基本計画推進委員会(第4回) 議事録

1.日時

平成24年4月17日(火曜日)16時~18時

2.場所

文部科学省3F2特別会議室

3.議題

  1. 科学技術・学術審議会の各分科会等における議論の状況について
  2. 「社会と科学技術イノベーションとの関係深化」に関する基本的考え方について(有識者からのヒアリング)
  3. 最近の科学技術政策の動向について(総合科学技術会議における議論について 等)
  4. その他

4.出席者

委員

野依主査、野間口主査代理、井上委員、大垣委員、國井委員、黒田委員、佐々木委員、柘植委員、平野委員

文部科学省

森口事務次官、藤木文部科学審議官
(大臣官房)田中総括審議官、徳久政策評価審議官
(科学技術・学術政策局)土屋局長、渡辺次長、阿蘇計画官、藤原計画官補佐
(研究振興局)吉田局長、森本審議官
(研究開発局)大竹審議官

オブザーバー

濱田早稲田大学教授、小林大阪大学教授

5.議事録

【野依主査】 
 それでは、時間でございますので、科学技術・学術審議会第4回基本計画推進委員会を開催いたします。文部科学省の幹部の方が何人かまだいらっしゃいませんが、森口事務次官がいらっしゃいますので、始めさせてさせていただきます。
 きょうは、早稲田大学の濱田教授と大阪大学の小林教授においでいただいております。後ほど御発表をいただきますので、そのときに改めて御紹介させていただきます。
 それでは、事務局から資料の確認をお願いいたします。

【藤原計画官補佐】 
 確認をさせていただきます。机上にクリップどめの資料がございまして、一番上に議事次第があるかと思います。その裏に資料の一覧がございます。
 資料ですが、今回、机上の資料が多くなってございまして、資料の1の関連では、資料1-1から1-8まで8点、それから、資料2、資料3となってございます。その後ろに参考資料といたしまして、参考1から参考6までを配布させていただいております。また、メインテーブルのみでございますが、机上配布資料ということで3点御用意させていただいております。机上配布資料1でございますけれども、資料1-6と1-7の間に説明の都合上、挟まっております。それから、配布資料の2と3は資料の一番下のところにとめてあります。
 もし、過不足等ございましたら、事務局までご連絡をいただければと思います。
 以上でございます。

【野依主査】 
 それでは、議題1「科学技術・学術審議会の各分科会等における議論の状況について」に入ります。
 前回の委員会を開催いたしました1月24日以降、第4期基本計画の推進に関する各分科会の審議の状況について、まずは事務局から報告を受けたいと思います。

【阿蘇計画官】 
 それでは、手元の資料1-1、1-2、1-3をあわせて御説明いたします。
 まず、資料1-1をごらんください。こちらにつきましては、各分科会の検討状況、1月24日以降に進捗のあった箇所、斜体太字で記載しておりますけれども、こちらに従って御説明いたします。
 まず、研究計画・評価分科会ですけれども、1月24日に開催いたしました分科会で、課題対応型「研究開発方策(仮称)」の取りまとめに向けた検討体制について、こちらの基本計画推進委員会のほうでも報告させていただきましたけれども、研究計画・評価分科会、それから、海洋開発分科会、測地学分科会、先端研究基盤部会等関連する分科会と連携して検討を進めるということで審議・確認をしてございます。
 また、3月30日に開催いたしました分科会で、宇宙開発委員会が廃止されることに伴いまして、研究計画・評価分科会に宇宙開発利用部会を設置することとしております。詳細につきましては、資料1-2にあります。なお、宇宙開発委員会が廃止された日を設置の日としております。
 また、引き続き、課題領域③「安全、かつ豊かで質の高い国民生活」における検討の進め方もこのとき確認をしてございます。
 さらに、2ページ目をごらんください。
 続きまして、学術分科会です。学術分科会では、2月14日の分科会で傘下の各部会の審議状況について報告を行うとともに、科学技術・学術や教育・大学改革をめぐる動向について審議をしております。この分科会のもと、研究環境基盤部会では、大学共同利用機関法人及び大学共同利用機関の機能強化に向けた具体的方策にかかる検討を進めております。
 さらに、学術研究の大型プロジェクトに関する作業部会におきましては、学術研究の大型プロジェクトの推進に関する基本構想「ロードマップ」の改訂について審議を継続して行ってございます。
 また、3ページ目のほうに移ります。引き続き、学術分科会ですけれども、学術情報基盤作業部会、3ページ目の下のほうの脳科学委員会、それから、続きまして、4ページ目にございます人文学及び社会科学の振興に関する委員会につきましては、取りまとめに向けて有識者ヒアリング等審議を行っているところでございます。
 続きまして、4ページ目をごらんください。
 4ページ目の海洋開発分科会では、3月、4月に開催をしておりまして、次期海洋基本計画に向けた科学技術の重要事項について議論を進めております。
 また、4ページ目の下のほうですけれども、測地学分科会につきましては、「地震及び火山噴火予知のための観測研究計画」の見直しとレビューについて審議を行っているところでございます。特に、今後の検討予定、こちらの観測計画の見直しにつきましては、2月29日に開かれました科学技術・学術審議会の総会で報告したところでございますが、今後、この報告について意見公募をして、さらに審議を深めるということになっております。
 続きまして、資料の6ページ目です。
 6ページ目の下、先端研究基盤部会です。先端研究基盤部会では、傘下の委員会で審議が進められております。7ページ目をごらんいただきますと、先端研究基盤部会研究開発プラットフォーム委員会の先端計測分析技術・機器開発小委員会におきまして、先端計測分析技術・機器開発プログラムの平成24年度におけますプログラム実施の基本方針を取りまとめているところです。
 また、同部会の数学イノベーション委員会におきましては、活発に委員会が開催されてございまして、「数学イノベーション戦略(仮称)」を取りまとめるべく審議を進めているところです。
 8ページ目をごらんください。
 続いて、8ページ目の産業連携・地域支援部会では、昨年の12月の部会で、地域科学技術施策推進委員会の設置が決まりましたけれども、こちらの議論が開始されておりまして、今後、文部科学省が取り組むべき地域科学技術施策などについて取りまとめる予定となっております。
 以上が各分科会の状況ですけれども、続きまして、資料1-3、一枚紙がございます。資料1-3をごらんください。
 基本論点と書いてございますものです。こちらですけれども、昨年5月の総会で東日本大震災を踏まえた今後の科学技術・学術計画の検討の視点、こちらの資料1-4が取りまとめられました。この資料1-3、基本論点は各分科会の審議状況、あるいは、審議会の委員の意見を整理したものです。こちら基本論点につきましては、2月29日の総会で東日本大震災を踏まえた今後の科学技術・学術計画の検討の視点に基づく審議ということで、この基本論点を踏まえて引き続き各分科会で検討を行うようにということとされてございます。
 視点1から視点5まで、例えば、視点1では、今般の大地震発生の可能性を追究できなかった理由について十分な検証を行うことが必要である、といったことですとか、視点の4では、社会への発信と対話ということで、科学技術の限界や不確実性に関する認識を踏まえて、政府は科学技術のリスクに関して社会とどのように対話すべきか、また、科学技術への信頼を得るためにどのように取り組むべきかというようなことが論点として挙げられておりますし、また、視点の5では、災害に強い社会基盤を構築するための研究開発としてどのような取組を行うべきかということが論点として挙げられております。
 以上、資料1-1から資料1-3まで、各分科会の検討状況を御報告いたしました。

【野依主査】 
 ありがとうございました。
 阿蘇計画官が資料1-3の基本論点を大変強調しておられますので、ぜひ、再確認していただければと思います。
 それでは、次に、研究計画・評価分科会における検討状況です。前回の委員会において、大垣分科会長から研究計画・評価分科会傘下の主査等による四つの課題領域グループを設置して検討を開始すると御報告いただきました。今日は、「安全かつ豊かで質の高い国民生活について」を議論する課題領域③での状況を御報告いただくため、課題領域③の主査の濱田政則教授にお越しいただいております。濱田教授は防災科学技術委員会の主査もお務めでございます。また、濱田教授は地震防災工学が御専門ということで、東日本大震災を受けての課題もあわせて御説明いただければと思っております。
 先ほど事務局から説明がありました基本論点の視点1の②「地震・防災に関する従来の取組方針の検証」、それから、視点5「復興、再生及び安全性への貢献」に記載されているとおり、防災に関する研究の重要性が大変強く指摘されております。この点からも濱田教授の御発表は参考になると思っています。
 それでは、よろしくお願いいたします。

