第5章 提言 今後の展開方向と課題

現行の科学技術基本計画においては、「安心・安全で質の高い生活のできる国」などの実現に当たって、「世界の人々が、それぞれの文化、価値観を維持しつつ、科学技術の恩恵を広く享受することのできる環境づくりに貢献することが重要である」とされている。
また、今後は、「社会のための科学技術、社会の中の科学技術」という観点に立ち、自然科学と人文・社会科学の一体的な推進が必要であるとともに、科学技術の成果の社会への一層の還元を徹底することとしているところである。
一方、文化芸術振興基本法に基づいて策定された「文化芸術の振興に関する基本的な方針」において、文化財等の保存及び活用について、科学的な調査研究の成果を活かした取組を推進することとされている。
また、文化芸術活動における情報通信技術の活用の推進を図るために、各種施策を講じることとされているところである。
文化芸術は、いわば「文化資源」であり、文化芸術も科学技術も、その昔、ともに‘art’であったものが、長い間に分化していったと言われている。しかし、今、正に、文化芸術と科学技術を融合させて新しい価値を生み出していくことが期待されている。
他方、我が国はこれまで、科学技術を積極的に産業へ取り込むことにより、その工業製品の国際競争力を急速に強化して、エネルギー・鉱物資源などのいわゆる物質的な資源を海外から確保してきた。それは、いわば資源の少ない我が国で唯一優位を誇る人的資源を活用して、生存の基盤となる物質的な資源を確保してきたと見なすことができよう。しかしながら、今後、年齢別人口構成の老齢化、労働コストの安い開発途上国の追い上げによる国際競争の激化が予想される中で、従来と同様な国際競争力を維持することは容易ではない。
一方、我が国はヨーロッパ諸国に引けを取らない魅力ある文化資源を持っており、今後の我が国の経済基盤を確保する上でも、ヨーロッパ諸国以上に、その文化資源を有効に活用し、新しい価値を創り出す努力が必要と考えられる。こうした文脈の下で、我が国固有の文化資源を、科学技術と融合させながら新たな付加価値を生み出し、併せて歴史的価値の高い文化資源を最大限に保全して次世代の資産とすることは極めて重要な課題と言える。
また、大きく分化してしまった文化芸術と科学技術を再び太いパイプでつなぐため、文化芸術と科学技術を融合する新しい共通基盤の創成が求められている。
こうした情勢を踏まえ、科学技術・学術審議会資源調査分科会では、科学技術の総合的な振興を使命とする科学技術・学術審議会の分科会として、文化資源に関わる科学技術を振興するため、「文化資源の保存・活用・創造を支える科学技術の振興」について検討を行ってきた。これらの検討を踏まえ、「文化資源の保存・活用・創造を支える科学技術」の今後の展開方向について、次のような提言を行う。
なお、科学技術と文化芸術については、科学技術の成果を文化芸術によって国民にわかりやすく示すという考え方もあるが、本報告書は、上記のような趣旨から、文化資源の保存・活用・創造を支える科学技術について、かつ、文化資源に関わる科学技術のすべての内容を網羅するというよりも、最近進展が著しいものに絞り、その振興方策について取りまとめている。

1 地球観測衛星情報などによる文化資源の遠隔探査(remote sensing)の技術を率先して開発利用し、地球規模の視点に立った文化資源の保存に貢献すること。
また、実際に発掘する前に地下の情況を把握するための新しい探査技術の研究を進めるとともに、地中レーダー探査、電気探査など各種の物理探査手法を同時に適用して効率的に探査するセンサーフュージョン技術の開発を進めること。

2 AMS(Accelerator Mass Spectrometry:加速器質量分析)により放射性炭素を直接計測して年代を測定する方法(AMS法)について、その正確さや精度・測定効率の向上を進めるとともに、より少ない試料での測定を可能とする研究を進めること。

3 文化資源の科学的分析は、様々な要因により精度が低くなりがちであるため、分析機器の性能限界を統計的に処理して精度を高める方法や文化資源の研究者が先端的分析機器の開発に積極的に参加して文化資源にも適用可能な分析手法の開発を進めること。

