研究評価部会(第18回) 議事要旨

1.日時

平成17年1月6日(木曜日) 14時~16時5分

2.場所

文部科学省 10階 10F3、10F4 会議室

3.議題

  1. 第3期科学技術基本計画策定に向けた評価システムの改革について
  2. その他

4.出席者

委員

 石井部会長、小平部会長代理、生駒委員、石井委員、加藤委員、北澤委員、国武委員、榊委員、島崎委員、寶委員、塚田委員、永田委員、中村委員、西島委員、平澤委員、宮崎委員、元村委員、柳川委員、若見委員

文部科学省

科学技術・学術政策局
 有本局長、村田総括官、河村政策課長、川端計画官、二村評価推進室長、内丸科学技術・学術政策局付 増子科学技術振興調整費室長

5.議事要旨

 事務局より資料1、参考資料1、参考資料2、参考資料3に基づいて評価システム改革案について説明を行った。

委員
 一応いくつかの区切りをつけて、その区切りごとに議論をいただくほうが議論を集約しやすいのではないかと考えている。最初の区切りとしては、将来どうするべきかという話に議論が及んでも一向に差し支えないという前提で、これまでの第2期科学技術基本計画の時代におけるさまざまな問題点、フォローアップ等についての問題についてまず中心的に議論いただきたい。

委員
 取材をしていて、いろいろな研究者の人から出るのは文句ばかりである。研究費全体は増額しているが、少ない人たちに集中しているということ、また配分は評価に基づいているというが、素人がその評価をしている、基準もないという不満が典型的な不満である。
 ただ、一つ考えたいのは、研究者のほうにお金をもらって当然だという甘えがないかということである。例えばアンケートの中で、評価が高圧的になってしまい徒労感を感じるとか、萎縮させるのではないかという書き込みがあるが、片方ではそれで萎縮してあきらめるような研究は何があってもやりたいというテーマではないのではないかという意見があっても良いであろう。
 研究者も評価が公正なら厳しくても受け入れるし、公正でなければ文句をどこかに言えるというシステムがあれば、少しずつでも発展していくのではないか。

委員
 現状について研究者の世界におけるいろいろな不満があり、それには評価の問題が本当に適切かどうかとか、いろいろ問題があるかと思われる。
 もう一つは、逆に研究者に甘えがあることも考えられるのではないかという指摘であった。

委員
 この文章はここで議論してきたことをまとめたものであるか。いろいろ意見が断片的に出ているのが、どのようにして項目を取り上げてこういうことをやろうとしているのか。それが一つ。
 もう一つ、この文章の性質であるが、国が出すのか。文科省が総合科学技術会議に出すのか。

事務局
 最初のこの文章がどこから出てきたかということですが、先ほど申し上げましたように参考資料1や2はこの研究評価部会で議論をいただいたものをベースとして、事務局において集約したものです。
 従って、質問の2点目に関係しますが、この資料はこのままの形で出ません。事務局が本部会の意見等を聞いた上でまとめたものということで、特別委員会を経て総合科学技術会議に出て行くことになるものです。第3期に向けての評価のポイントはこうであるということで出していきます。

事務局
 これは事務局で考えたものであるが、今からこの研究評価部会で議論をいただき修正する。次に、別途動いている基本計画特別委員会において議論を頂く。その上で、科学技術学術審議会として第3期に向けてどうあるべきかというご提言をいただく。その後、総合科学技術会議に出ていくという非常に大事なものである。

委員
 そういうものであれば、この文章において主語が非常に少ない。一番大事なのは、国が評価に対してどれだけ関与するかである。それ以外のところはどこがやるか、自主性に任せるべきである。ほとんどの法人は独立行政法人であり、かなりの部分は自主に任せているので、国が首を突っ込むようなことではないことも書いてある。
 各項目それぞれを個別に見た場合、もっともなことが書かれているが、全体を足すとこれは何だという感じがする。従って、国は評価に対してどこまで関与するのか、評価結果に対してどういう責任と権限で処置するのかということを第1に書くべきである。
 次はカテゴライズをしてほしい。カテゴライズするというのは、評価される方の種類により評価が変わるはずである。大学の評価と、国研の評価、それぞれ設立趣旨のある違った機関に対して、別の評価基準を当てはめなければならない。この中に書いてあるのは組織と個人の研究とその中間にあるグループで、そういう評価されるほうのカテゴライズも必要である。
 また、研究の中身に関しても詳しく書いてあるが、研究の中身も評価しなければならない。例えば応用研究だったらこうしなさいとか、基礎研究だったらこうしなさいとか、非常に違ったものが一緒に書いてあるので何を言っているかわかりづらい。
 各々は良いが、例えば基礎研究はピアレビューしなさい、応用は応用を考えなさいというのは国が言うべきことなのか、どこがどういうふうに考えるべきなのかということまできちんと含めてほしい。
 それから、ここに記載してあることはもっともであるが、実際に評価の現場に行った場合、申請書は「安全・安心な社会をつくるために、私は良心にのっとり以下の研究をやります」という格好で出てくるのがほとんどである。その申請書に対してここに記載している評価を行ったら全てバツになる。
 社会的なニーズを掲げて予算をとり、中間にある組織が科学技術の研究のテーマにまでブレークダウンしそれを渡す。そこの橋渡しをやるのは、アメリカのシステムではうまく機能している。日本は中間のところがないため、ストレートに今のようにおろしてしまうと、ほとんどの研究は結果がバツになる。アメリカが非常に上手なのは、予算は社会ニーズで取り、長期的な研究に繋げるためにいわゆるNSFとかNIHがあって、一回噛み砕いて渡している。
 もしも評価をこれでやりなさいと言った場合、現状では正直に申請書を読むとほとんどの研究はバツになる。従って、もう少し現場を見て突っ込んで書かないと、実際に機能しないと思われる。全般的な意見として、もう少し現場を見て書く必要があると考える。

委員
 ありがとうございます。主語を明示すること、あるいはカテゴリーをきっちりしろということで、いわばマトリックスをきっちり書いてみるべきだということになるかと思われる。

