研究評価部会(第2回) 議事要旨

1.日時

平成13年9月13日(木曜日) 10時30分~12時10分

2.場所

文部科学省 別館 第5・6会議室

3.議題

  1. 研究開発評価の在り方について
  2. 科学技術振興調整費による基礎調査報告について(「重要分野における研究開発の産業・社会への波及効果に関する調査」)
  3. その他

4.出席者

委員

 野依部会長、田村部会長代理、大内委員、大谷委員、大橋委員、小幡委員、加藤委員、渋谷委員、田中委員、平澤委員、行武委員

文部科学省

 科学技術・学術政策局 山元局長、井上次長、川上計画官、佐伯評価推進室長研究振興局 松川学術企画室長

5.議事要旨

(1)事務局より資料2‐1、2‐2、2‐3に基づき説明を行った。併せて、学術分科会基本問題特別委員会における、大学等を中心とした学術研究の評価という観点からの研究評価の問題についての議論についての紹介を行った。

<質疑>

【委員】
 評価はどうあるべきかという観点からみれば、こうなることはよくわかるが、大綱的指針全体のトーンが、実際に評価を実施していく立場からすると、非常に使いにくい構成になっていると思う。
 幾つかの点を挙げると、一つは評価を実際に行にあたり非常に問題なのは、評価システムの設計がうまく行われていないということにある。評価者として呼ばれ、評価しろと言われるわけだが、評価システムがうまくできていないために、適切な評価が非常にしにくいことがある。評価システムの設計がうまくできていないということは、評価対象である研究開発システムのモデル化がうまくできていないために、それに伴う評価の体制もよくないことになるのではないかと思う。一言で言えば、失礼かもしれないが、素人が作った案ではないかという気がする。
 もう一つ非常に気になるのは、これは非常に全般的なことだが、評価対象を4点挙げてあるのにプログラム概念が全く出ていないことである。細かく探せば、どこかにあるのかもしれないが、プログラムという概念が無いこと自身が、評価のコストを考えると、今後非常に大きな問題になると思う。
 通常、欧米では、政策目標を明確に定めて、それをプログラムという形式で実体化し、そのプログラムに基づいて公募をするなどして、次々とプロジェクトを打ち出していくという形になっている。この様なケースだと、プログラムの発足時に、その政策目標等をいろいろ議論しなければならなく、その時点できちんと議論を行うことで、個別のプロジェクトに関しては目的自身を問うことをあまりしなくて済むことになり、評価のコストは非常に楽になっていく。
 また、事後評価あるいは追跡評価の際にも、プログラム単位で評価をして、政策自身を見直していくことが可能になる。現実に、欧米では、このように評価が行われていると言えると思う。
 これは経済産業省でも議論したのだが、従来から日本の場合は、その時々で政策を作り、それを大蔵と折衝して、事業という単位で予算を獲得してきている。そうすると、その時々で思いついたプロジェクトを事業として予算請求していく形になり、それぞれ打ち出されているプロジェクトが、大きな括りなしに展開されてくることになっている。
 これを追跡評価することになると、個別に一つ一つの目的自身が妥当だったかということまで検討しなければならなくなり、大変な評価コストがかかる。したがって、過去にやられたことは仕方がないが、今後はできるだけ政策目的を明確にして、その明確な目的に照らして評価できるような、プログラムという概念を導入しないといけないだろうと思う。大綱的指針というのは、まさにその種のことが語られてしかるべきではないかと思う。
 それからもう1点、評価を実施していく立場から考えてみると、プログラムに基づくプロジェクトの評価は比較的簡単にできるし、中間評価とか事後評価は目的に照らして、そのパフォーマンスを評価すればいい。達成度という言葉がここで使われているが、これも比較的容易にできる。波及効果のようなものを調べようとすると、目的外の部分まで含めて、あるいは間接的な部分をとらえなければいけないので、かなり大変な作業になる。
 このような評価の作業に関して、目的自身を評価しなければいけない場合と、単に照合すればいいという場合とでは、かなり評価のコストが違ってくる。それから、波及効果のような、より広い範囲で、またいろいろデータを集めなければ評価できないことをやろうとすると、非常にコストがかかる。 その際には、どういうセクターから選んだパネリストならいいかという話だけではなく、それは一種のセクターからのギャランターとして必要なわけだが、さまざまな視点から分析をするということがはるかに重要な作業になる。単に人を呼んできて、そこで話してもらえば済むという話ではなく、その人が責任を持って語るために、そのセクターから見た分析をしておかなければいけない。いわば、専門家つきのギャランター‐これはフランスの制度であるが‐になっていかないと、今のような難しい評価の部分は到底こなせないだろうと思う。
 そういうことを考えてみると、この種の大綱的指針はどこまで書くのがいいかという問題はあるが、もう少し基本的な構造を検討されたほうがいいのではないかと思う。

