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科学技術・学術審議会学術分科会

2004年5月27日 議事録
科学技術・学術審議会学術分科会研究費部会(第2期第12回)議事録


1. 日時   平成16年5月27日(木曜日)10時30分〜13時30分
       
2. 場所   KKRホテル東京 10階「瑞宝の間」
       
3. 出席者    
  委員:   池端部会長、家部会長代理、石井委員、井上委員、郷委員、垣生委員、甲斐委員、柳田委員、鈴木(昭)委員、豊島委員、小平分科会長
  事務局:   石川研究振興局長、丸山審議官、岡本学術研究助成課長 ほか関係官
       
4. 審議概要
 
(1) 「研究成果の発信の在り方」について

 事務局から資料2「学術研究の成果等に関する情報発信について」に基づいて説明の後、質疑応答があった。

(○・・・委員 △・・・事務局)

 
委員  学術研究の意義として、「研究者の自由な発想に基づく研究」とある。研究者が自由な発想に基づく研究を行うことは、研究者として必要な基本的活動だと思うが、学術研究をこのように定義づけると、国民から非常に誤解を受けるのではないかと思う。なぜなら、国が資金を投入して、その研究を奨励するという観点から考えると、同じことを研究していても意味がなく、それを発展させるという観点がないと、真の学術研究とは言えないのではないか。科研費の対象とするのは、今までの研究をさらに発展させるような研究で、あくまでも研究者の自由な発想に基づく研究であると言う方が説得力があり、そのような説明を国民に対して行った方が、国費をもっと投入することについてコンセンサスが得られるのではないか。
 それから、「独創的・先駆的な研究成果など、新しい『知』の創造と継承を通じて」とあるが、単に創造するだけでなく、学会や学術情報等で積極的に情報の発信をしていくことが、社会に対する説明責任を果たすということだとすると、「知の創造と普及と継承を通じて」とした方がよいのではないか。「知」の普及は、産学連携・産業化等ももちろん含め、これからは積極的に行う必要がある。「普及」という概念がここに含まれないと、単に創造して、大学等で教育し、研究の後継者に継承するだけといった狭い意味にとられるおそれがあるのではないか。
 従って、学術研究の成果を積極的に発信して、社会的に貢献するということであれば、それを普及させていくことが、これからの学術の大きな役割ではないかと思う。活用などを含め「普及」という面をより強調し、情報発信をきちんと行い、社会的貢献も行っていくということを述べた方が、国費をもっと投入しようという際には非常に説得力を持つのではないかと思う。

委員  ただいま、研究成果の発信ということを考える前提になるような発言があった。昨年の6月、総合科学技術会議の評価専門調査会においてヒアリングがあった際も、研究成果をどのように発信しているのか、具体例を挙げるようにという問い合わせがあったが、これは非常に答えにくい。つまり、研究の中身をどのようにして伝えるかについて、マスコミを使って伝えているとか、それぞれの研究機関がこのように発信しているとか、研究者が論文をかみくだいて、もっとやさしくしたものを発表しているとかいった例示で済むのだろうかという話があったが、そこについてはどのようにお考えか。

委員  現在、国立大学は法人化され、教育の質の向上や研究の高度化とともに、社会貢献ということが非常に大きな役割になっており、各大学とも、産学連携とか産学官連携を進め、知的財産本部を設けたり、研究成果を社会的に実用化・産業化するためのTLOを設置したりして、技術移転に積極的に取り組んでいるところである。
 そのような点から言うと、研究者が、研究による成果について特許や意匠権等を取得して、それを社会的に実用化し産業化するという動きがかなり活発になってきており、そういった現在の大学等の取り組みを国民に理解してもらうよう情報提供をしていくことは、説明責任を果たしていく上で必要だと思うので、科研費を受けることになった研究が実を結び、実用化・産業化していくという説明や情報提供を国民に対して行うことによって、学術研究に対する国民理解や研究成果の実用化の取り組みについての国民のコンセンサスを得ていく必要があるのではないかと思う。

