科学技術社会連携委員会(第6回) 議事録

1.日時

平成30年10月23日(火曜日)13時00分~15時00分

2.場所

文部科学省 東館15F科学技術・学術政策局会議室1

3.議題

  1. 科学コミュニケーターに期待される役割と必要とする資質について
  2. その他

4.出席者

委員

小林 傳司 主査、内田 由紀子 委員、片田 敏孝 委員、小出 重幸 委員、田中 恭一 委員、原田 豊 委員、山口 健太郎 委員、横山 広美 委員

文部科学省

坂本 人材政策課課長、石橋 人材政策課課長補佐

5.議事録

【小林主査】  それでは、定刻ですので、第6回の科学技術社会連携委員会を開催します。
 出席者と配付資料等については、事務局の方で説明をお願いいたします。
【石橋補佐】  本日もお忙しいところ、お集まりいただきまして、ありがとうございます。本日は、科学コミュニケーターに期待される役割と資質に関して議論いただければと考えております。資料でございますけれども、お手元に資料1、1枚紙でございます。「今後の科学コミュニケーターの活動について(仮題)」でございますけれども、その構成案となっております。その参考といたしまして、参考資料「科学技術基本計画における「科学技術コミュニケーター」係る記載」というタイトルの資料を御用意させていただいております。乱丁、落丁等ございましたら、途中でも構いませんので、事務局までお申し付けいただければ対応させていただきます。
 以上でございます。
【小林主査】  ありがとうございます。
 一つ、議事に入る前に御報告のようなことをさせていただきます。御承知のように、今日の議論とも関係するんですけれども、いよいよ第6期の科学技術基本計画に向けての議論が政府関係のところで進み始めておりまして、この本委員会は、科学と社会の関係について、の基本計画の中の章と大体対応した形で設置されている委員会ということです。それで、研究振興局の学術分科会の中で人文学・社会科学振興の在り方に関するワーキンググループというのが設置されます。そして、年内ぐらいの間でこれから第6期に向けて人文社会科学をどういうふうに振興していくかということの議論を集中的にしたいということで、ついては、この委員会が管轄している議論をこのワーキングのところで説明してほしいと、10月25日の10時から、私が呼ばれています。基本的には、お手元の机上資料で御記憶かと思いますけれども、今年の2月に確定をした、だから、第4回の委員会の資料1にあります、「新たな科学技術の社会実装に係る研究活動における人文社会科学と自然科学の連携の推進について」というペーパーをこの委員会で紹介するということがミッションということで呼ばれています。10分しか時間がないので、これを10分で説明するのは結構難しいんですけれども、行ってまいります。
 そこで、ここでやっている議論が少しでも実際の政策とつながっていくということが期待されますし、その努力をしたいということです。さらに、今日これから始める議論も、当然その第6期に向けてということを念頭に置いた形で議論を進めていき、その結果もできれば第6期のところへインプットとして打ち込んでいくといいますか、そういうことができればと思っております。
 ちょっと御報告ということで、お知らせをした上で議事に入りたいと思います。
 議題の1番目、科学コミュニケーターに期待される役割と必要とする資質についてです。事務局の方から案内をお願いいたします。