委員
 今、委員がおっしゃられたことは後半で十分議論できることだろうと思っている。そこで議論したい。
 前半の3ページまでのところに書かれている内容は、第2期基本計画に見合ってつくった、第2期の大綱的指針がどのように展開されてきたかということのまとめだと考えていいのではないか。
 第2期の大綱的指針が始まる前、こういう議論が始まったときのことを考えてみた場合、研究開発に関してはいわゆる大綱的指針しか基準になるものがなかったわけである。しかし、その後3年間の間にさまざまな形で評価の網が研究開発に何重にもかぶさるようになってきた。
 一つは、国立研究所が研究開発独法として独立行政法人になった。独立行政法人は評価法がまた定められており、研究開発の特殊性があまり考慮されないままそういう網がかぶされている。
 もう一つは、ここではほとんど触れていないが政策評価法をもとにして、省庁の政策、施策、あるいは事業に関して、一律に評価するようになっている。その中には特に文科省では半分ほどある研究開発に関わる、非常に重要な評価がまた別の根拠で行われていることになるわけである。第2期の大綱的指針がサイエンスコミュニティーにどのように浸透してきたかということに関してまとめるとすれば、この程度のことで良いのではないかと思われる。
 さらに言えば、そういう浸透が図られた一方で、サイエンスコミュニティーは新たな評価課題に遭遇している。そのために必要ではない懇談や過重な負担等が放っておけばかぶさってしまうことになってきているのではないか。これをどのように整理していくのがいいかというのが、後半で議論されなければいけない一番大きなポイントではないかと思っている。

委員
 貴重なご指摘ありがとうございました。

委員
 先ほど評価を受ける側の意見として、素人が評価するという話があった。実際に評価をする場合、私は医療・生化学研究評価をさせていただいたが、やはり非常に幅広い分野の課題が入っている。確かにその中の一部の課題については自分のやってきた分野と関連があるので適切な評価ができると思われるが、実際に行うと、そうではない部分があまりにも多すぎる。
 やはり課題ごとにかなりきめ細かな評価チームの編成、人材の登用が必要ではないかと感じた。私自身わからない部分が相当あったので、ぜひ考える必要があるのではないか。
 その場合の評価委員の決め方であるが、どのように決めているのか、被評価者から批判を受けないような決め方がされているのか。事務局から意見をいただきたい。
 また、評価をする側からしてもかなり負担が大きい。膨大な資料が次から次へと送られ、どれが最新のものかわからなくなるぐらい送られてくる。しかもメールに添付して送られてくるのはよいが、それを一々起こすとなると相当なページ数になる。何らかの要約した形で送られてこないと、結局あきらめてしまう。評価が専門であれば良いが、教育、研究、その他大学の管理といった中で、見るのは非常に大変な作業である。
 そういった意味で、ここにも記載しているが、専任のアドバイザーといった方の配置はぜひ必要だと思われる。私たちのWGではプログラムオフィサーが大変努力をされ、適切な事前評価をし、資料を提供していただいた。そういう制度はもちろん必要であるが、その方々も自分の仕事を持っているわけで、ぜひ専任のアドバイザーを配置していただきたい。

委員
 今の問題は委員の発言に戻っていくところがある。例えば科学研究費補助金の場合では、分科細目はかなり小さい区分なっている。無論、それぞれの評価委員の方にとって、一つの細目の中でも専門に近いところと遠いところとあるのはある程度避けられないが、これを無限に細分化していくわけにもいかない。その部分はいろいろ工夫が必要である。
 評価委員、評価者の選定については、今まで学術会議の推薦を受けてやっていたが、今後は基本的に評価候補者のデータベースを基礎として、できる限り適切に、かつバランスのとれたものをやろうということで始めているところであり、いろいろな工夫がなされている。
 JSTはJSTで適切にやっており、工夫や改革が行われていると思われるが、これもやはり一つひとつのプログラムごとに課題、問題を区分けして見ていく必要があると考えられる。この辺も事務局に問題の整理、あるいは資料の整理をしてもらいたい。
 先ほどの委員の発言であるが、資金が集中するといっても本当に集中しているのは限られているということと、もう一つは省庁を超えてお金が集中しているという問題がある。これは文部科学省だけの問題ではなく、全省庁の資金の流れをきっちり把握するシステムができてこないとなかなかわからないのではないか。課題は多数あると思われる。

委員
 今の発言に関連しているが、こういう研究資金はいろいろな側面から出されていて、目的も違うと思われる。これも指摘されていることであるが、委員の言われた中には理化学研究所がその一つの対象になっているのではないかと思われる。私は国のライフサイエンス委員会などに出ているおり、大学関係者が圧倒的に多いが、理化学研究所は非難の矢面に立っている。
 ただ、与えられる資金について政策的な面が非常に強く、そういう面からミッションをかなり明確に持って出されているものと、比較的学術研究として自由にやっていくものと、それらが全部一緒になり理研にはたくさんお金がいっているという、目的に応じたことをよく理解しないで出ている意見も多いと思われる。
 評価をする場合、あるいは研究資金の配分に関して、政策的にどうかということをきちんと出し、そういう意味での明確な説明がなされていないと、世の中ではやたら理研に金が行くとか、ある特定の個人に行ってしまう等ということになる。一方、ある大きなプロジェクトを実施する場合、特定の個人、ある組織に資金を集めて効率的に実施しなければいけないこともある。この中にも記載してありるが、非常に多様であることを、もう一度世の中に対してもわかるような説明が必要ではないか。

委員
 マトリックスがまた1個増えたので、よろしくお願いする。

委員
 その話は今も関連したものが出ており、PDを導入した後も、評価のシステムはあまり変わっていない。上にこの委員会があり、その下に評価委員会をつくって評価し、POとPDがプラスアルファになっている。それはあまり意味がない。
 PO、PDの役割について、実際に非常に不満があるのは、事務サイドに立った仕事をするのか、評価委員会にくっついているのかが不明なところにある。柳川委員は「事前にデータを調べてきて助かった」と言われたが、それは非常にまずく、評価委員会を開く前に現場で調べて回るというのはいささかおかしいのではないか。要するに、今のシステムでは、だれが権限と責任を持っているかが明確ではない。PO、PDを育てるために、時間があることでさらに余分なことまで調査し、現場に負担がかかるという問題も生じる。
 まだ訓練されていないため仕方ないことであるが、評価していいことと評価してはいけないことがある。何でもかんでも聞いてきて、書類を提出させて評価するのではなく、評価をしていいこととしてはいけないことがあることをわからずにやっているケースが多々ある。
 従って、これをマニュアル化してほしい。少し書いてあるが、もっとクリアにこういうことは評価しなさい、こういうことは評価してはいけません、ここは評価してもいいという三つぐらいにカテゴリーを分けた評価のマニュアルをつくる必要がある。
 これは評価委員の見識にも関わることであるが、最近、評価が非常に多くなったため、評価者として必ずしもふさわしい見識を持っていない、評価されるほうがずっと上だという人も加わる。それで評価を行うため、よほどちゃんとしたことをやらないと現場の不満は募るばかりである。
 従って、システムとしてPO、PDが増加した分、どこかを変えなければいけないのに、変わっていないというのも問題である。もしアメリカ型に変えるなら、もう評価委員会は不要であり全部PO、PDが行うべきである。日本では人の名前が入るからまずいということであれば、上のレベルの委員会で形式的に承認する等、違う格好でやらないと、評価するほうもされるほうもやたらふえてしまい、結果があまり改善されない、むしろ変わっていないことがあるのではないかと思われる。