【事務局】
 今のご指摘について、全体像を少し補足申し上げる。今までの日本の研究開発というのは、目標とか目的をあまり明確に持っていなかった。しかも目標、目的を持って、それに対してどういう研究開発をプログラム的に組み合わせていくのか、その中におけるプロジェクトはどのように組んでいくのかという、その辺の上からの編み込みということがあまりなされてこなかった。全く別の言葉を使うと、日本の科学技術の政策に戦略がなかったというところにつながる。
 先生方に評価をお願いするのは、もう既に決まっているものに対して後から評価をお願いするので、そういうフラストレーションがたまってしまうわけです。総合科学技術会議ができて、政策側としては、全体像としてまず国家の目的を明らかにし、それに対して戦略を作り、それを具体化に移す推進戦略を作り、計画を作り、その下でプロジェクトをやっていく方向に、新しい体制において確立され始めているところである。今後はそういう目標、目的を明確にして、全体像の中におけるそれぞれのプロジェクトなり施策なり、役割を明確にしていく方向にあるということを、ぜひ全体像としてご理解いただきたい。
 その上における評価を、実際に具体的にやっていくための共通ルールとして定めようというのが、大綱的指針の役割です。戦略、計画がすでにあるという前提の下で、この大綱的指針は、いかにどう評価をしていくかという共通的なルールを定めた全体像の中での位置づけであることをご理解賜りたいと思う。
 それからご議論を是非いただきたいところとして、実際に評価をする際に、事前に分析ができていて、それに対して評価者が評価をしていくことが必要である。評価をするに当たって、一体、何を成果として、もしくは状況として明らかにしていく必要があるのかという共通的な認識が、まだ日本では確立をしていないところがある。
 例えば、ある研究組織の評価をする際に、研究成果でこんな論文が出てきました、と論文をリストにして提出し、評価してくださいということが日本においてあると思う。評価者に与える事前の分析として何を行っていくのかということも、なるべく共通化をしていく必要があると思う。その辺りについてもご議論していただきたいと思う。

【委員】
 大綱的指針が大分煮詰まってきたということだが、今から細かい点が間に合うのかどうかわからないが、幾つか気になった点がある。
 一つは、評価人材の育成についてである。資料の5ページだが、前段に書かれている評価に関わるシステムをきちんとさせていくことは非常に重要なことだと思う。後ろの方でクリアでないと思うのは、「評価の人材を育成する」というのが、評価の事務局的な人材なのか、評価者そのものを考えているのかがよくわからないということである。
 基本的には、研究の評価というのは、いろいろな定量的指標は自分自身で使ってみて非常に役立つと思う反面、やはり限界があるということもよく思う。そういう意味で、研究の評価はそれを使う側も含めて非常に難しいし、責任を伴う部分もある。その様な人材をセミナーなどをやって簡単に養成できるとは、とても思えない。
 もう一つは、外部評価、第三者評価を中心にすると書かれているが、ここで言っている評価人材というのは何を意味しているのかを、もう少しクリアにしておくべきだと思う。
 その他、細かい点で、若干表現的にわかりにくいのは、例えば7ページの評価にあたって、若手の研究者や、応募経験の少ない人についてどういう視点で見るべきかと書かれている。研究内容や計画に基づいて的確に評価するというのは、これだけでは当たり前であり、多分ここでは、実績や何かではなくて、若手だったら研究の独創性とか、それが保障されているような計画になっているかとか、そういうことを重視しろということを言いたいのだと思う。でも、これではちょっと読み取りにくいと思う。
 最後の9ページにあるが、研究者の評価の所で、今回は質を重視するとのことである。全くその通りで、質を重視しなければいけないが、その上の部分で、研究者個人の評価に、研究者にはいろいろな方面があって、適性があって、多面的に評価しなければいけないと書いて、企画・管理等の後に量ではなく質を評価すると言われても、例えば企画や管理業務にいる人の質をどうやって評価するのかということで、これは表現として非常に雑だと思う。
 質を重視しなければいけないという精神はよくわかり、表現として盛り込むべきだが、もう少し文章を練るべきではないかと思う。

