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研究費部会(第2期第15回)議事録

1.日時   平成16年10月20日(水曜日)10時〜13時

2.場所   文部科学省 10階1・2・3会議室

3. 出席者
委員 池端部会長、家部会長代理、石井委員、井上委員、伊賀委員、甲斐委員、谷口委員、鳥井委員、豊島委員、野依委員、末松会長
事務局 清水研究振興局長、小田審議官、甲野学術研究助成課長、山田調査調整課長 ほか関係官

4. 審議概要
 事務局から資料2「科学研究費補助金の在り方について(骨子案)」に基づいて説明の後、意見交換があった。
 (○…委員、△…事務局)

(1) 「研究種目の構成の見直し」について

委員  総合科学技術会議からは、基盤研究(C)のような小規模の研究種目では、必要な研究費を獲得しようと、研究者からの応募件数が非常に多くなってしまうので、金額の規模を大きくすることを検討すべきといった意見があったが、本部会ではむしろ、人文社会系にとどまらず、理工系、生物系の研究者にとっても不可欠であるという意見が大勢であった。平成13年7月の部会報告においても、基盤研究(B)、(C)の必要性について述べており、今回もそれに従って記述している。

委員  私は、どちらかと言えば、あまり細かい金額のものを配分しない方がよいということを主張してきている。今回の論点にもあるように、確かに分野によって研究に必要な額は変わってくる。基盤研究では、金額により(A)、(B)、(C)という研究種目の区分を行っているからそのような混乱が生じたのではないか。むしろ、研究者自身が独立した研究者として、自分の研究を遂行するために必要な金額を設定できるようにすることの方が重要になると考える。おそらく、総合科学技術会議の意見もそのような意味であると思う。
 原則としては、若手であろうとなかろうと、科研費等の競争的資金を獲得した研究者が独立の研究者として認められて、1年間研究を遂行できるという形になるように、その方向で科研費制度を改善してほしいというのが真意である。

事務局  総合科学技術会議は、基盤研究(C)が悪いという表現を使っているわけではない。ただ、米国のNIHと比較して、科研費は非常に応募件数が多く、そのために評価者に過重な負担をかけ、十分な評価を不可能にしているのではないかと考え、それを解消するための方策として、特に若手研究者向けに支援額の引き上げを図るよう求めてきている。字面だけを見ると、科研費の「若手研究」を拡充すべきと主張しているだけのように読めるが、基本的には規模の小さい基盤研究(C)が若手研究者向けの種目であると認識した上での意見である。すべての研究種目を基盤研究(S)や(A)程度の規模にすれば応募件数は減るが、反面、(C)のような少額の種目を廃止してよいかどうかが問題となる。

委員  基盤研究(C)という研究種目に関する評価ができていないのではないか。理工系に関しては、(C)でも若手研究者が採択された研究課題は成果が上がっていると思う。しかし、(C)を獲得した年配の研究者の研究については、補助金の交付が効果的であったかどうかという評価がきちんとなされていないのではないかと思う。基盤研究(A)や(B)を獲得できない年配の研究者が(C)を獲得しても、必ずしも満足すべき成果が挙げられていないのではないか。理工系に関して言えば、基盤研究(A)、(B)と(C)とを分け、少額の研究種目である(C)は、応募資格を若手研究者に限ってよいのではないかと思う。

事務局  第1期の研究費部会が平成13年7月に取りまとめた「科学研究費補助金の改善について」という報告においては、「基盤研究(B)、(C)は、人文・社会系の研究者にとって不可欠な研究種目であり、十分な所要額を確保すべきである」と述べられている。
 これは第1期の研究費部会が取りまとめた報告であるため、第2期の本部会が拘束されることはないが、それを踏まえ、今回はどのような報告を行うかを考える必要がある。

委員  先ほどの意見に関連して、骨子案の6ページに「基盤研究の(C)から、さらに基盤研究(B)、(A)、さらには特別推進研究とステッアップする場合がある」とあるが、評価として基盤研究(B)、(C)からどれだけステップアップしているかといった実績を明らかにすることが、これらの研究種目の果たしている役割を説明する上で必要ではないかと思う。
 また、人文社会系では、(B)や(C)によって研究を継続していくという意味合いもあると思うので、そのような点から現状を分析して、基盤研究(B)、(C)が果たしている役割を明確にし、その必要性を訴えていくことが必要ではないか。

委員  最近、いろいろなところで矛盾した議論がなされているという現状認識の下に申し上げたいのだが、応募件数を減らさなければならない理由として、日本学術振興会の業務が過重になるというのであれば本末転倒だろう。どの制度であっても、公募に対し多くの応募があるというのは決して悪いことではないと思う。しかも、基盤的経費を減らそうとする動きがある中で、少額の研究種目への応募件数も減らそうとするのは、何を意味しているのかが理解できない。

