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中央教育審議会

1997/6
21世紀を展望した我が国の教育の在り方について (中央教育審議会第二次答申(全文)) 


はじめに

第1章  一人一人の能力・適性に応じた教育の在り方
  (1)一人一人の能力・適性に応じた教育の必要性と基本的な考え方
  (2)教育における形式的な平等の重視から個性の尊重への転換−学校間の接続の改善
  
第2章  大学・高等学校の入学者選抜の改善
    第1節  過度の受験競争の状況
    第2節  大学入学者選抜の改善
  (1)大学入学者選抜の現状とこれまでの様々な改善の努力−変わりつつある大学入試
  (2)大学入学者選抜の改善の基本方向
  (3)大学入学者選抜の改善等の具体的な取組
    (A)入学者選抜の改善の在り方
    (B)入学者選抜の改善を進めるための条件整備など関連する施策の推進
    (C)高等教育全体を柔らかなシステムへ
    第3節  高等学校入学者選抜の改善
  (1)高等学校入学者選抜の現状とこれまでの様々な改善の努力−変わりつつある高校入試
  (2)高等学校入学者選抜の改善の基本方向
  (3)高等学校入学者選抜の改善等の具体的な取組
    (A)入学者選抜の改善の在り方
    (B)入学者選抜の改善を進めるための条件整備など関連する施策の推進
    (C)高等学校教育の多様化と柔らかなシステムの実現
    第4節  学(校)歴偏重社会の問題

第3章  中高一貫教育
  (1)中高一貫教育の意義と選択的導入
  (2)中高一貫教育の導入の具体的な在り方

第4章  教育上の例外措置
  (1)一人一人の能力・適性に応じた教育の様々な取組と学習の進度の遅い子どもへの配慮  
  (2)特定の分野について優れた能力や意欲を有する生徒に対する多様な教育機会の充実
  (3)大学入学年齢の特例

第5章  高齢社会に対応する教育の在り方
  (1)高齢社会の展望と高齢社会に対応する教育の基本的な考え方
  (2)学校における取組
  (3)家庭や地域社会における取組

おわりに





              21世紀を展望した我が国の教育の在り方について
                        (中央教育審議会  第二次答申)


はじめに


1  中央教育審議会は、平成7年4月、文部大臣から「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」諮問を受けた。その際、主な検討課題として、次の三つの事項が示された。
  [1]  今後における教育の在り方及び学校・家庭・地域社会の役割と連携の在り方
  [2]  一人一人の能力・適性に応じた教育と学校間の接続の改善
  [3]  国際化、情報化、科学技術の発展等社会の変化に対応する教育の在り方
  本審議会は、まず、これらの検討課題のうち[1]及び[3]を中心に、総会及び第1・第2両小委員会における具体的な審議を行った上で、「審議のまとめ」の公表を経て、平成8年7月に第一次答申をとりまとめた。同答申では、[ゆとり]の中で子どもたちに[生きる力]をはぐくむことを基本に、学校の教育内容を厳選するとともに家庭や地域社会における教育を充実すること、21世紀初頭を目途に学校週5日制を完全実施すること、社会の変化に対応した学校教育の改善を図ることなどについて様々な提言を行った。

2  第一次答申提出後、本審議会は、平成8年9月から、検討課題の[2]を中心にしつつ、[3]についても引き続き審議を行ってきた。同年11月には小委員会を再開し、以後、大学・高等学校の入学者選抜の改善、中高一貫教育、教育上の例外措置、高齢社会に対応する教育の在り方といった課題について、総会及び第1・第2両小委員会において具体的に審議を進めてきた。
  その間、総会及び小委員会を通じ、関係団体や関係者からヒアリングを行ったほか、一昨年に続き、平成8年9月から11月にかけて「21世紀に向けた教育の在り方に関する提言」を公募するとともに、11月には公開の「一日中教審」を開催するなどして、できるだけ多くの意見に耳を傾けるように努めてきた。また、平成9年4月には、第15期委員が任期を終了し、第16期に審議を引き継いで更に幅広い観点から議論を進め、5月30日に「審議のまとめ(その二)」を公表した。そして、「審議のまとめ(その二)」の公表後は、これに対する各方面からの意見を踏まえ、総会において更に審議を深めてきた。
  本審議会は、このような審議を経て、ここに第二次答申をとりまとめた。

3  本審議会において我々は、諮問を受けて以来、学校・家庭・地域社会を通じて、大人一人一人が子どもたちをいかに健やかに育てていくかという視点に立つと同時に、子どもの視点に立つということに特に留意して審議を進めてきた。また、第一次答申後は、その趣旨を踏まえつつ、[ゆとり]の中で[生きる力]をはぐくむことを目指し、個性尊重という基本的な考え方に立って、いかにして一人一人の能力・適性に応じた教育を展開していくかという観点から審議を進めてきた。
  この第二次答申は、まず、第1章において、これからの教育について、[ゆとり]の中で子どもたちに[生きる力]をはぐくむことを目指す上で、一人一人の能力・適性に応じた教育を重視していくことが必要であることを述べている。そして、一人一人の能力・適性に応じた教育を実現するためには、学校間の接続の改善を図ることが必要であるという認識に立って、特に重要な課題として、大学・高等学校の入学者選抜の改善、中高一貫教育、教育上の例外措置を掲げ、そのそれぞれについて、第2章、第3章、第4章において述べている。また、今後、我が国において急速に高齢化が進行することを展望すると、高齢社会を生きていく子どもたちをどう育てていくかは、極めて重要な課題であることから、第一次答申における社会の変化に対応する教育の在り方に関する提言に加えて、第5章において、高齢社会に対応する教育の在り方について述べている。



第1章  一人一人の能力・適性に応じた教育の在り方


(1)一人一人の能力・適性に応じた教育の必要性と基本的な考え方

  教育は、「自分さがしの旅」を扶ける営みと言える。子どもたちは、教育を通じて、社会の中で生きていくための基礎・基本を身に付けるとともに、個性を見出し、自らにふさわしい生き方を選択していく。子どもたちは、こうした一連の過程で、試行錯誤を経ながら様々な体験を積み重ね、自己実現を目指していくのであり、それを的確に支援することが、教育の最も重要な使命である。このような教育本来の在り方からすれば、一人一人の個性をかけがえのないものとして尊重し、その伸長を図ることを、教育改革の基本的な考え方としていくべきである。

(豊かな成熟社会の実現を目指す)
  第一次答申においても述べたように、戦後、我が国は、経済成長に邁進し、ものの豊かさを追求してきた。そして、人々のたゆまぬ努力により、今日、物質的な繁栄は遂げられたが、その反面、人々は[ゆとり]を失い、必ずしも自己実現や心の豊かさを実感するに至っていない。また、我が国社会においては、同質志向や横並び意識、さらには過度に年齢にとらわれた価値観などが依然として根強く存しているものの、近年、人々は、多様な価値観に基づく自己実現や心の豊かさを求めるようになってきている。今後の我が国は、個性が尊重され、自立した個人が自己責任の下に多様な選択を行うことができる、真に豊かな成熟した社会の創造を目指していくことが求められていくであろう。
  そうした豊かな成熟社会の実現を目指して、我々は、今後、子どもたちが、主体的に生きていくための資質や能力を身に付けながら、自立した個を確立し、自己実現を図っていくことができるよう、教育の改革を進めていく必要がある。そのために、まず、教員や保護者をはじめ、社会全体が、子どもたちの多様な個性を認め、それぞれの差異を尊重するという意識や価値観を持ち、教育にかかわっていくということが最も重要なことである。そして、先に述べた同質志向や横並び意識、さらには過度に年齢にとらわれた価値観などの我が国社会に根を下ろしている価値観について、これらが過度の受験競争をはじめとする様々な教育上の課題の背景ともなり、個性を尊重した教育の実現を妨げるものとなっていることを認識し、我々大人自らが価値観の転換を図り、個を確立していくことが求められている。

(社会の変化へ的確に対応する)
  これからの我が国社会は、国際化、情報化、科学技術の発展、さらには高齢化・少子化などといった急速な変化に直面し、先行き不透明な厳しい時代を迎えることとなる。こうした社会の変化に柔軟に対応できる、個性的な人材や創造的な人材を育成することは、我が国が活力ある社会として発展していく上で不可欠である。特に、経済や科学技術などの様々な面で、我が国が自ら新しいフロンティアを開拓し、国際社会に貢献していく必要性が高まっており、個人の多彩な能力を開花させ、創造性、さらには独創性を涵養していくことは、教育における極めて重要な課題となっている。

([ゆとり]の中で[生きる力]をはぐくむ)
  我々は、第一次答申において、豊かな成熟社会の実現を図る社会的要請や、国際化・情報化などの社会の急速な変化といった展望を踏まえ、[ゆとり]の中で子どもたちに[生きる力]をはぐくむことの重要性を訴えたところである。また、[生きる力]は、自ら学び、自ら考える力など、個人が主体的・自律的に行動するための基本となる資質や能力をその大切な柱とするものであり、「生きる力」をはぐくんでいくためにも、個性尊重の考え方を一層推し進めていかなければならない旨、指摘したところである。
  子どもたちは、[ゆとり]の中で、学校・家庭・地域社会それぞれの場において、様々な生活体験や自然体験、さらには社会体験やボランティア体験などの豊かな体験を積み重ね、様々な人々と交流していく。そして、子どもたちは、そうした実際の体験や人々との交わりを糧として、試行錯誤を繰り返しながら、個性の萌芽とも言うべき興味・関心を触発され、生活や社会、自然の在り方を学んだり、人間としての在り方や生き方をじっくりと内省する。こうした過程を経て、子どもたちは、机上で学んだ知識を生きたものとし、自ら学び、自ら考える力などの[生きる力]を身に付け、豊かな個性をはぐくんでいくのである。

  こうしたことを踏まえ、これからの教育の在り方を考えると、[ゆとり]の中で[生きる力]をはぐくむことを目指し、個性尊重という基本的な考え方に立って、一人一人の能力・適性に応じた教育を展開していくことが必要であると言うことができる。

(子どもたちの選択の機会を拡大する)
  こうしたこれからの教育の在り方を実現していく上で、教育関係者をはじめとする我々大人たち自身の努力が必要であることは当然であるが、ここで留意しなければならないことは、社会の変化や価値観の多様化に伴って、学校など教育を提供する側のみの判断では、子どもたち個々のニーズに的確にこたえることは難しくなっているということである。すなわち、個人の多様な選択を認める豊かな成熟社会にあっては、教育においても、子どもたち自身、あるいはその保護者が、主体的に選択する範囲を拡大していくことが必要となる。
  もちろん、個性尊重の理念に基づく選択の自由については、人間が社会とのかかわりの中で生きていくものである以上、単なる無際限な自由として解することは適当でない。選択の自由には、「自らの判断で選択し、行動したことには、自らが責任を負う」という自己責任の原則が伴っているということを忘れてはならない。
  また、教育において子どもたちや保護者の主体的な選択の範囲を広げていくことに伴い、子どもたちに身近な位置にある学校や地方公共団体などについては、その多様な取組が一層強く求められるようになるものと考える。こうしたことから、教育の直接の担い手である各学校やその設置主体である地方公共団体などの裁量の範囲を拡大し、それらの創意工夫を生かしていくことが重要である。

(教育における「不易」を大切にする)
  以上述べてきた中で、我々は、一人一人の能力・適性に応じた教育の必要性について訴えるとともに、個性尊重という基本的な理念を掲げてきた。そして、その中で、社会の変化へ的確に対応した教育を進めていくことの重要性も指摘した。しかし、教育においては、「時代の変化とともに変えていく必要があるもの」(流行)とともに、「時代を超えて価値のあるもの」(不易)があるということを忘れてはならない。教育における「不易」の重要性については第一次答申でも指摘したところであるが、基礎・基本を確実に身に付けていくことはもとより、思いやりや正義感などの豊かな人間性を育成したり、我が国の伝統と文化を尊重する心を培っていくといったことは、いかに社会や時代が変化しようとも大切なことであるということを改めて強調しておきたい。むしろ、個性尊重の理念というものの本来の在り方を考えた場合、他者尊重や社会との調和の理念、例えば、他者との共生や他人への思いやり、異質なものへの寛容、望ましい社会性や倫理観、正義感や公正さを重んじる心といったものがこれに相伴わなければならないのであり、教育において「不易」の価値の実現を目指していく必要性は、今後ますます大きくなっていくと言うべきであろう。

(2)教育における形式的な平等の重視から個性の尊重への転換−学校間の接続の改善

  こうした考え方に立って振り返ってみると、これまでの我が国は、教育における平等性を重視しながらその普及を図りつつ、教育水準の維持・向上を目指してきた。子どもたちは、全国どこの地域、学校においても、ほぼ同質の内容・方法による教育を享受してきた。そして、6・3・3制を基本とする単線に近い学校体系の下、多くの子どもたちが高等学校や大学へ進学してきた。総じて我が国の教育は、量的に著しく普及・発展を遂げるとともに、高い教育水準を達成するなど質の面でも大きな成果を挙げてきた。
  しかし、我が国においては、教育における平等を重視し、形式的な平等のみならず結果の平等までをも期待した結果、教育システムを画一的なものとして構築したり、これを硬直的に運用するという傾向を生じてしまったことも事実である。すなわち、教育内容・方法、学校制度など教育システム全般にわたって、子どもたちや保護者の主体的な選択を尊重し、子どもたち一人一人の多様な個性や能力の伸長を図っていくという点に必ずしも十分意が用いられてこなかったと言える。また、学(校)歴を偏重する社会の問題を背景に、過熱化する受験競争の中、入学者選抜については、単一の尺度である学力試験が偏重され、子どもたちの多様な個性や能力が十分評価されてこなかった。
  教育において機会均等を確保することはいつの時代でも重要であり、今後とも、そのための努力を引き続き行っていかなければならないことはもとよりである。しかし、従来の我が国において、形式的な平等を求めるあまり、一人一人の能力・適性に応じた教育に必ずしも十分配慮がなされなかったという点については、改めなければならないと考える。今後は、これまでの教育において支配的であった、あらゆることについて「全員一斉かつ平等に」という発想を「それぞれの個性や能力に応じた内容、方法、仕組みを」という考え方に転換し、取組を進めていく必要がある。
  こうした取組を進めていくに当たって、当然のことながら、子どもたちの個性・能力には違いがあり、興味・関心も異なっているということを踏まえなければならない。そして、それぞれの子どもにとってふさわしい学習の仕方や進度、得意な分野あるいは不得意な分野にも差異があるということを認識しなければならない。今後の教育において、優れた才能を持った子どもたちの学習を豊かなものとしていくことを考えるときには、同時に、学習の進度の遅い子どもたちや、様々な試行錯誤をしたり回り道をしながらじっくりと学んでいくことを志向する子どもたちについて、個に応じた指導を行うなど、十分な配慮をしていくことが求められる。すなわち、個々の差異や特質に応じて、子どもたちのよさを見出し、その個性や能力を伸長し、評価するような教育の内容、方法、仕組みを整えていくことを通じて、子どもたちに学ぶことの喜びを感じさせ、彼らに内在する可能性を存分に引き出していくことが極めて重要となっているのである。
  もちろん、これまでも、一人一人の能力・適性に応じた教育を展開するために、初等中等教育の教育内容・方法の多様化や、高等教育における個性化・多様化を目指したカリキュラム改革などの改善が図られてきており、現在も改善の努力が払われているところである。しかしながら、今日、教育システム全体の中になお存している画一性の是正に一層取り組んでいくことが急務となっており、各学校段階の取組を進めるだけではなく、学校間の接続の在り方について見直していくことが必要である。具体的には、まず、子どもたちが自らの生き方を考え、自らにふさわしい進路を選択したり、また、各学校において子どもたちの多様な能力・適性を生かした教育活動を展開しようとする際に、入学者選抜の在り方は、大きなかかわりを持っているのであり、その改善を図ることは、一人一人の能力・適性に応じた教育の実現を図る上で不可欠である。また、現行の学校制度については、その複線化構造や柔軟化・弾力化を進め、子どもたちや保護者の主体的な選択の範囲を拡大していくことが、一人一人の能力・適性に応じた教育を展開する上で、極めて重要であると考える。
  こうした考え方の下に、我々は、学校間の接続の改善を図る上で特に重要な課題と考えられる、
  [1]  大学・高等学校の入学者選抜の改善
  [2]  中高一貫教育
  [3]  教育上の例外措置
に焦点を当てて検討を進めてきたところであり、以下、具体的に提言を行うものである。



第2章  大学・高等学校の入学者選抜の改善


第1節  過度の受験競争の状況


  過度の受験競争の緩和の問題は、これまでも、第14期中央教育審議会や大学審議会において取り上げられ、種々改善のための努力がなされてきた。第15期中央教育審議会は、第一次答申において、こうした提言や改善のための努力を評価しつつも、[ゆとり]の中で[生きる力]をはぐくむためには、過度の受験競争の緩和が必要であると指摘したところであり、我々は、そうした認識の下、この問題についての審議を深めてきた。
  受験競争については、後述するとおり、少子化が進む中で、長期的に見ると、大学や高等学校の全体の収容力という意味で総じて緩和されるものと考える。しかしながら、塾通いの増加や受験競争の低年齢化に象徴されるように、大学・高等学校、とりわけ、特定の大学・高等学校をめぐる受験競争は依然として厳しく、多くの子どもや親を巻き込んでいるというのが現状であり、こうした事態は、少子化の進行により、解決されるわけではない。
  受験競争に巻き込まれている子どもたちについては、小さいころから、いわゆる「よい大学」への進学を意識し、そのため、生活全体から[ゆとり]が失われるという状況が見られる。そして、過度の受験勉強に神経をすり減らされ、様々な生活体験、社会体験、自然体験の機会を十分に持つことができず、豊かな人間性をはぐくむことが困難になっている。特に、小学生の子どもたちが、夜遅くまで塾に通うといった事態は、決して望ましいことではなく、憂慮すべきことと考える。
  また、過度の受験競争は、高等学校以下の学校段階における教育や学習の在り方を、受験のための知識を詰め込むことに偏らせる傾向を招き、自ら学び、自ら考える教育への転換を図るというこれからの学校教育が目指す方向性との乖離を少なからず生じさせている。
  もちろん、受験競争の緩和については、誰もが満足するような解決策を見出すことは困難であろう。すなわち、特定の学校に希望者が集まった場合に何らかの方法によって選抜を行うことは不可避であり、また、選抜を通じて一人一人の多様な能力・適性や意欲、さらには様々な努力や体験を的確に評価し、社会の流動性を確保するという意味で、一定の競争が存在し、それが必要なことは否定できない。また、学校生活や社会生活において様々な形で競争があることは不可避であり、人々が個性や能力を発揮したり、社会全体の活力を維持していく上でむしろ必要なこととも言える。努力という行為なしに、志望する大学へ進学できるというような解決策を見出そうとすることは適切とは言えない。しかしながら、今日の我が国では、様々な競争が、大学あるいは高等学校への入学を目指して、一つの価値尺度に過ぎない18歳あるいは15歳時点での知識量の多寡を競い合うという形で集約されて現れるというきらいがある。そうした単一の尺度の下では、子どもたちの努力がいかに多くの点数を効率よく獲得するかということだけに向けられ、また、低年齢の子どもたちまでもが競争に巻き込まれ、先に述べたような様々な弊害が生じてきているのである。このような在り方は関係者の最大限の努力によって是正されていくべきであると考える。
  我々は、このような過度の受験競争の現状を踏まえ、[ゆとり]の中で[生きる力]をはぐくむというこれからの教育のあるべき姿を実現するためには、過度の受験競争の緩和が必要であることを改めて確認した。そして、子どもたちの多様な能力・適性を伸長するためにも、それが不可欠であると考えた。こうした基本的な考え方に立って、以下、大学・高等学校の入学者選抜の改善について種々検討を行った。また、過度の受験競争の問題は、形式的な学(校)歴を重んじる国民の意識や企業・官公庁の採用・人事の在り方等が影響していることもあり、学(校)歴偏重社会の問題について検討を行った。
  21世紀の我が国社会を豊かで活力あるものとしていくため、「人々が、生涯のいつでも、自由に学習機会を選択して学ぶことができ、その成果が適切に評価される社会」、すなわち生涯学習社会への移行を図っていくことが求められている。18歳の時点でどの大学に入学したかといったことの評価に重きが置かれ、過度の受験競争が展開されるといった状況は、生涯学習の理念を実現するという観点からも、是正されなければならない。経済構造が変化し、社会の価値観が多様化するなど、我が国社会が先行き不透明な変化の激しい時代を迎えるということを考えると、18歳の時点での試験の合否は、もはやかつて程の大きな意味を持たないようになり、その後の人生においていかに学び、真の実力を身に付けていくかが重要となってくるということを強調した上で、以下、具体的な提言を行うこととしたい。