委員  ここでは、学術研究が問題なのか、科学研究が問題なのかを明確にすべき。資料中に、科学技術基礎概念の理解度が低いという統計が挙げられているが、そのことと、自然科学研究の社会的貢献や発信といった問題とがどのように関係しているのかという点がよくわからない。
 この理解度の点は専ら教育の問題なのかもしれないが、そういった教育の問題と研究の問題、社会貢献の問題といったいろいろな要素がここでは非常に多面的に論じられているので、一体何を議論すればよいのかわからない。
 それから、学術研究の定義については、先ほど意見があったように、十分注意していかなければならないと思うが、その学術研究と国が研究費を出して推進している対象とは同じではない。学術研究の中から、何らかの基準によって審査を行い、採択したものに研究費を交付している。実を言うと、その際の審査の基準の中には社会的な貢献という観点も十分入っている。
 だから、科研費の在り方の問題では、学術一般が重要であると言うことももちろん大事だが、ここでは、このような観点から必要だと思う研究を選んで助成しているのだということをきちんと言わなければならない。つまり、学術研究ならどのようなものにでも補助金を出していると誤解されると、科研費制度にとって損である。社会貢献や、あるいは社会の理解を得るために科研費について必要な改善を行うとすれば、科研費の中でも大型の種目については社会への説明のための費用を認めるなどといったように問題を考えていかないといけない。

委員  平成16年度における「研究費部会の審議事項」の8番目に「研究成果の発信の在り方」という事項があり、この論点についてはまだ十分に議論していないので、今回、冒頭で少し審議を行っているわけであるが、今、学術研究について審議するのか、科研費の成果に関する発信について審議するのかがはっきりしないというご指摘があった。その点については、科研費の成果の発信というのは、それだけで絞り込んだ議論ができないのではないかという理由から、学術研究の発信という観点で事務局からの説明が組み立てられていた。それがあまりよくなかったということかもしれない。

事務局  前回の会合で、科研費制度が社会から理解されるためにはどうすべきかといった根本的な議論をすべきというご意見があり、「研究成果の発信の在り方」の話が非常に熱を帯びてきたので、今回の議題となった。
 科研費は数多くの研究課題に対し助成しているが、どのような成果が出ているのかとか、社会にどのような影響を与えているのかといった説明が足りないという指摘を受ける。政府が主導的にプロジェクトを進める場合には、その目的を定めた政府の側にそれについて説明する責任があるが、科研費の場合、施策を推進している文科省にも当然説明責任はあるものの、その学術研究が何の役に立っているかということとなると、事務局で研究成果を集め、どれが優れているといった判断をして事務局だけで説明を行うということはなかなか難しい。研究費の問題で、この課題を助成することにどれだけの意味があるのかということがよく議論になるが、総論では答えられても、各論になると、なかなか答えられない。当方もいろいろ手を尽くしているが、本質的にはやはり研究者にイニシアチブがあり、研究者にもがんばっていただかないとうまくいかない。科研費で、ホームページを作成することを認めるべき等といった具体論もあるが、そのようなことも含めて、事務局としては、研究者にイニシアチブがあるという問題を踏まえて、どのように成果発信の在り方を考えるべきか、また、どうすれば組織的に成果発信できるかといったところが、学術研究の共通の問題ではないかという認識だったわけである。

委員  我々研究者の側にイニシアチブがあって、発信していかなければならないという事柄ではあっても、それとは別に科研費の成果をいかに発信するかという問題があるということが了解を得、議論の土壌ができたという感じがする。

委員  ホームページ等を利用した研究成果の発信のための費用を、科研費で措置することを考えてもよいのではないか。研究成果公開促進費による成果公開だけではなく、科研費による研究を行っている研究者グループが、一般の人たちに知らせた方がよいと思う成果が出てきたときに、そのための経費を科研費から支出することを認めてもらいたい。

委員  ホームページを活用することには大賛成であるが、ホームページは見たい人が行くだけである。例えば、テレビ等のメディアを使って、大型研究の中でこのような優れた成果が出たということを、その背景にあるサイエンスも含めて知らせるという方法など、もう少し積極的な発信方法も考えてよいと思う。

