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中央教育審議会

 1999/4 議事録 
中央教育審議会第226回総会 (議事録) 

 中央教育審議会  総会(第226回)

  議  事  録


平成11年10月27日(水)13:00〜15:00
ホテルフロラシオン青山            1階    ふじの間


    1.開    会
    2.議    題
          「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」
    3.閉    会


出席者
委員
根本会長、木村座長、川口委員、國分委員、小林委員、坂元委員、田村委員、土田委員、永井委員、長尾委員、中島委員、松井委員、森  委員、横山委員
事務局
佐藤事務次官、富岡生涯学習局長、御手洗初等中等教育局長、佐々木高等教育局長、本間総務審議官、寺脇政策課長、その他関係官


○根本会長  それでは、時間になりましたので、ただ今から第226回総会、第17期としましては第2回目の会議になりますけれども、開催いたしたいと思います。
  大変御多忙のところをお集まりいただきましてありがとうございます。
  本日は、初等中等教育と高等教育との接続の改善に関する小委員会でまとめられました「中間報告」について、御審議をいただくということでございます。
  配付資料の確認をお願いいたします。

<事務局から説明>

○根本会長  それでは、議事に入りますが、昨年の11月以来、初等中等教育と高等教育との接続の改善に関する小委員会において御審議をいただいたところでありますが、今月18日に開催された小委員会で、一定の議論のまとまりが得られたとのことであります。
  よって、ただ今から木村座長にお願いいたしまして、小委員会としての議論の取りまとめを「中間報告(案)」として御報告いただき、これについて御審議賜りたいと思います。ひとつよろしくお願いいたします。

○木村座長(初等中等教育と高等教育との接続の改善に関する小委員会)  それでは、私のほうから簡単に概要を御説明申し上げます。
  初等中等教育と高等教育との接続の改善に関する小委員会は、昨年11月以降、有識者からのヒアリングを行うなどしながら、会議を重ねてまいりました。本日は実に22回目の会合となっております。よくもこれだけやったものだと私自身感心いたしております。
  ここ3回の会議では、中間報告の取りまとめに向け、その文案について精力的に審議を行っていただいたところでございます。本日は、前回の小委員会において、各委員の皆様方からいただきました御意見などを踏まえまして、私の責任で修正した文案をお示しいたしております。
  まず、報告案の構成でありますが、六つの章から構成されておりまして、「第1章」が「検討の視点」、「第2章」が「初等中等教育の役割」、「第3章」が「高等教育の役割」、「第4章」が「初等中等教育と高等教育との接続の改善のための連携の在り方」、「第5章」が「初等中等教育と高等教育との接続を重視した入学者選抜の改善」、「第6章」が「学校教育と職業生活との接続」、最後に参考資料として若干の資料をつけてございます。全体の構成はそのようになっております。
  まず、「第1章」の「検討の視点」では、大学進学率の上昇に伴います進学者の能力・適性等の多様化という現状を踏まえまして、高校教育と大学教育との接続の改善を図るという観点から、本報告の検討の視点として4点を提示しております。
  まず第1が、学生の多様化、高校教育並びに大学教育の多様化が進展していく中で、「自ら学び、自ら考える力」「課題探求能力」をどのように育成していくのかという視点。
  第2点目が、このような多様化が進む中で、いかにして後期中等教育から高等教育への円滑な接続を図っていくかという視点。
  第3点目が、大学と学生とがいかによりよく相互に選択を行うかという視点。
  第4点目の視点が、主体的な進路選択をいかにして実現するかというものであります。
  次に、「第2章  初等中等教育の役割」並びに「第3章  高等教育の役割」についてであります。初等中等教育では人間形成を基本としつつ、「自ら学び、自ら考える力」などのいわゆる「生きる力」、高等教育では「自ら学び、自ら考える力」を基礎として、豊かな教養と高い倫理観をはぐくみ、「主体的に変化に対応し、自ら将来の課題を探求し、その課題に対して幅広い視野から柔軟かつ総合的な判断を下すことのできる力(課題探求能力)」の育成を図ることを目標とするなど、各発達段階において求められる資質・能力等について指摘をしております。この「生きる力」と「課題探求能力」については、14期からの継続的な概念でございます。
  また、今後、大学進学率の上昇に伴って予想される大学進学者の平均的学力の低下のおそれにつきましては、高校と大学の接続の改善、初等中等教育、高等教育の改善等によって対応するという視点を打ち出しております。
  次に、「第4章  初等中等教育と高等教育との連携の在り方」についてであります。この章では、今後、さらに多様な能力・適性、意欲・関心、履修歴等を有する学生が大学に進学してくるとの予測を踏まえ、大学の教育内容、教育方法等を、これまで以上に学生の多様性に対応したものとし、後期中等教育から高等教育への円滑な接続を図るため、高校生が大学レベルの教育を履修する機会の拡充を図るなどの方策を提言しております。
  「第5章  接続を重視した入学者選抜の改善」でありますが、ここでは、いずれは大学進学希望者がいずれかの大学に入学できるようになる状況が到来するということが予測されますが、その中で、今後は大学側の教育理念・目標等にふさわしい能力・資質を持った学生を見出そうとする取組と、学生側の自らの能力・適性等に基づく主体的な大学選択という相互の選択をいかに適切に組み合わせるかが重要になるという視点から、大学としての教育理念、目的、特色等に応じた入学者受入方針、すなわちアドミッション・ポリシーを対外的に明確に打ち出すべきであることや、アドミッション・ポリシーに即した多面的で丁寧な入学者選抜を実施すべきであるなどの方策を提言しております。
  「第6章」の「学校教育と職業生活との接続」についてでありますが、ここでは、中等教育終了後の進路の選択肢が多様化する中で、生徒が自己の個性を理解した上で、主体的に進路選択を行っていけるよう、キャリア教育を実施すべきである点、さらに、今後の社会・経済の高度化・複雑化に対応して、高等教育機関が社会人の再教育の場としての機能をも発揮できるよう受け入れ体制を拡充すべきであることなどの提言を行っております。
  以上、「第1章」から「第6章」までのポイントについて御説明させていただきました。