事務局  総合科学技術会議が平成15年4月21日に取りまとめた「競争的研究資金制度改革について(意見)」においては、「我が国の競争的研究資金の多くは、申請書の内容が、研究計画自体よりも研究者の経歴、過去の業績に重点が置かれている。さらに研究費の小規模な研究開発課題が多い。このため、若手研究者を中心に多数の申請を行わざるを得ない状況となっており、その結果、欧米に比べても、膨大な数の申請件数となり、評価に過重な負担をかける一因となっているものがある。」と述べられている。
 また、それを補足するデータとして、科研費の応募件数は約8万5,000件、採択件数が約2万1千件であるのに対し、NIHは、応募件数は約2万7,000件、採択件数は約8,600件であると指摘している。さらに、ここでは若手を中心に記載してあるが、「若手研究者の独立性を確立し、より流動的な環境の中で研究を進められるようにするため、若手研究者向けの競争的研究資金の拡充を図る。特に、若手向けの競争的研究資金制度については、若手研究者育成の観点から、単純な年齢による判別だけではなく、研究経歴による応募資格、他分野から移って来た多様な人材を排除しないこと等を含め、制度の見直し、拡充を図る。」と述べている。つまり、小規模な研究種目が多いために応募件数が増大し、審査が十分行われておらず、その状況を改善するため、一課題当たりの交付金額を大きくするようにと主張している。

委員  先ほどの、基盤研究(C)は支援を若手研究者に限るべきという意見は、研究成果のインパクトという点から考えたもので、あまり業績を挙げていない年配の研究者の存在を否定するものではない。そのような人も大きな教育的義務を負っているので、実験教育のための基盤的経費によるサポートは必要だろうと思う。
 そうしないと、基盤的経費がなく、競争的資金による研究費も獲得できない研究者が非常に多くなってしまい、そういった研究者の存在意義がなくなる。しかし、大学は教育が最も重要であり、実験教育のための経費は必要だろうと思うので、その拡充はぜひやらなければいけない。応募件数が非常に多いのは、必ずしもシャープな研究を行うという意図ではなくて、大学院生たちに実験を通した教育をするための資金を得るために、やむなく応募しているという面が非常に大きいのではないかと思う。

委員  基盤研究(C)をめぐる議論というのは、先ほど事務局から説明があったように、まさに分野によって状況が異なる話であり、これを一律に議論することの危険性を感じている。人文社会系は言うに及ばず、先ほどから意見の出されている、年配の研究者が(C)に応募することの是非も、分野によると思う。骨子案の6ページにもあるように、例えば、理論あるいは数学など、研究はステップアップするが、予算面ではステップアップする必要がない分野もある。とかく(A)や(S)、あるいは特別推進研究といった大型の科研費を獲得することがよいという認識が一般にはあるようだが、それは研究費をそれだけ必要とするから応募するのである。元に立ち返れば、競争的資金を獲得すること自体がよいのではなくて、それを獲得してどのような研究を行ったのかを評価することが本来あるべき姿である。
 そのため、ある研究者がいつまでも(C)に留まっているということ自体は非難されることではないと思うし、こういった議論をするには、(C)の応募の実態は年齢構成がどうなっていて、(C)に応募した年配の研究者の研究課題について、審査の場でどのように評価されたのかといったデータを基礎にしないと、浮ついた議論になりかねない。多分、調査してみると、分野によって全く異なる結果になると思う。

委員  評価制度に関しては、本当に大変な作業になっているという現実がどの程度あるのか。現在の科研費の評価制度は、確かに審査員である研究者への負担が大きいが、非常にしっかりとなされており、他の競争的資金制度と比べると、圧倒的に公正な評価がなされているということをもう少し強調してもよいのではないか。
 若手の育成についてだが、基盤研究(C)のような研究種目には、まだ芽が出るかどうかわからないような新しい研究分野を育成するという目的もあるが、一方では、若手研究者の中でも優れた研究を行い、大型の研究費を獲得している人もいるので、必ずしも全ての若手研究者に当てはまるものではないのではないか。
 それから、この報告書は大きく分けて、科研費に対する総合科学技術会議の評価に対する科研費の在り方についての基本的な考え方と、もう一つは、それを踏まえてどのような仕組みの改善が望ましいかという点に分かれていると思う。その辺りを少し区別して、両方に対してきちんと意見を述べることが望ましいのではないかと思う。どこに提出して、何を言いたいのかという点について、推敲する余地がある。

委員  今の意見に同感である。NIHのファンドと科研費とでは、役割等が全く異なる。NIHとの比較から科研費について云々言うことは基本的に間違いであるということをきちんと言うべきだと思う。
 それから、審査件数を減らすべきという意見の根底には、審査が十分ではないという考えがあるのだろうと思うが、それについても十分なのか十分でないのか、きちんと反論すべきだと思う。
 それから、若手研究者の育成についても、今の意見にあったように、総合科学技術会議の指摘がおかしいのであれば、きちんと反論をした上で、本部会として制度改善の議論をすべきである。