委員  ホームページは、現在ではとても有効な成果発信の手段である。特定領域研究では、きれいな一般向けの報告書をつくるなどしているが、そういったものが一部の人の目にしか触れない。ホームページやその他のメディアを利用して成果を発信する取り組みを支援する費用を積極的に措置し、あわせてその取り組みを評価するということが非常に重要だと思う。

委員  個々の研究者に研究成果を発信してもらうことも大事だが、もう一つ大事なのは、特別推進研究のような成果を発信しやすい大型の研究種目ではなく、基盤研究の成果をどのように発信するかという点だと思う。
 個々の、非常に目立った成果だけで、現在の科研費がこれだけ成果を上げているということを、一般の人たちにすんなり理解してもらうのはなかなか大変だと思う。科研費制度の持っている意味を理解させる努力は、個々の研究者だけではなく、文部科学省や科学技術・学術審議会も行わなければならないのではないか。それについては、方法等を含めて、議論していく必要があると思う。

委員  外から見て、個々の研究者の努力が足りないということはあると思うが、大学関係に身を置く者としては、法人化に伴い業務がいろいろ出てきている中で、研究時間を確保することが非常に厳しい。社会への研究成果の普及、社会との対話の重要性はもちろん理解しているが、こういったものにさらに時間がとられていくということは、日本として決して得なことではないと思う。
 今後、知的世界となっていく中で、日本が打ち勝っていくためには、自由な知的活動をいろいろな人が行うことが活力の源泉として必要であって、それを育てる苗床がしっかりしていなければならず、芽が出そうなところを見つけ、そこに投資して発展させなければならない。日本の社会は非常に感性に富んだ文化を持っているが、知性という面では必ずしも優越しているわけではない。そのような社会の中で、新しい知的基盤を積み上げていく取り組みの重要性を社会に理解してもらわなければならない。これが、現在、学術研究関係者が直面している非常に大きな課題である。しかし、研究者が何もかも担うことではないのではないか。
 現代は科学技術社会になりつつあるが、国民が何となくうさん臭く思って科学技術と距離をとるのは、科学技術が進歩すればするほど大切になってくる精神文化とか、それを管理する社会制度とか、そういったものに対するメッセージが欠けているからではないか。それらがあって初めて社会全体が科学技術を発展させていくべきという雰囲気になるので、その点を踏まえて、成果の発信を、もっと文部科学省が音頭をとって、一般国民の各家庭に入るレベルで学術研究の重要性を発信していくと効果があるのではないかという気がする。

委員  次第に、成果の発信をどのような観点で行うかとか、それが持つ意味などについて議論が深まっていったと思う。この問題については、今後も引き続いて検討を進めていきたいと思う。

(2) 「中間まとめ(骨子案)」について

 事務局から資料3「科学研究費補助金の在り方について(中間まとめ)」、資料4「委員からの事前提出意見」に基づいて説明の後、質疑応答があった。

 
委員  最終的に取りまとめるときの言葉遣いの問題であるが、大学改革と研究費制度との関連に言及していく中で、国立大学の法人化ということだけでまとめると、科研費の性格からして誤解を受けるのではないか。
 例えば、応募資格の拡大を考える場合に、もちろん国立大学も随分、雇用形態あるいは勤務形態を変えてきているが、私立大学はそれ以前から随分変わっており、特に研究の部分では非常に多様な形での雇用を行っているところがある。それは、やはり大学が競争的な環境に置かれるようになったためで、特に研究については各大学でいろいろな工夫をしている。実態に照らして、国立大学の法人化を議論の中心に考えるのはよいと思うが、まとめるときには少し注意が必要ではないか。

委員  まとめ方自体はこれで基本的には結構だと思うが、2ページの3つ目のまるの中ほどに、「後者の学術研究はそうしたものに左右されるものではなく」とあるのは、ただ、「左右されるものではなく」というよりも、将来、国にとって必要なことの萌芽を育てる場所であるという意味をもう少し強く入れた方がよいのではないか。
 それから、もう一つは、言葉の問題だが、9ページの下から5行目のところで、「全ての研究者について」とあるが、この表現は競争的資金の概念にはそぐわず、誤解を招くおそれがあるのではないか。