○根本会長  ありがとうございました。
  それでは、委員の方に御発言を賜りたいと思います。

○  これはこれからの問題ですけれども、中央教育審議会で一つの方向性、理念を示しても、実施するのは大学でございますので、大学がいかにこれを真に受けとめてやってくれるか。これはなかなか手だてというのは難しいと思いますけれども、そこが問題ではないだろうかと思います。

○  高等教育と初等中等教育の接続の改善という視点で言いますと、高等教育を担っている大学のほとんどが実は私立大学です。国立大学の問題意識と私立大学の問題意識を全体に大学という形で書いてしまっていいのかどうかという問題について、これは文章にはできないと思うのですが、コメントは何かつけ加えないといけないのではないかという感じが少ししております。大学入試センター試験一つとっても、まだ私立大学は全体がやっておりませんし、そういう方向にいってほしいと私は個人的に思っているんですが、それぞれの大学のお考えがあるでしょうし、その辺のところをどの程度つけ加えるか。今のところはその程度でございます。

○  全体として議論しました内容全体がよく収録されており、全く同感でございます。ぜひこれを具体化させていただきたいと思います。
  ただいまも御指摘がありましたが、悪平等の例についても、例えばお金に換算した話をする方が分かり易いとも思います。子どもに対する初等中等教育費に対し、どのくらい消費した税金の還元があるかという、効果の評価からの説明や比較を公開してゆく方針が重要と思います。特定能力の養成も必要で、専門の機関や各種学校を充実していくことも国としては極めて重要なことと思います。明治以来、踏襲してきた方針を進めるのではなく、抜本的改善を考えられないか。ジャーナリズムも指摘しております、少子化問題、国民意識の変化に伴う対応、学力低下などは、何れも重要ですが、測定と評価、比較の仕方とか、教育方法の改善につなぐ方策など、新しい切り口があると考えます。日本がこれから理想としていく方向に対応する教育の在り方をもっと明確にアピールしてゆくべきと思います。実はこの点については本中央教育審議会の出発時から、繰り返して話題には上りましたが、難しいせいもありまして、その目標が具体的な形で方針を出せないでいる。個々を見ますと判然することも多いのですが、もう少し全体像の輪郭とどんな方向を眺めていくかを少しでも具体的に書くことはできないかなど、率直に感じます。
  言うならば明治革命以来、教育に対する執念と申しますか、文部省を中心に多大な教育へのエネルギー投入があったわけで、明治初期には国家予算の3分の1以上を使うという時期が暫く続いた事実もあります。その当時の理念と、日本が置かれていた国際環境、将来展望、あるいは当時の日本国がどのような理想像を持って動いていったか、その効果と結果は今日、割に議論し易いが、片寄った見解も多い。今日只今、全く新しい立場から検討を加えてとなると、国民的に一致した意見をまとめるのはなかなか難しい、それを等閑にして来た処に今日現在の状況があるわけです。然し、ここまで参りますと、それが一層はっきりした形で衝立になっているのが明確となって来ております。なかなか一致できない現実もあるに違いないが、対立を恐れないで先ず各論からまとめる作業を、あるいは少なくとも大目標だけでも、国民のコンセンサスが得られるような国家的努力が必要ではないか。それを等閑にすれば国家の存立にかかわるとも言えるのではないか。前から会長が中央教育審議会の場で委員会において「不易と流行」というお話で抽象化した議論を持ち出しておられるわけですが、私どもは不易の土台の方を踏まえて、しかも、これからの在り方をもう少し突っ込んだ、議論を明確化する形で、多少白熱の議論があったとしても論議を尽くして方向を示すべきではないか、推進を強く提案したい。