【濱田教授】 
 防災科学技術委員会の主査を務めております早稲田大学の濱田でございます。ただいま御紹介いただきましたように、研究計画・評価分科会の中に設置されました課題領域③の主査も兼ねております。
 資料1-6でございますが、このグループは3月19日に、第1回の会合を開きまして、今後の検討方針を協議いたしました。その結果、この領域③でございますが、豊かな国民生活・復興再生と書いてあり、少しテーマが広いことと、短期間で議論しなくちゃいけないということで、防災・減災を中心に議論を行うということにいたしました。
 委員会とか分科会を横断的に検討する場でこの防災の問題を検討するというのは文科省としては初めての試みだと聞いておりますので、分野の枠を越えて議論を幅広く進めていきたいというふうに思います。
 東日本大震災におきましては、地震予知・津波予知の失敗、それから、原子力事故と津波防潮堤に代表されます防災基盤施設の破壊ということがありまして、防災分野の科学技術に対する国民の信頼感が著しく低下をしているのではないかというふうに感じております。安全・安心社会とよく言われますが、安心の一つの基礎というのは科学技術への信頼であるというふうに思います。このグループの検討でありますが、この信頼感を取り戻すために防災分野の研究はどうあるべきかというようなことを議論していきたいというふうに思っております。
 あとはパワーポイントを使って御説明させていただきたいと思います。
 お話しすることは三つございます。地震・津波予知の失敗とその後の混乱でございますが、私から見ると、最近いろいろと、首都直下、あるいは、南海トラフ沿いの地震の問題でばらばらといろいろな話が出てくるというふうに思います。やや混乱状態だということです。
 2番目として、耐津波学の構築ということを申し上げたい。耐震工学という言葉は昔からあります。私は大学のころから耐震工学を習ってきたわけですが、それに加えて、津波に我々がどう対抗するかというような学問、技術分野を構築すべきだというふうに思います。
 それから、3番目、これもよく言われるわけでありますが、防災分野は横断的・学際的であります。よく言われるんですけれども、一体これをどう進めていいのか。言われるけれども、なかなか進まないというのが現状であろうというふうに思います。
 まず、この絵は、もう皆さん、よく御承知だと思いますが、地震予知の失敗がどこにあったのか。我々がこの震災が起こる前に予測をしていた東北地方の地震というのは宮城県沖地震、マグニチュード7.5で、隣に発生確率が書いてございますが99%、これは確実に起こるであろうと地震学の分野では言っていたんです。なぜ99%という数字が出てきたかということなんですが、この宮城県沖の地震というのは大体50年ぐらいのインターバルで起こってきています。前回は1978年に起こっていますから、それからの経過時間、それと今後30年間ということを考えますと、確実に起こるであろうというふうに言ってきたんですが、実際に起こりましたのは、マグニチュード9.0、震源地も岩手県から茨城県にまたがる南北600キロ、幅200キロというふうに言われております。これもあえて申し上げるまでもございませんが、地震のエネルギーの規模として180倍違う。単なる失敗ではなくて、これは大失敗であると。なぜ、我々は失敗したのかという総括があって次に進めるというふうに思います。
 今、私どもが危惧していることは何かといいますと、これは東日本大震災の余震と前震の位置を示したものです。黄色く囲ったところがプレート境界が破壊されたところであろうとされております。御承知のように、太平洋プレートが日本列島に押し寄せてきまして、日本列島の圧縮場でございます。ただ、この黄色いところで大破壊が起こったので、日本列島の応力場が変化をしているということで、今まで我々が危惧していました東京湾北部地震あるいは南海トラフ地震、南海トラフ沿いの巨大海溝地震の発生が早まるんではないかということが危惧されるわけであります。
 そういうことなんですが、これはつい先ごろ、3月31日でございますが、政府の委員会、検討会が出したもので、南海トラフ沿い、東海・東南海・南海地震、これが三つ続けて起こるであろう、いわゆる3連動地震というものが起こるかもしれないということが言われていたわけですが、それに加えて、下のほうの日向灘の地震、これはマグニチュード7.5で、四つの地震が一遍に起こる可能性があるということをこの検討会が発表いたしました。
 ここに、右に書いてございますが、震度7の地域が広域に広がり、それから、20メーター以上、最大は34メートルという数字が出てきているんですが、広域が高い津波に襲われるだろうというようなことが発表されました。
 ただ、私の感じを申し上げますと、前回の失敗に懲りて、もう言うべきことは言っておこうというような色彩が強いのではないでしょうか。というのは、4連動が起こるという可能性が十分専門分野の人たちの間で議論されたかというと、そうではなくて、4連動が起こればこういうことになりますよということだけを発表したというような感じがいたします。これもよく言われます12ケースの破壊パターンについて、格子上に書いてあるところが震源地ですが、12ケースの破壊パターンを示しておりまして、それによると、震度がどう違うと津波がどうなってしまうのかというようなことが書いあります。悪く言いますと、こういうこともある、ああいうこともあるというようなことを全部連ねた。一般の人から見ますと、一体どれを信用していいのかというのがよくわからないということがございます。これが最初の混乱の一つです。
 次の混乱は、東京湾北部地震についてです。大分前に内閣府の中央防災会議が北部地震の起こったときの震度分布をあらわしたものです。右側の図を見ていただきますと、大体が6の強と、この絵を見ますと、赤いところがございまして、7の地域が出てくるんですが、7はほとんど現れなくて、多くが6の強。我々はこういう予測に対して、被害予測をしていろいろ準備をしてまいりました。が、これもごく最近になりますけれども、文部科学省のほうからこういうものが出されました。これはどういうことかというと、首都圏で太平洋プレートが潜り込んでいるそのプレート状態が10キロ上に上がったという観測結果が出た。10キロ上がったというのは、実は防災科学技術委員会でいろいろ評価をしております首都圏の地震のプロジェクトがございまして、首都圏に300個の地震計を配置いたしました。観測を開始してから、私は、恐らく半年はたっていないと思うんですが、そういう段階でプレートが上がっていると結論を出している。そういう計算をしますと、震度7のところが、赤いところになりますが、出ると。今までの予測をはるかに上回るような地震動が発生するということを文部科学省が発表されました。
 私は、これは混乱があると常々申し上げていますが、こういう震度分布というのは国の機関でいいますと、内閣府の中央防災会議が出すべきであって、文部科学省は調査・研究、そういうことをやる。その結果を内閣府に持ち込んで、専門家が議論して、国として備えるべき地震の揺れの予想をつくるべきなのですが、これもぽっと出てきてしまったということであります。
それから、津波の問題でございますが、津波に関する法律が昨年の12月6日にできました。ここには詳しいことは書いてございませんが、この骨子は何かというと、これから津波対策をするに当たって、津波の高さというのは都道府県知事が決めなさいと。まさに、私は悪法だというふうに思っていますが、国が決めないで自治体が決めなさいという話になりました。基本方針に基づきとありますが、その基本方針が1月に国土交通省から出されました。それにも同じようなことが書いているんですが、最大クラスの津波を各自治体が決めるということになったわけであります。本来であれば、国土交通省、経済産業省等、国が決めなくちゃいけない。震度分布というのは国が決めてございます。地震の大きさは国が決めてきましたが、津波だけは自治体に任せるという話になってしまったということでございます。
 どんな不都合があるかといいますと、私は下水道の関連の委員会の取りまとめをやっておりますが、各自治体の方を呼んで、おたくはどういう津波対策をしていますかというヒアリングを始めています。全くばらばらであります。例えば、神戸市ですと、兵庫県知事が現在の2倍にしろという御発言をしたんだそうです。結局、4.2メートルという数字が出てきたんですけれども、潮位を重ねると4.2メートルということなんですが、そういう自治体もございます。
 横須賀市ですと、慶長型地震というのが、これは南海トラフより東京湾口にかなり近いところで過去に巨大地震が起こった。そういうことを考えますと、最大5メートル、これはいろいろ数値計算をしております。そういうところもある。
 東京都は防災計画が出ると思いますが、基本的には東京都は津波は遡上しない。高潮・高波対策で5メートル、6メートルの地盤高を持っているので検討しないというようなことを言っております。
 大阪市については現在検討中ということでございまして、これを見ましたら、全く自治体でばらばらに行われていると、それの根源は各県で決めなさいということになったということでございます。恐らく、県の境で想定する津波の高さが変わってくるような事態が起こるのではないかというふうに思います。
 2番目の問題に移ります。もう一つの耐津波学です。それは何かといいますと、津波で多くの構造物が破壊されたわけですが、生き残った構造物がかなりございます。左上は陸前高田市の5階建ての集合住宅ですが、5階の中腹まで波が来ております。外観の調査だけでございますが、このコンクリートの躯体とコンクリートの基礎の部分、これも全く無傷で残っている。右側は南三陸町の津波避難ビル、4階建てでございますけれども、これも4階まで波が来た。住民は屋上に避難して助かったというものでございますが、これも無傷であります。
 左下は女川の市民会館ですが、1階はホールになっておりまして、そこを津波が通り抜けた。これも外観調査では全く損傷を受けておりません。我々は津波に対抗できるものをつくれるんだというふうに最初に私が思いましたのは、右下の写真でありますが、2004年のスマトラ沖のときの津波であります。ちょっと黒く写っておりますけれども、あそこまで津波が来て、1階の礼拝堂を通り抜けたんですが、これは無傷で残った。モスクというのは地域住民にとって非常に重要な構造物でありますので、堅固につくっているということもございますが、こういうものをつくれば、構造的には我々はつくれるということを今回の震災で改めて思いました。
 橋梁も同じであります。上の二つの写真は釜石の橋梁でありますが、左側はスチールの橋梁、右側は港湾にかかっております高架道路であります。無傷で残っている。実は、同じような経験を、左下、これも2004年のスマトラでも経験をしております。左下の、左側の写真ですが、これはコンクリートのけたでありますが、住民の話によりますと、このけたを津波は越えているんだと、ところがこのけたはそのまま残っております。どういうことになっていたかといいますと、右側の写真、これはけた座でございます。ここにけたが乗っかっているんですが、これ突起物がある。突起物があるんですが、これは振動によって落橋を防止するためにつけたというものでございます。それが津波の横力にも耐えた。全ての橋梁が耐えたのかというと、決してそうではありませんで、いわゆるスチールの鉄道橋でありますが、そういうものは壊滅的な被害を受けたということになります。コンクリートの橋梁は残っている。そういうことを踏まえまして、耐津波学の構築と耐津波対策の推進ということを提唱したいというふうに思います。
 時間の関係で少し端折りますが、地質学的視点からの世界の津波履歴の調査、これは震災が起こる前から言われておりました。要するに、紙に書かれた歴史だけでいいのかという議論はございます。改めて、その不十分さを思い知らされたわけでございますけれども、こういう調査をしなければならない。
 それから、これが今申し上げた津波に耐える構造、これの研究が必要だろうというふうに思います。
 そういうことを踏まえて、津波に強いまちづくり、これの一つのポイントというのは、遡上した津波の挙動。今までの津波の研究といいますのは、海底が陥没すると盛り上がる、それによって海域から海岸線にどういう波が押し寄せてくるかというようなことを専ら研究してきたんですが、これからは陸上に上がった津波がどう挙動するか、どのぐらいのスピードでどのぐらいの高さで走る、物に当たってどのぐらいの外力を及ぼす、そういう研究が必要だろうというふうに思います。鉛直避難施設ございますけれども、これは先ほどのビルの写真で、ちょっとあとは省略します。
 最後に、防災教育と書いてある。防災教育は非常に効果があるんだと。実は、文部科学省は防災教育支援事業というのを3年間にわたってやってまいりました。三陸地方で対象になりましたのは、釜石と気仙沼でございます。これを見ていただきますと、こちら側の数字ですが、これは犠牲者の数の割合を書いております。全人口に対する犠牲者の割合ですが、2.78%でして、児童・生徒の死亡率というのは0.15%なんです。わずか5人の児童・生徒しか亡くならなかった。これは、5人の生徒というのは、病気で休んでいる、あるいは、警報が出て親が迎えに来たというような子供たちは残念ながら命を落としたわけですが、一般の死亡率に比べて非常に小さな数字になっております。これが防災教育の効果、気仙沼も同様です。
 全部の市町村でそんな動きをしたのかというと、決してそうではありません。非常に多くの児童・生徒が亡くなった学校もございます。今の時点で亡くなった理由を調べるというのはなかなか難しい問題ですが、いずれ時間が経過した段階でそれも検証していかなきゃいけないだろうというふうに思います。
 最後の話題ですが、横断的・学際的防災研究、この防災の問題というのは、非常に広分野の連合が必要だというふうに言われています。今まで理学と工学、工学にはいろいろな分野が入っておりますが、でやってまいりました。兵庫県南部地震のときに理学と工学ではとても対抗できないということで、左側の人文・社会科学とか経済学とかそういう方たちの参画を仰ぎ、さらに、今度、最近ですと、いわゆる警報の問題、情報の問題、いろいろあります。情報科学などの分野の参画が必要であろうと、さらに医療分野、これは緊急医療でございますが、首都圏で、これまでの予測ですとけが人が20万人出るという数字が出ております。緊急医療をどうするのかというようなことも非常に重要なポイントになるかなというふうに考えております。
 なかなかこういうことが進まないということなんですが、最後に御紹介したいと思いますが、東日本大震災の起こった約2週間後でありますが、日本学術会議の土木工学・建築学委員会がお声がけをしまして、18の学会の会長に学術会議にお集まりいただきました。現在、ここにありますように、30の学会まで増えているのですが、理学、工学、環境系、農林水産、それから情報、経済、そういう学会が参画をして、今一緒にやっております。
 何をしているかということなんですが、まず、分野横断による震災の調査と総括をやろう、それから、被災地の復旧・復興に関する提言・提案、原子力事故、原子力学会も入っておりますので、原子力学会を中心に、ほかの学協会と協力してこういう調査を進めようということでございます。
 将来的にはエネルギー政策の在り方、原子力発電の在り方等についても、この学協会の連合体で発信をしていこうということで、具体的には、毎月1回、学術会議の講堂を使いましてシンポジウム、これは四つか五つの学会が集まりまして、共通のテーマについてシンポジウムをやるということをやっています。
 それから、情報の共有化、学会間の情報の共有化ということで、震災アーカイブスをつくる、今、構築中でありますが、そういうことをやっている。あと、学会が一緒になって政府・自治体・行政への提言を行う、それから、国民への発信を行っていく。
 私からの発表は以上です。どうもありがとうございました。