委員  これは、デュアルサポートのことを表しているのだろう。

委員  そうだと思う。しかし、書き方によってはかなり誤解を招くので、デュアルサポートならデュアルサポートと明確にした方がよい。

委員  「背景・基本認識」のところに学術研究に関する記述があるが、学術を「発展」させるということを言った方が、学術研究のそういった在り方を国民や関係者に訴える上で、よりよいのではないかと思う。
 全体的に非常によくまとまっているが、3ページの下から2番目のまるの後段の、「科研費は、現在28存在する政府の競争的研究資金の中で、研究者にとって最も経費を使いやすいものと言われるに至っている」という表現が非常に気になる。何にでも使えてしまうから、不正にも使われやすく、その防止もしなくてはいけないという読み方もされかねない。従って、「研究者にとって最も活用できる」とか、役に立っている等とした方がよいのではないか。

委員  その点については同じ意見である。

委員  今の意見に、基本的に賛成である。ただ、語句のことで言うと、研究というものは発展させるもので、発展させないような研究は研究の名に値しないと思うので、「研究」の定義の中にすでに入っているような気もする。
 1の「応募資格の見直し」は一応の方向が得られているが、まだ心配なことがある。応募資格に関しては研究機関に任せることにしたわけだが、大学や部局や分野によっていろいろな雇用形態があるので、現場に混乱をもたらすのではないかということである。
 一番思い当たるのは技官で、その職務と、科研費の本質である「自由な発想に基づく」研究との整合性をどう図るのかという問題がある。実際に、技官に応募資格を与えてほしいという要望は確かにあるが、私の理解では、むしろ研究活動の一翼を担っている技官を研究分担者としてきちんと名前を明示したいといった要望や、もう少し実際的な問題として、例えば、海外で行われる研究に技官を出張させたいという要望の方が多いように思う。
 現在は民間の研究者でも、共同研究者として研究分担者リストに名前を出すことはできるのだから、それとの並びで、研究者番号を持っていなくても共同研究者としてきちんと名前を出せるようにすることができるのなら、その問題はかなり解決できるのではないかと思う。研究機関が、この技官は研究者だと認めて、応募資格を与えるというフレキシブルな対応ができるのはよいことだとは思うが、それが大学の組織運営に対するプレッシャーになって、思わぬところに影響が及ばないかというのが若干心配である。

委員  資料3を見て一番感じたことはその点で、研究者の応募資格について研究機関に全部一任して、機関が責任を持たなければいけないということが、ここからはあまりはっきりとは読み取れない。例えば、パートタイムの研究者や技官が科研費への応募を希望した場合に、機関としては契約上それを認められないという問題が起こるのではないかと思う。
 また、エフォートの問題も非常に大きいと思う。例えば、技官として研究者の研究をサポートするために研究機関に雇用されているのに、エフォートの100%を科研費による自らの研究に費やしてしまうと、機関としてはどうしたらいいのか分からないので、そのような場合は誰が決定権を持ち、どのように対応していくかということまでもう少し言及しないと、研究機関が大変困惑するような状況になるのではないかと思う。

事務局  職名や常勤・非常勤の別による研究者の定義が今後できなくなり、国立大学の法人化によって、「定員」というものもなくなってしまった。その一方で、なぜ名誉教授や技官に応募資格を与えないのかという問題もあった。結局、誰が応募資格の有無を判断するかという問題であるが、文部科学省が統一的に判定することはおよそ不可能であり、やはり、各研究機関で判定していただかないと困る。
 技官の問題についても、当該研究機関が技術者として雇用しているのか、それとも技官は仮の姿で、実際は研究者として雇用しているのかという問題になるので、その機関で責任を持って判定してもらう必要がある。
 また、研究組織欄には研究者でないと共同研究者として名を連ねられないようになっており、技官は従来研究者ではないので、名を連ねることはできない。先ほどのご指摘は、研究者としてではなくても、研究に参加する者として名前を記載できるようにすればよいということだったが、その点は応募資格とは別の問題である。
 いずれにしても、今回の案においては、研究機関が研究を行うことを職務に含む者と位置づけているかどうかがキーポイントになるので、その点はやはり機関の側できちんとおさえていただかないといけないと考えている。