  話題が飛ぶようで恐縮ですが、大学卒業生の過半数が設置者が国あるいは地方自治体でもない大学(通称私立大学)の出身者であるという現実問題があります。なぜそんなに大学が流行するのかという問題提起の仕方もあります。これも議論の対象にすべきですが、他方では設立者の違いによって、言うならば税金の支出方法といいますか、分配が非常に違っている。これは何も大学だけの問題ではないわけですが、等しく国民が個人の豊かで健康な文化生活を享受していくと同時に、私どもの集団であります国や自治体とか、社会に対しての貢献を期待しておりますし、実際に納税だけでなく等しく社会全般に日常貢献を全員が尽していただいている訳です。そういう意味での公平さとか、あるいは平等さはすっきりと一本筋が通った話なのです。余計なことですが私は一私学に奉職している訳ですが、巣立った博士達は30名に近い優れた人材が、教授、助教授など大学の教員となっております。そのうち80%は国立大学で働いております。言葉を選ばずにこのようなことを申しますと問題なしとはしないと思います。ぼつぼつこの辺で私共の国の方針といいますか、教育に対する哲学を少しまとめて行く方がよいのではないか。
  今回、ここまでまとめて書いていただきますと、特にその感慨を強く持ちますので、発言させていただきました。

○  全体的には相互選択の思想が一貫して流れている書き方になっていると思います。いろいろ申し上げましたけれども、かなりなだめられたという文章になっているかと思います。
  一つやはり気になりましたのは、アドミッション・オフィス入試というのが色濃く出ているわけです。大学の学長先生の間でも、アドミッション・オフィス入試と推薦入試の区別が定かでない方もおられるやに聞いておりまして、アドミッション・オフィス入試と推薦入試というのが同質ではないはずなんですよね。それもひっくるめて自由だというつもりなのか、大学によっては何でもいいから学生を確保したいということに走らないように、その辺のところをちょっと留意する必要があるのかなと考えました。

○  全体的にきちっとおまとめいただいて、大変すばらしいものだと思っております。特に大学がどのような人物を欲しているかということを考えて入学試験をやるべきであって、そのために試験科目数をむやみに減らすとか、そういうことがなく、どういう学生が欲しいのかということによって、入学試験をすべきだという考え方をはっきり打ち出していただいたのはありがたいことではないかと思っております。
  ただ、一つ心配なことは、大学が要求する人物と高校生が望む大学の選択をうまく一致させるということが、どこまでうまくできるかどうかということが現実の問題として少し心配だなと。つまり、ここに一貫して流れている考え方は、高校生が主体的に自分の将来を考えて、大学を選択するべきだと書いてあるわけで、それは確かに理想的にはそうですけれども、毎日受験勉強に明け暮れしている高校生が、そのようにきちっと自分の将来をその年齢の段階で判断することができるのかどうか。大学生が就職する場合にも、どこに就職するのがいいかということについては非常に迷う人が多いわけです。そういう意味で、高校生が大学を選択するときに本当にしっかり自分の将来を見定めることができないという学生がたくさんいるのではないか。そういう学生は一体どういう形で実際上選択をして大学受験をするかという実態問題と、ここに書かれていることとの乖離が起こらないような方策を、今後、もうちょっと詳しく検討する必要があるのではないかという感じがいたします。

