】

  研究所などから2〜3年来ていただいて,プロジェクトの管理をしていただくというような形で行政に関わっていただくことは今までもやってきている。そこで,いろいろ障害になるのが,プロジェクト管理が,研究者としてのキャリアにつながっていないという日本の風土がある。そうなると,日本の学会が,そういうプログラムマネージャーを研究者のキャリアとして評価をしていくという評価文化が生まれないと,この問題はうまくいかない。
  もう一つは,日本の雇用システムが非常に固定的であるがゆえに,自由に人が行き来できないという問題がある。専門家がプログラムマネージャーとして評価に専従して参加すべきだというのは,昨年の自民党の評価小委員会や科学技術基本計画などで非常に求められている。議論はどんどん煮詰まってきているので,そういう方向に進めていくつもりだが,今申し上げたようなキャリアとしての問題,雇用の問題も解決しなければいけないことをご理解いただきたい。
  こういう問題は,総会のもとに人材の委員会なども設置されたところなので,そこでも議論することがあっていいのではないかと思う。

【委員、科学官】

  学会のカルチャーの問題でもあるが,日本の大学の置かれている定員状況の問題もあると思う。例えば若手の教員が2年間,外に出ていくときに,出したところの大学の教育なり,運営がどういう影響を受けるか,それをカバーするだけのゆとりが非常に乏しい。人的な力の面でのゆとりが日本の大学にはないから,出ていく人もかなり肩身の狭い思いをしている可能性がある。だから,大学全体の人事,それから人材の配置の仕方を含めた問題で,カルチャーだけとは言えない。

【委員、科学官】

  人事システム全体の問題というのは当然あると思うが,基本的には,例えばドイツであればDFG(ドイツ研究協会),アメリカであればNSF,フランスでもCNRS(国立科学研究センター)とか,大学の研究をサポートし,ファンディングする組織は,やはり中央省庁とは別につくっているのが国際的な常識である。そういう組織は,アカデミック・コミュニティの一環として考えられているから,そこへ行くということについて,先生方もあまり抵抗がないし,そこでは事務スタッフ,その他も含めて何十年もやっている人がたくさんいるので,安定性がある。そういうアカデミック・コミュニティに奉仕するというか,その一環に組み込まれたようなファンディング機関というものを強化する。現時点では,日本学術振興会を育てていくという方向で処理するのではないだろうか。

【委員、科学官】

  例えばプロジェクトへの奉仕やプロジェクトを組織するなどの個人や組織に対して横軸になるような,奉仕を含めた評価というのがどこにも出てこないというのは,気になっている。例えばアメリカでは,プロジェクトを進めたことが一つキャリアとして入るが,そういう面がここには全く出てきていない。

【委員、科学官】

  それは,個人評価なり機関評価の基準としてそういう側面,評価があると思う。

5.今後の日程

  次回の基本問題特別委員会(第6回)については,平成13年11月2日(金)15時〜17時(場所:文部科学省別館10階第5,6会議室)を予定し,事務局より改めて連絡することとされた。

(研究振興局振興企画課)

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