委員
 PD、POの役割の問題をはじめ評価システムの問題はやはり競争的資金の性格、政策目的によっても違うのだろうと思われる。従って、この部会が一体どこまで一つひとつのプログラムに即したマニュアルを書けるのかというのはなかなか困難であろうと思われる。
 基本的にPOというのは科研費の場合は評価には直接携わらない、そして適切な評価者をどうやって見つけるかということが非常に大きな仕事ではないか。
 委員の発言のように、在来からのシステムがあり、そこにPO、PDがつけ加わったという一種の過渡的状態であり、これを将来どうするかということはいろいろ議論をして考えていかなければならないであろう。
 そういう意味で、PO、PDに遠慮もあり、逆に評価者側からすればPO、PDにより仕事をしてほしいという期待も出てくるように、両方でにらみ合っているところがないわけではない。これがPO制度を採用し始めている現状ではないかと思われる、JSTの場合はいかがか。

委員
 PO、PDの位置づけをクリアにしておかないといけない。それぞれ機関によって違うと思われる。JSPSは職員が少ないため、どうしても事務を補助する業務になってしまう。それが本来のPOの役割なのか、今の委員の発言とまた全然違うものになってしまう。
 従って、PO、PDをもう少しきちんと評価において位置づける必要があると思われる。ここに記載してあること以外に、いろいろなことをやる必要がある。

委員
 今後の問題であろうと思われる。

委員
 先ほどから研究者の評価疲れがあるという話があったが、特に日本の大学を対象にして考えた場合、評価の労働が非常に少なかった古きよき時代が常に念頭にあって、研究費を得ることに対する評価の厳しさに気持ちの上で十分対応できていないこともあるのではないか。
 単純に米国と比較しても、評価に費やすエネルギーは相当あるわけである。現状では、時間的にも日本のほうが特に高いとは思えない。心理的な要素が非常に大きいのではないか。
 その結果、何に影響を及ぼすかというと、本部会ではコアの研究評価に関する部会のため、教育との関係が全く触れられていないが、大学を含む研究評価は必ず教育にはね返るわけである。したがって、これからの課題として研究評価だけを述べていいのか、教育との関係で研究評価について述べておく必要があるのではないか。その場合、評価の幅はそれなりに広い立場の、特に教育機関に関しては研究評価であっても評価の幅が広くなるわけである。
 非常にわかりやすい例を申し上げると、例えば理工系で学生が卒業研究を行う。これは教育か研究かというと、現実には両方である。そういうボーダーラインもあるため、あまり研究評価だけに限った議論をすると、特に大学に関しては非常に危ういところが出てくるのではないか、そのためここではサブの話になるのかもしれないが、教育との関係を押さえておくことは研究評価として大事ではないか。

委員
 結局、この部会のミッションが何かということにかかってくる。無論、実質的に非常に深い関係があることは確かである。研究をきちんと作法にのっとってやっている研究機関、研究組織、研究室、あるいは教室というのは、教育の面でもしっかりしているはずだという、暗黙の前提で今まで話は進んできていると思われる。
 それで良いのか、それとも教育的効果というものを研究の面から見ていく、例えば非常に多くの研究資金を用い、大学院生を動員してやるということは、お金は潤沢に使えるかもしれないが、本当に自分自身の創意工夫で研究をやることがおろそかになっているかもしれない。それと比較し、貧乏な大学院生は自分でこつこつ何かを考えざるを得ない。結局はそのほうがいい人材を育てる可能性が大きいという見方もあるかもしれない。その辺のことは今まで一切議論しないで来ている。

事務局
 今の質問と外れるかもしれないが、この場で聞いておきたいのは、行政の話かもしれないが、2名の委員のご指摘の部分で、今は中間的な組織がないため評価が完全に上から降りてくるため、いろいろな不満が生じる。一方、サイエンティストのコミュニティーがボトムアップでそれぞれのフィールドごとにこういう評価をやりましょうというガイドラインをつくり、マニュアルをつくることをやれば問題ないということになる。
 従って、仮にこれをこの部会としてメッセージを出し、総合科学技術会議にも了解を得、それぞれ1億ずつ出してしっかり議論をした場合、そういう評価システムがつくれるかどうかである。日本のサイエンティストのコミュニティーはそれだけ成熟しているのかどうかによると思われる。どう見ても、第3期でまたメッセージを出しても、やっぱり上からおりてきた話ということで、いつまでたっても徒労感ばかりになってしまうのではないか。
 もう一つの問題意識として、総合科学技術会議がまとめたものの中に、第2期の評価では、この5年間で評価結果を公表して透明性を高めることにより適切な緊張感覚が生まれた。これは、機関、大学、インディビジュアルなサイエンティストだろうと、全員意見が一致している。
 しかし、一方では作業負担が過重になっていること、あるいは高圧的であるということについて、機関側、大学の執行部側、研究者の個人レベルにおいては相違が大きい。この部分のずれをどうやって一致するかということが大きな課題だと思っている。
 これら問題は日本のサイエンティストのコミュニティーがどう考えるかということで、行政側はちゃんと予算を措置するからやって頂きたい。ぜひ議論をいただきたい。

委員
 今の議論には後で触れたいが、最初にPD、POに関してまだ議論が混乱している。その混乱の原因が、やはり今の我々の状況にも投影されていると思われる。
 内閣府でPD、POを導入するという議論をしたとき、実は二つのことをまとめて解決しようと考えた。一つはピアレビューの質を高める、もう一つは評価のいわば庶務的な作業をサポートするということであった。
 ピアレビューをどのように運用し、その内容をまとめていくかということに関しては、どの国も皆、サイエンスコミュニティーが主導している。しかしながら、それをそのまま結果に反映させるのか、それとも政策的な意向を考慮してある種の修正を加えるのかは、科学技術の中身によって変えている。
 ごく例外的に、アメリカのDODの中のDARPAとNSFの3割分程度は最終的な意思決定までサイエンスコミュニティーで行っている。しかし、アメリカのほかのどの部局、ヨーロッパ諸国はどこをとっても、POは庶務的な世話をする役割と位置づけられている。これはピアレビュアーをオーガナイズするところから始まるわけであるが、その意見を考えながら、政策目的に合っているような評価結果をつくり上げていく。
 POは、例えば日本で言うならばJSTとかJSPSといったようなファンディングエージェンシーの中で最初からフルタイム、パーマネントポストとして養成されてくる専門性の高い職種である。そうであるにもかかわらず、日本の場合は3年程度の期間で大学からぽんと派遣される。ようやく評価の中身がわかってきたころ、もとへ戻っていく。こういうふうに専門性が深まっていかないシステムになっている。ここのところを整理しなければいけないというのが、第1の課題だと思われる。
 言い直すと、要するにファンディング機関が内部の職員の教育をもっとやり、人員も整えて、POの役割が本来的に果たせるようなものにしていかないと、評価の質は上がらない。POが全部仕切るのかというと決してそうではなく、前提としてサイエンスコミュニティーからのピアレビューパネルをサイエンスコミュニティーが運用していく、そういう情報がインフォームされることになる。このような2段階になっているのが通常の姿である。
 もう一つ、局長の質問であるが、主にヨーロッパではあるが、通常サイエンスコミュニティーは今のピアレビュアーのシステムを維持するために、選挙で分野ごとにその責任者を選んでいくというシステムを持っている。ただし、これは弊害もある。
 例えばドイツの場合、DFGというのが大学に対してファンドしている。こういう中心的な機関であるわけだが、DFGのPOは生え抜きの人たちである。それに対して、DFGのピアレビュアーのパネルはサイエンスコミュニティーにおいて選挙で選ばれた人たちにより運用されている。従って、日本で運用する場合においても、その部分は区分けしないと、混乱に拍車をかけることになるだろう。

