近年、我が国をはじめ世界中の国々は、経済的・社会的に一つの岐路とも言うべき大きな環境変化に直面しており、各国ともこれらに対処するための様々な政策を講じている中にあって、科学技術政策に期待される役割や、その在り方についても、また大きく変化している。
昨今の科学技術政策に関連する世界及び我が国における諸情勢の変化、さらには諸外国の科学技術政策の動向のうち主なものとしては、例えば、以下のようなものが挙げられる。
近年、世界各国においては、以下に挙げる例のように科学技術及びイノベーションの政策的な推進を加速させている傾向が見られる。
科学技術の振興は、これまでも例えば医療技術の発達による国民の健康改善や長寿の実現、新産業等の創出によるGDP向上、さらには宇宙開発をはじめとする新たな境地の開拓等、人々の暮らしや国の発展に大きく寄与してきた。
その中で、我が国においては、科学技術振興の重要性に鑑み、平成7年に科学技術基本法が策定され、それに基づく3期15年にわたる科学技術基本計画(以下、「基本計画」という。)の下で、政府をあげての科学技術の振興が図られている。
同法成立以降、政府の研究開発投資の増加や研究開発基盤の整備、システム改革等が進み、数多くの優れた研究成果や実績が上がっている。一方で、我が国や世界における深刻かつ重大な問題解決に向けた科学技術の一層の貢献や、将来の科学技術を担う人材の育成、研究開発を支えるインフラの整備等の課題も指摘されている。特に第3期基本計画期間における主な成果や課題としては、例えば、以下のようなものが挙げられる。
※1 「政府投資が支えた近年の科学技術成果事例集」(2009年3月科学技術政策研究所)より引用。
‐ 第1期:目標の約17兆円に対し、約17.6兆円。
‐ 第2期:目標の約24兆円(対GDP比1%、期間中名目成長率3.5%)に対し、約21.1兆円(期間中の対GDP比平均0.85%、名目成長率平均0%)。
‐ 第3期:目標の約25兆円(対GDP比1%、期間中名目成長率平均3.1%)に対し、平成21年度当初予算までで約16兆円(平成20年度までの対GDP比平均0.81%、名目成長率平均0.4%)。
今、我が国を含め、世界の政治・経済の勢力地図や経済社会構造が激変する歴史的な転換点にある。これまでは、世界第一位、第二位の経済大国である米国及び日本が、他国を引き離して、世界経済の中で大きな地位を占め、また先進国が国際的な政治・経済等の議論をリードし続けてきたが、近年の中国、インド等の新興国の台頭により世界の多極化への動きが急速に進展している。
このような状況において、我が国としては、多極化する世界の中で、我が国がどのような分野や領域等で強みを発揮し、持続的な成長や国民の豊かな暮らしの実現、さらには世界における地位の向上等を目指すのか等、世界における我が国の将来的な立ち位置を明らかにすべき時期に来ている。
また、このような世界の大きな変化の中で、我が国では、世界の未曾有の金融危機及び経済不況により、基幹産業等が大きな影響を受ける一方で、少子化の進展に伴う人口減少、急速な高齢化の進展など、社会や国民生活を取り巻く環境は厳しさを増す状況にある。さらに、世界に目を向ければ、環境問題、エネルギー問題、さらに貧困問題等の地球規模の課題については、これまで各国あるいは国際機関において、様々な努力が行われてきたが、未だ難問が山積している状況にある。
我が国においては、これらの複雑かつ深刻な課題の解決を図るとともに、社会・国民の安心・安全で質の高い生活を確保しつつ、安定的な経済成長を実現することを目指し、国としてあらゆる政策を総動員した総合的かつ体系的な取組を進めていくことが極めて重要である。
このような中にあって、科学技術は、天然資源やエネルギーに乏しい我が国が持つ有力な手段かつ資源であり、将来にわたって、様々な制約を克服しつつ持続的な成長・発展を遂げるとともに、世界の中で、その存在感を高め、確たる地位を占めていく上で欠くことのできないものである。さらに、科学技術は、その成果が社会に還元されるまで時間を要することが少なくなく、短期的な視点や経済的利益のみの視点から評価すべきものではないことに鑑み、将来の我が国に対する先行投資として、中長期的な展望に立って、推進を図っていくことが必要なものである。
