2.科学技術の戦略的重点化 基礎研究の推進

基礎研究の推進 1

意見の例

  1. 「科学」は「芸術」と同様に実生活には直接役立たないものである。「芸術」への関心、理解度が文化のレベルとなるのと同じように「科学」への造詣を深める教育が必要である。国と企業との役割分担をするならば、応用技術は企業に任せ、国は純粋科学の振興に努めるべき。(72歳、男、無職、兵庫県)
  2. 基礎があってこそ応用が発展するので、基礎研究をおろそかにするような進め方では、いずれそのつけが回ってくる。すぐに国益になるような目先の利益ばかりを重要視して、短期で完結するような仕事ばかりでは、科学技術の進歩に繋がらない。急がば回れの精神が大切である。(31歳、女、ポスドク、アメリカ)
  3. 大学の先生は「重点分野」方式に違和感を覚えて、基礎も大切にしてくれという。ところが、この「基礎」が総合学術会議ではインド哲学ですかなどとなるのだろう。大切なのは「インド哲学」ではなく、「先端分野の基礎」である。この底辺は無限に広く、すぐには成果はでない。このような底辺に競争的資金が行く仕組みを作らないと、ボディーブローが効いてきて、10年もすれば日本の科学技術はボロボロになる。(大学教授、東京都)
  4. 重点化が強調されるがために、知の継承という側面が見落とされている。必ずしも、すぐには産業の活性化には繋がらないような基盤的な学問分野にも目配りがされ、総合的な判断が持続できる知的保証が少なくとも複数存在するような仕組みを構築していかないと、将来の破綻があるのではないかと危惧します。(51歳、男、大学教員、京都府)
  5. 米国の大学では、すべての教員が独立しているので、小さな大学でもかなりの研究テーマの多様性が保証されている。日本は米国と違って講座制をとってきたので、元来研究テーマの多様性に乏しい。日本の多くの大学で互いに似かよった研究が花盛りとなり、研究の多様性は著しく損なわれることとなった。このままでは、世界の研究の進展についていくことが難しくなる研究分野も多数生じよう。生物種の多様性の保護と同様に、研究テーマの多様性も非常に重要と考える。(63歳、男、大学教授、静岡県)
  6. 財政状況の厳しい日本の現状では、実用的でない基礎研究は、ノーベル賞受賞が可能なレベルのものを厳選して行うべき。(37歳、男、独立行政法人研究員、大阪府)
  7. これからは、米国に比べ日本が進んでいる研究分野を洗い出し、日本独自のサイエンスを発展させるという視点からの重点化項目があってしかるべき。そうでなければ、日本のサイエンスは、決して米国を追い越すことは至難であろう。(54歳、男、大学教授、東京都)

基礎研究の推進 2

意見の例

  1. 科学研究費やCOEなどの競争的資金を拡充して科学技術の振興を押し進めようとしているが、同時に、教育研究の基盤である従来の校費に当たる部分を減額しているのは誤り。これでは、山の裾野を削って、山頂に盛り土をしているようなもので、短期的に成果が現れても、長期的にはじり貧である。土地開発の結果、モヒカンのように残った山が京都にあったが、今の予算配分は、あのモヒカン山を思い起こさせる。(55歳、男、大学教授、北海道)
  2. 特に法人化した旧国立大学においては、つぎ込まれる予算獲得そのことが目的化してしまった教官が、多数派を形成してきたことに危惧を覚える。このような風潮の中で、本当に自由な発想で謎解きに没頭する研究者が減少していることは、長い目で見たとき、決して我が国の科学技術水準を高めることにはならないのではないか。最近、募集される研究費の案内に、産業界との連携、事業化される可能性などの、実利的項目が多いのもいささかやりすぎではないか。(59歳、男、大学教官、北海道)
  3. 学術の振興にとって最も重要なことは「研究者が考える時間を如何に確保するか」という点であり、以下の施策は大きい弊害をもたらしているのが現状である。
    - 競争的資金(学術研究にとっての競争相手は研究対象そのものであり、自分以外の研究者との競争ではない)
    - 評価システムの肥大化(本当に価値のある学術研究を正しく評価できる評価者はごく少数の研究者であるが、この研究者に評価のための時間を使わせるべきではない)
    - 一般社会への説明責任の強調(一般社会への説明は投資する政府の責任であり、研究者の義務ではない。学術成果の真の価値を一般社会に説明できると考えることが間違っている)
    - 知的財産の強調(学術の成果は人類共通のものであり、積極的に公開すべきである。投資者の財産ではない)(50歳、男、大学教員、愛知県)

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