委員  応募件数が多いということは、基盤的経費が少ないという構造的な問題を反映しており、その問題をここにしわ寄せして持ってくること自体が全くナンセンスだろうと思う。研究者が何とかして科研費に活路を見出そうというニーズがある以上は、それに十分答えなければならない責務があるだろう。審査するのが大変だろうから、科研費のシステムを変えるという本末転倒の議論はすべきでないということは、この報告においても述べる必要があるのではないか。
 また、6ページの一番下で、過重な負担が審査員にかかるという問題については、きちんと資源の投入を図るべきであると書いてあるのは大変結構だと思うが、その後の「日本学術振興会に設置されている学術システム研究センターにおいて合理的なシステム改善について検討することが望ましい。」という記述では、全くの腰砕けである。「過重な負担がかかる問題については、資源の投入を図りつつ、学術システム研究センターを中心にして、これに耐えるシステムをきちんと構築するよう国は図るべきである。」といった書き方であればよいと思うが、今の書き方では、現行の科研費の審査システム、あるいは研究種目の構成が間違い、あるいは不十分である、というような、次元の低い問題として理解されてしまうおそれがあるので、この部分は工夫が必要である。

委員  今の意見に賛成で、それはそれでいいと思うが、ただ、先ほどからの少額の研究費を廃止すべきという総合科学技術会議からの意見に対する議論には、おそらく誤解があると思う。科研費を獲得したということは、外部のピアレビューを受け研究していく能力を一応認められたのだから、その研究者がある程度独立して研究が遂行できるような環境をつくるようにすべきというのが根本である。
 研究の現場、あるいは審査の現場に長い間携わってきた経験から言うと、先ほど意見のあったように、確かに研究現場自体の研究教育のための資金が足りないという現実がある。そういった点も含めて、科研費が採択された場合、それに専心して研究を進めていけるようにすることが、一番根本の精神である。
 そのために、例えば基盤研究(S)は、第1期研究費部会で、他の研究費に頼らなくても研究が遂行できるように、また、萌芽的研究は、海のものとも山のものともつかないが、非常にユニークな研究について応募できるようにという思想から設けられたものだと思う。
 従って、その辺りを総合的に考えて改善策を提案すべきで、金額で区切るということ自体が間違っているのではないかと思う。しかし、今すぐにその仕組みを変えるというのは非常に難しく、それはシステムの問題と絡んでくるので、まずは方向性を明確にして時間をかけて検討し、よい方向へ流れを持っていくことが必要ではないか。

委員  基本的な考え方として、大学に対するデュアルサポートシステムは絶対に維持していくべきだと思う。割り切って言えば、研究は競争的資金によって行われ、そして教育は基盤的経費で行われるべきではないかと思う。科研費は大学の活動を助けるためにあるもので、疲弊させるものであってはいけないと思う。
 おそらく国民は、大学に対して、研究機関としてよりも教育機関としての役割の方に大きな期待を寄せているのではないかと思う。極論をすれば、科研費についてはきちんとピアレビューをすることが必要だが、研究費を獲得しておらず、基盤的経費で研究をしている場合は、研究評価をするのは無理なので、研究評価から外すべきだと思う。それらの研究者には、基盤的経費できちんと教育面を担ってもらい、教育面から評価すべきである。人材教育を競争的資金で行うことは、教育的な観点から大学をどんどん疲弊させていくことになるのではないかと思う。従って、科研費の在り方を議論する際は、デュアルサポートシステムのもう一方である基盤的経費の在り方についてもパラレルに議論を進めなければいけないと思う。

(2) 「申請・審査の在り方の見直し」について

委員  8ページから10ページの上段のあたりに、年複数回申請と、予備審査、及び覆面審査の導入について、前回の議論を踏まえて整理されているが、御意見を伺いたい。

委員  年複数回申請や予備審査制度を導入すべきという総合科学技術会議の意見は、米国で導入されているという単純な理由からであって、全く実質的合理性がない。

委員  前回の議論で、この年複数回申請についてはほぼ意見が出尽くしていると思う。8ページでの一番下に、年度途中で応募資格を得た研究者や、あるいは外国から来た研究者に対して、また、学術研究上緊急性のある研究の場合は、一度応募した人を除外して受付けるという柔軟性を持った複数回申請は検討する必要があるのではないか。それが学術研究の推進の上でプラスになるのではないかと思う。