【委員】
 量は測れるけれども、質は定量化できないのではないでしょうか。そういうことを十分に認識しておく必要がある。

【事務局】
 総合科学技術会議の場での議論では、最後は主観でやるしかないということでした。その中で量より質というところの一つの例として、評価の自己申告をする際に、例えば論文をずらっと並べてそれを評価するということよりも、代表的な論文数点をじっくり見ていきましょうという議論がなされていた。それだけですべて質というわけでもないと思うが、一つの例ではある。

【委員】
 私の考えでは、学術研究というのは基本的に自由な発想や着想に基づいて行う。個人は非常に多様であり、限られた数人の人でそれを評価することは非常に難しい。
 自分の経験からしても、自分の研究というのは本質的に自分にしかわからないところがある。特にあるレベル以上になると、本人しかわからないと思う。例えば、新しい説、新しい概念は、それを展開しようとしている研究者自身にしかわからない。結果として、5年ぐらいで学術論文になり、いろいろな技術的、社会的な波及効果を生んできて、素晴らしかったと評価されることになる。
 一番大事なことは、その基になるものをつくり出すところにある。ただ、それは自由な発想に基づいて行っているわけだから、説明しても一般に理解されないことがしばしばある。独創的であればあるほど説明に限界がある。研究の水準にもよるが、創造性というのはある程度客観的だと思うが、独創というのは1人創造的なわけですから第三者にはわからないわけです。私の考えでは、そういうものこそ真の学術に飛躍をもたらすものだろうと思う。
 したがって、研究者の成果というよりも能力を信じて評価する必要がある。

【委員】
 私も今のご意見に、基本的には賛成です。
 元同僚の話として、18年間苦労した成果が、今、非常に大きく花開きつつあるというのがあり、彼が言うには、一地方大学で非常に頑張っていたときは、学会で発表しても、そんな研究は役に立たないからやめろとオーソリティーから言われたが、それでも頑張ってきて、ようやくここまで来た。
 この種の事例は、基礎科学の研究の中では多いだろうと思う。こういうものを測るときに、アメリカでは知的フロンティアにチャレンジしているかどうかということを、唯一のクライテリアにしている。チャレンジの大きさや、当然リスクだとかインパクトを考えなければいけないが、とにかくチャレンジしていることに対してやってごらんなさいというのが、伸ばしていくやり方ではないかと思う。
 アメリカでは、ディシプリンの中でのチャレンジと学際的な領域でのチャレンジの大きく二つに分けている。ディシプリンの中での知的フロンティアへのチャレンジは、ディシプリンの中のピアレビューである程度わかる。それに対して、学際的な領域でのチャレンジは、それがチャレンジなのかどうかわかる人自身が非常に少ない。したがって、ディシプリンの中でのチャレンジか、その外でのチャレンジかということをまず分けた上で、チャレンジの度合いを測っていかなければいけないということが言われている。
 この種のチャレンジは、金額はそれほど大きくなくて済むので、数年サポートしてどういう結果が出るかを見ながら、次のフェーズに移っていくというやり方で、多分いいと思う。
 したがって、基礎科学の振興に関しては、知的好奇心が評価の場に持ち出されることには非常に反対である。チャレンジしないで趣味的な研究をやっている研究者もいるので、その種のものは排除されるようにしていくということです。チャレンジしている人には、その研究に必要な資金は用意しますという感じで行くのが、基礎科学の振興には一番必要なことではないかと思う。

【委員】
 研究には、必然性が大事だと思う。開発研究についてはプログラムが大事で、それを評価しなければいけない。開発というのは発展が計画できるわけであるが、発見というものはその定義からして計画できないものである。しばしば大発見というのは、意図を超えて成される所があるわけで、そこが大事だと思う。
 評価はしなければならない。ここで評価という行為が、学術研究全体あるいは大学の活動全体を高めることに貢献しなければいけない。したがって、部分的に取り上げると様々な意見があると思うが、大綱的指針に基づく評価が、学術研究や教育を含めた大学全体の活力を失わせたり退化させたりするようなことがあってはならない。文科省における評価においては、その視点が他の省庁のプロジェクト、あるいはプログラム的なものとは大分違うのではないかと思う。