○  今までと違った観点での入学選抜の方向が明確に出されているということでまとめられていると思っております。「入学者選抜の改善で目指すべき方向」の中で、「高等学校の多様化や高等学校卒業後の進路の多様化に対応し」云々という形で、要するに普通高校から進学した者のみではなくて、いろんなケースでの大学進学の選択の機会を幅広く提供することは重要だろうと思います。
  また、大学が求める学生を高校あるいは受験する者に示すわけですが、その基準をきちっと示す。その情報提供をしていくことが、こういう改善のカギを握っているのではないかと思います。現実にいくつかの特色ある大学の学部ではそういうことがあるわけですけれども、一般的にはその辺の差が、アドミッション・ポリシーがなかなかわからないのが高校側の現状でございますので、その辺の方針と基準を明確にしていただくことが、これからの実際の改善に向けての大きなキーを握っているのではないかと思います。

○  大変すっきりした国民にわかりやすい答申ではないかと思うのです。どうしてこういうわかりやすい答申になったのかなと考えてみますと、初等中等教育の役割とか、高等教育の役割が明確に出てきた。この役割は私ども保護者から見ても完全にわかる内容の役割です。その役割の中で、それぞれの接続を考えているから、非常にわかりやすい答申になったのかなという感じがするわけでございます。
  特に今まで初等中等教育から高等教育まで一貫した考え方、すなわち、初等中等教育では「自ら学び、自ら考える力」という基礎基本、それから高等教育では「課題探求能力」、そこには深い教養とか、高い倫理観とか、職業倫理観が含まれているということになってきますと、これは国民だれが見てもわかりやすい、教育の明確な方針が出てきた。こういう中での教育改革をやっているんだなということになると、小学校・中学校の完全学校5日制の基礎・基本、「自ら学び、自ら考える力」を十分やっておけば十分接続ができると、自信を持って言えるような感じを受けたわけでございます。そういう中で、大変ありがたい答申が出てきたなという感じがします。
  1点、見えにくいのは、先ほど他の委員の方がおっしゃったアドミッション・オフィスが、私には、素人としてはわかりにくい面がある。アドミッション・ポリシーについてはだいぶわかってきたんですが、アドミッション・オフィスについてはわかりにくいなという感じがします。