(3) 「研究費の配分の在り方」について

委員  例えば人文社会系や物理、あるいは数学のような分野は基盤研究(C)からの応募を可能とし、それ以外の分野は(B)からの応募を認めるといった方法も抽象的には考えられないではないと思うが、それは、この研究分野は多額の研究費が必要で、この研究は少額でよいということをあらかじめ決めてしまうことになるので、極めて危険ではないかと思う。
 先ほどから議論が出ているように、分野によって研究に必要な額が違うことは事実だろう。現行のシステムは、研究者が必要に応じて応募する研究種目を選択する仕組みになっている。 これと、試算型の配分方式とが連動していて、例えば基盤研究(B)への応募が多くなれば、(B)全体としてある程度配分額が多くなる。この方式によれば研究者のニーズに対応した配分が可能であり、他に比べ無難なシステムになっているのではないかと思うので、個人的にはこのシステムにあまり手を加えずに、現状のままでよいと思う。
 それから例えば、基盤研究(B)の中に大型(B)と小型(B)を設けるとか、その研究分野によって使い分けをするための工夫も考えられないではないが、それは徒に制度をややこしくするだけで、あまり好ましいことではないと思う。どの研究種目に応募するかということは研究者の側の問題だと割り切った方がよいと思う。

委員  採択率が各分野みな一律であることが、本当に正しいのかという疑問がある。現在の試算型のように、一応分野別に配分した場合、一律に配分した方がよいのか、あるいは特定の研究者だけに配分した方がよいのか、どのように配分すればその分野が発展するかというのは、分野によって違うのではないかと思う。

委員  現行の制度でも、一律の配分にするか、それとも集中的な配分にするかは、ある程度審査員の裁量に委ねられていて、二段審査員が、この分野は採択率を落としても充足率を上げるべきだと思えば、それはできることになっている。今の意見にあったように、分野によって日本の研究水準が非常に高い分野と、そうでもない分野は実際にあると思うが、それを定量化することはおそらく不可能に近い。他によい方法が見あたらないのであれば、現行のシステムのままでよいと思う。
 また、先ほどの基盤研究の(A)、(B)、(C)という区分については、若手研究者が(A)に応募してはいけないとか、年配の研究者が(C)に応募してはいけないといった規則は特に定められておらず、研究者自身の判断でどの研究種目に応募するかを決めるという制度になっており、個人的には現状維持でよいと思う。

委員  試算型に関しては同感で、今のところ、他に適当な方法はないのではないかと思う。
 話は変わるが、複数の分野にまたがる研究の評価について、前回の部会で審査の難しさに関する意見があったが、特定領域研究ではそのような状況が顕著になってきているので、うまく対応できるよう、そのような分野の研究に応募しやすくする工夫をすべきである。
 例えば、現在は時限付き分科細目は基盤研究(C)に限定されており、申請額は500万円以下となっているが、そのような形で、領域横断型の新しい領域を試験的につくるという方策もあってよいのではないかと思う。それが学術研究の流れにあっていれば、正式な分野として定着していくことになるだろう。現在の総合領域・複合新領域ではない、分野横断型のものを設定するための方策を考えた方がよいのではないかと思う。

委員  大学における研究に対して社会が期待することは、おそらく、未来の不確実性に対する知的ストック、知的基盤ということだろうと思う。何が起こっても、そこには必ず深い知識のある人がいるということに期待しているのであって、現世で非常に役に立つというのは、その次のステップなのだろうと思う。
 それで、今の意見に関連するが、大事なことは、重点化とは異なり、多様性をいかに担保していくかということで、科研費は学術研究の多様性をしっかりと保持していく必要があると思う。
 研究の段階には2つの時期があり、例えば、レントゲンからベクレル、キュリー、ラザフォードにおける放射線研究のように、研究がピンポイントでしか進まない時期と、それに対して、遺伝子の組換えのように、いろいろな分野の研究者が参入し、ある種の広がりを持ち始める時期がある。後者のような時期には多様に支援することが非常に重要である。そのような2つの要素があるため、そこを見極めて支援することが大事ではあるが、見極められるかというと、結果論としてしか見極めにくい。それは非常に困難であるため、分野内で特別に優秀な研究者だけに科研費を交付するということは難しいと思う。

委員  多様性を確保するための仕組みとして、平成13年7月に分科細目表の改正を行った際に、総合・新領域系というものを設定している。これは学問の動向に対し柔軟に対応できるように設けたもので、時限付き分科細目等からそれらへ移行すべきものがあれば、それもできるように設定した。実際にはなかなか機能していないというだけであって、制度としては、そのような仕組みがきちんと作られている。
 多様性を確保するためには、従来からある分科細目を全て更新し、全く新たにつくるようなことはすべきでないと思う。既存の分科細目はやはり従来からの必然性があって設けられたものであり、そこから非常に新しい芽が出てくる可能性もあるので、存置しておく必要がある。
 それから、遺伝子組換えの例が挙げられたが、この研究が始まったときのように、多くの分野の研究者が集中することがあるが、そのような場合は思い切り研究をさせた方がよいことは間違いない。そのときに、例えば、総合・新領域系の中に一つ分科細目をつくったとすると、そこへは優秀な研究者が集まってくるので、他よりはるかに競争が激しくなると思う。それを補うために、研究種目として特定領域研究が設けられ、志を同じくした研究者たちが領域として研究できるようになっている。
 このように、現在の科研費のシステムは非常にうまくできていると思う。それをどのように運営していくかということを、本部会がきちんと引き継いでいくことが重要ではないかと思う。