委員
 最初の局長の質問である、サイエンスコミュニティーというものがあるのかということに関して、トータルのコンセンサスとしてサイエンスコミュニティーが満足することはあり得ないと思われる。
 従って、サイエンスコミュニティーを代表する、例えば学術会議が満足するということはあり得ても、サイエンスコミュニティー全体のアンケートをとった場合、科研費ならば充足率が約25~30パーセントのため、6割以上の人が科研費には不満という答えを出すのは当然である。自分が落とされ、自分の方がクオリティーが低かったと思う研究者はだれもいないはずである。従って、不満であることは当然だと思われる。委員がみんなに聞いて回れば回るほど、大体6~7割は不満となるのが正解だと思っている。
 JSTの場合、約95パーセントが不満にならなくてはいけないが、確かにそういうことになっている。もらえなかった人が満足するわけがない。従って、アンケートのみでこの制度が良否を判断することには無理があると思われる。
 さらに、局長の質問であるが、評価システムというのはいろいろな反省をして丁寧にしていけばいくほど、確かによくはなっていくかもしれないが、一体研究費のうちの何パーセントを評価に投入するべきか、また努力をどの程度投入すべきかということに関し、非常にラフな感覚で言うと、1パーセントの時間とお金であれば皆我慢する。これが3パーセントを超えた場合、きついぞと思い出し、5パーセントでは重税にあえぐという感じになると思われる。
 科研費は、以前はかなり身軽な形で評価をやっており、研究者には評判がよかった。しかし、それだけではやはり納税者の立場からは税金を使っている研究者を甘やかしているのではないか、少しは研究者も大変だと言わなければ納税者として気が済まない面もある。
 その意味からすると、1パーセントぐらいというのは今のところかなりオプティマムで、3パーセントになったら研究費をそんなに費やしていいのかということになる。JSTの中で点検してみると、ただほうっておくとどうしてもどんどん丁寧に評価してしまう。その結果、経費が増加してくる。これを何パーセントぐらいでとめるのか、というのは各ファンディングエージェンシーのかなり重要な判断になるかと思われる。
 当面の間何パーセントかけるかということと、PO、PDシステムをどうするかということに関しては、まだ日本のきちんとしたソリューションが出ていない段階である。そのため、多様性を許しながら、どこがうまくいくかというのを見る期間がもう少し必要ではないかと感じている。しかし、ほうっておくと丁寧になり過ぎてしまい、みんなが評価疲れするという点は非常に注意しなければならないことだと思われる。
 もう一点、PO、PDのことについてであるが、アメリカのPO、PDシステムを比較的良いとして日本は受け入れた面がある。渡米し、NIH、NSF、DARPAに行き調査すると、これほど良いシステムはないという感じで話を聞き、良いシステムであると思うが、研究者の意見を聞くと、アメリカのこのシステムだけは日本はまねしないほうが良いという意見も多数ある。
 従って、アメリカのシステムを受け入れる場合、日本に合った形で受け入れる必要があるが、今現在の悩み、工夫のしどころと考えている部分は、POというのは単なるお手伝いでは絶対に満足しないということである。
 POの人たちはその分野の研究者であれば、必ずその分野の研究はこういうふうに行われていくべきだという意見を持つ。その意見をPOシステムの中で表明できるような形にしないと、それが爆発するという状況が必ず起きてしまう。私たちもそういう経験をしている。
 結局、今までの行政メカニズムの中で、ファンドを配る配分システムの中にPOが入ってきた場合、必ず従来のファンディングメカニズムとの間にある種の緊張関係が生じる。どうやって資金を配分するかということに関して生じてくるのは当然のことである。
 私の感じでは、ある程度の緊張関係が生じているときが一番うまくいくと見ている。どちらかが満足してしまうような状況では、どうしても甘くなる。例えば研究者が完全に牛耳ってしまってファンドを配る状況も実はあまり望ましくなく、逆にお役所的に、行政的にファンドを配ってしまうと、また一種の甘さが出てしまう。それをお互いが見張り合いながら、自分の思い通りいかないと思いながら配分しているときが、一番うまくいくように感じている。
 アメリカの場合では、PO、PDシステムの下に事務機構がついているため、配分までは完全に研究者だけで実施しているところがある。

委員
 典型的なケースである。

委員
 日本はどうその部分を受け入れていくのかというのは、多様性をまず許してどこが一番うまくいくか、あるいはどういうケースの場合にはどういうやり方が一番うまくいったかというのをもう少し観察したほうが良いのではないか。この時点で文科省の標準的な見方を決めてしまうのは危険ではないか。