○資料1、参考資料に基づいて、石橋補佐から説明

【小林主査】  ありがとうございました。
 この科学と社会、コミュニケーションという議論もかなりの蓄積を感じるようになりまして、日本科学未来館の資料が非常に印象的で第1期からどういうふうに変遷してきたかというのを見ますと、まあ、そうだな、このころはこういう議論して、まず、「理解増進」という言葉を文科省が使ってて、それじゃないんだよと一生懸命言っていた記憶があって、でも、やっぱり当時はそうだったですね。それが「双方向に」なってというのがあって、しばらくすると、「双方向」は当たり前の言葉になってという形になってきたんですね。これで結局20年ですか。その蓄積を踏まえて、次、どうするかということになるというのが資料1の1ポツのところですね。
 今日はもうフリーディスカッションですので、このまず全体の構成で、抜けているものがないかとか、これは違うんじゃないかというのがあればもちろん指摘していただいて結構です。まず、そういう話からしてもいいかと思いますが、途中で個別具体例のお話もあってもいいのかなと思います。
 この社会課題に取り組むという形がかなり打ち出されていて、今までどちらかというと、政策形成とコミュニケーションという議論の枠組みが多かったんですが、今度は社会課題という切り口にちょっと変えてこられているということは、今までとちょっと力点の違いがあるんですが、多分科学技術基本計画そのものの力点がやはり4期、5期ぐらいから変わってきたということですよね。
 ずっとこの科学技術基本計画、科学技術政策というのは、ジレンマというか、難しい問題があって、科学技術の振興のための政策だっていう議論がやっぱり片一方にあるんですね。だから、研究者は自分たちの分野の重要性をどうやってアピールして、この計画に載せてもらうということに腐心するという、そういう歴史があるんです。ところが、4期ぐらいだったと記憶しますが、3期ぐらいから、国家財政の問題も当然あったんですけれども、いわゆる失われた20年というものの、どうするかというのは深刻な問題になっていたと。そうすると、公共政策として社会をもう一度バイタライズするためにどうするかと。そこにはイノベーションだというふうになってくると、科学技術政策がそれ自体としての政策ではなくて、むしろより上位のというか、公共政策、あるいはその中のイノベーション政策のためのツールという位置付けになってくるという側面が出てきているわけですね。これもいい悪いを言ってみてもしようがなくて、ヨーロッパなんかでもそうですし、緊縮財政というのでヨーロッパの場合、オーステリティという言い方をしているんですが、それに対する経済の活性化の切り札はやっぱりイノベーションであり、そういう観点から科学技術政策を考えるという議論が出てくる。
 その延長線上で、経済だけじゃなくて、SDGsですね、今だと、もうバズワードになっているわけですね。そういう社会的課題、複雑で解決困難だけれども、大事であると。しかも、グローバルなアジェンダになっている。国連が設定したことによって、内部にはいろいろ矛盾のある記述があるにせよ、大義名分、錦の御旗になったので、SDGsに対して科学技術をどう動員して貢献するかというのが重要な政策的課題にもなっている。特にSDGsについて面白いなと思うのは、産業界が非常に本気で取り組んでいる。その理由は、恐らくこれに対する取組が示せなかったら、グローバルなマーケットの中で商売できないという構造になっているということを認識しているからだろうと思います。
 ここに書いてないなと思ったのは、あと、ESG投資というのが今、急激に広がっていますね。Environment Social Governanceという、そういう観点から投資家が投資先を選別することによって、ある種の経済活動を方向付けるというか、規制するような、そんな動きが出ていて、そうすると、企業は当然それに敏感になってくるわけですね。最近だと、石炭火力の事業者に対する投資を投資家が控えるとか、そういう動きが出てくるとかいうふうなものも見えますので、そういう点で社会課題というものに取り組むということは大変、大事だと。そこに科学技術はどう関与するかという問題ですよね。
 たしか今年の経団連の大学改革提言レポートかなんか、そういうのが6月に出たと思うんですけど、それを見ていても、日本はSociety 5.0を実現するために、ICT、AI技術とか、バイオ技術とか、そういうものをどんどんやっているけども、それを社会にインプリメントする。そうすると、Society 5.0が実現する。このインプリメントするところには何が必要かというと、人文社会科学であり、そういったものがきちっとかまないと駄目なので、人文社会科学を振興せよと、経団連が言っている。リベラル・アーツが大事とか、そんなことが書いてあって、そういう雰囲気になっていますよね。だから、ちょっとそういう流れがあって、その中でこういうコミュニケーターの役割というのもあるんだろうなと思います。
 ですから、一時は科学コミュニケーションというのは単なるトラブルシューターのような扱いをされていたんですけれども、もう少しポジティブな役割を期待されていると思いますし、それに応えなくてはいけないんではないかと思った次第です。
 あんまり私ばっかりしゃべっていてもしようがないので、あとは自由に御意見を頂ければと思います。
 この第3回委員会資料2の2ページ、未来館の1、2、3、4、5というこの第5期の整理は、これはものすごく正確だと思うんですけれども、1点気になるのは、これは、進化モデルというか、次のステージへ、次のステージへと進歩していっているというふうに読めるので、例えば第5期でやっている内容を見ると、もう第1期にあったような理解増進、こういうのはもう古くて相手にならんのだというふうな印象を与えかねないんですね。実はそうではなくて、全部必要なのです。つまり、堆積モデルなんですよね。だから、今もやっぱり科学啓蒙(けいもう)のようなものが必要な場面はいっぱいあって、そういうことが見失われないよう書きぶりを1章の、こう書いたら1ポツですかね、そこではしていただければと思います。
 過去のものが今、不要になったわけではなくて、やっぱり全部必要で、それが積み重なって厚みを増した科学と社会の取組をやるって、そういうモデルで考えるべきだと思っています。
 全体論でやりにくければ、もう一つのやり方は、今、我々が知っている範囲でここにコミュニケーションの課題を抱えている実例があるというのは、皆さん御存じのやつがあると思うので、それをちょっと披露し合うというのはいかがですか。こんな例も実はコミュニケーションの問題、片田さんなんかいっぱい持っているでしょう。
【片田委員】  そうですね。理解増進、双方向、対話、参加、共創と第5期でこう整理されているんですけど、防災は、何かここのところ、非常に混沌(こんとん)とした状況にあるように思うんです。今年御案内のように多くの災害が荒ぶる。そして、技術で災害制御ができるかというと、そこに対する無力感は当然国民の中にある。そして、そのときに自分も社会の中の一員として自ら対応しなきゃいけない。一方で、これまでの経過の中で科学技術、若しくは行政対応への依存というのから自らが脱し切れてない。それで、どう対処していいか分からない。なされるがままにみたいな状況の中で非常に混沌(こんとん)としていて、正にこれから防災という世界は、災害に対峙(たいじ)した社会のありようというのを共創していかなきゃいけない。正にその混迷期にあるという、そんな感じがしているんですね。
 いろんなところで話をしなきゃいけないものですから、いろいろ考える中で、少し防災の世界が、災害と社会の関わりという面でどういうふうに変わってきたのかなということが考えてみるときに、今から二、三百年前というのは、浅間が噴火し、火山が噴火し、火山灰がまき散らされ、ちょっと雨が降るともう土石流土石流で全部それが川に入り、河床を上げて洪水が起こると、河は縦横無尽に暴れ回る。もうやおよろずの神に頼むよりもう仕方がなく、で、局所的には治水、川を制するものはなんていう、あの武田信玄塚みたいな話がありましてね、で、多少なり科学技術に対する期待もありながらも、無力なものであるということで、そんな時代がずうっと続いていた。
 その中で災害史という、国民の命を守るという観点で見てみると、そのままの時代がずうっときて、で、戦争時代に入って大量に人が死ぬということに対して、社会が少し鈍感になっている時代があった。昭和34年に伊勢湾台風があって、ここで名古屋で5,000人以上の方が亡くなった。でも、この時代を歴史的に見ると、横軸に時間軸を立て、縦に自然災害史をとると、伊勢湾台風までは毎年数千人死んでいるんですね。で、これから近代国家を目指そうと。で、先進国入りしようと。こういう状況の中で戦後、昭和34年ですからね、これから高度経済成長で頑張ろうとしたやさき、これでいいのかという思いがあって、そこで社会として、災対法、災害対策基本法で何がうたわれたかというと、やはり人口1億のうち数千人死ぬのは、これはシステムエラーだと。先進国の体をなしてない。だから、少なくともそれをやらなきゃいけないから、少なくとも行政の手で、公共の手でインフラ整備するということにおいて、災対法の3条、4条、5条に国民の命を守る責務を有する。3条が国、4条が都道府県、5条が市町村と、こう書かれた。そこから、防災投資ががんがん行われ、コンクリートの3面張りだとか、環境負荷だとか、いろいろ言われながらも、ある意味土木屋は頑張ったわけですね。
 そうしましたところ、災対法を境にだーっと減りまして、おおむね100人以下になったんです。特別な年を除いて、阪神・淡路と東日本大震災。で、100人以下になったんですね。それで、こうなってくると、ここの領域はもう事故領域であると。一人一人の死を思えば、こう言えませんけれども、マクロに全体を見るならば、そういう領域になってきたんですが、この間行政が主導して防災投資をやり、現に減ってきたというこの事実が国民に何をもたらしたかというと、一つは、災害に対する制御感、科学技術によって、防災投資によって、人為的なリスクのコントロールができるんだという災害制御感みたいなものを作り上げ、一方で、安全の確保ということに対する他者依存、科学依存、行政依存といったものができ上がり、はたと気付くと、完全なる、ちょっと言葉きついんですけれども、災害過保護状態に。いまだにその枠組みのまま日本の防災はきているわけですね。
 その結果、どうなっているかというと、危ないところに堤防を作るのは誰だと、これは役所。危ないところをリスクマップとして教えてくれるのは誰だと、これ、役所。逃げなきゃいけないときに逃げろと教えてくれるのは誰だと、これも役所。避難所へ行って食料出してくれて、布団敷いてくれて、何もかもやってくれるは、これは誰だと、これは役所と。全部役所。もう全然自分の命を守ることに対する安全という観点においての主体性を決定的に欠落し、災害過保護状態をもたらした。その一方で、堤防だとか、そういったものによって、これだけ減ってきたものですから、日本国全体を見るならば、やはり災害制御感と防災投資や科学技術によって自然災害をコントロールするという、非常に依存心が出てきた。