委員  先ほどから議論が出ていることで、心配しているのは、総合科学技術会議の指摘の大半は、外国、特にアメリカで導入されているシステムの一部を切り取って、それを日本にも当てはめようという論法がかなり目立つことである。アメリカの学術研究の支援体制と、日本の支援体制とは全然違っている。従って、日本の実情にあわせて何をするかという視点を忘れないことが非常に重要である。その点で、総合科学技術会議には少し誤解があるのではないかと思う。

委員  この分野別の配分に関しては議論が分かれるかと思うが、個人的には、分野別審査を考えた方がよいのではないかと思う。学問の性格の違いをそのままにして、同じシステムで審査を行い、本当に活力が出るのかという疑問がある。例えば特定領域研究は、以前は(A)、(B)、(C)の3つに分かれていて、金額の大小によって区別されていたが、現在ではその区分がなくなってしまい、一律になった。ほとんどの領域が、応募できる上限一杯の額で応募しているように見える。しかし応募額が大きくなったことによって研究の質がよくなったかと言えば、そうは見えない。これは人間の悲しい性かもしれないが、大きいお金でもいいんですよと言われると、どうしても大きいお金の方に書いてしまう。人文・社会科学の場合、応募額を大きくしようとすれば参画する研究者数を増やさなければいけない。研究者数を増やしたからといって、必ずしも優れた研究ができるとは限らない。審査をしていてその点を残念に思うことがよくあり、そのあたりから考えても、分野に見合った配分はできないものかと思う。難しい問題は多くあるだろうとは思うが、一度は検討されるべきではないか。

委員  分野別の事情をもう少し勘案した配分審査方式を導入すべきという意見を持ちつつある。ただ、完全に導入しようとすると困難が生じる。申請額に対する充足率を下げすぎると当該研究を遂行できなくなってしまうため、現在は、申請額に対する充足率は70%程度にしてよいとされている。そこから逆算して採択件数を決定しているため、新規の採択率が20%程度で一律的になっている。従って、分野別に勘案するとなると人文社会系・理工系・生物系の配分率が固定されてしまい、分野間のしのぎあいが起こる。それを固定化してしまってよいのかどうか。それを避けるためには、充足率を下げて採択率を上げるという方針にして、金額を水増しして申請をしているものについては、思い切って充足率を下げればよい。そうしても不都合はあまり起こらないのではないかと思う。

委員  分野別配分方式を導入した場合、2つの問題が起こる。分野別に充足率や採択率をある程度調整することを認めることには基本的に賛成であるが、問題の1つは、充足率の歯止めを本当になくしてしまうと、それを見越した水増し請求が組織的に行われる可能性がある。そうすると現在の試算方式が崩壊してしまうので、何らかの歯止めは必要だと思う。
 もう1つは、理工、生物、人文社会という既存の枠組みに当てはまらない研究課題の評価について問題が生じる。この問題は永遠の問題である。かつて、広領域というものが設けられており、それは実験済みだと思っている。実験結果は失敗であったと思う。
 骨子案の11ページには、「融合的な研究課題が、審査の最初の段階で外れてしまう」とあるが、既存の分野へ応募しても、審査員が自分の専門分野に遠い研究課題についてどのように評価するかというのはその審査員次第で、必ずしも評価が厳しくなるとは限らないのではないか。

委員  充足率が決まっている場合に水増し申請が増えるかどうかについては、もう一度よく検討し、シミュレーションする必要があると思う。
 また、融合的な分野については「総合・新領域系」がきちんと用意されている。さらに時限付き分科細目が設けられ、分野が育ってくれば新しい細目として採用される。分科細目表の改正は5年ごと、時限付き分科細目の設定は毎年行っており、その仕組みがあれば、制度としては十分ではないかと思う。自分の研究と全く一致する分科細目がなかったとしても、既存の細目を選んで応募すればよい。分科細目をあまり細かく設定すべきではないと思う。
 一方で、審査する側にとっては、分科細目が少ないと1細目当たりの応募件数が多くなり、非常に多数の応募書類を審査する必要が出てくる。そのような問題もあるので、技術的な制度の改革は必要だと思う。