4 文化資源の保存修復について、今後とも、最新の科学技術を積極的に導入した研究開発を進めていくこと。
また、遺跡を露出展示できるようにするため、文化資源の劣化機構を速やかに解明する方法の開発や、文化資源の保存のための地下水制御の技術、保存材料の開発などを進めていくこと。
更に、修復方針の決定に際して、複数の選択肢を議論し、よりよい決定が可能となるような修復の模擬実験(シミュレーション)の技術開発を進めること。

5 無形の文化財の伝承に資するため、動作と同時に匠の手にかかる圧力を測定し、映像のほか力触覚も記録して、微妙な力の加減を再現できるような仕組みを開発すること。
また、有形や無形の文化財を自動的に、かつ、高精度の三次元デジタル映像として記録保存できるシステムを開発すること。

6 国際的な文化資源の保存の推進に寄与する観点から、引き続き文化資源の保存・活用を支える科学技術について技術協力を進めていくこと。

7 人工現実感(Virtual Reality)技術を用いて、
1.文化資源を電子情報化して手元に置く、
2.実際の現場に行って拡張現実技術で、現場に三次元映像を重ねて見る、
3.実際の現場に行かずに遠隔存在技術で現場を体感する
ことなどを可能とする技術を開発研究すること。
更に、ロボット技術などを活用して、人工現実感技術について新しいものを作りだしていくこと。

8 我が国のメディア芸術関連技術として、3D(三次元)化・デジタル技術の調査研究を積極的に推進していくこと。
また、メディア芸術の振興のため、芸術家・作家と技術者が共同して技術開発に取り組むとともに相互交流を促進するようなシステムを構築すること。

9 万人がその創造性を発揮し、文化芸術の創造・利用・発信を行うことを支援するため、画像合成や画像編集、色・質感再現技術、対話型検索技術、匠の技能・知識の形式値化技術等の情報処理技術の研究開発を進めること。

課題

1 各分野の研究者・技術者と文化財関係者等との連携を更に強化し、関連する研究機関、民間企業等との間において、共同で調査・研究を進めていくこと。
更に、文化資源の分野のみならず他分野にも適用可能な横断的な科学技術となるよう、研究者・技術者と文化財関係者などとの間で相互に情報を交換する窓口の形成とその活用を進めること。

2 文化資源に係わる様々な分野の研究者・技術者が連携して、異分野を結びつけるための共通基盤技術の形成、既存の学問的枠組みにとらわれない研究資金・人材の投入や研究評価を通じて、自然科学と人文・社会科学、文化芸術と科学技術の融合した新たな科学技術を創成すること。

3 大学や文化財に関する事業を実施してきた行政機関等が中核となり、地方自治体、地元企業、研究機関、一般市民等と一体となって、その地域の実情に応じた取組を進めること。

4 文化資源の保存・活用・創造を支える科学技術には、関連分野についての幅広い知見と新しい科学技術を受け入れる柔軟性及び新しいものを創り出す創造性が必要であり、そういうものを持った若手研究者が十分に能力を発揮できるように、若手研究者の自立的な研究活動を支援する体制を整えること。

5 各種研究成果等について、一般市民が正しく理解できるように、インターネットや科学館などを活用して、わかりやすい形で情報を提示して、文化資源の保存・活用・創造を支える科学技術についての認識を深め、そういった科学技術の必要性についての市民的合意の醸成を目指すこと。

6 我が国のメディア芸術は世界に誇れる文化であり、その一層の振興を図るため、作者の創造性を十分に発揮することを支援するためのメディア表現技術の調査研究等を積極的に推進し、技術的な基盤を早急に整備していくこと。

