量子計測・センシング・イメージング(生物・生命科学系)に係る議論(平成28年8月25日、第5回)の骨子案

平成28年10月7日
科学技術・学術審議会 先端研究基盤部会 量子科学技術委員会

量子計測・センシング・イメージング(生物・生命科学系)
に係る議論(平成28年8月25日、第5回)の骨子案

研究動向

○ 科学の基本は観察にあり、産業や身近な生活を含む現代社会のあらゆる活動の基本も観察(計測・センシング・イメージング。以下「計測・センサ技術」という。)にあると言っても過言ではない。また、超スマート社会やSociety5.0あるいはIoT利活用といった未来社会が生み出す新たな価値創出にとっても、計測・センサ技術は鍵となる基盤技術である。

○ 計測・センサ技術に量子力学的な効果を利用することで、古典力学の活用を基本とした従来技術を凌駕する感度や空間分解能等を得る量子計測・センサ技術に近年、発展の兆しがある。例えば電子等の粒子が有する量子状態は、外乱で壊れやすいのが本質であるが、それを逆手に利用すれば、磁場・電場・温度等の外界の変化に非常に高感度に反応する計測・センサ技術となる。欧米政府が量子技術への投資を拡大する中、量子計測・センサ技術は幅広い用途にブレークスルーをもたらす技術と位置付けられている。

○ 生物・生命科学系においては、光学顕微鏡の発明が細胞の発見に繋がり、光の回折限界を超える微細な観察技術が細胞内小器官の発見や生体分子の解明に繋がっているなど、歴史的に計測・センサ技術の高度化が、生命現象の解明やその応用のフロンティアを常に切り拓いてきたが、それに量子計測・センサ技術が更なる革新を与える可能性がある。

○ 生物・生命科学系における量子計測・センサとして、固体量子センサ(例えばダイヤモンドといった固体中の原子レベルの空孔に閉じ込められた電子等の量子状態を利用して磁場等を計測するもの)、量子もつれ光を用いた生体イメージング(通常の光子でなく、2つの光子がどこに存在するかに依らず対となって関連する量子もつれと呼ばれる状態にある「量子もつれ光」を利用して顕微鏡や光干渉断層計の感度・機能を向上するもの)が、現時点で研究が進んでいる代表例として挙げられる。

(固体量子センサの概況)

○ ダイヤモンド結晶の格子中の炭素原子の置換位置に入った窒素(N)と隣接する炭素原子が抜けてできた空孔(Vacancy)からなる複合不純物欠陥(ダイヤモンドNVセンタ)の空孔に電子が閉じ込められており、そのスピンと呼ばれる量子状態の利用や制御が可能であることが2000年代以降、報告されるようになり、量子情報処理・通信を担う素子としてのみならず、計測・センサ分野での利用への期待が大きくなっている。

○ 量子状態の利用や制御のために極低温状態が必要な素子が多い中、ダイヤモンドNVセンタは、常温・室温で動作する点が大きな特徴である。そのため、実験室ではない実際の社会環境での利用はもちろん、生きた生体の観察に適し、磁場・電場・温度等を高感度に、また空間分解能をナノメートルからミリメートルまでスケーラブルに計測することができる。

○ 感度の面では、例えば心臓の鼓動に伴う心磁や脳の電気的な活動に伴う脳磁といった、非常に微弱な磁気(ピコテスラ(10のマイナス12乗T)からフェムトテスラ(10のマイナス15乗T)領域の磁気であり、地球の磁気が数10 マイクロテスラ(10のマイナス6乗T)であることに対して最大10 乗分の1にもなる微弱な磁気)が、SQUIDと呼ばれる超伝導技術を用いた特殊な大型機器を用いなくとも計測可能と期待されている。

○ ダイヤモンドNVセンタの作製技術としては、化学気相成長(CVD)と呼ばれる半導体・ナノテク分野で培われた技術を使って薄膜を成長させる方法、ダイヤモンドに窒素イオンを注入する方法、窒素入りの不純物ダイヤモンドに電子線等の量子ビームを照射して空孔を作り熱処理を施す方法が挙げられる。いずれも、我が国の大学や国立研究開発法人が国際的にも高い作製技術を有しており、海外の研究グループからも材料提供の依頼があるレベルにあることは特筆に値する。

○ 海外では、ドイツがパイオニアとして大学を中心とした欧米融合の拠点となっており、産業界も巻き込んで、固体量子センサに特化した研究拠点の建設が予定され、自動車への搭載や医療応用などを目指した研究が進められている。米国では、ハーバード大学がダイヤモンドNVセンタを重要3テーマのうちの一つとして掲げており、医学や宇宙分野などを融合したチームを作っている。

○ ダイヤモンド以外で固体量子センサの材料としての発展可能性があるものとして、炭化ケイ素(SiC)が挙げられる。ダイヤモンドと同様、SiCの結晶に原子の空孔を作り、その中の電子スピンを利用するものであり、常温・室温動作するとともに、例えば100ナノテスラ(10のマイナス9乗T)の磁気感度を達成したことが2016年に報告されている。