○  まず第1点は、諮問を受けていますのは、接続の改善であります。そうすると、接続というのを基本的にどう理解なさったのかなということを、読みながらまず感じました。つまり、接続の哲学というか、原理はどこにあるのかということです。文章の中で「円滑な接続」とか、「円滑な移行」とか、というのが出てくるわけです。接続の哲学は「円滑」なのかなと思いながら読んだんですが、しからば円滑とは何かということになるんですが、その説明がよくわからない。楽に進学できるのが円滑なのか、便利なのが円滑なのか、苦労がないのが円滑なのか、その辺がよくわからないわけです。ですから、受験競争が厳しいのはいけないと言いながら、どこかで受験競争のメリットも再評価すべきというニュアンスのところもあったわけですから、「円滑」というのをどう理解したらいいのかということです。
  私は、接続については、人間の接続とカリキュラムの接続があると思うのですが、何となく人間が量的に、少子化で大学のユニバーサル化で全員入学時代を迎えるからという、人間の接続だけでお考えかなと思って読んでいきましたら、後のほうでそうではなさそうだというふうにも読み取れたんです。高校生に夏季休暇に何か聞かせて単位にするとか、大学では高校の補習するということになると、これはカリキュラムの接続とか相互乗り入れもあるので、人とカリキュラム両面で考えていらっしゃるのかなということで、接続をめぐる概念が私の中で混乱をしてきたわけであります。
  接続というのは、楽で便利でスムーズにいくだけなのか、そうではないのか。私は学校制度があまり一貫してスムーズにならないほうがいいという考えなんです。といいますのは、人間というのは時々ショックを受けて成長していくので、私は学校がかわるごとに新しい教科をつくるべきだであり、昔、教育課程審議会でも小学校を終わって中学校へ入ったら、小学校にない教科、高校へ入れば中学校にない教科というのを言ってきたんですが、どうも同じ教科でずうっとくるところがありまして、刺激がないんです。せめて人でもかわればと思ったんですが。そういうことで、あまり楽な連続というのはいかがなものかなという気もするんです。非連続の連続ということもお考えいただくといいますか、制度に節目がないと何となくいけないのではないかということで、第1点は接続の哲学、原理ということを考えさせられました。
  2番目は、改善点というのが具体的に後半で示されているんですが、なるほど、なるほどと読んでいったんですが、それが改善の方向に始まって、在り方、考え方、最後にやっと具体的な方策とくるんですが、どうもその辺がタマネギの皮をむくように、なかなか到達しないので、慎重なのはわかりますが、もう少しズバリとお書きになって、その理由はこうだというように逆の書き方もあるのではないかということを感じたんです。
  問題はそうした修辞学的なことではなくて、改善した後、全体像がどうなるのかというのが読んでいる人に果たしてわかるんだろうか。改善点というのは、今、目の前が火事ですから、それを消すための消火対策なんですが、これをそのまま制度化してしまうのか、それとも一時的に今問題があるから、こういう措置をとるけれども、弥縫策としては仕方がないけれども、将来的には「生きる力」云々の理念を実現する学校制度はこういう接続であるべきなんだという姿が、私にはなかなか見えないんです。冒頭で、戦前の複線型から単線型に移ったというくだりがあったんですが、それを考えると、将来はどちらにどうなるのか、それが見えてこない。つまり、今までは例外措置を認めてきたわけですね。「飛び入学」とか、区域外何とかとか、そういう例外を原則化するのか、例外を拡大するのかによって、制度の在り方が変わってくるんですが、その辺が見えてこないので、教えていただきたいというのが2番目であります。
  3番目は、接続というのは、私は、途中から参加して、議論の経緯をよく踏まえていないんですが、制度の垂直レベルの問題なんです。制度というのは垂直レベルと同時に水平レベルの次元でも考えなければいけないんですが、垂直レベルのアーティキュレーションの問題と、水平レベルのインテグレーションとディファレンシエーションの問題を考えると、接続、円滑という哲学と同時に、横の転学はどういうふうになるのか。制度を考える上で、例えばヨーロッパの複線型の学校制度は、複線型の弊害を直すために、横の転学、フェアシュールングをドイツは日本以上に認めているんですが、それが見えてこないというのが、改革後の制度の全体像ということであります。
  4番目ですが、国民の意識改革とありますが、これは私、大賛成ですが、もう少しショックを与えるように厳しく  ―今まで政府の答申で、国民の理解と意識変革が必要だで終わっていたんですが、今度は意識改革について何点か触れられているので、せっかくのことなので、もう少し強調していただけたらと思います。
  5番目ですが、「公平」ということが出てまいりました。私は、選抜において大事なのは「公平」だけではなくて、「適正」ということと二つあると思うのです。そうすると、「公平」と「適正」を合わせて「公正」という言葉のほうがいいのかなという気もいたしましたが、あんまりこだわりませんが、感想であります。
  6番目ですが、生涯学習の視点というのが最後に出てまいりましたが、生涯学習の視点に立って高等教育を考えるということですが、臨事教育審議会では生涯学習社会をつくるのだということで、生涯学習の視点からあらゆる教育制度を考えるというのが建前ではないかと思うのです。そうすると、生涯学習の視点から初等中等教育、高等教育を考えた上での接続ということを考えると、もう少し違った側面が見えてくるのではないか。ですから、接続を学校制度だけに限って考えて、最後に生涯学習もこうですよという言い方もありますが、これはどうしたらいいのかということです。