1.今後の展開方向

1-1 文化資源の保存を支える科学技術の振興

(1)文化資源の探査のための研究開発

文化資源は、我が国の歴史、文化等の正しい理解のため欠くことのできないものであり、かつ、将来の文化の向上発展の基礎をなすものであることから、それを適切に保存していかなくてはならない。文化資源の保存のためには、まず、その文化資源を見つけることが先決である。例えば、地中に埋もれた遺跡の発見には、古文書、過去の発掘の記録などに基づいて、遺跡のありそうな場所の見当を付けた上で、地球観測衛星情報や航空写真などに基づき、「遠隔探査」(remote sensing)の技術を活用して、遺跡の位置を絞り込んでいくことが可能である。
特に、地球観測衛星情報などによる遠隔探査技術は、砂漠や草原など広域を対象とした古代遺跡の探査などには有効であると考えられており、実際に、エジプトにおいて古代遺跡の発見・発掘に成功した事例(※1)もある。
この方法は、都市や森林などの地表被覆物が多い日本国内の遺跡探査において適用された例はこれまでのところ非常に少ないものの、世界的な文化財保護・維持のためには極めて有効であり、特に地球規模での環境破壊が問題となっている今日、我が国が、このような技術を率先して開発利用し、日本のみではなく、世界的な文化資源の保存に貢献することは重要である。
今後は、地球をより細かく解析できる多波長と高い空間分解能を持ち、かつ、地中の状況も探査できるマイクロ波を活用した観測等が可能な高性能検知機の研究開発や関係者・利用者の適切な役割分担の下に衛星観測情報の電子資料館(デジタル・アーカイブ)を構築し、衛星観測情報の利用・流通の促進を図ることが必要である。
また、遺跡の位置を絞り込んだ後、実際に発掘する前に、地中レーダー探査、電気探査、磁気探査、弾性波探査、超音波探査など各種の手法を適用して地中の状態を推測し、遺構の有無などを事前に診断することにより、発掘にかかる時間と費用を大幅に節約することが可能となる。
特に、日本の遺跡探査では、土の中から石やレンガを見つけるというよりも、「土と土の判別による遺構の確認」が重要であり、そのためには、今後とも、多分野の専門家の連携により新しい探査技術の研究を進めるとともに、地中レーダー探査、電気探査、磁気探査、超音波探査など各種の探査手法を同時に適用して効率的に探査するセンサーフュージョン技術の開発が望まれる。

(2)文化資源の科学的年代測定のための調査研究

文化資源は、それが本物であることが極めて重要であり、文化資源の年代を科学的に正確に割り出すことができれば、真贋の判定に役立つとともに、考古学の発展にも大きく寄与する(※2)ものと考えられる。
特に、日本の文化資源は、「石」を中心とするヨーロッパ諸国などとは異なり、木や紙など生物起源のものを基礎にしているため、それが文化資源の保存を難しくしていたという面も否定できないが、放射性炭素から文化資源の年代を精密に測定をするという方法は、我が国において極めて有効、かつ、適当であると考えられる(※3)。更に、これらの技術は、同種の文化資源を持つ諸外国に対しても適用可能であると考えられる。
放射性炭素年代測定については、AMS(Accelerator Mass Spectrometry:加速器質量分析)により放射性炭素を直接計測して年代を測定する方法(AMS法)がしばしば使われているが、AMS法で割り出した放射性炭素年代は、過去の大気中の二酸化炭素濃度の変動等により、暦年代との間に誤差が生じるため、樹木の年輪データを用いて較正曲線を作成して、暦年代を算出している。
これまでも、樹木の年輪データを用いて年代測定をする年輪年代法とAMS法は相互の精度を高めるべく協力しており(※4)、今後とも、年輪年代法とAMS法は相互の精度を高めるため、協力を推進していく必要がある。
また、今後は、非破壊という文化財保存の原則を踏まえながら、AMS法の正確さや精度の向上、測定効率の向上を進めるとともに、より少ない試料での年代測定を可能とするような研究が求められる。

(3)文化資源の科学的分析のための調査研究

文化資源を適切に保存・活用していくためには、それを科学的に分析することが不可欠であるが、文化資源の科学的分析は、通常の理工学研究と異なり、

1.その物質・材料が不明のまま分析しなければならないことが多いこと、
2.文化資源を移動させることが困難な場合には、分析性能の低い携帯用の分析機器を使用せざるを得ないこと、
3.文化資源を非破壊で分析したり、少量の試料で分析したりしなければならないこと
などから、必然的に分析の精度が低くなりがちである。
したがって、分析の精度を高めるには、分析装置の改良や高性能化が不可欠であるが、文化資源の市場の小ささからみて、文化資源の分析だけを目的とする装置の開発は困難である。そのため、分析機器の性能限界を数学的又は統計的に処理して精度を高める方法の導入や文化資源の研究者が先端的分析機器の開発に積極的に参加して文化資源にも適用可能な分析手法の開発を促すことが望まれる。
特に、先端的な自然科学と文化芸術が融合できる新しい研究基盤を創成することにより、材料科学等の最先端の科学技術の研究成果を文化資源の保存・活用に応用するとともに、日本刀の微細構造など文化資源の研究成果から、超鉄鋼の開発など先端科学技術の発展に寄与することも期待できる。