第2節  大学入学者選抜の改善


(1)大学入学者選抜の現状とこれまでの様々な改善の努力−変わりつつある大学入試

  大学入学者選抜については、これまでも第14期中央教育審議会、大学審議会の答申などを踏まえ逐次改善が積み重ねられてきたところである。ここでは、大学入学者選抜の今後の改善の在り方について提言するに先立って、近年の改善の動向を概観しておきたい。
  大学の入学者選抜において、大学は、入学志願者の能力・適性等を多面的に判定することが重要であり、そのため、大学においては、学力検査以外に小論文や面接等を取り入れるとともに、推薦入学、帰国子女特別選抜、社会人特別選抜などの特別選抜を拡大しているところである。さらに、近年においては、専門高校や総合学科卒業生のための選抜枠を新たに設けるなどの多様化が進んでいる。
  共通第一次学力試験導入前の昭和53年度の大学入試と平成9年度の大学入試を比較してみると、面接を導入している国公立大学数は全体の35.0%から91.9%に、小論文の導入は33.3%から93.9%に、リスニングの導入は7.5%から35.1%にそれぞれ増加している。また、特別選抜の導入も進んでおり、推薦入学の導入は32.5%から83.8%に、帰国子女特別選抜の導入は0.8%から68.2%に、社会人特別選抜は導入されていなかったものが41.9%の導入となっている。私立大学においても、平成8年度選抜における推薦入学の導入は97.4%、帰国子女特別選抜の導入は54.1%、社会人特別選抜の導入は48.2%と、選抜方法が多様化してきている。
  これらは、大学数で見た導入率であり、定員ベースで見ると導入の割合はこれほど多くはないが、国公立大学において個別試験で学力検査のみの選抜となっているのは6割弱となっている。
  個々の大学を見ても国公私立を通じて様々な試みがなされている。論文を重視した事例としては、ある大学で、あらかじめ指定した3冊の図書を試験前に読ませて、これに関して3時間の論文試験を行っている学科がある。配点に工夫するため、ある大学の学部では、大学入試センター試験の成績と個別学力検査の成績を[1]センター試験に比重を置いた配点、[2]個別学力検査に比重を置いた配点、[3]両者を同等に扱う配点の三つの配点方法で採点し、これと調査書、健康診断とを総合判定して選抜する方法を採っている。異なった選抜尺度を利用しているものとしては、定員の半分を調査書、自己推薦書、関係者推薦書によって高等学校の生活で優れた活動や成果を収めたと認められるものを優先して選抜し、半分をセンター試験の成績で選抜している大学の学部がある。また、一般的な入試方式のほか、論文・英語のみによる選抜、リスニングを課す英語重視の選抜、数学重視の選抜など大学全体として13種類の方法で選抜を行っているものがある。調査書を重視するものとしては、独自の調査書で受験生の能力を総合的に把握する努力をしている大学がある。さらに、医学部においては、受験生全員に面接を行ったり、他の大学・学部を卒業した者などを対象とした編入学定員を設定するなどの動きがあり、医師になるための適性や明確な目的意識を持っているものを積極的に受け入れようとする傾向にある。
  このように、評価尺度の多元化・多様化の取組は確実に進んでいるが、これは、大学入試センター試験を導入したことによるところが大きい。大学入試センター試験は、高等学校の段階における基礎的な学習の達成の程度を判定することを主たる目的とするものであり、これと各大学が行う個別試験を組み合わせることによって入試の多様化を進めることができるようになった。すなわち、基礎的な学力についてはセンター試験で評価し、各大学は、専門分野から特に必要な学力を評価したり、論文や面接などによる多面的な評価をすることに力を注ぐことができるようになったということである。また、大学入試センター試験は、教科・科目やその配点を自由に定めることができるなどその結果をどのように使うかが自由な「ア・ラ・カルト方式」であるため、各大学における試験の多様化も進めやすくなったものである。
  一方、受験機会の複数化の取組も進められている。共通第一次学力試験を導入した時は、国公立大学においては一回の受験機会しかなかったものが、昭和62年度入試から、個別の大学がA日程、B日程、C日程のいずれかの日程により試験を1回実施する方式(「連続方式」)が導入された。これにより、受験生は国公立大学を複数回受験できるようになったが、同じ大学・学部は一度しか受けられないため、平成元年度入試からは、個別の大学が学部の定員を分割し、試験を2回実施する方式(「分離・分割方式」)が導入され、「連続方式」と併用されるようになった。その後、第14期中央教育審議会は、こうした複雑な実施方式を簡素化するとともに、大学が多元的な評価の尺度を導入し、受験生の能力・適性等を多面的に判定する方向での入学者選抜の改善を進める観点から、「分離・分割方式」への統一を提言した。この提言を受けて、国立大学においては平成9年度入試から「分離・分割方式」に統一され、公立大学においても平成11年度入試から「分離・分割方式」に統一されることになった。また、近年、私立大学においても同じ大学・学部で複数回受験をすることができるようにしている例が増えている。
  我々は、今日、こうした様々な改善の努力によって、大学入試が着実に変わりつつあると評価するところであるが、後述するような課題が依然として存しており、これを克服するため、更に一層の努力が求められていると考える。

(2)大学入学者選抜の改善の基本方向

[1]  高等教育を取り巻く環境の変化と大学入学者選抜の課題
  高等教育を取り巻く環境は、18歳人口の減少や進学率の高まり(大学や短期大学への進学率[入学者の18歳人口に占める割合]は、平成2年度の36.3%から平成8年度の46.2%に)、学術研究の進展、国際化・情報化・経済構造の変化、さらには国民の生涯学習ニーズの高まりなどに示されるように、大きく変化しつつある。これらの変化を背景に、各大学は、世界的な水準の教育研究を展開することや、より幅の広い層の国民に対応した様々な教育機会を提供することなど、社会の多様なニーズにこたえることが求められており、各大学が、それぞれの教育理念や目的を見直し、個性的で多様な教育活動を展開することの必要性がますます高まってきている。
  そうした中で、大学入学者選抜をめぐる競争については、少子化に伴い、大学全体の収容力の観点からは、総じて緩和されると考えられる。大学審議会の試算によれば、平成12〜16年度で臨時定員の半数を恒常的に定員化した場合、収容力(入学者数を全志願者数で除したもの)は平成21年(2009年)に100%に達し、理論上、大学進学を希望する者はいずれかの大学に必ず入学できるようになると見込まれている。しかしながら、大学入学者選抜をめぐる競争の課題は、全体の収容力の問題ではなく、希望者が多い特定の大学をめぐる競争が依然として厳しく、競争の低年齢化を招来しているという状況にある。
  大学入学者選抜の現状を見ると、先に述べたように、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化、受験機会の複数化、推薦入学の改善など様々な改善の努力が払われているところである。しかし、なお、現在の大学入学者選抜においては、知識量の多寡を問うペーパーテストによる学力試験が偏重される傾向にある。これからの教育においては、自ら学び、自ら考える力などの[生きる力]を育成しつつ、子どもたちの個性を伸ばしていくことを重視しており、大学入学者選抜においても、今後一層、子どもたちの多様な個性や能力・適性、意欲を幅広く評価していくことが必要である。また、いったん大学に進学した後、より適切な進路を見つけたときに転入学や編入学をしやすいようにするなど、やり直しをしやすくする必要がある。さらに、大学入学者選抜の在り方を改善することを阻害する背景として、形式的な平等にとらわれ、専ら学力試験によって合否を決することが公正・公平であるという概念が、教育界を含む我が国社会全体において依然として根強く存しているということも看過できない問題である。我々は、こうした大学入学者選抜をめぐる問題点を克服していくことが、過度の受験競争の緩和を図っていく上で必要であるとの認識に立って、具体的な提言を行うべく審議を進めてきた。

[2]  諸外国における大学入学者選抜の改善の動向
  受験競争そのものは、決して我が国だけの問題ではない。欧米先進国においては、高等教育の普及が進むとともに競争的な傾向が生じてきており、アジアなどの経済発展が著しい国々においても、経済的なキャッチアップを目指す中、我が国を上回るほどの過熱した競争が展開されている。こうした状況にあって、各国それぞれに対応を進めているところである。
  大学における入学者選抜の場合、例えば、アメリカにおいては、ハイスクール卒業資格を持つ者すべてに入学を認めたり、大学が定めた一定基準を満たした者すべてを入学させる大学がある一方、高い競争倍率を有する大学があり、そうした大学では、ハイスクールの学業成績やSAT(言語・数理の二領域から構成される論理テスト[SATI]及び教科別テスト[SATII])の得点、推薦状、活動記録、小論文、志願者のプロフィール、面接などに基づき、アドミッション・オフィスにおいて多面的かつ丁寧な評価を行っている。また、イギリスでは、各大学において、中等教育段階の到達度を証明するGCE試験の成績に加えて、中等学校長からの内申書や面接などを併せて評価を行っている。さらに、フランスやドイツでは、それぞれバカロレアやアビトウアといった資格試験に合格すれば、原則として無選抜で希望する大学へ入学できることとなっていたが、最近の進学率の向上により、その原則の修正が迫られている。隣国の韓国では、数次の制度改革を経て、高等学校の内申成績、我が国の大学入試センター試験に類する大学修学能力試験、個別の大学の試験(一部の大学のみ)を組み合わせて選抜が行われており、特に高等学校の内申成績は必須の判定基準として相当の比重が置かれているが、更に制度改革を行うこととしている。
  このように、それぞれの国で入学者選抜の在り方も異なっているが、そのいずれも、各国における大学などの成り立ちや様々な社会的・文化的な背景を反映したものである。また、それぞれの国においても種々の議論が継続して行われており、様々な社会の変化に対応して、不断に改善が図られている途上にあると考える。したがって、諸外国の入学者選抜の在り方を、単純に我が国のそれと比較して長短を論ずることは適当ではないが、我が国の実情を十分踏まえながら、なお学び得る点については、積極的に参考にするという立場で我々は審議を進めてきた。

[3]  高等教育の構造やシステムの在り方
  本節では、過度の受験競争の緩和を図る観点から、大学入学者選抜の改善について具体的な提言を行うものであるが、大学入学者選抜をめぐる競争の問題は、単に選抜それ自体の在り方のみによって引き起こされているのではない。我々は、ここで、過度の受験競争の大きな要因の一つとして、偏差値等に基づく大学間の序列意識が国民に根強く存在することを指摘したい。こうした序列意識が形成されてきた社会的なメカニズムについては、第14期中央教育審議会答申においても詳細に分析されており、直ちにこれを解消することはなかなか困難であるが、各大学が、それぞれの教育理念や目的に基づき、個性や特色を発揮することを通じて、高等教育全体を多元的な構造としていくことが、迂遠なようであっても、最も重要であると考える。平成3年の大学設置基準の大綱化を契機とし、各大学は、多様化・個性化を理念とするカリキュラム改革など大学改革に取り組んでいるところであり、今後、前述した高等教育を取り巻く環境の様々な変化を踏まえ、大学改革は一層進展していくこととなろう。こうした大学改革を通じて、大学が多様な発展を遂げ、偏差値による大学間の序列化が是正されていくことを強く期待したい。また、これに関連して、多様な能力・適性や意欲を持つ者が、人生のいろいろな段階で高等教育にアクセスすることをより可能にするという観点から、高等教育のシステムの在り方を見直していくことが一層必要になると考えられる。

[4]  改善の基本方向  
  以上のような認識を踏まえ、子どもたちに[ゆとり]を与え、[生きる力]をはぐくむという基本的な観点に立った、大学入学者選抜の改善の基本方向として、高等教育のシステムの在り方を含めて、次の五つの方向を提示したい。
  なお、大学入学者選抜を改善していく具体的な主体は大学自身であるが、単に大学側の事情のみを考えてその在り方を見直すことは適当とは言えない。大学入学者選抜の改善は、広く国民の理解が得られるものであるとともに、よりよい教育の実現に貢献するものでなければならない。過度の受験競争の問題が、子どもたちに[ゆとり]を与え、[生きる力]をはぐくんでいくため、社会全体で取り組まなければならない喫緊の課題であることを踏まえると、こうした認識を国公私立大学全体を通じた共通のものとしていくことが必要となるのである。したがって、各大学においては、「それぞれの教育理念や目的に応じた教育活動を展開する上で、自らの入学者選抜が果たして適切なものであるか」という観点だけでなく、「高等学校以下の教育や社会に対して入学者選抜がどのような影響を及ぼしているか」という観点に立って、以下の提言を踏まえ、大学入学者選抜の改善に積極的に取り組むことを望みたい。そして、改善に際しては、大学進学率が向上する中で、大学が選抜するという視点だけではなく、多様な能力・適性や意欲を持つ者が、自分にあった進路をいかに的確に選択できるかという視点に立つことがますます重要になってくると考える。
  また、過度の受験競争と密接にかかわりを持っている学(校)歴偏重社会の問題について、企業・官公庁における取組や国民の意識改革のための取組を第4節に掲げたところであるが、これらの取組を促していくという観点からも、大学が率先して入学者選抜の改善を進めていくことが極めて重要であることを強調しておきたい。

(a)  学力試験を偏重する入学者選抜を改め、能力・適性や意欲・関心などを多角的に評価するため、選抜方法の多様化、評価尺度の多元化に一層努めることが必要。
  特に、調査書、小論文、面接、実技検査、推薦文などを活用し、総合的かつ多面的な評価を重視するなど丁寧な選抜を行っていくことが必要。また、総合的かつ多面的な評価を重視する一方、様々な職業経験や活動経験あるいは特定の分野での優れた能力や学習の成果などの評価を一層推進することも重要。さらに、様々な試行錯誤を可能とするための受験機会の拡大が必要。こうした改善を進めるに当たっては、学力試験による1点差刻みで選抜することが最も公正・公平であると考えられてきた公正・公平の概念を見直すことが必要。
  
(b)  [ゆとり]の中で[生きる力]を育成するという初等中等教育の改善の方向を尊重した入学者選抜の改善に努めることが必要。
  特に、高等学校以下の学校生活を含む子どもの生活全体に[ゆとり]を与えるとともに、[生きる力]をはぐくむ教育の実現を期するため、高等学校での生徒の学習や活動を的確に評価したり、推薦入学を進めていくことが必要。その際、[生きる力]が学力だけでない総合的な力であり、また、学力そのものの概念も、単なる知識の量から、自ら学び、考える力へと転換が図られつつあるということを踏まえた改善が必要。

(c)  選抜方法の多様化、評価尺度の多元化などの入学者選抜の改善については、全体としてかなり進んでいるものの、影響力のある特定の大学を中心として、なお十分とは言えず、以上の改善に当たっては、そうした大学が受験競争や大学入学者選抜全体に大きな影響を与えていることにかんがみ、率先して改善に努めることが必要。

(d)  学力試験を偏重せず、多様な選抜方法を取り入れていくなどの改善を進めるためには、様々な条件整備や進路指導の改善など関連する施策を進めることが必要。
  各大学等における努力とともに、行政において、支援策を講じつつ、アドミッション・オフィスの整備、ゆったりとした入試日程の確保、関係機関の連携の強化や情報提供の充実などを図ることが必要。

(e)  入学者選抜の改善とともに、特定大学への受験競争の緩和を目指し、大学相互の垣根を低くしていくため、高等教育全体を柔らかなシステムとしていくことや、大学教育の充実と学業成績の評価の厳格化を進めていくことが必要。
  特に、単位互換の拡大、編入学・転入学の拡大、社会人入学の拡大、休学や復学の弾力化などを進めていくことが必要。また、こうした改善に当たっては、年齢や学力だけにこだわらない、やり直しを可能とする、あるいはいろいろな職業経験などを経ることを可能とするなど、高等教育への様々なアクセスを確保するという観点が重要。

(3)大学入学者選抜の改善等の具体的な取組
  
(A)入学者選抜の改善の在り方

  まず、(2) において述べた基本方向を踏まえ、どのように入学者選抜の改善を進めていくかについて具体的に述べたい。

  [1]  学力試験を偏重する入学者選抜から、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化への一層の転換
  選抜方法の多様化や評価尺度の多元化は、全体としては着実に進められているものの、いまだに学力試験を偏重する傾向が根強く見られるところである。もちろん、大学が、一定の学力水準を要求することは当然のことであり、そのことを否定しようとするものではない。我々が、ここで問題にしようとしているのは、効率よく暗記や詰め込みを行うことで得られた内容が専らペーパーテストによって評価され、そのため、こうしたことに長じた者が結果的に有利となり、高等学校以下の教育を受験準備教育に偏らせてしまうような入学者選抜の在り方であり、そうした状況を「学力試験の偏重」という言葉で端的に表現しているのである。我々は、このような学力試験を偏重する現在の入学者選抜の在り方が、先に述べた様々な弊害を生む要因となっていると考えており、とりわけ、子どもたちの多様な個性や能力・適性、意欲を伸ばし、これを評価していくというこれからの教育の在り方から見ると、大きな問題であると考える。これからの教育が、自ら学び、自ら考える力などの[生きる力]という全人的な力をはぐくむことを目指していることを踏まえると、こうした現在の入学者選抜の在り方を見直すことが強く求められる。
  このような反省に立って、これからの大学入学者選抜の在り方については、ペーパーテストによる学力試験の成績を偏重し、1点差刻みで合否を決めるのではなく、それぞれの大学や学部の特質に応じた選抜方法の多様化や評価尺度の多元化を更に徹底し、入学者選抜の基調を転換していくことが必要である。こうした選抜方法の多様化や評価尺度の多元化によって、入学試験の時点における知識の量だけでなく、大学での学習に対する意欲・熱意や入学後の能力の伸長ということも見据え、多様な個性や能力が適切に評価されることが期待されるのである。そして、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化は、子どもたちの個性の伸長を図るとともに、多様な学生を受け入れることによって大学の教育や研究の活性化に資するという観点からも重要であると考える。
(総合的かつ多面的な評価など丁寧な選抜)
  選抜方法の多様化や評価尺度の多元化を実際に進めるに当たっては、まず、学力試験において課すべき教科・科目の選択幅の拡大や多様化を図ることはもとより、学力試験だけでなく、調査書、小論文、面接、実技検査、推薦文(自己推薦文を含む)など多様な手法に目を向け、これらを積極的に活用していく工夫が求められる。その際、個々の手法はそれぞれ評価尺度として一長一短があるのであり、これらを適切に組み合わせることにより、学力を含めた多様な能力・適性、目的意識や意欲・関心、さらには、様々な活動や努力の成果を総合的かつ多面的に評価するなどの丁寧な選抜を実施していくことが望まれる。こうした総合的かつ多面的な評価は、米国の一部の大学において実施され、多様な学生の受入れなどの面で成果を挙げているところであり、我が国においても積極的に取り入れていくべきであると考える。

(多様な活動経験や学習成果の評価)
  また、子どもたちの多様な能力・適性、目的意識や意欲・関心を評価するという観点から、総合的かつ多面的な評価を行うことのみならず、様々な職業経験や活動経験、特定の分野における優れた能力や学習の成果を評価していくことは重要である。具体的には、社会人や海外帰国生徒に対する特別選抜、専門高校や総合学科卒業生のための特別枠の設定、学校の内外における文化・スポーツ活動やボランティア活動の積極的な評価などを一層進めていくことが望まれる。
  こうした取組の一環として、例えば、社会人入学については、高等学校卒業後、一定期間、社会人として職業経験を積んだ者やボランティア活動を行った者に対して更に門戸を開いていくことは有意義と考えられる。このため、各大学において、こうした人々に対して特別枠を設けたり、職業経験やボランティア活動経験を評価したり、自己推薦や企業・団体などによる推薦を重視することなどにより、その入学を認める途を広く開いていくことが必要である。
  また、職業教育を主とする専門高校や総合学科の卒業生への配慮については、特別選抜を拡大するだけでなく、これらの者を対象とする推薦入学の枠の設定や拡大を図ったり、学力試験において職業などに関する科目による代替を認めることなどが、もっと多くの大学・学部で行われていくべきである。更に進んで、各大学・学部の判断により、職業教育と当該大学・学部の教育との関連性を踏まえつつ、地域を重視した大学づくりといった観点にも配慮しながら、職業教育を主とする専門高校や総合学科について、学校を指定した推薦入学の枠を設けることも考えられてよい。

(地域を重視した入学者選抜)
  現在、入学定員の一部について、地域を指定した枠を設けたり、地域を指定した推薦入学を行っている大学もごく一部にあるが、地域に根ざした大学づくりを進めたり、若者の地域定着を進める観点から、各大学の判断により、新たにそうした入学定員の枠や推薦入学を導入したり、拡大していくことも有意義と考える。
(障害のある者への配慮)
  障害のある者に関しては、従来も選抜の実施に当たって配慮がなされているところであるが、本節で提言している選抜方法の多様化や評価尺度の多元化のための様々な取組は、ペーパーテストによる学力試験では不利な立場に置かれることもあるこれらの者に対する適正な評価にも資するものと考えられる。また、こうした取組の実践に当たって、障害のある者への一層の配慮が求められることはもちろんである。

(同一大学の同一学部・学科における複数の選抜基準の導入)
  ここまで述べてきた具体的な取組については、多様な選抜方法を進めるため、各大学においてこれらを適切に組み合わせて実施することが望まれる。特に、同一大学の同一学部・学科において、複数の選抜基準の導入を一層推進し、子どもたちが自分の能力を発揮するのに最もふさわしいチャレンジの仕方を選択できるようにすることの意義は大きい。なお、国公立大学における同一大学の同一学部・学科が、前期日程と後期日程において異なる尺度で選抜を行うこととしている分離・分割方式は、選抜基準や方法の多様化を図るための一つの方策として評価できると考える。