【事務局】
 大学の評価に関しては、まさにそういう面があるが、それと同時に、文部科学省としてはプロジェクトも持っているので、ありとあらゆる部分についての評価の考え方を持っていなければならない。その中において、基礎科学についてはこういうやり方、そして大学の活力をいかに活かすかという観点で評価を組んでいくことは非常に重要なことであるので、そういうことを踏まえて具体化に移そうと考えているところです。
 これを積み上げるに当たっていろいろなところでの議論の中で、ピアレビューという言葉をなるべく顕在化させようということになって来ている。
 部会長のご指摘の、最先端の研究であればあるほど自分本人しかわらない、だから評価は難しいのだというのは、確かにその通り。だからといって、1億1000万の国民を同じ待遇にするわけではなくて、何らかの形で、できる人が評価されて選ばれてきているというのが今の仕組みであり、それをやるのはやはり目利きになる人、つまりある程度のところはわかっている人たちが何らかの評価をして、そういう人を選んで、お金をつけるべきかどうか、職を与えるべきかどうかという判断を、ずっとしてきているという仕組みである。
 少なくとも、行政官のような中身も知らない人間が選ぶよりは、専門のその分野の近いところをよくわかっている人達が選んでいく方が間違いがないだろうということで、ピアレビューのシステムがあり、特にアメリカにおいて非常に重要視されている。
 これから評価のシステムを作る際に、同じようにピアレビューのシステムを重視していく思想があり、また必要だと思うので、ピアレビューという言葉が書き込まれている。ピアレビューは、まさに量ではなくて質の評価であると思うので、質を強調しているのがピアレビューの体系であると思う。

【委員】
 ピアレビューは大変大事だと思う。一方で、一般的に説得するという努力も当然しなければいけないので、狭い分野だけの評価でいいのかという問題があると思う。
 とかく評価というものは結果に対する評価になりがちである。客観的とか質とかいろいろ言っても、発想やプロセスではなくて、結果に対する評価になりがちである。しかし、大学の研究は、未来に向けてどうやって飛躍、発展させていくかということが大事であり、やはり研究者の能力に対する評価が大事である。
 もちろん業績を上げ、立派な結果を出している人には能力があるという相関関係はある。もう少し長いレンジで、将来に目を向けた評価が大事である。客観的評価となると、どうしても過去の成果に対する評価になってしまう。やむを得ないことだろうと思うが、もう少し目利きが必要だとは思う。
 日本の非常に大きな問題は、いろいろなことが業績主義になっていることである。日常的には、学位の授与等に関しても業績主義になっている。論文をいくつ書いたかよりは、本当は、能力の向上度合いなどに対して与えられるべきである。そうすると「それは主観的でけしからんから、証拠を示せ」みたいなことになる。

【委員】
 全くその通りだと思う。今までどちらかというと評価される側にいて、評価しろと言われて面食らっている。
 特にこの文章を読むと、両面的なことが書いてあり、本当はどちらを言いたいのかというところが非常に難しい。必ずあることをやれというと、その後ろで必ずしもそれにこだわってはいけないと書いてあり、やり方としては非常に難しいだろうと思う。そうすると評価者が自分の裁量でやれということになってしまい、どう客観的にやればよいか難しいと思う。
 基礎研究を行っている者として言わせてもらうと、例えば評価の対象や目的に応じて適切な評価項目が必要だ、特に国際的な水準に照らしてやれと言われると、国際的水準とは何かということになる。例えば、『Nature』とか『Science』に何本出たかで言われる。このため、研究者がしのぎを削って『Nature』や『Science』に出すので、その編集者達に言わせると、なぜ日本からこんなにたくさん来るのだという状況が生み出されている。
 それから国際的な学会で、どれだけ招待講演を行ったか書けと言われると、今度はせっせとオーガナイザーにインバイトしてくださいという手紙を出さなければならない。評価にあたって、こういうデータを出さなければいけないので、こういうことが引き起こされる。
 したがって、何を評価の目安として出すのかをきちんとしておかないと、こういう形で実際に末端の研究者がすごくゆがんでくる状態が起こり得ると思う。
 もう一つは、研究成果の数に偏重することなく質を重視せよと書かれると、例えば論文の被引用回数だとか特許等の活用状況が応用研究と同じように出ているので、基礎研究でもこういうことが同じように言われる。そうすると、グループを作って、グループの中でせっせと論文を引用し合い、30人位のグループを作っていると、30本位はすぐ出てくるということになる。これでも十分通用してしまう。
 こういう風に何か目安を作ると、必ずそういうことをやらなければいけないということが出てきて、評価がすごく難しくなってきている。実際に私共も、そういうことをやらざるを得なくなるときもある。それをどうやってやるかということを、この文章だと何をやっていいかわからないので、もう少しきちんと評価者に伝えておく必要がある。実際に評価する場合は、そこをもう少し議論しておく必要があるのではないかと思う。

