3.博士号取得者等のキャリア・パスに関連した主な意見

1.博士号取得者に求める能力や資質、博士課程の目的

○ 博士課程の目的は、高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及び豊かな学識ということで、その中で独創性などが無視されていると思わないが、「高度に専門」というのは狭い分野で専門化していくことや、独創的とは全然違う分野に高度に専門性を持った人たちが出てくるかもしれない。創造力や独創性といった知の創造をきちんと意識し、なおかつ博士号を取得する人というのは重要な役割を期待されているということになると、博士課程の目的についても、もう少しきちんと考えないといけないのではないか。

○ 博士号取得者に対する民間の意識も、独創性などを期待する企業からすると、もともとあまり期待していないため、あとは自分たちの企業の中で鍛えていくという感じがする。

○ 学士、修士、博士、ポスドクと一応自動的に高いレベルにつながっていくはずという前提で考えてきたが、博士課程修了者については本当にそうなっているのかという問題もある。また、大学その他の教育機関が知の創造で、産業界は知の活用という単純な整理でなく、知の創造は双方が絡んでやっていくべきものなので、こうしたことも踏まえて、博士課程の目的や博士に期待されるものは何かを一度きちんと整理すべきかもしれない。

○ 本委員会では、独創的な人材を養成するということに主眼を置いてきたが、いくら養成しても少なくとも日本国内の評価や受け皿が変わらないと混乱が起こるだけであり、大学院の目的そのものを見直さなければならない、あるいはそれだけでは済まないようにも思う。

○ 今の大学院のシステムは未だに知の創造というより、知の活用という明治以来の状態を引きずっているが、日本の産業界を含めて社会システムが21世紀型に変化する中、大学もそれに即応できる形に変わっていくと思う。その原動力となるのは、社会として知の創造が必要であり、創造者を特に大学院に育てて欲しいというニーズを明確にすることではないか。

○ 知の創造を大学院で行うということを真っ正面に掲げるのには非常に抵抗があり、そういうことができる先生と、そういうことを受け取れる学生がそろったときに初めて成功するのであって、大学院の目標については現行どおりでいいと思う。

○ 知の創造は大学等に関することであり、知の活用は産業界・社会一般に関することであるとあまりに明確に二分してしまうのはいかがと思う。

○ 知の創造者というのは、そんなにたくさん日本社会に必要なのか。日本の知的レベルの分布からして、ドクターコースを出た人がみんなそのようになることは可能なのかという気がする。そういう意味で、ドクターコースの修了者、即、知の創造者というような考え方は少し問題がある。知の活用の中にも非常に大きな創造性が必要であり、それは学術の創造性と全く違った意味での創造性というものが必要なのかもしれない。

○ 単に高度な専門性というだけでなく、自ら将来の課題を探求し、その課題に対して幅広い視野から柔軟かつ総合的に判断して解決する能力も重要。博士号取得者にもいろいろなキャリアパスがあって、供給者側の議論で進めていいのかという問題がある。供給者側と需用者側の両方の意見がまとまってきて、現状はどうだから一歩進めるとどうなると議論していくべきではないか。

○ 産業界がどういう人を求めているのかをきちっと国や学校がサーベイすべき。また、企業は企業の価値観のみで考える傾向があるので、国立の機関もいろいろあるが、どういう人たちを日本の将来のために養成し、配置しなくてはいけないかという視点も重要。

2.大学院博士課程における教育機能

○ 研究より教育面が欧米に比べて貧困な印象があり、教授陣の在り方も重要であるが、博士号取得者が大学等に行く比率が減っており、それがティーチングという分野についてレベルが低くなっているということを一方で示唆していないか。

○ 日本の大学に大学院教授にふさわしい教育、研究実績を持っている人が多数いるかという問題(特に人文社会科学系)もある。そもそも博士課程の教育そのものがかなりおざなりのため、その中で育ってきた博士を社会において評価しないのは当然。アメリカなどでは、学位を取るまでのプロセスが非常に厳しく、その数年間を経て国際社会で堂々と活躍する人がどんどん出てきている。

○ 博士課程を卒業してからのキャリア・パスというのも、企業に入ってそれから博士をとる人など、ストレートできた人とは違うキャリア・パスが今後考えられるのではないか。そうした中で、博士とはどういうものなのか、修士とはどう違うのか、そこで求められる教育とか育成とは何なのかということを考えていく必要があると思う。

○ 教育現場では、知の創造ということは大きな問題。将来に対する学生のポテンシャリティというか、将来これは大丈夫ということを先生が判断して自主的にその基準を決められればいいが、必ずしもそれが一般化できないことから、プロセスをもう一度見直さなくてはいけないという気がする。

○ 優秀な人がいないという状態では日本の高等教育の国際競争力がぐらつく。既存の大学院の総点検をすべき。欧米の高等教育は大学院中心で充実しているが、日本の大学院で本当に充実しているのは少ないのではないか。

○ 私立大学などは一時期博士課程をつくるのが一つの看板になっていたので、実態を調べる必要がある。ドクターを出してもフリーターのようなことをしているのでは意味がない。