(4)有形文化資源の保存修復技術の研究開発

文化資源、特に、有形文化財は、前の世代から引き継がれている有形の資産であり、次の世代に引き継いで行かなくてはならない。特に、近年は、現時点における科学技術をもってしては解明・抽出しきれない情報を秘めた文化資源を、極力破壊せずに次世代に残していくため適切に保存すると同時に、できるだけ公開するなど文化資源を文化的に活用していくことが求められている。
その場合、文化資源は、それが本物であることが極めて重要であるため、有形文化財の公開に際しては、その保存に配慮するとともに、本物としての価値を守りながら、その保存修復を進めているところである。
また、文化資源を、歴史的意義や価値を学ぶだけではなく、地域のまちづくりや文化的観光資源などとしても活用するため、遺跡の復元などにより、臨場感にあふれた展示をするように工夫がなされている。
具体的には、文化資源の本物としての価値を守るという観点から、文化資源の保存修復については、原則として、X線透視や赤外線撮影などの非破壊検査により、事前に調査分析し、文化財的価値を勘案しつつ、「原状のまま」とすることを基本として、各分野の専門家を集めて修復方針を決定した上で修復をしている。
その際、現場で分析できるように、持ち運び可能な分析装置や、できるだけ水を使わない、レーザーをつかった洗浄装置など様々な技術開発をしているが、今後とも、最新の科学技術を積極的に導入した研究開発を進めていくことが必要である。
また、伝統的技術を基本としつつ、それで補えない部分について、合成樹脂に土壌や岩石粉末を混ぜた「擬土」、「擬岩」など科学的な新しい技術や材料を導入して修復を行っているが、今後とも、新しい修復材料など最先端の科学技術を用いた修復技術の研究開発を進めていくことが求められている。
更に、遺跡を埋め戻さない場合は、露出展示するための保存措置が取られるが、そのためには、複雑にからみあった文化資源の劣化機構を速やかに解明する方法の開発や、文化資源の保存のための地下水制御の技術、保存材料の開発などを進めていく必要がある。
また、修復方針の決定に際して、複数の選択肢を議論し、よりよい決定が可能となるような、修復の模擬実験(シミュレーション)の技術開発が望まれる。
更に、現在、文化資源の劣化原因を科学的に調査研究し、その保存対策を講じて修復している状況を、デジタル技術を使って記録保存しているが、将来的には、「感性」の部分を含め、「五感」を複合したものを記録保存できるような研究開発が期待される。
また、大型で複雑な形状の有形文化財は、計測に手間や時間がかかり、三次元デジタル化が難しいが、それらを自動的に、かつ、高精度の三次元デジタル映像として記録保存できるシステムの開発が望まれる。

(5)無形の文化財の保存・伝承を支援する科学技術の調査研究

無形の文化財のうち工芸技術の保存・伝承は、職人技として、師匠から弟子への伝承として受け継がれることが一般であるが、かつてのように、師匠の家に住み込んだ弟子が師匠の技を盗むという形で受け継ぐということは、社会的な情勢からみて実際上難しくなりつつある。
そういう中で、陶芸などの工芸技術を記録して後世に伝承するため、匠の技を三次元立体ビデオで撮影して残すということが行われているが、それを更に進めて、職人の腕と手の動きを計測して記録し、それをコンピューター映像として再現するという調査研究がなされている。
更に、動作と同時に匠の手にかかる圧力を測定できる仕組みを開発し、映像のほか、力触覚も記録して、微妙な力の加減を再現できるようにすることが目標とされている。
これが実現すれば、電子情報を遠隔地にあるロボットに送って、遠隔地で匠の作品を作り上げることができるようになるとともに、職人の訓練・次世代への職人技の伝承を支援する仕組みの開発も可能となると見込まれている。
また、同時に複数の人物が多様な動きをする芸能などの無形の文化財は、計測に手間や時間がかかり、三次元デジタル化が難しいが、それらを自動的に、かつ、高精度の三次元デジタル映像として記録保存できるシステムの開発が望まれる。
将来的には、視覚や触覚だけではなく、「五感」を複合したものを記録できるような研究開発が期待される。