 一方、そこに、例えば地震屋さんはあたかも予測できるかのごとく、解明し、それによって予知予測をし、防災に役立てるということで研究予算を持っていき、でも、やはり彼らの分野の言葉でいうところの予測は可能なんですよね。要するに、地球物理学的な時間においての予測はできる。だけど、それは防災上何の役にも立たないという状況でありながら、そこを何となくあやふやなまま残したまま研究費をごっそり持っていって。そんな中で、次のトピックは、伊勢湾台風の次が阪神・淡路なんですね。
 この段階である意味、科学技術に対して限度感も一時期はぽっと出たんだけれども、そのときの日本の防災の議論はどこにいってしまったかというと、きずな論になるんですよね。情緒的な話にいってしまった。いや、もちろん大事な話です。でも、みんなで助け合いましょうと。それで、生き残った人が何とか立ち直っていくという世界の話であり、どう死者を少なくするのかという議論には向かず、生き残った後のきずな論にいってしまったわけですね。ボランティア元年とか言われて、社会としてはよくなったのかもしれない。その部分ではよくなったかもしれないんだけれども、相変わらず、災害制御感みたいなものは残し、そして、地震屋さんは、さらに、だから、予知予測は重要なんだと言って、科学技術予算をどんどん持っていった。
 そして、それが東日本大震災でこっぱみじんに飛び散ったわけですね。10メートルの堤防を作ったら、30メートルの津波がきましたと。予知予測も様々モデルの精緻化をし、予測モデルを打ち立てても、最後やっぱり地震モデルではできたとしても、防災上はあんまり役に立たない。どうも社会的に今の状況というのは、正に自分たちも参加しなきゃいけないみたいな自助、共助みたいな概念が受け入れられて、何となく第4期みたいなところであって、だけど、今、それが打ち砕かれて、科学技術で抑え切れないことも分かり、行政依存も駄目なことが分かり、だけど、はたと自分を振り返ると、完全なる依存心があって、対処のイロハまで分からない、指示してもらわなきゃ分からないという、こういう状況の中で、今、災害に対峙(たいじ)した日本の社会のありようというのをどう再構築していくのかという、その混沌とした状況の中にあって、正にこれから日本の防災社会を共創していかなきゃいけないという状況になっている。何かこれを見ながら、防災そのままだなというような思いをしながら、この第5期までのまとめ資料を見ていたところです。
 そのときに非常に重要だなと思っているのは、改めて地震研究者たちは、予知予測は不能であるということは告白せざるを得ない状況に陥り、告白されたと思うんですね。でも、そのときに、だからといって地震学が不要というわけではないわけですね。科学として、サイエンスとしての有効性、もちろんそこは解明していなきゃいけないところは残っているとは思うんです。ただ、自らの分野のその研究によって解明されたことが、防災という社会に対してどういう意味を持っているのかというところ、ある部分都合よくだまくらかしてきたというところがあり、自分たちにとって都合のいい予知予測ができる。それはもう地球物理学的な時間軸からいうと、予測は可能なんだろうけども、そんなこと言ったら、海溝型の津波なんていうのは100年周期に来ますから、間もなくですと言えば当たるわけで、それを更に精緻化するんだということで、文科省もそれに予算を出していたわけですからね。文科省の勉強不足というのもあると思いますけども。
 こういう中で、社会の中における科学技術の意味合いという、実態としての意味合いということを少ししっかり見定めて、科学コミュニケーターの役割なのかどうか分かりませんけども、少なからずそれぞれの分野の専門家は、そこは真摯に社会に関わるところの自分たちの貢献というのがどこにあり、どこを社会と共有し、というところはしっかり倫理観として持ってなきゃいけないなというのも、僕は思います。
 何かこうやって言うと、地震学者が倫理観ないみたいで申し訳ないんですけど、そう言っているわけではないんですけども、だから、このモデルを見ながら、非常にそんなことを思いながら見ておりました。
【小林主査】  なるほど。研究計画・評価分科会、ここの親委員会で、そういういろんな研究分野の人たちのプロポーザルを評価するところがあるんですけれども、今、片田さんがおっしゃったとおりで、地震関係のところは、もう予測できるかは言わなくなったんですけど、四国の沖合のところの津波の測定のセンサーを開発していて、このセンサーを使うと10分早く分かるというんですよ。その10分早く分かることだけを言って、すごいだろうというふうな形でおっしゃるんで、それが四国の人々の生存に対してどのぐらいプラスになるという議論はどうなっているんだって聞くじゃないですか。答えられないですね。つまり、そのセンサーの性能があること自体の喜びで動いている感じがする。そこですよね、問題は。
【片田委員】  そうです。
【小林主査】  だから、その地震学のようなサイエンスが社会に対してどういうふうな形で関わっているかというところの想像力もなしに研究だけするという、そのマインドセットを変えろと言っているわけですね。それは多分コミュニケーターの役割がどうのこうのというレベルの話とはまた別で、研究者がコミュニケーションに対して持つべき機能というかな、感覚というか、これはいろんな場面であると思うんです。その論点は私はあった方がいいと思います。得てして、コミュニケーターにコミュニケーション、アウトソーシングしようとするんですよ、現実は。コミュニケーションの専門家にお任せして、あとはよろしくっていうふうになられたら困るので。
【小出委員】  一種の新しい「欠如モデル」ですね。市民の科学的理解力の欠如を補う、というこれまでの視点のベクトルを変えて、科学者や専門家の社会的理解力の欠如を補う、という方向も、議論しなければいけないということですね。
【小林主査】  そうですね。いや、でも、本当我々防災対応力がなくなっていると痛感しましたよ。子供のころは停電ってしょっちゅうあったじゃないですか。
【小出委員】  はい。
【小林主査】  だから、何となくうれしくて騒いでいる気分ですよね。でも、二晩停電になったときにシャワーが動かんですね、あれは電気とつながっているから。それと、あとね、夜中で真っ暗になって、温水洗浄便座が動かないのはいいんですけれども、シンクを手動で流すタイプのトイレはいいんですけれども、電気で流すタイプあるでしょう。そうすると、あれを手動に切り換えるためには、非常に奥深いところを何かスイッチを外さないといけない。それを真っ暗なときにはできないです。したがって、トイレが動かないんですよ。もう一種類のトイレがうちはたまたまあったんで、そっちで助かりましたけれども。だから、オール電化の家は悲惨です。それから、お金持ちの家の車庫の電動シャッターが動かないので、車が出ない。雨戸も電動にしているところはどうしようもなくて、昼間でも真っ暗と。だから、リダンダンシーのない家というのはどれぼど危険かというのは非常によく分かりました。二晩停電でいろんなことを学びました。
【片田委員】  あとは、ちょっと気象庁なんかの会議なんかに出てて、それだけじゃなくて、中央防災会議なんかでも、防災の国の政策の議論をしてて、議論のトーンが少し変わってきました。非常に実感しております。これまでは災害があるたび、それこそ気象予測技術として、若しくはそれに基づく情報発出として、どういう情報を出せば更に世の中よくなるのかと、的確なこの災害に対してよくなるのか。例えば中山間の山あいで急激に土石流なんかだーっとくるようなところについては、何か雨量の時間分布みたいなのを正規に出そうだとか、気象庁の情報はどんどん精緻化され、彼ら、非常に真面目に科学の粋を集めて、日本の気象情報の総本山として、本当に精緻な情報を一生懸命適宜適切に出せるように努力しておられる。災害のたびに、毎回災害は形態が違うものですから、この災害に対してはどういう情報が有効なのかという議論をし、情報をどんどん積み増してきました。その結果、例えば土砂災害警戒情報だとか、特別警報だとか、いろいろ出るようになりましたね。その結果、社会の反応はどうなるかというと、ちょっと前まで避難勧告が遅いという議論が新聞でさんざんたたかれる。今回きれいに出ているんです。それが今後は避難指示で出てないじゃないかという、もうその上の情報がないと言って社会は文句を言うわけです。
 それから、特別警報というのも、通常の大雨警報や洪水警報では、もう社会は動かないと。さすがに僕らも動かないじゃないですか。大雨警報が出たからといって避難するというわけないですよね。だから、気象庁とすれば、今回は、このイキから見ると、これはまずいって思ったときに、気象庁としてのアラートを発する、最終通告的に特別警報というのを作ったんですね。で、これは気象庁の非常に真面目な防災に対しての役割を果たそうする、研究者集団としての真摯な動きだったと思うんですね。
 そうしましたところ、今回7月豪雨では11府県に出た。そしたら、マスコミから電話かかってくると、11府県にも乱発したら、国民は適切な危機感を抱けないんじゃないのかと、これは気象庁の乱発だと、こう言うわけです。おまけに気象庁は、ここ最近の出ている情報を見ると、もう山ほど情報が出てて、漢字の長ったらしい情報がいっぱい出ていると、土砂災害特別何とか警報だとか、これじゃあ、お年寄りには分からないよねと。情報の差別化もよく分かんないまんま、国民に適切に情報が利用されてないんじゃないのかと、そういう批判につながっていく。何か技術をどんどん一方的に高めていく中で、それに対する依存ができ、もっと高度なものが出れば、今までのものは全部ないがしろにされていくという、段階を追ってちゃんと出していっているのに、何かまだ特別警報が出てないから避難しない。勧告は出ているけど、まだ指示は出てないから逃げないというように、どんどんそこに対して依存する、特にリスクの場合は、そういう安全情報だとか、安全側の施策が出てくると依存するところがどんどん上がっていくものですから、結局国民の災害対応レベルを低下させてしまっているという、科学技術の推進、進んだぐあいというのが、これがかえって国民の脆弱性を高めるみたいなんですね。やはり何か自分たちの技術の進展が社会に及ぼす、そういうレベルでの受け取り側の影響というもの、でも、出している側はよかれと思って出しているわけですよね。で、そこにおいて、それを求めてもしようがないわけです。受け手の側から見たら何が、どういうふうに受け取られるのかということに対する繊細な心というのか、コミュニケーションとしての相手側の視座から見たときに物の見方ができるような科学技術者というのが必要だなというのは、やっぱり思いますね。