【野依主査】 
 ありがとうございました。
 課題領域の③の状況に併せて、東日本大震災を受けての課題を御報告いただきました。委員の皆様、何か御質問はございますでしょうか。
 はい、柘植委員、どうぞ。

【柘植委員】 
 今の濱田先生のお話も、これを社会に適応していくときに、2点、考えるべきではないかと思います。
 一つは、本当に減災ということですね。もう一つは、国の、いろんな意味での安全を、場合によっては、国体が揺らぐようカタストロフィックな事象という想定事象を掘り出して、それだけは絶対に機能として守るという減災を超えた、そういう考え方につなげていく必要があるかなと思いますが、今の先生の関係の分野で、この視点では何か方向性を持っておられるのでしょうか。

【濱田教授】 
 方向性があるということではございませんが、ちょっとお答えになるかどうかわかりませんが、この防災の問題というのは、よく公助・共助・自助と言いますね。私は、今公助・共助・自助を言っている場合ではない。公助あるのみだと、要するに、国の責任というのは、恐らく90%あるんだというふうに思います。これ、皆さん、御承知だと思いますが、寺田寅彦先生は、防災は国防であると、そのとおりおっしゃったんです。まさに、我が国はそういう状況にあるのではないかと。
 ですから、やっぱり、政治の力、ひいては行政の力、これに期待するところは絶大だということです。もちろん、個人の、例えば、避難の問題もございますけれども、やはり、行政、それから政治、こういうものが主体的に動かなければ、防災性は上がらないだろうというふうに思います。

【野依主査】 
 平野委員、どうぞ。

【平野委員】 
 どうもありがとうございます。
 先生の資料のところで、13ページ、こちら、学術・技術分野の連携を強化していくというの、これはごもっともだと思いますけれども、例えば、人文・社会科学のところで、以前、この部会のほうで私どもが議論をしたのは、特に、歴史・考古学と自然科学をやはりもう一度関係を見直すべきじゃないかと、特にこういうことを含めてですね、ということの議論がありましたが、ここにはそういうような背景が、ちょっとこのままだと見えませんけれども、これはどのようになっているんでしょうか。

【濱田教授】 
 この資料は、私が個人的につくったものでして、全くそのとおりだと思います。抜けている分野がかなりあるかと思いますので、御指摘いただければ、次の機会につけ加えたいというふうに思います。
 ただ、学際的研究が必要だというんですが、なかなかこれが進まない。土木学会という学会がございます。それから、建築学会がございまして、これは、兄弟のような学会というふうにお思いになるかもしれませんが、今まで協力したのは1回しかございません。長周期地震動1回だけ、私が会長をしていたときです。共通のテーマは幾らでもあると思うんですが、なかなか自分の学会のつくっているその中に入ってしまうと出てこられない。そういうことを打破していかなきゃいけないんですが、この学術会議の会合が一つのきっかけになればいいと思っております。

【野依主査】 
 野間口主査代理。

【野間口主査代理】 
 大変すばらしい話をいただきました。耐津波学ですか、本当に重要な視点だと思います。ぜひ進めて、早く確立していただきたいと思います。私は、吉村昭の「三陸海岸大津波」というのを二、三年前に読んだのですが、この地域は、繰り返し、繰り返し、大津波が来ていますよね。ところが、のど元過ぎると熱さ忘れるで、何年かしたら、また普通の生活の様式に戻っている、これを繰り返さないようなまちづくりというか、社会づくりというか、そういうことをやらなければいけないんじゃないでしょうか。津波リテラシーの向上といいますか、そういうのを図らないと、今後また繰り返してしまうのではないかという気がするのですけが、その辺はどのようにお考えでしょうか。

【濱田教授】 
 おっしゃるとおりだと思います。先ほど2004年のスマトラのお話をしましたが、スマトラの北端にバンダアチェという町があります。7万人の方がなくなった、人口の4分の1が失われました。私どももその後、行きまして、復興についてですね、例えば、まち全体を海岸線から離すとか、小高い丘をつくるとか、中層ビルをつくるとかいろんなことを申し上げましたが、結局、何もしないで終わりました。それはどうしてかといいますと、住民が帰ってきて、各国が支援したものですから、お金が行き渡ったんですね。皆さん、家を建てた。その計画が立てられて、実施に移される前にもう住民が戻ってきた。ですから、早くやらなければ、恐らく今回の被災地も同じ道をたどるだろうと思います。
 それと、住民の気持ちといいますか、大分前ですが、奥尻島で津波がございました。大分多くの方が亡くなったんですが、あのときは一同が丘へ移ったんですね、漁民の方が。ところが、だんだん下へおりてきた。防潮堤をつくりまして、下へ住むようになった。そういう状況で、今度は避難用のスチールのテラスを海岸線につくったということで、やはり、なかなかその辺は難しいだろうというふうに思います。どういうふうにしていいのか、私もよくわかりません。
 それと、今、被災地が一番問題になっていますのは合意形成だと思うんですね。この合意形成も非常に時間がかかる。時間がかかればかかるほど手おくれになってしまう。社会学の中に合意形成をいろいろ研究されている方もおられますので、やっぱり、ここでぜひ実践をしていただきたいというふうに思います。

【野依主査】 
 佐々木委員、どうぞ。

【佐々木委員】 
 貴重なお話、ありがとうございました。
 こういうときに、やっぱり、人文・社会科学との協力というお話が出ておりましたけれども、今の合意形成もそうなんですが、ある意味、法的な規制、いろんな政策をやる場合に、どういう枠組みの中でそれをやるのかということについて、やっぱり、もっと積極的な配慮が必要であって、極端なことを言うと、憲法、権利の制限の問題、そういった問題に立ち入らないままに合意形成、合意形成と言っているだけではいかんというと、またいろいろ差しさわりがあるのだけれども、そこはある程度踏み込まないといけないのではないか。つまり、日常的事態と非日常的事態でシステムを切り分けるのをどうするかという話で、ぜひ、特に法学の人に積極的にかかわって、その辺の知恵を出していただくようにぜひお願いしたいと、これ希望でございます。

【濱田教授】 
 おっしゃるとおり、土地の所有権の問題は非常にネックになっております。

【野依主査】 
 黒田委員、どうぞ。

【黒田委員】 
 ありがとうございます。非常におもしろいお話をありがとうございました。
 一つだけ、私は東北にしばらく住んでいたものですから気になりますのは、この地域というのは、日本の中では最も高齢化、かつ、過疎化の進んだ地域だと言われているところです。そういう状態の中で、今のほとんどの地域が被災地中心の復興計画を立てていると思っているのですが、先生が先ほどおっしゃったように被害に対する防災というのは国防計画であると思っております。その観点から国土全体を考えたときに、今、東北の人口動態なり、これからの状態を見て、どういうふうに位置付けてあの地域を日本の中で生かしていくかということを考えないといけないと考えています。僕が非常に心配しているのは、復興ができ上がってみたら、高齢化の最たるものになってしまって、復興が何の意味もなかったというようなことになりはしないかなということです。阪神・淡路と明らかに違った人口構造と産業の構造を持っていますので、そういう構造の中で、それを生かして日本全体であの国土をどうやって生かしていくかという計画が必要なので、そういうことをアカデミアなり学術の場から政治なり、社会に発信していく必要が非常に重要なのではないかなという気がしています。

【野依主査】 
 どうもありがとうございます。
 では、井上委員、どうぞ。

【井上委員】 
 ありがとうございました。
 南海トラフあるいは東京湾の地震予測に対して、起こり得る確率みたいなものの議論が十分でないまま、過度の危険を予測しているのではないかという指摘があったと思うのですけれども、一方、今回の宮城沖の地震に対してはM7.5を想定していて、それがM9であったということは失敗であったというようにおっしゃったと思います。やはり、事前に起こり得る確率を検討し、どこまでならここは対処すべきか、どこから先は対処は要らないというような線引きが必要だったと思いますが、今回失敗だとおっしゃったところは、どこが失敗だとお考えなんでしょうか。南海トラフの場合は、従来のような想定をしっかりやるべきだとおっしゃったように思うのですけれども、その辺をどういうふうにお考えになっているのかをちょっと伺いたい。