○  二、三感想めいたことも含めて申し上げておきたいと思います。
  一つは、この報告で私は評価すべき点もあると思っています。特に小学校から国民皆教育機関化している高等学校まで含めた、小学校・中学校・高等学校というのを12年間のくくりとして、初等中等教育の役割を明確に、今までもいろいろ言われてきたことをトータルとしてまとめて記述をしたことは、私の記憶する限り、昭和46年の中央教育審議会「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」の答申以来を見ていましても、ある意味で画期的な記述の仕方ということで、他の委員からもありましたけれども、初等中等教育と高等教育の役割を明確にした上でのアーティキュレーションといいますか、接続を考えるという組み立てはよくできていると一つは思います。
  とりわけ「検討の視点」ということで、戦後50年間の教育を、特に接続という学校制度の面を中心としているわけですけれども、中央教育審議会として50年間を振り返って評価したというのは、ずっと昔はわかりませんが、最近では初めてではないか。その意味では、「検討の視点」については私もいろいろ意見を申し上げてきたところです。
  それから、昨年の11月6日に、当時の有馬文部大臣から接続についての諮問がありました。あの諮問文と諮問理由説明というのを昨晩引っ張り出してもう1回よく読んでみまして、あの諮問に十分答える案になっているのかどうかというところで、一つは評価をしたいという思いもあります。基本的に初等中等教育と高等教育の接続で役割を明確にするということは、三つの諮問事項の一つの大きな柱でした。その点は、冒頭言ったように、私はそれなりによくできていると思います。
  二つ目が接続を重視した入試選抜制度の在り方で、三つ目が一、二に関連する問題ということで、学校教育と職業とのかかわりとかいうような問題があったんです。2番目の初中と高等教育の接続を重視した大学入学なり高校入試の在り方という観点から言うと、今いろいろ意見がありましたけれども、一番最初の原案にはあったんですが、これまで選抜、偏差値を指標にした1点刻みで序列化していくことについて、二次答申でもそれは望ましくないと言ったんです。それにかわって選抜から、本人なり親も含めた選択へ、入れる大学から自分に合った目指す大学にということで、本人の主体的な選択を重視するというふうに大きく原理を転換するということが、前にはかなりあったんですけれども、そこのところのトーンがちょっと……。そこのところは強調して、接続の哲学の一つは「選抜から選択へ」というふうに原理を大きく転換するということが、これまでの議論からいって重要ではないか。
  ただ、私にとって多少不満が残るのは、接続を重視したということで、大学入試問題について、私個人はもう少し踏み込んだ意見を、最終的にはそれは多数意見にはなりませんでしたからこだわりませんけれども、できるだけ資格試験的な取扱いというものを可能な限り取り入れていくことを、資格試験というふうに言ってしまうと、個別大学の入学決定が大きく疎外されますから、そこまで申し上げませんけれども。私はそこまで踏み込んでもう少し議論するなら議論をして、大学審議会のほうでまた専門的に議論してもらえばいいのではないかという思いがあります。
  他の委員の方から、大学入試センター試験において、いろんなことをやろうと思えば、現行の1月の中旬の土・日、試験会場その他も含めて2日間という限られた日程だと、制約がある、できれば期日を3日間に延ばすことも提言などしてもらって、大学側でそれを受けるかどうかということを検討したいという趣旨の御発言があったのが、今回はその意見は取り入れられていません。英語のリスニングをやるとか、多様な活用の仕方を考えるとすると、理科で物理か生物か一方だけしか受験できないということで、医学部へ行っても生物を履修していない学生がいっぱいいるということが起きてきていると理解すれば、試験日も土曜日・日曜日を挟んで金曜日か月曜日かどっちかつぶすことにはなりますが、私はそこまで踏み込んでいいのではないかと思っていることを意見として申し上げます。そこのところは、中間報告を提出したら、おそらく各団体、国民から広く意見が上がってくると思いますので、それらを含めて、今後、再度議論をする必要があるのではないかと思っています。
  それから、今、他の委員の方からフリーターの問題が出ました。私も最近、この問題に関心を持って、この前NHKでも、進学もせず就職もせず、今年の3月の高校卒業生で、約13万人がフリーター。ある意味で自覚的な無業者といいますか、自分の意志により特定の職業なり進学をしないという無業者が13万人ということですから、最近の雇用情勢を反映すると、もっともっと増える可能性もあるし、これは放置できない一つの大きな問題です。教育だけの問題でもありませんけれども、やはり送り出すほうの高校、大学、そして就職しても大学卒業後の3年間で3分の1、3人に1人は離職しているということで、学校生活と職業、社会的に自立して18歳で大人になるという考え方からすると、一定の職業に就くという仕事の大切さ、発達段階に応じてキャリア教育を重視していくべきだということを私も申し上げているんですけれども。高校側は進学だけでなくて、進路ということで、職業についてもチームをつくって  ―私、アメリカへ2月に行ったとき、イースト・ハーレムのハイスクールを見学したら、3年間で105時間程度インターンシップをやるということで、スタッフが4、5人いて、職業について経験、体験を積ませるということをカリキュラム上組み入れているという話を聞きました。日本の進路指導体制というのは、ほとんどが進学指導に偏っているということで、そういうことについてどこかに進路指導体制ということで、就職も含めて、システムとしてそういうことを教育の場で取り入れるということがあっていいのではないかということを考えていることを申し上げておきたいと思います。