【委員】
 今の意見に大体つながるが、結論的には画一的な評価手法に乗らない、あるいは評価できない項目を、どうやって表現させるかということだと思う。
 研究計画・評価分科会だったが、企画者あるいは評価者といった方々の思い入れを、どこかに表現しておかなければいけないのではないかということだと思う。
 私は民間の人間で、基礎的な学術的なところはあまりわかりません。ほとんどの場合は対策技術やプロジェクト研究が主だが、やはり中には基礎的な研究をやる、あるいはそれが必要だということがある。ただ、それがなかなか共通評価の土俵に乗ってこないので、評価不能ということになってしまう。そこで、実現性が小さくても、半ば想像でもいいから企画者に餅の絵や穴だらけの風呂敷でもいいから作ってみろと言っています。それがシナリオであり、思い入れであると思う。大きい言葉でいうと研究戦略です。
 定性的であるが、「それを評価していきましょう」、「わからないなりにも望みを託しましょう」としないと、特に基礎研究をやっている若い連中は目的が見えないために、モチベーションが続かなくなってしまう。それを続けさせるために、うまくいっているわけではないが、将来どう役立つかといったものを何とか表現しなさいということをやろうとしている。多分、そういうことが半分あっていいのではないかと思う。
 この指針の中で4ページ目ぐらいに書かれているが、多様な視点から評価を行うとか、いろいろな研究性格があるので、評価項目とか評価尺度とかは多様に変わっていいと思うのだが、かなり複雑になると思う。さらに人文科学的なこと、社会科学的なことも結構定量的に盛り込まれれば、そういったものが画一的になりがちになるのではなかろうかと思う。「画一的な表現を避ける」というのがどこかにあったと思うが、「避ける」のではなくて、「画一的な評価のみに陥らないようにする」ことが大事だと思う。
 あとの半分は、絵に描いた餅でもいいから、研究当事者にそういったシナリオを書いてもらい、評価する側はそういうところは真剣に評価する。あるいは、やらなければいけない手元にある経常研究、我々でいうと製品研究とかですけれども、そういったことを削ってでも、そちらのほうへ持っていかなければいけないのではないかということを考えている。

【委員】
 独創的な研究をどう育てるかというのは、非常に難しい問題だと思う。
 評価は学術研究を高めるものでなければいけなくて、これが一番基本的な目標だと思う。そのために、場合によっては資源配分を考えるということになると思うが、資源配分だけで学術評価が高まるわけではないので、やはり優れた研究開発を伸ばす、研究者を励ますということが必要である。これは前の大綱的指針には書いてあるが、新しい指針では、その辺りの色合いが薄まっている感じがする。もう少しきちんと強調した方がいいのではないかと思う。
 その一つのやり方としては、評価する側と評価される側の意見交換をどこかでやっていいのではないかと思う。実際に幾つか評価の例を見ていると、とんでもない誤解をしたような評価があったりするので、お互いに意思疎通を図った方が、正当な評価ができるのではないかと思う。具体的なアイデアはないが、やはりある程度評価している人達が集まって、評価がまとまってきた段階で、評価される側と話をするということではないかと思う。これが一つ。
 それからもう一つは、これも学術研究を高めるという意味で、評価が研究を阻害してはいけないということである。評価する側と評価される側の双方にとっても、評価は非常に大きな負担になるので、これをどの程度軽減するかということを、よく考えていただきたく思う。
 評価者側としても、若い研究者も入れろということですが、若い研究者はそんなものに駆り出されたのでは研究ができないから困るという意識が非常に強いと思う。したがって、そういう人達の労働をなるべく軽くするように、支援態勢をきちんとすることが非常に大事になると思う。先程、評価人材をどうするかという話で、事務局を揃えるのか、評価者を揃えるのかとあったが、それは両方必要だと思う。
 また評価される側としても、かなり大変なようである。資料を揃えたりすることなどが非常に多く、時間が猛烈にとられて研究する時間がないではないかということを、よく言っている。重複して、つまり何回か同じことを評価されることがある。その重複の度合いを減らすとか、その辺りを考慮して、研究者自体の負担が多くならないように考えてもらえればいいと思う。
 基盤的資金についてですが、おそらく大学だと基礎研究はどうしても必要なので、競争的資金に加えてやはり基盤的なものは必要だと思う。したがって、これはある程度強調しておいた方がいいのではないかと思う。前の指針を読むと、結構いろいろなことが具体的に書いてあった。ただし、ちょっと冗長かなと思われたので、簡素化されたのではないかと思う。これは、非常に独創的な研究を育てるという意味からいうと、一番基礎になるところではないかと思う。
 最近の様子はよくわからないのだが、大学は評価を大学評価機構でやっているのだろうか。評価するのは文科省かどうか知らないが、これは全く完全に評価される側とは全然違う組織でやっている。そういう意味で、これは非常にいいと思うのだが、大学以外の所ではどうなっているのかよくわからない。独法の場合は、別の組織があるのか。そうすると大学とか独法はちゃんとした評価組織があるが、特殊法人等は、組織自体が評価組織を依頼して作るということになるのかということ。そうなると、例えば評価に関わる費用は誰が負担するかが問題になる。評価される側が負担するのでは、何となく公正な評価がなされるか疑問な気がするので、その辺りの仕組みを考えた方がいいのではないかと思う。