【濱田教授】 
 日本海溝沿いの地震、これは中央防災会議の専門調査会が組織されました。そのとき、日本海構沿いにどういう地震が起こったかという議論があったわけなんですが、むしろ、海溝沿いですので、プレートが潜り込んでいるんですけれども、私は専門ではありませんけれども、要するに、いつももぐりこんで動いているというところで、ほとんどの領域がですね、そういうところには固着域というのがない。要するに、地震が起こらないという判断をそのときされたというふうに聞いています。ただし、その席上で、例えば、あれは869年ですが、同じような地震が起こっているぞというような発言をされた方もおられました。ただし、中央防災会議の専門委員会としては、これは起こらないとは言っていないんですが、我々が備えるべき地震は宮城沖の地震だという結論になったんです。
 なぜ、そういうことになってしまったかということを、やっぱり、これからきちっと検証していくべきだというふうに思います。ちょっと答えになっていないかもしれませんが、失敗という言葉が妥当かどうかはよくわかりませんが、私は失敗だと思っている。これ地震防災分野の研究者全員の失敗だと、地震学の失敗だけではなくて、我々、私たち地震工学ですが、全体の失敗であるというふうに思います。すみません、ちょっとお答えになっていませんが。

【野依主査】 
 この組織の活動ですが、いつまでにどういう提言をなさるかという、アクションプランのようなものはあるのでしょうか。合意形成も必要ですが、いつまでも結論が出なければ、実効あるものにならないという気がいたします。

【濱田教授】 
 学術会議の話でしょうか。今まで4回ばかりシンポジウムをやっていまして、学会間で共通に取り組むべき課題は何であるかというようなことが明らかになってきておりますので、6月の初めに、そういうものに、国が積極的に取り組むべきだといういようなことを提言としてまとめて発信する予定であります。

【野依主査】 
 6月まで。

【濱田教授】 
 はい。

【野依主査】 
 そして、どこに向けて発信されるのでしょうか。

【濱田教授】 
 今、国土交通省、経済産業省、文科省というところが候補になっておりますが、これもちょっと、私も提言が、震災の後提言が山ほど出ましたね。どの提言を読んでいいのかよくわからないくらい提言が出たわけで、我々のほうもちょっと問題なのは、提言を書き終えるとそれで終わりだと、いい提言ができたなというので、それで一安心ということになってしまうんですが、やっぱり、提言を出したらそれをフォローして、実現に向かうように粘り強く努力をするということがぜひとも必要だろうというふうに思います。

【野依主査】 
 國井委員、どうぞ。

【國井委員】 
 防災にITは非常に重要だ、情報関係が重要だというお話がありましたけれども、14ページを見ますと、ITで主力の学会が入っていません。情報処理学会とか電子情報通信学会ですとか、そういう学会が積極的に参加していないということですか。

【濱田教授】 
 それはですね、この会合自体、自発的な集まりでございまして、お入りになっていただくのは、ぜひ、ぜひ、入ってくださいということなんですが、こちら側からこういうものができましたよということで、現在のところ働きかけてはおりません。御指摘の趣旨はよくわかりましたので、機会があれば、そういう学会にも声をかけてみたいというふうに思います。

【野依主査】 
 大垣委員。

【大垣委員】 
 いろんな連携をとるというお話で、私も濱田先生と下水道の災害等で御一緒にしたことがありますが、先ほどのこの、要するに、学術の面から社会に具体化する、特に、津波への対策のようなものを具体化するとなると、地方自治体がかなり重要な役目を果たすんじゃないかと思うんですが、国も、もちろん法律をつくるのは国が重要ですけれども、地方自治体と学術との関係についてアイデアか何かございますか。動かすためには、地方自治体のほうが早いのではないかと思うんですが。

【濱田教授】 
 そうですね、やはり、今、被災地が何を要求しているのか、学術・技術に対してのニーズの把握というのは、必ずしも十分でないような気がします。東京でものばかり考えているのではなく、やっぱり、我々技術者は被災地に乗り込んで、見学に行くんではなくて、被災地の自治体の中に入って、復興のために一緒にやるとかそういうことをやっていくべきなんです。それは、NPOの力も多いと思うんです。そういう活動もあわせて、グラスルーツの活動もやって、それを全体の研究、学術の研究、そういうものに生かしていきたいというふうに思っています。

【野依主査】 
 ありがとうございました。
 いずれにいたしましても、複数の委員会の関係者が一堂に集まって議論をすることで、個々の分野の専門家のみで議論しているよりも、やはり、多様な観点からの意見が出て大変議論が深まると思います。どうもありがとうございました。
 研究計画・評価分科会のもとでは、ライフイノベーションを検討する領域①、グリーンイノベーションを検討する領域②、共通基盤について検討する領域④のグループにおいても検討が行われる予定と伺っております。ぜひ、他の領域グループにおきましても、多様な分野の専門家を交えて研究開発方策を検討いただきたいと考えております。
 他の分科会からの御報告事項、ございますでしょうか。ございませんか。
 それでは、また、資料1-3の基本論点全体につきまして、何かお気づきの点がございますでしょうか。
 ないようでございますので、引き続きこれに沿って、議論を進めていきたいと思います。ありがとうございました。
 この委員会には各分科会の主査に御出席いただいておりますし、文部科学省からも幹部の方が御出席ですので、本委員会の議論を今後の審議に大いに役立てていただきたいと思っております。そして具体的な施策につなげていってくださること、ぜひともお願いいたします。
 それでは、議題の2でございます。「「社会と科学技術イノベーションとの関係深化」に関する基本的な考えについて」に移ります。
 本日は社会と科学技術イノベーションの関係のうち、政策形成プロセスにおける課題について、大阪大学の小林傳司教授に御発表いただきます。
 小林教授は科学哲学、科学技術論を御専門にされておりまして、現在、大阪大学コミュニケーションデザインセンターの教授でいらっしゃいます。先ほど事務局から説明がありました資料1-3の基本論点でも、視点4「社会への発信と対話」としてリスクコミュニケーションの在り方、科学技術への信頼の獲得等が記述されており、この点からも先生の御発表は参考になると思っております。
 それでは、20分程度で御説明いただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