○  いろんな実例があって、とてもわかりやすい、論点がはっきり見えた紙になっていると思います。私も今まで木を見過ぎていて、森を見ていないところがあるのではないかと思って、少し考えてみましたので、いくつか申し上げたいと思います。
  まず、かなり前に制度の接続と人の接続ということを申し上げましたが、制度の接続の話はいいんですけれども、相互選択というのは、間に入ってそれを選ぶ人間にとっては、非常にリスクのあることでございまして、間違ったときに選択し直すことができることが大事で、こういうふうに発想を変えることの裏側にそれがついているべきだろうという気がします。そういう目で見ますと、選択をし直すというところについて触れている部分が少なくて、例えば、アメリカの大学は他の大学に再入学したりとか、コミュニティ・カレッジで職業資格を取る道もあるとあります。考え方としては相互選択の制度に変えたらば、間違ったときに選択し直すことができるような制度にしておくことが大事だろうということをもっと言うべきだし、それをきちんと位置づける必要があるだろうという気がします。
  それから、先ほど申し上げた選択し直すということとの関係で、「入学者の履修歴等の多様化に対応して大学教育への円滑な導入を図る工夫」に、「各大学が学生の入学を認めた場合には、その教育に責任を持つことは当然であり」とありますけれども、その意味は一体何なのかというのがよくわからないので、例えば落第をさせません、必ず卒業をさせますということをおっしゃっているのであれば、厳しく教育のレベルを上げていくということと、若干矛盾をするのではないかという気がします。入る学生が選択し直すことができるのであれば、大学側も選択し直す、すなわち、思ったような学生ではなくて、全体を教育をするという観点からいって、問題がある生徒を採ってしまった場合には、落とすことができてしかるべきではないだろうかと思います。
  あと非常に小さい話ですけれども、「企業等が学歴以外で人材を登用したり」というふうにありまして、これはおっしゃりたいことはよくわかるんですけれども、おそらく学校の単位としていろんな活動が認定されるということになった場合には、それも含めて学歴だという理解だろうと思いますので、学校以外で取った単位は学歴ではないとおっしゃってらっしゃるのか、その辺が混乱をしますので、言葉は少し考えていただいたほうがいいのではないかと思います。以上です。

○  私立大学との平等というか、公平の問題、それからアドミッション・オフィスというのは一体どういう概念なのかということ等、いくつか御意見がございましたが、この辺はもう少しはっきりしていただきたいということでございます。
  それから、他の委員の方から、接続の哲学というものがはっきりしないのではないかというお話でございますが、特に接続の円滑化というのは、円滑化すればそれでいいのかという御意見だと思いますけれども、「円滑化」という日本語が妥当なのかどうか。例えば、接続の「質的改善」とか、つまりクオリティーをよりベターなものにするというような表現であれば、これは円滑化とはまた違ったもうちょっと深い意味を持つのかなと私は個人的に思いますが、この辺は少し検討させていただきたいと思います。
  それから、国民会議とか、何かいろいろあって、我々はニュートラルな意見でいくべきだという御指摘もございましたが、その辺の我々が目指すべき国の姿というのか、あるいは教育の在り方について、もう少し答申の中で触れたほうがいいのではないかという御意見だと思います。
  私は私なりに勉強してみたんでございますが、教育基本法というのは昭和22年にできているわけです。当時、GHQのいろいろな圧迫があったようでございますが、日本の賢人が精魂込めてつくったわけでございまして、これを読んでみるとなかなか立派な基本法だと思うのです。第1条、教育の目的に、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と書いてございまして、当時の文部大臣、高橋誠一郎さんが教育基本法制定の要旨というものを発表しておりますが、これを拝見いたしますと、「人格の形成とは個人の価値と尊厳との認識に基づき、人間の備えるあらゆる能力をできる限り、しかも調和的に発展せしめることである。しかし、このことは決して国家及び社会への義務と責任を軽視するものではない。教育は、平和的な国家及び社会の形成者として心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」となっておりまして、一番最後のところに「教育者自身の自覚と努力が大切だ。教育に当たる者は国民全体に対する深い責任に思いをいたし、この法律の精神を体得し、熱意を傾けてその使命の達成に遺憾なきを期すべきである。」ということになっております。
  最近いろいろ言われておる、例えば家族の一員であるとか、あるいは国家の一員ないしは社会の一員というようなこと、それから自由に対しては義務が伴うべきものであるということは、この大臣の声明の中にもはっきり書いてあります。
  その後、臨事教育審議会に相なりまして、この中で三つの結論を出したんですが、その前提に「教育基本法にのっとり」ということが明言してございまして、個性の重視、それから新しい流れとして国際化及び情報化に対する対応、3番目に生涯学習というようなことで、今の教育改革というのは、臨事教育審議会がうまくいかなかったとか何とか言われておりますけれども、文部省の立場に立つと、その線にのっとってずうっとやってきたんだというお話であるわけです。
  昭和61年の4月23日に臨事教育審議会が第2次答申を発表しておりますが、これを読んでみますと、問題意識は我々と全く同じなんです。「教育の荒廃などを含む戦後教育の現状を見ると、過度の画一主義、偏差値偏重の受験競争、陰湿ないじめ、問題教師などの諸病理現象は、いずれもここにいう自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成という教育基本法の精神が必ずしも尊重されてこなかったことを示している。個人の尊厳、個性の尊重、自主的精神の涵養は、自由と規律の均衡と中庸の中にこそあるものである。」と書いてございまして、「平和国家、文化国家、民主主義の成熟を目指す正しい国家意識の涵養、勤労と責任を重んじるなどの社会的責任の自覚、個性豊かな文化や伝統の継承、創造、発展のための努力が不可欠であることを明確にしなければならない。」と書いてあるんです。
  今、日本の伝統と歴史を重視すべきである、それから家庭を重視しなくてはならない、社会の一員であることを重視しなければならない、国民の一員であることを重視しなければならないといういろいろな意見、それに沿って教育基本法を改正すべきではないかという御意見が出ておりますが、これらはこの論議の中で全部出尽くしているんです。これは私のクエスチョンですが、教育基本法を改正したときに、それで日本の現状はすべて改善するのかということになりますと、これはアナザー・イシューではないか。要するに、我々はむしろ後者のほうの現状に立って、いかにして今の日本の教育のマイナスの面を改善していくのかということに汗を流すべきなのがこの中央教育審議会の役目ではないかと私は個人的に思っているんでございます。今のような論議からいたしまして、それが国民会議の場で皆さんオープンに論議されて、なるほど、過去においてもこういうことを言われたんだな、それではそういうものをもう少し明確に教育基本法の中に組み込もうということになれば、それはそれで私はよろしいと思いますが、それだけでは決して教育の実際の改革は行われないのではないかということを危惧しております。