(影響力のある特定の大学や一部の私立大学における改善)
  以上の提言について、我々は、すべての大学に対してその取組を求めるものであるが、とりわけ、影響力のある特定の大学が率先して取り組むことを要請したい。そうした大学が、自らの教育理念や目的に応じて学力評価を重視することは理解できるものの、その入学者選抜の在り方が大学における入学者選抜全体、さらには社会全体に大きな影響を与えていることにかんがみ、その一層の工夫改善が不可欠と考える。このことは、以降の諸提言についても同様である。
  一部のそうした大学においても、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化に向けて努力が払われるようになり、先進的な取組を試みている例が見られる。例えば、私立大学の中には、定員の一部について、アドミッション・オフィス(後述)において、一定の資格基準を満たす者を対象に、志望理由書、高等学校入学以降の活動報告書や志願者評価書等をもとに、書類選考と面接試験によって多面的かつ総合的な評価を実施し、選抜を行う例が見られる。また、国立大学の中には、前期日程の定員の一部について、個別試験において学力試験に代えて論文試験を課すなどの取組の例が見られる。我々は、こうした取組を高く評価するところであるが、全体としてはいまだ取組が不十分であると言わざるを得ず、一層の努力を求めたい。
  さらに、一部の私立大学においては、多数の受験生を対象に短い期間で選抜を行おうとするため、余りに少ない科目による多肢選択式のペーパーテストに安易に頼るなど、単一の基準によって一律に評価を行おうとする傾向が見られる。こうしたことは、子どもたちの多様な個性や能力・適性、意欲を伸ばしていくというこれからの教育の在り方から見ると、大きな問題と言わざるを得ない。総合的かつ多面的な評価を重視した丁寧な選抜を行うなど、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化を進めていくという、これまで述べてきた改善の方向性に照らし、このような入学者選抜の在り方については、強く改善を求めたい。

  [2]  受験機会の拡大
  子どもたちがひとたび希望する大学への受験に失敗しても、その大学への受験をやり直したり、他の大学に挑戦したりすることをより容易にしていくこと、すなわち、受験機会の拡大を図っていくことは重要である。こうした観点からすると、従来より受験機会の複数化の一環として実施している「分離・分割方式」は適切な方策であると考える。
  また、4月入学を基本とする一方で、秋季入学を拡大していくことも必要である。秋季入学については、実際の導入に当たってセメスター制の採用などカリキュラム上の配慮が必要であり、大学側の負担が重いという事情もあって、現在、ごく一部の大学において行われているだけであるが、各大学において創意工夫しながら、限られた規模からのスタートであったとしても、これを実施していくことを望みたい。
  なお、秋季入学については、海外帰国生徒・留学生や社会人以外に一般受験者の枠を設定する場合、受験機会を拡大するというメリットもあるが、かえって競争をあおることになるおそれもある。したがって、秋季に一般受験者の選抜を行う場合には、ペーパーテストによる学力試験以外の方法を用いて丁寧な選抜を行うなど、多様な選抜方法や評価尺度を用いることが望ましい。
  さらに、秋季入学者については、大学を卒業する時点が他の学生と異なることになるため、企業の採用活動について配慮を求めていくことが必要である。

  [3]  初等中等教育の改善の方向を尊重した入学者選抜の改善
  第一次答申においては、今後の初等中等教育の改善の方向として、[ゆとり]の中で[生きる力]をはぐくむことを提言したところであり、例えば、観察・実験、体験的な学習、課題解決型の学習を重視するなど、教育内容・方法の一層の改善が図られつつある。こうした改善の方向を尊重した入学者選抜の改善を進め、高等学校での生徒の学習や活動を的確に評価していくことが必要である。
  こうした取組の一環としても、先に述べたように、学力試験を偏重した入学者選抜の在り方について、その基調を変えていくことは極めて重要である。知識量の多寡を専ら重視するような入学者選抜は、子どもたちの学習の在り方を、受験のための知識を詰め込むことに偏らせており、学校生活を含めた子どもの生活に[ゆとり]を与える上で、大きな障害となっている。また、そうした入学者選抜の在り方は、[生きる力]が、学力のみならず豊かな人間性などを包含した総合的な力であるということや、学力観そのものが、単なる知識の量から自ら学び、自ら考える力へと大きく転換していることと、大きな齟齬を生じている。

  具体的には、まず、大学入学者選抜において、これまで必ずしも重要視されてこなかった高等学校の調査書の活用の在り方について検討する必要がある。調査書は、高等学校における平素の学習状況等を評価し、学力だけでない生徒の多様な能力を総合的かつ多面的に判定するための参考に供することを趣旨としており、高等学校での生徒の活動をきめ細かく評価していく上で欠くことのできない重要な資料である。こうした認識に立って、大学関係者と高校関係者がお互いに努力を重ねることにより、調査書を一層活用していくことが必要である。特に、大学関係者が調査書の意義に対する理解を深めるとともに、学校によりいわゆる学力レベルの差が存在することなどに起因する調査書の有効性の問題がその活用を妨げてきたとの指摘を踏まえ、高等学校関係者を中心にその有効性を高めるための組織的な取組を行うことが必要である。また、調査書の活用方法については、学力試験、小論文、面接、実技検査や推薦文などと適切に組み合わせていくことはもちろん、更に進んで、大学や学部・学科がそれぞれの教育目的に応じ、履修科目やその到達度についてあらかじめ一定の要件を提示し、調査書によって履修状況を確認するという方法(履修科目等指定制)の導入も考えられてよい。子どもたちに必要以上の学習負担を負わせることなく、学校生活における[ゆとり]を確保するためには、学力試験における受験教科・科目数をできるだけ少なくしていくべきであるが、その際にも、こうした履修科目等指定制などによる調査書の活用が考えられるべきである。

  次に、学力試験の実施に当たっては、高等学校教育の趣旨を逸脱しない出題を行うとともに、[生きる力]が自ら考える力であることを踏まえ、単に知識の量の多寡を問う問題はできるだけ避け、創造的かつ論理的な思考力などを問う問題を出題していくべきである。また、具体的な出題方法については、[生きる力]が総合的な力であり、これからの教育において横断的・総合的な学習の推進が図られていくことを踏まえ、教科の枠にとらわれない総合問題や小論文などの出題を積極的に考えるべきであり、こうした出題やその評価の方法に関する研究開発も大学入試センター等において併せて進めるべきである。

  個別の教科の学力を評価するに当たっても、それぞれの教科の特質に応じて、初等中等教育の改善の方向を尊重した改善が求められる。
  例えば、理科については、科学的素養の育成などを目指す改善の方向を踏まえ、学力試験において科学的な思考力を問う問題の出題を行ったり、実技検査において観察や実験を行うことが考えられる。また、観察や実験を入学者選抜に取り入れることは、短期間に多くの受験生を対象に実施しなければならない制約上、困難も予想されるところであり、その場合、前述の履修科目等指定制を活用し、高等学校において一定の観察や実験を行っていることを出願の条件とすることなども検討されてよい。
  外国語、特に英語については、コミュニケーション能力の育成などを目指す改善の方向を踏まえ、入学者選抜においてリスニングを取り入れたり、履修科目等指定制を活用したり、あるいは英語検定などを活用することをもっと考えるべきである。大学入試センター試験をはじめ、各大学等における試験の問題の改善が図られつつあるが、一部の大学における英語の出題内容等の在り方が、文法や構文等に関する内容に重きが置かれていることなどにより、高等学校以下の英語教育の改善を阻害している一つの要因となっているとの指摘もあり、英語教育だけでなく、試験の問題についても一層の改善の努力が求められる。また、英語については、他の科目と比べると、学力試験において必須科目として課されることが多いという傾向が見られる。そのこと自体は、国際化に対応した教育を進めていく上で否定できないが、各大学・学部が、自らの教育理念や目的に応じながら、履修科目等指定制や英語検定の活用などを進める一方、例えば、入学定員の一部について英語を受験科目として課さないということも柔軟に考えていってよい。

  [4]  推薦入学の改善
  推薦入学については、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化を進める上で、また、初等中等教育の改善の方向を尊重した改善を進める意味でも、極めて有意義であり、過度の受験競争の緩和に大いに資するものである。こうした観点から、推薦入学について、影響力のある特定の大学を含めて、これを実施する大学や学部の増加を図るとともに、入学定員に対する割合の拡大が望まれる。
  さらに、推薦入学の趣旨を踏まえると、推薦を受け付けながら学力試験を課すことは適当でないこと、受付開始時期は11月以降とすべきことなど一定のルールの遵守は当然なされるべきである。
  また、推薦入学に関連して、高等学校以外の者が推薦の主体となる方法として、例えば、受験生が自己アピール書類を大学側に提出する自己推薦制度を設け、書類を高等学校を通じて提出するだけでなく、大学が認める場合には直接提出する途を開くことが考えられる。また、同様に、社会教育団体・地域の団体・スポーツ関係団体などの学校以外の団体による推薦を活用することも考えられる。こうした取組は、教育制度の柔軟化にも資するものであると考える。

  [5]  大学入試センター試験と個別試験の在り方
  大学入試センター試験には、すべての国公立大学と一部の私立大学が参加し、これまで参加大学も年々増加するとともに、いわゆる「ア・ラ・カルト方式」の採用や各大学の工夫による個別試験との組合せなどにより、多様な利活用が進められてきた。大学入試センター試験の問題はおおむね良問とされており、また、その活用によって大学入学者選抜の多様化が図られつつあることは、評価できるところであり、大学入試センター試験の基本的な在り方を踏まえつつ、その一層の改善を進めることが適当である。

  大学入試センター試験については、受験生の高等学校段階における基礎的な学習の達成の程度を判定することを主たる目的としていることから、その運用に当たって、高等学校関係者との緊密な連携が強く望まれる。このため、試験問題の作成を含め、幅広く高等学校関係者の協力を得ながら、大学入試センター試験を企画・実施・評価する体制を作っていくことが望ましい。

  各大学が大学入試センター試験を利用する場合、先に述べた選抜方法の多様化と評価尺度の多元化を図る観点などから、個別試験において学力試験をできるだけ少なくし、調査書、小論文、面接、実技検査、推薦文(自己推薦文を含む。)を適切に組み合わせていくべきである。センター試験で判定できる能力について再度試験を課すことは、学力試験の偏重につながるものであるとともに、受験生にとっても、必要以上に大きな負担になっている場合が少なくないと考えるからである。
  現在、個別試験について、こうした方向に沿った取組がかなり進められているが、影響力のある特定の大学を中心として、なお不十分であり、一層の取組を進めるべきである。

  また、各大学においては、ペーパーテストによる学力試験の1点差により合否を決めるという考え方を変えていくという観点から、様々な選抜方法の工夫を行っていくことが望まれる。例えば、大学や学部の特質に応じて、大学入試センター試験の得点が一定水準に達していれば、その後は、学力試験以外の選抜資料で合格者を決定する方法や、大学入試センター試験の結果を、A・B・C・D等の概括的な段階別にまとめ、それ以上、点数の子細は問わずに、他の選抜資料と組み合わせて合格者を決定する方法が考えられる。こうした方法が広く用いられるようになることは有意義であり、各大学の積極的な取組を期待したい。
  このように、各大学において多様な大学入試センター試験の利活用を進めていくことが望まれるが、さらに、例えば、芸術関係の大学のように、入学者選抜において実技検査を重視する大学が、必ずしも当該年度のセンター試験の結果を用いる必要がないと判断する場合には、センター試験の結果を複数年度にわたって利用することがあってもよいと考える。ただし、このような取扱いとする場合は、高等学校卒業後直ちに進学しようとする者から不公平感を持たれるおそれがあるため、大学が責任を持ってそうした問題が生じないような措置を講じる必要がある。
  なお、本審議会では、後述するとおりセンター試験の「資格試験」化について否定的に考えているが、ここで提唱した方法に関しては、「資格試験」化そのものではないものの、言わば資格試験的な取扱いとも言うことができよう。
  これに関連して、我々は、大学入試センター試験を年度内に複数回実施することの是非について検討した。これについては、受験生が複数回試験を受け、よりよい結果を採ることができるという意義もあると考えられるが、他方、受験競争が早期化し、高等学校在学中に複数回の受験をすることに伴い、生徒に相当の負担が生じたり、高等学校教育に影響が及ぶこと、センター試験を実施する大学等の負担が極めて大きいことなど、種々の問題があり、今後の課題として関係者間で検討していく必要がある。

  さらに、現在、国公立大学の個別試験については「分離・分割方式」に統一することが方針となっている。我々は、この方針を支持するとともに、後期日程の個別試験においては、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化の取組が比較的進んでいるという状況を踏まえ、後期日程の募集人員の比率が適切になるよう配慮すべきであると考える。特に、後期日程の募集人員の全体に占める割合を見ると、全国立大学の平均は3割であるにもかかわらず、影響力のある特定の大学においては1割から2割弱にとどまっており、その拡大を考えるべきである。

  なお、大学入試センター試験を「資格試験」とすべきであるとの意見が時には聞かれる。その具体的な内容は論者によって異なるが、「一定の点数を獲得した者だけが大学を受験する資格を得る」という意味であるならば、現在でも「高等学校卒業」ということで大学を受験する資格を持つこととなっており、二重に資格試験を設けることは問題であると考えられる。
  他方、一定の点数を獲得した者が志望する任意の大学に入学できるという意味の論であれば、これは現実には実行できないと言わざるを得ない。何故ならば、多くの志望が集まる大学や学部においては、志願者全員を合格させたとしても、彼らの入学を直ちに認めることは、収容力や指導体制の問題一つをとってみても不可能であり、毎年膨大なウエイティングリストが出来上がるか、さもなくば、結局何らかの選抜を行わざるを得ないことが推測される。そして、何らかの選抜を行う場合、資格試験は、いわゆる「足切り」としての機能を果たすか、選抜資料の一つとして用いられることとなり、どちらにしても「資格試験」を設けた趣旨に合致しない結果となる。したがって、当審議会としては、このような考え方を採ることはできないと考える。

  (B)入学者選抜の改善を進めるための条件整備など関連する施策の推進

  (A)に述べたように、丁寧な選抜の実施などの選抜方法の多様化や評価尺度の多元化などを進めようとする場合、各大学の入学者選抜の実施に伴う負担は相当大きなものとなり、また、各大学では対応できない課題も生じてくる。このため、行政による支援策を講じつつ、アドミッション・オフィスの整備、関係機関の連携の強化や情報提供の充実などの条件整備を進めたり、進路指導の改善など関連する施策を進めることが必要であり、以下、そうした具体的な取組について述べたい。  

  [1]  アドミッション・オフィスの整備
  選抜方法の多様化や評価尺度の多元化、特に、総合的かつ多面的な評価を重視するなどの丁寧な入学者選抜を行ったり、調査書の重視など初等中等教育の改善の方向を尊重した入学者選抜の改善を進めるためには、実施体制の整備が必要である。しかしながら、こうした観点から、我が国の大学入学者選抜の在り方を見てみると、その実施体制は十分とは言えない。
  アメリカの一部の大学では、相当数の専門の職員からなるアドミッション・オフィス(A.O.)が、学生の募集から選抜までの実質的な業務を遂行している。その際、A.O.は、ハイスクールでの成績、SAT(論理テスト及び教科別テスト)の成績、文化・スポーツ活動やボランティア活動の実績などの入学希望者に関する多面的な情報を収集・検討し、多面的な選抜を行っている。
  我が国においても、こうした例を参考としつつ、我が国の大学の特性を踏まえた日本型のA.O.の在り方を検討し、その格段の整備を図っていくことが望まれる。その際、日本型のA.O.が有効に機能するため、どのような役割や権能をこれに付与するか、どのようにこれを担う人材を確保していくかといった課題について、従来の大学の組織運営の在り方などにとらわれない柔軟な発想で検討が進められることを期待したい。また、A.O.の整備に当たっては、例えば特別の選抜方法を採るなど選抜方法の多様化や評価尺度の多元化に積極的に取り組む大学から、順次これを進めていくことが望まれる。
  
  [2]  ゆったりとした入試日程の確保
  大学入学者選抜は、大学における教育活動の第一歩として重要な位置を占めるものであり、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化を進め、大学として十分な手間をかけることが重要である。このうち時間的なことに着目すれば、選抜の実施のために相応の時間をかけることが必要となる。このため、推薦入学は11月から選抜を実施できるようにしているが、一般選抜においてもゆったりとした日程を確保して多面的な評価が可能となるようにする必要がある。現在、入学者選抜は、3月の第3週までにほとんど終了しているのが現状であるが、丁寧な入試を行うためにはより多くの時間を確保する必要がある。このため、大学教育への影響や学生の就職時期との関連から一定の限度はあるが、実施時期を若干繰り下げることについて検討する必要がある。特に、国公立大学の後期日程の個別試験においては、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化の取組が比較的進んでいるという状況を踏まえ、影響力のある特定の大学が後期日程の募集人員を拡大することが望まれるが、そのためには入試により多くの時間をかける必要がある。また、私立大学においても小論文や面接を取り入れたり、学力試験においても記述式を取り入れるなど、より一層多面的な評価を行って丁寧な入試をすることが望まれる。こうしたことから、場合によっては入試の実施時期が4月にかかることがあってもよいと考える。

  [3]  進路指導の改善と大学に関する情報提供の充実
  職業は多種多様であり、人はそれぞれ働きがいや生きがいを持ち、自分なりの職業生活や社会生活を営んでいる。高等学校における進路指導については、生徒が将来の社会生活についての理解を深め、自らの在り方や生き方を考えながら、将来の自己の進路について模索することを指導・援助していくことが基本であり、これを踏まえつつ、大学等への進学や就職に関する指導を充実させていくことが必要である。大学進学に関する指導について見ると、ややもすると、模擬試験の結果等に基づく偏差値に依存し、入りたい大学・学部よりも入れる大学・学部を選択させる指導になったり、あるいは、特定の大学・学部への進学に専ら力を注ぎ、その成果のみで高等学校を評価するような傾向が一部に存する。今後、更に、生徒が、自らの在り方や生き方を考え、目的意識を持って主体的に自己の進路を選択し、決定するという方向を目指して、一層改善を進める必要がある。また、具体的な志望大学を選ぶ際には、自らの能力・適性や意欲・関心などを踏まえて、将来の自らの生き方を十分考えつつ、併せて、各大学の教育内容や特色を生徒自身が十分理解した上で、選択するという方向で一層の改善を進めるべきである。その際、単に抽象的な進路情報を提供するにとどまらず、大学等への体験入学を行ったり、企業等の協力を得て職場実習を実施するなどといった啓発的体験を積極的に取り入れていくことが望まれる。

  高等学校における進路指導の改善と併せて、大学入試センターや個々の大学において、各大学の教育内容・特色に関する情報や入学者選抜に関する情報を、高等学校や生徒に対して的確に提供する努力を一層進める必要がある。
  現在、大学入試センターにおいては、キャプテンシステムを利用したハートシステ により情報提供を行っているが、今後、インターネットやパソコン通信の活用も含めて、利用者が一層利用しやすい方法を考える必要がある。
  また、各大学における情報提供についても、こうした情報通信ネットワークを活用するとともに、高等学校関係者への説明会の開催だけでなく、一日体験入学やキャンパス・ツアーの開催など、生徒や親を対象とした大学の紹介の機会を一層充実することが望まれる。さらに、高校生を対象に大学が高度な教育・研究に触れる機会を提供することについては、第4章において述べているが、大学に関する情報提供を充実するという観点からも有意義であると考える。

  なお、過度の受験競争を緩和するためには、第4節で述べるとおり、国民の意識を改革していくことが不可欠である。このため、入学者選抜が変わりつつあることを親や生徒を含めた国民にPRしていくことが重要であり、そうした情報発信について、行政を中心に更に積極的に取り組む必要がある。また、マスコミに対しては、入学者選抜の改善などに関する的確な報道と、いたずらに受験競争をあおらないような報道を求めたい。
  合格者の出身高校・出身地域などを公表しないことについては、現在、個人情報の保護の観点から、多くの大学において取組を進めているが、今後は、学(校)歴偏重社会を是正する点からも、こうした取組を更に進めていくべきである。

  [4]  大学入学者選抜に関する外部評価 
  平成3年の大学設置基準の改正により、自己点検・評価に関する努力義務規定が整備されたことに伴い、現在、各大学では、その教育研究活動全般に関する自己点検・評価に努めているが、大学入学者選抜がその中で重視されているとは言い難いと思われる。しかしながら、大学入学者選抜は大学教育の第一歩として重要な位置を占めるものであり、また、社会的な関心が高く、国民と大学との接点となる問題でもあることから、自己点検・評価結果の公表等を通じて広く学外の意見を求めていくとともに、評価の客観性を一層確保していくためにも、参与会等を活用しながら、地域社会の有識者、地域産業の関係者、高等学校関係者、保護者等の外部の意見を取り入れていくなどの取組を進めることが必要と考える。

  [5]  大学・高等学校間の連携と大学入試センターの機能の強化
  大学の入学者選抜の改善を進めていくためには、国公私立の大学関係者と高等学校関係者の相互理解と協力がますます重要となっている。これまでも、大学入学者選抜の在り方について、文部省や大学入試センターに設けられた各種会議や、大学や高等学校の関係団体による個別の会合を通して連絡協議が行われてきたが、今後は、恒常的かつ組織的に連絡協議を行っていく必要がある。

  また、大学入学者選抜の改善を進めていくためには、諸外国の状況を踏まえつつ、各大学等において、選抜方法や評価尺度の在り方、具体的な出題の在り方、さらには大学入学時の成績と入学後の成績との相関関係などの追跡調査を含め、入学者選抜と高等学校教育や大学教育との関係などについて、不断に実証的な研究を行い、その成果を反映させていく必要がある。特に、大学入試センターについては、こうした実証的な研究を自ら行ったり、各大学の研究成果を収集するとともに、それらに関する情報を国公私立の大学や高校関係者、さらには国民へ提供していく中心的な機関としての機能を強化していくことを望みたい。