【小林教授】 
 大阪大学の小林でございます。私がどういう人物かという説明ですが、まず私は理系出身で、しかし、大学院の段階で文系に変わってしまった、これが1点目です。それから、2点目は、参加型のテクノロジーアセスメントというものを実際にやり、そして、学会をつくってしまった。それから、三つ目は、第4期基本計画の原案を作る文科省の会議でも席におりまして、恐らく、第5章の部分に関しては、それなりに一生懸命に考えてきたということでございます。
 この4月3日に平野文部科学大臣がこういうメッセージを発しておられまして、私は、  非常に重要な論点と考えております。科学技術を我々社会がどういうふうに使っていくのかというときの基本的な視点を我々が考えてこなかったという問題があると思うんですが、この限界と危険性というものをちゃんと踏まえなくちゃいけないということを文部科学大臣が出されたということを、私は大変うれしく思います。
 と申しますのは、これ、現在の高校の教科書で、私が作成に携わったものでございます。科学的なものの見方というのはどういったものであるのかということを見開き2ページで説明するようにというのが学習指導要領で求められておりました。それで、私は非常に悩んだあげくに、コントロール、対照実験を医薬開発の場面で例示した説明を書きました。そして、まとめの文章にこのような形の文言を書きましたところ、検定でひっかかりました。どこがひっかかったかということを申し上げますと、科学によって明らかにできないこともあるんだというこの一文がよろしくないと言われました。そして、そのときの検定意見は、科学には本質的に限界があるという印象を与えるのはよくないということで、修正しなければ検定を通さないと。私はこれ、非常に問題だと思いましたが、やむを得ず修正しました。それで通りました。現在まで使われています。
 これは、科学をあたかも宗教のように扱っていると思います。やはり、科学には、明らかにできないことがあると思っておりますが、そういうことを教科書に書かなければいけないのに書いてこなかった。これ、多分2000年、2003年ぐらいだったと思います。
次のスライドは私が学会をつくったときに何を考えていたのかを示すものです。この設立趣意書では、20世紀と21世紀で、少なくとも新しい科学技術と社会の関係は変わってきている。特に、20世紀中に生まれてきたものからいろいろ学んだ上で、新しい関係をつくるということがこれから必要。しかも、文系の人間、理系の人間が分断していることによって、議論するフォーラムがない。だから、それをつくらなくちゃいけないのだという使命で科学技術社会論学会をつくりました。
 このあたりで、第2期の基本計画でも、既に、人文・社会科学はこれまで科学技術と社会の関係の課題に取り組む点で十分ではなかったという記述も見られたが、しかし、これは余り実質化しなかった。3期でもこういうテーマをいろいろ掲げておりますが、余り進まなかった。
 そして、第4期、これは3.11のことを踏まえて、書き加えられていきました。
これはかなり踏み込んでいると思います。このような加筆が、あの事故が起こらなければ行われなかったというのが少し残念なことではありますが、ここでレギュラトリー・サイエンス、テクノロジーアセスメントという言葉が正面から語られています。
 このレギュラトリー・サイエンスというのは日本の科学技術の世界で一番弱い部分でありまして、研究者の層も薄く、しかも、これは単なる規制の科学という印象を持たれているわけですが、実は、そうではなくて、社会的な価値と科学的な妥当性を調整する学問、レギュレーションというのは調整のための学問と解すべきです。こういったものが我々の社会ではやはり欠けているんではないかという問題意識で第3期、第4期で議論したわけであります。テクノロジーアセスメントも似たような発想です。
 私自身はこのトランス・サイエンスという言葉を使ってきましたが、これは、アルヴィン・ワインバーグというアメリカの原子力工学者が言い出したことで、1970年代にこういうことを言っています。つまり、科学に問うことはできるが、科学だけで答えることができない問題群があるといって、その典型的な例として、彼は原子力発電所の例を挙げている。多重防護装置が機能を停止した場合、何が起こるかというと、大変クリティカルなことが起きるという点で科学者の意見は一致しますので、これは科学的に答えることができる。
 では、どのぐらいの確率でそういうことが起こるかというと、非常に低い。しかし、その数値はぴしゃっと科学者の間で意見は一致しないけれども、低いということで一致する。しかし、次のステップ、そのぐらい低いのだから、もう大丈夫とか、それとも、このぐらい低くても起こってしまったら大変だから、もうちょっと何か考えるべきだという判断になると、それは科学者の中では答えは出ない。そういうのがこのトランス・サイエンス的なんです。こういうものがどんどん出てきている時代においてどうするかという問題提起である。彼の答えは、これは社会が決めなければならない。もちろん科学がやるべきことはやらなくちゃいけないが、最終的に、この技術をどう使うかというのは社会が決める。その社会の決定という結果を覚悟しなきゃいけない。科学者はそれを受け入れなきゃいけない。こういう言い方をしています。
 伝統的な科学というのは、客観的事実のあつまり。そして、権力、つまり、意思決定をするところに対しては、truth to powerという言い方で、真実を権力に差し出す。そして、価値判断をした上でどれを選ぶのかという分業体制というのが非常にイメージしやすいと思うんですが、これがもはや成り立っていない場面がいっぱいあるという問題がある。こういう重なってしまうような領域でどうするかというときに、科学に基づき政策を決めるという言い方には大きな限界があり、非常に難しい問題である。そこをどうするかというのが課題だと思う。
 研究者のほうもまだその問題を解決できておりませんので、これに取り組まなければならない。というのは、やはり、科学者集団が自分たちの研究と伝統の中での新奇性だけを追究するだけでなく社会の求める課題解決に対しての新奇性を評価する仕組みが必要である。それから、何のための科学技術かという、社会は何を期待してるかということをちゃんと酌み取るというですね、このチャンネルをわれわれはあまり持っていない。そして、可能性と限界というところでは、不確実性というのは逃げられない。それに対してどうするかというところをまず検討する必要があると思います。
 このような問題意識は、実は、日本だけではございませんで、OECDのGlobal Science Forum、2008年に行われました。そのときImproving the Dialogue with Society on Scientific Issuesというテーマでした。日本でこういうことを余りやっている人間がいなかったものですから、私が代表で出たわけです。そのときどういう問題提起がなされていたかというと、一般の人々は非常に科学に関していろんなことを考えたがっている。実際、模索し始めている。そういう問題がいっぱい出ているんだというところで、16ページのところを見ていただくと、これ、遺伝子組み換え、ナノテクノロジー、核廃棄物それから地球温暖化、こういった問題がいろいろ出てきていて、それも今までのような少数のエキスパートだけで決めるというのはもたなくなってきて、人々も発言したがっている。どうしようかというのがOECDのこのワークショップの問題意識の一つでした。
 昔は、例えば、日本でいうと、1960年代は、知識というのは専門家が正しい知識を持っているのである。素人に対しては教育をしていく。正確な科学知識を与えましょうとやっているわけです。無知なんだから正しい知識をトップダウンで与えなければならない。人々は正しい知識が欠如しているんだ。だから、一方向的に正しい知識をきちんと教える、これは、いわゆる科学リテラシーの強化というタイプの意見ですね。このモデルがもうもたないというのがOECDの問題意識なのである。なぜそうなってきたかというと、我々の社会生活の中に科学技術に満ち溢れてしまっている。そして、60年代と違いまして、先進国では、科学技術が出てきたら、それに対してみんながもろ手を挙げて喜ぶという時代ではなくなってきている。つまり、自動的にそのメリットを肯定的に評価する時代は終わった。だからこそ双方的なダイアローグが必要なんだ、そういうことなんです。
 そうすると、当然、問題がいっぱい出てくるわけで、人々が危惧している懸念というのはどうやって把握するんだ、それから、意思決定の最終的な決定を行うのは国会であるから、国会の議員さんの発想と人々の意見とがずれているということもあり得るだろう。それはどうすればいいのか。あるいは、そういう人々の意見から政策をどうやってつくるんだ、これも問題点。このあたりが、実は、解けない問題として先進国が悩んでいる。これは決して日本だけの問題ではなく、世界の先進国が悩んでいる問題ということが言える。
 そういう意味で、今、我々の社会において、政策形成においてどんな課題があるのだろうかというと、やはり、真理を伝える科学と、先ほどの価値に基づく意思決定がきれいに分業できなくなって、混合物のようになっている。ここにあるICRP、ECRPの勧告や評価は、最近の低線量被曝の問題で非常に話題になりましたし、IPCCの報告書は地球温暖化問題を考える基準となっています。これらのレポートは、例えば野依先生がなさっているような科学と同じ性質かというと、当然そうではない。明らかに、意思決定のサポートをするような、判断を含んでいる。しかし、同時にこれは非常に科学的なベースを持っている。これが一旦国際的に登場してくると、各国の政策決定はこれを前提にして議論していく。
 こういうものを科学というのか、何というのか、先ほどのレギュラトリー・サイエンスのようなものだと思います。こういうものがどんどんふえてきているという。それから、もう一つは、これは関与者、参加者の拡大、つまり、複雑な問題に関して、その問題に適切な専門家をどうやって集めるかというのは大問題です。それは、原子力発電所事故のときも如実に我々は経験したんですが、専門家によって意見が違う。分野のものの見方によっていろいろな角度から意見を出してくる。どこに適切な専門家がおり、どの意見に基づいて判断すべきかという難問があります。
 それから、社会の中にはあふれ返るほど科学技術が組み込まれていますから、利害関係者のリストは研究者だけから構成されているわけではない。多様な利害関係者をどうやって巻き込むか。そして、利害関係者の中に市民も含まれる。こういう構造の中で、コミュニケーションが改善されなくてはいけない。つまり、社会的な課題をどうやって発見するかというときに、研究者だけで社会的な課題を発見ができるのかという問題がある。だから、政策決定をするときに、誰と議論した上で決定すればいいのか。例えば、政策を実施するときに、あるいは合意形成するときに、今までのやり方でいいのか。ただシンポジウムをやればいいのか、公聴会をやればいいのか。それではもたないというのは、恐らく政策実施のところに携わっている方は皆さん感じておられる。
 これ、海外の指針の事例ですけれども、政府の意思決定者によって考慮されなくてはいけないものはいろいろあって、科学的アドバイスはその一つであると。ほかに、社会的・政治的・経済的・倫理的な考慮が必要なんだということ。これがイギリスの例です。下のほうはドイツですが、科学的政策助言の中で出てくる知識は、学術的知識を越えたもの、つまりレギュラトリー・サイエンス的な考え方を入れた新しい仕組みが求められている。
 こういうのに対して、日本の場合、これ、何もないんですね。審議会を構成するときの基準でも何にもない。バランスよくやるしかない。
 余り抽象的な話ばかりでは問題ですので、ちょっと一つ具体的な例、これは遺伝子組み換え論争で、これはヨーロッパでは90年代に非常に問題になりました。ヨーロッパでも日本でも、専門家や政府はどういう発想でいたかというと、先ほど言った欠如モデルで、正しい科学知識を人々に与えれば、人々は反対しなくなるだろうと考えた。それから、科学に基づいて安全性をちゃんと説明すればいいだろう。それから、ゼロリスクはないということをちゃんと伝えましょうというやり方でありました。これ、ことごとくうまくいきませんでした。
 大体、人々がどういう疑問を抱くのかということを国際的にいろいろな市民について調べていったペーパーがある。ちなみに、このGMOという言葉を原子力発電所というふうに置きかえていただいても、ほとんど全て成立するようになっています。何でこの技術が必要なのか、その技術から誰が利益を得ているのか、どうやって決定したのか、それから、商業化される前に、なぜ相談してくれなかったのか、それから、買うか買わないかというのを我々のほうに選択できるようにしてくれないのか、規制当局はちゃんと効果的に規制する十分な権限と能力を本当に持っているのか。
 それから、ちゃんと管理はできていますか。リスクはちゃんと評価されていますか。だれがどのようにそれを行っていますか。長期的・潜在影響は評価されていますか。わからない不確実性や未知の事柄は、どういうふうに考慮されているのか。そして、予見されていない問題が生じた場合の救済策として、どんなプランが立てられているのか。予見されていなかった被害が生じたときに、だれが責任を負うのか、どうやって責任をとるのか。こういうことが常に市民の側から問題提起される。
 これに対して、専門家や政府は一貫してリスクと安全性の議論だけで対応してきた。そこに完全にすれ違いが起こってきたというのが国際的な傾向です。私自身が遺伝子組み換え農作物をテーマに行ったテクノロジーアセスメントと全く同じ結果です。
 つまり、常に自然科学だけでは答えられない問いがある。イギリスは反省をいたしまして、2000年に、Sir Robert、イギリスの科学顧問ですね。彼が、こういうふうに言っています。つまり、「遺伝子組み換え論争というのは、安全性というものと違う。それよりもっと大きな問い、つまり、我々はどんな世界に住むことを欲しているのかをめぐる問いだったんだ」それを見誤ったというので、イギリスは社会にダイアローグというのが、極めて不足していた、今後はこれを専門家集団の文化にしましょうという方向にかじを切ったのです。私は、このころに日本でもこういう問題を考える時期が来ているというふうに主張したんですが。
 最後に、リスクの話を少しします。生起確率とハザードの掛け算、それだけでいいのかどうかという問題であります。システミックリスクという考え方がございます。これをちょっと御紹介したい。これはドイツのレンという研究者が出したものです。リスクというのは、実は、政策を考えるときにどのぐらいの危険があるだろうと、つまり、確かに損害の程度というのはありますけれども、それは確率で見積もるわけですが、不確実性が必ずある。それから、その損害がどのぐらいの広がりを持つタイプのリスクなのか、あるいは、時間的にどのぐらい継続するタイプのリスクなのか、あるいは、元に戻すことができるような被害なのか、それとも、もう元に戻せないのか、あるいは、原因と結果が出てくる間に時間がもっとかかるのか、すぐに結果が出てくるのか。それから、利益の享受者とリスクの担い手が同じなのか、別なのか。それから、人間という感情を持った動物にとって、極めて深刻な情緒的不安を引き起こすようなタイプのものなのか否か。つまり、社会的動揺の可能性。恐らく、こういうものは感情的反応とか情緒的反応と言いますけれども、じゃ、これを科学的データでその感情を殺しなさいよというやり方が本当に良いか。感情を持っているからこそ恋愛もし、感情を持っているからこそ怒り、という形で動いている動物である人間に対して、このような数値によって克服をという形では、恐らく説得はし切れない。
 これで、そういう観点を経たときに、例えば、リスクのタイプというのは、縦軸がハザードの確率、横軸がダメージの大きさのグラフで表現されますが、この平面の中で、タイプによっていろいろあるだろうとグルーピングしたものです。これが、ギリシャ神話を使った言い方をしており、こういうダモクレス型とかですね、それから、キュークロープス型と言っている。例えば、ダモクレス型というのは、これは王様のいすに座ると、細い糸でうえから剣がぶら下がっている。何かの都合ででぷつっと切れると、死んでしまうというそういうタイプなんですね。
 それから、キュークロープスというのは、リスクの確率と、それからハザードという二つの要素のうちの片方しかはっきりしない。もう片方は、はっきりしない。キュークロープスが一つ目だからなんです。火山の噴火、津波、洪水とかこういうものは、恐らく生起確率はよくわからない。しかし、被害は大体どういうものかはわかる。こういうタイプのものなんです。
 ピューティアというのは、これはデルポイの神託の巫女だったわけで、盲目となって、未来を予測する能力を持ったんですが、予言がすごくあいまいであったというふうに言われています。つまり、起こることは大体わかるんだけれども、どのぐらいの確率で、いつごろ起こるのか、どんな被害があるのかわからない。
 パンドラ型も確率はよくわからないけれども、起こってしまうと、元に戻すのは非常に困難なタイプというふうに全部それなりの特色を受けた形で分類しています。
 ドイツ人たちというか、そのレンたちは、こういうタイプに応じてマネジメントのやり方を変えなくてはいけない。どれにも対処できる同じマネジメントの公式があればよいが、機械的にこのマネジメント方式が使えるという判断ができるわけではない。ただ、重視すべきマネジメントはこういうふうにリスクのタイプに応じて使い分けることが必要だと。具体的なリスクになると、この表のとおり、きれいに分類できると限りませんので、複合的な側面は当然持ちますから、マネジメント形式をいくつか組み合わせなくてはいけないということを言った上で、これは行政官に対しての一種の信号(シグナル)として、頭を整理するためにこうやって分類をしているんだということです。
 どの場面でも恐らく価値判断というものがどうしても出てくるわけです。例えば、上のほうで、科学に基づくといって、先ほどの例で言いますと、これ原子力なんかそういうことになるわけですが、単純に科学に基づくだけで原子力のリスクマネジメントはできないわけでありまして、そのことは今回我々の経験したとおりです。この場合は、多様な専門家、科学者以外の専門家も含まれた上での知識をちゃんと動員しなくてはいけないということですね。どういう問題の立て方をすれば、この問題に対処できるかを考えなくてはいけないというのが重要ですね。だから、危機管理の問題になるということを言っています。
 それから、予防原則のところだと、予防原則というのは、なかなか賛否両論があって難しいんですけれども、過剰な予防原則の使い方と、それから過少な予防原則の使い方のバランスをどうするかということを誰が決めるのかということが課題になります。これに対しては、一種社会的条件を考慮しないといけないということが指摘されています。社会的条件をもっと重視しようとすると、信頼構築が必要になる。細かく説明する時間が余りありませんが、一応、縦軸のこちらにいくほど科学の役割が大きくなりますし、下のほうにいけば、科学の役割というよりも社会的な考慮の役割が強くなる。そういうことをどうやって組み合わせるかということを考えるべきだというのがシステミックリスクの考え方であります。
 関与者の拡大の意義という話をいたしましたが、これにも少しだけ簡単に触れておきますと、民主主義社会である限りおいて、これは当然の要請ということは言うまでもないと思います。2番目のところですが、不要な対立の解消と信頼の醸成というものがあります。つまり、社会的に人々がどういう懸念を抱いているかということを発見し、そして、それに対して適正に対応できるような問題の立て方をするということを先んじてやるというのが極めて重要だということです。
 ただ、信頼という点は、これは先ほどのこの委員会の基本論点のところに出てきておりますが、大変重要な問題で、信頼というのは意図と能力の両方の側面を持っています。あの人はいい人なんだけれども、気持ちはわかるんだけれども、あの人に任せられないという構造では困りますし、あの人、非常に能力は高いんだけれども、本当に我々のために能力を使っているのかということもある。今回の原子力発電所の事故では、両方の意味での信頼がかなり崩れたと言わざるを得ない。これをどうやって回復するのか。これは簡単なことではありませんで、社会心理学者の木下先生がおっしゃっていますが、毎日毎日の積み重ねによって信頼は構築される。しかし、崩れるときは一瞬でという言い方。ですから、これは本当に時間がかかるだろうと思います。
 それから、三つ目は、政策の質の向上であります。これは、どれだけ多様な分野の専門家の知識や、それから、専門家以外の人々の知識をうまく動員するかというのが一つ。先ほどの防災、津波の話の中で、これだけの違う方々の知見をどうやって動員するかということがまさに課題になっている。そのことによって多様な価値や利害の反映と調整が可能になって、公益の発見へとつながる。
最後、これは余り言いたくはないことですが、我々はこれを覚悟しなくてはいけない。つまり、世界が確率論的に描写されている限りにおいて、ゼロリスクはないということは、事故はゼロじゃないということです。したがって、どんなに頑張ってやってみたところで、起こるときには事故は起こるかもしれない。そのときに、納得のいく失敗なのか、つまり、後悔を最小化できるかどうかという観点は、苦い薬ですけれども、我々も飲まなくちゃいけないんだ。だから、大丈夫ですと言うんじゃなくて、ここまでやりました、失敗したら、ごめんなさいということを覚悟するような時期が来ているように思っています。
 最後、関与者の拡大の方法というのは、ただ市民参加をやればいいなんていう、そんな安易なことではありません。そうではなくて、多様な必要に応じた適切な参加者、関与者をちゃんと拡大して入れることができるかに頭を、知恵を絞る。特効薬、万能薬的な方法、これがあれば大丈夫ということはありません。市民参加はその一つに過ぎない。市民参加は確かに重要だと私も思いますが、課題もたくさんある。ただ、今、我々はどういうやり方をしているかというと、パブコメ、公聴会、シンポジウム、世論調査といったことをやっておりますが、これで本当に人々の、参加を求める人々の意見をちゃんと酌み取れているかというと、大変怪しい。
 世論調査なんか繰り返されていますが、あの選択肢に対して人々は何秒考えるんでしょう。反射的な回答を1万通集めるというものが世論、パブリックセンチメントであります。そうではなくて、我々の欲しているのはパブリックオピニオンなんだ、輿論。我々はこちらのほうをどうやって発見するかということを考えていかなくてはいけない。今、先進国が取り組んでいく課題というのは、いわゆるトランス・サイエンス的な課題になってきている。だから、これをどうするかというときに、それに対応できるような新しいタイプの学問、つまり価値判断にもコミットできるような、しかし、自然科学的なバックグラウンドを持った、レギュラトリー・サイエンス、調整のための科学、これをつくらなくちゃいけない。
 そして、非常に大きなテーマというのは、ethical legal and  social issueになる。そのときの特徴的な方法として、様々な、適切な関与者をどうやって拡大するかというのが課題になってくるんだと思います。
 以上です。