委員  審査の際には、細目の中で当該研究について精通していない審査員が審査するという場合が生じ得る。そのために採択されづらくなる場合もあったと思う。新しい分野の場合、学会が設立されても、その学会関係者がその分野の審査員として入っていないというケースが過去多くあった。そのことも踏まえて、応募にあわせて適切な審査員を選べるよう審査員のデータベースを充実させストックを持っていれば、現状のシステムをあまり変えなくても、その問題については十分対応できるのではないか。総合・新領域などの分野を動かしてもよいということを確認した上で、新しい分野も考慮に入れていくというようなフレキシブルな対応があれば、かなりうまく機能すると思う。

委員  総合・新領域のようなものを本当の意味で推進しようと思えば、重複応募を認めればよいのではないか。研究者は採択されやすい分野を選ぶので、重複応募の制限を外せば、自分の専門分野と、それ以外の細目に2つ応募することが可能になる。

委員  重複応募を認めるべきという提案は、実務面から考えるとリスクが大き過ぎると思う。融合的な研究分野については、システムよりも運用上の問題が大きな要素を占めている。日本学術会議からの推薦をもとに審査員を決めていた時代から、審査員は既存の分科細目から決められていき、最後に複合・新領域系の審査員が決められるという傾向にあり、本当に適材適所に選べているのかが疑問である。その審査員のレベルが低いというわけではない。専門の分野では非常に優れているからといって、別の分野と複合した新しい分野を育てる目を持っているとは限らない。
 実際に今回日本学術振興会が審査員を選任した際も、そのような順序で行われたが、個人的にはやはり考え直さなければならないと思う。制度設計を行った際の理念と実務との間に、若干のずれがあることは確かである。日本学術会議からの推薦や情報提供を受けても、複合領域についてはそのデータが質量ともに非常に限られており、どうしてもそれぞれの専門の分科細目が優先されて考えられてきた。これは日本の学問の全体的な状況を反映しているのかもしれないが、その点はこれから考えていくべきである。

(4) 研究成果の発信の在り方について

事務局  本部会が昨年5月に「科学研究費補助金制度の評価について」をまとめるときに、この事項については、委員の方々にご苦労いただいた。この報告で発信の在り方について検討し、総合科学技術会議の説明の際には、ノーベル賞を受賞された研究者には、かなり早い時期から科研費を交付していたという例を挙げて説明したが、先方からは、その説明だけでは、科研費全体の予算額を説明することにはならないと指摘された。
 この事項については本部会では3回議論しており、5月の部会で議論した際には、研究の内容は研究を行っている研究者でないと説明できない部分があり、制度側で評価はできない部分があると説明したところ、そういったことを全て、多忙な研究者に担わせるのはとんでもないことだとお叱りを受けた。
 その次の回に議論したことが、今回の資料中に反映されており、科研費の優れた部分は誰もが認めるが、継続的に行われている研究について、その成果をどのように発信していくかが課題であり、学術研究というものはすべての研究で成果が出るとは限らないということも含め、その点を社会に理解してもらうための努力をすべきだというのが本部会の大勢であったと思う。

委員  総合科学技術会議だけを意識することもないのだが、科研費の交付を受けているものについて、どのような研究がなされているかという社会に対する説明責任は果たさなければならない。それをどのような形で行うのがよいかをご議論いただきたい。

委員  研究成果の発信については、いろいろな次元の問題があり、それが一まとめに議論されてきたきらいがある。直接的には、科研費の交付を受けた研究の成果は論文にまとめられるので、論文のリストをきちんと提出させればよいが、問題はそれがどれほどの社会的インパクトを持ったのかということである。それを研究者個人に任せるのは、無理だろうが、そうかといって文科省や日本学術振興会に担わせようとしても、特に顕著な成果が挙げられたものしかわからないので、その役割はそれぞれの大学等の機関が担うべきだと思う。骨子案の13ページの下から4行目に、「各大学等が、その行っている研究の内容、意義、必要性、成果について、できるだけ多くの機会をとらえて社会に対し積極的に情報を発信していく必要がある。」という文章があるが、この点が現在科研費に関して欠けているところではないかと思う。それぞれの機関で、その研究者たちが科研費をどのように獲得して研究を行い、それがどのようなインパクトを与えているかということについて、できる限りきちんと広報してもらう。その情報を全て集めれば、科研費全体としてどれだけの社会的なインパクトを与えているか、あるいは学術的な意味があったかといったよりきめ細かい情報が得られるだろう。
 また、私のところで調査した結果では、新聞には科研費の支援を受けた研究者の成果が毎日掲載されている。そのような資料を作成するなど、発信する相手に合わせて、いろいろな工夫を各機関、各次元で行っていくことが有効なのではないか。
 そのため、ここでの表現が、「個々の研究者を含めた各大学等が」としているのが気になる。各研究者が行うべきことと大学等が行うべきこととは、それぞれ役目が違うのではないかと思う。