  (C)高等教育全体を柔らかなシステムへ

  過度の受験競争を緩和するためには、大学入学者選抜の改善を進めるとともに、高等教育全体を柔らかなシステムとするなど高等教育の在り方を見直していくことが重要であり、そのための具体策について述べたい。

  [1]  高等教育全体を柔らかなシステムへ
  過度の受験競争を緩和するとともに、形式的な学(校)歴を偏重する意識を変えていくためには、学生の年齢やペーパーテストによる学力評価にこだわらないようにする、積極的な進路変更の途を開く、やり直しを可能とする、あるいはいろいろな職業経験などを経ることを可能とするなどといった、高等教育への様々なアクセスを確保するという観点に立って、高等教育全体のシステムを見直すことが重要である。具体的には、単位互換の拡大、編入学・転入学の拡大、社会人入学の拡大、休学や復学への弾力的な対応などにより、高等教育全体を柔らかなシステムとしていくことが必要である。
  単位互換は、学生が自らの意欲に応じて他大学の授業を履修し、単位を修得することを認めるものであり、その積極的な推進を図ることは、形式的な学(校)歴にこだわらず、学習歴を重んじる方向への移行を目指す上で極めて重要であると考える。現在、大学の卒業認定は、当該大学において単位を取得した者について行うべきであるという意識が大学人の間に広く存しており、そうした意識もあって、単位互換は必ずしも順調な広がりを見せていない。今後は、大学改革を積極的に推進しながら、そうした意識を払拭していくとともに、近年急速に発達している情報通信ネットワークなども活用しつつ、国公私立の大学間の単位互換、外国の大学との単位互換、さらには、専門学校や技能審査など大学外における学習成果の単位認定等に対する積極的な取組を促していくことが必要である。また、国立と公私立の大学間で単位互換を行う際に、一つの障害となっていた授業料の相互免除について、国立大学がこれを行えるよう制度上の措置も講じられたところであり、一層の積極的な取組を望みたい。さらに、放送大学については、近く通信衛星を活用した全国放送を開始するが、その際に、大学間の連携協力を推進することが放送大学の主たる目的の一つとなっていることを踏まえ、単位互換についても先導的な役割を果たしていくことが期待される。
  編入学については、編入学定員の設定などにより、短期大学や高等専門学校からの編入学が拡大しつつあるが、更に拡充を図るべきである。
  現在、他の大学からの転入学の受入れはもとより、同一の大学における学部や学科の変更についてもあまり行われていないのが現状である。学生が、大学入学後、自らの生き方を真剣に考え、積極的に進路変更を希望する場合には、できるだけこれにこたえていくことが望ましく、同一の大学における学部や学科の変更、さらには他の大学からの転入学について、一層柔軟かつ積極的な対応をしていくべきである。その際、他の大学・学部を卒業した者を受け入れることについても考えられてよい。さらに、復学や休学については、各大学において厳格に運用されているが、それぞれの大学の教育上の特質を踏まえる必要があるものの、戻りたいときに戻れるようもっと柔軟に行っていく必要がある。
  社会人の入学については、近年、急速に拡大しつつあるものの、なお一層推進する必要がある。高等学校を卒業し、職業経験やボランティア体験を積んでいる者などに対して更に門戸を広げていくため、社会人特別枠を設定・拡大していくこと、職業経験やボランティア活動経験を評価していくこと、自己推薦や企業・団体などの推薦による入学を認めることなどを進めていくべきである。もちろん、こうした社会人の入学の拡大を図るためには、企業などにおける採用が柔軟に行われることが必要であり、そうした面での改善も併せて求めたい。

  [2]  大学教育の充実と学業成績の評価の厳格化
  我が国の大学は、入学者選抜が厳格な一方、進級や卒業については、比較的容易とも言われており、このことが、企業などにおいて、何を学んだかという学習歴よりも、大学に入学したという意味での形式的な学(校)歴を重視する傾向を生み出す一因となっている。この問題については、いかに大学教育を充実させるかという観点から考えることが必要であり、授業計画(シラバス)の作成・公表、小人数教育の拡充、ファカルティ・ディベロップメント(教員が授業内容・方法を改善し、向上させるための組織的な取組の総称)の実施、多様なメディアの活用などを通じて教育方法の改善を図っていくとともに、カリキュラムの改革を推進することにより、教育機能の充実・強化を図り、真に社会から必要とされる人材養成に努めることが重要である。こうした基礎の上に立って、入学後の学業成績の評価を厳正に行っていくことが必要である。


第3節  高等学校入学者選抜の改善


(1)  高等学校入学者選抜の現状とこれまでの様々な改善の努力−変わりつつある高校入試

  高等学校入学者選抜については、第14期中央教育審議会の答申及び高校教育改革推進会議の報告等を踏まえ、選抜方法の多様化や選抜尺度の多元化を図る観点から、これまで逐次改善の努力が進められてきたところである。具体的には、各都道府県や学校において、推薦入学の実施、調査書と学力検査の比重の置き方の弾力化、学力検査の工夫、調査書の評価や活用の工夫、面接・小論文・作文・実技検査の実施、入学定員を区分した異なる方法・尺度による選抜の実施、受験機会の複数化などについて改善が進められてきている。
  高等学校の入学者選抜の改善状況(平成9年度)について、公立の場合、これらを実施している都道府県数で見てみると、推薦入学、学力検査の工夫、調査書の評価や活用の工夫、面接・小論文・作文・実技検査といった取組については、7割以上の都道府県で実施されており、相当の改善の広がりがうかがえる。例えば、推薦入学については、46都道府県で実施されている。学力検査の工夫については、実施教科の傾斜配点を行っているところが36都府県となっており、そのうち14県では、自己申告した教科や得点の高い教科について傾斜配点を行っている。調査書の評価や活用の工夫については、観点別学習状況の欄を設定しているところが41道府県、ボランティア活動・奉仕活動の評価を行っているところが47都道府県に達している。さらに、面接を実施しているところが47都道府県、小論文・作文を課しているところが34都府県、実技検査を行っているところが45都道府県に上っている。
  また、私立の場合も、推薦入学や面接については、7割以上の学校で実施されているなど改善のための努力が払われている。
  子細に見れば、調査書と学力検査の比重の置き方の弾力化、学力検査における実施教科数の工夫、入学定員を区分した異なる方法・尺度による選抜、受験機会の複数化といった取組を実施している都道府県は少数にとどまっている。また、ここまで述べてきた様々な改善を実施している都道府県についても、普通科を中心に必ずしも多くの高等学校で取り組まれていないところが含まれているなど、一層の取組の余地を残しているが、総じて種々の改善の努力によって、高校入試が着実に変わりつつあると評価するところである。しかしながら、後述するような課題が依然として存しており、これを克服するため、更なる改善が求められていると考える。

(2)高等学校入学者選抜の改善の基本方向

[1]高校進学率の向上と高等学校入学者選抜の課題
今日、高等学校は、96.8%(平成8年度)に達する進学率に示されるとおり、正に国民的な教育機関となっている。そして、そうした進学率の向上等に伴う生徒の能力・適性や意欲・関心の多様化に対応し、高等学校教育を個性化・多様化することが一層必要となっており、現にそのための様々な努力が払われている。しかしながら、現実には、受験競争が熱を帯びる中、多くの高等学校は大学進学、とりわけ影響力のある特定の大学への進学の実績を競い合っており、大学入学者選抜が学力試験を偏重し、知識の量を問う傾向が強いこととあいまって、偏差値という画一的な尺度による高等学校の序列化を招来していることは否めない。そして、少子化が進む中で、高等学校全体の収容力という観点からすれば、すべての進学希望者を受け入れることはほぼ可能となっているものの、大学進学に有利とされる高等学校の普通科、とりわけ影響力のある特定の高等学校をめぐる受験競争は依然として厳しく、多感な時期の子どもたちに大きな心理的負担となっている。こうした現状に対し、子どもたちに[ゆとり]を与え、[生きる力]をはぐくむ観点から、更に一層の改善のための努力が求められている。
  もとより、高等学校への進学をめぐる受験競争は、大学への進学と密接に関連しており、これを緩和し、高等学校教育の個性化・多様化を進めるためには、大学入学者選抜の改善を進めることが不可欠と考えられる。しかし、このことは、高等学校入学者選抜の改善を図る必要性それ自体をいささかも否定するものとは言えない。我々は、高等学校入学者選抜それ自体の在り方が、中学校以下の教育や社会に与えている影響を直視し、今後進められる大学入学者選抜の改善と併せて、その改善に一層努める必要がある。
  現在、高等学校入学者選抜については、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化、受験機会の複数化、推薦入学の改善など様々な改善が進められているが、いまだ狭い意味での学力の評価に重点が置かれるなど画一的な点が多く、子どもたちの多様な個性や能力・適性を必ずしも十分に評価するものになっていない状況にある。高等学校への進学率が高まり、高等学校教育の個性化・多様化が進みつつある現在、「高等学校が、いかに自校にふさわしい者を選抜するか」という視点だけでなく、「多様な能力・適性や意欲・関心を持つ生徒が、いかに自分にあった進路を的確に選択できるようにするか」という視点を一層重視して改善を進めていく必要がある。

[2]改善の基本方向
  子どもたちに[ゆとり]を与え、[生きる力]をはぐくむという基本的な観点に立った、高等学校入学者選抜の改善の基本方向として、高等学校教育の改革を含め、次の六つの方向を提示したい。

(a)  大部分の子どもたちが高等学校に進学しているという現状を踏まえ、中学校・高等学校間のハードルをより低くしていくことが必要。

(b)  各学校・学科の特色に応じ、生徒の多様な能力・適性などを評価するため、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化に一層努めることが必要。特に、公立高等学校については、各都道府県レベルにとどまらず、学校レベルの選抜方法の多様化が必要。

(c)  [ゆとり]の中で[生きる力]をはぐくむという中学校以下の教育の改善の方向を尊重した入学者選抜の改善に努めることが必要。

(d)  入学者選抜の改善に関しては、国公私立を通じ、特に普通科の高等学校について取組を進めることが重要。また、一部の国私立の高等学校における学力試験を偏重した入学者選抜について改善が必要。

(e)  以上のような入学者選抜の改善を進めるためには、高等学校と中学校との連絡協議の充実、高等学校に関する情報提供の充実など様々な条件整備や、進路指導の改善など関連する施策を進めることが必要。

(f)  入学者選抜の改善とともに、高等学校教育の多様化を進めることや、高等学校教育全体を柔らかなシステムとしていくこと(編入学や転入学の枠の拡大、休学や復学の弾力的運用、学校間連携の拡大など)が必要。

[3]高等学校入学者選抜の改善等の具体的な取組

  (A)入学者選抜の改善の在り方

  まず、(2) において述べた改善の基本方向を踏まえ、具体的にどのように入学者選抜の改善を進めるかについて述べたい。

  [1]  中学校と高等学校のハードルをより低くする取組
  高等学校への進学率は、96.8%(平成8年度)に達しているが、このように多くの子どもたちが高等学校で学びたいという意欲を持っていることは積極的に評価すべきである。こうした中で、現在の高等学校入学者選抜が、多感な時期にある中学生に対し、必要以上に重い心理的な負担を強いたり、中学校教育から[ゆとり]を失わせているとの指摘は重く受け止めなければならないのであり、高等学校入学者選抜のハードルをより低くしていくことが必要である。特に、多様な能力・適性や意欲・関心を持つ子どもたちが、自分に合った進路をいかに的確に選択できるようにするかという視点に立って、子どもたちをふるい落とすことに重点を置くのでなく、子どもたちの優れた面を積極的に評価することを目指し、後述するように選抜方法の多様化・評価尺度の多元化や推薦入学などを更に進めていくことは、今日極めて重要である。

  特に、学力試験については、1点の差を争わせるのではなく、一定以上の点数が取れれば足りるという基本的な考え方に立って取り扱うことが望まれる。選抜方法の多様化や評価尺度の多元化を進める中で、生徒の多様な能力・適性、意欲、努力の成果や活動経験などを様々な観点から評価していく場合、1点差刻みで合否を決することに意義を見出すことはできない。具体的には、学力試験において一定以上の点数を得ていれば、他の資料によって選抜を行っていくという方法が広く進められていくべきであると考える。その際、学力試験による評価を、現在広く行われているいわゆる総点主義によらず、子どもたちの得意な教科に着目して行うということも検討されてよい。さらに、入学定員についても、これを厳格に運用するのでなく、各高等学校において自校の教育を受けるのに適当と考える水準に達していれば、ある程度の幅を持って合格とするなど、弾力的に扱っていくことも考慮されてよい。

  学力試験の実施教科の取扱いについては、現在、私立高等学校の場合、約半数が3教科となっているが、公立の高等学校の場合はほとんどが5教科となっている。公立高等学校においても、調査書等との組合せを考えながら、各高等学校や学科の特色に応じ、教科数や教科の指定についても、更に多様化が進むことが望まれる。

  受験機会の複数化や第2次募集の実施、特に、前者については、これを実施している県が9県(平成9年度)にとどまっているなど、いまだ取組が十分とは言えない。今後は、学校・学科等の特色に応じ、更に積極的に取り組んでいくことが望まれる。

  なお、後述する中高一貫教育の選択的導入については、子どもたちに対して、入学者選抜を経ずに高等学校の段階へ進学する途を選択する機会を提供するものであり、中学校と高等学校のハードルを低くする取組の方向に沿うものとしても大きな意義を持っていると考える。

  [2]  選抜方法の多様化や評価尺度の多元化
  選抜方法の多様化や評価尺度の多元化については、多様化や個性化を理念とする高校改革が進む中で、各高等学校や学科が自らの特色に応じて選抜を行う必要が高まっていることから、これまで以上にその推進が強く求められる。また、知識の量といった狭い意味での学力だけでなく、子どもたちの多様な個性や能力・適性、意欲、努力の成果や活動経験などについて、様々な観点から、優れた面や長所を積極的に評価していくためには、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化が不可欠であり、こうした取組により、生徒の選択の幅が一層広がるものと考える。

  具体的には、子どもたちの多様な個性や能力・適性を一層多面的に評価する観点から、調査書と学力試験の比重の置き方を一層弾力化したり、小論文・面接・実技検査の実施、各種の技能審査や文化・スポーツ活動・ボランティア活動などの評価などを適切に組み合わせて行っていくべきである。また、同一高校の同一学科において、複数の選抜基準を導入して選抜を行っていくことは、生徒の選択の幅を広げるとともに、高等学校にとっても、多様な生徒を受け入れることになり、学校の活性化を促すものと考える。
  特に、現在、高等学校入学者選抜において、最も重要な資料となっている調査書と学力試験の活用については、一層多様な取組が期待される。例えば、都道府県レベルにとどまらず、各学校や学科の特色に応じ、調査書と学力試験の比重の置き方を変えることや、推薦入学以外でも学力試験を課さない選抜を行ったり、他方、学力試験だけで調査書を用いない選抜を行うことなどが考えられる。また、学力試験において教科間で傾斜配点を行ったり、子どもたちが教科を選択したり、教科の設問に選択肢を与えたりすることも有意義と考えられる。さらに、学力試験と調査書により、一定の水準に達していることが判定できれば、調査書の活動記録や学校外活動等の別の要素で合否を決定するというような方法も積極的に取り入れられてよいと考える。なお、調査書を用いず、学力試験の成績を主たる選抜の資料とすることは、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化の一環として、生徒が自分に適した選抜方法を選択するという意味で意義があると考えるが、高等学校の入学者選抜において、学力試験を偏重する傾向を助長しないよう、定員の一部、あるいは、一定の地域の一部の学校に限って実施するなどの配慮をしていくべきである。

  選抜方法の多様化や評価尺度の多元化の一環として、選抜資料の多様化が図られることは、生徒一人一人の多様な個性や能力・適性をよりきめ細かく評価する上で有効な方法と考えられる。従来、推薦入試などの場合を除けば、基本的に学力検査の成績と中学校から送付された調査書を中心とした選抜が主流であったが、生徒の明確な進路意識や高等学校における学習活動や学校生活への意欲などを一層重視していくため、生徒や必要に応じ保護者が、その学校へ進学したい動機やそこで学びたいこと、学校外の活動を含め中学校時代に主体的に学んだ事柄などを記述した書類を選抜資料として用い、これを積極的に活用することも有意義と考えられる。
  なお、近年、登校拒否の子どもは増加しつつあり、高等学校入学者選抜の在り方を考える上でも、そうした子どもたちへの配慮を行うことは重要になってきている。高等学校の入学者選抜において、中学校から提出する調査書などが重視されるという現在の枠組みは、登校拒否の子どもたちにとって、心理的な負担となるのみならず、調査書が低い評価となることが考えられる。登校拒否であっても、高等学校で学ぶ十分な意欲や能力を持っている子どもについては、これをより適切に評価していくことが望まれるのであり、そのためにも上記のような選抜資料の多様化とその活用を図ることは有効な方途と考えられる。

  また、障害のある者については、これまでも選抜の実施に当たって様々な配慮がなされているところであるが、ここで提言した選抜方法の多様化や評価尺度の多元化のための様々な取組は、ペーパーテストによる学力試験だけでは不利な立場に置かれることもあるこれらの者に対する適正な評価にも資するものと考えられる。そして、これらの取組の実践に当たって、障害のある者への一層の配慮が求められることはもちろんである。

  我々は、以上のような様々な取組が、国公私立を通じて進められていくことを期待するものであるが、公立の高等学校入学者選抜における選抜方法の多様化や評価尺度の多元化を一層推進していくためには、各都道府県教育委員会が指導的な役割を果たす一方で、一定の範囲で具体的な選抜方法について各高等学校の判断にゆだねていくことが必要である。

  [3]  中学校以下の教育の改善の方向を尊重した入学者選抜の改善
  大学入学者選抜の改善の節でも述べたとおり、第一次答申においては、[ゆとり]の中で[生きる力]をはぐくむことを提言したところである。中学校以下の教育は、その実現を目指し、知識を教え込む教育から、自ら学び、自ら考える教育への転換を図ろうとしている。高等学校入学者選抜の改善に当たっては、こうした中学校以下の教育の改善の方向を尊重していくことが求められる。

  具体的には、まず、調査書の活用の在り方について考えることが必要である。高等学校入学者選抜においては、これまでも調査書は重要な資料として取り扱われてきているところであるが、その一層適切な活用を図っていく観点から、学習成績の記録だけでなく、例えば、特別活動の記録、学校内外における文化・スポーツ活動やボランティア活動の記録、趣味・特技の記録、運動能力の記録などといった様々な活動の記録を積極的に評価したり、また、学習記録についても、各高等学校や学科の特色に応じて、異なる方法によって評価するなどの工夫が望まれる。
  学力試験については、[生きる力]が自ら考える力であり、今後はこうした力を身に付けているか否かによって学力を評価すべく、学力観の転換を図ろうとしていることを踏まえ、単に知識量を問うような問題はできるだけ避け、思考力を問う問題の出題を一層工夫していくべきである。また、教科の枠にとらわれない総合問題についても、研究を進めていくことが望まれる。

  さらに、一部の国私立高等学校において、学力試験を偏重した入学者選抜が行われており、こうした入学者選抜は、中学校以下の教育について、受験のための知識を詰め込む傾向を招くとともに、学校教育と受験勉強の乖離を招くものであり、その在り方の見直しを求めたい。また、こうした一部の学校において、いわゆる難問や奇問など、中学校教育の趣旨を逸脱した出題がなされており、その是正を強く求めたい。なお、高等学校入学者選抜の問題ではないが、これらは、一部の国私立中学校の入学者選抜においても同様であり、改善を強く要請したい。

  [4]  推薦入学の改善
  推薦入学については、既に普通科を含めてかなり積極的に取り組まれているところであるが、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化の一環として、今後とも積極的に活用されることが望まれる。
  また、推薦入学については、学力試験では評価できない、生徒の多様な個性や能力・適性、意欲、努力の成果や活動経験などについての優れた面を重要視することが可能であり、こうした面をより積極的に評価することが、推薦入学の意義をより深めることになると考える。したがって、推薦入学において、学校の教育活動の一環として行われた文化・スポーツ活動などについて評価するだけでなく、ボランティア活動など学校外活動についても、更に積極的に評価することが望まれる。
  なお、こうした学校外の活動については、中学校が地域の社会教育関係団体やスポーツ関係団体などから報告を受け、中学校における評価を経て、高等学校に資料の提出を行えるようにはなっているが、今後は、こうした学校外の団体が、中学校に対してより主体的に情報を提供したり、中学校側も積極的に受け止める姿勢が重要と考えられる。
  さらに、こうした推薦入学の実施に当たっては、中学校教育に悪影響を及ぼさないよう、あまり早い時期に行わないようにすることや、一部の私立の高等学校において見られるように学力試験を課すことはしないなど、推薦入学の趣旨にのっとった一定のルールを遵守すべきである。

  (B)入学者選抜の改善を進めるための条件整備など関連する施策の推進

  (A)に述べた入学者選抜の改善を進めるためには、関係機関の連携の強化や情報提供の充実などの条件整備を進めたり、進路指導の改善など関連する施策を進めることが必要であり、そのための具体的な取組について述べたい。