このため、上記のような科学技術の重要性や、その役割・特性等に関する認識を、社会・国民が共有できるようにするとともに、その深い理解とそれらに基づく高い支持を得て、科学技術に関する幅広い政策を国家戦略として明確に位置付け、国として、これを一層強力に推進していくことが不可欠である。ここにおいて、今後の科学技術政策については、単に科学技術の振興それ自体を目的とする政策にとどまるのではなく、その成果を社会に還元するという観点から、我が国あるいは世界のための、「社会・公共政策」の一つであることを改めて明確にしていくことが必要である。
その上で、今後の科学技術政策の推進に当たっては、我が国の社会・公共政策全体の基本的な方針として挙げられる、1)医療や社会福祉、子育て、教育等が保障され、また多文化が共生する中で、国民の誰もが安心した生活を送ることができ、分け隔て無く社会参画できるようにすることを目指す、2)雇用や人材育成等のセーフティーネットを整備し、また食や治安等に関する安全・安心を確保しつつ、新たな雇用や需要を創出することで持続的・安定的な経済成長の実現を目指す、3)我が国が持つ豊かな経験と実力を活かし、人類生存に関わる危機に立ち向かうとともに、アジアをはじめとする世界各国と真の信頼関係を築き、多面的な協力を進めていくことを目指す、等の方向性と軌を一にして科学技術政策の総合的かつ戦略的な推進を図っていくことが極めて重要である。
前節で述べたような「社会・公共政策」の一つとしての科学技術政策の位置付けや、我が国全体の政策の方向性を踏まえ、今後の科学技術政策については、まずは国民の誰もが安定した就労環境の下、将来にわたり質の高い生活を送れるようにするため、科学技術を活用することにより、社会や国民を取り巻く様々な課題への対応策を提示していくという姿勢を一層明確にすべきである。
また、我が国は経済大国として、また成熟した民主国家として、国際社会に対して大きな責任を有しており、我が国が誇る先端的な科学技術を世界あるいは地球、さらには人類生存のための手段と捉え、地球規模で発生する深刻かつ複雑な課題の解決に向けて積極的に貢献していくという姿勢を示していくべきである。
上記の考え方を踏まえ、我が国が科学技術政策により中長期的に目指すべき国の姿を、以下のとおり新たに示す。
産業構造の変化や、少子高齢化等に伴う社会構造の変化が急激に進む中にあって、安定した就労環境の下、全ての国民が健康長寿の恩恵を享受し、また、地震・火山・津波・台風等の自然災害や重大事故、テロ等の不安や脅威から守られる社会の実現に向けて、サービス、医療・社会福祉、防災、食品安全等に関する科学技術を推進することで、将来にわたり、安心・安全で質の高い社会及び国民生活を実現するとともに、それらを国民の誇りとしていく国となる。
資源・エネルギーに乏しく、また少子高齢化の進展や人口減少が予想されるなど、様々な「制約」がある中でも、低炭素社会や循環型社会、ユビキタス社会等、世界のモデルとなる社会像を掲げ、その実現に向けて、イノベーションを通じた新産業の創出等にも結びつく最先端の科学技術や国の存立の基盤となる科学技術に取り組むとともに、それらを担う、優れた人材を育成・確保することで、国際的な優位性を保持しつつ、将来にわたり持続的な成長・発展を遂げていく国となる。
地球の将来に重大な影響を与えるおそれのある地球温暖化や、気候変動に伴う洪水・干ばつ、高潮等の自然災害、貧困国を中心に蔓延する新興・再興感染症、世界人口の増加を一因とする食料・水、資源・エネルギー等の欠乏、さらには生物多様性の喪失等、地球規模で発生し、国際協調・国際協力による取組が不可欠な課題に対して、重層的かつ多様な科学技術によるイノベーションを創出し、解決策を提示することで、これらの課題解決を先導していく国となる。
これまで人類が築き上げてきた英知を基に、人類のフロンティアを開拓するとともに、次代を担う子どもたちに科学技術への夢や希望を与え続けていくため、真理探求等を目指す研究者の自由な発想に基づく研究や、宇宙、地球、生命等、人類未知・未踏の領域の探索に挑戦する科学技術を推進することで、多様性があり、世界最先端の人類の「知」の資産を創出し続ける国となる。
科学技術は、本来、経済的・社会的価値のみならず、知的・文化的価値の創出をもたらすものであるが、これをさらに一歩進め、科学技術の研究開発活動や、それに携わる人々、さらにそれを育む土壌、すなわち科学技術それ自体について、社会全体が文化あるいは文明社会の礎として育んでいく国となる。