委員  先ほどから総合科学技術会議の問題が出ているが、先方の委員も皆、高い見識を持った方が任命されているので、科研費が応用に貢献していないのでけしからんといった不合理なことを言っているわけではないと思う。やはり国の逼迫した財政状況の中で、学術研究の重要性は認めるが、もう少し国民にわかりやすいような発信の仕方をするようにとか、あるいは社会の付託に実際に応えているという姿を見せるようにという、非常に合理的な要求なのではないかと思う。
 国立大学が法人化され、科研費の将来がどうなるかということは、これからの日本の学術研究の方向性を大きく左右することになると思う。一方では、競争的資金の倍増に向けて、予算を増額していく中で、増額のかわりに何が求められるかという問題も出てくるだろう。そういったときに、本部会で、学術研究の在り方を議論するということは大変重要だと思うが、総合科学技術会議からのメッセージに対してボールを返すのは、本部会ではなく、科学技術・学術審議会のレベルで対応すべきではないか。
 骨子案の14ページに、学術研究は「全部が花咲くとは限らない」とあるが、花が咲かないような研究をやっているのは一体どういうことだとの誤解を招く可能性が生じる。ノーベル賞等の権威ある賞を受賞すれば、大輪の花が咲いたと誰もが認めると思うが、花が咲いたかどうか、簡単にはわからないというところが学術研究の難しい点でもある。研究者にとって「花が咲いた」というのは、優れた論文を書き、著名な学術雑誌に掲載されることだと思う。ただ、それだけで自己満足していてはいけないので、その業績が社会に与えた、あるいはいろいろな意味でのインパクトを積極的に社会に発信する仕組みを考えることが重要だと思う。相手方の論理にはまってしまわぬよう表現を検討した方がよい。

委員  研究成果発信の在り方については、科学技術・学術審議会として対応していく必要があるのではないかとの意見について、どのように考えるか。

委員  先ほどから話が出ているように、これは非常に重要な議題として取り上げるべきとの意見があり、検討している。国民に学術研究の重要性を認識してもらう必要がある。また、先ほど話があったように、毎日の新聞に掲載される研究成果を調査すると、成果を挙げた研究者はほとんどが科研費の支援を受けている。その点が非常に重要で、学術研究の成果が挙がるまでには非常に時間がかかり、20〜30年前から科研費が交付されていた研究の成果が、現在目に見える形で挙がっているという事例を明確にしていくことも大事だろう。
 それから、日本の研究者の論文が有力な海外の学術雑誌を通して発表され、しかもそれらだけがクローズアップされることがないように、論文の発信の方法を検討すべきである。また、今月からネットワーク上で科研費データベースの無料公開が開始された。そこには研究者から提出された研究成果概要がそのまま掲載されているのだが、場合によっては、もう少しわかりやすく書き直すといったことも必要ではないか。
 さらに、これは既に科学技術振興財団の方でも始められているかと思うが、特定の研究者集団に依頼して、最近の目立った研究成果を選び出して、わかりやすく解説してもらうといった方法もある。広報の面からと成果の面から、また、短期的なものだけではなく、長期的な視点で、科研費の有用性をアピールしていくことが重要ではないかと思う。本部会から問題提起をしていくべきである。

委員  この事項について考える場合、誤解があるのではないかという気がしてならない。一般の国民を相手に情報を発信するのか、または政治家、あるいは研究者を相手に発信するのかによって、対応の方法は全く異なってくると思う。社会を相手に発信するとき、このような優れた論文があると紹介したところで評価はされにくく、何件『ネイチャー』に掲載されたかとか、そのような観点からしか評価されない。そのため、優れた論文を数多く発表することは極めて重要だが、そのことによって、一般社会にまで、科研費の重要性を理解してもらうことは難しいという感じがする。
 専門家の目から見るとあまり意味のない研究だと思われても、別の目から見ると非常に興味深い研究である場合がある。つまり、見方を変えると価値が広がることは幾らでもある。そのことを理解できる人材を育てていくことが重要だと思う。
 例えば、アインシュタインが『生命とは何か』という本を書いた。これは研究成果とは言えないかも知れないが、これがきっかけで物理学から生命科学へ研究者が移行しているし、生命科学の研究者にも大きな影響を与えるなど、非常に大きな社会的インパクトを与えた。そういったことが極めて大事で、専門外であっても、それができる人を日本として育てていかなければならないと思う。これは科学技術・学術審議会の人材委員会の報告でも提言されている。
 科研費制度の重要性を発信するにあたっては、科学史的な視点で、それぞれの時代に科研費制度が果たしてきた役割をきちんと調査して本にしていくことが最もよいと思う。科研費が始まってから、どのような時代にどのような役割を果たしてきたかというようなことを、科学史的に調べてくれる人を選んで、時間をかけてやることが必要ではないか。

