5.第三次提言に向けた主な意見

1.全体構成・共通事項

○ 「科学技術と社会の新しい関係の構築」はかなり重要な点。この点をどのように解釈すべきかきちんと整理することが必要。

○ 「教育研究における適正な競争原理の導入」について、どういうレベルで、どういう順序でできるかというのも重要な視点。

○ 競争原理の導入など、大学の一人一人に届いているかというと、必ずしもそうではない。大学の先生は、時代から閉ざされてアカデミズムをやっている面もあり、活性化のために外から刺激を与えるシステムも必要。

○ 「科学技術人材」「科学技術をする人々」は変わった人で一般的な人でないという認識があった。いかに社会一般から変わった人でなくて普通の人として認識されるか。また、国際機関に日本人を送り込む時には、博士号のような形式的にでもはっきりした資格が必要だと思う。

○ 博士とか技術者が変わっているのではないかという、社会的認識を変えることには非常に重要なことかもしれない。

○ これまでに提言した内容の組み替え部分と新たに提言する部分を色分けするなりして、新たに提言する部分を強調し明確にした方が良いのではないか。

○ 人材交流が重要。学生を超えた部分でも必要。教員の資質向上については、改革の基本的視点として、各時期において教員の役割が重要としてはどうか。

○ 第三次提言になり、科学技術に特化し、少し門戸が狭くなり非常にセペシフィックな提言になるような気がする。リベラルアーツや外国語の運用能力を含めた人材について考えることが当初の趣旨。人文・社会科学などは、非常に多くの問題があり、ちょっと付け足すような話ではないので、全体の方向性としてはこれで良いと思うが、提言である以上、広く読まれ、実際に活用されることが重要。

○ 本委員会のもともとのスタートは、世界に通用するトップレベル。レベルの高い先生をもとめてポテンシャルの高い人は外に出てしまう。出たらそちらの方が良いということでそのまま残ってしまう。その辺は具体的に詰めて、日本として体制や状況が良くなっていないかを考えるべき。特に博士課程については、経済界に入ったときに期待が一致せず、本人としても博士課程まで学んだのに自分の能力が生かせない、企業としても博士課程を出てきた人たちは応用能力がないという印象。この辺は具体的な施策につながらないまま残っていると思う。

○ 研究者はいろいろと雑用があり研究に専念できないということで、サポート人材を専門的な能力や資格を含めて、非常に重要な役割を果たすという意味で評価していかなければならない。多様性についても、女性の問題、福祉の問題などがあり、もっと評価していかなければならない。

○ 本当に高いレベルでの研究意識というのは、専門分野だけに特化するのでなく、かなり広い教養などを持つことが必要。リベラルアーツの重要性もかなり強調されており、博士課程に入ってからという性格のものではないとの指摘がなされてきた。一方で、リベラルアーツが重要と言いつつも、企業は依然として専門技術に特化した人を求めており、企業側の体制としても考えなければいけない気がする。

○ 社会的な空気を初等中等教育や社会一般の関心も含めて大きくしていかなければならない。木の絵も、もう少し大きく根が張っているようにするべき。知の創造、知の活用、その中で一体的に初等中等教育から特に高等教育に至るまで教育は重要。自然科学の分野で非常に高いところを極めることを目指している人たちも、リベラルアーツなどは非常に重要な部分として提言に含んでいくことはできるのではないか。対話型について、例えば総合的な学習の時間というのはまさにこういったものを養う一つの場。日常生活との関連で、科学技術などを学生が身近に体験していくことはかなり有効。それを高めるためにはどんな工夫が必要か。一般に言う学力、意味のある学力とか、そういうものに通じるものとして評価していかなければならないし、盛り込んでいくこともできるのではないか。