  [1]  高等学校と中学校との連絡協議体制の整備
  高等学校入学者選抜を改善していくためには、中学校関係者と公私立の高等学校関係者が、相互理解を図りながら、恒常的に連絡・協議を行うことが不可欠である。現在、かなりの都道府県において、連絡・協議の体制は整備されつつあるが、なお、恒常的な連絡・協議の場として十分に機能しているとは言い難い。このため、各都道府県において、行政が支援を行い、体制を整備するとともに、これを積極的に活用していくことを期待したい。
  なお、早期化の傾向が見られる入学者選抜の時期については、中学校第3学年の3学期における授業への影響をはじめ、中学校教育への支障がないよう、上記の場を積極的に活用することなどにより、その適正化に努める必要がある。

  [2]  進路指導の改善と学校や入試に関する情報提供体制の整備
  大学入学者選抜の改善の節においても述べたとおり、進路指導については、生徒が将来の社会生活についての理解を深め、自らの在り方や生き方を考えながら、将来の自己の進路について模索することを指導・援助していくことが基本であり、これを踏まえつつ、高等学校等への進学や就職に関する指導を充実させていくことが必要である。高等学校への進学に関する指導について見ると、業者テストに中学校が関与することはなくなり、偏差値等に依存した進路指導に関しては、かなり改善が進められてきたが、今後、さらに、生徒が自らの生き方を考え、目的意識を持って主体的に自己の進路を選択・決定するという方向に一層改善を進める必要がある。また、具体的な志望高校についても、自らの能力・適性や興味・関心などを踏まえて、将来の自らの生き方を十分考えつつ、併せて、各高等学校の教育内容や特色を十分理解した上で、選択するという方向で改善を進めるべきである。その際、単に抽象的な進路情報を提供するにとどまらず、高等学校等への体験入学を行ったり、企業等の協力を得て職場実習を実施するなどといった啓発的体験を積極的に取り入れていくことが望まれる。

  高等学校教育の個性化や多様化が進むとともに、入学者選抜について、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化が進む中で、中学校においては、これらの情報を的確に入手し、生徒や保護者に提供していくことがますます必要となっている。各高等学校においても、情報の発信に努める必要があり、例えば、体験入学といった試みももっとなされてよい。また、行政においては、情報通信ネットワークを活用し、中学校、生徒や保護者に対する情報提供体制を整備していく必要がある。

  (C)高等学校教育の多様化と柔らかなシステムの実現

  高等学校の入学者選抜の改善を進めるとともに、高等学校教育の多様化を進めたり、高等学校教育全体を柔らかなシステムとするなど高等学校教育の在り方を見直していくことが重要であり、そのための具体策について述べたい。

  [1]  高等学校教育の多様化
過度の受験競争の背景の一つとして、高等学校間の序列意識の問題がある。こうした序列意識については、普通科の学校間だけでなく、普通科と専門学科の間や専門学科の間、さらには、全日制課程と定時制課程の間においても存在する。こうした意識については、直ちに解消することはなかなか困難であるが、それぞれの高等学校が、教育内容の個性化や多様化を進め、特色を発揮することを通じて、意識改革を促していくことが必要である。また、こうした多様化の一環として、生徒の多様な能力・適性等や様々な事情に対応するため、単位制高等学校や総合学科について、改組・転換を含めて、整備を図っていく必要がある。

  [2]  高等学校教育を柔らかなシステムへ
  過度の受験競争を緩和するため、高等学校教育への様々なアクセスを可能とし、高等学校教育全体を柔らかなシステムとしていくことは極めて重要である。
  こうした観点から、生徒が積極的な進路変更を希望する場合に学校間あるいは学科間の移動を容易にしていくことや、保護者の転勤や帰国等に伴う編入学や転入学について特別定員枠を設け、これを受け入れていくことなどを一層積極的に認めていくべきである。
  さらに、高等学校において、社会人特別枠を設けることなどにより、高等学校を中退した後、あるいは、中学校卒業後、社会経験や職業経験を積んでいる者の受入れについて、十分配慮していくべきである。
  また、高等学校中途退学者の編入学の受入れについて一層柔軟に認めていくとともに、休学してボランティア活動経験や社会経験・職業経験を積んだ後、学校に復学することを生徒が希望する場合には、弾力的にこれを認めていくべきである。
  このような柔軟な受入れを行う上で、既に取得した単位を生かすことができるなどのメリットを持っている単位制高等学校は有効であり、こうした学校の整備を更に進めていくべきである。
  また、学校間の序列意識を解消していくためにも、他の高等学校等において学習する機会を拡充することは重要であり、高等学校相互の学校間連携等についても、更に積極的に推進する必要がある。


第4節  学(校)歴偏重社会の問題


  過度の受験競争の緩和のためには、大学・高等学校の入学者選抜の改善や大学改革・高校改革が必要であるが、この問題は、第14期中央教育審議会の答申において、詳細な分析がなされているように、学(校)歴偏重社会の問題とも関連が深い。学(校)歴偏重社会の問題は、企業や官公庁における採用や昇進の在り方、特に、採用において、形式的な学(校)歴を重んじてきたことや、親を含めた多くの国民が、学(校)歴神話とも言うべき、「いい学校=いい会社=幸せな人生」といった図式をかなりの程度信じてきたこと、さらには、親を含めた国民の横並び意識や同質志向に起因するものと考えられる。こうした形式的な学(校)歴を偏重するという我が国の社会状況あるいは社会意識は、少しずつ変わりつつあるものの、なお根強いものがある。
  このように様々な要因や背景が絡み合って学(校)歴偏重社会の問題が生じていることを考えると、これを是正するためには、学校・企業・親などがそれぞれの立場で取組を進めることが必要であり、学校が悪い、企業や官公庁が悪い、親が悪い、などとお互いに責任を転嫁するようなことは決して建設的とは言えない。学校側の取組については、既に大学・高等学校の入学者選抜の改善や大学改革・高校改革に関する種々の提言を行い、その実行を求めたところであるが、こうした取組のみならず、企業・官公庁の採用・昇進の在り方の改善や、親を含めた国民の意識改革を行うことが、この問題に対処していく上で欠かせない。

  企業や官公庁における採用や昇進の在り方が、学(校)歴偏重社会の一つの大きな要因となり、過度の受験競争を助長してきた面があるが、経済構造が大きく変化し、終身雇用や年功序列などの日本型雇用慣行が揺らぎ、企業を取り巻く環境が厳しさを増しつつある今日、企業においては、採用や昇進の在り方を改革しようという動きが現れている。
  そうした改革の動きは、経済団体が企業に対して実施している様々な調査においてもうかがうことができる。例えば、平成8年に実施された経済団体連合会の調査によれば、企業の多くは、採用に当たって「熱意や意欲」(調査に回答した企業のうち、当該項目を選択した企業の割合は、文系学生の採用については84.3%、理系学生の採用については71.5%。以下も同様。)、「創造性」(文系37.4%、理系45.9%)などを重視していると回答しており、「出身学校」を重視すると回答している企業は一部にとどまっている(文系6.6%、理系5.1%)。また、平成9年に実施された経済同友会の調査によれば、「企業内の能力主義が徹底し、社会にも能力を重視する意識が浸透する」、「企業間の人材の流動化が進み、企業が学歴にこだわらない採用ができるようになる」などといった考え方に基づき、8割以上の経営者が「現在の学歴偏重の意識は将来是正される」と予想している。
  もちろん、こうした考え方が、実際の企業の採用等の在り方に十分反映しているとは言い切れないが、上記の経済団体連合会の調査によれば、学校名を聞かない採用を実施している企業(文系11.9%、理系9.2%)や通年採用を取り入れている企業(文系15.1%、理系17.1%)がいまだ少数ではあるものの、増加してきているなど、着実に変化が生じつつあると考えられる。
  また、官公庁においても、例えば、国家公務員の場合、平成4年度以降、I種試験合格者の採用に当たって、特定大学の出身者に偏ることなく、多様な大学等の出身者から採用するよう配慮することとなるなど、努力が始められており、合格者の中央省庁における採用内定状況(行政職・法律職・経済職)を見ると、従来は特定大学が全体で6割程度を占めていたが、近年は5割程度になるなど、徐々に変化が現れてきている。
  今後、こうした企業等の改革の動きは加速されるのではないかと考えているが、学(校)歴偏重社会を是正する観点から、企業において、指定校制の完全撤廃はもちろんのこと、学校名にこだわらない採用、新卒一括採用の見直し、評価基準の多様化など、形式的な学(校)歴よりも学習歴を重視した人物・能力本位の採用や、形式的な学(校)歴にこだわらない能力主義に基づく昇進などに積極的に取り組むことを強く要請したい。また、官公庁においても、こうしたことは同様であり、形式的な学(校)歴にこだわらない採用や昇進を強く要請したい。

  親を含む国民の価値観は次第に多様化してきているが、このような現実の企業等の動きによって、国民の意識の変化も一層促されていくであろう。平成4年の総理府の調査によれば、学(校)歴偏重社会から、人生のあらゆる時期で学習したことが評価される社会に移行すべきであるという考え方に対して賛意を示す者が82.2%に達しており、また、若い年齢層においてそうした傾向が比較的強くなっている。学(校)歴偏重社会が揺らぎつつあるという現実の動きは、いまだ国民に十分認識されているとは言えないが、この調査からもうかがえるように、そうした変化を希求する気運が国民の間で確実に盛り上がりつつあるということはできよう。
  第一次答申において我々は、子どもの教育や人格形成に対し最終的な責任を負うのが家庭であることを強調したところであるが、子どもたち一人一人の能力・適性を見出し、その個性を伸ばしていく上でも家庭の果たすべき役割は極めて大きい。それぞれの親が、現実の社会の動きを見据え、「どのような教育を行っていくことが、これからの社会を生きる子どもにとって必要か」ということについて考えていくことを期待したい。そして、18歳の時点でどの大学に入学したかということが、長い人生においてかつてほどの大きな意味を持たなくなってきているということについて、親がしっかりと認識することが大切であると考える。我が国社会が、多様な選択が認められる豊かな成熟社会へ移行していく中にあって、親は、横並び意識や同質志向、さらには過度に年齢にとらわれた価値観にとらわれることなく、子どもたちの個性を直截に見つめ、その自主性を尊重しながら、子どもたちの「自分さがしの旅」を扶けていくことが求められる。
  
  過度の塾通い、特に、受験勉強を主たる目的とした塾通いについては、基本的には、知識量という一つの価値尺度による過度の受験競争に起因するものであり、まず、そうした競争を是正・緩和するための取組を進めることが必要である。このためにも、大学、高等学校、国私立の中学校における入学者選抜の改善を図り、小さいころからの受験勉強をあおらないような選抜方法にしていくなどの努力を進めていくべきである。しかしながら、同時に、親にあっては、子どもの教育に対する責任を自覚し、休業土曜日や夜遅くまで塾に通うといった過度の塾通いが子どもにとって望ましいことかどうかを改めて深く考えてほしい。また、それとともに、塾関係者に対しては節度ある対応を望みたい。なお、塾通いの実態を見てみると、子どもたちが学校の授業についていけないために、補習などを目的として塾に通っている場合もあり、過度の塾通いを是正するという観点からも、学校において一人一人の個に応じた指導の充実を図ることを改めて求めたい。

  以上、本章で述べてきた取組を具体的に進めるに当たって、全国レベルでは文部省が中心的な役割を果たしていかなければならないことはもちろんであるが、これらの取組が社会全体で担われるべきものであることを踏まえ、教育界の枠に閉じこもらず、関係省庁の協力を得ながら、親や企業・官公庁などを含めた幅広い国民の理解と協力を得つつ取組を進めていくことが極めて重要であることをここで強調しておきたい。


第3章  中高一貫教育


(1)中高一貫教育の意義と選択的導入

[1]中高一貫教育の意義と特色
  今日、一人一人の能力・適性に応じた教育を進めるため、学校教育における教育内容・方法のみならず、学校間の接続を改善し、教育制度の面で多様かつ柔軟な対応を行っていくことが求められている。特に、子どもたちが心身の成長や変化の著しい多感な時期にある中等教育の在り方については、その改善の必要性が指摘されてきている。中学校教育と高等学校教育とを入学者選抜を課すことなく接続し、6年間の一貫した教育を行う中高一貫教育については、そうしたことを背景に、後述する様々な利点に対する評価の高まりとあいまって、教育界からはもとより、幅広く社会的な関心が集まっており、その導入の是非は今日的に極めて重要な課題となっている。
  これまでの教育改革の論議においても、中高一貫教育は、様々な形で検討が行われてきた。昭和46年の中央教育審議会答申「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」においては、漸進的な6・3・3制の学校体系の改革を推進する第一歩として中高一貫教育などを先導的に試行すべき旨提言されたが、教育関係者等の共通理解が得られなかったこともあり、実施が見送られた。その後、昭和60年の臨時教育審議会「教育改革に関する第一次答申」において、6年制中等学校の設置が提言され、これを踏まえて具体的な調査研究も行われたが、平成3年の中央教育審議会答申「新しい時代に対応する教育の諸制度の改革について」においても指摘されているとおり、中高一貫教育には受験競争の低年齢化を招くおそれがあることなどから、最終的な結論は持ち越されてきた。
  一方、現状を見ると、中高一貫教育は、国私立の中・高等学校において、実際上、相当の広がりをもって行われているところである。また、公立については、平成6年に、それまでに例のなかった県立中学校が、県立高等学校と接続する形で設置され、実際上、初めての中高一貫教育が緒についている。

  これまでになされた提言やそれに基づく調査研究、あるいは国公私立での中高一貫教育の状況を踏まえると、中高一貫教育については、次のような特色があると考えられる。まず、中高一貫教育の利点としては、(a)   高等学校入学者選抜の影響を受けずにゆとりのある安定的な学校生活が送れること、(b) 6年間の計画的・継続的な教育指導が展開でき効果的な一貫した教育が可能となること、(c)   6年間にわたり生徒を継続的に把握することにより生徒の個性を伸長したり、優れた才能の発見がよりできること、(d) 中学1年生から高校3年生までの異年齢集団による活動が行えることにより、社会性や豊かな人間性をより育成できることなどが挙げられる。一方、問題点としては、(a)   制度の適切な運用が図られない場合には、受験競争の低年齢化につながるおそれがあること、(b) 受験準備に偏した教育が行われるおそれがあること、(c)   小学校の卒業段階での進路選択は困難なこと、(d) 心身発達の差異の大きい生徒を対象とするため学校運営に困難が生じる場合があること、(e) 生徒集団が長期間同一メンバーで固定されることにより学習環境になじめない生徒が生じるおそれがあること、などが挙げられる。
  このように中高一貫教育については、一方で問題点があるものの、利点と考えられる点も多い。とりわけ、子どもたちに[ゆとり]を与える必要性を訴えた第一次答申の理念を踏まえると、これら数々の利点の中で、[ゆとり]ある学校生活をおくることを可能にするということの意義は大きいと言わなければならない。[ゆとり]ある学校生活を実現することは、子どもたちが様々な試行錯誤をしたり、体験を積み重ねること等を通じて、豊かな学習をし、個性や創造性を存分に伸ばしていくことをより可能とするという観点から、今日特に大切なことと考える。そして、子どもたちの個性を見出し、これを伸ばしていく中で、じっくり学ぶことを希望する子どもたちに対して十分な指導をしていく可能性が広がることも期待される。また、中高一貫教育の導入は、中学校と高等学校の間のハードルを低くするという、高等学校入学者選抜の改善の方向にも沿うものであると言える。このように考え、我々は、大きな幾つかの利点を持つ中高一貫教育を享受する機会を、子どもたちにより広く提供していくことが望ましく、中高一貫教育を導入することが適当であるとの結論に達した。

[2]中高一貫教育の選択的導入
  それでは、中高一貫教育を、現行の6・3・3制の学校体系の中でどのように位置付けて、その導入を図っていくべきであろうか。幅広い観点から議論を行った結果、我々は、6・3・3制を一律に6・6制に改めるという画一的な改革を行うのではなく、以下のような考え方に立って、子どもたちや保護者などの選択の幅を広げ、学校制度の複線化構造を進める観点から、中高一貫教育の選択的導入を行うことが適当であると考えた。

  前述の中高一貫教育の利点と問題点は、いずれもある程度一般的なものではあるが、その重さが、一人一人の子どもたちや保護者にとって異なっていることは言うまでもない。
  一方、現行制度の利点と意義はどうであろうか。中学校の時期の特質について、端的に表現するならば、子どもたちの心身の成長や変化が著しい時期と言うことができる。この時期は、様々な社会的経験や多様な個性の触れ合いなどを通じた人間関係の広がりと深まりの中で、自らと社会とのかかわりや将来の生き方について考え、自己を確立していく重要な段階である。すなわち、小学校を卒業した時点では見出せていなかった自らの能力・適性、興味・関心、希望などを、3年間にわたる学習や生活の中で発見し、はぐくんでいくことを可能とする段階として位置付けられる。
  このように考えれば、中学校で学習しながら、自己の希望や目標が具体化し、進路意識が明確になった時点で、多様な高等学校の中から、自らの能力・適性、興味・関心等に対応した、最もふさわしい学校を主体的に選択できるという現行制度もまた、大きな利点と意義を有するものである。そして、このような観点から、段階を追って清新な気持ちで進学したいと考える子どもたちや保護者が多数いることは尊重されなければならない。さらに、中学校及び高等学校のそれぞれの段階で、できるだけ多くの友達と様々な交流をすることを通じて、人間的成長の契機としたいと考える子どもたちや保護者が大勢いるということにも留意しなければならない。

  なお、こうした現行制度の持つ利点と意義を十分に生かしていく上でも、高等学校入学者選抜の改善を図っていくことが強く望まれるところである。高等学校入学者選抜の改善については、第2章第3節において、中学校・高等学校間のハードルをより低くしていくこと、中学校以下の教育の改善の方向を尊重した改善を進めること等といった基本方向の下、具体的な提言を行っており、これらに沿った取組を進めていくことが大切であることを改めて指摘しておきたい。
  いずれにしても、中高一貫教育の利点と問題点の軽重について、現行制度と比較しながら総合的に判断するのは、あくまでそれぞれの子どもたちや保護者であり、高等学校入学者選抜の改善を図る中で、従来の中学校・高等学校に区分された中等教育と、中高一貫教育とを選択可能とする柔軟な学校制度を設けることが望まれるのである。

  中高一貫教育の選択的導入は、既に進みつつある中等教育全体の多様化・複線化あるいは多線化という観点からも要請される。高等学校については、総合学科や単位制高等学校の拡充、選択幅の広い教育課程の編成、自校以外の学習成果の単位認定の導入、中学校については、選択履修の幅の拡大など、それぞれの学校段階で、言わば「横の多様化・複線化」が進んできており、その流れは第一次答申を受けて更に加速していくだろう。このように子どもたちや保護者の選択の幅が広がっていく流れの中で、中学校・高等学校が3年ずつに区分された制度以外に選択の余地が乏しいという現在の中等教育の学校体系の見直しが求められているのである。中高一貫教育の選択的導入は、言わば「縦の多様化・複線化」を実現するものであり、中等教育全体の多様化・複線化、さらには学校制度の複線化構造を進める一環として、極めて重要な意義を持つのである。

  また、中高一貫教育の選択的導入は、子どもたちや保護者の選択の幅を広げることにとどまらず、地方公共団体や学校法人などの学校設置者が、自らの創意工夫によって特色ある教育を展開する裁量の範囲を拡大することに資するものである。とりわけ、後述する制度改革により、地方公共団体が自らの主体的な判断により、これまで専ら国私立学校によって担われてきた中高一貫教育を提供することができるようにすることは、公立学校をより多様で魅力あるものとし、子どもたちに対して中高一貫教育を享受する機会を公平に提供する観点からも、重要な意義を持っている。

  なお、こうした意義の一方、中高一貫教育については、その導入が過度の受験競争に一層の拍車をかけるおそれがあるとする指摘がある。過度の受験競争の問題が、今日取り組むべき最も重要な教育上の課題の一つとなっていることを踏まえると、中高一貫教育の導入に当たって、こうした懸念が払拭されるよう具体的な取組が必要であり、以下、中高一貫教育の導入の在り方について述べる中で、幾つかの提言を行いたい。

(2)中高一貫教育の導入の具体的な在り方

[1]中高一貫教育の実施形態
  中高一貫教育の導入は、中等教育全体の多様化・複線化の一環であり、子どもたちや保護者の選択の幅を広げることを趣旨とするものであることから、子どもたちや保護者のニーズ、地域の実情を十分に踏まえて進められることが求められる。したがって、中高一貫教育を導入するかどうか、導入するとすればどのような学校とするのかについては、そうした子どもたちや保護者のニーズ、地域の実情を把握している地方公共団体や学校法人などの主体的な判断を尊重することが適当と考えられる。そして、この問題における国の役割は、地方公共団体等に対して一律に中高一貫教育の導入を求めることでなく、地方公共団体等が自らの判断により、中高一貫教育を導入できるよう、制度上の隘路を取り除くことを含めて、所要の制度改革を行うことと考えられる。