委員
 評価はある種の情報コミュニケーション、コミュニティーとしての情報のやりとりを通じてネットワークを組んでいくわけであるが、先ほどのインパクトファクターの問題と似ているところがある。日本の研究者にとってみれば、必ずしも国際的に有名な雑誌に投稿していくことが日本のコミュニティーとして育つ道とは限らないわけであるが、やはりあるところに情報のクレジットが集中し出すと、そこにどうしてもその濃度がハブとして育つという特性がある。
 評価も十分に気をつけていないと、結局、クレジットのあるところにどんどん集まっていくという現象が起こりがちである。今の評価システムが十分に動いていないために、資源投下が、一見クレジットがあるところにどんどん集まっているという現象が一部に起こっているのではないか。
 細分化してきめ細かいピアレビューを行うと、今度は細分化された分野同士の比較も難しくなることがあり、資源配分のオプティマイゼーションということからいうと、やはりピアレビューの上に立つレベルのPO、PD、これはいろいろな位置づけがあると思われるが、2名の委員の発言のような様々な例を勉強しつつ、第3期にこのPO、PD制度をもう少し日本の現状を踏まえつつ育てるというスタンスが必要ではないか。
 局長から大分厳しく研究者コミュニティーがどうなのだという意見が出たが、実際のところまだ成熟していないと思われる。今の日本の研究者に「自分たちでこのシステムをすぐに立ててみろ」と言うと、かなり混乱するのではないか。
 「成熟しているか」という言葉が使われたように、熟するにはやはりある期間がかかる。従って、第3期でどの程度の年限を立て、どのぐらいのところまで日本の研究者コミュニティーとしてピアレビューを基準にして、しかし全体の資源配分をマネージできるようなPO、PDを含むシステムを組み上げていくかというような構想ができると良いのではないか。
 今、ピアレビューなどの段階では、国の研究所の研究者ももちろんであるが、相当に大学の教育現場の先生方が動員されている。何回もいろいろなところで言うようであるが、OECDの報告に見られるように、OECD諸国の中で高等教育へのGDP比率における日本の公的財政支出は0.6という割合である。やはりこういう基本的なところで、人を雇用し、新人材に沿った手当てもあるであろうが、その辺のインフラを十分に整えてかからないと、国力が疲弊してしまうと思われる。
 今は「評価疲れ」というぐらいの言葉で済んでいるが、評価のために短期間に評価システムを何とかしようとするやみくもの努力の中で、実際の研究がおろそかになってはいけない。やはり十分な期間を設定し、十分な資源を投資して育てていくというふうにぜひ考えてほしい。

委員
 局長の提案に関して賛成である。評価はピアレビューの部分とアカウンタビリティーの二層構造でやるべきだという意見を持っている。随分長い間考えた結果である。
 ピアレビューの部分は学術の世界に特有なもので、世の中にはなかなか理解されないが、要するに非常に専門的な分野だからサイエンティフィックあるいはテクノロジーメリットのことは専門家しか評価できない、評価によりどれだけ貢献があったかを調べるシステムである。これは学会に予算をつけ、できなかったら日本のコミュニティーはおしまいであるが、これはできると思われる。
 その先の資源配分は別で、アカウンタビリティーに基づいて資源配分をする。アカウンタビリティーは広い意味で言っているが、説明責任だけではなく、これだけお金をつけたからそれだけの見返りがちゃんとあるかどうかという納税者に対する説明責任である。それはサイエンスコミュニティーだけでやるべきではなく、いろいろな階層でやるべきである。この2層構造を極めてはっきり分けるべきである。
 これ以上のことを評価でやってはいけないと思っている。ピアレビューの部分に行政、国が入ってくることはいけないと考えている。従って、サイエンスコミュニティーの各分野に学術会議が承認するのは無理であるため、メジャーな学会にそれぞれの分野に特徴的なピアレビューシステムをつくるということで予算をつける。その結果をもとにアカカウンタビリティーは研究評価部会のような場で評価するのがよいではないか。
 PO、PDに関してはアメリカのシステムを導入することは無理で、するべきではない。PO、PDも既にあるものであり、今は逆に悪さを起こしていると思っている。委員の発言のように「よく見て」という暇はなく、早めにリファインしなければ、彼らは非常にむだな活動にエネルギーと時間を使っており気の毒である。あなたの役割はこうである、それが評価なり審査にこう役立っているというのは早く決めれば良い話で、別に成り行きでやっていることではないと思われる。

委員
 実は、どうリファインするかということが難しい。

委員
 難しくないのではないか。

委員
 とにかくまだ1年しかたっていないものである。

委員
 今回の評価においてPOの方に大変にお世話になり、評価委員としては評価をする上で協力いただいたということで感謝の気持ちがある。
 先ほどの議論を聞いていると、POの方は若くて優秀な研究者の方がPOをされており、その方が本当に好きでやっているかは不明であるが、自分が研究の実施に主体を置いて時間をとりたいにもかかわらずPOの作業をしている方が、果たして専任になるであろうか。その人のインセンティブは何か。将来、立派な研究者になるかもしれない方が、そういうことを本当にやるのか。
 その辺のPOのインセンティブはどういうふうに考えるかということも議論する必要がある。相手のことを無視してPOはこうあるべきだといっても、果たして優秀なPOが生まれるだろうかというところは疑問に思われる。どなたかいい答えがあればお聞かせいただきたい。

委員
 そこの解答はなかなかないところである。学者稼業をやめてPOのほうに専念するというコースは、まだ日本の場合に社会的に認知されていない。なかなかそういう方を見つけるのは難しいのが事実であろう。
 これも自分の務めの一つだということで、2年か3年やってみる。半ば好奇心もあるであろうが、さまざまな意味で自分にとってのプラスもあるだろうという気持ちもあり、担ってみるという形も考えられるであろう。まだ日本では一つの職種として確立しているわけではないし、どういうものがいいのかは、これからということである。

委員
 企業においては、PO等の研究・企画開発というのは非常に大事な戦略部門である。そこで育っていく人たちが最終的に会社の中の将来の経営にもかかわってくるようなシステムがある。
 広く見れば、先ほどからの議論のように、現在の社会においてもそういう人材養成制度を作る必要がある。常に腰かけであればどうしても力が入らないと思われる。企業に見習うところはあるのではないか。

委員
 大学の場合難しいのは、大学の経営をやる人も育てなければならない。POはJSTであれJSPSであれ、さまざまなファンディングエージェンシーの仕事をやる人である。ただでさえ学者の道を歩き出した人がほかに転身していくのはまだまだ珍しいというか、あまり考えられていない社会において、片一方では法人化した大学の経営、マネジメントをきっちりやる人が要るのだということで、それを育てなければならない。
 そういうニーズと同時に、POやPDが求められている。両方から求められているところがあり、実は会社よりも状況が難しいところがあるのではないか。