委員  それはよく理解できるし、そのように決まればそれで結構だが、資料3を読む限り、どこに判断の責任があるのかわかりにくい。

委員  責任の問題はもちろん理解できるが、現在、民間の研究者や、あるいは海外共同研究者も研究組織欄に名前を出すことができるというのと同じレベルで、それと同様に、技官の名前を出すことができないかということである。大学でも、技官が本当に研究代表者として応募したいと言うのはごくまれで、分担者としてきちんと名前があがることの方が大事だと思う。そういったことが制度的にできるとすれば、技官の本来の職務とあまり抵触せずにすむのではないか。
 また、現在、技官は奨励研究に応募することができる。これは、30万円から100万円に申請の上限が上げられ、結構使いでのある研究費になっている。研究者番号を取得すると、奨励研究への応募資格を失ってしまう。技官にとって、一般の研究種目で他の研究者と勝負するのがよいのか、奨励研究で勝負するのがよいのかは、人によると思う。従って、研究者番号を取得しなくても名前の明示ができるのであれば、その形をとり、奨励研究の応募の可能性を残しておいた方が技官にとってもよいのではないかと思う。

委員  2ページの「非競争的な基盤的研究資金」が合計1兆2,000億円であると書いてあるが、何がそれに相当するのか。
 例えば私の大学院の場合は、運営交付金は施設の維持費等に全て充てられ、研究費にまで回らないので、研究する資金は科研費ということになる。基盤的研究資金として非競争的なものが本当にしっかりと措置されていればよいのだが、科研費が本来とは違う性格・役割を担わなくてはいけないようになっている。
 また、外部発信という話があったが、学生にきちんと教育を施し、大学における研究というものを在学中にきちんと理解してもらいさえすれば、外部発信する必要性はないと思う。しかし、研究を行うためには研究費が必要だが、科研費にはなかなか通らない。

事務局  この金額は、運営費交付金の中で、マスとして研究に充てられる額を一定の計算方式で算出しているものである。配布資料中の「参考」で示している審議事項の9「研究費全体の中における科学研究費補助金の在り方」は、委員の方々の問題意識から審議事項に入ったもので、具体的には、科研費、あるいは競争的研究資金の予算を増やすのはよいが、それによって、それ以外の研究費、特に「非競争的な基盤的研究資金」が減らされているという事態を生んでいるのではないかという問題意識から審議事項に入っており、当方としては、科研費は重要ではあるが、これを生かすためには、それ以外の基盤的研究資金がなければいけないということを、ここで強調しているわけである。
 この「非競争的な基盤的研究資金」の部分が、マスとしては減っていないが、ミクロで見た場合には充分に確保されないという機関ないし部局も出てくる。そうなると、さきほど指摘のあったように、科研費の性格が変わってくるということが起き得る、あるいは実際に起きている。そこで、ここでは、科研費の部分以外にも重要な部分があるということを言いたかったわけである。

委員  私の大学院では、運営費交付金は、現実には、施設の維持費などに全て消えてしまい、研究費にまで回らない。光熱費も形式的には研究費かもしれないが、実質的には研究資金ではない。しかし、一般国民には、1兆2,000億円措置されているのだから、2,000億円弱の科研費は必要ないと思われるおそれがあるのではないか。従って、ここの文章を、1兆2,000億円がほとんど維持費に使われ、科研費が採択されなければ研究費がないという大学の現状を踏まえたものにすべきである。

委員  今の意見はよくわかるのだが、それは、大学によって事情が全く違う。本来なら、大学が法人化されたときに、大学としてその問題をどうすべきかを考えていなくてはいけなかった。これは大学と大学の研究者が本気になって、これから取り組まなければならない非常に大きな命題だと思う。
 大学によっては運営交付金の中でかなりの研究費をまかなっているところもあるので、大学全体としては、ある一定の計算式を用いて、このような金額が算出されている。だから、ひずみはあるが、何とかうまく説明して、現状を分かってもらう以外に仕方がないのではないかという気がする。