  我々は、中高一貫教育の実施形態について、まず、設置者の在り方から検討した。現在の中学校及び高等学校を見ると、中学校についてはほとんど大部分が市町村立となっており、また、高等学校については、全学校数の約4分の3が公立(うち大部分が都道府県立であり、ごく一部が市町村立)、約4分の1が私立となっている。そこで、我々は、中高一貫教育の基本的な実施形態として、次のようなものがあると考えた。
  まず、第一の実施形態としては、同一の設置者(都道府県、市町村、学校法人など)が中学校・高等学校を併設し、入学者選抜を課すことなく接続するという形態が考えられる。これについては、(a)   独立した中学校と高等学校を併設する場合のほか、更に発展して、中学校段階と高等学校段階それぞれの学校運営の一体性をより確保するという観点から、(b)   一つの6年制の学校(いわゆる6年制中等学校)として設置・運営する場合が考えられる。なお、この6年制の学校については、現行の義務教育制度が安定したものであり、現行制度の下で、中学校教育と高等学校教育のそれぞれの教育内容を前提としつつ、それらを一つの学校として提供するものとして考え、義務教育制度の変更をもたらすような性格のものとして構想するものではない。
  次に、第二の実施形態としては、一校又は複数の市町村立中学校と都道府県立高等学校とを連携させ、高等学校入学者選抜を行わず、6年間の計画的・継続的な教育を行うという場合も考えられる。

  ここまで述べてきた中高一貫教育の意義や特色に関する様々な指摘は、基本的にはこれらの形態すべてに共通するものであり、その選択については、地方公共団体や学校法人が、地域や学校の実情等を踏まえて、最も適した形態を採ればよいと考えられる。すなわち、中高一貫教育の円滑な導入を図るためには、国にあっては、地方公共団体や学校法人が、必要に応じていずれの形態をも選択できるように所要の制度改革を行うことが必要である。
  そこで我々は、どのように現行の学校制度を改革する必要があるかを検討した。まず、中高一貫教育については、中学校段階から高等学校段階へ進む際に選抜を行わないことが前提であるが、現行制度上は選抜が必須となっており、この点での制度改革が必要である。また、第一の実施形態については、地方公共団体が設置する場合の教職員給与費や施設費の負担方法などについて所要の制度改革が必要となると考えられる。

[2]教育内容
  中高一貫教育の具体的な教育内容については、[ゆとり]のある学校生活の中で、それぞれの子どもの個性や創造性を大いに伸ばすという中高一貫教育の趣旨を十分生かすことができるよう、義務教育段階での基礎・基本をしっかりと身に付けさせるとともに、年齢が進むにつれて多様化していく生徒の能力・適性、興味・関心、進路等に対応して、生徒の選択を重視した、できるだけ多様な教育を提供することが望まれる。
  また、中高一貫教育を行う学校(以下、「中高一貫校」という。)の教育内容については、このような基本的な考え方の下、様々な創意工夫が凝らされることが期待されるが、とりわけ、地域との連携を図りつつ、社会体験や自然体験を中心に様々な体験学習を積極的に取り入れることなどにより、従来の中学校教育や高等学校教育では見出しにくかった生徒の能力・適性等を見出し、それらの伸長を図っていくことができるようなものとすることが必要である。

  中高一貫教育の教育内容の類型について、現在の高等学校の学科のタイプに即して検討すると、(a) 普通科タイプ、(b) 総合学科タイプ、(c) 専門学科(職業学科、芸術科、体育科、外国語科、理数科など)タイプ、などがあると考えられる。このうち、(a)   については、ゆっくりと落ち着いて学びたいと考える生徒の希望に適切にこたえることができると考えられるほか、体験学習を重視したり、地域の特性を生かした系統的な教育活動を行ったり、情報、外国語などに重点を置いた学習を行うことができるようにすることなどにより、普通科における教育のより一層の多様化に資することが期待される。また、(b)   については、中学校段階から高等学校段階へと進むにつれてますます多様化する生徒の能力・適性、興味・関心に対応し、様々な教科・科目の中から、生徒の主体的な選択を可能にするという観点で、非常に有効なタイプと考えられる。さらに、(c)   については、例えば、音楽や美術、スポーツなどに興味・関心を有し、明確な目的意識を持った生徒に対し、その興味・関心を比較的早くから深めていくという観点から考えられるであろう。なお、実際に中高一貫教育を導入する際には、これらの類型を組み合わせたりすることにより、できるだけ生徒の学習の選択幅が広がるような多様なコースが設けられることが望まれる。
  このように、それぞれについて意義があることから、現在進めている高等学校教育の多様化との整合性を図るためにも、いずれのタイプも地域や学校の実情に応じて可能とすることが適当と考える。既に述べたとおり、中高一貫教育を行う学校を設置するかどうか、設置するとすれば、どのような学校とするのかについては、子どもたちや保護者のニーズ、地域の実情を把握している地方公共団体や学校法人などの主体的な判断を尊重することが適当であり、教育内容のタイプについても、その選択にゆだねていくことが望ましい。

  ただし、普通科タイプの場合、受験準備に偏した教育が行われるのではないかということが最も懸念されるところである。普通科タイプの中高一貫校が、いわゆる「受験エリート校」となり、偏差値による学校間の序列化を助長するようなことはあってはならないと考える。我々は受験準備に偏した教育が行われることは適当でなく、また、中高一貫教育を導入する本旨ではないと考えており、そうした教育を行わないよう、関係者には強く求めたい。
  なお、このような懸念が生じる背景には、現在の大学入学者選抜の在り方が学力試験を偏重しているということがあると考えられる。様々な試行錯誤をしたり、体験を積み重ねるなど[ゆとり]ある学校生活をより可能としていくという中高一貫教育の趣旨を実現するとの観点からも、大学入学者選抜の在り方を、学力試験の偏重から、選抜方法の多様化、評価尺度の多元化に向けて変えていくことが必要である。その際、具体的には、総合学科タイプや専門学科タイプなどの中高一貫校の卒業生について、こうした中高一貫教育の趣旨を一層実現する観点から、例えば、推薦入学などの方法を通じて大学に受け入れていくことも検討されるべきである。

  さらに、教育課程の大綱的な基準である現行の学習指導要領においては、既に教育課程の弾力化が進められ、教育内容の精選が図られており、こうした趣旨を生かして、様々な試行錯誤をしたり、体験を積み重ねるなど[ゆとり]ある学校生活を送ることをより可能としていくという中高一貫教育のねらいを達成していくことが必要である。また、今後の学習指導要領の改訂に当たっても、選択履修の拡大など教育課程の弾力化や教育内容の厳選について配慮がなされていくと考えられるので、そのような趣旨も生かして、中高一貫教育の理念が一層実現されるよう留意する必要がある。

  なお、中高一貫校の教育内容の問題に関連して、小学校の子どもたちや保護者、とりわけ保護者に対しては、中高一貫教育の導入の趣旨を理解し、大学受験等に有利かどうかといった観点だけで進学すべき学校を選択することのないよう求めたい。このため、特に保護者が子どもたちにふさわしい選択をすることができるよう、中高一貫校の設置者などにおいては、適切な情報提供等について十分配慮していくことが必要である。

[3]中高一貫校における特色ある教育の展開
  我々は、中高一貫教育を導入する学校が、どのような特色ある教育を展開していく可能性を持っているかについて検討した。中高一貫教育の選択的導入が、子どもたちや保護者による学校選択の幅を広げていくということを目指すものであることからすると、新たに中高一貫教育を導入する学校は、いずれの教育内容のタイプであっても、より特色ある教育をしっかりと提供していくことが望まれるのである。もちろん、現行の中学校、高等学校においても、特色ある様々な教育活動が展開されているところであるが、中高一貫教育においては、6年間にわたる[ゆとり]を十分に生かす中で、特色ある教育を幅広く効果的に提供していくことが考えられる。具体的にどのような特色を備えた中高一貫校とするかについては、地方公共団体など設置者が考えていくべき問題であり、本審議会として固定的な類型化をしようとするものではないが、以下、幾つかの特色の例を提示しておきたい。なお、これらの特色を組み合わせた教育活動を展開していくことも有効と考える。

  (a)  体験学習を重視する学校
  体験学習を重視する観点から、体験学習を6年間の一貫した教育活動における軸に据えて、様々な教科等における日常の指導全体にわたって、ボランティア体験、社会体験、勤労体験、自然体験を盛り込んだり、実際の観察・実験やフィールドワークに比重を置いたり、あるいは問題解決型学習を積極的に取り入れることが考えられよう。例えば、理科の指導においては、6年間を見通したカリキュラムを編成する中で[ゆとり]を生み出し、これまで必ずしも十分な時間が当てられなかった、野外での動植物の観察、天体や気象の観測、物理や化学に関する実験に力を注いでいくことが期待される。また、多様な教育活動の一環として、将来の職業選択や職業生活に資するため、実際の企業等において、一定期間にわたる職業体験を行うことも考えられる。

  (b)  地域に関する学習を重視する学校
  地域に関する学習を重視する観点から、6年間にわたって地域に関する学習を基調とした教育活動を展開し、各教科等において、地域の歴史や文化、自然、産業を活かした指導内容を重視したり、様々な教材の利用に際してそうした地域の特色を反映させたり、地域の人材を講師として積極的に活用したり、地域の社会教育施設や様々な団体等と連携を図っていくことなどが考えられよう。こうした教育活動を通じて、その地域における次代の人材を養成する役割を担うことも期待されるところである。

  (c)  国際化に対応する教育を重視する学校
  急速に進む国際化の中で生きていくために必要となる資質や能力を子どもたちに養っていくことは、今日の教育において極めて重要な課題となっている。国際化に対応する教育を重視する観点を軸に据えて、6年間にわたり、じっくり時間をかけてコミュニケーション能力の育成に取り組むなど外国語教育の充実を図るとともに、海外留学プログラムを組み込んだり、教育活動の様々な場面で、外国人留学生や地域の外国人との触れ合いなど国際交流活動を盛り込んだり、国際理解教育に関する選択科目を設けたり、ディスカッションの力を養う指導を行ったり、併せて我が国の伝統や文化に関する理解を深める指導を進めるなど、いろいろな工夫を凝らしていくことが期待される。

  (d)  情報化に対応する教育を重視する学校
  高度情報通信社会で生きていくために必要となる資質や能力を子どもたちに養っていくことは、今日の教育において極めて重要な課題となっている。情報化に対応する教育を重視する観点を軸に据えて、6年間にわたり、十分な時間をかけてインターネットなどの情報ネットワークを活用したり、情報リテラシーを体系的に育成したり、情報モラルをしっかりと身に付けさせるような教育活動を積極的に取り入れていくことが期待される。

  (e)  環境に関する学習を重視する学校
  環境に関する学習も、今後の教育において一層重要となる分野であり、6年間にわたる体系的な指導によって、より豊かな成果が得られるものと考えられる。環境に関する学習を重視する観点を軸に据えて、山野を跋渉して自然現象や動植物に直接触れ、観察するといった自然体験活動を、6年間の[ゆとり]ある学校生活の中に大いに取り入れ、環境や自然を大切にする心や環境問題に主体的にかかわっていく資質や能力を効果的にはぐくんでいくことが期待される。

  (f)  伝統文化等の継承のための教育を重視する学校
  過去から連綿として受け継がれてきた我が国の伝統文化等を継承・発展させていくことは、国際化が進展する中、ますます重要になっているが、各地域においては、伝統文化等への理解が不十分であったり、その後継者が不足するといった問題に直面している。伝統文化等への理解を深めさせ、その継承を図るための教育を重視する観点を軸に据えて、6年間にわたり、体験活動を積極的に取り入れ、伝統工芸や伝統産業の技術を伝承したり、伝統芸能の技を伝授するなどの教育活動を展開していくことも考えられる。これにより、伝統文化等に対する理解が広がることはもとより、さらには伝統文化の後継者や特色ある地場産業の専門的技術の後継者の養成につながることも期待される。

  (g)  じっくり学びたい子どもたちの希望にこたえる学校
  中高一貫校は、ともすれば効率よく学習を進めていくようなイメージを抱かれることがあるが、むしろ、試行錯誤をしながら自分に応じた進度でじっくり学ぶことを希望する子どもたちに対して、その希望にこたえる有効な形態と考えられる。すなわち、中高一貫校の下では、そうした子どもたちの学習の状況を6年間全体にわたって継続的に把握し、個別のきめ細かな教育計画を立てて子どもたちを指導していくことが期待される。また、前述した様々な体験活動を6年間にわたって積極的に盛り込むことにより、学びの原動力とも言うべき興味・関心や意欲を引き出していくことも期待できよう。
  また、仮に学習面でのつまずきが生じた場合であっても、例えば、中学校段階に生じた学習のつまずきを的確につかみ、教員間の密接な連携の下、6年間の中で基礎・基本を確実に学ばせ、これを克服していくことも考えられよう。6年間の学校生活の[ゆとり]の中で、むやみに問題の解決に焦ることなく、じっくりと腰を据えてそうした子どもたちに向き合っていくことが期待されるのである。
  このように、じっくり学ぶことを希望する子どもたちに対する手厚い指導を特色とする中高一貫校もあってよいと考える。

[4]入学者を定める方法
  中高一貫教育の導入に伴って、最も懸念されることは、入学者を定める方法の在り方によっては、受験競争の低年齢化を招くのではないかということである。現に、実際上中高一貫教育を行っている、一部の国私立中学校の入学者選抜については、受験競争の低年齢化に拍車をかけていると指摘されるところである。
  今後、中高一貫教育を進めるに当たっては、[ゆとり]ある学校生活を送るべき小学生が受験のための塾通いを行うなど受験競争の低年齢化を招くことのないよう適切な配慮を行うことが不可欠であり、いたずらに難度の高い試験問題によって選抜を行うことなく、学校の個性や特色に応じた適切な方法により入学者を定めることが望ましいと考える。特に、地方公共団体が設置する学校にあっては、学力試験は行わないこととし、入学希望者が多く選抜が必要となった場合でも、様々な試行錯誤をしたり、体験を積み重ねるなどの中高一貫校の個性や特色に応じて、抽選や面接、小学校からの推薦、調査書、実技検査など多様な方法を適切に組み合わせて入学者を定めることが適当であると考える。例えば、自然体験やボランティア体験などの体験学習を重視する学校において観察・実験などを行ったり、職業教育や芸術・体育などの専門教育を行う学校においてそれぞれにふさわしい実技検査を行うことなどが考えられる。
  なお、一部の国私立中学校においては、現在、学力試験を偏重する入学者選抜や小学校教育の趣旨を逸脱した出題を行っており、そうした中学校入試のため、都市部を中心に受験競争の低年齢化が進み、甚だしい場合には小学校低学年の子どもまでもが塾に通い、受験勉強に駆り立てられるという状況が生じている。このようなことは、子どもたちの発達段階を考えれば、極めて問題であり、受験競争の低年齢化を招かないようにするという観点から、一部の国私立中学校に対しては、早急にその入試の改善を強く求めたい。

[5]高等学校段階に進む時点での入退学等についての配慮
  次に、高等学校段階に進む時点での入退学については、どのように考えるべきであろうか。中高一貫教育を導入する場合、中高一貫教育が6年間一貫した教育を通じて、様々な利点を生じるものである以上、子どもたちがそうした教育を行う学校に引き続き在籍することが基本となることは言うまでもない。しかしながら、高等学校教育全体を柔らかなシステムにするという観点から、高等学校段階に進む時点での入退学について所要の配慮を行うことが大切である。すなわち、進路変更を希望する生徒に対しては、他の高等学校への進学などに必要な配慮をしたり、学校を活性化する観点からもある程度の数の者を高等学校段階で入学を認めることは、十分考慮する必要がある。なお、9年間の義務教育制度を前提として中高一貫教育を導入することからも、6年制の学校の場合、第3年次修了者が、中学校を卒業した者と同等に取り扱われるべきことは当然である。
  こうしたことのほか、中高一貫教育の導入に当たっては、幾つかの配慮すべき点がある。先に中高一貫教育の問題点として、生徒集団が長期間同一メンバーで固定されることにより学習環境になじめない生徒が生じるおそれがあることを指摘したところであるが、この問題を和らげる上でも、途中で転学を希望する生徒に対して、十分に配慮をしていくことが求められる。また、こうした問題とともに、心身発達の差異の大きい生徒を対象とするため学校運営に困難が生じる場合がある旨も指摘したが、これらの問題をできるだけ解決するため、日常の指導や学校運営に当たっても、中学校・高等学校の両段階を通じて教員が緊密に連携し、きめ細かな配慮をしていくことが必要である。その際、特に、生徒の発達段階の差異に応じた指導を行うこととともに、社会性や豊かな人間性の育成といった意義を持つ生徒の異年齢集団による活動を展開するに当たっては、様々な工夫を凝らしていくことが求められる。


第4章  教育上の例外措置


(1)一人一人の能力・適性に応じた教育の様々な取組と学習の進度の遅い子どもへの配慮

  第1章で述べたとおり、子どもたちは教育を通じて、社会の中で生きていくための基礎・基本を身に付けるとともに、個性を見出し、自らにふさわしい生き方を選択していくのであり、一人一人の個性をかけがえのないものとして尊重し、その伸長を図ることが教育の基本的な考え方である。今後の教育は、その個性尊重の理念に基づき、一人一人の能力・適性に応じた教育を、より一層展開していくことが求められる。
  これまでの我が国の教育は、教育の機会均等や教育水準を確保するため、平等性を重視するきらいが強すぎた。その点は、依然として重要な視点であるが、同時に、ややもすれば平等性を重視する余り、一人一人の子どもの能力・適性に応じた教育を進めるという視点からの取組が必ずしも十分ではなく、こうした視点に立って改善を進めていく必要がある。
  特に、これまでの教育においては、形式的な平等を重視する余り、どの子どもにも画一的な指導をする傾向が強かったが、むしろ、子どもの発達段階に応じて、指導内容や方法は異なっても、習熟の程度に応じた指導などの個に応じた指導により、一人一人の子どもが必要な学習内容を確実に身に付け、その能力を伸長していくことが重要であり、教育的であると考える。

  こうしたことを考えると、まず大切なことは、子どもたちの能力・適性は多様であり、その子どもに適する指導方法の違いや理解の進度に差があることを、教員や保護者、さらには社会全体が認めていく必要があるということである。そして、子どもたちが時には立ち止まり、時には回り道をしながらも、真に[生きる力]を身に付けられるよう、支え、見守っていくことが重要なのである。一人一人の能力・適性に応じた教育を進めるに当たっては、このようなゆっくりとした助走期間が必要な子どもたちに十分配慮することが重要である。
  そうしたことから、これまでも、学習の進度の遅い子どもに対しては、各学校において、一人一人の子どもの実態や学習の途中でのつまずきの原因を的確に把握し、個別指導や補充学習、ティーム・ティーチング、習熟の程度に応じた指導、教材・教具の工夫・開発やマルチメディアの活用など、個に応じた指導方法の工夫・改善を行い、その子どもの実態に即した指導を行ってきたところであるが、今後、更にこのような取組を進め、一人一人の子どもの個性を尊重するとともに、それぞれの子どもに内在する可能性を十分に引き出すための適切な支援に努める必要がある。
  また、このような子どもへの指導に当たっては、その理解度や到達度を早さや形式的なことのみで把握することなく、子どもや保護者の意向を尊重し、一人一人の子どもの実態に即した目標や指導計画を立てるなど指導の工夫を行うとともに、特に子どもの意欲を喚起するため、学習内容を身近な事象に関連付けたり、体験的な活動を重視したり、個別指導を行ったりして、学習内容への親近感、学習に対する成功感や成就感を味わわせ、学習が楽しくなるような雰囲気を作るように配慮することも重要である。
  このような指導の工夫・改善は、各学校や一人一人の教員の創意と工夫によって進められるものであるが、行政がそうした取組を積極的に支援することは極めて大切なことである。このような観点から、一人一人のよさを伸ばす個に応じた指導をより一層推進するため、学校における様々な指導方法の工夫・改善や教材・教具の効果的な活用方法などを盛り込んだ実践事例集などの指導資料等を作成し、各学校に提供することは有意義なことである。また、中学校や高等学校における履修の選択幅を拡大していく際、その選択履修の時間において、例えば、一度学習した内容を、更に理解を深めるため再度学習したり、基礎的基本的な内容の理解を深めるなど、ゆっくり学んだり、繰り返し学ぶなどの取組がより進められるような配慮も、積極的になされてよい。
  そして、各学校においては、具体的な教育課程の編成に当たり、上記の趣旨に配慮していくとともに、個別指導や補充指導などを一層行うことができるような教育課程や学校運営上の配慮をしていくべきである。

  我々は、既に、昨年7月に提出した第一次答申において、一人一人の個性を生かした教育を進めるため、子どもたちの発達段階に応じ、ティーム・ティーチングやグループ学習、個別学習などの指導方法の一層の改善などを提言した。また、教育内容については、小・中・高等学校の各学校段階において、基礎・基本を身に付けることが重要であるとともに、子どもたちの能力・適性、興味・関心の多様化等に対応し、中学校段階において履修の選択幅を拡大することや、高等学校段階において必修教科・科目の内容・単位数の削減や選択する教科・科目の拡大、他の高等学校や専修学校における学習成果を単位認定する制度の一層の活用など、教育内容の多様化を図っていく必要があるとの提言を行った。
  これらの提言が実行され、子どもたち一人一人の能力・適性に応じた教育を進めていくことが、まず、何よりも大切であり、各学校段階において、教育内容・方法の多様化などをより一層進めていくことが極めて重要である。