【小林主査】  あと関連して似たような問題としては、地震に対する感覚が日本人と外国人では違うということがあって、大阪でこの間地震が起こったときに、うちの留学生が大挙して地域の避難所にSNSであそこが避難所だと言ってやってくる。日本人は、あのぐらいの地震では動かないです、家が壊れでもしなければ。ところが、もう彼らは一斉に動く。避難所の方はびっくりして、どうなっているんだと言われた。
 それから、もう一つはやっぱり言語ですね。多言語で情報発信をするという構えがないですよね、やっぱり。これだけ受け入れて、観光客たくさんいるのに。これがかえってリスク要因ですね、危ないですね。
 じゃあ、ちょっと防災のところでも、やはりコミュニケーションの本質が浮き彫りになったかと思いますが、ほかの事例もいろいろあるかと思うんですけれども、いかがでしょうか。横山さんなんか、たくさんお持ちでしょう。
【横山委員】 片田先生と共通する事例を幾つかの研究分野で見ています。社会情勢に合わせて自分たちの研究も見直さなければいけないのに、議論の醸成が自発的に起こらない。学会は閉じていて同じ目線のコミュニティーしかいないわけですから、これまでの路線を強化するだけで変革の議論は起きにくい。学術会議でしか総合的な議論が行われない状況は、非常に悩ましいと思います。研究者の間にいる科学コミュニケーターにパワーを持たせて、発言力を持たせ、活躍できるようにしないといけないと思います。
 大学の中から見ると、活躍している科学コミュニケーターに類する人材は記者出身の方たちです。特に最近大学で採用しているのは国際的なライティングができる英文ライター、英文記者です。彼らは記者の訓練を受けているので、能力が一定度保たれており、非常に活躍しています。
 そこで悩ましいのが、双方向コミュニケーションというのとある意味、真逆にあるわけですね。大学が採用しているのは、一方向コミュニケーションの鋭い力を持つ人たちなのです。科学コミュニケーターという概念をどこまで広げるかの議論ですけれども、従来の議論では、科学コミュニケーターというと双方向性をファシリテーションする博物館などを中心に考えており、人材の枠としてものすごく狭いし、大学や組織のニーズとも一致していません。したがって、そういうふうな書きぶりにしてしまっていいのかなというのがこちらの資料を見たときの最初の感想です。
理学部に10年間おりまして、理学部の学生に10年間現代科学論や科学コミュニケーションの基本を教えてきたんですね。そうすると、すごくうれしいことにジャーナリストになる方もいるし研究者になる人もいる。いろんなところに基本的な知識を持った方が波及していくんですね。これからの科学コミュニケーションは、理系の教育の一部に組み込んでいく、その重要性があるので、職業的科学コミュニケーターに限った話にしない方が広がりが持てるんじゃないかなというのが結論でございます。
【小林主査】  ありがとうございます。機能ですね、やっぱり。そういうものを広げないといけない。
【横山委員】  機能ですね。
【小林主査】  いや、私も実感しますね。先ほどの経団連の話もありましたけども、理系の学部でELSIのような議論が要るじゃないかって、ようやく教員たちの方が言い出しましたですよね。それまでは要らないというか、「何ですか、それ?」っていう感じだったのが、ちょっとそういう意識は出てきたので、その中でこういうコミュニケーションの議論というのは、当然大きな要素の一つだとは思うんですね。だから、科学コミュニケーターを狭くとるか、広くとるかというのは、非常に大事な論点で、第3期か、第4期のときにはつなぐ人材という言葉で、実はいろんなところに似たような機能を持ちながら、言葉が違って散在していると、それをちょっとまとめて考えた方がいいというような議論があったんですよね。
 それと大学の中だと、あと、URAが微妙にこの科学コミュニケーターと機能が似ているんですよね。だから、京大なんかはURAの活動がほとんど科学コミュニケーターのような活動と重なってやっているし、むしろ科学コミュニケーターで採用されて、任期付きなので、URAに異動したなんていう人、すごく多いですね。だから、そのあたりで人材が循環をしているんですけれども、いずれにしても、まだ威信が高まらないので、アウトソーシングで使われる立場とおっしゃった、そういうことにはまりやすいのが現実だと思いますけれども。
 URAなんか構想したときは、プロフェッサーよりもURAのが給料が高くなる社会というのをイメージしたんですよ。アメリカの大学だとURAではないですけれども、試験のときの入試のところのあのアドミッション・オフィサーをやっているプロフェッサーというのはものすごい高給取りですね。そういう仕組みで大学が回っている社会と、日本の場合のように、極端に事務員の数が少なくて、プロフェッサーがやたらと偉くてというのは、飛行機会社でいうと、機体と燃料とパイロットにしか金を払わないと。でも、それだけで飛行機は飛ばないわけです。管制官とか、そういうのがいっぱいいないと駄目なんだけど、そこはみんな見ない振りしているんですね。だから、その中でコミュニケーターも、いわゆるパイロットじゃないわけですね。だけれども、ないと困る人材になっているはずなんだけれども、それが正しく認識されていないという認識で共通ですよね。
【横山委員】  そうですね。
【小林主査】  あと、いかがでしょうか。はい、どうぞ。
【小出委員】  今の横山さんの指摘、私が見ている状況とよく重なっています。科学コミュニケーションに関して、防災の現場でどういう状況なのかをうかがいましたが、科学コミュニケーションには、様々な現場、階層があると思うのです。それを全部一つの言葉に押し込めてしまうと、その実践には無理が生じますし、幾つかの領域に分けながら、それぞれのコミュニケーションに向き合うことが大切だと思います。教育・普及活動の現場である科学博物館、科学未来館のような施設でのコミュニケーターの活動は、もちろん必要ですけれども、一方で、科学者・サイエンティスト自身がコミュニケーション活動を担う必要性もあります。実際、科学者が自身で社会に発信する需要は、これから一層、高まると思うのです。
 一つの例として、現在、英国最大の生命科学研究拠点「フランシス・クリック研究所」のポール・ナース(Paul Nurse)理事長は、2001年のノーベル生理学・医学賞の受賞者でもありますが、英王立協会(Royal Society)会長時代の2012年、BBCテレビで「Science under attack」という番組を制作しました。現在も、地球温暖化問題、ワクチン安全性、遺伝子組み換えなどの問題で、科学の信憑性を疑う人がいます。特に2009年に起きた「クライメートゲート事件」、国連気候変動政府間パネル(IPCC)の研究者同士のメール会話がハッキングされ、これを基に、英国の「テレグラフ」紙のデリンポール記者が「地球温暖化は事実ではなく、科学者たちが市民をだましている」と一面でスクープ。米ブッシュ政権が「やはり科学者は我々をだましていた」と温暖化の否定メッセージを発信、国連総会でも議論が起こるなど、温暖化の科学的信憑性をめぐって国際的な論争に発展したスキャンダルです。
結果的には、科学者がだました事実はなく、気候変動が進んでいるという科学的事実に偽りがない――とする報告書が、英国国会などから数多く出され、科学的には結論が出たのですが、メディアや世論の疑いはなかなか晴れない状況が続きました。この問題に、ナース会長自身がNASAなど世界各国の科学者に取材、また、スクープを書いた記者にもインタビューし、討論を重ねるなどして、作り上げたドキュメンタリー番組です。
 科学は信頼を落としているテーマを中心に、事実はどうなのかを求めて制作した番組で、ナース会長は、科学の方法論、価値観を示すだけでなく、取材、ナレーション、インタビューという、まさにジャーナリストの役割を果たしており、科学者の科学コミュニケーション実践例のひとつと言えます。ナース会長自身、「ジャーナリストの仕事のように感じるかもしれないが、これはサイエンティストの仕事でもあるのです」と語り、科学者、オーソリティーの発信の大切さを語っています。
 科学コミュニケーションとは、ここまでを含む、非常に大きな領域なのですね。どれか一つの領域の例を「科学コミュニケーション」という言葉で閉じ込めてしまうより、こうした広範な実践を示す言葉だと、理解したほうが良いと思います。
横山さんのところで取り組まれているような、大学広報にジャーナリストを活用する方法もあります。一方のジャーナリストには、修羅場に強い、どんな状況下でも課題を何とか処理してしまう、というトレーニングを受けた連中が多いので、そのコミュニケーション能力を活用することも、ひとつの方法だと思います。
読売大手町本社で月1回、「サイエンス読書カフェ」というセッションのファシリテータ-をやっています。そこで10月、五十嵐泰正・筑波大准教授の著作「原発事故と<食>」(中公新書)をテーマに、五十嵐さんを囲んでのセッションを開催しました。福島の農水産物、食品がなぜ消費者にまっとうに評価されないのか、市場の中では実際、どう扱われているのか、風評被害に関連するこうした現象を、五十嵐さんは社会学を基点に、様々な領域にリサーチの方向を伸ばして把握しようとしています。
「社会学だけで切り取ろうと思っても、とてもできない。農業・水産業の実態、市場での価格形成の仕組み、消費者心理、メディアの力学、放射線健康影響、公衆衛生、心理学、原子力発電のリスク、エネルギー供給のメカニズム……様々な領域を統合した視点、価値観がないと、なかなか先が読めないという現実があります。
こうしたコミュニケーションの努力は、科学館や教育現場で科学の面白さ、本質を教える、あるいは、大学教育の中で進められてきた日本の「科学コミュニケーション学」とは、また別の階層、フェーズだと思うのですね。
 多領域にまたがるコミュニケーションをどうこなすのか、その能力を持ったコミュニケーターを、どう要請すればよいのか、英国王立協会長だったポール・ナース博士にインタビューしたことがあります。「ナース博士や、福島事故の直後に、事故の的確な放射線被害予測を発表した、ジョン・ベディントン英国政府首席科学顧問のように、いろいろな専門領域を越えてコミュニケーションできる人材をどう作ったら良いのか?」という問いです。
ジョン・ベティントン科学顧問は、最初に統計学を学び、科学哲学、環境動態学を修めた科学者で、英インペリアル・カレッジ・ロンドンの環境学の教授でしたが、首席科学顧問のときに福島事故に直面、日本にいる英国人に向かって、「総合的に勘案して、放射線影響は限定的で、東京から逃げ出す必要はない」という明確なメッセージを発信して、日本にいる外国人のパニックを防いだという役割を果たしました。