【野依主査】 
 貴重なお話をありがとうございました。
 御質問、ございますでしょうか。
 佐々木委員、どうぞ。

【佐々木委員】 
 大変貴重なお話をありがとうございました。一つだけ、このレギュラトリー・サイエンス、いかなる意味でのサイエンスか。

【小林教授】 
 サイエンスの定義の問題だと思います。先ほど、教科書の作成のときに科学的方法というのを説明しようと私は苦しんだ。長年の科学論とか科学哲学の結論というのは、どの科学、サイエンスにも共通の科学的方法というものを定式化することができないという結論になっているわけです。
 ですから、科学には非常にたくさんのタイプがあろうかと思います。先ほどのように英語でレギュラトリー・サイエンスと呼ぶのはなぜかというのは、歴史的な偶然が大きいと思います。明確にこのレギュラトリー・サイエンスという言葉を使われたのは、日本では、ここに書いてある内山先生だと思います。それから、アメリカではシーラ・ジャサノフという法学者が法や裁判の場面をもとにして考えていくことによって、科学的な分析能力と社会的な分析能力を両方が一体になっている新しい学問が必要になったというところを、英語の世界だと学問というのをサイエンスと呼ぶと思うんですが、だからサイエンスになっているんです。いわゆる、純粋なピュアサイエンスとは違います、ということをどういうふうに表現するか随分悩んだ。

【佐々木委員】 
 ですから、またサイエンスかという話にならないようにしなければいけない悩みをお持ちだということを確認できれば大変良い。

【小林教授】 
 全くそのとおりです。

【佐々木委員】 
 どうも失礼しました。

【野依主査】 
 野間口主査代理。

【野間口主査代理】 
 第4期の科学技術基本計画を見ますと、レギュラトリー・サイエンスは、薬とか、医療機器とか、先進医療とかそういった領域に対応しているように読めてしまいますが、先生のきょうのお話を聞いていますと、非常に広くとらえておられます。私もまさにそのように思うのですが、広いとらえ方が世界的に一般化していると考えてよろしいのでしょうか。

【小林教授】 
 日本以外では一般化していると思います。とりわけ、アメリカはそうだろうと思うんですが、日本は、非常にそういう分野の研究者の層が薄いと思いますね。確かに、もともと医学、医療から生まれてきたものだが、我々の持つ課題というのはほとんど同じ構造ですので、逆に、日本からそういうものをちゃんとやるんだというメッセージを発してもいいと思うんですね。
 これは、私の世代の感覚かもしれませんが、海外の先進事例を調査しに行くというこの儀式はやめたほうがいいんじゃないかという気がして、今、日本の社会で大事だと思う課題があれば、それに対してちゃんと取り組んでみて、失敗してみて、そして、直してという形でやるという、そういう覚悟を持つ時期に来ている。もちろん、海外の事例は参考にはできるんですが、原案を持たずに海外の調査に行くとやっぱり、頭がそっちのほうに行ってしまうんです。私はそういう時代は終わって、日本が本当の先進国としていくのであれば、本気で何が必要か考えてやるということも必要。でも、日本は残念ながらおくれている。