  こうした取組を進めることは重要であるが、特定の分野において優れた能力を有する者について、その才能を伸長し、個性を最大限引き出していくためには、これらの各学校段階内における取組だけでは、必ずしも十分とは言えない。
  我が国のこれまでの教育においては、形式的な平等にとらわれる余り、稀有な才能を十分に育ててこなかったきらいがあり、今後は、あらゆることについて「全員一斉かつ平等に」という発想を、「それぞれの個性や能力に応じた内容、方法、仕組みを」という考え方に転換し、取組を進めていくことが必要である。
  特に、生徒の能力・適性の違いが大きくなる義務教育修了後の高等学校以降においては、多様な取組が強く求められるところであり、子どもたちの才能を伸長し、個性を最大限引き出していく観点から、高等学校教育における取組にとどまらず、一人一人の生徒の個性や能力に応じ、大学レベルの教育との適切な接続を図っていくことが重要な課題であると考える。
  また、このことは、個人の多彩な能力を開花させ、創造性、さらには独創性を涵養していき、経済や科学技術などの様々な面で、我が国が自ら新しいフロンティアを開拓し、国際社会に貢献していく観点からも、積極的な取組が求められる課題である。
  こうした観点を踏まえ、我々は、高等学校の生徒が大学レベルの教育を受けることについて、さらには、現在の制度の枠内にとどまらず、18歳未満での大学入学を認めることの是非についてまで検討を行った。

(2)特定の分野について優れた能力や意欲を有する生徒に対する多様な教育機会の充実

  特定の分野で優れた能力を有する高等学校の生徒に対して、例外的に大学レベルの教育の機会を付与することについては、既に、第14期中央教育審議会において検討が行われ、数学や物理などの特定の分野について大学レベルの教育研究に触れさせる機会を与えることが望ましいとの答申が行われた。その答申を踏まえて、平成6年度から、大学や民間団体等により、高等学校段階の生徒を対象に、数学や物理の分野における大学レベルの教育(科目等履修生としての受入れ、公開講座やセミナーなどの形態)を提供することが、パイロット事業として行われてきている。
  このパイロット事業には、毎年、約1,000人の高等学校段階の生徒が参加している。参加者たちは、総じて、興味や関心を持って大学レベルの教育に触れ、新鮮な感動や考える喜び、発見する喜びなどを感じたとのことであり、パイロット事業はその才能を伸ばす一つの大きな契機となったと報告されている。
  パイロット事業の成果を踏まえると、大学レベルの教育を受けるのに十分な能力と意欲を有する高等学校の生徒に対し、大学レベルの高度な教育・研究に触れる機会をより広く提供し、生徒の興味や関心を高め、その能力の伸長を図っていくことは、一人一人の能力・適性に応じた教育を進める上で、大きな意義を有するものと考える。こうしたことから、数学や物理の分野のみに限らず、大学が提供する教育を受けることが効果的な分野について、大学レベルの教育・研究に触れる機会が、広く提供されていくことが望まれる。このため、今後、大学や民間団体等により、パイロット事業だけでなく、広く自主的な取組を促すことにより、こうした学習の機会を広げていくことが必要である。
  こうした取組を進めていく上で、高等学校の生徒が、地理的条件等にかかわらず、大学レベルの教育・研究に触れる機会を得ることを可能にするため、今後、大学等において、インターネットなどのマルチメディアの活用が図られる中で、これらを利用していくことも考えられてよい。また、近く、通信衛星により放送対象地域を全国へ拡大する放送大学を活用していくことは、高等学校の生徒が、地理的条件等にかかわらず、一人一人の興味や関心に応じ、大学レベルの教育・研究に触れることを可能にするものであり、意義のあることと考える。
  また、このような大学等における学習機会を含め、高等学校の生徒が学校外での様々な学習機会に触れることは意義のあることであり、生徒がこうした学習を行った場合、各高等学校の措置により、単位として認定できる道を開くことを積極的に検討すべきである。この点については、既に、教育内容の多様化を図る観点から、第一次答申で指摘したところであるが、生徒の能力の伸長を図る観点からも、より積極的に取り組まれるよう、改めて提言したい。

  さらに、高等学校教育の多様化・弾力化の観点から、高等学校の教育課程の一部において、大学の教員などを招聘して授業を行ったり、課外の時間に高度な教育・研究に触れる機会を設けたりすることも考えられ、地域や生徒の実情に応じ、大学・高等学校間の連携により、このような取組が行われてよい。また、高等学校において単位制を採っているという趣旨を生かし、例えば、各学校において、特定の分野について優れた能力や意欲を有する生徒に対して、通常は上級学年で履修することになる教科・科目を早期に履修できるようにするなどといった教育課程上の配慮をすることも考えられてよい。

  また、特定の分野において優れた能力や意欲を有する生徒について、その才能を伸長していくためには、以上のような取組を進めるとともに、大学入学者選抜において、そうした能力を適切に評価していくことが重要である。大学入学者選抜の改善方策については、第2章第2節において述べたところであるが、選抜方法の多様化、評価尺度の多元化に向けての改善の一環として、例えば、各大学の判断で、定員の一部について、特定の分野における生徒の能力や意欲などに着目して、推薦や特定の教科・科目の学習の評価などに基づき入学を認めていく取組を進めていくことは、個性を重視し、一人一人の能力・適性に応じた教育を推進する上でも、望ましいことと考える。

(3)大学入学年齢の特例

[1]基本的な考え方
  更に進んで、特定の分野において優れた能力や意欲を有する生徒のうち、特に、現在の学校制度の枠内における取扱いでは、その個性や才能を十分に発揮できないほどの稀有な才能を有する者について、「数学に関しては、大学入学年齢制限の緩和を試行的に実施することが望まれる」とした第14期中央教育審議会の答申を踏まえつつ、18歳未満であっても、特例として、大学への入学資格を認めるかどうかに関して、集中的に議論を行った。

  既に、大学から大学院への入学については、分野によっては、研究者として優れた資質を有する学生に対して、早期から大学院教育を実施することがより効果的であると考えられることから、各大学院がそれぞれ定める所定の単位を優秀な成績をもって履修した者について、学部3年修了時から大学院に入学できるよう、平成元年に制度改正を行っている。この制度により、平成8年度までに約750人の学生が大学院に受け入れられており、これらの学生の中には、既に研究者などとして各方面において活躍を始めた者も多い。
  しかしながら、高等学校段階から大学への入学については、現行制度上、大学入学資格を有する者は、高等学校を卒業した者及びこれと同等以上の学力があると文部大臣が認めた者とされており、我が国の場合、高等学校を卒業する者は18歳に達することを前提としていることから、18歳未満の者の大学への入学は認められていない。
  諸外国においては、一般に、一人一人の能力・適性に応じて、適切な教育が行われるべきだという考えに立ち、能力の伸長の著しい者に対しては、通常の年齢よりも早期に大学入学を認める制度を採る国が多い。例えばアメリカにおいては、大学の入学要件は、通常、中等教育修了であるが、飛び級などにより早期にハイスクールを卒業した場合や、ハイスクールを卒業していなくても特に大学が認めた場合などは、通常の入学年齢よりも早期に入学することが可能である。また、フランスにおいては、大学入学資格試験であるバカロレアの受験資格は、通常17歳とされているが、大学区(数県で構成される教育行政の地方単位)の長が認める場合には、それ以下でも受験可能とされている。イギリスでは、大学の入学年齢については、個々の大学が決定することとされており、一般的には17歳又は18歳を入学最低年齢としているが、それ以下の者でも、特に優れた才能を示す者については例外的に受け入れている。また、中国では、ごく一部の大学に少年クラスを設け、15歳以下の少年を入学させ、一般の大学生と同じ内容の教育を行っている例もある。このほか、ドイツやロシアなどでも、能力の伸長の著しい者に対しては、通常の年齢以下での大学入学が認められている。
  このように、それぞれの国で実施方法は異なっており、また、実際には、必ずしも通常の年齢以下で入学する学生が多いわけではないが、能力の伸長の著しい者に対して適切な教育が行えるよう、制度上、柔軟な対応ができるようになっているのである。
  我々は、このような諸外国における対応を十分に視野に入れながら、我が国における稀有な才能を有する者の教育上の例外措置をいかに行うべきかについて検討を進めた。

  こうした諸外国の状況や先に述べたパイロット事業の実施状況などを踏まえると、我が国においても、稀有な才能を有するごく少数の者については、現在の制度内の取組だけでは十分ではないと考える。このため、更に進んで、その能力・適性に応じ、才能を一層伸長し、個性を最大限引き出す観点から、現在の学校制度の画一的な取扱いを弾力化し、18歳未満であっても、特定の分野について稀有な才能を有する者については、教育上の例外措置として大学入学資格を認めるという制度改革を行うことが適当であると考えた。
  こうした制度改革は、基本的には、年齢と学年が対応しているという、これまでの我が国の学校制度に特例を設けるものであり、以上に述べたように諸外国の状況やパイロット事業の実施状況を踏まえつつ、ヒアリングなどを行い検討を行った。そして、こうした教育上の例外措置を提言するに当たって、教育において、機会均等を確保することは重要であるが、形式的な平等を重視するのでなく、一人一人の能力・適性に応じた教育を行っていくとともに、我が国における過度に年齢にとらわれた価値観を変えていくことの必要性を改めて確認した。

  我々は、このような考え方の下、具体的な対象分野や対象者、受入方法などについて検討を重ねた。
  もちろん、以下で述べるように、こうした大学入学資格を例外的に認める制度は、いわゆる「受験エリート」を対象とするものではなく、特定の分野について稀有な才能を有する者を対象とするなど、受験競争に影響を及ぼすことのないようなものとして構想したが、その実施に当たっては、受験競争を激化することのないようにすることが大前提であり、特に以下のことに留意することが不可欠である。
  (a) こうした取組を、単に大学に入学するためだけの手段に用いないこと
  (b) いわゆる「受験エリート」が有名大学を受ける機会を拡大することに利用されないこと
  (c) 大学側が優秀な学生の「青田買い」として利用するためのものであってはならないこと

[2]対象分野
  稀有な才能というものは、知性の面だけでなく、感性や体力など、多分野において開花し、発揮されていくものである。また、その才能が、比較的早い段階で発見され、開花していくものもあれば、遅咲きのもの、なかなか発見しにくいものもある。また、稀有な才能を発見し、その才能を伸ばしていくことが、学校教育という場がふさわしいものもあれば、学校教育以外の場がふさわしいものもある。
  我々は、稀有な才能を比較的発見しやすく、かつ比較的早い年齢段階で才能が伸びる分野として、数学や物理の分野、芸術分野、スポーツ分野などがあると考えた。
  このうち、芸術やスポーツの分野については、学校教育の果たす役割はもとより重要であるが、学校教育の場以外においても、才能を伸ばし、活躍できる場があり、また実際に、かなり早い段階でその才能が発見され、伸ばされている分野であり、大学と高等学校との接続が、その才能の伸長を図る上で必ずしも大きな問題となっているわけではない。
  しかしながら、数学や物理の分野は、学校教育以外で稀有な才能を伸ばすことは困難であり、学校教育と関連を持ちながら、才能を伸ばす必要がある分野である。また、これらの分野にとって、高等学校から大学にかけての時期は、その才能の萌芽を見出し、その芽を伸ばしていくことができる貴重な時期である。さらに、これらの分野は、これまでパイロット事業において対象としてきており、その成果も報告されてきている分野である。こうしたことから、当面、数学や物理の分野に限ることが適当である。
  なお、芸術やスポーツの分野は、学校外の活動においてもその才能を伸ばすことができることを重視し、学校教育の分野で稀有な才能の伸長を図る特別な措置は取らないことが適当であると考えたが、将来的には、対象分野の拡大も考えられるところであり、本答申に基づく実施状況を踏まえつつ、この点について検討を行っていく必要がある。また、例えば、芸術やスポーツの分野において、その才能を伸ばすための特別の活動に時間が必要な場合、高等学校段階においては、各学校の判断で、科目の履修の仕方などで特別な配慮ができるように、教育課程上の弾力的な運用を図っていくべきである。  

[3]対象者
  対象となる稀有な才能を有する者は、言わば天賦の才を持つ者であり、驚くような斬新な発想や独創的な考え方を提起するなど、一分野で突出した才能を保持し、早い時期に専門家から適切な指導を受けることが望まれる者で、将来、学問の新しいフロンティアを開拓する可能性を持つ者である。したがって、そのような者は、すべての分野で平均的に高い得点を取る者や受験技術にたけたいわゆる「受験エリート」でないことはもちろんのこと、単に特定の科目における学校の試験の成績が優秀である者などのように、各学校に対象者が必ずいるということではなく、全国的に見てもごく少数の者に限られると考えられる。そして、大学及び大学院における高度で専門的な指導により、その稀有な才能が一層伸長され、将来、高度の研究活動等に携わることが望まれる者を対象者として考慮していくべきである。また、受験競争を激化させないためにも、これを広く一般的な制度とすべきではなく、対象者はごく少数の者とすべきである。
  年齢については、義務教育修了者であれば、特段の制限を課さないという考え方もあり得るが、我が国の大学では、これまで長年にわたり、18歳以上の者しか受け入れてこなかったため、余りにも早期な入学を認めた場合、その生徒の全人格的成長に不適切な影響を及ぼすおそれがあるのではないか、また、大学側が、その生徒の成熟度に応じ、適切な指導ができるかどうかなどの懸念がある。このため、生徒の全人格的成長や入学後における大学生活への円滑な適応等の点を勘案し、当面、対象を高等学校に2年以上在学した17歳以上の者とすることが適当である。
  1年間のみ早めることを認めることについては、前述のとおり大学学部から大学院への早期進学を、学部3年修了時からという1年間のみ早めることを認めていること、また、その際、1年間早めただけだが、本人はもちろんのこと、周囲の学生も非常に意欲的になり、その効果は極めて大きいものであること、子どもの発達段階を考慮する必要があることなどを総合的に判断した結果である。なお、将来的には、例えば、年齢制限を16歳以上の者とすることも考えられるところであり、本答申に基づく実施状況を踏まえつつ、この点について検討を行っていく必要がある。
  また、大学への早期入学が認められた場合、高等学校2年修了時から大学に進学することになるので、高等学校を中途退学したこととなる。しかしながら、その子どもの進路が、様々な事情により、大学入学後に変更され、大学を中途で辞めることもあり得る。その場合は、本人の最終学歴が中学校卒業となり、高等学校卒業が受験資格となっている資格試験などについて不利益を被るおそれがある。このような場合に不利益を被ることがないように、高等学校卒業と同じ効果を与えるようにするなどの配慮を行うことが必要であろう。

[4]受入方法
  稀有な才能を有する者が大学へ早期に入学するかどうかについては、本人の自己責任を前提とした自発性にゆだねることは当然のことである。しかしながら、ある子どもが稀有な才能を有しているかどうかということを明確に判断することは、それほど簡単なことではない。そうした子どもの才能を発見していくためには、各大学で公開講座や科目等履修生の受入れなどを通じて対象者の発掘に努めるとともに、大学関係者、高等学校関係者や関係団体などの連携等を通じ、子どもの日常の学習状況、団体等における各種コンクール等の教育活動における取組などを参考にして、対応していく必要がある。
  また、受入方法については、通常の学力試験による選抜方法は採らず、推薦などに基づき、大学において、様々な資料を基に丁寧な選考を行っていくことが適当である。
  なお、推薦されるべき稀有な才能を有する者の判定は、高等学校関係者のみでは困難であると思われる。このため、高等学校が外部の専門家等の協力を得て推薦を行ったり、場合によっては、優れた才能を有する生徒が参加したパイロット事業やコンクール等において指導に当たった研究者などが、その生徒の在籍する高等学校に対して申出や助言を行い、その助言を受けた高等学校が推薦する方法、さらには、研究者等が直接大学に申し出る方法等の多様なものが考えられてよい。なお、そのような推薦や申出等を受けた大学は、当該高等学校と、その生徒の能力・適性に関する意見交換などを積極的に行い、受入れの可否を考えていくべきである。
  また、推薦などに基づく丁寧な選考による入学を基本としたのは、稀有な才能を有するごく少数の者を発見するには、現在の学力試験を柱とする選抜は適当ではなく、また、学力試験を柱とする選抜を行うことは、現在の受験競争を一層激化させるおそれがあるからである。したがって、その意味で、この制度改革は、学力試験において全教科満遍なく高得点を挙げる者や、いわゆる「受験エリート」を早期に入学させるためのものではなく、学力試験を柱とする選抜では埋没してしまうおそれがある、稀有な才能を有する者を入学させるための措置である。

[5]受入大学の条件や大学入学後の取扱い
  大学が、早期入学による受入れを行うかどうかについては、基本的には、大学の自主的な判断と良識により、決められるべきものと考えるが、入学後、稀有な才能を伸長していくためには、受入大学については、少なくとも、例外措置の対象分野に関して、博士課程を有し、高度な教育研究活動を実施しているなどの一定の条件を満たしていることが必要と考える。
  早期入学を認めた場合の大学入学後の取扱いについては、カリキュラム上の配慮を行うかどうかも含め、各大学の責任において取り組まれるべき問題であるが、稀有な才能を有する者の才能を一層伸長するため、履修指導の充実等一定の配慮が必要である。その際、例えば、アカデミック・アドバイザーを置くなどして、特定の分野における優れた才能の伸長とともに、専門分野のみに偏らないバランスの取れた履修についての助言などその者の全人格的な成長への配慮を行ったり、学生生活を送る上での相談活動を行うことも考えられる。また、入学後、何らかの事情により、やむを得ず本人が進路変更を希望する場合などに対応し、他の学部や学科への移動が柔軟に行えるよう配慮していくことも必要である。
  さらに、早期に大学院レベルの指導を行うための工夫を行うとともに、大学の判断により、能力に応じて大学3年修了時から大学院へ入学する仕組みを活用することも考慮することが望ましい。

[6]具体的な実施方法
  以上を踏まえつつ、受入大学における選抜方法等の具体的な実施方法については、大学の自主性に任せることを基本としつつ、各大学において自主的なガイドラインを策定し、その実施状況等(選抜方法、受入学部・学科等の教育研究体制など)を、教育研究活動に係る自己点検・評価活動の一環として積極的に公表し、外部の評価を受けていくことが望ましい。併せて、実施大学関係者、高等学校関係者、学界関係者や有識者などにより、その実施状況、実施方法等について意見交換・協議を行う場を設けるなど、この措置がいたずらに受験競争をあおることのないよう、また、本来の学校教育の趣旨をゆがめることのないように様々な工夫をすることが求められる。

[7]いわゆる「飛び級」について
  我々は、教育上の例外措置の検討と関連して、小・中・高等学校の各学校段階内において、学年を飛び越すという意味での「飛び級」の導入の是非についても検討した。
  しかしながら、現時点では、こうした「飛び級」は、いわゆる「受験エリート」を育成するために活用され、保護者間に無用の焦りを招いたり、受験競争を激化させるおそれが強く、また、子どもたちの心理状況として、学校内で「飛び級」をすることが様々な問題を引き起こすおそれがあることなどから、社会的な合意を得ることは困難であると考え、義務教育段階の小・中学校では、「飛び級」を行わないことが適当であると考えた。高等学校においても、学年を飛び越えた「飛び級」は同様の問題があり、適当ではないと考える。
  もちろん、一人一人の能力・適性に応じた教育を行うため、各学校段階において、教育内容・方法の多様化に努めることは重要であり、特に、中学校や高等学校においては、習熟の程度に応じた指導などの個に応じた指導を行ったり、履修の選択幅を拡大していくことが必要である。また、高等学校においては、学年制を採らないことができることとなっており、こうした制度を一層活用していくことも有意義である。


第5章  高齢社会に対応する教育の在り方


  本審議会においては、国際化、情報化、科学技術の発展、環境問題などの社会の変化に対応する教育の在り方について、初等中等教育を中心に検討し、第一次答申において、基本的な考え方と具体的な方策について提言したところであるが、21世紀の我が国の社会を展望すると、高齢社会という問題は、避けて通ることができない重要な課題である。そこで、我々は、特に、高齢社会に対応する初等中等教育段階の子どもたちに対する教育の在り方について検討を行った。

(1)高齢社会の展望と高齢社会に対応する教育の基本的な考え方

[1]高齢社会の展望
  我が国は、戦後、経済成長による国民の生活水準の向上とともに、衛生水準の向上や医学・医療技術の進歩もあいまって、平均寿命が著しく伸長し、世界の最長寿国となった。こうした長寿化の進展に伴い、高齢者人口も急速に増加しており、65歳以上の人口について見ると、昭和25年(1950年)の411万人から平成7年(1995年)の1,826万人へと増加している。
  今後、我が国は、長寿化の進展とともに、出生率の低下による少子化の進行もあいまって、更に高齢化が進展し、厚生省人口問題研究所「日本の将来人口推計」(平成9年1月)の中位推計によると、平成18年(2006年)には、高齢化率(全人口に占める65歳以上の人口の割合)が20.2%となった後、平成27年(2015年)には25.2%となり、4人に1人が高齢者という、いまだかつて世界が経験したことのない超高齢社会に突入する。我が国にとって、21世紀は、正に「高齢者の世紀」と言える。
  高齢社会については、高齢化率の高まり等により、医療や社会保険関係の財政負担が増大し、それに伴い世代間に負担の差が生じること、労働人口の減少等によって日本経済の活力が低下すること、介護を要する高齢者が増加することにより、女性や家族全体の負担が大きなものとなることなど、様々な問題が生じる可能性が指摘され、消極的な側面が強調されがちである。しかしながら、一方、高齢社会については、社会の第一線を退いた後、自由時間の活用により、生きがいを持って人生を謳歌することができたり、豊かな経験と知識を持つ高齢者が、社会に参加・貢献することができるなど、積極的な面を持っており、高齢社会を迎えること自体は前向きにとらえるべきことと考える。
  問題は、確実に到来する高齢社会において、高齢者を含めた国民一人一人が、自立しつつ、年齢や性別にかかわりなく、お互いに助け合いながら、多様な価値観に基づく自己実現を図ったり、心の豊かさを実感しつつ、生きがいをもって生きていける社会をいかに実現していくかということであり、そのために、我々は今、何をしなければいけないのかということである。