○佐藤事務次官  私は、今回の御議論くださいました中身は、画期的なことだったと思っております。50年の間の実態の変化、建前と実態が知らず知らずにずれていったわけでございますけれども、現状に即して役割分担、その他をきちんと整理してくださったということは大変大切な作業で、教育改革の議論というのはおそらく尽きることなく、今後もいろんな形で出てくるかと思いますけれども、いずれにしてもこういったきちんとした整理なしには地についた議論は進まないものと思っておりまして、大変ありがたく感ずる次第でございます。
  なお、教育基本法のことについて、今、会長から言及がございましたが、私、表現方法は違いますけれども、中身は一緒なんですが、いずれにいたしましても法律をつくったり直したり廃止したりというのは手段として行うことでございまして、中身として何をするのかということが議論をすべき先決のことであって、そのことを抜きに手段だけ議論をするというのはおかしいことだと理解いたしておりますので、教育の改善の中身の御議論を引き続き進めていただければ大変ありがたいと思う次第でございます。どうもありがとうございました。

○根本会長  ありがとうございました。
  それでは、おおむね皆様の合意を得られたと理解しております。木村座長の大変な御尽力でここまで  ―最初は私もこれはどうなるものかなと思っておりましたけれども、ここまでまとめていただいて大変感謝しております。最終的にこれを文章上の問題なども整理し、どうするかということにつきましては、木村座長と私にお任せいただきたいと思っております。できれば11月の初めになるんですかな。1日に中間報告という形で取りまとめまして、その後、これを一般に公開して、そして各層から意見を求めることになるわけですな。それがおおよそ1ヵ月ということで、その上で、12月ですか。
  私、述べましたけれども、今後のスケジュールについてお願いいたします。

○事務局  今後のスケジュールでございますが、でき次第、文部大臣に提出をさせていただきまして、審議会としての中間報告の公表を行いたいと考えております。また、中間報告を公表しました後に、意見募集を行いまして、関係団体に対しましても幅広く書面によりまして意見をお伺いしたいと思っております。
  次回の日程につきましては、また後ほど文書にて御連絡をさせていただきますので、よろしくお願いいたします。

○根本会長  ありがとうございました。
  それでは、本日の討議をこれで終わらせていただきます。本当に皆様ありがとうございました。

(大臣官房政策課)

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