委員  今回の法人化に伴って、いかに大学の個性を発揮する教育・研究活動を行うかという点を各大学とも中心に据え、運営費交付金を配分していると理解している。その中で、研究経費と教育経費をいかに確保し、一般的な管理費や共通経費をいかに抑えるかということが、国立大学法人が取り組んでいる課題だと思う。
 また、基盤的な研究経費というのは、研究者の研究を支援するような環境整備に使われていると理解しており、そのような形で運営費交付金が研究に生かされていると言う方が、国民からも理解が得られるのではないか。
 それから、研究成果を発信する際、業界用語や研究者だけが共通に理解していることだけを発信したのでは一般の国民には理解できないので、学術研究がどのようなものであるかということをよりよく理解してもらうためには、分かり易い言葉で情報発信する必要がある。

委員  2ページの1兆2,000億円の話だが、やはりここは気になる。1兆2,000億円もあれば、もう競争的研究資金は要らないのではないかと取られかねない。特に、「1大学共同利用機関の設置等による特定分野の研究の支援」は学術研究ではあるが、例えば、天文学とか核融合とか、非常に巨額の施設費用を必要とする分野に投下されている資金がかなりの部分を占めており、ある種の重点化をしているので科研費制度と並んで論じるのにはあまり適切な項目ではないと思う。また、この金額は、一定の係数をかけて算出された数字にすぎず、フィクションとしての要素が強い。大学によっては、確かに運営交付金を研究費に回しているところがあるかもしれないが、これを全部まとめて1兆2,000億円とし、これに対して科研費は2,000億円であると言ったら、実態とは違う、ちぐはぐな印象を与えかねない。
 それから、2ページの4つ目のまるのところだが、123と並べた後に、「これらのいずれについても、研究の目標・内容等は、研究者の自由な発想に基づいて決定されるものである」とあるが、ここは単純に123のみとした方がよい。
 また、基盤的な経費がどれだけきちんと機能しており、その上で、科研費がどのような役割を果たしているのかを検証する必要がある。科研費がなければ生きていけない大学や学科、あるいは分野が実際にある。そのほかに、寄附金等さまざまな外部資金をやり繰りしているが、本当に研究費に使えるというお金を一定額持っている大学、あるいは部局とか教室というのは、日本の国立大学の中でも極めて限られているということは事実だと思う。ここはやはり大事なポイントなのではないか。聞いている限りでは、国研では研究費と庁費は明確に区別されている。国立大学法人はそれとは違うので、このように全部一緒にして書いてしまうと誤解されかねないということに注意してもらいたい。

委員  なかなか国立大学の実態を表すのは難しい。法人化された国立大学が、教育と研究に最も重点を置いて努力しているのは間違いないが、それで十分な研究費が確保できるかということになると、極めて苦しいというのが現状である。そのあたりをうまく中間まとめに書ければよいと思う。

委員  先ほどの意見を部分的に撤回するが、この1兆2,000億円のうち、どの部分にどれぐらいの額が支出され、実態はこのようになっているということが分かるように文章を修正すれば、基盤的研究資金が減額されているわけではないということと、実態としては研究費が不足していることとが両立するのではないかと思う。

事務局  この1兆2,000億円という金額は、基盤的研究資金が1兆2,000億円もあるのに、科研費はまだ2,000億円にも達していないではないかという意味でよく使うものだが、これを初めて見た人がどのような印象を持つかということを考慮し、ほかの数字も含め、もう一度表現ぶりを見直したい。
 それから、いわゆる基盤的な研究資金については、マクロに見てこれだけの金額が措置されているということだけを記述すると、ミクロで見た国立大学の実態ないし感覚とずれが生じるところがあるので、次回までに表現を工夫しようと思う。

委員  今の議論に賛成である。ぜひ文章を修正してもらいたいと思う。
 先ほどの技官の応募資格についての議論に戻りたいのだが、結局、この文章で、技官の取り扱いを誰がどう決めるのかがあいまいで、明確でないので、技官が応募資格を持つかどうかは各研究機関が決めてよいのかという点について、事務局がどのように考えているのかを教えてもらいたい。

委員  事務局ではなく、本部会としてどのように考えるかということが問題で、あいまいな部分は我々があいまいに議論してきたということの反映であるので、ここでもう少し詰め、我々としてどのように考えるかを中間まとめとして出すということである。
 先ほどの技官のような立場の人は、ボーダーラインが非常にあいまいになっているが、今の書きぶりでは研究機関が全て判断しなさいということになっている。