【野間口主査代理】 
 地球温暖化問題にしろ、それから、ややずれますが、ナノテクノロジーにしろ、科学の影響は、非常に広い領域に及ぶわけで、レギュラトリー・サイエンス的な見方を一般化して、科学技術の進歩によるベネフィットとリスクをバランスよく見ながらやっていかなければならないと思います。先生の御指摘のような考えをぜひ中心に据えて取り組まなければならない時代ではないかと私は思っております。

【小林教授】 
 おっしゃるとおりで、ナノもそうですし、最近だと合成生物学ですね。この言葉自体が、アメリカがそういう概念形成をしているんですね。だから、日本でもナノテクノロジーと言われる前からあのぐらいの粒子を使う技術というのを持っていた。しかし、それをナノっていう領域みたいな形で定義をつくって、そして、それと社会の問題はという形でアジェンダをつくっていくというのが、アメリカは非常にうまい。今、合成生物学の会議もそうです。
 だから、個別の研究で言えば、日本のバイオテクノロジー研究者たちがやっているわけですが、それを合成生物学とまとめて、そして、それと社会がどう関係するかという、そういうワークショップをアメリカはしょっちゅうやっている。ヨーロッパもやる。ただ、そういうワークショップに日本の研究者はほとんど参加しない。個別の狭いテクニカルなというか、専門性を持つ研究者はたくさんいるんですけれども、そういう枠組みをつくる能力がないし、つくられてしまったときに、ここに出ていく研究者がいないというのが一番の悩みです。

【野依主査】 
 そのとき、様々な事故が起こる確率と、そのダメージの程度をグラフにされましたが、津波のようなものであれば、だれにでも一定の被害が及ぶわけですけれども、例えば、医療になると非常に個々人の範囲となることがありますよね。副作用であるとか、過度の健康被害であるとか。レギュラトリー・サイエンスとしては、国が責任をとるべきものと、個人の意思決定で、個人の責任となる場合がありますよね。どのようにそういうのは考えたらいいのでしょうか。

【小林教授】 
 大変難しい問題で、今、子育て、赤ちゃんを産んだ若い夫婦の方々が随分悩んでおられます。いわゆるワクチン、かつては政府が責任をもって強制接種していた。これは、公衆衛生政策です。それが、ある時期から副作用について医師から十分聞いた上で、ご自分で判断してやってくださいという話なんですね。これは、公衆衛生政策の観点からいうと、かなり無責任なやり方じゃないかという議論があるわけで、それを一人一人がそういう個別のリスクを判断するという仕組みをつくって能力を与えるのか、それとも、先ほどのGMOのときのように、国としてこれは絶対受けてください、そして、問題が起こったときにはこういう責任を持ち、こういう対応をしますというふうなやり方をするのかという選択になる。それがケース・バイ・ケースになるのか、そこを考える仕組みが非常に弱いんじゃないかと。

【野依主査】 
 柘植委員、どうぞ。

【柘植委員】 
 今の32ページの最後の先進国が取り組むべき課題というところで、先生のお話に私も問題意識を共有する観点から質問が二つあります。
 一つは、トランス・サイエンスの、こういう名前をつけられましたけれども、社会的技術というか、そういう問題を学術の世界の論理にゆだねるだけで進んでくれるんだろうかという点です。これは、きょうの資料1-3、基本論点の中で、我々、この委員会でも視点の2「課題解決のための学際研究や分野間連携」は、この課題解決のために、まさに政策誘導的なメカニズムの構築が必要ではないか、こういう言い方をしています。学術の世界でこの政策誘導的なメカニズムというのは嫌悪感を持って受け取られるんですが、我々のこの委員会としては、両方、やはり、国という立場でも考えたときは、政策誘導的なメカニズムの構築は必要なんじゃないかという言葉を使わざるを得ない。1点目の論点は、トランス・サイエンスには、こういう政策誘導的なメカニズムの構築というのが必要であるか、あるいは、学術の世界に任せておけばいいのか、ということです。
 2点目は、32ページの中で、先進国が取り組むべき課題に抜けているんじゃないかというのは、教育です。科学技術の分野では人材育成という言葉になってしまうんですけれども、ずばり教育が、時間がかかるけれども、この問題に対しての教育を何らか、初等から高等の各段階に応じてやっぱり考えさせる機会があるべきじゃないか。
 ちなみに、日本学術会議はですね、もう2年近くなりますけれども、科学技術基本計画への提言の中で、従来のリベラルアーツ教育に対して、新リベラルアーツという言葉を使っている。それから、理学・工学部門では、科学技術・リベラルアーツという言葉を使っている。そういう意味も含めて、教育という言葉がここにないのは非常に問題です。時間がかかるけれども、それはやっぱり教育をしっかりやっておかないといけないと思います。以上2点です。

【小林教授】 
 1点目ですが、学術に任せることが必要なのか、あるいは可能かということですね。ここは、若手の世代の研究者たちが、自分たちの研究が社会にとってどういう意味を持つのかということを考えることが第一だという意識をやはり持ち始めています。
 例えば、30代ぐらいだと、日本で2005年ぐらいから科学コミュニケーションという考えがあり、それに影響を受けている研究者は増えている。しかし、シニアは全くそういうのに対しては冷笑的な対応をしがちです。ですから、時間はかかるけれども、学術の世界の中でそういう動きが出てくるだろうと思いますが、単にそれだけを待つのではなくて、何か仕組みを考えることも必要です。一つの例を申し上げますと、遺伝子組み換えの技術に関して、私は2000年のころに市民との対話で専門家をお招きして、そして、専門家が市民に対していろいろ説明をしたり、議論をしてもらった。そのときに、専門家はひたすら自分たちの研究がどんな意味があるのか、こんな御利益がありますよということを言って、安全であるとは言わなかったんですが、市民サイドはどういう反応をしたかというと、この科学・技術には将来的な可能性があることはよくわかる。だけれども、メリットは今はそれほど具体的ではないということを言った。そしてどうも開発のための研究には研究者はすごく気合が入っている感じもするが、安全性の研究に関しては、どうもいまいち気合が入っていないように見えるというふうに感じると述べたのでした。
 それから10年、昨年ですけれども、同じような場にちょっと立ち会ったことがあるんですが、研究者の説明態度ががらりと変わりました。大変上手で、そして、安全研究についても蓄積もできていました。10年で変わりましたねと私が言うと、その方が、安全研究でペーパーが書けるようになったと。つまり、その評価というのを、先ほどちらっと私が申し上げたんですが、こういう社会的な課題に関係するような問題についてのペーパーを書くことが評価される、アカデミアの中でそういう仕組みを入れてあげなければ、個人的にそういう思いを持っていたとしても、若手でもそうですが、業績にならないと生きていけない世界なんです。そこに手を入れれば、アカデミアの中でも私は出てくる可能性があると。
  それだけでは不十分ですから、具体的な場面の政策誘導も必要と思うんですが、やはり、私は、アカデミアの中でそういうものが評価されるように、レギュラトリーサイエンスというとまたサイエンスかと言われるんですけれども、少なくとも、そういうふうなコンセプトを出していって、そういうレギュラトリーサイエンスのペーパーを書くことが研究者として評価されるんだ、というふうな価値観をどうやって産み出していくかだと思います。
 それから、教育の部分ですが、これはたくさん言いたいことがあるんですが、それを精いっぱい少なくするために1枚目のスライドの検定のことを申し上げたわけでありまして、私は、現在の中等教育までは、ほぼこれから50年、100年の間に見解が変わらないぐらいに安定した科学知識を教えるという教育に特化し過ぎていると思います。それはそれで、正解の出る試験問題が作れるのですが、同時に、その科学技術が社会の中で使われたときには様々なフリクションがあり、そして、正解が科学では出せないということも含めて科学をどう理解するかという教育を中等教育でもやるべきだし、大学でもやるべきだと思う。
 私は、きょうは宣伝になるので言うつもりはなかったんですが、私がコミュニケーションデザイン・センターでやっているのは、十幾つある研究科の大学院生を同じ教室に入れて、そして、それぞれの専門性が支配できないようなタイプの科学技術に関係する話題を設定して、そして、文学部と工学部と理学部と経済学部の学生が一緒に議論する大学院の授業です。そういう演習型授業をもう6年以上やっている。そういうことをもっと本当はやらないといけない。総合大学のメリットというのは、そこにあるはずなんですが、みんな自分の研究科、専攻の単位だけで教育を受ける。そして、違った発想の人間と一緒に真剣に議論するような場をつくれていない。だから、そういう点では、私は、教育がすごく大事だと思う。

【野依主査】 
 私は、教育は生涯教育をやらないといけないと思います。科学技術は特に10年、15年経た内容は古くなってしまいます。二十歳ぐらいまで勉強して、後は勉強しないと、とても新しい内容についていけない。それは学校教育だけではなく、あらゆる類型のきちんとした教育をしなければならない。きょう、マスメディアの方もおられるかもしれません。メディアを含めあらゆる類型での社会総がかりの教育が必要じゃないかと思っています。
 黒田委員、どうぞ。

【黒田委員】 
 非常に面白い話、ありがとうございます。小林先生にはSciSIPにも参加していただいて、最終的には、僕はSciSIPの求めているものというのはまさに、先生のおっしゃるようなある種の科学を作っていくということだと思います。このときに、まだまだ僕も頭がときどき混乱するんですが、まだまだレギュラトリー・サイエンスと言われていること自身が、サイエンスかどうかという問いの前に、どういう条件をそなえたら本当にサイエンス足り得るかということがまだ不明確な状態で、対象としている社会そのもののコンプレクシティもどんどん動きますから、一つの方法でサイエンティフィックにやるということが多分求められてなくて、このサイエンスの在り方そのものがどんどん変わっていかなきゃいけない。そういう科学だと思うんですけれども、そういう中にありながら、やはり、政策に関しては何らかの合意をつくっていかなきゃいけないということが問題で、その合意とは一体どういうものになるんだということがまだよくわからない。先生はどんなふうに考えられますか。