【委員】
 一般国民の立場から見ると、研究開発の資金を国民が期待するように上手に使っていただくために評価をするのだと思う。研究開発プロジェクトなどで巨額のお金を使っているものから、そんなに多額でなく研究者に配分されているものまで、同じ評価指針で同じように切ること自体無理ではないかと思う。研究者の自由な発想で行われる基礎研究用の資金まで事細かに評価することを国民は期待していないと思う。一方で、過去の大型研究開発プロジェクトについて言えば、巨額の国費を使うプロジェクトが透明性の高い事前評価が行われないまま、といっては語弊があるが、少なくとも国民に周知されないままに行われ、その実績についても、あまり良く伝わっていない例がかなりある。そういう政府主導の大型プロジェクトについては厳しい客観的な評価が必要だ。
 特に、文部科学省は科学技術・学術の基礎研究のほとんどの部分を持っており、その評価の仕方、基礎研究評価指針のようなものは、大綱的指針に沿って新たに作ることも考えてよいと思う。それについては、研究者の自己評価というか、研究者から意見を求めて評価をする、評価者と研究者のやりとりが重要だ。
 今は基礎研究でも先端的な研究については、ゲノム科学などを含めて非常に多額の国の研究費を使うものがあるので、それに応じた国際的なピアレビューなども必要。規模に応じて段階的に考える必要があると思う。

【委員】
 この大綱的指針には、普通考えられるようなことはほとんど盛り込まれているので、いろいろ二面性もある。評価者としては、これに基づいてそれぞれ自分の評価基準を決めて評価していくということかなと思う。実際に評価に当たられる方はもっとたくさんおり、一つの方針を押しつけてやることはできないのではないかと思う。
 研究の面で申すと、国際性、先端性ということをあまり言うと、現在の趨勢ではアメリカ等で出てきたようなことを負けないようにやろうと、お金と人を集めてということになる。そういうものについて、達成度等をある程度評価することは必要かと思うが、先程の本当にチャレンジ性のある研究を見つけてそちらを支援することが、特に重要ではないかと思う。

(2)科学技術振興調整費で平成12年度に実施した科学技術政策基礎調査「重要分野における研究開発の産業・社会への波及効果に関する調査」について、委託先である株式会社三菱総合研究所より、資料3と報告書に基づき説明があった。

<質疑>

【委員】
 学術研究と応用のタイムラグが随分あるが、分野あるいは課題によって違いますね。すぐに対応してくるのと……。

【報告者】
 我々が今回やったのは非常に限られた分野だけだが、例えばエンドルフィンは8年、ヒトインターフェロンは2年、ドットマトリクスは2年、エキスパートシステムは1年とか、ここに挙げたものを一般化するのは非常に難しいが、いわゆるソフト的なエキスパートシステムのような産業技術寄りの技術はタイムラグが短い。逆にバイオとか、長年基礎技術が蓄積されてといったものはタイムラグが長いという結果が、多少見えてきている。

(3)SPring‐8ワーキンググループの構成員の報告が行われた。第1回研究評価部会議事録(案)が了承され、公開の手続きが行われることになった。次回の会合については、日程を調整の上、改めて連絡を行う。

お問合せ先

科学技術・学術政策局計画官付

(科学技術・学術政策局計画官付)