委員
 基本的には委員の発言のように、ちゃんとリファインしていけばそれに見合った人が応募してくるという形で、機能の二極分化が起こってくるのだろうと思われる。今はそれを混在したままPOを募集しており、どちらをやったらいいのかわからないという状況であろう。
 各国の長いトレンドを見た場合、70年代というのは本当に欧米諸国もシャギーな状況であったわけです。それを時間をかけだんだん人材を集めてきた。特にサイエンスコミュニティー出身で、資源配分にかかわるような層を厚くする努力を各国がさまざまな仕掛けで行ってきた。
 最初は行政に直接かかわれるような人は人材養成できないが、研究者から転換していこうという希望を持っている人たちは現実にいるわけであり、そういうバックグラウンドを生かしながら、新たな人材として養成していくことになる。時間が経つと、大学の中で行政側を専門的に支えるコースができ、その専門家がPOとして直接就職していく形になり、より専門性が深まるようになっていく。残念ながら、我が国はまだそこまでいっていない。
 ですから、第1段階としては従来言われたPD、POの機能をもう少し分離して、それに見合った人材を募集して、その能力を高めていくことをやっていくべきであろう。
 例えばDARPAが資源配分までサイエンスコミュニティーでやっていく、つまりPDに相当する人はサイエンスコミュニティーから選ばれるということは、それなりの必然性があるわけである。多数のプログラムの目的をちゃんと吟味し、このプログラムはサイエンスコミュニティーに全部任せていいようなものだ、ピアな部分だけは任せるがそれ以外の部分は行政の側が関与しながら育てていくといった区分けをしていく必要がある。今回、これを大きな問題として取り上げるべきであろう。
 もう一つ、大学の評価をどうしていくかという、より難しい課題がある。大学側から見ると、6~7種類の行政が関与する、あるいは大学自身が生き残るために必要な評価が現実に存在している。そのときにここの主題である研究開発だけでなく、教育面の評価も同時に考慮しなければいけないというより難しい問題がある。
 世界の国の中で大学の評価がうまくいっているところはまずはないのではないか。日本の国立大学法人という枠組みは比較的特殊な枠組みであり、それに見合う大学の評価のあり方については、かなり時間をかけ、それこそ委員の発言のように試行錯誤を重ねながら、日本の大学システムに合っているようなものに徐々に変えていくことを考えるべきではないか。
 大綱的指針において、最初に大学の外部評価という名前で呼んだが、自己評価、自己点検と言ったりもするが、そういうものから今回のフェーズの中の評価が始まったわけである。これは着手としては悪くなかった。大学を外から評価していこう、例えば某省はそういうことをやったわけですあるが、1年でうまく続かなくなってしまった。
 そうではなく、大学が自分たちの将来を考えながら専門性を生かし、しかしながらアカウンタビリティーもかなえるような、またグローバルな競争にも耐えられるようなことを考えていく。とにかく、ボールは投げられているわけである。それに対して、あまり外から独断型の評価の枠組みをはめることは日本のためによくないのではないか。

委員
 先ほど「企業の評価がうまくいっているのではないか」との発言があったが、企業は説明できるほどきちんとやっているわけではない。
 ただ、目的がはっきりしているので、割と単純にやっている。先ほど委員の発言のように、あまりやり過ぎると企業活動に支障を来すので、えいやっとやっている。1パーセントだとラフ過ぎるので、2パーセントぐらいの力でやっているかなという感じである。
 そのとき、評価そのものと評価結果の活用の2点がある。評価そのものは研究であるため専門家を集めて喧々囂々と行うが、基本スタンスはより良くするためとか、行き詰まっている研究に対していろいろなアドバイスを出す等が中心になる。これはどこも一緒だろうと思われる。
 難しいのは、評価結果をどう活用するかといったときに、例えば人事が、給与に反映させようとすると、テーマの評価結果は順序付けかABCのランク付けなのに対して、給与はある意味では真ん中を中心にし、成果の出た人には多めに、ちょっと成果が見えない人には少なめという正規分布になっているので、評価結果を給与に反映させること自体が難しいことになる。
 また、来期予算が削られたりすると、どのテーマをやめるかとか予算削減等に評価結果を反映させることも考えられる。各テーマへの評価結果は順位づけがあっても良いが、似たような結果で同じような順位までにも差をつけるのかといったことなども生じる。
 このように、評価結果を何とか生かしたいが、それがそのまま使えるわけではない。やはり研究所長が自分の裁量でテーマを切るか、全体的に予算を減らす等、いろいろなシチュエーションにより研究所長の意思が入って次に行くということであり、あくまで評価は参考にするということで、そのままダイレクトに生きるものではない。
 この部会では、評価のやり方の吟味、また評価するべきものとそうでないものもあるのではといった議論をしてきたが、、評価結果の活用に関しては、第2期計画では評価結果を課題の継続とか縮小、中止等の資源配分や、研究者の処遇に適切に反映するとうたってはいるが、これら対象が正規分布になっている資源とか処遇に、ランク付けとか順序付けの評価結果を当てはめるのはちょっと無理があるのではないかと思う。
 また、採択時に研究者が評価されるので萎縮するとか反発するとかいったことがあるとお聞きしたが、これは不思議でならない。例えば評価結果で次の採択に大いに影響したということであれば、萎縮する等様々なことがあるであろうが、まだそこまで採択時に評価結果との関連がまだなされていない現状で、評価と聞いただけで日本の研究者が萎縮したり反発したりすること自体はどうなのかと思われる。

委員
 産業界の話は全く同じである。産業界は評価システムにマニュアルをしっかり書いているところもあるが、大ざっぱに言えば、目標がはっきりしていると思われる。
 企業の場合は、どちらかというと時間も限られている。つまり2年間で薬の種を発見できるのかということで、できなければだめである。医薬品業界は各産業の中では最も研究開発費を投入しており、全体の14~15パーセントぐらい投入している。
 これはどういうことかというと、ヒット率が悪いからである。1万の化合物から1個という状況は全く変わっていないし、私が入社したときは10年間で100億の研究費投入が、今では15年間で300億必要である。
 評価システムに重要なのは基礎研究と応用開発だと思われる。企業の場合、基礎研究といっても応用というものが紙一重の世界の基礎研究である。それから開発、応用である。つまり役立つかとか、企業としてどうだというふうに続く。逆に言うと大学の先生には基礎研究のほうで、企業に役立つかどうかわからない、企業ではやれないところ、しかし将来は必ず重要であるという学術的なところはぜひ進めていただきたい。
 その部分を本当に評価するのがいいのかというのがなかなか難しく、先ほどの評価に疲れるというのは、本来は評価できないような知的財産を生むとか特許になるという場合に、そういう項目で本当は論文しか出したくないが、特許がないとどうも評価がよくないということで、無理にとりあえず国内特許を出す。しかし、その特許を出したことで、後の外国出願が出せなくなるように大きな特許の首を締めている。
 聞いてみると特許そのものについてわかっている人間はいないし、弁理士もバイオをわかっている人はいないという無駄なところに動いているということがある。要するに対象の研究が基礎研究なのか応用研究なのかによって、評価システムそのものが変わってくるということである。
 企業の場合は、基礎研究、応用研究といってもすべては応用の部分を背負っているが、大学の基礎研究は応用を背負っていない。役立つかどうかわからないが、学術的に重要であるという部分は、企業ではなかなかできないから大学でやったのだという強い部分があっても良いのではないか。