ナース会長も、BBC番組で見せたように、様々な領域の研究者、活動家、ジャーナリストと討論しながら、コミュニケーションできる、こうした人材の育成法を尋ねたのです。
答えは、「すべての専門領域を修める必要はない、何か一つの領域の学位でも良いし、一つか二つの修士があればさらに良いが、問題は人間としてのコミュニケーション力だと思う。こうした人材は数十人に一人いれば良く、若いころから様々な機会に、社会と科学のコンフリクトの現場、コミュニケーションの現場を体験することが大事で、やれば、もちろん失敗する。そこで足を引っ張るのではなく、みんなで支え、失敗から学ぶプロセスを大切にする、体験を身に着けさせる。<育てる>という意識が社会にも必要で、根本はやはり教育だと思う」というものでした。科学と社会の連携の中で、こうした人材は間違いなく日本でも必要になる、というのが、彼の指摘でしたが、今回の連携問題を考える上でも、少し長いスパンで、他領域のコミュニケーションを担う人材を育てる、という視点が必要ではないかと思います。
【小林主査】  はい、ありがとうございます。いや、そこ、すごく大事な問題ですよね。日本でも、科学アドバイザーが要るんじゃないかというので、福島の事故の後にそういう議論があったんですけれども、固有名詞が出てこないんですよ。で、結局そのときも元東大総長の吉川さんの名前が挙がるんですよ。彼、工学博士ですけどね。物すごく高齢ですし。
【小出委員】  そうですね。
【小林主査】  結局ね、日本の理工系って、そういうタイプの人材を作ってない。
【小出委員】  これはまだ育ってないです。
【小林主査】  ええ。そういうのを作らなくてよかったんですよ。
【小出委員】  たしかにこれまでは、こうした人材が求められていませんでしたね。
【小林主査】  欧米を見ていればよかったんですよ。だから、自分で考えてないんですよ、この国って。多分イギリスとか、アメリカはやっぱり自分で考えるということで先進国だったわけですから、自分でゼロから考えているんですよね。そういう人材をやっぱり作っているんですね、意識的に。イギリスだと、いわゆるコモンウェルスって植民地のエリアまで広げて、そういう人材をピックアップして、で、育てるんですね。そういうのが全然できてないので、だから、あのアドバイザーの話、止まっちゃったですよね。今もできない。でも、絶対に必要だとは思うんですね。
 それで、今、ちょっと調べようと思ったんですけども、アメリカのあのフィナンシャルタイムズのアメリカの支局長をやっている女性の人が書いた本で『サイロ・エフェクト』という本があるんですね。結局専門家というのは全部タコつぼ化してしまっていると。それは別に日本だけではなくて、欧米だって同じだというんですね。その本の中にはいろんな事例があって、典型的な事例としては、ソニーの事例が書いてあって、あのクリエーティブだったソニーがサイロをつくってしまったと。今はフェイスブック、ちょっと威信が落ちましたけども、ザッカーバーグはソニーのような会社にしてはいけないというふうに戒めながらフェイスブックの会社を作ったとか言っている。同じようなサイロ効果というのは、別に日本の企業だけじゃなくて、金融危機のときに起こっていたというんですね、欧米のエリート金融機関がみんな実はサイロ・エフェクトになっていると。そこから学ぶべきことは何かというときに、全員がサイロから外に出るなんていうことは不可能だと。今おっしゃったとおりなんです。だけれども、10%ぐらいの人間は、そのサイロとサイロを行き来するような能力を持った人間でなくちゃならないと。そして、自分と同じ言語をしゃべれないからといって、相手のことを非合理だとみなしてはいけないと。認識論の問題なのであって、言語体系が違うということを前提にサイロを動くような、そういう人間を一定数持たないと、この専門性というものがうまく社会の中で使えないんだというふうなことを書いているんですね。
 その女性のジャーナリストは、出身は人類学者なんですよ。フィールドワークの手法を使ってそういう実例を分析して、しかし、フィナンシャルタイムズの編集長をやっているという。だから、そういうタイプの人間を我々の社会にどれだけ作れるかにかかってくるだろうという意味で、今、小出さんのおっしゃった話は本当に大事なポイントだと思いますね。
 そういうのを大学もちゃんと作れてないんですよ。この道一筋何十年みたいな人ばっかり作ってしまうんですよ。それだけが珍重されるんですよね。だから、そういう意味では、教育に相当大事なポイントがあって、文系の教育もそうですけど、理工系の学生に対して、こういう問題の立て方に対する感受性を与えるというのは、やっぱり研究者になる人は絶対持ってもらいたいと思うんですよね。
【坂本課長】  よろしいですか。
 これ、我々が整理しないといけない問題なんですけど、この科学コミュニケーションというのは、学問の在り方とか、あるいはイノベーションの在り方の構成はつながっているというところにも、もう本当に議論していただいているなと思って、今、小出委員、あるいは小林主査が議論していただいたことは、若手研究者の育成でもろ問題になっているんです。若手研究者が近視眼的な研究、要は研究費、あるいはポジションを守るために非常に近視眼的な研究になってどんどん生産性が落ちてきているというのをどうやって改善するかというの、能力開発をもっと力を入れようという話を我々はしているわけですけど、そのときに問題になってくるのは、トランスファラブルスキルというのが非常に重要視されていて、このトランスファラブルスキルは、やっぱりコミュニケーション能力であるとか、あるいはコラボレーションの力とかっていいまして、明確に位置付けられているんですね。ここが決定的に弱い。これはもう日本のPh.D.の学生は、そこも一つの大きな要因で産業界からなかなか使えないと。要は、先ほど小出委員がおっしゃった、その多様な価値観をさばくっていうのではなく、小林主査がおっしゃったそのサイロに入っちゃって、新しい課題が出てきたときに対応できない、というようなことをもう、私も産学連携をやってて散々言われてましてですね。
 だから、科学コミュニケーションという、価値観の橋渡しをするというか、あるいは専門的な知識の橋渡しをするというか、そういった機能というのは今、多分至る所で必要とされていて、イノベーションの分野でも、あるいはサイエンスの分野でもですね。そのときにこの科学コミュニケーションというのを一つ切り出してやるという、科学の価値を見える化すると、博物館とか、科学館で。こういう機能は、当然、先ほど小林主査がおっしゃった、未来館の第1期から第5期というのは堆積的モデルであるというところの、その価値を見える化するというところは絶対なくならないんですけども、そこの、プラスアルファのところがどんどん今、求められている。それぞれ研究者も必要だし、それは産業界も必要だし、あるいは自治体の職員も必要だし、という中で、科学コミュニケーションという切り出し方でどういうところをターゲット化かって、これは非常に重要でかつ、少しきちっと整理しないと、もうどんどんいろんなところへ、問題が深いところへ入っていくということがあるなというのをちょっと感じたところです。
 そこは、何というか、明確な境界を引く必要はないのかもしれないですけども、ある程度まとまって考えないと。やっぱりそれぞれ研究者の育成とか、あるいは産学連携とか、非常に重要な政策課題で、これはさっきURAの話もありましたけども、非常に重要な政策課題なんですね。ただ、全部議論し出すと、本当に収拾つかなくなってくるので、そこをどう切り出すかというところがちょっと、御示唆を頂ければ有り難いなと思います。
【小林主査】  まさに横山さんが定義をね、広い意味でいくのか、狭い意味でいくのかというので、ちょっと狭い定義にやっぱり行き過ぎているんじゃないかと。でも、広くすると、つなぐ人材、一般になるんですよね。
【坂本課長】  そうです。
【小林主査】  うん。それはいろんなところでそういう人材が足りてないという議論は聞くんですよね。だから、広過ぎず、狭過ぎずのところのあんばいをどうするかという問題ですね。確かに博物館で育成しているようなコミュニケーターというところだと、ちょっと狭過ぎるんですよ、やっぱり明らかに。そうすると、どの辺まで広げるかというところですよね、確かに。
【内田委員】  ちょっとよろしいですか。
【小林主査】  どうぞ。
【内田委員】  私は文系ですが、先ほどから問題になっているように、大学の中でフットワークのいい人材が育ってないというのが根底にあるような気がしています。一つは、学術振興会の特別研究員というシステムが非常に今の大学院生には重くのし掛かっているのは間違いなくて、修士1回生の終わりの時点である程度業績を作らないといけないということが念頭にあります。業績を作るというのは、とにかく論文の数と考えられがちです。確かに審査員の立場からすると、数が出ているものにネガティブな評価を付けにくくなってしまっている。また、申請書には独創性を記載する欄があります。しかし同じ研究エリアの中での独創性になりがちで、先行研究ではここが足りない、だからこの計画は独自性がありますというアピールの仕方が増えてしまう。こうしたマインドセットが修士課程のころから出来上がってしまう。そうすると大局的に物を見て、長期的な研究をやる土壌がなくなってしまいます。
 例えばそういうところに少しメスが入れられないか。例えばインターディプリナリーな意味でどれぐらい独創性がありますかとか、あなたの研究は分野を超えたところではどのような意味があると思いますかとかを聞けないでしょうか。こうしたフォーマットを変えることでマインドセットが少しずつ変わる可能性もあると思います。
 特に将来研究者になりたい人ほど、テクニック的な業績作りに走りがちなのが残念です。インターディスプリナリーな知識を持つ人や、自分の言葉で自分の研究の意義を伝えられる人材というのを評価していかないといけない。URAにしても任期付きでポジションが不安定だということで、なかなかそこを目指しにくい。
【小林主査】  はい。ありがとうございます。
【坂本課長】  ちなみに、この委員会のテーマではないんですが、人材政策課のテーマであります。学振の特別委員会も担当しています。それは人材委員会という別の委員会がありましてそこで議論していますので、是非またそちらでお話を伺えればと思うんですが、ただ、よろしいですか、先生。
【小林主査】  どうぞ。