○ 科学技術と社会というのは、今後「共進化」していかなければならないと思う。科学技術の進化は、どういう社会の中でそれが進化したかが非常に大きな影響を与え、逆に、科学技術の世界は社会にものすごく大きな影響を受ける。共進化というものをどうやっていくか、非常に良いインターラクションがあることが極めて大事であり、その名を遂げた人が人々に知恵を与えるといった一方通行の議論から、なるべく共進化のメカニズムへ持ち込めればと思う。

○ トップ人材もさることながら、社会に向けての人材がよりもっと必要なので、例えば、流動性やリベラルアーツなど、非常に基本的なところを最初にまとめて取り上げても良いのではないか。

○ 科学技術活動や知的活動そのものを対象に研究している評価者や政策立案者などは、自らの経験で政策提言なりしているが、非常に特殊な研究をしているのではない。欧米などではそれが独立した技術の分野としてある。もう少しそうした人材を育て活用していくことを考えていく必要があるのではないか。また、社会学から科学技術の分野に入ってくるケースもあるが、科学技術そのものについての知識に欠けているところがあり、専門にこうした人材をプールしておくようなプロセスが必要。全体として科学技術活動そのものをインプルーブしていくところがやや弱い感じがする。

○ 学士、修士、博士、ポスドクとランクが上がるにつれて専門性は深まるが、共通に必要なのものとして多様性がある。多様性を高めるという意味で、どのような分野でも共通して必要な部分があり、一方で、専門性をどのように教育していくかという問題がある。インターンシップについても、アカデミアの研究者になる人も、そうした経験を踏まえた上でアカデミアの世界で基礎的な研究をして欲しいし、企業のようなテーマについて研究した上で、アカデミアの世界に進むことも良いのではないか。

2.知の活用や社会還元を担う人材

○ 各大学の特徴を常に意識することが非常に重要。社会で必要とされる人材を意識すると、研究テーマは教学より実学になる。ニーズを意識してテーマを作っている先生が多い。大学の特色が社会ニーズに合っていれば問題はない。基礎をやりたければ大学がそれを手当すればよい。そうした違いを意識すべき。

○ 最終的には誰が責任を持って実行するのか。大学がどれだけ優秀な人材を輩出できるか。どういう形で実現していくか、当事者が強く認識すべき。

○ 優れた科学技術、国際的な科学技術人材を生み出すために、どのように社会と結びつき、どのように社会との関係を築かなければならないかといった社会との絡みの中で、企業は何ができるか、大学から企業に何を望むかを考えるべき。初等中等教育との関係、社会から理解を得るための方策など、社会との結びつきを強調すべき。

○ 産学官連携、多くの分野の人が協力する際、特に技術系の専門分野において、それぞれ言語が必ずしも統一されていないという基本的な弱さがある。お互いの情報交換の手段としての言語が極めて多様化しており、学問分野同士の連携を深めることにも傷害になっており、セクター別にも同じような問題があり、非常に隘路になっていると思う。特に将来の科学技術を支える子どもたちに対する理科や数学教育は非常に重要だと思うが、例えば、数学について演算目的をきちんと伝えるなど、プロセスをきちんと伝えることが非常に大事。いろいろな分野でそれぞれが異なった言語空間に生活しているために全体の連携がうまくいかない。民間企業と大学の間もそのようなことではないか。もう少し全体に調整のとれたもので、意思疎通が楽な言語体系を構築することが極めて大事。全体として産学官連携を促進する基盤のようなものを考えた方がいいのではないか。

○ 知の創造、知を広げてどう活用していくことに加え、3番目としては、「社会全体の知を高めていくこと」ではないか。その中身が対話型、インターラクティブな体制の社会へもっと広げていくということ。また、「産学官の連携を支える人材」、「将来の科学技術を支え、次代を担う人材」とあるが、「支える」というのはトップレベルでなく、第二次、第三次といった感じがするため、「推進する」、「進める」などが適当な表現ではないか。