(6)国際的な取組の推進(国際的な技術協力)

文化資源は、様々な人々と諸民族の国々とが交渉し合って形成された世界の長い歴史の中で生まれ、今日に伝えられてきた人類の貴重な財産である。それは、世界の国々の歴史や文化的伝統の理解に欠くことができないものであると同時に、世界の国々の文化発展の基礎をなすものである。したがって、世界の国々が自国の文化資源の保存を図ることは、自らの文化的な基盤を維持し、これを発展させる上で重要であるばかりでなく、世界の文化の多様な発展にも寄与することになる。
一方、我が国は、高度経済成長と固有の伝統文化の保護を両立させてきた国であることが広く認められているとともに、文化財保護に関する研究、保存修復技術の水準の高さは国際的に評価されており、多くの国々に対して、文化財保護分野での技術協力をしているところである。(※5)
今後は、国際的な文化資源の保存の推進に寄与するという国際的視野に立ち、日本固有の文化資源保存修復技術を核として、引き続き、文化資源の保存・活用を支える科学技術について、国際的な研究拠点の構築を目指しつつ、積極的に技術協力を進めていくことが期待される。

1-2 文化資源の活用を支える科学技術

人工現実感(バーチャルリアリティ)技術による保存・展示

人工現実感(Virtual Reality)技術の特徴は、コンピューターが作り出す人工環境が、人にとって自然な三次元空間を構成するとともに、人がその中で、人工環境との間で即時の相互作用をしながら自由に行動でき、その人がその環境に入り込んだ状態が作られるというものである。
この人工現実感技術を用いることにより、

  1. 文化財を自由に加工して活用する。
  2. 触ってはいけない文化財にも触れる。
  3. 過去の状態など時間的な再現をする。
  4. 物理的に保存不可能なものの保存・公開・活用をする。
  5. 異次元空間を体験してもらいながら公開する。

といったことが可能となる。
例えば、博物館などでは、本物を公開するだけでなく、人工現実感技術を活用して文化財をインターネット上で公開することが可能であり、現在、各国においてそのための取組がなされている。
また、「現実空間に情報や映像を人工現実感として付け加えた空間」を作り出す、拡張現実(Augmented Reality)技術の応用により、

  1. 展示物を損なうことなく、展示物に付加的な説明を加える。
  2. 欠けた部分を修復して補った状態を見せる。
  3. 透視して見えない部分を見せる。
  4. 人物や関連する作品を重ねて見せる。
  5. 一定の領域に展示する。

といったことが可能となる。
更に、「人が遠隔地に実際に存在しているかのような高度の臨場感をもって作業や意思疎通を行う」ための遠隔存在(telexistence)技術の応用により、

  1. 博物館等に実際に行かなくとも、行った時のように展示物を見る。
  2. 史跡等に実際に行かなくとも、行った時のように史跡などを見る。
  3. 劇場等に実際に行かなくとも、行った時のように伝承芸能を鑑賞する。
  4. 芸能、技能などの動作を記録し再現する。

といったことが可能となる。
これらの一連の技術を利用することにより、

1.文化資源を電子情報化して手元に置くほか、
2.実際の現場に行って拡張現実技術で、現場に三次元映像を重ねて見ることや
3.実際の現場に行かずに遠隔存在技術で現場を体感する方法も可能となる。
更に、我が国の得意分野であるロボット技術などを活用して、人工現実感技術について他国に先んじて新しいものを作りだしていくことが期待される。