[2]高齢社会に対応する教育の基本的な考え方
  高齢社会をこのように展望するとき、これからの高齢社会を生きる子どもたちの教育の問題は、極めて重要な課題であると言える。
  すなわち、子どもたちは、確実に到来する、これからの高齢社会を生きていくのであり、そうした社会を生きる子どもたちをどう育てていくかは、社会にとって大きな問題である。同時に、子ども自身にとって、長寿化が進展する中で、将来を見据えて、長い人生をどう生きていくかを学ぶことは非常に重要なことである。老いや死の問題は、どの人間にとっても、いずれ避けることのできない問題であり、高齢者との触れ合いなどを通じ、「生の尊厳」や「老い」ということ、そして「死」ということの重さを、自分自身の問題として、子どもの時から考えていくことは大切なことである。
  一方、今日の我が国においては、高齢化が急速に進展し、高齢者の数が増加しているにもかかわらず、都市化や核家族化の進行により、日常の生活において、子どもたちが高齢者と接する機会は減少している。このため、子どもたちが、自然に高齢者と触れ合う中で、高齢者に対する感謝と尊敬の気持ちや思いやりの心をはぐくんだり、高齢者のかかえる問題や「老い」ということ、さらには「死」ということの重さを、身近な問題として学ぶことができにくい状況となっている。

  我々は、このような認識に立って、高齢社会に対応する教育の在り方について、特に、次の3点を基本的な考え方として、子どもたちの教育を進めていくことが必要と考えた。
  第一に、子どもたちが高齢者だけでなく、社会的な弱者や外国人などを含めて、自分自身と立場や考え方などが異なる人間と、共に生きていくという考え方をしっかり持つことが必要であるということである。すなわち、これからの社会においては、年齢だけでなく、ものの見方や考え方の異なる人間と共に生きていくことや、男女共同参画社会の実現に向けて努力していくことの必要性が、社会の変化に伴って、一層増していくのであり、そうした社会を生きていくためには、自己を確立しつつ、他者を尊重する態度や尊敬する気持ち、他人を思いやる心などを身に付けていくことが欠かせないことである。とりわけ、高齢社会ということを考えると、これまでの我が国の発展を支え、豊かな社会を実現してきた高齢者への感謝や尊敬の気持ちをはぐくんでいくと同時に、高齢者を思いやる気持ちやいたわる気持ちなど豊かな人間性をはぐくんでいくことは、極めて重要である。そして、更に重要なことは、高齢社会がどのような社会であるかを学びつつ、実際に地域社会や高齢者のために主体的に行動し、高齢者とともに豊かな社会を築いていく意欲や実践的な態度をはぐくんでいくことである。
  第二に、子どもたちが、長寿化する社会の中で、長い人生を自立して生きていくということを考えると、生涯にわたって学んでいく態度や生涯にわたり心身ともに健康な生活を送るための基礎的な健康や体力をはぐくんでいくことが必要である。このことと、先に述べた第一の基本的な考え方を踏まえると、第一次答申で提言した自ら学び、自ら考える力、豊かな人間性やたくましく生きるための健康や体力などの[生きる力]を培うことが大変重要である。
  第三に、高齢者がすべて社会的な弱者であるということは決してなく、長年培ってきた豊かな経験と知識を有する元気な高齢者が、子どもたちの教育という営みに積極的に参加していくことは、子どもたちが高齢者から様々な生きた知識や人間の生き方を学んでいくことを可能とするものであり、今後ますます重要になるということである。

(2)学校における取組

[1]教育内容・方法の改善
  (1)で述べた基本的な考え方を踏まえると、長寿化の進む中で、学校教育において、子どもたち自身が高齢者となったときに、生き生きと充実した生活を送ることができるような基礎を培うことが極めて重要である。こうしたことからも、第一次答申で提言した[生きる力]をはぐくんでいく学校教育を進めていくことが必要である。
  それとともに、学校において、子どもたちに、他者を尊重する態度や尊敬する気持ち、他人を思いやる気持ちなど豊かな人間性をはぐくんでいくことに一層努めていくことが必要である。このため、幼稚園から高等学校までの各学校段階を通じ、道徳や特別活動をはじめ、各教科などあらゆる教育活動において取り組むとともに、第一次答申で提唱した、各学校の判断により横断的・総合的な学習に取り組むことができる「総合的な学習の時間」を活用していくことも考えられてよい。その際、地域社会や学校外の関係施設との連携を密にしたり、盲・聾・養護学校等との交流を図っていくことが求められる。
  同時に、子どもたちの発達段階に応じ、子どもたちが、高齢社会はどのような社会であり、今後、どのような問題が生じるかなどといった、高齢社会についての基礎的な理解を深め、介護や福祉の問題などの高齢社会の課題について考えを深めていくことが重要である。これらについては、現在も社会科、保健体育、家庭科などの教科等を中心として指導が行われているところであるが、今後の高齢社会に対応するためには、教科間などにおいて、相互に関連付けを図りつつ、その一層の充実を図ることが必要である。
  各学校が、こうした教育活動を進めるに当たっては、各教科や道徳、特別活動、「総合的な学習の時間」などにおける効果的な指導方法の工夫・改善を図ったり、教材を工夫・開発していくことが必要である。特に、教材については、子どもたちの体験活動に関する感想文などの実践的かつ生き生きとした素材を使用する工夫が考えられてよい。また、行政においては、こうした取組を支援するため、学校現場の協力を得ながら、指導方法の実践事例集をはじめ、指導資料などを作成していく必要がある。

  こうした教育活動を展開するに当たって、子どもたちに、豊かな人間性をはぐくんだり、地域社会や高齢者のために主体的に行動する意欲や実践的な態度をはぐくむためには、子どもたちに対し、高齢社会の問題を知識として教えるだけではなく、子どもたちが、自ら実際に高齢者と触れ合いながら様々な体験をする中で学んでいくことが極めて有意義である。しかしながら、(1)で述べたとおり、子どもたちが日常生活の中で、高齢者と触れ合う機会は減少する傾向にある。
  こうしたことを踏まえると、今後、幼稚園から高等学校までの各学校段階において、子どもたちと高齢者が実際に交流し、触れ合う体験活動や、子どもたちが高齢者の介護や福祉に関するボランティア活動を体験することなどを一層重視していくことが必要である。こうした取組を進めるに当たっては、学校のみで取り組むのでなく、地域社会や学校外の関係施設と積極的に連携していくことが大切であり、具体的には、介護や福祉の専門家の協力を求めたり、青少年教育施設や公民館等の社会教育施設、高齢者福祉施設や青少年団体、社会教育団体、福祉関係の団体などと連携を図ることも考えられる。また、学校の教育活動の一環として取り組むほか、例えば、学校において、こうした団体などの活動に関する情報を提供し、学校週5日制の下での休業土曜日などにおいて、子どもたちが学校外活動として、こうした団体の活動に積極的に参加することを促すことも意義のあることである。
  こうした体験活動を行うに際しては、介護や福祉などの高齢者に関する問題が、教科の枠を越えた横断的・総合的な問題であることから、「総合的な学習の時間」を活用していくことが有意義である。
  具体的な体験活動としては、地域や学校の実態に応じ、幼稚園や小学校の段階においては、地域の高齢者を学芸会や運動会などの学校行事などに招待したり、高齢者福祉施設を訪問し、高齢者の豊かな体験に基づく話を聞くなどの高齢者との触れ合いを行うプログラムに積極的に取り組むことが大切である。また、中学校や高等学校の段階においては、こうした活動に積極的に取り組むほか、高齢者福祉施設などで、実際に介護体験などの活動に積極的に取り組んでいくことが必要である。なお、幼稚園や小学校段階で、実際に介護体験を行うことについては、子どもの発達段階から難しい面もあるが、高齢者福祉施設などを訪れ、実際に高齢者を介護している様子を見たり、介護の簡単な手伝いを行うなどの工夫をしつつ、取り組んでいくことも考えられてよい。
  また、実際に、子どもたちが、地域の企業や商店、工場あるいは農業の場などを訪れ、高齢者などの大人たちが働いている姿を見たり、仕事の苦労や喜びなどに関する様々な話を聞くことなども大変有意義であろう。
  さらに、子どもたちが、高齢者の立場に立って物事を考えていくための一つの取組として、高齢者のかかえる身体的制約を実際に体験するシニア体験や車椅子体験などの活動を行っていくことも意義のあることであろう。
  こうした高齢者などとの触れ合いや介護などの体験活動を通じて、子どもたちは、高齢者の問題が社会全体の問題であることを身をもって理解しながら、高齢者の生き方や介護についての意義を学んでいくことが期待される。また、そうした体験活動は、子どもたちにとって、将来の進路選択に資する啓発的な経験となるなど、進路指導上も意味のあることと考える。

  以上、高齢者と触れ合う体験活動等の意義について、具体的な取組の事例を交えて述べたが、我々は、こうした体験活動を行うに当たって、次の三つの点に特に留意することが必要であると考えた。
  まず、何よりも、子どもたちと高齢者が、対話を通じて、心の交流をすることが重要であるということである。今日でも、様々な交流が試みられているが、ややもすると、子どもたちが高齢者の話を聞くだけという一方的な形にとどまっている場合も見受けられるのであり、一層の工夫が望まれる。
  次に、体験活動を具体的に展開していく方法は様々であり、子どもたちの個性や、学校・地域社会の実情に応じて柔軟に考え、できるところから始めることが大切であるということである。例えば、工作や絵が得意な子どもの場合には、高齢者福祉施設を訪問し、対話することを性急に求めるのでなく、高齢者福祉施設に飾る置物や、高齢者を描いた絵をプレゼントするなど、自らの得意なものを生かした活動から、高齢者との交流に入ることを促していくことが考えられよう。また、地域に高齢者福祉施設がない場合には、直接の訪問に代えて、手紙やインターネットなどにより、遠方の高齢者との交流を試みるといった方法も考えられよう。また、高齢者との交流については、ともすれば高齢者福祉施設での交流という方法を専ら考えがちであるが、それに限らず、地域で活動している様々な高齢者との接点を求める方法を考えていけばよい。
  さらに、介護などの体験活動を行う際には、子どもたちが「高齢者のために何かをして役に立つ」という気持ちを持つことにとどまらず、「高齢者から自分たち自身が学んでいる」という気持ちを自然に培っていくことが重要である。こうした気持ちをはぐくんでいくことは、子どもたちの人間的な成長を図る上で大切であるとともに、高齢者との交流を日常的なものとし、息長く続けられるものとして定着させていくことにも資すると考える。

[2]教育条件の整備
  こうした教育活動を展開するためには、教育条件の整備を図っていくことが必要であるが、とりわけ、教員の資質・能力の向上を図ることが重要である。我々は、既に第一次答申において、教員に豊かな人間性と専門的な知識・技術や幅広い教養を基盤とする実践的な指導力を培うため、教員の養成、採用、研修の各段階を通じた施策の一層の充実を図っていく必要性を指摘したところである。ここでは、特に、高齢社会の問題に関する教員の指導力の向上を図る上でも、また、教員に豊かな人間性を培う上でも、養成や研修の段階で、介護や福祉などのボランティア体験や、盲・聾・養護学校等における実習などにより、実際に体験を積むことが重要であり、そのために必要な施策を一層進めていくことを提言したい。また、教員の採用に当たっても、こうしたボランティア活動の実績などを評価することを進めることが必要である。

  高齢社会に対応する教育を進めるためには、教員の資質・能力の向上を図るだけでなく、豊かな経験と知識を有する高齢者を学校教育の場において、積極的に活用することが重要である。こうした高齢者を活用することにより、子どもたちが、様々な生きた知識を学ぶとともに、高齢者との触れ合いを通じ、高齢者から人間の生き方を学んでいくことができるのである。具体的には、例えば、豊かな職業体験に基づく、進路や職業の選択に役立つ啓発的な話や、様々な生活体験に基づく「生活の知恵」とも言える話など、実体験に根ざした有意義な話を聞くことを通じて、子どもたちは多くのことを学んでいくことができるであろう。こうしたことは、単に高齢社会に対応する子どもたちの教育を進めるということだけではなく、子どもたちにこれからの学校教育が目指す[生きる力]をはぐくんでいく上で極めて重要である。またこのことは、同時に、高齢者にとっても、生きがいを持って生活を送ることができることにつながるものであり、意義のあることである。このため、我々としては、都道府県や市町村の教育委員会などにおいて、学校の教育活動に協力する意欲や、それにふさわしい知識や技術などを持つ高齢者を募るとともに、そのリストを作成し、学校に情報を提供していく、高齢者などの人材バンクの整備を図っていくことを提言したい。そして、各学校においては、そうしたリストを基に、「学校支援ボランティア」として高齢者などを積極的に受け入れていくことが望まれる。

  さらに、子どもたちと高齢者との触れ合いを深め、高齢社会に対応する教育を進めるという観点から、先にも述べたように、学校と高齢者福祉施設などとの連携を一層図ることが必要である。
  こうした連携を進めるための一つの方策として、子どもたちが日常の生活において、高齢者と触れ合う機会を設けるという観点から、学校施設と高齢者福祉施設との複合化について検討されてよいであろう。その際、学校の良好な学習環境を確保することや高齢者が安心して活動できる環境を確保することは当然であるが、子どもたちと高齢者との交流活動等の展開に配慮した設計を考えていくことが必要である。もちろん、こうした複合化は、単に土地の有効利用を図るという観点や財政上効率的であるという観点のみを考えて行うべきではないことは当然のことである。
  また、これに関連し、少子化の進行により、今後、学校において余裕教室が増えていくことが予想されるが、余裕教室の活用方法の一つとして、例えばデイサービスセンターなどの高齢者福祉施設に転用することも、上記の点に留意しつつ、検討されてよいであろう。更に、余裕教室の活用等を通じて、学校内に子どもたちと高齢者が触れ合うことができる地域に開かれた場を確保したり、「学校支援ボランティア」として協力してもらえる高齢者などが集まることができる場を確保することなども考えられてよいであろう。

(3)家庭や地域社会における取組

  他人を思いやる気持ちやいたわる気持ちなど豊かな人間性をはぐくむためには、家庭の果たす役割は極めて重要であり、この点については、既に第一次答申において指摘したところであるが、高齢社会に対応する教育を進める上で、幼児期からの家庭教育の果たす役割はとりわけ重要と言える。かつては、家庭において、祖父母等と共に生活を送る中で、子どもたちは祖父母から「生活の知恵」を学んだり、高齢者に対する尊敬の気持ちや思いやりの心をはぐくむことができた。しかしながら、今日、核家族化の進行等により、家庭の中で高齢者と触れ合う機会が減るとともに、家庭の教育力自体が低下していることとあいまって、こうした家庭教育に期待される役割が十分に果たされているとは言い難い状況となっている。
  我々は、第一次答申において家庭の教育力の充実を支援していく施策を提言したところであるが、これらの施策がより一層展開されていくことを、改めて望みたい。

  地域社会は、子どもたちが、高齢者をはじめとして異世代の様々な人たちと交流し、様々な体験を積み重ねながら、学習を深めていくことができる場である。しかしながら、今日、都市化や過疎化などが進む中で、地域社会における高齢者との交流などの体験は、自然発生的、日常的には得ることができにくい状況になっている。
  このため、地域社会において、子どもたちと高齢者が触れ合う機会を積極的に設けていくことが必要である。そうした触れ合いを通じて、子どもたちは、高齢者から「生活の知恵」や優れた技を学びつつ、高齢者を尊敬する気持ちや高齢者への理解、思いやりの気持ちをはぐくむことができるのである。
  このような観点から、地域の人々や社会教育団体、青少年団体、スポーツ団体などにより、高齢者が長年にわたり培ってきた優れた技や「生活の知恵」を生かして子どもたちと交流する活動が活発に展開されることが重要であり、そうした活動が豊富に提供されることを期待したい。また、こうした機会を積極的に設けるため、行政としても、青少年教育施設や公民館などにおいて、地域の高齢者が子どもたちに郷土の民芸や伝統芸能を教えたり、昔の遊びを一緒に体験したり、スポーツ・レクリエーション活動に共に親しむなどの世代間の交流プログラムを積極的に展開することが必要である。
  また、学校外活動として、子どもたちが高齢者の介護などを体験していくことも重要なことであり、地域の高齢者福祉施設や福祉関係の団体などが、こうした機会を積極的に設けていくことを期待したい。
  さらに、企業や工場、商店などにおいても、高齢者などが、実際にこれまでどのような苦労をしながら、生産活動や商活動を行ってきたかなどを、子どもたちに直接語り掛ける機会を、積極的に設けていってほしいと思う。
  また、科学博物館や美術館などの社会教育施設・文化施設において、地域の高齢者などが、その知識や経験を生かし、ボランティアとして子どもたちの教育に当たることは極めて有意義なことである。こうした活動は、「文化ボランティア」あるいは「教育ボランティア」と称し得るものであり、必要な研修機会を設けることなどにより、こうした活動に高齢者などが参加していくことを積極的に奨励・支援していくことを提唱したい。

  こうした地域社会における活動への子どもたちの参加を促していくためには、情報提供を充実させていくことが必要であるが、教育委員会や学校関係者のみでは、地域の高齢者福祉施設や福祉関係の団体、企業などにおいて、子どもたちが高齢者などと触れ合う機会がどのように展開されているかを十分に把握することはなかなか困難である。このため、第一次答申で提言した、地域連絡協議会や地域教育活性化センターなどを活用しつつ、PTA、青少年団体、地元企業や商店街、福祉関係の施設・団体を含む地域の様々な機関・団体や学校等の協力の下、市町村教育委員会が、地域社会における高齢者との交流活動の機会や場に関する各種情報や指導者の情報等を収集し、学校や家庭に提供していくことを提言したい。
  各学校においては、(2)で述べたように、学校の教育活動において、高齢者と触れ合う活動や介護体験などに取り組んでいくとともに、子どもたちや保護者に対して、地域における活動の情報を積極的に提供していき、子どもたちが学校外活動として、こうした活動に参加することを奨励していくことを望みたい。また、家庭においては、そうした情報を基に、子どもたちが地域の活動に積極的に参加していくことを促していくことを望みたい。

  また、高齢社会においては、社会保障制度の充実など制度面における対応が必要であることはもちろんであるが、国民一人一人が助け合う気持ちを持つことが必要である。この意味でも、子どもたちのボランティア活動の促進を図ることは極めて重要である。ボランティア活動については、既に我々は、第一次答申において、その意義や活動を促進するための支援策を提言したところであるが、例えば、近年、急速にボランティア活動への関心が高まり、参加者が増加しているところであり、大人たちがボランティア活動に参加する際に、子どもたちも一緒に連れて参加するといった工夫を望みたい。我々は、子どもたちが、学校や地域社会での活動を通して、介護や福祉などのボランティア活動を経験することを通じて、将来、ボランティア活動を自然に行うようになってほしいと願っていることを改めて訴え、結びとしたい。


おわりに


  本審議会においては、「一人一人の能力・適性に応じた教育の在り方」、「大学・高等学校の入学者選抜の改善」、「中高一貫教育」、「教育上の例外措置」、「高齢社会に対応する教育の在り方」について、以上のような検討を行い、この第二次答申をとりまとめたところである。
  我々は、この第二次答申を、第一次答申とともに、「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の諮問に答える教育改革の提言として位置付けている。これらの提言は、狭い意味での教育界にとどまらず、我が国の社会全体にわたる大きな改革を求めるものであり、その実現を期する上で、以下に述べるように教育改革の輪を広げていくことが不可欠である。そして、教育改革を推進していくためには、適切な行財政措置が必要であることを改めて強調しておきたい。
  文部省にあっては、関係省庁と連携を図りながら、全国的に教育改革を確実に推進していくとともに、地方公共団体がそれぞれの地域での教育改革を牽引する役割を積極的に果たしていくことを求めたい。
  また、我々がこれまで訴えてきた様々な改革の実現は、幼稚園から大学に至る学校現場での取組に負うところが大きい。それぞれの学校においては、教職員が日々の教育活動の充実に力を尽くしているところであるが、一人一人の教職員が我々の掲げる教育改革の理念を理解し、一層の努力を払うことを切に願う。
  さらに、我々は、教育における家庭や地域社会の役割の重要性について、再三強調してきたところであり、それぞれの立場から、[ゆとり]の中で[生きる力]をはぐくんでいくことの大切さを理解し、子どもたちを健やかに育てていってほしいと考えている。家庭や地域社会の教育力は、帰するところ教育に対する国民一人一人の熱意によって支えられているのであり、その理解と協力が不可欠であることを改めて訴えたい。
  教育改革を担うべき主体は、これらにとどまらない。我々は、企業などの活動と教育の在り方とのかかわりにも眼を向けてきた。我々は、近年の経済界における教育改革に対する関心の高まりを歓迎するとともに、これからの教育改革の実行に向けた経済界の一層の理解と協力を期待したい。
  このようにして、国を挙げてすみやかに教育改革の推進に取り組み、来るべき21世紀の教育がよりよいものとなることを願って、第二次答申を締めくくることとしたい。

(大臣官房政策課)
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