○ 子どもたちを含め、好奇心とか動機付けをいかに付与するかという意味で、スタートラインが大事。知の創造者や産業界などで活用して社会へ還元することも大事だが、その分母をつくるため、第一線にいる人が戻ってきて対話なり情報発信なりして、若者に対して科学技術に関心を持たせ、役割の重要性を知らしめることが重要。対話型も一つかもしれないが、もう少し大きくとらえるべきではないか。

○ 産学官連携を支える人材というのはMOTのことを言っているように思えるが、結果として新産業の創造ということにもなるし、都道府県レベルでは、大学とも競合していくことは新創造ということでなくても、様々なことで融合できる。一方で地元貢献ということを第一にうたう国立大学が多く、地元では産学官が進められており、こうしたことを含めて考えても良いのではないか。

○ 対話型について、科学技術を担う者とそれ以外の者というのは、二元論的すぎるのではないか。共進化も含めて表現を工夫すれば、新しい基軸を打ち出せるのではないかという感じがする。

○ 研究する人がいて、それを育てる人やサポートする人、それらが対話するとなると、やや二元論的というか三言論的すぎるのではないか。例えば、交流型として、あるときは自分が研究する人で、あるときはそれを自分が育てる人になるかもしれない、それをサポートする側になるかもしれないし、そういったところでうまく回転するような仕組みが必要なのではないか。

3.持続的な知識基盤社会を築く人材

○ 世界第一級の科学技術、そうした成果につながる人材をどうやって社会の中で育てたらいいのか。日本の教育機関で行われている博士育成が社会のニーズに合うのかどうか。高いレベルの博士、ポスドクが日本企業の将来ニーズとマッチングするのか。多くの小中学生が志す道として、インセンティブが素直に働いているのか。多くの人にインセンティブになっていないのであれば、どうすべきか。それぞれ大学の特徴を生かし、非常に高度な人たちを育てていくような仕組みをさらに変えて工夫していく必要があり、第一次、第二次で議論されたものも含めて、強調しないといけないところを第三次として出していってはどうか。

○ 例えばトムソンなどの非常に優れた研究室がどのように運営されていたかといったケースを考えてみることも必要ではないか。

○ ノーベル賞級の人を育てる認識で大学院に入れると、そうでない人の行き先がなくなる。企業がいいと思ったら企業へ行くべき。母集団を大きくし、研究所でもどちらへも行ける優秀な人を育てるように経済的支援を増やすべき。

○ アメリカの企業では、博士でないと取得できない知識、コンセプチュアルや従来とは違った形で高度の知識等が要求されるのではないか。

○ 博士号取得者に何を求めるか。専門的知識や技能、テーマが一致しなくても、研究プロジェクトのマネジメントとか研究の高度な方法論もある。研究者側からもアピールする必要がある。

○ 人文社会系も含めたものであれば、もう少し膨らませるべき。全体的には科学技術創造立国が前提でも、日本の学問に欠けているのはパブリックアドミニストレーションのような分野。PhDを持ってる人達のサポート、イニシアチブがなければならない。また、大学経営をきちんとやる人が日本ほど少ないところはない。

○ 修士も博士も、人文社会系の志願者が増えると思う。特に社会人は今後増えるのではないか。Eラーニングが入ってきて社会人の掘り起こしがなされる。修士を取った人で、せっかくここまできたから博士論文もまとめたいという人は結構いる。学びたい人をいかに掘り起こしていけるかによってクリエイティブな国際級人材が生まれる可能性がある。

○ 日本全体として技能者が減っているのは確実だと思う。技能を大学が維持管理、継承していくというのもある。学位に関係なく、大学がその辺の人材を維持していく必要があるのではないか。工芸の中で生き残っていくのだろうが、経済社会の中では残っていかない可能性が強いように思う。大学の人材育成というか、日本として技能者を残していく必要があるのではないか。

お問合せ先

科学技術・学術政策局基盤政策課

(科学技術・学術政策局基盤政策課)

-- 登録:平成21年以前 --