委員
 先ほど委員の発言にあった評価の網の問題は、研究機関において非常に大きな課題だと思われる。
 科研費の評価、政策評価、独立行政法人の評価と、全部の委員を一応やっているが、実はこの部会で出ている問題はどこでも挙がっている問題である。研究評価は毎年提出する必要があるが、数年で良いものも毎年行われている、評価基準・期間が非常にばらばらである。評価がいろいろな切り口からばらばらに行われてしまっている状態に、今、研究機関は直面している。評価疲れはその辺の問題もかなりあるのではないか。
 かといって、この問題を解決するために各独法の評価、政策の評価、ここの評価基準や仕組みを全部あわせるかというと、それは無理な作業である。先ほど局長からサイエンスコミュニティーで研究評価ができるかという質問が出たが、まさに基準の統一化は難しいが、インパクトのある研究評価のあり方、すばらしい研究評価はどうあるべきかを出せば、相対的にほかの評価がそれに引っ張られ、独法の評価や研究評価の部分が変わっていくというふうに、政策評価の部分が変わっていくことを期待するしかないのではないか。
 ぜひ研究評価がどうあるべきという非常に戦略的な、こういう形でサイエンスコミュニティーに研究評価のあり方を検討してもらうのだという、インパクトのあるメッセージを出しながら構築していかないと、研究機関が抱えている評価の網の問題はなかなか解決できないのではないか。

委員
 既に何人かの委員から発言があったが、評価というのは被評価者が納得できる質のいいものでなければ意味がない。そのためには、やはり専門的なサイエンティフィックメリットの観点から、まさにその分野のことが非常によくわかる方のピアレビューが絶対に必要である。
 一方では、行政的な観点から研究資源をどうやって配分するかという大所高所というか、別の視点、立場からの評価が当然あるべきであり、そこをはっきり仕分けすることが基本的に重要なことではないか。
 2~3年経験させていただいた中で言えば、現在のシステムではその辺が十分さばき切れていない。特にピアレビューの部分で、システムが欠如しているのではないか。この問題をクリアにすることにより、POの役割も非常に鮮明に位置づけられ、先ほど話題となったそういう面での人材の育成に関しても方針が立つのではないか。これは次のこれからどうするかという話に関係するかと思われるが、そういう視点が重要ではないか。

委員
 少し話は変わるが、この項目の部分に「評価の重複の予防」というのがある。独法の場合、文科省以外にも総務省とか、様々な評価がある、ぜひこの辺の重複の予防のところをよく調べて、なるべく具体的に書き込むようにしていただきたい。
 それから、年末に中山大臣に我々の施設を見ていただく機会があった。そのときに大臣は、「話の中で、こういう研究は将来役に立ちますという説明はあるけれども、今どうやって役に立っているかという説明がなかなかない」と。確かに、どうしても予算とかそういうものを取り上げてしまうが、どのように役に立っているのかということがある程度説明できないと、先ほどのアカウンタビリティーという意味でもなかなかうまく説明できない。
 ここに書かれている社会・公共的価値についての評価指標をこれからつくるという話であるので、どのように社会に役に立つかということを説明できるようなガイドライン等をつくっていただきたい。
 この基本計画とちょっと離れるかもしれないが、振興調整費の関係において審査、採択、評価の一貫性を保つような意見は前回の部会で出たはずであり、またこの分科会のもう一つの部会のコメントを見ましても、やはり同じような意見が出ている。
 従って、振興調整費の5年間を3年の第1期と2年の第2期にして、事前評価中心に一体でやるようにしたほうが良いのではないかとも思われる。検討をいただきたい。

委員
 3点あり、一つは研究資金が集中している点である。比較的流行している分野、例えばナノテク、バイオ、情報通信の分野に集中していることも挙げられる。また、やはり審査をするのに、研究者の過去の実績をもとに評価しているところが大きいと思われる。これから本当に何ができるかということよりも、過去の実績を見てしまっている。そのため、ある程度の地位で、ある程度の年月を研究してきた人に集中してしまうのだと思われる。
 二つ目は、サイエンスコミュニティーの話題が出たが、サイエンスコミュニティーが既にある、機械、電気などといった分野は良いが、いろいろな分野を横断する新しい領域では、サイエンスコミュニティーがまだ形成されていない分野がある。たとえば、科学技術政策の分野では、科研費の申請書に分野を書くときにすごく苦労する。経営でもないし、経済でもない。科学技術政策という分野もない。
 大学の同僚に、東洋医学と西洋医学の境界領域を研究されている第一人者がいる。海外では本当に注目されているが、日本の医師会からは全然尊敬されていない。そういったコミュニティーもないため苦労している。そのため、新しい領域に対してどういうふうにピアレビューをするのかというのも問題だと思われる。
 3点目は、資料6ページに出ている外部評価の例外事項である。これは、この審議会で既に議論されたことをもとにまとめられたのか、それとも事務局の意見として書かれているのか。
 気になっている点が幾つかある。例えば「国家安全保障とかセキュリティー上の理由のため機密保持が必要な場合については、外部評価、第三者評価を行うべきではない」とある。そうした場合、宇宙関連分野とかデュアルユース・テクノロジーの分野などはすべてこの領域に入ってしまう。
 また、「産官学の連携を進めるために学問・研究の自由を確保しつつ、企業の営業秘密の適切な管理が重要な要素となっている」という部分も、学問・研究の自由を確保することと企業の営業秘密の管理をすることは相反することで、両方を同時に進行することは非常に難しいと思われる。従って、本当に学問・研究の自由を確保するということは大事であると思われる。この部分はこの審議会で議論されたことをもとに書かれているのか。

事務局
 経緯的なことなので、前室長から回答する。
 この外部評価の例外事項に関するものは、お手元の評価指針の冊子、後半の大綱的指針の中において、ページ「参-26」は外部評価について記述のある部分であるが、ページの上のほうにおいて「なお、国家安全保障上の理由等のため機密保持が必要な場合には、この限りではない」という記述されており、例外事項としてのまとめ出しがおこなわれている。しかし、これについてはあまり明確な規定がないまま、今は外部評価が絶対的に大事だということで、むしろ外部評価をやっていないところに対して問題だというような評価に関する雰囲気がある。
 本件については、むしろ事務局のイニシアチブで書いた部分である。というのも、今後、科学技術全体の流れの中でこのようなセキュリティーに関するもの、もしくは、今、産学官連携を本格的にやろうという方向に動いており、そういう中でますますこの情報が重要になるのだろうということで、今回論点として提示したという経緯である。

委員
 特に議論は進んでいるわけではないということである。

委員
 今のスペシフィックな問題で質問である。
 今の発言は、逆に研究機関をカテゴライズしないで大学でやろうとすると、大学でもNDAを交わした研究を容認する、あるいは国家安全保障に関する研究も大学でやって良いということを言っているのか。昔は、公式にはNDAを交わすことはいけなかった。法人になったからそれはいいということか。これは非常に大きな変化である。
 大昔、東京大学は機密研究はやらないという申し合わせ事項があった。従って、国家安全保障上の云々に関して、東京大学は大学としてやらないという線がどこまで明確か不明であるが、要するに国から資金をもらって実施してはいけないという規定が暗々裏にあったのであるが、これが取っ払われたという解釈だと考えられる。