1-3 文化資源の創造を支える科学技術の振興

(1)メディア芸術関連技術の振興

メディア技術は、「絵画」からより写実的な「写真」へ、「写真」から動きのある「映画」へ、「映画」から即時に見られる「テレビ」へ、「テレビ」から双方性のある「複合媒体(マルチメディア)」へ、更に、「複合媒体(マルチメディア)」から体感可能な「人工現実感」へと進化しつつある。また、「音楽」に関してもメディア技術の進化は著しい。
最新のコンピューターのデジタル技術を駆使したメディア芸術では、複数の媒体(メディア)の混合、ネットワークを通じた共同製作、相互作用、コンピューターによる自己成長などといったことも可能となる。
現在、文化芸術と先端の科学技術が結びついて「メディア芸術」という新しい文化が生まれつつあり、また、それは、「娯楽」産業として一つの大きな産業に成長しつつある。これは元来我が国の得意分野であって、その振興は国としての緊急課題である。
また、近年、一国の国力を表わす指標として、GNP(Gross National Product 国民総生産)やGDP(Gross Domestic Product 国内総生産)ではなく、GNC(Gross National Cool 国としての格好のよさ)が注目されている。(※6)そのGNCが他の国々に対する影響力となりうるとともに、その国の工業製品の競争力につながることが期待されている。そのGNCを高めるためには、日本の特徴や日本ならではの文化的な価値が重要であり、その意味で、文化資源は、GNCを高めるための重要な要素となると考えられる。そして、かつて、科学技術が我が国のGNPやGDPの増大に貢献したように、今後、文化資源の保存・活用・創造を支える科学技術が、我が国のGNCを高めていくことが期待されている。
我が国は、アニメーションなどのメディア芸術において、高い水準にあると言われているが、現在、諸外国の追い上げにさらされており、特に、我が国のメディア芸術関連技術は、3D(三次元)化・デジタル技術への対応が遅れており、これらの表現技術の調査研究を積極的に推進していく必要がある。
また、メディア芸術の振興のためには、芸術家・作家と技術者が共同して技術開発に取り組むとともに相互交流を促進するようなシステムが必要である。

(2)メディア芸術の新たな表現を支援する情報処理技術の振興

社会の情報に関する基盤整備が進み、通信と放送が融合し、大量の電子情報が情報通信網の中を自由に行き交う時代が到来している。
文化芸術の表現手段が、筆と塗料を用いて石や壁に絵や文字を描いて記録することから、紙への記録、活版印刷、写真、映画、ラジオ・テレビ、複合媒体(マルチメディア)へと多様化していくにつれて、文化芸術の表現方法が拡張し、また、文化芸術の発信・利用技術が普及し、大衆化が進行している。このような裾野の拡大を踏まえて、「文化」の山を一段と高くすることができる。
しかしながら、情報の消費量は爆発的に増大しつつあり、このままでは、素材となる情報の処理・加工が事実上困難となりつつある。
そのため、万人がその創造性を発揮し、文化芸術の創造・利用・発信を行うことを支援するため、画像合成や画像編集、色・質感再現技術、対話型検索技術、匠の技能・知識の形式値化技術等の情報処理技術の研究開発が期待されている。

2.文化資源の保存・活用・創造を支える科学技術の課題

(1)  関係者の連携が取れているか ― 関係機関と産業界の一層の交流・協力の推進

文化資源の保存・活用・創造に関する科学技術は、一般的に、ごく限られた市場しか存在せず、その製品は多品種少量生産となる。そのため、その研究開発については、民間企業の自主的な活動だけでは、十分な技術開発を期待できず、公的研究機関が中心となり、着実に実用化されてきた。しかしながら、次々に生み出される、関連する分野の新たな科学技術を積極的に導入して、文化資源の保存・活用・創造に応用していくには、必ずしも十分な体制ができているとは言い難い。
今後は、各分野の研究者・技術者と文化財関係者等との連携を更に強化することとし、文化財関係者等が、文化財の保存・活用・創造にどのような科学技術が必要であるのかを研究者・技術者に対して明確に示す一方、研究者・技術者も文化財関係者等が理解しやすい形で、文化財の保存・活用・創造に役立つ、関連する分野の科学的知見を積極的に提供することが不可欠である。
また、関連する研究機関、民間企業等との間において、共同で調査・研究を進めていくことが必要である。
更に、文化資源の分野のみならず他分野にも適用可能な横断的な科学技術とすることで、文化資源の市場の小ささを克服すると共に、幅広く社会に技術革新をもたらし得るようになると考えられる。
そのためにも、研究者・技術者と文化財関係者などとの間で相互に情報を交換する窓口の形成とその活用を進める必要がある。