我が国を取り巻く国内外の諸情勢が大きく変化する中、前節で掲げた「目指すべき国の姿」を実現していくためには、新たな知的資産を創出し、重厚な知の蓄積を目指した科学技術の振興に加え、国として取り組むべき重要な政策課題を明確に設定した上で、それらの課題への対応に向けて、イノベーションを目指した科学技術を総合的に推進していくという姿勢を、一層明確にしていくことが必要である。その際、社会や国民の参画も得て、政策課題を設定していくという考え方が、特に重要となる。
また、資源・エネルギー等で「制約」の多い我が国において、これらの政策を確実に推進していくためには、現在そして将来を担う「人材」が極めて重要であり、知識基盤社会において、多様な場で活躍できる優れた人材を育てていくという姿勢を、より明確にすべきである。
上述した視点を踏まえ、今後の科学技術政策における基本的方針を、以下のとおり新たに示す。
これまでの3期にわたる基本計画の下での政策推進により、我が国は世界的にも高い科学技術水準を有する国となった。その一方で、科学的な発見や発明等をイノベーションを通じて、社会への還元や新たな価値創造に結びつけていく取組や、社会的な課題に対応するため、科学技術を積極的に活用していくという政策的な取組は、未だ途上にあると言える。
しかしながら、世界的な金融危機・経済不況を受けて、米国をはじめ世界各国が新たな時代における経済成長の方向性を模索する中で、将来的な国の新たな成長軸の獲得を目指して、科学技術によるイノベーションを政策的に推進する動きが急速に広がっている。また、国際的な産業構造についても、従来、我が国が得意としてきた垂直統合型のビジネスモデルのみならず、国際水平分業型のビジネスモデルが拡大する動きが顕著であり、解決すべき課題を設定した上で関連する知識や技術を集積し、ソリューション技術として提案するという形が注目されるなど、イノベーション形態の大きな変化が生じている。
このような中にあって、高い科学技術水準を持つ我が国においても、今後、科学技術を国の成長の柱として一層強力に推進することはもとより、単に科学技術の進展のみを目指す政策にとどまらず、科学技術の進展により得られた成果の社会還元を一層推進するとともに、科学技術を取り巻く社会・経済等までも幅広く対象に含め、社会ニーズ等に基づく重要な政策課題を設定し、それらの課題解決に向けた取組を促進する観点から、科学技術政策と、科学技術に関連するイノベーションのための政策とを組み合わせた総合政策への転換を図ることが不可欠である。
このため、今後は、このような総合政策を「科学技術イノベーション政策」と位置付け、国を挙げて強力に推進することを基本とする。ここにおいて、「科学技術イノベーション」とは、単に研究開発で得られた成果を事業化・産業化に結びつけることを意味するのではなく、「科学的な発見や発明等による新たな知識を基にした知的・文化的価値の創造と、それらの知識を発展させて新たな経済的価値や社会的・公共的価値の創造に結びつけること」として定義付ける。
また、科学技術イノベーション政策については、1)科学的な発見や発明等による新たな知識を創出するとともに、それらを発展させて新たな価値の創造に結びつける取組と、2.)予め達成すべき課題を設定し、それらを実現するため関連する科学技術を総合的に推進する取組という2つの政策的アプローチが存在する。
このため、科学技術イノベーション政策を推進するに当たっては、それぞれの政策的アプローチに対応し、次章以降において、1)に該当する「2.基礎科学力の強化」と、2)に該当する「3.重要な政策課題への対応」に整理した上で双方を車の両輪として位置付け、関連する研究開発システムの改革を含めて推進していくことが必要である。さらに、科学技術イノベーション政策を進めていくためには、社会制度をはじめ、社会との関わりの中で総合的な政策を推進していくことが必要であり、次の2.で述べる、「4.社会と科学技術イノベーション政策との連携」に基づき推進する。
1999年7月にハンガリーのブダペストにおいて、世界科学会議が開催されてから10年を迎える。この時に採択された「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」は、それまでの知識あるいは開発のための科学という視点に留まらず、「社会における科学と社会のための科学」という考え方を示し、科学者に対して人類の福祉や持続的な平和と開発への貢献、さらに倫理的問題への対処を求める画期的なものであった。