委員  今後、それぞれの人をどういうふうに扱うかということは、最終的には、大学等の研究機関が決めていかなければしようがないことだが、それをどのような形で保証するかというのは、例えば、技官というものの定義を本部会で行うのか、大学等の研究機関で行いなさいというのか、というそれだけの差になるのではないか。

委員  結局は、応募資格の有無は各機関で決めるしかないということは理解しているし、そうするしかないと思うが、私の発言の趣旨は、技官の取り扱いを各機関が判断するにあたり、一般の種目への応募資格を与えなくても、技術職のままで研究組織欄へ名前を明示するという対応ができるということであれば、機関としても判断がしやすいのではないかということである。

事務局  原案の基本的な考え方は、職名というものを出さないということである。当方にも、研究機関から、個別の職名を挙げて科研費への応募資格の有無を確認する問い合わせが非常に多くある。技官についても、将来、例えば「研究技官」などいろいろな類似の職名が出てくる可能性があるので、職名によって判断することはできず、中身を見るしかないというのが基本的な発想である。また、技官等の名前を研究組織欄へ記載できるかどうかを明らかにすることは、ここに書くかどうかは別にして可能であると思っている。

委員  応募資格の有無の判断はそれぞれの機関で行うという点を、どこかで明確にすることが必要である。

事務局  5ページの最後のまるは、研究者としての質の保証は研究機関が行うということを明示しておくべきという意見が日本学術振興会からあったために記述した。今までも、研究者を雇用する際、当該研究者のクオリティコントロールは各研究機関が行っているので、それと同じように、ある人を科研費に応募できる研究者という位置づけをするかどうかは、各研究機関が適切に判断することであるという意味で記述している。しかし、ご指摘を踏まえ、機関の責任という観点を明確にして書くということかと思う。

委員  5ページの一番下に、「a、bの条件に該当する研究者を適切に選ぶことが必要である」とあるが、bのところには、「研究の補助は除く」と書いてある。そこに、先ほどから技官について問題にされているポイントがあると思う。技官のような研究補助者であっても、研究組織の中で一定の仕事をしてもらいたいということであれば、研究分担者として加わることができるように工夫すれば、実際のニーズは満たされるだろう。
 要するに、研究代表者として応募資格を与えるかどうかというのは所属する機関が判断すればよいことで、研究代表者としての応募資格が認められない人は奨励研究に応募するということにすれば、大方整理ができるように思う。

委員  今の意見に賛成で、「応募資格」は「代表者としての応募資格」と読んで、最後のまるに「分担者の場合には」とか「分担者となれる資格」といったことを明確に記載すれば、もう少しわかりやすくなるのではないかと思う。

委員  代表者の資格と分担者の資格を区別するということか。

委員  研究代表者の資格を明確にするということは大事であると思う。その代表者がどのような研究組織をつくるか、そして、その研究組織にどのような職の人を加えるかについては、やはり研究代表者の責任だと思う。だから、あまりその点を議論しても、実り多い議論にはならないような気がするので、どのような研究者が研究代表者として応募資格を有するかということだけを明確にした方がよい。研究組織によっては、他の研究機関では分担者と認められていないような人を研究分担者として加えているということが起こるかもしれないが、それはどのような研究成果を挙げたかによって、また、その機関自身が外部から評価を受けることによって、最終的には評価を受けていくわけだから、研究組織のつくり方までこの場で議論しても仕方がないという気がする。

委員  その意見には大賛成だが、問題は、あちらでもこちらでも研究費をもらうという人が出てきて、しかし、どこでどういう研究費をもらっているか分からないということが起こるのではないかということである。しかし、研究代表者としての資格がなくても研究組織に入れることができるというような状況でさえあれば、この問題は解決するのではないかと思う。

委員  今日の議論をもう一度整理して、次回には「中間まとめ」としてご承認いただくというところまでいかないといけない。早めに修正案を提示するので、事前の検討をお願いしたい。

(3) その他
事務局から、次回の第13回研究費部会の開催予定について連絡があった。

(研究振興局学術研究助成課企画室)

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