○ SiCを用いた固体量子センサの特徴としては、センシングに用いる発光波長がダイヤモンドNVセンタより生体を透過しやすい赤外波長であることがあげられ、生物・生命科学系の研究では、生体内のより深い場所の状態の計測に適している可能性がある。また、SiCはパワーエレクトロニクスの材料として我が国においても材料研究が盛んに行われているため、高品質化・デバイス化に有利で、低コストな材料となる可能性がある。SiC量子センサの研究は、国際的にも萌芽段階にあるが、ダイヤモンドNVセンタと同様に我が国の国立研究開発法人が作製技術を有しており、優位性がある。

(固体量子センサの応用可能性)

○ 固体量子センサは、常温・室温動作し、従来技術では難しい微弱な磁場・電場・温度・歪み等の信号を捉える量子計測・センサ技術であるため、応用可能性が非常に多岐に亘る。

○ 生物・生命科学系における応用としては、生体親和性を活用し、細胞、ニューロン、タンパク質・生体分子に対して、ナノメートルの空間分解能での定量的な磁場・電場・温度等の計測や、電子スピン共鳴を利用した単一分子のNMR・MRIイメージング、あるいは心磁や脳磁等の計測による産業・医療応用へと展開する可能性がある。例えば、生体内の局所的な温度といった情報は、従来技術では観察困難とされてきたものであり、生命現象の解明の新たなフロンティアを拓きうる。細胞などのミクロンオーダーの生体構造内にナノサイズの固体量子センサを導入する場合には、その手法の研究開発が重要である。また、食品の安全性評価で重要となる混入物検査などにも、固体量子センサ活用の可能性がある。

○ 材料・物質系における応用としても、スピン流等の材料・物性研究はもとより、蓄電池、燃料電池、パワーデバイス等の電界・電流・温度モニタといったエネルギー分野での応用や車載センサといった製造業分野での応用等が考えられる。センサが高感度で小さいことから、例えば、地下や構造物にある水道管等の水の流れの存在、ICチップ上での局所的な電流の存在といった、他手法では計測できない用途も考えられ、優れた耐環境性を活用し、超スマート社会における社会インフラ、エネルギー、製造業にわたるIoT利活用にとって重要な役割を担う可能性も指摘できる。

○ このように固体量子センサは、超スマート社会やSociety5.0 あるいは健康長寿社会を支えるプラットフォーム技術として、中長期にわたり、広い分野の産業界を支える可能性が指摘される。

(量子もつれ光を用いた生体イメージング)

○ 量子もつれ顕微鏡は、我が国研究者が世界に先駆けて開発し、2013年に発表された。量子もつれ光を利用することで、通常の光よりも少ない光量で高精度な観察が可能であり、照射できる光量に制限がある場合でも高い精度で二次元観察ができる。通常の光の限界を超えた1.35倍のSN比での微分干渉顕微鏡が報告されている。

○ 原理的には、もつれ合い状態にある光子の数を増やしていくことで感度を向上でき、例えばもつれ光子を10個に増やした場合は、同じSN比を10分の1の光量で実現する感度が期待される。これにより、例えば、生体細胞内のわずかな物質分布の変化の観察といった応用の探索が期待される。

○ 量子光干渉断層計(量子OCT)は、量子もつれ光を利用することで媒質の中の構造を高精度で三次元観察できる技術で、従来のOCTの記録である0.75マイクロメートルの分解能を超える、0.54マイクロメートルの分解能が2015年に我が国研究者から報告されている。従来のOCTでは水分を含む媒質を観察すると分解能が著しく劣化するが、量子OCTは、量子もつれ光がもたらす特徴により、水分を通しても分解能がほとんど劣化しないとの特徴があり、生体観察に適しているとの利点がある。

○ 従来のOCTは、例えば網膜疾患を早期に発見するために眼科で利用されているが、量子OCTによる、より厳密な診断や、眼科の他でも様々な生体組織の皮下の高分解能観察ができるようになる可能性がある。現在の課題は計測に時間が掛かることであり、今後、量子もつれ光の発生速度の向上や光子検出器の高速化が期待される。

○ 国際的には、量子光学研究は伝統的に欧州に強みがある。光子の検出技術は企業が担うことが多く、当初米国企業が先行し、現在は欧州企業が成長してきているが、我が国企業も存在感を示している。

(量子生物学)

○ 上記のような量子技術を用いた新しい生体観察手法が開発されつつあるとともに、細胞や組織中における量子力学的な効果の探索研究が萌芽的になされており、2012年には量子生物学に係る初の国際会議が英国で開催されている。

○ 例えば、固体量子センサといった新しい生体観察手法は、ミトコンドリアや細胞核など細胞内の局所の温度、電子輸送に伴う膜電位形成ダイナミクス、イオン電流である神経細胞の興奮により形成された微弱磁場といった、これまで適当な計測技術がなかった対象に計測の可能性を与え、細胞や組織中における量子力学的な効果の探索研究に繋がる可能性がある。