(5) 研究費全体の中における科学研究費補助金の在り方について

委員  骨子案の18ページでデュアルサポートシステムの重要性を改めて強調しているが、大学の研究と教育を考えた場合に、基盤的経費は、大学の教育というものが研究に裏打ちされていることを考えるとどうしても必要で、それをきちんと措置することが必要である。その上で、それらの研究をさらに推進するために、科学研究費補助金等の競争的資金も拡充する必要がある。
 今の国立大学の実態を見ると、いくつかの大学では、科研費に応募しない研究者には基盤的経費を交付しないとか、10%削減するとか、そういった刺激的な方針を打ち出した大学もある。それは現在の研究者に対して、従来の基盤的経費、交付金による研究費だけに閉じこもっているのではなく、ピアレビューによって外部から評価されることが必要だというメッセージではないかと思う。そういった意味でも、本部会としてデュアルサポートシステムの重要性を強調する必要があるのではないか。
 そこで少し気になるのは、18ページの最後の段落に、「これらの意見は、いずれも科研費の拡充を否定するものではなく」とあるが、ここはより積極的に前向きな表現にすべきである。

委員  骨子案の17ページで「基盤的研究資金」という語句が使われているが、デュアルサポートについて論ずる場合は、「基盤的経費」という、もう少し膨らみがある表現に変えた方がよいのではないか。というのは、先ほどから何人かの委員から意見のあったように、大学においては、研究に裏付けられた教育を行うために研究費が必要だという面もあるし、教育について予算があまり措置されていないことを強調することも重要なので、デュアルサポートの説明をする際には、基盤的研究資金という、研究に特化した表現を使うよりも、基盤的経費という膨らみのある表現に、変えた方がよいのではないか。

委員  研究と教育とは不可分な面があるわけだが、大学院の教育に研究が必要であるとしたら、すべての大学院生は、その指導教官の研究活動の如何を問わず、等しく研究を通した教育を受ける権利がある。指導教官が競争力がないからといって、決して教育を受ける権利がないとは言えないわけで、授業料を払っているのだから、その権利は守らなければならず、国としてきちんとサポートしなければいけないのではないか。

委員  基盤的経費と科研費、あるいは他の大型の研究費と科研費のどちらがよいかといった予算の取り合い論に陥ることを避けるような格調が欲しいと思う。科研費には様々な使命があって、これをやらないと日本の将来は立ち行かない、やはりこれは国民のためになるのだという基本的な考え方によって重要性を訴えるべき。
 個人的には、科研費国債でも発行して特別に措置すべきといった迫力のある提言や、本部会としてこれが重要だという意見がまだ出てきておらず、防御体制に回っているような印象を受ける。本部会あるいは審議会として研究者に訴えるべきことが2つあって、1つは、科研費の成果であることを明示している論文が少ないという問題についてである。これは、研究者が競争的資金である科研費を獲得したという意識が低いためではないか。ただ、文部科学省科学研究費補助金と記載すると分量を取ってしまうので、省略して、短く「科研費(C)」と書くだけでよいとするとか、そういったことを技術的に改良して、科研費の支援を受けて行った研究の成果だということがわかるように、審議会として研究者に訴える必要がある。また、新聞発表された場合にも、科研費による研究の成果ということはどこにも書かれておらず、データベースを検索して初めてそれが科研費の成果であることがわかるため、調べるのが非常に大変である。
 それから、もう一つは、審査員の依頼を断ることのないよう、その重要性とともに、研究者コミュニティの意識を高めていかなければならない。

委員  いろいろな意見があるため、どうしても防御的になりがちだが、そうではなく、この報告は、科研費が日本の学術研究を推進していく上でどのような意味を持っているのかを正面に据えて、きちんと述べていくということが必要だという意見であったと思う。
 それから、予算の取り合い論に陥らないようにという意見も非常によくわかるが、一方では、各大学は所属する研究者全てに科研費に応募するよう命ずるのは、やはり基盤的経費が足りないからであることは間違いない。そのため、予算の取り合い論にならないようにすることは、なかなか難しい面もある。しかし、ここはやはり守るべきものを守るためには、理念を掲げて、記述するということだろう。

事務局  デュアルサポートシステムが必要だという主張は、中間まとめの段階から一貫している。また、この問題は科研費だけの問題にとどまらず、もっと大きな問題も含んでいる。今回は、前回いただいた意見を基に記述しているが、今後は、本日いただいた意見を踏まえて案文を検討したい。

 意見交換終了後、事務局において欠席委員からの意見及び出席議員からの更なる意見の提出を求めることが提案され、了承された。


5. その他
 事務局から、次回の第16回部会の開催について連絡があった。

(研究振興局学術研究助成課企画室)

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