この宣言が出されて10年が経過した今日、社会と科学技術との関わりは、より密接なものとなるとともに、我が国が科学技術イノベーション政策を掲げる中で、その重要性は一層高まっている。このため、今後、科学技術イノベーション政策を国是として推進していくに当たっては、これらの政策が国民や社会の課題・ニーズに応えるものであって、国民が企画立案から推進段階にも参画し、その成果が広く社会に還元されることが強く要請されていることを、改めて認識すべきである。
このような点に鑑み、今後は、「『社会とともに創り、進める科学技術イノベーション政策』の実現」という観点に立脚し、政策等の立案に当たっては、国民の幅広い参画を得て、我が国の科学技術イノベーション政策が解決すべき重要な政策課題を明らかにし、これを広く社会に発信していくとともに、併せて、社会の理解・信頼を得ていくためのコミュニケーション活動を積極的に進める。
また、責任ある政策の推進を図る観点から、施策等に関する責任体制を明確にし、これらの実効性・実現性や効果的・効率的な実施等を担保するとともに、研究者等を含め、実施主体による国民社会への説明責任の強化を図ることにより、国民や社会の深い理解と高い支持の下で、科学技術イノベーション政策を推進することを基本とする。
これらに関する具体的な取組については、基本的には、次章以降の2~4の全てに関わるものであるが、特に「4.社会と科学技術イノベーション政策との連携」に掲げる方針に基づき、推進することが必要である。
その一方で、現行の科学技術基本法及び基本計画においては、対象とする科学技術について、「人文科学(※2)のみに係るものを除く」とされている。しかしながら「『社会』とともに創る科学技術イノベーション政策」の実現を目指し、我が国や世界を取り巻く深刻かつ複雑な課題に対応していくためには、人文科学や社会科学の視点を、より積極的に取り込み、その知見等の活用を図っていくことが重要である。
この点、人文科学や社会科学、自然科学を包含する「学術」は、あらゆる学問の分野における知識体系の構築と、それを実際に応用するための研究活動、さらに教育活動をも包括する意義を持つものであり、我が国の科学技術イノベーションの推進において重要な役割を担っており、その着実な振興を図っていくことが求められている。
このため、今後の科学技術イノベーション政策においては、これらの点を勘案した上で、科学技術について、我が国や世界における複雑な課題との関わりにおいて、自然科学のみならず、人文科学や社会科学に係るものも幅広く対象に含め、総合的な政策の推進を図ることを基本とする。
※2 科学技術分野における一般的な三大分類である自然科学、人文科学及び社会科学のうちの人文科学及び社会科学をいう。
第3期基本計画においては、その基本姿勢として、「モノから人へ、機関における個人の重視」を掲げ、科学技術政策の観点からも、インフラ整備を優先する考え方から、優れた人材を育成し、活躍させることに着目して投資する考え方に重点を移すこととされた。この姿勢については、我が国全体の政策の方向性にも整合的であり、引き続き国民や社会の幅広い層から支持を得ているものと考えられる。
資源・エネルギー等に恵まれず、また少子高齢化に伴い我が国の人材層が薄くなるなど、様々な「制約」のある我が国が、今後、知識基盤社会として発展し、世界の中で独自の存在感を示していくためには、国を挙げて、その核となるべき人材を絶え間なく育成していくことが不可欠であり、人材に係る取組は科学技術イノベーション政策の推進の中心に位置付けるべきものであると言っても過言ではない。
このため、第3期基本計画の基本姿勢を継承するとともに、より一層の発展・強化を図る観点から、本報告書及び今後の科学技術政策全般に関わるものとして「『人』を重視した科学技術イノベーション政策の強化」を掲げ、我が国の人材育成の中心を担う大学の研究のみならず教育面での役割を一層重視し、社会のあらゆる場で活躍できる人材の育成や世界をリードするトップクラスの高度知的人材の養成・確保を進めるとともに、初等中等教育段階における人材の育成、さらには海外からの研究者や留学生の確保等を進めることを基本とする。
また、併せて、国民が科学技術に親しみ、幅広い人材各層が、より自由かつ積極的に政策に参画できるよう、我が国の科学技術イノベーション政策に関連する環境整備やシステム改革等を強力に推進することを基本とする。
科学技術・学術政策局計画官付