○ このように、細胞や組織中における分子集団のふるまいの時間発展や、光合成やミトコンドリアの中の電子伝達系といった生体内を流れる様々なエネルギーについて、量子論に基づいた理解をしていくことは、生物学・生命科学の進展の鍵の一つになる可能性が指摘される。また、このためには、物理学と生物学という、専門用語や研究手法の異なる分野の交流・融合が重要となることが指摘される。

日本の強み・課題

○ 応用可能性が多岐に亘り、社会的・産業的にインパクトを及ぼす可能性のある固体量子センサの作製技術において、現在、我が国の研究機関に国際優位性があることは特筆される。これは、半導体・ナノテク分野や量子ビーム研究分野での我が国の長年にわたる研究の蓄積が寄与してこその状況と考えられる。

○ 一方、我が国には、固体量子センサを応用した研究グループの数は多くない。応用研究の提案は、大型研究プロジェクトへの投資の拡大とも相まって、欧米が先行している。

○ さらに、競争している海外の研究グループからの固体量子センサの材料提供の依頼に対して、国際共同研究の在り方が問われている。現在は、材料や素子の提供に留まるが、作製技術を有する研究人材の流出に至ることになれば、我が国の研究競争力の観点からも懸念される。

○ 量子もつれ光を用いた生体イメージングについても、我が国研究者が世界に先駆けて開発を行っていることが特筆される。これは我が国の光量子物理学の伝統的な強みを背景にしていると考えられるが、一方で、専門用語の垣根やアプローチの違い等のため、物理学と生物学の連携・融合を行う研究グループの数は少なく、相互理解を深めて緊密な連携を加速することが重要である。

推進方策の検討にあたって考慮すべき点

○ 量子計測・センサは、半導体・ナノテク分野で培われた材料作製技術、デバイス開発、光量子物理学、量子ビーム利用など、我が国の強みが多面的に発揮できる上、医療からエネルギー・製造業まで非常に波及効果が広い。突出した点と点をつないで競争力を生み出す組合せがほぼ無限にあって、若手研究者の多様なアイデアを基に、新しい領域を拓くような、ハイブリッド型の研究推進による競争力強化が強く望まれる典型である。

○ 比較的小規模な研究費から立ち上げが可能な点でも、若手研究者が斬新なアイデアを出せる分野であり、若手研究者をどのように幅広く支援、育成し、活躍、独立させるかを考える良い領域である。

○ 量子計測・センサの開発には、理論、基礎物理、材料、物性、デバイス、計測、分析化学、生命科学など、異なる分野や技術段階の間での連携や流動性が重要で、このような広がりに跨がるような基礎研究や人材育成が重要である。これにより、オープンイノベーションをリードしていく人材の育成が期待される。例えば、異分野の若手研究者同士の協力関係を加速するための中規模の研究費の枠組みや、各々の研究費を合わせて大きな研究開発に展開できるようなフレキシブルな枠組み、異分野の一流のシニア研究者が若手研究者に対して支援・アドバイスを行う体制などの工夫により、一層の分野を超えた連携や流動性が期待できる。

○ 異なる分野や技術段階の連携によりプロトタイプを示す進め方は、可能性を明確化し異分野融合を促進するためにも有効である。また、国際競争の観点からも、産業界を含む大きな体制での研究開発が必要であり、その中で、人材育成、知的財産確保、標準化も進めることが重要である。これらには、ネットワーク型の研究拠点の形成による推進が適切ではないか。

○ 計測・センサ技術の分野に限るものではないが、欧州では研究者が国境なく往来して共同研究を実施しており、一国当たりの研究者数は限られていても、欧州全体として見ると多くの研究者が存在している。我が国の研究環境を改善することで、欧米との研究協力や共同研究を促進し、相乗的に技術を向上させるような国際化への対応が重要ではないか。また近年、中国やシンガポールといったアジアの研究グループも急速に力を付けてきている(注8)。アジアの研究グループとの積極的な研究協力や共同研究を含む研究ネットワークの構築についても考える時期に来ているのではないか。

以上

注記

(注8)
近年、欧州と中国の連携も強まってきており、例えば量子情報処理・通信の分野においては、2016年に打ち上げられた中国の研究用衛星を使用してオーストリアとの共同実験が実施されることになっている。

用語解説

SN比
信号(Signal)と雑音(Noise)の比率。数値が大きいほど雑音が少なく良好な状態である。

空間分解能
二つのものを二つと識別できる距離。分解能が低い計測機器だと、一つのものとしか認識できない物質を、分解能が高い計測機器ならば、どんなものから構成されているか、明確に分類・判別することができる。

光干渉断層計(Optical Coherence Tomography)
微弱出力の近赤外線レーザーを用いた非侵襲性で観察であり、放射線被ばくなどの生体に対する為害作用が全くなく安全とされている。また、リアルタイムで画像が構築されるため短時間での診断を可能とする。医療において、X 線、CT、MRI、超音波検査などに加えて、新しい優れた診断装置とされており、網膜の検査をできることから、緑内障の診断などのために眼科で使用されている。


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科学技術・学術政策局 研究開発基盤課 量子研究推進室

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