【坂本課長】  今、内田委員がおっしゃったその人材育成の問題というのも、完全につながっていて、さっき私が申し上げた研究者育成のトランスファラブルスキルも人材委員会の問題になっているんですけれども、要は何かというと、博士課程の目的、もっと言うと、そのPh.D.ホルダーは一体何を求められるのかというのが、はっきり言うと、狭義のアカデミズムの中で定義されると、そういう方向にいってしまうわけです、完全に。今の学振の特別研究員がそういうディフィニッションの中で動いているというのは我々感じています。
 ただ、それは、特別研究員をどうするか、伝統のある制度なんで難しいんですが、例えば卓越研究員というのを当課でやっているんですけど、人材育成がちょっと出てきて、卓越研究が今、幅をぐーっと広げているんです。サイエンスとイノベーションと両方の人材を育てると。そこでPh.D.で育ったんですけど、やっぱりイノベーションに関心を持つ人材と本当にアカデミックに専門分野を突き詰める人たちとパーツを分けていかないといけない。でも、本音は大学に残られる方というのは、特に人文系だったらそうだと思うんですけど、大学に残りたいというのがありますよね。でも、大学に残るというのも、一つの有力な選択肢なんですけど、機会が限られます。でも、展開する場というのはいっぱいあるわけです、世の中に。そういう場をしっかりと見て、これは大学も見るし、あるいは学生さんに見させるし、学生も見て、それで、どういう方向に自分の能力を展開していくかって、それは機会との関係でね、全ての人が全て望む機会を得られるわけじゃないですから、その展開していくというふうに学生のマインドセットも変えなきゃいけないし、あるいは大学のPh.D. コースの目的も多分ちょっと広げていかないと、同じものが残り続けるんですよね。
 そのときに、さっき小出委員がおっしゃった多様な価値観をさばくというのはどうするかって、これは非常に重要なものであります。これは研究者さん、イノベーターなんかもう当たり前です。これがどんどんつながっていくと、そもそも学問がどうあるべきかというところで、先ほど片田委員からお話があった、その研究者倫理につながってきますけれども、研究者というのはその研究成果を一体どこまで、何というか、その価値を発現させるところに責任を負うのかって、やっぱりいくんですよね。いや、自分は論文書いて終わりと言ったら、やっぱりそこで価値観は狭くてもいいわけですよ。でも、これを実装するとした瞬間にがーっと価値が広がらなきゃいけない。いろんな人と、プレイヤーとインタラクションして、システムを作っていかなきゃいけないですからね。
 そこまで大学のミッションは今、拡張が求められています。明らかに求められていますけれども、それに対応できる大学の研究者の先生方はまだまだ少ない。私は産学連携をやっていて、もう相当感じました。でも、変わってきている。変わってきた。やっと日本の大学もぐーっと大学の活動の境界というのが拡張し始めているんですけど、これからですよね。
 経団連が人文社会を重視し始めたというのも、経済界が何を求めているかというと、社会の動きを先読みしたいわけです、先取りしたいわけです、流れを。そのためには技術じゃ社会は読めないわけです。社会の構造が変化する、人口の構造が変化する、産業の構造が変化するというのをどうやって読むかって、これは人文社会、社会学もそうですし、あるいは経営学もそうですし、全部それですよね。それで、そういったところの知見を取り入れて自分たちの勝てるビジネスモデルをどう作るかというのを今、求めているわけです、産業界は。だから、人文社会が重要だというところを念頭に置きながら、その先頭、その産業界が先取りをしようとするその最も、何というか、最前線のリーダーにPh.D.の人が立てるかというのが今問われて、この最前線に立てるPh.D.をどうやって育てるかって、今、日本の博士課程の教育においてチャレンジだと思っています。
【小林主査】  いや、だからね、リーディング大学院ってやったじゃないですか。あれはJSPSじゃないですか。それで、学振PDもJSPSじゃないですか、特別研究員も。で、リーディングは明らかに人材像を広げたわけでしょう。なのにどうしてあっちの方は変えないのかというのが意味が分からないんですよ、政策的に。全く不整合なんですよ。
【内田委員】  私が学生のころとフォーマットはほとんど変わりません。
【小林主査】  同じでしょう。人材像だけ変えているわけですよ。だから、あれ用の枠を作るなり何なりをしないと本当は駄目なのに、あっちで戻されちゃうという議論。だから、政策の平仄が合ってない。それで、今も卓越大学院をやっているので、そういうところをね、ちゃんと政策の平仄を合わせた方がいいと思いますよということと、社会的課題に関するというところの問題意識は非常によく分かります。
それはどんどんと、さっきおっしゃった今と矛盾して、広げる方向でいくので、もうちょっと科学コミュニケーションの、せめて広義の科学コミュニケーションぐらいの範囲に収めないといけなくて。ただ、人材育成の観点をこういう科学コミュニケーションとかが関わっている問題とつないでおくということは、私はやっぱりどこかで必要だと思います。さっきも理系の学生さんに対する教育の中にもこういうものを入れると。
 トランスファラブルスキルというのは、一番最初イギリスがVitaeで提案したときの名前で、今はその名前を使ってなくて、リサーチャー・デベロップメント・フレームワークなっています。あれもイギリスでも当初の名前では、産業界に行く人のための特別プログラムという印象を与えてしまったんですよ。そうじゃないんだと。リサーチャーの基本的なものだと。だから、アカデミックに行く人にも必要なんだというふうに名前を変えた。イギリスのエリート大学も含めて、何らかのワークショップなり何なりを受けることを義務付けているところが多いし、それに対するファンディングをしていますよね。ファンディングしません?
【坂本課長】  それを今、計画しています。31年度から日本でもやると。
【小林主査】  はい。ありがとうございます。はい、どうぞ。
【田中委員】  経験したことからということで先ほどの坂本課長のお話が発火点となって、「コンセプチュアルスキル」をテーマに約50年活動をなさっている知り合いのことを思い出しました。同テーマで官公庁、大企業等の方々を対象に研修した実績もある方です。著書も多数出されています。グローバル時代には役立つスキルで、端的には、どんな問題でも「さばける」技術とのことです。強いて定義を言うのであれば「直面する諸問題の本質を押さえ、優先順位を決め、結論に至る考え方の観念の過程を論理的に構築できる能力」と教わりました。実際に実演してくださったのですが、一見複雑で難解な課題の本質が明かされ「さばかれる」過程が見事でした。これがあれば、他者とのコミュニケーションもとれるようになる。有効なツールではないかと思いました。
【小林主査】  ありがとうございます。時間ちょっと迫ってきましたので、まだ発言のない山口さんと原田さん、まず。
【山口委員】  すいません。じゃあ、最近の実例で言うと、時節柄、弊社もベンチャーさんとかとよくお仕事をすることがあります。その中で、彼らも結構技術が好きで、好きなように技術を開発したいから、ベンチャーというパターンが結構多くて、そうすると、話をしていると、結構びっくりするぐらい社会のニーズに疎い人たちっていうのがいるような気が。こうだよとか、こういうのがあるんだよって教えてあげるともうすごく喜んで、で、是非その人に会わせてくれとかいって、うちが仲立ちしてくっつけて、新しい話につながっていくというような場面がよく最近あります。
 ただ、じゃあ、私のそういう行動が科学コミュニケーターかって言われると、別にそういう意識は全然なくて、だから、すごくこのペーパーを見たときに違和感があるのが、やっぱり科学コミュニケーターという言葉なんですね。誰っていう話で。どっちかというと、科学コミュニケーションであり、その場だったり、組織体制だったり、地域での座組だったりというのがまず必要で、それを具体的に示した方が多分のこのペーパーは分かりやすくなると思います。
 なので、ちょっとひっくり返すような話で非常にしにくいなと思っていたんですけれども、人というよりも、そういうシステムというか、こういう社会を作るんだというふうな打ち出しをした方が、コミュニケーションの資料ですから、伝わりやすいんじゃないかなと思ったというのが率直なところです。
【小林主査】  なるほど。科学技術をめぐるコミュニケーションの議論でしょうというふうにおっしゃっているわけですね。科学コミュニケーターの話ではなくてと。
【山口委員】  はい。
【小林主査】  確かにコミュニケーターとなると、どうしてもせっかく機能ですよと言っていても、どうしても役割を持った人間のことをイメージするという話になっちゃいますよね。でも、多分それでは閉じないし、科学者そのものが変わらなくちゃいけないとか、そういう論点も実は大事なので、ちょっとそこ、考えてみますかね。
【片田委員】  特に防災の領域において、僕なんかは科学コミュニケーターだと思うんですよ。
【小林主査】  結果的にそういうことをやりたがることですね。
【片田委員】  そういうことですよね。
【小出委員】  米国では、科学コミュニケーターは、企業や財団、政府機関の宣伝、広報を請け負う立場で、科学ジャーナリストは、これら組織の不合理や悪を暴く、相対した立場――というイメージが広がっていますが、西欧や豪州では区別をせず、いずれも「科学コミュニケーション」という広い領域をになう役割と、受け止められています。
コミュニケーションを図らなければならない現場に、どんな人材が必要かを考えると、いつも「専門のコミュニケーター」が担うケースばかりではないと思います。科学者のポール・ナース博士も、科学コミュニケーターの役割を果たしますし、ジャーナリストにもその役回りが課せられることもあります。多彩なバックグラウンドを持つコミュニケーターが必要だ、ということが言えるのではないでしょうか。
社会と科学をつなげるには、それぞれどのような連携者、ファシリテータ-、コーディネーター、コミュニケーターが必要か、多角的なアプローチと、その交通整理が必要になりそうですね。
【小林主査】  日本の科学者は、ジャーナリストとコミュニケーターの区別がつかないですね。で、ジャーナリストということをほとんどイコール広報担当者と同じように思っているんですね。そうじゃないと、ジャーナリストというのはそういう存在じゃないということがなかなか理解できないので、だから、そのあたりのことをちゃんと整理しておかないと、ジャーナリストにとっても迷惑な科学コミュニケーターになるんですね。
【小出委員】  「科学は誰のものか?」という根源的な問いが、いま、必要だと思うのです。