事務局
 この大綱的指針の議論そのものについては不明である。今の状況から申すと、幾つかの大学において、こういう分野に関して今後どういうふうに大学として役割を発揮していくかという点について議論が始まっている。
 実際にそのような関係機関に話を聞きにいくと、そういう傾向もあるため、必ずしもこれについて記述されているからどうこうという状況ではないと考えている。ただし、この情報そのものがあくまで評価の大綱的指針であるため、そこら辺の議論の裏返しのものとして容認された、されていないという議論が当時あったかどうかは、現時点で不明である。

委員
 これは次元の違う話だと思われる。我が大学はやらないとお決めになれば、こういうことは起きない。やってもいいという大学がもしあったとしても、直ちにだれかが差しとめる権利があるわけでもないので、そのときにはどうなるかという話である。
 今は書かれている内容が適切かどうかは別にして、一応そういう区分けになるだろうと思われる。

委員
 軍事研究に対してはそうであるが、産学連携のNDAを公式に交わすことはできないと了解して、プライベートに実施していた。公式文書としては残さないということで行っていたわけで、これも法人化した大学の問題にも移してしまっていると。そういう了解で良いか。

事務局
 微妙なところであるので、経緯も含めて点検する。

委員
 お願いする。

委員
 資料1の後半部分の4ページ以降の部分に関して。まず、4ページの総論であるが、重点項目と大綱的指針の評価対象の範囲の二つに大別している。二つ目の「法人化の趣旨を踏まえた適切な研究開発の評価を進めることが重要」と下線が引いて書かれているが、各論においてはこれについてあまり触れられていないと思われるので、その辺をご考慮いただきたい。
 各論の1について2点ある。最初に4ページの下から3行目であるが、「今後、研究者人口の減少が懸念される」と書いてある。文科省の施策として、そういう方向を向いているのかどうかである。確かに総人口は減るが、研究者人口が減るというのは、理科系離れがあるからこう書いてあるのかもしれないが、この項目は研究者の励ましのところであるので、書くとすれば「今後、研究者人口の確保、拡充が必要だ」等、前向きの表現にしないと、励ましの項目には不適切ではないか。
 科学技術立国を目指すはずであり、大学院もどんどん充実化してきたわけであるが、実際にドクターを出しても就職先がない。ポスドクのポストはふえたが、パーマネントなポストは全然ふえていないという現状があるので、ここのところはもっと研究の世界にいい人材を確保しようとしているという、前向きな、どんどん拡充していく等、国として研究を進めていくのだという姿勢を明確に打ち出していただきたい。
 次の5ページの一番下の単年度評価のあり方であるが、下から2行目に「例えば、長期的な研究等については云々」とある。長期的な研究であっても、年々のプログレスはあるはずである。従って、3年、5年、あるいは10年後の結果を見てくれという研究者の態度はやはり逃げではないかと思われる。
 「定期的なモニタリング」と記載しているが、毎年年度末にこの1年でどのぐらい進んだという実績報告を出させることは、十分定期的なモニタリングになると思われる。毎年の評価が十分なされていないところが問題なのかもしれないが、今年あるいはここ2年進んでいないとすれば、もっと頑張りなさいという励ましをする意味で、長期的な研究であっても毎年ちゃんとモニタリングしプログレスを報告していただくことが必要である。長期的な研究だから全く何でもいいのだということはおかしいと思われる。

委員
 ありがとうございました。大変恐縮であるがもう時間のため、議論はまだまだ尽きないと思われるが打ち切らせていただく。
 総じて私が考えている評価のシステムは、評価、システムと大文字で書いた一つのものがあるはずはないだろうと思っている。大学というシステムのサブシステムとしての大学評価のシステム、テクノロジーのR&Dのためのシステムの評価システムというふうに、本来は一つひとつ考えていかなければならないものがたくさんあるのだろうと思われる。
 本日のペーパーではいわば横断的な形で出ているので、さまざまな形で無理が来ているところがあるのかもしれないという感じもうけた。その辺は事務局において、今日のご議論を踏まえて十分整理をしていただきたい。

事務局
 ありがとうございました。本日いただいた多くの意見、そもそも論から個別のものまでたくさんいただきましたが、これは事務局で十分検討させていただきたいと考えている。その上で科学技術・学術審議会基本計画特別委員会に諮っていきたい。

委員
 基本計画特別委員会に何らかの意見を出すのがここの一つのミッションになっており、それは行わなければならないが、先ほど申したようになかなか一筋縄ではいかない問題である。この後、私の責任において、事務局と問題点を整理し直して、次のステップへ進めるようにさせていただきたい。
 資料2として、前回の部会の議事録(案)が配られている。もしご意見がある場合、13日(木曜日)までに事務局にお知らせいただきたい。その後、公開の手続に移らせていただく。
 最後であるが、私も含めて、委員の方々の任期は来る1月31日をもちまして満了となる。現委員による審議は、本日のこの会議で最後になる。各委員におかれては大変ご多忙なところ、非常に厄介な問題について熱心で有益なご議論をいただきましてまことにありがとうございます。部会長としても厚く御礼を申し上げるが、有本局長から一言あいさつがある。

事務局
 今、部会長から話があったように、科学技術・学術審議会は2年ごとに区切りを持つ。
 この科学技術・学術審議会ができましたのがちょうど省庁再編の2001年1月からだと思うので2期目であったわけであるが、次の第3期に向けて新しい体制で臨むという区切りの時になった。本当に地味な、しかし大事な仕事を熱心にご議論いただいた。
 個人的にも今日のご議論を聞いており、明らかにこの研究評価という問題が日本の科学と技術の歴史とかカルチャー、サイエンティストのコミュニティー、あるいは制度、体制を逆照射しながらくっきり浮かび上がらせているなという感じがいたした次第である。今後も多くの先生方には継続してご議論をいただくことになろうかと思う。
 前にも申しましたが、今年は第3期の科学技術基本計画を年末までには実質的に仕上げるという大事な年であるので、今後もこの場、あるいはいろいろな機会に先生方にはご議論にご参画をいただき、とにかく日本の国力あるいは研究者一人ひとりのレベルを上げていく、そして国際的にも貢献するというところを目指し私ども事務方も頑張っていくので、今後ともご協力をいただきたい。本当にありがとうございました。

委員
 これにて閉会とさせていただく。ありがとうございました。

―了―

お問合せ先

科学技術・学術政策局計画官付

(科学技術・学術政策局計画官付)