【小林教授】 
 合意形成論の議論については、私はそれに対して割と冷ややかな人間で、合意できない問題ってどうしても残ると思っているんですね。最後に、合理的失敗という話をしましたけれども、政策の議論というのは、どこかでベストエフォートで留まらざるを得ないような、構造が残る問題が多くなってきています。それを、そのベストエフォートであって、失敗の可能性もあるということの合意はとらなくてはいけないんですが、どうもこうすればうまくいくという形の合意でいこうとすると、そんなことはないだろうという反対論が必ず出てきます。それを科学によって、ぱんと非合理だと言い切れるようなタイプの問題であればいいですが、そうじゃない科学の問題のときには、どれだけ頑張っても異論が出ます。
 例えば、地球温暖化でIPCCパネルの報告書に正面から反対している科学者がいるわけです。反論ペーパーもちゃんと出しているわけです、そういう意見に。それを、じゃ、主流派と少数派という言い方ができますけれど、じゃあ、少数派は間違っていると言えるのか。科学の歴史を考えたときに、そんな簡単ではないですね。でも、意思決定はそれを待っていられないわけですね、決着がつくまでは。そのときに、我々はどうするかというときの仕組みが今一番大事だと思いのますので、そのときの合意というものは、どこかでメタ合意であって、主流派の意見、少数派の意見それぞれが存在するということが現状であるということが合意なんです。
 次のステップで、じゃ、どうやって意思決定するかというときも、意思決定はここに任せましょうという合意をもう一度取らないといけない、そういう大変手の込んだ構造になってしまっている。そういう意味では、政治が残る。科学によって、政治の出番を減らすことができるという夢は、1960年代ぐらいのアメリカのポリティカル・サイエンスの発想なのですが、もう持たない場面が多い。だから、私は関与者の拡大という言い方をしたんで、あれでも合意するという保証はない。

【黒田委員】 
 いろんな意味で、レギュラトリー・サイエンスそのものが、ある意味で限界を持っているということはサイエンスである限り認めないといけないですね。その限界を明確に示して、その限界を納得して合意をするということが一つの合意の仕方です。
 それから、もう一つは、限界そのものもまだわからないままで、だけれども、その限界がもしあったときに、突き当たったときには、フレキシブルに対応できるような社会を担保していく部分、レジリエントな社会というのはそういうことだ。そこのどういう合意の仕方を得るかということが、レギュラトリー・サイエンスが、どういう科学になれば得ることができるかというのは究めることができるのでしょうか。

【小林教授】 
 それがわかっていれば。ただ、問題がそこにあるのは明らか。だから、EUは過去の事例の検証で“late lessons”「遅かりし教訓」という形で、過去にやってきたいろんな失敗事例を分析をしています。だから、DDTの規制とかフロンとかアスベストとか当初、政策当局が何をやり、そして、どういう失敗し、何が起こったのか。どういうことがわかったか、そこから何が学べるかということを一生懸命探っていく。そこから目指しているものというのは、よく言われるんですが、“the least regret”「後悔を最小にする」、つまり、これだけのことをやって、これだけの人々の意見を聞いた上で決めた、それで失敗した場合には、皆さん、納得するでしょうというその仕組みをどう作るか。成功をを保証するというのは、余りにハードルが高過ぎて、政治家も政策当局者も担げないんじゃないかという問題があります。

【野依主査】 
 古い言葉ですが、反証可能性を担保するということではないですか。意思決定しなければいけないんですから。

【小林教授】 
 意思決定しなくちゃいけない。

【野依主査】 
 では、井上委員、どうぞ。

【井上委員】 
 今のことと関連するわけですけれども、適切な専門家というおっしゃり方をされていますが、いわゆる学術研究の成果で生きている研究者が責任をとる格好でそういうところにかかわるということは、やはり基本的にできないだろうと思うのです。もし、そうだとすると、責任をとる専門家というような概念を新たにつくり、責任をとれる専門家という形をつくらないとならないのだと思います。最後はやはりよく専門のことがわかっていることが非常に大事になるのだと思うのですけれども、それをベースにした社会への貢献で評価を受け、またそれにふさわしい人材を教育する観点で責任を持っているような、何かそういう専門家をつくらないとならないのではないかと思います。どうしたらいいかわかりませんけれども、いわゆる学術の側の研究者という専門家ではない、何かある種別の専門家のキャリアパスをつくる必要があるのじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。

【小林教授】 
 イタリアのラクイラというところで地震が起こったときに、地震予知連のような団体があって、それで、小さな地震が起こっているんですけれども、これは大地震の前兆ではないというので、安心だ、大丈夫ですよということを言っていたんです。これは、地震学者と行政官のコミュニティだった。その後に地震が本当に起こってしまいまして、死者が出て裁判になりまして、それが過失致死罪という形で去年から裁判になってます。これがアカデミアとかネイチャーとかが、こんな形で科学者を裁判にかけてはいけないと、責任のとり方の問題だと。
 ただ、訴えた側は、別に科学者を牢獄に入れたいから裁判を起こしているんじゃなくて、なぜ、こういうふうな決定になってしまったのかということを知りたいから裁判しているんだという言い方をしているようですので、それは裁判、牢獄に入れたいわけではないんです。
 ただ、今おっしゃったように、アカデミアで研究をしている方々にとっての研究の評価とか研究の指針とか価値基準というものが、社会的な課題に対してその知識を提供するときに、その結果の責任を問われるというような形になりますと、怖くて、研究できなくなってくる。そういうことを過度にやり過ぎますと、我々の社会は科学者の専門的な知識をうまく使えない社会になってしまう。
 だから、科学者が知識をどのように提供し、そして、そこで失敗する場合に責任をどう負うかというところが、科学者に一元的に責任を負わせてはいけないという制度設計を作らないといけない。本来的にはそこを全部、最終的には政治が判断するところだと思う。ところが、政治のほうは、科学に基づいて決めるという形で、科学のほうに責任を転嫁したがるという傾向があって、両方が綱引きになるというのが今の現状ではないかと思います。
 私の理解では、最終的には政治だというふうにしなければ、科学者は専門性をうまく社会に提供できない。もちろん、そのときに科学者が満たさなくてはいけない倫理規範というものがある。職業的責任というのが、アカデミアの研究者としての責任規範とはちょっと違うタイプのものを設定しないといけないとは思いますが、いきなり刑事責任を負わせるというような、あるいは、金銭的な責任を負わせるような構造を安易につくることは難しいなと思う。

【野依主査】 
 専門家という意味が、昔からの学問分野の専門家ということを意味していますよね。そこを変えていかないといけない。知の統合といいますか、総合的でないと、社会の問題には対応できないという気がします。

【小林教授】 
 それに乗り出すときに、研究者にとってのキャリアとして成立するか、評価されるか。安全研究はペーパーが書けるから、出来る様になった訳ですから。そういう制度的枠組みを作らないと研究者が幾ら善意で、意欲があっても、やっぱり潰えてしまうんですね。

【野依主査】 
 佐々木委員、どうぞ。

【佐々木委員】 
 何度も申しわけございません。今、やっぱり、限られた時間の中で、とにかく、決定しなきゃいかんというオブリゲーションを持っているのは政治家なんですよね。科学者は別に永遠と研究していっても、科学者として不適格だというふうに言われるおそれがないわけですよ。ですから、ここのところ、今、先生が言われたように、結局、どちらかというと、政治家の、政治のほうは、言葉は悪いですけれども、ちょっと責任の範囲をより限定的に、自分たちの代替機能を、専門的な知識の名の下にやってもらいたいという構造的な誘惑と、それから、責任とセンスの問題というか、必ず伴うという前提でもってどういうふうにデザインするかということを考えなきゃいかんという意味では、我々のこの場の限界を超えた問題になるかもしれませんが、どうもそこが先ほどから繰り返し問題となっているように思います。

【野依主査】 
 議論がまだたくさんあると思いますが、阿蘇計画官、何か、我々の質問に足りないことがありますか。

【阿蘇計画官】 
 昨年の11月の基本計画推進委員会で決めていただいた「「社会と科学技術イノベーションとの関係深化」に係る検討の進め方」に基づいて、また、有識者の先生方を招いて御議論をいただいているところですけれども、今後、そういったことを踏まえて、この場で御議論をいただけるようなたたき台を事務局で用意したいと思います。きょうの基本論点でも書いてございますけれども、そういった問題につきまして、科学技術・学術審議会全体で、議論を深めていくような考えを、示していきたいと思っておりますので、また、よろしくお願いします。

【野依主査】 
 では、そのようにいたします。
 きょうは、小林教授、本当に貴重なお話をありがとうございました。
 それでは、引き続き、今後ともこの委員会においては、「社会と科学技術イノベーションの関係の深化」について検討を進めてまいりたいと思います。
 続きまして、議題3です。「最近の技術政策の動向について」となります。事務局から資料を説明してください。

【阿蘇計画官】 
 情報でございます。資料3をごらんください。資料3です。こちら、昨年の8月、第4期科学技術基本計画につきまして閣議決定をしたところですけれども、あわせまして、総合学術会議で第4期科学技術基本計画に沿った政策の確実な推進を行い、さらに、科学技術に関する基本的な政策の推進に係る事項について調査・検討を行うということで、科学技術イノベーション政策推進専門調査会が設置されました。
 3月21日に第1回の専門調査会が開催されておりまして、こちら資料3の6ページ目をごらんいただけますでしょうか。こちら、資料の6ページ目、ここで第4期科学技術基本計画の推進体制とございますけれども、この基本計画に対応いたしまして、各戦略協議会あるいはタスクフォース、ワーキンググループを設置することが決まっております。そして、今後、アクションプランなどの検討が行われることとなります。こういった状況も踏まえて、科学技術・学術審議会の各分科会等で議論を進めていきたいというふうに思っております。
 報告でございます。以上です。

【野依主査】 
 ありがとうございました。
 続きまして、議題の4、「その他」となりますが、今後の委員会の日程等について説明してください。

【藤原計画官補佐】 
 先生方、ありがとうございました。次回、第5回の推進委員会でございますけれども、改めまして、先生方の御予定を伺わせていただいた上で御案内をさせていただきたいと思ってございます。
 それから、本日の議事録につきましては、後ほど委員の先生方にメールでお送りいたしますので、内容を御確認いただきました上で、御返信いただきたいと思ってございます。
 なお、最後になりますが、本日、お配りした資料につきましては、お帰りの際に、お手元の封筒にお名前を御記入いただいて中に入れておいていただければ、事務局より郵送させていただきます。
 以上でございます。

【野依主査】 
 ありがとうございました。
 それでは、以上で科学技術・学術審議会第4回の基本計画推進委員会を閉会とさせていただきます。ありがとうございました。

 

お問合せ先

科学技術・学術政策局計画官付

(科学技術・学術政策局計画官付)