古代、科学は「王の権利」だったから、王がカレンダーを作る、国道を作る、城塞を建設することができ、科学者は王に説明すればよかった。歴史と共にその権利者が貴族になり、ブルジョアに変わっていったわけですが、それではいま、誰がサイエンスのオーナーなのか?主権者、タックス・ペイヤー以外の答えがあるだろうか――この疑問に正対すれば、科学者は「この論文は俺のものだ」と、簡単に言い切ることができなくなるのではないでしょうか。
一方の市民、納税者も、知る権利だけでなく、科学の最先端から目を離してはいけないという、責任も負う。これを両者の契約関係ととらえて「Public Engagement of Science」という言葉ができ、英国などでは、それが科学コミュニケーションの原点に据えられるようになりました。
「科学は一体誰のものなのか」という視点は、日本ではまだ普及していませんが、福島事故などの様々な混乱を見ると、日本にも、この科学と社会の関係の整理が必要だと思うのですね。
【横山委員】  一つだけ補足させていただいていいですか。
【小林主査】  どうぞ。
【横山委員】  今のお話はすごく面白くて、科学コミュニケーターが集積している大学や研究所の広報部門にも同様のコメントが寄せられることがあります。現場は違うと思っていると思います。要するに、広報部門は組織の単純な代弁をしているのではなく、社会側にも立って中の人たちに社会の要請を伝え、社会とつながるように随分戦っているんですよ。
【小林主査】  科学者はそう見てません。
【横山委員】  どうでしょう。
【小林主査】  人によるかな。
【横山委員】  人によりますね。特にライティングは、プロフェッショナル力量の差が大きいと思います。最初の方からずれてしまいましたけれども、広報も悪者にしないで、重要な科学コミュニケーターとして議論していただきたいと思います。
【小林主査】  だからって宣伝係だと思っている人は多くて、新聞も、だから、正しく書かないというふうに文句言うんですよ、科学者はね。
【横山委員】  そうですよね。
【小林主査】  それはね、宣伝係だと思っているからなの。新聞は宣伝係じゃないわけで……。
【横山委員】  で、誰のものかってね、正におっしゃるとおりですね。
【小林主査】  そう。だから、誰のものかという議論なんですね。はい、その部分は訂正します。
【片田委員】  ちょっと口挟みますけども、科学コミュニケーターという、その職業があるわけではなく。我々、私は多分そんなようなことをやっているんだろうと思うんですけども、何度もこういう議論ありましたけども、こういう部分に対する能力に対する評価というのは皆目ゼロなんですね。
【小林主査】  評価システムね。
【片田委員】  はい。全くないんですよね。下手すれば、あいつは研究もせずして社会を飛び回っていると。
【小林主査】  好きなことをやるとか。
【片田委員】  批判の対象となるわけですよね。それで、真面目に研究やれよってと言われて。正直、地方大学にいたものですかね、小さな学科で防災なんかではもう現場が非常に重要なところなものですから、走り回っていると、要は、研究もやらんとマスコミ対応ばっかりやり、住民の間走り回っているみたい。だから、全く評価されない。そして、もうはっきり言うといづらくなるわけですね。いられなくなるわけです。もうやめたやめたというようなもんでやめたわけです。そう。という状況に追い込まれてしまう、この私の惨状を現実のものとして、私は現実にその体験の中で今の東大の特任なんかやっているわけですけれども、こんな状況に今、ある意味追い込まれているということは、今のままそれぞれの研究者に科学コミュニケーターとしての資質を問うとどれだけ言っても、評価軸がない限り駄目です。
【原田委員】  1点よろしいですか。
【小林主査】  はい、どうぞ。
【原田委員】  前回の繰り返しになるんですが、インプリメンテーションサイエンスという、公衆衛生の分野で最近注目されている研究領域らしいんですが、そこを少しずつ読みかじっているところです。公衆衛生というのは、どれだけすばらしい医療とか、予防のシステムができても、それがどこの国のこういう地域でちゃんと一般の人が健康診断を受診するとか、ワクチン接種するとかいうことにならないと、社会的、要するに公衆衛生としては意味がないわけです。そういう意味で、特にサードワールドの国に、ある医療とか、予防のシステムを導入するときにはどうするかということからスタートして、一つの研究分野として認められようとしている。実際"Implementation Science"という題名の学術誌がもう何年も前から創刊されています。
 これは自分にとってはすごく羨ましくもあり、お手本にすべきことじゃないかと思います。そのガイドブックとして、WHOの監修で作られた資料が出ていて、一通り読んでみましたが、この委員会で議論になっているようなキーワードが満載なんですね。現場のステークホルダーが大切であるとか、「クエスチョン・イズ・キング」であるとか、それから、研究者の側が、自分が変わるというマインドセットを持ってないと絶対駄目であるといったことが述べられています。こういう分野で、一つ問題意識として、今の狭い意味じゃない方の科学技術コミュニケーションの方ですね。コミュニケーターではなく、コミュニケーションの部分として、非常に参考になる部分をたくさん持っていると思います。それと並んで、こういうものが一つの研究ジャンルとして成立し、学術誌までできて、そこに書くことが恐らく業績として認知されるみたいな、そういう仕組みを伴っているというのはすごく大切なことじゃないかと思うんです。
 だから、日本においても、これに近いような、研究成果を現場に実装するということ自体が、一人の個人の「人間力」とかね、すごく嫌いな言葉ですけど、そういう茫漠(ぼうばく)としたものではなくて、そこに一定のノウハウがあるべきであるし、それはある程度まで、何か大きな実験をやって有意差がどれだけあったとか、そういうものとは違うタイプの、でも、ある程度客観的な知見が得られるような、ある種の方法論をもって、それで共有可能であるというような形のものが、世の中に認知されるようになってくると、少しその様子は変わってくるんじゃないかな。そういうことによって、例えばその種の取組をなさっている若い方々にとっても、その取組が業績として評価、カウントされることになるという可能性はあるんじゃないかと思います。まだ自分は読み始めたばかりですけど、ちょっとその辺を、これから気合入れて勉強してみたいと思っているところです。
 以上です。
【小林主査】  はい、ありがとうございます。これ、多分2ポツにもろに関係してくる話で、RISTEXがずうっと悩んできた問題、インプリメンテーションのところまで研究をつないでいくという問題ですね。あるいは最近だと、SATREPS、JICAとJSTでやっている、あれもそういうタイプの研究です。欧米は、ヨーロッパなんかはトランスディシプリナリティとかいって、あのフューチャー・アースとか、ああいうところでやろうとしている、大体同じようなことなんですね。あのときにやっぱり研究チームがアカデミシャンに閉じてなくて、いろんなステークホルダーがあって、今おっしゃったように、そこ、コミュニケーション問題、もろに起こっているんですね。それをどうするかというのは、世界各国の課題という認識が広まっていて、今、EUと日本でトランスディシプリナリティで共同の研究というか、何かやりましょうかという議論がちょっと動いていると聞いていますから、そういうところにもちょっと目配りをしながら、キーワードとしては、今おっしゃったインプリメンテーションとか、トランスディシプリナリティとか、こういうところに科学技術と社会をめぐるコミュニケーションの重要な課題があるということは書いてもいいかなという気がするんですね。
 それは、割とポジティブにイノベーションにつながるという方向の議論ですので、必要だというふうに産業界も思ってくれるだろうし。でも、避けて通れない問題というのは、トラブルの対処があって、あのトリチウム汚染水ね。あれが溜まって溜まってしようがないと。だから、海洋投棄しかないというのは科学的見解なんだけれども、漁業者が反対しているという話でしたよね。でも、ある意味で漁業者の人たちの直感って正しくて、本当にトリチウムしかないのかと言ったら、いや、実は違いましたという話になっちゃったわけでしょう。つまり、科学者の言っているきれいごとと、社会の中で具体の中で動いている科学技術とは結構ずれがあって、そのずれをちゃんとあんたら、普通正直に言わんよねという理解を持っている人たちが世の中にちゃんといて、その人たちはおまえたちの言うことは信用できんと反対していたら、やっぱりそのとおりだったという議論じゃないですかね。
 こういうところに一番生々しいコミュニケーションの議論があって、だから、やっぱりトラストとかね、信頼とかね、そういう問題と絡むわけですから。そこをコミュニケーションによってトラブルシューティングという単純な図式じゃなくて、それは基本的に共創の観念と同じで、信頼の醸成とともに、このトラブルをめぐるコミュニケーションも作らなくちゃいかんのだということ、そういう課題というのはまだまだいっぱいあるに決まっているんですよ。だから、そういう論点もやっぱりあっていいのかなと思います。
【内田委員】  この構成案のところで、二つ意見があります。一つは、活動範囲が科学館、博物館等が想定されているという記載はかなり狭いと思います。5期までの計画の内容を拝見すると、「国民」という言葉が出てきます。しかし「国民」という言葉では、誰のための科学コミュニケーションなのかというのがぼやかされた印象を持ちます。また、個人だけではなく企業体や地域などの集団が受け手になることもあると思います。国民という言葉の中には、具体的には子供から大人までのいろいろな受け手がいるということ、それから個人だけではなく組織体も対象になるということが明記されているとよいと思います。
 また、評価については従来的な業績評価ではなくて、長期的な視点で実施されるということが明記されていると動きやすいかと思いました。私は都道府県に配置されている普及指導員についての研究をしていたことがあります。彼らは都道府県の職員として、農業的な技術を伝えたり、農家さん同士をつなぐような、コミュニケーター的に活躍されている人たちです。しかし普及活動にどういう効果があるのか、どれぐらい農業収入が上がったのかという短期的な話で評価されてしまい、人数も減少したと聞いています。本当は長期的かつ持続的に農業地域に与えている波及効果があったのに、それが評価に入ってこなかった。受け手側の農業者にとってもダメージが大きい。こうしたことが起こらないような評価の方針、例えば長期的波及効果を見据えて評価をするということが記載できればと思います。
【坂本課長】  よろしいですか。
【小林主査】  どうぞ。