○ 良い学生を輩出できないのは今までの仕組みに問題があったからではないか。経済的支援、情報発信、連携は大いに賛成だが、一番大事なのは、大学の中の教育者を含めた大きな改革。世界に通用する人が出ない真の原因は何かについて、そこに関わる人が正確に把握しているかが一番大事。良い人が育っていれば企業も採用すると思う。

○ 大学を評価する時は、どのような人が卒業して、研究者なりになってどのような活躍をしているかという視点も重要。公の財政で全部支援するのは不可能であるが、上澄みの部分だけでもきちんと支援していくことは大事。

○ 一昔前と比べても、日本人の資質が落ちていると思ったことはない。競争原理の相対論の中でそう見えるだけではないか。「国際競争力」も「人材育成」のキーワードとなっている。産業界に入る若者達だけでなく、我が国全体としての若者集団の国際競争力という視点でトータルとしての問題意識を持たざるを得ないというのが重要。

○ 米のように勝ち負け、白黒しかないのは、日本人には合わない。大学の競争原理に法人化がどう生かされるのか。競争原理を強め、学内でどう正確な評価をするか。あまりドラスティックにやると危険であるが、漸進的に努めていく必要がある。また、人材交流も重要。その中で自然に厳しい競争原理を感じ取ればプラスになる。

○ 博士課程の定員が多いが、アメリカのように博士を出ていろいろなところに行くときは良い。優秀な人材というのは、研究者としても成功する。マネジメントなど、いろいろなことができる人。そういう人を育てるのであればよい。

3.博士課程学生に対する経済的支援

○ アメリカの学生を見ると、大学院に進学しようとすれば、できる人には大学院に奨学金が必ずある。日本では大学院を出ると、5年間、6年間職についている同級生におくれ、就職しても給料が安い。結局、いい人が進学しないので、結果として社会が受け容れない。その入り口の問題は、大学院の学生に奨学金をつけないことだと思う。

○ 日本では、学ぶことと働くことがあまりにも分かれ過ぎている。高額の授業料を納めながら博士課程に行き、あるところから急に、専門職、教育研究職ということで給料がもらえる。そこがオール・オア・ナッシング過ぎる。頑張って成果を上げそうな人材には奨学金のような形でサポートする体制が必要ではないか。

○ 就職した人の少なくとも3分の2くらいの額の給与がもらえなければ進学しない。博士課程へ進学させてから振り分けた方がよい。「選考方法の改善」について、米のRAは選考を非常に注意している。米は受託・委託研究の評価が厳しい。良い学生を入れないと成果が出ないので、国籍に関わらず一番良い学生をとっている。

4.大学と産業界との連携

○ 博士号取得後の就職が難しい可能性が高いが、教官は労働力としての学生が欲しいため、アジアからでも取らざるを得ない。昔は企業のスカラーシップがあった。大学だけ、社会ニーズだけ、インセンティブだけでなく、総合的な取組が重要。

○ 博士課程に魅力のない要因の一つは、修士課程等と比べて卒業後の進路に不確定要素が多すぎるということ。修士、博士に対する問題意識は根強くあり、産業界においても支援できるものは何か議論を始めている。修士についてはインターンシップを充実したり、それをカリキュラムに位置付けたりして欲しいという要望があるが、博士は、企業に必要なある研究テーマに手を上げてもらい、どう展開するかは任せる。また、マネジメントをしてみたいという人がいれば、卒業後、必ずしもその企業に入る必要はないが、企業としては喜んで受け入れる。ただし、契約なので守秘義務だけはきちんとしてもらう。大学側でどう考えるかにもよるが、今考えられる支援策の一つである。

○ ポスドクについては、研究しようとしても半年は装置が動かず、1年経つと次を探し始めないといけないといった実態や、一生懸命職探しをしても見つからない人もいる。そのような姿を見ると修士はドクターへ行きたくなくなる。博士号取得者と取得者を欲しいところのバランスが大事。人材バンクなどがあればマッチングは可能かもしれない。

○ 大学側の教育改革も大事だが、博士の教育はそれだけではできない。絶対数で日本ほど博士課程卒業者が活用できていない国はないのではないか。産業界と教育界が腹を割って議論して、足りないところについて話し合って、絶対に良い学生を出していくべきである。知の世界で一番働くべき博士課程卒業者の絶対値が少なくては世界と戦えない。アメリカの場合は、博士課程卒業者に対して給料が高いとか、博士課程を卒業しないとNSFの申請資格がないなどの優遇策をつけている。日本においても、採用側のインセンティブと教育体制の見直しの両方が必要である。

5.博士号取得者に対する社会的評価

○ 理学系と技術系は明確に区分して考える必要があるが、技術系の博士課程について、産業界もある意味で困るという面もあり、大学側も財政の問題もあり育てていない。一方で、修士が大量に出てくるので、それで何とかなるという意識が今の日本の状況ではないか。

○ 日本では、博士をとっている人材があまり評価されない風潮があり、これを放置すると、アメリカ、欧米との国際的通用性のみならず、アジア諸国においても通用しなくなる。また、学歴社会を変に斜めに見る風潮もあるが、学歴は非常に大事であり、それに対するきちんとした社会的評価をする必要があるのではないか。