(2)既存の専門分野に捕らわれていないか ― 自然科学と人文・社会科学、文化芸術と科学技術とを融合させた分野の推進

文化資源は、国民がそれを理解し、親しむ機会の充実を図る観点から、その特性や保存に配慮しつつ、情報通信技術などの様々な手法も用いて公開・活用されることが求められる。
また、最先端の科学技術を駆使して、文化資源の公開・活用を進めていく場合には、文化芸術について深く理解した上で、その文化的な価値を損なわないように、注意深く進めていくことが必要である。
更に、人間は理性と感性を併せ持つことから、人間の感性に訴える真に魅力的な文化資源の創造を支援するためには、感性・感動についての基礎的な研究、特に、実証的な脳科学研究と感性・感動研究との融合的な推進が求められる。
そのためには、文化資源に係わる様々な分野の研究者・技術者が連携して、具体的な目的を実現するための研究計画の策定、異分野を結びつけるための共通基盤技術の形成や融合研究のための一体的な研究基盤施設の整備、既存の学問的枠組みにとらわれない研究資金・人材の投入や研究評価を通じて、自然科学と人文・社会科学、文化芸術と科学技術の融合した新たな科学技術を創成することが望まれる。

(3)実用に耐え得る技術となっているか ― 現場で使いやすい技術の研究開発

文化資源の保存・活用・創造に係わる科学技術は、遺跡や歴史的建造物の保存・活用などの各地域の具体的な現場で実際に適用されてこそ、その成果が発揮され、真に社会に役立つものとなる。このため、地域における科学技術の基盤であり、人材や設備等を有する大学や文化財に関する事業を実施してきた行政機関等が中核となり、地方自治体、地元企業、研究機関、一般市民等と一体となって、その地域の実情に応じた取組を進める必要がある。
特に、その技術の費用対効果が十分に高いものとなることはもとより、具体的な地域における科学技術に対する需要を把握し、その地域の自然条件、社会経済的情況、歴史的文化的背景など各種の事情を考慮した上で、その目的に適うような研究開発を行うことが重要である。
また、地域的課題について、その解決手段や、失敗を含めた数々の経験などに関し、広く情報を共有できるような仕組みを構築することが重要である。

(4)絶えず変化する社会の需要に応えられる人材となっているか ― 幅広い視野と柔軟性のある若手研究者の育成

文化資源の保存・活用・創造のように幅広く複雑な課題に対応するためには、自然科学のみならず、心理学、社会学などの人文・社会科学との連携や国際的な協力が必要であることから、こうした連携や協力に柔軟に対応できる能力を持つ人材の育成を長期的視点に立って行うことが必要である。
特に、文化資源の保存・活用・創造を支える科学技術には、関連分野についての幅広い知見と新しい科学技術を受け入れる柔軟性及び新しいものを創り出す創造性が必要であり、そういうものを持った若手研究者が十分に能力を発揮できるように、若手研究者の自立的な研究活動を支援する体制を整えることが必要である。

(5)科学技術と社会との意思疎通(コミュニケーション)ができているか ― 社会の需要に応じた科学技術の振興

一般市民が文化資源の保存・活用・創造を支える科学技術についての知識とそういった科学技術の果たす役割を正しく認識するためには、市民の参加を広く求めていくことが必要であり、また、一般市民の生活・行動に反映され得るような科学技術の普及・啓発活動の充実が不可欠である。
こうした観点から、各種研究成果等については、一般市民が正しく理解できるように、インターネットや科学館などを活用して、わかりやすい形で情報を提示することにより、文化資源の保存・活用・創造を支える科学技術についての認識を深め、そういった科学技術の必要性についての市民的合意の醸成を目指すとともに、文化資源の保存・活用・創造に資するようにすることが重要である。
特に、良質で多様な文化遺産に関する情報を、国民の誰もがインターネットを活用し、いつでも容易に総覧できる新しい環境を提供するとともに、世界に向けて我が国の優れた文化遺産を発信する必要がある。このため、文化庁等では、国や地方の有形・無形の文化遺産に関する情報を積極的に公開することなどを目的とする「文化遺産オンライン構想」を推進しているところであり、平成18年度に1,000館程度の博物館・美術館等の参加を目指す文化遺産のインターネット上での総覧の実現などの取組を着実に進める必要がある。
また、社会の需要自体が絶えず変化していくと考えられることから、それを的確に把握して、それに応じた研究課題の設定をしていくことも必要である。
更に、科学技術と社会を仲介し、社会に科学技術を伝える橋渡し役となる者の養成が望まれる。