【坂本課長】  これは、産学連携でも同じことが起こっていて、URAとかは結局その産学連携収入等が上がらないと、どんどんやっぱり削られるわけですけど、TLOとかもそうです。ここはちょっといろんな議論があるんですけど、だから、そういったURAとか、つなぐ人材の活動の価値というのをできる限り多様な手法では測らないと、もう金銭的価値だけだけど、すぐにもう機能不全に陥るというのはおっしゃるとおりだと思うんです。
 じゃあ、もうちょっと一般的に個別の職種じゃなくて、科学コミュニケーションの活動についてどう評価するかというところは、これもいろいろなそのコミュニケーション活動によって違うのかもしれないですけど、少なくとも大学が関わる、あるいはその学問が関わる部分については、先ほど原田委員からお話がありましたけど、インプリメンテーションサイエンスってやっぱりサイエンスだと言っているように、科学コミュニケーション、コミュニケーションが目的ではなくて、それはその何がしか価値を生み出すことが目的ですよね、さっき主査からトランスディシプリナリーの話がありましたけれども、トランスディシプリナリーな活動によって、実は価値が発現したということが、大学の経営指標の中に、あるいは学会の学問的価値として認められて、それが論文になり、大学として第3のミッションは、社会貢献。貢献したんだから、そういうことで評価されるというのを経営に取り込まないと、今、片田先生がおっしゃったように、報われませんですね。そうしたら、本当にやりたいことをやっているという世界を超えないと、その価値創造の、要はエコシステムが生まれないんですよね。だから、経営軸を変えていく。だから、学会も大事なんです。さっき横山先生からお話があった、閉じている存在だと、学会はいつまでたってもアカデミックな世界から抜けられなくて、どんどん産業界の会員が減ります。
 産業界はやっぱり学会に対して失望してて、現実的な課題を扱ってないから、もう関心を失っているんですよ。だから、応用物理学会とか、もう機械学会とかはどんどん減っていると。
【小林主査】  高齢化と、それから、減少が起こっている。
【坂本課長】  だから、学問の在り方を変えないと、それは求められているし、実は学問自身の新しい展開であるはずなんですね、絶対それは。というところは、さっきの特別研究も同じ構造ですけど、なかなか変えるのに時間かかって、どうやったら、一気に変わるのかって、なかなかちょっと処方箋はないですよね。もう一個一個変えていくしかないんですけど、はっきり言うと。さっきのトランスファラブルスキル大事だとかですね。それによって生み出されたこういう知識が大事だとかというのを一個一個打ち込んでいかないと駄目じゃないかと思っているんですけどね。
【小林主査】  そうですね。
【小出委員】  よろしいですか。
【小林主査】  はい、どうぞ。
【小出委員】  若い人の教育は、今後、最も大切なテーマになると思うのです。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン大学(UCL)「リスクと減災研究所」の、アイラン・ケルマン博士(Dr Ilan Kelman)を取材したときに、1990年代の英国の狂牛病(BSE)騒動の後に、混乱の解決と信頼回復に不可欠の取り組みとして、教育を重点的に改善した英国の体験を聞かされました。中学、高校時代から、科学と社会の関係はどうなっているのか、リスクと利便性の両面から考える習慣を身につけてもらう、という教育を進めた結果、英国はコミュニケーションやリスクとの向き合い方に関心を持つ人が増え、BSE騒動で失墜した政府、科学界の信頼を取り戻すのにとても有効だった、という体験です。
福島原発事故後のコミュニケーションの失敗によって、社会的混乱が続く日本でも、こうした取り組みが必要だと思った私が、「教育とひとくちに言うけれども、どのくらい時間がかかるのか」をケルマン博士に尋ねました。その答えが、「一世代、まず20年……」ということだったのです。一瞬、がっかりというか、びっくりしたのですが、いま、坂本課長がおっしゃったような「価値観を少しずつ変えていく」という作業は、恐らくそのくらいの時間が必要だということなのだと思います。
ではいま、何をやるべきなのか。大局的な価値観、方向性を示すべきだと思います。原子力の領域でも、「原発再稼働」に執心する年輩の世代には、なかなか発想や思考法を変えられない人が多いのですが、一方で若い人たち、30代の技術者たちと話すと、頭脳や発想法が非常に柔軟です。毎夏、実施されている国際原子力大学(WNU)セミナーに参加して、各国の原子力技術者、行政官らと討論を重ねてきた人たちと話すと、非常にポジティブな見方を持ち、しかも、社会の中で原子力業界がどのように見られているか、どこが評価されているかを冷静に見ており、それへ向けてのコミュニケーションの重要性も、よく理解しているのです。
 小林先生が話されたように、日本で科学コミュニケーションという名前が作られ、教育が始まって15年経ちますが、いま、高校生、大学生、若手の研究者や技術者と話すと、広い意味で「科学コミュニケーション」に関心を持つ、あるいは、将来、その領域で貢献したい――という意識を持っている人が非常に多いのですね。
私が所属する「日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)」という組織でも十年来、「科学ジャーナリスト塾」というワークショップを続けていますが、参加者には、ジャーナリストにも興味はあるが、より広く、科学と社会の間をつなぐ領域で何らかの仕事ができないか、自分の専門を生かせないか、と考えている人たちが増えていて、驚きます。横山さんも、その周辺の事情をよく御存じだと思いますが、コミュニケーションを目指すその人たちに、実は活躍の場、ジョブ・マーケットが十分にない、あるいは正当な評価が得られない、という課題があります。
今回のような科学と社会の連携を目指す提言では、この間をつなぐコミュニケーションの領域でも、将来的に評価される仕組みを目指す、あるいは、どのような役割が求められるのか、大局的な方向性を示すことができれば、若い人たちにもひとつの指針として受け止めてもらうことができると思います。
現実の世界を見ておられる課長とは、表現の仕方が違うかもしれませんが、コミュニケーションの領域ではいま、何が重要なのか、それはどう評価されるべきか、それを示す思想、哲学が次期計画の中に少しでも入ってくると、そこに自身の活路、将来への期待を見出してくれる若い世代がいるのではないか。いまの大学教育、学会だけに任せているだけでは、なかなか変化を促すことができないと感じます。
【小林主査】  多分大きな社会的事件に何歳ぐらいで出会ったかというのは割と大きくて、狂牛病に出会った世代の若い世代は、それをずうっと記憶にとどめながら自分のキャリアを作っていく。多分阪神・淡路に中学生ぐらいで出会った世代が今、日本の防災のところの結構中核の世代になっているはずなんですね。だから、多分東日本大震災に出会った世代が、これから研究者の世代になっていったときには、やっぱりあれをどこかのコアにもっていくでしょうね。そういう意味では、ワンジェネレーションというのは非常によく分かる気がします。そのぐらいのことを考えないとやってやられないですよね。明日、あさってに結果は出ないですから。
【坂本課長】  いいですか。
【小林主査】  どうぞ。
【坂本課長】  小出委員にすごくいいお答えいただいてなんですが、私、スーパーサイエンスハイスクールも担当していて、やっぱり課題研究というのは非常に重要なんです。特にサイエンス、イノベーションのリーダーの芽を育てるのにすごく重要な場だというふうにどんどん評価、高まってきているんですけれども、その課題研究というのが一つ何を表しているか。当然学問的な課題、どんどん触れていくというのはあるんですけれども、一つは実社会の課題に触れるというのか、今、各地の高校がどんどんやり始めているんですよ。要は、社会に対して自分たちはインパクトをもたらせるんだ、あるいはその担い手になれるんだという自己効力感という、そういったものを駆り立てる場として非常に重要であると。
 教師の先生方もこれに、目覚め始めています。だから、そういった場を作るためにコラボレーションしようというように、学校が開き始めてきていますね。地域のNPOであるとか、あるいは大学もそうですし、あるいは企業もそうですけど。だから、そういう動きは確実に出ています、日本でも。それを科学コミュニケーションと言ってしまうと、ぶわーっと広がってしまうんですけど、でも、そういう芽がもう高校生とかでも出始めているので、そこを一つの非常に重要な、基礎人間力というか、基礎サイエンス力か何か分かりませんけど、研究力というか、そういったものとして重要だというのはあるかもしれません。
【小林主査】  いや、だから、SSHは非常に私は、珍しくと言ってはいけないけども、成功している施策として挙げようかと思うんです。
【坂本課長】  ありがとうございます。
【小林主査】  それでも、高校の先生が高校生と一緒に地元の川の汚染の問題を扱いたいというふうに思ったら、校長に止められたという話がまだありますね。まだそういう発想の校長さんがいたようです。
【坂本課長】  まあ、でも、大分変わってきました。自治体は、それを、やれやれっていうふうにがーっと推していますから、学校を。やっぱり地域の課題解決の担い手は課題で育てるというのはもう今、徹底し始めていますから、各自治体はですね。もうかなり死活問題になってきているんですね。
【小林主査】  ですよね。いや、大分話は盛り上がって、尽きないんですけどね。大体今日はこのぐらいで、議論は一回拡散モードにしたということで、次からちょっと絞っていかないといけないですよね。
 特に何か言い残したことがあれば、よろしいですか。まだもう一回ぐらいこういう議論ですよね。
【石橋補佐】  はい。
【小林主査】  じゃあ、今日は議論の方はこれで閉じたいと思いますが、あと、事務的に何か。
【石橋補佐】  今回頂きました御意見等を踏まえまして、次回、事務局として、このような取りまとめ案はいかがでしょうかというのをお示しさせていただければと思っております。それを基にまた議論いただきまして、このコミュニケーターなのか、コミュニケーションなのかというところはありますけれども、それについて取りまとめを、できれば年内、明けてもすぐぐらいにはできればと考えております。
 また、次回につきましては、皆様調整させていただいた上で御連絡を差し上げることにいたします。本日の議事録については、また確認をさせていただきまして、後日ホームページ公表とさせていただくことになりますので、よろしくお願いいたします。
 以上でございます。
【小林主査】  はい。じゃあ、どうもありがとうございました。今日はこれで散会したいと思います。

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