○ いかに優秀な人が博士課程に進むことができるようにするか、また、博士課程あるいは修士課程の卒業生に対して品質保証をどこまでできるかが重要。本当に優秀な人であれば企業も採用するであろうし、行政官庁も採用する。今のままでうまくいかないのであれば、例えば奨学金の受給や特別研究員への採用の経験など、博士の資格プラス何らかのもので品質保証するようなシステムを少し考えていく必要があるのではないか。

6.博士号取得者の活躍の場の多様化

○ 博士号を取得した人がどこへ進むかに当たり、産学官の人材の流動性をいかに保つか、そのためにシステムをいかにつくっていくかが重要。例えば、大学の研究者が科学技術政策に関わるような在外の大使館に出て行ったり、小中高の教員になっていくなど、外に出て行くことが創造的人材の育成全体の底上げにもなる。こうしたことが可能になる制度、あるいは人材交流という枠組みが必要ではないか。

○ 高度の学歴を持った人を在外公館の科学技術担当官に起用することは可能だが、各省庁の行政官の方が使いやすいといった実態があるのも事実。また、今の公務員全体の給与、退職その他を見ると、少なくとも金銭に関しては流動しない方がいい仕組みになっている。非常に大変ではあるが、不利益が出る人がないようにしながら徐々に直していくというのは、努力しなくてはいけない方向だとは思う。

○ いろいろな分野に行った人たちが、成果を上げたときに、継続教育、あるいは大学院の教育に今度は教育者として関わってもらうという、柔軟で広い専門家のコミュニティのようなものが厚みを持った形で広がっていくことが重要ではないか。

○ ドクターを出て、職がなくて小・中・高等学校の教員になるという人が多いため、学校サイドから見るとやや腰掛け的になっている印象がある。むしろドクターを出たような人が子どもたちの教育に当たるというのが大変重要。子どもたちに自然などとの関わり方の一番おもしろい部分を指導できるのではないか。現状では人文科学や社会科学系の人は多いが、自然科学系の人がもっと学校に来てくれることが教育全体の底上げに大きくつながってくると思う。

○ 博士号取得者について「社会性がない」というのは本当なのか。社会性のない人は企業でもある程度存在するし、社会人学生もいることから、社会性のある人もいる。この人達が就職できるか否かは流動性の問題。公務員については少なくとも金銭に関しては流動しない方が良い仕組みになっているとのことであるが企業でもそうではないか。採用時に氏名だけでなく年齢まで書かせるのは、仕事ができるか否かというところを見るよりも、そうしたことを給与体系に反映させているのではないか。

○ キャリアガイダンスについて、今居る大学の教授陣ではかなり無理がある。教授は学内でストレートにきていて、自分が流動的に出たことがないから、その人がガイダンスをするには無理がある。

○ 年齢不問であっても素人の能力だけで判断できるかというとそうではない。30歳の人を初めて雇うのと、50歳の人を初めて雇うのとでは感じが違う。現在ある姿からどう一歩踏み出すかが重要。また、公務員と企業の流動化は若干違うであろう。

7.博士号取得者等のキャリア・パス全般

○ 大学院にも、理学系、技術系、工学系、人文系、社会科学系、さらに専門職大学院、法科大学院もが出てきているが、それぞれで受け入れ側も、歴史も非常に違う。それを全部一緒にして議論していると、各委員のイメージも違うし、また常に意見が錯綜しているような感じがする。抽象的なレベルで全体論をずっとやっているような印象があり、ある程度具体的に議論すべきと思う。

○ 人材を育てて、その後どうなっていくのかというデータをまずそろえて分析しないことには手の打ちようもない気がする。その点、アメリカは非常にきちんとやっているような印象を受けたが、日本においてもその辺の体制を変えていく必要があると思う。

○ 大学では良い研究室には博士がたくさん集まる。全然集まらないところもある。研究を中心とした大学院大学では学生も多く、就職先もいくらでもある。違いは何か。法人化により各大学が努力しなければならないということをベースに、全体的に量、分野をどうするか検討するべき。まだ企業の手のついていないところには、大学がどんどん手をつけていくべき。

○ 社会での活用状況について、企業、分野をまとめて議論するのは問題ではないか。実態を調査し全体としてどうするか考えるべき。博士号取得者が活躍して非常にうまくいっている企業、博士課程で非常に人気のある先生とそうでない先生、公的研究機関のうまくいっているところとそうでないところ、そういうケースを具体的に調べるべき。目的は成功例を少しでも増やすこと。企業側の問題、教育機関の問題をどのようにしたら明らかにできるか。

○ 企業側から見て大学はあまり競争していないと見えるのなら現状と違う。研究費はほとんど競争的資金になっており、獲得が難しくなっている。取れるところにいる学生はそれなりの成果が出て人気もあるが、研究費が取れなければ教育もできない。院生が競争するのは研究費の獲得と違って、仲間内でのライバルなどと学びながら鍛えられていくものである。研究費と院生が良く行く研究室についても調べて欲しい。

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