(6)次世代の主要産業を支えられるか ― メディア芸術振興のための技術的な基盤整備の推進

日本のメディア芸術は、世界の最高水準にあると言われており、特に、日本製アニメーションは海外で高い評価を受けるとともに(※7)、米国での日本製アニメーション関連ビジネスは鉄鋼の対米輸出額の3倍以上の額となっている(※8)と試算されている。
これらの背景には、漫画などの豊富な原作、2D(二次元)技術の発達、過去の作品の蓄積、多チャンネル化による世界的な作品の不足などがあると考えられる。
我が国のメディア芸術は世界に誇れる文化であり、今後の文化芸術全体の活性化を促すけん引力として、その一層の振興を図る必要がある。
このため、科学技術の分野においても、作者の創造性を十分に発揮することを支援するためのメディア表現技術の調査研究等を積極的に推進し、技術的な基盤を早急に整備していく必要がある。
特に、魅力的な作品を制作するには、既成の技術を使って制作するのではなく、作品の制作を前提に新しい技術を開発しつつ制作していくことが必要であり、そのための中長期的な技術基盤の開発を推進していく必要がある。


1 平成8年、地球観測衛星情報による遠隔探査技術を用い、東海大学と早稲田大学の合同調査チームがエジプトのダハシュールにおいて古代エジプトの遺跡を発見・発掘することに成功している。

2 平成15年5月及び12月、土器の科学的年代分析により、弥生時代前期初頭の年代は、紀元前800年前後であり、多くの教科書に採用されている前3世紀より、400年から500年さかのぼる年代であるという研究結果が発表され、専門家の間で活発な議論がなされている。

3 従来の、放射性炭素から放出されるベータ線を計測する放射線計測法では、年代測定のために、炭素として1グラム程度の試料が必要であったが、AMS(Accelerator Mass Spectrometry:加速器質量分析)により放射性炭素を直接計測して年代を測定する方法(AMS法)では、1ミリグラムの試料ですむことから、様々な文化資源の年代測定が可能となりつつある。

4 年輪年代法のデータを用いてAMS法の較正曲線を補正する一方、AMS法で、位置の不明確な木片の年輪の中での位置を推定して、年輪年代法の暦年標準パターンの作成に貢献しており、更に、その延長に役立つことが期待される。

5 我が国においては、文化庁、文部科学省・日本ユネスコ国内委員会、外務省、国際交流基金、国際協力事業団、大学、地方公共団体、民間団体(Non-Governmental Organization)が世界の国々の文化財保護に関して各種の協力事業を行っている

6 フォーリン・ポリシィ誌2002年5、6月号に掲載されたダグラス・マッグレイ(Douglas McGRAY)氏の論文“Japan’s Gross National Cool”において日本の大衆文化の影響力について解説されている。

7 宮崎 駿監督の作品「千と千尋の神隠し(英題:SPIRITED AWAY)」が、平成14年2月の第52回ベルリン国際映画祭でグランプリ(金熊賞)を獲得するとともに、平成15年3月、米国の第75回アカデミー賞の長編アニメーション部門を受賞した。

8 日本貿易振興会(現 独立行政法人日本貿易振興機構)の調査報告書「米国アニメ市場の実態と展望」(2003年3月)によれば、米国における日本のアニメーションビジネスの市場規模は、推定で年間43億5911万ドル(2002年)であり、これは、米国の日本からの鉄鋼製品輸入額13億8000万ドルの3.2倍に相当する。

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